時ナデ・if <逆行の艦隊> 第15話 『異邦人』たちの午後・その4 イネス・フレサンジュは待ちぼうけをくっていた。 とは言っても、時間より30分も早く来てしまった自分にも責任はあった。 相手の性格からして10分前には来るだろうから、実質的にはあと20分待つだけですむ。 イネス自身はそれもいいかも知れないと思い始めていた。 指定してきたその場所は、初老の店主の趣味らしい骨董品のアナログレコーダーから クラシックジャズの流れる落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。 もっとも、アナログレコーダーそのものも、そして中のレコードも2180年代の 懐古主義的な風潮に乗ったメーカーの復刻版だった。 ついでに言うならコーヒーも、科学的に合成された擬似コーヒーではなく、豆から挽いて淹れられたドリップコーヒー。 一週間前までは木星蜥蜴に占拠されて、致命的に物資が不足していたはずの月にしては贅沢極まりない代物だった。 趣味でなければとてもやっていけないだろう。 時々、声をかけてくる暇人や兵士などを除けば雑音は少なく、物思いに浸れた。 ナデシコでは『名無しくん』の名前を決めるという名目の大宴会が繰り広げられていることだろう。 そういった雰囲気も嫌いではないが、今は考える時間が欲しかった。 もう一度、今時珍しい紙の手紙を確認する。 そこに記された名前はイネスにとっては懐かしいと同時に微かな痛みと共に思い出されるものだ。 同時に、この世界がやはり自分たちのかつての歴史とは微妙に違うと言うことを再確認できる物的な証拠だった。 薄々感じていたことではあるが、自分たち以外にもいわゆる逆行者がいるようだ。 「とは言え、証拠がないのよね」 火星から月へ帰還してから早くも2週間あまりが過ぎようとしている。 その間、イネスはもちろん、ナデシコがドック入りしている間はたいしてやることがないルリやユリカも色々と 8ヶ月間の空白を埋めるべく情報収集に励んでいる。 ルリはマシンチャイルドとしてネットワークを活用できるし、ユリカには士官学校時代の人脈があった。 その人脈のなかには相当に怪しげなものまで含まれていたのは、賞賛すべきことなのかどうなのか。 そうして得られた情報を評価分析していく内にイネスはその自分たち以外の逆行者の影に気付いた。 まず最初におかしかったのは、ネルガルが過去ほど大きな力を持っていなかったことだ。 特に北米や欧州ではほとんどその影響力が働かなくなっている。 北米はクリムゾンの影響力がもともと強かったとは言え、欧州ではそれなりに影響力を発揮できたはずなのだ。 それがAGIを名乗る新進の企業が欧州を手中にしている。 それにユリカの方から軍へアプローチした結果、第1機動艦隊の存在が明らかとなった。 軍内部にいる人間ならともかく、民間人では軍の編成など知る由もなかったことだが、 少なくともユリカやルリの知るなかにそんな名前の艦隊は存在しない。 しかし、それは実在する。 それが何を意味するのかは明白だった。 単に歴史が変わっているだけではない。 明確な意思を持って変えようとする人間が軍の内部にいると言うことだ。 過去の様々な体験(とそれから来るトラウマ)から組織としての軍に対しては 微塵ほどの好意も感じていないアキトは露骨に警戒したが、 イネスとユリカはまだ事態を見極める必要があると感じていた。 火星(時系列的には第1次火星会戦)で2度も軍の失態によって 実の親と育ての親を失っているイネスも感情的にはアキトに同感ではあるが、 木連との和平と言う無謀ともいえる計画を実現させるためには最終的には連合軍も抑えねばならない。 それに今回は少なくとも養母の方は助かっていた。 アルバからもたらされた貴重な物資と、犠牲によって火星の難民はナデシコで帰還できたのだから、 少しくらいは軍に対する認識を改める必要があるかもしれない。 だが、軍にいる逆行者が味方であるかどうかはまだわからない。 