雪が舞い、世界が純白に包まれる。
その中で一つ影が動いた。どこまでも真っ白な世界の中に真っ黒な影。傍目にはただの黒い塊にしか見えないが、よく見るとその呼吸に合わせて微かに上下しているのがわかる。本来なら漆黒ともいえるマントは雪に染まり白く斑だった。
雪が吹き付けた。男の吐いた息とともにそのバイザーを白く染める。
――――――これで終わり
その影――テンカワアキト――は呟くように微かにそう唇を動かした。
Snow Drop
作 Lion
薄暗い部屋に悲鳴が上がる。その悲鳴に塗り潰すように銃声が響いた。
薄汚れてくすんだ白になっている床に倒れている人は全部で六人。そのいずれもが、一目で研究者であると示す白衣を赤く血で斑に染めていた。
ただ一人、部屋に立っているテンカワアキトは自分が撃った研究員たちに一瞥もくれず、散らばった研究資料を広い集める。研究者が撃たれた際に手に持っていたのか一部は未だ宙を舞っていた。
アキトは一通り内容に目を通すとそれを投げ捨てた。
「ここも違う、か……」
捨てられた紙は血だまりの上に落ち、その色を赤く染めた。
もうここに用はない、と踵を返した時に金属が擦れ合うような音がアキトの耳に入った。ひどく聞きなれた、それでいて今、聞こえるはずのない音。体に染み付いたものに任せて懐から回転式拳銃を抜き、音がした方へ向き直る。
そこには腹部を血で染めて、息を荒げながらも自動式拳銃を構える男がいた。
「ちいっ―――」
互いに銃を向け合い、アキトだけが躊躇うことなく引き金を引く。
「――ひいっ」
恐怖に怯む男に対し、部屋にはカチリと咬み合うような音だけが響いた。
呆然とする両者。
「……っははは、弾切れとは運がなかったね。―――さよならだ」
「くっ」
非現実的な状況の中でのあり得ない事態に逆に冷静さを取り戻したのか、男は顔を歪ませ今度こそたしかに引き金を引いた。
迫り来る銃弾を避わすように身を捩ったアキトの胸に銃弾が飛び込んだ。吹き飛ばされるように床を転がるも、直ぐに起き上がってそばにあった鉄製の机の陰に隠れた。
「……っ、なんでだよ。確かに当たっただろ。……死ねよ。おとなしく死んでろよ――！」
男はアキトが隠れている机に対し何度も繰り返し引き金を引いた。そのたびに銃弾が机を掠め、甲高い音が鳴っていく中でアキトは銃倉に一つ一つ冷静に弾を込めていった。
そしてカチリと自動式拳銃が空虚な音を立てた。それでも必死に何度も引き金を引く。そのたびに空虚な音は鳴り、男の顔を青くさせる。
アキトが男の目の前に立ち、ゆらりと銃を上げた。
向けられた黒い銃口に呑まれぬように何度も、それこそ狂ったように何度も男は引き金を引く。その様はさながら道化師じみてアキトの失笑を買った。
「ああ、そうだな。――――――さよならだ」
もう飽きた、そんな韻を踏ませて、別れの言葉と銃弾を吐き出した。弾は逃げようとしていたその背に当たり、男は倒れた。
アキトは倒れた男へとにじり寄った。その背中を踏みつけ、
「―――餞別代りだ。もう迷うな」
残った弾をすべて頭部へと撃ち込んだ。
一体一体丁寧に止めを刺していたアキトの顔を赤い非常灯が照らす。癇に障るサイレンの高い音が室内の異常を所内全部に告げていた。
「ちっ、さすがに時間をかけ過ぎたか」
アキトは目を閉じ意識を潜行させた。体を駆け巡るナノマシンの群れが活性化する。
時間にしてほんの数秒、その一瞬間に身体を、意識を、跳躍ぶためのものへと一変させた。
「―――ジャンプ」
合言葉を言うことで意識内に出来た引き金を引く。活性化したナノマシンが顔に光を走らせ、照らす非常灯の赤とで幻想的光を織り成した。
アキトは目を開けた。その目に映る景色は何の変わりもなく、赤と白との色彩がある種の非現実ささえも引きこす。
「これは―――」
一体、と言うより早く目眩がした。ジャンプの際のイメージングもこれ以上ないほど完璧だった。それ故にこの状況が信じがたい。
不安を振り払うように大きく頭を左右に振った。最善を取るために状況を確認する。
