時ナデ・if
<逆行の艦隊>
第25話その3 月にて
「ヨコスカは手酷くやられたな」
参謀長のササキ・タクナ大佐から渡されたヨコスカ基地の被害状況中間報告としてまとめられた資料。
それを一読してファルアス・クロフォード中将は呟いた。
言葉にこそしていないが前半に『前回に比べて』というのが入る。
苦りきった表情が彼にとっての心理的衝撃の度合いを示している。
「死者は現時点で734名。 はっきり言って最終的にどこまで膨らむかわかりません。
おそらく軍民合わせて1000を越えるかと」
「 ――― 問題だな」
何が、とは言わない。
いちいち確認するまでもなく理解しているし、何より口に出して確認するには多すぎる。
まず、ヨコスカが基地機能を喪失したことで北太平洋とインド洋における作戦の指揮統制に問題が出ることが予想された。
太平洋側はハワイの司令部に一部任せ、インド洋方面はクレの方でフォローする。
当然両者の負担は増大するが、シーレーンの確保は無資源国である日本の死活問題に直結する。
このところ地上における木星蜥蜴の動きは鈍っているとは言え、無防備な輸送船団を往来させられるほどではない。
日本海軍は虎の子の空母<鳳翔>を中心とする機動艦隊をインド洋に派遣しているが、そろそろローテーションで戻さなければならなかった。
その交代にヨコスカの空母<飛翔>を中心とした部隊を送るはずだったのだが、肝心の飛翔は特攻ボートで船腹に大穴を空けられ、中破してしまった。
停泊中で人員もほとんどいなかったためにダメージコントロールが有効に働かなかったこともある。
傾斜を回復して何とか航行可能な状態には回復したものの、修理のためにサセボまで回航されることとなった。
結局、インド洋にはサセボの空母<飛鳥>とその護衛艦艇を派遣することになったのだが、
これで日本海軍で可動状態にある空母は飛天だけとなってしまった。
鳳翔は日本へ帰港するなりドック入りが決まっていたし、何よりクルスク戦のおりに消耗した航空戦力を再編せねばならない。
海軍だけではない。 宇宙軍にとってもヨコスカ基地は重要な拠点だった。
特に月までの軌道航路の哨戒は重要な任務だった。
月と同じ周回軌道にあり、位置としては正反対を場所を回っているルナ2基地への補給もあった。
ことにルナ2への補給はその方面で有能な将官だったミナセ少将を失ってしまったのが痛い。
「ミナセ少将の状態は?」
「はっ、一命は取り留めました。 おそらく前に立っていた者が盾代わりになって爆風と破片を直に浴びずに済んだのが幸いしたかと。
しかし、爆発の際の火傷と瓦礫にはさまれたことによる全身打撲と骨折で……」
「軍務への復帰はしばらく無理か……」
「命が助かっただけで奇跡だと思います。
司令部はほとんど全滅でしたから」
「人的損害が多すぎる。 機能の復旧はどうだ?」
「設備そのものの損害は限られています。 しかし、おっしゃるように人員が足りません。
もとより日本の軍隊は定数に満たない部分が多くありますし。
よそから補充するにしても仕事に慣れて円滑に作業ができるようになるまで最短で数ヶ月はかかります」
最短で数ヶ月、ならば基地の修理も合わせてふつうに考えれば半年から1年。
それでは困る。 下手をすれば戦争が終わっている。
「急がせたいところだが、それは私の職権を逸脱するな」
「ごもっともです」
それでも本当に必要だと感じたら躊躇なく越権行為もするだろう。
ファルアスの性格を良く知るタクナはそう思いつつも別の話題を切り出す。
「ヨコスカの報告は以上です。 次に月で行われる例のイベントですが」
「月の……というとアレか」
「ええ、アレです」
代名詞で語られるそのイベントにはファルアスも招かれていた。
というより、正規の命令なので出席を強要されていると言っていい。
あからさまに嫌そうなのは『この忙しいのにそんな暇があるか!』という心情の表れである。
「ネルガル、クリムゾン、AGIの次期主力攻撃機のトライアル……名目はそうだな」
「ええ、まあ。 実際はほとんどAGIの新型のお披露目でしょう」
その通りだった。
宇宙軍は本格的な艦隊攻撃用の機体の開発をもくろみ、それに応じたのはやはりネルガル、クリムゾン、AGIの3社だった。
そのうちで初めから最も期待されたのはAGIだ。
彼らはスノーフレイク用の増加装甲としてアスフォデルを開発し実戦投入している。
第四次月攻略戦の初陣でアスフォデルは対艦ミサイルをもって敵艦隊を強襲。
持ち前の防御力と機動力で敵の防空網を突破して痛打を加えた。
戦果は新型戦艦1隻、ヤンマ級戦艦6隻、カトンボ級駆逐艦8隻を撃沈、もしくは大破に追い込んだ。
ナデシコがチューリップから出現するというアクシデントもあり攻撃は1回だけしか行われなかったが、それでもこの戦果だ。
波状攻撃を行えば壊滅に追い込めたかもしれない。
この結果はある種の衝撃をもって迎えられた。
それまで機動兵器は単なる艦隊防空のための1ユニットという位置付けに過ぎなかった。
第一次火星会戦で木星蜥蜴のバッタに手酷い目に合わされた宇宙軍はバッタ対策にエステバリスを採用していた。
エネルギーウェーブの届く範囲で移動砲台としてバッタを駆逐し、艦に近づけないようにする……まさしくナデシコで想定されたままの使い方だ。
その状況がやや変化したのはAGIがスノーフレイクを開発したことだった。
スノーフレイクはエステより一回り大きな機体に高出力のエンジン・ジェネレータを一体化したパワーパックを装備し、
運動性能はエステにやや劣るものの高出力にモノをいわせた加速力と、なによりレールガンを標準装備とする火力、
エステとほぼ同等かやや勝るくらいのディストーションフィールドも装備していた。
ただし、それだけならエステの優位は揺るがなかっただろう。
すでにエステは制式化され、部隊配備も進んでいた。
いまさら少しいいものがでたからといってすぐに乗り換えるのは不可能だった。
それは訓練、整備、運用体系まで変えねばならず、ひどく時間と手間と金のかかるものだからだ。
宇宙軍の反応は言ってしまえばこうだ。
「いいものですね。 でも、うちは間に合ってます」
ふつうならこの時点で終わり。
社運をかけた新型でこけたAGIは哀れ倒産……とはならなかった。
彼らは諦めが悪かった。
AGIは宇宙軍がダメなら……と懲りずに今度は陸軍に売り込んだ。
これが正解だった。
陸軍はエステに満足していなかった
――― というより不満たらたら。
でもこれしかないから仕方ないし、まあ我慢しよう。
そんな状態だった。
同じものでなぜここまで反応が違ったのかといえば、それは使い方が違うからだ。
宇宙軍のエステの運用法はそのままナデシコでの運用を艦隊レベルに拡大しただけ。
しかし、陸軍のそれはまったく違う。
そもそも彼らはエステで守るべき母艦など持ち合わせていなかった。
彼らが機動兵器に期待したのは打撃力の要としての機動戦力だった。
いわば攻・防・走のバランスの取れた機甲部隊の代替だった。
この差異がそのままエステに対する評価の差異となった。
宇宙軍の求めたのは艦隊の『盾』、陸軍は打撃部隊としての『矛』というわけだ。
その点で『矛』としてのエステはまったくダメだった。
まずエネルギーウェーブが届く範囲でないと動けないため、戦場での機動力が活かし切れない。
エステは多少の障害物だろうとビルだろうと軽く越えていけるが、随伴する発電車両がそうはいかない。
エステの背中に発電機背負わせたエネルギー供給専門機だとか、
4発の爆撃機を改造して爆弾の代わりに発電機を積み込んだ空中給電機なども開発されたが、
前者はやはり余計なものを積んでいる分だけふつうのエステより機動力に劣り、後者は航空機の宿命で悪天候に弱い、
