「――左舷方向より豪州方面軍と思われる艦隊が接近中! 距離およそ8000、5分後には機動兵器部隊の射程に入ります!!」
 『現在、艦隊の規模を確認中!』
 『…! 艦隊より機動兵器部隊の出撃を確認しました!』
 「艦隊は現在の速度を維持しつつ尚も接近中です!」
 ナデシコCのブリッジとゆきまちづき一番艦ブリッジとの間をその交信が飛び交う。スクリーンには望遠レンズに映された青黒い影が染みのように浮かび上がっている。
 『月臣大佐…?!』
 そう声を上げ、彼のほうを向き直る七条。その意を察し、高く声を上げる月臣。
 『くっ、こんなときに――イツキ、すぐに出撃準備をしろ!』
 『了解です!!』
 『総員、直ちに迎撃体制! 二番艦と四番艦は本艦の上翼へ!! 』
 ゆきまちづきのブリッジは最大限の緊張で満たされていった。そこには俺たちナデシコCのクルーがまだ知らない戦慄と不安がある。彼らはこの突然の接触の意味を嫌というほど知っている。
 「…艦長、我々はどうするんです?」
 その光景を横目に捉えながら、険しい表情で高杉が言ってくる。シートに腰掛けたまま、キッとスクリーンを見やるルリちゃん。
 俺は、強く声を漏らす。
 「我々の任務は両軍の衝突を最小限に抑えること、そして何より大使の安全を確保すること。そのためには―――」
 「―――はい、アキトさん。
 …ソウマ少尉。哨戒中のスバル機へ命令を。“ナデシコCはゆきまちづき一番艦の護衛を最優先任務とします。万が一敵機動兵器の侵攻があった場合、追って出撃するテンカワ機、及び木連軍機動兵器部隊ととともにこれをなんとしても阻止してください”」
 「了解」
 「マキビ中尉は敵艦隊の行動分析、及び木連軍とのデータ共有作業を。高杉大尉はアルストロメリアの指揮をお願いします」
 「はいっ!!」「了解っ!」
 「それから、…テンカワさん」
 そしてルリちゃんが、俺のほうを振り向いてくる。彼女の瞳に、鈍い輝きが見える。そのタイミングで、ゆきまちづきのオペレータから…その悲鳴に近い報告が飛んでくる。
 『敵艦隊、所属及び旗艦の確認ができました! 豪州方面軍火星制圧部隊旗艦、“クレマティス”!!』

 そして。


 「――出撃を、よろしくお願いします」
 「ああ。行ってくるよ」
 俺は小さくうなずき、彼女に微笑み、そして格納庫へと向かっていった。






 11.黒いステルンクーゲル(i) 〜七条イツキ〜

 …低く、頼もしいその音を立てて。私の乗る『星辰』は火星の空へと飛び出す。
 その身重な身体を震わせながら、その目をあの女性パイロットへと向けながら。
 そして私はこの錆びた黄金に包まれながら、目の前に迫ってくるその死神を必死の思いで探し出そうとする。

 『――イツキ。地上では“星辰”の能力に大きな制約がつくことを忘れるなよ。今回の戦闘は彼奴らを追い払えればいい』
 「月臣大佐」
 ふと艦橋の大佐からそんな言葉が飛んできた。私は操縦桿を握り締め、静かに頷く。
 「……はい」
 『それと―――何度も言うようだが、必ず無事に帰ってこい』
 「…はい――!」
 その大佐の言葉に、私は大切な力をもらう。“星辰”の背から伸びるその翼の先、空へと向かうその切っ先に光が灯り、コクピットの光景はぐんと後ろへ流れていく。
 『七条大尉、ナデシコC所属のアルストロメリアから通信が来ています』
 「わかりました。すぐに繋いでください」
 部下の言葉とともに、コクピットの隅に現れるその映像。そして短めの黒髪の、生き生きとした表情の女性が現れた。
 『こちら、ナデシコC所属のスバル・リョーコだ』
 「本戦闘にて積尸気部隊の指揮をとります、七条イツキです」
 『…ふぅん、あんたがそのでっかいのを動かすのか。てっきり俺は月臣大佐が乗ってるんだと思ってたんだけどな』
 「そうそう大佐のお手を煩わせるわけにもいかないんですよ」
 彼女…スバルさんの意外そうな言葉に私は苦笑を返し、スバルさんは私へ人好きのする笑みを返してきて。
 『ま、それもそうだわな。じゃあ、お手並み拝見といきますか!』
 「ええ。望むところです」
 赤と黄の機体は相並ぶようにして空を駆けていく。私達の後に頼もしい積尸気の機体達が――パイロットの皆が続いていく。
 『ナデシコCより通達です。“当艦よりさらに1機の増援を派遣。ただし敵機撃墜の意思は一切ないのでそのつもりで”』
 「…はい、了解です」
 ここは戦場だというのに、思わず私の口に微笑が漏れた。あの宝石のような容姿の、ナデシコCの艦長さんの顔が浮かぶ。画面の向こうで僅かに首を傾げるスバルさん。
 「? スバルさん、どうかしましたか?」
 『あ、いや……なぁんかどっかで、見た覚えがあるような―――っと、七条! 連中おいでなすったぞ!!』
 「…そう、みたいですね」
 眼前まで迫ってきた十数機のクーゲルとリーダー機。
 私は瞬時に思考を切り替え、厳しい視線をそのリーダー機へと……私の当ては外れたようだったが、その青い機体へと向けて。
 『って……はぁ? アルストロメリアぁ??』
 スバルさんのそんな驚いたような声が聞こえた。戦場で幾度か見た、その敵の青い機体。構わず私は月臣大佐へ通信を繋ぐ。
 「月臣大佐、敵部隊と接触までまもなくです。いかがいたしますか?」
 『各機警戒態勢のまま様子を見ろ。先に手を出すわけにはいかん』
 「…了解。各機に告ぐ。陣を組みつつ警戒態勢を維持、万一に備えてジャンプの準備も怠らないように!」
 『『『『『了解!!』』』』』
 (さて……どうでてくるでしょうか?)
 そして、そのリーダー機は不意にその場で停止すると、私達に向かって通信を繋いできた。

