時ナデ・if
<逆行の艦隊>

第23話その4 アオイ艦長の事件簿〜英雄の条件〜







「銃弾が見つかったわ」

テツヤの仮住まいに泊まった次の日の朝食時、焦げ目の付いたトーストにバターを塗りながらライザが告げた。
このメンバーの中で曲がりなりにも料理と名の付くものができるのはチハヤと、あとは意外なことにテツヤだけだった。
ジュンはできないことはない、米を炊いて味噌汁くらいはというレベル。
軍隊のメシはまずいことで有名だが、ナデシコではその逆にやたらこの手のことに気を使っていたために
自分では作る必要もなく、必要に迫られなかったために覚えることもなかった。

「なんですって?」

ジュンはプレーンオムレツを切り分ける手を止めて聞き返した。

「バール少将の銃から発射された銃弾がみつかったの」

「それって……」

今まで問題だったのはバール少将の撃った銃弾が見つからなかったことだ。
弾倉には3発の不足があり、クレイトス大尉の遺体にも3つの銃創があった。
それ故にジュンは大尉を撃ったのはバール少将であると推理。
また、マコトが所持していたクレイトス大尉の銃の弾倉にも2発の不足があり、
バール少将の体内から摘出された2発の弾丸の旋条痕がこの銃のものと一致。
このことからバール少将とクレイトス大尉が撃ち合い2人とも死亡、マコトはその現場に後から来ただけと結論付けた。
しかし、

「見つかったのは3発。 2発には血液と細胞片が付着していたからクレイトス大尉の体を貫通したと見て間違いない。
 だけど、最後の1発はまったく見当違いの方にあったわ。 もちろん、血痕もなし」

「1発は外れていた? でも、大尉の遺体の銃創は3箇所あって、あれ?」

「致命傷になったのは心臓への1発。 残りは肩と足にあたってるわね。
 バール少将が撃った3発のうち、当たった2発が後者だとすると、大尉を殺害したのは別人になるわ。
 つまり、オオサキ中尉の『大尉を殺したのは私だ』っていう証言も頷けるのよ」

「そんな……」

愕然とする。 自分の推理がほとんど物的証拠を伴わない推論の域だとは承知していたが、
わずか一晩でこうもあっさり覆されてしまうとは思いもよらなかった。

「いや、問題が増えたな。 オオサキ中尉の銃に発砲の痕跡はないんだろ?
 これは中尉の証言を裏付ける証拠というよりも、第三者の可能性を考えた方がよくないか?」

「第三者?」

「バール少将でも、オオサキ中尉でもない誰かが大尉を殺した。
 2発の銃弾は肩と足に当たったなら、大尉はほとんど動けなかっただろうしな。
 バール少将の撃ったの弾が心臓に当たってたって事も考えられるが、それはそれで3発目は肩か足になる。
 くたばってる奴の肩か足を撃つ理由なんてのは思いつけないから、やはり3発目が心臓に止めってことになるんだろうな」

ジュンの脳内を疑問符ばかりが飛び交う。
いったい、真実がどこにあるのかまったくわからなくなってきた。

「なんなんでしょうね、これって?」

「何が言いたい?」

「わからなくなってきたんです。 ええ、混乱してるのかも。
 はじめは3人だけだった。 それが今は顔も見えない第三者が加わりそうで。
 考えられる可能性は、事故か故意の殺人かとも思いましたが、いまは謀殺かもしれないと思ってる」

「はっきりしないな」

「ええ、まあ。 探偵役にはつくづく向かないと思いましたよ。
 自信満々で推理しておいてこの様ですから」

「じゃあ、やめるか?」

「……正直、敵がはっきりしているだけ戦争の方が楽とも思います」

「やめるんだな。 目を瞑り、耳を塞ぎ、口を閉じていればいずれこれも終わる。
 そのうち憲兵か、SIFか、警察がそれなりの結論を持ってくる。
 必要なのはそれを受け入れる覚悟だな」

「かもしれません。 でも、僕は捜査のために呼ばれたんでしょう?
 なら、続けましょう。 僕が士官学校でいかなるときも任務を放棄するなと教えられました。
 状況がどんなに絶望的であっても。 ええ、だから続けましょう」

ジュンは言った。 そして選んだ。
このときに、確かに選んでしまった。
悲劇への道を。


○ ● ○ ● ○ ●


現場となった道はテープで隔離されたままだった。
降り続ける雪の影響を受けないように天幕さえ張られている。
軍服姿のジュンとあからさまに堅気でない雰囲気のテツヤに不審げな表情をした憲兵だったが、
2人が許可証を見せると、友好的とはいえないまでも態度は和らいだ。

「発見当時の写真は残っていますが、調査やなんだかんだで人が入りましたから」

そう言って通された天幕の中は確かに多数の人間が歩いた足跡が残されていた。
しかし、遺体は運ばれたために残っていないが、生々しい血痕すら残されている。

「発見時の写真は撮ってありますよ。
 これです。 どうぞ」

写真といっても昨今で主流の画像データ形式ではなく、古き懐かしきフィルム形式のものだった。
いまどきこんなものを使っている理由は、データと違い画像の加工が手間であり、
捏造した場合はデータと比べて改ざんの痕跡を見破りやすい、今となっては一般ではほとんど使われないために、
使っている場所を特定しやすいなどの捜査上の機密保持のためだった。

ジュンとテツヤはそれを一枚一枚確認していく。
ひどく面倒な作業だったが、本来の捜査とは地味なものだ。
名探偵が一人で解くような複雑怪奇なトリックではなく、まずは犯人候補を探さねばならない。
得られる情報は初動捜査と人海戦術による聞き込みのものが大半だ。
2人でできることなど憲兵の情報をこうしてよこしてもらう程度か。

