機動戦艦ナデシコ・短編 最後の一人まで 戦後は終わった。 そんな言葉が世間では流行語になっているらしい。 多くの人々が知っているようにサセボシティは軍港としての機能を縮小し、 設備の機能を維持管理しているのは多くの場合、ヒサゴプランに便乗する形で益を得ようとする民間企業だった。 木連 ――― 火星の後継者事件が直接のきっかけとなって2203年にその名を<木星圏共同連合体>へと変えたかつての反地球連合組織(地球連合は未だに旧木連を正式な国家とは認めていない)は 今や戦禍から復興を遂げた火星や地球にとって不可欠なビジネスパートナーとなっていた。 火星侵攻から始まった蜥蜴戦争はその後4年の長きに渡り、その間に失われた人命は十数億の単位とも言われる。 木連と地球側(火星と月を含む)の間に禍根が残らなかったかと言えば、その後の火星の後継者事件を筆頭に、大小様々な小競り合いや戦争の一歩手前の事件まで事欠かない。 それでも貴重なマンパワーを失った地球や人口が戦前の3分の1にまで減少してしまった火星にとって、木連の持つ高度な自立型ロボット技術は絶対に必要なものだった。 過去の遺恨はとりあえず棚上げし、まずは自分達の復興をなしとげなければ地球圏の文明レベルが20世紀まで逆戻りしかねない。 それが連合政府の方針であった。 また、自分達の復興に対してなりふりかまっていられないのは木連も同様だった。 あるいは彼らはもっと追い詰められていたと言える。 基本的に軍事は非生産的なものである。 本来なら教育や医療、福祉などに投入されてしかるべきものが破壊の道具に注がれる。 コロニーはインフラは辛うじて整備されているものの人口増加に歯止めがかからず、戦争がなかったとしても昨今彼らは肥大した自己を支えきれずに自滅することが分かりきっていたからだ。 社会不安は増大し、それが結果として草壁春樹と言う独裁者を生み出す土壌となったと指摘する声もある。 事実上の敗戦による戦後という転換期を迎えることとなった木連では反動的な平和主義が溢れることとなる。 曰く、 「我々もまた草壁の魔手に踊らされていた被害者である。 祖国が独裁者の手によって戦争という道を選んだことは遺憾の極みであり、 今後は二度と独裁者の存在を許さない正当な政権を打ち立てるべきだ」 と。 それは詭弁だ。 草壁春樹は確かに独裁に近いほど圧倒的な権力を振るっていたかもしれないが、それは全て国民の支持があればこそだった。 彼らは自ら進んで独裁者の語る正義に酔っていたのだ。 それが戦後、全てを草壁個人の犯罪だと一斉に責任転嫁を試み、それは悪いことに成功してしまった。 熱血クーデターによって政権を奪取した一派にとって、草壁批判は自分達の正当性を訴える格好の手段であったからだ。 それは歴史上何度も繰り返された光景であったが、国民は再び新たな正義をしたり顔で語る熱血派の若手将校達を支持したのだった。 かつて政治の腐敗を正すと言って蜂起した軍部と、その象徴として担ぎ出された草壁春樹に熱狂したように。 それは傍観者から見れば歴史は繰り返すという言葉のままの光景であったが、連合政府はあえてそれを否定することはなかった。 あまりに多くの離反者を出した統合軍は解体せざるをえず、実質的な戦力は戦中の半分ほども残されていなかったからだ。 再度の戦争になった場合、軍上層部は木連が火星の後継者と同じジャンプ攻撃の戦法をとってきたなら艦隊戦では勝てる見込みがないことを非公式に認めていた。 もっとも、艦隊決戦で戦争の勝敗が決まるなど20世紀の水上艦艇が華やかなりし頃でさえありえなかったから、 それは軍縮のあおりを真っ先に受ける宇宙軍の予算獲得のためのデモンストレーションと言う側面はあったけれど。 そういう意味で木連の市民が軍に対して忌避感を抱いてくれるなら、地球連合としては対抗するための自前の軍備を縮小できるために、しばらくは傍観するつもりであった。 