Spiral/Birth of Fairies − 中編






「ご苦労様」

「フクベさん大丈夫か?」

「うむ」

ネルガル月ドック。

アマテラスから帰還したアキトにエリナが労いの言葉をかける。それには答えず、アキトは車椅子に座らされたフクベへ声をかけ、フクベは片手を挙げて答えている。無視されたエリナが頬を少し膨らますがアキトは気付いていない。

「心配しないで。戦場なんて久しぶりだったでしょうから緊張から疲れただけよ。少し休めば大丈夫。それよりあなたはそっちの方を気にしていなさい」

「そっち?あ…」

フクベを診ていたイネスがアキトの耐Gスーツにすがりつくラピスを見やる。
初めての戦場、リョーコを逃がすためにギリギリまで戦っていたアキト、帰還直後にシートから立ち上がれない程消耗したフクベ。
今まで味わったことのない様々な出来事にラピスの指先は緊張からか未だ震えがとれていない。

「少し…怖かった…です」

「大丈夫、もう大丈夫だから   

かすかにではあるが不安げな顔をして、小さな声でつぶやくラピスの手を取りさすってやる。
バイザーまではずして膝をつくアキトを見ながらエリナは肩をすくめた。先程無視された時の恨みがましい目つきはなく、どこか嬉しそうな顔である。

「相変わらず…」

「何だ?」

「何でもないわよ」

「こうして見るとまるで親子だのぉ」

フクベの言葉に、ラピスの手ををさすっていたアキトの動きがピタリと止まる。
慌てたエリナがその場を取り繕おうと言葉を探しているとアキトがポツリとつぶやいた。

「……そうか、親子か…」

「…………」

「…………」

奇妙な間が漂う。

「もう、大丈夫です」

「そうか…」

ラピスの言葉でアキトが立ち上がる。

「そ、それより今後のことだけど」

「予定変更があるのか?」

「いいえ、さっきの今で統合軍や世論の反応待ちというところね」

エリナが声をかける。たいした内容でないのは先程の雰囲気をどうにかしたかったからだ。

「どのみちこうなったらアキト君が表立って動く必要は無いはずよ」

「なら、少し時間をくれないか?」

「何?」

「ルリちゃんに会おうと思う」

ルリの名前を耳にしたラピスがかすかに眉をひそめるがアキトは気づかない。
エリナが首を振る。

「今は危険よ。ユリカさんが救出されてからゆっくり   

「その前に会う必要がある」

「どうして?」

「その時生きているとは限らないから」

「ちょっと!さっきも言ったけどあなたが動く必要は無いのよ!」

「あいつだけはこの手で決着をつけなきゃダメなんだ」

わずかにナノマシンの輝跡が顔に浮いてきている。
エリナがイネスに助けを求めるが、イネスは先ほどのエリナと同じく首を振る。

「無理ね」

「ルリちゃんに会うのはたぶん最後になる」

「わかったわ」

“最後”という言葉が気にかかったが、ため息をもらしつつエリナは了承した。





 






「エステバリス?」

「そうです。マーキングナンバーからカザマ兄妹が使用していたものに間違いないと思われます」

会議室の画面が切り替わる。キリストよろしく磔状態の紫のエステバリス。濃緑のエステバリスはナンバーのペイントされた肩ブロックから左腕部丸ごと、それと左足部の膝から下だけが残されている。ハッチの開いた紫のエステのアサルトピットは空だったが、シートにむかって杭が突き刺さっている。
それらをルリは息をするのも忘れ見入っていた。データをまとめたときはユリカとアキトに心を奪われ、完全に見落としていたからだ。
ジュンの説明は続く。

「この刺さっている物から、クリムゾンと繋がりのある相手に襲われたようです」

「レールガンの弾針のようだが統合軍でも宇宙軍でも使用しているタイプとは異なるのではないか?」

「同じ物を終戦直前の次期主力兵器トライアルでクリムゾンが持ち込んできたのを見た覚えがあります。それで使用していたレールガンは採用されませんでしたから、草壁の方へ流された可能性が十分ありますな」

秋山源八郎の疑問にムネタケが答える。

「どのみち今の段階では想像の域を出ない話だ。今後の方針のため、まずは草壁以下主要な敵幹部を総チェックしてくれたまえ」

コウイチロウの言葉で会議は幕を閉じた。





 