 『――あー、こちら統合軍豪州方面部隊所属、“クレマティス”副艦長のロバート・ガウェイン少佐だ』
 『…は? 副艦長??』
 そうどこか人をくったような物言いをしてきた、薄ら笑いを浮かべる青い機体のパイロット。スバルさんがまたそんな声を上げる中、私は彼を強い視線で睨む。
 私の顔を見て一瞬笑みを強くしたその男は、しかし続いてその笑みを消し去り、鉄のような表情で言葉を続けてきた。
 『返事がないようだが続けるぜ? …我々の用件は単純だ。本日諸君ら木連軍とナデシコCが連合の調停大使とともに行動していることは知っている。当然大使の目的もだ。
 しかしながら我々にとってみれば、本来中立なはずの連合が諸君ら木連軍に加担するような形で今そこに大使を派遣していることは、非常に、そう……非常に納得がいかない。で、そこでだが』

 ――すっ…と、その青い腕を上げる彼の機体。背後に並んだクーゲル達が、一斉にその銃口を向けてくる。
 13の牙が、私達を静かに捉える。
 「?!!」
 『悪いことは言わん、さっさと大使をこちらに引き渡したまえ』
 そして僅かな沈黙。操縦桿を強く握り、私は画面の向こうに立つ月臣大佐へと目をやって。
 静かに、頷く彼。静かに、放たれる言葉。
 時間にしてほんの僅かの、その瞬間。ありったけの戦意をこめてその言葉を伝える私。
 「残念ですが、お断りいたします。我々にその意思は一切ありません」
 そして。
 『……ふぅん?』
 …途端、男はその表情を苛立たしげに、そして愉快そうに奮わせた。そして操縦桿をグンと握り、彼は吼えるように叫んでくる…!
 『ったく、人がせっかく親切ゴコロおこしてやったっていうのによ! お前らそんなに“アイツ”にバラされてぇのかっ?!』
 (……アイツ――?!)
 加速する青の機体。同時に始まるクーゲルの一斉砲火。
 「各機散開! 落ち着いてクーゲルから各個撃破――」

 そして、不意に。
 なんの前触れもなく私の背中を襲う死の予感――――絶対的なまでに支配された、あのぬめった感触。
 そう、あの女性の放つ危険な感触。
 『…七条、後ろだ!!!』
 「?!」
 視界に淡い虹色の閃光が奔り――









 11.黒いステルンクーゲル(ii) 〜スバル・リョーコ〜

 「七条!!」
 俺の叫びがコクピットに響き渡った。
 不意に…まさに不意に、虹色の光とともに現れたその黒い機体。その全身を真っ黒に染めた妙ちきりんなクーゲルは、至近距離から七条の機体へとレールガンをぶっ放しやがった。
 『――――!!』
 七条の声にならない悲鳴が聞こえてくる。でも次の瞬間、あいつは瞬時にその場から機体をかき消し――――それとともに、その黒いクーゲルは異常なまでの加速で上方へと動く。思わず叫ぶあたし。
 「…って、逃がすかよっ!!」
 『おおーっとレディ、お前の相手は俺だ、俺!!』
 「アルストロメリア!」
 目の前に躍り出てきたその機体。まるで砲弾みたいに見えたその拳を間一髪でかわし、お返しとばかりに出した右のクローは相手の拳に難なくはじかれる。
 バチッというその干渉光を残し、薄い歪みに包まれた相手の拳によって横へと払われる。
 「!!」
 そのなんないはずの攻撃を受けて、切っ先が大きく歪むクロー。
 …瞬時に、理解した。

 ――――こいつ、拳にアンチ・ディストーションフィールド形成してやがる…!!

 そして意地悪く笑みを浮かべる、その酷薄な笑みを浮かべる目の前の男。
 『…そうそう、こいつをアルストロメリアなんて呼ばないでくれ。こいつにゃ俺様のために、“ブルーメリア”ってお名前がついてんだよ』
 「ちぃっ!!」
 『おっと』
 続く俺の左の横薙ぎ。そこから返すように放った右の突き、続く左右の連打。なのにその全部を、そう! 全部を目の前のコイツは余裕気に捌きやがる…!!
 『…ふむ、センスはいいねアンタ』
 「うっせぇ!!」
 『ほほう!』
 怒号とともに突き出される左のクロー。それをまたなんでもないように払われて。冷や汗が背筋を流れ落ちる感触。……俺がまるで、子ども扱い?
 (くそっ、くそっ! くそっ!! 何なんだよ、コイツ……?!)
 不意に聞こえてくる、その男の呟き。
 『――だが、ちと振りが甘ぇな』

 ……ガォン!!

