時ナデ・if <逆行の艦隊> 第11話 ある『穏やかな日』に・その2 ナデシコが消息を絶ってから3日経過。 ―― 地球 軍隊には一つの格言がある。 すなわち、『急いで待て』。 現代戦のほとんどは待つことに費やされる。 実際に兵士が戦っている時間というのは驚くほど少ない。 理由は戦闘による神経の磨耗が日常生活のそれとは比較にならないことや、 現代戦とは突き詰めていけば兵站戦・システム戦であるということに帰結する。 戦争という時間、その大半は敵より優れた戦略システム及び後方支援体勢・補給兵站システムの構築に費やされる。 20世紀で滅んだと思われた国家総力戦に再び突入せざるをえなかった地球においてもそれは例外ではない。 『急いで待て』というのはそういうことだ。 (急ぐのはもちろん戦況がいつ変化するか分かったものではないからだ) だからその日も彼は待っていた。 もちろん、急いで。 「……提督、これを」 腹心の参謀長から手渡された紙に目を通す。 つらつらと細かいことまで書いてあるが、集約すればこういう意味になる。 「ナデシコが火星を去ったか」 「正確には、消息を絶ったとのことです」 やんわりと訂正する。 つまり過剰な期待は禁物、そう言うことだ。 歴史はずでにその流れを大きく変えている。 ナデシコが火星で撃沈されていたとしても、可能性的にはありえない話ではない。 「アルバの撃沈は?」 「定時報告の途絶とナデシコからの通信を傍受しただけですから、まだなんとも」 とは言うが、撃沈されたと見てほぼ間違いないだろう。 むしろ、問題はナデシコだ。 「状況を整理しよう。 現時点でありえる展開は以下の4つ。 1.ナデシコもアルバも火星を去った 2.ナデシコのみが火星を去った 3.アルバのみが火星を去った 4.両艦とも撃沈された」 「1の展開がベストですが、まずありえないでしょう。 3もその点では同様です」 「根拠は?」 「ナデシコの通信とアルバからの通信途絶」 「無線封鎖中、もしくは……チューリップに入った」 確かにありえない話ではない。 「もしそうなら、アルバが地球上に現れていてもおかしくない。 ナデシコと同じようにランダムジャンプに近いことを行なったとすれば……」 「戻ってこれる可能性は低い。 同意します」 このやり取りは議論というより確認に近い。 状況を整理し、互いの認識を一致させるために行なっているようなものだ。 「3の可能性は?」 今度はこちらから上官に尋ねる。 「ナデシコの通信を解析する限りでは、アルバは相当な損害を被ったそうだ。 通信だけではなんとも言えないが、大破もしくは撃沈の可能性が高い」 たとえそうでなくても、フィールドジェネレーターに致命的損傷を受けた場合、 DFの出力が6割以下ではアルバの乗員たちは生体ボソンジャンプに耐えられない。 できれば乗員全員にジャンパー処置を施しておきたいところだったが、 あの技術は木連の技術によるところが大きく、AGIに研究させてはいるが、 もうしばらく時間がかかりそうだった。 人道云々を考えなければそれこそ死刑囚を使ってでも生体実験を行ないたいところだが、 AGIの医療スタッフは断固としてそれを拒否するだろう。 ただでさえAGIという組織は人体実験に対する拒絶反応が強い。 理由は後述するが、成立の経緯を考えればそれも当たり前といえば当たり前なのだが。 「それでは、4の可能性」 「希望的観測ではあるが、ないと思いたいな。 あの艦と、彼らを喪失することは大きな痛手だ」 痛手であることは否定しない。 しかし、冷静な部分はそれを『これからも発生するであろう損失の一部』と断じている。 ナデシコの喪失は大きな痛手だ。 しかし、彼らの計画にとっては致命傷ではない。 代替の案はある。 「最後に、2の可能性」 「一番ありえる……と私は考えている。 