……………
何本ものコードに繋がれ、巨大な水槽の中に今日も眠り続ける。
何もすることはなく……何も考えることもなく。
以前までは、時折思い出したように外に出されては実験や能力の測定を受けていた。
何度も体を削られ、理由もわからず言われたカリキュラムだけをこなしていた。
だけど、思った通りの結果が出なかったから、私は用済みになった。
もう、私は必要ないんだ……
私を作り出した人間がいつものようにこの部屋に入ってくるけど、私には目もくれずに何か別の作業を始めている。
「なあ……C−028のことだけどさ、どうすればいいと思う?」
しばらくすると私を見上げ、一緒に来た同僚の人と何か私のことを話し始めたみたい。
私の廃棄が決まったのかな……
でも、それももうどうでもいいこと。
一抹の寂しさと、大きな安堵とを感じながら、夢もなくただ眠りつづける。
私のすべてが終わる日を、静かに待ちながら………
機動戦艦ナデシコ another story
―― Dual Darkness
――
Chapter1:もう一度、『はじめまして』
stage2
「なあ……C−028のことだけどさ、どうすればいいと思う?」
レポートの作製も終盤を迎えたところで、目の前の培養槽に浮かぶ試験体に目をやりながら同僚に問い掛ける。
「C−028?
あぁ、この失敗作のことか……」
同じように目の前の培養槽を見上げる同僚に、頷いて返す。
そう、『失敗作』。
人間研究所で造られたホシノ・ルリのような、『完璧なマシンチャイルド』の完成を目指して造られたプランCの一号試験体だ。
だが、その成果ははっきり言って思わしくなかった。
オリジナルどころか、プランBの成功体ほどの情報処理能力も安定性もなく、他に目立った特長もない。
何か価値があるとすれば、プランBでは試されることのなかったナノマシンの投与を試しただけ。
ある程度に育つまでは観察が続けられていたが、それもこれと言った成果は上がらなかった。
「どうするって聞かれてもな……
能力の測定も、失敗原因の調査も完全に終わったんだろ?」
「ああ。
この製法では、どんなに上手くいったところでプランBやオリジナルと比べられるほどの完成体は造れないとよ。
プランCは完全に失敗、本日の22時付けで計画の破棄が決まったよ」
今作成中の研究結果をまとめたレポートさえ完成すれば、俺はプランCのチーフを解任されてこの試験体も用済みだ。
10年近くこの研究を続けてきた俺としては、非常に残念な限りである。
これらの研究は、かつて禁止された受精卵の状態からの遺伝子操作によるマシンチャイルドの製法を元にしている。
非人道的だからと言われて廃棄させられてしまった研究だが、我々はそれをもう一度作り出そうと研究している。
かつての研究で完成したマシンチャイルドを『オリジナル』と呼び、それを我々の手でもう一度再現しようと言うのだ。
だが、惜しむらくは遺伝子操作の禁止に伴いそのすべての研究資料まで廃棄されてしまっていたことだ。
当時研究に参加していた研究員も今では亡くなっていたり消息不明になってたりで、おかげで0から研究し直しになってしまった。
その結果、かれこれ10年近く続けているがいまだこの研究は完成していない。
ちなみに、プランAがオリジナルを模倣した作り方。
だが、実際に試してみると何か足りないようで、現在この研究は停止している。
受精卵に手を入れても普通に育たなかったり、成長が止まってしまったり、長く生きられないことが多々あったのだ。
そのため、我々の手では今のところオリジナルの作製は成功していない。
そんなプランAの改善案として考え出されたのが、プランBとCだ。
プランBはオリジナルの遺伝子によるクローニングで、オリジナルの複製品とも言える存在。
今のところこの方法が1番成功率が高いのだが、オリジナルより代を重ねるに連れて能力が劣化していくのが最大の問題点。
まるで、質の悪いコピー機のようだ。
現在のところ、最もオリジナルに近い能力を有したのがB−027で、他にも若干それには劣るものの成功と言えるのが何体か出来ている。
プランCは試験体が赤ん坊まで育った時点でオリジナルと同様の遺伝子操作を加え、成長させようと言うもの。
受精卵からの赤ん坊まで成長できる確率が低いことから考えた案だったが、そこまで行くと脳の形成がほとんど終わってしまっているため逆に望み通りの能力を引き出すことが出来なかった。
下手に遺伝子をいじりすぎると体がそれに耐え切れなかったり、加減したらしたで普通の人間と変わらなかったり。
その中で唯一の成功体とも言えるのがC−028だったのだがそれでも期待通りとは行かず、結局このやり方は間違ってたと言うわけだ。
「んな処分品のことはわざわざ俺に聞かないで、所長にお伺いを立てろよ」
同僚のすげない言葉に、眉をしかめながら反論する。
「マキビ所長にか?