 「!!!」
 途端、コクピットが小刻みに揺れて。あたしのアルストロメリアの左肩に喰い込むヤツの右の拳。
 「…っ、このおぉ!!」
 ヤケクソ気味に左脚の蹴りを放ち、ヤツがそれを弾いた反動を使って間合いを離す。やつは追ってこない。大きく息を吸い込み、視線をスクリーンの横――アラートウィンドウへとやる。
 (くそ、左腕は駄目みてぇだな。――こいつ、まじに強え)
 正直、予想もしてなかった展開だった。興奮から肩で息をしながら、その画面に映る青のアルストロメリアもどきを見て忌々しげに思う。その両腕を、小ばかにするように軽く広げる奴の機体。
 『さ、どうした? 頼むからもっと俺を楽しませてくれ。あまりに“シェリエ”ばっかが暴れまわるせいで最近ずっと暇してたんだよ』
 その言葉遣いとは裏腹に、とんでもなく冷徹な目をしてヤツはあたしと向かい直った。心の中で万が一の『覚悟』を意識しながらIFSコンソールを握り締め…。

 と、俺の前後左右に突然の閃光が走る。スクリーンの端を掠めていく黄の機体。
 「…七条?! おい七条、今どこだ?!!」
 『――スバルさん、すぐにそこから離脱してくださいっ!!』
 「え?」
 頭より先に身体が動いてた。
 ありったけの出力を開放させて、あたしの赤いアルストロメリアを右下方へと沈ませる。直後、その空間を光の線が貫いていく。
 (どこから来た?! ――――上…あっちか!!)
 上空で攻防を繰り広げていたのは、七条の黄の機体と……あの黒いクーゲル。
 七条の機体――『星辰』から伸びるグラビティ・ブラストを紙一重で回避した黒い機体は、急速な機動で彼女の横手へとまわり、彼女を嘲笑うかのように鋭い銃撃を浴びせる。…変幻自在に、まるで亡霊みたいにして獲物を追い詰めている。
 (ったく、何だよ? サブの言ってた以上じゃねぇかよ! あれじゃ積尸気程度で太刀打ちできるわけねぇぜ。七条の腕と機体の装甲の厚さがあってもっているようなもんだ…!)
 その光景を目の当たりにして、心の中でそうあたしは毒づいた。あれじゃあジャンパー処理を受けて日の浅い、ジャンプに慣れていないあたしでは補足できそうにない。それこそアキト級のジャンプの精度がないと勝負にならない。
 『さっきから何をよそ見してる!』
 「ちぃっ!!」
 あたしがクーゲルに気を取られているのが気に食わなかったのか、叫びながら突っ込んでくるアルストロメリアもどき。視界の隅で1機の積尸気が撃墜されるのが見える。そして黒い、おぞましいその影が、この戦場を高く鋭く疾っていくのが見える。
 その影が、その黒が、この場所に不吉な何かを呼び込んでいるようで。あたし達をそこへと引き摺りこんでいくようで。
 だからこそ言いようのない焦燥感を感じながら…思わず大声であたしはナデシコに怒鳴っていた。
 「おい艦長!! アキトのヤツはまだ出てないのかよっ!?」






 11.黒いステルンクーゲル(iii)

 「…こりゃあ、思ってた以上にまずい相手かもしれませんよ」
 スクリーンの先を見つめたまま、シートから身を起こしながらサブロウタさんがそう漏らしました。私はその光景に瞳を縛り付けられたまま、彼へと問い返していました。
 「ええ、わかっています。サブロウタさん、アキトさんの出撃準備は整いましたか?」
 「まもなく出撃できるそうです」
 「…様子は、どうでしたか」
 「問題ありませんよ。艦長が心配するのもわからなくもないですけれどね」
 「――艦長、統合軍艦隊がゆきまちづきへの砲撃を開始しました!!」
 不意に硬い声でそう叫んでくるハーリー君。ブリッジの皆に緊張が走り、サブロウタさんがパネルを拳で叩く音が響きます。
 「ヤロウ、本気かよ…。おいハーリー! 統合軍艦隊の予想進路は?!」
 「現状では進行の気配ありません! 前線では依然両軍の機動兵器による射撃戦が続いています!!」
 「スバル機、左腕を損傷!」
 「…っ!!」
 そして続くユミさんの報告に、サブロウタさんはたまらず席を飛び出しそうになって。
 「――サブロウタさんっ!」
 私のその強い声が飛び、サブロウタさんはその場で悔しそうにスクリーンを見上げました。そして強い音とともに再びシートへと腰を下ろして。
 …今回の任務で戦闘時の各機の指揮をとることになったサブロウタさんは、そうそう前線へと出撃していただくわけにもいかないんです。だからこそきっと、一人前線に出ているリョーコさんのことが心配でたまらなくて、いつになく焦ったような表情を見せてきているのでしょう。
 「……ったく、こっちからは連中に一切手を出せねぇなんて、なんてキツイ任務なんだよ」
 不機嫌そうにシートへと腰を下ろしながらそう苦く呟くサブロウタさん。緊張と不安とに少しずつ包まれていくブリッジ。
 (――――アキトさん、まだですか…?)
 スクリーンを見つめ、そう心に呟く私。


