時ナデ・if
<逆行の艦隊>

第26話その3 シャクヤク強奪









インターホンを鳴らす。
もう3回目だが、反応はない。
これでバカ正直に対応に出てくれば少しは楽ができたものを、と毒づきながら背後の部下に合図する。

「マスターキーを使う」

それで十分だった。
彼がドアの前からどくと手馴れた動きで部下の一人がドアノブと鍵へスプレーを吹き付けていく。
整髪料のようなムース状の泡がクラシカルな木目調のドアを汚していく。
この扉も外観は木材でもそのシートの一枚下は金属製の頑丈なものなのだ。
今では100%天然素材の方がよほど贅沢と言えるから、
軍人とは言えパイロットのように職能手当てや危険手当がかなり出るわけではな事務職員の給与は
一般のサラリーマンと大差ないのだから、そんなものだろう。

やがてドアノブと電子ロックに吹き付けられたムース状の爆薬が粘性を持って固まる。
確認のため全員を見やると、ヘルメットと暗視ゴーグル、対BC用マスクで完全に露出をなくした部下たちが頷く。
それぞれの手にはサブマシンガンや拳銃などが握られている。
できれば使うことなく片付けば面倒が……とまた胸中で愚痴りかけて、止める。
扉の前の一人の肩をポンポンと2回軽く叩く。
これが合図だった。
手にしたブラスターを ――― ストッピングパワーと貫通力が不足で、雨や霧などの条件で有効射程変わりすぎと
陸軍には不評極まりなかったそれを扉に向け、撃つ。
これで扉が破壊できるわけではない。
撃ったのは先ほど吹き付けたムース状の発泡性爆薬だ。
ブラスターの熱線を浴びて着火温度に達したそれは含まれる酸化剤や周囲の空気から酸素を奪いつつ
急激な化学反応によって秘めたエネルギーを熱に変換する。
通常の軍用爆薬と違い生み出す爆圧はパンという音をだすだけのものだが、接触している面の温度上昇は凄まじい。
爆薬の中に含まれる微小な金属粒子が一部ジェットブラストになって扉を高熱と運動エネルギーで焼き切るのだ。
バーナーを使うよりもはるかに手っ取り早く扉を破ることができるとあって警察や軍の特殊部隊も突入時に使っている代物だ。
そこで付いたあだ名が『どんな扉も開く』という意味で『マスターキー』。

カギの破壊された扉を蹴破って真っ先に飛び込むのは爆薬へ点火した部下だ。
扉は狭く、2人が並んで通れないのでこれはやむをえない。
だから先頭に立つ隊員はブラスターを使う。
爆薬への着火自体は電気信管でもできる(というかそちらが正規のやり方だ)が、それでは信管のスイッチを入れるために片手がふさがる。
もう一方に銃を持ったとしても両手で保持した方が命中率もいいに決まっている。
その点でブラスターを使えば着火後に獲物を持ち替えることなく迅速に行動できる。
扉のすぐ向こうに敵がいたらとにかく一発目はブラスターを撃てばいい。
そういう発想だった。

そもそもブラスターは宇宙軍のために開発された代物だ。
通常の火薬式拳銃は機構的に完成の域に達していたが、その性質上、宇宙及び艦艇内での使用には制約が大きかった。
無重力の宇宙空間ではわずかな反動でも踏ん張りが効かないため初弾以外はまともに撃てず、可動部の金属同士の真空接着などの対策や
狭い艦内では跳弾による被害が無視できないなどの問題があった。
そこで極低反動、跳弾の心配のない荷電粒子ビームを使った熱線銃としてブラスターが開発された。
当初はそのSF的なデザインから「未来の新兵器」として民間で人気を博したが、現場の評価は散々だった。
まず機構が複雑で故障が多いこと。 壊れたら即メーカー修理行きである。
射程が短いこと。 真空の宇宙空間ならともかく大気中では減衰が著しく、気象条件(雨や霧など)でさらに有効射程は落ちた。
ストッピングパワーの不足。 その性質上、急所に当てない限り一発で行動不能にするというのは難しかった。
案外簡単に対策できてしまうこと。 被弾時に蒸発することで熱を奪うコーティングを施したセラミックプレートで防げてしまう。
鉛弾の場合はセラミックプレートで止めても衝撃だけで肋骨が折れたりするので死なないまでも動きを止められるが、ブラスターにそれは望めない。

