時ナデ・if
<逆行の艦隊>

第24話その3 『真実』の嘘







木星圏の名も付いていないような小惑星を集めて作られたこの世の果てのような工場で
丸1週間をかけて組み上げられ、さらに整備と調整に1日をかけた2機の大型機動兵器は
その巨躯(頭頂高、実に30m)に見合ったゆっくりとした腕を伸ばす。。
やたらぶっとい腕に比べればミミズくらいにしか見えない指が、彼らが跳躍門と呼ぶ物体の覆う
ディストーションフィールドに接触……同時に紫電が散り、歪められた空間が軋む。
艦艇用の高出力なフィールド発生装置は、しかし意外なほどあっさりと破られた。

DFは決して無敵のバリアーなどではない。
元よりディストーションフィールドは空間を歪曲させてグラビティブラストを『逸らす』ためのものだ。
発想としては丸みをつけたて弾を滑らせてしまおうという避弾経始の発想に近い。
違いと言えばそれが実体のあるものか歪められた空間と言う力場なのかという程度だった。
ほとんど未知の代物でありながらDFを破る方法は簡単に見つかった理由はそこにある。
『逸らす』『受け流す』といった用途のものだけにDFもまた継続した負荷に弱い。
例えるなら某合気道の達人のように高速のパンチなら東洋のミステリアスパワーで投げ飛ばせても
ゆっくりとした動きで握られるのはちとやばいというようなものだった。

基礎工業力ではかなり水を開けられている木連であるが、やはりこの辺の技術には一日の長がある。
後にグラビティブラスト、ディストーションフィールド、相転移エンジンを装備する第1世代型と言われる
ナデシコの登場が確認されて以来、対DF用の装備を開発してきた。
それが火星占領で試作型のフィールドランサーを入手したことにより一気に加速された。
当然、対艦攻撃を主眼においているジンタイプには対DF用の装備がある。
それは極めて短時間でナデシコ級のDFさえ中和してしまう強力な代物だった。
艦艇用とは言え、研究所の電力で稼働している装置がそんな負荷に耐え切れるはずもない。
こじ開けた穴からさらに腕を伸ばし、こじ開ける。
そして……

――― すまない。

「ゲキガンフレアぁーッ!」

胸部から放たれた重力波砲が研究所の屋根を吹き飛ばした。


○ ● ○ ● ○ ●


それは赤い場所だった。 バケツ一杯の液体を奔放に撒き散らしたところへやはり適当にパーツを放り投げたらこうなるかもしれない。
それは実に煩雑で、無造作で、しかし圧倒的な存在感を放っている。
壁につけられたまだら模様は抽象画か心理テストに使われる模様のようだ。
そして足元に転がっているのは

「 ―――――― 」

頭部。
言うまでもない。 人間のものだ。
悲哀とも驚愕とも付かない表情を右半分凍りつかせたまま、それは転がっていた。
左半分は存在していない。 コンクリート片によって押しつぶされている。
首から下は見つからなかった。
しかし、問題はない。 どう考えても死んでいる。

「……おい。 大丈夫なのか、テンカワ」

「ああ、もう爆発はなさそうだよ」

既に基地各所から響いてきた爆発音もない。 謎の爆発があったのはほとんど同時。
それは各所で響きながら5分ほどで終了していた。
アキトたちが動き出したのはさらに10分が経ってから。
明らかに異常と思える事態にありながら、まったく説明はなく、それどころか基地の兵が来る様子はない。
いや、なんとなく外が騒がしくはあるのだが、アキトたちのいる部屋へ来る様子がない。
念のために、と内線電話をいじってみたが、音沙汰なし。
物理的に回線が切断されたということらしい。
二重三重のバックアップがあるはずの軍用施設でこの有様というのはいくらなんでも不自然だった。
しかも有線回線だけでなく無線であるはずの携帯端末もつながらない。
軍用周波数だけでなく民間周波数まで妨害されている。
明らかに広域の妨害を仕掛けられていた。
イネスやルリにもつながらない。

……でも、襲撃は明日のはず。

転がった人間の部品に不安をかきたてられる。
あのとき、研究所にはイネスとエリナも居た。
今回はルリもいる。
そのうちの誰かがこんな姿になったとき、正気を保っていられる自信がない。

「……テンカワ」

「壁が外側に崩れてる。 それに、この焦げあと……爆発は中から?」

イスに残っていた上半身をどけて自動販売機の中を覗き込む。
破口からみてこの内部に爆発物が仕掛けられていたのか。
かつてヨコスカ基地の兵員待機室だった部屋はこれで地獄と化した。
目を伏せ、その瞬間を描いてみる。
恐らく殺傷力を増すために閉鎖された内部に向かって爆風と炎が向かうようになっていたはずだ。
部屋に置かれた販売機は4つ。 そのすべてが原形を止めないほど無惨に焼け爛れている。
つまり、この中に仕掛けられた爆弾が一斉に炸裂したのだろう。

初めに襲い掛かったのは熱。 炎の舌が室内を舐めまわし、蹂躙する。
松明のように燃え上がる人々。 断末魔の叫びを上げる前に熱風が肺腑を焼く。
苦痛を知覚するまもない刹那の時間、次に来るのは衝撃。
そしてあらゆるものの破片。 砕かれたコンクリート、プラスチック、鉄、アルミ、そして人。
弾丸となってそれらはすべてを切り裂き、叩き潰し、粉砕する。

――― 苦しまなかった。 即死したはずだ。

アキトは半ば言い聞かせるようにして、遺体の虚ろに見開かれたままの目を閉じた。
その遺体は別の仲間の体が盾になったらしく、ほとんど焼け焦げてはいなかった。
生前を偲ばせる愛らしい少女の遺体は、しかし肋骨から下がごっそり喪失していた。
遺体の背後の壁には大きなプラスチック板が、いかなる力が働いたものか、深々と突き刺さっていた。
彼女の体はこれによって切断されたのだ。
この遺体はまだマシだった。 大半は炎に焼かれ、衝撃で原型を止め置かないほどに破壊されている。
砕かれた人体でさえ衝撃波で吹き飛ばされれば凶器と化す。
死因がロケットパンチなどと笑い話にもならない。

「テンカワ!」

3度目。 名を呼ばれて振り返る。

「リョーコちゃん」

「なんなんだよ、これ」

リョーコは震えていた。
視線はアキト固定されたまま微動だにしない。
それでも彼を写しているか分からないほど、その瞳には光がない。
失敗だったか、といまさらながらに後悔する。