 …そして。その激しさに狂う戦場の上で。






 11.黒いステルンクーゲル(iv) 〜リロィ、彼女、そして〜

 「…ふむ、そうなかなか出てきてはくれないか」
 クレマティスのキャプテン・シートに身を沈めたまま、彼は、リロィはそう言葉を漏らした。
 右手をゆっくりとパネルの上へともって行き、前線でまるで憂さ晴らしをするかのように駆け回っている副官へと通信をつなぐ。
 「ガウェイン少佐、そちらの様子はどうだ?」
 返ってくるのは、いささか物足りなさそうな返事。
 『あぁ? まぁまぁってところじゃないか。確かにえり抜きの護衛だけあって腕は立つが、はっきり言ってそうリスクの高い要素じゃねぇな。それに欲を言えば木連軍の白いヤツのほうが興味があるっつーか、やたら手強そうな印象だしよ。
 ――ていうかリロィ。そもそもシェリエの“本命”がまだ出てきてねぇだろが』
 「そうだな…」
 続いて彼は、リロィは戦場に咲くその黒い光景へと目をやる。対峙する星辰からの射撃をことごとくすり抜けていき、あざ笑うかのように一つずつ、彼女の――あのパイロットにとっての灰色の手足達をもぎ取っていくシェリエ。
 シェリエに撃墜された積尸気はすでに3機を超え、形勢は明らかにこちらへと傾いている。ナデシコCから出撃した赤いアルストロメリアもガウェインによって封じられ、シェリエを――黒のクーゲルを阻止することはおろか触れることさえできないでいる。

 そう、端から見るにそれは満足するべき戦況だ。しかしその中で彼は、リロィは静かにその光景を見つめ続けていた。いや、何かを待ち続けていた。
 …そう、そこには明らかに役者が足りなかったのだから。今ここに彼がいて、そして戦場には彼女がいて。しかし最後に来るべきあの人物だけが、彼らの前には姿を見せていないのだから。
 そしてそれは、彼女も――“シェリエ”もずっと感じていたのだろう。不意に、彼女の苛立たしげな、そして冷え切った憎悪を含んだ声がリロィの耳へと届いてくる。


 『――――リロィ、もう我慢の限界だ。あいつを……テンカワ・アキトをいぶり出す』


 その冷たい声に、リロィは同じく冷たい笑みだけを返した。
 そして黒いクーゲルはその切っ先をゆきまちづき一番艦へと、ナデシコCへとむけ、その憎悪とともに疾りだした。
 宴は、ようやく遅い本番を迎え始めたのだ。










 11.黒いステルンクーゲル(v)〜テンカワ・アキト〜

 …そして俺は見ていた。荒れ狂う弾雨の中を線のように貫いていき、迫りくるその黒い機体を。
 そう、この狭いコクピットから見ていた。追随してくるそのメタリック・イエローの機体――“星辰”の猛攻をものともせず、ただ一つの点のみへと突き進むクーゲルを。
 それはまるで、あの日の鏡あわせを見ているような。
 その忘れ得ない黒の扉を垣間見ているような。
 だから、俺の口からその言葉が漏れていく。

 「……あれが、黒いクーゲルだと――?」


 『――テンカワさん! ンなこと言ってないで早く出撃してください!!』
 その高杉の声に我に返った。小さく息を吐き出し、右手でIFSコンソールを強く握りしめる。
 「分かっているさ…テンカワ・アキト、出るぞ!」
 その加速とともにカタパルトを背に背負う。一瞬の閃光とともに青一面の空へと放たれていく。ゆきまちづきから伸びる光の束が消えていくその先を見つめ、口の端をきつく結ぶ俺。
 (あそこか…!!)
 目指す機体はすぐに見つかった。この俺の表面を白の光が駆け巡り、一瞬の闇のあとに機体はこの僅かな空間を跳び越えていく。
 『…ボソン・ジャンプ? アキトか!!』
 「待たせてごめん、リョーコちゃん」
 ジャンプ・アウトすると同時に、そう通信をつないできた彼女に短く応える。機体を鋭く回転させ、捕らえるはあの黒い影。ゆきまちづきへと一直線に進んでくる黒のクーゲル。
 『……へっ、バカヤロウ。おめぇはいつも女を待たせすぎなんだよ』
 そのリョーコちゃんの苦笑混じりな一言。俺は小さく笑みを返して、そして目前へと迫りくるクーゲルへ右手のハンドガンを撃ち放った。

 ――伸びる光弾。クーゲル程度のディストーション・フィールドならば難なく打ち破るその弾丸を、右への最小限の動きでヤツはかわす。距離はおよそ600、ヤツの…黒いクーゲルの実力を見極めるごとく、ナデシコCとゆきまちづきを背に、俺は手にするハンドガンを続けざまにヤツへと撃ち続ける。
 「…ちっ、予想以上だな…!!」
 その熟練しすぎた動き、クーゲルの機体特性を極限まで把握した回避行動を目の当たりにして俺の口から呟きが漏れた。
 素早く左手を動かし、パネルを二度、三度と叩く。続いて握り締められる右手――IFSコンソール。
 鈍い金属音とともに、左肩後部のロックが外された。この俺専用アルストロメリアに装備されたもうひとつのハンドカノンが左手へと握られる。スラスターを急噴射させ、ヤツに追随するかのごとくヤツとの間合いを調整する。

 …両手には慣れ親しんだその武装。あの頃とは違う、懐かしくもあるカラーリングのこの機体に包まれながらも、心だけは鋭く細く研ぎ澄まされていく感触。――この表情に、薄いナノ・マシンの煌きが灯り始めたのがわかる。
 黒のグラス越しに、レールガンを構えるクーゲルの姿をはっきりと捉える。