宿舎にてルリは箱を開いた。これを最後に開けたのは何時だったろう。

中に入っている遺品のうちユリカとアキトの制服を取り出した。
2人のエプロン。いっしょに自分が吹いていたチャルメラも取り出す。



最後に襲ってきた7機の機動兵器。手練れであるという事を除いても、あれがアキトにとって特別な相手であるのは想像できる。
為すすべもなくやられたリョーコと違い、対等に渡り合ったアキトも尋常でない腕前であることもわかる。ユリカを取り戻そうときっとがむしゃらに訓練したに違いない。



「俺はコックになりたいんだ!」

ナデシコで戦っている間、ことあるごとにそう言っていたアキト。
ナデシコ長屋から雪谷食堂まで毎日のように通っていた。
自分の屋台でだすラーメンの味付けで何度も何度も作り直していた。




本当に好きなことだから。だからがんばっていた。

流されるままナデシコに乗り、流されるままエステバリスのパイロットとなり、流されるまま戦い続けた。
でも、やりたいことをあきらめなかった。流されるまま生きていただけじゃない。




そして今も戦い続けている。
きっとそれはユリカを取り戻し、昔の生活を取り戻すため。またコックになるため。






自分は?




ものごころ着いた頃から教育の記憶しかない自分。

アキトと同じように流されるままナデシコに乗り、流されるままオペレーターになり、流されるまま戦い、流されるまま   
そして今も流されたようにナデシコに乗っている。

なりたいものがあったわけでもない。やりたいことがあったわけでもない。

アキト達がいなくなって2年。何も変わらないままの自分だけが取り残されている。
かつて着ていた制服を見る。自分はあの頃の時間を繰り返すだけ。




変わっていく世界。変わっていく人。
その中で変わらない自分。




それは幸せなことなのだろうか?




答えもわからずルリは目の前の物を見続けていた。




 






「ナデシコC?」

翌朝、連合宇宙軍総司令官執務室で高杉三郎太の素っ頓狂な声があがった。
執務卓に肘をつき変に力のはいった物言いで答えるコウイチロウ。

「そう、3代目のナデシコ。ABCのC。現在ネルガルの月ドックにおいて最終チェック中だ」

「君たちは独立ナデシコ部隊として遺跡奪還の極秘任務に当たってほしい」

「じゃあ、正規の軍人さんは使わない方がいいですね」

「その通り」

ルリの確認に普段と変わらないどこか芝居がかった口調の秋山。

「どうするんすか?」

「ハッハッハ、お任せ下さい」

いきなり響きわたる声。

「えぇ?」

「みず〜のなかか〜らこんにちわ〜〜」

調子っぱずれの歌を歌いながら出てきたプロスペクターにルリの口元がほころんだ。







ハーリーことマキビ・ハリは不機嫌だった。

原因は目の前で自分が混ぜているのカレーにあるわけではない。もちろんアマノ・ヒカルの一声で超辛のカレーを作る羽目になったのも面白くないことであったが。




先日のアマテラスの件以降、彼が心の底から敬愛する女性がいつもと違う様子になったのはわかっている。何をするにも上の空、まともに話が出来ないのだ。
原因が火星の後継者だけにあるとは思えない。そして「アキト」と「ユリカ」という人物が関係しているのは間違いない。黒い機動兵器のパイロットと遺跡の中心で彫像のようになっていた女性がそうなのだろうか。
三郎太に確認しようとしたが、アマテラスから帰還してきた彼は左の頬を見事に腫らし、その件に関しては何も答えてくれない。助けたパイロットにいきなり殴られたのだけはわかったが、理由は教えてくれないからそのパイロットも艦長に関係しているのだろう。
これだけだったら子供とは言えハーリーも機嫌が悪くなるわけではない。艦長の笑顔を見るためヤキモキしていた彼をあざ笑うかのように、あの胡散臭いオッサンは現れただけで艦長の笑顔を見せてくれたのだ。それも彼がこれまで見たことがないような笑顔を。
プロスペクター=信用詐欺師(普通この意味ではあまり使われないが)とだけ名乗る男にルリは笑顔を向けたばかりか、初めて耳にする嬉しそうな声で受け答えしていた。
会って数分後にはハーリーにとってその男は天敵としか言えない存在となり、彼は詐欺師からお姫様を守るため必死の忠告   彼にしてみれば   をし続けたのだった。




その日、彼の忠信は理解してもらえず、かつてのルリの仲間を巡ることと相成った。そこでもハーリーは今まで知らなかったルリを知ることとなる。

確かにルリはなんでもそつなくこなしてきた。
ハーリーが迷うようなこともあっさりと判断してしまう聡明さを見せてくれた。

だからといって、漫画家アシスタントも手慣れた感じでこなすのはハーリーとしては納得がいかない。しかし専門用語を苦にもせず、画材の使い方まで指導され、トーン削りの妙技まで見せられた日にはハーリーも何も言えなかった。



