時ナデ・if
<逆行の艦隊>

第14話 熱めの『冷たい方程式』・その1




電子作戦艦<アルビナ>





ファルアス・クロフォード中将にとってそれは予定調和と言えるものだった。



ナデシコは帰還した。

それ自体に対しては何の感慨もない。

ただ、「まあ、そうだろうな」と思った程度のことだった。



ただ、問題がなかったわけではない。

予想されたナデシコからのグラビティブラストの一撃はなかった。

前回はそれに連合軍の艦艇も相当数が巻き込まれて戦闘不能となっていた。

それを警戒してナデシコの帰還まで遠距離の散発的な撃ち合いに終始していたのだが、

それがなかったことで逆にいささか予定が狂ってしまった。



味方も相当数巻き込まれたとは言え、それ以上に戦闘不能に追い込まれた敵艦の数は多かった。

後々の分析によれば、あの一撃がなければ第2艦隊の勝率は五分五分。

相手にチューリップがあったことを考えるならそう高くないという結果が出た。



しかし、そうは言ってもそれはあくまで結果論であり、ユリカのミスが帳消しになるわけではない。

一歩間違えれば何百単位の人間が死んでいたかもしれないのだから。

だからこそ今回は麾下の兵力を後方に下げていたのだが、



「……撃ってきませんね」



参謀長のササキ・タクナ大佐は困惑したように言った。

彼の言葉どおり、ナデシコは通常空間に復帰はしたものの、何の動きも見せなかった。

グラビティブラストの発射どころか、防衛用の直掩機を発進させることすらしていない。



「まさか、トラブルでしょうか?」



テスタロッサ大佐の言葉にしばし考え込む。



確かにそれはありえないことではなかった。

もしナデシコがディストーションフィールド発生器に致命的な損傷を被っていた場合、

ジャンパー処置を施していないクルーの過半数は死亡する。



艦長のミスマル・ユリカと報告にあったテンカワ・アキトの両名はA級ジャンパーであるから無事だろうが、

いくらなんでも艦長とパイロットだけで動くような戦艦は……極一部の例外を除けば、ない。



「通信を送ってみますか?」



「いや、戦闘中に無闇に通信すればこちらの存在を暴露する。

 内容までは知られなくても、わざわざ敵の注意を引くような真似は避けたい」



特に旗艦であるこの艦が撃沈されでもしたらその損失は計り知れない。

それに、この展開を予測していなかったわけでもない。

この場合の対策も折込済みだ。



「プランはB案でいく。

 攻撃隊発艦用意!」



「イエッサー!」



正直なところ、ナデシコからの一撃を期待していなかったわけでもない。

もし、その一撃があったなら前回よりも巻き込まれる艦は少なく、

逆に敵への打撃は多くなるような布陣をしていた。



純粋にナデシコのことを考慮に入れなければもっと楽な戦い方もあった。

ドレッドノート以下の第11独立艦隊とコスモス以下の第12独立艦隊に敵艦隊の左右を奇襲させ、

それに乗じてこちらも敵艦隊に近接戦闘を挑む。



遠距離の撃ち合いでは戦艦の数がものを言うが、逆に乱戦に持ち込めば補助艦艇の量と質で勝るこちらが有利だ。

クルセイダーVを装備した宙雷戦隊の突撃を戦艦で支援しつつ、

敵艦の動きを抑え、チュ−リップはドレッドノートとコスモスで叩く。



