Spiral/again 〜auld lang syne〜 第13話
月。ネルガル所有の地下ドック。
トモナガの執務室にカノープスの姿があった。
ソファに座ったまま、目の前のトモナガに頭を下げる。
「寝込んでいた連中も治ったし、皆も元気を出してくれた。本当に感謝する」
「気にすることはない」
トモナガの後ろに立っているミサキには、トモナガのその素っ気ない言葉がどこか照れ隠しにも聞こえ、1人含み笑いをこぼした。
「いや、ルリちゃんも危ないところだったらしいし、俺だけじゃどうしようもなかったんだ」
なおも頭を下げるカノープスからトモナガは目をそらしている。
「どうせ乗りかかった船だ、そこまで頭を下げることもないだろう」
「だが……」
「それより、これから彼らをどうする?
地球に返すのか?」
「ああ、地球には帰らずに手伝うと言ってくれた。草壁を倒して、安全が確保できるまでだが」
「ふむ」
カノープスの言葉にトモナガが腕を組み、思案顔になる。
黙り込んだトモナガへ、ためらいがちにカノープスが声をかける。
「トモナガさん……どうして助けてくれたんだ?」
「助けてなどないぞ」
「そうじゃないだろう?
ジャンパーでもない医師と看護士に、ジャンパー改造ナノマシンを打つように説得したと聞いた。…ワクチンだって安くないのは知っている」
とつとつと喋るカノープスにトモナガは口を差し挟まないで聞いている。
「定期的にホッタ先生を診察に寄越したのも、口外しないように口止めしてくれたのもあんただ。──俺のことを…これから起こることを信じてくれるのか?」
「……さあな」
期待を込めてトモナガの顔を伺うカノープスを投げやりにあしらう。
その態度にカノープスの肩が落ちる。
「どうしたら信じてくれる?…俺はこれ以上死ぬ人を見たくないだけなんだ」
「……」
「俺が殺した人たちの代わりというんじゃない。ただ助けたいんだ」
それほど大きな声ではないが、しかし熱のこもったその言葉がトモナガにもしっかり伝わってきた。
しばらくの間、2人は黙ったままだった。
「……ナデシコが月に帰ってくるのは、一月後だったな?」
沈黙を破ったのはトモナガの方だった。
「…ああ」
「本当に君が私たちに見せた記憶どおりナデシコが帰ってきたら、そのときはシャクヤクと作業員のことは考えよう」
「本当か!?」
喜色を顔に浮かべるカノープスに、トモナガが釘を刺す。
「“記憶どおり”ならだ」
「ああ、わかっている」
カノープスがジャンプで立ち去ると、それまで黙って後ろに立っていたミサキが囁く。
「これでよろしいのですか?」
「意地だよ」
「は?」
「相手に軽く見られたくない。手の内を見せたくない。企業役員としての一種の職業病だな」
「なるほど」
トモナガの言葉にミサキが首肯する。
素直にカノープスに協力すると言えばいいものを、それはできないらしい。
「歴史通りなら、おそらく第4次攻略戦の発令は3週間後だな」
「それまでにこちらに必要な資材調達はできるでしょうか?」
「張りぼてでいいのさ。中身のチェックはしないからそれほど資材はいらない。後は相転移エンジンで──」
“ボン”といいつつトモナガは目の前で握り拳を開いてみせる。
「後は時間ですか…」
「こっちはそうなるが、君の方が問題ではないのか?」
トモナガが流し目でミサキの方を見やる。
「招集令状が届きました」
「ほう?」
「カワサキの研究施設に出頭せよと」
「で?」
「本社のもう1人のIFS持ちにも届いています。黒い王子の言う“歴史どおり”となりそうです」
「そうか……」
トモナガがソファーから立ち上がる。
「ウォン女史には私からも少し手回しするが、あまり期待しないでくれ」
「了解です。向こうが片づいたら、その足で私はパイロット養成校の方を当たりますので」
ミサキはそこまで告げると頭を下げ、足音もなく部屋から消える。
「ここまでは歴史通りか。私たちはどこまで抗えるかな」
そう独言つと、シャクヤクの建造責任者を呼び出すためトモナガはインターホンを取り上げた。
「まったく!何だっていうのよ!!」
社内で一番のやり手と目される女性秘書は、ヒールの音も甲高く廊下を突き進みながら忿懣やる方無いという感情をむき出しにしていた。