「3人以外の足跡は?」

「ここと、ここにありますよ。 確認したところ発見者の酔っ払いのものでした。
 もともと人の少ない裏道でして、それに当日は雪が降っていましたから」

つまり、第三者が大尉を撃ったとするならば、足跡さえ残さなかったか、
近付く必要のない遠距離狙撃を行ったことになる。

「狙撃の可能性は?」

「正気か? 雪の降っている夜間の狙撃だぞ。
 ここは細い路地だから角度的に狙えるのは正面か後ろからだが、状況から見て正面からのものになるだろうな。
 それにしても路地の入り口は大通りに面している。 気づかれないでというのは無理だな。
 建物を使うのは遠すぎる。 ざっと400mってのは風のない昼間に専用の狙撃銃でやれば集弾は10cm以内にする自信はあるが、
 雪の影響と夜間の悪条件を考えるとほとんど不可能だな。
 5.7mm弾は軽すぎて雪でも弾道がずれる。 それにこいつは短機関銃用であって、ライフル弾じゃない。
 そもそも短機関銃や拳銃で狙撃が可能だと思うか?」

「無理、ですね」

拳銃も短機関銃も遠距離で狙って撃つにはやや無理がある。
拳銃の実際の有効射程はせいぜいが10mから50m以内(素人では10mでも難しいと言われる)。
弾が届くとしてもそれ以上は的が小さくて狙えなくなるのだった。
機関銃はそもそも狙って撃つのではなく、だいたいこっちの方向と見当を付けて弾をばら撒く代物だ。
特殊部隊のCQB(近接室内戦闘)に対応すべく高精度の短機関銃もあるとはいえ、基本的に機関銃は狙って撃つものではない。
狙撃銃でも使わない限り一発で心臓を撃ち抜くのは不可能と考えて良さそうだ。
となれば、大尉を殺害した人物はやはり外しようのないほどの至近距離から撃ったと見たほうが良さそうだ。
SS290(5.7mm x 28)を使うライフルがあれば話は別だが、特注でない限りそんなものはない。
また、特注してまでそんなものをつくるくらいなら素直に既存のものを使う方がいい。

しかし、ジュンが気になったのはその事実もさることながら、さも当然のように銃器の性能を語るテツヤだった。
彼が狙撃技術を持っていることは身をもって体験済みだが、はたしてそれをどこで学んだのだろうか?
狙撃をやるのは陸軍か海軍隷下の海兵隊、宇宙軍陸戦隊の歩兵くらいのものだと思うのだが。

(……あとはSIFか)

暗殺まで任務に含まれるSIF(戦略情報軍)ならその手の技術も教えるはずだ。
あとは雪上の足跡を消す方法くらいは教えるのではないだろうか?
隠密行動が原則の狙撃手はそれくらいお手の物だろう。
狙撃ではなく、至近から撃ったとしても痕跡を残さなければあるいは……。

思考に没頭するジュンの携帯端末が不意に電子音を奏でた。
静寂を打ち破るには十分な音量に、テツヤは無論のこと憲兵たちの視線も集まる。
いや、すいませんと恐縮しながら慌てて外に出る。
表示されていたIDはオラン中佐のものだった。
昨日、去り際に個人端末のIDを教えておいたのだった。

「取り込み中だったか?」

「いえ、それほどでも。 何かわかりましたか?」

「ああ、昨日聞かれたことだ。
 バール少将のデザート・ラッツ作戦当時の配置とクレイトス大尉を調査したSIF士官の名前がわかった」

先を急がせたい気持ちをぐっと抑えて続きを待つ。
オラン中佐も詳しいデータは端末画面を見ながら話しているのだろうから、
せかしても気を散らせるだけだと思ったのだ。

「バール少将……ああ、当時はまだ大佐だったが、彼は第1機甲師団所属の第12機甲連隊で連隊長だった。
 つまり、直属とは言えないまでもジョアン……クレイトス大尉の上官だったということになるな」

「マコトさんにとっても、上官だった?」

「かなり間接的になるな。 中隊の上には大隊があり、その上が連隊だ。
 で、マコトは当時はまだ一介の新米少尉だった。 中隊の下の小隊に所属している兵士だ」

確かに、上官と言ってもまともに顔を合わせたことがあるかどうかも怪しい。
陸軍の構成単位として戦術レベルで一番大きなものが連隊。
次に大隊・中隊・小隊・分隊と細かく分かれていく。
最小構成単位である分隊は3機1組で、小隊は3個分隊つまり9機、中隊は2〜4個小隊、つまり18〜36機に隊長機、副隊長機が追加。
小隊では第1分隊の隊長機が小隊長を兼ねている。 機動兵器は戦術レベルでは概ね中隊単位を1つの駒と数えて運用されることが多い。
そしてその上に4個中隊で大隊を編成し、さらに3個大隊程度で1個連隊を編成している。

師団は3個連隊の主要兵科に各種支援部隊(連隊〜大隊規模)を加えた独立運用が可能な部隊として編成され、基本の戦略単位だった。
また、2〜3個大隊の主要兵科に各種支援部隊(大隊規模の火力支援部隊や補給部隊など)を加え、師団よりは小規模だが独立した作戦行動が可能な部隊とした『旅団』という単位もある。
これら師団・旅団をさらに束ねて4個師団以上で編成、最大で6個くらいで『軍団』を形成する。
このくらいになると、指揮下の師団に一時的に貸し出す予備部隊として直轄の独立機甲大隊や独立砲兵大隊、偵察隊などを指揮下に置き始める。
さらに2個軍団以上、最大で4個軍団くらいで『軍』。 ジュンたち第13独立機甲大隊は欧州方面軍第1軍予備の遊撃隊という扱いだった。
そしてこの軍を集めて方面軍となる。 例えば欧州方面軍は西欧のドイツ・イタリアを中核とした第1軍、イギリス・フランス中心の第2軍、
北欧の第3軍、東欧諸国の第4軍からなっている。 露骨ではあるが、精鋭とされるのは第1軍と第2軍である。
逆に後ろに行くにしたがってぱっとしない。