いっこうに何が起こっているのかわからないため、アキトは確認してくるといって部屋の外へでた。
ユリカが自分も行くといったが、今回は残ってもらった。
部屋には旧ナデシコクルーが集まっており、元艦長のユリカがいなくなればリーダーシップをとる人物がいなくなってしまう。
緊急時に頼れるプロスとゴートはアキトと同様に様子を探りにいく。
ウリバタケは別に意味でリーダー的ではあるが、彼はこの場に居なかった。
なんでもナデシコ解体後もネルガルの仕事を続け、いまは月にいるらしい。
つまり、この場で皆をまとめられるのはユリカしかいない。
また、正規の軍人でもあるため軍との連絡も取りやすいだろうという判断だった。
そうなるとやはりアキト1人に……となりかかったところでリョーコがユリカの代わりに行くと言い出した。
生来の負けん気とアキトに対する微妙な思いがさせた行動だった。
それに何も分からないままうじうじと悩むよりは多少危険でも行動すべしというのはリョーコの性格にもあっている。
しかし、戦争の現実はあまりに過酷で、リョーコのそんな意識など軽く砕いてしまった。

「こいつらも……さっきまで生きて……。
 なんなんだよ、これ」

リョーコは恐慌状態の一歩手前だった。
無理もない。 彼女はパイロットとしてナデシコで激戦を潜り抜けてはいるが、あの戦いは機動兵器同士のものだ。
白い悪魔の某ニュータイプのように『相手がザ○なら人間じゃないんだ』は意識の上では真実を突いている。
死の恐怖はある。 あるいは仲間を失う恐怖も。
空や宇宙での戦闘では、死は静かに忍び寄り、音もなく襲い掛かり、そして嵐のように去っていくものだった。
喪失の現実のみが残され、誰かが死者の列に加わったのだと認識できるようになるのは時間が経ってからのことだ。
死は深海の闇のごとくぽっかりと口をあけているものだった。

そこに陸戦のような凄惨さは薄い。
戦友の砕かれた遺体を目にすることはない。
はらわたをはみ出させたままのた打ち回る姿を目撃することもない。
焼かれた脂肪の臭いを嗅ぐこともないだろう。
圧倒的な死が目に見える形で押し寄せてくる陸戦とは違う。
どちらがよりマシか、言い換えるなら地獄の1丁目と3丁目のどちらかという問題ではあるが、
この室内の惨状はいかに戦闘を経験しているとはいえ、10代の少女に衝撃以上の何かを与えたことだろう。

アキトは地獄の最前線と言われた欧州戦を2度も経験しているし、
遡るなら火星の後継者との戦い、そして彼らから施された実験によってその手の体験はある。
今も比較的平然としていられるのは、『慣れ』という人間の防衛反応の賜物だった。
それが幸か不幸かはまったく別問題として。

「なんでこんなことになってんだよ。
 オレ、わかんねーよ」

「リョーコちゃん」

リョーコは震えていた。
多くの死。 あまりに多くの死に直面して彼女が感じたのは何より原初的な恐怖だった。
そこにあふれ、ありきたりなものとして転がっている死の末路に彼女は恐怖した。
そして理解を拒んでいる。
当然だ。 理解したら狂う。

「いやだ。 怖いんだ、オレ。
 なんで、あ ――― 」

「リョーコちゃん!」

普段のアキトからは想像できないような強引さでリョーコを抱きすくめる。
それは抱擁というよりは拘束に近い動作だった。
無論、アキトも愛を語らう気などない。

「ごめん。 連れてくるべきじゃなかった」

崩れ落ちそうになるリョーコを全身で支えながら部屋の外へ連れ出す。
そうでもしなければ彼女はあの地獄さながらの場所で恐慌状態に陥り、暴れだしていたかもしれない。

「大丈夫だから。 リョーコちゃん」

「……テンカワ」

まだリョーコの体は震えている。
しかし、もう暴れだしたりはしないだろう。
そう判断してアキトは腕の力を緩めた。

「本当にごめん。 連れてくるべきじゃなかった。
 そうでなくとも中の様子を先に確認すべきだったんだ。
 だから、ごめん」

この様子だと他の場所も同じような有様である可能性が高い。
アキトたちがいた部屋が無事なのは単なる偶然か、あるいは普段使われていないために目こぼしされたか。
これが内部の者の犯行なら後者の可能性が高い。

「リョーコちゃん、部屋に戻って」

「……え? だけどお前は」

「戻るんだ。 そしたら誰が来ても扉を開けないで。
 ユリカに俺はカキツバタへ行くって伝えて欲しい」

通信もつながらない以上、歩くしかあるない。
あるいはどこかでエステを拝借する必要があるかも。
攻撃を受けたならカキツバタもいつまでも港に留まってはいまい。

「あとで迎えを行かせるから。
 合言葉を決めておこう」

少し考え、いくつかの浮かんだ中から1つを口にする。

「ナデシコ」

「……ナデシコ?」

「うん。 俺たちに一番ぴったりじゃないかと思って」

微笑む。
リョーコの方も笑みを返そうとしたのかもしれない。
ぎこちなく引きつった表情を浮かべた。

「じゃあ、いくから」

アキトはそれだけ告げると踵を返した。
あ、と声にならない吐息がリョーコの唇から漏れる。
伸ばしかけた手は中途半端なまま固まる。
できるなら初恋を知ったばかりの乙女のようにその背にすがりつきたかった。
できるなら恋の終わりを引き伸ばそうとする女のように行かないでと引き止めたかった。
できなるなら今一度、きつく抱きしめて欲しかった。
できるなら ―――

いくつもの想い。
しかし、それらのすべてを押し殺した。
とりすがって泣けばアキトは慰めてくれるだろう。
だが、それはリョーコにとってかくあるべしと定めた自分の姿とは程遠い。
それにここでこれ以上の足止めを受ければ事態はさらに致命的方向に転がるかもしれない。
自分の一時のわがままですべてを台無しにすることは到底できない。

いまは自分の弱さをさらけ出していい場面ではない。
アキトは並んで歩くべき戦友として自分を連れてきたのだから。
それに応えられなかった自分に許されることではないと自制した。
それがいまのリョーコに精一杯の強さだった。

アキトは振り返らないまま、しかし走り出すことなく歩いてゆく。
それが妥協点であり、いまの彼に精一杯の気遣いだった。
呼ばれればふり返ることができる。 駆け寄れば追いつける。 そんな歩幅を保ったまま。
アキトはそうして精一杯の気遣いを示し ――― そして曲がり角に消えた。

「 ――― ばっきゃろ、早く行けっての」

リョーコがそう呟けたのはアキトの姿が見えなくなってたっぷり5分は経ってからだった。
その表情は置き去りされた迷子の子供のよう。
そんな月並みな表現そのままだった。

それもそうだろう。
ナデシコを失い、彼女は進むべき道を見失っていたのだから。


○ ● ○ ● ○ ●


この場所に迷いはなかった。
誰もが果たすべき役割を承知していたからだ。
迅速に、迷いなく行動しなければ事態は容赦なく自分たちを蹂躙するものだと皆が承知していた。
思考を巡らせ、肉体を酷使しながらも動き続けなければ流されてしまうだけだと経験から熟知している。
ゆえに襲撃を受けた際のカキツバタの判断は簡潔かつ迅速だった。

