時ナデ・if <逆行の艦隊> 第16話 やっぱりいつもの『キス』・その2 相変わらず外はブリザードのようだった。 気温はマイナスの域に達し、寒いなどと思う暇さえなく凍死できるだろう。 しかし、ナデシコは宇宙戦艦。 潜水艦以上に気密には気を使っているし、空調設備は一流ホテルすら上回る規模で艦内を適温に保つ。 ……つまり、背筋に流れる冷たいものは空調以外の原因と言うことだ。 「お兄ちゃん、なんか今日は変だよね〜」 「気のせいだ」 朝からしつこく絡んでくる実妹のチサトを軽くいなす。 「なんか隠してない?」 「色々あるぞ」 しれっと答える。 「たとえば、ライザさんが寝不足って言ってたけど、妙に肌に艶があったこととか」 「………………気のせいだろう」 微妙に間があった。 しかし、あくまで声はいつものように平坦なまま。 「ん〜、変だよ。 チハヤもそう思うよね?」 「お前はパパラッチか。 その前に取材だろうが?」 異母妹に同意を求めるチサトの頭を掴むと強引に前を向かせる。 「で、でも、兄さんだって信じてあげなきゃ」 「え〜、だってお兄ちゃんだよ? なんか小さな女の子とか誘拐してそうなお兄ちゃんだよ?」 「……………」 俺を何だと思ってやがる。 そう思ったが、心当たりがあるので反論できない自分に気付き、少し鬱になる。 「そりゃーね、胸なし通信士に走られるよりは、ライザさんならわかるよ? こう、スタイルいいし、金髪の美人だし。 あっ、こう言うとちょっとホステスっぽいよ」 「チサト」 「うい、お兄ちゃん」 「ちょっと口をつぐんどかないと、温厚で鳴らす兄もお前の口に 物騒なものを押しこまねばならないかもしれない」 「やん、お兄ちゃん、そんないきなり」 本当に銃口でも押し込んでやろうか? そんな考えがよぎる。 「もー、お兄ちゃんだって男だから一時の気の迷いって言うか、 ぶっちゃけ処理に困って発散したくなるのはわかるよ。 愛のない行為に溺れてみたい年頃だもんね」 「………お前はぶっちゃけ過ぎだ」 後ろでチハヤがあうあう唸っているし。 本当に同い年なのか疑いたくなる。 いや、それともこっちは教育を誤ったのか。 考えながらチサトとチハヤ、2人の妹見比べる。 ……どっちも母親似か つまり、お互いに異母姉妹であるからあまり似ていない。 それはそれで良かったのかもしれない。 少なくとも鏡でも見なければあの男の面影は探すことはできないだろう。 「…………」 軽く目を閉じる。 あの日を思い出すにはそれで十分だった。 終わりのない闇の中で、来るはずのない終焉を望んで、いくつもの闇の中を漂いながら。 そして最後は同じ場所に帰ってくる。 銃声、悲鳴、砕かれる身体、引き裂かれる心。 流れる命、消えていく命。 赤く染まった世界。 誰かの呼び声。 妹の呼び声。 紅い世界の向こうで静かに、泣いていた。 どうすることもできずに、俺はただ、見ていた。 だから、せめて流れる涙を拭いたかった。 だけど手は動かなくて…… 頬伝う涙は、紅い水の中に吸い込まれて…… 泣くことしかできなくて…… 悔しくて…… 悲しくて…… 「いま、行くから…… だから……」 言葉にならない、届かない声。 「だから……もう少しだけ」 それは誰の言葉だっただろう。 視界が別の色に染まっていく……。 そして目覚めたとき、世界はあまりにも変わっていた。 母だった骸は撃ち込まれた銃弾によって蹂躙されて面影すらなかった。 見開かれたままの右目は濁って、左目には赤黒い空洞しかなかった。 砕けた頭蓋からは脳がこぼれていた。 幼かった妹は既に別のものだった。 俺のほうに伸ばされた手は手首から先が砕かれ、切り裂かれた腹からは臓腑がはみ出している。 そして、頭がなかった。 それが見せしめだということを理解したのは、自分も奴らと同じ世界に身を置くようになってからだ。 生き残り、別人に成りすましてジャーナリストを目指した。 そこに別の生きる意味を求めて。 だが、気付けば自分も同じになっていた。 裏切った父親をこの手で殺した。 裏切りは続いた。 『渡さん! あれは、あれは俺のものだ!』 