そんな事情からサセボの町は軍港としての色を急速に失いつつあるとも言える。 港に停泊している船舶の大半は第2次ヒサゴプランで整備された木星までのルートを往復するタンカー(ただし、腹の中に溜め込んでいるのは油ではなく核融合炉用の液化されたヘリウム3)や、 木連からの入植を認めたことで急速に人口を回復し、高度経済成長期へ突入した火星へと建築用の資材を運ぶ輸送船、 あるいは現在進行中の第3次計画(今度は新たに土星を目指している)のために用意された相転移エンジン搭載の高速輸送船などの民間船だった。 サセボの地下ドックですら、かつて蜥蜴戦争最高の武勲艦と言われ火星の後継者事件を経て地球へ戻った機動戦艦ナデシコ(A)の船体が記念館の一部として保管されている絶好の観光スポット以上の意味はなくなっていた。 その昔、地球を守るために生み出された手段のほとんどが無意味となってしまったことの現われと言えるだろう。 それも仕方のないことだ。 思えば相転移兵器と超長射程ボソン砲という悪夢のような組み合わせが実用化されるまで、人々は何と暢気なものの考え方をしていただろう! 戦艦が宇宙戦における女王の地位に君臨し、人々はそこにある種のロマンチシズムを抱くことが許されていた時代はもう過ぎ去ってしまった。 人類は核以来と言われるパンドラの箱を開け放ってしまったし、それは地球連合においても例外ではなかった。 現在、サセボ港にひっそりと入港する潜宙艦(高度なステルス機能を備えた隠密作戦用の特殊艦艇を便宜上こう呼ぶ。 言うまでもないが、潜水艦とかけた命名)の大半は相転移エンジンを搭載し、 地球から月のクレーターを増やせると言われるほどの長距離攻撃用のボソン砲を最低2基は搭載していた。 無論、ボソン砲の弾頭の約半分は1発でコロニー1つをこの世界から永遠に消滅させられる相転移兵器が搭載されている。 ヒサゴプランの経済発展の影で木連がまともに軍備を再編しようとせず、統合軍が解体されたままなのはこの汚れた巨鯨たちの存在も大きかった。 蜥蜴戦争の終結から半世紀あまりが過ぎ、何もかもが変化してしまった。 あるいはそうまとめるべきなのかもしれない。 しかし、その見方は他ならぬサセボの人々から否定されることだろう。 彼ら、あるいは彼女らは強硬にこう主張するだろう。 この世の中には決して変わらないものがある。 なぜなら ――― この街には運用員長がいる。 運用員長と皆から呼ばれる老人は、とりたてて特徴のある人物ではなかった。 身ぎれいにしてはいるがとりたてて金があるようには見えず、背は高いが歳による衰えは隠しようもない。 更に言うなら……幸せそうな晩年を迎えているようにも見えない。 大概の場合、彼はサセボの街を一日中うろつき回っている。 あるいは記念艦として内部が公開されているナデシコの中を歩き回ったりもした。 時には軍港の機密地域に入り込むことすらあった。 そこは許可なく立ち入れる場所ではなく、即座に警告射撃か逮捕されてもおかしくない。 しかし、彼は撃たれることも逮捕されることもなく、衛兵達は彼を丁寧に扱いこそすれ、決して追い払ったりしなかった。 それどころか、手の空いているものは一歩下がって、まるで部下のようにあとをついていってやることさえした。 その間、運用員長は大声で周囲に呼びかけているのだった。 彼がどこに住んでいるかは皆が知っていた。 そこは肉体ではなく精神を病んだ人々を治療するための白い建物だった。 そして、誰もそのことを口にしない。 彼が他人を害することなどないということを知っているからだ。 また、あまりに天気が悪い日は誰かが彼を心配し始めた。 台風が近づいた時などは、日頃は何かと仲の悪い警察と軍のMPが共に人員を出し合って巡察隊を出したりもした。 無論、街の人々も協力を惜しまなかった。 別にそういう決まりがあるわけではないが、運用員長をどのように扱うべきかは暗黙の了解があった。 