あの人が聞いたら、B−063のときみたいにまた自分が引き取るとか言いかねないからな……」
「ははっ、違いない」
その言葉に、同僚の何人かが笑い声を上げる。
表向きにこの施設のチーフを任されているマキビ所長は、俺らと違ってまだまだ研究者になりきれていない。
以前たまたま顔を合わせてしまった実験体のひとりを引き取って、名前まで与えて世話をしているのだから。
まったく、何を考えているのだか……
「んじゃ、いつも通り処分しちまっていいんじゃないか?
失敗作じゃもうこの研究所には必要ないし、下手にどこかに残して俺達の実験内容がどこかに漏れでもしたら困るだろ?」
「ん、やっぱそんなところか」
結論が出たところで、レポートの最後のまとめに取り掛かろうとするが…
「『失敗作』に『処分』、か……
自分達の都合で勝手に生み出しておきながら、なかなかいいご身分だな」
「誰だ?!」
不意に響くダークトーンの声に、俺達は一斉に振り返る。
視線の先にいつの間にか立っていたのは、バイザーで顔の半分以上を隠した黒マントの人影。
だが、その場所にはつい先ほどまでは誰もいなかったはずだ。
俺はそいつの放つ怒気に本能的な恐怖を感じ、思わず1歩後ずさってしまう。
「キ、キサマ、いったい何者だ!!
どうやってここに侵入した!?」
黒マントの侵入者を本能的に敵だと感じたのか、同僚が懐から取り出した銃を突きつけながら問い詰める。
「禁止されたはずの遺伝子操作を平然と行い、なおかつ数々の非人道的な実験を繰り返す、か……
何か言いたいことはあるか?」
「我々が作り出したものをどう扱おうと、それは我々の勝手だろうが!!」
すべての感情をさえぎるかのようなバイザーに向けて、俺は恐怖を隠すようにして怒鳴り返す。
何気ない足取りで徐々に近づいてくるその侵入者からは、どこか死神のようなイメージが感じられるからだ。
「人を人として扱わず、自らは造物主気取りか?
これだから研究者というのは気に食わん……」
その死神の威圧感に、俺は1歩、また1歩と自分でも気が付かないうちに後退していく。
「け、警備班! 何をやっているんだ?!
こんなところまで侵入者が来ているぞ!!
おい、警備班!!」
同僚のひとりが慌てて通信機で呼びかけるが、常時20人以上が待機しているはずの警備班からは何の返答も帰ってこない。
「もはや、この場に残されているのは貴様らだけだ。
無駄なあがきはやめて、大人しく消えろ」
「く、くそ!!」
身の危険を感じて懐から銃を取り出そうとした瞬間、俺の意識はぷっつりと途切れたのだった………
「所詮、ネルガルもクリムゾンと大して変わらんと言うことか……?」
まだ今ひとつ動きづらい体を引きずりながら、忌々しげにつぶやく。
秘密裏に人体実験を行っている研究所の数は、クリムゾンほどではないもののその数は10を越えていた。
どうやら、遺伝子操作に関する研究所はここだけのようだが……
また、ここに来るまでに結構体を動かしもしたが、思った以上に体がなまっていることがまた気分を重くさせる。
しかし、研究所のデータを色々と調べていくうちにそんな気分も180度塗り変えられ、倒れている研究者達を本気で皆殺しにしてやろうかとも思えるほどの殺気を覚える。
「チッ……!」
今までどのような実験が行われ、どれだけの数の人間が犠牲となったか、そこには克明に記されていたのだ。
その犠牲者の数は、俺が想像していたのより桁が1桁以上も多い。
「とりあえずシスイ。
ここの研究に関する全情報のダウンロードと、一切のデータの抹消。
及び、ネルガルの裏事情に関する情報を全部調べ上げて欲しいんだが……できるか?」
≪はい。
これだけの設備が揃っていれば、おそらく問題ないかと。
ただし、現在の私の能力では情報収集等しか出来ませんので、データの抹消にはマスターの手を借りることになりますが……≫
「わかった。
それじゃあ、まずはデータのダウンロードから頼む」
≪了解です≫
コミュニケをコンピュータと接続してシスイが作業を始めたのを確認してから、被験体の子達を助けるために培養槽に近づいていく。
そこで俺は、1番手近な培養槽に入っている少女が目覚めて俺を見つめていることに気付く。
年齢は10才前後だろうか?
