時ナデ・if
<逆行の艦隊>

第24話その2 『真実』の嘘







その日、日本海軍ヨコスカ基地警備隊は『敵』への対応に追われていた。
基地と海上をひっきりなしに哨戒ヘリが飛び交い、対潜・対水上監視のために哨戒機まで出ている。
また、水上は小型のものでは排水量300tのミサイル艇から、大型のもので2000tの護衛艦まである。
さすがに日本海軍にも4隻しかない航空母艦のうちの1隻である鳳翔級の2番艦<飛翔>は碇を下ろしたままだった。
哨戒ヘリを飛ばすことくらいはできるだろうが、今のところそれは基地航空隊だけで足りているため、飛翔にやる事はない。
搭載されたスノードロップはいつでも発艦できるように甲板上に並べられているが、それは本当の緊急時のみだ。
この『敵』への対処は小型艦艇の役割であり、基準排水量で100,000t近い空母の出番はなかった。
その代わり、護衛艦は大忙しだ。

「 ――― 微速前進、進路をこじ開けろ」

「アイ、微速前進」

航海長が復唱し、17,000tの護衛艦<天津風>の船体が3ktの微速で静かな海面を乱す。
そして前方をふさぐようにたむろしている『敵』へ注意深く接近。
それが今の彼らに許された精一杯の抵抗だった。
この『敵』に対して、彼らはいかなる武力行使も許可されていない。
VLS内に収められた各種のミサイルは電子的に沈黙したままだったし、
艦首に備えられた127mm速射砲の砲口を向けることさえ許されない。

ミサイル全盛の時代にも艦砲が生き残ったのは、こういうときのためではないのか。

天津風の艦長は憮然としつつ、そんなことを考える。
艦砲の存在意義は対地艦砲射撃、ミサイルとCWISの間を埋める対空射撃などの用途以外にも
臨検時などの威嚇用という意味がある。 ミサイルでは威嚇射撃などできないし、
撃たなくとも砲口を向けるだけで大きなプレッシャーを与えられる。
航空機から機関砲が下ろされないのも似たような理由だ。

だが、いまはその威嚇行為さえ厳禁とする命令が下されている。
理不尽と思わなくもないが、それが正規の命令である以上は従わねばならない。
また、感情とは別に彼らもそうせざるを得ない事情は理解していた。

「艦長、あと20分ほどで到着するとのことです」

なにが、とは言わなくとも理解できる。
彼らはそれを迎える準備のためにわざわざ貴重な燃料を消費してまで海上哨戒を行っているのだから。

「20分か、長いな」

つまり彼らは最低でもあと20分はこの『敵』と対峙しなければならないのだ。

「長いな、まったく」

不毛と知りつつ、彼は繰り返した。


○ ● ○ ● ○ ●


全長が300m近い戦艦であってもそれほど巨大に見えない、と言ったら意外だろうか?
単純な大きさでいうなら停泊中の飛翔の方が全長で30mほど長く、全幅でも飛行甲板をもつだけにこちらの方が広い。
軍艦にこだわらなければ排水量100万トンのタンカーが行き来するのが普通となっている現在では、むしろ小さいと言っていいかもしれない。

しかし、その艦のもつ存在感とでも言うべきものは民間船など足元にも及ばぬほど圧倒的なものだった。
それは純粋に戦うために生み出された物が持つ威圧感と言っていいかもしれない。
ほっそりとした艦首は研ぎ澄まされた日本刀のように優美でありながら禍々しい。
水上艦からは失われて久しい『戦艦』という艦種に分類されるその艦の名を<カキツバタ>という。

「艦長、ヨコスカ基地より入電。
 現在、湾口の入り口は民間船舶によって塞がれており、入港はしばらく待って欲しいと」

「わかった。 洋上に着水して待とう」

ただ空中に浮いているだけでもそれなりにエネルギーは喰う。
ジュンはそれよりも海上であれば浮力で浮いていられるので各所の負担も少なくて済むという判断した。

「民間の? ヨコスカ基地は軍港じゃないのか?
 まさか、事故でも……」

「いえ、いつもの市民団体です」

シュンが怪訝な表情で問い、その質問に答えるジュンの言葉にはよどみはない。
だが、それでもシュンは思わず聞き返していた。

「市民団体?」

「ああ、オオサキ中佐はご存じないかもしれませんね。
 いわゆる自称・平和反戦団体が本艦の入港に対し妨害行為……いえ、抗議活動を行っているのです」

「妨害ってな」

「抗議活動です」

カキツバタの遠距離望遠でも見えるのは漁船よりややましといった船に満載された人々。
横断幕には『ヨコスカの海を守れ!』『軍国主義者は出て行け!!』『木星蜥蜴とも対話を』
『カキツバタの入港阻止』などなど。

「……平和反戦団体?」

「自称をお忘れなく、中佐。 日本ではよくある光景なのです。
 いちいち目くじらを立てていたらきりがありません」

「なあ、入港云々なんてのは政府に抗議すべきことなんじゃないのか?
 こっちは言われたとおりに来てるだけなんだから」

「場所が呉でも佐世保でも舞鶴でも同じことです。
 海軍が道を作ってくれるのを待って入港するしかありませんね。
 万が一にでも転覆させようものならマスコミから抗議が殺到します」

「300m級の船の横に漁船がたむろして転覆しないとでも思ってるのか?」

「ですから、注意して入港します。 警告はしていますが……まあ、無駄ですね。
 一応はヨコスカ基地の海軍航空隊がヘリを飛ばして救助の手はずを整えています」

さっきからヘリが妙に飛び交っているのはそのためか、と納得する。

「彼らも納税者であり、日本国民である以上は庇護の対象ですから」

ジュンの言葉には皮肉も何もない。
ただ事実としてそれを告げているだけだった。

「庇護すべき対象に忌み嫌われようとも?」

「ええ、それが我々に課せられた義務なのですから」

やはり澱みなく答え、そして少し諧謔を混ぜて続ける。

「彼らは反抗期の子供のようなものなのです」

なるほど。 自分が庇護の対象とされていることに気付きもせず、
しかし、反発だけはする子供のようなものということか。

「……大変だな」

「慣れました。 日本の軍人は曾祖父の時代からこの手の連中を相手にしてきましたから」

カキツバタの入港が許可されたのは30分後のことだった。


○ ● ○ ● ○ ●


海から吹きつける潮風が髪を撫でる。
塩分を多分に含んだ空気は妙に生臭くあまり心地よいとは思えなかった。
1月の初旬、晴天に恵まれたとは言えやはり防寒衣は必須だった。