結局、ハーリーの不機嫌さは鍋の中身へ八つ当たりをすることとなった。必要以上に入れられた香辛料が彼の舌に襲いかかったのは自業自得としか言いようがない。





 






夢だ。



「ホシノ・ルリ。オペレーター。11歳です」

「よろしくね」

ミナトさんがいる。

「よろしく」

「よろしく」

ブリッジの、食堂の、整備班の、ナデシコの人達がいる。

「ルリちゃん、よろしく!」
「うわ〜、かっわいい!仲良くしよ、ね?」

アキトさんとユリカさんがいた。




そう、夢だ。



「ナデシコは火星に行きます」

火星に行き。
軍の下で地球を巡り。

「アキトォ」

みんなで笑い。
みんなで馬鹿をして楽しんで。

「アキトォ!」

正しいと思ったことをするため。
大切な物を守るため。

「ねえ聞いてよアキトォ!」

アキトさんとユリカさんはナデシコの真ん中にいた。




これは夢。



「ボソンジャンプは地球も木星連合も火星から発掘したオーバーテクノロジーを流用しているに過ぎない。だから今の戦争は技術開発と言うより、遺跡の発見・発掘が戦況を左右する…」

「そんなに単純なんですか?」

「そうね。でももしその発見が宇宙の存在そのものを揺るがすものならば…」

イネスさんとこの話をしたのは何時だったろう。
ああ、そうだアキトさんがキスをしていたときだ。




いつも見ていた夢。



エステバリスのコクピットで死んだヤマダ・ジロウ。
格納庫で自殺したムネタケ・サダノリ
会見場で撃たれた白鳥九十九。
目の前で爆散したアキトとユリカの乗ったシャトル。
イネスの乗った飛行機墜落の報道。




お葬式が終わってから毎晩のように見ていた夢。
だからいつもここで目が覚めるのは解って    



遺跡に取り込まれた三人。



……イヤ…。



磔になったイツキさんとその兄。



イヤ……見たくない。



ひび割れ砕け落ちるユリカ。



やめて…。



業火に包まれる黒い機動兵器。



やめて!!




次々と刺さる錫杖。
「うわあああああああぁぁぁぁ」
串刺しにされ断末魔の叫びをあげるアキト。
業火がアキトを覆い尽くし
     





「!!」





目の前には明け方までかかりきりになっていた漫画原稿。
机に突っ伏しているヒカル、椅子にもたれかかって爆睡する三郎太と床に寝転がるハーリー。





    





それがわかって安堵のため息をもらす。しかし、ルリの中の不安は消えることはなかった。





 






ヒカルのマンションを辞して、元ナデシコクルーを訪ねて廻る。
快く承諾する者。きまり悪そうに辞退する者。
乗らない者に対して、ルリは説得をしようとはしなかった。

ナデシコを降り、長屋も取り壊され、皆、自分の生活を持っていた。
戦争前と同じ生活を続けている者。
新しい生活を始めた者。




元ナデシコクルー達の2年の間の変化を知るためにルリは皆を訪ね続けた。








ウリバタケ研究所。
ある意味ナデシコクルーを代表する存在の所にルリが訪れたのはその日の昼下がりだった。

「お出かけなんですか」

「ええ。ちょっと町内会の寄り合いで…。あの…なんのご用でしょうか?」

対応に出てきた妻のオリエは妊娠しているのだろう、大きなお腹だった。
奥さんから逃げたくてナデシコに乗ったというウリバタケ・セイヤだが、今現在はまんざらでもないらしい。

「あのですね」

「なんでもありません。ちょっと近くまで来たものですから」

ルリの顔を見て不安げな表情になるオリエに、ウリバタケを巻き込むことに後ろめたい気持ちがし、ルリは早々に立ち去ることを決めた。
ウリバタケにも今の生活がある。赤ん坊が生まれればさらに新しい生活が待っている。
自分のわがままで壊すわけにはいかない。

「赤ちゃん、楽しみですね」

オリエに笑顔を見せて、ルリは立ち去った。
それは寂しい笑顔だった。







「そんなに昔の仲間が必要なんですか?」

「必要」

ハーリーが尋ねてくるのにルリが返事を素っ気なく返す。

「う、べ、別にいいじゃないですか、僕たちだけでも」

昼時を過ぎた元ナデシココック=ホウメイの店“日々平穏”。ルリ達は遅い昼食をとっていた。

「まあ、エステバリスのパイロットの補充は良しとしましょう。船の操縦は僕だってできるし、戦闘指揮は三郎太さんだっているんだし。僕たちは連合宇宙軍の最強チームなんですよ」

