時を遡ることおよそ2週間前。


 …舞台は、月。
 砂と、暗闇と、ひとしずくの静寂と。そして星々の輝きによって全てが包まれた、月の海。

 ―――その幾多ある月の海の中の一つ、『嵐の大洋』の片隅に位置する月面コロニーの一角で。







 1.

 …その日私はいつものように、家の手伝いとして4区画離れた商業地区へと出前に出ていたんだ。

 いつものように出前用のカートを押して、いつものお得意様にウチの特製チャーハンセットをお届けして。
 それで空っぽになったカートをごろごろと手持ち無沙汰に転がしながら、退屈な帰り道の中先週テレビでやっていた映画のストーリーを思い出しながら。
 そうして高い高い天井を見上げながら歩いてたんだけど……

 ―――――キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン…!

 「…? なんだろ」
 ふと聴こえてきたその甲高い音に、あたりを見回しながらそう呟く私。続いて通路の向こう側、確か廃材置き場があるほうからなんだか淡い光が漏れてくる。
 そして突然聞こえてきた声。
 「―――ど……わあああああああああああああっ??!」
 「きゃっ!!?」
 その大きな悲鳴と、ガラクタが崩れていくものすごい音と。それにびっくりして思わず小さな悲鳴を上げる私がいて。
 (な……なに? 今の悲鳴って――もしかして蜥蜴が侵入してきたの?? やっば〜、さっさと逃げて警備部さんに通報したほうがいいのかなあ……でもなんだか男の人の悲鳴が聞こえてきたし)
 そしてぎゅっとカートの取っ手を握って、その場で曲がり角の奥を睨みつつ考えること十数秒。
 結局好奇心に打ち負けてその先へと、万が一のために大事な商売道具のカートをさり気なく盾にしつつ近寄っていくと……
 「い…いててててて」
 「―――え? 男の、人??」
 そこには廃材の中に身体を半分ほど埋もらせながら、額を右手で抑えている男の人が一人だけ。慌てて周りを見てみても、他には誰も、蜥蜴なんている様子はない。
 だからおずおずとその男の人に近づいていって。
 「あのう……何やって、いらっしゃるんですか??」
 「へ?」
 そして私の問いかけに、不意をつかれてとにかく驚いたといったような顔をした男の人は、
 「―――って、あれ?…サレナさんは?! 機動兵器は?!!」
 その場で思いっきり立ち上がって、ビックリするくらいの大声でそんなことを言ってきたんだ。


 …きょとんとする私。一人まわりを見回すその人。
 やっと呆然と彼のことを見ている私に気がついたのか、男の人はぴたりと動きを止めて困ったような笑顔を向けてくる。
 「あ、えーと……ごめん。ここ、どこだか教えてもらえるかな?」
 「…はあ」
 続いて出てきたのはそんな、意味の良くわからない言葉。
 私のその間の抜けてるのかもしれない返事にその男の人は苦笑すると、まわりにあるガラクタを押しのけながら廃材の山から降りてくる。
 さっきまで思い出していた、『ひょんな事から出会った知らない男の人が、実は宇宙人の王子様でした』っていうこの間の映画のあらすじが頭に浮かびつつ……まさかこの人ニンゲンだよねぇと思いながら、当のその男の人を見やる私。
 このコロニーには不釣合いなくらいの厚手のダークグレーのコートに、定番のタートルネックの黒いセーター。それに白のパンツを身につけて、少し長めの茶色がかった黒髪は廃材に突っ込んだせいかけっこう乱れていて……

 ……と、そんなその人の右手に、私にとってはもう見なれた物と言ってもいいかもしれないIFSの文様があることに気がついて。

 「すみません、もしかして軍の方なんですか??」
 「え? ああ……正確にはちょっと違うんだけど、まあ今は軍属に近いかな」
 私の視線に気がついたのか、その右の手の甲を見やりながらそう言ってくるその人。
 (…よくよく見てみれば、顔立ちもけっこうかっこいい系だし、なにより優しそうな雰囲気で―――…一応、悪い人には見えないかな?)
 そう思ってとりあえず警戒を解いた私が、声を出そうとした時。
 「うーんとね、なんていったらいいのかな。俺、道に迷っちゃったんだよ。だからできれば近くの――――
 ―――あ、そうそう。ネルガルの支社とか、この辺にないかな?」
 「……はあ。それならここには、ネルガルの月開発部門のビルとかありますけれど」
 そんなまたも事態の良くわからない事を言ってくるその人に、先ほど出前に行っていたお得意様の親会社のことを思い出しながら私は答える。
 そしてその人は少しだけ安心したように肩の力を落とす。
 「…じゃあ、私が案内してあげましょうか? これウチの店に戻してからになりますけれど」
 「ホント?! でも悪いかな、そこまでしてもらっちゃ」
 「いいんですよ。木星蜥蜴と戦ってくださってる軍人さんに冷たくしたら、バチがあたりますしね」
 「そっか…それじゃあ、お願いしてもいいかな?」
 「はい、任しといてください!」

 とまあなんというかどういう風に言うべきか。決してドラマでもアニメでも映画なんかでもなく。
 それがこの私とそのちょっとへんてこりんな男の人――――テンカワ・アキトさんとの遭遇だったんだけれど……








 2.

 …そうして俺がその廃材置き場に思いっきりつっこんでから、なんだか成り行きで久美ちゃんの両親がやっている食堂に厄介になってから数日がたった。

 「ほーら、久美! 月面とんかつ定食あがったよー!!」
 「はぁい! 月面とんかつ定食お待ち!!」
 厨房の横から聴こえてくる、おばさんの威勢の良いその掛け声。その声に負けないくらいに気合を入れた声を返して、久美ちゃんは右手一本で器用にそのトレイを掲げるとテーブルのお客さんのほうへと歩いていく。
 そしてそんな久美ちゃんの仕事っぷりを見ながら、カウンターに立つおばさんのところへと足を運ぶ俺。
 「おばさーん、出前戻りましたー!」
 「あいよ、ごくろうさん。そろそろあがって一休みしておいで」
 「あ、はい。それじゃ、お先に失礼しまっす」
 それからおばさんのその言葉を受けて、おばさんと久美ちゃんと、厨房で鍋を振るっているおじさんに一礼をしてからカートを引きずって裏手へと引っ込んでいって。
 そして一つ、俺は今日も小さなため息をついた。

 (はあ…今日も結局、ネルガルの人たちは取り合ってくれなかったな―――)

 ――俺が久美ちゃんに連れられてこの食堂まできて、ネルガルの月面支社があるというビルに案内してもらう前に…『今』があの時から遡っておよそ2週間も前だと言うことに気がついたのがつい三日ほど前のこと。
 その時最初は、一体何が起きたのか良くわからなかったんだけれど。
 でも久美ちゃんが俺の顔を怪訝そうに覗き込んでくる中…ふとその事実に気がついてから、久美ちゃんの両手を思わず握り締めながら思いっきり喜んで。そんな突然のはしゃぎっぷりに久美ちゃんには『アキトさん、何がなんだかわからないってば!!』って怒られて。

 (…で、それから意気揚揚としたような、なんだか突然の使命感みたいなものを持ってネルガルのビルに行ったのはいいんだけど――――異様に物々しい警備のせいで門前払いを喰らっちゃったんだよな)

 そしてその時のことを思い出しながら、畳の上に座り込みながらもう一度ほんの小さなため息を俺はつく。
 …よりにもよって、ナデシコのIDカードを持っていなかったというのがどうしようもないくらいに俺にとってはキツく効いたみたいで…久美ちゃんの話によ ればもう何ヶ月も前から厳しかった警備の目が、ここ最近2週間ほどはさらに厳しくなったらしく、『身元不明の一般人』である俺はなんとか話をしようにも全 く取り合ってくれていないような状況だったんだ。
 加えて数日前にあったらしい蜥蜴の攻撃のせいでこのコロニーの通信施設も破壊されてしまっていて、現在俺は地球まで…ナデシコまで連絡を取る手段が全くなく。

 ――――そしてなによりも、一緒に月まで『跳んだ』はずのサレナさんの行方は、今の俺には何もわからなくって。


 (サレナさん、無事でいてくれてるのかな…………俺がこうやってここに無事でいる以上、サレナさんもきっとこの月のどこかに――――きっと…)

 しまいには居間の片隅で仰向けになりながら、白く瞬く照明をぼんやりと眺めながら。
 俺にとっては数日前のことで、それでも実際はあと一週間以上も先に起こるはずのカワサキ・シティでの戦闘のことを、俺とサレナさんが『跳んだ』あの時のことを思い返す。
 そしてあの戦闘でボソン・ジャンプに巻き込まれていなくなってしまった―――エリナさんの話してくれたとおりなら、もう…―――そんな彼女の、シーリーさんのことをやりきれないような気持ちで思い出しながら。
 でもそれでもまだ一縷の望みを捨てずに、俺が今から何とかすればきっと彼女は助かるんじゃないかって……俺はそう考えていて。

 ……そう。俺は、もう決まってしまったのかもしれないその『運命』ってやつを、俺が変えることが出来るんだと信じたいんだ。
 そうやって昨日までと同じように、今の状況の中でも挫けずに、俺の知っているあの未来を……なんとしてでも変えてやるって心に誓う俺。それでもまた一日、一日と時間は無情に過ぎていく。
 今の閉じ込められた現状を変えることが出来ないままに、ただ静かにそっと過ぎていく。
 だから次第にどうしようもないまでの焦りと悔しさにだんだんと包まれていきながら…そんな俺のことを、見ず知らずの他人だった俺のことを心配してくれる、おじさんとおばさんと久美ちゃんに囲まれながら、その2週間を俺はもう一度繰り返していく。


 ―――そしてそんな、俺にとっては拷問と言ったほうがよかったのかもしれない2週間は…あっという間に過ぎていって。



 「……テンカワ・アキト君だね? 申し訳ないがネルガル本社から至急の通達があってね、一緒に来てもらいたいのだが」

 その日の午前、彼女が消えた『あの時』はもう遠く過ぎ去っててしまった時間。
 おじさんの食堂に現れたネルガルの人は、俺にとってはこのうえなく冷たく聞こえるその口調でそう言ってきたんだった。










 機動戦艦ナデシコIF 〜メビウスの欠片〜


  第3章 『あまりにも冷たい真実と、逆らいきれない運命と』

  Act1




 3.