殺されたはずの息子に向かって父親はそう言って銃を向けた。 その前に、撃った。 足を撃ち抜き、手の平を砕き、腹を裂いた。 最後まで父親は裏切りを重ねた。 あっさりと死んだのだ。 もっと、苦しめばよかったのに。 母と、妹の分までもっと、もっと、もっとだ! 悲鳴が聞こえた。 父親の愛人だった。 かまわず撃った。 弾はそれで撃ちつくした。 父親と愛人には娘がいた。 ちょうど、生きていれば妹と同い年。 不意に哄笑が込み上げてきた。 裏切られていたのだと、もっとずっと以前から、裏切られていたのだと気付いた。 きっと、俺は狂っていた。 だから、今も狂っている。 「兄さん?」 チハヤが覗き込んでいた。 無理に笑顔を作ろうとして、諦めた。 無表情で通す。 「どうした?」 「いえ、なんだか……」 「いますっごいダークな顔してたよ。 ちょっと……嫌だよ」 笑みを浮かべる。 今度は明らかな嘲笑を。 「昔のことを思い出していただけだ」 「………ごめんなさい」 「お前が悪いわけじゃない」 そう言ったが、チハヤの表情は暗かった。 余計なことを言ったかもしれないと思う。 テツヤが思い出していたのは1回目のことだったが、 チハヤは2回目のときの自分の事を考えたのだろう。 テツヤから見ればそれはいくらかマシだったが、 本人にしてみればそんなことはいくらの慰めにもなるまい。 「少し今日は夢見が悪くて機嫌が悪かっただけだ。 忘れろ」 それから、ちゃんと取材しとけと告げると、2人を残して格納庫の愛機へ向かう。 「…………」 ため息も出ない。 一種の逃げだとは自覚している。 昨晩のライザとのことも含めて。 結局のところ、過ちを繰り返さないと言えば聞こえは良いかもしれないが、 自分のしている事が単なる自己満足の偽善に過ぎないのではないかと思っていた。 チサトを死なせた過去が消えるわけでもなし、チハヤの人生を狂わせた罪が償えるわけでもないだろう。 それを自覚するがゆえに妹達からの信頼は苦痛だった。 特にチハヤのすがるような信頼の眼差しは、それを感じるたびに黒い感情が疼く。 助けようと思えば、父親も、そして彼女の母親も助けられたかもしれない。 それを敢えてしなかったのは、どこかでやはり捨てきれない憎悪の念があったからだ。 言うなれば、父親は2回目の人生でも同じように彼を裏切ったからだ。 だから殺した。 手を下さずとも死ぬことが分かっていたから、見殺しにした。 それでもチハヤを助けたのはなぜだったのか。 ………矛盾だ。 本当の意味で助けるつもりなら、襲撃者を気付かれる前に全滅させ、 その後に家族そろってどこか適当に亡命させてやればいい。 クリムゾンやネルガルも襲撃班が全滅してもなお固執するような相手ではないとわかるはずだ。 なんなら取引を持ちかけてもよかった。 だが、それをテツヤがすることはなかった。 結果としてチハヤはやはり家族を失い、自分は何食わぬ顔で助けた。 (もちろん命懸けではあったが) 分かっている。 その程度のことが償いになるはずもない。 それでころか、自分はまた過ちを重ねただけなのだと。 分かっているはずだった。 過去は消せない。 だから、罪を償うことなどできはしない。 その機会は、『死んだ』ときに永遠に失われてしまった。 だから、償えないのなら………何をすればいいのだろうか? ○ ● ○ ● ○ ● 艦橋から眺める光景は変わり映えのしないものだった。 一面に砂糖をぶちまけたような一色の白。 はじめは物珍しさから騒いでいた隊員たちも、次第にあまりに変わらない光景に飽きてきたらしい。 交替で艦橋に上がってきていた人影も、今は本来の艦橋員以外は残っていない。 ステルス駆逐艦<朝霧>よりは少しばかり大きめの船体を持つ新鋭の巡航艦(連合流に言うなら巡洋艦)の艦橋は 船体が大きくなったがゆえに以前よりは余裕があったが、殺風景という点ではまったく同じだった。 朝霧をはじめとする有人戦艦で明らかになった著しい居住性の悪さも改善しようという努力は見られたが、 それが即座に結果にはつながっていないように思えた。 