航空優勢がないと被撃墜の危険が大きい(そして航空優勢は常に確保できるものではない)、長時間とどまれないなどの問題があった。
それに、根本的に発電車両を破壊されると小隊が丸ごと行動不能になるという脆弱さを抱えることにもなった。
それでも発電車両を複数用意したり、バッテリーを予備含めて複数個携帯したりすることで何とか運用しているのが実態だった。
そこに来てスノーフレイクはスタンドアローンが可能という点で大いに歓迎された。
エンジン整備という面倒が加わることになったが、それはジェネレータとエンジンを一体化したパワーパック方式が採用されていたことで負担は軽減された。
エンジンかジェネレータが壊れた場合、まるごと外して簡単に交換できるようになっていたのだ。
総合的に見れば発電車両などを伴わなくていい分だけスノーフレイクの方が面倒がないとも言えた。
『矛』としてみた場合、レールガンを標準装備で使える火力の高さも魅力的だった。
障害物のない宇宙では問題ないかもしれないが、ラピッドライフルでは建物の陰に隠れたバッタを壁もろとも撃ち抜くというような真似はできない。
装備換装も評価された。エステでもフレームを換装することで空戦から砲戦までこなせたが、
フレーム交換は設備のある後方の補給基地でないとできない。
無理をすれば(それこそナデシコでやった空中換装のようなことも)できなくはないが、その場合は稼働率がガタ落ちになることは疑いようがなかった。
その点でスノーフレイクのように外側のハードポイントに装備をつけるだけなら前線での野戦交換もできる。
フレームごとの換装に比べれば無駄は多いが、エステの場合は状況が変化した場合に迅速に対応できない危険があった。
例えば重機動フレームで出撃して素早い敵と出くわせばアウトだ。 逆にスノーフレイクは装備を捨てて身軽になることができる。
設計運用思想の差と言ってしまえばそれまでなのだが、陸軍は試験的に運用してみて大いにこの機体を気に入った。
エステの納入はまずもって宇宙軍が優先されていたから、この次期の陸軍はいまだに旧式兵器ばかりだったこともある。
AGIとスノーフレイクにとっての幸運は続いた。
ナデシコがビックバリアを強引に突破して火星へ向かうという事件が起こり、ネルガルと軍の関係が冷却化したことだ。
バカらしい話だが、上層部はここでエステに頼るのはネルガルに屈するのと同義だと考え、新規の注文を止めてしまったのだ。
いちおうはそれなりに数も揃っていたし先に注文した分はきっちり納入される予定だったとはいえ、
面子を守るために旧式兵器で戦わされる現場はたまったものではない。
あたり前のように「なんとかしろ!」という声は高まり
―――
陸軍はAGIにスノーフレイクを発注する。
もとより宇宙軍に売るつもりだった先行量産型は揃っており、それが丸ごと陸軍へ納入されただけなのだが、
渇いたときに差し出された一杯の水は、潤っているときのそれより遥かに貴重である。
実際以上に陸軍、特に現場はスノーフレイクに高評価を与えた。
とまあ、これだけならネルガルは宇宙軍、AGIは陸軍と言う住み分けができただけで終わっただろう。
しかし、またしても状況は変化する。
古人にして曰く「隣の芝は青く見える」「逃がした魚は大きい」。
つまり陸軍のスノーフレイクに対する高評価を見て宇宙軍側は「もしかしてアレは思ったよりずっといいものだったのか?」と思ってしまった。
はっきり言って宇宙軍の従来の運用ならエステで必要にして十分なのだが、あいつが持ってるんだし俺も……という心理だ。
逆に困ったのはAGIだった。
ここにきて急に期待を、しかもとんでもなく過剰なそれをかけられてしまったのだから。
しかし、彼らとて商売である。
客に対して「いや、ネルガルさんとこのと大して変わりませんよ」とは営業上いえるはずがない。
期待には答えなければならない。
でなければせっかくのチャンスを棒に振るだけでなく、今後にも影響する。
期待を裏切られたときの落胆は大きく、期待していなければそれが思わぬ拾い物だったときの喜びは大きい。
矛盾するが、宇宙軍は期待していながらそれを疑っていた。
何しろ一度は断った相手である。
だからこそAGIは必死になった。
どうあってもエステとの違いを引き立たせねばならない。
どうしよう? ああ、どうしたらいいか? 困った……。
そう考えているうちに誰かが閃いた。
宇宙軍のドクトリンでは機動兵器は『盾』。
それなら『矛』の機能を追加すればいいのでは?
「お前マジ頭いいな!」などと言われながら、そのアイデアは採用された。
艦隊にとっての『矛』とはつまり敵艦に対する攻撃能力だ。
機動兵器サイズでは戦艦の防御を抜ける火砲は難しい。
グラビティブラストもいまの技術では無理だ。
そうなればあとは対艦ミサイル、これだね。
そうした結果、対艦ミサイルのプラットフォームとしてスノーフレイク用の強化型増加装甲<アスフォデル>ができた。
おりしも宇宙軍は火星会戦で壊滅的打撃を受けた第1艦隊の残存艦艇と、
機動兵器の試験ばかりしていたおかげでその方面では錬度最高の教導団実験機動艦隊を核とした新設の第1機動艦隊を編成中だった。
当初の編成目的は『機動母艦の集中運用を行うことで艦隊防空を効率化する』ことだった。
つまり機動兵器のドクトリンはあいかわらず敵機動兵器からの艦隊防空だったわけだが、
ここに司令長官としてファルアス・クロフォード中将が任命されたことですべてが変わった。
徹底した合理主義者である彼はオマケとはいえ追加された対艦攻撃能力を使わないのは怠慢だと断じた。
とにかくあるものは使えが戦争のモットーである。
しかし、地球上と違って宇宙では航空機の優位など関係ない。
艦艇も三次元運動をするし、大気摩擦や重力の制限がなく相対速度と加速率ですべてが表される世界。
水平線の向こうは探知できないというレーダー運用上の制限もないから、当たり前のように大艦巨砲主義がまかり通っている。
プラットフォームが大きければそれだけ遠くまで見渡せるレーダー、強力な推進器、強固な防御、圧倒的な火力を備えられるのだから当然だ。
ふつうに考えれば戦艦同士の遠距離砲戦ではほとんど出番がないということになる。
だが、実際は遠距離砲戦ばかりでなく中近距離でのミサイル戦やすれ違いながら撃ち合う反航戦などもある。
そのときには巡洋艦や駆逐艦といった小回りの効く中小艦艇が戦場を走り回って活躍するのだから、機動兵器も同じように使えるだろうという考えは成立する。
そして運命の第四次月攻略戦。
連合軍艦隊と木連艦隊は月付近の制宙権をかけて艦隊決戦を行った。
戦力的には防衛側であり、チューリップを使った戦力集中や補充ができる木連側が有利だった。
戦艦の比率は4:5の割合で数的には木連が有利。
『戦力は兵力の二乗に比例する』というランチェスターの法則を当てはめると戦力比は16:25で差し引き9となり平方を取れば3。
つまり連合軍は全滅しても木連はまだ6割残るという計算が成り立つ。
もっともこれは兵器の質の差 ―――
特に電子機器の差による遠距離での命中精度だとか戦術、補助艦艇の戦力、往々にして起こる偶然の一発を無視しているし、
さすがに連合軍もある程度の損害を出せば撤退せざるを得ないからここまで単純には行かない。
それに連合には巡洋艦、駆逐艦、機動母艦、護衛艦など多数の補助戦力とナデシコ級のコスモス、新鋭のドレットノート級戦艦2隻の虎の子が存在した。
それでも連合軍が真っ向からの砲撃戦では不利だったことは否めない。
そこで連合軍は遠距離砲戦を諦めて敵に比べて有利な補助戦力を活用できる中近距離戦へ持ち込んだ。
チューリップを基準に展開していた木連艦隊はこれに応じざるを得なくなる。
