時ナデ・if <逆行の艦隊> 第11話 ある『穏やかな日』に・その1 ナデシコが消息を絶ってから18時間経過。 ―― 火星 艦を撃沈されたために帰還は随分と遅れてしまうこととなった。 一旦、仮拠点としていたネルガルの研究所まで戻った上で迎えを待つ羽目になったのだから仕方ない。 朝霧に乗艦していた以外にも優華部隊は300名近い人員を火星に送り込んでいた。 そのほとんどは後方での支援任務のための人員である。 朝霧を動かすのは75名で事足りるが、運用となればまた別の問題だ。 当然のことながらその人数を撤収させるのも一苦労だった。 「せめて専門の輸送艦なりを送って欲しかったわ」 「申し訳ありません。 何しろドックの大半は戦艦の建造で埋まっていますから、輸送艦を建造する余裕がないんです。 既存のものは小惑星間の通商で手一杯ですし」 新造戦艦<ゆめみづき>の艦長に就任したばかりの白鳥九十九少佐は申し訳なさそうに頭を下げる。 兄の東八雲が迎えとしてよこしたのが彼だった。 男尊女卑的な思想の強い木連においては九十九のような反応は珍しい。 「ごめんなさい。 別に白鳥君を責めるわけじゃないわ。 ただ、積荷の心配をちょっとね」 と言いつつも九十九の言葉にさらに気持ちが沈む。 何となく舞歌は占領した火星での開発計画がうまくいっていない理由が分かった気がした。 要するに現状に対する認識が甘いのだ。 『輸送艦を建造する余裕がない』と言う発言は佐官クラスの人材でも補給兵站に関する認識が低いと言う証左だ。 資源の不足する木連にこそ大量の輸送艦が必要となるはずなのだ、本来は。 ただ、これは木連の生産体制にも関係している。 木連における生産の大半は『プラント』と呼ばれる遺跡に頼っている。 兵器もまたしかり。 無人艦艇やバッタ、ジョロと言った高度な無人兵器もプラントによって生産されたものだ。 これがなければ木連の人々の生活は成り立たない。 全ての生産体制はこのプラントを中心として構築されている。 もし、プラントを止められたら木連は一月と持たずに継戦能力を喪失してしまう。 問題はそこだ。 現在の木連の生産体制はあまりにもプラントに依存していた。 西沢はそれを懸念して、火星開発計画<長征計画>を打ち出したのだが、あまり順調とは言いがたい。 プラントに依存していた木連では、資源開発に関するノウハウと言うものが一切なかったためだ。 仮に火星に工場を造って稼動状態に持っていったとしても、今度はそれを本国へ運ぶための通商ルート、生産・品質管理など、 一からシステムを構築せねばならない。 物を造ったところで、使うところに届かなければ意味がない。 「……舞歌様?」 「えっ!? ああ、ごめんなさいちょっと考え事をね。 そうね、それじゃあ仕方ないか。 来る時は駆逐艦で、帰りは戦艦なんだからある意味豪華になってるのよね」 もっとも、来る時は朝霧のほかに輸送艦が3隻随伴していたが、それらは荷物を置くと早々に引き返してしまった。 戦艦には機材揚陸用の装備などないから、時間がかかって仕方ない。 「焦ってもしかたないわね。 急ぐようなこともないし」 「はい。 零式を使って搬入作業を急いでいますが、あと半日は掛かります」 「でしょうね」 まったく、これが戦闘前でよかったと思う。 八雲に提出する戦闘報告では、こちら側の基地設営能力の不足等について太文字朱筆で書いておこう。 これから宇宙戦から陸戦が主体になってくるだろうが、その時にこれは大きな弱点となる。 「それはそうと、せっかく来たんだし、千沙には会っていかないの?」 「はっ……お互いに任務中ですから」 生真面目な反応だ。 ただ、それも時と場合によりけりだと思う。 「白鳥君」 「はい?」 「優華部隊司令として命じます。 私の副官の各務千沙と機材搬入について意見の交換をすること」 「今すぐですか?」 「今すぐよ。 駆け足!」 「は、はい!」 慌てて艦の方へ走っていく九十九を見送って溜息を一つ。 まったく……乙女心というものをいまいちわかっていない。 そのうちこの辺のことがすれ違いの原因にならなければいいのだが。 ○ ● ○ ● ○ ● 予め機材などはユニット化されている。 これは設置と回収をしやすくするための措置だった。 とは言っても、やはり一度設置したものを回収するにはそれなりの時間がかかる。 「ん〜、なんかもったいないよね」 今回拠点に使っていたネルガルの研究施設には多くのデータが未だに残されていた。 