あるいは、その人物は木連の存在を知り、今度こそ完全に抹殺することを企んでいるかも知れず、 あるいは自分の権利欲のためにこの戦争を利用しようとしているかも知れないのだ。 もし、そうなったらその時は ――― 「お客様、お連れ様がお見えです」 人の良さそうなウエイターに告げられて、ようやくイネスは思考の海から帰還した。 礼を言ってここに案内してくれるように頼む。 それと私にはコーヒーのお代わりを。 彼女は紅茶で。 ああ、それともこのケーキセットにしようかしら? 本日のケーキは? それじゃあ、それをお願いします。 そんな短いやりとりを終えると、初老のウエイターは 注文された本日のお勧め「ミルククレープ&ドリンクセット」の準備と、 イネスの連れを案内するためにテーブルから去っていった。 「さて、こっちはこっちでどううしようかしら」 ある意味で昼間に幽霊と会うのに似た気分だった。 かつて親しかった相手とは言え、どんなことを話せばいいのか見当もつかない。 ……普通でいいか 結局、イネスが出した結論はそれだった。 極自然に振舞うことがベストだろう。 が、イネスにも誤算はあった。 「イネスッ!」 声が耳に届くのと、衝撃が襲ってくるのはどちらが早かっただろう。 イスの背もたれは2人分の重量+運動エネルギーに悲鳴を上げる。 失礼な。 そんな重くないでしょうに 無機物に文句を言ってもせん無きことではあるので、 とりあえず、話の通じるであろう襲撃者の方に文句を言うことにする。 「………とりあえず、人が見てるから離れてね、フィリス」 ○ ● ○ ● ○ ● 久しぶりの再会を果たしている2人とは別に、ここでもまた一つの再会があった。 ただし、こちらの会話は極めてビジネスライクに進められていた。 「つまり、どうあってもネルガルとは手を結ぶ気はないと?」 「YES・NOで答えるなら、YESです。 これは私個人の意見ではなく、AGI全体の方針とお考え下さい、提督」 わかりきっていた答えではあるが、ファルアス・クロフォード中将は眉をしかめた。 それでもわずかに抵抗を試みる。 「ネルガルはアジア最大のコングロマリットだ。 軍も宇宙軍はスノーフレイクを機動兵器の主力にしているが、 地上軍は未だにエステバリスに固執するところもある。 スノーフレイクとの2本立てでは整備体系が異なるからだ。 前線整備基地ごと動いているような機動母艦ならともかく、後方でしか満足に整備ができない地上軍は メンテナンスフリーに近いエステバリスを評価している」 「評価云々に関しては、軍の判断するところです。 整備体系を一本化するためにネルガルと新型の共同開発をしろと仰るのはわかります。 ですが、ネルガルと手を結ぶと言うのはAGIの根本的設立理念と対立することもまたご理解下さい」 AGI会長秘書であるジルコニアの返答はにべもない。 溜息をつきつつ、確認する。 「ジル、君の個人的な意見でいい。 ネルガルやクリムゾンはそんなに嫌いか?」 あえて愛称で呼びかけたのは、あくまで個人的見解を聞きたいと言う意思の表現だ。 それを理解したジルコニアも頷いて答える。 「嫌いです」 単純ゆえにそれ以上どうにも解釈しようのない返答だった。 「理解した。 それはもう、完璧に」 AGIのマシンチャイルドたちは徹底的にネルガルやクリムゾンを嫌っている。 モルモットとして人権無視の扱いをしてくれた相手に好意を抱けと言うほうが無理な話だろう。 ジルコニアはクリムゾン、開発部のルチルとローズのクォーツ姉妹はネルガルの研究所の出身である。 ファルアスの姪であるフィリスもネルガルの研究所から彼が引き取ったのだが、 確かにそこで行われていたことを考えるなら、とうてい許す気にはなれない。 本人らにしてみれば言わずもがなと言うやつだ。 復讐心も、かつての屈辱も忘れて寛大になれるほど聖人君子が揃っているわけではない。 彼女らとてちゃんと感情のある人間なのだから。 しかし、それはそれとして、世界の三大企業グループがお互いにいがみ合ったままというのはいささか困る。 軍人としてのファルアスは、第1機動艦隊の司令長官であり、部下たちに対する責任がある。 