時ナデ・if
<逆行の艦隊>

第7話 「ときめき」は猟犬と共に・その3




サツキミドリ二号

第26格納庫入口




ジュンはいきなり試練に直面していた。

それだけなら、彼にとっては不幸な事ながら、いつものことだったかもしれない。

ただ、今回のこれは桁が二つくらい違う。



「センサーにも反応なし……無人だな。

 エアロックを開けるぞ」



先頭を進むエステバリスがエアロック手動開閉装置のレバーを捻る。

これは緊急用のバッテリーで駆動するため、たとえ普段電力を供給している回路が死んでも動く。

バッテリーが切れた場合はさすがに無理だが、その時はエステの武装で破壊して抉じ開けるだけだ。

幸い、今回はそんな強硬手段をとるまでもなかったが。



「安全を確認。 これより内部に潜入する。

 

 ……何をしてる副長。 遅れるな」



前半は後方で待機中のナデシコ、後半はジュンに向けられたものだった。

宇宙の闇に溶け込むような漆黒の機体が2機、ロックの内部に機体を滑り込ませていった。



前衛を勤めるのはアキトのゼロG戦。

その後ろに続いて行くのがテツヤの砲戦フレーム。

こちらは無重力下での行動を可能にするために、ウリバタケの手による改造が施されていた。



「……了解。 アオイ機、潜入する」



塗装も施されていない灰色のエステバリスのコクピット。

それが今のジュンの居場所だった。



なぜ副長の彼がここに居るのか?

その理由は数時間前の出来事が原因だった。





○ ● ○ ● ○ ●





機動戦艦ナデシコ



ナデシコはコロニー、サツキミドリ二号を目指して航行中だった。

相転移エンジンも問題なく稼動中。

フィールドも巡航状態では60%を維持できていれば問題ない。

進路はオモイカネが選定し、艦長がその候補から最適と思われるものを決定。

操舵士が航路に乗せて、あとはコンピュータが自動でやってくれる。



つまり、副長であるアオイ・ジュンにやる事はない。

ない……のだが、ここに但し書きが付く。

雑務以外は、と。



「はぁ〜〜〜。 いくらなんでも溜めすぎだよ、ユリカ」



その書類は生活班からの要望だった。

トイレをもっと綺麗に掃除と改装を行いたいから予算を回して欲しい。

そんな内容だ。



その前に見た書類は整備班からのもので、

パイロットから砲戦を宇宙でも使えるようにしてくれとの要請があったので、

さっそく改造しておいたという報告書。

必要な機材はジュンの乗ってきたサマースノーB型のパーツを流用したらしい。

あのサマースノーは戦闘でボロボロにされていたから、良い廃品利用になった事だろう。



ちなみに許可した覚えはない。

ウリバタケが勝手に改造して、それを事後承諾させようという事らしい。

改造にかかった金額を見て、プロスの反応が怖かったが、

意外に使えるとの事なので無駄にはならないはずだ。



そして次に手に取ったのは食堂からの苦情。

艦長が料理をつくったら、なぜか有毒物質まで生成したらしく、

アキトが医務室に運び込まれ、厨房も一時閉鎖とされたらしい。

艦長に料理は禁止と伝えて欲しいとの事だった。



「ユリカ……やっぱり、テンカワの事が……」



手料理といえば、男の憧れ。

それはジュンとて例外ではない。

想い人のそれともなればなおさら。



しかし、今回その犠牲になったのは彼ではなくアキト。

自分はやはり、ユリカにとって特別な存在ではないらしい。

それを再確認して暗澹たる気分になる。



『アキトは私の王子様だから!』



そう言う彼女はただ理想を語る少女ではなく、

想い人を信じる事を誇らしげに語る、魅力的な女性だった。

長い付き合いだからこそ、ずっとユリカを見てきたからこそ、それが分かった。



『ジュン君は、大切な友達だから。

 ずっと、ずーっとね』



それがナデシコに帰還したジュンにかけられた言葉だった。

それは彼女の意識の中に自分が居ることを喜ぶべきなのか、

それとも友達以上になる可能性はないと言われていることを悲しむべきなのか、

ジュンにはいまいち分からずに、引きつった笑いを浮かべるだけだった。



そして、結局ジュンはナデシコ副長と言う立場に戻り、

今はユリカをサポートする立場に居る。



それが彼の選んだ道だから。



良かったのか悪かったのか、それはまだ分からない。

ただ、自分で選んだ道。



「『私らしく』か。 ユリカらしいな」



果たして、自分は『自分らしく』なれるのだろうか?