距離をとろうにも肝心のチューチップは艦艇ほど機動力に優れるわけでもなく、置き去りにされたあげくに敵艦隊に捕捉されてしまう危険があった。
艦隊戦が始まる前にさっさと後方へ下げておくべきだったのだが、これは木連側が連合軍艦隊の正確な位置を捕捉できていなかったのが致命的だった。
戦闘が始まる直前まで連合軍は徹底した電波管制を行っており、加えてCAPに上がっていた機動部隊が木連の索敵機を落としていたためである。
木連艦隊は自前のレーダー索敵範囲に敵艦隊を捉えるまで『どの方向からやってくるかわからない』敵艦隊に備えねばならず、
それならチューリップを中心に球形の陣形をとるのが最適という判断を下したのだった。
結果として間違っていたかどうかは意見の分かれるところだが、これにより艦隊運動が制限されたことは間違いない。
次に連合軍にとって幸運だったのはチューリップから出現したナデシコの存在が木連側に思わぬ動揺を与えたことだった。
火星までの一連の戦闘でナデシコに負け続きだった木連は、当然のように突如出現した仇敵に戦力を差し向けた。
が、これは明らかに誤った判断だった。 ナデシコは火星で受けた損傷からほぼ戦闘艦としての機能を喪失しており、いわば放っておいても害はなかった。
損傷しているいまがチャンスと思ったのかもしれないが、これは完全に藪蛇だった。
獅子奮迅の活躍を見せるエステ隊に少なくない数のバッタを叩き落され、のちに漆黒の戦神とあだ名されるパイロットに艦艇を沈められ、たんに混乱を助長する結果に終わった。
果たしてそれを連合軍に突かれた。
機動艦隊から放たれた攻撃隊は波状攻撃で木連艦隊を襲撃。
戦艦相手の砲戦で精一杯だったヤンマ級や防御力に難のあったカトンボ級がまず喰われた。
戦艦のDFも対抗フィールド弾頭の対艦ミサイルの前には無力だった。
さらに第2波の襲撃で艦隊旗艦であった睦月が艦橋にミサイルの直撃を受けて指揮機能を喪失。
これにより無人艦隊は烏合の衆と化してしまう。
そこに機動部隊の攻撃で空いた穴を突くように巡洋艦・駆逐艦戦隊が突撃を敢行。
混乱は混沌へと容易に転化し、もはや木連艦隊はまともな統制指揮のとれる状態ではなくなっていた。
ここに月をめぐる一連の戦いの趨勢は決したと言える。
この戦闘は連合軍には『機動兵器による艦隊攻撃は有効である』という戦訓をもたらし、
木連は『敵機動兵器に対する艦隊防空力の不足』という苦い現実を認識させられた。
これは特に木連においてバッタなどとは違う『対機動兵器用の機動兵器』開発を促進させることとなる。
一方の連合軍においてもオマケだった対艦攻撃が思わぬ戦果を挙げたことで機動艦隊構想に質的変化が現れた。
つまり機動艦隊が『艦隊防空専門』から『防空から艦隊攻撃・対地支援まで』をこなす使い勝手の良い戦力となってきた。
戦艦は確かに強力だが、砲撃しかできない。
対地砲撃では細かな調整も効かないし、市街地を攻撃したら施設をまとめて吹っ飛ばすことうけあいだ。
その点で機動兵器は融通が利く。 エステは施設内での活動も考慮して6mのサイズに収められているから、
歩兵と協力して施設を制圧したり、火力支援ならスノーフレイクにフル装備させて攻撃すればいい。
街角に立っているだけで威圧感があるから治安維持だってできるし、
ミサイルなどと違って放った後で「やっぱり止め」だとか「目標変更して破壊じゃなくて制圧」などということもできる。
思いのほか人型機動兵器は使い勝手のいい何でも屋として重宝するということに気付いたのだった。
そうなると一方で汎用のエステ、スノーフレイクでは物足りない場面も出てくる。
先に上がった対艦攻撃能力がそれだ。 アスフォデルは対艦ミサイル2発を搭載できるが、いかんせん効率が悪い。
対艦攻撃に使うには高機動ユニットが必須だが、それはほぼ使い捨て。
強化装甲としても使えるが、そうなるとスノーフレイクの汎用性が損なわれる。
そもそも対機動兵器ならスノーフレイクで十分だし、バッタ対策には直掩専門のエステをそのまま使っていればいい。
アスフォデルはその点から見て妙に中途半端で使い道に困る存在だった
――― まあ、オマケなのだから仕方ないが。
そこで宇宙軍は対艦攻撃専門の攻撃機を新たに求めた。
いまのアスフォデルではいかにも中途半端で能力不足というのが理由だ。
オマケから派生したこの問題はAGIに押され気味のネルガル、いいとこなしのクリムゾン、ここで差をつけたいAGIの3社の問題へと遷移した。
本命はAGI。次点でネルガル。大穴でクリムゾン。
各社での開発競争は経理担当の胃袋にかかるストレスに比例するように激化の一途を辿った。
ネルガルはAV−X計画をぶち上げてカイラー、ブラックサレナなどを開発した。
これらは先の欧州線でも戦果を上げており、一歩リードしたかに見えた。
だが、AGIも負けていなかった。
アスフォデルを陸軍向けにカスタムしたフリティラリアを欧州戦に投入。
さらにはとんでもなく野心的な計画を披露した。
それが4軍統合戦闘攻撃機計画(Joint Strike
Fighter) ――― 通称JSF計画。
4軍とは宇宙軍・陸軍・空軍・海軍。 その次期主力攻撃機を1機種でまかなってしまおうという代物だった。
この少し前に空海軍にはスノードロップを納入した実績があるとは言え、無茶には違いない。
4軍がなぜ分かれているのかを考えればわかるが、それぞれで出す仕様要求はあまりに異なっている。
それをすべて満たそうとすれば能力的に平凡な代物が出来上がるか、えらく歪になってしまうのが大体のケースだった。
しかし、その困難にAGIはあえて挑んだ。 実現すれば確かにすばらしいからだ。
4軍で共通の機体を使えるなら生産ラインを一本化して効率かが図れる。(エステやスノーフレイクは宇宙軍と陸軍で使っている)
企業側にしてもかなりの数の需要が見込めるから、1機あたりのコストダウンもできる。
かくして大きな期待と不安を半々に背負いつつ計画は始まった。
むろん、軍は賢明にもAGIの案がこけた場合を考えて、ネルガルとクリムゾンにも開発依頼を出す保険を忘れなかった。
だが、保険は不要になりつつある。
AGIが完成させた新型は必要にして十分な性能を備えていた。
宇宙軍向けをベースに残り3軍向けはそこから不要な機能を省き、空いた分にそれぞれに向けたカスタマイズを施すという手法だった。
仕様要求がもっとも厳しかった宇宙軍向けをベースというのは賢明な判断だった。
各軍の細かい仕様要求まで羅列するときりがないので大雑把に記すなら
宇宙軍はアスフォデルの後継として対艦ミサイル2発を装備でき、かつ敵の大型機動兵器をも撃破できる攻撃機を求め、
陸軍はフリティラリアの後継としてジンタイプを撃破できる火力と想定交戦距離で自前の砲に耐えられる防御力、不整地での機動力をもとめ、
空軍と海軍はスノードロップと行動を共にでき、かつ対艦ミサイル2発、できれば4発を装備できる航空兵力を望んだ。(海軍はこれに加えて現用空母で運用できることが条件だった)
AGIはこの仕様を満たすべく、まず機体に可変機構を盛り込んだ。
このへんはスノードロップでノウハウを稼いでいるのが幸いした。
開発時間短縮のためにベースはアスフォデルをそのまま使うことにした。
ただし、可変機構を組み込む関係で『増加装甲』から『単独の機動兵器』になった。
スノーフレイクに着せるのではなくそれ自体に中身を追加した形だ。
武装では宇宙軍と陸軍の要求に答えるべくフリティラリアの主砲である56口径88mmレールカノンをさらに強化した砲が開発された。
砲弾を共通で使えるように88mmなのはそのままに、初速を高める方向で砲身長が71口径へ延長された。
対艦ミサイルも従来型のASM−4を改良し、威力と射程はそのままに小型化したASM−6が選ばれた。
