時ナデ・if <逆行の艦隊> 第19話その2 英雄なき戦場 事後処理は段階的に行われた。 民間人を含む200人近い人員を収容したカキツバタはケルンへ到着すると、 すぐさま整備のためにネルガルが持ち込んだ仮設ドックへ直帰した。 本来の任務は前線の空軍基地へのスノーフレイクの輸送だったのだが、 急遽、救援任務に駆り出されたために様々な細かいトラブルが起こっていた。 特に深刻なのが、レールガンと兼用のDFブレードが砲弾加速時に発生する強力な電磁波と妙な干渉を引き起こしたらしく、 DFの出力が思うように上がらないという問題だった。 修理はなんとか仮設ドックでもできそうだし、問題点は電磁波遮断材を詰めることで解決できそうだった。 「ただ、修理には1週間はかかりますね」 整備を担当する技術官はそう言って報告を終えた。 私室でそれを聞いていたジュンは、なるべく急いでお願いします、と常套句を返して通信を切った。 カキツバタが1週間も動けないとなると、その間、この基地の戦力は大幅に落ちる。 宇宙軍もこれ以上の支援は送れないといってきていることだし。 「憂鬱そうですね、艦長」 「ええ、まあ。 でも、ナデシコに居たころはもっと忙しかったですから」 でも、あの頃は充実していたと思う。 悪く言えば緊張感がない、良く言えばお気楽……いや、これじゃあ、どっちも悪口だ。 まあ、とにかく艦長からしてユリカだったわけだから、無理もないけど。 考えてみたら、日常の雑務はほとんど僕がやってたわけで……いや、ユリカにやらせる方が怖いけど。 もしかして立場変わってもやってること同じ!? 「……大変そうですね、艦長」 思い出して悶絶の一歩手前という状況のジュンにやや引きつつ気休めを口にしてみた。 そんなものでも効果はあったのか、現実へ回帰させることには成功したようだった。 「ああ、すいません。 話の途中でしたね。 それで、用件というのはなんでしょう、タカバ副官?」 「いえ、なに。 ちょっとした親睦会ってやつですよ」 ○ ● ○ ● ○ ● 3日ぶりに吸うシャバの空気は格別だな、と言ったら、 衛兵は「それなら、また上官をぶん殴りたくなったら来てください」と冗談交じりに答えた。 それから、見事な敬礼をシュンに対して行う。 営倉入りは久しぶりだが、別段、初めてと言うわけではない。 出世などと言うものから縁が遠くなって久しいからといって営倉で何日も過ごしたいと思うわけではないが、 ただ、メシが美味かった。 誰かが気を利かせたのか、差し入れられた食事は基地内の場末のレストランで出されるようなものではなかった。 どこから仕入れたものか、和食まであったのは驚いた。 シュンが営倉入りを命じられたのは、宿営地 ――― ケルンの仮設基地で、直属の上官を痛罵した挙句にぶん殴ったからだった。 彼の行為は軍法をどれだけ好意的かつ柔軟に解釈しても立派な違反行為だったが、下された処罰は3日の営倉入りだけだった。 理由は明確で、幕僚はおろか、師団長ですらシュンの意見に頷ける部分があることを認めていたからだった。 シュンから見事な右ストレートをもらった基地司令は、平時の基地の管理維持には有能であったが、指揮官としては優柔不断に過ぎた。 言うなれば、シュンはネコの首に鈴をつけたネズミとして、影ながらの賞賛を受けたのだった。 また、兵士たちは高級仕官たちよりはよほど素直に大隊長を称えた。 迎えに出たタカバ・カズシ大尉は軍用の高機動車でシュンを宿舎(と言ってもごく簡単な組み立て式の建物)の 居室に送り届けると、そこで待ち構えていたマコトと共にシュンを風呂へ放り込んだ。 手入れを放棄されていた無精髭まで剃らせると、カズシはいつもより格式ばった口調で告げた。 「連中、ちょっと戦争をしてきたもので、いい気になっています」 何かの冗談かとも思ったが、質問を口にする前にカズシは続けた。 「だらけ具合を確認していただきたいと思いまして。 すでに召集はかけてあります」 ただでさえ日本人の平均身長を大きく上回る彼が背筋を伸ばして直立不動の姿勢を維持したままというのは、威圧感が先に立つ。 