時ナデ・if
<逆行の艦隊>
第26話その1 シャクヤク強奪
薄暗い路地。
整然とした月特有の町並みの中にもこんな場所があったのかと思う。
月も地球の周囲を公転していると同時に自転もしているので昼も夜もあるのだが、
その周期は27.3日(月は自転周期と公転周期が同じ)であるため、そのまま適用すると人間にはいささか不便である。
したがって地球上とほぼ同じように24時間を1日として人工的に昼と夜が作られている。
いまは昼の時間帯であるが、人工の陽光が届かない建物の影はじっとりとした湿り気を帯びた空気が澱み、
大通りの明るさと対比すると本当に同じ町なのかと思うほどだ。
……どこだ
荒く息を吐きながら視線を左右に向ける。
本人は気付いていないが、血走った目できょろきょろしながら走り回る姿は
青い制服の国家権力の人に職務質問されても仕方ないほど怪しかった。
幸いにして裏路地にはいなかったが。
――― どこだ!
見失ったかもしれないと思った瞬間、苛立ちと喪失感が襲ってくる。
澱んだ空気のせいだけではなしに肺のあたりが重い。
せっかく見つけた……いや、それとも幻覚か?
でもアレは確かに……
「イツキ……」
何度となくその名を呼んだ。
ずっと、火星で会ってからずっとだ。
自然に、意識することなく。
「どこだ……」
だからずっとそうしてきたように。
また ―――
「イツキ!」
「 ――― はい」
今度は幻聴かと疑うことさえせずに振り向いた。
薄暗い路地。 人工の明かりさえ心もとない。
「すいません。 本当はぜんぶ終わってから連絡しようと……」
それでもはっきりと見える。
「ヤマダさん?」
反応のないヤマダをいぶかしんで声をかける。
と、その両手でいきなり肩をつかまれる。
「なにを……」
思いのほか強い力でつかまれ、痛みと驚きに抗議の声を上げかけ、
しかしイツキはヤマダの肩が震えていることに気付いて途中でそれを止めた。
「…………心配、してくれました?」
「当たり前だろうが」
「肩、少し痛いです」
「わりい」
少し力が緩むが、手はそのまま離されない。
はたから見ればヤマダが迫っているようにしか見えない構図なのが問題だったが、
その手のひらから不愉快ではない温もりを感じていたイツキはそれ以上どうとも言わなかった。
うつむいたままのヤマダが泣いていることにも触れなかった。 せめて泣き顔を隠したいという彼の矜持がさせるのかもしれない。
男の見栄とでもいうのだろう。 それをくだらないとは思わない。
それは多かれ少なかれ必要なものだ。 最低限の見栄を張るべき場所と場合さえ過たなければ、
さらに言うならそれさえ無くしてしまっては唯々諾々と従う奴隷根性に堕ちてしまう。
「少しそのままで聞いてください」
いまのイツキは私服姿だった。
汚れたコンクリートの壁面に背中をつけないように気を使いながら話を続ける。
「すこし厳しい話になると思います」
「お前の本音を聞いとけばいいのか?」
「はい?」
「わかんねえならいい」
確かに意味はわからなかったが、それでも声にいつもの調子が戻っていたのに安堵する。
そして思わず苦笑。 ほんとうに何をやっているのかと。
これから彼に話すことを考えれば和むような雰囲気でもあるまいに。
「ヨコスカに入港する前に私がいった言葉を覚えてますか?」
ヨコスカ基地に入港する前……イツキの言葉……
「身近な誰かに裏切られたらってアレか?」
珍しく思いつめたイツキの様子が印象的で覚えている。
確か彼女はこう言ったのだ。
『もし、もしもですけど……』
『誰かに、裏切られたらどうします?』
そう言ってこう付け加えたのだ。
『親しい人とか、身近な誰かでいいんですけど』
「……裏切り、なのか」
「…………」
沈黙はすなわち肯定。
「私たちの行動は火星に入ってからずっと監視されていたようです。
でなければあの広大な惑星上でたった1隻の戦艦を追跡するなんて無理です」
「そんなに早くからか……」
火星の戦いでナデシコは十数名のクルーを失っている。
ナデシコの盾になった機動母艦アルバはクルーと共に火星の大地に沈んだ。