ラピスとよく似た幼い少女……
だが、髪と瞳の色がラピスとは異なり、この少女は銀に近い感じの水色の髪に、金銀の左右異なる瞳の色をしている。
「待っててね。
すぐにそこから出してあげるから」
俺はバイザーを外して微笑みかけると、その少女は無表情なまま視線を震わせてくる。
≪だぁ…れ………?≫
不意に、脳裏に鈴の音を鳴らすような不思議な声が響いてくる。
目の前の少女が話してるのではないのに、なんでかはわからないがそれがその少女の声であると無意識のうちに理解する。
「俺はテンカワ・アキト。
君を……君達を助けに来たんだ」
≪助…ける……?≫
無表情のままに言葉を繰り返す少女に、ゆっくりと頷き返す。
「ああ。
君達をここから自由にしてあげる」
≪……自由………≫
「もうここで、研究者達の実験に付き合わされなくていいんだよ」
≪………≫
今まで無表情だったその少女の顔に、どこか困惑と言った感じの表情が浮かぶ。
おそらく、今までここの連中にまともに人間扱いされていなかったため、そんなこと考えたことすらなかったのだろう。
「君達は人間なんだ。
いつまでもここにいて、研究者達の言いなりになる必要はない」
そして、隣の培養槽に入れられているもうひとりの少女に視線を向ける。
その少女も俺のことに気付いたのか、いつの間にか目を覚まして俺を見つめていた。
薄紅色の髪に金色の瞳、隣の少女とは色が少し違うだけでそっくりの容姿を持った少女。
この世界の、ラピス・ラズリ……
「君達は、幸せになっていいんだ」
戸惑いを見せる少女達に、言い聞かせるように話し掛ける。
「一緒に行こう」
そう言って微笑みかける俺に、少女達は困惑しながらも微かに頷いてくれたのだった……
「何者かにうちの施設が襲撃されたって?」
会長室へと向かう傍ら、隣を歩くエリナ君に今日のスケジュールを確認してもらっていると最後にそんな報告を受ける。
「はい。
昨夜未明、埼玉の秩父山中にある研究施設に何者かが侵入し、施設、及び研究データの一切を破壊していった模様です。
当時施設につめていたはずの研究員や警備員も、皆行方不明となっています」
「秩父山中……?
はて?
