Spiral/Birth of Fairies − 後編






「出来ればちゃんと教えてほしいんだけどね、プロスさん?」

「何をですかな?」

「わざわざあの子達をみんな揃えて、しかもこんな所まで連れてきたんだ」

地球連合総会議事堂の廊下をホウメイが見回す。危険は無いとあらかじめ聞かされていても戦場に出るのだ。絶対はあり得ない。
ナデシコに乗っていた間、自分が預かっていた娘達を危険に晒すことでホウメイの機嫌はよくない。
対するプロスペクターはつかみようのない笑顔を浮かべたいつもの態度を全く崩さない。

「クーデター鎮圧のため地球連合に協力。ネルガルらしくなくて納得できないだろう?」

「草壁中将が絡んでいる、というのではいけませんかねぇ?」

「あの子達を集めた理由としては駄目だね」

首を振るホウメイ。プロスがずれてもいない眼鏡を直すと口元の笑みも消える。

「ここだけの話としていただけますか?」

声を低くするプロスにホウメイが居住まいを正しうなずく。

「遺跡が彼らの手元にあります」

「それじゃ50点だね」

「誘拐されたミスマル艦長が捕まっております」

息をのむホウメイ。

「誘拐……。生きて…いるのかい?」

「おそらくは。今は遺跡と結合させられて利用されています」

それじゃあの事故は!?
そこでもう1人のことを思い出す。

「テン…カワは……、テンカワはどうなってるんだい!?」

声を荒げるホウメイ。プロスの肩をつかみ揺さぶる。

「生きておいでですよ。ただ……」

「ただ?なんだい!?」

「モルモットにされていたとのことで……、味覚が…」





ドア越しに聞こえてくるプロスペクターの話をテラサキ・サユリは最後まで聞いていられなかった。
アキトが生きている。それを聞いたとき、歓喜のあまり涙が出そうになった。
しかし、その後に続いた残酷な言葉。
もはやアキトがコックを続けられる望みがないということを知り、サユリは動けなくなっていた。
膝がガクガクと震え、立っていられずその場に座り込んでしまう。

「……どうして?」

ナデシコ食堂で見ていたアキトの笑顔を思い出す。
足下を濡らす雫。
こぼれた涙は歓びからではなかった。









ナデシコCのブリーフィングルームに集まった元ナデシコクルー。
彼らの前で落ち目の会長へルリの疑問が向けられていた。

「一体アカツキさんって良い者なんですか?悪者なんですか?」

『ふふふふ、相変わらずきついな君は。おっと、キャッチが入っちゃった。んじゃ』

質問に答えずに消え去るアカツキ・ナガレ。
自然とクルー達の視線は正面にいるイネス・フレサンジュに集まる。
皆の期待に応えると言うよりも隠遁生活では思うがままにできなかったため、嬉々として説明を再開しようとするイネスだったが     

「簡潔にお願いします」

釘を差すルリを、恨みがましい目で見るイネス。

「アカツキ君が言った通りよ、アキト君とユリカさんは彼らに誘拐されたの。しばらくしてアキト君は助け出されたけどユリカさんは捕らわれたまま。ナデシコで私達が捨てた遺跡は密かに回収されてヒサゴプランの中核となり、彼女は遺跡と結合させられて火星の後継者に利用されているわ」

「んで、アキトはユリカを助けるために1人で戦ってたんだな?」

険しい目つきでリョーコが質問する。

「そう、でも助け出せなかった。だからここにいるみんなの力が要るの」

ホワイトボードの側にいた黒子の1人が頭巾をはずすとウリバタケの顔が現れた。

「そういうこった。今更遺跡がどうなろうと知ったこっちゃねえ。だがな、お姫様がとっ捕まっていて、王子様が苦しんでるんだ。あいつらがこんな目に遭ってるってのに黙って見てられねえだろ」

そこまで言って、一番前に座っているパイロット達とルリに視線を移す。

「リョーコちゃん達の機体は俺達がきっちり整備してやる。このナデシコCもそうだ。だから思う存分使ってくれ」

「ありがとうございますウリバタケさん。それとみなさん、アキトさんとユリカさんを助けてください。お願いします」

ルリが立ち上がり皆の方を向くと深々と頭を下げる。

「ルリルリがここまでしたんだ!いいか、野郎ども!全部の整備5分で済ますぞ!!」

「「「「おう!!」」」」

ウリバタケの号令で怒濤の勢いで飛び出していく整備班。

「ヒカル、イズミ、整備終わったら少しでも機体に慣れるぞ」

リョーコもヒカルとイズミを伴い出ていった。
次々と自分の持ち場へと向かうクルー達。
それを見送ったミナトがルリを見る。アカツキの話を聞いていたときは怒ったような顔をしていたが、今はいつもと変わらないように見える。昨日までのらしくない雰囲気も無くなっている。
アキトに会ってなにか吹っ切れたようだ。

「ルリルリ?」

「行きましょうミナトさん」

「行くってどこへ?」

歩き出すルリにユキナが聞く。

「ブリッジです」

「私も行くわ。このナデシコCで出来ること説明してあげる」

イネスのその言葉にミナトとゴートが顔をしかめた。ここでの説明が無かった分、延々と聞かされそうだ。

「その前に、ルリちゃんに知っていて欲しいことがあるの」

「何でしょう?」

ルリの前に立ちその肩をイネスは両手でつかむ。

「この艦は貴女のために造られたの。
そして草壁に関わったために、火星に生まれたというだけで死んでしまった人達の悲しみ。
アカツキ君の、エリナさんの、アキト君に関わった全ての人の願い。
いろんな人のいろんな想いがこの艦にある。



だから貴女にお願いするわ。あの人を、暗闇に落ちる王子を貴女の手で貴女の艦で助け出して。
貴女だけができることで、貴女だけにその資格があるのだから」










人気のないネルガルの月ドック。そこにエリナの声がこだまする。

「ルリちゃんとナデシコCが合流したそうよ」

「勝ったな」

「ええ、あの子とオモイカネのシステムがひとつになったら、ナデシコは無敵になる」

「俺達の実戦データが役に立ったわけだ」

エリナの言葉にアキトが静かに続ける。

「やっぱり行くの?」

「ああ」

「復讐…昔のあなたには一番似つかわしくない言葉だったわね」

そうは言ったものの、火星の人たちの死に怒りを露わに戦場で戦っていたのはアキトであることをエリナは知っている。
行かないで欲しいというエリナのせめてもの抵抗であった。

