Spiral/again 〜auld lang syne〜  第11話







あの時、前方で木星蜥蜴の艦艇が次々と連鎖的に沈むと、パイロットシートに収まっていたアリスがやおら立ち上がり、ブリッジから出ていった。
それをルリは目で追う。
彼女の手元にコミュニケと別のウィンドウが見えた気がしたのだが……。



「ルリルリ、どうしたの?」

「え?あ、はい」

火星に降下したナデシコ。不意にミナトから声をかけられ、自分でもらしくないと思う返事をしてしまった。

「もしかしてこの呼び方イヤだった?」

「あ、はぁ…いえ、別に」

「そお?じゃ、ルリルリって呼ばせてね」

「はぁ」

先程、降下軌道図をミナトの方へ流してからこの呼び方だ。
断る理由が思いつかず、曖昧な返事をかえす。



アリスのことを考えるだけでどうにも落ち着かない。



小さく溜息を漏らし、ルリはオペレーター業務に戻った。

アリスが何をしていたのか後で調べてみよう。

そう考えて、先程までオモイカネのログを調べていたのだが、それらしい記録はかけらも出てこない。
むしろ何も出てこないほうが変に思えるのだが、オモイカネのログをいじることのできる権限を持つのはナデシコで自分だけのはずだ。
もう一度洗い直しをしようとした時、入り口からカノープスとアリスが入ってくる。
ゆっくりとカノープスがブリッジを見回す。

〈笑った?〉

カノープスのゴーグルと目があった瞬間、その口元が微かに笑いの形になる。

よくわからない人だと思う。
ブリッジの誰に対しても無愛想なのになぜ自分には笑いかけるのだろう?
一瞬、イヤな考えが頭をよぎる。

〈ロリコン?〉

「違いますよ」

口に出してもいないのに返事が返ってきて、ギクリとする。振り返れば、いつの間にかアリスが後ろに立っていた。

「兄は一度結婚していますから」

「え?」

「そうなの?」

気が付けばミナトがこちらの会話に首を突っ込んできている。

「ねえねえ、奥さんってどんな人〜?」

「コラ、ヒカル!」

下のデッキからパイロット3人娘が顔を出していた。
興味津々のヒカルをしかりつけながらも、リョーコの耳はこちらへ向かって大きく広がっているように見える。
イズミは……目つきが怪しすぎる。

「能天気な天然ボケでした」

「そっか〜そうだよね〜、あ〜んな無愛想な人を相手にできそうな人って」

「バカ!」

アリスの歯に衣着せぬ物言いにつられてか、ヒカルも遠慮のない感想を漏らす。
リョーコが慌ててその口を押さえる。

「だから、そういうことはないですから安心していいですよ」

「……」

なぜ考えていたことがわかるのだろう。

「私に聞いても、あなたのことで教えられることはありませんよ」

耳元に口を寄せ、小さな声でそう囁いてくる。
その内容にハッとして、緑眼を見返した時には彼女はヒカルと喋っている。

「じゃあさ、なんで奥さん放り出してアリスちゃんといるわけ?」

「あの人はもうどこにもいませんから」

「え……」

アリスの言葉でその場の空気が固まる。

「だからそっとしておいてください」

誰もが言葉を失う中、アリスはカノープスのところへ歩いていく。
これ以上カノープスの過去は詮索するなということだが、ルリには自分のことを詮索するなと言いたいのだろう。



さっき囁いた言葉。それを言うために自分のところに来たのだ。

もしかしたら、この人なら自分の過去を知っているかもと思っていたのに。



落胆するルリ。

いや、知っていても教えないという意味かもしれない。それでもどのみち……。


アリスの方を窺うと、ブリッジの片隅を指さしカノープスになにやら話しかけている。
カノープスがそちらを見やった時、アリスがルリに小さな手振りでそちらを見るよう指示してきた。
ルリが目をやると、そこではアキトがプロスを前になにやら沈んだ顔をしていた。