 夜のカワサキ・シティ。灰色の景色に包まれた街。
 夕方前には止んでいたその雪が再び降り始めていて、私たちナデシコのクルーの気持ちとはまるで裏腹のように…そこは綺麗な一つのオブジェへと姿を変えていました。
 つい一時間ほど前までのその激しい戦闘で、あちらこちらに瓦礫の山が作られて。そしてその中でエステのパイロットの皆は……アキトさんとサレナさん、そ れに負傷して医務室に担ぎ込まれたヤマダさんと……シーリーさんを除く皆は、残された敵の新型兵器をナデシコへと回収する作業を続けていました。
 そしてそのいっぽうで、このブリッジの中は―――たぶん主な原因は私と艦長なんだろうけれど―――先ほどナデシコに戻ってきた、そのブリッジの中央で平 然とした顔をしながら立っているエリナさんと。それと隣で感情の見られない顔を見せているイネスさん、その二人とは対照的にずっと黙ったままな私達のせい でとても重々しい、刺々しい雰囲気に包まれていました。
 そんな中でもう言うまでもなく、私はもうありったけの憤りを込めた視線でそのエリナさんのことを、アキトさんをあんな目にあわせたその張本人のことを睨みつけます。
 いっぽう艦長は艦長で、私とはまた違うものすごく重い雰囲気をブリッジの上から放ってきていて。

 と、エリナさんはその平然とした、冷静な表情のまま艦長のほうを向きながら口を開いて。

 「…ついさっき、ネルガルの月開発本部から連絡があったわ。テンカワ君は無事に発見・保護されたそうよ」
 「「「え?!」」」
 『ホントか?!!』
 そのエリナさんの言葉に、大きく声を上げる私達と…例の機動兵器の回収作業をしているリョーコさん。
 『アキト君、無事だったの?!』
 『はぁ……これはまた、凄いねぇ。彼』
 『――――そう。生きてたの……』
 続いて他のパイロットの皆さんが口々にそんなことを言ってきます。
 純粋に驚きと喜びの声を上げるヒカルさんと、どこかとぼけたような口調でもいつになく真剣な顔つきのアカツキさん。
 一人、今までに見たことのないくらいに憂いのある、感傷的なような暗い顔つきのイズミさん。
 でもそんななかで……私はそっと胸に両の手をあてながら安堵のため息をついて、少し収まってきたその憤りを心の隅へと追いって。そして視線をチラリとブリッジの上、艦長―――ユリカさんのほうへと向けて。

 「――――」
 (……ユリカさん?)
 その艦長の表情は、ユリカさんの表情は私の予想に何故か反して、喜びいっぱいのものではなく、さっきまでよりは幾分か厳しさの抜けた顔をしながらもまだ気を抜いていないものでした。
 私が心の中でアキトさんの無事を喜んで、そして心に余裕が出来たらふと気になったユリカさんのほうを伺ってみれば…当のユリカさんはアキトさんの無事を喜んでいるのかいないのか、よくわからない状態で。
 そんなユリカさんの表情に私がどこかムッとした気分になっていると、ユリカさんはエリナさんに向かって重い口を開きます。

 「エリナさん。サレナさんは――――アキトと一緒だったはずのサレナさんの無事は、確認できていないんですか?」

 …そして、今までとはうってかわって浮かない表情を見せてくるエリナさん。
 そんなエリナさんの雰囲気に、束の間の安堵感に包まれていた私達はまた、重苦しい空気に包まれていきました。
 『――ほら! でもさ、テンカワの奴が無事だったんだから…サレナも絶対大丈夫だって!! それにもしかしたらシーリーだってさ』
 でも不意にその暗い空気を吹き飛ばそうとしてか、リョーコさんがそう明るくしようと努めた口調で言ってきます。
 それに重なるようにして、ヒカルさんも同じような、ぎこちない笑顔を見せながら口を開きます。
 『そうだよねー。だいいちサレナってばどう見てもウチらの中で一番しぶとそうだし』
 そして二人の言葉を受けるようにしてエリナさんは。
 「…確かにサレナ・クロサキとフォン・シーリーの両名についてはまだ発見の連絡はないけれど、今からおよそ一時間前―――ちょうどテンカワ君達が『跳んだ』時間とほぼ同時刻に、月の連合軍勢力下で謎の大爆発があったそうなのよ。
 それが例の敵機の自爆によるものだとしたら、少なくともその近辺にサレナ・クロサキがいる確率は高いわね」
 「――では艦長。ナデシコはこれから月へと向かい、テンカワさんの回収とその爆発の調査…ということでよろしいのですね?」
 最後に今までの会話を締めくくるようにしてそう言ってきたプロスさん。
 そしてエリナさんは、ネルガルから直接派遣されてきた、『副操舵士』にしてはとっても怪しいその人はゆっくりと肯いて、そんなエリナさんたちの意味深なやりとりを目にしたユリカさんは静かに言葉を返して。
 「…はい。それでは本艦は提督と軍司令部との交信の終了を待ちまして、それから―――――」


 ……その時でした。不意に、本当に突然に、ナデシコにむけて跳びこんで来た長距離通信。

 その私の目の前のコンソールに表示された発進元は――――月。
 発進元はネルガル重工・月開発部、発信者名は……『テンカワ・アキト』

 (―――!!!)

 そしてその発信者名に、私は思わず嬉しさのあまりに大声を上げて。


 「アッ……アキトさんから通信が入ってきています!!」
 「!! ルリちゃん、スクリーンにすぐお願い!」
 私のその突然の声に、冷静さを残そうとしながらも切羽詰った口調で言ってくる艦長。
 「了解」
 続いてルリちゃんのその小さな呟きとともに、目の前のスクリーンにはあのいつもの優しい微笑みを……そして今は、どこか寂しそうな表情を見せているアキトさんの姿がいっぱいに映し出されました。
 『…はあ、やーっと繋がった……えっと、ナデシコー? ちゃんと聞こえてるか??』
 「アキトさんっ!!」
 そして私のせいいっぱいな呼びかけ。優しく応えてくれるアキトさん。
 『ん。メグミちゃん、心配かけてゴメンね。テンカワ・アキト、この通り無事に……って、ユリカ??』

 でもアキトさんは、そう言いかけた言葉を飲み込んで。
 不意にウィンドウの向こうで視線を私の上のほうへと向けて……


 「――――うん。アキト、ご苦労様…。それに、無事で……本当に良かった…」
 『え……あ、うん…心配、かけたなユリカ―――』



 (……あ――――――)

 アキトさんのその戸惑ったような表情につられるようにして、ブリッジの上を見上げる私。
 その視線の先にあったのは、両手で口元を押さえて、ずっと我慢していたものが一気に溢れ出てきたように僅かに震えながらも…そうとても嬉しそうに言ってくる艦長でした。
 そんな艦長の、ユリカさんの様子を見て…戸惑ったように、でもとても優しく―――私の目には私に見せてくれた以上の優しさに見えてしまう笑顔と言葉を返すアキトさんでした。
 そして二人のそんな雰囲気に、困ったような、安心したような……それぞれの反応を見せてくるクルーの皆。

 「いやはや、お二人ともお熱いですなぁ」
 「……僕に振らないで下さいよ、プロスさん」
 でも、ブリッジの上から聞こえてくるプロスさんと副長のそんな声も。
 『っていうかイズミー、大変大変! ひょっとするとリョーコの顔が微妙に歪んでる〜??』
 『へ〜〜〜え? なんでだろねぇ』
 『んだっ?! ナニをいきなりオメエらは―――』
 『…というかテンカワ君。もしかして君、堂々と二股かける気かい?』
 ウィンドウのむこうで怪しい笑みを浮かべるヒカルさんとイズミさんも…それにリョーコさんの不審な態度とアカツキさんのアタマにくる発言も。
 「へ? アキト、そうなの??」
 『って、あのなアカツキ!! それにみんなも何騒いでんだよ、今のはそういうんじゃなくって……!』
 「むぅ……いつのまにか話題がすりかわってしまっているのだが」
 「はあ、ホントここのクルーってバカばっかなのかしら…………って、ホリノ・ルリ? そんな顔してなんなのよ」
 「…いえ、別に」

 それから続く、アキトさんをそっちのけにしたいつもの調子な皆さんの会話。でも、そんな少しだけ元気が出た様子の皆から一人離れて。


 (……アキトさん―――――なんで、どうしてまだユリカさんのこと…………)




 ……その中で私はただ一人、俯きながら。
 そのアキトさんの態度の理由はなんとなくわかってしまっていても。

 それでもどうしようもなく悔しいような気持ちと寂しさと、そしてユリカさんに対する羨みとを持ちながら…その居心地の悪い時間が過ぎていくのをただじっと待っているしかありませんでした。








 4.

 そうしてあの戦闘から一夜が明けて。
 一路月へと向かうことになったらしいナデシコの格納庫では、俺たち整備班によって昨夜のうちに回収された敵の新型機動兵器の調査―――もっと平たく言え ば、班の皆が班長の号令の下ひたすらに分解しつくす、趣味と好奇心のためながらも実際は現実逃避の感が多分に混じったその作業が続いていたんだけど。

 「……な、なぁんだこりゃあ??」
 こじ開けられたその機体の頭部。
 どう見たって『誰か』入っていたとしか思えない…ご丁寧にゲキガンガーのコクピットを模したようなそのスペースを覗き込んで、整備用のつなぎを着込んだウリバタケ班長がそんな間の抜けた声を漏らす。
 そんな班長の隣で俺はそのワケのわからない『コクピット』内部を覗き込みながら、その信じられない光景に声を失っていて。そしてすぐ上にぐぐっとのしかかってくるリュウザキ。
 「ふーん、こりゃまたいやにレトロな内部だね」
 「…あのなお前、そういう問題じゃないだろ?」
 俺の首後ろに組んだ両腕を乗せ、やけに場違いな声でそう言ってくる彼女。班内ではシステム関係とスバルの調整担当なコイツに、かろうじて呆れながらも俺は掠れた声を返す。
 でもまあそんなリュウザキの態度は極めて特殊なほうだった。班長や俺、それにタニマチさんを含むほとんどの皆は…昨夜の戦闘でのショックに加えてのこの 事態に、もうなんて言ったら良いのかわからない、びっくりしすぎてもうどうすればいいのかわからないような状態に追いやられてる。そしてずり落ちかけた眼 鏡を右手の中指で直しながら言ってくる班長。
 「おいおいおいおい? まさかこん中に異星人が乗ってて、このデカブツを動かしてたんだって言うんじゃねえだろな」
 そんな班長のよく響く声に、まわりで他の作業をしていた奴らもこのでっかい頭部の下に、何事かと集まってきて。
 「でも班長〜。木星蜥蜴って『正体不明の異星人』なんすよね? だったらソイツがここで操縦してたって全然変じゃないんじゃないの??」
 いっぽうさらに俺の両肩に体重を乗せながら、ふと右横、班長のほうを向いてそんなことを言ってくるリュウザキ。考え込む班長。
 やがて班長は格納庫の入り口のほうへと顔を向けて、ちょうどそこに立っていた連中に大声で怒鳴った。
 「おいお前ら、至急ブリッジの副長に連絡しろ!! 『ちょっと困った問題が出てきたからすぐに格納庫に来てくれ』ってな!」
 「「うーーっす!」」
 そしてウリバタケ班長はまたもやコクピットの中のほうを向き直って…今度はいやに苦々しげな顔をしてその中を睨んで。

