Spiral/again 〜auld lang syne〜 第5話
「最初は偶然だったそうです」
それを知ったのは夏の終わり。
はじめてこの目でバッタを見た日。
兄さんがテンカワ・アキトの記憶を取り戻した日。
「草壁の信奉者や統合軍の強硬派に追われたテンカワさんは、廃棄されたコロニーに逃げ込んだそうです」
破損したチューリップの陰に隠れてしつこいチェイサーをやり過ごそうとしたとき、追跡者達によりコロニーの動力が再稼働する。それと同時に再起動したチューリップは中断していた命令を不安定な状態で実行し始める。
「テンカワさんがジャンプしたのはナデシコが出航する前の年。過去に来たことを知ったテンカワさんは未来を変えることを決めたそうです」
ネルガルへの接触。クリムゾン・グループへの工作。
しかし何一つ満足な結果は得られなかった。せめてナデシコで死んでしまう人たちを助けようとサセボへ。
「結局、ナデシコに乗ることも出来ず 」
「え?」
「ナデシコに乗れなかったって…」
アキトやエリナの疑問を無視してイツキが続ける。
「 死んだそうです」
「!?」
その場にいる全員がわけがわからないという顔で、ベッドの上のイツキを見る。
カザマ・ヒデトとして乗っていたのではないか?
死んだのはここにジャンプして来てからなのでは?
皆が見つめる前で、イツキは淡々と続けた。
「テンカワさんはもしもの時のためにメッセージを残していました。火星の後継者がクーデターに失敗した後、それを見つけたその時代のテンカワさんは、いろいろな方法を試し過去にジャンプしたそうです」
今度こそ未来を変える。そう決意し、木連に潜入する。目指したのは草壁の命。草壁がいなければ火星の後継者は結成されず、あわよくば蜥蜴戦争も無いかもしれない。
しかし草壁に近づくこともできず、地球に逃れてくるしかなかった。
「その時の怪我がもとで、テンカワさんは何も出来ないまま…」
「死んだのか」
イツキが飲み込んだ言葉をアキトが口にした。無言のままイツキがうなずく。
「そして、その時代のアキト君がまた過去へ跳ぶわけね」
「そうです」
何も言わないイツキの後を継いでイネスが続ける。
「最初に過去に来たテンカワはどうしたのだ?」
壁際で腕組みしつつ立っていた月臣が口を挟み、皆が一斉に振り向く。
「最初に過去に来たテンカワと協力することを2番目のテンカワは考えなかったのか?」
「それは不可能でしょうね」
「なぜだ?」
イネスが説明モードに入る。
「最初のアキト君は2番目のアキト君の未来の延長点に存在するのよ。偶然ジャンプするはずが自分の意志でジャンプしたにすぎない。2番目のアキト君が過去に介入した時点で最初のアキト君は存在しなかった事になるはず」
「………」
「ただそうなると、2番目のアキト君が1番目のアキト君の事をなぜ覚えているのかがわからないけど」
「……平行世界ということはないのか?」
イネスの長口上を黙って聞いていた月臣が静かに尋ねる。
「ジャンプ前の世界とよく似た世界へ跳ぶというの?蜥蜴戦争中にあなたも過去に跳んだことがあるはずよ。アキト君と一緒に月へ」
「……」
「そこは何か違っていた?あなたが跳ぶ2週間前と?」
「いや…同じだった」
月臣が反論をあきらめる。
「未来の自分が過去にジャンプして来たことを知ったアキト君はその度に歴史を変えようと自分もジャンプをする。何度も繰り返したということは今まで一度も歴史を変えることはできなかったわけね」
「そうです。4回目からはナデシコに乗るようになったそうです。でも……歴史を変えることはもちろん、死ぬことがわかっている人たちを助けることもできなかった」
イネスの確認に返したイツキの返事を聞き、アキトが慌てたように言った。
「じゃあ、ガイやサツキミドリ2号やユートピアコロニーにいた人たちは 」
「駄目だったんです。本来ならガイさんだってムネタケ提督に撃たれて死ぬはずだったんです。それが兄さんの時はアサルトピットの中で悲惨な死に方をしてしまった。その時どんな方法をとって助けても、時間をおかずに死んでしまう」
イツキが首を振り、アキトは呆然とそれを見ていた。
「サツキミドリから爆発前に逃れても、逃げる途中で木連の襲撃に遭ってしまう。元々はナデシコのディストーションフィールドで潰してしまうはずだったユートピアコロニーの人たちも、ナデシコの撃ったグラビティブラストに巻き込んでしまった……」