「保険…っすか…」

ブリッジに呼び出されたアキトは保険契約の説明を受けていた。
説明するプロスはしきりに胃のあたりを押さえており、その左右にはユリカとメグミが見張るように目を光らせている。

正直、アキトは嬉しくない。ますます戦いの中にのめり込まされているような気がするからだ。
この契約のきっかけがカノープスにあると聞かされてからは特にそうだった。

どうして自分が戦わなければいけないのか。
確かにナデシコは守りたいと思う。でも自分でなくてもいいじゃないかとも思う。


カノープスの言葉に乗せられたと言うことだけではない。

アリスの信頼しきった瞳に断れなかったということの方が大きい。


ユリカも同じような目で自分を見るが、幼なじみであり、周囲に自身の王子様であることを公言してはばからないその言動から、納得できるのだ。

然るにアリスはというと、初対面から抱きついたり、初めて食堂でまともに会話を交わした時からあの目で自分を見てくる。その理由がわからない。

結局、なし崩し的にパイロットを続ける羽目になっている。


戦うことの理由がわからぬまま、戦わなければならない。


陰鬱な気分を抱えたまま、アキトはプロスの説明を聞き続けていた。








下のデッキでアキトが暗い表情でプロスの説明を聞いている間、先程のエステ隊の戦闘記録をゴートは確認していた。

リョーコ、ヒカル、イズミのデータは特に問題ない。期待したとおりの戦果をあげている。

アキトのデータ。数えるほどの実戦経験の割にはよく動いていた。恐らく幼少の頃にIFSをつけたことがいい結果を生んだのだろう。

カノープスのデータは例の迎撃一回のものだけしかなかった。しかし、他の4人と異なり恐ろしいまでに無駄のない動きを示している。
射撃に関しては特にそれが顕著だった。最初のレールガンによる攻撃は3連射で4機のバッタをミサイルごと撃墜している。4機の内2機は1射で落としているのだ。

あの状況でそんな離れ業をできることが信じられなかった。
プロスは格安で腕の立つパイロットと契約できたことを単純に喜んでいたが、艦内の保安部も束ねるゴートとしてはそうもいかない。
素性の知れない傭兵であるのは変わらないというのに、すさまじい戦闘技術の持ち主であることだけはハッキリしたのだから。


もし本当に反乱を起こされでもしたら?

想像したくないというのが正直なところだが……。


最下層のデッキにカノープスはいる。その側には例によってアリスがくっついていた。
その様子を見ているとただのシスコンの兄とブラコンの妹としか見えない。
プロスとの2回にわたる金銭交渉といいエステの腕といい、ちょっと頭の回る有能な傭兵にも思えるのだが、現実の雰囲気は傭兵らしくない。
いや、シスコンなら普段があれでいいのかもしれない。


なにはともあれ、しばらくは自分で直接様子を見ることに決めて、ゴートはオリンポス研の探索チームにカノープスの名前を加えることにした。








「さっきは何を?」

「私たちのことを詮索しないように言ってきたんです」

ブリーフィングが始まるため他のメンバーがブリッジに集合するまでの間、カノープスはアリスと内緒話をしていた。

「あの子は自分の過去を知りたがっています。その手がかりを私が持っていると思ってるので」

「まさかとは思うが、わかってるわけじゃないよな」

「いくら何でもそれは無いと思います」

ちらりとルリの方を窺うとなにやらオモイカネとやり取りをしているようだ。

「ならいいさ」

アリスも、整備班などにはいまだ慣れないようだが、ブリッジの女性クルーとは自分から会話をしてくれるようになったようだ。
さすがにユリカには話しかけられないようだが……。