そんな疑問がふと浮かぶ。



そしたら、ユリカの考えている事も、ユリカがアキトに惹かれる理由も、

そして、地球を発つ時にアキコから言われた言葉、



『そんなものが、あなたの望むものなんですか?』



その質問に今度こそ自信を持って答えられるんだろうか?



≪アオイさん。 すいませんが、至急ブリッジに来てください≫



物思いに耽っていたところにルリからの通信が入る。

ジュンは思考を打ち切って、即座に聞き返した。



「何かあったの?」



そう言いながらも、足は既に扉に向かっている。

士官学校時代に身に付けた即応性だ。

しかし、次の言葉でその足は止まった。



≪……サツキミドリ二号が襲撃されました≫





○ ● ○ ● ○ ●





サツキミドリ二号



女、3人よれば姦しい。

英語圏の出身であるロイだったが。

これを友人から解説された時、その奥の深さに感銘を受けたものだった。



「そうなんですよ。

 それで、置いてきぼりに……」



「大変だったねー。

 あっ、その辺もう少し細かく。

 今度の漫画のネタになりそうだし」



「置いてきぼり……置いて、きぼり……老いて、木彫り。

 ……クククッ」



繰り返す。

ロイは英語圏の出身なので最後のダジャレはいまいち分からなかった。

そう、英語圏の出身なんだから仕方がないのだ!