「…それじゃ…………駄目なのか?歴史は変えられないのか?……結局俺はどんなことをしてもコックになることはできないっていうのか……」
アキトが頭を抱えつつあげる呻きに誰も声をかけることができなかった。
そのアキトにイツキがためらいがちに告げた。
「……ハッキリとはわからないそうですけど、兄さんは8回目か9回目なんです。そして火星から遺跡を持ち出すところまでたどり着けたのは兄さんがはじめてだったんです。だからまだあきらめることは……」
「でも、誰も助けることはできなかったんでしょ?」
俯くアキトを支えるように肩に手を回しエリナが言う。その2人の様子から視線を逸らし、痛みをこらえるような表情でイツキがつぶやく。
「1人だけ…兄さんは助けることができたんです……」
アキトが顔を上げ食い入るようにイツキを見つめる。
「誰を 」
「月臣さん。カワサキ・シティで戦ったこと覚えていますか?はじめてあなたがマジンで地球に乗り込んできたときの戦闘を?」
「…ああ」
一度大きく息をして、イツキは月臣に顔を向ける。
「あの戦闘で私が白鳥さんのテツジンに吸着地雷を仕掛けたのも覚えてますか?あれも本当なら、テツジンにとりついた私が白鳥さんと一緒にジャンプするはずだったんです」
「……」
「ジャンプに巻き込まれた私はエステのコクピットで押しつぶされる運命でした」
「なぜ?」
目の前の女性を自分たちが殺してしまうはずだったと知り、面食らった顔で月臣は言葉を忘れたかのように押し黙ったままだった。代わりにエリナが声をかける。
「なぜ生きてるの?」
「わかりません…あの後もなぜ死ななかったのか」
「それがわかれば、歴史を変えられる 」
アキトの肩をつかみエリナが喜び勇んでアキトに告げる。
「 きっとアキト君もコックができるようになるわ」
「……イネスさん」
「なに?」
喜びをあらわにしたエリナと対照的に、沈んだ顔のままアキトが重苦しい声でイネスを呼ぶ。
「俺が過去に跳んで歴史を変えて、過去の俺がコックになったらどうなる?」
「コックになったアキト君が過去に行くことはなくなるわね。でもアキト君が過去に行かなければ歴史は変わらないからまた元通り。当然、火星の後継者がまたアキト君を拉致する」
「……そして草壁がクーデターに失敗して、俺はまた歴史を変えようと過去へ跳ぶわけか」
「じゃ、じゃあ、歴史を変えた後その時代のアキト君を過去に送れば?」
「その後、何食わぬ顔でコックをやれって言うのか!?あんな事をやった俺が!!」
アキトが怒りを見せ、先ほど自分の言った言葉が軽々しいものであることにエリナは気づく。
「あ……、ごめんなさい……」
「…………悪かった、つい」
お互いに謝罪するが、気まずくなったその場の雰囲気はどうしようもなかった。
と、パンパンと手を打ち鳴らし、イネスが皆に告げた。
「ハイ、今日はここまで。イツキさんも休養が必要だから、難しい話はまた日を改めてからにしましょう」
イツキという言葉を聞いてアキトがベッドの方を見ると、霊安室でも見た自分を見つめる悲しげな瞳とぶつかった。
「すまないイツキちゃん。君が一番つらい目にあったのに」
「……あ、……私のことはいいんです。つらい目にあったのは兄 テンカワさんですから」
嬉しさと悲しさが混じったあやふやな表情でイツキが答える。
もう一度すまないと言い、アキトは病室を出ようと足を踏み出した。その背中へイツキがためらいがちに声をかける。
「…テンカワさん」
振り向いたアキトを、何も言わずただ真っ直ぐに見つめる。アキトが何か声をかけようか迷っているうちにその視線が外された。
「ごめんなさい、何でもありません」
「?」
イツキの態度にどうしたらいいかわからないまま、アキトはおやすみと言い残して部屋を出て行った。
その後をエリナと月臣が続く。出口で月臣はイツキを一度見るが、結局何も言わないまま扉を閉めていった。
無言のままイツキの傷を診ていたイネスが包帯を巻き直した後、耳元でささやいた。
「泣いてもいいのよ。泣くことは恥ずかしいことじゃないんだから」
「兄さんは兄さん……テンカワさんはテンカワさん……ですよね…」
黙ってうなずき、イネスがイツキの頭を抱く。
イネスの胸に顔を埋め、イツキは声を上げ泣いた。
「フッ!」
ズダン!