今日のハーリーは昨日以上にやけに食い下がる。

「リタイヤした人たちだって今の生活があります。何がなんでも懐かしのオールスター勢揃いする意味があるんですか?」

それはルリが一番わかっていることだった。人集め。別にそれだけが目的ではなかった。

「ハーリー、いい加減にしろ」

「ねえ艦長答えてくださいよ」

「ハーリー!!」

「僕はそんなに頼りないですか!?艦長!!」

なだめる三郎太の声も無視してハーリーが訴える。
別にハーリーを信頼してないわけではない。ただ勝つだけなら三人で出来ないこともない。
でも、これは失敗することの出来ない作戦だ。確実に勝つだけでなく、ユリカとアキトを   かつての生活を取り戻すためにできうる限り助けが欲しい。



それ以上に今の元ナデシコクルーを見たかった。
皆がどう変わったのか、2年間変わらなかった自分と比べてみたかった。



「ホウメイさん、おかわり」

自分の想いに捕らわれたルリはハーリーの気持ちに気付かない。それが態度に出てしまった。

「うわあああぁぁぁぁぁぁん!!」

「ハーリー!おい!金払えよ、おーい!……痛くねえのかなあいつ?」

憧れている相手に無視され、ハーリーは泣きながら店を飛び出していった。三郎太の制止も振り切って走り去る。
ルリとハーリーのやりとりを眺めながら夜の下拵えをしていたホウメイが見かねて声をかける。

「いいのかい追いかけなくて?」

「いいんです」

「ホントに?」

「私たちだけでは敵には勝てない。それはあの子だって分かっているはずです」

(? なーにを抱え込んでいるのかねぇ…)

ホウメイにはここまで今回の件に力んでいるルリがらしくなく不自然に思える。

「分かっていても割り切れないものだってあるよ」

「?」

「そう、人間だから」

「あ…」

いかに天才艦長と呼ばれているとはいえ、ホウメイから見れば人の心の機微を解さないルリもまだまだである。

「あの子はやきもち焼いてるね。昔のあんたの仲間に。昔のナデシコって奴にさ」

「やきもちか。どーこから探すかねぇ」

三郎太の言葉にホウメイはそれ以上口を出さず、下拵えに戻った。
それを見ながら昨日からのハーリーをルリは思いだしはじめた。





 






閉店後の“日々平穏”でグラスがぶつかる音が鳴る。

「なんに乾杯なのかねェ?」

「久しぶりの再会とハーリー君に」

「あっはっはっはっはっはっは」

夜の営業も終わり、あらかた片づけも済ました店内でホウメイはハルカ・ミナトと酒を酌み交わしていた。
ハーリーのあれからの顛末をミナトから聞き、ホウメイも一安心である。

「あんたも乗るのかい?ナデシコCにさ?」

「そうだねぇ、プロスさんから連絡もらったときはルリルリの様子だけ見て帰っちゃおうかと思ったけど…。あの子見てたらそうも言ってらんない」

自分にも乗ると言わせてしまいそうだったルリの雰囲気はホウメイもひっかかるものがある。

「そうだね、かなり無理してる。顔には出してないけどね。艦長としての責任、任務の遂行、敵は強い」

それだけではない。あの子は何を失敗することを怯えていたのだろう?

「こういうときにあの子もほげ〜と出来ればね……。艦長か」

グラスの中で氷が鳴らす音を聞きながら、2人は同じ女性を思い出していた。






アマテラスで出会った黒いパイロット。
かつてのアキトとかけ離れた雰囲気に本当に同じアキトなのか、ルリは自信が無くなる。
遺跡に取り込まれたユリカを取り戻そうとする人物などアキトしかいない。
あれが変わらぬアキトと信じ、自分は動くしかない。

「かんちょーう」

夜の電車で自分の肩にもたれて眠るハーリーが寝ぼけている。
自分を慕う無防備な弟分に心が少し温かくなる。

今はなによりもあの2人を取り戻すのが第一だから   

決意に顔を引き締め、揺れる電車の窓をとおして並行して走る別の電車の車内を見るとはなしに見る。
不意に視界に入る黒づくめの人物。
アマテラスの黒いパイロットと同じく目元を隠したその人物と目があったと思った瞬間、男の唇が笑いの形にゆがむ。
離れていく二本の電車。慌てて窓に駆け寄り、もう一度見ようとするが黒づくめの男をもはや目にすることはかなわなかった。