それだけではない。
ヤマダやイツキとは訓練校時代以来の付き合いだった2人も未帰還となった。
未だに機体の残骸も遺体さえも回収できていない。
「北極海での新型機回収では一歩先に新型2機を強奪されました。
続くテニシアン島でも所属不明の……いえ、木連のエージェントと戦闘がありました」
「偶然にしちゃ遭遇率が高すぎるか?」
「決め手となったのはクルスクです」
クルスク戦 ―――
それは第一次攻撃の洋上艦艇からの巡航ミサイル飽和攻撃において
ナデシコが担当した最終誘導段階において味方をターゲットとして設定してしまうという失敗を犯し、
結局は陸軍部隊と海軍航空部隊の連携でナナフシを撃破した戦闘だった。
この戦闘のあとナデシコは徹底した調査を受け……ミサイルの最終誘導でしくじったのは敵のハッキングによることが原因だと判明した。
当初最もありえないとされた想定だった。
厳重にプロテクトされた上に独自の言語を使って動いているオモイカネにハッキングをしかけるなどおおよそ不可能と考えられていた。
しかし、敵はそれをやってのけシステムからた。
一番最初に侵入を受けたのはミサイルの中間誘導を担当したGPS衛星だった。
そこから本来は軍艦やAWACS、基地や部隊との双方向のデータ通信に使われるLink30を用いてナデシコのシステムへ潜入。
敵の狡猾なところはもっとも厳重な火器管制システムではなく中枢システムからは独立しているはずのIFF(敵味方識別装置)を騙したことだ。
敵味方の識別を反転させたことで火器管制システムは入れ替わった『敵』を攻撃してしまったのだった。
半ば自我にも近い高度な思考アルゴリズムを持つオモイカネならこれにも簡単に騙されはしなかっただろうし、
仮に騙されても最終判断は人間が行う。 つまりルリがデータ上で敵味方が入れ替わっていることに気付いた時点で再度のデータ修正を行うか、
攻撃中止を指示してミサイルを自爆させる手もあった。
しかし、先手を打たれてルリは意識不明。 OSを制圧されたことでオモイカネの介入も不可能。
マスターキーでの再起動をかければよかったのかもしれないが、超音速で飛来するミサイルに対抗するにはあまりに時間がなかった。
これは戦闘後の調査で判明したのだが、IFFトランスポータに細工がされていた。
ある信号を受信するとトランスポータと中枢システムを結ぶ正規の回路を遮断、かわりに儀装されたデータを流すような装置が取り付けられていた。
それは整備用のパネルから配線へつながれたと推測されるが、特定の信号を受信しない限りは単なるルーターと同じ機能しか持たないために異常とは感知されなかった。
全長200mを越える船体の中で人間の神経のように張り巡らされた回路網からそれを知らずに見つけ出す偶然の可能性は低く、
すべてが終わってから発見されたのも頷けると言うものだ。
システムとしての盲点を突かれた形だったが、同時にショックを与えたのはこれが間違いなく人為的に行われたものだということだった。
記録にも残さずに艦内にそんな装置を持ち込むこと自体は楽だったはずだ。 『軍艦』でない『民間船』のナデシコは私物のチェックなどが甘い。
オーディオかゲーム機の外箱にでも入れればまず疑われることはない。
ナデシコは『木星蜥蜴の兵器への対処』は考えられていてもこの手の内部からの破壊工作は一切考慮されていなかった。
これが軍ならば対テロなどのために警戒はしているだろうが、ナデシコにそこまでする理由はない。
する必要性もない……と考えられていた。
以前にアキトが保安部の強化をプロスに提案(北辰対策の一環)したことがあったが、
それに対する反応は「木星蜥蜴が雨後のタケノコなら考えますが」というものだった。
「で、その保安部が対処すべき侵入者は地面から湧いてくるの?」というニュアンスを言下に込めてある。
侵入者というからには外部からやってくるわけであり……そうなると宇宙人がどうやって侵入してくるのかという話になる。
DFやら装甲板やらで覆われた船体はさすがに個人レベルで携帯できる兵器での破壊は困難である。