大抵の場合は破棄されて残っていないのだが、ここは破棄が間に合わなかったのか、ほとんど手付かずだった。 今回の任務ではナデシコとの対決のほかにも、無人兵器ではできない情報収集という側面もある。 技術士官の月村忍にとってはまさに宝の山にも等しかった。 「エステバリスの純正部品に、フレームの試作案。 やーん、動力源確保に関する論文まである!」 「………なんとなく忍に婚約者がいない理由がわかったかも」 呆れたような声を出すのは、同じく優華部隊の空 飛厘。 確かにどう考えても年頃の娘の発言とは思えない。 「だって、すごいよ。 本国じゃこんな加工精度の部品はなかなか手に入らないし」 「あー、はいはい」 飛厘から見れば機動兵器の部品などどれも似たように見えるのだが、忍はその違いをとうとうと語っている。 案外、親戚筋から紹介された男に対して『動力を燃料電池にしたら考えてあげる』などと言ったという噂も そう的外れではないのかも。 「試作の海戦フレーム? 何でまた火星で? あっ、しかもこれって別会社の試作機の……企業スパイかな?」 「……はぁ、忍。 私はまだ積荷のことがあるから、そっちへいくわよ」 「うん、了解。 私はもう少しこっちをみてくから」 こうなったら忍は自分の知識欲が満足するまで動かない。 それを知っている飛厘は早々にその場を立ち去ることにした。 ふと振り返ってみると、かんなづきの格納庫にボロボロの零式……たぶん北斗専用の52型が搬入されていくところだった。 その後ろにはシートをかぶせられた飛厘らの零式32型もある。 ……よくもまあ、無事だったわね。 ボロボロの零式を見て改めてぞっとする。 一つ間違えれば、出撃した彼女らのうちの誰かはここに居なかったかもしれない。 その事実を改めて思い知らされた気分だ。 同時に、敵 ―― いや、敵と定義される相手の何人かは確実に還らなかった。 「これが、戦争」 命のやり取り。 非情な現実。 そう言われてもいまいち現実感がなかった。 しかし、今は違う。 目を閉じれば鮮明に思い出せる。 自分の撃墜した偵察機のパイロット。 その時の驚愕と絶望に彩られた表情。 高機動戦闘のさなかではっきりとそれだけは見て取れた。 相手は凶悪な地球人。 そう教えられてきた。 戦いとなれば殺しても当然と思ってきた。 それが…… 「飛厘さん?」 「ッ!? 琥珀様」 「あはー、私にまで『様』はいりませんよ」 そう言って朗らかに笑う琥珀。 「は、はあ」 そうは答えたものの、どうしたものか少し悩む。 仮にも相手は四方天の東八雲の細君で、飛厘の直接の上司である舞歌の義姉。 (と言っても舞歌より6歳ほど年下なのだが) 「私のほうが年下ですしね」 「……わかりました。 琥珀 ―― さん」 無難なところを選択。 しかし、年齢のことはあまり触れて欲しくない話題だ。 本当に呼び方はどうでもよかったのか、琥珀はポンと手を合わせて言う。 「何かお悩みのようでしたが?」 「大したことでは ―― 」 「嘘」 「…………」 あっさりと喝破される。 琥珀は相変わらずの笑顔。 真意が読めない。 「でも、その気になれば相談にのりますから」 もちろん無料ですよー、と付け加える。 まさか遺伝子改造を受けたからといって心まで読めるわけではないだろう。 馬鹿げた想像が浮かびかけて、苦笑しながら打ち消す。 「では、その時はよろしく。 でも、今回は琥珀さんが私に用があったのでは?」 「はい、そうでした」 うっかりしてましたよ、と言いながらまた笑う。 この人の笑顔以外の表情と言うのを見たことがないような気がする。 それはそれで何となく怖い。 「飛厘さんは医療に関する知識も豊富ですよねー?」 「はい。 これでも医者ですから」 事実、優華部隊の医療班の最高指揮権限は飛厘に一任されている。 今回の戦闘で発生した負傷者に対する手当ても率先して行なった。 これはある意味矛盾だった。 戦闘では地球人を殺す自分が、同時に同胞の命を助ける。 医者にとって命に軽重はないと言うが、それは嘘だ。 同胞の方が重いに決まっている。 「ちょっと、私の“積荷”を“診て”欲しいんですよ」 「積荷を見るんですか?」 「はい。 手が空いているなら是非」 この時、飛厘は琥珀の言葉に含まれた微妙なニュアンスを聞き分けられなかった。 よしんば聞き分けられたとしても選択は変わらなかったかもしれないが。 「ええ、構いませんよ」 とにかく彼女は頷いた。 頷いてしまった。 彼女はあとでこの事をとことん後悔するはめになる。 