それに気おされたわけではないが、言われた通りに着替えようとする。 要するに、この付き合いの長い副官は、シュンに閲兵式まがいのことをしてくれと言うのだった。 「少佐、恐れ入りますが、第1種軍装でお願いします」 不気味なほど丁寧な言葉遣いをするマコトが、そう言って白地に青をあしらった軍服を差し出してきた。 シュンが着ようとしていたのは、基地内での普段着とでも言うべき、第3種軍装だった。 第1種軍装は、いわゆる礼服にあたるもので、式典以外では着ることはめったにないため、シュンは妙な顔をした。 しかし、確かに2人は第1種軍装を着ている。 そして、その20分後にはシュンは大隊の生存者と一部カキツバタのスタッフも含めた327名と宿営地のはずれで向かい合っていた。 シュンが位置につくと同時に、彼らは捧げ筒を行った。 まさに教範通りの、一部の隙もない姿だった。 生身の兵士たちの横には、激戦を生き残ったエステバリスとスノーフレイクが同じような姿勢を維持している。 点呼が始まった。 カズシは永久に失われてしまった者たちの名も呼んだ。 返答は、死者たちを知るものが代わって行い、点呼は進んだ。 生者と死者は今や一体となって目の前にあった。 シュンも、この異例の行事が持つ意味を理解した。 哀れをもよおすほどに陣容衰えた第13機甲戦闘団の兵たちは、表現しえる最高の敬意と感謝、 そして忠誠を示しているのだった。 彼らの隊長は、同じく教範通りの見事な敬礼を返し、生者に対してはただ一言、ありがとうと告げ、 死者に対してはわずかな黙祷を送ってから「 諸君は義務を果たした。 眠れ」としめた。 普段の彼は一、二を争うほど敬礼の下手な男として知られていた。 カキツバタからの代表として参加していたジュンは、それだけのものを兵からかちえた男に素直な敬意を抱いた。 その後はささやかな酒宴が催された。 基地内の食堂ではなく、カキツバタと基地の整備班が即興で作った露天の食堂だったが、食事に関しての不満は出なかった。 カキツバタに装備されたナデシコ以来の伝統と言われる“無駄に豪華な”福利厚生施設と、スタッフのおかげだった。 「オオサキ少佐」 ジュンはある意味でこの宴席の主役であるシュンに声をかけた。 非番の者が多かったため、アルコールの類も解禁されている。 シュンが飲んでいたのはフランス製のブランデーだった。 「アオイ大尉……いや、少佐になったんだったな。 昇進おめでとう」 「戦時の緊急昇進ですから。 いくらカキツバタが臨時編成に近いとはいえ、 大尉に戦艦を指揮させると言うのは問題があると思ったんでしょうね。 でも、ありがとうございます。 そして、生還おめでとうございます」 「大隊の半数が失われた。 俺の指揮は決して誉められたものじゃない」 アルコールを摂取したせいか、シュンの口調は砕けたものになっていた。 ナデシコに長く居たせいもあって、そんなシュンの態度は好ましいものに思えた。 「それでも、多くの人たちが助けられました」 「ありがとう、艦長。 そう言えば、助けられた礼もまだだったな。 本当に、ありがとう」 親子ほども年齢の違うシュンに頭を下げられると、逆にこちらが恐縮してしまう。 良家の子息として培った礼節を崩さない範疇で態度を緩め、ジュンも答えた。 「ナデシコに乗っていたとき、火星で似たような体験をしました。 そのときは、軍の人たちが犠牲になって、だからこそナデシコは地球に戻ってこれたともいえます。 だから、というわけでもないですが、今度は僕らが救えてよかったと思うんです」 黙祷をもって、シュンは返事とした。 詳しい話は軍機に抵触するらしく、ジュンもそれ以上は言わなかった。 死者に対して生者がしてやれることは少ない。 そのせめてものことは、その想いを忘れずにいることだ。 そして今は生き残ったことの喜びをささやかな乾杯と共に分かち合った。 アキトは多忙を極めていた。 カキツバタのスタッフに混じり、食事の用意を手伝っていたためだ。 戦闘以外で、何かできることを、と言う思いがそうさせていた。 