これが確実な手だろう。

作戦に奇をてらう必要はなく、ただ合理的にすすめればそれで良い。

奇策と言うのは詭道であり邪道だ。

本当ならそれを使わずに勝てれば一番いい。

だが、それを使わざるをえないという状況もある。



例えば、今回のようにまったく思わぬジョーカーが紛れ込む場合。

乱戦状態にあった場合、ナデシコの一撃でこちらが被る損害は計り知れない。

攻略部隊は敵艦隊と相打ちでは意味がない。

敵艦隊を駆逐し、その後も制宙権を維持できるだけの兵力を温存する必要がある。



そのために射程ギリギリでの消極的な撃ち合いに終始し、ドレッドノート以下の艦艇を囮として使い潰す愚策をとってしまった。

先制してチューリップを潰しておかない事にはその後に影響が出てしまう。

しかし、2つとも潰してはナデシコの帰還に差し障る。



結果、ドレッドノートは損害覚悟の強襲でチューリップを“1つだけ”潰し、コスモスはナデシコ帰還の時まで待機。

主力艦隊は積極的攻勢には出ずという状況が出来上がっていた。



ナデシコの一撃を契機に反撃へ転ずるつもりだったのだが、予想された一撃はなかった。

よって、こちらも巻き込まれるようなことはなかったが、そのせいで逆に予定が狂ったあとの修正は骨が折れそうだ。

今回は逆行時の記憶が逆に仇になった。



「策士、策に溺れるとはよく言ったものだな」



誰にも聞こえないように自嘲すると、身動ぎしてシートに座りなおした。

彼方の虚空に浮かぶ白亜の戦艦にむかって呟く。



「……どう転んでも人騒がせな艦だ」





○ ● ○ ● ○ ●





機動戦艦<ナデシコ>





もし、ファルアスが通信を命じたとしてもナデシコ側が対応できたかは怪しい。

ただ、懸念したようなDFの出力不足によるジャンプの失敗、それに伴う乗員の死亡という展開はなかった。

ジャンプによる乗員の減少はなかった。

あったのはその逆で……



<ルリちゃん! 大至急、展望室に医療班の人をよこして!!>



目覚めるなりルリは凄まじい剣幕でユリカにまくし立てられた。

理由を聞く暇もない。



前回とはまた違った意味で緊急事態を知らせるエマージェンシーコールを最大音量で鳴らすと、

常時待機しているはずの医療スタッフを叩き起こして展望台へ向かわせた。



「ユリカさん!? まさかアキトさんに何かあったんですか!?」



オペレータの立場上、ブリッジを離れるわけにはいかない我が身のもどかしさを内心で呪いつつも、ルリはユリカに問い返した。

展望台にはユリカ以外にもアキトとイネスもいるはずだった。

まあ、イネスの方に何かあった可能性も皆無ではないのだが、そこはそれ、恋する乙女にはアキト以外は考慮の外である。



<落ち着きなさい、ホシノ・ルリ。 アキト君は無事よ。

 艦長の指示で格納庫へ向かってもらってるわ>



「……格納庫? なんでまた?」



<ルリちゃん、前と同じ展開ならナデシコはたぶん8ヵ月後の月に出たはずだよ>



「……そうでした。 周囲の状況を映します」



とりあえずアキトが無事と聞いて幾分落ち着きを取り戻す。

続けて展望台にいるユリカのために周囲の映像を表示。



<はぇ〜、やっぱり戦場のど真ん中だね。

 ルリちゃん、グラビティブラスト広域モードで発射!