「一介の兵士と連隊長が顔合わせる機会があったとは思えないな。
 連隊でも2500人近い人間が居る」

「では大尉は? 彼は中隊長でした。
 少なくともマコトさんよりは機会があったかも」

しかし、オラン中佐の答えはそっけなかった。

「それもどうかな。 大隊長を挟むのが普通だろう。
 事情があって大隊長をとばして、というなら別だが」

大隊長まで戦死するような状況ならまだしも、あのときの作戦ではそこまでの損害は出ていない。
市街地において銃撃戦が多発したために軍民双方に死傷者が多発したものの、ことに軍人の死者は少なかった。
軍が戦術原則に従って圧倒的火力で制圧にかかったからだった。 いかに相手が銃を撃つことに手馴れた連中でも、
防弾ベストを身につけ、アサルトライフル、サブマシンガンはもとより凶悪な分隊支援火器や重機関銃、
果ては装甲車両や機動兵器まで持ち出した戦争屋が相手では到底かなうものではなかった。
例によって一部メディアが「虐殺」などと報じるほどに一方的に叩いた。
それは味方の損害を最小限にとどめ、敵は徹底して叩くという大原則に従ったものだったが、
一部の人権主義者にはそれが理解されなかったらしい。

圧倒的勝利。 理解なきマスメディア。 虐殺者の誹り。

(……そこなのか? 大尉が調査を受けたのは?)

「デザート・ラッツ作戦のあと、大尉に何か変わったことは?」

「変わったこと、と言えるかわからんがな。 妙な癖があった」

「なんです?」

「拳銃の初弾を込めておくんだ。 マガジンの分とは別に1発をチャンバーに込めてな。
 私は危ないからやめろと言ったんだが……聞かなかった」

自動拳銃はその機構上、弾を撃てるようにするには弾倉から薬室へ初弾を込める動作が必要となる。
装弾された弾倉(マガジン)を銃に取り付けると弾倉はバネの力で弾丸を銃の内部に押し上げる。
次に遊底(スライド)を引いて、最初の弾丸を薬室(チャンバー)に送り込む。
映画や何かでも銃身の上の部分を持ってカシャリと引いているのは初弾を装填するためだ。
このスライドの動作により撃鉄が起こされ、射撃の準備が完了する。

大尉はこの動作を省略するためにマガジンの装弾とは別に初弾を排莢口から込めていたというのだ。
本来はこの逆に銃を保管するとき、安全のため薬室に残っている弾を取り出すために使う。
銃のカタログなどで装弾数に『16+1』などと表記があるのは弾倉に16発、薬室に1発とカウントするためだ。
これは回転式弾倉(リボルバー)でない自動拳銃に共通する。

射撃準備が完了すればあとは引き金を引くと撃鉄、撃針が作動して薬莢の雷管を叩き装薬に着火、弾丸が発射される。
この時の燃焼ガスの力は弾丸を発射するのに使われるほか、遊底を反動で後退(ブローバック)させると同時に自動的に排莢を行い、撃鉄が起きる。
そして遊底がバネの力で戻ると、その際に弾倉からせり上がってきた次弾が薬室に送り込まれる。
これによってあとは弾が尽きるまで撃ち続けられるわけだ。

逆を言うと初弾が装填されていない状態では例え安全装置を外しても弾は発射されない。
そのため、暴発の危険を回避する意味でも携帯時には初弾を薬室に込めないのが通例となっていた。
撃つときは最初に安全装置を外して、初弾を込める動作が必要になるため、とっさの対応が遅れる危険もある。
しかし、軍人が拳銃を使う場面など滅多にないといっていいだろう。
アサルトライフルやサブマシンガンがある以上、拳銃は護身用でしかない。
これを使うときはもうギリギリ追い詰められていると言う状況であって、まさしく最後の武器と言ってよかった。

ちなみに弾丸が切れると、遊底は後端で停止して、機関部が露出した状態になる。これをホールドオープンと呼ぶ。
ホールドオープンは操作者に弾丸が尽きたことを教える。また、次の弾倉による再装填を高速化する意味もある。
ホールドオープンの状態で空弾倉を外し、弾丸が装填された弾倉を取り付ける。
遊底が前進し、弾倉最上部にある弾丸を銃に送り込む。
これによって「弾倉を入れ替える」操作だけで、遊底を手で引く操作なしで、初弾からシングルアクションで射撃できるようになる。

これは一般的な自動拳銃の機構であって、宇宙軍のブラスターなどは宇宙での使用、真空に晒されることも考慮して
完全なケースレス(薬莢なし)の銃弾に、カズ動作のクローズドボルト形式を採用していた。
可動部の真空接着を避けるために銃身をすっぽりと気密カバーで覆っている外観も特徴的だった。
陸軍にしてもSS290はケースレスだった。 薬莢が落ちることで不用意に音を立てることを嫌ったためだ。
元々が特殊部隊用であったという背景も関係している。 
薬莢のかわりに装薬は樹脂で固められており、弾を発射する際に燃えてしまう。
排莢動作の際にはこの燃えカスが排出されて薬室をクリーンに保つのだ。

便利ではあるが、薬莢が残っていればもっと簡単に大尉を撃った銃を特定できたはずだ。
そんなことを考えながら、ジュンは疑問を口にする。

「大尉はなぜそんなことをしたんでしょう?」

「何かに怯えていたと思う。 だからすぐに撃てるようにしていたんだろう。
 例のテロ事件が頻発していた時期でもあった」

「ああ、なるほど」

クレイトス大尉は自分が復讐の対象になると思っていた。
だからそんな真似をしたのだろう。

「中佐、もう一つの件……大尉を調べたSIF士官のことは?」

ちょっとまってくれ、と言ってキーボードを叩く軽い音がする。

「履歴と写真もあるからそちらの端末にデータごと転送するが、かまわんか?」

お願いします、と答えて会話のための通信を切る。
わずかな間をおいて今度はデータ受信を示す別のメロディーが流れる。
音まで凍りつくかのような寒々しい空気の中、澄んだ旋律が心地よい。
<受信中……>のメッセージが消えるのを待ってキーを操作。