カプセルを砲弾のように撃ち込むということも考えられなくはないが、それにしても侵入されれば一発でわかる。
行動中の艦艇に侵入などということがどれほど困難か考えればわかる話だが、
そんなものに人員を割くくらいなら整備班や生活班、パイロットを増やしたいというのが本音だろう。
スペースに著しい制限のある宇宙艦艇で人を増やすということがどれほどの負担になることか。
まあ、火星まで単独航海を想定していて下手な巡洋艦よりも航続距離や航宙性能、居住性の高いナデシコなら不可能ではないだろうが、
そこまですることもないという判断だった。
総じてしまえば「宇宙人と艦内で撃ち合う状況など考えていない。 ありえないから対策も必要ない」と言うことだ。
それでもいちおうは保安部員がいたりブラスターが置いてあるなど最低限の処置はしてあるが、
逆を言えばそれさえも「最低限の保険」でしかなかった。
保安部員は艦内の治安維持、クルーの反乱への備えという意味の方が大きい。
そしてナデシコでは艦の雰囲気がそうさせるのか、揉め事といっても整備班が待遇の改善を求めてストを起こしたくらいであとは犯罪などとは無縁だった。
したがって油断していたと言われても仕方ないかもしれない。
クルスクの一件は内部からの破壊工作に弱いという(艦艇に共通の)ことを露呈した形だった。
そしてナデシコの中にその工作を行ったスパイがいることも……
しかし、ネルガルの調査委員会は敵は「謎の宇宙人」ではなく「同じ人間」ということから
木連の存在が漏れることを警戒してこの事実を伏せた。
「明らかな人為的工作の跡まで見つかれば疑う余地はありません」
「問題は誰か、だな」
ナデシコのクルーを選んだのはプロスだ。
能力は一流で性格は二の次ということは別としてもスパイが潜入できる可能性は低いと言える。
『能力』の中にはもちろん信用も含まれているからだ。
多少の性格破綻はともかく、最新鋭戦艦の情報をクリムゾンに売られたりしたらたまらない。
その点での配慮はされている。
性格は二の次と言ってもそれは「有能な働き者」は大概他にとられているからせめて「有能な怠け者」をということだ。
普段はお気楽能天気なユリカや趣味に走りがちなウリバタケはその典型だろう。 (ジュンは「有能な働き者」と言えるかもしれない)
普段がどうあれ、彼らは基本的に善人である。 仲間を売ることはしないだろう。
「ナデシコの中に3人だけプロスさんが選んでいない人が居ます」
「3人?」
一人はすぐに思いつく。
欧州でも一緒だったアキトだ。
確かに成り行きで幼馴染のユリカを追いかけてきてヤマダのエステバリスに勝手に乗り込んだあげくに
そのままやはり成り行きでコック兼パイロットとして採用されてしまった経緯がある。
経歴も火星からいきなり地球へ跳んでおり、その間にどうやって移動したかがわからない。
少なくとも火星会戦以来、火星駐留軍は地球までの道程で一ヶ月近く撤退戦を繰り広げていたというのに。
だが、アキトは違うと思う。
上手く言葉にはできないが、それは確信だった。
それにスパイにしては目立ちすぎ、そしてナデシコに貢献しすぎている。
火星などアキトが居なければ危うかった場面は多々ある。
「アキトは別として……」
「そうですね。 そうすると次はイネスさん」
「ああ、そうか」
イネスは火星で避難民と一緒にナデシコに拾われていた。
そして火星での戦闘以降もナデシコに留まっている。
しかし、それでもイネスをそうだとするには疑問符がつく。
「あの人は前っから火星で研究してたんだろ?
スパイだってんなら開戦に巻き込まれたのはマイナスじゃねえか?
それに火星でイネスさん拾ったそのあとに襲撃受けてるぜ」
「……確かに」
「そうなると一番可能性が高いのは」
「あの襲撃を受けたときナデシコには居ませんでしたが、
チューリップを抜けて以降は行動を共にしながらテンカワさんやイネスさんよりも経歴が謎の人がいます」
「 ――― カイト」
「その名前さえ艦長がつけたものでしたね」
……そうなのか?