 ただし、軍の人たちには当てないでね>



前回は連合軍をかすめるようにグラビティブラストを撃ったために、

その後助けてもらえなかったと言うことがあった。

さすがに2度も同じヘマをするようなことはない。

しかし、



「無理です」



<な、なんで〜!?>



「グラビティブラストは火星の戦闘で完全に大破。

 現在に至るまで復旧を試みるも、ウリバタケさんの見解ではドック入りが必要だと」



ルリの言葉にサーっとユリカの顔から音をたてて血の気が引いた。

グラビティブラストが使用不可能となると、あとはミサイル兵装と艦載の機動兵器くらいしか武器がない。

しかし、そのミサイルも火星での戦闘であらかた使い尽くしていた。

今残っているのはわずかな対空ミサイルだけである。



消去法で頼れるのはエステ隊だけと言うことになる。



実際、朝霧との戦闘によるナデシコの損害は前回以上のものだった。

センサレドームを吹き飛ばされて索敵能力は激減、高速ミサイルに遮蔽板を抜かれたグラビティブラストも大破使用不能。

そして何よりも痛かったのが……戦死者12名。



ナデシコは火星での戦闘で初めて戦闘による死者を出した。

その半数以上はダメージコントロールに奔走した整備班の人間だった。

それに加えてロイ・アンネニールの2名のパイロットが未帰還。

生き残りの人々を救えたものの、代償は大きかった。



<ルリちゃん、俺が出るからカタパルトを開けてくれ>



「アキトさん、でも……ブラックサレナは……」



<大丈夫、ノーマルエステで何とかするよ>



「わかりました。 お気をつけて」



せっかく回収したものの、アキトのブラックサレナは火星での戦闘で破壊された。

中のテンカワsplも使用不能となるほどの激戦だったのだ。

どのみち、サレナのサイズではナデシコのカタパルトに入らないから運用は難しいのだが

、 いざとなればジャンプで出撃できるだけ、期待はできたはずだ。



<残りのパイロットの人たちも出撃させて。

 各自の判断で敵機を迎撃。 無理せずにナデシコの防衛に専念>



「了解。 目覚ましに艦内にエマージェンシーコールを最大音量で流します」



<て、展望台はいいからね>



寝耳に水ならぬ、寝耳にエマージェンシーコールを叩きつけられた医療班が

ふらふらになりながら到着したのを見てユリカが付け加えた。



「ユリカさんも早くブリッジへ」



<うん。 イネスさん、この人はお任せします>



画面の外のイネスに向かって頼むとユリカからの通信は切れた。

艦長の現在位置を示す点が展望台から移動を始めたところを見ると走っているらしい。

オモイカネの予想では後3分で到着予定とのこと。

それまでは自分ひとりで何とかするしかない。



ブリッジ内の人間を起こすためのエマージェンシーコールの音量を最大値に設定、

自分はちゃっかりと耳栓をしながらルリは思った。



……そう言えば、医療班を必要とするほど大変だったのは誰なんだろう?



しかし、それを確認する暇はなかった。

親の敵と言わんばかりにバッタの大群が押し寄せてきたのだった。

すぐさまオモイカネによって自動的に迎撃体勢へ移行するナデシコ。

ルリもアキトの戦闘を管制するのに追われてその疑問はいつしか忘れていた。





○ ● ○ ● ○ ●





戦艦<上弦>





睦月撃沈の報を受けて、上弦の艦橋での反応は概ね2つ。

『やっぱり』と『まさか』の2種類だった。

舞歌の反応は後者だった。



「まさか、あの睦月が撃沈されるなんて……」



乗っている人間はちょっとあれだが、睦月が木連でも屈指の戦艦であることに違いはない。

砲戦で沈められることなど滅多にないと思っていたのだが。



「至近からミサイルを叩き込まれたようです。 槙久様も戦死なされたようです」



「……そう、指揮権は私が引き継ぐわ」



「はい。 ではそのように」



表面上は厳粛に受け止めながら、その実、内心で琥珀は笑みを浮かべていた。

コスモスが何処にもいないことくらい事前の索敵でわかっていた。

となれば、別働隊の可能性を考えるのは当然だ。



琥珀でさえ気付いたのだから、舞歌に言えばもっと正確に敵の狙いまで推察できただろう。

だからこそ琥珀は黙っていた。

そして槙久からの要請があって初めてそのことを話題とした。



なぜか?