ゲームセンターでアマノ・ヒカルとマキ・イズミの対戦を見ながらリョーコはアマテラスの事を思い起こしていた。
不意打ちとは言え手も足も出なかった自分。
あの連中をあしらうアキト。
遺跡の中心で屹立するユリカ。


負けらんねぇ。


今度の戦いは自分のリベンジだけじゃない。ナデシコに乗っていた人間全員への挑戦だった。
手にしていたジュース缶を握りつぶし、後ろに並んでいるプロスペクターとゴート・ホーリーに振り向く。

「俺が見たことあいつらに教えていいか?」

なぜこの2人に聞いたのか自分でもわからなかった。
しかし、リョーコの直感はアキトとネルガルのつながりを無意識のうちに肯定していた。

「できればあの2人のこと、今は内密にお願いします」

「3年前に捨てた物のことはいいって事だな」

「ええ、かまいません」

「そのことだけか?」

にこやかに受け答えをするプロスと対照的に、ゴートがぶっきらぼうに問うてくる。

「相手を知らねぇと戦いづれぇからな」

そこまで言い、気付く。

「ネルガルの方が色々知ってんだろ?あの赤い奴とダルマ」

「ハッハッハッハッハッ」

否定も肯定もしないプロスに軽く舌打ちし、リョーコはまだ対戦している2人に声をかけた。






電車を降りる。自分のあとに続くラピスを待ち、ネルガルの用意した今夜の寝場所にアキトは足を向ける。
ふと、ラピスが電車が走って来た方向を見つめているのに気付く。

「どうした?」

「あの人なんですね」

「ああ」

ラピスの声が堅い。自分のクローン元を見るのはどんな気分になるのだろう。ここにきてアキトはラピスをつれてきたことを後悔した。
ルリに会うのは今度が最後と決めてから自分の中に生じた違和感に気をとられ、ラピスの事まで頭がまわっていなかった。

「アキトがいつも気にしていた人は」

「?」

自分の心配ははずれのようだが、予想もしない言葉に戸惑いを覚える。
そのまなざしを遙か昔に見たことがあるような気がする。
どこでだろう?ただ、なんとなくルリちゃんとラピスを会わせるのはまずい気がする。
そう思いつつラピスと共に歩きはじめたとき、どこからともなく溜息とともにエリナの声が聞こえてきた気がした。

「朴念仁」








「どうしたの?」

「ハーリー君、月に飛んだ頃です」

腕の中に花束を抱えたまま、ルリが空を見上げる。
昨夜遅く、寝入りばなにルリからの電話で墓参りに誘われ、ミナトはイネスの眠る寺に来ていた。
元々こちらに出てきたのはそのつもりだったので問題はない。ただ、ルリらしからぬ強引な誘いが奇異に思える。

「だからお見送りしてあげなって言ったのに」

「3度目は嫌です」

「え?」

「非科学的ですが、験担ぎです」

やっぱりらしくない。もしかしてまだハーリーと喧嘩しているのだろうか?

「意地っ張り」






そこにはルリの思った通り、会いたかった人がいた。

「アキト…君?」

「今日は3回忌でしたよね」

呆然とするミナトをよそにルリは歩き出した。

「ちょ、ちょ、ちょっとルリルリ!?」

「花…、貸してください」

無言で差し出すアキト。ルリが自分の持ってきた分と合わせて生けなおしはじめる。
慣れない手つきのルリを見かねてミナトが代わった。

「知っていたのね」

ついつい口調がきつくなる。
夕べからのらしくない行動も納得できた。
それでもこんな大事なことを教えてくれなかったのは、ルリの姉を自認するミナトとしては口惜しい。

「本当にアキトさんですよね?」

「ああ、そうだ」

「え?」

知っていたんじゃなかったの?ミナトは戸惑う。

「確認はしてませんでしたけど確信はしていました。それと夕べ電車で見かけたからここに来るんじゃないかって」

線香を取り出しつつ、ルリが答える。
これも慣れない手つきで火をつけようとしたが、今度はアキトが代わって火をつける。
線香を受け取り、イネスの墓へ手を合わせるルリにならってミナトも手を合わせた。
誰も口を開かないまま、しばらくの間そのまま時間が流れていく。



「早く気付くべきでした」

「え?」

唐突にルリがしゃべり始める。

「あの頃、死んだり行方不明になったのはアキトさんや艦長、イネスさんだけでは無かった。ボソンジャンプのA級ランク。目的地のイメージを遺跡に伝えることの出来る人。ナビゲーター。……みんな火星の後継者に誘拐されてたんですね」