しかし、この時の飛厘は単純にこう思っていた。 ……働いてたほうが気が紛れるし。 それは完全に間違いだった。 10分後、彼女はそれを思い知ることになる。 ○ ● ○ ● ○ ● 軽いまどろみの中にいながらもまったく隙がない。 この状態は逆に危険だ。 条件反射によって吹っ飛ばされた人間の数は2桁に登る。 死人が出なかったのは不幸中の幸い。 「北ちゃん、起きて」 そして、その中でも“例外”と言われるのが幼馴染の零夜だった。 彼女だけは眠っている北斗に近づいても攻撃を受けない稀有な存在だった。 「……時間か?」 「えっと……そうじゃなくって……」 今の北斗は優人部隊の制服からラフな格好へ着替えていた。 どこからともなく舞歌の調達してきた淡い緑のワンピース。 普段の北斗なら断固拒否するような女物だったが、 戦闘の後で気を失いもう一つの人格である枝織に入れ替わった後で着替えたものだ。 もちろん彼は断固として着替えようとしたが、その時には既に制服は洗濯機の中に放り込まれていた。 ちなみに朝霧のスペースは限られていたので男物に限らず北斗の制服はそれしかない。 私服など持ってくる余裕すらなかった。 そんなやむない理由から、今の北斗は女物で我慢していた。 当然、スカートである。 「北ちゃん、下からだとスカートの中見えちゃうよ」 そして北斗はコンテナの上に寝そべっていた。 足はコンテナの端からだらりとたらした状態で。 零夜が言っていることは確かに正しい。 ただ、北斗はあくまで北斗だ。 「だからなんだ。 別にわざわざ寝ている俺を起してまで言うことか?」 と、にべもなく言い放つ。 しかし、これは零夜にとっても予想できた反応だ。 “男”である北斗に女性としての恥じらいを持てと言うのが土台無理な相談だ。 だから、零夜にしてみてもとりあえず言ってみただけという感じだ。 本題は別のところにある。 「北辰さんが来てるよ」 「……ほお」 その瞬間北斗の気配が変わった。 眠れる獅子から、狩場の獅子へと。 素早く身を起すと零夜のほうに向き直った。 「奴が来ているのか」 「北ちゃん、ダメだからね」 だったら初めから教えなければいいだろうと思う。 「ああ、わかってる」 「ほんとに?」 「もちろんだ」 ……もっとも、向こうから仕掛けてきた場合は知らないが。 こっそり心の中で付け加える。 何をしにきたのか知らないが、いい度胸だと思う。 「それは安心できる」 「……出たなクソ親爺」 敵意を剥き出しにして唸る。 近くに零夜がいなければ、そして北辰の傍らにもう一人、その人物がいなければ飛び掛っていたかもしれない。 「お久しぶりです。 北斗くん」 「……八雲。 お前まで何の用だ」 北辰の少し後ろについてきているのは優人部隊司令の八雲だった。 ただし、なぜか制服ではなく整備員用のツナギ姿。 「今日はお忍びなので、舞歌にも秘密にお願いします」 「だから何の用だ?」 八雲と北辰と言う組み合わせは異質ではあるが、 仮にも木連の最高幹部が2人も出張ってきているのだから単なる物見遊山と言うわけでもあるまい。 だが、北辰はあっさりとそれを否定した。 「お前を笑いに来た……といえば満足か」 「……上等だッ」 そこまで言われて大人しくしているほど北斗は落ち着いてはいない。 北辰との距離は3m。 彼なら一足飛びで詰められる間合いだ。 相手が武器を持っていようが関係ない。 反応される前に心臓を抉れる。 「ああ、それから北斗くん」 「――― ッ!」 しかし、北斗の意志は最後まで実行されることはなかった。 絶妙なタイミングで八雲が話し掛けてくる。 間を外された。 「例の機動兵器の残骸を回収しました。 それについて帰還後に話がありますので、承知しておいてください」 「了解した」 話しながら八雲は北辰と北斗の軸線上に入っている。 仕掛けるには八雲の体が邪魔だ。 他の人間だったら構わずに北辰へ蹴り飛ばしていただろうが、八雲は別だ。 零夜や舞歌と同じく特別な存在。 だから無茶はしない。 「それでは僕たちはこれで」 そう言うと踵を返して立ち去っていく。 一瞬、北辰の背中に向かってナイフでも投げつけたい欲求に駆られるが、 残念ながら手元に適当なものが見つからなかった。 「……なんだったのかな?」 「知るか」 不機嫌に答えるとそのままコンテナに寝そべる。 眠気はもう感じなかった。 ○ ● ○ ● ○ ● とりあえず北斗の殺気が霧散したことでホッと一息ついた。 本気で北斗に仕掛けられたら止めるどころか、逃げることすらできない。 