Spiral/again 〜auld lang syne〜 第9話
「んじゃ、トモナガ君しっかりやってくれよ」
「はい」
廊下の影から窺うカノープスの視線の先、会議室から出てきたアカツキ・ナガレが一緒に出てきた役員の1人の肩を叩く。
「シャクヤクとYユニットは火星攻略の要だからね」
「重々承知しております」
「よろしく!」
肩越しに右手をヒラヒラさせながら歩き去るアカツキ。
このノリの軽さは生来のものだろうか、会長という重苦しい肩書きを嫌ってのものだろうか。いつかすべてが終わったら聞いてみるのもいいかもしれない。
そんなことを考えている内にトモナガと呼ばれた役員も自室の方へと歩き去っていた。
廊下に人影がないことを確認すると、カノープスは物陰から忍び出てきた。
着ている黒服は正規のネルガルシークレットサービスのものと同じである。
「エルシー、そちらに向かった。用意は?」
『できています』
「了解」
ゴーグルのコミュニケでそこまで会話をするとゴーグルからサングラスにかけ直す。これで傍目にはSSと区別は付かない。
もう一度周囲を確認すると、カノープスは足早に立ち去った男の後を追いかけていった。
先程の会議でシャクヤクおよび相転移砲のためのYユニット建造の指揮を任され、トモナガ・シンイチは身が引き締まる思いでいた。これをやり遂げれば社内での自分の評価も上がることは間違いない。
逆に期限をオーバーしたり、あまつさえ就役させることができなかったら、社内での立場は完全になくなるだろう。
兎も角、これから忙しくなる。まずは現場責任の適任者を探さなければ。
自室に足を踏み入れドアを閉じた瞬間、天井から目の前に何かが着地した。
「う、あ…」
その何かがカメラアイを光らせて両手のはさみをカチカチと鳴らし、トモナガはすくみ上がってしまった。
「木星……ト…カゲ」
目の前で自分を威嚇しているのが何か判り、手にしていた書類やディスクを取り落としてしまう。
その音が響くと共にたった今閉じた扉を開き、1人のSSが駆け込んできた。
「どうしました?」
「何とかしてくれ!蜥蜴が!」
SSの姿に安堵し叫ぶトモナガの横をそのSSが駆け抜ける。すれ違いざま、彼はトモナガの首筋に手刀を打ち込んだ。
何が起こったかわからぬまま、くずおれる男をSSが支える。
「ヤックン、もういいぞ」
【もういいんでっしゃろか?】
ヤックンはワキワキと動かしていたハサミをしまい込むと、やはりどこからともなく筆と紙を取り出していた。
執務卓の後ろから立ち上がったアリスが手にしていた無針注射器をトモナガを抱えたカノープスに手渡す。プシュッという小さな音がして、注射器の中身が注入された。
「いいんですか?IFS用のナノマシンを無断で」
「いいとは思ってないよ。だけどジャンパー用のは間に合わなかったし、本当ならこの人も…」
「う…」
椅子に座らせてコミュニケをつけさせたところでトモナガがうめき声を上げる。カノープスがサングラスを外し、ゴーグルを取り出した。
「はじめよう。ヤックン?」
【いいですぜ旦那】
「ハック」
カノープスの声と共にヤックンが2人のコミュニケに割り込み、ナノマシンを介して意識をつなげた。
「う…」
かすかなうめき声と共にトモナガが目を覚ます。2、3度頭を振り、周囲を見渡すとそこは見慣れた自分の執務室だった。
「木星蜥蜴がいたはずだが…」
先程見たカニの様な無人兵器がいない。
座り込んでいたソファから立ち上がり、もう一度部屋の中をぐるりと見渡す。いないばかりか、床に傷1つ残っていない。
「夢だったか?」
首をひねりつつそう呟いた時、部屋の違和感に気付く。
部屋にあるものはいつも通りの場所にある。窓の外の景色も普段通りの景色だ。何ら変わらない風景 のはずだった、1つをのぞいて。
「入り口が!?」
本来あるはずの部屋の入り口だけが無くなっていた。そこはのっぺりとした壁があるだけで、塞いだような痕跡すらなかった。
焦ったトモナガはその壁を叩き、声を上げる。
「おい!誰かいないのか!?」
どんなに大きな声を張り上げても、帰ってくるのはシンとした空気ばかり。