企業の対立のせいで余計な苦労をかけたくはないと言うのが本音だ。 確かにスノーフレイクは卓抜した機体ではあるが、欠点がないわけではない。 スタンドアローンを可能にするエンジンのメンテナンスに手間がかかることだ。 反面、エンジンはなく、軽量でほとんど故障のないエステバリスはほぼ100%に近い稼働率を誇る。 70%を越えていれば、まあ使えるという兵器の中にあって、これは驚異的な数字だった。 前線での消耗率が高い機動兵器にとってはメンテナンス性も重要な要素だ。 故に、スノーフレイクにもその辺のノウハウを取り入れてもらいたい。 新兵器と言うのは手間のかかるもので、その点で熟成されたエステの技術は大きな魅力だった。 せめて技術提携なりでそれを解決して欲しいと思ったのだが、ものも見事にその目論見は失敗した。 ならばせめてもう一つの案の方に期待するしかなさそうだった。 それは今、一階下の喫茶店で行われているはずだった。 ○ ● ○ ● ○ ● ようやくフィリスを引き離したイネスは白衣の裾を直した。 「元気そうね、フィリス」 「それは私のセリフ。 ナデシコに救助された人のリストの中にあなたの名前を見つけたとき、 本当にびっくりしたんだから」 「たまには新鮮さを演出するのにいいわよ」 「びっくりしすぎると心臓が止まっちゃうけどね」 そう言ってフィリス・クロフォードは笑った。 イネスからすれば久しぶりどころではないのだが、フィリスから見ても同じようなものらしい。 死んでいたと思っていた親友と再会したという点では共通している。 ただし、イネスはこちらの世界ではなく、逆行する前のそれである。 こちらの世界で気付いた時は火星会戦の当日と言うこともあり、確認する暇などなかった。 前回はこの火星会戦で死亡していたので、今回も同じかと諦めていたのだが、 火星から帰還して火星の難民の名簿がTVで公開された数日後にフィリスからの手紙が届いた。 そこには単に月で会いたいということと、また連絡するという旨が書かれているだけだった。 よほど慌てていたのか、それは走り書きに近いものだった。 それでも連絡先が書かれていたので後ほどイネスの方からメール(この場合は電子メール)を送ったのだった。 「イリスさんはお元気?」 「ええ、ちょっと入院するらしいけど、大したことはないわ」 「……そう、あとでお見舞いに行かせてもらうわ」 「母さんも喜ぶわ」 ネルガルの研究所に居たとき、フィリスを初めて人間らしく扱ったのがイネスの養母であるイリス・フレサンジュだった。 イネスも養母によってフィリスに引き合わされ、以来、親交があった。 イネスにとっては妹分のような存在だったのだ。 ただ、フィリスに会う前に養母に確認したところ、こちらの彼女は火星会戦の1年ほど前にネルガルを辞めたらしい。 そのおかげで火星会戦の戦火に巻き込まれることもなかったようだ。 「私の方はちょっとした浦島太郎気分よ。 1年と8ヶ月も情報が遮断されてたんだから仕方ないけどね」 「………ねえ、イネス」 唐突にフィリスが口調を改めた。 「このままネルガルに残るつもり?」 「どういう意味?」 「もし、ネルガルに残るなら、もしかしたらナデシコに乗るかもしれないでしょ? 戦艦に乗ることになったら、また危険じゃない?」 乗ることになる『かも』ではなく、まさしく乗るつもりなのだが、敢えて訂正はしない。 「仕方ないわよ。 他にあてもないし」 「それなら、私のところに来ない?」 「………は?」 予想外と言えば予想外の申し出にしばし絶句する。 「ネルガルほど大きくはないけど、AGIって会社、知ってる?」 「ええ、まあ……」 実は思いっきり怪しんで調べてましたとは言えない。 適当に誤魔化しておく。 「イネスならきっと大丈夫。 優秀な人材を探してるところだし、私もイネスと一緒に働けたらいいなって思うの」 魅力的な話ではある。 親友の申し出は確かにありがたかった。 が、それでも断る理由が彼女にはあった。 「ごめん、フィリス。 私はナデシコに乗らなきゃならないの。 詳しくは話せないけど……そうしなきゃならない理由がある」 親友に本当のことを話せないのは心苦しいが、仕方ない。 