マッコウクジラのような昔の潜水艦を思わせる涙滴型の船体は ステルス性を重視しているが故だったがそれも居住性を悪くする一因だった。 元々、木連の艦は長距離の移動を想定していない(戦場までの移動は跳躍門で行う思想があった)ために、 戦艦でさえ長時間の作戦行動となると、乗員の肉体的、精神的疲労が問題となった。 戦艦よりも絶対的に余剰空間の少ない駆逐艦の場合はさらにその傾向が強かった。 さすがにこの声を無視できず、木連軍政艦艇本部は居住性を改善し、長期の作戦に耐えられるような新たな艦を作ることを決意。 その試作の第1号となったのが、このステルス巡航艦<陽炎>だった。 と言っても、基本設計は駆逐艦<朝霧>の拡大でしかなく、珍しい新装備などない。 ステルス機能に金がかかっていて量産しにくいのは相変わらずだし、武装も20cm連装リニアカノンが一門とミサイルのみ。 20cmなどという豆鉄砲が何の役に立つのかはなはだ疑問だし、ミサイルも朝霧に比べて減少している。 (それでもVLSで200セル)。 戦力としては中途半端な感は否めないが、基本的に木連の有人艦艇は無人艦隊の指揮統制を行うためのものであるから、 それほど重装をする必要もないというのが軍政艦艇本部の意見だった。 ちなみに、第四次月攻略戦から地球連合軍も似たようなコンセプトの巡洋艦 (英語で言うところのクルーザー)を実戦投入していた。 従来の戦艦や駆逐艦が『まずもって戦闘力こそ第一』としているのに対して、 兵器としては珍しく『まず船として高性能で、武装はおまけ』的なコンセプトでは連合の巡洋艦も、木連の巡航艦も一致していた。 ただし、連合の巡洋艦は、奪還した月と地球との通商レーンを守ることを目的とした長期の作戦行動を想定するがゆえに 『まず船として高性能で武装はおまけ』という設計を採用したのであって、木連のように『居住性が悪くて改善のため』ではない。 木連艦艇の居住性の悪さを示すエピソードとして、戦後、木連の戦艦を調査したネルガルの造船関係者は 『ナデシコは戦艦ではなく、客船だった。 私は初めて軍艦に乗った』と洩らしたと言う。 逆に火星まで単独で航行する目的のあったナデシコが、いかにその手の居住性に気を使っていたかがうかがい知れる。 ただし、それは戦後のことであり、今はまだお互いに敵対するもの同士だった。 比較されるのは戦力としての有効性でしかない。 「……退屈よね」 艦長席のやたら硬いイスの上で身動ぎしながら舞歌は呟いた。 傍らの千沙が何か言いたげな……もっとはっきり表現するなら、『一番はしゃいでいたのは舞歌さまじゃないですか』とでも 言いたげな視線を向けているが、舞歌は気付かないふりをした。 雪と言うものを生まれてはじめて見た舞歌のはしゃぎっぷりはそれこそ年甲斐もない(千沙談)もので、 上甲板に出て直接見て触ってみたいというのを全力で止められたばかりだった。 「このブリザードは明後日くらいまで続くらしいな」 艦橋の隅でモバイル端末をいじっていた男が告げる。 モバイル端末自体も木連製ではなく、地球で適当に買ったものだった。 そしてそれを扱っている男の方もまた、木連製ではない。 ウチャツラワトツスク島という舌を噛みそうな名前の小さな島(の集まり)に関して舞歌が知る情報は恐ろしく少なかった。 そもそも彼女からしてみれば北極と南極の違いすら曖昧であったほどだ。 ちなみに、一応は地球出身である琥珀に尋ねたところ、「白熊がいるのが北極で、ペンギンが南極ですよー」という答えだった。 それを聞いていた男のほうは「アザラシも北極だったかな?」と付け加えた。 要するに、木連の人間にとって地球の地理はそんな程度だった。 だから、通信を傍受した時もそれがなにを意味するのかまったくわからなかったほどだ。 『ウチャツラワトツスク島に輸送機が墜落したらしい』 第一報で受けたのはそれだった。 ある作戦で地球に降りてきていた舞歌たち優華部隊にとって、それはどうでもいい情報のひとつだった。 しかし、それに注目した男がいた。 捕虜のくせに妙にふてぶてしく、そして態度がでかいその男は引き続きの情報を求めた。 