それがわかり、ひとしきり叩いていたトモナガがうなだれる。
気落ちしたその背中へいきなり声がかけられた。
「ここの外には誰もいない」
トモナガが振り返ると、先程自分が座っていたソファに胡乱な男が座っている。
ネルガルSSの格好だが顔に付けたゴーグルのため素顔はわからない。
その男が自分の正面のソファを指し示す。
「まずは座ったらどうだ?」
「誰だ君は?」
男の胡散臭さに眉をしかめながらトモナガが尋ねる。
「カノープス」
「カノープス?」
帰ってきた短い言葉をオウム返しに繰り返してしまう。
意味を聞こうとする前にカノープスが口を開いた。
「あんたに知って欲しいことがあってこの空間を用意した」
「“空間”を“用意”した?」
「ここは実在する部屋じゃない。あんたと俺の記憶領域をヤドカリがハックしてできた空間だ」
「ヤドカリ?さっきの木星蜥蜴のことか」
「ああ、そうだ。詳しい説明はしない」
“空間を用意した”とは奇妙な言葉だとトモナガは思った。
記憶領域・ヤドカリ・ハッキングと意味の繋がらない言葉が続く。事細かに質問したくなる気持ちを堪えて、相手の言葉を待つ。
「とにかくここで見せられるものは記憶の中にあるものを具現化したものだ。でっち上げた偽物でないことだけ解ってくれればいい」
「何のためにこんな事をする?」
ネルガル重工の役員ともなれば、甘い汁を吸おうと言い寄ってくる人間はごまんといる。
しかし、今まではこんなアプローチをされたことがない。だからトモナガはストレートに聞いてしまった。
「とにかく信じてもらわなければならないからな」
「なにをだ」
「これを読んでくれ」
何もない空中からカノープスが2枚のディスクを手品のように取り出す。片方のディスクには見覚えがあった。
「これは……」
「シャクヤク建造の業務日誌だ。もうひとつはあんたの日記帳。毎日つけてる様じゃなかったみたいだがな」
「どこでこれを!」
なかば顔から火が出る気持ちで“日記”のディスクを取り上げる。
「あんたの机の引き出しからだ。天板の裏に貼るのはありきたりだな」
「何の権利があって 」
「遺品だからな」
「な…に?」
カノープスはさらりと言ったがトモナガの方は言葉の意味を飲み込めなかった。
なかばフリーズしたトモナガの前にコンピューター端末が出現する。
「読めばいいさ」
促されるままソファに座るとディスクを放り込み、“自分の”日記を開く。
見慣れた内容が次々とあらわれた。昨夜書いたところまで読み進むが、記憶にある限り一字一句違わないものだ。
しかしさらにページをめくったところ、最初の1行目で視線が止まらざるを得なかった。
「……なんだこれは?」
今日の日付。その隣には2日とんで明々後日の日付が書かれている。
今日の内容は先程あった会議の内容とそれにかける自分の意気込みが書かれていた。
次のページにはネルガル月施設への赴任とシャクヤク建造の人選について。
「なんだこれは……」
なおもページをめくっていく。ほとんどは建造予定の いや建造しているシャクヤクについてのことだ。
2197年12月までそれが続くが、クリスマスの2週間前の時点には異なる記述があった。
「1人の男を保護…」
“テンカワ・アキト”という男(むしろ少年といった方がいいだろう)を保護し、尋問と観察をしたことが書かれている。
内容は書かれておらず、日記はクリスマスの日付で終わっていた。
業務日誌も同じだ。ただこちらは建造に関して詳しい記述があるだけで、テンカワ・アキトには触れていない。
そして、これもクリスマスを境に日記と同じように途切れていた。
「なんなんだこれは?」
正面のソファに座っていたカノープスに聞く。
「俺が見たままの記憶だ」
「………」
あり得ない。未来の日記などと。
苦虫を噛み潰したような表情のトモナガにお構いなしにカノープスが口を開く。
「クリスマスの後、シャクヤクは木星の優人部隊によって破壊される」
「ユウジン……何?」
「あんたに頼みたいのはその戦闘に作業員が巻き込まれないようにして欲しいことと、できればシャクヤクを壊されないように隠してもらいたいってことだ」
