三度目の始まり



 何もない空間。
 音も光も熱も何も存在しない場所。
 それがこの世にはある。
 少なくとも自分には確実に。
 ただ目をつむるだけでいい。
 それだけで全てが消える。
 テレビの画面を消すより簡単に現れる。
 それは元々そうだとでもいうように。
 お前には何もないのだと突きつけるように。
 忽然と現れる。
 果てしない虚無。
 空っぽのその世界はまるで自分の心のようで。
 笑えばいいのか泣けばいいのか怒ればいいのか。
 それさえも面倒くさく。
 如何でもいい。
 それが正直な気持ちだった。
 少し前は憤ったり嘆いたり絶望したり憎んだり。
 大変だった気もするがもうそんな感情さえ浮かんでこない。
 ただただ面倒くさく。
 何一つやる気がしない。
 だがそうなると、不思議と安らげてしまうのだから面白い。
 何も感じない。
 何も考えない。
 何もしない。
 そうしていると自分が消えてなくなったようで。
 何もかも忘れてしまえそうで。
 本当にこのまま消えてしまいそうで。
 いっそ、そうなることを望んでいるのかもしれない。
 でもそれを考えることすら面倒で。
 何もかも如何でもいい。
 それでも頭は勝手に思考を続けて。
 それなりに結論を出そうとする。
 どうしたいのか。
 何がやりたいのか。
 未だやることでもあるのか。
 つらつらと無意識に考えて無意識に結論を下す。
 自分は死にたいのかもしれない。
 それがそれなりに考えたそれなりの結論で。
 ああ、本当にどうしようもない。
 ろくでもない男だと笑みをもらす。
 笑みをもらして、未だ笑えたのかと自分で驚く。
 驚いて、そんな笑みしか出せなくなった自分に気づいて。
 また笑う。
 もうそろそろ本当に死んだほうがいいのかもしれない。
 限界なのだ。
 正気を保つのも、人らしくいるのも。
 何人もの命を奪い続けた男の死際としては相応しくないかもしれないが。
 もっと苦しんでもっと足掻いてもっと壮絶な最期がきっと相応しい。
 だが、疲れたのだ。
 生きることに。
 もう、やるべきこともやりたいことも終わっている。
 どんな形だろうともう終わってしまっている。
 だからいまここで人生に終止符を打ってしまってもかまわないのだ。
 さいわい人を殺す道具なら腐るほどある。
 誰かに使う代わりに自分に使うだけのこと。
 目を開けるまでもない。
 腰に手をやり銃を抜き取り弾を込め引金を引く。
 数秒で事足りる。
 それでおしまい。
 何もかも。
 数秒で終わりにできる。
 笑える。
 うじうじうじうじ悩み続けていたことは数秒で終わってしまうことなのだ。
 そんな程度のことなのだ。
 だけど。
 カチャ。
 頭に向けられた銃口から火花が散ることはない。
 引金が引かれることはない。
 何かが。
 何かが自分を引き止めるのだ。
 まだ早い。
 まだその時ではない、と。
 何を言い訳がましい。
 そう一笑に伏せない何かが。
 死なせてくれない。
 だから今朝も頭に銃口を突きつけたまま目覚める羽目になる。
 カメラのフレーズの向こうから見たような、微妙に違和感のある景色を目にしながら。
 苦笑いとともに銃を腰に戻す。
 死ねない原因はわかっている。
 朝目覚めるたびに思うこと。
 自分はまだちゃんと妻の顔を見ていない。
 未練がましかった。



 プシュ。
 ドアの開く音を引き連れて食堂へと足を踏み入れる。
 味覚がないというのに食堂で飯を食らう習慣は何故か消えない。
 いっそのこと食堂などなくしてしまえばいいのだが。
 まれに訪れる客人に反対されてしまう。
 自分の船ぐらい自由にさせてほしい。
「アキト、おはよう」
 抑揚のない声で名前を呼ばれる。
 この艦で自分に呼びかけるのは一人しかいない。
「おはよう、ラピス」
 十歳程度の子供に挨拶を返す。
 ラピス・ラズリという自分が名前を与えた子供だ。
 色素の薄い肌に金色の瞳はマシンチャイルドの証。
 しばらく前まである目的のために利用していた。
 情緒が著しく欠けていて他人と上手く交友関係が築けない。
 いま挨拶をしたのもそれが最低限のルールであるという認識から。
 必要のないことは話そうとしない。
 自分にとって都合のいい相手だった。
 他人と会話をするのも億劫な今の状態で、必要なこと以外口にしないこの子供はある意味側にいて一番楽な相手だ。
 だが最近その一番楽なはずの相手の顔を見て微かに罪悪感を覚える。
 朝自分はラピスのことなど欠片も考えはしなかった。
 ただ一刻も早くこの世から消え去りたかった。
 さすがにそれはあんまりだと思う。
 この子のおかげで長年の宿願を果たせたのだから、死ぬならせめて近くの基地に連れて行ってからにするべきだった。
 だが自分はそんなこと欠片も考えずに銃口を頭に向けていた。
 ユリカのことがなかったら確実に引き金を引いていた気がする。
 自分は幼い子供一人を残してどうするつもりだったのだろう。
 きっとそれすら如何でもいいで片付けていた…。
 自責の念に軽く目を伏せる。
 本当にろくでもない。
 次に補給に寄ったらラピスを船から降ろそうと決める。
 ラピスに意思を聞くつもりははなからなかった。