名前さえ知らず、ナデシコに突然現れた青年。
遺伝子データからさえ身元はわからず、その後は確かにナデシコに居ついていた。
記憶をなくしているせいかあまり多くを語ろうとはしなかった。
それでも、仲間だと思っていた。
パイロットととしてわずかな間でも一緒に戦った仲間だと。
しかし、もしカイトがそうならばというショックと同時にやはりという思いもあった。
消去法でいって一番怪しいのはカイトしかいないからだ。
ヨコスカで自爆しようとしたマジンをどこかへ跳ばしてしまったのを目の当たりにしていれば
なおさら「あいつはいったい何者なんだ?」と言う疑問もわく。
「……そういや、イツキはなんで無事だったんだ?」
「私が無事だとなにか都合が悪いんですか? そうですか」
少し拗ねたような声を出すイツキ。
ヤマダは、いやそうじゃねえがと言うが、口下手が災いして上手い反論も出ない。
それを見てイツキはくすりと笑い、一転してまじめな表情に戻る。
「冗談はこのくらいにして。 私が例の瞬間移動に巻き込まれたことですよね?」
「ああ。 火星のクロッカスとか欧州のときのパイロットとかは酷かったしな」
半ば機械と融合するような形で事切れていた乗員たちの姿を思い出し、眉をしかめる。
欧州の戦闘でもジンの跳躍に巻き込まれたパイロットが数名それで犠牲になっている。
「正直、私が大丈夫だった理由はわかりません」
「おいおい……」
「ヤマダさんだって火星から月までナデシコが跳んだときは無事でしたよね?」
「そりゃ、そうだけどな」
「あのときは全員が無事でした。 もしかしたらナデシコに乗っていた人たちは大丈夫なのかも」
「もういっぺん試してみようって気にはならないけどな」
「私もです」
それはそうだろう。
どの条件がボソンジャンプに耐えられる人間とそうでない人間を分けるのか知らなければ
2回まで大丈夫だったから3回目は大丈夫ということも言えないのだから。
例えばそれは回数券のように制限がついていてイツキは2回分しか手持ちがなく、
それをすでに使い切ってしまっているのかもしれない。
何しろ前例が少なすぎる。
「もしかするとテンカワさんやカイトさんなら何か知っているのかもしれませんね」
「なんでだ?」
「……テンカワさんの亡くなったご両親はあの瞬間移動に関する研究に携わっていたそうです。
それに、カイトさんがスパイなら……それは木星蜥蜴の側の人だってことになります。
あの瞬間移動は木星側の技術ですから」
「……なるほどな」
言われてみればかつて火星、月や欧州の地で戦った優華部隊は人間だった。
つまり木連側は少なくとも安全にその技術を使えているというわけだ。
が、さすがにナデシコが無事だったのは強力なディストーションフィールドに保護されたおかげであり、
木連の優人・優華部隊は遺伝子改造で耐性をつけているのでそもそも関係ないというのは
さすがに神ならぬヤマダの知るところではない。
「で、俺はまだ一番肝心のことを聞いてないぜ」
「私のこと、ですか?」
「ああ」
それで質問は十分だろ?と言わんばかりにヤマダはそれきり沈黙を守った。
イツキの方もわずかに視線を動かしたきり口を閉ざしてしまう。
それは拒絶ではない、と少なくともヤマダは思った。
イツキは迷っている。
それがどんな形での迷いなのかは知る由もないが、それでも迷っている。
迷うと言うことは完全な否定ではない。
だから待った。
正直、話そうと話すまいとどちらでもよかった。
ただそれは確認のための儀式のようなものだった。
イツキが姿を消していたことを考えればその正体は絞り込める。
いま聞いた話にしてもおおよそただのパイロットが知っている内容ではない。
ただそれでも聞いたのは迷って欲しかったからかもしれない。
あっさりと正体を告げられたらそれはそれで信じがたい。
同じように取りつく島もなく拒絶されるのも辛い。
「月並みですが、これを聞いたらもう引き返せませんよ?」
「なら俺も月並みに返すぜ」
だからどんな答えが返ってこようとも、この時点でヤマダは満足していた。
そして決めていた。
「覚悟の上だ」
イツキは苦笑した。
そしてすぐにそれを収めると、こちらも何かを決意した表情で告げる。
「私はSIF……戦略情報軍です」
それはヤマダの予想した答えだった。
だが、彼女の迷いの意味をヤマダは間違えていた。