それは琥珀の狙いがこの戦闘に勝つことではないからだ。

槙久を焚きつけ……その前のネットに流れた噂も琥珀と翡翠の自作自演だ。

ありもしない噂のことを槙久に吹き込み、その後でネットに噂を流す。

あとは何回も何回も槙久に会うたびにそのことを吹き込んでおく。

結果、槙久は勝手な思い込みと情報操作によって自分からこの月防衛戦の参戦を申し出てくれた。



もともと優華部隊の派遣は決定していたのだが、そこに槙久が割り込んでくれたおかげで命令系統に齟齬が生じた。

まあ、それも悪いことだけではない。

おかげで上弦は『安全な』宙域でいもしない敵を索敵することに時間を費やすこととなった。

舞歌も索敵が任務なら敵を見つけても生還を主として行動するだろう。



そして、ある意味で琥珀の狙い通りに槙久は敵戦艦との戦闘で戦死してくれた。

まあ、琥珀にしてみれば生死はどうでもよかった。

ただ、この戦闘でミスを犯し、失脚してくれればいい。

その程度の考えだった。



琥珀の狙いはそれによって舞歌の権限を拡大させることにあった。

それはすなわち東家の勢力が拡大することであり、間接的には自分の利益となる。



そして槙久は死んだ。

指揮権は舞歌のものとなり、あとは舞歌が何とかしてくれる。

勝てないまでも、自分たちが危機に陥るほどの惨敗にもならないだろう。

いや、もしかしたら舞歌なら勝つかもしれないとさえ思っていた。



とにかく、琥珀の企てた策謀は一応の成功を見せた。

槙久と、他に数十名の人間の命と引き換えに。

間接的とは言え、自分が殺したのだから。



……それがどうしたんですか。 私は、決めたんです。



もう2度と誰かに運命を握られるような生き方はごめんだと。

あんな、文字通り自分の身を削ってその日を生きるような地獄は嫌です。

そのために、何を犠牲にしても、誰を利用してでも私は……



「……琥珀? あなた、顔色が悪いわよ」



「申し訳ありません。 槙久様のことを思うと……」



「…………」



思わず本音が漏れかけて慌てて口をつぐんだ。

本心が知られたのではないかと冷や汗をかく琥珀に、舞歌は年上らしい笑みを浮かべて言った。



「あなた、優しいのね」



「…………いいえ、そんな」



「私はそうは思えないから。

 お兄ちゃんとか、もっと身近な人ならともかくね」



その言葉は棘となって心に鈍痛を引き起こしたが、舞歌はそれに気付いた様子もなく正面に向き直った。



「上弦はこれより戦列に復帰。

 以降の艦隊指揮は私がとります。

 

 まずは残存艦艇の再集結を。 

 ナデシコは火星での傷が癒えていないようだから虫型機動兵器で対処。

 琥珀、翡翠は敵艦隊の動向を逐一報告。

 千沙は機動部隊を率いて艦の直掩にあたって頂戴。

 