ようするに想定されたように宇宙か艦内かでもなければろくに使えない代物だった。
宇宙軍も拳銃型のモデル以外は採用せず、今後も他のものを採用する予定はない。
戦略情報軍は陸軍と違い埃や泥にまみれた状況で使うわけでもないので故障率も低く抑えられるので先のようにマスターキー用に使っていた。
無論、他の隊員はより使い勝手の良い鉛弾を使う拳銃や短機関銃である。
とあるマンガ家は『現実がフィクションに追いついてまた一周して戻った』と評したという。

ともあれ、先陣を切って突入した隊員はその散々な評価を受けた武器を使うことはなかった。
低い姿勢で一気に廊下を走り、途中の部屋を覗き込み、目的の人物がいないことを確認すると後続へ合図する。
それを見て扉の影から銃を構えたまま半身だけ出して警戒態勢にあった2人目が続く。
他にも窓を乗り越えたり屋根裏から突入した者もいる。
文字通りネズミ一匹逃がさないとはこのとことだ。

しかし ―――

「……ああ、そうか。 わかった。
 鑑識が行くまで現場を確保しろ」

突入が開始されて3分後、目標の人物を発見したとの報告を受け終え、通信を切る。
そして深々とため息を一つ。

「ハズレだ」

「また?」

「前回のは当たりだった」

「爆弾仕掛けられて7名死亡、12名重軽傷で?」

「吹き飛ばして証拠隠滅する価値はあったってことだ。
 今回はそれさえない」

無意識に懐を探り……しかし軍に復帰してから煙草をやめていたことを思い出し
所在無いままの右手を適当に投げ出す。

「死体に聞くのは監察医の仕事だ」

目標は発見した。 しかし、目的は達せられなかった。
いま彼自身が口にしたように死体になっていたからだ。
その原因を探るのは別の捜査員に任せるしかない。

彼らは汚れ仕事が専門であり、その点に特化している。
ようやく政府が重い腰を上げて『モグラ狩り』を実行する気になったのが先のヨコスカ基地襲撃のこと。
組織は大概が身内を庇う傾向にあるため、戦略情報軍のようにその身中の虫を狩り出す役割を負わされるものは
まず味方から恨みを買うことになる。

モグラ……戦略情報軍のスラングでスパイのことだが、実のところこの大半は映画に出てくるような訓練された工作員などではない。
その辺のさえない管理職の中年男、買い物中毒の主婦、離婚調停中の男、とりあえず権威に反抗することが目的の少年。
いまのところ確保された『スパイ』はこんな人物たちだった。
理念もなく、目的もなく、ただちょっとした情報を話しているだけのつもりだった人々。
だが、中年男は軍の人事部に勤めていた。 主婦の夫は宇宙港の警備主任だった。
男の息子は造船施設に出入りしていた。 少年の親は月行政府の執政長だった。
彼らにとってはしがない仕事上のボヤキ、家庭に対する愚痴、反抗心からくる青い主張。
そのすべてはしかし重要な情報源となりうる。

人事担当のもらしたボヤキは「月への異動者ばかり多くて残業続きだ」というもの。
相手は何気なくこう問う ――― 「それは大変だねえ。 月なんて辺鄙なところに行くんじゃ、左遷かい?」
彼はこう答える ――― 「いや、えらい連中も動いてるし、何かイベントでもやるんじゃないか?」

このわずかな会話だけでも月の動向がうかがい知れる。
人員の大量移動は軍の大規模な作戦行動の兆候と捉えられる。
指揮官クラスも異動しているとなるとなおさら。

中には弱みを握られている場合もあるが、そうと気付かぬうちに情報を漏洩している場合の方が多かった。
厄介なのは本人たちに自覚がないため、どの情報がどの程度漏れているのかわかり辛いという点だ。
彼らに接触して情報を収集していたと思しき人物は追い詰めてもいまのように死体になっている場合が多かった。
他殺か自殺かという違いはあるが、今日の相手は自殺らしい。
判を押したような定型文の並ぶ遺書があったらしい。

「女に貢いで、借金して、情報売って、自殺か。
 過程はどうあれ、似たような話は ――― 」

「多いわね、私もやったし」

まあそうだろうな、と女の言葉に表情を変えることなく内心で肯定する。
野暮ったい黒一色の戦闘服に重い防弾衣を着ていてなお女性的なラインを魅せる肢体。
帽子やヘルメットを被るのに邪魔にならないようにという理由で肩口で切られた金髪も陽光に映える。
その容姿を一字で評するなら『美』というより『艶』。
その言葉はファウストを落としたメフィストの誘惑より蠱惑的だろう。
諜報に女を使うというのはそれこそ大昔からある。
そして今もって有効な手段だ。
連合におけるスパイの元締めである戦略情報軍がそれを行っていないはずがない。
非公式・非合法であることは違いないが、いまさらだ。