なぜか、自分にそう言い聞かせる。



「よく息と話題が続くよな、あいつら……」



ショートカットを緑色に染めた少女が呟く。

それは確かにロイも同感だった。



「科学的観点から分析してみると、パイロットは基礎体力の段階で普通の人間よりも鍛えられている。

 肺活量からして一般の平均的成人女性の約2倍ある。

 加えて、戦闘に必要とされる知識も多く、体験も非日常的なものが多い。

 更にパイロット同士、共有できる話題、共感できる感情も多くあり、

 ついでに言うとナデシコのパイロットで女はアニーの他には後1名しか居なかった。

 ここで日頃の鬱憤を晴らすには非常に良い条件が揃っているわけで……失礼」



そこで一旦言葉を切ると、ロイは水を一口、口に含んで喉を潤す。

水分が酷使した喉を癒すのを待って再び口を開く。



「まあ、つまりその辺の事情を考慮した上でオレはこう結論付ける訳だ。

 ……『これだから年頃の娘ってやつは』」



それを聞いて、なぜか相手はがっくりと肩を落とした。

ロイの予想では自分の論理的考察に感動を覚えて、握手の一つでも求めてくるはずだったのに。



「あんた、変なやつだろ」



「なぜかよく言われるな。

 特にアニーには、毎日一回は言われてる」



それを聞いてさらに相手は肩を落とした。

あまつさえため息のオマケつき。



「ため息一つにつき幸せも1つ逃げていくらしいぞ、スバル君」



「だあー! 誰のせいだ、誰の!!」



ロイの胸倉を掴んで前後にシェイクしたくなる衝動を必死にこらえながらスバル・リョーコは叫んだ。

幸いこの格納庫には人が少ないので、その叫びを聞く人間も少なかった。



これでもロイは25歳。

今年18歳になったばかりのリョーコよりも7つも年上なのだ。

そのせいでもないだろうが、やたらにセリフがオッサン臭い。



「アニーも久しぶりに若い娘と話せて嬉しそうだしな」



「私もまだ若いです!」



そこだけはしっかりと聞いていたらしい。

確かに、見た目には中学生くらいにしか見えない。

普通は、アジア系の彼女たちの方が幼く見えるはずなのに。



「そう言えば、スバル君たち三人とも同い年なんだよな」



ニヤソ、と人の悪い笑みを浮かべる。



「はーい! アマノ・ヒカル、18歳の蛇使い座でーす」



「マキ・イズミ、番茶も出花の18歳」



残りの2人もそう言う。



「……で、アニーは?」



「じょ、女性に年齢は……」



「イツキは17だから、きっと仲良くなれるだろうな」



「ああ、もう一人のパイロットか?」



「まあ、あと一人居るんだけど、怪我で動けないから、

 今はイツキだけだな、残ってるの。



 ……で、アニーは、今年で何歳だっけ?」



「うう、先輩、知ってるくせに……」



恨めしげにロイを睨む。

が、彼女の童顔では大して効果は期待できない。



「……24歳」



ボソリとロイが言う。



「ううっ」



「……一人で平均年齢上げてるな、24歳」



「いやあぁぁぁ!」



「そろそろ曲がり角だな、24歳」



「あうううううぅっ!」



「魔法が使えても魔法少女は名乗れないな、24歳」



「うぐぅうううう!」



「アルコールで腹も弛み出すぞ、24歳」



「いやぁ! それは言わないでぇぇええ!」



「ああ、そうそう。 ブリッジクルーを含めてもお前が一番年上だぞ、24歳」



止めの一撃。

頭から白煙を吹き上げてアンネニールが撃墜された。



「…………もうだめっぽ、です。

 ナデシコのみんなに先立つ不幸をお許しくださいと……」



「伝えるのか?」



「いいえ。 私が伝えておきますから、心置きなく逝ってください、先輩!」



目が据わっていた。

10キロはあるはずの机を軽々と持ち上げ、ロイに向かって振り下ろす。



「間合いが甘い!」



ロイはそれを見切って紙一重でかわ……ゴスッ……せなかった。



「……ナデシコ、こんな連中ばっかりなのか?」



残念ながら、その通りである。

しかし、それ以上詮索する暇はなくなった。



けたたましいエマージェンシーコールが響き渡る。

それに対するパイロットたちの反応は機敏だった。

0.3Gという低重力に設定されている格納庫内では逆に走りにくい。

そこで素早く床を蹴って移動する。



「退避勧告が出てる! 

 アニー、シャトルを頼むぞ!」



「頼むって!