はじめは却下しようかと思った舞歌だったが、その男にしては奇妙なほど真摯な態度であったため、容認した。 単に地球のことを知っているだろうからというだけの理由で連れてきた男だったが、思いのほか役立っていた。 特に地球の習慣に詳しくない舞歌たちに代わって生活必需品を揃えたりもした。 まあ、なんというか、ていのいい使い走りである。 だが、今回に限っては使い走りでは終わらなかった。 彼はその後の情報をいくつか得ると、必要事項をメモしながら何事かぶつぶつと英語で呟いていたが、 唐突にモバイル端末に飛びつくと、ニュースや経済情報を手当たり次第に漁りだしたのだ。 そしてそれから2日後の昼食をとっているところに男は再び来た。 『とりあえず、飯を先に』 それが第一声だったのは覚えている。 とりあえず、捕虜という自覚はかなり薄いらしい。 その後、何度か舞歌らと検討を重ねた結果、輸送機に関して重要なことが判明した。 「こいつはC−999<スーパーギャラクシー>。 軍用の戦術輸送機だ。 最大積載量は50t」 墜落した輸送機の航空写真(偵察型バッタで撮影)を見るなりそう断じた。 舞歌には地球の機動兵器ならともかく、輸送機など違いはほとんどわからない。 黙って先を促す。 「注目して欲しいのは、こいつは後退角45度の翼に、機体自体もかなりステルス性を重視した設計となってる。 さらに翼を付け根から垂直方向に40度まで、双発のエンジンはベクタースラストを採用していて、60度まで下に向けられる。 つまり、事実上のVTOL……いわゆる垂直離着陸ができる」 「輸送機なのに?」 「輸送機なのに、だ。 一般向けの軍雑誌なんかだと強襲揚陸機なんて言い方もされてるけど、実際はVTOL機能はほとんど使わない。 何しろ輸送機なんだから」 本来、輸送機は制空権が確保された安全な後方で運用すべきものだ。 それがVTOLだったりステルスだったりするのは、はっきり言ってやりすぎ以外のなにものでもない。 事実、輸送機にもかかわらず最新鋭戦闘機並に高価になったC−999は、特殊作戦向けに18機が確保されているのみである。 それを説明してからさらに男は世界地図を表示してみせる。 「で、こいつが飛び立ったのは偵察衛星の情報から、スウェーデンだってことまではわかった」 「でも、どこの基地からかはわかってませんよ?」 「ああ、それは基地から飛び立ったものじゃないからさ」 「あはー、なるほど」 琥珀が納得したと言うように頷く。 「つまりどういうことなの?」 何だか自分が間抜けになったような気分ながら、舞歌は説明を求める。 誰しもが地球に精通しているわけではない。 「高速道路あたりから飛び立ったんだろうと思う。 四車線のところを目一杯使えば幅も大丈夫だし、 距離に関してもC−999のSTOL(短距離離発着)能力ならなんとかなるだろうな」 輸送機を自動車用の高速道路から飛び立たせるなど、無茶なと思うかもしれないが、 ことスウェーデンの国情に関して言えば、それは無茶ではあっても無謀ではなかった。 幅も四車線分で足りるのは、そのようにもともと設計されているからだ。 スウェーデンは永世中立国であり、現在においてすらもいかなる軍事的機構に参加していない。 かの国はスイスやピースランドと並んで地球連合に未加盟だった。 しかし、だからと言って武装放棄を唱える平和主義者の集まりだったわけでもない。 ちゃんと国防のための軍は存在していたし、独自に兵器開発を行ってもいる。 C−999の生まれもスウェーデンであり、その設計が独特のものになったのは、国の状況を知ることなしに語れない。 そして、スウェーデンの抱える問題の一つに平地の不足というものがあった。 つまり、山ばかりで長い滑走路を作れるような土地があまりなかったのだ。 いや、あったにはあったが、それはまずもって人が住む町となっていて、そこを潰して基地をつくるなど論外であった。 かと言って、国防の要たる航空兵力が不足すればどうなるかは、無論のこと知っていた。 