 まずはコスモスを警戒しつつ、正面の敵を叩きます。

 大丈夫、跳躍門がなくても条件が五分になった……いえ、こちらがまだ有利よ。

 各人、己の本分を尽くしなさい。 以上よ」





○ ● ○ ● ○ ●





戦闘機動母艦<コスモス>





ファルアスが言うところのB案の発動の報を受けたコスモスは4発の相転移エンジンを戦闘レベルまで引き上げた。

同時にカタパルトから艦載機が発艦していく。

コスモスに装備された4基の重力波カタパルトはその持てる能力の全てを使って艦載機を放出し続けた。

全機の発艦にかかった時間はわずかに17分。

80機以上の艦載機を搭載するコスモスにしてみれば異常なほどのスピードだった。

それだけでコスモスの練度の高さがうかがい知れると言うものだ。

それに加えて……



「征け! つるぺた攻撃隊!」



<誰がつるぺたか!>



「お前以外に誰がいるんだ、ハルヒ?」



コスモス艦長のニイザワ・ヤスオミ大佐はさも当然と言わんばかりに頷いた。

ウインドウの向こう側では攻撃隊の指揮官で彼の同期でもあるサクマ・ハルヒ大尉が喚いている。

彼女は元水泳選手から軍へ志願入隊してパイロットになったと言う異例の経歴の持ち主だが、

そのせいと言うわけでもないだろうが、パイロットスーツで伺えるそのスタイルは実に……まあ、何と言うか、

彼女が水泳選手であったことを考えるなら『流体力学的には抵抗の少ない極めて理想的な』形だった。

もっとストレートに言うならまな板だった。



<絶対死なす! 絶対蹴ってやる!!>



「まあ、そういきり立つなって」



<出撃前に何やってんの。 士官になったてのに落ち着きのない>



「おお、この特殊部隊並みにデカイ胸はウイコか」



<特殊部隊って言うな! 胸で判別するな!>



反面、こちらは画面に収まりきれないほど……と言うと少々大げさながら、

コスモス内では確実に3桁に突入しているとまことしやかに囁かれているアマゴザキ・ウイコ大尉。

同じく同期でこちらは護衛のスノーフレイク隊を率いる。



「くしゅー、この場合はセクハラ発言になるんでしょうか?

 だとしたら副提督として、かつての教え子に指導すべきですか?

 そしたら個人指導で色々と……くしゅしゅっ」



「……戦闘中だ、後にしてくれ」



コイズミ・ヒヨリ准将にそう答える。

帰ったら絶対に配置換えを要請しようと思う。

たとえファルアスになんと言われようが配置換えを要請しようと誓う。

刻み込んだ涙の誓いと言うやつだ。



さすがは人選を担当したミナセ少将をして「ナデシコの雰囲気に近づけてみました」と言うだけある。

提督であるタカマチ・シロウ少将にしてみればいい迷惑だが。



「はるぴー」



<はるぴーって言うな!>



抗議の声を無視してニイザワ大佐は続けた。



「蹴るなら、足のついたまま帰ってこないとな。

 幽霊だと足なしだぞ」



<………わかってるわよ。 覚悟しときなさい。

 絶対、絶対踏んでやる!!>



「おう。 ウイコも頼むぞ」



<わかってるわよ。 賭けのこと忘れないでね>



「ああ、お前が帰ってこなかったら極秘の身体データをばらす。

 ほんとうはバスト ――― 」



<そんな約束してない! あんたおごり決定>



「了解した」



苦笑して敬礼。



<<待ってなさいよ、ヤスオミ!>>



同時に通信が切れる。



「オミくん、ほんっっっっとに素直じゃないね」



「知ってるだろ、すずねえ」



「仕方ないからお姉ちゃんも少し出してあげるぞっっっ!」



「私、マロンパフェがいいかな、いいかな」



「2回言うな。 わかったから」



………さすがは人選を担当したミナセ少将をして「ナデシコの雰囲気に近づけてみました」と言うだけある。



苦笑を浮かべる。

配置換え云々はもう少し考えてもいいかもしれない。



「各員、戦闘配置!

 コスモスはこれよりナデシコの救援に向かう!

 

 ――― 気合入れろよ!」





○ ● ○ ● ○ ●





予想通りと言うべきか、バッタのフィールドは強化されていた。

ラピッドライフルでは容易に貫通できない。



「ここはリョーコちゃんに倣うか」



アキトが選択したのは極めて単純なこと。

つまり、拳でぶん殴る。



単純ながらこれは効果絶大だった。

拳にDFを収束させれば威力はさらに増す。

例え強化されたDFであってもバッタのものではこの攻撃を防ぎきれなかった。

すれ違いざまに次々と拳を叩き込む。



とは言え、この方法はあまり効率の良い戦い方ではない。

どうあがいても拳は2つしかなく、機体もノーマルエステではどうしても敵の数に対して撃ちもらしてしまう。

今のナデシコはほとんど自衛の手段もないような有様だった。



頼みの機動兵器もパイロット2名を火星で喪失した。

特にその2人と長い付き合いだったイツキとガイ……ことヤマダ・ジロウの様子は見ていて辛かった。

明るさと熱血がとりえのようなヤマダがふさぎ込んでいる様子ははじめて見るものだった。

イツキもヤマダの心配と2人を失くしたことから精神的にかなり参っているようだった。



ユリカは今回、あの2人を出撃させるだろうか?