なぜならば、運用員長とは軍の職名であり、彼がいまも義務を果たし続けていることを皆が知っているからだった。 ○ ● ○ ● ○ ● 老人が運用員長に任ぜられたのは多くの人々が『あの戦争』と語る蜥蜴戦争(公的には<第二次星間紛争>。これは100年前の月の動乱を第一次と数えたことによる)の終結した1年後のことであった。 その1年は軍関係者にとっては戦争に次ぐ悪夢とまで言われた大軍縮のはじめの期間であったけれども、彼とその乗艦は軍から用済みとされることなく、在籍を許された。 新設された統合平和維持軍の第2か第3艦隊か、ともかくその辺の宇宙艦隊に所属する新型駆逐艦<ブレイオネ・イノセンス>が就役するとほぼ同時に少尉として乗り込んだ。 無論、軍は基本的に実力主義であるから、そこには幸運の要素だけでなく多分に彼自身の才能と努力があったことは言うまでもない。 彼は新造艦に配置される前はどこかの護衛艦で2年間の軍役を常に前線で経験していた。 所属する組織を宇宙軍から統合軍に変えるにあたり、下士官である曹長から正規の士官である少尉へ昇進して編入されるだけの実績はあったわけだ。 <イノセンス>の通称で呼ばれたこの駆逐艦は戦後第一世代型の傑作と言われたプレイオネ級の7番艦で、全長142mの船体に中口径グラビティブラスト1門、側面に三連装対空砲とミサイル発射管6門を備え、 それほどの重装備にもかかわらず、相転移エンジンを標準装備したことによりパワーウエイトレシオに優れる俊足艦であった。 新鋭艦に相応しくディストーションフィールド発生器やレーダー、ハイブリットセンサ、通信設備なども高性能なものに置き換えられていたことも考えるなら、 同時期に数だけ揃えるために量産された木連型駆逐艦よりはよほど強力な艦として仕上がっていた。 イノセンスがシアン(青と緑の中間色)を基調とし、黄色のラインをアクセントとした統合軍の識別色で塗り分けられた船体を投じたのは、主要なコロニーの建造が始まったばかりのヒサゴプランの護衛任務だった。 それは戦争が終結したとは言え宇宙における危険が全くなくなったわけではなく、相変わらず海賊行為に走る木連過激派の残党勢力や地球圏に依然として存在する旧来のテロ組織を警戒するためだった。 ことに統合軍が血眼になったのはヒサゴプランのコロニーを襲撃する謎の黒いロボットと白亜の戦艦だった。 ヒサゴプランにかかわるクリムゾンの輸送艦に対する相次ぐ攻撃が確認され、宇宙軍・統合軍ともに船団護衛やコロニー警備に余念がなかった。 しかしながら襲撃事件は後を絶たず、ヒサゴプランの開発宙域は危険と常に隣り合わせのものとなっていた。 イノセンスが投入されたのはそんな宙域だった。 基本的に哨戒が重んじられる任務の性質上、単艦での行動も多くある。 例えば謎の戦艦 ――― ユーチャリスのように、コロニーと地球の間を往復する商船や船団を狙う敵を捜索し、発見した場合は艦隊司令部へ報告、押っ取り刀で駆けつけてくる主力部隊を誘導することも任務の一つだった。 その場合は主力部隊(戦闘機動母艦や戦艦を主力とする打撃任務部隊)が到着するまで船団を守る役割もあったから、決して生存率は高くない。 目下のところ想定されるもっとも厄介な敵であるユーチャリスは、謎のロボット ――― 今ではブラックサレナというコードネームも判明しているが ――― のほかにバッタなどの無人兵器も装備している。 結局のところ駆逐艦に過ぎないイノセンスはバッタの飽和ミサイル攻撃やサレナの重装型に襲い掛かられた場合、たちまちのうちに機能を喪失しかねない。 ここで運用員長が登場する。 彼の仕事はその名の通り、艦に乗り込む運用員たちをまとめることだった。 運用科とは、重量物の積み下ろしや艦載艇の収容や船につきものの雑務などをこなす地味な役割が主だった。 