フォークランド紛争におけるアルゼンチン軍の敗北は、英軍の軽空母の艦載機に制空権を奪われたことから起こったのだから。 そして様々な案を検討した結果、スウェーデンが選択したのは、ある意味で奇道だった。 彼らは公共事業としての高速道路に目をつけ、それをいざとなったら即席の滑走路として利用することを思いついたのだ。 その試みは実行に移され、それこそ戦隊シリーズさながらの山をくりぬいた秘密基地や、 高速道路の短い直線距離でも離発着可能な航空機の開発が進められ、特に後者は成功した。 有名なところで20世紀後半から21世紀の前半にかけて空軍の主力を担ったサーブ37<ビゲン>や サーブ JAS39 <グリペン>などである。 これらは戦闘機であったが、その伝統は22世紀末の現在でも続いている。 C−999もそうした事情のもと開発された機体であった。 まあ、戦術輸送機にそこまでしたのはさすがに失敗だったようだ。 兵器開発がいつも成功するわけではないと言うことの見本のようなものだ。 「んで、本題なんだが、こいつは特殊作戦向け。 それが基地からでなく、恐らくは山くりぬいてつくった秘密基地から、高速道路を使って飛び立った。 なぜだとおもう?」 さすがにここまでヒントを出されればわかる。 舞歌は考えをまとめながら、答えた。 「監視されていることが判りきってる基地を使わなかった上に、ステルス機なんて使うんだから、 よっぽど知られたくなかったんじゃないの? そうなると、積荷は……」 「少なくとも機密ランクは相当に上のものだろうな」 某探偵風ならQ.E.D、証明終了と言ったところか。 確かに墜落しなければ、舞歌たちはその存在に気付くことすらなかっただろう。 わざわざ北極海回りでブリザードの中を飛ぶ徹底振りだ。 「……ですが、そうなると問題は積荷の内容です。 迂闊に触ると危険なものかもしれません。 たとえば、BC兵器とか」 「生物・科学兵器、そんなものを地球側は使うと?」 翡翠の指摘に舞歌は嫌悪感をあらわにした。 基本的に木連はコロニーの集合で成り立っている国家である。 気密が保たれたコロニーは、性質上、そのてのBC兵器にはきわめて弱い。 空調から有毒ガスでも流し込まれたら、何百、何千万の人々が犠牲になるだろう。 もちろん、対策はとってあるが、それも完璧とは言えないのが現実だった。 「あー、とりあえずその心配はないと思うぞ」 「地球人が言っても説得力がない」 万葉の辛辣な言葉に、男が肩を竦める。 「いや、ちゃんと理由はあるんだけどな……」 「それなら、根拠は?」 「えーと、まず第一に地球侵攻に使われているのは無人兵器だ。 まずもって無人兵器にはBC兵器なんて効かないのはわかりきってるし。 そもそも、あんたらが人間だって知っている方が少ないんだ」 「……確かにな」 ガイとのやり取りを思い出し、苦い口調で呟く万葉。 そして、その後、また何か別のことを思い出したらしく、赤くなる。 その様子を獲物をいたぶるのを楽しみにする猫の笑みで見ていた舞歌だったが、すぐに思考を切り替えた。 「それでも知っている上層部が使う可能性はあるわよ?」 「んーまあ、そうなんだけど、運ぶ手段がないし。 地球側はチューリップ……もとい、跳躍門をくぐる技術なんてないし」 「道理ですねー」 琥珀は同意するが、舞歌は一方でそうとも言い切れないと感じていた。 火星で見た機動母艦や、撫子。 あれらは現実に跳躍門を抜けている。 地球が跳躍技術をものにするのは、そう遠くないかもしれない。 そんな懸念があった。 「単に作戦用の兵力を移動したのではなかんとね?」 三姫の質問に、男は首を振って否定の意を示す。 「スウェーデンは連合に加盟してない。 つまり、連合に手を貸す義理なんて本当はない。 ただでさえ不足しがちな戦力をわざわざ割くような真似はしないだろう。 彼らだってまずもって自国の安全を優先するだろうし」 「それでも、要請があった場合、むげには断れないと思うけど?」 「うん、確かに。 だけど、輸送機の行き先が兵力の移動っていう説を否定する」 飛厘に対して一応の賛同はしつつも、やはり最後は否定。 