 ――――そして。俺と…『彼女』は同時にその叫びを、この火星の空へと轟かせていった。


 「クーゲル、これ以上先へは進ませんっ!」
 『――やっと出てきたか!“テンカワ・アキト”!!!』




 「?!!」
 瞬間、右腕の照準がブレた。両の銃口から放たれたそれはやつの影を抉るようにして空へと消え、彼女の放った弾丸はこれ以上ない正確無比さでこのコクピットを捕らえてくる。
 (くっ…!)
 機体にかかる強烈なGとともに、アルストロメリアは間一髪でその死神をかわす。間髪なく続くヤツの猛攻。
 『よくかわした! だが次はないと思えっ!!』
 そして激昂したようなそのパイロットの声。
 「…なんだ?! 何なんだ貴様、いきなり人の名前叫んできやがって!」
 …その女パイロットは、鼻から上を覆い隠す黒のヘルメットをしていた。黒一色のパイロット・スーツに包まれて、露になったその口元だけを怒りに震わせていた。
 一旦この場で制動をかけ、一転ヤツへとめがけてアルフトロメリアを突き進ませる。小刻みに左右へと、そして上下へと機体を揺らせながら、その女は俺へと向けて容赦なくそのレールガンを撃ち放ちつづける。
 「……!!」
 機体に僅かな振動が走った。回避しきれずにその弾丸が肩の装甲を掠めていった。いまいましげにはき捨てる女。
 『運のいいやつめ…!』
 そして豪州方面軍の1機、リョーコちゃんとやりあっている青いアルストロメリアから鋭い男の声が飛ぶ。
 『おいコラ、シェリエ!! あんま熱くなりすぎんな!』
 『うるさいっ! キサマは黙ってろ!!』
 さらにかかる別の女性の声。
 『―――クーゲル! それ以上は進ませません!!!』
 『『?!!』』
 そして七条さんが、黒のクーゲルを追うようにして空を低く駆けてきたその機体――“星辰”が胸部の黒い砲門を開け放つ。
 空を裂いていくそのグラビティ・ブラストを、大きく旋回して黒のクーゲルは回避していった。そこをここぞとばかりに、星辰は肩部後方にあるミサイル・ポッドから無数のミサイルをばら撒いて。
 『…ったく、しつこいねアンタも!』
 クーゲルの女がそう口走る。ヤツの進路を塞ぐようにして射撃を加える俺。空の下を星辰に、その前方を俺に対峙した黒のクーゲルは――このままの直進は無理と判断したか大きな稲妻を描くようにして急上昇していく…!
 『なんだシェリエ? もしかしてピンチか??』
 『笑わせるなガウェイン!!』
 「――逃がさん!」
 空に輝く虹色の環へと昇っていくクーゲル。その機体を追尾していく無数のマイクロ・ミサイルと、それに続きヤツを追いかけていく俺。
 ……さて、どうするつもりだ? そう俺が心に呟き、再び両腕を構えた瞬間。
 「?! ジャンプか!!」
 虹色の光に包まれてヤツは掻き消えた。行き場を失ったマイクロ・ミサイルが天へと吸い込まれていく中、七条さんの緊迫した声が響き渡る。
 『テンカワさん! 周囲3箇所にボソン反応です!!』
 「…っ、複数?!」
 一瞬の逡巡のあと、俺は銃口を迷わずその一点に――もっともナデシコCとゆきまちづきに近い箇所へと向けた。ジャンプ・アウトを待たずしてその引き金を引き絞る。
 「……!?」
 しかし貫いたのは黒のクーゲルとは別物だった。そして見るからに機動兵器とは異なるその円筒状の塊を弾丸が貫いていった瞬間、その場から爆発的な光が溢れ出ていく―――

 『―――っ!!! 閃光弾…っ!』
 『うおぁっ!』
 七条さんとリョーコちゃんの悲鳴に近い叫び声が聞こえてきた。あたりは瞬時にはちきれそうなほどの光に包まれていく。
 「……くそ、囮か―――クーゲルは…?!」
 いつものグラスをしていたためだろう、すぐに視界が回復してきた俺は機体を旋回させながら、再びナデシコCを背にしながら戦場を見回す。焦りの色がにじみ出ていることを自覚しながら、ナデシコCのブリッジに向かって大声で怒鳴る。
 「高杉大尉! ヤツは、黒いクーゲルはどこにいる?!」
 『…!! テンカワさんの真後ろです!!』
 ウィンドウの向こうからそう叫んでくる彼。瞬時に機体を横に流し、そして振り向かせようとする。
 そして、その冷たい…いや、どこかで聞いたことのある声が、その哀しい声が耳元で聞こえてきた気がした。



 「……え?」
 一瞬、この状況なんて全て忘れて宙を見渡していた。錯覚だったのかもしれないその気配に、俺は完全に囚われていた。声にならないその声に、全ての感覚を傾けていた。
 そして俺は…その虹色の残滓に包まれた黒いクーゲルが、俺へと向けて冷たい銃口を定めていることにも気が付かずに――――


 『…………アキトさん!!!』
 「――ルリちゃん?!」
 そのルリちゃんの切り裂くような声が、俺を正気へと返らせてくれた。間一髪のタイミングでジャンプに入る。ジャンプ・アウトと同時にこちらへと追撃を放ってきたそのクーゲルへ、自分でさえどう言っていいのかわからない視線を向けながら…その一撃を交わしながら。ゆっくりとヤツとの間合いをとる。
 「……?」
 しかしヤツは、彼女はそれ以上の追撃を加えてこなかった。今までのその機動が嘘のように、こちらへと銃口を向けつつもその場を動こうとはしない。そして、彼女のその呟きが、苦々しげな呟きが微かに漏れ出て聞こえてくる。
 『―――くそ…こんなときに………邪魔をしやがって、――レナ…』
 「なんだ、いったい…?」