「破壊されるのか!!」
トモナガがソファーから立ち上がり、叫ぶ。
先程の会議で会長直々に指示をいただいたばかりだ。今度の件に意気込んでいたトモナガにとって、その自分の仕事が実を結ばないなどと言われて黙っていられない。
「何人もの人間を巻き添えにな」
そんなトモナガの激昂に冷水を浴びせるがごとくカノープスの冷ややかな声が部屋に響く。
その言葉に含まれるかすかな、しかしはっきりとわかる怒りにトモナガが気圧されソファに座り込む。
「おまえは未来が見えるのか?」
「いいや、俺は自分の見た実物をあんたに見せただけだ」
「なら 」
『おまえは未来から来たのか』
そう口にしかけ、トモナガはその言葉を飲み込んだ。そのあまりにも非科学的発想に思い至ったことが無性に腹立たしくなった。
ソファに向き合って座ったまましばし睨みあう。
沈黙を破ったのはトモナガの方だった。
「……さっき遺品と言ったな?」
「ああ」
「どういう意味だ?」
カノープスがソファーから音ともなく立ち上がった。
「現実世界に俺が1つだけ持ってきた記録を置いておく。それで確認すればいい」
そのセリフが終わるか終わらないうちにトモナガの目に映るカノープスの体にノイズが走る。
「勝手にナノマシンを打ち込んでいるが悪く思わないでくれ」
「おい!」
さらに酷くなるノイズ。声にまで雑音が混じってきている。
「次は1週間後、月で」
「待て!!」
トモナガの制止の声も空しく、カノープスは消え去った。
呆気にとられていたトモナガの耳に「ジジッ」と言う音が入ってくる。見れば、周囲の風景にもノイズが混じっていた。
見る間に視界がノイズに埋め尽くされ、気が付いた時にはトモナガは自分の執務室でソファに横になっていた。
「……何だったんだ」
腹立たしさの混じった声で呟き、体を起こすためにソファに手をついたところで自分の手に握られたディスクに気付く。
こんなディスクは知らない。マジマジと見つめそれを右手ごと裏返した時、トモナガは目をむいてしまった。
IFSの紋様。
地球では主にブルーカラーがつける蔑みの印でもある。
社内的にはどうあれ、一般的に言えばエリートコースを歩んできた彼にとって、これが自身につくことは想像したこともなかった。
「ふざ 」
カッとなって、ディスクを叩きつけるために右手を振り上げる。しかしそこで『遺品』と言う言葉を思い出し、トモナガは動きを止めた。
苛立たしさはどうすることもできなかったが、とにかくディスクを割るのは止めて右手をゆっくりと降ろす。
目の前のテーブルにディスクを放り出すと、背もたれに寄りかかり先程の内容を反芻してみた。
納得がいかない。
『未来を知る男が忠告をしに来た』
事はそれだけのことかもしれないが、ネルガル重工の役員として長年の間生き馬の目を抜く社内競争に明け暮れた身としては、何か裏があるのではないかと勘ぐってしまうのだ。
何より『未来を知っている』という非科学的仮定がその考えの基本にある。
結局、何も考えがまとまらぬまま、トモナガは先程のディスクを自分の端末で確認してみる事にした。
中身は何らかの映像記録が一本のみ。ほんの少し躊躇したものの、再生をはじめた。
それはどこかの船のブリッジらしき風景だった。
ブリッジにはスーツ姿の男が1人外を眺めているだけ。
ブリッジが揺れたらしい。画面がぶれ、バランスを崩しかけた男がフラフラとしながらこちらに歩いてくる。
天井を見上げた男が何か叫ぶ。フラフラとしながらも駆けだし、その姿がカメラの死角に入った瞬間、天井が落ちてきた。
男はどうなったのか?
疑問が脳裏で形をなす前に激しく画像がぶれ、画面が横倒しとなった。
横になったカメラの画像の中、男が倒れていた。
瓦礫に埋まり、その頭は半分無くなっている。
男は 死んでいた。
「ッ!……ハァハァハァ」
唾を飲み込み、酸素を求めてあえぐ。ネクタイをゆるめ、首元のボタンを外す。
声には出さず、胸の内でトモナガは叫んでいた。
出来の悪い冗談だ!自分の死に顔を見るなんてのはな!!