そして次に世界地図に表示されたのはスウェーデンからの輸送機の予想進路。 墜落地点でバツがついているが、さらに伸びた矢印は日本へ向かっていた。 「これがコースから推測される予想目的地と進路。 もしかしたらフィリピンや台湾あたりの可能性もあるけど、たぶん日本だ。 根拠は後で話すけど、まあ、アジア方面の戦況は、君らの方が知っているだろ?」 「……それは嫌味?」 「客観的事実ってやつさ」 第6次月防衛戦(連合側では第4次月攻略戦)の敗北以来、双方にとって戦争の意味は少しばかり変わってしまった。 月とルナUの2つの拠点を確保し、制宙権を確保した第2艦隊は、地球の防衛ラインと合わせて非常に厄介な存在となっていた。 木連側が新たにチューリップを突入させようとしても、第2艦隊の迎撃と防衛ラインによって、 地表まで無傷で到達できるのは1割を切っている。 地球上に存在する跳躍門は現在2637個だが、実働しているのは1500個に満たない。 しかも、グラビティブラスト搭載艦の登場で、チューリップも安全とは言い切れなくなっている。 特に地球で戦況の変化が著しいのはアジア方面。 ネルガルは撫子に使われていた技術を軍へ渡した見返りに、新型戦艦を優先的に極東方面軍へ配備させた。 これは軍事的整合性が云々よりも政治的な問題であったが、第四次月攻略戦に根こそぎ持っていかれるまで、 極東方面の第3艦隊はそれなりに有効な戦艦隊を有しており、戦況は比較的に連合有利で進んでいた。 ここ数ヶ月以内で戦艦隊に潰されたチューリップの数は、両の手足を使っても数え切れない。 加えて、撫子も海軍に編入された場合、使用不能になるチューリップの数は跳ね上がるだろう。 加えて、例え原形を止めていたとしても、航空機や機動兵器、艦船からのミサイル攻撃を喰らえば ダーメージの蓄積から使用不能にされる。 機動兵器が戦艦に対しても脅威となりつつある現在、将来的にはチューリップに対してすら脅威となりかねない。 制宙権を取り戻した連合軍は大急ぎで破壊されたGPS(汎地球システム)の復旧を進めており、 一方ではさらに進化したシステムを構築中との噂もある。 少なくともGPSが使えるようになれば、彼らは間違いなくチューリップに対して巡航ミサイルのつるべ打ちを行うだろう。 戦艦以上に強固なDFと岩塊のような強固さを誇るチューリップではあるが、 マッハ7オーバーの超音速で飛来する鋼鉄の暴風にどこまで耐えられるか……。 よしんばそれに耐えたとしても、次は戦艦の艦砲射撃が待っている。 ある程度の自己再生能力があることも慰めにならないくらい滅多打ちにされて終わりだ。 「まあ、確かにアジア方面にわざわざ兵力を移動させる必要はないわね。 スウェーデンを含めた欧州の方がよっぽど激戦区なんだし」 「さすが姐さん、話が早い」 誰が姐さんよ、と言いたいが、言ってきくような性格でもない。 舞歌は既にそのことに関しては諦めモードだった。 「……ってことは、逆に激戦区からは遠ざけたい代物ってことですか?」 千沙が自信なさげに発言する。 それは舞歌も思ったことだ。 「それがたぶん正解よ、千沙。 軍用の輸送機が運んでるってことはたぶん……」 「ニュースの経済欄を確認したんだけど、AGIと明日香インダストリーが合同でプロジェクトを立ち上げたらしい。 これが輸送機の行き先が日本ていう根拠。 AGIの本社はスウェーデンで、明日香インダストリーは日本。 プロジェクトも表向きはGPSの再構築のためのものだって言うけど、どう考えても建前だし」 付け加えるように男が言い、舞歌が頷いた。 「そう、積荷は新型機動兵器の試作機よ。 AGIから明日香へ、前線に近い場所から安全な後方へ移送する途中だったのね。 何が原因で墜落したのか知らないけど、これはチャンスよ。 逃す手はないわ」 ……とまあ、これが約3日前の話。 それから八雲に作戦の許可を取ったり、事前にチューリップを移動させておいたり、艦の出撃準備を整えたりで、 結局それだけの時間が経過してしまった。 「……それにしてもやけに協力的だったわね」 「別にオレは地球出身ってわけじゃないしな。 