「つまりありきたりで特に見るものもない、か」

手段に特徴があればそれだけ追いやすくもなるが、それさえない。
目立たないことが諜報の重要な点だとよく理解している。

「かー! ダメだよ!! なんで美人局してました発言を流しちゃうかな」

「共通点を見つけるなら今回も……」

「そこは見下すように『はっ、この雌犬が』とか『これでもくわえてろ売女』とか!」

「……月に関係している」

「『初心なネンネじゃあるまいし、いまさら』とか『へっ見ろよ、こいつ自分から ――― あいたぁ」

無言で銃握による一撃を見舞う。
ヘルメットを被っていなかったため、涙目になってうずくまる妹に一瞥もくれず、テツヤは話を続けた。

「すべてが月のとある施設に関連しているという点だな」

「そうね。 あと、チサトが砂を噛んで悶えてるわよ」

「撃てば静かになるか?」

「メガを1000の自乗したくらいって意味でテラ酷いっていうと方言みたいだよね」

銃口を向けられたせいか、慌てて起き上がる。

「しかも撃つの? 実の妹を撃つの!?」

「いいかチサト。 俺は撃鉄を起こしていないし、安全装置も外していない。
 そんな銃を向けられたとして、どうだ?」

「あっ、そうだね。 冗談きついよー」

「まあ、これはグロックなわけだが」

「指トリガーで撃つ気満々!?」

テツヤら戦略情報軍の士官に支給されているのはオーストリアのグロック社の拳銃、
Glock80と呼ばれる代物だが、この拳銃はグロック社の特徴である特殊な撃発機構を持ち、
インターナル・ハンマー式でなはなくストライカー式で、要するに撃鉄がない。
また安全装置もマニュアルセーフィティではなくトリガーセーフティ。
しかもこのトリガーセーフティはトリガーを引くことで解除されるので、撃つときはそのままトリガーを引くだけでよい。
強化樹脂やプラスティクを多用し、軽量量かつコンパクト。
人間工学に基づいた合理的デザインなどを評価されて戦略情報軍に採用された傑作品だった。
陸軍の拳銃が「自決用」などとジョークで言われるように実戦でほとんど使われないのに対し、
任務の性質上、室内での銃撃戦やとっさの際に即使用できることも考えられているのが大きな差異だろう。

「しかもなぐりましたよこの人」

「最近の銃は軽量化がすすんで鈍器としては不利だな」

「いうことそれ!?」

仕方ないという風にテツヤは言葉を模索し、

「昔、短機関銃にも銃剣をつけろと主張した軍隊があってな、少しだけその気持ちがわかった」

「一見関係ありそうで実はない話をする! 詭弁だよそれは!?」

「なら関係ある話に戻すぞ」

今度こそ否はなかった。
銃は向けられた人を素直にしてくれるという点で非常に優れた道具だと再確認する。
軍に復帰してこの優れた道具を合法的に所持できるようになったのは大きなメリットだ。

「死人は口を割らないが、それでも死んだことそのものが証拠にもなる。
 つまりこいつらは口を割らされたら困ることがあった」

「心にやましいことを抱えてるって嫌だねー」

「お前も1つくらい抱えてみろ。 いまよりマシになるかもしれないぞ」

「やましいことだらけのお兄ちゃんがサイコーなのはそのせい?」

「かもな」

皮肉も通じないのかと嘆息する。
この妹と話しているとどうにも調子が狂う。
なので対応策としてもう一人の妹に話の矛先を向ける。

「バカは放っておくとして、お前はどう思う、チハヤ?」

「は? えっと……兄さんが最高かという話なら7割ほど賛同しますけど」

「あとの3割については言及しないでおくが、それも置いておけ。
 ようするにいままで首をつったり、列車に飛び込んだり、ビルからノーロープバンジーを洒落てみたり
 銃で自分の空っぽな頭を撃ち抜いてみたり、空っぽでない証拠に俺たちに銃を向けて挙句に同じような末路を辿ったりした
 連中の共通点についての分析だ」

もしかしたら細菌か何かで感染するのかという疑惑を持ち始めたが、それには触れずにテツヤは問う。
実妹はいささか以上にアレ気で、異母妹も少しアレ気なのだが、少なくとも頭は悪くない。
情報部員の仕事とは大半がデスクワークであり、荒事はごく一部でしかない。
彼女たちは荒事向きではないが、情報分析能力はそう悪くない。
だから問い、果たして彼女は応える。