 戦場を、一瞬だけの沈黙が包んでいた。








 12.そして、全てが始まる

 …気がつけば俺とクーゲルだけでなく、他の機体たちも同様に戦闘を停止していた。
 そして彼らにとってのその原因となったもの、そのまばゆいばかりの白の輝きに包まれた――かつて俺が目の当たりにしたことのあるその機体が、静かに青のアルストロメリアへ向けて身構えていた。
 「……夜天、光?」
 俺の口からその名が漏れた。確かにそこに佇んでいたのは、星辰の身を庇うようにして青のアルストロメリアと向き合っていたのは――俺がよく知るその機動兵器だった。あの忌まわしい機動兵器だった。
 しかしそのカラーリングは目もさめるような白一色。その手に握られるのは錫杖ではなく鉤爪。
 禍々しさよりも凛々しさこそが、その機体の持ちえる存在感。まるでその白の輝きに呼応して、大気が猛り震えるかのような…。
 そしてその“白の夜天光”から、あの男の声が届いてくる。
 『イツキ、無事か?』
 『は、はい……月臣大佐』
 どこか掠れたような、消え入りそうな七条さんの声。その声を確認し、男は…月臣はウィンドウの向こうでその静かな表情を僅かに緩ませる。白の夜天光は、その圧倒的な存在感を以ってここに佇んでいる。
 『…ちっ、ホントいいとこで出てくるよな、てめぇ。せっかくそこのデカブツ沈めてやろうと思ったのによ』
 そう苛立たしげに、青のアルストロメリアのパイロットが言う。険しい表情とともに言葉を返す月臣。
 『残念だがガウェインとやら、この俺がいる限りそのようなことは絶対にさせん』
 そして、そのクーゲルの女の呟きが聞こえてきた。
 『黎明……お前も出てきたか、ツキオミ―――』

 …その、不思議な沈黙。両者ともに相手の出方を伺っているわけでもなく、何かを待つかのようにただこの戦場に佇んでいる。生き残ったクーゲルや積尸気さえも同様に動けないでいる。
 その中で俺はこの異様とも思える空気を、そして空域に残っている機動兵器達を見回した。俺の前方でレールガンを構える黒のクーゲル、七条さんの乗る星辰に月臣の“黎明”、そしてその2機と対峙する青のアルストロメリア。…その3機から少し離れた所には、左腕をはじめ損傷の激しいリョーコちゃんの機体がいる。そしてあたりに散開している、8機のクーゲルと5機の積尸気――
 形勢は、5分と見るべきだろうか? 少なくとも月臣があの青のアルストロメリアに遅れをとるとは思えない。クーゲル部隊のほうも七条さんと積尸気部隊なら大丈夫なはず。
 しかし問題は……黒のクーゲル。仮に再び戦闘が再開されたとして、ヤツがどう出るかが全くわからない。そしてこれ以上の戦闘になったときに、俺がヤツのことを抑えきれるかどうか…。
 しかし今なら、クーゲルの女が戦意を抑えているらしい今ならば、交渉の余地もあるかもしれない。そう判断した俺は例の青いアルストロメリアに――クレマティスの副艦長とやらに通信を繋ぐことにした。
 「…こちら連合宇宙軍ナデシコC所属、テンカワ・アキトだ」
 『――テンカワ? ほぉ、お前が“ナデシコ”のテンカワ・アキトか』
 その黒髪の男から返ってきた返事。またも俺の事を知っているらしいその男の言葉に内心不愉快な、苛立たしい気分になる。しかしそれを押し殺し、抑制した口調でその男へと告げる。
 「地球連合下の立場にあるのものとして、当方はこれ以上の戦闘を望まない。そちらにしてもこれ以上の膠着状態は望んでいないだろう。両軍ともに今日のところは――――」
 『…ああ、ちょっと待ってくれ。ミスターテンカワ』
 と、そう言いかけた俺にたいしその男は、突然右手をかざしながら言ってくる。冷たい笑みを浮かべながら、言ってくる。
 『――今からこちらの艦長と回線をつなぐ。お前とぜひ話がしたいそうだ』