「昔は昔、今は今だ。補給ありがとう」

「いいえ。…私は会長のお使いだから……」

自分の横を通っていくアキトには視線を合わせられない。
行かないで欲しいのは彼が死ぬかもしれないからではない。
彼が最愛の人を迎えに行くから。
それが解っているから自分の気持ちに嫌気がさす。それでもエリナがやることをやったのはアキトの役に立ちたい一心からだった。









火星極環遺跡、イワト内に設置された“火星の後継者”総本部にシンジョウの苛立った声が響きわたる。

「当確全て取り消し!?どういうことだ説明しろ!」

『は、はぁ、それが敵の新兵器と、その…説得に…』

「説得!?」

要領を得ない報告にサワダも声を荒げる。
占拠速報のアナウンサーが引っ込むと長髪に白の詰め襟を着た男が映し出される。

『白鳥九十九が泣いているぞ!木星そして地球の勇者諸君、武器を納めよ!』

「月臣!?」

「月臣中佐だ!」「生きていらっしゃたとは……」

愕然とした顔を見せる草壁。口々に驚きをあらわす幹部達。さらに彼らを混乱に突き落とす事態が発生する。

『我が基地上空にボソン反応!』

「何!?」

イワト直上の様子がウィンドウに表示される。
総本部だけでなく、周辺に集結していた艦艇の乗務員、機動兵器のパイロット、イワトにいる火星の後継者全員の目の前でひとつの黒い影が形をなしていく。

「哨戒機より映像、ナデシコです」

「ナデシコ!!」

その特徴的な形が鮮明に彼らの目に飛び込んでくる。
自分たちがジャンプによる奇襲をかけられたと認識する前に、オモイカネの描いたルリのお休みマークで覆い尽くされるウィンドウ。何らかのリアクションをとる前に彼らの操る全ての機械は制御不能となっていた。






「相転移エンジン異常なし」

「艦内警戒態勢パターンBへ移行してください」

ナデシコのブリッジでミナトとユキナの報告を聞いたルリがハーリーに指示を出す。

「ハーリー君、ナデシコCのシステム全てあなたに任せます」

「ええ、ぜ、全部!?バックアップだけじゃないんですか!?」

「駄目。私はこれから火星全域の敵のシステムを掌握します」

そう言いつつ、ルリはあの7人を探知しようとしていた。

「船までカバーできません。ナデシコCあなたに預けます」

「でも…」

ルリと比べて自分の才能に引け目を感じているハーリーは、ルリの代わりを務めることに不安を感じる。
それを吹き飛ばしたのはミナトの言葉だった。

「ハーリー君、頑張れ」

「え?」

「甘えた分だけ男になれよ」

きれいなお姉さんに励まされ、ルリの役に立つチャンスと気付き俄然やる気を起こすハーリー。
その光景をながめながら、ルリは敵全体の掌握準備にかかる。あの7人はまだ見つからない。
イワトから徐々に掌握範囲を広げつつそれに先だって探知をしていく。
火星大気圏内を掌握し終わった時、イワト上空1200kmの空域に地球連合に登録されていない艦艇が見つかった。
即座にハッキングで搭載コンピュータからアマテラスに現れた7機が積まれていることを確認する。
同時にそれらがジャンプ準備中であることも。
探知に関するオモイカネのログも消去しながら、ルリは先程の艦艇を除き全ての火星の後継者側のシステムを掌握し始める。
5分とかからず、火星宙域の艦艇は1隻を残し全てルリとオモイカネの支配下に置かれてしまった。

準備は整った、後は舞台に役者が出そろうのを待つだけである。
その間に脇役達に舞台を降りてもらうため、ルリは火星の後継者全員に通信をつなぐ。






この艦を除き、ほかの友軍が木偶の坊になったのを北辰はすでに確認していた。
今更自分が出て行ったところで蜘蛛の巣に飛び込むように捕まるだけであろう。
その前に出撃さえ出来ないはず。それが実際は奇襲すら出来そうな状態。
北辰は白い妖精が誘っている事を十分理解していた。
あの男が待っている。そのための舞台を整えたという事だろう。
自分は草壁に飼われるイヌである。陰を出ることなく、陰で無様に死ぬはずがこうして大舞台にあがる事が出来る。
口元に笑みを浮かべながら乗機の夜天光へむかう。
のってやろうではないか、そして終止符を   
北辰は部下の六連に出撃を命じた。






灯りすらつかない総本部にウィンドウが開き、ナノマシンの輝きに包まれた少女が現れる。

『みなさんこんにちは。私は地球連合宇宙軍所属、ナデシコC艦長のホシノ・ルリです。元木連中将草壁春樹、あなたを逮捕します』

「黙れ魔女め!!」「そうだ、ふざけるな!」「我々は誰1人戦っておらん。戦えば貴様等腐った地球連合など一捻りだ!」
「部下は全員無傷だ!徹底抗戦する!」「草壁閣下は新たな時代に必要な方だ、逮捕など許さぬ!!」

シンジョウをはじめとして幹部達は口々に反論する。
興奮した部下達と異なり1人考えにふけっていた草壁が口を開く。

「部下の安全は保障してもらいたい」

「いけません閣下!」

「ここは我々の力であの魔女めを倒します」

「閣下は脱出を!」

片手をあげて部下を制する草壁。

『抵抗しない限りこちらから手を出すことはしません』

彼らの興奮を冷ややかに見ていたルリが告げる。

『草壁春樹の逮捕と共に、あなた方が誘拐しモルモットとした方々の即時解放、並びに同様にモルモットとした後に遺跡へ融合して人間翻訳機として利用しているミスマル・ユリカの解放を命じます』