〈それは俺も一緒か〉

胸の中で苦笑する。

未練がないといえば嘘になる。
かといって諦められないかと言えばそうじゃないと思う。

「あの頃をもう一度この目で見ることができるなんて、なんだか可笑しいです」

「そうだな」

オリンポス研究所の探索を宣言するプロスを見ながら言うアリスの言葉は自分でも思ったことだ。
でも、少しずつ少しずつであるが、彼女が笑顔を見せてくれる様になっているのはそのおかげだろう。だからもうしばらくはナデシコにいたいと、自分のためにもここにいたいとカノープスは思ったのだった。













太陽系最大の成層火山:オリンポス山の麓に研究所は存在していた。
幾つかのピラミッド型の建物。窓と見えたものの半分は太陽電池パネルであろう。火星のどの入植地からもかけ離れた位置に存在するこの研究所は、エネルギーと飲用水のためのインフラを建物内に組み込み、小さいながらも一個のコロニーとして機能することが可能だった。 さすがに十分な食料を生産する施設は持たないため、外部と完全に途絶するわけにはいかない。それでも食料さえ確保できれば職員・家族あわせて400〜500名が長期にわたって生きていくことは難しくないはずだった。
プロスが言っていた一種のシェルターという言もあながち大げさではない。


しかし、風に揺れる扉をくぐって5人が中に入った時、その足下から舞い上がるほこりが長い間ここには動くものがいなかったことを雄弁に物語っていた。

「駄目ね、もう何ヶ月も人の気配がないって感じ」

「やっぱ、とっくに逃げ出したんじゃないんですか?」

リョーコが研究所内の端末の上に置かれたボードをめくると、クッキリと埃のあとが見て取れる。
施設が壊れた形跡はないが、木星蜥蜴との開戦に慌てて逃げ出したのか、内部はついさっきまで研究をしていたかのように雑然としていた。

「大体さこんな辺境で何研究してたわけ?」

「ナデシコです」

「「ハイ!?」」

プロスの意外な言葉に素っ頓狂な声をあげるリョーコとヒカル。

「ご覧になりますか?ナデシコのはじまりを」

「俺はいい。もう少し内部を捜査する」

「ならば、私も同行しよう」

意味ありげに眼鏡を押し上げるプロスに対し、カノープスは素っ気なく探索の続行を宣言する。カノープスへの疑念を抱くゴートも1人にするわけにはいかないと同行を申し出る。

「んじゃー……」

「二手に分かれようか。俺とミスター・ホーリー。そっちはプロスさんとパイロット2人。……で、どうだ?」

一応、この場の指揮官はゴートである。カノープスは話をそちらにふる。

「…それで良いだろう」

大男はどこか渋々といった感じで承諾の意を表した。








3人をリフトのところまで送り、捜索を再開する。
最初に向かったのは食料庫だった。

「固形非常食が段ボールごと無いな」

「恐らく脱出した連中が持ち出したのだろう。固形非常食なら火を使わないで済む」

非常食の張り紙はあるが、その棚には埃が積もっている。かすかに四角く跡が付いているところを見ると、以前はここに箱のようなものが幾つかあったことは確かだ。
だが棚の大きさを考えるとそれほどあったとも思えない。
そのほかの食材、保存食はほぼ手つかずと見える。

かつてのイネスは何人かの同僚と火星開戦直後にオリンポスを抜け出し、残った研究員と家族に関して何も知らなかった。

「ここにいたのは何人くらいなんだ?」

「職員、家族あわせて400名あまりだが…」

蜥蜴戦争が終わって最終的に生き残ったのはイネスのみ。彼女とユートピアコロニーに逃げ込んだ数名は、脱出途上やナデシコの戦闘で死亡、残りは行方不明のままだった。

「他のところを調べるか」

「どこを探す?」

「医療関係かな」

「?」

カノープスの言葉にゴートが眉をひそめる。逃げ出した後なら医療関係を調べても脱出先がわかるはずがない。

「治療した痕跡があれば、ここで戦闘があったかわかる」

「……」

一応は納得できるが、ここの外観を見る限り戦闘があったとは思えない。
カノープスの提案は腑に落ちないが、反対する程でもないのでゴートはその後を付いてメディカルルームへと歩いていった。