「セッ!」
バン!
「クッ!」
ダン!
言葉もなくひたすら組み手を繰り返し、アキトと月臣はお互いに投げ、投げられる。
やがて立ち上がる気力もなくなり、2人して天井を仰ぎ見ながらゼイゼイと肩で息をする。
息も落ち着いてきた頃アキトが月臣に尋ねた。
「月臣さん、俺はどうすればいい?」
「……」
「……」
「好きなようにしろ。お前が過去に行きたいというなら、ドクターもエリナもアカツキ会長も協力を惜しむまい」
長い間の後で、突き放すように月臣が答える。
「過去に行かないと言ったら?」
「同じだ。皆、お前が普通に暮らせるよう骨を折ってくれる」
「……」
無言で立ち上がるアキト。トレーニングルームの出口へ歩いていくその背中へ言う。
「自分で決めろテンカワ」
アキトは一度立ち止まるが何も答えることもなく出て行った。
姿の見えなくなった男へ向け月臣は呟く。
「お前のこと、うらやましく思うぞテンカワ」
ミナトがラピスの顔を覗きこむ。
「そっか。そんなことになってたんだ」
ラピスの頭をなでながら笑う。
「ゴメンねぇ1人で困らせちゃって」
「いいんです。ルリを元気づけてくれれば」
そう答えたとたん、豊満な胸が押しつけられた。
「んふふ〜〜健気でかっわいい!」
「!?〜!?〜」
「あっ、ゴッメ〜ン」
まともに息もできず、ラピスがジタバタとする。ミナトは慌ててラピスを解放した。
少し離れた砂浜からユキナは2人の様子を見ている。腰に手を当てて仁王立ちしているその足下にルリが座っていた。
「あの子、ルリにそっくりだね」
「……そうですか」
「あんたも妹ができたんだからもうちょっとしっかりしなよ」
「……そうですね」
抑揚のない返事にユキナは大げさにため息をついた。
「やっぱアキトさんに逢いたい?」
「…………はい」
間はあったものの、少しは感情のこもった返事が聞けた。
〈アキトさん絡みじゃないと駄目か〉
そう思い少し考えた後、挑発してみた。
「……こう言っちゃなんだけどさー、ルリがこんなになってるってのにほったらかしなんて、ろくな人じゃないんじゃない?」
「………」
「ルリに逢うのが怖い弱虫はこっちからお断りって言えばいいのにさ」
「…………でも逢いたいです」
「……はあぁぁ」
アキトを馬鹿にしても反論してこない。以前なら少し笑いながら「そうですね」とか「そんなことありませんよ」と言っていたはずだ。
「ゴメン、今の無し。アキトさん馬鹿にしても言い返さないって、あんた重傷だわ」
両手を合わせユキナが頭を下げる。それでもルリは何も言ってこない。
ここまで反応がないとユキナもどうしていいかわからなくなった。
「ほんとどうしよっか?」
「…………」
「正直、あたしじゃ役者不足なのよね」
「役者不足?」
聞き慣れない言葉にラピスが首をかしげる。その仕草がかわいらしくミナトの眼に映る。
「えーと、手に負えないってこと」
「そうですか」
今度は愁いを含んだ顔。さっきの年相応の仕草と異なり、その顔を神秘的に見せる。
砂浜でルリがユキナといるのを見ながら2人で話す。
「アキト君しかいないのよね、ルリルリが本音を見せてくれるのって」
「ミナトさんが一番仲良かったって、アキトは言ってましたけど?」
「あたしもそう思ってたんだけどね」
「?」
ミナトの苦笑いと何かを含んだ言い方、そして遠くを見るような目が気になったが、それがなんなのかラピスにはわからない。
その表情も消え、ミナトがまた自分を覗きこんでいる。
「ラピスちゃんはアキト君に会えないの?」
「連絡つかないんです。エリナさんも捕まらなくて…。何かやってるらしいのだけはわかりますけど」