あそこって、何か重要な研究をしてたっけ?」
うちの施設のある場所だったら大体把握しているつもりだったけど、秩父山中と言うのは記憶にない。
特に、襲われそうな類の重要な研究をしているような場所だったら、間違いなく頭に入ってるはずなんだけど……
「表向きにはIFSの研究……軍事技術ばかりではなく、他の分野にもどのような応用が利くのかを調べるための施設となってすが……」
「ですが……なんだい?」
「どうやら副社長が秘密裏に別の研究所として利用していたらしく、実際は何の研究施設かは判明していません」
「おやおや」
そう言えば、確かにそこの研究所の責任者はあの古ダヌキだったっけ。
「しかも、その襲撃犯によって研究データ等の一切が破壊されてしまったため、明確に研究内容を示すものが見つからず……
関係者から聞き出そうにもどうやら表の人間しか残っていないようで、研究内容や副社長との繋がりを知る人間はまだ見つかっておりません」
「それはそれは……」
半ば困ったような感じで苦笑する。
うちの副社長、能力は優秀なんだけどそれなりの野心も持ち合わせてるらしくて、いつも裏でこそこそと何かやっている。
表立って僕に反抗してきているわけじゃないし、結局はネルガルの利益になってるからってことである程度監視の上放っておいたけど……
まさか、それを潜り抜けて何かやっていたとは。
「まあ、あの古ダヌキが何か企んでいたのは初めから承知してたけど……
問題は、アレが何を研究していたかだね。
犯人によっては、かなり困ったことになりかねない」
会長室にまで辿り着き、いくつかの推測を思い浮かべながらドアを開けて部屋へと入っていく。
あの古ダヌキがわざわざ僕達に隠れて何かやっている以上、少なくとも相当やばい研究だろう。
それこそ、下手をすればネルガルそのものの存続に関わってくるような……
もしも犯人がライバル企業のクリムゾングループだったりすると、それこそ目も当てられないような状況になりかねない。
「ですが、諜報員からクリムゾンが動いたと言う報告はありません。
別の企業が動いたという情報もありませんし、警察や国の諜報機関等でしたらこんな回りくどいことはしないでしょう。
それに、襲撃の手口が鮮やかすぎること……我々でさえ知らない情報を掴んでいたことや爆発が起きるまで誰も気付かなかったことを考えると、相当の手練れ、もしくは内部犯の可能性のほうが高いかと思われます」
「内部犯、ね……」
エリナ君がそう言うのなら、そうなのかもしれないな。
うちにだって、気付いているだけでもクリムゾンや明日香辺りからそれなりの数の諜報員が潜入しているからね。
となると……
「やはり、問題なのは犯人の正体と目的か」
そこまで言っていつものように執務机につくが、なぜか今日は微妙に落ち着けない。
何かこう、見慣れたはずの部屋なのにどこか違和感があると言うか……
だけど、エリナ君はそれを感じることなく話を続けてくる。
「残念ながら、現在の状況では犯人像は浮かび上がっておりません。
現場に何ひとつ痕跡が残されていない上、その後に脅迫、及び犯行声明の類はまったくありませんので……
ただ、状況からして犯人はごく少数、もしくは単独犯である可能性が高いと言うのが調査班の報告です」
「単独犯、ねぇ……」
エリナ君自身それが信じられないのか、どことなく自信なさげな声だ。
「しかしまあ、犯人を誰ひとり捕まえることが出来ないどころか、目星すらつけられないとは……
うちの警備班の連中、もう一度鍛え直したほうがいいのかね?」
「会長!
それよりももっと、重要なことがあるでしょう!!」
エリナ君としては内心結構困っているのか、僕の軽い冗談に真面目に突っかかってくる。
そこまで話したところで、不意に違和感の正体に気付く。
どうやらエリナ君はまだ気付いてないみたいだけど……
「となると、やっぱ襲撃した本人に聞いてみるしかないかな?
「何でうちの施設を襲ったんですか?」って」
「何をバカなことを言ってるんですか!!」
少しおどけて見せるが、目の前に立つエリナ君が怖い顔つきでにらんで来るのですぐに口をつぐむ。
「はははっ、冗談だって。
だからそんなに怒らないでよ」
怒る彼女をどうにかなだめながら、椅子から立ち上がる。
「あ、そうそうエリナ君。
悪いけど、今すぐコーヒーを3人分用意してもらえるかな」
「3人分……?
別に構いませんが、どなたか来客の予定でも?