メディカルルーム内は整然としており、怪我人の治療をしたような跡はない。
やはりここでは戦闘はなかったとゴートが判断している間に、カノープスは奥の薬品保管室へとずんずん進む。

「おい?」

ゴートの声に振り返りもせず中に入ったカノープスは、片っ端から引き出しを引っ張り出し、中を確認し始めた。

「いったい何を!?」

「……あらかた無くなっている」

「何がだ!?」

口調がきつくなるゴートに呆然とした様子でカノープスが答える

「薬品類全部だ……」

「それがどうした?」

ゴートの疑問も耳に入らぬように考え込むカノープス。
突然固まった相手にどうしようもなく、ゴートは手持ちぶさたに周囲を見回している。

〈持ち出されている?…いや、最初から在庫がなかったのか?〉

カノープスが視線をあげると棚の上に救急ボックスが置き去りになっている。逃げ出すとすればこれから持ち出すはずだ。
ということはこの薬品庫に薬が残っていないのは担当者の怠慢か。


リフトが動いたことから電力設備は死んでない。
水も再生施設が稼働していることを確認した。
食料も固形非常食以外は十分に備蓄されている。


これで薬が揃っていたらユートピアコロニーの避難民にとって申し分ない避難所になったのだ。

〈どのみち、医者も看護士もいないか……〉

薬に関する知識が無い人間ばかりだと、医療用の薬品など使い方が判るはずもない。
かすかな不安を無理矢理納得させ、引き出しを閉める。

「いったいどうしたというのだ?」

「救急ボックスを置きっぱなしだ。ここに薬がないのは管理人がいい加減だからだろう」

「なに?」

ゴートは保管室に首を突っ込み、カノープスの言う救急ボックスが置かれているのを確認する。

「ここの連中はどこに行ったんだろうな……」

「わからん。しかし、ここから移動するとなると飛行機での移動しか考えられん」

カノープスの独り言にゴートが律儀に答えている。

イネスの話を思い出すに、ここから4000キロ以上あるユートピアコロニーまで彼女は車で移動したと言っていた。ならば固形非常食を持ち出したのも彼女達だろう。

他の連中はどこに行く?

一番近いのは北のアルカディアコロニーか西のアマゾニス。
南のダイダラはタルシスの山々に遮られ、東のルナはそれに加え距離がある。

研究所に入った時、格納庫の中には小型の連絡機が1機しか残っていなかった。
通常なら何機か有るはずであると考えられることと、食料を持ち出してない以上、ゴートの言うとおり航空機による脱出しか考えられない。

〈ここではわからないか…〉

とにかくオリンポス研究所が、今ユートピアコロニーの避難民を匿うのに十分な食料・水を確保できているのは確認できた。
本来のここの住民の安否はおいおい確かめるしかない。

踏ん切りを付けたところにプロスから呼び出しがかかる。

『どうでしたか?』

「生存者は見つからない。恐らくここはかなり早い段階で放棄されたようだ」

『そうですか…ならば、ここにいても仕様がありませんな』

「では  

結局、生存者の手がかりを何ら手に入れることもできず、探索班はナデシコへ合流することとなった。
研究データもめぼしいものは既に地球に送られたものしかなかったため、プロスの目的は全く果たせなかったことになる。








ナデシコとの合流地点に向かうヒナギク。
木星蜥蜴に見つかることを恐れ、山々をぬって低空飛行での移動である。

ナデシコはアキトをユートピアコロニーへ降ろすためユートピア平原の東端に移動したはずだが、その後どういうわけかナデシコ自身も艦長命令でコロニーへ向かったらしい。

「まったく、あの方々は……」

通信士のメグミも職場放棄をしたと聞いて、プロスは頭を抱えている。
その横でゴートはムッツリとした顔で前方を見ていた。
リョーコとヒカルの操縦でヒナギクは山地を抜け、アルカディア平原を横切りヴァスティタス・ボレアリス海へと出る。
海岸線沿いにやはり低空飛行で西へ。
北極冠に近い海は波も高い。波は崖にぶつかっては砕け、砂浜では逆に砂を海に引き込もうとするかのように押し寄せ引く。
何となくその様を眺めていたカノープスの目が砂浜に白いものを捉えた。