「ねぇ、ルリちゃん?」
「何でしょう?ミナトさん」
昼前のブリッジ。自分のシートでオモイカネ相手にパズルゲームをしているルリに、ようやく起きてきたミナトが声をかける。
「ちょ〜っと、お願いがあるんだけど〜?」
「お願い…ですか?」
火星までの行程なかばのナデシコ艦内では、サツキミドリ2号にいた人々を弔うために数々の葬式が行われていた。
艦長以下、艦の半数の人間は連日葬式をこなしているが、ブリッジ勤務である彼女らは通常業務を行うため葬儀への参列は免除されている。
かといって、木星蜥蜴も襲ってこない現状ではいたずらに暇をもてあましているだけであった。
「あのね〜」
声を潜めるミナト。ちらりとプロスペクターがいるはずの上部デッキを見る。もちろんプロスは葬式のためにいない。
「実は〜部屋にいるカノープスさんとアリスちゃんの様子を知りたいんだけど、いっくら操作しても無理なのよ」
アリスの名前を聞いた瞬間、ルリが小さく肩をふるわせる。それには気付かずミナトが続けた。
「だから、オペレーターしてるルリちゃんなら出来ないかな〜って」
「……プライバシーの侵害は禁止されてますよ」
ルリは一応規則を持ち出してみるが、ミナトのほうは楽しそうに答える。
「だけどほら、規則違反してるかもしれないじゃない」
「規則違反ですか」
「ほらほら、こ〜れ」
“男女の交際は禁止いたしませんが、お互いの接触は出来るだけ避け、手を握るまでとします”
ミナトが開いたウィンドウに契約書の一部が映され、そんな一文が細かな字で記載されていた。
「……兄妹なら問題ないんじゃありませんか?」
「普通の兄妹には見えないんだけどなぁ」
ニマ〜と笑うミナト。対するルリは終始表情を変えていない。
「ルリちゃんは気にならない?」
「さぁ?…でも私ではプロテクトを破れませんよ」
「そうなの?ざ〜んねん。あ、ゴメンね変なお願いして」
「いえ」
「やっぱ退屈〜」などと言いながら、ミナトは自分のシートに座った。それを見届けて、ルリは中断していたゲーム画面を開く。
プレイすることしばし。コントローラーを握るルリの指は惰性で動いていたが、ミナトに声をかけられる前よりはるかにミスが多かった。
次のパーツを右に移動。そのまま下へ。
解らなかった。
なぜ、あの2人の部屋は見ることが出来ないのか。
また右。画面端の列へ。
自分:ホシノ・ルリはこの艦の管理コンピューターであるオモイカネのメインオペレーターとして、管理者権限があたえられている。
その気になれば全クルーの行動を委細漏らさず把握できるはずだった。
左へ一列。変換2回。下へ。
しかし、どういうわけかカノープスとアリスの部屋だけはプロテクトを解くことが出来ず覗くことができない。
試しに他の部屋で試したところ、あっさりと覗き見が出来る。プロスペクターや艦長の部屋すらだ。
変換。そのまま下へ。
ミナトの部屋にあるウィスキーのボトル。その中身が毎晩減っていく量だってハッキリと判るし、奇っ怪なポーズ(どうやら痩身体操らしい)をとるたびに、メグミの関節が鳴る音だって聴きとれるのだ。
右、右、変換、左。
映像や音声だけでなく、あらゆるアクセスが出来ない。部屋の中に誰かがいるのかすらわからない。
オモイカネに詳細を尋ねても“不許可です”としか返してくれないのだ。
正確には干渉する権限がないと言うことらしい。
右、変換、変換、左、変換、右、左、左。
何より解らないのは 。
変換、変換、左。
「あ……」
【ゲームオーバー】の表示があらわれ、勝者オモイカネがコールされる。
「ゲーム終わったの?」
気が付くとすぐ横で頬杖をついたミナトが自分の顔を覗き込んでいる。
「…はい」
「じゃあさ、お昼食べに行かない?」
「そうですね」
ミナトの軽いノリが考え込んで重たくなっていた気持ちを楽にしてくれ、ルリは素直に頷いた。
「メグちゃんも一緒に行くでしょ?」
「あ、はーい」
3人でブリッジを出る。
今日の献立を相談するミナトとメグミの後ろを歩きながら、ルリはもう一つの、もっとも解らない疑問を考えていた。
自分はどうして他人の アリスの部屋を覗こうなどと思ったのだろうか?