「しょうがないっか。ラピスちゃんは何とかアキト君かエリナさんに会えるようにやってみて。私もツテが1つあるからそっちから聞き出してみるから」
大きくのびをして、ミナトが立ち上がる。つられて立ち上がったラピスに顔を寄せミナトが聞いてきた。
「アキト君に会えなくて寂しくない?」
「寂しいです。でもルリはもっと寂しがってる」
「うん。じゃあ、ちょっと頑張ってみよっか?」
ミナトの笑顔にラピスはコクリとうなずいてみせた。
イツキの病室には先日の4人に加え、ネルガル会長アカツキ、会長秘書室長プロスペクター、そしてネルガル会長警備部第3課いわゆるネルガルシークレットサービスのゴート・ホーリーの3人がいた。
「兄さんと初めて会ったのは私がパイロット養成校に合格した時でした」
雨の中、その青年は左目と記憶を失いながらイツキの前に不意にあらわれたのだった。
イツキの父の計らいでカザマ家に身を寄せた青年は、のちに養子となりカザマ・ヒデトの名を名乗ることとなる。
やがて、その非凡な機動兵器操縦の腕を買われて、イツキの通う養成校の臨時教官として赴任する。
「それまで記憶は戻らなかったのか?」
「初めてバッタを肉眼で目にするまでは一度も。テレビで無人兵器を目にする度に何かを感じてはいたみたいでしたけど」
無愛想な顔のまま問いかけるゴートに、イツキは淡々と答える。
「君がテンカワ君から過去を聞いたのはその時かい?」
「そうです」
「自分が死ぬことも?」
「…はい」
「アカツキ」
遠慮無く問うアカツキにアキトが制止するつもりか声をかける。
「気にしないでください。テンカワさん」
そう言うとイツキは再び話を始めた。
「……兄さんが記憶を取り戻したのはナデシコ出航まで2か月もない頃だったはずです」
軍の紹介で、新型機動兵器エステバリスの運用を実習するという名目でナデシコに乗り込む。
死んでしまう人を助けるためだった。しかし、誰1人として助けることはできなかった。
「ガイは…」
「ムネタケ提督とかち合わせないように足止めをしたんです。でもガイさんは 」
「勝手にヒデト君のエステに乗ってコクピットであれをあびたわけか」
アカツキの言葉でアキトはあの時のことを思い出した。
ヒデト(=過去に跳んだアキト)にのされた宇宙軍陸戦隊の隊員の1人が、個人的恨みからヒデトのエステのアサルトピット内に対人地雷を仕掛けたのだ。
だがその犠牲になったのはヒデトではなくガイだった。ガイの遺体は見るに堪えられるものではなかった……。
その後のサツキミドリ2号、ユートピアコロニーも事前にわかっていながら防げなかった。
「なるほど、サツキミドリへのデルフィニウムでの先行偵察、ユートピアコロニーで着陸しないよう強硬に主張したのはそのためでしたか」
当時ブリッジにいたプロスは納得したように1人首肯する。あの時奇妙に思ったヒデトの行動がこれで納得できた。もっともその行動は報われることはなかったわけだが。
「わかっていても助けることはできなかったわけね」
「何があったのだ?」
詳細を知らない月臣がイネスに尋ねる。
「サツキミドリの事はよく知らないけど、コロニーではナデシコのグラビティブラストが避難していた人達がいた場所を直撃したの」
「直撃…なぜだ?」
「ユートピアコロニー上空で無人艦隊に襲われて、距離を取ってから反撃しようとしたんだけど……ヤンマ級数隻のディストーションフィールドでこちらのグラビティブラストを偏向させられたの。ねじ曲げられた先が 」
「避難場所だったのか」
イネスの後をうけ、苦々しい顔で月臣が呟く。