「ヒナギクを止めてくれ」

「はい?」

いきなりの言葉にヒカルがうわずった声で返事をする。

「どうした?」

「さっきのところ……あそこだ」

ゴートの詰問に窓の外を指す。
それだけでゴートは納得し、ヒナギクを降下させるよう指示した。






波打ち際、白い金属の板が横たわっている。かつて飛行機の尾翼だったであろうそれにはネルガルのマークと共に弾痕がクッキリと残っていた。
あたりを見渡せば、砂浜の所々に幾つかの人工物が頭を出し、波に洗われていた。
その一つをカノープスは拾い上げる。

『ネルガル重工 オリンポス研究所 第3開発室 研究員 …』

カードキーも兼ねた社員証。
その側にあった小さなぬいぐるみ。

何があったのか一目瞭然だった。

「遺体はないが……」

周囲を見回し、ゴートが呟く。

「……行こう。ゴートさん……」

手にしていた物をゴートへ押しつけ、カノープスはヒナギクへ向かう。
横を通る時、その手が固く握りしめられているのに気付き、カノープスが怒りを抱いているのがわかった。

誰に?

木星蜥蜴しかいない。
非戦闘員へのこの仕打ちに義憤を抱いているのだろう。
冷めたようにこの現実を受け入れている自分と比べ、見も知らぬ人のために熱くなれるカノープス。
そのことでゴートはカノープスを信用していなかったことが恥ずかしく思えるのだった。













ナデシコにヒナギクが合流した時、ブリッジではユートピアコロニーの避難民を代表してイネス・フレサンジュが演説しているところだった。
もちろん、内容はナデシコへの乗艦拒否宣言とその根拠についてだった。
ブリッジのその様子をコミュニケで聞きながら、避難民と合流するためカノープスとアリスは艦底のハッチを開き火星の大地を駆けていた。

「早く、こっちです」

避難所になっていた地下空洞への入り口でサトミが手を振る。

サトミに続き、避難所へ向かいながら確認をする。

「みんなの用意は?」

「ごねている人達もいますけど、一応みんな荷物をまとめました」

「よし」

全員が広い空間の一カ所に集まっている。何らかの荷物を皆抱えていた。
疲れと不安がその目にあるのは今までと同じだが、今はそれに加え不満を露わにした者が幾人かいる。

「ナデシコは駄目だ。あの船はすぐに戦闘に巻き込まれる!」

彼らが不満を口にする前にカノープスが叫び、機先を制する。

「けど…」

「指揮しているのも乗り組んでいるのも民間人の素人だ。本格的戦闘になったら無傷で済まないんだ」

敵地のど真ん中だというのに傷1つない真新しい艦を目の前にし、アキトの軽はずみな約束を耳にしてしまったため、彼らはナデシコでの脱出に期待している。
それを認めないカノープスに不満を抱くのも仕方がないことだった。

ここで押し問答している時間は無い。
彼らを煙に巻くようにカノープスは突飛なことを言った。

「それより、今から丘の公園までみんなでピクニックだ」

“はぁ?”