奇妙な睡魔に襲われ、イネスはサトミらに何かあったら起こすように言い、薄いマットを引いただけの粗末な寝床で寝息を立てはじめた。
その直後、カノープスらがユートピアコロニーの地下避難所に姿を現した。
サトミが立ち上がり、2人を迎える。
「ホントに寝ましたね」
「設計したのが結構な才媛だからな」
無防備に寝ているイネスを見ながらカノープスは小さく笑った。
特定の発信器が近づくと脳幹に働きかけ睡眠に誘うナノマシンを、前回訪れたときに昏倒させたイネスに打ち込んでいる。
「そういう人なら一度会ってみたいですよ」
「機会があれば紹介するさ」
イネスと同じネルガル研究員のサトミは、珍妙なナノマシンの設計者に興味を覚えたようだ。
まさか設計者と使用許可をだした人間が目の前で寝ている本人とは想像出来ないだろう。そのことが可笑しくてカノープスは笑いをかみ殺す。
避難民があちこちに座り込むホールの様な空間にでる。
「説明は?」
「言われたとおりイネス女史を除いてしています」
「納得してくれたのか?」
「全員は無理ですよ」
どこか疲れたような目の避難民達がカノープス達の方に顔を向けてくる。
「説得しないとダメか」
「えーと、反対は無いんで何とかなりそうですけど」
サトミはそういったが、カノープスは彼らの様子を注意深く見て、事が簡単にいきそうにないことを見て取った。
疲れ、怯え、諦め。そんな瞳が自分を見ている。
〈やっぱり、洗いざらい話すのはやめた方が良さそうだな…〉
“火星の後継者”が行った人体実験の結果、火星人はほとんど生き残れない運命であることを迂闊に教えたら、絶望のあまりこの場で死ぬことを選びかねないのではなかろうか。
本来なら自分より怜悧なアリスに相談したいところだが、彼女はこの時代に来て以来自分に依存するばかりで、何も意見を言うことがなかった。
「皆さん、話を聞いてください」
考え込むカノープスの隣でサトミが手を叩き、皆に呼びかける。
「こちらが先日お話ししたカノープスさんです。この戦争の真実と、私たちが生き残るための方法を教えてくれるでしょう」
「みんなここまで生きていてくれて嬉しく思う」
サトミに促され喋りはじめたものの、どこまで話していいものか考えはまとまっていない。
「だが、このままここに隠れていてもいつかは死んでしまうのはわかっているはずだ」
ナデシコの到来と戦闘。かつての月独立運動と追放された独立派の行く末。木連という組織。そして彼らの火星での目的。
サトミに対してしたように、戦争が終わったらどうなるのか、自分が何者かは伏せて、蜥蜴戦争に関してだけ喋り続けた。
しかし、話しに耳を傾ける彼らの雰囲気からなんら手応えは感じられることは無かった。
一通り話したところで、避難民から声が上がる。
「俺たちはどうすればいいんだ…」
その声には疑問ではなくあきらめの響きがあった。
「とにかく生きのこりましょう。100年も昔のことで死なないといけないなんて馬鹿らしいじゃないですか」
サトミが返事を返す。
「私はここで死ぬのはイヤですよ。家族だって地球にいるんですから」
「生き残る方法を教えてくれるったって、あたしはそいつが信用できないね」
40人あまりいる避難民の後ろの方からハスキーな女の声が響いてきた。
大柄な女が立ち上がり、避難民達とカノープス等の間まで歩いてくる。
「地球から船が来るってのに乗せることは出来ない。助かる方法も詳しく教えてくれない。おまけに顔は隠して正体は教えないときたもんだ。そんな奴を信用しろってのかい?」
「それは……」
女は伝法な口調で話すが、言っていることは確かにもっともなことだった。そのためサトミは反論できず口ごもる。
カノープスの言葉をあっさり信用してしまっていたのは、彼が気の弱いお人好しだからでもあった。だからこそ、カノープスが最初に接触したのでもあるが。
サトミを押しのけカノープスが前に出る。
「結果が証明してくれる。それじゃダメか?」
「はん、信用できない相手に命あずけろってのか?冗談じゃない」
女はカノープスと同世代のようだ。だが仁王立ちになり腕組みをした女の方がカノープスより拳1つ分背が高く、上からカノープスの顔をねめつける
「このまま此処にいてどうなる?」
「隠れていられれば、今すぐ死ぬことは無いだろ」
「その後は?」