確かに歴史を変えてはきた。 しかし、大本の部分で未だに変わっていないものもある」 「ええ、結局、木連との戦争そのものまでは回避できませんでしたね」 参謀長の言葉に苦いものが混じる。 20年。 彼らがここへ『戻って』から20年の時があった。 しかし、結局できたのは戦争へ備えることのみ。 予想される損害を少なくすることはできても、破局そのものは回避できなかった。 しかし、その後に起こった『空前の大破局』だけはなんとしても回避しなければならない。 あの……太陽系に存在する人類の6割を文字通り『消滅』させることになったあの戦争だけは。 「……話を変えよう。 報告はそれだけではないのだろう?」 上官の申し出に同意する。 正直、あの悪夢を見るのは夢の中にとどめておきたい。 「はい。 作戦名<門>の途中経過報告は以上です。 それで、<鍵>の方なのですが……」 一旦言葉を切る。 これは上官にも特に関わりのあることだ。 もったいぶるわけではないが、なんと伝えたらいいものか。 結局、無難なものを選択した。 「例の件、完全にビンゴです」 ピタリと動きが止まる。 表情も何も変わらず、ただ動きだけを止める。 これが上官の考え込む時の癖だ。 知ってはいるが、慣れない。 「スウェ−デンへ飛ぶぞ」 「……また、唐突ですね」 確認するなら直接のほうがいいとは思うが、やはり唐突だ。 ……まあ、いつものことだが。 「仕事はどうするんです? 西欧のタカマチ少将があと1隻空母を送って欲しいといってきていますし、 例の新造戦艦に関するスケジュール調整もあります。 それから八八八艦隊計画の進行具合も……」 「空母の件はミナセ少将に任せる。 補給兵站は彼女の領分だ。 新型のダイアンサス級も送ってかまわんと伝えろ」 ダイアンサス級はAGIがシレネ級に引き続いて建造した新鋭の機動母艦だった。 大型化が予想される新型機動兵器や新型艦上攻撃機の運用も考えてさらに大型化され90機以上の艦載機を常用できる。 前回は大戦中にはついに登場しなかった大型機動母艦だ。 「新造戦艦のことはカシワギ少将に訊け。 ここに配備されれば、あいつの指揮下で運用することになる」 カシワギ・ケンジ少将は第1機動艦隊では異色の人物で、専門は砲術。 旧第1艦隊から残る数少ない有能な人物だった。 「で、八八八艦隊計画は?」 「それは私が話をつける。 どうせそれならAGIの方で直接話したほうがいいだろう?」 「ですが、今の通信技術なら直接話すのと大して変わらない ――― 」 言ってから『しまった』と思うが遅かった。 「そうだな。 『大して』変わらない。 それなら、直接会いに行くほうが誠意も伝わると思うが?」 「ですが、提督がここを離れるというのは……」 「軍隊には格言がある。 わかるな?」 「『急いで待て』。 そう言うことですか?」 「そう。 今は待つ時期だ。 数ヵ月後……今回も同じだとするなら8ヶ月後には第四次月攻略戦が実施される。 ナデシコが火星で消息を絶ったとなれば、例の『遺跡』の確保にネルガルは失敗したわけだ」 「ええ。 ですから、ジャンプの独占に失敗した彼らは、生き残るために軍との和解を考えた。 いくら優秀な物を作っても、買い手がいなければ商売は成り立たない」 さもなければ、反ネルガルの先鋒を行くクリムゾンなどの台頭を許すことになる。 第四次月攻略戦が今回も同じ時期になるとは限らないが、ネルガルと軍が和解したことを考えると、 ナデシコの技術を現行の戦艦にフィードバック、その上で改良された艦の建造を進めるなら、 やはり戦力が整うのは8ヵ月後くらいになるはずだ。 「改リアトリス級……前回はゆうがお級などと称された戦艦の就役が確か、3ヵ月後か?」 「船体そのものはリアトリス級の流用とはいえ、異例のスピードですね」 「予め現行の戦艦に『三種の神器』……つまりはDF・GB・相転移エンジンを組み込んだ艦の設計を行なっていればこそだな。 