そのことを知るのはまだ先のことである。
○ ● ○ ● ○ ●
フライトは快適そのものと言えた。
宇宙往還機といっても大気圏を飛んでいる間は普通の航空機と変わらない。
いちど成層圏付近までジェットエンジンで上昇し、しかる後に大気が薄くて役に立たなくなったジェットエンジンを遮蔽して
重力を振り切って第2宇宙速度に達するためにロケット推進で更に加速。
その間に機体には凄まじいGの負荷がかかる。
しかしその内部は重力制御の応用で慣性中和がかけられているため乗員はかつての宇宙飛行士や戦闘機パイロットのように
自分の体重が何倍にもなってのしかかってくる感覚を味わうことはない。
座椅子の広さも申し分なかった。 それどころか逆に落ち着かないほど上質なものだった。
機内は特別仕様機ということでオフィスをそっくり切り抜いてきたような内装をしている。
アキトはその窓際に据え付けられたシートに座って窓の外を眺めていた。
時折視線を動かすと隣のラピスがやたら熱心にアニメを見ているのが知れた。
タイトルはアキトが知らないものだったが画面ではアイパッチをつけた隻腕の男が
操舵輪で宇宙戦艦を動かしているシーンだった。
アップトリムやダウントリムはどうするのかという素朴な突っ込みはこの手のアニメには不要だ。
さらに離れた位置にある執務机で端末をいじっていた女性と目が合う。
栗色の長い髪が流れ、赤茶色の瞳が瞬きする。
若い……恐らくはユリカとそう変わらないか?少し観察してそう結論付ける。
比較的経歴がはっきりしているフィリスが23かそのあたりで、
彼女が成功した初のマシンチャイルド(正確にはその雛形)であることを考えればそんなものだろう。
と、その女性……AGI会長のガーネットは端末に置いた左手はそのままに右手でアキトを手招きする。
ラピスを確認するが、今度は特典映像のノンテロップOPの3周目に食い入っていて動かない。
それでも「ちょっと呼ばれたからいってくる」と声をかけるとコクコクを機械的に頷く。
……なんだかガイみたいだな
自分のことは棚に上げて「キャプテンガバメント劇場版〜出撃! 真エクセルシオール号〜」に夢中になっているラピスをそう評する。
なぜシャトルに備え付けのビデオデータの中にこんなマニアックな代物が混じっているのかということは考えずにおく。
「なにか?」
まあ、座りなよと言われるままにテーブル越しにガーネットと向き合う。
AGIの面々の中でアキトとよく話したのは欧州でも面識のあったフィリスがほとんどだった。
開発部のクォーツ姉妹は先立ってトライアルに出す新型の調整のために月へ行っていたし、
会長のガーネットや秘書のジルコニアは仕事が多忙で最初にアキトに状況説明をするときに居ただけで
あとは滞在中に顔を会わせることはなかった。
「何か言いたげだと思って」
眉をしかめる。 それだけで呼ばれたのかと内心で悪態をつく。
「それは確かに色々と」
「マキビ・ハリのこととか?」
「それがわかっていて ――― 」
「卑怯なことをしているという自覚はあるよ」
ガーネットはアキトの怒りもどこ吹く風と言わんばかりだ。
そんな飄々とした態度をとる人間を他にも知っている気がしたが、
アキトがその該当人物に思い至る前にガーネットが再び口を開いた。
「でも、ボクらが生き残るのに必死だということも理解して欲しいね」
「必死?」
アキトはぽかんとしてしまう。
いまやネルガル、クリムゾンと並んで地球を三分にしている企業の最高責任者が言う台詞とは思えない。
「特殊であることは特異であることと同義だよ。
それが役立てば利用され、役立たなければ切り捨てられるだけで」
「AGIもそうだと?」
「ボクらは戦争に貢献することで役立つことをアピールし続けなくてはならない。
その為の新型機動兵器、そのための新造艦、そのためのマシンチャイルド」
「だからハリ君を?」
「知っているかい、君。 政府の高官たちはマシンチャイルドの能力を魔法の万能鍵か何かだと思っている。
じっさいは世界の通信の数パーセントを解析するので精一杯さ。
それさえスーパーコンピュータのサポートなしでは話にならない。
少し並の人間よりうまく使えるだけでやっていることはなんら変わらないのにね」
「質問の答えになっていない」
不機嫌なアキトにガーネットは艶っぽい笑みを返してきた。