「木連とかが諦めるまで待つさ。その頃には地球連合だって火星に余裕で来れるんじゃないか?」
確かにそれまで耐えることができればそれで良いかもしれない。しかし、女の背後に座り込んでざわめいている生き残り達に、何もかもが乏しいここでそんなことができる気力が残っているとはとうてい見えない。
「いつまでだ?」
「……知るもんかい。いつまでだって待つんだよ」
女が吐き捨てるように言った時、避難民の中から誰かがボソリと言うのが聞こえた。
「どうせ死ぬんだろ。だったらもうどうでもいい」
その一言で女の顔が鼻白む。威勢のいい言い方をしていたものの、本人もそれが出来るとは本当に信じていたわけではないらしい。
と、舌打ちした女がカノープスの後ろに影のように寄り添うアリスに目をとめる。
「おい、あんた」
不意に声をかけられ、アリスがビクリと顔を上げる。
「あんたもこいつの仲間か?」
「私は…」
恐る恐る言うアリスの言葉を遮り、侮蔑の表情で女が続ける。
「それともペットか?ハッ、人形みたいな綺麗な顔…し……て……」
「それ以上言ってみろ」
続けようとしたが口に出来なかった。
“人形”という言葉を耳にしたカノープスがこれまでより低い声を出したのだ。
ゴーグルで覆われ表情はわかりづらいはずなのに、ハッキリとわかる殺意が女に向けられている。
「クッ……わかったよ、あんた等の好きにすればいい」
その気配に気圧され女は後ずさりし、捨て台詞を残しさっきまでいたあたりへ大股で戻っていった。
近くにいた中年の女性が声をかけるが、あっちへ行けと言わんばかりに腕を振っている。
それを見てカノープスはこっそりと溜息を漏らした。
〈前途多難だな〉
大部分は無気力、無関心。今の大女はストレスのあまり自暴自棄、攻撃的になっている。
無事に此処を生き延びられても、今のままでは明日は……無い。
ナデシコのハンガー。火星への航路上では戦闘が起こっていないため、エステバリスの整備をする整備班の連中ものんびりとした様子だった。
だったのだが、そこへカノープスが現れると大部分が息をひそめ、全身でその動向を窺いはじめる。正確には同行者にだ。
「ウリバタケさん」
「おう、あんたか。相変わらず嬢ちゃんも一緒なのか」
カノープスの影に寄り添うように隠れるようにアリスが立っている。
「これはしょうがないんでな」
「リハビリみてえなもんか?ならしかたがねえけどな」
そこまで言ったウリバタケが声をひそめる。といってもその表情はニヤニヤとした笑いを浮かべ深刻さが全くない。
「気ぃつけた方がいいぜお前さん、そうとう恨まれてるからな」
「恨まれる?」
「恨まれてるっつうか、羨ましがられてるってのがホントなんだろうけどな」
「?」
カノープスは眉をひそめるが、ゴーグルでウリバタケに見えるはずもない。それでも判ったらしい、呆れたような声をあげる。
「わかってねえのかよ。そんな風に四六時中ぴったり一緒だとアリスの嬢ちゃんに声もかけられねぇってんで、男共がだいぶイライラしてるんでな」
「あぁ、そういうことか」
「ま、抜け駆けもできねえからよ、うちの奴等は仕事に打ち込んでくれるぶんありがたいんだがな」
クックックと笑いながら、ウリバタケは周囲を見渡す。動きの止まっていた整備員達があわてて動き出す。
「んで、今日は何の用だ?」
「俺のエステなんだが」
カノープスの言葉を聞いた途端、ウリバタケの顔が渋面になる。
「悪いことは言わねえ。あれで出るのはやめとけ」
「そうは言っても仕事だからな」
「プロスの旦那と契約したってんだろ?なら俺からもあの人にゃ言っといてやる。葬式代を出したくなかったら出撃させるんじゃねえってな」
「それであの人が納得するか?」
カノープスの口元がニヤリと笑うが、ウリバタケは表情をさらに渋くする。
「おめえ、あいつで出てみろ。反応は鈍い、スピードは出ねえ、フィールドは紙切れ同然。バッタと1対1ならいい勝負ができるかもしれねえが戦場じゃな」
「後方支援も無理か?」
「…得物は何を使う?」
「あいつのレールガンだ。ついでに肩のミサイルポッドも使いたい」
カノープス指さす先には、かつてヤマダ・ジロウが壊したものと同じ重武装型陸戦フレーム:タイプB1が立っていた。
「それも無理があるな」
「なぜだ?」
「1つはエネルギー供給が追いつかねえ」
ウリバタケが人差し指を立てた右手を、カノープスの顔に突きつける。