今日のスケジュールには確かそのような予定は……」
「いやいや。
そこにいる彼が何かお話でもあるのかなと思ったんだけど……別にコーヒーで構わないよね?」
「ああ、それで構わん」
「?!」
2人きりしかいなかったはずの部屋から不意に響く3人目の声に、エリナ君がギョッとした表情で振り返る。
普段のりりしい態度からは想像もできないようなその表情に、思わずいたずらの成功した子供のような達成感を覚える。
「あ、あなた、いつの間に?!」
彼女がにらみつけるその先にいたのは、黒いマントを羽織った怪しい青年。
バイザーで隠された顔からは年齢の判断つかないが、僕とそう年が離れているとは思えない。
彼はドアのすぐ隣の壁にもたれかかったまま、腕を組んで僕達に視線を向けていたのだ。
「いつの間にも何も、おそらく部屋に入る前からずっといたよ。
僕達が気付かなかっただけでね」
僕の答えに、それで正解だと言わんばかりに彼は笑みで返してくる。
違和感の正体……
いつもなら誰もいるはずのない部屋に人がいたのに、それと気付かなかったこと。
気配を殺すことで目の前にいても気付かれなくできるとは聞いていたけど、まさか実際にお目にかかろうとはね……
はっきり言って、彼がわざと僕に見える場所にいてくれなかったら今でも気が付かなかっただろう。
その事実に少し寒気を覚えるが、それを悟られぬようにいつもの笑みを浮かべて話を続ける。
「で、本日はどういったご用向きかな?
まさか、僕達を驚かせるためだけにずっとそこで待っていたわけじゃないんだろう?」
「ああ。
いくつかネルガルにお願いがあってな。
一応、話を聞いてもらえると助かる」
その言葉に、若干緊張を緩める。
お願いがあるということは、少なくとも問答無用で襲い掛かってくると言うことはないだろう。
「なるほど。
それじゃとりあえず、込み入った話をする前に自己紹介をしておこうか。
お互い、名前を知らないと呼びづらいしね。
たぶん君は知ってるとは思うけど、僕がネルガル会長のアカツキ・ナガレ。
で、こっちが秘書のエリナ・キンジョウ・ウォン君」
「………よろしく」
いまだ彼に対する警戒と不信感の解けない彼女に代わって、僕が簡単に紹介をする。
「俺の名はテンカワ・アキトだ」
偽名か本名かはわからないけど、思った以上に彼は素直に自分の名前を口にしてきた。
これは、もしかしたら信用してもいいかもしれない。
「それじゃあ、とりあえず君のことはテンカワ君と呼ばせてもらうよ?
その代わり、僕のことも気軽にアカツキと……もしくは、親しみを込めて『ナー君』とでも呼んでくれていいから」
その瞬間、場の空気が一瞬にして凍りつく。
そして、目の前の人物はおろか、隣のエリナ君まで僕を鋭くにらみつけてくる。
「………ハァ。
わかった、アカツキと呼ばせてもらう」
そしてテンカワ君は深く大きくため息をついて、気を取り直して話し掛けてくる。
場を和ませようと思っただけなのに……
「そういうわけでエリナ君、飲み物をお願いできるかな?」
あまりにも居心地が悪いので、取り繕うように話題を変える。
「ええ、わかったわ」
エリナ君は最後に冷たい一瞥を僕に投げつけ、コーヒーを作りに隣の部屋へと向かっていくのだった。
それから少しして、コーヒーを持って俺達は接客用のソファーへと場所を移す。
「で、わざわざ君がここまで来てくれてのお願いとは、いったい何なんだい?」
アカツキがコーヒーの香りを楽しみながら、まるで天気のことでも話題にするかのように普通に話し掛ける。
その言葉にエリナは体を緊張させるのを横目で見ながら、俺はコーヒーに2杯目の砂糖を入れてかき混ぜる。
「……意外に甘党なんだね」
とりあえず、アカツキのその一言は無視しておく。
「俺からの願いはふたつ。
遺伝子操作を始めとする非人道的な実験をすべて廃止して、もう2度と行わないで欲しいことと……」
「何ですってぇ?!」
そのことは初耳だったのか、俺の言葉にエリナが激昂する。
目の前のアカツキはあまり驚いた素振りは見せないが、それでも多少は驚いているらしい。
コーヒーを口元に運んだポーズのまま、何かを考えるかのように動きを止めている。
「そして、それらの実験の犠牲になった子供達に相応の償いと保護をして、きちんとしたひとりの人間として扱ってやって欲しい。
もちろん、もう二度とネルガルの利己的な実験に巻き込まないことを前提としてだ」
俺の言葉が終わると同時に、アカツキが苦笑しながら反論してくる。
「おいおい。
遺伝子操作は非人道的な行為だからと言って、過去に禁止されているだろう?