 …そして、その男がスクリーンに現れた。


 『―――はじめましてだな、テンカワ・アキト殿』
 統合軍の士官服に身を包んだ、ブロンドの髪の男。…まちがいなく、初めて会うはずの男。
 そう。この火星に駐留する豪州方面軍を指揮する、そのリロィという男もあの女パイロットと同じようにして、まるでこの俺のことを知っているかのような…しかもどこか、長年の敵と対峙したような冷徹な眼差しを見せてきた。
 「…お前が、クレマティス艦長のリロィか」
 確認するようにそう言葉を俺は返す。画面越しにその男は、いかにもという風に薄く微笑ってみせる。
 『確かに。改めて簡単な自己紹介をしておこうか、私が豪州方面軍火星制圧部隊の総指揮官、リロィ・ヴァン・アーデルだ』
 そしてそうヤツは言ってきた。やはりどこか冷たい声のままで。
 『…アキトさん』
 横からブリッジのルリちゃんが、小さな声で話しかけてくる。彼女のほうを横目で見て、左手で軽く制す。
 「……まずは俺から話をしてみる。どうやら向こうも俺に用があるらしいし、な」
 『――わかりました』
 そして俺はグラスを取り、目の前の男へと静かに視線を向けていって。
 「…さて、先程の話の続きになるが。これ以上ここで機動兵器戦を続けるのも無意味だろう、木連軍としても一歩も譲る気はないし、かといってそちらの2機が彼らを圧倒できる状況にもない。そちらの目的が大使の“拉致”である以上、ナデシコCとしても全力でそれは阻止するからな」
 『拉致とは…また、穏やかではないな』
 そう言って苦笑するリロィ。俺は気にすることなく言葉を続ける。
 「こちらにしてみればそう言わざるを得ない。大使に話があるならば、正規の手順を踏んだ上で会談に臨んでもらおう。無論非武装でだ」
 『………』
 そして彼は沈黙する。その表情をかき消して。その短い時間の後、彼は変わらず落ち着きと冷たさのある声で言ってきた。
 『…一つ、誤解をしているようだが。我々が大使を保護しようとしたのには正当な理由がある。火星に到着したばかりのナデシコCはまだ知らないだろうが…近々木連軍が、我々に対して大規模な掃討作戦を実施しようとしているのだ。この火星に本隊の過半数を投入してな。そしてそのことは君達ナデシコにも、大使にも知らされていないだろう?
 我々が連合の停戦命令の後にも戦闘を続けざるを得ないのは、彼らが連合の意に反するその作戦を実行すると知ってしまったからなのだ。そしてだからこそ――』
 『――何を…何を言うのですか!』
 『?! イツキ!!』
 突然、七条さんの鋭い声が飛んだ。月臣の諌めるような声。
 画面の向こうでリロィは静かに彼女へと顔を向ける。彼女は初めて顔を合わせたときの落ち着き振りからすればありえないくらいの、怒りに満ちた声を彼へとぶつけていく。
 『そんな貴方たちの詭弁が通じる道理などありません! この紛争を起こした張本人である貴方たちになど!! ここは、貴方たちの大地などではないのです。私達の…百年の間にわたって大地を持つことを許されなかった木連の人々のための! 私達がようやく手にすることができた、私達の大地なんです!!』
 …でも、その七条さんの言葉はリロィには届かなかった。彼は僅かなあいだだけ目を瞑り、その言葉を噛み締めるようにして。
 そして、その強い意志を込めた言葉を続けてきたのだ。
 『――七条殿と、言ったな。君のその言葉に答えよう』
 怒りに震える彼女をすら威圧する静かな声で、その言葉を紡いできたのだ。

 『…君は、この大地は我々のものではないといった。確かに…この大地は地球のものではない。決してクリムゾンのものでもない』
 『……なに、を?』
 その静かな言葉に、戸惑いの表情を隠せない七条さん。彼は言葉を続ける。
 『だが同時に断っておこう。この大地は決して君たち木連のものでもないのだよ。そう、決してな。君達が後ろ盾にしている地球連合議会の承認など、この火星の歴史からしてみればあってないようなものだ。
 ――なぜなら、そう。そこにいるテンカワ・アキト殿ならよく分かっているだろう?』
 「…………」
 彼の、リロィの薄い笑みに俺は沈黙を返した。一筋の汗が流れ落ちていくのを、それと同時に怒りがこみ上げてくるのを感じた。不覚にもヤツの言おうとしていることが、俺には…いや、俺だからこそわかってしまった。

 ――そう。それはきっと…俺が心のどこかで思っていたかもしれないこと。もしかしたらそれを望んでいたかもしれないことなのだから。

 『この火星の大地は誰のものか? それは本来この大地に住んでいた者たちのものだ。この広大なルナ高原に、天高くそびえるオリンポス山の麓に、そして豊かなクリュセの海を臨む大地に住んでいた者たちのものだ。火星の民のためのものだ。
 …そう、決して君たちのものではない。かつてのあの美しい火星を滅ぼした、君達木連の民のものなどでは、決してない』
 『…っ! 貴方がその言葉を言えるのですか?! 私達とともにこの星を荒廃させたも同然の、クリムゾンに属する貴方が!!』
 その七条さんの声は、絶叫に近かった。俺の拳も握り締められていた。
 しかし彼女に答えるリロィの声は、どこまでも透き通るように冷たく…そして哀しみに染まった強い意思を持っていたんだ。
 その言葉が、ここにいる俺たち全員に残酷に響いていったんだ。
 『……私には、あるんだよ七条殿。私にも、クーゲル=シュヴァルツのパイロットであるシェリエにもな。
 ―――なぜなら私達は、この火星に生まれ育った。この火星を故郷とする…まぎれもない火星の民。そう、敢えてこの忌まわしい言葉を使うならば――私達こそが真の火星の後継者なのだから』

 …そして再び、今度こそは、その終わりないかと思われる沈黙が俺たちに訪れた。
 七条さんは完全に返す言葉を失い、悔しささえ見せることができなかった。月臣は…あの男の表情からは、何も読み取ることができなかった。ナデシコCのブリッジも…ルリちゃんもハーリー君も、高杉も、そのリロィの言葉にただ声を失っていた。
 その中でただ俺だけが、今は俺だけが目の前の男への言葉を持ちえているように思えてならなかった。でも言葉を返すことができなかった。
 ……彼は、静かに言葉を続けていった。
 『もっとも、君たちも知っているとおり私達火星の民はもうほとんど残っていない。2195年に始まった蜥蜴戦争、そして旧木連軍草壁派による純粋な火星の民への人体実験――今ではおそらく、この世界に残る生粋の火星の民は10人といないだろう。
 …だが、そうして失われていった彼らにも、地球に残した家族や友人はいた。いや、今もまだ生き続けている。そして彼らは私とともに、この火星を取り戻すことを誓ってくれたのだ…!』
 そしてリロィは、ヤツはその強く静かな声とともに右腕を振りかざした。握り締められる拳。その拳を、その先を見つめながらヤツは言う。
 『私達は、そういう者達の結集した姿だ。この火星を故郷とし、家族の最後の地とし、友との…最愛の者との思い出の場所とする者達がここに集っているのだ。…そう。この大地を今度こそ、私達の大地とするために。二度とこの故郷を手放さないために――!』