「実験体の解放は了解した。しかし翻訳機は今後のボソンジャンプと人類のため、解放は再考をお願いする」

『そうですか』

『ボソン反応7つ!!』

ナデシコのオペレーターだと思われる声が聞こえる。
時間稼ぎをするまでもなく草壁の思惑通りあの男達が来たようだ。こうなっては草壁にとっては彼らが自由に動ける状態であることが一縷の望みであった。
相手はたった1隻。落とすのも時間の問題であろう。
草壁は唇の端をわずかに吊り上げにやりと笑った。






「ボソン反応7つ!!」

「ルリルリ!」

「かまいません」

「「「「「ええ!?」」」」」

ユキナの報告とミナトの声にルリは対応しない事を告げる。
すぐにでも捕まえるのが当然と思っていたブリッジにいる5人は驚きと共にルリを振り返る。
全く動じる様子もないルリが噛みしめるように言葉を紡ぐ。

「あの人に任せます」






イワトから80kmあまり離れた地点にジャンプアウトする夜天光以下7機。
即座にイワトへ向かい移動を開始する。

『いいんですか?隊長』

当然目標に奇襲をかけると思っていた部下の1人が聞いてくる。あの艦を落とし、草壁を自由にすることが自分たちの役割と信じている。
イワトの草壁自身もそれを望んでいる。
しかし、それが無駄とわかっている北辰はあの男との雌雄を決するために来たのだ。この時点ですでに抵抗の手段が無い事をわかっているのは北辰のみだった。

「ジャンプによる奇襲は諸刃の剣だ。アマテラスがやられたとき我々の勝ちは五分と五分。地球側にA級ジャンパーが生きていたという時点で我々の勝ちは    

そこまで言ったところでセンサーがボソン反応を感知する。
自分たちの前方で剣がごとく鋭利なシルエットの戦艦と、その舳先に経つ黒い機動兵器が実体化した。
その機動兵器が誘うように両腕のハンドカノンを動かす。

「決着をつけよう」

押さえきれない強敵との戦いへの歓喜と、殺す事への狂気。顔は見えなくてもテンカワ・アキトが修羅の表情である事を確信していた。


睨み合う1機と7機。突如前触れもなく8体の機動兵器は戦いに突入した。






イワトから遙か遠く離れた地点でジャンプアウトしたアキトとユーチャリスにルリは焦りをおぼえた。
自分の予定外である。これではこちらのエステバリスがアキトを援護できない。

「リョーコさん、出撃お願いします」

『エネルギー圏外だ!あそこまで行けても動けるのは30秒とねぇぞ、どうすんだ!?』

「あの船にお願いしてみます。リョーコさん達はダルマ6機の相手を。あの赤い機体を自分で倒さない限り、アキトさんはこの先何も出来ません」

『わかった!アキトのタイマン勝負なんだな!』

そこまで答えてリョーコは他の3人へ檄を飛ばす。

『いいかてめぇら、ここが正念場だ!あいつ等ぶっ飛ばしてアキト連れ戻すぞ!!』

『りょうかーい』

『フッ、了解』

『んじゃ、いっちょいってみますか』

三者三様の返事を返し、次々とエステバリスがナデシコから発進していった。






『貴女は誰?私はルリ、これはお友達のオモイカネ。貴女は   

アキトの戦いを見守っていたラピスの意識にルリの声が割り込んでくる。
ルリの声を耳にした途端ラピスは反感をおぼえた。理由は自分でも分からない。
返す言葉も無愛想になる。

「ラピス」

『ラピス?』

「ラピス・ラズリ。ネルガルの研究所で生まれた。私はアキトの目、アキトの耳、アキトの手、アキトの足、     私はアキトのもの、アキトは私のもの」

アキトの感覚をサポートしている以上、前半は事実であるが、最後の2つは嘘である。
アキトがラピスに独占欲を示した事は無いし、今までラピスがアキトの事をそう言う意味で意識した事もない。
だがルリの声に対して自然に出てしまっていた。
ラピスも気付いていない淡い初恋。ではなく、実際は父親に対する娘の独占欲が母親に向けさせたライバル心に近い。
だがそんなラピスの事情に関係なく、ルリはアキトのために出来る事を行おうとした。

『あなたにお願いがあります』

「嫌です」

『そちらにエステバリスを向かわせました。ですが今の状態ではナデシコのエネルギー圏外になります。そちらの艦からエネルギーを供給してください』

「必要ありません」

『このままでは7対1でアキトさんが不利です』

「必要ありません、バッタで援護する準備があります」

とりつく島もないラピスの態度にもめげず、ルリの説得は続く。

『今のままではアキトさんが負けてしまいます』

「そんな事は…」

『この場での負けはアキトさんの死に繋がります』

「……」

この場でラピスを責める言葉を言わないのはルリの配慮である。今ラピスをなじれば、拗ねた彼女はルリの話を聞かなくなる。
相手の気持ちを考える。ルリが今までほとんどやろうとしなかったことだ。

『私はアキトさんを死なせたくありません』

「……あなたなら簡単にあの7人を捕まえられるはずです」

『私が直接手を出したらアキトさんは一生怖い顔のままです』

6機の六連をルリが掌握してしまえば簡単に1対1に持ち込めるだろうが、ルリに手助けされたアキトの復讐心は満たされないまま終わる。そうなったらアキトはきっかけを失いズルズルと死ぬまで戦い続けるだろう。

「あなたのエステバリスが援護しても一緒ではないですか」

『アキトさんを待っているのが私だけでないことを思い知らしてやるんです。それには目の前で戦っているところを見せないとアキトさんは解ってくれないでしょう。あの人は鈍い人ですから』

最後はクスリという笑いも伝わってくる。
そこへリョーコ達がルリに開いたコミュニケの音声が混じる。

『ルリーッ、まだかーっ!?』

『あたしらのエステちゃんもう止まっちゃうよー!』

『頼むルリ!俺はアマテラスの時の悔しい思いはしたくねえんだ。何とかしてくれ!!』

その声に含まれる想いはラピスにも聞こえていた。
ルリへの反感と、アキトを助けたい気持ちの板挟みとなりラピスは動けなくなっていた。
うろたえた目つきでアキトのブラックサレナの動きを追う。
六連に囲まれ次々と錫杖が突き刺さるサレナ。

「…………」

『お願いします』

再度ルリの声。
夜天光に押し込まれていくアキト。
自分が意地を張ったからアキトが死ぬ?