答えは否だ。

今、2人を出したところでまともに戦えるか怪しい。

特にヤマダは……



<おい! アキト!!

 すまねえが、そいつを止めてくれ!>



「エステバリス……まさか、ガイ!?」



リョーコの焦った声がコミュニケから響く。

ウインドウも開いているはずだが、アキトはそちらを見ていなかった。

視界の隅を猛スピードでエステが通過。

それを確認すると即座にその後を追尾する。



<あの野郎、艦長の命令を無視して勝手に出撃しやがった!>



「俺が追いかける! リョーコちゃんたちはナデシコを!」



返事を待たずにアキトはフルスロットルまで一気に叩き込んだ。

サレナには程遠いものの、それでもかなりのGが体にかかる。



……だが、遅い。



「ガイ、無茶しやがって」



友人に対して思うところはある。

熱血バカで、暑苦しく、騒がしい上に落ち着きがない。

一歩間違えれば彼が嫌悪する連中と重なるような正義に対する観念。



それでも……



『おうおう、元気ないぞ皆! 俺がいい物を見せてやる!』



『そうか〜、わかるか、わかってくれるか〜!!』



アキトにとってはナデシコで初めての友人だった。



「……バカ野郎!」



マニュアルでリミッターを解除。

ジェネレーターが限界を越えて稼動を開始する。

下手をすると過負荷によって爆発の可能性もあるが、

バーストモードの関係でその辺の加減は感覚として覚えていた。



アキトのエステがさらに加速する。





○ ● ○ ● ○ ●





視界が赤く染まっていた。

急激な機動によるGのせいで体中の血液が上半身に集まり、目に集中したそれが視界を染めているのだ。

俗に言うレッドアウトという現象だった。

ちなみにこの逆、下半身に血液が集まり、視界が暗くなって同時に意識を失うことをブラックアウトと言う。



そもそも慣性中和装置のついているエステでは滅多に起こらないことだ。

パイロットスーツにも対G処置が施されており、レッドアウトが起こるような急激な機動は機体が分解しかねない。

故にパイロットには緊急時以外は絶対にやってはならないと戒められていた。



しかし、そんな事は今の彼には関係なかった。

ただ眼前の敵を打ち倒し、駆逐し、殲滅し、破壊する。

それ以外のことなど考えてはないなかった。



「うおおおおッ! ゲキガンパァーンチッ!!」



手近なバッタに拳を打ち込んだ。

DFを収束させたそれは強化されたフィールドごと虫型の標的を打ち抜き、破壊する。

次の刹那にはミサイルの炸薬が誘爆を起こして四散する。



コンピュータが今の爆発で関節がいかれたと警告を発しているが無視。

目に入るのはただ敵機の姿のみ。



倒せ。



壊せ。



殺せ。



「があああぁああッ!」



突き上げるような衝動のままにヤマダ・ジロウは叫び続けた。

気が狂いそうなほどの焦燥と爆発的な感情のままに敵を屠り続ける。

通信機から誰かの叫び声が流れ続けているが、無視した。



背中に張り付いてきたバッタに肘打ちを叩き込んで引っぺがす。

DFを収束していなかったために何の保護も受けられなかった関節は衝撃をもろに受け、

アクチュエータが何基か故障した。



反応が鈍くなった左腕に構わずそれでも何度も、何度も、何度でも拳を打ち込んだ。

ひしゃげた装甲がエステの拳に突き刺さる。

が、無視。



後方警戒レーダーが警告。

振り返りざまに掴んでいたバッタを叩きつける。



――― 爆発。



至近距離での爆発に機体が翻弄される。

しかし、すぐに体勢を立て直すと再び手近な敵に殴りかかる。



アキトが見たら青くなっただろう。

それは何の戦術もあったものではない、ただがむしゃらな行動だった。



そんなものが長く続くはずもない。

エネルギーもつきかけ、機体はボロボロとなって次第に追い詰められていく。

だが、それでも止まらなかった。



「まだ、まだ、まだ、足りねぇんだ!