が、戦時にはここにもう一つ重要な役割が加わる。 ダメージコントロール、いわゆる応急作業である。 戦闘時に生じた損害 ――― 気密破壊や火災などを最小限に留め、艦の戦闘能力を維持する仕事である。 DFや装甲によって攻撃を防ぐのを直接防御、応急処置などによる被害極限を間接防御と呼ぶほどこの作業は重視されていた。 運用員長とはその作業に当たる下士官兵たちの頭領であった。 制度上は、応急作業の指揮は副長がとることになっていたが、副長の役割は全般指揮であり、現場で苦労するのは下士官兵である。 そういった意味では被害を受けたイノセンスの運命は運用員長の双肩にかかっていた。 もっとも、任務に着いてからのイノセンスの航海は平穏そのものであった。 まれに海賊に身をやつした残党に遭うことはあったけれど、その場合でもイノセンスの能力で十分に撃退可能か、 さもなければ発見報告を発して全力で逃走に移れば、最新鋭駆逐艦の俊足で安全圏まで退避できた。 まったくもって幸運といえるだろう。 後知恵だが、このとき彼らにとってもっとも恐れるべき相手であったブラックサレナは夜天光との戦闘で大破しており、 S型(ストライカー)からA型(アーマード)への換装の真っ最中であった。 そしてA1型に換装してからしばらくはエアロタイプの高機動ユニットを駆使して大型輸送機を狙っていたが、それは地球上での話であり、イノセンスの領分である宇宙ではなかった。 やがてA2型へ更に改装され、モールタイプの高機動ユニットを装備したサレナがターミナルコロニー<ホスセリ>を襲撃し中破させるという事件が起こったが、 その頃のイノセンスは船団護衛を行なう護衛部隊にいたからやはり直接砲火を交える機会はなかった。 ただし、続けざまにウワツツまで襲撃を受けたことにより統合軍の警戒レベルは準戦時体制にまでなっていた。 あれほど順調に思われたヒサゴプランは輸送船の損害保障だけで傾きかけていた。 船団護衛のぶらぶらした航海もこれで最後だ。 イノセンスの乗員達がそう確信したのはルナ2から13回目の出撃をしたときだった。 謎の戦艦と幽霊ロボットによる襲撃のターゲットがヒサゴプランのターミナルコロニーに移ったのは誰の目にも明らかだった。 重要拠点であったタカマガが襲撃され、駐留艦隊が大損害を受けた上にコロニーまで大破させられるという事態にまで状況は悪化していた。 おそらくはこの航海を最後にこの宙域ともお別れ、イノセンスは月のドックで本格的な整備を受けた後にコロニー駐留艦隊に組み込まれることだろう。 想像力を働かせた者の中には最重要拠点のアマテラスに配置されるのではと口にする者もいた。 襲撃対象がコロニーへ移ったなら、それはありえない話ではなかった。 重要度からいって、アマテラスが次に狙われる可能性は極めて高いと関係者は考えていたからだ。 この予想は当たらずとも遠からずといったところで、実際はシラヒメ、次いでアマテラスだった。 彼らは全てを知りえる立場にあるはずもなく、この予想は相手が政治的に示威行為を行なうテロリストだろうとの考えに基づいていたのだが、 事件解決から半世紀近くたってようやく公開された情報によれば、コロニー襲撃を行なっていた人物(この名前だけは未だ公開されていない。 そしてこれからもないだろう)の目的は遺跡の強奪であったらしいので、 実際は遺跡を追ってコロニーを襲撃していたのであり、コロニーそのものの重要度は関係がなかったとのことだ。 (遺跡を狙ったことに関しては、その理由としてボソンジャンプ黎明期であった当時における遺跡の重要性を鑑みれば動機に関して疑問の余地はない。 もっとも、この事件の真相にもっとも近かったと言われるホシノ・ルリ元ナデシコC艦長は今現在に到るも事件の経緯に関して公の場で語ることはないから、真相は闇の中といったところか) もっとも、このときのイノセンスの乗員達が重要視していたのは再出撃前に月で休暇や上陸が許されるだろうということ、あるいは気忙しいが安全でもある基地配置に転換できるかもしれないということだった。 