こちらはユニットモジュールを組み込むだけで改装自体は1ヶ月もあれば済んでしまう」 「その代わり、性能も大したものは期待できませんね」 「現用艦の改装だからな。 性能だけなら、AGIが建造を進めている例の新造戦艦のほうがよほど高い」 「『例の新造戦艦』と言いますと、あれですか……ネルガルの水準に追いついたとAGIの広報部が宣伝していた」 「そう、例のアレだ。 カタログスペックだけならナデシコ級の3番艦とも勝負できそうな」 「しかし、高価ですよアレ」 「だから2隻で建造終了させた。 その代わりの八八八艦隊計画だ」 「この計画でさらにネルガルへ発破をかけるわけですか」 史実では存在しなかったAGIの存在も彼らには十分脅威だろう。 ネルガルがナデシコ級を2隻造って独自に運用しているうちに、AGIはシレネ級機動母艦を14隻造って軍へ売り込んだ。 現在も新型のダイアンサス級の発注を現時点で8隻受けていた。 そして、機動兵器についてもエステバリスに追いつけ追い越せの勢いで新型の開発に努めている。 一方のネルガルは名機エステバリスの影から未だに抜け出せずにいた。 せいぜいが量産性と汎用性を若干向上させたエステバリスUを生産しているのみ。 史実と違い、戦後を待たずにエステバリスが敗れる日が来るかもしれない。 他にも今のところクリムゾンが相転移エンジンやディスト−ションフィールド、グラビティブラストと言った技術を 使った艦艇を開発していると言う話は聞かないが、 ひょっとしたら計画くらいはあるのかもしれない。 何しろ、クリムゾンは木星蜥蜴……もとい、木連とつながりがある。 それなのに結局、大戦中はその技術を使った兵器を開発することはなかった。 恐らく、軍を相手にその関係で勝負するにはネルガルは強大すぎる敵だったのだろう。 それよりは木連を相手に食料や日用品を売る方が結果的に儲けが出ると踏んだのか。 そして意外と油断できないのが明日香インダストリー。 ナデシコ級零番艦を改装しているらしいが、どの程度のものになるか不明だ。 軍への協力姿勢は見せているが、ナデシコ級零番艦の存在は今のところ秘匿している。 ナデシコのように強制挑発されたらたまらないと考えているのか。 「我々は使う側だ。 より高性能なものの方がいいに決まっている。 そういう意味でもネルガルの独占はまずい。 選択肢の幅を狭めることになるからな。 それに欠陥があっても使い続けるしかない」 例を上げるなら20世紀から21世紀初頭にかけて猛威を振るった某OS。 様々な欠点を抱えながら(しかもバージョンアップで悪化することさえあった)その某OSだが、 対抗馬となるものが存在しなかったのと、市場が独占状態になってしまい資本主義の競争原理が働かなかったのとで 長きに渡って人々は文句を言いながらもそのOSを使い続ける羽目になった。 まあ結局は中国の学生が開発したフリーのオープンソースのOSに駆逐されたが。 上官の言いたいのはそういうことだ。 ただし、こちらは本当に命が掛かっている。 「なんなら明日香が参戦しようとかまわん。 企業間の技術競争が活発になってくれるならな」 「たとえそれでAGIが潰れても?」 「……いや、さすがにそれは困る」 AGIは単なる企業ではない。 と言うか、AGIという組織から見れば企業活動はいわば資金繰りのための手段でしかない。 彼らがAGIと同盟関係といっても差し支えないくらいの協力関係を結んでいるのもその本来の目的と関係していた。 「競争ならいいですが、抗争は止めてもらいたいものですね。 ただでさえ軍内部すらまとまっていないと言うのに」 事実だった。 軍にしたって第2艦隊は戦力不足からルナUで艦隊温存主義を行っているため、積極的攻勢に出ることはまずない。 