避難民達が呆気にとられた顔をしている間にカノープスが地面に大きな円を描き、アリスがその線の上にCCを並べていく。
ホログラフィ装置を中央に置くと、例の公園にあったオブジェが浮かび上がった。

「…何をするのか知らないけどな、あたしゃ行かないよ」

大女:シス・フハナンチが我に返って反対する。幾人かがそれに頷いた。
サトミがそれを聞きつけ、慌てて説得をしようとする。

「シスさん、今はそういうことを  

「ナデシコが今から起こる戦闘から無傷で逃れることができたら、全員乗せてやる」

サトミを押しのけ、カノープスが挑戦するようにシスに向かい宣言する。

「戦闘を安全な場所から見物するのと、戦闘中の船に乗るのとどっちが良い?」

「クッ…」

シスの顔が歪む。どっちが良いといわれたらもちろん前者だが、言いくるめられるのは癪にさわる。

「皆さん、早く円の中に!」

サトミの声に2人の対峙を見ていた難民達がおずおずと円の中に集まる。
さっき自分に賛同していた連中もその中にいるのを見つけ舌打ちし、自棄を起こしたようにシスは自分の荷物を持ち上げ、円の中へと大股でむかった。





全員が輪になって手を繋ぐ。

「何も心配しなくていい。そのオブジェだけを見つめるんだ」

カノープスのゆっくりした声に皆が中央のホログラフィを見つめる。

「目を閉じて…」

シークレット・サービス時代に、数回こうやってナビゲートした経験が役に立った。
ただ、今回はA級ジャンパーが含まれていることが気がかりではある。

「オブジェを思い出して…」

CCでつくったフィールドは安定している。
それを確認したカノープスが小さく呟いた。

「ジャンプ」








ナデシコブリッジではイネスがクルーの浅慮を扱き下ろしているところだった。

「若いってだけで何でもできると思ったら大間違いよ。誰でも英雄になれるわけじゃ  

「フレサンジュさん」

何も知らずに火星まで来て、よけいなお節介をしようとする。ナデシコクルーへのイネスの嫌みはユリカの声で中断させられた。

視線を交わす2人。

その対峙を中断させたのはオモイカネの鳴らした警報とルリの報告だった。

「敵襲!大型戦艦5、小型戦艦30」

明らかに敵の数は火星軌道上の戦闘時より多い。
だが、先の戦闘で艦の力に自信   現実には過信   をもったナデシコクルーは艦長の命令で即座に応戦態勢を整えていた。

「グラビティブラスト、フルパワー!」

「フルパワー、OK」

「グラビティブラスト、エネルギーチャージ」

打てば響くといった感じでミナトとルリが対応する。

「てーーーーーぃ!」

ユリカのかけ声と共に、船体中央の砲門から放たれた重力波が敵艦隊へむかう。放たれた重力エネルギーは光を屈折させ、その奔流の中にある物体は歪み、捻れ、姿が見えなくなった。
轟音が消え、いびつにねじ曲がって見えた景色が元の姿を現した時、木星艦隊は跡形もなく消え去っているはずだった。
その様を想像して、ブリッジに歓声が上がる。


しかし  


「「ええぇぇーーー!?」」

歪んだ景色が元に戻った時、そこに前と変わらぬ木星蜥蜴の艦隊を目にして幾人かのクルーが驚きの声を出す。

「グラビティブラストを持ちこたえた!?」

「敵もディストーションフィールドを使っているの。お互い一撃必殺とはいかないわね」

信じられないと見つめるユリカに、イネスは冷静に解説する。
これがわかっていたから、ナデシコでの脱出は不可能と判断していたのだ。

「40km前方、チューリップより敵戦艦続々増大」

感情を交えずに報告するルリの声がブリッジ内に響く。
ルリの言葉通り、チューリップより一回り大きい戦艦が、開いたその口から姿を現すところだった。
その光景にミナトの声がうわずる。

「な、なによあれ、なんであんなにはいってるの!?」

「入ってるんじゃない、出てくるのよ途切れることなく…。あの沢山の戦艦はきっとどこか、別の宇宙から送り込まれてくる」

イネスが説明する間にも、さらに1隻のヤンマ級戦艦が艦首を露わにする。

「敵なおも増大」

「敵のフィールドも無敵ではない、連続攻撃だ」

「ハ、ハイ。グラビティブラスト、スタンバイ」

かつて兵士として戦場に出た経験のあるゴートにとって、戦闘中に敵の増援が有ることは初めてのことではない。まして、今自分が乗っているのは地球圏最強の武装を持つ最新鋭戦艦だ。狼狽える艦長を叱咤し、攻撃を促す。
だが、彼はあまりにも船のことを知らなさすぎた。