仮に言ったとしても彼女を混乱させるだけだ。 「………そう、わかった」 予期していた答えなのか、フィリスは残念そうな表情をしたが、 それ以上は無理を言うことなく引き下がった。 「イネスがそこまで言うなんて……」 「ごめんなさい、フィリス」 「やっぱり、恋?」 「何でそうなるのよ!」 不覚にも図星だった。 初心な少女のように顔が紅くなるのを自覚した。 まあ、確かにことアキトに関してはイネスの想いは少女のそれに近い。 「あの堅物で有名だったイネスがね〜」 「あ、あれは周りにまともな男がいなかったから……」 思いっきり墓穴を掘っているのだが、本人は気付いていない。 フィリスはさらに容赦なく突っ込んでくる。 「イネスの好みからして、年上?」 「いいえ、今は年下……って、フィリス!」 墓穴どころか墓標まで打ち立ててしまった。 「ごめんね、でも、本当に元気そうで安心した」 「はぁ、あなたこそ、性格変わったんじゃない?」 と言うか、絶対に変わった。 どちらかと言うと、良いほうに。 昔は自身の容姿……銀髪に銀目というマシンチャイルドの中でも特徴的な容姿にコンプレックスを抱いていて、 あまり人付き合いを得意としないタイプだった。 「それはたぶん、あれね。 『母は強し』って」 「あなた、結婚したの?」 「そうじゃなくって、見つかったの」 その一言で理解した。 フィリスの生い立ちについてはイリスからも聞いている。 「それは……何て言ったらいいかわからないけど、おめでとう」 「うん、ありがとう。 娘なのよ」 「そう、会ってみたいわね」 「写真持ってくればよかったかも。 本当は月に連れてきてあげたかったんだけどね」 「またの機会に期待するわ」 「その時は、イネスの相手にも会わせてね」 悪戯っぽい笑みを浮かべる親友にイネスも苦笑しながら返した。 「考えとくわ」 このとき、イネスがもう少しこの話題に関して突っ込んでいれば、 あるいはフィリスが写真なりを持っていれば後に起こるある事件は回避できたかもしれない。 ただ、神ならぬ2人がそんなことに気付くことはなく、 イネスは(主にアキトに)降りかかることになる悲劇的喜劇、あるいは喜劇的悲劇を回避できず、 フィリスはフィリスでアキトと言う残り2人の我が子に繋がる手がかりを得るのは相当に後になってしまう。 それでもこのときの2人は久方ぶりの友人との再会を楽しんでいた。 それだけは事実である。 ○ ● ○ ● ○ ● ファルアスの表情は渋いままだった。 第2案であったイネス・フレサンジュの引抜にも失敗したと判明したからだ。 姪のフィリスを使ったのは、自分が行くよりも親交のある人間の方がいいだろうという計算と、 親友との束の間の再会を楽しませてやりたいという親心が半々だった。 少なくともマイナスにはならないだろう。 それが唯一の成果といえるかもしれない。 「フィリスにはもう少し休暇を楽しむように言っておきました」 「本当に再会は束の間だからな。 ナデシコは修理と改修が終わり次第、極東海軍に編入されて、あとは各地を点々とすることになる。 次はいつ会えたものだかわかったものではない」 ジルコニアも頷いて同意を示す。 それに加えてフィリス自身、やることは山のようにある。 「さて、これでAGIがボソンジャンプに関するデータを得る機会はさらに減ったことだが、 あまり歓迎できないことに月で極秘に回収したナデシコのエステの一機、 とんでもない爆弾を抱えていたよ」 「その口調ですと、我が社にとってもマイナスなニュースですか?」 「地球全体の危機だ、大げさに言うなら。 蜥蜴の皆さんはどうやら長距離単独のジャンプを可能にしたらしい。 ああ、恐らくは実験段階だろうがね」 「早すぎる、と言う気もします。 提督の記憶が確かなら、この時期はようやくジンタイプがロールアウトしたころだと」 「私の記憶が確かなら、そうだ。 だが、これもありがたくないことに木星の同胞も6m級人型機動兵器を投入してきている。 