いくらネルガルでも、そこまではやってないさ」
「……なるほど。
さすがのネルガルも、1枚板と言うわけには行かないか」
そんなアカツキに対して、俺は懐から1枚のデータディスクを取り出す。
「これは?」
「昨晩俺が襲撃した研究施設に関する、データの1部だ」
「?!」
俺の何気ない一言に、エリナがビキッと硬直する。
まあ仕方ないだろう。
その言葉を真に受けるとすると、今自分達の目の前にネルガルを狙う凶悪なテロリストが座っているわけなのだから。
「はははっ。
君はなかなか面白いうことを言うなぁ」
「まあ、信じるか信じないかはお前達の勝手だがな」
乾いた笑い声を上げるアカツキだが、その目は打って変わって真剣だ。
「とりあえず、まずは君の持ってきたデータとやらを見せてもらおうか。
それからでも、話は遅くないだろう?」
俺はコクリと頷き、アカツキにディスクを渡す。
そしてアカツキが手近な端末でディスクを読み込むが、その内容を見た途端アカツキまでもが絶句する。
「お、おいおい……
これが本当なら、ネルガルはさしずめ悪の総本山って言う感じじゃないかい?」
アカツキは絞り出すように声を出して冗談半分に言い放つが、その様子を見ると本当にアカツキは知らなかったようだ。
ちなみに、そのディスクには禁止された遺伝子操作に加えて各種人体実験など、あの研究所で行われていた研究内容の情報が載せられている。
もしこの情報を公開したら、明日の新聞の1面は総差し替えになってすぐにでも警察がすっ飛んできそうな内容だ。
「何ならもう1枚、他の施設でも実際にどのような研究が行われているかと言った情報を載せたディスクもある」
懐からもう1枚データディスクを取り出し、半ば呆けた状態で俺を見つめてくるアカツキに手渡す。
「エ、エリナ君。
さっきの情報なんだけど、心当たりはあるかな?」
「そ、そんなのないに決まってるでしょうが!!」
確認するようにエリナに問い掛けるアカツキだが、なぜか八つ当たり的に怒鳴られて首をすくめている。
「まったく……
あいつってば、絶対裏で何かやってると思っていたらこんなことを……」
「監督不行き届きだな」
「っ……!」
愚痴のようにつぶやくエリナに対し、容赦のないツッコミを入れる。
実際、これは「知らなかった」で済まされるような問題ではない。
「やれやれ。
君の言うことは確かにその通りだけど、なかなか厳しいね〜。
ちなみに、これがもし本当だとするとこの施設にいた研究員達はどうしたんだい?
もしかして皆殺しとか?」
「いや、ひとり残らず捕らえてあるが……
何なら、今から全員殺すか?」
アカツキの問いかけに、半ば冗談まじりで突っ返す。
「い、いやいや、結構だよ」
殺したかったのは山々なんだが、アカツキとの取り引きに使えるかと考えて全員生かしてある。
いや、復讐鬼と化していた頃の俺なら、間違いなく問答無用で殺していただろう。
実際に、数え切れないほどの命をこの手にかけていたのだから。
だが、結局その後に残ったのは虚しい満足感と、虚脱感だけだった。
憎しみの先に、手に入れられるものは何もないと気付いたから……
だから、奇麗事だってわかっていても今は可能な限り無駄に命を奪いたくない。
もちろん、必要ならば再びこの手が血にまみれることも厭うつもりはないが……
それに、奴らには安易な死より苦痛の生によってきちんと罪を償わせたい。
「とりあえず、僕に引き渡してくれると助かる。
彼らには研究の内容と背後関係を全部吐かせてから、きちんと責任を取ってもらいたい」
「……わかった」
アカツキがそう言うのなら、それでいいだろう。
「じゃ、とりあえずその件はここまでということで」
「ちょ、ちょっとちょっと!?」
俺達が勝手に話を切り上げたのを見て、慌ててエリナが口を挟んでくる。
「うちの施設がひとつ跡形もなくつぶされたっていうのに、そんな簡単に話を終わらせていいの?!