「共通するのが月の施設……とくに建艦ドックのセキュリティ関係者に集中していることはわかります。
 もうこの段階では隠す気もないのかもしれませんけど、狙いは入渠中のカキツバタか、建造を終えたシャクヤクだと思います。
 実際的な戦力以上に象徴的な意味合いを持つナデシコ級を破壊するというのは
 こちらの戦意を挫き、自軍の士気を高めると言う目的があるかと。
 
 いま話したことは現状の再確認です。
 ここからは私の憶測も混じりますが……」

そこで言葉を止め、こちらが同意の印に頷くの確認して彼女は続ける。

「まず、一連の木星蜥蜴の動きは月のナデシコ級を狙ったものだと仮定すると、
 その目的を達成するための手段はなんでしょう?」

「この人選とヨコスカの前例を見る限り、内部からの破壊工作に呼応して外部からの侵攻か?」

「はい、そう思います。 対策としては内部のスパイを見つけること、外部の監視を怠らないことです。
 外敵の監視はいまのところ宇宙軍が任務部隊を編成して月周辺の警戒に当たっていますから、
 戦略情報軍である私たちがすべきは内部の工作員の発見と駆除です」

「でもさ、それって警備担当者を一人一人問い詰めるわけにもいかないっしょ?
 カツ丼出せば自白してくれるわけでもないし」

「あれは自腹らしいが……それはいい。
 で、それをどうやって絞り込む?」

「基本は共通点を探すことだと思います」

そりゃそうだ、とその場の全員が思う。
経験則的に共通点を探すことで事実を見出すというのはごく当たり前のことだ。

「いままで摘発された内通者の中で見落されていることがあります。
 内通者になった要因がはっきりしている人と曖昧な人の差異」

「んー調べきれないだけじゃない?」

「中にはそれもあると思います。
 でも、私は裏切った人と裏切っていない人の差、そう思うんです」

内通者なのに裏切っていない、それは矛盾するようにも聞こえる。
が、テツヤはすぐに理解できた。
裏切っていない、それは初めから味方などではないということ。

「動機がはっきりしてるのが内通者にさせられた連中、
 動機が不明なのは元から敵側についてたやつらってことか?」

それなら納得がいく。
脅迫や利害関係から寝返ったわけではなく、初めから潜り込んでいた諜報員なら「裏切るような動機」が見つからなくて当然だ。
単純と言えば単純極まりないが、その可能性に思い至らなかったのは地球と木星との物理的な距離の遠さ。
そして国交がまったくなかったということを考えるなら工作員を送り込むなど到底不可能という事実があるからだ。
現に戦略情報軍は開戦前から木連の存在は知っており、政府の命でその存在を秘匿しつつ調査していたが、
こちらから諜報員を送り込もうという試みはことごとく失敗に終わっている。
それを告げるとチハヤは軽く首を振り、

「直接、地球まで人を送り込んだわけじゃないと思います。
 木星と地球の間には火星がありますし。
 入植初期の火星では戸籍の作成とかもかなり誤魔化せたんじゃないでしょうか?」

「つまり動機がはっきりしない連中の共通点ってのは……」

「身辺調査の結果は白に近い結果です。
 でも、ずっと遡って彼らが幼少時代を過ごした場所を調べると、
 火星の、とある孤児院に行き着きます」

盲点だった。 まさか自分たちの足元でスパイが養成されていたなど。
しかも子供を引き取って育てるなどひどく気の長い話だ。
だが孤児院を出た後は戸籍を新しくしたり、誰かの養子になったり、
結婚して本籍が変わったりしてその記録は公式に残りにくい。

「調べる価値はあるわね」

いいつつ、すでに携帯端末を叩いているライザに
こちらも銃をしまいつつ、久しぶりに軍隊式の言葉遣いで答えた。

「それも可及的速やかに」


○ ● ○ ● ○ ●


公開トライアルの会場は混雑していた。
夏と冬の極一時期の東京ビッ○サイトよりはマシだが、キャ○ショーよりは上といった具合であろうか。
軍の次期攻撃型機動兵器の選定にここまでの人が集まったのはやはりそれなりの理由がある。

第一に時期。
いままで芳しいとは言えなかった戦況が欧州戦役での勝利から徐々に好転していたこと。
地球からの通商路を制圧下におかれて餓死者が出る一歩手前まで追い詰められていた月の人々が、
その抑圧から解放されてまだ間もなかったこともある。
ようするに溜まりに溜まった鬱憤を晴らす場所を求めていた。