「だからボクらには本物の万能鍵が必要ってことさ」
「ハリ君がそうだと?」
「彼はたぶん世界でも3番目に優秀なマシンチャイルドだろうね。
本人は上の2人に劣等感を抱いているようだけれども」
1番は間違いなくルリのことだ。 次点はラピスだろう。
ガーネットらは基本的にコンピュータとの親和性は低い。
辛うじてガーネットが一般人よりもまあ優れているという程度の話だ。
AGIの情報収集能力はマシンチャイルドの能力よりもむしろシステム構築能力の高さに支えられている。
極論を言うならAGIのシステムを使えば一般人でもそれなりの成果は出せるだろう。
システムを構築し、一から育てて精通している彼女らが使う方が効率はいいだろうが。
ガーネットはそこに『本物の』マシンチャイルドであるハリを加えることで更なる高みを目指すと言うことらしい。
―――
つまりナデシコCのオモイカネとルリちゃんに似た感じか
AGIは戦略情報軍と共にネルガル研究所を抑えた際にオモイカネ・ダッシュを確保している。
人工知能部分はハリとラピスが担当していたので相性も心配要らない。
オモイカネとルリとまではいかなくても現行のシステムより上にはなるだろう。
「ハリ君も悪いようにはしないよ」
「信じていいのか?」
「善意や同胞意識だけで言っているわけじゃない。
人を縛るには色々な方法がある。
わかるかい?」
「暴力による恐怖?」
「愚かだ。 必ず反発を招く。
そして能力を発揮させられない」
「……金銭」
「よく使われるね。 でも子供にはあまり通じないよ」
「愛情」
わが意を得たりというようにガーネットが頷く。
「その通り。 愛情こそがもっとも強い鎖になる。
恐怖で萎縮させることもなく、金銭のように裏切られる可能性も低い。
それでいてときには能力以上のことを成し遂げさせる。
わかるかい? いや、君は知っているね」
確かに知っている。
愛情が行動を縛り、愛するものを奪われた憎悪が力を生む。
だが、それを知るのはアキトとこの時代ではユリカやルリ、イネスと
ラピス、ハリくらいのはずだ。
目の前の女性にそれを知る術があると思えない。
彼女は知らないはずだ。
――― 「Prince Of Darkness」と揶揄半分に呼ばれたアキトのことなど。
それでもアキトはその可能性を捨てられなかった。
疑心暗鬼とわかっていてもガーネットの笑みが意味深なものに思えてしまう。
単にカマをかけているだけだと言い聞かせる。
「……ラピス」
「え?」
「ラピスを見ていればそれがわかるよ」
力が抜ける。 やはり考えすぎか。
「生みの親より育ての親とは言うけどさ。
君にべったりだね」
「いや、それはまあ」
「なぜだろうね。 君との接点はないはずなのに」
「…………」
今度こそアキトは言葉を失った。
言われるとおり今のアキトにラピスとの接点はない。
なぜ、と問われても答えを返すことができない。
それは自分が逆行者であることを話さねばならない。
そしてそれはあまりに大きな秘密を打ち明けることになる。
木連の正体とこの戦争の目的も、戦後に行われた火星の後継者のことも。
ボソンジャンプの本当の意味、A級ジャンパーの存在。
すべて話すには早すぎる。
いや、中には一生話すべきでないこともある。
「まあ、いいよ。 君をいじめるのもこのへんにしよう。
ボクもいまネルガルからラピスを『取り戻せる』と思ってるわけじゃない。
ラピスもそれを望んでいない。 ならしばらくは君に預けるさ」
「取り戻す、ね」
「当然だろう? ボクの娘なんだから」
どこかその言葉は白々しい。
復讐に巻き込んでいた自分が言えることではないが、
ハリへの対応を見る限り根本にはその能力を利用しようと言う意図があるように思えた。
彼女の言うように「生き残ることに必死」と言うならそうかもしれないが、
それでもフィリスに比べてあまりに情を感じさせない物言いだ。
「それに戦後はどうするつもりなのかな?」
戦後、言われてみればその通りだ。
この戦争もいつか終わるはずだ。
それがどんな形をとるのかはまだ見えてこないが、それでも最長でもあと数年で決着がつくはずだ。
それ以上の戦争状態には地球・木連双方の経済が持たない。
つまりハリやラピスが成人するより早く戦争は終わる。
ルリでさえ成人していないだろう。
そうなったとき、ラピスたちはどうなるのか?