第3艦隊も各地の防衛で手一杯といったところだし、宇宙軍と地上軍の仲の悪さも相変わらず。 唯一の例外を上げるなら第1機動艦隊は比較的、地上軍と仲が良い。 これは司令官の質もあるのだが、それ以上に任務の性質にも起因する。 第1機動艦隊の主力は相変わらず機動母艦とその艦載機だが、その主な任務は地上軍への直協任務が主となる。 戦艦の艦砲射撃では味方も一緒に吹き飛ばしかねないし、何より小型機動兵器に対しては効果が薄い。 空軍の戦闘機がバッタ相手には全く役立たずなのもあって、限定的制空権確保にも機動母艦が必要になる有様。 宇宙軍ではさして重視されていない機動母艦だが、地上軍にとっては羨望の的だった。 何しろ機動兵器を運用できる基地が丸ごと飛んでくるようなものなのだから、 駆けつけた時には手遅れでした、というような状況も減らせる。 現に激戦区となっている西欧では機動母艦の存在は非常に重宝していた。 もっとも、今はチューリップや戦艦・駆逐艦といった艦艇を相手にするのは機動兵器では無理だが。 「早いところ意志を統一する必要があるな。 少なくとも、ネルガルとクリムゾンは何とかせねばならないだろう。 あとは軍の派閥争いも」 「同感です。 連合内部すらまとまらずに和平はありえない」 「……道のりは遠いな」 「ええ、ですからまずは一つずつ片付けていくしかないでしょう」 「そうだな。 まずは……スウェーデン行きだな」 「ええ。 まずは……って、そこに戻りますか」 この忙しいのに艦隊の司令長官が何日も司令部を空ければどうなるか。 考えただけでも恐ろしい。 ちなみに以前それをやられた時は参謀長たる彼が3日間徹夜した。 副官が苦労性と言うのはどこでも共通らしかった。 「参謀長、何も私は遊びに行こうなどと言っているわけではない」 ……本当ですか? そう言いたいのをグッとこらえる。 いくらなんでも相手は上官だ。 「特に<鍵>は極秘作戦だ。 連合軍統合作戦司令部にも秘匿したほどの」 「確かに。 露見すれば提督の進退問題どころではすみませんね」 それどころか真相を隠すために暗殺や問答無用で銃殺刑の可能性すらある。 あの作戦はそれほど危ない橋を渡っていた。 それも全ては…… 「全ては新たなる未来のため」 劇薬だ。 それは実に甘美な劇薬だ。 それを飲み込むことで訪れるあらゆる苦痛、苦悩、葛藤。 それらを知っていてなお求めて止まない甘美な劇薬。 「どのみち、8ヵ月後……順調にいけば8ヵ月後には月で最大規模の艦隊決戦だ。 そのあとは一気に事態は流動化する。 つまり……」 「ええ。 文字通り、“とんでもないこと”になりますね」 ひょっとして、だからこそ今なのだろうか? どのみち、数ヵ月後の月攻略戦の後は、その勝敗に関わらず事態は一気に加速する。 それこそ寝ている暇もないくらい多忙を極める混沌と混乱の渦の中に放り込まれるだろう。 そんな心中を読んだかのように上官は続ける。 「そうしたら、姪とその娘に会いに行く暇もなくなる。 これは戦争だ。 私自身、いつ戦死者の列に名を連ねてもおかしくない。 その前に親代わりとしてあの子達に伝えたいこともある」 「……はぁ、わかりました。 こちらで処理できることは可能な限り受け持ちます」 事実上の敗北宣言だった。 今は英国で仕事をしているとは言え、彼は日本人。 そういう情に訴えかける言い方をされると弱い。 この上官の場合、分かってやっているのだろうが。 「感謝する。 とても、感謝しているよ参謀長」 「いえ、提督もお気をつけて」 これはナデシコが火星で消息を絶ってから3日後の第1機動艦隊司令部での ファルアス・クロフォード中将とササキ・タクナ大佐の会話。 ある穏やかな日の出来事だった。 <続く>
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