眼前で天津風が船腹に大穴を空けられるのを見るなりジュンは反射的にディストーションフィールドの展開を命じていた。
200m近い巨体を誇る戦艦はひとたび着水(or 着陸)してしまうと容易には飛び立てない。
1Gの重力の鎖を断ち切るにはまず待機状態の相転移エンジンの出力を最低でも巡航レベルまで上げる必要があるのだが、
真空からエネルギーを取り出すという性質上、大気圏内では出力が上がりにくく、宇宙での使用に比べて最大値も劣る。
それでいて負荷は重力に加えて大気摩擦、水の抵抗の三重苦を背負わされているわけで、時間がかかって当然と言えた。
カキツバタの相転移機関は新方式である程度の補いをつけていたため、初期型のナデシコよりはマシだが、
それでも思い立ったらすぐに、というわけにはいかない。

カキツバタのエンジンが従来の方式と違うのは、相転移エンジンから排出されるエネルギー準位の低い真空をもう一度循環させて使おうというという試みがなされている点だ。
取り出されるエネルギーは同量の真空中からならばエンジン内の『基準となるエネルギー準位の“低い”真空』と『外部から取り込まれるエネルギー準位の“高い”真空』
の“高低差”に依存する。 ナデシコなどではこの『低い真空』は固定されていたが、カキツバタはそれをを初期起動用とし、
それとはまた別にエンジン出力が上がってきたら排出される『低い真空』を再度取り込み、こちらを基準として高低差を大きくとることができるようになっている。
分かりやすく例えるなら、初めはツンツンしている生徒会長が後半でデレデレになったときの衝撃の大きさを想像すればいい。
もしくは不良少女が雨に濡れた猫に傘をかけてあげるところを目撃した場合。
他にも普段は強気なお姉さんがあの時はしおらしくなる……などなど。

また、単純に多くの真空を取り込めばそれだけ出力も大きくできるわけで、ゆえにエンジンの容積は3割増し。
かつ取り込んだ真空をディストーションフィールドで空間ごと“圧縮”している。
つまり布団圧縮機を使えば同じタンスに、それまでの3倍布団を収納できるがごとく限りある容積の中に見かけ以上の真空を取り込めるわけだ。
この方式の相転移エンジンを搭載しているのは現状ではカキツバタのみ。
コスモスは多連装グラビティブラストを連射できるようにエンジンを並列に4基……つまりナデシコの倍も搭載したが、
カキツバタは2基とナデシコと同数でありながら大気圏内でグラビティブラストを連射できるという凶悪ぶりからもこの有効性は伺える。

だが、やはり大気圏内では起動が遅いという欠点は変わらない。
加えて補助機関である核パルスエンジンは地表に近い場所や水面付近では使えない。
水素を核融合させ、その一部を後方へ噴射するという原理からして、そんな場所で使えば地表は凄まじいことになる。
水面でも同じだ。 あるいはさらにたちが悪い。
高エネルギーの核パルスは水分を急激に沸騰させ、爆発に近い現象を引き起こす。
しかもそのあとに濃密な霧を生じさせる。
つまり、強引にでも速度を稼ぎたい大気圏離脱のときに高高度で使うかでないと、とても使えたものではない。
そもそもが“宇宙”戦艦に大気圏内での活動を重視する理由はない。

その不利な状況で受けた突然の襲撃。
選択肢は3つ。 すなわち攻撃、防御、回避だ。
このうち攻撃は論外。 そもそも敵がどこにいるのかも分からないのに無闇に撃てば最悪で同士討ちになる。
回避もあまり現実的でない。 待機状態の相転移エンジンではすぐには飛び立てず、水上で回避するのは限界がある。
水上艦艇であっても飛んでくるミサイルや砲弾を回避運動だけではかわしきれないのに、
抵抗の大きなカキツバタの船体でそれができると考えるものはいない。
したがって残るのは防御。
ディストーションフィールドを展開するだけでなく、ミサイルに対するECM、チャフ、フレア、デコイなどのソフトキルが試みられた。
しかし、とくに後半は蛇足だったと言える。 敵はミサイルなどではない。
もっと厄介なものだ。

「……日本人はいつからカミカゼを復活させたんだ?」

ジョークにしては笑えないな、とジュンは思った。
言っている本人にも日本人の血が半分流れているのだから。
まあ、彼女は生まれはアフリカ、育ちは欧州だが。

「ボートによる特攻など、20世紀のテロ組織でもあるまいし」

「だが、現実だ」

いち早く衝撃から立ち直ったシュンがカズシの呆然とした呟きに応える。

「正気か、連中」

ジュンの反射的に命じたディストーションフィールドにボートがぶつかる。
いかにディストーションフィールドが対グラビティブラスト用のものとはいえ、
戦艦クラスのそれは物理的障壁にも等しい強度を持つ。
敵戦艦のリニアカノンさえ弾くほどの代物に排水量100tそこそこのボートがぶつかってただで済むはずがない。
船体が損傷するか、転覆の可能性さえある。
しかし、現実はそれ以上だった。

「左舷、ボート突っ込んでくる!」

「面舵30! 全速!!」

航海長が叫ぶが、カキツバタの動きは鈍い。
DFを展開して抵抗を減らしているとはいえ、水の抵抗は大気の比ではない。
加えてウォータージェットは入港時に使うためのもので、当然のごとく戦闘機動など想定していない。
必死の回避運動も破局の回避には役だたなかった。

「ちくしょう!」

火炎が弾ける。
船体の破片が高々と舞い上がり、その中に人の破片も混じる。
しかし、その爆発もカキツバタの船体に届くことはない。
ただ空間を伝播する衝撃波と砕かれた断末魔だけが届いていた。

「……機関は?」

悪夢のような光景に、すべての感情を喪失させたかのような声でジュンが問う。

「現在、出力45%。 60%で浮上可能!」

「DFをカットした場合は?」

「現在の出力でも重力制御で浮上はできます」

機関長からの報告に頷き、命じる。

「フィールドカット。 浮上を最優先に」

「危険です、艦長」

もっとも至極なことを副長が言う。
いかに戦艦とはいえ、カキツバタの船体は強固な装甲で覆われているわけではない。
いや、もちろん大気圏離脱時の加速や戦闘機動における急激なGの変化にも耐えられるように船体強度は高めに取られているし、
戦闘を行う以上、どこかが壊れる可能性はあるわけで、DF発生器が壊れた場合でも再突入に耐えられるべしという基準に合致するように
船体には複合装甲が貼り付けられている。 また、これは戦争でさらに増えつつあるスペースデブリの対策も兼ねている。
つまり、下手をすると前時代の水上戦艦(宇宙戦艦との区別のためこう呼ばれる)くらいには直接防御力は高かったりする。

が、それは船体の話。
レーダーやセンサーの類は基本的にミサイルのスプリンター防御が施されている程度で、基本的には剥き出しに近い。
重装甲を施すと電波や赤外線の類まで遮蔽してしまい、それでは使えなくなってしまうからだ。
ミサイルの直撃を受ければ一発で全損することは間違いない。
例え船体が無事でも電子機器を失った軍艦はただ浮かぶだけとなってしまう。
ミサイルの誘導、主砲の照準、対地・対空警戒、艦載機の管制、それらすべては電子機器なくしては成り立たない。
もしDFをカットしている最中に携帯式ミサイルでも撃たれたら、至近距離では何しろ的が大きい。
外れることはないだろうし、それがレーダーにでも当たったら一大事だ。