それはクレイトス大尉の調査に関する簡単な報告書だった。
書かれていることは大して目新しかったり、特殊であったりするわけではない。
一般的な形式に従って書かれた、いかにもな感じの報告書だ。
内容を斜め読みしたところによると、大尉の受けた調査は以下の通り。

デザート・ラッツ作戦中、ジョアン・クレイトス大尉の中隊は他の中隊と共に大隊長から麻薬栽培に関わっていると思しき村の調査を命じられた。
その後、その村は予想通り麻薬栽培を行っていたことが発覚。 関係者を拘束し、取調べのために後方へ護送すべしとの命令が出た。
しかし、ここでクレイトス大尉が大隊長の命令を拒否したことから事態がややこしくなった。
軍隊で命令拒否は軍法会議にかけられてもおかしくない立派な罪だ。
命令に従えと言う大隊長と、それができないと言う大尉の間で押し問答となり、最後は連隊長のバール大佐(当時)が調停に入っている。
SIFが調査したのは実際に命令違反があったのかと言う点に関してだった。
しかし、報告書の中ではあっさりと「これは大隊長の勘違いだった」と結論付けられている。

兵たちの証言では「大隊長はよその中隊と勘違いしているのです」とあった。
彼らは調査はしたものの、関係したと思しき住民たちの姿は既になかったとのだという。
大隊長への聞き込みでも彼はそのことを認めている。

事件というにはあまりにお粗末な顛末と言えた。
報告書はだいたいこんな内容だった。
別段、告訴されたわけでもないために大した資料も残っていないのだろう。
だが、ジュンが気になったのは報告書の最後に記載された担当士官の署名。

「連合戦略情報軍所属 ――― カタオカ・テツヤ中尉」

ぞくりとした。
気温の低さ以外の何かが体の芯を凍えさせるような感覚。

ふと思い出す。
再会したとき彼はなんと言っていたか。

『ここにいるのはお前が担当する事件の取材に来ているからだ』

違う、もう少し後だ。

『 ――― まあ、どちらにしろここに用はあった』

そう、彼はこの後なんと言っていた。

『ああ、俺の妹どもが事件があった当時、近くで別件の取材活動中だったんだが……。
 まあ、なんというか憲兵に家出少女と間違えられてつかまった』

そう、確かにそう言っていた。
では、その時 ――― 彼自身はどこに居たんだ?
少なくとも妹たちと一緒に居たなら、2人が憲兵に家出少女と間違われる道理がない。

先ほどの会話でもテツヤは狙撃の可能性を否定してみせた。
それは曲がりなりにも軍事知識があればこそだろう。
では、狙撃ではなく徹底して痕跡を消した第三者が至近から大尉を撃った可能性は?
狙撃手の訓練を受けているテツヤにはそれが可能なのでは?

それに、この報告書は真実が書かれているのだろうか。
なぜ、彼はかつて自分が調べた大尉のことに今まで触れもしなかったのか?

「アオイ・ジュン、遅いぞ」

気がつくとテツヤが間近にいた。
時計を確認すると20分以上も経っている。
いっこうに戻らないジュンに痺れを切らして様子を見に来たのだろう。

「……カタオカさん」

ジュンは急に得体の知れないものに変質してしまった眼前の男を見た。
そして告げる。

「少し、歩きながら話しましょう」


○ ● ○ ● ○ ●


肌を切るような風が防寒衣の上からでも容赦なく体温を奪っていく。
こんな日でなければ人であふれているであろう通にもまったく人影がない。

「お前は寒空の下を男と2人で歩く趣味があるのか。
 俺は身も心も寒いぞ、アオイ・ジュン」

僕だって趣味じゃありません、と答えてまた口をつぐむ。
言葉を懸命に捜し、やっとのことで再び口を開いたのはさらに5分ほど歩いてからだった。

「真実とはなんなんでしょう?」

「事実とは別のものだな、少なくとも」

テツヤはジュンの漠然とした言葉にそれでも律儀に答えてきた。

「お前が聞きたいのはなんだ? 事実か、真実か」

「わかりません。 その違いは。
 だから、僕はそのままを聞こうと思います。
 クレイトス大尉と、あなたのことを」

「……調べたのか」

「元軍人とは思っていましたが、戦略情報軍だったんですね。
 死んだ大尉を調べたことをなぜ黙っていたんですか?」

テツヤは黙ったままだ。 別段、そこに悔恨だとか焦燥の色は見受けられない。

「あなたは、クレイトス大尉から何を聞いたんです?
 大尉を殺さなければならないほどのなにかですか?」

「何を言っている?」

低く抑えた声だった。 不意にジュンは懐の思い強化プラスティックの塊を意識する。
安全装置はかかったままのブラスターがそこにあった。

「偶然してはすべてができすぎています。 あの事件があった夜、あなたは現場付近に居た。
 どこに居たんですか? 少なくともチハヤさんとチサトさんとは一緒に居なかった」

「銃声を聞いてそちらへ向かった」

「なぜ?」

「何かあるに決まってるからだ」

面白くもなさそうに言って報道の腕章を示す。

「今の俺は単なる記者だ」

「そうでしょうか? 現役のSIF士官と繋がりがあるのに」

ジュンは言った。 わずかに目を伏せ、テツヤは答える。

「あいつとは個人的な関係だ。 SIFは昔にクビになった。
 ああ、不名誉除隊だ。 年金すら貰えやしない」

「僕はあなたを疑っています。 クレイトス大尉を殺したのはあなたではないかと。
 ええ、いま思い出しました。 バール少将は殺される直前に『お前たちも道連れだ』と言ってます。
 バール少将、クレイトス大尉、オオサキ中尉の接点はデザート・ラッツ作戦くらいしかありません。
 何かあったとしたらこの時だと思ってます。 そして現に大尉は調査を受けています」