自分のせいで?

ラピスの両手がコンソールの上を滑りIFSの輝跡を見せる。
エステバリスにコミュニケを繋ぐ。

「……今、エステバリスに重力波ビームを繋ぎました。アキトを助けてください」

『よっしゃー!まかせろーっ!!』

『すぐ戦闘にはいるわ。番台に代金は払ってないけどね……。うふ、うふ、うふふふふ』

『こーんなかわいらしい女の子の頼みだ、がんばって行こっかねー』

威勢のいい声に面食らいつつ、ラピスはどこか安堵を感じていた。






ハンドカノンを連射する。出力は最小。だがエネルギースピードは最大である。傀儡舞をさせずエネルギーフィールドを使わせて消耗させるため、ひたすら撃ちまくる。1対7の戦闘のさなか、アキトは一瞬として気を抜けない状況にあった。
ミサイルを使ってきたのは北辰の夜天光のみ。6機の六連はユーチャリスとナデシコを落とすのに使うつもりなのかミサイルを温存して接近戦を繰り返している。

地表まで降下したサレナの前に六連の1機が回り込む。ハンドカノンを向ける前に目の前から消え去るその六連を追わずに背後へ振り向く。
その瞬間背後に忍び寄っていた六連から錫杖が投擲された。
肩の装甲で受け、その錫杖の勢いに任せて機体を回転させる。そのサレナに次々と投げつけられる錫杖。1本、2本、3本。両肩の装甲で受け、かわし、六連全機に錫杖を使わせる。

これでこの連中がラピスとルリちゃんを傷つける確率が低くなる。

ハンドカノンを再び連射しながらアキトはそんなことを考えていた。ユーチャリスを落とされない限り重力波スラスターを装備したエステバリスは動き続けられ、燃料式スラスターしか持たない夜天光と六連はいつか動けなくなるのだ。1対7の状況は変わらないが、敵が錫杖を使えない分自分も戦いやすくなる。


この状況にいたり六連の攻撃は激しさを増した。サレナの前後左右を飛び回り、その僚機の影からヒットアンドアウェイを繰り返す。サレナの方はまともに攻撃を受け止めることなく機体を回転させることで攻撃を受け流して、ハンドカノンを連射する。
1機の六連の影から夜天光が迫る。両腕を腰だめに構え、胸部のフィールドでハンドカノンの攻撃を受け止めながら強引にサレナの懐に入り込んだ。すかさず両手の突きが連続でサレナを襲う。

「怖かろう、悔しかろう、たとえ鎧を纏おうと、心の弱さは守れないのだ」

サレナへ攻撃を加えながら北辰がアキトへ嘲りの言葉をあびせる。
だが、言葉とは裏腹に実際に余裕がないのは北辰達の方だ。時間が長引けば負けるのは自分達。勝負を急ぐためアキトの焦りを誘おうとしたのだ。

北辰の思惑以上にこの言葉はアキトを熱くした。自分の弱さを嘲りを交えて突きつけられたのだ。
それはユリカを守れなかったことに繋がる。
背部のスラスターを点火しディストーションフィールドで夜天光を押し返すブラックサレナ。

「!」

アキトは声を出さない。堅く食いしばられた歯がギリギリと音を立てる。
フィールドに押さえられて両腕が使えず、夜天光は胸部フィールドで耐えしのごうとした。両機のコクピットはたちまち機体が危険であることを示すレッドアラートに埋め尽くされる。

「クッ!」

北辰は夜天光の右足の蹴りでサレナの押しを外す。直後に傀儡舞にはいったとたんサレナのハンドカノンが火を噴き、至近からの連射を辛くも避けることができた。
背筋を走る冷や汗に不快感を感じる暇もなく、死と隣り合わせの緊張感に歓喜の笑みを浮かべる。


サレナと一度間合いを取ろうとする夜天光、攻撃を続けようと後を追うサレナ。

「隊長!!」

2機の激突に距離をおいていた六連がサレナと夜天光の後を追う。
と、その動きを遮るように銃撃が彼らを行く手を遮る。

「何!?」

リョーコ以下4機のエステバリスが戦闘に割り込んできたのだ。
その場にいる全員に聞かせるように通信が開かれる。

『騎兵隊だー!男のタイマン邪魔する奴ぁ馬に蹴られて三途の川だ!』

『馬その1、ヒヒーン!』

『その2のヒヒン』

リョーコの宣言に続きヒカルとイズミが歓声を上げた。



「おいおい、俺も馬なのかよ?」

先程までの深刻な気配を感じさせない3人の言葉にあきれたように三郎太が続ける。

『そうそう、馬だけに  

『リョーコはサブを尻に敷き』

「おっ?やるねぇ」

『バッカ野郎!!なにが尻だ!!』

色恋沙汰に免疫の薄いリョーコが2人の言葉にコミュニケのウィンドウを大開きにして反論する。
もちろん戦闘中である。6機の六連は先程から4人のエステにしきりに仕掛けている。

「おーっと」

自機に近づく六連に注意を戻し、三郎太は回避行動をとる。
4機の中で、一撃で六連を撃破できるであろうレールガンを装備した三郎太のスーパーエステバリスは真っ先に標的にされている。
アキトの時と同じくフェイントをかける味方の影から攻撃をする六連。だが三郎太は惑わされることもなく自分に向かってくるミサイルを難なく打ち落としていく。