第二に場所。
月はその表面積に対して異常に人口密度が偏っている。
「地球からの景観を損なう」という理由で裏側にしか大規模な人工物をつくれないことが主な理由だが、
第3次産業だけが奇形的に膨れ上がっている地球とは逆に第2次産業の施設割合が大きい月では
施設の大半が工場と住宅地で構成されている。
余計なスペースがない、空間的な余裕がないということは「余計なもの」の先鋒である娯楽が少ないということだ。
無論、閉鎖空間が人の精神に与えるストレスのことを考えて最低限のものはあるが、それは本当に最低限のこと。
そんな環境の中で人々が新しい娯楽を見逃すはずがない。

ネルガルとAGIの両陣営が犬猿の仲であることは知れ渡っていたし、
その2社が公開トライアルという名目の元にガチのケンカを繰り広げるのだ。
自分に害の及ぶ戦争はごめんだが、害の及ばないよそのケンカは見世物になる。
これもまた人間の心理というものかもしれない。
どちらにせよ参加する両企業にとってはいいことだ。
それだけ宣伝効果が認められるのだから。

「つまりその為のピエロを演じろということか」

オオサキ・マコト中尉は不機嫌というより皮肉をにじませていた。

「仕方ありませんわ。 納税者へのアピールをしなければ新型の予算獲得も難しいのですから」

そう宥めるアリサ・ハーテッド中尉だが、こちらもやや柳眉がやや逆立っているあたりマコトの言葉に同意らしい。
そんな空気を読み取ってタカバ・カズシ大尉が

「練度向上になると思って」

とフォローを入れるのだが、

「それはギャグで言っているのか?」

マコトの一言で巨躯を縮めることになる。
今回、彼女たちに与えられた任務は公開トライアルの相手役。
つまりは『新型を相手にわざと負ける』のが役割だった。
カキツバタの艦載機部隊は現在、3個小隊に縮小されている。
つまり最大で40機近い搭載能力がありながら27機しか運用していないことになる。
その内の1個小隊がスノーフレイクで、残りの2個はエステバリス隊。
機種転換訓練を受けたマコトはスノーフレイクに乗り換えており、アリサはスーパーエステのままだ。
中尉という階級からもわかるように2人はそれぞれの小隊長でもある。
もう一隊のエステ隊の隊長はドイツ人のバウアー中尉が務めている。

ここまで縮小されている理由は、一言でいえば戦場の転換に伴う部隊再編のせいだ。
欧州の大地で戦っていた時には陸軍の諸兵科連合の基本に忠実に歩兵的な役割のエステ、
中距離での火力支援を担当するスノーフレイク、遠距離砲戦担当のスターチスを混在させていたが、
宇宙では自走砲兵なスターチスは使えない。
よってこの部隊は欧州への居残りが決定された。

また、カキツバタの部隊は精鋭であり、これを完全に手放すことを陸軍が嫌がった。
元々艦載機の管轄は陸軍だっただけに宇宙軍も強くは言えず、
それもあってオオサキ・シュン中佐は虎の子の3個小隊を手元に残すのみとなった。
さすがにこれでは自艦の防空さえまともにできないというジュンの主張もあり、
宇宙軍第2艦隊所属の1個小隊が編入予定ではあるが……これも陸軍式の運用に慣れている
他との連携がまともにできるかという点で大いに戦力としては疑問符が付く。
せめて中隊定数の4個小隊は残して欲しかったというのがそれぞれの本音だった。

「宇宙での戦闘に慣れるって意味でも今回のこれは重要だよ。
 この際言わせてもらうけど、現状だとカキツバタの防空は編入される宇宙軍の部隊に頼るしかない。
 マコトさんたちの方が足手まといになるってことは十分にありえるんだ」

「……言い難いことを、はっきりとおっしゃるのね」

「憎んでくれても構いませんよ。
 それで死なずにいてくれるなら、なんだって言います」

「ハーテッド中尉、こればかりは艦長の分析が正確だ」

ジュンの言葉にプライドを傷つけられたと言わんばかりのアリサだが、シュンは密かに感謝した。

「それに向こうのパイロットが言ってきた。
 『本気で来ないとテストにならない』だそうだ」

「それは叩き潰して構わないということかな、親父殿?」

「『できるものならやってみろ』ってことだろうな」

アグレッサー(仮想敵部隊)を引き受けたのには理由がある。
訓練を見ていればわかることだが、やはり重力下と無重力下では勝手が違う。
空戦フレームを使っての空間戦闘に慣れているアリサでさえその有様なのだから他は推して知るべし。
月で低重力に慣らし、次に本格的に無重力化での戦闘訓練に移るというのが今回の再編の主旨だ。
カキツバタの修理と改修のためのドック入りに合わせているため期間は短いが、贅沢は言ってられない。
パイロットたちには欧州で死線をくぐってきたという矜持があるのだろうが、それでも現状では実力不足というのがシュンの見解だった。