 先輩はどうするんですか!?」



一人でも操縦できない事はないので、アンネニールはシャトルの操縦席に滑り込む。

このシャトルのガーゴベイの中には、2機のサマースノーと各種ツールが入っているのだ。

せっかく、地球から運んできたものをここで廃棄するわけにはいかない。



「こいつをもらってく」



ロイが潜り込んだのはまだ塗装も施されていないエステバリスのゼロG戦フレーム。

恐らくは輸送途中だったのだろう。

ビニールもはがされていないシートだ。



「……動けよ」



半ば祈るような気持ちで起動シークエンスを確認。

格納庫内では自走させるために、バッテリーは付けたままだった。

残量は少ないが、動く事は動く。



パネルに明かりがともり、システムが立ち上がる。

すべて異常なし。



「おい、脱出するぞ!」



赤いエステバリスから通信。

リョ−コだった。



「……宇宙の華になりたくないからね」



「自分が悲劇のヒロインってのはちょっとねー」



シアン(青と緑の中間色)のエステがイズミ、

オレンジはヒカルだ。



「シャトルが出る。 護衛してくれ」



「了解。 しかし、あんた……」



「どうかしたか?」



「さっきと今とじゃ全然違うな」



「………オレはいつだって本気なのにな」



格納庫内から人が退避したのを確認してエアロックを開放。

本来は発進スペースまで移動して、そこで空気を抜いてから発進するのが

正しい手順なのだが、悠長にそんなことはしていられない。

流れ出す空気と共に機体を虚空へ躍らせた。





○ ● ○ ● ○ ●





機動戦艦ナデシコ



際どいタイミングだった。

あと数分、ウイルスを送り込むのが遅かったらサツキミドリ二号の人々は

1回目と同じく、虚空にその命を散らしていただろう。



アキトもルリもユリカもサツキミドリ二号が襲撃された時間までは覚えていなかった。

ただ漠然とナデシコが入港しようとした時に襲撃を受けたと記憶するだけだ。

だから、少しでも予定が変わったり、前回とは違う航路だったりすると、

その記憶は途端に意味のないものになってしまう。



そのことに気付いたのはユリカだった。

ミナトと航路と日程について話し合っている時に、ユリカの記憶とは違う航路を示されたのがきっかけだった。

それは連合の宇宙要塞ルナUに駐留する第2艦隊をかわすための進路だったのだが、

実は彼女らは知らない事だが、前回は第2艦隊は月での敗退によって地球まで撤退していたために

最短ルートを採ることができた。

しかし、今回は第1艦隊と実験機機動艦隊がイーハ撤退戦で木連の無人艦隊の漸減に成功していたために、

第2艦隊の損害も減り、ルナUまでの撤退になったのだった。



その辺の事情までは分からなかったにしろ、当然、ユリカは焦った。

アキトの計画ではナデシコがサツキミドリ二号との通信圏に入った段階でルリの作成したウイルスを送り込む予定だったのだが、

遠回りをしなければならなかった分だけ時間的な余裕がなくなるということだ。



そこで少々乱暴な手段ではあったが、ユリカはプロスにこう提案した。



『ナデシコは試験艦ですから、火星まで行く前にこのあたりでエンジンの全力発揮試験をやりたいんですけど』



苦しい言い訳かとも思ったが、その辺はルリが見事にフォローしてくれた。



曰く、



『相転移エンジンはナデシコが宇宙艦艇では初めて装備したものです。

 画期的ではありますが、その分、新技術が多いですし、実戦でどんな不具合が起こるかわかりません。

 何か問題があっても、サツキミドリ二号で何とかできるならそれで構わないでしょうし、

 何とかできない問題なら、火星まで行くなんて無謀ですから』



正論だった。

プロスもそれに納得し、かくしてナデシコは遠回りのコースを全力で航行する事になったのだ。

そのおかげで、襲撃には際どいタイミングで間に合い、

同時にそのせいで整備班の機関要員たちは不眠不休でエンジンの調整と監視に追われる事となった。



「先頭のエステ、IFF確認しました。 アンダーソンさんです」



≪私もいますよ〜≫



なぜかアンネニールはやたら疲れている様子だったが、

きっと脱出の時に色々あったのだろうとルリは推察した。

それは概ね正しかったが、さすがにその原因がロイだとは思いもしない。



≪オレはスバル・リョーコ。 

 ナデシコに着任予定になってるはずだ。

 着艦許可をくれ≫



≪同じく、アマノ・ヒカルで〜す≫



≪マキ・イズミ。

 リョーコにヒカル、三人揃って―――≫



ちなみにその後、5分間ブリッジの機能は完全に沈黙した。





○ ● ○ ● ○ ●





「………………はっ!