 沈黙は続いていった。
 その、汚すことのできない沈黙。しかしそれを不意に打ち破ったのは、静かに言葉を発した月臣。
 その表情をいつになく、まるであの頃のように歪ませた彼。
 『…リロィ・ヴァン・アーデル、ならば貴様も覚えておいてもらおうか。
 我々も100年前にこの火星を追放された身だ。この100年間、薄暗いコロニーでの生活を強いられてきた身なのだ。だからこそ……我々にもこの星を手にする理由が、その道理がある。
 そして我等のこの悲願を貴様が踏み潰そうとするならば――我々は全力を持ってこの大地を勝ち取るまで…!』
 『―――』
 無言で睨み合う二人の男。火星の空を一陣の風が吹き抜けていく。この場にいる誰もが二人を見守り、その言葉を待つ。
 …先に言葉を発したのは、静かな微笑とともに言葉を発したのは、リロィだった。
 『…ふふっ。双方ともに彷徨えるユダヤ人というわけか。そうだったな。
 ならば月臣大佐、この場はひとまず調停大使殿の顔を立てて我々は退こう。だが心しておくがいい、木連軍の掃討作戦はかならずや失敗に終わる。そしてその時、この火星から君達木連軍の姿は1機残らず消えているだろう』
 『……その言葉、そのまま貴様に返そう』
 そうして二人は短い邂逅を終えた。
 月臣の機体、黎明がその片手を挙げ、残存する積尸気部隊がゆっくりと後退していく。同様に青のアルストロメリアと黒のクーゲルを残し、この空域から離脱していくクーゲル部隊。
 その一部始終を見届けた跡に、そして。
 ヤツは、リロィはウィンドウの向こうで俺のほうを向き直ってきた。その冷たい眼差しに、隠し切れない静かな怒りのようなものを込めて。
 その静かな赤の炎を込めて。

 『さて…テンカワ・アキト殿』
 「―――」
 『最後に貴君に伝えておかねばならぬことがあったのだが…貴君、いや、貴様のそのなりを見て、残念だがその気が失せたよ』
 そして俺の沈黙に、リロィは僅かな不快感を示しながら言ってくる。…その、思いもかけなかった言葉を。
 『正直、貴様には失望した。まさか…アルストロメリアとはな。
 つまり貴様にとって、“サレナ”はもはや用済みということか。テンカワ・アキト』
 「…!」
 途端、心臓が跳ね上がった。
 その予想もしていなかった言葉に、全身が凍りついたように思えた。
 …右の拳を壊れそうなほど握り締め、脂汗が浮かび上がるのを感じながら、目の前の不可解な男に抑えた声を投げかけていく。その冷徹な瞳をにらみつける。
 「――貴様…俺のことをどこまで調べた?」
 『調べる? さぁな。ただこれだけは言っておこう。…私もシェリエも、貴様に対しては個人的な感情を持ち合わせている。貴様が今になってはもう思い出せないだろうその過去に対してな。
 そしてそれは、怒りであり憎しみでもある。お前が今愛する者とともにここにいることによって犠牲とした、あの――』

 『――余計なおしゃべりはするな、リロィ!! そいつは私が殺すんだ!!!』

 「…な?!」
 不意にあがるその女の声。あのシェリエとかいうパイロットの声。
 …その声を、その口元を見た瞬間。全身の血が沸き立つような―――意識が空の中へとばら撒かれたような、言い様のないほどの強烈な感覚を覚えた。頭がわかっていなくても、胸の中心はその光景を覚えているかのようだった。

 「お前……は――――」
 不意に、気づくこともなく俺の口から漏れ出ていた言葉。
 そしてその女のその声はどこまでも黒く、哀しく、憎しみに満ち溢れていた。
 その全部を俺へと向けてぶつけてきていた。今にもこの俺に対して飛びかからんが程に。その言葉を刻みつけようとするように。

 ……そして。俺の抑えきれない戸惑いと動揺を冷徹な目で見届けると、リロィは最後に一言だけ付け加え、その姿をスクリーンから消していった。
 『―――テンカワ・アキトよ、今度は戦場で貴様と相見えることになるだろう。そのときはそんな機体ではなく…あの黒く呪われた機体で現れることを願っているぞ』
 同時に、あの女…シェリエの最後の通信がこのコクピットに残されていく。
 深く、傷だらけのままに刻まれていく。
 そう。深く――

 『…覚えておくがいい、テンカワ・アキト。お前を殺すのは私だ。そう、“私達”だ―――』




 …残された俺はただ、ごちゃ混ぜな心のままに。このちっぽけな空間の中で言葉を失っていることしかできなかった。







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代理人の感想

来ました。

ついに明かされる未来の記憶!

開始直後からえんえんと張られつづけてきた伏線の解消!

ただ、気になるのは「シェリエ」の中にいる「サレナ」。

ひょっとして「サレナ」はこの時点で既に逆行者で、それと別にシェリエが存在してて、

更に過去に飛んだサレナがまたシェリエの元になってループしてるとか?

うーむ。

なんか、手近な人を捕まえて議論を吹っかけたい気分です(笑)。