 「―――おいユウキ」
 「…なんですか?」
 視線をその中に向けたまま、厳しい顔をして声をかけてくる班長。
 そんな班長の雰囲気にちょっと戸惑ったらしいすぐ上のリュウザキは置いといて、同じようにその中を覗き込みながら応える俺。
 そして班長の発する、ふとした呟き。
 「…どうも解せねえと思わねえか? この『コクピット』はよ。
 こいつはどう見たって、サイズ的にもデザイン的にも……そしてなにより『雰囲気』ってやつが、人間の作った感じがしてしょうねぇじゃねえか……」
 「「「「……!」」」」
 その呟きに、俺たちは思わず同時に声を上げた。

 …そう、その班長の言葉はたぶん俺たち整備班のほぼ皆が感じていた、言いようのない感触だった。
 その既視感じみた、うっすらとした―――どうしようもない不安。心のどこかで信じたくないと思い、でも…俺たちの手に染みこんできたものがそれをどうしても否定してくれない、そのどうしようもない気味の悪さ。
 だから俺たちはただ、静まりかえった格納庫の中でその悪寒を持て余していて……。

 そしてそれから十数分後。格納庫の入り口に駆け足で現れた副長と提督を交えて、状況の説明とか班長の推論だとかが色々と始まったわけだった。



 「ふぅむ……確かに何者かが乗っていた形跡があるわね」
 バラバラにされたその巨大な金属の塊のすぐ側で、小さな輪を作りながら話をしている俺たちと副長、それに提督。
 その視線の少し先、問題の機動兵器の開け放たれたその頭部を不機嫌そうな目つきで眺めながら、報告を受けた当のムネタケ提督はそうとだけ言ってくる。
 「何者って、まさか木星蜥蜴がですか?」
 提督のすぐ左、とても信じられないといった表情で続けてそう言ってくる副長。その言葉を耳にした提督の顔が少しだけ険悪というか…戸惑っているような、焦っているような表情になる。
 「そんなこと、今のアタシ達にはわからないわよ。それよりも今は、その『侵入者』が艦内にいるかもしんないって事のほうが問題でしょ?!」
 「あ、はい。…でもどうします? 通常なら警備班に連絡して―――」
 「駄目よっ! それだけは絶対に駄目!!」
 「「「おわ?!」」」

 と、副長の言いかけたその言葉に、提督は俺たち整備班全員が思わず後ずさりそうになるくらいにヒステリックな大声でそう叫んできた。

 「ただでさえ今回の敵の新型兵器の情報については、くれぐれも重要機密として扱うように上から言われてるんだから! その上『木星蜥蜴の侵入者』よ?!!
 こんなこと、これ以上一般クルーに知らせることなんて出来るわけないでしょ!」
 「すっ、すみません!」
 そうとにかく格納庫中に響いてんじゃないかと思える大声で怒鳴る提督と、面食らった様相で頭を下げている副長。もしかしなくても提督、内心ではかなりパニックになりかけてんのかなあ………
 そしてそれからしばらく、提督と副長と班長による議論が続いて。
 結局提督が出したらしい結論は。
 「……というわけでアンタ達!! 悪いけどさっそく極秘で、艦内の調査を行ってちょうだい!」
 「「「はあ?」」」
 それはおそらく居るだろうと思われる『異星人の侵入者』を俺たち整備班に探させる…しかも極秘でという、正直メチャクチャに思えるものだったわけで。






 5.

 「――――地球連合軍の一部に、妙な動きだって?」

 …いつもの定時報告の時間。いつもの私の居室にある、不必要に上等なソファの上。
 ちょっとだけ真面目そうな顔をしながらもたいして興味はないふうに、イツキ……フォン・シーリー軍曹のことを口にした彼に私はその事実を告げたのだけれど。

 休憩室の前にある自販機の前でアマノ・ヒカルとなにやら話をしていた彼を引っ張ってきて、めずらしく時間を大幅に遅れた彼に紅茶の一杯も出さずに報告を始めた私に彼は軽く肩をすくめただけだったけれども……この報告を耳にして何かが引っかかったようだ。
 先ほどの自販機前での一連の出来事を思い出しながら―――ナデシコ内で私につけられた二つ名、『鉄の風紀委員』とやらを思い出しながら―――それはそれとして、こうして彼と定時報告や業務のやりとりをする分には非常に便利ではあったのだけれども、まぁともかく。
 「はい。向こうにフォン・シーリー軍曹の『消息不明』通知をしてからほどなくしてのことなのですが…S.S.からの報告によればカワサキ・シティと例の爆発が観測された月面区域を中心に、極秘のようですが何らかの捜索活動を行っているらしいと」
 その単語を耳にして、首を僅かにかしげながら聞き返してくる彼。
 「捜索活動? 例のもう1機の新型機動兵器かい?……それともひょっとして、まさかとは思うけれどフォン君とか―――
 ―――彼女の経歴、特に問題な点はなかったと言ってたよね。エリナ君」
 「ええ、表向きは。ただ軍も独自に生体ボソン・ジャンプの研究を行っていますから…順当に考えればボソン・ジャンプに巻き込まれて死亡しているはずですが、彼女がその『被検体』である可能性は捨てきれません」
 「…ふむ。一応、もう一度彼女の軍歴を洗いなおしておいてくれ」
 続いて私の答えに対し、彼はそうとだけ言うとゆっくりと立ち上がる。
 「……『会長』?」
 訝しげにそんな彼を見上げながら、問いかける私。振り向いてくる彼。
 「たまには僕がお茶をいれよう、君との約束に遅れた罰さ」
 「は?――――いえ、あの……」

 そしてそう、なにやらニコリと微笑って言ってきた彼は戸惑う私にも構わずに、キッチンのほうへと姿を消す。
 ちょっとだけ意表をつかれて混乱して、それから小さく呆れと苦笑のため息が出てきて。

 「…ま、ともかくこれからよね。木星との本格的な争いは。
 『シャクヤク』の完成まで後少し。果たしてネルガルが地球の連中の目を欺きとおせるのかどうか、ナデシコのクルーにもせめて『頑張って』もらわないと―――」
 私は手元にあるその計画書に目を通すと、静かに笑みを浮かべるのだった。






 6.

 テーブルの上には一枚の紙っ切れ。
 無造作に放置された一枚の紙っ切れ。
 私は右隣のクッションを手に取ると、それを抱え込むようにしてソファの上にうずくまり、ぼうっとテーブルの上を見つめる。その彼が置いていった紙っ切れを覚めた目でtだ眺める。

 …昨日の夜に突然彼から―――ゴート・ホーリーから渡されたその用意周到な『プレゼント』。
 それは私宛のネルガル本社勤務の辞令で、その見当違いでツマラナイ贈り物のせいでなんだか気分がのらなくなった私は、そのままあれこれ言い分けつけて自室に戻ってきていたのだけれど。

 「…………う〜〜〜〜む」
 そして両膝の上に乗っけたクッションをボフボフと軽く叩きながら、私は昨日の彼との会話を思い出す。
 思い出して、やっぱりまたまた色々と思案しながら小さく息を吐き出した。

 (―――まったく、『お前をこれ以上危険な場所に置いておきたくない』だとか『ミナト、俺はお前のためを思って』だとか……なんだか微妙に勘違いしてるみたいだし。
 まさかこの上、『仕事やめて、家庭に入ってくれ』なんてまでそのうちに言い出すつもりじゃないんでしょうね…)


 ……はあ、もう駄目。そう考えちゃうと気分がなんだか重くなってくるというか、肩透かし食らっちゃったみたいというかね。
 つくづく、自分は『古風な人』が好みみたいだってのはわかってるつもりだけど…それでもそういうのを押し付けられそうになっちゃうと、どうも駄目なのよねぇ。
 彼の頭がカタいのは十分わかってるつもりだったけれど、ホント……こうもまでにベタベタに来られると、『悪くないけど、やっぱなんか腹が立つ』というかなんというか、昔あったヤなことまで思い出しちゃって、もうどうしていいかかえってわかんないじゃない。

 でもそうすると…彼があんな調子だとすると、今の仲って実際どうなのかなあ……


 と、そうしてしばらくソファの上でぼけっと考えてから、静かに立ち上がって手にしたクッションを「とりゃあっ!」とソファに叩きつける私。
 そのままその場で軽く伸びをして、そんな悩み事を頭の片隅にポイッと投げやって――――とりあえず気晴らしに外へと私は出て行って。






 7.

 穏やかなはずだったその昼下がりのひととき。
 突然食堂に現れた三人組を見て、私…テラサキ・サユリをはじめとする食堂のウェイトレスは思わず硬直してしまいそうになったんだ。

 「な、なななななな」
 「あー、えっと―――――」
 そのポニーにした栗色の髪を一揺らしして、固まった笑顔でその三人をただ見つめるしかないエリ。丸いトレイで口元を隠しながら、なにやらものすごいショックを受けた様子でどもり続けるジュンコ。ちなみにハルミとミカコの二人はこの場にはいない。
 そしてテーブルを拭いていた右手を止めて、その不思議な格好をした三人組を見ながら私がなんとか言葉を発しようとする。

 ………その、昨日のパーティの続きみたいな派手な色合いの格好をしている二人、プラスもう一人に。

 「…んふふ、どうやら我々の素晴らしすぎる変装に感激して声が出ないらしいな」
 と、その中で一人楽しそうな顔をした彼女が声を上げる。
 「あのなリュウザキ、お前はこの状況で何を見てそんなセリフが出てくるんだよ。どうみても呆れてるんじゃないか」
 その派手な格好をしている二人。昨日ヤマダ君が着ていたのと同じようなブルーの全身スーツを着た整備班のユウキさんと、それとは対照的に長い黒髪を揺ら しながら、赤を基調とした似たようなスーツを着て楽しそうに言ってくるリュウザキさん。……なんていうか、ユウキさんの心底イヤそうな顔が印象的だなぁ。
 「……げ、ゲキガンガー??」
 続いてエリが、未だに引きつった顔のままそう声を漏らす。
 さらにその3人の向こう、通路に何かの紙のような物――よく見るとシールみたい――を撒き散らしながら通り過ぎていく整備班の人。そしてまた口を開くリュウザキさん。
 「うん、その通り。極秘任務ゆえにその理由は秘密だが、平たく言えば今日の我々はゲキガンガーなのさ」
 「…いやリュウザキ、意味わからんぞ」
 さらに右手で頭を押さえながらそう言ってくるユウキさんの後ろで、『3人目』の人物である副長は両の腰に手をあてながら…食堂の天井のあたりを何故かきょろきょろと見上げている。
 しかもその格好はこれまた何故か、いつもの白制服ではなくて。
 学ランを副長らしくもなく気崩した上に下駄を履いている謎の出で立ちで。