「誘拐…」

という事は艦長も生きているのか。じゃあ今どこに?
ミナトの疑問にかまわず、立ち上がったルリが言葉を紡ぐ。

「この2年あまり…アキトさん達に何がおこっていたのか私は知りません」

「知らない方が良い」

「私も知りたくありません」

アキト君の声じゃない。
何があったのか。何を見てきたのか。かつてのアキトから想像もつかない声音にミナトも知りたくはなかった。



ルリにとってさっきの言葉は想像の範囲内だった。
最初から知りたくもない。ただこれだけは知りたかった。

「でも、どうして……。どうして教えてくれなかったんですか?生きてるって」


墓地に響く蝉の声。蜩の鳴き声が遠くから届いてくる。
風に揺れる木々のざわめきがどこからか聞こえてくる。


「教える必要がなかったから」

「そうですか…」

長い沈黙の果てに返ってきたのは自分を拒絶する言葉だった。




うそつき。




それがアキトにとって精一杯の嘘だとルリは思った。







自分の前で手を合わせるルリの背中を見ながら一緒に生活していた頃をアキトは思い出す。
あの頃と変わらない小さな肩に、自分はどれだけのものを今背負わせているのだろう。

「この2年あまりアキトさん達に何があったのか私は知りません」

「知らない方が良い」

「私も知りたくありません」

何があったのか教えたくはなかった。この娘に今の自分のことを全てさらけだすのが怖い。
だからあらかじめ用意していた答えを言う。

「でも、どうして……。どうして教えてくれなかったんですか?生きてるって」

その言葉に答えは用意していなかった。ルリの疑問に答えられない。
どうして返ってこなかったのかと聞かれたら、ユリカを解放するためと言えばいい。
そう聞いてくると思いこんでいた。



どうして教えなかったのか?

「ルリを巻き込みたくなかった」
ルリがアマテラスに来るのが判っていて仕向けたのは自分だ。どの面下げて言える?

「ルリに会いたくなかった」
ユリカの次にいつも心の中にあったのはこの少女だった。自分も信じていない言葉が通じるはずもない。



しばしの逡巡。言えたのは精一杯の嘘。

「教える必要がなかったから」

「そうですか…」

静かに、短く、それだけ返ってきた。
目の前の少女の背中が泣いているように思えた。





パンッ!!

アキトを責めようとしないルリにかわって張り手と共にミナトの非難の声が響く

「あんたなんてこと言うの。それでよくあの時この子を引き取るなんて言えたわね。謝りなさいアキト君!謝って!!」

頬の痛み以上に痛い言葉。
だがアキトにとってそこにいる男に対する憎しみに比べれば   

「この子はねアキト君のことを本当は   

アキトの懐のリボルバーが抜かれ、ミナトへむけられる。

「ア、アキト君?」

銃口を横へスライドさせ、その男へと。

「迂闊なりテンカワ・アキト。我々と一緒に来てもらおう」

「な、なにあれ?」

義眼の男を中心に7人の陣笠をかぶった男達が現れる。
アキトの返事は銃に込めた弾丸だった。ルリの目の前だ、最初から殺す気はない。シリンダーの中身を全て撃ち尽くす。

「重ねて言う。一緒に来い」

「アキト君…」

空になったシリンダーを開き、手慣れた動作で弾をリロードする。
アキトのその動きからルリは目を離さなかった。
戦争の中でも人を殺すことを是としなかったアキトとは変わってしまったのだろうか。

「あんた達は関係ない。とっとと逃げろ」

「こういう場合逃げられません」

「そうよねぇ」

アキトの言葉に対して妙にふてぶてしい会話をする女性2人に比べて、短刀を取り出した男達の方は物騒な指示を受けている。

「女は?」

「殺せ」

「小娘は?」

「アヤツは捕らえよ。ラピスと同じく金色の瞳。人の手により生み出されし白き妖精。地球の連中はほとほと遺伝子細工が好きと見える」

義眼の男=北辰がルリを見据える。

「汝は我が結社のラボにて栄光ある研究の礎となるがよい」

「あなた達ですね、A級ジャンパーを誘拐していた実行部隊は」

「そうだ」

彼らがアキトとユリカの未来を、自分の家族を引き裂いた張本人。
ルリは嫌悪と憎しみの混じった目で男達を見る。
彼らにしてみればそんなものに今更何の痛痒も感じない。歪んだ信念を堅くする程度のものだ。