「ヘル・テンカワ。 君に客人だ」 英語で言うところのミスターに当たるヘルというドイツ語混じりの日本語で呼び止められたアキトは手を休めた。 呼び止めたのはネルガルドイツ支社のスタッフであるニコラス・シュトロハイムだった。 今のアキトの愛機を担当していることもあり、カキツバタのスタッフの中では比較的親しい。 ただ、時々(と言うか日常何かにつけて)ドイツ贔屓で奇怪な言動が問題だった。 今もビールにラーメンと言う、日本人であるアキトから見れば珍妙な組み合わせの食事をとっている。 曰く、『ブァカ者がァア! ドイツの技術は世界一ィ!! ババリア地方特産の小麦を原料にィイ! このヴァイスビアは作られておるのだァア!!』らしい。 まったく意味不明だが。 「女性……しかも日本人のようだが、カキツバタのスタッフではないようだ。 君の個人的な知り合いかね? それもごく特別な」 「シュトロハイムさんが何を言いたいのかわかりかねますが……違います」 「残念だ」 なぜか落胆するシュトロハイムは無視してアキトは対応に出た。 彼に答えた通り、カキツバタのスタッフ以外に個人的な知り合いは欧州には居ないはずだ。 この世界では、まだ。 微かな痛みを訴える胸を抑え、天幕を出る。 後悔しないためにこの地へ来たというのに、未練がましいことに自嘲する。 「えっと、お待たせ」 「いや、忙しいところをすまない」 客と言うのは確かに女性で、加えて言うなら日本人らしかった。 あるいはハーフ(どこの血が混じっているのかまでは判別できないが)かもしれない。 よくよく見てみると、顔立ちはやや日本人離れしている。 が、どことなく見覚えもあるような気もする。 あるいは前回や前々回で会ったことがある? でも、こっちではまだ会ってないはずだ。 だとしたら、誰? そんな思考が表情に出ていたらしい。 相手の女性は微笑を浮かべて言う。 「会いにくる女性の心当たりが多すぎるのか、君は?」 「あっ、いや……どこかで会ったかなって」 「酷い男だな。 そう言っても、通信機越しだったけれど」 戸惑うアキトを見て、女性はさらに笑みを深くした。 アキトの反応を純粋に面白がっている、と言う反応だ。 「改めて、名乗らせてもらう。 ブラボー・シックスこと、オオサキ・マコトだ。 階級は少尉。 よろしく、テンカワ・アキトくん」 「ああ、あの時の!」 「思い出してくれたようで何より。 それと、助けてくれてありがとう」 確かにカキツバタから支援に向かった中隊の指揮官が『ブラボー・シックス』の符丁を使っていた。 アキトとしては助けられたと言う事実が重要なのであって、助けた相手のことはそれほど詳しく聞いていなかったのだが、 その名前は二重の意味で驚きだった。 「女の人、だったのか」 「……ほう、何だと思っていたのか聞きたいね」 「あっ、いや、そんな意味じゃなくって」 「なんなら確認させてあげても私は一向に構わないのだが?」 「一応確認しますけど、何をですか?」 「どうやら君は私が女だと言うことに疑いを抱いているらしいので、それを」 「結構です」 「即答か。 悲しいな。 私は女としての魅力にすら欠けるというわけか」 「そんな意味じゃなくって、俺は、その、こ、恋人が日本に居ますから」 「ここは欧州だ。 問題ない」 「あります! 大ありっす!」 「若いのに堅いね。 それは下半身だけに留めておくように」 「親父ギャグ!?」 狼狽するアキトと、それを面白そうに見るマコト。 会話は日本語で行っているため、周囲の人間にはわからないだろうが、カキツバタのスタッフの中には日本人や スタッフとの意思疎通の関係で日本語を解するものも居るだろう。 聞かれたらマズイ。 絶対にマズイ。 回りまわって、テンカワ・アキトは欧州で女をたらし込んでいるなどという話が ネルガルスタッフ経由で日本のユリカやルリに伝わったら……。 天然ボケをかますユリカはともかく、ルリがなんと言うことか。 いや、それ以上に、ユリカの父親であるコウイチロウの反応が怖すぎる。 