「敵はボートによる自爆だけだ。 なら浮かんでしまえばDFはいらない。
 万が一、ミサイル攻撃を受けた場合はCWISとECMで対処する」

「しかし、この至近距離でCWISを使えば流れ弾がボートに……」

「ああ、僕もそんな事態にならないことを願っている。
 で、いまのは命令だよ、副長」

ジュンはむしろ穏やかささえ感じる口調で告げる。
そして命じられた副長はというと、思わず復唱することも忘れてジュンの顔をまじまじと見つめてしまった。
彼は遠まわしに流れ弾がボートに当たることは許容される損害の範疇だと断じたのだった。
そして同時に命令だと伝えることで責任は自分が負うからさっさと準備しろとも言っている。
つまり、恐らくは無辜の民間人も乗っているだろうボートを、カキツバタの自衛のために沈めることもいとわないと決断したのだ。

……何があった。

そんなジュンに対し、カズシはそんな疑念を抱いた。
確かに敵意を持った攻撃を受けている以上、積極的に攻撃しても軍法上の問題はあるまい。
しかし、それでもなお民間人を……同じ人間を撃つ、ということには抵抗を覚える。
中東やアフリカなどで紛争や暴動の鎮圧といった任務でも経験していない限り、
この時代の軍人にとって『敵』とは木星蜥蜴というエイリアンであり、その無人機動兵器であった。
それは自己と仲間の命をかけているという点は共通しているが、
殺人の禁忌を破らなくてもよいという点でそれまでの戦争とは一線を画するものだった。
この上ないほど敵の姿が明確で、しかもだた憎んでいればそれで済む相手だったのだ。
それがいまは ―――

「7時方向、ミサイル!」

予想通りではあるが、あたって欲しくない予想ばかり当たるものだ。
迎撃は命じられない。 いまから命じたところで間に合うはずもない。
人間が行うのは準備まで。 そこから先は機械の役割だ。

ボートから放たれたのは歩兵携帯式の対空ミサイルだった。
誘導方式は赤外線画像認証とアクティブレーダーホーミング。
形式こそ軍が使っているものの2世代前の骨董品だったが、兵器であることに変わりはない。
艦橋を直撃すれば要員を全滅させることだってできるだろうし、アンテナの類を狙えば戦艦にだってダメージを与えられる。
しかし、その後の展開を考えれば訓練を受けた兵士なら絶対にやらない無謀な攻撃だ。
今回もそれは同様だった。

カキツバタのレーダーは高速で接近する物体を捉え、その情報は即座に戦術コンピュータへ伝達された。
赤外線の反応からそれがロケット推進のミサイルであると判断した戦術コンピュータは脅威度を大と判断。
あらかじめ入力されていたドクトリンにしたがって対応を検討。
そしてそれは火器管制へと引き継がれ、レーダーで捉えた情報を元に最適の攻撃手段が選択された。

船体下部に増設されたCWIS(近接防空システム)の1つである20mm対空レールガン。
その砲身が小刻みに動き、一瞬後にプラズマの輝きを引きずる超音速の砲弾を発射。
旧式の歩兵携帯式ミサイルは最大速でも音速を越えることはない。 元々がヘリコプター対策のためだからだ。
しかも発射された直後から最大速を発揮できるはずもなく、火星での戦訓から超音速型のミサイル対策として増設された
対空レールガンにしてみれば止まった目標を狙うにも等しい。

バーストモードで3連射。 計9発の弾が微妙に照準をずらして発射され、その2斉射目がミサイルを捉えた。
超音速の弾丸は、その運動エネルギーだけで十分に弾頭を破壊し、それだけでなくミサイル筐体そのものを衝撃で粉微塵にした。
この時点でCWISはその役割を完全に果たし終えていたが、一度発射された弾丸がそれで引き返すはずもない。
最初に放たれた3発は海面に着弾し、盛大な水柱を上げただけだった。
しかし、命中しなかった残りの3発はミサイルとの延直線上にあったボートを直撃。
射手もろともにボートを完全粉砕する。 マッハ11の弾丸は直撃せずともその生み出す衝撃波だけで十分な凶器だ。
炎さえ上がるいとまもなく微塵とされ、乗員全員を即死させた。

「……命中。 ミサイル迎撃しました」

あえてそれ以外の事象から目を逸らして報告がなされる。
ジュンもそれで十分だとばかりに他の事を聞こうとはしない。
ただ、こう命じる。

「引き続きミサイルを警戒せよ。
 エンジン出力60%でフィールドを再展開。
 それまではすべて撃ち落すんだ」

つまり、フィールドが再展開されるまで似たような光景が繰り返される、そういうことだった。

「一時、この空域を離脱できないのか?」

「できます。 ですが、しません。 ヨコスカ基地は攻撃を受けました。
 まずレーダーサイトと通信設備を潰し、司令部を爆破して指揮系統を叩いています。
 つまり……これは下準備でしょう」

「単なるテロじゃないと?」

ジュンの言葉にシュンは固まった。
ジュンはこれが単なる無計画なテロとは見ていない。
本格的侵攻の下準備だと告げたのだ。

「どんな大きな獣も、目を潰し、耳を塞いで足をはらえば倒れます。
 頭を潰せば致命傷ですし。 敵は一見してひどく乱暴な手段ながら、この点を守っています。
 しかも、こちらの準備が整わず、心理的衝撃から立ち直る暇を与えないようにして。
 行動役は素人かもしれませんが、れっきとした軍事作戦です」

「だが、相手は人間だぞ」

「ですが、敵です」

ジュンは強く断じた。
思わずシュンが言葉に詰まるほどに、強く。

「お忘れですか? 僕らは……戦争をしているんです」

それはその場の全員が絶句するほど強い言葉だった。
彼らも軍人であり、実戦を経験してきたものたちだ。
人の死には慣れているが、それが自分の手で行われた殺人となるとまた話は別だった。
また、このテロ攻撃に対し、各方面の対応が遅れた理由はそこにある。
彼らはこの戦争からこの方、同じ人間を『敵』とみなすことに慣れていなかった。
それがジュンの一言で再認識させられた。

これは殺し、殺される戦争の一端に過ぎないと。

その正しさを認める一方で、シュンは暗澹たる思いが湧き上がってくるのを感じた。
おそらくは欧州で体験した一連の『悲劇』がこの気弱で頼りなさげだが、誰もが素直に好感を抱けるような青年に
衝撃以上の何かを与え、その精神に暗い影を落としていることに気づいたからだった。
だが、そのことをいまは告げない。
優先すべきは事態の収拾であり、その点でまったくジュンの判断は正しいように思えた。
彼もまた義務を負った軍人であることを忘れてはいなかった。