「ルリルリも来られればよかったのにね」

「そうですね。 ルリちゃんもアキトに会えるのを楽しみにしてたから」

ハルカ・ミナトはコートの前をしっかりとしめ、マフラーを二重に巻いた、
妙齢の女性としていささかどうかと思えるような隣の女性に話しかける。
ミナトの方はセーターの上にコートを羽織っているだけでマフラーはしていない。
と言うか、隣の女性に貸してしまった。

「あ、ここですよ」

言われてミナトも立ち止まる。 いくつ目になるかわからないゲートと衛兵。
ヨコスカ基地は広く、はじめて来た民間人が目的地に着くには案内が必須だった。
案内板は英語と日本語が併記されており、社長秘書を前職に持つミナトはその両方を読めたが、
儀装岸壁や第*ドック、第○港入り口などあってもどれが目的地だかさっぱりわからなかった。
そこで面識のあった彼女に道案内を頼んだのだが、それはどうやら正解だったらしい。

「許可証と身分証明書を提示してください」

衛兵らしき兵士に言われ、ミナトも首から提げていた許可証と身分証明書を提示する。
銃を構えている兵士にやや気後れするものは感じるが、隣の女性は平然としたものだった。
肝が据わっているのか、それとも能天気なだけなのか。 まあ、半々だろう。
ミナトがそんなことを考えている間に照会が終わったようだ。

「ナデシコの関係の方でしたか。 失礼しました!」

そしてこの反応も何度目だろう。
いえ、お気になさらず、と前職で培った営業スマイルを返しつつゲートをくぐる。

「よくわからないけど、いつもこんな感じなの?」

「うーん、どうでしょうね。
 確かに警備はありあすけど、今日は特に厳重って感じますよ。
 たぶん抗議に来る人たちを警戒してるんでしょうね」

それはミナトもここに来るまでに見ている。
基地の前で横断幕を掲げてカキツバタの寄港に抗議する人々。
彼らの表情は真剣で、切実で……そして恐ろしかった。

彼らにも守りたいものがあるのだろう。
家に帰れば団欒を過ごす家族がいるのだろう。
朝になれば学校に行ったり、会社へ行ったりする生活があるのだろう。
いうなればごく普通の人々だ。
そんな人々から嫌悪と悪意を向けられる。
それはどんな気分なのだろう。

「ミナトさん、寒くないですか?」

「え?」

「なんだか顔色が悪いみたいなんで。
 やっぱりマフラー返しましょうか?」

「ううん、違うの。 ちょっと考え事」

努めて明るく答えたつもりだったが、相手は納得した様子はない。
うーん、とマフラーに埋もれた口からうめき声ともつかない声が漏れる。

「えっと、ミナトさんが悩んでること、私にはわかりません」

マフラー越しのぐぐもった声が漏れる。

「ですから、話してください。 いまでなくてもいいですから。
 私、ミナトさんには幸せになってほしいですし」

唐突な言葉に思わずミナトは苦笑した。

「ふふっ、そんな深刻な話じゃないわよ」

「……それでも、いつかそんな深刻なことになったときは」

「ありがとう。 わかったわ。
 心配かけちゃったわね」

「ミナトさん」

「ありがとう。 でも、大変なのはあなたのほうじゃない?」

目をしばたかせる相手に、ミナトは軽くウインクしてみせる。

「ア・キ・トくん」

「……そう、ですね」

あれ、と肩透かしを食らった気分だ。
もっと派手に騒ぐかと思ったのだが。

「ミナトさん、ナデシコが解散したときのこと覚えてますか?」

「ええ、忘れられないわ」

クルスク戦の後、ナデシコは解体された。
辛うじてナナフシの撃破に成功したものの、その過程が問題とされたのだった。
敵艦からのハッキングを受けたナデシコはコントロールを奪われ、味方へミサイルを誘導するという失態を演じてしまった。
ミサイル攻撃は参加艦艇の大半がDFを搭載しており、また低速の巡航ミサイルはギリギリで迎撃が間に合ったこともあり、
怪我人を多数出したものの奇跡的に死者はゼロですんだ。
しかし、結果としてナナフシ撃破は成功したものの、勃発した陸戦によって多数の損害を出した。
ミサイル攻撃だけでかたが付いていればこの損害は生じなかったはずだ。

そして容易に敵にコントロールを奪われたナデシコの脆弱さも問題とされた。
もし、ユリカがとっさにマスターキーを抜かず、主砲管制まで奪われていたらもっと酷いことになっていたのは疑いようもないからだ。
当然、軍はネルガルに猛抗議をおこなった。
いままでの戦果を考慮しても今後、ナデシコを使い続けるのはリスクが大きかった。
またいつ暴走して背後から撃たれるかわからない代物など危なくて使えない。

また、クルスク戦の直前にカキツバタが完成していたのもあった。
カキツバタは早々に連合軍への売却が決定しており、コスモスと並びこれで2隻のナデシコ級を保有することになる。
それならいつまでも半端な立場にあるナデシコに頼る必要はないのでは?
例えどんなに強力でもこちらの命令を聞かない艦は使えない。
それが軍の結論だった。