いったん言葉を切って反応を伺うが、テツヤは相変わらずの鉄面皮だった。

「あなたが、調査した。 大尉から何を聞いたんです?
 僕は3人の秘密だと思っています。 バール少将はそれを漏らそうとして大尉に殺された。
 その大尉は誰かもわからない第三者に殺され、オオサキ中尉は憲兵に拘束されています。
 残った関係者はあなただけです。 僕はSIFの命令で秘密を守るためにあなたが大尉を殺したと思ってます」

「……真実っての何だと思う?」

唐突にテツヤは言った。 口元が笑みの形に歪んでいる。

「俺は事実の断片から解釈されるものだと思ってる。
 なるほどな。 それがお前の真実か」

嘆息。 白い息がわずかに留まって、薄れて消えた。

「いいだろう。 事実と、俺の真実を教えてやる」

笑みも嘆息も消したテツヤはゆっくり続けた。

「デザート・ラッツのときに俺が調査したのは死んだ大尉の命令違反に関することだ。
 報告書を読めばわかるだろうが、俺の結論はこうだ。
 やはり大隊長の命令は間違っていた」

「でも、それだけなら……」

「正確に言い直すなら、発せられた段階では正しく、届いた段階では無意味になっていた」

意味がわからず沈黙するジュンに、さらにテツヤは続ける。

「意味がわからないって顔だな。 詳しく説明してやると、
 大尉の中隊は確かに麻薬栽培の関係者を拘束しようとしていた。
 ああ、言い逃れに聞こえるかもしれないが、原因は向こうにあったと言っていた」

「捕虜の側に?」

「奴らは望んで麻薬栽培に手を染めていた。 村が丸ごとだ。
 そうしなければ貧困で明日を望むこともできないってな。
 中には年端もいかない子供や、老人までいたそうだ」

テツヤは寒さで乾いてしまった唇を苦労して動かしながら続ける。

「連中は権利を主張したそうだ。 麻薬栽培をやめろと言うなら政府が生活の保障をしてくれるのかと。
 それもできない軍人に自分たちの明日を奪う権利があるのかと罵倒した。
 解放すべき相手から悪意をぶつけられた」

「……想像できません」

「だろうな。 それは幸せなことだ、アオイ・ジュン。
 皮肉でもなくそう思う。 お前はあの大尉が貧困層の出自だと言うことを知っているか?」

「ええ」

「彼はかつての自分と同じ人々から罵倒を受けた。
 その人々から罵倒と、投石を受けた」

ジュンは首を振った。 自分が同じ立場に立ったらどうだろう。
例えば、あの幸運にも助け出せた火星の人々から拒絶され、ナデシコへの乗艦を拒否されていたら。

「そしてついには発砲に至った。 大尉は向こうから撃ってきたと言っていたが、わからんな。
 少なくとも軍人の側にこれで負傷したものはいなかった。
 だが、それが引き金になった」

「反撃したんですか?」

「完全武装の機甲中隊だ。 初めは威嚇射撃のつもりだったらしい。
 だが、兵たちはそれがはじめての実戦という奴らばかりだった」

「戦場心理ですね」

「そうだな。 緊張が切れ、暴走したら止める術はない。
 終いには機動兵器まで攻撃に加わっていたそうだ」

「大尉は制止しなかったんでしょうか?」

ふとオラン中佐の言葉が蘇る。

『ああ、ジョアンは普通に飲める奴なんだが』
『酔うのは早かった。 その時も先に寝転がっていた。
 それで、しばらくすると突然起き上がって、自分が止めてやるべきだったのに、と言った』

「気がつけばかつての幻想に向けて自分も銃を向けていたそうだ。
 すべてが終わった後で数えたら死体は300ほどあったと」

「それをどうしたんです?」

「空軍に要請して麻薬畑ごと爆弾で吹き飛ばした」

「……なんてことを」

「そうか?」

テツヤは心底不思議そうにジュンを見た。
寒さをしのぐためか、煙草を一本取り出して火をつける。

「少なくとも俺は自信がないな。 敵意を持ってこちらに投石してきた連中に対し、違う行動を取れたと言い切る自信はないな。
 お前はどうだ? そういい切れるか。 まあ、どう思うと俺には関係ないが……」

煙を吐き出し、また煙草をくわえる。

「これが俺の聞いた真実だ。 これを書かなかったのは上からの指示もある。
 バール少将も黙っていたのは汚点隠しに圧力をかけたんだろう。
 だけどな、今となっては個人としても声高らかに言うつもりもないな」

「なぜです? ジャーナリストのあなたが……」

「ならお前が言ってやれ。 このときの中隊で生き残ってるのはオオサキ中尉のみになった。
 他の連中は戦争が始まってからの撤退戦だ防衛戦だ反攻戦だでくたばってる。
 お前は言えるか? あの絶望的な戦闘のさなかで一人でも多くを救おうと戦った連中が虐殺者だった事実を。
 夫は、息子は、父は、兄は、弟は少なくとも勇敢に戦って死んでいったということを唯一の慰めにするしかない遺族に対して
 『彼らは敵意を持って攻撃してきた民間人を一方的に虐殺しました。 これは許されざる罪です』ってな」

「僕は、ずいぶんと見当違いのことを言っていたようですね」

「何をどう思おうとお前の勝手だ。 だが、少なくとも俺はあの大尉を殺したわけじゃない。
 繰り返すが、SIFはとっくにクビになった」

「じゃあ、誰が大尉を……」

そこでふと気づく。
なぜ、自分はこの可能性に気づかなかったのだろう。
いや、実はずっと目を瞑っていただけでなないのだろうか?
初めから彼女はこう言っていたではないか。