「冗談」 「はい?」 「だから、冗談。 反応が面白くて、つい」 「つい、で人を追い込まないで下さい」 『にこにこ』というより『にんまり』と言う笑みを浮かべるマコトを見て、アキトは確信した。 どうでもいいことで、確信できてしまった。 この人、絶対にシュンさんの血縁だ、と。 きっとカズシさんの気苦労も倍になっているに違いない。 アキトの想像はまったくの的外れと言うわけでもなかった。 ある意味で想像を上回っていたと言えなくもない。 営倉を出てさっそく問題を起こしかけていたのだから。 「シュン? 久しぶりだ」 「タクナか! 3、いや、4年ぶりか」 ササキ・タクナ大佐はシュンとは士官学校の同期だった。 しかし、シュンの方は一介の少佐で、使い捨てされるような部隊の隊長なのに対し、 ササキ大佐は現第1機動艦隊の参謀長で、機動艦隊の司令長官として辣腕を振るうクロフォード中将のブレーンだ。 立場の違いを思い出し、やや態度を改める。 「いや、ササキ大佐と呼ぶべきか? なぜ欧州に?」 「よせ、他人行儀な。 昔と同じでかまわん。 俺は宇宙軍の作戦調停役さ。 それに、カキツバタのこともある」 その言葉で納得した。 カキツバタが欧州へまわされたのは、先のクルスク戦が原因にある。 第7軍の撤退と言う目的は達したものの、宇宙軍は多くの艦艇を喪失した。 その中には本来なら欧州方面の支援に回されるはずのものも含まれている。 要するにカキツバタはその穴埋めと言うことだ。 「第1機動艦隊は欧州での反攻作戦にも関わる予定だ。 近々、そのために部隊の大規模な再編成が行われるはずだ」 「おい、いいのか?」 さすがに人目をはばかる。 酒が入っているとはいえ、軍機を漏らしたとあっては、処罰必須だ。 「安心しろ。 軍機ではない。 むしろ、広報部は大々的に宣伝するだろうな。 軍は人々を決して見捨てないと言うように」 「なるほどな。 希望は必要と言うわけか」 「まずは民衆の支持が必要だ。 欧州では軍への不信感が蔓延している。 誰もが長すぎる戦乱にうんざりしているのさ。 反攻作戦にはAGIやネルガルの支援もあるはずだ」 「支援?」 ササキ大佐は頷き、後ろに控えていた女性を示す。 「彼女もAGIのスタッフだ」 それはシュンにも見覚えのある顔だった。 先の作戦のときに直に会って、話もした。 「確か、フィリス君か?」 「はい。 お世話になりました」 以前見たときと同じ白衣姿だが、胸にはAGIの社員章と軍のIDガードをつけている。 「彼女は医療スタッフだが、他にも技術スタッフも派遣予定だ。 AGIだけでなく、ネルガルもそれは同様だ。 今のところはカキツバタと機動兵器が1機だけだが」 「例のアレか」 現状でネルガルからは開発コード<シュバルツフォルケ>と呼ばれる新型エステが参加していた。 まったくのエステバリスと言っても、アサルトピットから新設計の新型で、 スノーフレイクに対抗すべく計画されたAV−Xと呼ばれる新型フレームの一種だった。 実戦での性能は試作機だけにまったく未知数だが、少なくとも初陣で中隊を救ったのは事実だ。 「それはありがたい話だ。 だが、わからないのは、なぜ俺に……」 相手の意図を測りかねて、シュンが問いただそうとしたときだった。 「ああ、オオサキ少佐! 生還できてなよりだ」 「……バール少将」 露骨にシュンが表情を固くする。 何でここに居るのかと言う態度を隠そうともしない。 「アフリカ方面軍からの増援だよ。 同じ連合軍同士、協力し合わねばな」 尊大な態度だが、それが嫌味以外に思えない男だった。 かつてアフリカ方面軍に居たシュンが欧州へ移籍(実質的には左遷)される原因となった男でもある。 そして、 「貴様、よくもノコノコと……」 「オオサキ少佐、私の言葉聞こえなかったのか?」 奥歯が砕けるほどにきつくかみ締める。 ギリギリと言う不愉快な音が脳髄にまで響くようだ。 「ササキ大佐、クロフォード中将はなんと?」 「欧州での反攻作戦は宇宙軍をはじめ、各軍の連携が必須と」 「では、そのようにしようではないか」 バール少将はそう言って機嫌よさげに一同を見回した。 