時期も悪かった。
第四次月攻略戦に勝利したことにより制宙権を取り戻したことにより主戦場は地上へと移行していた。
地上戦の主力は機動兵器とそれを大量に運用できる機動母艦。
戦艦はせいぜいがこの護衛か対地砲撃しか使い道はない。
陣取り合戦とも言える陸戦では、陣地を確保できない宇宙艦艇の出番はそんなものだった。
はれてナデシコを手に入れた軍がなんとなく持て余してしまったのも無理はない。
北極海やテニシアン島で雑用まがいのことをやらせてみても、やはりコストに見合わない。
これが戦争初期のにっちもさっちもいかない状況であれば別だったろう。
ナデシコしか木星蜥蜴にまともに対抗できないのだから、意地でも確保しようとしたはずだ。
しかし、手に入れたときには既にトビウメ級があり、曲がりなりにも対抗できる。
ネルガルは出し惜しみをするあまりに最も高く売れる時期を逸してしまったのだった。

「……私たちにとっての戦争は終わった」

それはナデシコクルー解散時にミナセ少将が言った言葉だった。
もっと事前に何か言っていたような気がする。

『本日をもってナデシコは解体されます。 クルーの軍籍は返還されるでしょう。
 名実共にあなた方は民間人へ戻ることになります。
 私は皆さんとの再会を望みません。 それは再びあなた方を戦場へ呼び戻すときとなるでしょうから。
 でうから、私はこの言葉をもって最後の挨拶にさせていただきたいと思います。
 ――― あなた方の戦争は終わりました。 おめでとうございます』

そうなのだろうか?
本当にナデシコの解体とともに『戦争』が終わったのだろうか。
ミナトはそう思うことがある。

ニュースでは相変わらず戦況の推移を解説しているし、どこそこが襲撃にあったという話も聞く。
近くの基地ではひっきりなしに機動兵器が動き回る訓練風景を見ることができた。
しかし、最近はふと空を見上げてもバッタと戦闘機の空中戦を目にすることはなくなった。
ニュースは所詮他人事であり、訓練は訓練だった。
ナデシコに乗って戦っていたころの緊迫感は薄れている。

「日常に、戻ったのかな」

言ってから失言だったと気付く。
相手はナデシコ解体後も軍に残ったのだ。
ミナトのように一応の平和が約束された日常にはない。
しかし、相手は別のことを気にしていたようだ。

「アキトは、なんで軍へ残ったんでしょう?」

「…………わからないわ」

正直な答えだった。
あの朴訥で誠実そうな青年がなぜ軍という理不尽と不条理に溢れた組織へ残ったのか。
それはミナトにわかるものではなかった。

「彼は話してくれなかった?」

「大切な約束があるから、と」

「うーん、あまり答えになってないわね」

「私……」

珍しく言いよどむ。

「私、アキトが望むならこのままでいいかもって思ったんです。
 ミナセ少将が言ったみたいに、アキトの戦争はここで終わりにしてもいいって思ってました。
 このまま、いつか戦争が終わって……誰もナデシコのこと覚えてなくても、
 クルーのみんなが忘れなくて、思い出話にしたりできれば……それでいいかなって思ったんです」

「……艦長」

「えへっ、そう呼ばれるのも久しぶりです。
 でも、それでいいって思ったんです、私は」

「……アキトくんは違ったのね」

「はい。 アキトは約束があるからって。
 ミナトさん、私はアキトのことが好き。 いまでも信じてます。
 どこにいても、どんなに離れても私のところに戻ってきてくれるって。
 でも……でも……」

――― 不安なのね。

その気持ちは良くわかる。 信じてるという言葉に嘘はないだろう。
しかし、それでも離れている時間はつらい。
近ければ近いほど、その別離の時間はつらくなる。

「ダメなんでしょうか。 私はもうアキトと離れたくないのに。
 アキトにずっと傍にいてって言いたいのに。
 もう絶対に離れないでって……」

「艦長……いえ、ユリカさん。
 あなたはそのことをアキトくんに言った?」

わずかな沈黙のあと、首が振られる、横に。

「じゃあ、わからないかな。
 ユリカさんがアキトくんが軍へ残った真意が分からないみたいに、
 アキトくんもその気持ち、ちゃんとはわかってないんじゃない?」

「……アキトは私が好きじゃないのかな」

「ちがうわ。 好きだからって何でもお見通しってわけにはいかないのよ。
 だから、会ったらいまのことを言ってみるの。
 言わないと伝わらない思いだってあるのよ」

わずかな沈黙のあと、首が振られる、今度は縦に。

「あっ、もしかしてアレってカキツバタじゃない?
 もう着いたのかしら?」

遠くにほっそりとした特徴的な艦首が見える。
判別しづらいが、おそらくはカキツバタだ。

「えっ? じゃあ、アキトももう降りちゃったんですか?」

「さあ、そこまでは。 一番に出迎えるなら急いだ方がいいかもね」

「はい! アキト〜! 待っててね、アキト、アキト〜!!」

――― 泣いた烏がもう笑ったわね。

子供のような切り替えの早さに思わず微笑む。
猛然と突進してゆくユリカを見送りながらミナトはこうも思う。

「……でも、あの真っ直ぐなところ。 少しうらやましいな」

迷っても、つまづいても、それでもなお信じられる。
その思いの強さを眩しいと思う。

自分には無理だ。 ゴートに大してそこまでの思いを抱けない。
実直なところが好きではあるが、同時に頑迷さは欠点だと思う。
何もかも投げ打って好きと言えるかどうか、自信がない。

「……結局、ホントの恋じゃなかったのかなー」

そう呟いて、その青臭さに自分でも吹き出しそうになった。
そしてユリカに追いつくべく歩調を速めた。
一つの別れを予感し、しかし新たな出会いを今は知るべくもない。


○ ● ○ ● ○ ●


「……カイトくん?」

それはあるはずのない再会だった。
ここはボソンジャンプを研究しているネルガルの施設。
今のカイトはミスマル家の居候。
しかし、接点はある。
と言うより、それしかない。

つまりはボソンジャンプ、その実験に関わることだ。

「なぜ、彼がここに?」

エリナに対しそ知らぬふりで疑問をぶつける。
火星では研究主任を務め、更には2回の人生を送り、うち一回は今より未来と言う経験さえ有するイネスの頭脳は
おおよその回答を導き出していたが、それを悟られるわけにはいかない。