色々と黙ってた連中にそれでも義理立てするほどお人好しじゃない」 「そんなもの?」 「そんなものさ。 それに家には代々の家訓があるんだ。 『己に忠実たれ』ってな」 「……察するわ」 「ああ、察して欲しいね。 でも、それは無理だろうな。 オレだってこうなるまで戦争を何一つ理解しちゃいなかった」 生身とはとんど変わらない、だが、それでも明確に違う義手となっている左の腕を掲げてみせると 元ナデシコ所属の機動兵器パイロット、ロイ・アンダーソンは笑った。 かつてとは、また違う笑みだった。 ○ ● ○ ● ○ ● 作戦は順調に進んでいた。 ユリカが誤ってグラビティブラストを発射するようなこともなく、 ゆえに敵を呼び寄せるような事態にも陥っていなかった。 だからと言って気楽だったかというと、それはまた別問題だ。 ナデシコの幅ギリギリを白い小山がかすめていく。 90度傾いた状態で氷山の隙間を縫うようにすり抜ける。 突如として崩落した氷山を回避しつつ、大きな破片は対空レーザーと両用砲で砕く。 そんな危機一髪といえるような場面は何度もあった。 それでも無事にやり過ごせたのは、ひとえにミナトの神業的操艦技術と、オモイカネのサポート、 そしてユリカ以下の艦橋要員の的確な判断があればこそだった。 ナデシコ以外であったら間違いなく途中で座礁していたであろう。 それでも作戦は順調と言えた。 ウチャツラワトツスク島に無事に到達し、墜落した輸送機も無事に発見できた。 しかし、なぜかユリカの表情は難しいままだった。 「墜落した輸送機を発見。 事前情報どおり、2機です」 「うーん」 ルリの報告を聞いてもユリカの返事はそれだけだった。 首を傾げながらもジュンが進言する。 「ユリカ、ここはエステバリス隊を先行させて輸送機を確保。 ナデシコは周囲を警戒しつつ前進するべきだと思う」 「うーん、やっぱりそうだよね」 ジュンの意見は現状ではベストと思われるものだった。 ブリザードが酷くて有視界がほとんど効かない状態では航空機の類を使うのは危険がともなう。 熟練したパイロットであっても上下感覚を失調しかねない。 まあ、上も下もない宇宙での戦闘に慣れたナデシコのパイロットならそんなことはないかもしれないが、 他にもジェットエンジンが雪を吸い込んで不調をきたすかもしれないし、何よりここは敵の制空権下。 非武装の揚陸艇<ひなぎく>では危険が伴う。 「ルリちゃん、周囲に敵影は?」 「レーダーにはかなり遠くに無人兵器の一群が確認されていますが、こちらに気付いた様子はなし。 チューリップは見当たりません」 「赤外線センサーは……無理、だよね」 「この吹雪の中ではちょっと無理です」 「あー、やっぱり」 艦から赤外線センサーが使用不能と言うことは、生存者を探す場合にかなり不利だった。 視界がきかない場合、多くでは人間の体温に設定した赤外線センサーで熱源を探す方法が有効だからだ。 「わかりました。 エステバリス隊を先行させて輸送機を確保してください」 「ユリカ、念のために直掩に必要な数は残しておくべきだよ」 すかさずジュンがフォローする。 進言というよりは確認に近い。 「そうだね。 それじゃあ……」 <艦長。 俺を行かせて欲しい> 「ほえ? 別にいいですけど」 意外にも(少なくともユリカにとっては意外にも)志願してきたのはテツヤだった。 「でも、一人じゃ危険ですから、アキトとカイト君もお願い」 <わかった> <了解しました、艦長> あっさり決めているようだが、ユリカも考えていないわけではない。 テツヤの腕は中堅クラスのパイロットには勝るだろうが、ナデシコでは中の下ほどのレベル。 トラップや狙撃などの待ち伏せ(アンブッシュ)ではリョーコなどにも勝るが、反面、格闘戦や白兵戦は弱い。 これは重機動フレームを好んで使うこともあるが、性格の問題だろう。 そしてカイトだが、こちらはIFSをつけていたことからも推測できたように、腕は悪くない。 トータルバランスに優れ、安定した戦力となるだろう。 ただし、記憶喪失なのであまり無理はさせられない。 