ササキ大佐からシュン、カズシの視線で人が殺せるなら、軽く10回は八つ裂きにできそうな視線を流し、 最後にフィリスのところで視線を止めると、おもむろにその胸元へ手を伸ばした。 フィリスがぎくりと体を強張らせると、にやりと笑って、 「徽章が曲がっているようだ」 そう言って、その下を指で押した。 「俺にはそうは見ないがな」 シュンが冷ややかに告げる。 「少将は目がいいようだ。 そのうえ手も早い」 「少佐、君は目が悪い上に口も悪いな」 「私にはフィリス君が若くて美人には見えるが、徽章が曲がっているようには見えない。 少将は女性に評判が良くないと聞いたものでね。 失礼、私は耳も悪いようだ」 むっとしたらしいバールは、それでもすぐに笑顔を……下心“しか”見えない笑顔を浮かべた。 「覚えておこう、少佐。 ドクター、これからは徽章その他に注意したまえ」 フィリスは答えず、自分の体を抱きしめた。 「少将、彼女は医者として有能だ。 それで十分だと私は思うのだが?」 ササキ大佐が割って入る。 興を削がれたとばかりにバールは最後に軽く視線を投げて去った。 「感謝します、オオサキさん」 バールが去ると、安堵のため息を漏らしたフィリスが小声で言った。 「あの少将、そういう方面で有名なんですか?」 「聞こえないな。 私は耳も悪いんだ。 聞いていただろう? 目には自信があるんだが」 と、微笑を浮かべる。 「せっかくの酒がまずくなったな。 シャンパンでももらってくるか。 フィリス君も何か飲むか?」 「はい、ノンアルコールのものがあれば」 「……隊長、飲みすぎですよ。 いくらなんでも控えないと、倒れますよ?」 カズシの言葉に、シュンは嫌そうな顔を顔をした。 大の酒好きに、この心境で控えろと言うのは無理な相談だ。 「なに。 倒れたら近くに医者はいることだし。 あと一杯だけだ」 フィリスはササキ大佐を伺った。 大佐が頷くと、フィリスはシュンについていく。 2人が人ごみに消えてから、ササキ大佐は呟いた。 「命拾いしたな」 「ええ、まったくタイミングが悪い。 バールのやつをぶん殴ってまたすぐに営倉行きじゃシャレになりませんからね」 「いや、あの少将のことだ」 意味を図りかねたカズシに、ササキ大佐は小声で耳打ちする。 「フィリスのフルネームは、フィリス・クロフォードだ」 「それは聞きましたが……クロフォードって、まさか?」 「ああ、ファルアス・クロフォード中将の姪にあたる。 今はAGIのスタッフだが、以前にいろいろあってな。 中将もあれで親馬鹿……ではないな、叔父馬鹿だからな」 本人は否定するかもしれないが、それは間違いない。 たぶん、第3艦隊のミスマル中将といい勝負だ。 あるいは、欧州方面軍のグラシス・ファー・ハーデット中将とも。 実際、ファルアスは欧州の前線に赴くことに最後まで反対していたし、護衛までつけている。 『もし彼女が精神的、あるいは肉体的苦痛を感じるようなことがあってみろ。 それが男との問題なら、相手をミサイル発射管に詰めてBAKA Bombに仕立てて蜥蜴どもの艦隊に突っ込ませてやる! 英雄として名誉の戦死というやつなら、本望だろう』 とまあ、つまり、そういうことだ。 バール少将のセクハラを報告したら本気でそれくらいはやりかねない。 そうしたら2階級特進でバール大将か。 似合わないことこの上ない。 「だから、タカバ大尉。 君も注意して欲しい。 だが、特別扱いは彼女の望むところではない。 したがって、君らの隊長にも内密に」 聞かなきゃよかった、と思っても遅い。 おそらく、ササキ大佐はきっちり彼を巻き込むつもりだったのだろう。 やはり、クロフォード中将のブレーンは伊達ではない。 キリキリと胃が痛み出すのを自覚しながら、カズシはそう思った。 それよりさらに一週間後、無能な基地司令は後方への転属が決まった。 これで彼は有能な軍務官僚として手腕を振るう機会を得たのだった。 対するオオサキ少佐は中佐へ昇進。 新たにカキツバタとその艦載機を含めた第13独立機甲戦闘団の司令に任命された。 