六連に乗る烈風以下の北辰直属である六人衆は焦りと共に怒りも感じていた。

『ま、尻に敷くか膝枕かはその後の展開として。ねぇ中尉?』

『バ、バカ…』

地球連合のみならず木連の腐敗しきった連中を全て打破して、新しい時代を築くために自分たちは戦っているのである。

『おー、熱い熱い』

『ケッ、てめえーこれが終わったら覚えてやがれぇ!』

それが戦闘しながらこんなふざけた会話を交わす連中を攻めあぐねている。

「気をつけろ、ヘラヘラしてるが奴らは強い」

口惜しいが敵の実力を認めざるを得ない。しかしそれは遅かった。
1機が背後からの銃撃に被弾する。

「クッ、クソォ、むっ無念!」

格好に負けず劣らずの時代がかったセリフと共に火星の地表に落ちていく。
数において六連が有利なのにも関わらず戦闘の主導権はリョーコ達4機に握られていった。






また1機爆発。墜落していく部下を視界の隅で確認しながら、北辰は目の前にたたずむ黒い機動兵器を見やる。
あれに乗る男の存在が人を動かし、自分たちを追いつめている。

「よくぞここまで。人の執念見せてもらった」

『勝負だ!』

「フッ」

アキトからの通信に冷笑で返す。
確かに凄まじいまでの執念で自分たちと対等に戦えるまでになった様だが、一騎打ちで自分に勝とうなど少々のぼせあがっているようだ。

『こーらー!てめえらまじめに戦え!!』

『戦ってる戦ってる』

『まじめな戦い討たせていただきます』

『のわー!』

ふざけた会話の後に、また1人部下が倒されたようだ。
正面の復讐者が両腕の武器を隠す。

「抜き撃ちか…笑止」

夜天光の両腕を構えさせる。
こちらがフィールドを張る前に西部劇のガンマンよろしく早撃ちで仕留めるつもりだろう。
あいにくとフィールドの展開は自動なので無駄だ。
北辰にとってはあの重装甲を打ち破るための絶好の機会が訪れただけである。
スラスターのフルスロットル使用で突っ込んで、大振りで打撃を打ち込める。

最後の2機の六連が爆発音と共に破壊されると同時に2体の機動兵器はお互いに向かって飛び出した。

100m………………

50m……………

30m…………
20m………
10m……
5m…
3m
2m
1m!
0!!

どんなに近づいても発砲してこない相手をいぶかしく思いながら、最後にはその疑念を捨て去り渾身の一撃を放つ。
その攻撃がコクピットに向かいめり込むのを見たとき、北辰は勝利を確信した。






懐かしい声と共にかつての仲間が戦いに入ってきたとき、アキトは一瞬涙が出そうになっていた。
ナデシコに乗っていたときと同じ色の4機のエステバリス。
あのころと変わらない動きで、同じように緊張感に欠けた会話を交わしながら六連を落とす3人と1人。
その光景に自分が1人ではないことを実感する。そしてこれがルリの気遣いであることも。
それだけに今度こそ目の前の男には負けられなかった。
ヘルメットを脱ぎ捨てる。

「勝負だ!」

『フッ』

鼻で笑う声が聞こえたが気にならなかった。
両腕を収納してハンドカノンを見えないように取り外す。

『抜き撃ちか…笑止』

北辰の声が聞こえる。正面の夜天光が構えをとるのがわかった。

「いかにこの柔を身につけようとお前ではとうてい勝てぬ」

自分に木連式柔を手ほどきした月臣の言葉が思い出される。
最後の六連の爆発と共にブラックサレナで真っ直ぐ突っ込んでいく。

「だが勝つ方法はある」

あっと言う間に相手が2倍3倍と大きくなる。

「お前の得意な射撃に固執して見せろ。最後の最後までだ」

さらに近づく夜天光。

「両手のハンドカノンしか頭にないように振る舞え」

右腕を振りかぶるのが見える。

「奴に飛び道具だけを意識させろ。そして   

激突、衝撃。





胸部にめり込んでくる夜天光の右腕を離れないようにサレナが左手で掴む。
北辰は反射的に退こうとしたが遅かった。
サレナの右腕がナックルガードとディストーションフィールドを纏いながら繰り出され、その右手と夜天光の胸部のフィールドがぶつかり合いスパークを散らす。
アキトが右手のIFSに力を込め背部スラスターを点火した。
突如、夜天光のフィールドが消失し発生器から黒煙が上がる。過負荷に耐えきれなかったフィールド発生器が内部で爆発を起こし、保護するはずの搭乗者を圧迫していた。

「グボァ、見事・だ…」

鮮血を吐き北辰は賞賛の言葉をアキトに向かい言う。
ものの見事に自分をだまし、勝負に勝ったのだ。
身じろぎすることもかなわず夜天光が倒れるまま、北辰も火星の大地に横たわることとなった。





目の前で夜天光がくずおれ、ブラックサレナの追加装甲を排除したエステバリスのコクピットでアキトは肩で大きく息を繰り返していた。
周囲には動くものはおらず、ただ風が舞う音と自分の息だけが耳に入るのみだった。
勝ったという実感は無い。

ようやく呼吸が落ち着き、目の前の夜天光が目に入る。
エステの腕を使い夜天光の胸部を開く。金属の軋む音と共にハッチだったものがはずされ中がむき出しとなった。
そこまでして、アキトはコクピットから火星の大地へと降り立った。

リボルバーを構えながら北辰の元へ近づく。
吹きすさぶ風の音と自分が雪を踏む音、そして北辰の喉から漏れるヒューッヒューッという声が聞こえるだけ。

「終わった…な」

「ああ」

「これから…どう…するつもり…だ」

「さあな」

北辰がむせかえり鮮血を吐く。肺からの出血だろう鮮やかな赤い色だった。

「草…壁に会う…のだろ…う?」

「そうだな」

敬称もつけずに草壁をよぶ北辰。
憎んでも憎み足らない相手を前にしてアキトの返事は素っ気ない。実際いまのこの状態になっても自分が勝ったという現実感は無かった。

「なら…ば、…これを持っ…ていくが…良かろう」

比較的まともな右腕を動かす北辰。
何をするつもりかアキトが理解する前に、北辰はその右手の人差し指と親指を自分の義眼に突き立てた。

「!?」

予想外の行動に呆気にとられたアキトが構えていたリボルバーを下げてしまう。
そんなアキトにお構いなしに北辰はそのまま義眼をつながった視神経ごと引きずり出した。その義眼をアキトに向かい差し出す。