未来ではB級ジャンパーと言われるようになる遺伝子改造技術は木連が既に実用化している。
また、強固なDFで覆えば普通の人間であってもジャンプに耐えられる。
後者は艦艇に限られるが、前者は機動兵器レベルでも単独ジャンプを可能とさせる。
現状では小型のボソンジャンプシステムなど木連でさえ実用化できていないから
連合にとっては強固なDFで覆う方法で十分だろう。
問題となるのはチューリップを通る際でもある程度のナビゲートがないとどこに飛ばされるか分からないということだ。
機械式のナビゲートでもB級ジャンパーのナビゲートでもこれは可能だが、機械式は今から開発していたのでは到底戦争には間に合わないだろう。
B級ジャンパーの遺伝子改造に関しても同様のことが言える。
地球側がこれを実用化するにはまずは耐ジャンプ因子を探すところから始めねばなるまい。
それにしてもA級ジャンパーという“天然モノ”のサンプルが絶対に必要だ。
A級の存在すら認識されていない現状ではそんな発想すらあるまい。

前回ではネルガルが単独ジャンプを可能としたのは艦艇ではナデシコC、機動兵器ではアルストロメリアと
共に戦後3年経ってからの話で、それとて当時、ジャンパーとしては最高レベルだったアキトとイネスの協力があればこそだ。
戦争末期には夜天光や六連で小型機動兵器の単独跳躍を可能としていた木連に比較するとお寒い限りと言える。

加えて今回は欧州戦線で早くもマジンが登場した。
敵が持っているものは自分たちも欲しくなる。 子供じみた考えだが軍人とはそういう人種だ。
しかも木連が使うことでそれが実用可能な技術であると証明された。
通常の機動兵器開発でAGIに押され気味な現状で一発逆転を狙うとしたらこのジャンプ技術をモノにするしかない。
エリナが、ひいてはアカツキを含めたネルガル上層部がそう考えたとしてもなんら不思議はあるまい。
今のエリナの表情はそれを肯定している。

「彼は私たちにとって救世主になるかもしれないわ。
 覚えてる? カイトくんはナデシコが火星から月へ移動したさいに現れた」

……やはりそれね。

「密航していたとは考えられない。 オモイカネの監視を4ヶ月間も誤魔化しながら艦内で生活するなんて不可能。
 旅客船ならともかく、ナデシコはいつ損傷して気密が破られるか分からない戦艦よ。
 監視の届かない整備ダクトはあるけど、危険が大きすぎる」

「まって。 ナデシコは火星で多くの民間人を回収したわ。
 その中に混じっていたカイトくんがたまたまチェック漏れで紛れ込んだだけとも考えられない?」

苦しい言い訳だった。 なぜなら……

「あら。 展望台で発見されたとき、彼は全身に重度の火傷を負っていたのよ?
 そんな重症患者がチェックに漏れるかしら?
 仮にそうだったとして、彼は歩いて展望台まで行ったの?
 それこそナンセンスよ。 艦内にも人は多かったし、途中で見つかって医務室に担ぎ込まれるわ。
 それに軍服を着ていたのよ。 目立たないはずがないわ」

エリナの言い分はもっともだった。
また、イネスもエリナと同等かそれ以上に確信している。

「カイトくんはナデシコに突然現れたと言いたげね」

「3流ミステリーならどう扱うのかしら? 宇宙を航海中の戦艦は大きな密室。
 どこからも侵入は不可能。 そのトリックは?」

「 ――― トリックなんてないわ」

嘆息する。 これ以上否定するのは不自然だ。
認めざるをえまい。

「カイトくんはボソンジャンプでナデシコに転移してきたのね」

イネスの言葉を聞いてエリナは薄い笑いを唇の端に乗せた。

「そう。 彼は生体ボソンジャンプを人類で初めて経験したということになるわ」

それは違う、と思ったが否定はしない。
人類初の生体ボソンジャンプに成功したのはアキトとイネスだ。
開戦時の火星からアキトは地球へ、イネスは過去の火星へ跳んだ。
しかしイネスは知らないことだが、もっと正確を期すなら人類初は木連の跳躍実験の被験者だろう。
開戦前に木連は遺伝子改造による生体跳躍を可能としている。
実戦投入が遅れたのは技術的にまだ不安な面が多かったからだ。

「僕は……」

それまで黙っていたカイトが口を開く。

「僕は知りたいんです。 記憶をなくす以前、僕はどこに居たのか。
 なぜナデシコに現れたのか。 なぜ僕はボソンジャンプに耐えられるのか。
 それを知りたいんです」

「自分が何者で、どこから来てどこへ行くのか。
 ずいぶんと哲学的な命題のように思えるわね」

「そんな大層なものであありませんよ」

苦笑を浮かべるカイト。 その姿にどこかアキトが重なる。
思えば、戦後の悲劇につながる事件はここから始まったとも言える。
あのとき、生体ボソンジャンプを行わなければ……

……カワサキが消滅していたわね。

そしてイネスも空間の相転移に巻き込まれていたことだろう。
やはりそれを防ぐにはマジンを月まで跳ばすしかあるまい。
最悪の場合、それはイネスの役割だった。
アキトはカキツバタで、ユリカもヨコスカ基地へ赴いているのだから他に選択肢はない。
予定ではイネスがCCをいくつか拝借してアキトへ届け、アキトが跳ばす手はずになっている。
そのためにイネスは研究に協力するという名目でこの場所に居た。

実のところ研究はまったく進んでいない。
ボソンジャンプに関する情報はそれが何であれ珠玉の価値を持っている。
木連との戦争が続いている間は軽々しく公開できるものではなかった。
逆に戦争が終結すればある程度は公開できる。
生体跳躍技術を木連がモノにしている以上、ネルガルのジャンプ技術の独占は既に崩れている。
であるならば、戦後にネルガルがそれを手にしたとしても価値はぐっと減る。