現在は再編成と機種転換訓練に追われる毎日となっている。 事情を知る高級仕官たちの誰もがこの“昇進”の事情に関しては察していた。 カキツバタはナデシコ級は最強の戦力であると同時に、同類の宇宙軍からもある種の厄介者として認識されていた。 共同作戦を持ちかけられた陸軍にとっては邪魔者以外の何物でもない。 同時に陸軍にとってのオオサキ“中佐”も異端児だった。 有能ではあるが、非常に使いにくい面倒な男と認識されていた。 少なくとも自分を罵倒しかねない部下を使いたがる高級仕官はいなかった。 カキツバタを旗艦とする第13独立機甲戦闘団は独立遊撃部隊として運用されることが決定していた。 かつてのナデシコの役割を引き継ぐように各地の激戦地を転戦することになるだろう。 この昇進は、いわば飴と鞭の『飴』なのだ。 ともかく、当事者たちはともに栄転と言う形になった。 無能な基地司令は有能な官僚に変身し、厄介な隊長には新しい玩具が与えられた。 以上をもって、軍の規律は見事に保たれた。 現地指揮官の誰も経歴に傷がつかなかった。 皆満足し、幸福感を覚えた。 あとは木星蜥蜴の無人兵器群と闘い、勝利すればよいだけだった。 軍の規律や関係者の規律を守ることに比べれば、なるほど気楽なものだった。 ただ、勇敢にして有能であればいいだけなのだから。 ○ ● ○ ● ○ ● 欧州における戦いはなにも人と機械だけではない。 ある意味で最も原始的な、人と人との生存競争があった。 それに比べれば木星の無人兵器と連合軍の戦いはまだ単純だった。 味方でないのなら、敵に決まっているからだ。 欧州情勢を複雑化させているのは、AGIとネルガル、クリムゾンの企業間対立が原因だった。 直接的な暴力による対決がないだけに、裏側の諜報戦、妨害工作、その他開発競争は熾烈を極めた。 まず表立って現れたのは開発競争だった。 当初はバッタを初めとする無人兵器群へ対抗すべく開発されたエステバリスは、その当初の目的を逸脱しつつある。 ナデシコとの共同運用(というか、DFの展開によって使用できなくなる近接防空火器の代替)としてのエステバリスは当初から陸軍への提供量は少なかった。 単体の兵器としてみた場合の侵攻能力の欠如が陸軍の機甲部隊戦術に合致しなかったためだ。 もっとも、その点はサマースノーにしてもまったく同様だったと言える。 従って、欧州におけるAGIとネルガルの優劣を分けたのは、まったくもって政治的な理由であった。 AGIにとって幸運だった(あるいはネルガルにとって不運だったのは)ナデシコの初期の動きが、連合軍と対立してしまったためだ。 ネルガルにとってまったく意外だったのは、連合軍が一時はネルガルとの協調関係をまったく打ち切ってしまったことだった。 合理的判断を下すなら、連合軍はネルガルの協力が不可欠であった。 何しろ技術において敵に劣り、数において劣り、戦術において圧倒されていたのだから。 唯一、勝っていたのは戦略の有無であったかもしれない。 木連は実質的なトップである四方天と、旧来からの支配者である元老院の対立により、明確な方針を打ち出せないままいた。 四方天には今の木連を支えているのは自分たちだという自負があった。 一方の元老院は木連をここまで発展させたのは自分たちだという誇りがあった。 そして、厄介なことにそれは共に真実だった。 ゆえに木連の戦略方針は定まらず、ただズルズルと戦術的勝利を重ねたまま貴重な時間を浪費するに終わった。 連合軍も混乱は確かにあった。 ただし、彼らの場合はひたすら反撃の準備が整うまで耐える守勢防御に徹するという明確な方針があった。 そのために彼らは徹底して抗戦を続けた。 負ければ全滅以外ありえないと言う強迫観念がそれをさらに助長した。 だから例え面子の問題からネルガルの協力を打ち切ってでも戦い続ける必要があった。 矛盾するかも知れないが、それが連合軍の方針だった。 初期の軍にとって、AGIはそのための代替に過ぎなかったのだ。 