宇宙軍向けは航宙機形態でこのASM−6を2発とレールカノンを使用できる。
また、人型形態ではレールカノンに加えてスノーフレイクのものと同じ40mmレールガンも使える。
運動性能ではエステにまるっきり勝てないが、航宙機形態での加速力と防御力で防空網を突破して敵艦隊に一撃を見舞うことができた。
陸軍向けでは陸戦では不要な空間戦闘用の装備が外され、構造的に弱くなる可変機構も省略されている。
人型オンリーではあるが、装甲防御とDF防御が宇宙軍向けより強化されており、対ジン用の機体となった。
空海軍向けは逆にレールカノンを省略し、航空機形態での対艦ミサイル運用数を4発まで増やしている。
他にもレールガンを20mmの連射能力を高めたタイプに交換したり、マシンキャノンを追加するなど仕様の変更があった。
試験成績は上々。
早くも陸軍は制式化を約束しており、初期納入分300機が生産中だった。
宇宙軍のほうも一応はネルガル、クリムゾンとのトライアルをしてみてからということにしているが、
本音では他の2社にまるで期待していなかった。
クリムゾンはあいかわらず従来の航宙機に毛が生えた程度の代物で、とてもこの先の運用に耐えられるとは思えない。
バリア関係のノウハウはあいかわらずいいのだが、防御だけ高くて敵を撃破できない機体に意味はない。
ネルガルは頑張ってはいるが、やはりエンジン開発で遅れをとったのが痛かった。
攻撃機では単独で長距離侵攻をかけなければならず、エステのように母艦からのエネルギー供給は期待できない。
ブラックサレナでようやく実用に耐えるエンジンを搭載できたようだが、4発というのは整備面から見てあまり褒められない。
AGIの新型が双発でこれだけのスペックを確保しているのと比較してやや出遅れたという感じはする。
ただ、あいかわらず機体のスペックは一番高くDFSなど独自の技術もある。
問題はサレナを初めとするAV−Xシリーズは技術実証機の域を出ていない点だ。
確かに性能は素晴らしいが、明日にでも生産ラインに乗せられるというAGI、クリムゾンに対してネルガルのものは
「理論としてはこんな感じでつくればいいものができそうだからとりあえずつくってみました。 実際どうよ?」というレベルだ。
つまり試作品。この時点で勝負にならない。
「ネルガルはブラックサレナと新型を2機か……意地だな」
「同時にナデシコ級3番艦を出してくる予定です。
どのみち、デモンストレーション以上の意味はないでしょう」
ファルアスが面倒がってるのも、これが自分の艦隊に配備される新型のまじめな選定でさえなく、
単なる政治パフォーマンスとして「平等に選んでますよー」というのをアピールするだけの場であるからだ。
現状ではAGIの新型に軍配が上がることはわかりきっている。
つまらない仕事だ。
知略をめぐらせることもなく、一山いくらで適当に愛想を振りまいてくればいいだけの。
本当に退屈な仕事だ。
このときはそう思っていた。
あとでそれが間違いだと身をもって体験するまでは。
○ ● ○ ● ○ ●
ここから見える月は荒涼として、そのまま死の世界を連想させる。
大地は白く、空は黒く、風も水もなく
――― 静寂のみが残る。
「オーストラリアに住んでいたころ、ニューカレドニアは天国に一番近い場所だと聞いたことがありました」
ゆったりとした白いドレスをまとった少女が言う。
詩を諳んじるかのように、優美とさえいえる口調で。
「きれいな場所でした。 でも……あれは違いますわ」
「違う?」
「ええ」
疑問を返したのはスーツ姿の男性だ。
揶揄するように、それでいてどこか楽しげに。
そして少女も応じる。
「わたくしにはこここそがふさわしく思えますの。
白い大地と暗い空。 死と静寂の世界。
とても純粋で、異物の入り込まない綺麗な世界ですから」
それに、と付け加えて少女は窓際へ歩み寄る。
「ニューカレドニアは命で溢れていましましたもの。
おかしいじゃありませんこと? 天国は死者が向かう場所ですのに」
なるほど、そういう考え方もあるか。
しかし、この大地を天国に例えたのは彼女が初めてかもしれない。
「だとしたらずいぶんと血なまぐさい天国だねぇ」
先に行われた月攻略戦ではずいぶんとこの小さな衛星を巡って血が流された。
いまも散発的な戦闘はあるし、遡れば月独立運動のときにも
この不毛な、塵と岩石でできた白亜の大地はずいぶんな血をすすっている。
白い表面の下は赤い血が今でも流れているのではないかと、そんなオカルトじみた妄想さえ浮かぶ。
「そんな天国は少なくとも僕はごめんこうむりたいね」
「あら」
少女が振り返る。 揺れる金髪が背後の闇に良く映える。
幻想的と評していいかもしれない。
「それは杞憂だと思いますわ。 だって……」
そういって彼女は腕を広げる。
どうにも芝居がかった仕草に苦笑。
しかし、彼女はそんな男の様子を気にすることもなく
――― 自分の世界に浸ったまま言葉を続ける。
「あなたは悪い方ですもの。 きっと堕ちる場所はわたくしと同じ。
――― 違いますか?」
「君のような女性といられるなら、それも悪くないかな」
「あら、そんなことをおっしゃって。 わたくしで何人目ですの?」
「そんな昔のことは忘れたよ」
「でも、わたくしで最後ではないのでしょう?」
「未来のことはわからないな」
やっぱり悪い方、そう言って少女は笑う。
ひどく純粋に。 穢れを知らぬ無垢な存在であるように。
闇を背後にした彼女は美しい。
―――
光ではなく、闇こそが彼女を引き立たせる。
「……時間ですわね」
「残念ながら」
壁にかけられた時計を確認する。
会合として設定した時間は1時間。
アナログの壁掛け時計は長針と短針を重ねている。
「ランチをご一緒できればよかったのですが」
「ありがとうございます。 せっかくですが、わたくしもお客様をお迎えしなければいけませんの」
「それは……3日後の素晴らしきイベントのためですか?」
「はい。 お互いにとって素晴らしきものとなるイベントのためですわ。
わたくしの新しい友人ですの。 パーティーの料理を独り占めするほど欲張りではありませんから」
「なるほど、素晴らしい。 私にもいずれご紹介願いたいものです。
その、幸運な招待を受けられたご友人を」
男にしてみればそれは単なる社交辞令に過ぎない言葉だった。
しかし、少女の反応はやや社交辞令を逸脱するものだった。
「ええ、きっと仲良くなれると思いますわ。 きっと……」
そう言ってやや含みのある微笑を浮かべたのだった。
それは気に留めなければそれだけの言葉。
しかし、なぜかその微笑が男には記憶に残った。
それもひどく不愉快なものとして。
あるいはそれは直感だったのかもしれない。
「それではまた後日。 お話できて嬉しかったですわ」
「こちらこそ」
だが、男がその直感の正体を形にする前に思索は打ち切られた。
少女が闇を背後に残し、光の溢れる扉へと歩み去る。
「それでは、ごきげんよう。 アカツキ会長」
「ええ、アクア・クリムゾン代表」
それはこれだけの会話。
アカツキがここで交わされた言葉の意味に気付くのはずいぶんと経ってからだった。
いまはただこれだけだった。
扉が閉まり、足音が十分遠ざかるのを確認してアカツキ・ナガレは会長としての仮面を取った。
具体的にはイスに全体重を預け、ネクタイを緩めて思い切り嘆息したのだった。
「……まったく、堪らないね」
「アクア嬢のことですか?」
「それ以外に何があるのさ」
確かにそうだろうと話を振られたエリナ・キンジョウ・ウォンも認める。
あのシェイクスピアの戯曲さながらの言動を相手するのは彼女でもごめんこうむりたい。
「ですが、これでブラックサレナは完成します」
「ありがたい話だね」