戦争中はもちろん木連からその技術を学ぶことは不可能だから、事実上の独占となる。
そうなった場合、ネルガルがどこまで暴走するのかという危惧をイネスは抱いていた。
何しろ今でさえ犠牲を増やしながらも生体ボソンジャンプの実験を繰り返しているのだ。
A級ジャンパーの存在を知ろうものなら、火星の後継者でさえ青くなるような人体実験を行ったとしても不思議ではない。
追い詰められた人間がやることはどこでも似たようなものだ。
その点に関してイネスはアキトやユリカほどネルガルの組織としての善性を信じてはいなかった。

したがって、イネスは実際はまったく的外れな研究ばかりを繰り返していた。
いや、一応は関係ありそうなチューリップの利用法などや、あるいは傍目には実にそれらしいと映るようなDFで保護した場合の影響などを調べている。
どちらもA級ジャンパーでなくとも生体ジャンプを可能とする技術だった。
イネスはB級ジャンパーによる生体跳躍という1つの解決法を示すことで、さらにその上のA級ジャンパーの存在を秘匿するつもりだった。
もとよりA級ジャンパーの存在は自分も含めてほとんど偶然に見つかったようなものだ。
その偶然を阻止してしまえば、戦後の悲劇を回避できるのでは?というのがユリカとルリの意見だった。
(アキトに関してはこの手の工作はあまり期待できない。 彼の意識はもっぱら目の前の悲劇を回避すること向けられていた。
 原因そのものを絶つのではなく、例えば誘拐された日のシャトルに乗らない、北辰たちに勝てる準備をしておくと言う場当たり的な対処だった。
 軍で戦略を学んだユリカやルリならともかく、戦術以外は素人のアキトにそこまで考えろというのはさすがに酷だろうが)

しかし、カイトの存在はイレギュラーだった。
アキトは絶対にネルガルの研究への協力は断るだろうし、ユリカは軍に残っている以上、勧誘はできない。
イネスは協力すると見せかけてその実、妨害している。
しかし、カイトは何も知らない。 あの時のアキトと同じだ。
もし彼がかつてのアキトのような行動をとったとしたら、やはりA級ジャンパーの存在は知れてしまう。

「カイトくん、あなたならきっとできる。 人類が生体ボソンジャンプを手に入れれば、
 この戦争を終わらせることだってできるかもしれないのよ。
 あなたにはその力があるわ!」

イネスの内心をよそにエリナは熱っぽくカイトを口説きにかかっている。
エリナとしてはここで点数を稼いでおきたいのだろう。
ナデシコが解体されている今、ジャンプの研究くらいでしか彼女がのし上がる機会はない。
彼女もまた追い詰められている。

「はあ、でもいまいちピンとこないですよ。 僕にそんな超能力みたいな力があるなんて」

対するカイトはその言葉通り、のんびりしたものだ。

「でも、大丈夫なんですか? 噂だと危険なこともあるとか……」

「それは心配いらないわ。 こっちも安全には配慮してるから」

「はぁ。 でも火星のクロッカスみたいなことは」

「あれはなんの準備もなしにチューリップに入ったからよ。
 その証拠にナデシコは無事だったし。 あなたの安全は保障するわ」

よくもまあ、そんな嘘を平然と。
確かにイネスはナデシコがチューリップを無事に抜けられた理由として
相転移エンジン、グラビティブラスト用の重力波収束装置、またはディストーションフィールドの影響が考えられるというレポートを出していたが、
それはナデシコにあってクロッカスになかったものをそれっぽく羅列して専門用語で誤魔化しただけに過ぎない。
準備も何もあったものではない。 
カイトの不審はもっともなのだが、エリナもよく言う。
カイトがA級ジャンパーだから安全という確証を抱いているのはイネスだけだろう。
それを……

そこまで考えてふと気付く。
いま、カイトはなんと言った?

――― 噂だと『危険なこと』もあるとか
――― でも『火星のクロッカス』みたいなことは

ゾクリと肌が粟立つ。

なぜ、彼はそんなことを知っている?
カイトがナデシコに現れたのは火星から月へ帰還したときだ。
そしてそのときにはカイトは『記憶を失って』いた。

そのカイトがなぜクロッカスのことを知っているのか。
あれは直接調査したアキト、イネス、フクベの3人とあとは報告を受けたブリッジクルーしか知らない情報だ。
ボソンジャンプが『危険なこと』だとカイトはどこで知ったのか?
ユリカやアキト、ルリはありえない。 3人がカイトからそんな質問を受ければ当然、なぜそんなことを聞くのかと問うだろう。
そしてカイトから実験への協力を要請されていると聞けば、間違いなく止める。 イネスにも話がくるだろう。
しかし、そんな話は1度も聞いていない。

あるいは他のクルーから聞いたのだろうか?
しかし、そうなると彼がここに居る理由がわからなくなる。
漠然とした話であれ、それが危険と分かっているのになぜカイトは協力すると言い出したのか。
考えられる理由はいくつかある。

1.危険であっても自分の過去と関係あるかもしれないと思った。

記憶喪失というのは恐ろしい。 イネス自身もそうだったが、自分が何者かわからないというのはアイデンティティーに関わる。
危険を冒してなおそれに見合うとカイトは考えたのだろうか。 しかし、それならここにきてこの態度は解せない。
まるで実験を引き伸ばしたいような態度だ。

2.記憶喪失は嘘。 彼も逆行者。

ありえない話ではないと思う。 何らかの事故に巻き込まれて未来から跳ばされたとすれば、
馬鹿正直に「未来から来ました」などというはずがない。 鉄格子付きの病室が待っている。
そこで記憶喪失を装うというのはいい考えだ。 何を聞かれても覚えていないで通せる。
実験を渋るのは、未来のニュースでここが襲撃されるのを知っているからかもしれない。
軽い気持ちで請け負ってみたものの、まさか吹き飛ばされる予定の場所とは思わず、
かくなる上は適当な理由をつけて危険な場所から遠ざかりたいのかも。