先のことがわかっていても助ける事はできないのだとは言え、自分たちが避難民達を死に追いやったという事実を思い起こされ、あの光景を見た者達は黙り込んでしまう。
火星に侵攻していた元木連の一員として月臣も言葉を無くしていた。極論を言ってしまえば火星の人々が死んだのも、アキトの不幸も、自分を含む木連の侵攻があったためである。
重苦しくなった場の中で、1人アカツキが飄々と話を進めようとした。
「そしてイツキ君はナデシコが地球に戻ってきてから乗りこむことになった」
「はい」
「で、本来その後の戦闘で君は死ぬはずだったって?」
「そうです」
「でもこうして生きているわけだ」
「なぜなの?」
エリナが会話に割り込んでくる。
「なぜあなただけが生きているの?」
「本当にわからないんです。月臣さんが襲撃した月ドックでも死んだ人はいましたし、ムネタケ提督も白鳥さんも死んでしまいましたし……。どうして私だけ死ななかったのかわからないんです」
イツキが首を振る。
「先に今言った2人について何をやったか聞いておこうか。本来どうなるはずだったかも一緒にね」
また重苦しくなりそうな雰囲気を避けるためかアカツキが軽い口調で提案する。
「あ、はい。ムネタケ提督は何もしなければオーバーロードしたエクスバリスの爆発で死ぬはずでした」
「オーバーロード……ってあの機体そんなにやばい物だったの?」
イツキの言葉にアカツキが冷や汗を流す。当時あわよくば商品化できないか本気で考えていたのだ。
「道理でウリバタケ君が資料も何もかも全部すぐに破棄したわけだ。ヒデト君がナデシコとコスモスの重力波ビームを切るよう指示したけど、あれが一番安全策だったのかな」
「じゃあ、機体ごと回収した直後に提督が自殺したのは?」
「あれは…」
エリナの疑問にイツキが言いよどむ。その視線がその場にいる全員の顔の上を素早く走る。アキトのところで視線が一瞬止まるが、アキトが気づく前にそらされる。後ろめたいのだろう躊躇いがちに続けた。
「あの前に少し未来のことを提督に打ち明けたんです。その事で却って提督を追いつめてしまったみたいで……」
「どのくらい?」
「…木連の事全て。火星の後継者の事。あと兄さんの事もちょっと……」
「なるほど、未来に絶望したのね。だから拳銃自殺した。なぜ提督に話したの?」
イネスの鋭い眼光にイツキの声が小さくなる。
「私以外助けられない現実を兄さんはどうにかしたかったんです。それまで私と両親以外、他の人に未来のことは話したことは無かった」
「ま、普通信じられないでしょうな」
「そうよね」
「でも、それが裏目に出てしまった」
イネスの一言で部屋が静まりかえる。
「兄さんのことは責めないでください!私が言い出したんです!!どうしても兄さんを助けたくて………」
「わかっている、誰も責めはしない」
「に…テンカワさん…………」
涙ぐみながら訴えるイツキにアキトが声をかけ、その顔をイツキが見上げる。
2人の間にエリナが割り込んできた。
「白鳥大佐の方はどうだったの?」
「あ、でも……」
イツキが月臣の顔を盗み見る。
「構わん」
「……はい」
一度深呼吸をしてイツキは話し始める。
「実は白鳥さんの歴史は全く変わっていないんです。白鳥さんにはボディアーマーを渡し、草壁の裏切りと火星の後継者がすることを伝えたのですけど……」
「けど?」
「白鳥さんは端から信じようとしなかったんです」
「草壁を信奉していた九十九ならそうだろうな」
1人頷く月臣。
「激怒した白鳥さんに、私も兄さんも会談の席につくどころか、ヒナギクの護衛でついて行くことすら拒否されました。ゴートさんに白鳥さんを守ってくれるように言ってはみたんです」