それを考えるなら多少の芝居に付き合うのも仕事の内だろう。
スカーレットからもたらされたものはそれだけの価値がある。
「これにシャクヤクが揃えばナデシコの再来として売り込めるでしょう」
「今度は暴走しないでもらいたいね」
ナデシコ……というかネルガルが不興を買う直接の原因となったのは単独での火星行きなのだが、それは棚上げする。
オモイカネの暴走によるナデシコの解体は、カキツバタの就役などとあいまって代替戦力を手に入れた連合軍がここぞとばかりに口実にしただけだ。
カキツバタを軍に売らずナデシコのようにネルガル主導で運用できていたなら、軍はナデシコを手放せなかっただろう。
しかし、ネルガルはAGIというライバルに対抗するためにもカキツバタを完全に手放さざるを得なかった。
軍とネルガルの関係は『少しは媚びておかないと新しい女に乗り換えられてしまう、付き合いだして3年目の恋人』のような微妙なものだった。
それならばAGIは『ケンカした2人の間にここぞとばかりに割り込んできた新しい女』だろうか。
今のところはネルガルが艦艇部門で優越、機動兵器部門でやや劣勢、その他では互角といったところだが、
AGIも戦艦こそないが、アジア地域で2位の勢力とネルガル以上の伝統を持つ明日香インダストリーとタッグを組んでおり、
新造の機動母艦を就役させるなど油断はならない。 とくにアジアで明日香と提携したことはやっかいだ。
ネルガルにとっては喉元に匕首を突きつけられたに等しかった。
地球全域で見た場合、ネットワーク化と地球連合の発足によって世界は狭くなったと言えるが、それでも物理的な距離は政治経済に大きな影響を及ぼす。
その点で欧州はまだまだ遠かった。
ユーラシア大陸を挟んで反対側の欧州よりも、太平洋を挟んでお隣の北米・オセアニアのクリムゾンとの対立が深刻だったことからもそれは伺える。
だが、それがAGI・明日香インダストリーの提携で変わってしまった。
明日香は伝統に縛られて保守主義がまかり通り、昨今では組織としての柔軟性を欠いているように思えたが、
どうやら会長の孫娘であるカグヤ・オニキリマルが実権を掌握したことで変わったらしい。
伝統を重んじる明日香が欧州の新興企業と手を結んだのはまったくの予想外だった。
伝統があるというのは古臭い保守主義にも繋がりかねないが、同時に技術蓄積もあるということだ。
組織として若く柔軟性もあるAGIだが、さすがにこればかりは時間をかけて稼ぐよりない。
その点で明日香と技術提携できたのは大きなメリットだろう。
明日香もネルガルという目の上のたんこぶに対抗できるのだからいいこと尽くめだ。
しかし、ネルガルも負けてはいない。
『目には目を』ということで注目したのは同じく欧州の企業<スカーレット>。
天敵であるクリムゾンの会長の孫娘であるアクア・クリムゾンが社長職に収まってから成長著しい新興企業だった。
はじめはクリムゾン・グループの一員として欧州進出の足がかりとなったのかとも思ったが、どうにもそうではないらしい。
むしろクリムゾンとは対立してさえいる模様。
となれば『敵の敵は味方』という古来からの真理にしたがってネルガルはスカーレットへ接近した。
ネルガル・スカーレットの協力体制がなったのは欧州の戦況が好転したごく最近のことだが、
これでネルガルは労せずして欧州に自分たちの拠点をもう一つ確保できたことになる。
AGIにとっては同じく匕首を突きつけられたようなものだろう。
お互いに相手の首筋に刃を当てながらそれを突き立てるチャンスをうかがっている。
それがいまのネルガルとAGIの関係だった。
もちろん空いている手は共通の敵であるクリムゾンの牽制に忙しい。
だが、この戦争でクリムゾンはほとんど表には出れないはずだとアカツキは考えていた。
クリムゾンが木連と繋がっていることはネルガルでも把握済み。
木連が勝った場合、彼らは戦後の利権を独り占めできるだろうが、そのつもりであるならいま地球側に協力するのはまずい。
かと言っていまから方針を変えるには完全にライバルに出遅れてしまった。
期待をかけられていた新鋭機動兵器のステルン・クーゲルが性能的にスノーフレイクと明確な差異を打ち出せずに頓挫してしまったこともあり、
細々とバリア関係で食いつないでいくしかないだろう。
それにしたってDF関係はネルガルが追い抜きつつある。
DFSの運用データによってディストーションフィールドのバリエーションを増やしたり、効率的に展開する方式を開発できるかもしれないからだ。
一方のAGIもDFをコントロールできる実験機フェアリースノーとマシンチャイルド、ルビー・ヘリオドールの組み合わせで新規開発に余念がない。
つまり、木連が勝たない限り近い将来においてクリムゾンは確実な凋落が約束されているわけだ。
もはやクリムゾンは未来におけるライバルたりえない。
だからいまは適当にあしらっておいて目の前の敵
――― AGIに全力で当たる。
それがアカツキの結論だった。
「ようやく完成したシャクヤク、ブラックサレナ……そして例の新型。
ワンセットそろえればなんとかなりそうだねぇ」
エリナも頷いて同意を示す。
確かにそこまで揃えばAGIの新型1機に負けることもあるまい。
そう、すべてが揃っていれば……
「お話は順調に進んだようですな」
「ええ、アルフレッド。 少なくともわるくないわ」
壮年から初老に差し掛かった執事の運転する車の後部座席に乗り込むと、
アクアはやわらかく調整されたイスの背もたれに体重を預けた。
「あとは会社の皆を納得させるだけね」
「新型2機に加えてエンジンまで丸ごと持っていかれましたな」
そうね、とアクアは応じる。
確かに新規開発した2機の新型機動兵器とそのエンジンまで提供したのは
ネルガルに一方的に取られただけと言えなくもない。
実際、それでスカーレットが手に入れたのは旧式のエステバリスのライセンス生産権と名目だけの『技術提携』。
8割方をスカーレットが開発した新型は残り2割をいじっただけのネルガルに『共同開発』の名目で奪われた。
今回のトライアルで発表することになるだろうが、見る側は『ネルガル、スカーレットの共同開発』といわれてもネルガルしか印象に残るまい。
スカーレットはまだ無名の企業だった。
ネームバリューとして売れるのはアクアの姓であるクリムゾンの肩書きだけ。
……ならそれを利用するまでですわ
良くも悪くも彼女の名は政財界に広がっている。
曰く『クリムゾンの問題児』、曰く『パーティーで参列者に一服盛った女』などなど。
大抵のものは噂に尾ひれと背びれと胸びれとついでに角まで生やしたようなものだが、真実もある。
パーティーで一服盛ったのはあれが事実上のお見合いであり、ああでもしないと将来を勝手に決められていたからだ。
おかげでテニシアン島の別荘へ事実上の軟禁状態にされたが。
いまはこうして以前よりも少しの自由を手に入れることができた。
「ネルガルもAGIも我々など眼中にありますまい」
「……大丈夫よ、アルフレッド。 もうすぐもっと素晴らしいものが手に入るもの」
「失ったものを補えるような?」
「少し違うわ。 きっと失ったものの代わりなんて存在しないの。
ただ、別のものを手に入れて満足できるだけなのね」
アクアのその言葉は決して今回のことだけを言っているのではないだろう。
きっと彼女が過去に置いて来た物、これから失っていくであろう物、そのすべてを指しているのだ。
「それにネルガルもAGIも、もうわたくしたちに勝ったつもりなのよ」
「それはそれは……」
執事は忠実なる僕として主の望むままの返事を返す。
「ひとつ教育してやらねばなりませんな」
「ええ、それでは参りましょうか。 わたくしたちの新しいお友達を出迎えに」
○ ● ○ ● ○ ●
――― ここはどこだ?