――― 『大尉を殺したのは私だ』と。

「……マコトさん」


○ ● ○ ● ○ ●


取調べのための部屋は殺風景そのものだった。
時計すらないのはどうかと思うが、時間感覚を狂わせるのは確かに大きなプレッシャーになる。
マコトと向かい合ったジュンは沈黙したままずいぶんと長い時間話していたように思えたが、
実際は15分ほどだった。 その間、マコトは反論も意見をさしはさむこともなくただ聞いていた。
最終的にジュンが出した結論は最初のものに修正を加えたものだった。

クレイトス大尉とマコトは久しぶりの再会を祝って酒を飲んでいた。
そこに現れたバール少将は泥酔しており、また罷免された絶望から2人を見てこう口走った。

『お前たちだけのうのうと過ごしてやがって』『みんな道連れにしてやる』

クレイトス大尉はこれを聞いて焦った。
追い詰められたバール少将ならデザート・ラッツ作戦の汚点を本当にばらしてしまいかねない。
恐らく説得するつもりだったのだろう。 しかし、それが高じて撃ち合いとなってしまった。
初めから殺すつもりならもっと周到にやっただろう。 自分も撃たれているのだから。

マコトはその現場を目撃しているのだろう。
倒れた2人の様子を確認し……

「僕がわからないのは」

ジュンは付け加えるように言った。

「なぜ、マコトさんが大尉を撃ったかです」

「ちょっと待って。 それだとおかしいぞ。
 バール少将の銃には3発の不足があり、それは2発が大尉に命中し、1発は外れていた。
 だからバール少将が大尉を殺していないという理屈はわかる」

だがな、とテツヤは言う。

「大尉を撃った一発はどこから湧いてきた?
 オオサキ中尉の銃に発砲の痕跡はない。 大尉の銃の不足分は2発で、こいつはバール少将の体内から見つかったぞ」

「不足だったのはマガジン分のの2発です。 僕はオラン中佐から大尉の妙な癖を聞きました。
 大尉は銃の初弾をマガジンとは別にチャンバー込めておいたようです。 つまり、彼の銃には20発+1発があった。
 だから3発撃ってもマガジンには18発残る。 20−18=2ではなく、21−18=3で、不足は3発だったんです」

初めの数が間違えていたから1発の銃弾が浮いてしまった。
それは湧いてきたわけではなく、初めからそこにあったというのに。
おかげでジュンは居もしない第三者を疑い、テツヤを犯人かと考えてしまった。

「マコトさんが大尉の銃を握っていたのは、その銃で彼を撃ったからです。
 至近距離ですから心臓を1発で撃ち抜けたでしょう。
 たぶん、大尉は足を撃たれて倒れていたから銃弾は雪の中か、地面に埋まっているはずです」

違いますか、という問いにマコトは首を振った。

「いや、合っている。 ただ人の心は名探偵でもわからないってことを除けば。
 うん、確かに」

そう言うマコトの口調はまったくいつも通りだった。
気負いも何もなく、それこそ今日は寒いねと言っても違和感がなさそうな。

「大尉は私に頼んだ。 『自分を撃て』ってね」

「なぜです?」

「利き手を撃たれてたから。 ああ、君がこんな答えを欲していないのはわかってるから。
 うん、大尉は私に自分の後始末を頼んだと言った方がいいかな。
 ここまでなったらもう隠し切れない。 事件の経緯を調べられればあのデザート・ラッツのことも調べられると思ったんだろう。
 自分と仲間たちの過去を暴かれることに耐えられなかった」

「そのために、半ば自殺に近いことを頼んだんですか?」

「かも知れないし、そうでなかったのかも。 もう聞くこともできない。
 何をどう思うと、君の好きにしてくれて構わない。 私はもう、何も君に頼む資格はない。
 一つ、最後に礼だけ言わせて欲しい」

そう言ってマコトは手を差し出す。
ジュンが戸惑いながらもそれを握り返すと、艶やかな笑みが帰ってきた。

「ありがとう。 君は少なくとも私のために動いてくれた。
 君はもう私のことを友達とは思っていないかもしれないが、私は君に友情を感じている。
 いま、この時にも。 だから、ありがとう」


○ ● ○ ● ○ ●


いま、自分は何を迷っているのだろう。
マコトは無実ではなかった。 彼女は間違いなく大尉を殺した。
大尉の頼み、それが戦死した仲間の名誉を守ることだったのか、それとも個人的な逃避だったのか知る術はない。
マコトが何を考えてそれを受けたのかも。 しかし、彼女は間違いなく罪を犯した。
デザート・ラッツ作戦のとき。 そして今回も。

「アオイ・ジュン。 真実はなんだ。
 お前にとっての真実は?」

「……わかりません」

「俺は言ったぞ。 目を瞑り、耳を塞ぎ、口を閉じていればいずれこれも終わる。
 そのうち憲兵か、SIFか、警察がそれなりの結論を持ってくる。
 必要なのはそれを受け入れる覚悟だな」

「マコトさんは、なぜ大尉を殺したんでしょうか?」

「俺が知るか。 どう思おうともそれは想像の域をでない。
 一つ参考にもならない話をしてやるとだ」

テツヤは2本目の煙草を吸いながら言う。

「真実なんてのはいつもくそくだらねえってことだな。
 俺がSIFをクビになったのは、命令違反を犯したからだ」

「…………」

「長くなるが暇なら聞け。 俺の親父はジャーナリストだった。
 真実を追い求め、不正を暴き、社会正義を追求する。 ガキのころは憧れだった。
 敵も多かったんだろうな。 事故でくたばったって聞いたのは15の頃だ。
 それから数日と経たないうちに覆面した連中が家にやってきて皆殺しにされかかった。
 逃げ出せたのは運が良かった。 たまたま外出して戻ってくる途中だった。
 それから、執拗な嫌がらせと実力行使を避けながら、俺は戦略情報軍に入った。
 ジャーナリストにもなりたかったが、親父の死の真相と、俺たちを付け狙うやつらの正体を暴こうと思ったら
 こっちのほうが近道だと思った。 なにより、軍人になれば力が手に入る」