3.記憶喪失は嘘。 彼は木連のスパイ。

まさか、とやっぱりという思いが交差する。
そもそも前回疑問だったのは、木連はいかにしてこの研究所の存在を知ったかということだ。
決定打となったのはやはり例の耐圧エステだろうが、それだけでいきなり有人のマジンを送り込むだろうか?
無人兵器を送り込んで偵察させるか、破壊するだけならいきなり駆逐艦でもいいだろう。
あの耐圧エステだけなら実験と言うより事故か何かでチューリップに飲まれたと考える方が自然でないか。
現実にクロッカス、パンジーという前例があるのだから。

しかし、木連側はあれをみて地球がボソンジャンプの実験を行っていると確信したらしい。
危険を冒して有人機を送り込んできたのは、無人兵器にはできない柔軟な判断を必要とするからだろう。
実験を行っているならまずそれがどんなレベルなのか見極め、資料を奪取する、または施設ごと破壊する。
研究員たちの身柄は拘束するのか、または殺害を目的とするのか。
そういった高度な戦術判断は無人兵器にはできない。
だから白鳥九十九がテツジンできたのだろう。

しかし、現地の情報なくしてはそれは危険な賭けだ。
出た先が軍の施設で回りには100機単位の機動兵器や戦艦までもが歓迎準備を整えて待っていたのではたまらないだろう。
間違いなく潜入工作員の類がいるはずだ。 イネスはそれは例の北辰たちだと思っていた。
しかし、もっぱら彼らの仕事は破壊工作に限られるらしい。 地球軍の特殊部隊のような情報収集などはあまり行わなかったようだ。
だとするなら、情報収集を行っていた連中が他に居ることになる。
火星の後継者事件の例を見れば分かるように軍の中にも既にシンパが居るのかも。
そして、目の前の青年も……

「いや、別にいまさら反対はしませんけど。
 でも危険じゃないんですか、こんな近くにチューチップを置いて」

「だから、それはいま説明したとおり周囲をディストーションフィールドで覆ってるから……」

「それはわかります。 でも、それは何を想定してるんです?
 バッタを外に出さないため? だったら出てきたバッタの処理はどうするんです?
 あるいは例のエステモドキを止められるんですか? 駆逐艦や戦艦は?」

カイトの質問は細かい。 そしてその内容はイネスに更なる疑惑を生む。
確かにあのフィールドはバッタくらいならおしとどめるだろう。
戦艦は論外。 そもそもあのサイズのチューリップでは駆逐艦サイズでさえ通るまい。
だが、マジンなら通れるし、破れる。
カイトの質問はそれを確認しているかのように思えた。

――― なぜなら、前回に襲撃があったのは明日だから。

そのためにここ数日でイネスとルリは色々と研究所のシステムに細工している。
ルリは実験の合間に研究所の警備システムに侵入し、ウイルスを仕込んでいる。
キーワードによって発動すれば、警備システムはルリの手に落ちるだろう。
そして襲撃がある前に偽の警報で職員を避難させる。 自分たちもそれに紛れて逃げる。
その際にイネスは実験用のCCをいくつか持っていき、カキツバタのアキトへ渡す。
あとは適当に九十九のテツジンをあしらってから自爆する方の1機を月へ飛ばす。
九十九の身柄に関しては最優先でユリカが確保する。 それがイネスらの計画だった。
既に1週間前に月で謎の爆発が起きていることは確認済みだ。
もしカイトがスパイなら、九十九の身柄確保には慎重にならねばなるまい。
そしてカイトの今後の行動にも注意を払わねばならない。

……何もかも計画通りには運ばないものね。

2人の会話に傾注しながらイネスはそう認める。
しかし、まだ彼女は甘かった。 既に時の流れはその支流でさえ同じではなかった。

「だから ――― 」

いい加減にイラついてきたらしいエリナが語気を荒げかけ、しかしその先は続かない。
カイトがいきなり走り出し、チューリップを見下ろせるガラスにへばりつくように体を寄せた。

「 ―――――― 」

そして固まっていたのは一瞬。
すぐに振り返ると猛然とこちらに駆け戻り、いきなり壁の火災報知機の赤いボタンを押し込んだ。
けたたましい警告ベルが研究所内に響き渡り、火災発生を告げる放送が合成音声でながれる。

「ちょっといきなり何を……」

「こっちへ早く!」

抗議の声を上げるエリナを強引に引っ張り、さらにイネスを手招きする。

「ここから逃げる。 全速で」

「……は、ちょっとあんたねぇ」

「くそっ、早すぎる」

エリナを無視して罵り声を上げるカイト。
その横顔にいつもの少し気弱な青年の面影はない。
緊張を抑え、判断を模索しつつ行動をとろうとしている。

「敵が来るの?」

唐突な展開に呆けつつイネスが確認した。
前回の襲撃は明日だった。 しかし、カイトの言葉をそのまま解釈するならいま襲撃があると取れる。

「後ろを見て。 そしたら次には出口へ全力疾走です」

言われたとおり背後を確認し……今度こそ固まる。
窓の向こうに見えていたのは巨大な腕だった。
手と言うにはあまりに大きく、大雑把で、それはまさに鉄塊と言う方があっているような腕。
間違いない。 テツジンだ。

「全力疾走!」

今度はエリナも異論を挟まない。
3人は肉体と本能・理性のすべてが命じるままにその場から逃げ出した。
無論、全力で。

1つめの異変はこうして起こった。


○ ● ○ ● ○ ●


2つ目の異変が起きたのはヨコスカ基地だった。
それは時系列的に見ればイネスたちの上に災厄が降りかかったのとほぼ同時だった。

「司令、カワサキシティの方から不審な電波を受信しました」

司令部に警戒態勢で詰めていたミナセ・アキコ少将は些細なことでも報告しろと命じてある。
通信士を務める中尉はその命令を忠実に守っていた。

「内容はわかりますか?」

「暗号化されていますが、民間用の強度の低いものですね。
 解析できました」

それはごく短い内容の通信文だった。

「『眠れる苗よ、雨季が来た』……これだけです」

アキコはいつものようにおっとりとした仕草で首をかしげる。
年齢よりだいぶ若く見える容姿とこういった仕草にヤラレル若い兵が多いのだが、本人に自覚はない。

「何か出典はあるんでしょうか?」

「はい司令。 調べます」

ネットワークに接続されている端末からキーワードで検索をかける。
Hit数はゼロ。 民間ではあるが世界最高峰とも言われる検索エンジンでさえ該当はない。
続けて英語、ドイツ語、フランス語など各国言語に訳した上で検索をかけるが、やはり該当しない。