「機動兵器を出す。 準備を急げ」


○ ● ○ ● ○ ●


抵抗はほとんどなかった。
突然の、あまりに突然の事態に誰もが冗談のようにしか受け止めなかったからだ。
常時即応体制をとっているはずの空軍機さえ上がってくる様子が無いところをみると
奇襲は完全に成功したようだ。

「すべては眠れる苗ということか」

眠れる苗、それは出撃前に八雲から聞かされた単語。
地球人の中に潜り込んでいるスパイたち。
その彼らがマジンの電文に応じて一斉に蜂起したのだ。
警察、軍、役所といった重要施設はその機能を完全に麻痺させた。
例えどれだけの戦力が残っていようとも動けなければ意味が無い。
現にカワサキからヨコスカに移動するまでの道で抵抗らしい抵抗はいっさい無かった。
あったとしても警察のパトカーがバリケードを作っていたくらいで、
2機の大型機動兵器……九十九のテツジンともう1機の特別仕様のマジンには障害となりえなかった。
彼は自己の職務に忠実たらんとする男たちの一団を跳躍でかわして進んだ。
なぎ払うこともできたが、軍人として、また木連男児としてかくあるべしとして両親から受けた教育がそれをさせなかった。

また、それはわずかばかりの自己満足を得るための行為でもあった。
数時間後にはヨコスカシティの近代的であり、煩雑とした市外部はその中に暮らす多くの人々と共にこの世から消滅するだろう。
視線を動かし、テツジンの後ろを騎士に従う従者のようにつかず離れずの距離を保って追ってくる特別仕様のマジンを見た。

テツジンとの外見的な差異は大きい。 テツジンは木連の聖典であるゲキガンガーの筆頭であるゲキガンガーを模している。
これに対し、マジンはウミガンガーを模していた。 細かな仕様の違いもある。
また、重量級パワーファイターのリクガンガーを模したデンジンもあるのだが、それは今回はつれてきていない。
ジンシリーズの元ネタとなったゲキガンガーは3機のメカが合体する組み合わせを変えることで
オーソドックスなゲキガンガー、スピード型のウミガンガー、重量級パワーファイターのリクガンガーの3形態を取れる。
基本的には同じメカのはずなのに性能どころか重量まで変わるのはどんな仕組みやねんというツッコミはノーサンキューないかにもなスーパーロボットだ。
まあ、それはアニメであって演出の都合と言うものなので大真面目に「いや、それは科学的におかしい」などと一説ぶるのは非常に困ったものだ。
しかし、木連は大真面目にその『無敵!ゲキガンガー3』を実物のものにしようとしてしまった。
そして実現するからには原作に忠実にしたいと思うのがヲタ心理。
それが戦時という特殊性と結びついたとき、盛大にアホな計画は実現されてしまった。
まだ頭に『劣化』とかつけると市民団体が核兵器だと騒ぎそうな名前の妹を持つ原子力ロボットにあこがれた大人たちのせいで
世界でもTOPクラスの人型ロボット技術を手に入れてしまった弧状列島国のほうがマシかもしれない。
少なくと彼らはロボットの動力に原子力を使おうとはしなかった。
まあ、極寒の地の熊だとか自由と正義を標榜しながら自国ではちっとも実現しない米の国の人たちは原子力を戦車や巡洋艦の動力に使っているが。

それはともかく、スーパーロボットを実現させるにはあまりに多くの技術的制約が多かった。
まず、合体変形機構が真っ先に切られた。
当たり前だが3機のメカの順番を変えれば3種類のロボットになるなどというのはムリが過ぎる。
妥協案として3種類の仕様の違う機体をつくることになったのだが……これが木連のただでさえ細い生産ラインを圧迫した。
ジンシリーズのコンセプトは小型で戦艦に対抗できる機動兵器であった。
のちに単独ボソンジャンプシステムの搭載が決定されるとこの傾向はさらに強まった。
自然と同じコンセプトで作ればそれは似たり寄ったりの形に収れんするのが技術というもの。
3種類のジンシリーズは胸部にグラビティブラスト、腕は対フィールド機能を持ったミサイル、
背中に相転移エンジンという形に落ち着いた。 もはや種別による性能差など無いも同然だった。

こうなると1機種ですませられるなら、とどれかに統一するのが普通だ。
現に東 八雲少将や経済担当の西沢 学などは費用効果の面からも統一すべしと意見している。
が、これは現場の優人部隊から強硬な反対にあった。
設計側からも特徴が無いなら作るべしとして実用にはほとんど意味が無い細部の設計が変更された。
例を挙げるならテツジンの指は4本で、マジンやデンジンは3本しかも微妙に違う。
外観としても頭部形状の相違など。 また、基本フレームまで違うものを使用した。
ウミガンガーを模したマジンなど『水中用』の装備もあるくらいで……さすがにこれが役立つことは無かった。
この様々なムダによってジンシリーズの投入は遅れに遅れた。
原型が鹵獲されたエステバリスとはいえ、あとから開発がスタートした一式戦<尖隼>や二式局戦<飛電>のほうが
投入は早かったくらいだ。

この点でエステシリーズとジンシリーズは大きな差がある。
性能は後々の機体に比べれば凡庸でも、必要とされたときに十分な数が間に合ったエステと、
初期の攻勢に間に合わず、投入されたときには戦況は不利になっていたという、遅すぎた決戦兵器。
どちらに価値があるかはいうまでもない。

九十九はそんな斜陽の中で戦っているのだった。
そして彼と特別仕様のマジンはこの不利な戦況をひっくり返すべく動いている。
戦術的には非道・詭道・外道とも言えるが、その戦略・政治的効果は絶大と言うものだ。
むろん、優人部隊内部からの反対は大きかった。
しかし、東 八雲少将は頑として受け入れず、この作戦を強行した。

たとえ卑怯者、悪鬼羅刹と罵られようとも引く気はない。
八雲は珍しく固い表情でそう告げた。
あるいは彼にはわかっていたのだろう。
地球連合軍は正々堂々真っ向正面から戦って勝てる相手ではないと。
このままでは戦力差からジリ貧になるしかない。

だから九十九はこの任務を受けた。
泥を被る覚悟を決めた。
そのための特別仕様機を引き連れて。
その目的は ―――


「無制限戦略攻撃?」

イネスは聞きなれない単語に眉をひそめた。
ハンドルを握るカイトは早口にまくし立てる。

「ああ、つまり簡単に言うと無差別攻撃です。
 潜水艦による通商破壊、大型爆撃機による都市部への無差別攻撃。
 あるいは艦艇による対地砲撃も含んでいいでしょう。
 今回のもそれと似たようなもの……いえ、もっと不味い」

「対地砲撃なら火星で体験済みよ」

カイトは何も言わない。
イネスもそれ以上のことは語ろうと思わなかった。
あの恐怖……そう、恐怖だ。
あれは体験したものでないと分かるまい。

いつ果てるとも無く続く暴力。 手の届かない空から降り注ぐ光。
静寂にさえ怯え、死すら救いに思える時間。
ある日突然に襲いくる日常の崩壊。 非日常さえ日常と化し、そしてそれさえも……