「我々は火星の後継者の陰。人にして人の道を外れたる外道」

「「「「「「全ては新たなる秩序のため!」」」」」」

「はっはっはっはっはっはっ」

「何!?」

お題目を口にしていた自分たちの背後から笑い声を浴びせられ、慌てた男達が振り向く。
陰を暗躍する者が背後をとられるなどあってはならないことだ。

「えぇ!?」

「新たなる秩序、笑止なり。確かに破壊と混沌の果てにこそ新たなる秩序は生まれる。それ故に産みの苦しみ味わうは必然」

行方しれずの人間   それもアキトとのつながりが思いつかない相手の登場にミナトの頭は混乱している。
そんなミナトにお構いなく、以前と同じく白い詰め襟をまとった長髪の男は冷笑を浮かべながら芝居がかった台詞を言う。

「しかし!草壁に徳なし」

冷笑一転、厳しい顔つきへ変わる。
逆に義眼の男は余裕を取り戻したのだろう、侮蔑を隠そうともせず返す。

「久しぶりだな月臣元一朗。木星を売った裏切り者がよく言う」

「そう、友を裏切り、木星を裏切り、そして今はネルガルの狗」

月臣の言葉に会わせて墓地のあちこちから立ち上がる黒服黒眼鏡の男達。
全員が日本刀か拳銃を構えている。
いや、この場合ポン刀とチャカ、はたまたヤッパとハジキだろうか?

「え?え?きゃあ!?」

「久しぶりだなミナト」

「そ、そうね。ははは」

事態についていけず混乱したままのミナトの目の前で、イネスの墓が立ち上がる。
中から現れた元恋人に場違いな言葉をかけられ、ミナトは顔をひきつらせた。
何とか状況を理解しようとした彼女の目の前、誘拐犯の1人が水平に投げ飛ばされるのが見えた。

「うっそー!?」

「木連式柔…」

「へ?」

聞き慣れないアキトの言葉にミナトだけでなくルリも振り向く。

「邪になりし剣。我が柔には勝てぬ…。北辰!投降しろ!」

「跳躍」

その場に光があふれる。

「なに?」

「ボソンジャンプ!」

「ぃやぁははははははははは!テンカワ・アキトまた会おう」

哄笑と捨て台詞を残し、北辰と陰達は消え去った。

「単独の…ボソンジャンプ」

月臣との会話から木連の人間、つまりB級ジャンパーとルリは思っていたのだが、今のジャンプのしかたはA級ジャンパーだった。

「奴等はユリカを落とした」

「え…」

アキトの言葉。それが今のボソンジャンプの理由だろうか?

「草壁の大攻勢も近い。だから」

「だから?」

「君に渡しておきたいものがある」

自分に渡す物。そのために危険を冒しここに来てくれたのだと初めて気付いた。
後片づけを済ませたのだろう、黒服は全員いなくなっていた。残ったのはゴートと月臣だけ。
墓地の外へ向かい歩いていくアキトの後をルリは追いかけた。



ルリの後を歩きつつ、ミナトは月臣の方を盗み見る。
口を開けば言いたいことはいくらでもでてくるだろう。
しかし、彼もアキトと同じように以前の雰囲気とはまるで異なる。最初に会った時はあのヤマダ・ジロウの様に暑苦しかった。
その男が自分を狗呼ばわりしている。自らを責める男に話しかける気になれず、ミナトは何も言わずにいた。







差し出しされたラーメンのレシピをアキトへ投げつけルリは感情のままに叫んだ。

「私こんなものもらえません。それはアキトさんがユリカさんを取り戻したときに必要なものです」

「もう必要ないんだ。君の知っているテンカワ・アキトは死んだ。彼の生きた証、受け取ってほしい」

アキトはレシピをもう一度ルリへ差し出した。
テンカワ・アキトという男がいたことを、せめてこの少女に覚えていて欲しかった。
たった一つ誇れたものを残したかった。
この先何がおころうと彼女に会うのはこれが最後だから。


ルリにしてみればアキトの物言いは悲劇の主人公を気取っているとしか思えない。
自分の嫌いだったゲキガンガーが抜けていない。こんな状況で熱血とか正義とかそんなもので戦うアキトに心底腹を立てていた。