 こんなものじゃねぇ!!」



叫び続けた。

喉がつぶれ、血の味が滲む。

それでも叫び続けた。

叫ばねばならなかった。



<ガイ! 戻れ!!>



ようやく追いついたアキトが呼びかける。

とは言ってもまだ距離がある。

無理にでも押しとどめるにはもっと接近しなければならなかった。



「……だ、……た……」



<ガイ!>



アキトには彼がなんと言ったのか聞き取れなかった。

叫んだのはエステに向かって突っ込んでいくバッタが見えたからだ。

撃墜しようにもアキトからは機体が邪魔で撃てない。

よしんば撃てたとしてもラピッドライフルではパワーが不足している。



<避けろ、ガイ! おい!>



動かなかった。

ただジッと画面を睨む。

敵機が眼前に迫った。



「……まだ、足りねぇ!」



イミディエットナイフを射出。

不恰好に折れたマニピュレーターで掴むと抉るように突き刺す。

それはほとんど反射行動に近い素早さだった。



しかし、今度はそこでエステのエネルギー残量がゼロになった。

ピクリとも動かない。

同時にバッタがビクビクと痙攣を始める。

自爆するつもりだ。



DFすら展開できない状況である。

至近からの爆発に耐えられるはずもない。



<ガイ! 待ってろ!!>



アキトが叫んでいるが、彼は聞いていなかった。

まだ画面の向こうを睨みつけたままだ。



――― そして視界が白く染まった。





○ ● ○ ● ○ ●





外で激戦が繰り広げられる一方でカタオカ・テツヤは暇を持て余していた。

本来ならパイロットの副業なり、カメラマンの仕事なり、また別の『本業』なりをやるべきなのだが、

火星での戦闘でナデシコが被弾した際に右肩脱臼、左腕骨折を負っていた。

パイロット用のナノマシンは治癒力促進の効果もあるから放っておいても一週間もあれば治るだろうが、

それまでは暇な怪我人と言うことだ。



「お兄ちゃん、寝てなくていいの?」



実妹のチサトが心配げに言うが、



「骨折だ。 ギブスもしてるし問題ない」



「でもさ、一応は気にしてるんだよ」



「そう思うならダイエットしろ。 次は脱臼で済ませたい」



「う〜、わたし重くないもん。 打ち所が悪かっただけだもん」



骨折の原因は倒れこんできたチサトを庇ったからだ。

ちなみに脱臼の原因と言うのは……



「チハヤのほうは脱臼ですんだのにな」



「わたしとチハヤだって3kgしか違わな ―― あ」



「重いんだろ、お前のほうが」



「う〜、チハヤ〜、お兄ちゃんがいじめる」



そう言って異母妹に泣きつく。

右腕は利き手と言うこともあり、チハヤを庇った際には脱臼ですんだ。



「えっと、ごめんさい」



「あー、軽いって認めた〜!」



「あなたたち、もう少し緊張感を持ちなさい」



額を押さえながらライザ。

彼女の場合は手近にクッションがなかったために額には絆創膏。

その程度で済んだのは幸いといえる。



「はいはい、そこまで。

 元気な怪我人さんはベットを空けてくれるかしら?」



「ドクター・フレサンジュ、この上俺から安息を取り上げるつもりか?」



「新しい怪我人が来るのよ。

 あなたよりよっぽどのね」



「怪我人?」



「わかったらそこをどいて、自分の部屋へどうぞ。

 薬は痛み止めを出す?」



「不要だ。

 あらかた怪我人の処置は終わったんじゃないのか?」



テツヤの言葉にイネスは軽く肩を竦めて答えた。



「増えたのよ」



その意味を正しく理解した者はいなかった。