その点で新型のテストパイロットを務めるほどの猛者たちとの戦闘訓練は貴重だ。
シュンとしては実戦配備されていない段階の兵器の有効性にはやや疑問を抱いているような口なのだが、
ネルガルのブラックサレナ、AGIのフィリティラリアを見る限りそうそう酷い物でもないだろうと楽観している。

このシュンの思考に見られるように軍人というものは意外と保守的なものだ。
『新しい』ということは高性能かもしれないが、同時に信頼性に劣るということでもある。
実績がないものであるためにそれが意図したような利点を発揮できるか未知数であり、思わぬ欠陥をさらけ出すこともままあるからだ。

例を挙げるなら電気駆動式戦車が有名かもしれない。
簡単に言うならエンジンで発電機を回し、その電気でモーターを駆動するという方式の戦車だ。
可変速のモーターを使うことで機械式変速機を省き、重量の軽減をできるということで注目されたが、
実際は発電機を積んだせいでで変速機分の重量はチャラ。 モーターが非力で牛歩のごとき歩みと散々なものが出来上がってしまった。

何事もやってみなければわからないという例だが、技術開発の黎明期にはこの手のあとから見れば冗談にしか思えない失敗が多々ある。
そして人型機動兵器の開発はまさにその黎明期にある。
成功したといわれるエステも、エネルギー供給を外部に頼るなど下手をすればイロモノになってもおかしくはなかった。
おかげで『戦闘可能領域が狭い』などと当初の要求からは不当ともいえる評価を受ける羽目になってしまった。
元が懐に飛び込んでくるバッタ対策なのだから防空ができればそれで良しとすべきなのだ、本来は。
それを機動母艦で運用し、艦隊防空もできるマルチロール機として開発されたスノーフレイクと比較するから妙なことになる。
その反動からか、今度のネルガルの新型には相転移エンジンを積んでスタンドアローンを可能とするらしい。

「ネルガルの相手はバウアーのエステ隊だったか?」

「それに第1機動艦隊所属のスノーフレイク小隊だ」

「なんというか……意図が透けて見える」

マコトの言う意図、とは戦力云々よりも政治的思惑を優先させている布陣のことだ。
エステバリスはネルガル製、スノーフレイクはAGI製。
それぞれの新型がライバル社の旧式機を一方的に叩きのめすという展開……例えばAGIの新型がエステのみの部隊を一方的に撃破はあからさますぎる。
そこで自社の製品も加えておき、いわゆる「当社比」も出しておく。
布陣を同じにすることで不公平感をなくし、ライバル社や自社の旧製品と比較してこんなに高性能です!とアピールする。
うるさ方に「機体性能じゃなくて練度の差じゃないか?」と言われないように欧州戦役で有名になったカキツバタの部隊と
機動部隊の平均練度では連合軍随一とも言われる第1機動艦隊から部隊を抽出している。

そのくせ、きっちりとこちらが負けるような小細工は忘れない。
エステは0G戦フレームにアサルトライフル+アドオンのグレネードランチャー。
スノーフレイクも標準装備のレールガンにオプションは左腕にマウントされた30mmマシンキャノンのみ。
AGIの新型のスペックが事前公表の通りなら、まずDFを抜いても装甲で止められる。
20mm、30mmには関節部などを除くほぼ全周囲防御で、40mmレールガンに対しても正面装甲は同一箇所へ2発までなら耐えられる。
この化け物じみた装甲を持ちながら機動力もスノーフレイクとほぼ同等というのだから、いったいどんな魔法かと思ってしまう。
さすがにこれはやや誇張された表現であるが、軽量化は明日香インダストリーの技術協力で軽量の複合装甲を開発できたことが大きい。
AGIは軽量の装甲材・構造材を開発できずにスノーフレイクの機体重量が3t(エステの陸戦フレームは1t以下)になってしまったことがある。
そのときは重い機体を大馬力のエンジンと高出力の推進器でぶん回すという豪快な解決を行ったわけだが、今回はそこまで極端に走らなかった。

そして新型の特徴はその防御力だけでなく、最大はその火力にある。
主砲はドイツの老舗メーカー、ラインメタル社製の71口径88mmレールカノン。
フィリティラリアの56口径88mmと比較して1m以上長くなった砲身から放たれる超高速の砲弾は一撃でこちらを撃破可能。
欧州でフィリティラリアを使った経験のあるマコトはそれがどんな化け物じみた代物か理解できた。
こちらは低重力に不慣れで、しかも舞台は申し訳程度の遮蔽物しかないまっ平らな月の大地。
遠距離の撃ち合いになれば回避もままならずにアウトレンジで一方的に撃破されることは目に見えている。
相手が射撃がやたら下手くそという可能性にもかけられない。
なぜなら……