「無理よ!」

「え?」

「ここは真空ではないから。グラビティブラストを連射するには相転移エンジンの反応が悪すぎる」

悲鳴のようにあがるミナトの声。自身に迫る危機を言い聞かせるように、その意味をイネスが説明する。

「ディストーションフィールド!」

「待て!!」

「待って!今フィールドを発生させたら艦の真下の地面が沈んじゃうじゃないですか!そこには、イネスさんの仲間が…生き残りの人達がいるんです!!」

迂闊なユリカの命令にさすがのイネスも慌てた声をあげ、メグミも必死になって叫ぶ。

「直ちにフィールドを張りつつ上昇!」

先程の自分の命令の意味に気付き、ならばと下した命令はまたもミナトに不可能を告げられる。

「ゴメン!一度着陸しちゃった以上、離陸にはちょっと時間がかかるの」

八方ふさがりの状態に、ユリカが呆然とする。

「敵艦、上方に回り込みつつあります。チューリップよりなおも敵増大中」

ルリの報告が無慈悲にブリッジ内に響き渡った。








“あぁ……”

その光景を目にした避難民の幾人かから溜息と共に諦めとも悲しみともとれる声が上がる。

カノープスの開いたコミュニケウィンドウ越しに、ナデシコブリッジの会話が漏れ聞こえてくる。
最初は頼もしくも聞こえていたその会話は、やがて戸惑いと混乱をまじえていた。

やがて、丘の上から見守る彼らの前で、白い船は自分らがいたはずの地面を押しつぶしたのだった。

“自分達が助かるために、我々を見殺しにした”

ゆっくりとその事実が避難民全員の頭に行き渡る。

土煙の中から、集中砲火を浴びていた白い船が黒煙を引きずりつつ姿を現す。
木星蜥蜴の艦隊に頭を押さえられ、ヨタヨタとナデシコが後退をしていく。やがて向きを変えると、後ろも見ずに逃げ出していった。


助けに来たと……。
地球に帰れると言ったのに……。


幾人かは膝からくずおれ、別の何人かはナデシコを追いかけ丘の斜面をフラフラと下ろうとした。
誰かが漏らす嗚咽が聞こえる。
だが、カノープスも彼らに言葉をかける余裕はなかった。
イツキから聞いていたとはいえ、ユリカが地下に避難民がいることを知っていて、それでもナデシコを守るためフィールドを使ったこの事実を目の当たりにし、少し放心状態にあったのだ。

「逃げ出しやがった……」

地面に座り込んだシスがポツリとつぶやく。

「あたしらを見殺しにした上に……逃げ出しやがった!」

叫び声を上げ、右手で地面を殴る。

「あんた知ってたのか!?ああいう連中だって!!」

「……」

シスが立ち上がり、カノープスに詰め寄る。カノープスはナデシコの去った方向を向いたままだ。

「なあ!?」

「…誰だって自分が死にたくはないだろ」

カノープスの言葉は、あの状況であの判断をしたユリカを責めそうになる自分自身を納得させるためのものだった。
それでも、その状況に至るまでの判断ミスの積み重ねは弁解の仕様もない。