ハリがそうしたように軍へ入隊するのか。
ルリのようにミスマル家の居候?
それともアキトと共に……
「まだ、わからないよ。 そのときに俺が生きている保証もない」
逃げ口上だと知りつつもそう答えるしかない。
無責任と言われればそうなのだろう。
今回は北辰の襲撃と言うアクシデントからラピスを引き取ることになったが
それでも『戦争が終わる=ラピスの能力も不要になる』ときのことを考えていないのでは
「かわいそうだから」で動物を拾ってきて結局面倒を見切れなくなるのと同じだ。
「少なくともAGIは戦後を考えてる。 ボクらが生き残るために。
戦後、政府は歪に肥大化した軍事費を削減して経済の正常化を図るはずだよ。
必ず大規模な軍縮とそれに伴う業界の再編成が起きる。
企業が軍事一辺倒では間違いなく軍縮による受注の削減で傾く」
「対策は?」
「軍需で得た技術を民需へ転用する。 例えば相転移エンジンは月や宇宙空間での発電施設に使える。
シャトルにもディストーションフィールドが使えればより確実なデブリ対策になる。
シャトルの外装の装甲板をなくせればそれだけコストダウンや軽量化につながる。
現状でこの技術を持つのはネルガルとAGIくらいだね」
つまりこの2社で市場をほぼ独占できるというわけか。
「ネルガルは現状では危険なほど軍需に傾注しすぎている。
戦後の軍縮のあおりを思い切り受けるだろうね。
屋台が傾いでたら他のものも上手くはいかないよ」
それに関しては同感だった。
別段ネルガルの経営に詳しかったり経済に精通しているわけではない。
ただ単に事実として戦後にネルガルが凋落したのを見てきたからだ。
しかし皮肉なことに、とでも言うべきか例え戦後の大軍縮にあってもネルガルはアキトが知るほど落ちぶれはしないはずだった。
なぜならこの世界にはAGIというライバルが存在し、現状でもネルガルが軍需から得られる利益はアキトの知る歴史ほど多くはないからだ。
つまり全体に占める割合も史実より少なくなっているため、軍需への依存も少なくなるということだ。(それでも多いことに違いはないが)
「少なくなる軍事方面の市場もAGIが有利だよ。
政府は戦争が終わっても対外諜報だけは縮小できない。
いや、むしろ戦後の平時の方がより重要になるだろうね。
何しろこの戦争では木星蜥蜴の火星攻撃を察知できなかった。
常備兵力が減らされるだけに戦略情報軍の重要性は否応にも増すだろうね」
「諜報戦になると?」
「そう。 そして戦略情報軍はもうAGIの電子情報収集と分析を切り捨てられない。
そのためにはAGIを潰せない。 軍事は政治に従属するからね。
政府はAGIを潰さないためにもこちらの兵器を買うだろうね。
よほどネルガル製の方が優れていない限り」
……なんて狡猾な。
それが率直な感想だった。
彼女の言うように「生き残るために必死」なのは間違いないらしい。
果たしてそれほどの『必死さ』がいまの自分にあるだろうか?