「それかっこつけてます」

「違うんだよルリちゃん」

「?」

アキトは腹をくくった。理由も知らずに納得するような娘じゃないのは分かり切ったことだった。
自分も初めて見る怒りを露わにしたルリに成長を感じ、嬉しくも思う。

「奴等の実験で頭ん中掻き回されてね、それからなんだよ」

バイザーをとる。自虐的な気持ちに反応してナノマシンが顔に輝跡を浮かび上がらせるのがアキト自身にもわかった。

「特に味覚がね、駄目なんだよ。感情が高ぶるとボウッとひかるのさ。マンガだろ」

アキトの顔を覆う輝跡にルリは目を奪われた。
初めて見るアキトの笑顔から目が離せない。
それは優しくも寂しい笑顔だった。

「もう、君にラーメンをつくってあげることは出来ない」



風が舞う。風が揺らす草の音がルリの耳にはやけに大きく聞こえた。
自分の手をつかみアキトがレシピを握らせるのにルリは逆らわなかった。



「これでもう   

「ナノマシン……ですか?」

別れを告げようとしたアキトの言葉を遮り、ルリがつぶやく。

「ナノマシンですか!?だったら私みつけます!あの人達がアキトさんに使ったナノマシンがどんなのか判れば、治す方法だってあるじゃないですか!!」

「無理なんだよルリちゃん」

「そんなのわからないじゃないですか!実験だっていうんならどこかにデータを残しておくのが   

「……それだけじゃ…無いんだ」

今度こそ本当に泣きそうな顔で訴えるルリに、呻くような声と共にアキトが首を振る。
これだけは本当に見せたくなかったのだ。
首筋を髪の生え際まで覆うスーツのうなじ部分をずらし、その下の傷跡をさらす。

「今言っただろ?頭のなかを掻き回されたって」

「!!」

「さっきの男がさ、味覚が無くなって外に未練が無くなれば逃げ出さないだろうって最初にやったんだよ」

「そん…な……」

泣き笑いのような顔だったアキトの顔が、一転してナノマシンの激しい光に覆われた修羅の表情になる。
こんな顔も見せたくはなかった。だがこの感情を抑えることは無理だった。

「だから、勝てなくてもあの男だけは自分の手でケリを付けたいんだ」

俯くルリ。膝をついたアキトがその体を抱きしめる。
光も収まり、さっきの寂しい笑顔だった。

「ありがとうルリちゃん。さよなら」

「あ………」

ルリがアキトの体に手をまわす前にアキトの体は離れた。
立ち去るアキトの背中にかける言葉も見つからず、ルリは何時までも立ちつくしていた。









「もういいのかテンカワ?」

「ああ。月臣さんこそいいのか?」

引き揚げの車の中で尋ねてきた月臣へ聞き返す。そのアキトの隣にはラピスがくっついていた。

「投降しなかったのは残念だが、元々そんな事はあり得ないと   

「そうじゃない、ミナトさんの事だ」

話を逸らそうとする月臣を制する。苦渋の表情で外を眺める月臣。

「今は…何も言えん。せめて草壁と決着を付けるまでは…」



過去にとらわれた者がここに1人。



初めて見た感情を露わにしたルリの様子に、聞いてはいけないと思いつつ好奇心を抑えきれないゴートが運転席から声をかける。

「あそこまで怒らせるとはルリ君に渡した物は何だったのだ?」

ルリの名前を耳にした瞬間、外を眺めていたラピスの顔がアキトに向けられる。

「心残り……いや、思い出か」

「思い出?」

思いもよらないアキトの答えに首をひねるゴート。
それ以上答えようとしないアキトと、眉間にしわを寄せたままの月臣にゴートも声をかけづらく、車内は静かだった。





心の中にいまだ違和感を感じながら、泣きそうな顔の最後のルリをアキトは思い出していた。
もう会う事もないだろう。







「サヨナラ、ルリちゃん」







 






目の前にはアキトとユリカのエプロン、自分のチャルメラ。



もうあの頃には戻れない。

アキトの威勢のいい声。
ユリカの底抜けの明るい笑顔。
自分の吹いていたチャルメラの音。
けして余裕のある生活とは言えなかった。
それでもアキトがいて、ユリカがいて、自分がいて、ナデシコの皆が顔を見せてくれた。

アキトがユリカを取り戻せば、また以前のような生活が返ってくる。
自分は一緒にチャルメラを吹くことがなくても、帰る場所があってそこに2人がいてくれる。





そう思っていた。
その生活ができるのだと思っていた。






でも、現実は残酷で。


変わってしまったアキト。
他人に平気で銃をむけ、突き放すように嘘を言った。






それでも変わらずに優しくて。


変わってしまったように見えて、変わってなかったアキトの本質。
あの義眼の男を倒し、ユリカを助け出し、火星の後継者を打倒する。
それができない限り復讐に囚われたアキトはきっと前に進めない。





アキトのために自分ができることがあった。





ナデシコの皆に会ってようやくわかったことがある。
前に進めないのはアキトだけじゃない。自分も過去に囚われている。

思い出は生きる場所じゃない。
だから、歩き出さないといけない。





そのためにできることをする。その力が自分の中にある。





エプロンとチャルメラを手に取る。
そして一言。








「サヨナラ」







 

Spiral/Birth of Fairies − 中編 了