「それで、もっと不味いって言うのは?」

口を挟んだのは後部座席のルリ。

「研究所ごと吹き飛ばされかけて、これ以上なにがあるっていうの?」

不機嫌そうなのはエリナだ。
後生大事そうに抱えているのは頑丈なアタッシュケース。
それをミラー越しに一瞥してカイトは告げた。

「ヨコスカが消滅します」

「 ――― は?」

聞き返したのはエリナだけだった。
ルリとイネスはやはり、という思いしか抱かない。

「研究所のチューリップから現れたのは2機。
 うちの1機は特別仕様です」

「まさかオプションで自爆装置でもついてるの?」

いつだったか、ウリバタケがロマンだと力説していた。
エリナはそれを思い出して冗談のつもりで言ったのだが、

「敵機は相転移エンジンを積んでいます。
 技術者連中は魔法の小瓶のように思っているかもしれませんが、あれはいわば核と同じです。
 ただ破壊兵器としてよりも動力として開発されたのが早いだけで」

「相転移エンジンは空間のフラストレーションを構造内部に抑えて、さらにはゆっくりと制御している。
 これを暴走させて構造の外で炸裂させたら ――― 確かに都市の1つくらいは吹き飛ぶわね」

ナデシコの相転移砲ほどの威力は無いだろうが、都市部でやられたら死者は数十万のオーダーになるだろう。
今更ながらにあのときのアキトがどれほどの綱渡りをしたのか伺える。
彼はヨコスカ市民の命を救ったが、自身がA級ジャンパーであることを証明してしまい、
のちの悲劇を招いたのは皮肉としか言いようがない。
あるいは世界はこういった皮肉で溢れているのかもしれない。
そもそもイネスやアキトからしてA級ジャンパーでなければ火星で命を落としていただろうから。
歴史にIfはないとは言うが、それなら自分はなんなのだろう。
時代を遡る体験を2度もして、そして今は歴史を変えようと……いや、結果的には同じことにしようとしている。
まったく妙な話だ。

「対策は2つ」

いまだに二の句が告げられないエリナをよそにカイトが口を開く。

「1つは単純に自爆前に撃破する」

「応戦できる部隊がいますか?」

ルリが研究所から無断で半永続的に拝借してきたノート型端末で軍のネットワークに侵入したところ、ヨコスカ周辺の部隊はひどい混乱状態にあるらしかった。
ヨコスカ基地の海軍だけでなく、即応体制にあるはずの厚木の空軍や他の部隊も同時多発したテロで指揮系等を破壊されてしまった。
彼らは動こうにも状況さえ確認できず、まず何が起きたのかを把握する必要があり『何が起きるのか』ということへの対応がとれずにいる。
物理的に回線が途絶した部分もあるらしく、ルリでさえすべてを把握しきれているわけではなかった。
ただ、彼女の場合は過去の経験から推測できるだけマシだ。

前回の記憶によれば九十九の襲撃に対して応戦できたのはナデシコのみ。
他は空軍の戦闘機が何機かといった程度だった。
後に軍へ入隊してからそのときの記録を確認したのだが、対応の遅れた理由は日本の事情によるものだった。
まず政治的な理由。 いわゆる軍事アレルギーにともなうあれやこれやの制約とお役所仕事。
即応体制にあった空軍の迎撃隊だけはその柵の外にいたために出撃できたわけだが、
戦闘機でテツジンを破壊するのは困難だ。 対空兵装ではまずムリで、対地ミサイルに換装するのに時間を喰った。
そして出撃してみれば敵は既に市街地でミサイルを使うわけにもいかず、あげくにレーザーで2機が撃墜されている。
次に地理的要因。
陸軍部隊が駆けつけるには空挺輸送か、さもなければ道路を行くしかない。
しかし、例によって混乱した人々が我先にと逃げ出したおかげで道路は大混雑。
いかに悪路走破性には定評があるエステとは言え、幹線道路より路肩を歩いていく方が早いはずがない。
そこでまた時間を喰った。
そして最後はいかにも馬鹿な理由だが、ようするに通報を受けた軍の担当者がそれをイタズラだと決め付けたことだ。
まあ、考えてみれば「ビルくらいありそうな巨大ロボットが町で暴れています」と聞いて本気だと思うのは逆にどうかと思う。
さすがに同様の通報が10件、20件となるに到って偵察部隊が出撃し、本当にそのマンガチックな光景を確認したことで本隊の出撃が決定された。

「この混乱ではムリですね」

カイトはあっさりと認める。

「だからこうしてフォローに懸命になっているんです」

あの一件はいわば連合軍のミスの積み重ねだったのだ。
そして、そのためにアキトはジャンプするはめになり、ナデシコは新入りのパイロット……イツキを失った。
今回の歴史ではすでにナデシコはないが、その穴を埋めるかのようにカキツバタがある。
そして何の因果か、旧メンバーがヨコスカに集まっている。
加えてカイトという予想外の人物によってCCを運ぶ手伝いをしている。

偶然で片付けるにはすべてができ過ぎている。
思えばなぜここまで類似点があるのかとさえ思う。
過去なんだから当然、という考えはイネスにはない。

過去とは言え、事象であるからには因果律から逃れられないと彼女は考える。
つまり、原因があって結果があるということ。
過去だからと結果だけが不動のものであるはずがない。

例えば、好きだった彼女に告白して振られた。
それに納得いかない男は過去へ戻って同じことを繰り返す。
結果はやはり振られるだろう。
それは彼女が男を好いていないからだ。
その結果を変えたいと思ったらさらに過去からやり直すしかない。
出会いから印象をよく、彼女に気を使い、あるいは演技を混ぜて彼女の理想になる。
そうして日々を積み重ね、ここぞというときに決めれば成功するだろう。

イネスたちがやろうとしているのも同じことだ。
未来での火星の後継者の事件を防ぐには原因となったこの戦争そのものを変えるしかない。
できれば戦争そのものを回避、もしくはジャンプの研究そのものをフイにしてしまいたいくらいだったが、
あいにくと跳ばされたのは開戦より少しだけ前で、とてもそんな時間も手段もなかった。

だが、ナデシコと言う力を手に入れてからは別だ。
ヤマダ・ジロウ、火星の生き残りを初めとする死んだはずの人々を助け、
月軌道、北極海、クルスクなどでとことん歴史にないはずの戦闘を経験し、
極めつけにナデシコの解体、アキトの欧州派遣など。
すでに似ている所を探す方が難しいほど歴史は変わっていた……否、既に変えられていた。
それなのに、ここにきて慌てて修正されるかのように事態は奇妙な符号を見せる。

(だとすれば、1週間前の爆発はやっぱりアキト君?
 なぜここにきて同じ展開に……)

そこまで考えてふと気付く。

「カキツバタから部隊が出ています。 これで1機は補足できる。
 でも、別働のもう1機は……」

カイトの言葉も耳に入らない。

かつてと同じ展開。
だとするなら、彼女は ――― イツキは、どうなるのだろうか?