そうした卒業直前の学生たちにも似た気分の男たちを乗せたイノセンスは12Skn(いわゆる『Space knot』。第3宇宙速度の10分の1が1Skn )の速度で哨戒宙域を巡航していた。 コロニー襲撃事件以来、軍の活動がかなり活発化したこともあって、このところ海賊の心配もめっきっり減り、航海に危険を覚えることはなかった。 しかし、彼らが暢気な気分に浸っていられたのはわずかな時間だった。 ルナ2を出向してから3日後の午後3時、彼らはクリムゾン社の輸送船から緊急入電を受け取ったのだった。 発信地点に最も近かったのはイノセンスで、そこは全速で約4時間の距離だと推定された。 『我、所属不明ノ戦艦ヨリ攻撃ヲ受ケ、重大ナ損傷ニヨリ自航不能。 至急ニ近在艦船ノ救援ヲ乞ウ』 艦長はただちにその内容を艦内と艦隊司令部に伝えた。 たとえ一瞬でもいいから戦闘に巻き込まれたくないと願っていた男たちは口を閉じた。 彼らの大半は戦後に採用された実戦を知らない若者か、あるいは戦争というものの現実を髄まで知った古参兵だったが、 彼らはそれを聞くなり軍人の ――― いや、船乗りの本分に立ち戻ったのだった。 海で困っているものはたとえ親の敵でも助ける。 それは水から星の海へと変わっても変わることはない。 イノセンスは司令部に救助へ向かう旨を伝えると、22Sknの全速を発揮しつつ現場へ向かった。 統合軍宇宙艦隊司令部は即座にその行動を承認し、可能な限りの支援を約束した。 しかし、コロニー防衛に大半の戦力を割いていた上に、その場所は正規の航海ルートから外れていたため、イノセンス以外の現場宙域到着は半日以上かかりそうだった。 つまり、真空の宇宙空間に漂う者たちを救えるのは、この駆逐艦のみだった。 補助の核パルスエンジンまでを過熱させつつ到着したイノセンスは、発信地点と思しき宙域にとんでもない光景を見た。 暗いその場所には艦載艇や救命艇がひしめき合い、その全てに人間がぎっしりと乗り込んでいたのだった。 それらに向かって探照灯が向けられ、救助作業が開始された。 運用員長は潰れかかった割れ鐘のような声で部下を叱咤し、作業を指揮した。 艦舷からトラクタービームが発信され、あるいは物資搬入用のロボットアームまで用いて疲れきった人々の救助が行なわれた。 果たしてイノセンスの運用員たちは日頃の訓練が無駄でなかったことを証明した。 約3時間の後、イノセンスは宇宙に漂っていた200名近い人々は全て救助されたのだった。 安堵の息をつく乗員達であったが、さらに信じられないことがわかった。 救助された200名近い人々の全てはこの1年以内で行方不明、もしくは死亡とされた人々だったのだ。 救助してみれば幽霊でした、という笑えない展開に混乱する艦長らに人々は口々に語った。 自分達は何者かに誘拐され、どこかの施設に隔離されていたが、何かの実験のために移されることになったらしい、と。 漠然としすぎて何がどうなっているのかますます分からなくなるばかりだったが、年齢も性別もばらばらの人々に共通するのはその全員が火星で生まれたということだった。 また、彼らは自分達を襲ったのは白亜の船で、それは当然現れたように見えたとも証言した。 黒いロボットを見たという人もいた。 そこからイノセンスの乗員達は当然のごとく、いまコロニー襲撃犯と目されている『幽霊ロボットと謎の白い戦艦』を連想した。 幽霊ロボットの方は目撃されるたびにその姿に関する証言が変わるため、あまりあてにはならなかったが、黒一色という点は共通していた。 まさか、襲撃の対象をまた変えたのだろうか? そんな不安が過ぎった。 しかし、救助された人々の反応は好意的であった。 白亜の戦艦はこちらを止めると何事かクルーに問いかけ、彼らの素性を知るとしばし沈黙した。 