「草壁も…狗がもう…居ない…と…わかろう」

喉から漏れる音が最初より大きくなっている。
気乗りしない様子でアキトがゆっくりと手を差し出す。
その手の中に己が義眼を落とし、北辰がニタリと笑う。

「さあ、…トドメを…刺…すが…よい」

そう言われてアキトがリボルバーを構え直す。しかしアキトの心の中にはためらいが生じていた。
復讐を始めてから人を殺さなかったわけではないが、無抵抗の相手に直接手を下したことは無い。

「憎い…の…だろう?」

ひきつらせたような笑みを浮かべる北辰。

「殺した…い相手…には自分で手を…下さぬと…死ぬ…まで後悔…するぞ」

北辰の言葉がアキトには奇妙に実感がこもった台詞に聞こえた。



吹きすさぶ風の中、拳銃の音が轟いた。






「ラピス、終わったよ」

エステのシートにもたれ掛かりながら、アキトがラピスにコミュニケを繋ぐ。

『あちらはしばらくかかりそうです』

「草壁か?」

『はい、バリケードを築いて逮捕に向かったゴートさん達が部屋に入れないようにしています』

「ルリちゃんがドアを開けられるだろう?」

『あの人達が居る大部屋は木でしきりを作っているだけみたいでドアが無いんです』

そう聞いて、アキトも思い当たることがあった。

「ああ、そういえば木連は完全に和式だったな」

『和式?』

「後で教えるよ」

そこまで言い、手の中の義眼を見る。そこで口の端をつり上げ笑みを浮かべる。

「俺が行くか」

懐からCCを1個取り出す。向こうではリョーコ達が北辰六人衆の生き残りを捜索しているようだ。

「ラピス、しばらくあの4人の相手を頼む」

『はい』

ラピスの返事を聞いた後、アキトは極冠遺跡イワトに向けジャンプした。






部屋に有った様々なもので入り口をふさぎ、シンジョウ達は自分らを逮捕に来たナデシコのクルーに抵抗していた。

「たった1艦の人間です。そう多くはないでしょう」

腕組みをして瞑想したままの草壁に向かいシンジョウが進言する。
ここを突破して、あの艦を乗っ取ることが出来れば何とかなるとシンジョウは考えていた。艦長はたかが十代の小娘だ、押し掛けてきた連中を人質に使えば間違いなくできる、とまで思っている。

「そうだな」

静かに返す草壁。あの7人が居れば難しくはない。
バリケードの前で構えている同胞達に向けシンジョウが叫ぶ。

「こんなことでくじけるわけにはいかない。我らは腐敗した連中を打ち倒し、新たな秩序を創らねばならんのだ!」

「いいかげんにして欲しいな」

「!?」

返事が草壁の背後から聞こえてきて、その場にいる全員が振り返った。
黒ずくめの男。シンジョウはこの男に心当たりがあった。かつてのモルモット、そして人間翻訳機=ミスマル・ユリカの恋人にして復讐者。自分たちの罪が形となった存在。
草壁の後ろに耐Gスーツのままのアキトが銃を構えて立っていた。

「あんたに土産だ」

そう言って草壁に北辰の義眼を見せる。

「殺したのか…あの男すら…」

シンジョウがうめくように漏らす。誰かが生唾を飲み込む音が彼の耳に入ってきた。

「ユリカは放してもらうぞ」

シンジョウを無視して、アキトが草壁に向かって言う。
その低い声に眉一つ動かさず、草壁は淡々と答える。

「君たちには申し訳ないことをしたと思う。しかしあれがあれば、人類全てが君と同じA級ジャンパーの能力を身につけることすら出来よう。そうすれば火星に生まれたと言うだけで今後はモルモットにされることも   

そこまで聞いて、無言のままアキトがリボルバーのグリップの台尻で草壁の横っ面を殴り飛ばす。
床を滑る草壁。そのそばに歩み寄り、アキトが銃を向ける。顔にはナノマシンによる輝きが激しく踊っていた。

「俺達をモルモットにした張本人が何を言う!!」

「閣下!!」

アキトの事情を知らない警護の兵は銃を構えたが、大半の幹部達は手にしていた銃を向けることが出来なかった。

「人類全員がボソンジャンプ出来る?それじゃあ俺はどうなる!?ジャンプができてもまともに物も見えない、耳も聞こえない、匂いもハッキリしない!」

顔の輝きがいっそう激しくなる。

「味も  判らない!!」

「……」

「全部貴様らのせいだろう!俺はこれから先何が出来る!?何をすればいい!?答えろ!!」

「君は……そう、君は人類の未来のために体を張って礎となった尊い犠牲として歴史に名を残すだろう」

銃声。アキトの銃口から紫煙があがり、草壁の顔の横に銃弾が掠めた浅い傷が走る。

「そんなもの誰が!!」

草壁の額に銃口を突き付け睨みつけるアキト。顔にはまだナノマシンの走る激しい光がある。
そのアキトを草壁はまっすぐ見つめ返している。
しばらくの間二人とも動かず、それを見つめるシンジョウたちも動かなかった。

どのくらいの時間がたっただろう、体を起こし床に両手を付き頭を下げる草壁。

「…………すまなかった」

アキトはギリと歯ぎしりをしながら顔を背ける。

「今更……」

その場にいる全員がそのままも何も言えないまま、その光景を見ている。



(これが答えか…)

彼が目の前に現れたら  以前自分が抱いた疑問の結果にシンジョウは独りつぶやく。
自分どころか敬愛すべき草壁のためにすら銃を向けられなかった。
あの怒りを向けられて何が自分に言えよう?自分にあるのは彼に対して返すことのできない借りだけだ。

「……入り口を開けろ」

アキトの低い声に、バリケード前にいた幹部たちが先を争うように障害物を取り除き始める。
バリケードが崩されると同時に、ゴート以下ネルガルのシークレットサービスが乱入してくる。
その場にいた幹部達は抵抗するそぶりも見せずに次々と手錠をかけられていった。

「手間をかけるなテンカワ」

バリケード越しの先程までと異なり、大人しく出ていく草壁以下の幹部を見送っていたゴートがアキトに声をかけてくる。
それには返事を返さず、アキトは竹で組まれた衝立の向こうに見え隠れする遺跡の中枢ユニットに視線を向ける。
そちらからもシークレットサービスに拘束された白衣の連中が続々と連れられてくるところだった。先ほどの幹部達と違い彼、彼女らは声高に抗議を繰り返している。