優人部隊の司令と言っても、八雲は個人レベルでの戦闘はまったくダメだった。 射撃もダメ、刀を使った戦闘も苦手、徒手空拳では妹にも負けるかもしれない。 北斗から離れたことを確認し、さらに周囲に人がいないのも確認。 と言っても、北辰がいるのに近づいてくるような奇特な人間は居なかった。 「僕は争いごとは苦手なんですから、北斗くんを挑発しないで下さいね」 「そう思うなら捨て置けばいい」 予想通りの北辰の回答にまた溜息。 「そうしたら北辰さんの身が危険ではないですか。 北斗くんは強い。 少なくともあの頃よりは」 「10歳と2ヶ月。 我の左目を抉ったのが10歳の時よ」 「それだけではないでしょう」 「……何?」 残った右目がこちらを見据える。 常人ならこれだけで金縛りにできそうなくらい眼光は鋭い。 しかし、それを意に介することなく八雲は続けた。 「抉られたのは、貴方の心もだ」 「…………」 沈黙。 肯定なのか否定なのか、それとも別の何かなのか。 もしかしたらもっと単純に意味を図りかねたのか、北辰は無言で歩き続ける。 そして、そのまましばらく歩いた後にようやく北辰が口を開いたが、 口にしたのはまったく別のことだった。 「我の仕事は終わった。 貴様はどうする?」 「僕も今日はお忍びですから。 氷室君に仕事を任せて来てしまいましたし」 早く帰らないと哀れな副官が書類の山の中で殉職しかねない。 紙はめったに使われないからこれは例えだが。 「会ってゆけ」 「はい?」 一瞬、何を言われたのかわからなかった。 聞こえてはいたが、意味を理解するのに時間がかかってしまった。 「貴様の妹と細君が居るのだろう。 閣下には我から伝えておく」 それだけ言い放つと振り向きもせずに歩いていってしまう。 孤独な姿だと思う。 本当なら彼も北斗の無事をしっかりと確認して労いの言葉でもかけてやりたかっただろう。 だが、2人の過去がそれを許さない。 『我は守れなんだ。 だから貴様は守ってやれ』 昔、四方天に選ばれた時に北辰から言われた言葉を思い出す。 思えば、これがきっかけで琥珀を妻にすることを決心したようなものだ。 木連でもマシンチャイルドは稀有な存在だ。 八雲の父、先代の東が健在の時は養女として琥珀と翡翠の2人を保護できた。 しかし、先代の事故死のあとで四方天を継いだばかりの八雲にそれほどの力があるはずもなかった。 そこで思い切って琥珀を妻にすることでその地位を高めた。 四方天・東の細君ならあの山崎博士もおいそれと手出しはできない。 「……山崎博士か」 いい話など一つも聞かない。 天才的な科学者であることは認めるが、人間的にあれほど最低な男もそうは居まい。 外道と呼ばれる北辰らを用いる草壁中将ですら忌避するほどの男だ。 元老院と、その背後にあるクリムゾンの後ろ盾さえなければとっくの昔に刑務所に叩き込んでいる所だ。 それと、北辰が北斗を座敷牢から出した時の言葉。 『外道が人を信じてみるのだ。 “2人”を頼むぞ、東八雲』 “2人”が何を指すのかその時はわからなかった。 あとから北辰の口から事実を聞いた。 だから八雲は優華部隊へ ――― 妹の元へ北斗を預けた。 舞歌にもある程度の事情を話した。 だから妹は北辰を嫌悪している。 北斗もそれは同じだろう。 当事者だけにその憎悪はもっと深いかもしれない。 だが、真相は北辰と八雲、そして山崎しか知らない。 八雲は真相を知っている。 だから北辰に嫌悪や憎悪は抱かない。 ただ何とも言えないやるせなさがあった。 戦うことしか知らず、強敵に飢えている息子と。 殺すことしか知らず、心の成長をあの時から止めてしまった娘と。 ただ、憎悪の対象となることでしか自分を許せない、否、それでも許しきれていない父親と。 「……やるせないですね」 言葉に出して呟くと、もう一度北辰の去っていった方を見る。 が、既にその姿はなかった。 代わりに彼方に立ち昇る黒煙。 水平線の陽炎によって確認はできないが、撃沈された地球の艦のはずだ。 「こちらもやるせない ―― といえる資格が僕にあるのか」 どちらにしろ戦争は続く。 そうなれば、これはこの先も生み出され続ける光景の一つというわけだ。 深呼吸を一つ。 帽子をかぶり直す。 やはり琥珀や舞歌たちに会っていこう。 だって、本物の空を一緒に眺められる機会などそうはないだろうから。 <続く>
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