○ ● ○ ● ○ ●


体が重い。 手足が痺れる。
心臓が暴走してしまったかのようにどくどくと耳障りな音を立てる。
まるで別の生き物に寄生されたみたいだとマキビ・ハリは思った。

「……ラピス」

強く握りすぎて感覚などとっくに失せている右手。
その手が掴むのはさらに小さく、華奢な手。

「ラピス……ねえ、答えてよ」

だが、語りかけられた少女は何も言わない。
虚ろな瞳は少年の姿を写しているが、それが脳にまで届いているか疑問だった。
白い肌はさらに血の気を失い、青ざめている。
しかし、ハリの握った部分だけは赤く指のあとが残っていた。

いつもなら「痛いじゃない、ハーリー!」という罵声と共に胴廻し回転蹴りの1つでも
とんできそうなものだが、いまのラピスは肉体の痛みにさえ無反応だった。
同じように青ざめた唇はただ一人の名前を繰り返し呟いている。

「……あきと・あキと・アきと」

壊れたレコーダーのように繰り返し、繰り返し。
それは呪詛にも似た言葉の連なり。
意味を持たず、持たせられず、ただ紡がれる。

「…………」

泣き出したくなる。 泣いて、喚いて、叫んで……。
すべて投げ出して目を瞑って丸まっていたくなる。
なんで僕が、そう言ってしまうのは簡単だった。
咎めるものはいない。 聞く相手がそもそもいない。

「……ちくしょう」

これも何度目になるか分からない言葉。
弱音は吐けない。 そうしたらすべてが崩れてしまう。

「ダッシュ、隔壁のコントロールは?」

<非常用の回線を確保。 物理的に寸断されてるところ以外はいけるよ>

幸い、研究所にはいたるところにコンピュータ端末がある。
コミュニケを持たないハリがダッシュと交信するにはこの端末を使うしかない。

「わかった。 回線をこっちにまわして。
 とにかく時間をかせがなきゃダメだ」

大人と子供というのもおこがましいほどの差が北辰たちと自分にはある。
数の上でも2対7のうえ、個々の戦力は比べるのもバカらしい。
真っ向からの勝負では勝ち目はない。 なら、自分の土俵で勝負するしかない。

「ルリさん、もう一度……もう一度、会いたいです」

憧れていた人。 はじめて会ったのはナデシコBに配備された日だった。
ガチガチに緊張し、それでも精一杯に自分なりの『軍人』を演じようとしていたハリに、
ルリはその後と同じように平静で抑揚なく、それでいて柔らかな声でこう言ってくれた。

『……私と同じですね』

それが何を指して言った言葉か未だにわからない。
同じマシンチャイルドということを指していたのか、最年少オペレーターの記録に並んだということか、
それとも「あんな子供に」と憐憫と嘲笑を込めて囁かれていたことか。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
そんな雑音などルリと会った瞬間にどうでもよくなっていた。
同じマシンチャイルドという共感もあったかもしれない。
だが、それらのすべてを飛び越して少年は一つの確信を抱いた。

――― それは初恋というものだったのかもしれない。

未熟で、不安定で、ともすれば消えてしまいそうな淡い想い。
だからもう一度会って確かめたかった。
幼い憧憬、叶わない初恋だとしても、もう1度……



扉のパネルをいじっていた編み笠の1人が顔を上げる。

「暗号が書き換えられております。 おそらく、妖精かもう1人の小僧かと」

「思った以上に手間取るな」

「はっ、申し訳ありません」

「うぬを責めるわけではない。 が、このままでは時間ばかり喰うな」

北辰はこの作戦が時間との勝負だと理解していた。
まあ、奇襲が基本の彼らにそれはいつものことだ。
今回も定時連絡の直後を狙っている。 次までは約3時間。
異常を察知してネルガルのSSが来るまでに約1時間。
つまり、合計4時間のうちにすべての仕事を終えて撤収する必要ある。

警備員(実質的には守備兵に近い)を全滅させ、警備システムを無効化し、
2人の位置を突き止めるのに現時点で2時間かかっている。
加えていままでは内部から無効化されていたはずの扉のロックが復帰していた。
部下の一人である晴嵐が解除を試みたものの、自前のツールでは歯が立たないと分かっただけに終わった。

「……せめて遮光が」

「死者は役立ちはせぬ」

「は……申し訳ありません」

晴嵐が口にし掛けたのはサツキミドリ2号で死んだ部下の一人の名だった。
暗殺チームとは言え、全員が戦闘技能にばかり特化されているわけではない。
情報収集・分析・評価や進入経路の選定、脱出手段の確保など戦闘以外にも多くの労力が割かれる。
遮光はその中でもセキュリティーの無効化、欺瞞などを得意としていた。
あるいは彼なら電子ロックを物理的に無力化することもできたかもしれない。
しかし、その体も頭脳も至近からコクピットを直撃した120mm砲弾によって砕かれてしまった。
代わりに6人衆へ引き上げた男は生憎と得意分野が違う。
そもそも電子技術で遅れをとっている木連では、この手の技術者は専門でさえそう多くない。
火星陥落時に生き残った科学者たちが捕虜とされ木連で研究に従事しているものの、そんなことで補いきれるはずもない。
したがって、このマシンチャイルド2名の確保は絶対に成功させるべき任務だった。

「外部への連絡経路は絶っているな?」

「はっ、回線を切断しましたから」

少なくとも時間より早く察知されることは防がねばなるまい。
なんと言ってもこちらは7人。 しかも軽装備の部隊。
本気になった連合軍が機械化歩兵部隊や重装歩兵まで集団で投入してきたら勝ち目はない。
勘違いされがちだが特殊部隊が『特殊』なのはその任務であって、能力は訓練された人間の域を出ない。
超人の集団ならそもそもこんなにこそこそと動いたりもしない。

「まるで岩戸ですな」

部下の一人である烈風がポツリと漏らす。
確かにまるで動く様子のない扉は素材こそ違えど、ぴったりだ。

「……岩戸、なろほどな。 岩戸か」

「主上?」

「眠れる苗を呼べ」

怪訝な表情の烈風に北辰はそう命じた。



とにかく打てるだけの手は打った。
あとはとにかく持久戦に持ち込むしかない。
幸い食料は非常食が倉庫に転がっているし、水も同様だ。
軍の施設並みにシェルターなどもある。

でも……

「お父さん、お母さん……大丈夫だよね」

自分でも半分以上信じていないことを口にする。
今すぐにでも飛び出していきたい。
きっと両親は「心配させてごめんね」といいながら泣きじゃくるハリを慰めてくれるに違いない。