それは今はそれだけのこと。



ほぼ同時刻に連合軍の側で起こっていた動きに比べれば、ナデシコでのその騒動はささやかなものだった。

ただし、後に与えた影響と言うならどちらもかなり大きい。

それは……





○ ● ○ ● ○ ●





それは壮観そのものの光景だった。



この戦闘に参加している連合軍の艦艇の中で唯一、量、質ともに木連に勝っているものがあった。

その数少ない例外がこの機動母艦部隊だった。



もっとも、木連の方はチューリップがあるためにわざわざ機動兵器専用の母艦を必要としなかったと言うのもある。

バッタならヤンマ級戦艦が母艦の役割を果たせたと言うのもある。

本来の機動母艦はパイロットのための居住設備や艦載機のための整備スペースも必要とするが、

ことに無人兵器はそれを必要としなかったのもある。



したがって、木連では機動母艦の研究はほとんど行われていなかった。

ゆめみづき級はジンタイプを搭載できるようになってはいたが、機動母艦ではない。

唯一の例外は上弦くらいのものだが、それにしても最初から機動母艦として設計されたわけではない。

そういう意味で専門の機動母艦を持つのは今のところ連合軍だけだ。



今回の月攻略戦に参加した機動母艦は実に22隻。

直掩専門部隊を搭載したシレネ級が8隻。 それに加えて巡洋艦の船体を利用した軽機動母艦のリコリス級が4隻。

シレネ級は70機、リコリス級は42機の常用数もつ。

単純に直掩だけでも700機を超える。



これに今回は新型のダイアンサス級も投入されていた。

その常用数は7個中隊98機。

それが実に実働数の全てが投入され、10隻で980機の艦載機を搭載していた。

そしてダイアンサス級に搭載されているのは全てスノーフレイクである。



「攻撃隊、集合完了」



アルビナのACDCではその状況の全てが確認できた。

球状に展開されたウインドウの中でテスタロッサ大佐がナノマシンの輝きに包まれる。

それはかつて……時系列的には未来ではあるが、かつてホシノ・ルリが呼ばれた『電子の妖精』と言う呼称が相応しい姿だった。



攻撃隊の中にはD型兵装のスノーフレイクと、鳥のようにも見える高機動オプションを装備したアスフォデルが見受けられる。

それを護衛するためのA型兵装のスノーフレイクは既に攻撃隊より先行して制空権の確保へ向かっていた。



ほとんど全力攻撃に近い陣容である。

900機以上の機動兵器がひしめき合うと言うのは一種異様でもある。



「ECM展開。 これより管制モードへシフト。

 以降の操艦はマデューカスさんに一任します」



<アイ、艦長>



艦橋に詰めている副長が答える。

この状態ではテスタロッサ大佐は機動部隊の管制を行うことに全力を尽くすために艦の方の面倒までは見切れない。

ベテランのマデューカス中佐を副長に当てたのもこれが理由だ。



「では提督、ご命令を」



頷く。

正直、この作戦がうまくいくかは五分五分だ。

ただ、どちらにせよ歴史を変えることにはなる。

ファルアスは厳かに宣言した。



「……全機、攻撃開始」



この瞬間、史上初の『機動兵器による大規模な艦隊攻撃』が開始された。



第11独立艦隊を囮としてチューリップは潰した。

あとは現存の機動兵器部隊を突破して攻撃隊が敵艦隊まで到達するのを待つばかりだ。



彼は祈らなかった。

祈るべき神など持ち合わせていない。

ただ、ひたすらその時を待つばかりだった。





<続く>






あとがき:

長くなったので分割です。
あとがきは次回でまとめて。


それでは、次回また。