そして総員退艦すべしと伝えてきたという。 船のクルーたちは我先にと脱出してしまい、残された人々が全員を乗せられるだけの艦載艇や脱出ボートがないと伝えると、 白い船から真っ黒なロボットが出てきて自分たちのボートを分け与えていったらしい。 そしてボートには食料と水が積んであった、と。 凶悪なテロリスト像とはかけ離れた対応であったが、それを聞いたイノセンスの乗員達は一様にこう思った。 ――― やるじゃないか。 後知恵で考えるなら、このとき幽霊ロボットに乗っていたであろう人物も、単独のボソンジャンプを多用していることから火星の出身者であろうと推測できる。 だとすれば彼(あるいは彼女)にとって、同胞を見殺しにするのは忍びなかったのだろう。 無論、それでコロニー襲撃の罪が帳消しになるはずもないし、このとき被験者となるはずだった人々を運んでいた船のクルー達はイノセンスに救助されていない。 イノセンスはセンサーやレーダーを総動員していたはずだから、それで救命ボートよりは大きな艦載艇が見つからなかったのは、おそらくブラックサレナによって秘密裏に葬られたのだろう。 しかし、結果としてそれが200名近い人々を火星の後継者の狂気から生還させたのだ。 そう、彼らが向かっていたのはアマテラス……火星の後継者の決起場所となり、ジャンプ実験のために多くの命が犠牲になった場所でもあった。 憎むべき敵の鮮やかな行為によって命を救われた人々を乗せたイノセンスは一路、月を目指した。 可及的速やかに救助者たちを安心させるべし、との命令を受け取ったため、イノセンスは哨戒行動を打ち切っていた。 イノセンスの乗員達は救助者のなかに少なからず含まれていた子供や女性たちのために船室を明け渡し、自分達は通路や機関室・艦橋など各自の持ち場で寝た。 もともと150名程度の人員で動かしている駆逐艦に、200名近い人々のために用意できる余剰スペースなどなかったのだ。 なかには身銭を切って菓子を買い、子供たちに分け与えてやる者もいた。 運用員長もその一人だった。 酷く辛い体験ばかりをしている子供を見かけると普段は部下に恐れられているしかめっ面が途端に笑み崩れ、 今にも抱き上げんばかりの表情で子供たちを見つめ、ポケットから何か取り出すのだった。 はじめはいかつい運用員長を恐れていた子供たちも次第に慣れ、彼の姿を見ると歓声を上げて飛びついていくようになった。 彼には戦争で幼くして亡くした子供の思い出があった。 イノセンスの、人の善性について確信を抱かせるような情景は、艦が月まであと数日という所まで近付くまで続いた。 終わりをもたらしたのは一発の機雷だった。 艦右舷で爆発が起こり、激震に艦がたわんだ。 艦のそこかしこで大人たちの罵声と、子供たちの悲鳴が上がった。 しかし、ここでも運用員長は即座に行動を開始した。 上官の命令を待つことなく触雷箇所へ急行し、被害状況を確認した。 一目で重大な損害が発生していることがわかった。 ブリキ缶に等しいと揶揄される艦舷装甲は触雷によって気密が破られ、気圧差によって艦内のものを吸い出そうとしていた。 自動的に降りるはずの隔壁は触雷の衝撃で電装系が切断され、働いていなかった。 手動で隔壁を閉鎖し、補強しなければ艦の空気がすべて漏れ出してしまう危険があった。 コミュニケ―ターに映し出された副長からの指示は単純だった。 ――― 必要なことをただちに為せ。 運用員長は命令に従った。 ただちに外殻の隔壁を閉鎖させると、気密の破壊された区画の扉と隔壁を補強材で密閉させた。 次に同じく気密が破壊されているはずのもう1層上へ向かった。 そこは大混乱の最中であった。 兵員室が設けられ、今は子供たちを収容しているはずだったからだ。 運用員長は呆然とする大人たちを怒鳴りつけ、気密が確保されていることが確認されている第1甲板へ子供たちを避難させた。 