周囲の気配を探りつつアキトは内心で呟いた。
彼がいるのはなんの変哲もない8畳ほどの広さの部屋だった。
そこには真ん中にテーブルが置かれ、向かい合うようにソファーとイスが用意されている。
壁にはアキトにはよくわからない風景画だか人物画を芸術のエッセンスでかき混ぜたような絵画が飾ってあり、
窓際には鉢に植えられたホオズキが飾られている。
洋風の部屋に飾るようなものではないと思うのだが、それが白いカーテンに赤い影を落としているのが印象的だった。
窓は閉まっており、カーテンがかかっていて外の様子は伺えない。
ただ、外はやたら寒かったことからロシアか北欧の可能性もある。
―――
ラピスは自分のいた場所がどこの国かわかるかい?
リンクを使って問いかけると答えはすぐにあった。
―――
たぶんノルウェーの北海に面してる場所。
「……北欧か」
またずいぶんと遠いところへ跳んだものだ。
ヨコスカからラピスとのリンクを頼りにしてのジャンプだったため、場所がよくわからなかったのだ。
―――
そう言えば確かルリちゃんも北欧のほうだったな。
―――
フィヨルドがあるから、秘密の研究所をつくるには都合がいいんだと思う
「なるほどね」
冬になると雪が降り積もり、さらに建物を隠してくれるのだろう。
フィヨルドの入り組んだ地形に加えて儀装でも施してあれば航空偵察や衛星写真でも容易に見つかるまい。
それが今になって木連、戦略情報軍に見つかったということは……
「研究所内にスパイ……いや、内通者がいた?」
「その通りだ」
肯定の言葉は扉の方からもたらされた。
決して気を抜いていたわけではなく、それどころか一応は拘束されている身なので気配には敏感になっていた。
当然、扉越しの気配にも気付いていたが、こちらから気を使いたい相手でもなかったので無視していたのだ。
「強引についてきてもらったこと、まずは謝罪させてもらう」
「……そう思うならこいつを外して欲しいな」
「それはできない。 容疑者だからな」
だったら最初の謝罪はなんだ、と思うが答える気はなさそうだ。
「改めて自己紹介をする。 カタオカ・テツヤだ。 いまの立場は戦略情報軍大尉。
後ろのはオプション1号と2号」
それだけ言ってテツヤはイスに腰掛けた。
オプション1号、2号呼ばわりされたテツヤの2人の妹
――― チハヤは異母妹だが ――― は少し離れた場所に2人で座る。
実妹であるチサトは「うう、頑張ろうね力の2号」などと言っている。
たぶん彼女は技の1号なのだろう。
テツヤの動作はイスに座るというただそれだけの動作であっても隙を最小限に抑えようとしていた。
イスに座っていてもすぐに動けるように体重を預けきっていない。
ほぼ臨戦態勢ということはアキトを信用していないという意志の表れだろう。
それはアキトも同じなので文句は言わない。
どの道手錠をかけられて満足に動けない状態ではその意志もない。
無論、相手もそれがわかっているからこそ出向いたのだろうが。
「戦略情報軍 ―――
スパイの元締めだな?
俺になんの用があったんだ?」
「……それを聞きたいのはこちらも同じだ。
なぜ、あそこにいたのか。 ネルガルの一部の人間しか知らないはずのあの場所に」
探るようでもなく、ただ淡々と語る、
それに対してアキトは、
「…………」
沈黙を保った。
話そうにも話せないことばかりで、しかもアキトにもわからないこともある。
場所云々に関してはラピスとのリンクを説明せねばならないが、これの原理などはアキトもよく知らない。
使い方といえばテレパシーのごとく遠くでも会話ができたり五感の一部を共有できることだが、それを言ってもどうしようもない。
また、ラピスたちの危機を知ったのはカイトから教えられてのことだが、なぜ記憶喪失の彼がそんなことを知っていたのかはわからない。
そして移動手段を問われればA級ジャンパーのことを話さねばならず
――― つまり実質的に何も答えられない。
「話せない、そんな顔だな」
アキトの葛藤を読んだようにテツヤが言う。
実際、アキトは表情に出ているので彼でなくともわかっただろう。
「……まあ、いい」
しかし、あっさりと引き下がる。
「実のところ大雑把にならこちらも事情は把握している。
お互い顔も見たくないのは同じだが、それでも会いに来たのは話を聞くためではない。
こちらの話を聞いてもらうためだ」
「戦略情報軍の話?」
「依頼、と言い換えてもいいかもしれないな」
依頼という表現を使っているが、実質的には脅迫か命令に近いものではないかと思う。
そもそも手錠つきで拘束されているのだから、そう考えて当然だろう。
「お前の連れていた2人の子供。 2人のことはどの程度知っている?」
「2人……ラピスとハーリー君か? 2人はどうしてる?」
「オプションに聞け。 面倒はあいつらに任せた」
あるいはその問いを予想して2人を連れてきたのだろう。
アキトの視線を向けられたチサトは少し考えるそぶりを見せてから、
「ああ、うん。 お兄ちゃんが連れてきたあの子なら、言われたとおりに虐待しておいたよ」
「…………」
テツヤへ無言の殺気を向ける。 が、テツヤは無視。
「具体的には?」
「まずお湯責めだね。 充分お湯をかけた後は薬品を体中に塗りたくりゴシゴシする。
薬品で体中が汚染された事を確認し、再びお湯攻め。
お湯攻めの後は布でゴシゴシと体をこする。
風呂場での攻めの後は、全身にくまなく熱風をかける。
恥ずかしがってもやめない。 外道だよー。
その後に、私にはとてもじゃないけど飲めない白い飲み物を飲ませたよ。
もちろん、冷えてたのをマイクロ波を出す機械に放り込んでぬるくしたものをだよ。
同時に引きこもりを養成するための電子機器をテレビにつないで起動。
いろんなゲームをやらせて体力を消耗させたよ。
あとはぐったりとした2人を大人1人が精一杯の寝台にまとめて放り込んでおいたよ」
「…………」
今度は別種の視線をテツヤに向ける。 が、やはり無視。
「チハヤ、翻訳」
「えっと、お風呂に入れて温めたミルクをあげて、いちど休んでもらいました。
あ、ご飯は起きたあとで。 いまはAGIの人がお話があるらしくて別室に」
「ひどいよ、ボケ殺しだよー」という声をことさら無視して
ふー、とテツヤは何か心の奥底から吐き出すような嘆息を1つ。
「話を戻すぞ。 あの2人のことはどの程度知っている?」
「どの程度、というのは?」
「遺伝子操作されたマシンチャイルドという以外に知っていることは?」
相手の意図が読めない。
ハリとラピスの価値は対外的に見ればマシンチャイルドの一点に尽きると思うのだが、
それを真っ先に上げた上でそれ以外を聞いてくるということは、他にも何かあると考えるべきだ。
しかし、アキトに思いつくのは2人も逆行者ということくらいだが……
「知らないようだな。 あいつらの親のことを」
「マキビ夫妻のことか?」
「それは養父母だ。 俺が言っているのは……実の両親だ」
言われてみればその通りだ。
ルリの両親がピースランドの王族だったことを考えるなら
ハリやラピスの両親もその系統という考え方もできる。
「さて、どこから話したものかな」
「結論からでいい」
「性急だな。 いいだろう」
軽く目を伏せ、やはり淡々とテツヤは告げた。
「戦略情報軍の依頼はこうだ。
あの2人をAGIに預けてもらいたい。
あそこには……2人の母親がいる」
生みの親と育ての親。
どちらをとるかといわれれば難しいところではあるが、自分は育ての親をとるだろう。