しかし、激戦区となった欧州では太平洋・大西洋の通商レーンが破壊されたこともあり、 欧州に拠点を置くAGI以外に有効な戦力を提供できる組織が存在しなかった。 ナデシコ級への対抗としてAGIが建造していたドレットノート級は2隻で建造を打ち切られたものの、 機動兵器に関しては欧州陸軍は全面的にAGIに頼るようになっていた。 それは機動兵器単体としては卓抜した能力を誇るスノーフレイクが開発されたことによって不動となる。 エンジン搭載や高性能エレクトロニクスによるスタンドアローン能力、エステで言われ続けた打撃力の不足は レールガンの標準装備、各種ミッションパックの武装で完全に解消された。 いずれもDF外での移動砲台であればよかったエステバリスには不要と考えられたものばかりだった。 陸上での活動を考慮されての人型ではあったが、それもナデシコとの運用が前提であった。 火星の施設内での活動を考慮した6mという頭頂高も発展性を阻害する結果となってしまった。 (スノーフレイクに限らず、スノー系は発展余剰も考慮して当初から7m級としている。 当然ながら、体積的にはエステに比べて2割り増しで、施設内での行動は著しい制限を受けた) 要するにバッタに対抗できればよかったエステと、当初からエステに対抗すべく設計されたスノーフレイクの差がここに来てでたのだった。 機動兵器として機甲兵力の中核となるべく開発されたスノーフレイクは、性能面で確かにエステを圧倒していた。 ただ、エステにそこまで求めるのは酷と言うものだ。 エステとスノーシリーズではそもそも運用の大前提が異なるのであって、本来は比べられる類のものではないからだ。 理想を言うなら、相互補完的な運用をするのが一番望ましい。 しかし、各々の背景がそれを許さなかった。 ネルガルは火星の遺跡の確保という目的から、連合軍と袂を分かち、軍は面子からネルガルの協力を拒否。 AGIは主要メンバーがかつてのマシンチャイルド計画の被験者という事情から、ネルガルを(主に感情面で)嫌悪し、 ネルガルは自らのシェアを脅かすライバル企業としてAGIを敵視していた。 クリムゾンと他の2社との対立は今さら言うまでもない。 ただ、この戦争においてはクリムゾンは木連よりの立場をとっていた上に、 虎の子だったステルン・クーゲルはスノーフレイクの登場によって、試作機の完成段階であっさりと陳腐化してしまった。 欧州における影響力は3社のうちで最低レベルになったといえる。 次点の明日香インダストリーはAGIと協調する方針を打ち出した。 よって、ネルガルに残された道は2つ。 明日香インダストリーのようにAGIとの協調路線をとるか、あるいは真っ向から対決するか。 そして、選択したのは後者だ。 バッタに対抗すべく開発されたエステの恐竜的進化はここに始ったといえる。 元より木連の一式戦が実戦投入され始めたのも一因としてある。 まず考えられたのは、従来機の強化。 これは各種フレームの改修によってなされ、一定の成果を挙げた。 量産型の決定版といえるエステバリス2がこれにあたる。 次に考えられたのは、新型フレームの開発。 スーパーエステはこの過程で開発された。 出力系統の改善、重力波変換ユニットの換装、アサルトピットも新型とすることで従来機を総合的に上回る性能を獲得している。 スノーフレイクを上回るレールカノンの装備も可能としたことで、火力はさらに増した。 ただし生産数は少なく、また、母艦からのエネルギー供給が不可欠と言う問題は解決していなかった。 そこでまったくの新設計による次世代型の機動兵器を開発すると言う結論に至ったネルガルは、 それを会長の直接指揮の下、社運をかけて取り組んでいると言うのが現状だった。 欧州にカキツバタと共に配備されたシュバルツフォルケはその第1号。 フレームからして新素材を多用し、機体剛性を高めつつ重量を維持することに成功していた。 他にも装甲の強化、新兵器であるDFSの装備、極めつけは高度なスタンドアローン能力が付与されたことだ。 単に外部動力に頼らなくなったと言うだけではない。 