いったいあれで、うちがどのくらい損をしたと思って……!」
「まあまあ、少し落ち着きなって」
詰め寄ってくるエリナをやんわりと静止しながら、アカツキが俺のほうを盗み見してくる。
「考えてもみなよ。
僕達の知らない研究が行われていたってことは、もともとこれらの施設は何の利益もあげていなかったと言うわけだ。
だったら、それが実際にあろうとなかろうと別に構わないだろう?
それに、下手にこのことを最後まで追及したらネルガルが行っていたことも明るみに出かねない。
そうなると、ネルガルとしては命取りだ。
だから、これは全部事故なのさ」
俺自身にそうするつもりがなくても、可能性だけでネルガルとしては冗談にならないのだろう。
アカツキの言葉に、エリナは不満げながらも渋々と引き下がる。
だが、アカツキはそんなエリナの様子を満足そうに眺めながら俺に切り返してくる。
「でもまあ、このままじゃエリナ君もご不満なようだしね。
だから、ひとつ君に聞きたんだけど……
もし僕らが君のお願いを聞いてあげたら、君は代わりにどうしてくれるんだい?」
さすがに会長に選ばれただけあって、それなりに俺の意図も読んでくれたらしい。
『お願い』と言った以上、脅迫や命令とは違って交渉の余地があるということなのだから。
そして、真剣な顔つきになったアカツキと居住まいを正すエリナに向けて、俺はゆっくりと話し始める。
「俺からの願いは、先ほど言った通り。
もしネルガルがその願いを呑んでくれるなら、俺としてもあんたらに協力を惜しまないつもりだ」
「おやおや。
一個人が一大企業に対して、どう貢献してくれるというんだい?」
苦笑するアカツキに対し、俺もニヤリと微笑み返す。
俺のネルガルに対するカードは、何も違法実験の類だけではないのだ。
「火星の奪還、スキャパレリプロジェクトへの協力……
あるいは、その計画の要となる新造戦艦の建造や新型の人型戦闘兵器の開発になら、力を貸せるかもしれんな」
「「……!!」」
その言葉に、今度こそアカツキ達は言葉を失う。
まあ、そのほとんどが一般にはまったく公開されてない情報で、特にスキャパレリプロジェクトともなるとネルガルのトップクラスのものでもない限り知らないような最高機密だからな。
「……ホント、君には驚かされてばかりだね。
研究施設のことと言い、副社長のことと言い、君はどこまで知ってるんだい……?」
いち早く立ち直ったアカツキが、俺の腹を探るように恐る恐る尋ねてくる。
俺の実力と言うわけではないが、確かにシスイの力を借りれば地球圏のほとんどの情報を手に入れられるだろう。
もっとも、オモイカネが完成してルリちゃんのナビゲートが受けられるようになれば、それにはさすがに敵わなくなるだろうが。
「新造戦艦に必要な相転移エンジンに、いまだ欠陥を抱えていることぐらいかな?」
ともかく、今のところはこれ以上のカードを見せるつもりはないのでこの辺でごまかしておく。
だが、それでもネルガルには十分脅威になるようで、アカツキはどこか感心したような恐れるような顔つきで俺を伺っている。
「……いやはや、そこまで知られてるとは。
まったく持ってお手上げだよ」
アカツキは本当に感心したように両手を軽く上げ、お手上げのポーズを取る。
実際、かつて自らの手でブラックサレナを設計、改造を行っていたため、エステバリスの構造はお手の物だ。
相転移エンジンに関しても、詳しい原理はともかく構造は熟知している。
ユーチャリスの設計にも参加した関係で、イネスさんから嫌と言うほど説明を受けたからだ。
「いったい、どうすればそんな情報を手に入れられるんだろうね?」
「……」
アカツキのその問いに、沈黙と笑みで答える。
アカツキも答えが返ってくるなんて思ってなく、やれやれと言った感じで苦笑を浮かべる。
「ひとつ聞いてもいいかな?」
「ああ」
「もし僕がそれを断ったら、どうするつもりだい?」
そのつもりはないのだろうが、どこか興味本位といった感じでアカツキが問い掛けてくる。
「……別にどうもしないさ。
俺達のことを放っておいてくれるなら、あの情報を公表するつもりも、ネルガルの敵にまわるつもりもない」