月攻略戦に参加した攻撃隊のパイロットの証言を鵜呑みにするなら、 撃墜されたアスフォデルの全てはこの機動兵器によるものだ」 ファルアスが言わんとするところはジルコニアにもわかった。 つまり、歴史は繰り返していない。 わかっていたことだが、ショックはある。 つまり、未来を想像するならスノーフレイクですら、いずれ力不足になりかねないということだ。 「あるいはジンタイプの開発は諦めたのかもしれんな。 対費用効果という意味ではあれは戦局になんら関与しなかった」 「棄てるでしょうか。 木連が、ゲキガンガー信仰を?」 「上層部にリアリストがいるならそうしたかもな。 宗教や理想を戦場に持ち込むのは愚か極まりないと言うのは歴史が証明することだ」 「あるいは十字軍のように」 「あるいは独裁国家のように。 とにかく、早急に対策を立てるべき問題だ」 ファルアスの想像は半分は外れていた。 上層部は確かにリアリストが集まっていたが、彼らですらゲキガン信仰を止められなかった。 それは同時に兵士から戦う意味を奪うことでもあったからだ。 そして、その信仰を捨てられなかったゆえにジンタイプの開発も進められている。 ただ、一式戦などの6m級人型機動兵器との2本立てのために開発はさらに遅れていたが。 それに、単独長距離跳躍を行える14試長距離跳躍実験機は万葉を回収しに来た1機だけで、 しかもそれは単に実験データ収集用で、長距離跳躍の実験は中止されていた。 「ナデシコにも3名のA級ジャンパーが存在する限り、ネルガルは必ず遺跡の確保に乗り出すだろう。 そうすればあの二の舞を演じかねない。 その前に何としても対策を練る必要がある」 「AGIもボソンジャンプの研究に本腰を入れろと仰るのですか?」 「何もネルガルのように人体実験までいきなりやれとは言わん。 しかし、木連への対抗上、短距離ジャンプとB級ジャンパーは必要だ」 「………私だけでは即答しかねます」 「当然だろうな。 答えを急かしたりはしない。 ただ、可能性の一つとして検討して欲しい」 「会長には伝えておきます」 「了解した。 今はそれで十分だ」 AGIの上層部はマシンチャイルドが多いだけに、その手の人体実験に対する忌避感が強い。 それがボソンジャンプ実験に対する障害となっていた。 ボソンジャンプがこの戦争におけるジョーカーになりかねないことを熟知しているファルアスとしては 一刻も早く技術を確立したいが、無理強いをすれば態度を硬化させるだけだ。 あるいはジャンプ技術だけならネルガル経由で得るという手も考えていた。 戦略情報軍はいくつもの企業に内偵を出している。 秘密は隠そうとしてもどこかで漏れるものだ。 そして、ネルガルがジャンプ関連技術で巻き返しを図るなら、それを止める気もない。 さらに、ファルアスは軍の研究施設でチューリップの解析を行っていることを告げていないし、 同時に単独ボソンジャンプが可能な機体を独自開発させていることもAGIには伏せている。 また、ジルコニアも全てを語っているわけではない。 実のところAGIもスノーフレイクに換わる新型の開発を進めているが、 S−1計画としてある程度完成していたスノーフレイクと違い、完全にゼロから始めているS−2計画は 肥大する開発費に追われて、すでにAGI単独での開発を諦めていた。 ネルガルやクリムゾンと手を結ぶのはまっぴらだったが、他に選択肢はある。 AGIはアジア第2位に甘んじている明日香インダストリーへ共同開発を持ちかけていた。 そして既に数タイプの試作機が完成していることも、軍へは伏せている。 もちろんファルアスへもである。 なぜなら、新型の存在が明らかになれば、現行のスノーフレイクに対する発注が少なくなることが予想されるからだ。 当然ながら軍事費は有限であり、戦時になってかなり増えてはいるが、だからこそ無駄にはできない。 新型が使えそうだとわかったら、現用機の発注を最低限に抑えて、新型の生産が軌道に乗ってからそちらを優先するだろう。 AGIが単独で開発した機体ならそれでも問題ないが、明日香インダストリーとの共同開発となると、 利益の半分は相手にも渡さねばならず、それは結果としてシェアの低下を意味する。 