「確かに話は聞いてはいたが、しかし……済まない、あの時は半信半疑だった」
「そして歴史どおりに俺は九十九を撃ったということか」
月臣の言葉はこの場をアカツキにもどうしようもないくらい重くさせてしまった。
その静まりかえった部屋にイツキの声が流れる。
「火星に着いてすぐに私たちはCCをかき集めてジャンプに備えました。そして皆さんが脱出艇で分離した後、火星、木星間のアステロイド帯に跳んだんです」
「そこに遺跡を隠そうとした」
「そうです。そこに隠した後、しばらく様子を見てから地球に帰るつもりでした。2ヶ月ほどたった頃、見たことのない機動兵器を使う部隊に襲われて……」
「もしかしてこういうの?」
エリナが積尸気をウィンドウに表示する。
「いえ、膝から下が変に細くて月面フレームの使っているレールガンを小さくした物を持っていました」
「では、こちらでしょうか?」
プロスの開いたウィンドウにステルンクーゲルに似た機体があらわれる。
「これだとと思います、そっくりです」
「そう言うことか。そいつらが火星の後継者だったわけだ」
「そうなのでしょうか?」
「これはクリムゾンが製造しているステルンクーゲルの試作機です。時期を考えるとクリムゾンが実戦テストをかねてこれを火星の後継者 いえ、この頃は草壁の私兵ですかな 彼らに使わせたのでしょう」
プロスが険しい目つきで解説する。火星の後継者の名を口にしたときに嫌悪感を隠そうとしなかった。
「私は彼らにすぐにやられて、兄さんに助けられたんです。地球に帰るために用意していたCCを使って逃げ出すしかなかった……。ごめんなさいテンカワさん、私が不甲斐ないばっかりに遺跡を彼らに渡してしまって……」
「いや、もう済んだことだ」
アキトがゆっくりと首を振り、微笑んだ。
「俺のためにイツキちゃんは頑張ってくれたんだろ?ありがとう」
「テンカワさん……」
潤んだ瞳でイツキがアキトを見つめる。
そこへイネスが咳払いをして2人の注意を引く。
「ちょっといいかしら?」
「あ、はい」
「秘匿ドックにジャンプできたのは、ジャンプした時点で存在しない場所だったのと、未来のイメージが混ざったからだと思うけど、意図的に過去にジャンプする方法をあなたは聞いたの?」
「詳しくは聞いてませんけど、A級ジャンパー2人が必要だとは言ってました。1人が場所、もう1人が時間をイメージングして、場所をイメージしている方を過去に送るそうです。ただ大まかな時間でジャンプするらしくてイメージした時間と1,2年はずれるとか……」
「何となく解るわ。私が2回時間移動したときもジャンプしたその場所に2人いたわけだし」
何とかできるかもしれないと呟きながらイネスはその場で考えに耽り始める。
「1つ聞いていいか?」
だしぬけにゴートが口を開く。
「そのジャンプ、危険は無いのか?」
「どういう意味でしょう?」
「最初にテンカワが現れたとき、すでに左目を怪我していると言っていたが?」
「それは違うんです。兄さんは一度木連にジャンプしているんです。そこで北辰を殺そうとして誰かに邪魔されたと言ってました」
「では、左目はその時にか」
「はい」
「いつだ?」
「え?」
今度は月臣が鋭い声で聞いてくる。
「いつだったのだ?」
「えと……219…4年の3月です」
「やはりそうか」
1人得心顔の月臣にエリナが不機嫌さを隠さずに文句を言う
「ちょっと、1人で納得してないでみんなに説明しなさいよ!」
「う、すまん」
その剣幕に素直に謝ると説明を始めた。