そこまでしてラピスを、仲間を守ろうとする覚悟が……。
「この戦争をそれでも戦うのなら、個人としての目的は持ったほうがいい。
何を目的とするのか。 この戦争で何を得るのか。
そうしないと君も軍に使い潰されることになるよ」
「俺は……ただ平和が欲しいだけだ。
ほんの少し、明日はどんな風かなって考えた時に楽しみだって思えるくらいの平和でいいんだ」
「それがいかに難しいか」
ガーネットが肩をすくめる。
確かに簡単ではないはずだ。
そもそもA級ジャンパーの存在自体があの戦後では特異だった。
単なる民間人に戻ることなどその時点で不可能だった。
「特異」な存在が「普通に」暮らすことがどんなに難しいか今はわかる。
それでも、否、だからこそ
「俺はその為に戦おうと思うんだ」
「軍や政府も敵になるかもね」
「組織としての軍を味方だと思ったことはない」
そう、とそっけなく答えてガーネットは目を伏せる。
わずかに唇が動いた気がするが、紡がれた言葉をアキトが聞き届けることはなかった。
かわりに数秒の沈黙のあとに目を開いた彼女はまったく別のことをアキトに告げる。
「第1機動艦隊のクロフォード中将を知っているかい?」
「まあ名前くらいは」
ニュースくらいは見るので知っている。
その人格には賛否両論あるものの火星からの撤退作戦を成功させ
第四次月攻略戦でも機動部隊の指揮を取っていたことで有名な将官だ。
「フィリスの叔父だよ、彼。
AGIや戦略情報軍の協力者でもある」
「それははじめて知りました」
「彼には注意したほうがいいよ。 君が望む未来のために」
つまりハリにとっても血縁者ということになるのだろう。
係累に軍人がいるならハリが軍に入る可能性もあるということを言いたいのだろうか?
いや、そんな抽象的な話ではない気がする。
「このせんそうはこどく」
「は?」
「彼が言っていた言葉だよ」
「それはどういう……」
どういう意味か、と問う前にガーネットはアキトの言葉を遮って続けた。
「注意することだよ、テンカワ・アキト。
今を生きるもの、過去を見続けるもの、未来を創ろうとするもの。
そのすべてをこの戦争は飲み込んでいくだろうから」
それだけ言うとガーネットはまた目を伏せ、今度は沈黙を保った。
一方的ではあるがそれが会話の終わりを意味すると言うことを悟る。
予言じみた台詞と「このせんそうはこどく」という言葉。
「せんそう」は戦争で間違いないだろうが、「こどく」は孤独だろうか?
そうなると「この戦争は孤独」とは何を意味するのか?
ラピスの隣に戻ったアキトはどうしたの、といいたげなラピスに「少し話しをね」とだけ告げて再びイスに体重を預けた。
ただし、今度はそのゆったりとしたクッションもアキトの心に余裕をもたらすことはなかった。
窓の外、視界には群青から漆黒へと変わった空間に浮かぶ月だけが白い光を寒々しく放っているのが写る。
……戦争の中の孤独
もしそれがあるとしたらこの月はそう呼べるかもしれないとアキトは思った。
木連の誕生のきっかけを生んだ衛星。 この戦争でも大きな転換点となった白い大地。
その月は政府、軍、企業、木連、すべての人々の思惑の交差点となろうとしていた。
3日後の次期主力機動兵器のトライアル試験当日まで、それはマグマのように誰も知らぬまま流れ、
そして一気に噴出するその時を待っている。
――――――
シャクヤク強奪まであと3日
<続く>
あとがき:
天獄2巻が青年誌でもギリギリ(しかもアウト)なんじゃないかと思えるほどエロイ件(挨拶)。
一ヶ月ぶりの黒サブレです。
世間様がスパロボのときに大きなお友達専用のゲームばかりでした。
ぶっちゃけそのせいで遅れました。
今は反省している。
でも後悔はしない(山崎太一郎風に)。
……ダブルブリットはもうでないんだろうな。
それでは次回また。
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