 「………………はぁ、なんなの? これ」
 その姿をはっきりと見て、なんだか体全体が脱力していくのを感じる私。そしてため息にも似たその声を発すると、何かを勘違いしたのかリュウザキさんがポンと両手を鳴らしながらさらに口を開いてきた。
 「ああ、残念ながら副長の仮装はご自身の希望なんだ。本当はユウキ推薦のアクアマリン嬢でめくるめく素敵な女装をいきたかったのになぁ」
 「…なぁリュウザキ、いい加減本っ気で殴ってもいいか?」
 物憂げにため息をつく彼女。こめかみを抑えるユウキさん。
 「なにを言うのだユウキ、お前だってテニシアン島ではあんな見事に見とれてたじゃないか。綺麗に鼻血まで噴いてたくせに」
 「……あれはお前が俺の横っ面に顔面サーブくれやがったんだろが」
 「そんなことは知らん。お前の視線の先に副長の艶やかな肢体があったことは事実だし」
 「だからその言い方はやめろ!!」
 「…ていうかなんか、聞いてて空しくなってきたよ僕」
 そして続く3人のヘンな会話。困りきったような表情をして私のほうを見てくるエリ。
 未だになにやらショックを受けているようで――――もとい、どこかぼおっとした表情で副長のほうを見ているジュンコ。
 ひょんなところから願って止まない救い舟がやってきたのは、ちょうどそんな時だった。

 「おやおや…副長さん達、そんな格好して一体どうしたんだい?」
 「「シェフ!!」」
 厨房の奥から苦笑とともに顔を出したシェフに思わず歓喜の声を浴びせる私とエリ。そんな私たち二人に余裕のある笑みを返してくれたシェフは、カウンター越しに副長のほうを見て訊ねてくる。
 「何かあったのかい? さっきからなんだか騒がしいみたいだけれど」
 と、顔を見合わせる整備班の二人。
 なにやら得意げに口を開こうとしたリュウザキさんを強引にしばき倒したユウキさんを見届けてから、副長はシェフのほうへと近寄って小声で話しかける。
 「―――これは極秘任務なのであくまで内密にして欲しいのですが…何か、不審な人物とかを見かけませんでしたか?」
 「えーと、不審って……」
 「エリ」
 苦笑いを浮かべつつも副長たちを指差そうとしたエリに小声で呼びかけつつ、その脇を肘でつつく私。
 それに重なるようにしてシェフがカウンターの向こうから言ってくる。
 「いや、特には見なかったけれど?」
 「そうですか……」
 そのシェフの言葉を受けて、ふと何故かチラリと天井を一瞬見やった副長。その先を何故か気にしているジュンさん。
 そんな様子を見たユウキさんが副長に話しかけて。
 「…副長? どうしたんですか??」
 「あ、いやなんでもないよ。ちょっと気になっただけだから。
 …ではホウメイさん、僕達の行動のことはくれぐれも内密にお願いします。それと何かあったら僕のほうへ直接連絡をお願いしますね」
 「あいよ。よくわかんないけど頑張りな」
 「はい。ではこれで」

 そしてそのよくわかんなかった3人組は去ってった。
 あからさまに安堵のため息を吐き出す私とエリ。時計をふと見ながら、シェフが少し驚いたように言ってくる。
 「ありゃ、もうこんな時間かい? ミカコとハルミはまだ戻ってこないのかねぇ」
 「お見舞い、長引いてるんでしょうかね…ミカコ」
 そして肩をすくめながらそう言ってくるエリ。
 何が『お見舞い』なのかというと…ミカコは先日の戦闘で負傷した、パイロットのヤマダ君のところへお見舞いに行っているのだ。
 彼に懐くミカコに最初は「何を物好きな」と思いもした私達だったけれど、どうもミカコにとっては基本的にパイロットの皆は『おにーさん』に『おねーさん』なのらしい。…ただ一人の例外、雰囲気がアレなアカツキさんを除いて。
 ついでに言えばハルミは自室で休憩らしく、多分通信士のメグミちゃんあたりとおしゃべりでもしているんだろう。……個人的にはやんどころなき事情から、 その、あんまり考えたくないけれど―――メグミちゃんにアキトさんのことでも相談されて色々と取り込んでいるとすれば、こっちも時間内の帰還は絶望的かも しれない。

 …つまり、こうなれば今しばらく私達が休憩を取ることは出来ないわけで。


 「……んもう、しょうがないなあ。エリ、ジュンコ。もうちょっとだけ頑張って――――って、ジュンコ?」
 と、そう仕方なしに私が二人に言いかけてジュンコのほうを振り向いてみると…

 「――――ああ…ジュンさん。そのクールに着崩された学ランがもう素敵すぎです。最高です。カッコカワイイです……」
 「「…………いや、なぜ?」」
 「おやまぁ」

 ――――そこにはトレイを胸に抱きながら頬を紅く染めた、一人の夢見る女の子が立っていたわけで。
 あとはもうなし崩し的に、ただひたすらにどーでもいい話を繰り広げる私たちとシェフだった。








 8.

 「はぁい、ガイおにーさん。『あーん』して下さいね〜」
 「おい、ちょ…ミカコ! 恥ずかしいからやめてくれって!!」
 「もう! そんなこと言ってると早く元気になれませんよ。だからちゃんと食べて食べて!」
 「いやしかしだな…さすがにこれは」
 「…あら? ヤマダ君ってばやけに微笑ましい光景醸し出してくれてるわね」
 「って、ドクター?! 頼むからなんとかこいつに言ってやってくれよ!」
 「んー、そーね…面会時間は20時までだから、それまでに帰らなくちゃ駄目よ? 女の子なんだし襲われたら大変だもの」
 「はーい!」
 「って、そうじゃなくてえええええええええええええええっ??!」




 ……とまぁ、そんな医務室の光景はともかく。



 9.

 ナデシコの艦内に縦横無尽に張り巡らされた、通気ダクトの中でその男は小さくうめいていた。
 首尾よく夜間を見計らって、彼の乗っていた『テツジン』からこの戦艦の内部に潜入することには成功していたが―――どうやら敵は彼の存在に気がついたらしい。
 先程からその眼前の通路で繰り広げられている、明らか彼を挑発しているとしか思えないその行為。
 彼ら木星の軍人が敬愛し、戦いの聖典としているゲキガンガーのシールやポスターをあまつさえも通路に大量に放置するなどという、悪逆極まりない行為がそのすぐ目の前で行われていたのである。

 (おのれ…卑怯な―――だが自分はここで耐えなければならないのだ。今、私は奴等に捕まるわけにはいかん、せめてこの船が月に辿り着くまでは―――)

 そう心の中で歯噛みしながら、右手をぎゅっと握り締める彼。
 ふとそんな彼の視界の下に、先程食堂らしき施設の中で見かけた3人組の姿が目に入る。
 (あれは…)
 その3人組の先頭をきって歩く人物。男らと軍規がおなじならば副官に位置するはずのその童顔の青年――――食堂で彼の存在に気づきかけた、油断のならない人物を見て、彼は顔の色を変えた。
 「――で、副長。次はどこを捜索しますか?」
 「そうだね……ちょっと気になっていたんだけど、ナデシコには通気用のダクトというか、非常用の経路みたいなものがあったよね」
 「ああ。艦内整備の時にもたまに使ったりしますけど」
 「どうも、それが怪しいと思うんだ。僕は」
 「じゃあさくっと行きましょうよー。俺そろそろこの海燕スーツにも飽きてきたんで…」

 眼下の彼らの会話が終わらないうちに、男はゆっくりと、決して気づかれないようにそっと少しずつ移動し始めた。
 またもや下の女は男を挑発するような事を言ってきはしたが、それは今彼にとって構うべき問題ではなかった。親友である長髪黒髪のあの男が聞いたら激怒するであろうとは思いつつ、焦燥感を抑えながら今まできた方向へと後退していく。

 (やはり、あの青年は一筋縄では行きそうにないな……ともかく、隠れ場所を探さなければ)

 そして突然彼に追い討ちをかけるようにして聞こえてくる、けたたましい警報の音と野太い男の声。
 『――現在、ナデシコ艦内に侵入者が潜伏しているとの情報が入った。全艦非常警戒態勢!『異星人』の可能性もあるので、各自警備班の指示に従い、個人行動はせずに……』


 (『異星人』、か―――)

 それを耳にした男はどこか哀しい自嘲気味の表情を浮かべる。そして再びゆっくりと後ずさり始め…


 ――ガタンッ!!

 「…なにっ?!」
 途端、足元が何の前触れもなく崩落していく。
 身体が反応したときは既にもう遅く、男はそのまま真下にある女性クルーの部屋の中へと、一直線に落下していく。
 「くっ…!」
 「―――きゃっ?!」
 全身を襲う、軽い衝撃。
 何とか受身を取ろうとしつつも、何かの柔らかい感触がクッションとなり男を怪我から救う。昨夜の戦闘で負傷した右腕に手をやりつつも…しかし間近で聞こえてきた女性の小さな悲鳴に男はすぐさまに顔を上げた。

 「…あ、あの―――どなたです?」
 どうやら自分は運良くベッドの上へと落下したらしい。いっぽう男のすぐ側、何かしらの片付け作業をしていたらしく膝立ちのままで硬直している三つ編みの女性。武器らしきものは所持していないように見える。
 一瞬このまま彼女を組み伏せてやり過ごそうかと思いかけた男だったが、持ち前の礼儀正しさと正義感からそれを否定する。
 そして男が口を開こうとしたその時に―――

 「メグちゃーん。なんだか凄い音が聞こえてきたけど…………って、あら? どちら様??」
 「あ、ミナトさん……私も何がなにやらさっぱりで」
 不意に入り口のドアを開けて入ってきた女性、その女性は男のほうを見てなんでもないように訊ねてくる。
 苦笑いを浮かべながら言葉を返す三つ編みの女性。
 「――――って、もしかして…『侵入者』さん?」
 「え?」

 (潮時、だな……)
 そして僅かに怪訝そうな顔をしてそう言ってきた、その長い茶髪の女性の言葉を受けて…男は警戒させないようにゆっくりとベッドの上から降りると、慣れた様子で敬礼をしながら口を開く。
 「――婦女子の私室に土足で上がりこみ、申し訳ありませんでした。確かに私は皆さんの捜索している『侵入者』ではありますが……」
 「!!」

 その言葉に一瞬身を硬くする女性二人。
 ――そして僅かな沈黙を挟んで。


 「正しくは、木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星小惑星国家反地球共同連合体、突撃宇宙優人部隊少佐・白鳥九十九であります」
 「「…………はあ?」」






 10.