今のところネルガルに協力することが俺の望みへの一番の近道だとは言え、方法は他にもある。
だから、わざわざ無理強いをしようとは思っていない。
とは言えどちらにしろネルガルはこの先色々と関わってくるだろうから、わざわざ敵対しようとも思ってはいないが……
ただ、警告だけはしておく。
「だが、もしもあの子達にもう一度手を出そうなんて考えるようなら、そのときは容赦はしない。
どんなことをしても……それが例え物理的にでも、絶対に手を出せないようにしてみせる」
わずかに殺気を込めてアカツキをにらみつけると、さすがのアカツキも笑顔が凍りつく。
そして、和やかとまでは言えなくとも緊迫していただけだったはずの空気が、明らかに凍りつく。
『物理的』……
ネルガルの連中を皆殺しにしてでも、あの子達を守ってみせると言うことだ。
その決意をはっきりとわからせたところで、何事もなかったかのように殺気を消す。
場の空気が元に戻り、それでようやく安心したのかアカツキはその顔に再び笑みを浮かべる。
「いやはや、怖いねぇ。
君の場合、本気で実行できそうだからなお怖いよ」
「……しないで済むなら、それに越したことはないがな」
もちろん本音だ。
「まあ、どちらにせよ僕としては基本的に人体実験等には反対的な立場だしね。
僕の知らなかった研究でもあるし、ここまで行くとやり過ぎだとも思う。
だから、僕が知った以上はもう二度と同じことを繰り返させないと約束するよ」
「その言葉、信じよう」
話がまとまったこともあり、俺にもアカツキにも軽い微笑が浮かぶ。
「それじゃ、契約は成立だね。
ちなみに、君が落とした研究施設にいた子達は今どうしてるんだい?」
「今のところは俺が保護しているが……」
そこでいったん言葉を切り、アカツキを試すように問い掛ける。
「アカツキならどうしてくれるんだ?」
「とりあえず、家族のいる子に関してはそのまま家族のところに帰して……
その他の子に関しても、ネルガルの施設に預けるなりネルガルで雇うなりして、ちゃんと面倒を見るよ」
その答えに俺は満足して、小さく頷く。
「と言うことでエリナ君。
今言ったこと、任せてもいいかな?」
「………」
エリナに視線を向けてみると、いつからかは知らないがエリナはすっかり固まった状態だった。
……驚くことが多すぎて、頭がオーバーフローしているようだ。
「と、とりあえず、そう言うことでちゃんとやっておくから」
「あ、ああ」
なんとなく声をかけるのもためらわれたので、そのまま放っておくことにする。
「それじゃ、テンカワ君は今後のことなんだけど………」
そうしてしばらく、エリナをほっぽらかしたままで俺達ふたりは今後のことについていろいろと話を始めるのだった。
Stage3に続く
あとがき、です。
……気がついたらアカツキとの話だけで結構長っ(爆)
本当なら後ほんの少しあったんですけど、長かったんで無理やり切りましたし(苦笑)。
まあ、それはさておき、今回はネルガルのお話です。
ナデシコが発進するまでの1年間、アキト君が何をしているのかということで。
それと、ラピス(達)の登場ですね。
(オリジナルの模倣うんぬんの設定は、オリジナルです)
おそらく読んでもらえばなんとなくわかるでしょうが、B−027がラピスに当たります。
ちなみに、初めの一人語りはC−028のほうです。
劇場版の回想シーン(?)にもありましたけど、ラピスの姉妹はたくさんいましたし、その中には上手くいかなかった子もいるだろうと言うことで……
代理人の感想
むしろ上手くいかなかった子供の方が多いんじゃないかなぁ、と溜息一つ。
価値観が多様化して絶対の善、絶対の悪が消滅しつつある御時世ですが、
こればっかりはもうはっきりと明確な「悪」ですよね。
・・・でも、この「Bプラン」の設定からすると、
ラピスって下手すればルリと遺伝子的には同一人物である可能性もあるんですね。
そこらへんどうなのかなとちょっと興味もあったり(笑)。
同一人物までいかなくても、ハーリーがルリとは兄弟だったとかそう言う可能性もありますし。