IFSを使用しての機動兵器操縦、狙撃技術などもそのときに学んだと言う。

「そして念願かなって俺は親父の死の真相を掴めた。 それと俺たち家族を狙っていたものの正体も。
 ああ、真実ってのはくそっくだらねぇと思ったのはこの時がはじめてだな。
 親父は生きてた。 名前も変えて、愛人のところで別の家庭を築いてた。
 娘もいた。 笑えるだろ、妹と同い年だったんだぜ。 俺たち家族は昔から裏切られてたってことだな」

「それが、チハヤさんですか?」

「ああ。 で、俺たちを狙っていたのはクリムゾンSSだった。
 親父はクリムゾンの社員だった。 そのときに秘密を盗み出してネルガルに売ったんだ。
 俺たちが狙われたのは報復だったわけだ」

「それで、お父さんは?」

「この話には笑えるオチが付いてくる。 親父は情報を売ったネルガルに裏切られた。
 クリムゾンは情報を非公開とすることでネルガルに多額の金を払い、ネルガルは親父を売った。
 そこで今度は親父の方に俺たちの再現ってわけだ。
 クリムゾンは親父とその家族を皆殺しにして情報の漏洩に関する始末を付けるつもりだった」

なんてことだろう。 家族を売った男が、逆に売った先のネルガルにも裏切られる。
裏切りの連鎖だ。

「なぜ俺が知ってるかと言うとな、SIFはこの情報を欲したからだ。
 ネルガルとクリムゾンの密約に使われるほどの情報を見逃す手はない。
 俺にも任務が回ってきた。 親父から情報を聞き出し、そして殺せってな」

「息子であるあなたに?」

「別にそれに関して俺はどうも思わなかった。 いや、むしろ狂喜した。
 あの男を自分の手で殺せると。 ただ、チハヤは別だ。
 何も知らない。 明日が保障されたものだと信じきってるあいつを、俺は見捨てられなかった。
 親父を見殺しにして、チハヤの母親も見捨てて、あいつだけは生かして連れ出した」

それでも、とテツヤは言う。

「あいつは心のどこかで俺を一生許さないだろうな。 両親を見殺しにした俺を。
 そして俺も命令違反と独断専行でSIFを不名誉除隊だ」

「……言葉もありません」

「言ったはずだ。 どう思おうがお前の勝手だ。
 だがな、覚えておけ。 本当に見捨てたくないものは相手の都合も、正義もなにもかも捨てても手に留めておけ。
 それは手放せば2度と戻らない」

「……戻らない」

「2度は言わない、忘れるな」

いま、自分は何を迷っているのだろう。
マコトをどうしたいのだろう。 事実を伝えるべきだと告げる声がある。
それを否定する声がある。 迷い、混沌とする思考。

彼女を……僕は……

携帯端末に手を伸ばす。
登録された番号から目的のものを選び、呼び出す。

「もしもし、事件の真相がわかりました」

そして、ジュンは永久に失った。
一人の、友人を。


○ ● ○ ● ○ ●


事件から1週間が経過し、人々の記憶からはある町の片隅でおこった事件の記憶は薄れつつあった。
それ以上にこの日、欧州を離れることになる人々への別れを告げるイベントに夢中になっていた。

「係留索離せー!」

港から離れる巨大な船体を人々は眩しげに見つめた。
雄々しきその姿を焼き付けんとするかのように、じっと目を凝らす。
その視線の先にある戦艦は<カキツバタ>。
日本でのドック入りのために欧州の地を離れる旅へでる。

欧州方面軍やアフリカ方面軍からも見送りの兵は多い。
艦橋から港のふちを拡大した映像を見ていたジュンは、そこに見知った顔をいくつか見つけた。
アキトの見送りに来たらしい女性と、その妹である幼い少女。
甲板上に並べられた機動兵器は敬礼の姿勢を保ったままだったが、ジュンがこのことを伝えると
その中の黒い1機は敬礼を崩して少女と女性に手を振った。
それに対して少女も小さな体を精一杯使い、別れを惜しむ。
艦橋に詰める一同から好意的な笑いが起きた。
やがてその1機に触発されたように他の機体も思い思いに別れを惜しむアピールを行い始める。
さすがに副長が咎めようとするが、ジュンにまあいいじゃないですか、と言われて渋々引っ込む。

「艦長、誰かお探しでしたか?」

対岸の映像を凝視していたジュンに、副長が問いかける。
それに「いや、いいんだ」とだけ答えてジュンは艦長席へ戻った。

「欧州に残した女でもいるだろ?」

「違います」

「まあ、気を落とすな。 失恋の経験は人を大きくする。
 熱い夜を思い出すと、こう、下半身も大きく成長……」

「……マコトさん、艦橋はブリッジ要員以外は立ち入り禁止です」

「固いな君は。 若いから固いのは下半身だけに」

「それ、2度ネタです」

「ちっ」

嘆息し、ジュンは欧州でのことに思いをはせる。
あの後、ジュンはライザに連絡を取った。
そして一部を改変した『真相』を彼女に伝えたのだった。
変更した部分はマコトが大尉を撃ったのではなく、大尉の自殺だということにした点。
デザート・ラッツ作戦のことは隠しようもなく、また戦略情報軍はその情報を握っているはずなのでそのまま伝えた。
結局、あの事件はバール少将とクレイトス大尉が撃ち合って死んだということになった。
新聞では酔った上での喧嘩となっており、『真相』はやはり伏せられた。

マコトは解放され、次の日には軍務に復帰した。
だが、あの日以来、確かにジュンはマコトを以前のように友人と考えることはできなくなった。
友情は感じている。 しかし、何か根本的部分で2人の関係は変質してしまった。

( ――― そう、僕は生涯の友人になれたかもしれない『彼女』を、永遠に失ってしまった。
 マコトさんと僕はもう2度と以前の関係には戻れない)