 ル、ルリちゃん、状況を確認して。 ルリちゃん!?」



「…………は、はい。 オモイカネ?」



何とか復活を果たすと状況を確認。

周囲に敵影なし。

その代わりにサツキミドリ二号から脱出したポッドなどが漂っている。



「メグちゃん。 救難信号とか見逃さないでね」



「あっ、はい」



サツキミドリ二号の崩壊の様子を目の当たりにしたせいか、

それとも先程のイズミの『一撃』がまだ効いているのか、少し顔色が悪い。

民間人である彼女には当然の反応と言えたが、残念ながらそれをフォローする余裕はない。

この艦は戦艦であり、今は戦場にいるのだ。

ユリカは艦長として艦の指揮に全力を傾けなければならない。



「艦長! 救難信号をキャッチしました」



ポッドといっても、大型で航行能力もある程度あるから、

放っておいてもルナUや近くのコロニーまで行くことは出来るだろう。

しかし、それはあくまで完全な状態であった時の話だ。

戦闘の余波によって損傷を受けることだってあるだろうし、

整備不良などによるトラブルがあるかもしれない。



「緊急度は最高レベルです!」



それは即刻回収しなければ危険ということだ。

メグミが悲痛な声を上げた。



「エステバリスは?」



≪ゼロG戦2機が準備できてるぞ。

 さっき回収した連中のは少し調整が必要だ。

 そっちは後10分待ってくれ≫



「わかりました。 パイロットは……」



誰を行かせるか、少しユリカは躊躇った。

今のナデシコの戦力は自艦の兵装を除けばこの2機のゼロG戦だけだ。

この場合の選択肢は3つ。



1:2機とも回収に向かわせる

2:1機だけ回収に向かわせる

3:ポッドは見捨てる



3は却下だ。

できるだけ助けたい。

火星の時の二ノ舞はごめんだった。



1も却下。

2機とも向かわせたらナデシコが無防備になる。

無人兵器に対抗できるように1機は残しておきたい。



となれば2だが、これは誰を向かわせ誰を残すかと言う選択でもある。

回収に向かう1機は、ポッドを回収して戻るまでの間は無防備になってしまう。

敵影がないとは言え、危険が伴う任務だ。



腕を考えるならアキトが最適だろう。

ただ、同時に最大の戦力をナデシコから離してしまうことにもなる。



≪俺が行こう。 許可をくれ、艦長≫



ユリカの思考を打ち破ったのはテツヤからの通信だった。



≪ウリバタケに改造してもらった砲戦がある。

 バッテリーを多く積める分、活動時間も長いし単独での火力と防御力は最高だ。

 機動力は低いが、どの道、ポッドを抱えて機動戦闘ができるわけじゃない≫



「……わかりました。 お願いします」



アキトが何か言いたげだったが、その前にユリカが答えた。

その手が使えるなら、それが最善の手段だ。

ゼロG戦二機とアキトをナデシコに残せる。

冷たい見方をすればナデシコは最大の戦力を温存でき、

最悪でも砲戦1機とパイロット1名を失うだけで済む。



自分の思考にユリカはゾッとした。

行くと言ったのがアキトでも同じ答えを自分は出しただろうか?

いや、恐らくはもっと不安になっただろう。

アキトの実力は知っていても、それが普通のはずだ。

ただ、今は別のパイロットだったから、不安にはなっていない。

最悪のケースを思い浮かべても、少し残念に思うだけだ。



ユリカはギュッときつく腕を掴んだ。

未来を知るという事は、何て残酷なんだろう。

あの最悪の未来を回避するために、自分は何だってするのだろうから。

アキトを失わないためになら、たぶん、何だってできるのだろうから。





○ ● ○ ● ○ ●





機動戦艦ナデシコ

展望室




結局、その行動は徒労に終わった。

ポッドの中に人間は居なかった。



ただ、かつてそう呼ばれた肉塊が在るだけだった。



『乗員は全員死亡。 爆発の衝撃波に巻き込まれたようだ。

 回収は中止。 ポッドはこのまま放棄するが、よろしいか?』



ひどく平静な声だったと思う。

声優をやっていたメグミにはそれが本当に動揺していないのだと分かった。

彼は内心の動揺を抑えてそう言っているのではなく、

本当に、ただクジのハズレを引き当てた時のような冷静さでその結果を告げたのだ。



艦長はそれを許可した。

それがさらに彼女には信じられなかった。

せめて遺体だけでも回収して弔ってやるべきだと思ったからだ。



誰もがその結果を平然と受け止め、何事もなかったかのように仕事に戻る。

それを異様な光景だと思う自分の方がおかしいのだろうか?