「人権無視だ!」

「私たちが何をしたっていうの!?」

「こんなことが許されると思っているのか!この手を離せ!」

騒々しい研究員を無視してアキトが遺跡の方へ歩き出す。黒づくめのパイロットに気付いた研究員達はたちまち押し黙ってしまい、自然と道を譲っていく。
その中でただ1人、アキトの正面に立ちひょうひょうとした態度で声をかけてきた者がいる。

「君がテンカワ・アキト君だね」

ミスマル・ユリカを遺跡の翻訳機に仕立て上げたヤマサキ・ヨシオである。

「話には聞いていたんだけど、ホントに君感覚がないのかい?」 

「……」

「それでよくこんなことが出来たねぇ?」

アキトは無言である。

「まるっきり無視?つれないね君」

無視したまま横を通り抜けたアキトの背中に向かい、ヤマサキが声をかける。

「そうそう、君にお礼を言わなくちゃね」

「?」

足を止め訝しげに振り返るアキトに対してヤマサキは薄ら笑いを浮かべたまま言う。

「君の実験データ非常に役に立ったよ。お姫様を騙すのにもね」

アキトの顔に光が浮かび上がる。
ヤマサキはそんなことに気付かない風に続けた。

「ついでに言うと君が以前殺した研究員の中に私の従弟がいてね」

ヤマサキに向かい踏み出していたアキトの足が止まる。

「彼の両親も奥さんも悲しんでるじゃないかな」

もちろん私もねと付け加えヤマサキは歩き去っていった。
後には光の収まったアキトと、アキトを止めようとしたゴートが残されていた。

「テンカワ…」

「いいんだ………」

心配げに声をかけるゴート。心の中で大きくなりつつある違和感を意識しつつ小さな声で答え、再びアキトは歩き出した。





遺跡。

そこに埋め込まれたユリカをアキトは見上げる。



「ユリカ……」



ずっと求めていたもの。
手を伸ばせばすぐに触れられる距離。
今まで邪魔をしていたものは何も無い。
その白磁の肌を見る。教会で着ていたウェディングドレスよりも遙かに白いその体。
何度この手で抱きしめることを夢に見ただろう。



この手。



右手は拳銃を握り。
左手は北辰の義眼で血みどろで。

黒い黒い夜よりも黒い服を着た自分。
目の前には女神がごとく白く白く輝くユリカの肢体。




ひときわ大きくなった違和感がその形を成す。


それは絶望。


自分のしたことは彼女を求めながら、彼女の隣に立つことが出来なくなる道をとることだった。
そして絶望が足元から自分を飲み込んでいく。




ユリカを見ていられず、目をそらす。

「どうしたテンカワ?」

心配げなゴートの声に声も出せず首を振る事しかできなかった。
これが自分の望んだものの結果だった。他の誰でもない、自分がだ。
光り輝くユリカに背を向け出口へと足を踏み出す。目の前には背後の光がつくった自分の暗い影。

「おい、テンカワ!?」

ゴートの声に足を止めるが振り向きはしない。いや出来ない。

「あとは頼みます……」

そう言うのが精一杯だった。重い足を引きずるようにアキトはそこを後にした。
残された巨漢の男は納得いかないという顔だったが、アキトの背中に声をかけることも出来なかった。





ぼうとしたまま歩く。ふと気付くと目の前にイネスが立っていた。

「アキト君どうしたの?」

「イネス先生………何でもないです」

「嘘をつくならもう少し上手くなってからにしなさい」

目を逸らすアキト。
その様子を母のような姉のようなまなざしで見ていたイネスの目が細められ、いきなりアキトの左手を掴みあげる。

「これどうしたの!?」

「あ、ああ、北辰が自分で俺に渡してきたんだが……」

ここに来るまでずっとアキトが持っていた北辰の義眼を見つめながら食らいつかんばかりのイネスの様子に、面食らいつつ答える。
普通こんなものを見たら気味悪がるだろうに科学者というのは違うのだろうかという考えがアキトの脳裏を横切る。

「すぐによこしなさい!!」

「これを?」

「いいから早く!!」

イネスが半ば奪うようにアキトから義眼を受け取り、ぶら下げていた鞄から空の袋を取り出すと何かの薬品と共に入れてしまい込む。
そこまでしてからあらためてイネスが見てくる。

「怪我は無いのね?」

「……ああ」

「ユリカさんは私が看るから、しばらく待っていて」

そう言い残してユリカと遺跡の設置された方へ向かうイネス。
先程との態度の違いにアキトはついていけないが、それよりもこれ以上ここに居続けることは出来ないという思いが心にのしかかってきた。

「綺麗……」

遺跡とそこに繋がったユリカの白い姿が見えたときイネスは不謹慎と思いつつも呟いていた。
同時にアキトの虚ろな瞳と雰囲気を思いだし、その理由に合点がいった。

「アキトく…」

振り向いたイネスが目にしたのは消えゆくボソンの輝きだけだった。

「アキト君……」

アキトの絶望を理解しつつ、何もできない自分に歯痒い思いを感じて、イネスはアキトの立っていた場所を見つめ続けていた。





CCを握る。一瞬後には見慣れたエステのコンソールパネルが目の前にあった。
アキトはラピスにコミュニケを繋ごうとして、彼女がリョーコ達との通信を開いているのに気付く。
リョーコ達の方へ音声のみでコミュニケを繋いだ。