「0G戦フレームは背中に2基の重力波スラスターが有る。こいつらにエネルギーを大部食われるからレールガンに回す分が足りなくなっちまう。陸戦フレームはスラスターが小せえから問題がないんだがな」
そこまで一気に捲し立てたウリバタケがさらにもう1本中指を立てた。
「もう一つ、お前さんのエステに関しては管制コンピューターのチャンネル不足がある。0G戦フレームのあちこちに付いている姿勢制御スラスターを制御しているコンピューターと、武器管制コンピューターが一緒でな。姿勢制御と複数の火器管制を同時にこなすには力不足だ」
「他に機体はないのか?」
「残念ながらうちにゃあ人数分のアサルトピットしかねぇんだ」
右手をおとがいに添えてカノープスが黙り込む。
「そういうことだから地球に帰るまでナデシコん中でおとなしくしてな。パイロットに死なれたらこっちも寝覚めが悪ぃからな」
話は終わったとばかりにウリバタケが立ち去ろうとした時、カノープスが背中に声をかける。
「改造…しないか?」
踏み出しかけたウリバタケの足が止まる。
「レールガンを撃てるようにしてくれれば、火器管制はマニュアルでやる」
「そ、そうは言ってもだな、エステの基本性能が 」
反対をするウリバタケだが、顔は嬉しさを表情に出すまいと必死だ。
「最前線には出ないさ。おとなしくナデシコのそばで他の連中の援護をするだけだ」
「だが 」
「改造しないか?」
頬を引きつらせ必死に自分の欲望と戦うウリバタケ。そこへカノープスの悪魔のささやき。
これで止めだった。
「わかった。そこまで言うんなら改造してやらんこともねえ」
お願いされて渋々承知したという言い回し。そのことをあげつらって気分を害することもない。カノープスは素直に頭を下げた。
「よろしく頼む」
「おうっ!」
シミュレータールームにリョーコが来ると、部屋の後ろで突っ立っているヒカルとイズミが目に入った。
「ヒカル、なにしてんだ?」
「ウリピーがシミュレーターいじってるの。なんかーカノープスさんにあわせるとかって」
ヒカルの視線の先、一台のシミュレーターをウリバタケが覗き込んでいる。
シミュレーターの足下には不安げな顔でアリスが立っていた。
調整を済ませたウリバタケがシートに座ったカノープスへ説明をはじめる。
「お前さんの持ってきたエステのバッテリー5個をバックパックにしてレールガンとケーブルで繋ぐ。連射は20がいいとこだ」
「了解」
「このシミュレーターをその改造予定にあわせて設定した。機体の動きはそうとう重いぞ。で、このケーブルをゴーグルに繋げば、レールガンのサイトに付けたカメラ映像が直接見れる」
シートの裏からのびるケーブルをカノープスに手渡す。
「ミサイルポッドは?」
「左の腰だ。もしレールガンをライフルに持ち替えるならエステの再起動が必要だ。戦闘中にそんなことやったらいい的だぞ。ミサイルが無くなったらすぐにケツまくってこい」
「そのつもりだ」
「これで問題が無けりゃ、すぐに改造するからな」
カノープスが頷き返すのを確認すると、ウリバタケはシミュレーターのハッチを閉じる。
下に降りると、未だ不安げにシミュレーターを見上げるアリスがいた。
「心配か?」
黙って頷くアリス。
「これはただのシミュレーターだ、そこまで心配するこたぁねえよ」
軽い口調でウリバタケが言うが、アリスはじっと見上げたままだ。
その姿になんと声をかければいいかわからず、ウリバタケは落ちつきなく頬をかく。
リョーコ達にするように、気軽に話しかけられない雰囲気をまとっている。
〈まいったなこりゃ〉
「一度…」
「あん?」
間を持たすためどうしようか1人懊悩していたウリバタケの耳に小さな声が入ってくる。
「一度、兄は死んだんです」
「ああ?」
からかっている…とは思えない。
「“死んだ”って、そりゃ……」
「本当はもう戦いの場に行って欲しくない」
ウリバタケの言葉を無視するかのように呟くアリス。
「でも 」
「でも、お願いしても何度と無く戦場に行っちまうってか。こういうのは男のロマンだからな、女には 」
ウリバタケの大仰なセリフに俯くアリス。泣かせてしまったかと慌て、その顔をウリバタケは下から覗き込もうとした。
ふいにアリスが顔を起こし、ウリバタケを見つめる。
「あの人を死なせないでください」
「あ、ああ」