「発信場所は?」

「ネルガルの研究所があるところですね。
 また連中が妙なことをやらかしたんでしょうか?」

「問い合わせてください。 ECMの発信はないんですね?」

「はっ。 いまのところ不審な電波発信はそれだけです」

戦略情報軍の警告を受けて警戒中ではあるが、いまのところ静かなものだった。
哨戒機もチューリップや敵の影は捕らえていないし、レーダーにもそれらしい反応はない。
市民団体がうるさいのはいつものことで、これらへの対応も慣れたものだ。

「暗号、ですか」

しかし、いまの電波は気になる。
民間の無線マニアが遊びで行ったならそれはそれで問題だが、まあ大したことではない。
木星蜥蜴……とは思えない。
未知のエイリアンの無人兵器が日本語で暗号を交わす理由をアキコは思いつけなかった。

彼女を含めたヨコスカ基地のスタッフは決して無能ではなかった。
しかし、すべてを見通せるはずはない。
彼女らに与えられていた情報はひどく限られており、まさしくそれはこの作戦を立案したものの狙い通りだった。
解読不能な量子暗号で発せられたならまずもってアキコは発信源に対する偵察を命じたことだろう。
すでに戦術偵察機が24時間体制で空中待機しており、そのうちの1機を向かわせるだけで事足りた。
そうすればカワサキで起こった異変にいち早く気付けただろう。

しかし、この電文はいかにも意味ありげでありながら、日本語と言う日常性があった。
解読できないほど難解な暗号だったり、未知の言語だとすれば怪しんで当然だが、
日本で日本語の電文が発せられるというのは、べつだんそこまで不思議なことではない。
研究所という秘匿性の高い建物からの発信と言うのもそれに拍車をかけた。
何かの実験の一環だとしたらそれも分かる。
ネルガル研究所に問い合わせ、どこにもつながらないとわかるまでの数分間の時間はここで浪費された。

第一、彼らが想定していたのはサセボで行われたような無人兵器による襲撃だった。
そのために打てるだけの手を打って警戒していた。
しかし、敵は海や空からはこなかった。 陸からでさえない。
敵はすぐ間近に居た。

「司令、まずいことになりそうです」

「何か?」

「市民団体の船がカキツバタに接近しています。
 連中、戦艦を見ていつになくハイになってるようで」

アキコは嘆息した。
排水量で100tもないようなボートにあれだけの人間が乗っていれば重心がかなり上になっているだろう。
下手をするとカキツバタの立てる波で転覆しかねない。

「近くの護衛艦で警告を。 ヘリを飛ばして救助体勢をとってください」

「はい。 司令部より護衛艦<太刀風>、<天津風>……」

通信士が護衛艦を呼び出す。
しかし……

「太刀風? どうした、太刀か ――― 」

それは突然起こった。
いきなり洋上に赤い花が咲く。
続いてどす黒い煙が狼煙のように上昇気流に飲まれて舞い上がる。

「 ――― 太刀風が、沈没しました」

通信士がすべての感情を置き去りした声で告げる。

「ヘリと近くの船で生存者の救助を。 敵は?」

「ボートです」

中尉の顔面は完全に青ざめていた。
レシーバーからは他の艦の悲鳴と怒号が漏れてくる。

「太刀風は、市民団体のボートと接触して沈みました」

「詳しく」

いまだ衝撃から立ち直れていないらしい中尉に歩み寄る。

「落ち着いて、報告しなさい」

幼子をあやすように噛み締めるように告げる。

「太刀風は、市民団体のボートと接触して沈みました」

中尉は繰り返した。

「カキツバタへ突っ込もうとしたボートの進路をふさいだんです。
 警告して進路を変えさせようと。 しかし……」

「ボートは進路を変えなかった?」

「はい、司令。 太刀風も回避を試みました。
 しかし、その横腹に突っ込んだんです」

「……困ったわね」

のんびりとさえ思える口調で呟く。
しかし、既にことの深刻さを認識していた。
排水量が10,000t近い船がボートに突っ込まれたくらいでああも簡単に沈むはずがない。
おそらくボートには人間以外にも火薬が満載されていたのだろう。
つまり、初めから自爆するつもりだったのだ。

「ああ、天津風に向かう! 司令、攻撃許可は……」

「認めません」

断言する。 

「司令、それでは!」

「命令です。 発砲はたとえ小銃でも認めません。
 ただし、湾内からの離脱は各艦長の裁量に任せます」

「無理です! あの狭い湾内でボートをかわしながらなど!」

「たとえそうであっても、軍人が民間人に発砲することはできません」

「……民間人?」

中尉は異国の言葉を聞いたようにそれを繰り返した。
アキコはそれに答えない。
おそらく本当にボートに乗っている人間の大半はいわゆる『善意の市民』だ。
その証拠に彼らもパニックに陥っている。
ボートから慌てて飛び降りる人影が見えた。
しかし、それも危険だ。 スクリューに巻き込まれかねない。

「……なぜ、ここにきてテロなんて」

いくらなんでもタイミングが悪すぎる。
まさか、これが木星蜥蜴の破壊工作だと言うのか。
だとしたら、木星蜥蜴とはいったい ―――

唐突に、やはり第2の異変も唐突に始まり、そして一瞬で終わった。
アキコがそれに気付くことはなかった。 いや、司令部の大半はそれに気付くことはなかった。
それは本当に一瞬だったから。

最初の終わりは通信士の中尉に訪れた。
彼が感じたのは光。 目を焼く閃光。
次の瞬間には彼の肉体は押し寄せた重圧によって砕かれ、意識の発生はほとんど同時に停止する。
コンソール内に仕掛けられた爆弾は決して大きなものとはいえなかった。
しかし、それは四角い司令部の4隅に仕掛けられており、一斉に爆発することで密閉された室内を地獄に変えた。
爆圧によって吹き飛ばされるもの、破片によって切り刻まれるもの、炎に焼かれるもの。
その過程は様々だったが、訪れる結末は共通している。
すなわち、死だ。