血縁といわれてもすぐに意識できるはずもなく、養父母と積み重ねた時間は確かな絆となっている。
それは血の絆などよりも、少なくともいまはずっと強いものだと思う。
「でも……」
泣いてたな、あの人。
母親だといわれて心が動かなかったわけではない。
いつもどこかで考えていたことだった。
自分の生みの親はどんな人なんだろうか、と。
でもそれはひどく漠然とした想像であって、こうして現実になるとは考えてもいなかった。
もし現実になるとしてももっとドラマティックな感じなんだろうと勝手に想像していた。
しかし、いざ現実になってみると感動よりも困惑、喜びよりも重苦しい感情を抱いている。
「……ハーリー?」
「なに、ラピス?」
ラピスの声にもいつもの元気さがない。
できればいつものようになって欲しいと思いながら、それは僕のわがままかな、とも思う。
自分も落ち込んでいるというか混乱しているのにラピスにだけ『いつも』を求めるのは酷だろう。
「どう ―――
ううん、ラピスどう思った?」
どうしようか、と言いかけて結局は別の言葉を選んだ。
どうする、というのはこれから自分で考えるべきことだ。
「よくわからない」
「あはは」
ハリが笑ったのをムッとしてラピスがにらみつける。
「ごめん。 馬鹿にしたわけじゃないよ。
ただ ―――
同じこと考えてたんだなって」
わからない。
それが確かにいまの気持ちを一番的確に表している。
混乱していると言い換えてもいい。
いきなりいくつもの情報を与えられ、それを処理しきれずにいる。
あるいは情報の評価と処理に必要なプロセスの最終段階で止まっている。
コンピュータには詳しいハリは自分の現状をそう評価していた。
「びっくりしたよ。 妹までいたんだし」
「ワタシの妹でもあるのよ」
「そうだね」
カタオカ・チサト、チハヤと名乗った女性に連れていかれた別室ではAGIの人間が待っていた。
てっきり軍情報部の人間による尋問か最悪で拷問を覚悟していたハリにとってやや拍子抜けする展開だったが、
あるいはその方が気楽だったかもしれないというほどの衝撃にさらされることになった。
ハリもAGIの名前は知っていた。 ニュースを調べていれば出てくるし、欧州では力を持った企業だった。
しかし、その上層部についてはメディアに対する露出が少なく、ほとんど知られていない。
だからハリも知らなかった。
AGIの上層部がマシンチャイルドの女性ばかりだったというのは。
そして、
「はじめまして……になるのかな。 フィリス・クロフォードです」
そう言ってハリに名乗った女性、彼女こそがハリの生みの親だった。
まあ、それだけでも十分にショッキングだったのだが……
「この子はセルフィ、あなたの妹」
と言って紹介されたのはラピスによく似た少女。
瞳が金色でなく碧眼だったことと髪を肩口で切っていることを除けばほとんどラピスそのものだった。
思わず2人を交互に見やってしまうハリ。
ラピスの方はというと完全に固まっていた。
「でも、この子は僕のっていうか……」
「ワタシにそっくり」
そんな2人を見てフィリスと名乗った女性は困ったような微笑を浮かべ、
「そう、あなたの妹でもあるの」
とラピスに告げたのだった。
そこからはまずラピスを落ち着けるのが大変だった。
ハリとセルフィを交互に確認し、さらに窓ガラスに映った自分を見て、
それからセルフィをつれて再度、窓ガラスに映った自分の姿と見比べる。
「そ、それじゃあワタシとハーリーって」
「兄妹か姉弟?」
後半を引き取ってハリ。
ラピスは何かとんでもないショックを受けたように「嘘……」と呟き続けている。
しかし、
「ごめんなさい、それは違うの」
とフィリスに否定された。
この時点でハリとラピスの混乱は最高潮に達する。
3人の子供は互いを確認しつつ「兄妹? 姉妹? でも他人?」ということを繰り返した。
その混乱から真っ先に立ち直ったのはハリだった。
とりあえず言われたことを整理してみる。
1.ハリとセルフィは兄妹である。(血縁あり)
2.ラピスとセルフィは姉妹である。(血縁あり)
3.ハリとラピスは他人である。(血縁なし)
結論、よくわかりません。
「どういうことですか? えっと……フィリスさんは僕のお母さんなんですよね?
それで、セルフィもフィリスさんの娘ですか?」
「ええ、そうね」
「じゃあ、ラピスは……」
「ボクの娘だよ」
そう言ったのは赤みがかったブラウンの髪を持つ女性。
最初の自己紹介では……
「ガーネットさん? AGI会長の?」
会長といってもまだ若い。 おそらくは20代の前半。
フィリスや他の面子もほぼ同じくらいと考えてよさそうだが、ハリやラピスの年齢を考えると……無理ではないが若すぎる母親だ。
「ラピスはボクの卵子を使ったのさ。 セルフィとラピスが似ているのは精子の提供者……父親が同じだから。
そしてハリ、君とセルフィはフィリスの子供であるけれど父親が違う」
もう一度ハリは整理する。
1.ハリとセルフィは異父兄妹。(母親が同じで血縁あり)
2.ラピスとセルフィは異母姉妹(父親が同じで血縁あり)
3.ハリとラピスは他人。(1.2と矛盾しない)
ややこしいがこういうことらしい。
つまり、セルフィという妹を共有しながら2人は他人と言うことだ。
「でも、どうしてそんなややこしいことに?」
「それは ――― 」
そこから語られたことは人間がどこまで独善的になれるかという見本のような話だった。
多くのことが語られ、同時に多くのことが語られなかった。
わかったことはいくつかある。
まず、ハリの母親であるフィリス・クロフォードは先天的な遺伝疾患を抱えていたこと。
その治療のために彼女は大量の医療用のナノマシンを投与されていた。
当時の技術ではほとんど賭けのようなものだったらしいが、それでも彼女とその父母(ハリにとっては祖父母)はそれに賭けた。
賭けざるを得なかったというべきだろう。 そうしなければフィリスの命は遅くとも1年で尽きていたはずだ。
生来は金髪碧眼だった彼女の髪と瞳はナノマシンの影響で銀色に変質し……それでも生き延びた。
だが、単純にそれを喜ぶことはできなかった。 フィリスの両親は医療を担当したネルガルに膨大な借金を抱えることになり、
それを返済するためにほとんどフィリスに会うことができなくなっていた。
そして同時にフィリス自身も貴重な『成功例』としてネルガルに協力せざるをえなかった。
当時15歳かそこらの少女にその決断はどれほど重かったことだろう。
自らの体を実験台して弄繰り回される恥辱はハリには想像が及ばない。
ただ、ハリの知るルリも16歳だったことから重ね合わせて憤りを覚えるだけだ。
当時、ネルガルはのちのマシンチャイルド計画に繋がる研究を行っていた。
IFSの技術もほぼ確立されており、その延長としてのナノマシンによる人体改造だ。
それは人道、道徳、倫理などをおおよそ無視したものだった。
身寄りのない子供を福祉の名目で集めては人体実験に使用していたらしい。
AGIの主要メンバーもその被験者だったという。
「ボクらはまだ運が良かったよ。 とりあえず生きてる」
ガーネットのその言葉が実験の過酷さを物語る。
ハリは未来であった火星の後継者事件の資料を見たこともあるのでその実験の無意味さを理解できた。
基本的に完成してしまった人体に手を加えるのが無理な話だ。 どこかに歪みが出てしまう。
「実際、多少のオペレーション能力を持っているのはボクだけしかいない」
ガーネットはそう言った。 それでも6歳のハリにさえ及ばないと言う。