 だから思わぬ反発にあったとき正直戸惑った。
「ラピスはアキトの目アキトの耳アキトの腕アキトの足。ラピスはアキトの身体の一部、絶対に離れない」
 ラピスは熱病に侵されたかのように言い募る。
 それは普段の抑揚のないしゃべり方とは違い鬼気迫るものを感じさせる。
 内心しまったと思った。
 ラピスは情緒が著しく欠けていて他人と上手く交友関係を築けない。
 わかっていたはずだった。
 わかっていたと思っていた。
 全然わかってなんかいなかった。
 他人と上手く交友関係を築けない子供がもし頼れる大人を見つけたとしたら。
 頼れるとまではいかなくとも多少なりとも友好的な関係が築けたとしたら。
 依存してしまうに決まっている。
 それは自分が最も忌避しているものだ。
 またひとつミスをした。
 もっとストイックな関係だと思っていた。
 だが違った。
 もっと早くに降ろすべきだった。
 リンクのこともあった。
 ユーチャリスのこともあった。
 目的を遂げたばかりということもあった。
 だが何を犠牲にしてもラピスは降ろすべきだった。
 目的を遂げた瞬間に。
 一刻も早く。
 そのミスの付けがいま回ってきている。
 できるだけ酷く。
 徹底的に。
 思い知らせなければならない。
 錯覚なのだと。
 お前の抱いている思いはすべて錯覚だと。
 追う気持ちなど微塵も残さぬように。
「目的は遂げた。お前を乗せている理由も消えた」
 リンクは少し前に外している。
 感情が伝わることはない。
「代わりなどいくらでもいる」
 バイザーが顔を隠してくれる。
 声が震えることもない。
「これ以上いても邪魔だ」
 引導を渡して消える。
 もう会うことも、ない。



 ラピスと別れて二週間。
 もうひとつのミスと出会った。
「見つけました。アキトさん」
 ホシノ・ルリ。
 まだ自分が満面の笑みを浮かべられた頃の知り合い。
 元ナデシコのオペレーター。
 今では艦長をしているらしい。
 出世したもんだ。
「意外と簡単に捕捉できましたが何かありましたか?」
 皮肉まで言えるようになっている。
 以前も思ったが中身も成長しているということだろう。
 無表情なのは変わらないが。
「なに、ラピスを降ろしたもんでね」
 それだけいうと伝わったのかルリちゃんは軽く顔をしかめる。
 ごく微かだが。
「帰ってきてください…といっても通じないんでしょうね」
 訳知り顔でため息。
 そう思うならわざわざ聞かないでくれ。
「テンカワ・アキトは死んだ。いったはずだが?」
 半分本音半分建前でいう。
 心の底にある願望に気づかれたくはない。
 今更どんな顔をして会えというのか。
 どうして今更、会いたいと思うのか。
 もうこれ以上のミスはごめんだ。
 ラピスの事もそうだがルリちゃんの事だってそうだ。
 本当は会う気なんてなかった。
 成長した昔馴染みの姿につい感傷を抱いたばっかりに。
 付けがいま回ってきている。
「そう思ってるのはアキトさんだけですよ」
 ルリちゃんの言葉を皮切りにそれは起こった。
「ねえ、ユリカさん」
 ユーチャリス艦内にボソンの光。
 ボソンジャンプ。
 自分以外のA級ジャンパーは二人。
 二人のうちこんな無茶をやる奴は一人しかいない。
「ひさしぶり。アキト」
 ミスマル・ユリカ。