「その頃に北辰が木連式抜刀術の師範を弟弟子6名と共に殺している。その師範は直前に北辰の妻子を殺していたから、わからん話ではないがな。どちらにしろ師匠殺しは重罪だ、北辰と弟弟子6名は死罪を命じられた」
「しかし実際は死刑の執行はされなかった。命を助ける代わりに汚れ仕事を引き受けるよう、草壁に言われた といったところですか」
「そんなところだ」
プロスペクターの言に月臣は首肯する。
「その師匠殺しの際にもう1人いたという噂が流れていた。結局、誰かは判らなかったため噂にとどまったがな」
「それが兄さん?」
「おそらくはな」
「ま、今となってはどうでもいいんだけどね。当事者は1人もいないんだし、その事が詳しくわかったところでうちには関係なさそうだし」
それまでの場の雰囲気をまるっきり無視してアカツキが投げやりに言い放つ。
「ところで、ドクターに確認したいんだけど」
「なにかしら?」
「仮にテンカワ君が過去に行ったとして、歴史を変えられたら今の時間の僕らはどうなるのかな?」
右手をあごに添えしばらく考え込んだのち、イネスが答える。
「可能性は2つあるわね。1つは変えた時点で歴史が2つに分かれるパターン。もう1つは変更した歴史の流れの方に気づかないうちに乗り換えているパターンね。私は後者のパターンになると思うけど、そうするとこれまで何度も過去に跳んだそれぞれのアキト君の事をイツキさんが覚えていることが説明つかないし、前者なら物理的に成り立たないはずなのよね」
「どっちか証明は出来ないのかい?」
「それは無理だわ。試しに過去に跳んで歴史を変えてから未来に戻っても、変更した未来にしかたどり着けないもの。現にイツキさんがそうなってるし」
「どうしようもないか」
ため息と共にそう言うとアカツキは椅子から立ち上がった。
「今後どうするかは追々考えるとして、他にイツキ君に聞いておくことはあるかい?無かったらいったんお開きにしようか」
「そういたしましょうか。会長の決裁をいただかねばならない案件もたまっておりますし」
プロスの言葉にアカツキが肩を落とす。
「月まで持ってこなくてもいいじゃないか……」
「そうもいきませんので」
なかばプロスに引っ立てられつつアカツキが部屋を出て行く。護衛のゴートも出て行き、急に人間の減ったイツキの病室は閑散とした空気が流れているように感じられた。
そこに月臣の静かな声が響く。
「テンカワ、どうする?過去に行くか?」
「…………歴史を変えられるかどうか分からないのにか?」
懊悩するアキトに今度はイネスが声をかける。
「アキト君には悪いけど、それを悩む時間はあまり無いわね。歴史を変更した時点で2つに分かれない場合、イツキさんの存在は消えてしまうわよ」
「イツキちゃんが消える?」
「過去に行ってアキト君が助けないんだから、彼女は運命通りカワサキ・シティで死ぬ事になるわ」
イネスの説明に慌ててイツキを見ると、彼女は静かにアキトを見ているだけだった。
「今、ここにいるのにか!?」
「この瞬間にも彼女が消えても、私たちはその事を覚えていない。カワサキ・シティでジャンプに巻き込まれて死んだパイロットがいることを思い出すだけよ」
「ちょっと、イネス!」
本人を前にして残酷なことを言うイネスをエリナがたしなめるが、構わずにイネスは続けた。
「結論を先延ばしにすればその間は存在し続けるけど、アキト君が歳を重ねて“カザマ・ヒデト”の年齢を超えてしまうとやっぱり消えてしまうわ」
何も言えないままアキトはイツキを見つめ、イツキが目をそらす。その2人を他の3人が何も言わずに見ていた。