 「はあ〜〜、結局みんなにバレてんじゃないかよ…」
 僕のすぐ右横を歩くリュウザキ君が、そう疲れたような顔とともに言ってくる。
 食堂を僕らが出てからまもなく、艦内全域に出された非常警報。続くゴートさんのアナウンスはどこかで『極秘任務』が明るみに出てしまった事を意味していたんだけども―――

 「でもホント、まさかノゾキのせいでバレたなんて、思いもしませんでしたよね」
 「……まぁ、そうだね」
 ユウキ君のその呆れたような声、続いて聞こえてくる苦笑に僕は曖昧な笑みを返すと小さくため息をついた。
 …おかげで提督はもうこれ以上ないくらいにカンカンで、その女子共同浴場の脱衣室にノゾキに入った一部整備班クルーは今頃延々と『あの』説教を受けていることだろうと思うと……その量とねちっこさを考えただけでもう僕は頭が痛い。
 そして僕は残りの調査を警備班に任せて、ブリッジに戻ることになって。
 「しかしまたなんで、ンなことするのかなぁアイツ等は」
 と、不意に両の手の白手袋を取りながらそう、どこか不愉快そうにリュウザキ君が言ってきて。そんな彼女に対してユウキ君はどこか冷めたような口調で声を返す。
 「ま、案外中身が『お子様』なオマエにはわかってやれないだろうね、男のほんの出来心ってやつは」
 「ふん! そんなん、わかりたくもないっつーの」
 ここでさらに膨れた様子で、何故かユウキ君だけでなく僕のほうまでチラリと見ながらそう言ってくる彼女。
 「ていうかそんなこというユウキも実はそういうクチなのか?」
 「あのな、そうとは言ってないだろ? 俺は単に一般的な話をしてるだけでソレと実際にやっちまうかどうかの自制心は別問題…」
 「…じゃあ、ユウキはムッツリ?」
 「阿呆かお前はっ!! だいいちお前人のこと言えないだろ、副長の着替えの最中に乱入しようとしたのは何処のどいつだよ!」

 ……あ、なんか話の矛先が僕にまで向いてきたような。

 と、
 「―――何を勘違いしているんだユウキ。あれは単に副長がこういう服に慣れてなさそうだから手伝おうと思っただけだぞ? 副長の麗しき上半身はついでだ、ついで」
 …なにやら目を細めて両腕を組みながら、立ち止まってそうさりげに問題ありそうな発言をしてきてくれたりしちゃうリュウザキ君。
 対するユウキ君は腰に手をあてて、僅かに目にかかる前髪を揺らしながら、彼女相手限定なのかもしれないその険悪な顔をしてリュウザキ君を睨み返す。
 「ほお…とどのつまりはお前もあいつ等と一緒ってことじゃねぇか。なにイイコぶってるんだよ?」
 「…………」
 何かが不服なのか、いやものすごく不服なんだろうけれどリュウザキ君の顔が僅かに歪む。
 「いやさ、あの……二人とも今の事態、わかってるかな?」
 二人の真ん中に立って、突然の状況にどう対処すべきか判断しかねる僕。そしてリュウザキ君の指が何故か、僕の顎に伸びてきて。
 「!?」
 「何をさっきから怒ってるんだユウキ。今日のお前、ちょっとおかしいぞ。俺が副長と仲が良いのが不満なのか?」
 「……いやちょっとリュウザキ君?」
 よくわからない、膨れたような顔をしながら僕の方の後ろへと移動するリュウザキ君。
 一瞬視線を横のほうへと反らせて、それから彼としては見たことないくらいに怖い目つきで僕の後ろをユウキ君が睨んでくる。―――というかこれ、もうもしかしなくても立派な痴話げんか?


 …そして通路の真ん中で立ち止まり、にらみ合う二人。なんとなく僕の背筋に一筋の冷や汗が流れていった気がする。
 黙ったままのユウキ君。僕のすぐ後ろできっと膨れたような顔をしているだろうリュウザキ君。普段はこんな素振りであっても、その微かな香水の香りが僕の気を僅かに引いて。
 そして、この状況をどう打開しようか考えあぐねて、ただうろたえるしかない僕。
 ホントこんなことしてる場合じゃないのにさ…。

 「……なんだよ、何か言ってよ」
 と、もう一度口火を切ったのは、リュウザキ君だった。
 その沈黙にじれたように小さく言ってきた。いつもの彼女とは少し違う、硬さの取れたような口調でそう言ってきた。それに険のある口調で彼が言い返して。
 「お前は気楽でいいよな、こんな時でもそうやってガキみたいにしていられて。…俺やコウダさんがどんな気分でいるか、ホントにわかってるのかよ?」
 彼女の手にほんのわずかな力が入る。
 「コウダさん…シーリーのこと? そんなことくらいわかってるさ。でも…だからって、整備の皆が揃ってめそめそしてればいいっていうのか? そうしなくちゃいけないって言うのか?
 …俺はそんなのは嫌だ。コウダさんやお前が担当のパイロットのことで沈んでるからって、俺までお前達の気持ちを引き摺らなくちゃいけないなんて! それじゃあどんどん下に落ちてくだけじゃないか。
 ……だったらそうじゃなくていつもみたいにして、ちょっとでもバカな真似をしてみせて笑わせてやろうかって思ったらいけないのか? それじゃ駄目なのか?!」

 そして彼女は不意に、そのつまったような声を彼へと投げかけていって。

 「…それともユウキ、お前…お前やっぱり―――……その、サレナのことを――――」



 不意に途切れる言葉。僕の肩に置かれたリュウザキ君の指の力が少し強くなる。
 彼女が言っている事はどこか支離滅裂で、事情を知らない僕にはよくわからない話だったけれども…普段から覇気のある、自信満々な態度を取っているらしい彼女とはおおよそかけ離れたもので。
 「――…………」
 そしてその言葉を受けたユウキ君は不意にため息をつくと、何故か途端に険の取れたような表情をして―――


 「はあ、お前何か勘違いして……というか一体何やってるんだろう、俺」
 「…は?」
 まるでたまった苛立ちを発散させるように大きくため息をつく彼。
 突然の彼のそんな態度の豹変に…冷静になったのだろうからいいけれどともかく、納得がいかないような声を上げる背後のリュウザキ君。
 「おいユウキ、何を突然呆けてるんだ! 俺のこの憤りをどうしてくれる!!」
 「あーはいはい。何に憤ってるのかは知りたくないけど、後でたっぷり構ってやるからいまは大人しくしてようなリュウザキちゃん」
 そして大声で叫んでくる彼女を、そんな投げやりでいて苦笑交じりの言葉で彼はいなす。
 だから彼女はさらにふくれた顔をして言ってきて。
 「うるさいっ! だいたいお前、昨日のパーティの時もだな!」
 「ほらほらリュウザキ君。落ち着いて―――」



 「―――お前たち、こんなところでいったい何をやっているんだ!!!」
 「「「?!!」」」

 そしていきなり聞こえてきた、ゴートさんの大声。
 慌てて僕らがその声の聞こえてきたほうを振り向くと……その通路の先では洗濯用のカートを押すミナトさんとメグミ君がゴートさんに呼び止められていて。

 「…副長、ここは俺たちの安全のためにも出歯亀モードです」
 そう小声で話しかけてくるユウキ君。
 「ユウキ君?」
 「むー!!」
 リュウザキ君の後ろにまわって、その口をふさいでいた僕。そして二人で尚も憤然やまない様子の彼女を引っ張り、通路の陰へと避難する。
 (―――ミナトさん、ごめんなさい。こっちにはこっちの事情があるんで、助けにはいけません)
 続いて心の中でそうちょっぴり薄情なことを考えてから、僕達3人は事の成り行きを見守ることにして。
 そして僕らの視線の先では。

 「……なにって、みてのとおり洗濯物運んでるだけじゃない。そう怒鳴らないでよ」
 「非常警戒態勢だぞ!! そんなことをやっている時ではないだろう!」
 なにやら苦笑いを浮かべている様子のミナトさんに対して、ゴートさんはすでに激昂収まりきらない感じだ。そのせいで隣にいるメグミ君は思いっきりマズそうな顔をしている。
 「わかってるわよそれくらい。だから二人で来てるんだし、すぐに戻るから―――」
 「いいから早くブリッジに戻れ!!」
 と、ミナトさんの弁解の言葉を問答無用で遮るようにゴートさんは声を張り上げる。それをうけてミナトさんの表情が芳しくないものになっていく。
 そんな様子を物陰で観察しながら、ぼそぼそと会話を続ける僕ら。
 「あー、あれはまずいですよね」
 「…そうだね。しかしあんなに怒ってるゴートさんって、初めて見たかも」
 「ふっ――――愚かなりゴート・ホーリー」
 「って、リュウザキ! お前復活したのかよ?」
 さらには僕とユウキ君のすぐ後ろから顔を出して、なにやら不穏な笑みを浮かべるリュウザキ君。
 「で、『愚か』って?」
 「ん。ユウキへの憤りは後でちゃんとぶちまけさせてもらうとして―――」
 「くそ、ちゃっかりしてやがる」
 「―――それはともかくだ、いきなりあんな横暴な態度など取られて大人しくしている女がいると思うか??」


 …で、その当のミナトさんといえば。

 「……なぁにおもいっきし怒ってるのよ」
 はたして彼女のその言葉通りなのか、不穏な空気が流れるのを感じるなかそう険のある声で言ってくるミナトさん。
 「お前が怒らせているんだろう?!」
 それに対してゴートさんはもう弁解の余地もなく怒ってる様子で言ってくる。というかゴートさん……『お前』って、メグミ君はもう眼中にないんですか。
 「はぁ……まさか昨日のあてつけってワケじゃないでしょうね。みっともない」
 続いてミナトさんはやってられないというように首を左右に振る。それを聞いてゴートさんの顔が急に険しくなって。
 「……って、あてつけ? なんだろ一体」
 「しっ! 黙って聞けユウキ!!」
 そして響く彼の大声。
 「…なぜその話が出てくる、今はプライベートな話など関係ない!」
 「関係ない? だったらそういう『私情』ってやつを今ここに持ち込んでいるのはどっちのほうよ?!」
 返すミナトさんの険悪な声。
 「俺はお前が危険だと言っているんだ!!」