戦場に出るのはパイロットであり、整備員としてはそんなお願いをされても困るだけである。
だが、その真摯な瞳にウリバタケは首を縦に振っていた。
「ウリピー、どうしたの?」
「んあ?ヒカルちゃん達か…」
気が付けばパイロット3人娘が来ている。
「もしかしてアリスちゃんをナンパ?」
「ちげぇよ。アリスちゃん相手にそんなこと出来ねえよ」
「なーんだ」
興味津々のヒカルだったがあっけなく否定され残念そうだ。
確かにアリスが一人きりでいるなど滅多にないチャンスだったとは思う。
〈だけどよ、とてもじゃねえがそんな気にはならねえな〉
シミュレーターのハッチが開く。
手にしていたタオルをカノープスに手渡すアリスをながめながら、ウリバタケはさっきの言葉と改造を承諾したことを後悔していた。
「セッティングは問題ない。あれでやってくれないか?」
「ああ、わかった」
そばに来たカノープスの首に手を回す。
「全くよ、綺麗で甲斐甲斐しい妹を持ってうらやましい奴だな、おめぇはよ」
ヘッドロックをかけながらそこまで言うと、カノープスの耳に口を寄せる
「いいか、絶対にお前は死ぬんじゃねえぞ」
「ウリバタケさん?」
カノープスの頭をガシガシとなでると入り口の方へ軽く蹴飛ばしてやる。
「2人で飯でも食ってこい。その間にこっちのことは済ませておいてやる」
廊下の先に2人の後ろ姿が消えてから、ウリバタケは溜息と共に一枚の用紙を引っ張り出す。
表書きには『アリスちゃんファンクラブ準備号』と有った。
「こういうことしていい娘じゃねえよな…」
自分らのお遊びや欲望の対象にすべきではない。そう思い、用紙を破り捨てる。
「うちの整備の連中は残念がるかもしれないが、ま、しょうがあるめぇ」
「なにがー?」
「うお!?」
目の前にはヒカルがしゃがみ込んでこちらを見上げていた。
「さっきから何やってんだよ、オッサン」
「あたしら居るのに、なんか1人でシリアスしちゃって変なウリピー」
「そりゃおめぇ 」
アリスのカノープスへのあんな思いを見せられてしまってはそうするしかない。
そのことを説明するのもどうかと思った時、3人娘の一番後ろでイズミが呟いた。
「朝食は1人でシリアル…プックックックック」
イズミのギャグに、ウリバタケだけでなくリョーコもヒカルも脱力せざるを得なかった。
「トモナガさん?」
鉄扉を人1人通れるほど開き、声をかけるが返事は帰ってこない。
「こんなところで面会するのはどうしてだ?」
シャクヤク建造場所である月のネルガル施設に移動したトモナガに会うため、彼の執務室にジャンプしてきたカノープスは自分宛の置き手紙に従いドック入り口まで来ていた。
「入ってくれ」
トモナガの声が響いてくるが、同時にそれ以外に幾人かのシークレット・サービス特有の気配がしてくる。
〈ここまで信用されないか〉
前回の接触で信用されるとは思っていなかったが、SSまでそろえる程とは考えていなかった。
アリスを手で制し、1人扉の間を抜ける。薄暗い中、奥にトモナガらしい人影がある。
ゆっくりと中へ歩を進めると、案の定、背後の扉が閉まりロックがおりる音がした。
「どういうつもりだ?」
「君のことを信用する前に教えて欲しいことがあってな」
正面から投光器の光が浴びせられる。こちらの視力を奪うのと同時にSSの居場所を隠す為なのだろう。
もっとも、気配からバレバレではある。
〈前に2人……左右に1人づつ〉
背後の気配を探る。後方上部のキャットウォークに2人いるらしい。
「武装したシークレット・サービス6人か」
「やはりただ者ではないようだな」
トモナガが右手を挙げると物陰から黒服が現れる。得物は暴徒鎮圧用のゴム弾銃にサブマシンガン、日本刀。それぞれ2人づつ。
SSを従えたトモナガが静かな口調で告げた。
「単刀直入に言おう。君の目的は何だ?」
第9話−了
ナデシコSS定番のシミュレーター。でてくるのはこれだけです、はい。
リョーコ達と対戦?アキトの訓練?
次の10話で火星到達なので今後もないです。(たぶん…)
代理人の感想
んー。
掛け渡し的エピソードなんで感想というほどの物は出ませんねぇ。
ウリバタケを篭絡する(笑)シーンは思わず笑ってしまいましたが。
後は・・・ウリバタケ関連の伏線が気になるくらいですね。
彼を潜在的な味方につけたのが後々でどう響いてくるか・・・・?