『非常事態に出くわしたときに、素早く思考を切り替えられなければ死ぬだけだ』
「くっ、――――――言われなくとも」
自らに諜報活動のいろはを叩き込んだ男の声が聞こえた気がして、アキトは思わず毒づいた。
深く深呼吸をして、思考を走らせる。現状において、出来る事、出来ない事、有り得る事、有り得ない事、すべてを一つ一つ判断していく。
視線を走らせる。そうしてある一角が視界に入ったとき、力強く地面を蹴っていた。勢いそのままに、柱にあった奇妙なへこみに対して後ろ回し蹴りを放った。派手な音を立てて穴が開く。人がかがんでやっと通れそうな穴の奥には梯子が見てとれた。
「フン……、やはりな」
アキトは迷うことなくその穴に飛び込んだ。上へと伸びた梯子は幽かな光に照らされ銀に輝き、さながら話に聞く蜘蛛の糸のようで―――
「―――それでも、登るしかあるまい」
誰に言うでもなく呟くと、アキトは力強く梯子に手をかけた。
白。見渡す限り一面の銀雪の平面。すべてが静止し死に絶えた世界。
「――――――なんて、」
滑稽だ、アキトはそう言い続ける気力さえもなく、思わずその場にへたれこんだ。
脱出できたと思った最後の最後で裏切られた、これを滑稽といわずになんと言おうか。力なく自分が出てきた扉を叩く。防犯のためなのか外側からは開く気配はなかった。
「こっちの異常に気づいて助けが来るのが先か、それともこっちが参るのが先か」
体温を奪われないようにマントに包まり縮こまる。その際にマントに付いたジャンプフィールド発生装置が目に止まった。先程の異常な事態を思い出し、手にとって確かめてみた。その漆黒い機械には無骨な銃弾が埋まっていた。
くつくつとアキトは喉の奥で笑った。場合が場合でなければ、自分の悪運の程に声を高げて笑っていたかもしれない。
「自分の命を助けたモノが、逆にじわじわと命を削いでいく。ハッ、笑えないな」
―――天罰かもしれない、舞い上がった思いの陰で不意にそんな言葉が脳裏を過ぎった。そのまま何かに略奪われるように心の熱が退いていく。
そんな凍えた想いのままアキトにとって悠久とも思える瞬間が過ぎた。自分が殺した―――あるいは殺したかもしれない―――人間の顔が何度も巡っては消えていく。
『……なぜ殺した！』
―――目的のため―――
『死にたく……ない』
―――運がなかったと諦めてくれ―――
『どうしてお前だけが！』
―――俺にも分からない―――
『……痛い、痛いよ……』
―――殺すことでしか楽に出来ない―――
『貴様もッ、地獄へ堕ちろ』
―――もとよりこの身は地獄へと落ちている―――
感慨なく言葉が死者へと返されていく。
実際には、死者の言葉一言一言が、鋭利な刃物となって確実にアキトの心に突き刺さっていた。けれども凍て付いた心が、悲しみも、怒りも、絶望もなく、死者の言葉を捉えさせていた。
『―――死ね』
不意にアキトを取り囲んでいた顔の一つが、醜悪にその表情を変えて呪詛の言葉を吐いた。波紋が広がるようにアキトを取り囲むすべての顔が、大人も子供も老人も、男も女も関係なく口々に呪詛の言葉を吐いて逝く。際限なく増えていく顔が、やがてあたりすべてを覆いつくした。
『死ね、死ね、腐れて死ね、もし、爛れて死ね、やり、乾いて死ね、なおせ、餓えて死ね、ると、焼けて死ね、したら、溺れて死ね、どう、裂かれて死ね、する、砕けて死ね、とにかく死ね、とにかく死ね、とにかく死ね、とにかく死ね、とにかく死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死』
何かがアキトの胸を穿った。
（今、なんと言った！？）
絶え間なく吐き掛けられる呪詛の言葉も、もはやアキトの耳へと届かない。
赤黒く濁った血のような声の中で、白く透き通った声が先程確かに聞こえた。
「――――――『もし、やり直せるとしたらどうする？』」
切れ切れだった言葉を繋ぎ直し、口にした。瞬間、闇はすべて消えていた。