 (ゴートさん、もう言ってることがメチャクチャです……)
 僕がそんなことをぼおっと考えながら状況を傍観する中、二人はどんどん一触即発な雰囲気になっていく。
 他人事ゆえに楽しそうに見ているリュウザキ君と、遂には両手を合わせてなにやらお祈りしているユウキ君。ゴートさんの顔を思いっきり睨むミナトさん。
 そして彼女はついに見たこともないくらい怒った表情をして、ゴートさんへと声を上げていった。

 「ったく、そうやって人のことを隅から隅まで監視して、管理して、押し込めて! それで楽しい?! あんたら人のことをなんだと思ってんのよ!!
 …何ならいっそのこと、そんなんじゃなくて『命令だから死んでくれ』くらいのセリフ言えないわけ?!!」
 「―――!!!」


 (って、ああっ?!! ゴートさん張り手はまずいですよっ!!)
 その光景、かっとなって右手を振り上げたゴートさんを見て思わず飛び出す僕達。すぐ側で反射的に身を竦めているメグミ君。
 ――――そして突然、カートの中に入れられていたシーツがふわりと舞い上がって。

 「……貴様っ!! 女性に対してのその振る舞い、それでも軍人のすることか!!!」
 「?!!」
 「「「…………誰?」」」
 不意に重なる、僕とユウキ君とリュウザキ君の声。何故かどうしようもなく『しまった』と言うような顔をしているミナトさんとメグミ君。

 そこに現れたのは、今のユウキ君とほぼ同じ格好をして、右腕に包帯を巻いた――――考えたくはないんだけども、あの『ゲキガンガー』の主人公みたいな格好をした…一人の確かな人間だったんだ。















 11.〜記憶〜

 …その『記憶』は本当に幸せな、かけがえのない小さな小さな幸せの記憶だった。

 まるで草原に降りそそぐ太陽の光のような、その笑顔で笑いかけてくる彼女―――『ユリカ』と、そして『私』の側には…やはりその顔に優しい微笑みを浮かべる『ルリ』がいて、そしてようやく心の底から笑うことが出来るようになった『ラピス』がいて。
 それは、『私』の…『アキト』にとっての大切な、本当に大切な家族。
 誰もが決して挫けることなく、必死に前を見つめていってそしてやっと一つになれた……その小さくも幸せな一つの家族。

 幾千の夜にわたって夢見続けた彼女の微笑み。その微笑みはすぐ側にある。
 新しく生まれてくるであろう、『私』達の大切な生命。きっと娘達も祝福してくれる。

 ――――――だからその時だけは本当に、『私』の心もひとときの幸福に包まれつつあったのだ。
 それはずっとこれからも、続いていってくれるだろうと思えたのだ。



 …そう。あの時に、あのユートピア・コロニーで―――『私』があの、もう一人の『私』と出会いさえしなければ――――








 12.紅い兄妹

 ちょうど宛がわれた自室で、一昨日支給されたばかりの新しい士官服に着替えている最中だった。
 「ん……?」
 脱ぎ捨てた赤いシャツを拾ってハンガーにかけていると、クローゼットの下で見慣れていたそれがキラリと輝くのが見える。
 そのなくしていたかと思っていた銀の十字架のアクセサリを拾い上げると、私は時間がおしているのも構わずに部屋をゆっくりと移動し…ベッドの上へと静かに身体を預ける。
 ――そしてぼんやりと、天井と右手に掲げた十字架を眺めながら…久しぶりに火星のことを、そして『彼女』のことを思い出す。
 あの時に、決定的な何かを言っていた彼女のことを。


 『…私が本当に心の底から知りたいと思っているのはさ、多分自分自身のことだけなんだ。
 今こうして貴方といるときは確かに心が休まっている。でもやっぱり、私は本当の意味ではずっと孤独だから、わかりあえるような誰かはこの世界の何処を探してもきっといないから―――だからせめて私は私自身のことを知りたいんだと思う。
 だってそうでもしないと、私は哀しみとか絶望とかそういうものに押しつぶされて、歩いていくことが出来なくなるのかもしれないから―――』

 ……雲ひとつない火星の空の下、そう感情の読めない瞳で言っていた、私にどこか似ていたかもしれない女性。
 誰よりも冷めていて、そして誰よりも残酷に優しく、ただひたすらに『何か』を求めていた彼女。私とは違う何かを探していた彼女。
 (…その彼女は、今私がしている事を見たらどんな顔をするだろうな?)
 思わず口元に小さな苦笑を浮かべると、ゆっくりと右手を下ろす。思い出されるのは、彼女が父親のことをほんの少しだけ話していた時のこと。そういえば彼女が嫌いな、苦手な父親も私と同じ軍人だと皮肉げに言っていたか。

 そして私はゆっくりと目を閉じて。

 あれから結局、私は自分の正体を彼女にも他の誰にも話すことはなかったが…それはむしろ都合が良かったのかもしれない。拙い偽名をずっと通してきたことも、これから私がやろうとしていることを考えれば当然だったのだろう。
 彼女はあくまでほんの少し私に近しかっただけの存在だ、それ以上でもそれ以下でもないはず。
 …まぁ、それでもただ一つ。彼女ともっと違う話が出来ていたかもしれないと思えてしまうことだけが少しだけ、残念ではあったが。


 不意に部屋のドアをノックする音が聞こえる。聞こえてくる男の声。
 「アーデル少尉、そろそろ時間だぞ。わかってはいると思うが今日は訓練ではないのだ、くれぐれも気を抜くな」
 「…はい少佐。すぐに参ります」
 胸の上に両手を乗せ、目を閉じたまま返事をした私はそのまま起き上がり荷物を取ろうとして―――手にしていた十字架を、彼女との小さな『つながり』を示すその十字架を一瞬だけ見つめる。
 そしてそれをアクアが無理矢理持たせた、私とアクアとの写真のすぐ前に躊躇いもせずに放り置くと…今の私には相応しくないそんな僅かな感傷は全て捨て去り、そして部屋を後にした。

 ……今日から、全てが始まるのだ。
 これから訪れる戦場も、私にとっては小さな一歩にすぎない。母とは旧知の仲であったクレメンス少将の力を借りて、半ば強引に編入された現在の空軍士官候補生の立場もほんの始まりに過ぎない。
 そしてこれからは先は私自身の力でのし上がっていかなければならないだろう、彼の力を頼れるのもここまでだ。
 だが、それでも必ず私は求めるものを、必要なものを手に入れてみせる。それがこの地球連合軍という組織でしか成し得ないことならば、必ずそれをここで実 現してみせよう。流血と陰謀に彩られた過去の歴史、クリムゾンと木星との間に蠢く見えない糸、そのようなものすらも乗り越えて。

 ―――躊躇いは、ない。
 後悔も、懺悔も、絶望も。そして憎悪さえもそのようなものは不要であると誓った。
 そして求めるものはただ一つ。

 …そう。この私、リロィ・ヴァン・アーデルには―――見つけ出さねばならぬ真実とその行く先があるのだから。











 13.

 「あ! アキトさん、おかえりー!!」

 …ナデシコとの通信を終えて、その他色々な用事なんかを済ませてた上で。
 最後の挨拶にと思い戻ってきた食堂で俺を迎えてくれたのは、今の沈み込みそうな俺の気分を振り払ってくれるかのような、そんな久美ちゃんの明るい声だった。

 「ほらほら、そんなところで立ってないで入って入って!」
 もう時刻は夕時。仕事帰りの人たちなんかで食堂が賑わう中、俺は久美ちゃんに連れられて奥へと足を運んでいく。
 「おかえり。で、そのヤマトなんたらとは連絡が取れたのかい?」
 「ばぁか、ナデシコだろナデシコ」
 厨房で洗い物をするおばさんと鍋をかき混ぜるおじさんがそう声をかけてきてくれる。
 そんな二人になんとか笑顔を見せながら、俺は言葉を返す。
 「あ、はい。今夜遅くにはもう到着できるそうですから」
 「そうかい…じゃあ、これでウチの旦那にこき使われるのも最後だねぇ」
 「俺がいつアキ坊をこき使ったって言うんだよ? ったく――――ほれ、いいからお前さんは上がって飯食ってきな。せめて今夜くらいは泊まってってくれるんだろ?」
 お玉を片手に笑いかけながら、そう言ってきてくれるおじさん。おばさんもなんだか感慨深げに微笑みかけてくれる。
 俺はそんなおじさん達に感謝の意をこめて、頭を下げて。
 「……ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて――」
 「アキトさん早くー!……って、あれ?」
 そしてひょいと奥の居間から顔を出す久美ちゃん。厨房の、なんといったらいいのか…やんわりとしたような、それでいて少しだけ物寂しい雰囲気を感じてその顔を白黒させて。
 それを見たおばさんは仕方なさそうに苦笑し、穏やかなため息を一つついた。

 「…ホント、まったくしょうがないねこの子は」




 「―――結局、間に合わなかったよ」
 久美ちゃんと二人、居間にあるちゃぶ台の上のご飯にに向かって座り込んでほどなく、俺はそうとだけ言葉を漏らしていた。
 …ほんの僅かなあいだ箸をとめ、浮かない顔を見せて俺のほうを向いてきた久美ちゃん。彼女は小さく口を開く。
 「助けるんだ、って言ってた人のこと?」
 「うん。今朝になってやっと通信設備の修復が終わって、それからネルガルの人に無理矢理頼み込んでナデシコに繋いでもらったけれど…もう、全部終わった後だった。
 俺が不甲斐なかったばかりに、俺のせいで…彼女は、シーリーさんはもう―――」
 「…そんな言い方、やめようよアキトさん」
 「―――?」
 不意に久美ちゃんはゆっくりと箸を置いて、膝の上で両手を握りしめながらそう言ってきた。何かを思い出すような、悲しさに満ち溢れたそれを思い出すような顔を俺に向かって見せてきながら。
 「ほら、私の家、戦争が始まる前からずっとここにいたでしょ? だから地球に避難するまでも、もう一度ここに帰ってきてからも…何度もお店に来てくれた 人達や親しかった近所の人たちが犠牲になっていくのを見てきたんだ。もちろんその中には、私の大好きだった友達もいて――」
 僅かに、深く、顔を俯かせる彼女。
 「…でも、何度もそういう悲しい思いをしてきたけれど、それが私のせいだったなんて事は考えちゃいけないんだよ。私も前にお父さんに言われたけれど―――本当は、『誰かのせいで』とか『私のせいで』とか、そういうだけの責め方をしちゃいけないんだよ。
 だってそんなことをしちゃったら、その人たちが…………ええと、ええっと」