そうして15分ほどの悪戦苦闘の甲斐あって、ようやく応急作業に専念できるようになった。 ――― そこでふと、不安を抱いたようだった。 彼の部下たちは後にそう証言している。 閉鎖区画に、もしや子供が入り込んでいないだろうか、そう思ったらしい。 彼は部下の制止を振り切り、閉鎖区画へ飛び込んだ。 重力制御が行なわれず、加えて危険なほどに気圧の下がった通路を這いずるように移動しながら、大声で呼びかけた。 ――― 子供はいないか! もう誰も残っていないか! 彼の呼びかけは艦の状況から言って危険なほど長時間続いたらしい。 が、誰もがそのことには口をつぐみ、結果としてイノセンスが提出した報告書には運用員長の勇気を讃える言葉のみがあり、 彼の行動に関して非難めいたことはただの一つも記されていなかった。 やがて気密服を着ていたにもかかわらず、激しい運動により酸欠の一歩手前で顔を赤くした運用員長は部下と合流した。 そして、隔壁の閉鎖と補強は迅速に行なわれた。 日頃の訓練の成果がここでも発揮されたためだった。 しかし、だからこそその音が響いたとき、すべては手遅れとなっていた。 ――― とん、とん、とん くぐもった音が隔壁を通して響き、その場の全員が凍りついた。 ――― とん、とん、とん その音はもう一度響いた。 間違いない。 誰かが取り残されているのだった。 しかし、もうどうにもならない。 隔壁扉は閉じられ、わずかな隙間さえふさぐように補強材によってぴったりと押さえられている。 それに、閉鎖区画とこちら側では既に気圧の差が生じているはずであり、開ければ閉じることはできない。 今度こそイノセンスは酸欠で全滅という憂き目を見てしまう。 運用員長は目が飛び出さんばかりに剥き出しながら作業の継続を命じた。 扉を叩く音はそれから5分ほど続き……そしてぱったりと止んだ。 イノセンスは曳航艦に引かれて月へ到着した。 そこでドックに収容され、破損箇所の気密確保、開放、調査が行なわれた。 驚くべきことに、触雷による死者はたった一人だった。 その一人とは、閉鎖区画に迷い込んでいた幼女だった。 母親が縫ったらしい手製の熊のヌイグルミをきつく握り締めたままの手は傷だらけだった。 軍医官たちはそれが二度と開くことのなかった扉を叩き続けたことによってできたものだと断定した。 ――― それを知ったとき、運用員長の時間も永遠に凍結した。 ○ ● ○ ● ○ ● つまり、これがかの老人が今も運用員長であり続ける理由だった。 彼は基地近くの白い建物を日に一回は抜けだし、街を歩き回る。 ときには大声で呼びかけることもあった。 ――― 子供はいないか! もう誰も残っていないか! だから皆が彼を運用員長だと認めている。 ときには捜索を手伝ってやる者もいる。 たとえイノセンスを襲った機雷が彼が最後まで味方だと信じて疑わなかった統合軍によって仕組まれた“事故”であったという事実を知っていても。 その後、統合軍の3割が火星の後継者に同調し、事件後に統合軍は解体される運びとなったが<ブレイオネ・イノセンス>の名前が軍籍から消えることはなかった。 私が調べたかの老人のことはそんな次第であるから、あなたがサセボを訪れる機会があれば、是非に運用員長を手伝ってはどうだろうか? そしてあなたが尋ねれば、皆が私に教えてくれたのと同じようにこう答えてくれるだろう。 「彼は狂ってなどいない。 ただ、最後の一人まで救いたいだけなのだ」と。 <民明書房『あの戦争』より抜粋>
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代理人の感想
む。
楽しませていただきました。
ただ、ちょっと「タメ」が足りなかったかもしれません。
クライマックスの迫力は十分なんですが・・・。
>かっとなって書いた
・・・あー、微妙にシャレになってないっぽいよーな(爆)。