「やあ中尉。 これはコミニュケーションと考えればいい。
 訓練がどうこうなどと心配のし過ぎではないか?
 なぁにかえって親睦が深まる」

そう言いながら近付いてきたのはパイロットの記章をつけた1組の男女。
階級章の星の数から男の方が大尉、女がマコトたちと同じ中尉と知れる。

「マツナガ大尉、それにユーティライネン中尉?」

「ファーストネームのソニアで結構です、オオサキ中尉。
 私の姓は発音しにくいかと」

「なら私もマコトで結構。 よろしく、ソニア」

「はい、マコト」

2人組はマコトたちの相手となる第2艦隊の機動部隊所属のパイロットだった。
共に月攻略戦でも名を馳せたエース。
今回のテストパイロットに選ばれるのも当然と言えた。

「しかし、『サンダーソニア』が相手とはね」

「御心配なく。 今回のこれは余興かと」

そう冗談ぽくいいながら、恐らく手を抜く気はないだろう。
月で生まれ育った彼女にはいまのマコトたちでは手も足も出ないはずだ。

「そして悪いが俺もいる」

男の方もそう言ってくる。
しかし……

「……あの、素朴な疑問なのですが、この方は?」

アリサの一言で男が崩れ落ちる。

「マツナガ大尉だ。 黒い有名人」

「なんだか腹黒か何かのようにも取れる紹介をありがとう、オオサキ中尉。
 そして改めて、ジョニー・マツナガ大尉だ。 2つ名は黒い稲妻、もしくは月面の黒豹」

「某真紅の稲妻と某白狼を足して2で割って踏み台にされる3連星を塗りたくったような人ですが、
 その辺はインスパイヤという便利な言葉で糊塗しているので無問題かと」

「……今の発言は聞かなかったことにいたしますわ。 危険球ですし」

「そうしていただければ」

じゃあ言うなよ、というカズシの呟きはソニアに華麗にスルーされる。

「ともあれ、最近は別に漆黒の戦神という黒い有名がいるので落ち目と言うか影薄いというか
 色被ってるじゃない的な上官ではありますが、 そこはそれ、腕は悪くないかと」

……もしかしてこの方、大尉のことが嫌いなのでしょうか?

アリサはそう、当然と言えば当然の結論に落ち着きかける。
が、マコトが横から

「いや、あの2人は中隊長と副官の間柄だし、恋人同士ということでも有名だよ」

「その割には、こう……」

「うーんまあ、嫌よ嫌よも好きのうちというか。
 そう、日本語ではこんな言葉があったな」

「はあ」

「うん、つまり『それなんてツンデレ?』」

「すいません、私は日本語の俗語はあまり詳しくないのですが」

というか純粋な日本人と言うわけでもないマコトがなぜそんなマイナーな言葉を知っているのか。
同僚でもあり友人であるこの女性に関して新たな疑問を増やしつつ、それでもアリサは話を戻すことにした。

「では改めて、よろしくお相手致しますわ。
 それから、新型の名前はもう決まっていると聞きましたが……?」

「ああ、気の早い話だが。
 どちらかというと開発コードだろうが、それをそのまま正式名に使うつもりらしい」

「聞いても?」

まあ、それくらいは機密漏洩にならないだろう、と大尉は前置きして続けた。

「インペリアリスだ。  フリティラリア・インペリアリス」

インペリアリスとは「皇帝の冠」を意味する。
同名の花の模様がそう見えることからつけられた名だが、
あえてAGIがこの名を選んだ自信の程がうかがい知れるといえよう。
その推測を裏付けるようにマツナガが笑みを浮かべる。

「こいつは艦載機の皇帝になるのさ」

それまでの日本的な曖昧な笑みではない。
彼もまたエースの一人だと思わせる、実に獰猛な笑みだった。


○ ● ○ ● ○ ●


トライアルの準備はそこかしこで進んでいた。
それだけ人が集まり、動き回り、そして誰しもが忙しさの中に埋没していく。
それはまさしく混沌。

ゆえに差異、違和感、敵意、悪意もすべて飲み込んで隠してくれる。
すべての色を混ぜればそこに残るのは黒。
少々の灰色が混じろうと黒は変わらない。
だから、人々の生み出す混沌は好きだった。