闇が晴れた先は白。見渡す限り一面の銀雪の平面。先程までと何も変わらない中で一つ、白いドレスに身を包んだ少女がいたことだけが違っている。けれども、そのまま周囲に溶け込んでしまいそうな白い肌と細い銀糸のような髪のおかげか、世界はさほど変わりなくそこに存在していた。
「もし、やり直せるとしたらどうする？」
少女は無邪気にクルクルと回ると、先程アキトが呟いたのとまったく同じ言葉を呟いた。
「――誰、だ……？」
突然目の前に現れた少女に対して、まったく働かない頭を無理矢理回して、必死にそれだけの言葉を言う。対して少女はクルクル回るのを止め、アキトの方へ一歩歩み寄ったかと思うと、
「もし、やり直せるとしたらどうする」
と、したり顔でまったく同じ事を繰り返した。
「やり、直し……？」
「そう、やり直し」
「――やり直すって、……一体、―――何を？」
寒さのせいか呂律が回らず、やっとで答えたアキトの返答に不満なのか、少女は整った眉を顰めると、ひとさし指を立てて言い聞かせるように続けた。
「決まってるじゃない、貴方の人生」
「俺――の、人生？」
「そう、平穏さえも望めず、運命にすら裏切られ、――――――そうして今、ここでこうして朽ち果てようとしている貴方の人生を、よ」
そう言って少女は、まるであらかじめ決められた役を演じるように両手を高く掲げると、そのまま年不相応な声の調子のまま続けた。
「それがやり直せるとしたら。けして夢でも、幻でも、架空でもなく、確たる現世として。やり直してみたい、一度たりともそう思ったことはないの？ そして今、それが出来るとしたら？」
視線を遮るバイザーなどないかのように覗き込んでくる真摯な瞳。その瞳同様に、少女の提案は酷くアキトにとって蠱惑的なものだった。
何も答えないアキトに痺れを切らして、少女が顔をしかめた。
「何を悩む必要があるの。全てが貴方を否定しようとするのなら、貴方も全てを否定してしまえばいいんじゃないの？ 貴方にはその資格がある。理由がある。手段がある。なら、そうしてしまえば良いじゃないの―――」
「……ククッ、ハハハッ、ハハハハハハハッ」
アキトは笑った。狂ったように、悟ったように、諦めたように。
その様に満足したのか、少女はアキトの頬に手を当て誘う。
「――――――さあ、貴方はどうする？」
ほとんど迷うことなくアキトは動いた。先程まで寒さにかじかんでいたとは思えぬ素早い様は、ある意味洗練され、優美ささえ感じさせるものだった。
「俺の返事は、これだ―――」
懐にあるホルスターから銃を抜き撃つ。初めからそうであったように少女の眉間に黒い穴が穿たれた。―――故に、少女の目は変わることなくアキトを見ていた。
「この世界を否定する？ ――――――ふざけるな！」
二度目の銃声が響いた。
「……ユリカや、ルリちゃんや、みんなが……、それこそ血を吐くような思いをして勝ち取ったこの世界を否定する？ 冗談じゃない。俺一人の独善で、そんなことっ。―――誰かがこれまで積み重ねて来て、今も積み重ねていて、これからも積み重ねてそうして存在しているこの世界を否定することなんて、しないし、させないし、出来やしない！！」
思いとともに銃弾を吐き出す。ここにきて5つの穴が少女の顔を歪に歪めていながらも、その目は未だアキトをジッと、それでいて冷やかに見つめていた。
それでアキトは唐突に理解した。アレがこの世界に溶け込んでいきそうなのではなく、この世界の一部を切り取ったものがアレなのだと。
それで銃のグリップを握る手により一層力がこもった。
「―――だから……、俺はっ―――」
歯を食いしばり少女に向き直る。非難めいた色の瞳を真っ直ぐに撃ち抜く。
「逆行など、――――――しない」
最後の銃声が響いた。
ただ風の吹き抜ける音だけがする。少女が今までそこにいたという痕跡などそこには一切残っていなかった。
弾を吐き出しつくして熱を持った銃身に一片の雪が落ちた。それはそのまま解けて涙の雫のように伝っていった。