「リョーコちゃん、ありがとう」

『アキト…』

『アキト君久しぶり〜』

『終わった様ね』

懐かしい声が答えてくる。

「みんなのお陰で助かった。ルリちゃんやナデシコのみんなにも感謝していると伝えてくれ」

『へっ、たいしたこっちゃねえよ』

『そうそう』

『フッフフフ』

勝ち気なリョーコの返事にヒカルが相づちを打ち、駄洒落を考ているのかイズミは笑いだけを返してくる。
そこへ三郎太が口を挟んでくる。 

『うちの艦長にはもう会わないんですかい?』

『そうなのかアキト!?もしかして他の連中にも会わねえつもりなのか!!』

「……」

『どうすんだよ!?』

「……」

三郎太の言葉にリョーコが過敏に反応する。

『まさかユリカにも会えないってんじゃないだろうな!!』

「もうダメなんだよリョーコちゃん」

『何がだよ!終わったんだからまた屋台を    

「舌がダメだから」

『…………何…言ってんだよ…』

リョーコの言葉を途中で遮る。
返ってきたリョーコの声はかすかに震えていた。

「ルリちゃんは知ってる。だからルリちゃんに聞いてくれ」

『……冗談やめろよ』

エステをユーチャリスの方へ向ける。

『待てよアキト!』

今はかつての仲間の前に居ることすら苦しかった。今の自分をこれ以上見られたくなかった。
無言のままユーチャリスを目指す。ユーチャリスに着くまで後ろを振り返ることはできなかった。






遺跡から分離したミスマル・ユリカが目を覚ます。

「あれ〜みんな〜?みんな老けたね〜」

「良かったぁいつものボケだぁ」

ナデシコ艦長時代と変わらぬ天然さに、その場にいる全員が呆れとも安堵ともつかないため息をもらした。

「私、ずっと夢見てた…。アキト…。アキトはどこ?」

「アキトさんは    

ユリカの言葉にルリが見上げた先。ウィンドウの中でユーチャリスが火星の大地から飛び立つのが皆の目に映った。






「さよーならーってほんとに行かせて良かったの?」

「行くってもんを無理に引き留めらんねーよ」

リョーコ、ヒカル、イズミ、三郎太。パイロット達はボソンの煌めきを残し消える艦を見送る。

「でも…、これからどうするんだよ。あいつ…」

帰るべき家族の元へも帰らず、なくした夢を取り戻すこともできない男を想い、リョーコはつぶやく。

アキトはこれから先、何が出来るのだろう。
そして自分はアキトのために何が出来るのだろう。






「ルリちゃん…、アキトは   

「帰ってきますよ。帰ってこなかったら追っかけるまでです」

「ルリルリ?」

確信を込め答えるルリ。

「だってあの人は…。あの人は大切な人だから」


父、兄、家族、初恋の人。どれでもない、ただ大切な人だから   


微笑みを浮かべ皆に振り返るルリ。
それは彼女が生まれて初めて見せた心からの笑みだった。















「月に帰ろう、ラピス」

ユリカが目を覚ますのをウィンドウ越しに確認したアキトがラピスに声をかけた。

「いいんですか?」

「……ああ」

「本当にいいんですか?」

シートに体を深く沈め、ラピスの視線を遮るように目をつぶる。

「いいんだ……、エリナも待ってる」

「みんなの所に帰らないんですね」

珍しく寂しそうにラピスが言う。

「今はまだ帰れない」

そう、今は。いつか帰ることもあるだろうが今は帰れない。

「なら、お願い   しても良いですか?」

「?」

初めて聞いたラピスの言葉にアキトは目を開く。

「教えてください、ナデシコのこと」

「ナデシコ…」

「アキトがあの人達とナデシコに乗って行った所、やったこと、思ったこと」

「……」

「知りたいんです、あの人達のことも」

リョーコ達と話をしてきっと思うところがあるのだろう。
戦艦のオペレーターとしてではないごく普通の少女としてのラピスを見た気がした。

「そうだな……、教えてあげるよいろんな事、ナデシコで行った場所、知ったこと」

「はい」

アキトの頬が知らず緩む。

「俺がやったことも会った人のことも」

「はい」

「それで………いつか…2人でユリカにも会いに行こう」

「はい!」

元気良く返事をするラピスの生まれて初めての笑みに救われる気がする。



ボロボロの体でこれから何が出来るかわからない。
でもラピスの笑顔を見て、きっと見つかる気がした。






Spiral/Birth of Fairies − 後編 了



後書き

劇場版再構成です。初めての作ですので投稿するのが非常に不安ですが、文法おかしいところは遠慮なく指摘していただいて構いませんので。
劇場版見ていない人でも場面がわかるようにしたかったのですがどうでしょうか?

本作執筆にあたり、日和見さん、音威神矢さんの「なぜなにナデシコ特別編のお部屋」を参考にさせていただきました。
この場をお借りしてお礼を申し上げます。

補足:
プロスペクター=prospector
【変化】《複》prospectors、
【名】試掘者、信用詐欺師、探鉱者、投機者
Personal Dictionary for Win32添付の英和辞書で出てきたのですが、通常よほど詳しく載っている辞書(50万語位?)でなければでてこないかと思います。
ぐぐった場合、大抵は"探鉱夫"か競走馬関係…。

Spector
【名】《コ》スペクター◆本人にはばれないように、数秒ごとのモニタ画面情報を読み取り、後で解析するスパイプログラム
【人名】スペクター
こっちの意味もあり。pro+Spectorで本職のスパイ?

 

 

 

代理人の感想

私ゃスペクターって聞くと世界をまたにかける悪のスパイ組織を連想するんですがそれはさておき。

 

最近多い劇場版の再構成でしたが、基本的に(目に見える部分の)ストーリー自体は全く変えていないですね。

ボトルシップみたいなもんですが、上手い作品と言うのはやはり作者さんの解釈が楽しいです。

また劇場版を知らない人にも判っていただけるような気遣いが確かに感じられました。

個人的にはホウメイさんとちょい役ながらラスト近くで出てきたヤマサキがお気に入りです。

ああ、らしいなぁとw

そして一番褒めるべきはみんなが「それらしい」ってことですね。

世間一般の解釈とは違いながらも、ちゃんとルリでありアキトでありラピスであると。

ただ、アキトが常にイネスを先生呼ばわりってのだけはいただけませんでした。

ここはなんていうか・・・・・・こう、ねえ?

 

>文法

些細な誤字脱字や、カッコの最後に句点がついている等はありましたが、文法で間違ってたのは

 ここであの男を遺跡に辿り着かせてはプランの変更をしなければならない。
→ここであの男を遺跡に辿り着かせてはプランの変更をしなければならなくなる。

この部分だけだったかと思います。

 

 

ところで、忘れてましたけどイツキさんたちどーなったの?(爆)