「…チキショウ!」

一際大きな声でシスが叫び、皆が彼女を見ているしかできなかった。













まだ吐き気がする。
目の前の流しに嘔吐しても、それでももう胃液しか出てこない。
自分達が何をしたのか。鏡越しに彼に問いかける。

「あたし達なんのために火星まで来たの……」

みんな死んでしまった。私たちが死なせてしまった。

「アキト…ゴメンね…ゴメンね…。助けられなかった……誰も……」

「ユリカ…」

彼が私の肩に手をさしのべてくれる。昔みたいに。

「初めてだね、ナデシコに乗ってから優しくしてくれたの……」

「…ッ…バカ、しっかりしろよ」

やっぱり、昔みたいに“バカ”って言う。落ち込んだ時いつもそうだった。
でも、私はもう子供じゃない。
だから元気づけてくれるなら   

「アキト……キス…してくれる?」

「ユリカ!?何、言ってんだよおまえ!」

「違うの!別にメグミさんとのこと気にしてるわけじゃ」

「見てたのか、お前!?あ、だからあれね、あれ、その、その、その」

違う。
メグミさんからアキトを奪おうってわけじゃない。
ただ……。

「ただアキトがキスしてくれたら頑張れるから…もうちょっとだけ頑張れるから」

「あ……あ……ゴメン!」

いきなりアキトは向きを変え、廊下を走り去る。

「ゴメーン!!」

「アキト…」

声もかけられず、私はアキトを見送るしかできなかった。
気配を感じて振り返るとメグミさんが立っていた。

「メグミさん……」

「ユリカさん…私、逃げ場でいいですから」

「え…」

なんのことだろう?

「私、負けません」

「ウン…私だって負けない」

“負けない”と聞いてわかった。
さっきは逃げるしかなかったけど…。

「一緒に木星蜥蜴と戦おう。まけるもんか!おーう!!」

ウン、今度は負けない。
みんながいれば次は負けない。
アキトもきっと……。








廊下の影からユリカとアキトのやり取りを聞く。
かつて自分が経験したことと同じような会話。

しかし罪の意識を自覚しているように見えないユリカの言動に、カノープスは自分との溝を感じずにいられなかった。

「解ってないのか、あいつ……」

“前回”はまだ言い訳ができたかもしれない。あの時は自分達の意志でコロニーにいた人達を殺そうとしたわけではなかった。

だが、“今回”は自分達が助かるためにコロニーにいる避難民を押しつぶそうとした。
そこに弁解の余地はあるのだろうか?

もちろん、実際は避難民達は生きている。たった今ボソンジャンプでオリンポス研究所に連れて行ったばかりだ。

だからといって、ユリカの態度は納得できるものではない。
いっそ、洗いざらいぶちまけようかという考えが脳裏をよぎる。

「ユリカさん、この後北極冠研究所に行った時、ナデシコの誰にも死んで欲しくないって言ってるんですよ」

側にいたアリスがポツリとつぶやく。

「いつだって前向きな人ですよね」

アリスに言われ、現実に引き戻された気がした。
ユリカらしいといわれればそうかもしれない。

しかしそれと同時に、復讐や贖罪を考えた自分との大きな隔たりを、なおのこと感じるのだった。
あの別れの日と同じ寂しさが、胸の奥からわき上がる。


不意にカノープスの右手にアリスが手を絡めてきた。
寂しげな横顔。それが目に映り、胸が締め付けられる思いがする。
今はこの娘とサトミ等を守らなければならない。
ぎこちなくないように笑顔を作り、手を握りかえしてやる。

「行こう。みんなが待ってる」

カノープスのかけ声にアリスが小さく頷いた。







第11話−了


次回、舞台はオリンポス研究所です。フクベの見せ場…ありません。

 

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

んん?

前回と今回の差・・・・何かあったのかな?

TV版でもユリカが命令してディストーションフィールドを張った以上、

「自分達が助かるためにユートピアコロニーの人間を殺した」事には変わりないわけで。

どこに差があったのか読んでいて分かりませんでした。

 

後木星トカゲへの義憤を示しただけでアキトを信用しちゃったのはゴートさんちょっと甘いかも(笑)。

プロである彼からしてみると「それはそれ、これはこれ」くらいで、人間的に評価を上げることはあっても

完全に信用しちゃうのはちょっと甘すぎるかなーと言う気がするんですよね。