 そして久美ちゃんはその続きの言葉を、おじさんから言われたんだろうその言葉を思い出そうと懸命になって。


 「―――わかるよ久美ちゃん、その気持ち」
 「――――…」

 久美ちゃんの言葉が止まる。ただ黙って俺のほうを見てくる。

 「…俺もこういう経験は、初めてじゃないからさ。
 でも、詳しい事情は多分説明しても信じてもらえないだろうけれど―――昨日彼女がああなることを俺は知っていて、だからこの2週間、俺は必死の思いでその知ってしまった運命っていうのを変えようと努力して……
 でも駄目だった。間に合わなかった。やっぱり彼女は俺の『知っていた』とおりになってしまったんだよ。もしかしたらそうはならなくても済んだかもしれなかったのに。
 だからどうしても、俺は―――」

 「まぁだそんなことをうじうじ悩んでるのかよ、アキ坊」

 と、そう言って厨房から現れ、俺のすぐ横に座り込んでくるおじさん。
 「おじさん……?」
 「前にも言っただろ? この世のことに『意味』なんてもんはねぇ。それを勝手につけてるのは俺たち人間の心のほうだってよ。
 こちとらこの不安定な政情の土地に育って40年以上だ、今までいろんな奴の生き様も見てきたし、牧師さんや坊さんの説教なんかも浴びるほど聴いてきたさ。そんな俺から言わせてみれば、結局そういうことなんだよ。
 ――人間ってのは、どうあがいたって一生弱っちいままなのかもしんねぇ。だからそういう『物事の意味』ってやつを勝手にこじつけて、自分を納得させたり責めたりして逃げちまう。
 でも、そういう俺達人間だから俺達なりに、一生懸命に前を向いていかなくちゃならねぇんじゃねぇか――――?」


 ……そしておじさんのその言葉を最後に、黙りこくる俺達。
 ちゃぶ台の上では食べかけの夕食が暖かい湯気を上げている。続いて上がってきたおばさんが、困ったように俺たちの顔を見回してくる。
 でもそんな中で、俺は…俺は――――


 (…それは、そんなことは理屈では俺もわかっているんだ。……でも、俺がまだガキだからなのかもしれないけれど、やっぱりあるんだと思いたいじゃないか。そういう何かが。
 そう。この俺だけがこの2週間を…もう一度繰り返し体験することになった、その『意味』っていうのが――――――――)








 そして、夜。

 …俺は夢を見ていた。
 2週間前にカワサキ・シティから『跳んだ』時に、あやふやな意識のなかに見ていたその不思議な光景を。

 ――――白一色に染まりつつあった風景の中、目の前でもがくように俺を手繰り寄せようとしていた…サレナさんの乗る空戦フレーム。
 ほんの一瞬だけ視界に飛び込んできた、虹色に輝く不可思議な空間。
 その空間の先に一瞬だけ見えたような気がした―――現実か幻かもわからない、黄金色に輝く雲のなかに浮かぶ、黒い輝きを放つ不思議な建造物。


 …ふと何故か、ユートピア・コロニーで会ったあの少女の……アイちゃんの笑顔が思い出されてくる。
 あの日火星で、俺の部屋で―――うずくまって号泣していたサレナさんの姿が思い出されてくる。
 そして―――


 ―――そう、あの日に俺の中で『何か』が始まったんだ。きっと。

 あの…不思議な青白い輝きに包まれて、俺とサレナさんとが地球へと『跳んだ』あの日に。
 俺の事をどこか不思議な…あの温かくも哀しい瞳で見てくれる、俺にとって『姉』のように感じるあの人と出会った、あの時に――――






 …そんな俺の不思議な夢と想い。
 それを突き破ったのは、突如コロニーに響き渡る轟音と巻き上がる土煙。

 「………!!」

 そして。
 あの禍々しくも巨大な機動兵器は―――再び俺の前にその姿を現した。










 14.

 「う〜〜〜〜む…驚きましたなぁ」
 ブリッジ・クルーの大半とパイロットとそれにウリバタケさんと。そして私やジュン君に提督といった顔ぶれが並ぶなか、拘束されたその捕虜を目の前にして…開口一番そうプロスさんは言ってきた。
 「多少遺伝子を弄くった後はありますが――――間違いありません、紛れもなく地球人類ですよ」

 …ジュン君からの連絡を受けて一目散に、警備班の詰め所に駆け込んだ私達。
 そしてそこに捕まっていた、メグちゃんとミナトさんが『逃がそう』としていたという侵入者さんは、何処から見ても間違いなく人間のような格好をした……ううん、どうみても間違いなく、一人の『人間』だったんだ。
 プロスさんと一緒に遺伝子の分析結果に目を通しているイネスさんの顔も少しだけ険しくなっている。
 私自身も正直驚きに包まれているなか、それはまだどう表現していいかわからない胸の中で燻り続けているようなものだったけれど―――そのなかでその侵入 者さん、なんでか昨日のヤマダさんと同じ格好をして顔までヤマダさんに似ているその人は苦々しげな顔をして声を上げてくる。
 「地球人類などと呼ぶな! 私は誇りある木連の兵士だ!!」
 「モクレン……??」
 彼にそう聞き返すヒカルさん。
 「そうだ。我々がこの100年間木星を中心に築き上げてきた、独自の国家だ……」
 その問いかけを受けて、僅かに顔を俯かせながら答えてくる侵入者さん。そして私のすぐ隣に立つジュン君が困ったように言ってくる。
 「とまぁ、さっきからずっとこの調子なんだ。どうも嘘を言っているようには思えないんだけど……でも、ありえる? 木星蜥蜴の正体が実は人間でしたなんて」

 と、
 『――――艦長。よろしいですか?』
 業務の都合上、一人ブリッジに残っていたルリちゃんからコミュニケで通信が入ってくる。
 「なに? ルリちゃん」
 『あと20分程で目的の月コロニーに到着しますが…現在、敵の新型機動兵器1機とネルガルのエステバリスが交戦中です』
 そしてそう、いつもの調子で報告してくるルリちゃん。
 「え?!――――じゃあすぐに戻るから、それまでルリちゃん、そっちお願いね」
 『はい。ではよろしく』
 静かに閉じるウィンドウ。どこか不機嫌な顔をしながら腕を組んで話を聞いていたエリナさんが、苛立たしげに口を開いて。
 「……で、捕虜のほうはどうするのかしら? それと二人の処遇のほうも」
 「後です。今はそれどころではありません」
 「…よろしいのですな? 艦長」
 そんなエリナさんにきっぱりと言う私へと、確認するように訊いてくるプロスさん。眉を吊り上げるエリナさんの視線の先にいる、ミナトさんとメグちゃん。
 ……そして私の頭の中で気になっている、コロニーに現れたっていう木星蜥蜴と、そしてなによりアキトの安否。
 私はその少ない時間の中で決断を下すと……

 「ミナトさん達については後でお話を伺います。各自すぐに自分の持ち場に戻ってください!」








 15.

 「…くっ、くくくくくく。――おのれ悪の地球人め、これ以上悪魔の兵器を作らせはせんぞ!!」

 一人小さなコクピットの中で、心にたぎる正義の炎を燃やしながら叫ぶ俺。
 目標としている敵の新型戦艦とやらはこのすぐ近くに眠っているはず。それを破壊するのが俺の使命ならば。

 ――――ふん! この命の一つや二つ、木連の未来のためには惜しくもない!!


 心の内でそう強く吼える。そして俺は入力機である口元の小型集音機にその必殺の合言葉を吹き込んでいく。
 全ては我らの、平和のために。

 「…ゆくぞっ、ダイマジン!―――『ダイマジンッ・トルネェェェェェェェェェエエエド』!!!!」

 唸る豪腕。その素晴らしい威力の一撃を受けて、目の前に立ちふさがる壁に大きな亀裂が入っていく。
 と、ふとカメラの隅に映しだされたのは、昇降機から上がってきた青い敵の機体。昨日対戦した相手とは違う、やや大きめのタイプ。
 ……はやる、心。
 それを見た俺の口元には、知らぬうちに小さな笑みが生まれていた。

 「敵の人型戦闘機か……来るなら来い! 片付けてくれる!!」




 16.

 「――くそっ!! やっぱりカワサキ・シティのと同じ……いや、さらにデカくなってやがる!」
 新型のエステバリス・『月面フレーム』のアサルト・ピットの中でそう、流れ落ちる脂汗を感じながら毒づく俺。

 …目の前にそびえ立つように立ちはだかる敵の新型機動兵器。
 そいつが口から放ってきたレーザーを、この月面フレームの強固なディストーション・フィールドが弾き返す。
 『――月面フレームは相転移エンジンを搭載している分出力も通常のエステをはるかに超えているが、機体が巨大な分反応性も鈍い。回避されぬようレールガンは接近して撃つんだ』
 「…わかってますよっ!」
 そして今日一日俺につきっきりだったそのネルガルの人が言ってくる言葉に苛立たしげな返事を返し、俺の乗った機体はその相手へと突撃していった。

 …敵の搭載しているグラビティ・ブラストのことなんか、頭にあってないような状態。それよりもなによりも、2週間前のカワサキ・シティの戦闘のことで、頭がいっぱいになっていきそうで―――もう半分以上頭に血が上っていて。
 そんな俺の心にあったのは、2週間前には殆ど感じたことのなかった敗北感と屈辱感。この2週間の間に、変えられなかった運命のために叩きのめされた俺の心が生み出した……ドロドロとしたその灰色の感情。

 どうしようもない程の、空しさと苛立ちの混ざったその感情。ともすればすぐさまに、憎しみへと変わっていくことの出来る――――


 (もう……どうでもいい。
 連合軍を欺いてナデシコ四番艦の『シャクヤク』とかなんとかを作り何かを企んでるネルガルも、未だ蜥蜴のその脅威が振り払われていない地球のこともどうでもいいんだ。
 ―――俺はただ…………許せないだけ。俺から、故郷の火星から…多くのものを奪っていきやがったあの蜥蜴どもが、そして『コイツ』が許せない――――!!)