不意にイツキが口を開く。
「……テンカワさんは私のことなんか気にしないで好きに決めてください。ナデシコに乗るって決めたときに覚悟はしてましたから」
両手を組んで膝においたその手は、声と同じように小刻みに震えていた。
「イツキちゃん……」
「本当に気にしないでください。わ、私は大丈夫ですから」
手の震えが体中に広がる。エリナがそのイツキをそっと抱き寄せた。
「すまない…よく考えさせてくれ……」
そう言い残し重い足取りでアキトは部屋を出て行った。
それを見送った後、エリナがイネスをもの凄い視線でにらむ。イネスはその視線に肩をすくめて見せた。
「あそこまで言えば自分から過去に跳ぶって言うわ」
「!?」「なんで!?」
震えていたイツキもにらみつけていたエリナも、さっきまでとうってかわって呆然とした顔になる。
「一番最初にアキト君が偶然に過去に跳んだのも、もしかしたら最初じゃないかもしれない。それまでメッセージを残さないまま死んだことも十分あり得るのよ」
「つまり、テンカワが過去へ行くのはそう言う運命だと?」
「ええ、あくまでそう言う可能性があると言うだけなんだけど」
月臣の確認にうなずいてみせる。
「だからって、ここまで言わなくても」
「イツキさんには悪いとは思ったけど、事故で準備もないまま過去に跳ぶより、きちんと用意をしてジャンプした方がはるかにマシよ」
「そうかもしれないけど…これで良かったのかしら」
エリナの呟きに、イネスは背もたれに寄りかかり目を覆ってため息をもらす。
「わからないわ。でも時間が有り余っているわけじゃないのは事実だし、ユリカさんと別れを済ませた今が良いチャンスではあるのよ」
「しかし、テンカワは迷っている。そんな状態で過去に行って上手くいくのか?」
月臣の言葉にエリナもイネスも何も答えられなかった。
「ユリカさんとのことはしばらくすれば落ち着くわ。これから何をするか迷っていたアキト君にとって、過去に行って歴史を変える事が新しい目標になればあるいは……ね」
第5話−了
ひたすら説明。予定以上に説明が長くなってしまいました。
簡単に書くと、
1.火星の後継者の乱において、黒アキトが誕生。
2.クーデター終了後、黒アキトが過去へ。
3.過去に行った黒アキトがほとんど歴史を変えることができずに死んでしまう。
4.歴史が変わらないからその時代のラーメン屋アキトが黒アキトへ。
後は2〜4の繰り返し。
黒アキトの歴史介入により、その先の未来が分岐するのか?自動的に修正されるのか?は証明できないからわかりませんということです。
終盤の会話では、イネスは自動修正される事を前提にして話を進めています。
何度と無く逆行を繰り返し、グルグルと螺旋を描くアキトの足跡。
これが、前作「Spiral/Birth of Fairies」においてストーリーがほとんど変わっていない(変えなかった/変えられなかった)理由でもあります。
代理人の感想
「歴史の修正力」って奴ですな。
時ナデなども歴史の修正力理論を取り入れてるようですし、
また、殆どの逆行SSで大筋がTV本編と殆ど変わらないのも・・・げふんげふん。
それはともかくこれを持ち出すと結局今回のように「今までの努力はなんだったんだ・・・」と、
某英霊エミヤ並の空しさを覚えること請け合いなので納得のいく反面読み続ける気を奪う諸刃の剣。
それでも、愚公山を移すと言うか、無限の努力を積み重ねればやがて歴史の修正力すら打ち破れる、
かもしれないというのがこの話の肝らしいので、月並みでは在りますがそこを楽しみにさせてもらいましょう。