あの事件は一体なんだったのだろう、とジュンは問いかける。
たぶん後悔しているんだと思う。
今でもどうしたらよかったのか分からないけど、
少なくとももっと方法があったんじゃないかって思う。
もっとうまく立ち回れば、『あの人』を失わずに済んだのかも知れないって、そう思う。

これは僕にとっても忘れがたい事件だった。
一人の友人を失い、得たものは何もなかった。

そう、あれはまさしく悲劇だったんだ。


○ ● ○ ● ○ ●


「 ――― はい。 やはりアオイ少佐は真相にたどり着きませんでした」

「だが、我々は彼に大きな貸しを作った。 そして彼女にも」

「かも知れません。 ですが、我々の得たものは大きいかと」

「ああ、これで少なくとも欧州とアフリカはまとまる。
 オオサキ少佐 ――― いえ、中佐への昇進が決定済みだったな。
 漆黒の戦鬼といい、彼は部下に恵まれている。
 ハーテッド中将の孫娘を救ったのは彼の部隊。
 そしてもう一人の孫娘も彼の部下になった。 しかも自らの希望で」

「オオサキ中尉はガトル大将にとっては孫娘。
 バール少将の跡を継いで遣欧部隊の指揮官になるオラン大佐……こちらの昇進も確定済みですね。
 ええ、この人にとっても姪にあたりますから」

「たとえオオサキ中佐の政治的野心がなくとも、彼の立場は既に一個部隊の指揮官に留まらない。
 カキツバタを通して宇宙軍とのパイプともなる人材だ。 望むと望まないとに関わらず、彼を中心に欧州とアフリカは連携を取るだろう。
 いい加減、内部抗争に明け暮れていてもらっては困る」

「……オオサキ中尉は、彼女は真相を知ったでしょうか?」

「知ったはずだ。 だから彼女は大尉を殺した。
 クレイトス大尉をマークさせていたカタオカはそう言っているんだろう?」

「はい。 彼はオオサキ中尉とクレイトス大尉の酒場での会話を盗聴していましたから。
 ええ、確かにオオサキ中尉は気付いていたようです。
 デザート・ラッツ作戦に参加した将兵の情報を漏らしたのはバール少将ではなく、クレイトス大尉のほうだったと」

「オオサキ中佐たちが勘違いしたのも無理ないな。 人事データはバール少将のキーで引き出されていたとはね。
 なぜ、バール少将はキーを手渡したのだろう?」

「推測ですが、オオサキ中尉を庇いたかったのでは?
 大尉は真相を隠すことで自分の保身を図った。 同時にバール少将への交換条件にもした。
 真相を隠すかわりにキーをよこせと」

「解せないね。 なぜあのバール少将がそこまで中尉を庇った?」

「本気、だったのではないでしょうか。 彼は彼なりに本気でオオサキ中尉の母親を愛していた。
 だから愛した彼女の娘であるオオサキ中尉を庇った」

「その結果、流出したデータで母親がテロの犠牲になった、か。
 なんとも皮肉だ」

「クレイトス大尉に関しては、デザート・ラッツ作戦のあとで組織と繋がったようです。
 生き残りに脅迫されたか、『良心の呵責』に耐えられなかったは知りませんが」

「前任者も面倒な仕事を残してくれたよ」

「お察しします。 あの……」

「わかっている、中尉。 カタオカ・テツヤへの不名誉除隊は取り消す。
 今回の功績、ナデシコでの活動を評価し、大尉でSIFへ復帰させる」

「ありがとうございます、准将」

「彼ほどのエージェントを遊ばせておくわけにも行かない。
 それと彼の妹たちも軍属として保護する。 これが条件だったはずだ」

「……はい」

「複雑そうだな、中尉。
 相手の妹にまで嫉妬してもしかたないと思うが……君も女だな」

「准将、それは……」

「わからなくもないよ、私も女だから」

「……はい」

「中尉、彼女はなぜ最後までアオイ少佐に真相を隠したのだろうね?」

「は……」

「私はこう思うんだ。 彼女はそれでも仲間を庇った。
 クレイトス大尉は裏切っても、それでもやはり彼女にとっては仲間だった。
 だから最後の最後でやはり庇った。 人間と言うのは複雑怪奇だ」

「それは永遠に彼女だけしかわからないのではないでしょうか」

「そうだね。 それでは君の報告を心待ちにしているよ、ライザ中尉」

「はい、ミカミ・ミサト准将」

2人の女は戦略情報軍の士官と将官という立場で最後は言葉を終えた。



<続く>






あとがき:

おとボクで女装の美少年が一番萌える件について、脳内偉人は言いました。
「それがどうした!」 「だが、それがいい」「私は一向に構わん!」
オーケー刻んだ。 と言うわけで瑞穂きゅんは俺のもの。(以上、時節の挨拶)

起承転結の『転』『結』の今回で欧州編はようやく終わり。
オラン中佐が登場済みだったことにかんして「な、なんだってー!」(AA略)
になりました。 そっか、出てたんか。

次回からナデシコ本編に戻って最近出てない旧ナデシコクルーに焦点を当てたいと思います。
B3Yっぽくなるかも。

それでは次回また。



 

 

 

 

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代理人の感想

うーん・・・・・・・・・・・やっぱ釈然としないなぁ。

まぁそう言う話なのでしょうがないんですが。

救いの無い話でしたねぇ。

 

>ドイツ・イタリアを中核とした第1軍は精鋭とされる

・・・・・・・イタリアが?(爆)

 

>我々は彼に大きな貸しを作った
>ですが、我々の得たものは大きかった

ん〜? 後に「ですが」と続くのに「貸し」ってのは変じゃないかな?

「マコトを無罪にした事をジュンとマコトがSIFへの債務として背負った」と考えれば「貸し」でいいのですが、それだと続く文章が変だしなぁ。

やっぱり「ジュンとマコトを利用したSIFが二人に債務をおった」ということで「借り」の間違いなのかな?