人が死んだのに、誰もそれを気に止めない。

それを、誰も異常だと思わない。



その場に居ることに耐えられず、メグミはブリッジを退出した。

しかし、特に行くあてがあったわけでもなく、そして警戒態勢中の艦内に居場所があるはずもなく、

結局は展望室に逃げるように篭っていた。



「…………なんで、みんな平気なんでしょう」



「誰もが平気、というわけじゃないだろな」



独り言に返事があったので驚いてメグミは振り返る。

そして、そこに今、会いたくないランキングで堂々の1位を獲得した男が居た。



「……カタオカさん」



ポッドの回収に向かったのは彼だった。

そして、あの冷淡とも思える言葉を言ったのも。



「今は順戦闘配置だ。

 ブリッジ要員がいつまでも席を外しているわけにはいかないぞ」



「……何で、平気なんですか」



「あいつらが死んだのは誰の責任かと言われれば返答に困るが、

 少なくとも俺の責任ではないからな」



「人が死んだんですよ!?」



冷静極まりないテツヤに反発を覚えながらメグミは応じる。

人の死を『運が悪かった』で片付ける反応が、彼女には薄気味悪くさえ感じられた。



「もっと死ぬぞ。 今も死んでいる」



テツヤの口調は相変わらずだった。

視線はメグミから動かさないが、彼女はテツヤを見ていなかった。



「戦争だからだ。 ナデシコが戦艦で、ここが戦場だからだ。

 それが気に入らないなら、火星行き特急と言い換えてもいいが現実は変わらん」



吐き捨てるような言葉だ。

メグミが反応を示さないのにも関わらず続ける。



「俺が冷酷に思える。

 ……人間でないように思えるか?」



答えない。

いや、答えられない。



怖かった。

この男が、本当に未知の存在なのだと知って。

ここが、本当に現実で、平和なんて何処にもないとわかったから。



「―――― るな」



男が何か語りかけている。

半ば麻痺した思考でそれを感じる。

今度は乱暴に肩を掴まれた。



「忘れるな。 

 そう言ったんだ、メグミ・レイナード!」



その時、初めてメグミはその男の目を見た。

彼は我慢強く繰り返す。



「お前は忘れるな。 そして何より慣れるな。

 この戦場と言うものに、決して慣れるな」



掴まれた肩以上に、その言葉が痛い。

まるで悲鳴のようだ。

そう感じた。



「主要クルーの経歴は記憶している。

 当然、お前のもな」



そう言えば、自己紹介した覚えもないのに彼は名前を知っていた。

ぼんやりと焦点の定まらぬ瞳で見上げる。



「幸せな人間だ。

 明るい家庭に、恵まれた環境。 凄惨な事件に在った過去もない。

 幸せな人間だよ。 これからもきっとそうなんだろうな。

 嫌味じゃない、本当にそう思う」



言葉を切って息を吸い込む。

同時に言葉を選んでいるようでもあった。



「俺はもう慣れた。

 いや、慣れてしまった、と言うべきか。

 もう何も感じない」



「……どういう意味です」



ようやくメグミに反応があった事に少し驚いたようだった。

しかし、すぐにその表情を戻す。



「戦場カメラマン、その前は軍に居た……いや、違うな、もっと前だ。

 別の仕事をしていた。 その時に慣れたのさ。

 帰る家も、家族もなかった。 今だって大した物はない。

 妹が2人、それだけだ。 運が悪いのさ」

 

言いたいことは何となく分かった。

しかし、メグミには安易に受け入れられる話ではない。



「何をどう思ってもかまわん。

 ただ、これだけは覚えておけ。

 お前より、あそこで死んだ人間たちの方がよほど苦しんだ。

 それから ―――― 決して慣れるな。

 