高度なアビオニクスを搭載することで、単独での情報処理能力が格段に上がっているのだ。 今までは火器管制や機体制御までも母艦とのデータリンクに頼っている部分が多かったのだが、 それを敢えて単機で完結した情報処理系を確立させている。 この手法は、単体での行動範囲が広くとれるという利点はあるが、逆に機体システムの複雑化・大型化を招き、 さらには母艦に比べてどうしても処理能力が劣ると言う欠点がある。 (と言うか、欠点のほうが多い、非常に効率の悪いシステムといえる) しかし、クルスクでの戦訓から、オモイカネに依存しすぎるシステムは、大元が断たれると脆いという欠点をさらけ出したがために、 現実的な要求として欠点の多いこのシステムを採用せざるを得なかった。 他にも動力の問題に至っては何を考えているのか、担当者を小一時間問い詰めたくなるようなシステムだった。 そのシステムとは装甲にバッテリーを兼ねさせる。 あるいはバッテリーに装甲を兼ねさせると言うもので、 人間の脂肪のように、高分子ポリマー素材のバッテリーを装甲と駆動系の間に敷き詰めるというのだった。 この頭痛モノのアイデアは半ば自棄で実行に移され、そして成功してしまった。 複合装甲のように、たとえDFを貫通し、強化プラスティックと硬化樹脂、カーボンコンポジットの装甲を抜けたとしても、 その後に控える高分子ポリマーが、運動エネルギーを吸収してしまうため、極めて防弾効果に優れることが判明したのだ。 実際、シュバルツフォルケの正面装甲は、DFさえ正常ならスノーフレイクの40mmレールガンにすら距離1700で耐えた。 シュバルツフォルケを開発したのはネルガルドイツ支社だが、その担当であるシュトロハイム氏曰く 『ドイツの技術は世界一ィィ! 不可能はなぁぁい!!』らしい。 スノーフレイクのように高出力エンジンが開発できないが故の苦肉の策の第2弾が功を奏したのだった。 だが、まだ足りない。 スノーフレイクの優れた点は、汎用性の高い本体にミッションパックと呼ばれる用途に特化した装備を組み合わせることであらゆる戦況に適応できることだ。 同様のことはエステバリスでもフレーム換装によってなされるが、スノーフレイクのミッションパックは、 エステのフレームに比べれば安価で、しかも野戦交換が可能な代物だ。 本体そのものはエステより高価であっても、総合的見ればまだ安くつく。 スーパーエステの生産が伸び悩んでいるのも、コストの問題があるからだ。 そして、単一のフレームしか持たないスーパーエステでは特殊任務に対応できない。 現在のシュバルツフォルケ単体では、強化されたスーパーエステ程度でしかない。 開発コード<ブラックサレナ>と、他の試作機との連携があって初めて次世代機を名乗ることができるだろう。 そのためには…… 「お待たせいたしました」 丁寧だが、愛想の欠片もない男の声で、アカツキは思索を中断した。 いつの間にか、自分が思考に没頭していたことを確認し、苦笑。 「お待たせ致しました。 お爺様のパーティー以来ですわね。 改めて、名乗らせて頂きます」 涼やかな少女の声に、また先程とは別種の笑みを浮かべる。 東洋的無表情と揶揄される、軽い微笑。 「スカーレット代表取締役のアクア・クリムゾンです」 「アカツキ・ナガレです。 今日はお互いにとって良き話ができると思います」 「わたくしもそう願っておりますわ」 欧州情勢は複雑怪奇。 そのひねくれたゲームのイスにつこうという少女を見て、アカツキは思った。 さて、彼女は敵でもなく、現状では味方でもないなら、果たしてなんと呼ぶべきだろう? <続く>
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管理人の感想
黒サブレさんからの投稿です。
いやぁ、実に父親似の娘さんで(苦笑)
到着早々、マコトに弄ばれてますな・・・ま、中身が全然成長しない男だしなぁ。
しかし、ここでバールの登場ですか?
う〜ん、きっとさんざん前線を引っ掻き回して、風のように去っていくんだろうなぁw