この一瞬の暴虐のあと、ヨコスカ基地司令部は完全にその機能を喪失した。


○ ● ○ ● ○ ●


第3の異変はそこから離れた場所で起こった。
したがって、ほとんどの人間はその一連のことに関連性を見出せなかった。

「ハーリー、ご飯は?」

「えーちょっと待ってよ、ラピス」

マキビ・ハリはいつものように朝食をとるべく食堂にいた。
ラピス・ラズリも同様だ。
しかし、いつもと違ったのはそこに居るはずの料理人たちが今日に限っていないことだ。

「おかしいなー。 ハタノさん、どうしたのかなー」

いつもならこの時間は大人たちでごった返しており、2人は苦労して座席を確保せねばならなない。
しかし、職員の姿は見当たらず、やはり食事の用意はされていない。
それでも10分ほど待ったのだが、検査のために朝食を抜いた胃袋は限界を訴えている。

「もしかして今日はお休みなのかな?」

現状に一番合いそうなのはそんなところだ。
しかし、そうなると2人の食糧確保という目的は果たせない。

「しょうがないか。 ラピス、諦めてお父さんたちのところへ行こうよ。
 きっとご飯くらいは用意してくれると思うよ」

「えー、また歩くの」

「仕方ないよ。 それともラピスはここで待つ?」

言われてラピスは人気のない食堂を見渡す。
うーと唸り、もう一度見渡す。
しかし、それで食事が湧いてくるはずもない。

「……わかった」

渋々ながら席を立つ。
苦笑しながら、ハーリーは両親の所在を確認するために端末へ手を伸ばす。
この研究所のコンピューターにはダッシュが駐留しており、こうして端末からアクセスできる。
ナデシコのようにコミュニケをつけているわけでないから、こうして端末を使うしかない。
研究所にはウインドウシステムが全面的に取り入れられているわけではないのだ。

「えっと、ダッシュ?」

端末からパスワードとアクセスコードを入力して中枢コンピュータのダッシュを呼び出す。
ハーリーはそれで義理の両親の所在を聞くつもりだった。
だが、返ってきたのは凄まじいまでの情報の奔流。

<危険!> <逃避推奨!> <危ない!> <奴らが来た!>
<脱出ルート模索中> <妨害実行!> <突破された>

人間で言うならいっぺんに話されているようなものだ。
マシンチャイルドのハーリーでなければ飽和状態になってしまうかもしれない。

「ダッシュ?」

<逃げてハーリー! 奴らが来た!!>

音声こそないが、ダッシュはそう言っている。
何か分からないが緊急事態らしいと悟ったハーリーは即座にダッシュから情報を引き出す。

「来た? 何が? 場所は? 危険度評価を。
 警備システムは? とりあえず映像を!」

相手がコンピュータなのでハーリーも一気に命じる。
そしてすべての回答は一瞬で来る。

端末に危険度評価がAAA、現在位置とこちらへ向かっていることを示すアイコンが表示。
警備システムが内部から無効化されてることを知らせていた。
そして映像。

「…………最悪だ」

そこには異様な装いの人間が映し出されていた。
いまどき時代劇でもあるまいし、マントと編み笠なんて。
そのうちの一人と視線が合う。
実際は監視カメラに気付いただけだろうが、ハーリーは背筋の凍る思いを体感した。

「なんでなんだよ」

「……ハーリー?」

ただならぬ様子にラピスが不安げに声をかける。
しかし、それに答える余裕はない。
すぐに脱出ルートの模索を開始。
同時に警備システムを片っ端から起動。
時間稼ぎになるだろうか?

「ラピス……」

ハーリーは自分の声が震えていないことに満足する。
体の震えが止まらないのにこれ以上はかっこ悪すぎる。

「逃げよう。 とにかく逃げなきゃ」

「ハーリー、ご飯はどうするの?」

「北辰だ」

告げた名前にラピスのいっさいが停止する。
不安そうな表情も、伸ばしかけた手も、言いかけた言葉も。

「ちくしょう」

倒れかかるラピスの体を支える。
小刻みな震えは自分のものか、ラピスのものか。

「ちくしょう」

もう一度罵る。

「このッーーーー!」

監視カメラの映像には見慣れた姿があった。
マキビ夫妻。 彼の義理の両親。

「この、このーーーッ!」

2人は他の大人たちのように白衣を赤く染めて倒れていた。
もう、動かない。

「ちくしょーーーッ!」

ラピスの手を掴みマキビ・ハリは逃げ出した。
涙は、まだ出なかった。




<続く>






あとがき:

『ツンがデレになったら用心せい。』
黒サブレは友人Kの言葉を思い出した。
しかし ―――

(萌えぬ。 かすりもせぬわ)

妹スキー、姉属性の甘党に「突っかかってくる嫌な女」はまったく射程外。

(かすりもせぬわ。 かすりも ――― )

⊂⌒~⊃。Д。)⊃ ←貴子さん攻略後


そんなわけでおとボクやってました。
マイナスからプラスに転じた方が振れ幅は大きいんだね!
前回の話あたりから暗いのは後々のハッピーエンドのため。
今回も暗いのは続きモノゆえ。 やましいことは何も。(伊良子風に)

それでは次回また。



感想代理人プロフィール

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代理人の感想

さらば母よ! 東北不敗暁に死す!

・・・・・・ってマジ?(爆)

 

しかしまぁテツジンは来るわ、テロは起こるわ、とどめに北辰と六人衆が出てくるわ。

カイトくんの正体とともに目が離せないところですねぇ。

 

ところで修正しておきましたが、九十九が乗ってやってくるのは「テツジン」です。

マジンは月臣が乗っていたウミガンガーもどきで自爆しようとした奴。

(月臣登場のときに「二週間前の月に飛ばされて云々」というセリフがありましたから間違いないでしょう)