 勝手な言い分だとは了解しているがな。

 それだけだ」



そう締めくくってテツヤは踵を返す。

その背中を微動だにせずにメグミは見ていた。



ようやく涙が流れた。





○ ● ○ ● ○ ●





機動戦艦ナデシコ

格納庫




格納庫では整備班が慌しく準備を進めている。

こんな時、パイロットにできるのは気を落ち着かせて待つことのみだ。



「テツヤ、メグミちゃんと話したのか?」



「……ああ、ホシノによると俺にも責任があるらしいからな」



砲戦のコクピットでスラスターの点検をしつつテツヤが答えた。

アキトは彼がメグミと話した内容までは知らない。

ただ、その事実のみをルリから聞いただけだった。

前回などは自分が慰めただけに、テツヤが何を言ったのかは気になる。



「この艦は、甘い奴らばっかりだな」



コントロールパネルから視線を外さずにテツヤが言う。

しかし、そこに蔑むような響きはない。

微かな羨望と、自分が失ったものを懐かしむよな、そんな響き。



「ウリバタケ、105ミリはどうなってる?」



それ以上は語らずに、テツヤは別のところに問いかける。

そして、アキトもそれ以上は訊こうとは思わなかった。



「ジュン、本当にお前も来るのか?」



「ああ。 僕だってやれる事があるはずだ」



それ以上に心配なのがこのジュンだった。

何がどうしてなのか、サツキミドリ二号に

残りのゼロG戦フレームや物資を回収しに行く部隊へジュンも志願してきたのだ。



「やれる事か……」



しかし、それはエステの操縦ではないと思う。

ジュンは確かに士官学校を出ているし、IFSもつけているからエステを動かせる。

ただ、その腕は本職のパイロットたちには到底及ばない。

むしろ、ジュンにはユリカのサポートをしてもらいたいのだが、

彼は頑としてそれを受け入れなかった。



アキトの目から見ても、ジュンが焦っているのは明白だ。

かつての自分を見ているようなものだからだ。

アキトも、コックもパイロットも中途半端で悩んだ時期がある。

今のジュンはパイロットにもなれず副官としても半端で、

どうにかして自分の居場所を見つけたいとあがいているのだろう。



その気持ちはわからなくもないが、同時に2回目のジュンを思い出させる。

チハヤを殺され、復讐に取り憑かれたジュンを。



「何事もなければいいんだけどな」



サツキミドリ二号にはいい記憶がないからそう思わせるのかもしれない。

しかし、アキトは不安を拭いきれずにいた。



デビルエステバリスが相手なら、この面子が後れを取ることはないだろう。

回収に向かう部隊の面子は、Aチームがリョ−コ、ヒカル、イズミ。

Bチームがアキト、テツヤ、ジュン。

そしてナデシコに残るのが、Cチームのイツキ、ロイ、アンネニール。



ちなみに、テツヤは砲戦の宇宙戦仕様の改造型、ジュンはロイが乗ってきた未塗装のゼロG戦フレーム。

ロイとアンネニールはサマースノーで、あとは全員、パーソナルカラーに合わせたゼロG戦フレームだ。

アキトは地球脱出後に黒に塗りなおしてもらっている。



「Bチームは地味だな、おい」



「黒・黒・灰だもんねー」



結構な言われようだ。



「えっと、スバルさんにアマノさんだったよね?」



「水くせえな。 リョ−コでいいよ。

 それより、戦闘記録見せてもらったぜ」



「ほんとに凄かったよねー」



「凄くって、こっちはすごすごと……くっくっく」



何だか、本当にいつも通りだった。

それが嬉しい。



「留守を頼んだよ」



「了解。 車に気をつけるんだぞ〜」



「先輩、宇宙に車はいません」



「あはは。 それでは、本当に気をつけてくださいね」



こちらも漫才のようなやり取りが行われている。

少し安心できた。



≪準備かんりょーです! それじゃあ皆さん、張り切っていってみましょー!!≫



ユリカの宣言と共にカタパルトに明かりがともった。



「エステバリス、テンカワ機、出る!」



そして彼らは向かう。



――― 戦場へと。









<続く>






あとがき:

今回は2つで1つなので、あとがきは次で。
次回は恐ろしい事になりそうです。