 その光を見た瞬間に誰なのか一目でわかった。
 会いたくてでも会えない。
 会ってはいけない。
 それでも思わずにはいられなかった人。
 ミスマル・ユリカ。
 その声を聴いた瞬間に今まで積み上げてきたものが崩れそうになった。
 絶対に戻らないという決意が。
 たった一言で。
 でもここで折れてはいけない。
 たとえここで自分が折れても。
 元には戻れない。
 元の自分には戻れない。
「えへへ。ラピスちゃんに連れてきてもらちゃった」
 ユリカの隣には抱きつかれる格好でラピスが連れられていた。
 そう。
 たとえA級ジャンパーでも行ったこともない場所には行けない。
 遺跡に繋がれない限りは。
 つまり、ユリカはラピスの記憶だけを頼りにここに乗り込んできたのだ。
 相変わらずだ。
 きっとそんなこと誰もやったことはない。
 初めての試みだったはずだ。
 なのにのほほんと何でもないような顔でやり遂げてしまう。
 変わらない、何も。
「アキト…」
 ラピスがすがるような目つきでこちらを見上げてくる。
 あれだけいったのに。
 結局、追ってきてしまった。
「いけませんよ、アキトさん。好きな人において行かれるのは胸にポッカリと穴が開くんですから」
 ルリちゃんがぽつりとそうもらした。
 そうだった。
 俺とユリカは新婚旅行に行ったまま帰ってこなかった。
 ルリちゃんはきっと誰よりもラピスの気持ちがわかるのだろう。
「そうそう。おいてっちゃメだよ、アキト」
 ユリカもうんうんと頷く。
 ユリカが救出された後、俺はユリカに会いに行かなかった。
 そういう意味ではユリカも同じなのかもしれない。
「ほら、帰ろ。アキト」
 ユリカが手を伸ばしてくる。
 帰る。何処に?
 ナデシコに。
 誰と?
 皆で。
 それができたら……どんなにいいか。
「テンカワ・アキトは死んだ。当の昔に」
 俺はユリカの目を見てはっきりと言う。
 テンカワ・アキトは死んだ。
 皆で帰ることはできない。
 ここにいるのはテンカワ・アキトの亡霊だ。
 亡霊は怨念だけが存在理由。
 復讐を果たした亡霊は消えるだけ。
「う〜ん。それじゃアナタはどちら様で?」
 ユリカがふざけた調子で言ってくる。
「家出したダンナ様を捜してるんですけど知りませんかね」
 ご丁寧にきょろきょろと捜しているジェスチャーまでしてくる。
 付き合ってられない。
 くるりと踵を返して離れる。
 近くの基地までジャンプする。
 ユーチャリスは放棄することになるが近くで手頃な船を手に入れるか、それともホントに死ぬか。
 これ以上ユリカの顔を見ていたくなかった。
 決意が揺らぎそうで。
 だが突然身体が引っ張られて動けなくなる。
 振り返るとユリカが服を握り締めていた。
 すがりつくような眼で。
「あの頃だって似たようなものだったよ」
 見るな。
「憶えてる? 初めてナデシコで会った日」
 そんな眼で見るな。
「うれしかったよ? また会えてうれしかったよ? でもなんだか膝が震えるほど恐くてさ…」
 そんな泣きそうな眼で。
「十年だよ? 十年。アキトったら昔となんだか違っててさ。恐かったなぁ……」
 俺を。
「アタシのこと覚えてないのかな、忘れちゃったのかなって。でも」
 見るな。
「やっぱりアキトはアキトでさ。優しいところはぜんぜん変わってなくて」
 今にも泣きそうなくせに。
「アタシはやっぱりアキトのこと好きになって。でもアキトがどうか不安で」
 そんな顔を。
「ねえ。今だって同じだよ」
 そんなに優しい顔をするなよ…。
「ちゃんと話さないと。ちゃんと一緒にいないと。不安だよ」
 ユリカ……。
「ねえ。ちゃんとよく顔を見せて」
 ユリカの手がバイザーを取っていく。
 心を覆う鎧を取っていく。
「アキト」





 結局俺はユリカには勝てなかった。
 捕まって連れて行かれて色々話して。
 最後はいつものように皆集まって騒いで。
 ナデシコらしい騒動だった。
 でも俺は昔のテンカワ・アキトではない。
 一見元に戻ったように見えてもそれは違う。
 元の自分に戻ることはできない。
 でもあいつは笑ってこういうんだ。
「だいじょうぶ。アキトはアタシのことが大好きなんだから!」
 そうだな、きっと大丈夫。
 一度目は地球に行くお前を止められなかった。
 二度目はさらわれていくお前を救えなかった。
 でも。
 約束する。
 今度は幸せにするから。
 三度目を始めよう。
 二人で。













あとがき
 初めまして。空也です。
 色々ぽややんと浮かんでくるものがあったんで投稿してみました。
 なにぶんユリカスキーなんでご都合主義的な所があるかもしれませんがよろしくお願いします。
 ちなみにこれ一日で書きました。
 いま徹夜明けでふらふらです。
 何故ここまで自分を追い込むのか自分でも謎ですが頑張りました。
 それでは、またいつか会えることを願って。

 

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

投稿ありがとうございました。

ベタですが、まぁ良かったかなと。

ただ難を言うなら「アキト帰還もの」以上の何かが1つ欲しかったかなと思います。