他のメンバー、秘書のジルコニアや開発部のルチルとローズのクォーツ姉妹は天才と呼べる能力はあっても
それを本来目指したマン・マシンインターフェイスとの合一には使えなかったという。
「で、ようやく気付いたわけだね。 受精卵の段階から手を加えないと意味がないって」
その手法を『開発』したのは人工的に天才を生み出すと言う別の計画を行っていた研究所だった。
その最初の成功例が ―――
「それがルリさん?」
「残念、少し違う。 ネルガルはまず2人の姉妹で成功した。
次にほぼ同時期に連合の研究所も成功する。 それが第1機動艦隊のテレサ・テスタロッサ大佐」
それは初耳だった。 成功例はルリしか知らなかった。
いや、もしかしたら歴史が変わった影響だろうか。
そもそも未来にはAGI自体が存在しなかった。
「次にホシノ・ルリがくる」
「最初の2人は?」
「生きていれば17、8だろうね。 研究所の事故で死んだよ」
「…………」
ルリが聞いたらどう思うだろう。
自分の姉になったかもしれない女性がいたとすれば。
ミナトからいつか聞いたことをハリは思い出す。
――― 私に弟ができました
ハリのことをルリは手紙でそう言ってくれたのに。
家族のように思ってくれたのに、なのにその2人は知られることさえなかった。
「話を戻そうか。 受精卵の段階で手を加えなければ実験は上手くいかない。
それがわかった彼らは数少ない『成功例』
―――
ボクとフィリスを使うことにした」
「そして生まれたのが、僕らですか?」
「そう。 効率を考えて体外受精と人口子宮で育てられたけれど。
ラピスはボクの娘、そして君はフィリスの息子だ」
「本当は ――― 」
辛そうな表情で聞いていたフィリスが口を開いた。
「本当は、セルフィとあなた以外にも兄弟姉妹がいたの。
でも……ごめんね」
言葉と同時にハリは抱きしめられていた。
少し苦しいくらいに、強く。
「ごめんね……ハリ。 私……助けてあげられなかった。
あなたのことも……ずっと…………」
抱きしめられていたハリは彼女の表情は見えなかった。
見えなかったけれど……首筋を伝う雫を感じていたから。
だから、そのままでいた。
「ネルガルは……そんなことを」
テツヤから大まかな話を聞いたアキトは愕然とした。
ラピスをさらった北辰たちの方にばかり関心がいっていたが、
考えてみればネルガルこそがラピスを生み出したのだ。
「同じ話を聞かされてるはずだ。 が、これはまだオブラートに包んでる」
「まだあるってのか?」
「お前だって知っているだろう。 人間は残酷に醜くなれる」
「…………」
沈黙を持ってその返答とする。
火星の後継者たちにされたことをアキトも忘れてはいない。
同時にそれがすべてでないことも知っている。
それで十分だと思った。
「AGIのいまのメンバーを確保したのは当時発足間もない戦略情報軍だった。
目的はネルガルのマシンチャイルドの研究データの奪取。 建前は非人道的実験に対する強制捜査だったがな」
「……続けてくれ」
「突入した部隊はハズレを引かされた。 研究所はほぼ閉鎖状態で引き払われていた。
データもほとんど残っていなかったが……そこで4人の被験者を保護したとある」
「それがどうやったらAGIに繋がるんだ?」
「発足当時の戦略情報軍は大した権限もなかった。 新顔にいい顔はしない、お役所の権利争いだな。
人員も十分でなかった。 とても設立目的とされた情報収集と分析を十分に果たせそうもない」
「……それで、マシンチャイルドを?」
「連合も似たような研究をやってたからな。 誰かが思いついたんだろう。
戦略情報軍はヒューミントを行うので精一杯。 せめてシギントを任せられないかってな」
諜報では主に人のスパイを使った活動(ヒューミント)と電子機器を使っての活動(シギント)がある。
アキトとラピスでいうならアキトがヒューミント担当でラピスがシギントだ。
「AGIはその為にでっち上げられた企業だ。 運用の資金を稼ぐために商売もやってるがな。
いまじゃそっちの方がメインになってる感じもするな。
まあ、とにかく連中は当時のSIF長官と取引したのさ。
協力と引き換えに自分たちの安全保障を」
「…………それはわかった」
深々とため息をつく。
ハリとラピスの生い立ちからなんとも後味の悪い話まで聞かされる羽目になってしまった。
「つまり、お前は俺が2人を連れて行くよりもAGIに預ければ安全だっていいたいんだな?」
「建前はな」
テツヤはそれが建前であると隠そうともしない。
本音はいうまでもない。 AGIが戦略情報軍のための機関なら
オペレート能力を持ったハリとラピスはひどく魅力的に映ることだろう。
現実問題として高度なオペレート能力を持つのがガーネット一人ならなおさらだ。
しかしアキトは表立ってそれを非難できない。
母親がいるというのは真実だし、アキトは他人だ。
だから彼はこういうに留めた。
「俺と行くか、ここに残るかは2人が決めることだ」
―――
どうするかは、自分で決めて欲しい。
ガーネットからそう言われてもすぐに決められるはずもない。
ラピスはきっとアキトと行くだろう。
それはほぼ決定事項だ。
なら自分は ―――
以前なら迷わなかった。
ナデシコならルリがいる。
迷う理由がなかった。
でも今は ―――
「……お母さん、か」
結局、あの場ではその言葉が言えなかった。
また会ったとして言えるかもわからない。
なぜなら、ハリにとって両親とはマキビの姓をくれた2人だからだ。
今日会ったばかりの女性ではない。
「でも……」
泣いてたな、あの人。
謝りながら、泣いていた。
もし僕が行くっていったら、やっぱりまた泣くのかな?
それはなんだか嫌だった。
自分がひどく薄情になったような気がする。
「……迷わないのも強さなのかな?」
だとしたら自分はまだ弱いままなんだろう。
ラピスはきっと強い。
「ラピス?」
呼びかけるが、返事はない。
いつの間にか彼女は白いシーツのかけられたベットの上で寝息を立てていた。
ハリも眠るには時間としてはまだ早いが、それでもひどく疲れていた。
「…………」
薄桃色の髪が広がり、薄い胸がゆっくりと上下しているのを見て急に気恥ずかしくなったハリは慌てて視線を逸らす。
それから呼吸を落ち着けてからそっと布団をかけた。
暖房がきいているとは言え、薄いパジャマ一枚では風邪を引いてしまう。
……なんとなくラピスなら大丈夫かも。
妹を共有する他人という奇妙な縁を得てしまった少女を見ながらハリはそんなことを考えた。
本人に言ったらおもいっきり殴られそうではある。
「でも、きっとラピスは強いから」
そして自分はまだ弱いから。
「僕がいなくても……テンカワさんだって」
ルリさんも、きっと妹ができましたって言ってくれるから。
「少しのさよならは大丈夫だよね、ラピス」
少年は ――― 決別を選択した。
<続く>
あとがき:
はい、というわけでその3です。
実はここまでその2でやる予定だったんですが、膨らみすぎて分割。
さんざん名前は出てきていたAGIの秘密を公開。
以前の話を覚えている方ならまだ秘密があるのはわかるかと。
あとはハーリー君の受難のクライマックス。
すいません、時ナデの設定をだいぶいじってます。
話的には「僕らの戦争が始まる」の前あたりでしょうか。
もうすぐ折り返し地点ですね。 また長くなりそうですが。
それでは次回また。
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