本人が志願してくれたとは言え、本来は正規のパイロットではないのだから。 そこにアキトを加えたのはバランスをとるためだ。 一種の切り札であるアキトなら他の2人のフォローもできるだろうと考えたのだ。 ただ、これは純粋に戦術的判断であり、アキトとテツヤとの間にあったことを知っていたら、 ユリカはまた別の選択をしただろうが、アキトは進んでそれを語らず、テツヤもそれは同じであったから、 何となく仲が悪いのかな程度の認識でしかなかった。 「それと、リョーコさん、ヒカルさん、イズミさんもお願いします。 もう一機の輸送機のほうを確保してください。 アカツキさん、ヤマダさん、カザマさんはナデシコの護衛を」 <艦長ッ! せめて作戦中は魂のなま ――― ごふっ!?> <カザマ、了解。 あっ、ヤマダさんのことは気になさらず> <あ、アカツキ、了解> 何となく画面の向こうで何があったのか気になったが、ヤマダのコミュニケは閉じたままで、 イツキは通信を終えるとそのまま切ってしまい、アカツキもちょっと引きつった表情をしたまま何も言わなかったので、 ヤマダ・ジロウの身に何が起こったのか、知る術はなかった。 「各機、発進します」 最初にアキトらのエステバリス(アキトは空戦、カイトは陸戦、テツヤが砲戦)が射出され、 次に空戦フレームのヤマダとイツキ、スーパーエステのアカツキが発進する。 ヤマダの空戦がふらついていたのは、はたしていかなる理由からか。 そして最後に3人娘のエステバリスが重力波カタパルトから放り出された。 リョーコがジャンケンで負けたらしく、重機動フレームでぶつぶつ言っていたが、些細なことだ。 それを見送ってユリカは呟いた。 「何もなければいいんだけど……」 根拠はない。 だが、漠然とした不安が心を埋め尽くしていた。 ○ ● ○ ● ○ ● パッと見ただけで生存者は絶望的だと思った。 リョーコが担当した輸送機の2号機の方は、コクピットから突っ込んだらしく、 盛大に地面を滑りながら抉ったあげくにようやっと止まったらしい。 機首の部分は削り取られたようにもげており、ぽっかりと穴が開いていた。 本来はそこにあるべきものは周囲に残骸として散らばっている。 C−999は作業の能率化を図るために、機首部分が跳ね上がって、 そこからも積荷を出し入れできるようになっている。 今回はそのための機構が災いしたらしい。 エステのカメラでコクピットを覗き込んでみるが、ぐちゃぐちゃに潰れていていた。 これでパイロットが生きていたら、そっちの方がどうかしている。 陸戦よりもだいぶ充実している重機動フレームの各種センサーをフル活用してみたが、 生存者の痕跡は発見できなかった。 「こっちはダメね」 「……ああ」 イズミの言葉に同意を示す。 さすがにギャグは飛ばさなかった。 なにやらリョーコの知らない念仏を唱えている。 「仕方ねえ、ナデシコに積荷だけ回収してくって連絡を……」 ――― ゾクリ 不意に悪寒を感じた。 それはパイロットとしての経験か、それとも天性の勘か。 「リョーコ、後ろッ!」 悲痛なヒカルの叫び声。 とっさに機体を捻ろうとするが、遅い。 「こいつは ―――ッ!」 そしてリョーコは見た。 引き裂かれた輸送機のカーゴの闇に光る4つの紅い光。 そして、こちらに伸ばされた3本の爪を。 「リョーコッ!」 そして聞いた。 親友の悲鳴と、自機にその爪が突き刺さる甲高い音を。 確かに、聞いていた。 <続く>
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代理人の感想
廃棄物X号とか第一使徒とかじゃない・・・・・
そーすると500トンの金塊とか忍者っぽいパーフェクト・サイボーグとかでしょうか?
或いは新型のガン○ムと言う可能性もありますね!(無いって)
まぁ今回はテツヤが主役っぽいんで・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。←気の利いたギャグを思いつかないらしい
そ、それでは、また次回お会いしましょうっ!(爆)