そんな想像をして、再びにじんだ涙を乱暴にこする。
こすりすぎて鼻の頭が痛い。
あとでお母さんに薬を塗ってもら……

「……うっ、うわ」

ダメだ。 泣いたらダメだ。
そう言い聞かせるが、一度緩んだ涙腺は言うことを聞いてくれない。
パネルの文字が歪み、嗚咽がこみ上げてきて喉をふるわせる。

「……ハーリー君?」

そんなハリを止めたのは唐突にかけられた女性の声だった。
ぼやけた視界のままハリはそちらに視線をむける。

「タカハラさん?」

その声に聞き覚えがあった。
確か父母と同じ研究者の女性だ。
ハーリーは何度か実験で顔を合わせている。

「よかった。 無事だったのね」

20代半ばほどの女性だが、研究者にしては化粧が濃い。
ハリにはややきついと感じられるほどの香水の臭いが鼻につく。

「……タカハラさん」

「マキビ博士たちは?」

歩み寄ってきたタカハラの質問に、ハリは首を振る。
彼女も「そう」とだけ言ってそれ以上のことは問わなかった。
ハリとしてもその方がありがたい。 これ以上聞かれると本当に泣き出してしまいそうだ。
幼いなりに持ち合わせた男の矜持では人前で泣くのはみっともないことだとしている。
ミナトの前で思いっきり泣いてしまったのは恥ずべき過去(未来)として心の棚に上げておいた。

「私も急に襲われて……」

「怪我、してるんですか?」

「少しだけね」

そういいながらも彼女が右腕に巻いたハンカチにはどす黒く変色した血がべったりとついている。
出血量を考えるならとても少し、などと言えるはずがない。

「リックが逃がしてくれたの。 でも、彼は……」

リックというのが誰かは知らないが、同僚かまたは恋人かもしれないとハリは推測した。

「タカハラさん、とにかくここにいれば少しは持ちます。
 非常用の防火隔壁をロックしましたから。 解除するにパスワードはコンマ5秒ごとにランダムで入れ替えてます」

「それって……いえ、ハリ君ならできるのね」

「はい!」

今までの落ち込むを拭うように応える。
タカハラは少し笑ったようだったが、すぐに表情を厳しくした。

「でも、ここにいるだけじゃダメ。 あいつらだって隔壁を破壊してでも通ろうとするはずよ」

「それは分かってます。 でも、その間に外と連絡が取れれば……」

「試したわ。 でも、回線がつながらないのよ。
 携帯端末も圏外になってるし」

「妨害電波ですね」

「……そうね、とにかくここにいても捕まるのは時間の問題よ。
 それに、その子をそのままにしておけないでしょ?」

タカハラは微動だにしないラピスに視線を移していた。
相変わらずラピスはなんの反応もない。
心理的ショックで自閉症になってしまったらしい。
早く医者に見せたいのはハリも同じだ。

「でも扉を開けたら……」

「大丈夫。 こういうときは映画でもよくあるでしょ?
 通気口を通って外へ出るのよ」

なるほど、と思う。
確かに通気口なら外に繋がっているはずだ。
それに小柄な女性と子供なら十分に通れるはずだ。

「あいつら、なにか妙なことを始めたわ」

「え?」

言われて監視カメラの映像に視線を戻すと、確かに編み笠の何人かが扉のところで固まっている。
それはちょうど電子ロックのキーパネルがある辺りだ。

「電子ロックを壊して開けるつもりなんだ」

「脱出を急ぎましょう。 手伝って」

そういうなりタカハラはイスをひっぱてきて天井の通気口の網を外しにかかる。
身長の関係でハリは彼女に言われた道具を探してくるだけだったが、それでも5分ほどで網が取り除かれる。
そして最初にハリが、次にタカハラによってラピスが通気口に入り、最後にタカハラが狭い通路に潜り込んだ。

「こっちよ」

そういうなりタカハラは頭をぶつけそうになりながらも通気口の中を這って行く。
なかなかきつい体勢ながらにラピスの手をとってハリもその後に続いた。

「タカハラさん」

「どうしたの?」

「いえ……その、怪我は大丈夫ですか?
 ラピスを持ち上げたりして、傷口が開いたりとか」

「言ったじゃない。 軽い怪我よ」

「はぁ……」

ハンカチの血を見る限りそうは思えなかったのに、本当にそうだったのか。
しかし、ハリからは先を行く彼女の表情など伺えない。
その後は黙ってついていくだけだ。

――― 岩戸から、彼らはこうして外に出た。


○ ● ○ ● ○ ●


ようやく抵抗らしい抵抗に九十九が出会ったのは
ヨコスカの市街地に入ってからだった。
彼方には戦艦カキツバタが見えるが、まさか艦砲は使えまい。
そうなると市街地戦で主体となるのは機動兵器だ。
果たしてそれは当たっていた。

「あの機体 ――― 欧州で坂宮をやった奴か!」

他にも振動センサーが何機かの機動兵器がビルの陰に隠れているのを感知している。
雑音が多すぎていささかはっきりしないが、おそらくはエステ。
感知できるだけで4機。 実際はもっと展開しているはずだ。

しかし、九十九の意識は正面に立ちふさがり、
自分の身長ほどもある大剣を構えた機動兵器に注がれていた。
御剣万葉の証言にもあった。
この機体がマジンの坂宮を殺したのだ。
これが……

「坂宮の仇を討たせてもらう!」

その言葉が聞こえたわけでもないだろうが、応じるように敵機がスラスターを噴射。
大剣を上段に振りかぶって飛び込んでくる。

「その意気や良し! だが、甘い!」

テツジンの動きは鈍い。
しかし、それを補うべくボソンジャンプがある。
青い燐光を残してテツジンが一瞬早く、必殺の一撃をかいくぐった。

「ゲキガン ――― くッ」

大剣の一撃は空振れば隙も大きい。
お返しとばかりにこちらもGBの一撃を見舞おうとする。
が、それは遮られた。

――― 警告音

「跳躍!」

再びテツジンが消える。
一瞬の間をおいてその空間をミサイルが通り過ぎた。
いきなり目標を見失ったミサイルは迷走し、近くのビルに飛び込んで
会社のオフィスをまるごと吹き飛ばす。

「新手か!」

卑怯とは言わない。 それが実際の戦闘だと知ってる。
そして、その状況でも闘って勝つのが優人部隊なのだとも思っている。
九十九が睨み付ける視線の先には1機の鈍重な機体。
頭部だけがパーソナルカラーの紫に塗装された重機動フレーム。
そして視界の隅には体勢を整えたもう1機が大剣を構えなおす。

それはカキツバタから出撃したヤマダ・ジロウとイツキ・カザマだった。
因縁を含んだ戦いが、ここに始まる。




<続く>






あとがき:

――― マイPCのHDD、まこと広くなり申した。

いえね、ついに光臨です破壊神。
データが丸ごとクラッシュです。
外付けHDDのバックアップがあったからいいようなものの、
書きかけだったその3が天に召されてしまいました。

そんなわけで遅れましたが24話その3改でした。

それでは次回また。



 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

まずはお悔やみをば申し上げます(爆)。

ショックでかいんですよねー、書き掛けのが消えちゃうと。

それはさておき、ハーリーたちはいかが相成りますか。

ハーリー君の年齢を考えると、ここまで頑張っただけでもたいしたもんですが・・・ヨリ一層ノ奮励努力ヲ期待スル。

 

 

・・・ところで、「タカハラ」ってやっぱり「タカマガハラ」から引っ張ってきたのかな?(謎)