緊張が解けたのか、そこで初めてアキトは大きく息をついた。それでも一つだけ胸に解けずに残っているものがある。
「『もし、やり直せるとしたらどうする？』、か……」
少女に問われた一言を呟いた。今までのことが夢か現かなどは関係ない。この一言だけが耳の奥でいつまでもリフレインしている。
「足掻くんだろうな、やっぱり」
白く閉ざされた空を仰いで自嘲気味に答えた。ここで死んでいく今だから許されたｉｆ、その想像は過去に戻ってからの事にも及ぶ。
「助けたいから足掻いて、良くしたいから足掻いて、認められないから足掻いて―――」
そこまで言ってアキトははたとあることに気付いた。知らずの内に左手に力が入って、握られていたジャンプフィールド発生装置が軋みをあげる。
「ふざ……けるな―――」
尖ったパーツが手に突き刺さるのを気にする様子もなく、アキトの手により一層力が込もった。
「やり直せたら足掻く、だって？ ―――ふざけるのも大概にしろもしこうなら、だって！？ まだ俺は死ねないだろ、今こんなところで死ぬわけにはいかないだろ。だから……、今ここで足掻かなきゃいけない、――――――今生きなくちゃ意味がないんだよっ！」
圧力に耐えかねて手の中でジャンプフィールド発生装置が砕けた。疫災を呼んだそれからキンと澄んだ音を立てて青く澄んだ宝石が零れ落ちた。
「C･C……？」
雪の上に落ちたC･Cとアキトとが互いに響きあい、周囲を青い燐光が舞った。
「まだ生きて、足掻いて見せろとでもいうことか……？」
それは奇跡でも運命でもなかった。ただそこには結果があるだけ。それでもアキトはここであったすべての事に誰かの作為を感じずにはいられなかった。
「フン、――――――ジャンプ」
その一言を最後にアキトの姿は掻き消えた。後にはただ、ここにあったもの全てを消し去るように雪が降るだけだった。
Fin
＜後書き＞
始めましての人は始めまして、そうでない人はお久しぶりです。Lionです。ギリギリでシーズン内でホッと一息。考え付いたのが初雪か二回目の大雪が降っていたころだから…、制作期間は一ヶ月ってところですかね。
とりあえず、もう季節外れだというツッコミは却下の方向で。
書いてる間にとあるゲームはするは、とある小説は読むはで、そこからいろいろ影響を受けてますね（笑）。何かはここでは秘密。
短いように思われる人もいるでしょうが、これでも精一杯引き伸ばしたんですよ！ 初めは『あ、これ5Kぐらいで終わりそうだなｗ』とも思ってたんですけど、さすがに不味いなってことで通常の三倍に！！ …あ、正確には初期の三倍か。
ちなみにHTMLですが、ぼろぼろさんのを参考にさせていただきました。
そろそろ時間もよろしいようで、意見、要望、苦情その他はこちらまで。それではまた次回作で会いましょう。まあ、運がよければですけど。
ゴールドアームの感想。
指名感想人、ゴールドアームです。
雪の中、謎の存在とふれあい、ある機会を否定して絶叫するアキト。
それは一つの決意。
なかなかいい目の付け所です。
短いお話の中に、ある一つのメッセージが込められた、いいお話です。
佳作と言えると思います。
残念な事は、あくまで佳作でしかない事でしょうか。
いい雰囲気は出しています。
メッセージが、伝わってきます。
但し、それだけです。
重いテーマですが、さらりと流すだけで終わってしまう点が残念です。
いわゆる「オチ」に当たるものが無く、エンターテイメント性が弱いのが、欠点と言えます。
決して駄作ではありません。
ただ、『短編小説』としてみた場合、読者として物足りないものを感じてしまうのです。
残念ながら、この話に手を加えてより面白くするのも、無理な話ですが。
このお話は、きちんと完結していますので。
このような、一編の詩のようなお話にも、いい味があります。
ですが、これに満足して欲しくはありません。
料理で言うなら、よくできたお吸い物のような感じなのです。
更に上を目指してください。
これが、今回の私の感想です。
ゴールドアームでした。