「まったく、人ばっかりで嫌になるわね」

だが、彼女の上官は別の感想を抱いたらしい。
睡眠不足にくわえて人混みにもまれた疲労がプラスされ、いささかうんざりしたようにぼやいている。
確かに人工的な閉鎖空間という状況は似ていても、人口の少ない木連ではこれほどの人混みに会うことは滅多にない。
木連最大の市民船である麗月で育った舞歌でさえそうなのだから、
廃棄一歩手前の過疎化した老朽コロニーが出身の万葉には人混みはなおさら縁がない。
それでもこんな感想が出てくるのは、やはり出自の違いゆえだろうか。

木連の軍事を治める東家に生まれ、幼い頃から英才教育を受けてきた舞歌には自分の血と、それに恥じぬ能力に自負がある。
対する万葉は父親の顔も知らなければ、母親とも幼い頃に死別している。
出自に関して確たるものがなく、育ったのも政府の運営する保護機関であった万葉には舞歌のような確たる自負がない。
だから自分の色は『灰色』なのだと思ってきた。
何者にもなりきれない灰色。
それが自分なのだと。

「人混みは隠れやすいですから」

そんな思いを込めて応じるが、舞歌は「そうかもね」と答えただけだった。
上官として信頼しているし、仲間としてはもっと信用できる。
それでもこの思いだけは誰とも共有できないだろうと万葉は思っていた。

……でも

ふとそんな言葉が浮かぶ。

あの男ならどうだろう?
地球人のくせに木連人のようなあの男。
地球人になりすますためにその生活習慣や文化、娯楽を学んでいる優華部隊の一員である彼女には
あの男の言動は地球人としては普通でないということを知っている。
「自分がどこか異端である」ということ。
それをあの男ならわかるかもしれない。

……ばかばかしい。

信用でも、信頼でもない。
なぜならその男は紛れもない敵なのだから。

それは共感だった。
故に惹かれ、故に許せない。
きっと戦うことになるだろう。
そして……

「着いたわよ」

そう言われて万葉は我に返った。
眼前には古ぼけてはいるが手入れされた自動扉のガラス。
視線をわずかに上に向ければアルファベットで綴られた店名。
視線を戻せば無人のカウンター。
しかも狭い。
色は『弩』がつくピンク。
料金表には「ご休憩」の文字。

「どう見ても連れ込み宿です」

俗にモーテル、ラブホテルとも言う。
しかもそれに女2人で。

稀有な体験、本当にありがとうございました。

心の中でそっと呟き、回れ右して帰りたい衝動を抑えた。
命令に服従するのは軍人の基本だ。

「ここなんですか、待ち合わせ場所?」

「ええ、間違いないわ。 心配しなくても最近は同性同士で入っても問題にされないらしいわよ」

そんな心配はしてませんと突っ込むべきかとも思ったが、沈黙を守った。
古人に曰く「沈黙は金」。

「それに、防諜にはね」

さすがに戦略情報軍もラブホテルに盗聴器というのは法的に問題が多くてできなかった。
ゆえにこの手の施設がよからぬ密会の場にされているとわかっていても
手出しできないのが現状だった。

「それはわかりました。 でも、“眠れる苗”はなぜ私を指名してきたんでしょうか?」

“眠れる苗”とは木連がナデシコに送り込んでいた間諜の秘匿名称だった。
本名はおろか、年齢、性別他の身体的特徴も知らない。
舞歌はごく最近に電話で話したようだが、そのことに関して何も言わなかった。

そんな相手が万葉を指名してきた。
舞歌はこの作戦の責任者であり、重要な情報は彼女にしか渡せないというのはわかる。
しかし、その護衛として許された1名の随行員を、相手は万葉にするように指示してきた。
その理由がどうにもわからない。

「まあ、会えばわかるわ」

「だといいんですが」

だが、その心配は杞憂に終わる。
確かに会えばわかった。
しかし、古人曰く「知らない方が幸せだ」。



――― カキツバタ強奪、前日






<続く>






あとがき:

御無沙汰しています。
いやー仕事が忙しいのなんの。
先月はついに休みなし……ボスケテ。

本題。
サンダーソニアは花の名前です。
二つ名っぽいなーとかおもってたので。
マツナガ大尉は他に適当な補充員が思いつかんかったのです。
ちょうど大尉だと中隊長クラスなので。

それでは次回また。



感想代理人プロフィール

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代理人の感想

聞くところによると最近はツンデレの反対の素直クール(クーデレ)ってのも割と流行りのよーですがそれはさておき。

なんかこー、冒頭が微妙に駄目な展開でしたが、次回冒頭もさらに駄目っぽい展開になりそうな予感(笑)。

まぁ、真面目一辺倒だと中々疲れるんですけどね、この手の話って。