 右腕に、必要以上に力がこもるのがわかる。
 撃ち放たれたレールガンの弾丸は相手のフィールドに僅かに食い込み、そして弾かれる。

 そして不意に、体全体を襲う衝撃。
 「??!」

 …相手のグラビティ・ブラストを受けて吹き飛ばされたのだと気がついたのは、機体が背面の壁に叩きつけられてからだった。


 「クッ……」
 すかさず計器に目を通す。右腕が損傷して切り離された―――でもまだ、いける。…だがそう思った矢先。
 視界の先にいるアイツは地べたにはいつくばっているように見えるだろう俺を一瞥すると、ゆっくりとその向きを変えていった。
 「?…何を―――…!!」


 そしてその一瞬だった。
 ゆっくりと振り下ろされたアイツの右腕。轟音とともに崩れていくその壁と、散らばっていく小さな破片……やがてその一帯はゆっくりと、どうする術もなく陥没していって。
 ようやく立ち上がったこちらに気がついたのか、その首だけを僅かにこちらへと向けてくるアイツ。

 ゆったりと、禍々しく。
 その光景は、あのカワサキ・シティでの…『あの時』の光景をまざまざと思い出させて―――――


 ……その時、頭の中で『何か』がプツリと切れたような音が確かに聞こえた。




 「…やめろ、やめろ……――――やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!」











 17.

 「はい、そこ右ね」
 赤いジャケットを着た長髪の男に銃を突きつけられながら、私…白鳥九十九は無言で指示されるとおりに通路を突き進んでいた。この私の『処遇』を引き受けたその男はただ飄々と、簡潔な指示だけを繰り返しながらどこかへと連れて行っているようだった。
 そして不意に、後ろを歩いていたその男の足取りが止まる。
 「さ、ここらでいいかな?」
 「は?……?!」

 振り向いた先に立っていたのは、先ほどの部屋を出る時までに見せていた表情とはまったく違う、冷徹そのものの顔をした彼。
 そしてなにより、この私に向けてその牙をむいている右手の拳銃。
 「……どういう、つもりだ?」
 私のその問いかけに、男は小さく鼻で笑う。そして。
 「どうもこうもないさ。まったく、せっかくフォン君の退場とかもあってみんなの気持ちが反木星ムード一色になりかけてきてるっていうのに、今更しゃしゃり出てきちゃってさ。
 はっきり言ってタイミング悪すぎなんだよね、君た―――」


 …………ごわんっ!!!


 そして突如その男の頭に容赦なく振り下ろされた、鉄製の丸い鍋。

 「っ……た―――」
 程なくしてその場に倒れ伏すその男。正直も何もとにかく呆気にとられた私の前には、先ほども何故か私を逃がそうとしてくれたあの二人の女性―――彼に手を下したその女性たちが立っている。
 「貴方たち、どうして…?」
 そしてふと口を出てきた私のそんな問いかけに、長い髪を茶色に染めたその女性は苦笑しながら言ってきた。
 「この男、ちょっとあまり信用できなかったから……万が一、と思ってね。
 それよりも白鳥さん、この艦に留まっていても安全じゃなさそうだから…やっぱりいっそのことナデシコから逃亡したほうがいいんじゃない? うん、それがいいわよ」
 何気ないような、なんでもないことのような口調でいて、それでもその裏には彼女のはっきりとした意思を感じさせる何かがある。彼女の目がそう物語っている。
 「ミ、ミナトさん?」
 「はぁ? あの、言っている意味が―――それに私は捕虜…」
 「もう、そうと決まったらぐずぐずしてないで! ほら、こっちこっち!!」
 「え? いえ、ちょっと…ハルカさん!」
 さらにその女性は私の腕をとり、やたらと強引に引っ張ろうとする。そんな彼女の肩を私は思わず掴み…実の妹を叱るときのように、私は彼女に正面を振り向かせた。

 「――やはり、駄目です! いくらなんでもそれでは、貴方達に迷惑がかかってしまう……」
 「……――――」


 そして何故か、きょとんとした顔を見せてくる彼女。
 顔を上げ、何が起きたかわからないような顔をして二度三度と瞬きをする。
 ふとして生まれたその僅かな沈黙の後―――そして何かに耐え切れなくなったように、目の前の女性は口元を抑えながら笑い出した。

 「……あ、あははははははっ」
 「あ、あの…………どうかされたんですか?」
 そんな彼女の振る舞いに途惑い、どうしようものか困りながら私が声をかけ…もう一人の三つ編みの女性も不可思議そうな顔をしながらその女性を見やるなか、目の前の彼女はほんの少しだけ上目遣いになりながら私のほうを見てくる。
 「ふぅん……『木星蜥蜴』さんもそうやって他人の事を心配したりしてくれるんだ」
 「『モクセイ・トカゲ』? なんですかそれは」
 「う〜〜ん、貴方たちが―――でいいのよね? 戦争で使ってる虫みたいな機械の呼び名のこと。ずーっと貴方たちのこと、『正体不明の無人兵器群』だと思ってたんだから。私達」
 「はあ、それは……」
 「って、ミナトさん! 今はそんなこと話してる場合じゃないですよ?!」
 と、そのもう一人の女性の声で我に返って。
 「と、ともかく。助けて下さったことは感謝しています。ですがやはりこれ以上の迷惑はかけられません、大人しく……」
 「…それは私達が女だからかしら?」

 …不意にその目の前の女性が放ってきた言葉。今までとはうってかわって、私へと投げかけられてくるキツイ視線。
 再び訪れる沈黙。だがこのことばかりは私にも引け兼ねる。
 そんな彼女の瞳を臆することなく見つめ返すと、静かに、はっきりと、私は私の信念を口にした。

 「確かに我々木連の男児にとって女性は慈しむべき存在です、しかしそれとは関係ない。―――これは…私の『誇り』の問題ですから」


 …そして彼女はどこか驚いたような顔を見せてくると、ふとやんわりと微笑んで。

 「そう……でもね、言ってみればこれも私の、私なりの『誇り』みたいなものだから。
 貴方はあくまで礼儀を持って私達に接してくれた。そんな貴方みたいな人をここでみすみす死なせるような真似はしたくないもの。ここが戦場だって、貴方が敵だってわかっててもね。それに…
 …正直、貴方たち木星蜥蜴の正体にも興味あるのよ。だから、脱出にも協力してあげるから―――貴方たちの事をもっと教えてちょうだい? 貴方なら身柄の保証は期待できそうだしね」

 「―――……」


 そして彼女のそんな言葉に、微笑みながらのそのメチャクチャな言葉にただ、ただ絶句する私。

 …まったく――――なんてムチャクチャな人なんだろう。
 本当に、ムチャクチャな。そしてとても芯の強い――――まさか『我々木連の大敵』と教えられてきた地球人の中に、こんな人がいたとはな。


 静かに諦めと尊敬のため息をつく。もはや何も言葉にはなるまい。
 気がつけばずっと掴んでいたらしいその両肩から手をそっと離すと、私は小さな覚悟とともに口を開いた。
 「…わかりました。では貴方を『人質』として利用させていただきます。向こうでは然るべき待遇を取らせていただきますが―――必ず、ここへ貴方をお返しすると約束しますので」
 「はぁい、それじゃお任せするわよ。…って、メグちゃん? メグちゃんはどうする??」
 「え?……私…私も、行きます。色々あって、不安なこともたくさんあるけれど…これは何かとても、大事なことのような気がするから―――」
 「よろしいのですね?」
 「……はい」

 そしてこちらの女性も、不安そうな表情を見せつつもそう意思の感じられる返事を返してくる。
 そうとなれば、こちらも腹をくくるだけだろう。幸い『テツジン』のコクピットはほぼ無傷だ、破壊されていなければ3人の脱出くらいには使えるはず。

 …後はその決意の下、成すべき事を成していくだけ。
 私とその二人の女性はそうして、人気のない通路の中を格納庫へと走っていって――――











 18.

 『―――貴様、よくも俺のダイマジンをっ!!!』
 「え……?」

 ……そし突然、ソイツはウィンドウの向こうに現れた。



 「な……人間…?」
 あまりに突然すぎたその出来事に、その敵機動兵器の胸部のグラビティ・ブラスト発射口に左腕を突き刺したまま呆然とする俺。
 その目の前の理不尽な映像の先、ノイズの走るウィンドウの向こうで。その海燕ジョーみたいな格好をした黒髪の長髪の男は声を上げてくる。
 その暑さに溢れた声を上げてくる。
 『だがこれしきのことで俺のこの燃え盛る思いを止められることは出来ん!……そう、俺は俺の国を守る! 例えこの身が砕け散ろうとも!!』
 「―――なんなんだよ?! お前いったいなんなんだ!!」
 でもそんな男の声は俺の心を通り抜けていく。いや、そんな言葉は聞こえてこない。
 …許せない敵。シーリーさんの命を奪っていった敵。それが、それが――――

 『……ふっ、貴様とも―――――そう、生まれる星が違っていれば友人になれたかもしれないな。だがこれも俺たちの運命……』
 『アキトッ!! 無事でいる?! すぐに援護しにいくから―――』
 突然飛び込んでくるユリカの声も、俺には届いていない。
 「ユリカ、ちょっと黙ってろ!」
 『なぬ?! 援軍?!!……クッ、卑怯な――――覚えていろ、次に会う時には絶対にやっつけてやる!!!』
 ただ目の前を凝視する俺。そう叫んで不意に通信を切るその男。
 「――――って、おい?!」



 そしてボソン・ジャンプして消えていく敵機。……人間の乗っていたその機動兵器。
 よりにもよって、相手は俺達と同じ人間――――――?


 …途惑いのようなものが、俺の心の中に広がっていった。
 それは言ってみれば…そう、突然燃え盛る蝋燭のまわりに大量の氷をぶちまけられたようなもの。心の中を占めていた怒りは消えることなく、その周りには背筋の凍るような思いとどうしようもない途惑いが溢れ出てくる。
 ごちゃ混ぜでドロドロした心の中、もうどうすればいいのかわからなくなっていく。

 ―――そう。それはまるで、今まで築いてきた全ての感情が足元から崩されていきそうになるような。




 『―――アキト? ねぇアキト! 聞こえてる? 私の声、ちゃんと届いてる??……ねぇ、アキトってば!!』

 ふと聞こえてくる、やっとはっきりと聞こえてくるユリカの声。どこか遠いその声。
 そのユリカの切羽詰ったような切なそうな声を耳にして、俺は小さく呟く。

 「…………ユリカ――――――――なんでだ…?」
 『え…?』

 小さく、呟いていく。


 「あいつら…………なんで――――――」



 …なんで―――――よりにもよって人間だったんだろう?
 だって、だったらなおさら……あいつら、許せないじゃないか――――――



 そして最後の言葉は言葉になることもなく、俺は静かに冷たい宇宙を見上げていた。





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