いちおうは企業であるAGIにとって、それはあまりありがたいことではない。 AGIとファルアスは同盟関係にあるが、共に自分たちの利益を最優先していることに変わりはなかった。 ○ ● ○ ● ○ ● 様々な思惑が入り乱れる月から、一人の男が失意の内に発とうとしていた。 名をホリコシ・ゴロウ。 かつてネルガル重工においてエステバリスシリーズの各種フレーム設計に携わり、 そして月面フレームの開発では主任を務めた男であった。 しかし、それが災いした。 月面フレームは最終設計も終わりかけた完成間際に突如として設計変更を言い渡された。 AGIのスノーフレイクがエンジンを搭載し、スタンドアローンを可能としている上に、 月面フレームと同じレールガンを標準装備する画期的な機体だと判明したからだった。 しかし、無理やり採用された小型相転移エンジンは、それだけでもエステの全長ほどもある代物で、 完成した月面フレームは彼が目指したものから程遠い失敗作となった。 それが原因で彼はネルガルを解雇された。 設計一筋で、家族も持たない不器用な男はそれ以外に生きる術を知らなかった。 あてもなく、しかし、月にこのまま留まるのは彼には苦痛だった。 戦争はまだ続いていたが、実質的に彼の戦いは終わっていた。 今は地球行きのシャトルを待っているところだった。 「あはー、ちょっとよろしいですか?」 「何か?」 何か怪しげな勧誘だろうかと警戒しつつ、声の方を振り返る。 正直なところ、人と話すのもおっくうだった。 「堀越吾郎さんですよね?」 今時珍しいほど正統派の日本語だった。 しかも、自分の名前まで知っている。 「君は、いや、私に何の用か?」 相手は10代後半ほどの少女だったが、警戒心は解かない。 「申し遅れました。 私、こう言う者です」 同じく今時珍しい紙の名刺だった。 電子のそれならもっと簡単なのにと思いつつ、それを読み上げる。 『(株)スカーレッド製機 開発部人事担当 東 琥珀』 聞いたことのない会社名だった。 「聞いたことはないかもしれませんね。 何しろ設立されて、まだ1年足らずの会社ですからー」 それで私みたいな小娘が人事担当なんですよー、と朗らかに言う。 その軽さが何となく不安だった。 「それでですねー、堀越さんをぜひ我が社にお招きしたいと思いまして、 平たく言うとスカウトしに来たんですよー」 「はあ……」 名刺と少女をもう一度マジマジと観察する。 胡散臭いことこの上ない。 「私どもの会社はクリムゾングループの下請けでして、 ネルガルに所属していらした堀越さんにはちょっと抵抗があるかもしれないんですが、 貴方のような人材は必要なんですよ。 今すぐにお返事を頂けるとは思っておりませんから、もし何かありましたらここまで連絡してくださいねー」 「はあ、ご丁寧にどうも」 「それでは、いい返事をお待ちしています」 最後ににっこりと ――― いや、終始笑顔ではあったが、さらに極上の笑みを向けると少女は去っていった。 ホリコシはしばらくことの成り行きに呆然としていたが、とりあえず予定通り地球へ向かう便へ乗った。 その一週間後、ネットを使って検索した結果、スカーレッドという会社が実在し、 さらに少女が言ったとおりの会社であることを確認。 さらに株式の成長度と、何より技術者を優遇するというスローガンにひかれて、名刺にあった連絡先へ電話した。 彼は最後までそのネットの情報を疑うことはなかった。 そして、株式などの『信頼できる情報』が全てここ一週間以内ででっち上げられたものだと気付かなかった。 それは彼だけでなく、多くの投資家やセキュリティー会社ですらそれは同様だった。 また一つ、歴史の歯車は違った道を選択していった。 <続く>
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代理人の感想
これが「五郎」になるとガガガに出てきた五浪受験生・・・・・・って、そんなことはどうでもいいですが。
でも、ジンタイプってやっぱ男のロマンじゃないかなぁ。
役に立つ立たないは別として(爆死)。