その形相にすれ違う誰もが道を譲り、目の前には自然と道が開けるので歩きやすいことこの上ないのだが、彼女が突き当たった問題の解決には何ら道が開けてはいない。
小型チューリップを手に入れ、カワサキの研究所へ運び込む。
優秀な研究スタッフをそろえ、実験を開始する。
計画通りにそれは進行した。
チューリップを起動させる方法を見つける。
無人プローブを投下したところ、そのうち幾つかを遙か遠くのあらゆる場所のチューリップから回収できた。
そこまでは良かった。
研究が次の段階に進むところでいらぬ横やりが入ったのだ。
木星蜥蜴並みの無人兵器を作る目処がたたない以上、有人兵器をボソンジャンプさせる方法を確立するのが、現在進めているプロジェクトの最終目標となる。
当然、生物をボソンジャンプさせる実験へと研究は進むのだが、時間の惜しい彼女:エリナ・キンジョウ・ウォンと、手柄を焦る研究者グループは一足飛びに人間をジャンプ実験に供しようとしていた。
これは明確な言葉なり文章なりの形でネルガル重工会長から許可があったわけではない。
直接相対した会長から、エリナが言外に──暗に容認されたことである。
しかるに、先ほどの重役会において“カワサキで人体実験が行われる”旨の噂が社内で飛び交っていることが報告され、居並ぶ役員からエリナは事実確認を求められてしまった。
いつもの毅然とした態度で即座に否定はしたものの、厳重に箝口令をしいていたはずの事が社内とはいえ漏れていることに、エリナは少なからず衝撃を受けていた。
「僕はそういう噂が立つのは感心できないなぁ。ねぇエリナ君?」
結局、会長のその一言で追求は終わったものの、エリナの虫の居所が悪いのはどうしようもない。
会長の言葉は“噂が立たないようにやってよね”の意味で、そのことはエリナも承知している。だから、別に会長の言葉が癇にさわったのではない。
居並ぶ役員の下卑た笑い顔に、誰かが自分の足を引っ張るために噂を流していると感じたからだ。
「あいつ等みんな、ただ年食ったじじいなだけじゃないの!」
まだ二十代半ばになるかならないかのエリナに対する重役たちの姿勢は甚だ非友好的である。
それは自分らの地位を脅かしつつある彼女に対する、彼らの恐れの裏返しでもあったのだが。
何はともあれ、エリナは自らの不機嫌さをまき散らしつつ、廊下を突き進んでいった。
「協力できない!?どうしてよ!!」
「会長から書面にて指示があるなら兎も角、秘書にすぎないあなたの言うことだけでは動けませんな。ミズ・エリナ」
目の前の黒服が静かに述べる言葉にエリナが柳眉を逆立てる。
「だから、命令じゃなくて協力って言ってるじゃないの!」
「協力と言うことでしたら拒否しても問題はないかと思いますが?」
「〜!〜〜〜〜〜〜〜!!」
冷ややかな言葉にエリナの表情は爆発寸前である。
対するネルガルシークレットサービスを束ねる会長警備部第3課々長は、何の感情も読み取れない顔で続ける。
「先日、詰まらぬ噂が耳に入りまして。IFSをつけたSSは人体実験に提供させられると」
ギロリと睨みつけられつつも、黒服は淡々と言葉を続ける。
「確かに我々は社の命令に対して絶対服従の立場でありますが、一個人の出世欲からくる命令は承伏いたしかねるということです」
「わかったわよ!!」
一声叫ぶと、エリナは回れ右をして歩き去る。その足下はヒールが床に穴を空けんばかりの勢いだった。
それを見送って課長がため息を漏らすと、背後に立つ第5班々長に声をかける。
「これで満足か?」
「お手を煩わせ恐縮です」
ミサキが慇懃無礼そのものの態度で頭を下げる。
「フン、確かに気にいらん女だがな、貴様の行動の方も気に食わんな」
「これは失礼」
「そう思うなら、業務命令無視に関してサッサと始末書を出せ」
「ハイ」
エリナ程ではないにしろ、不機嫌さを表し課長が自席へ戻っていく。
ここ半年あまり、出頭命令無視で月から帰ってこなかったミサキは、課長の後に続きながらその口実を頭の中で考えてはじめた。
今まで動く物の存在しなかった薄暗い空間に、人の気配が忽然と現れる。
カノープスをはじめとするオリンポス研究所にいる避難民等のうち、数人の男たちだった。
火星北極冠遺跡。後にイワトと名付けられるそこは、木連側の必死の探索にもかかわらず、未だ発見されていない。
北極冠を覆う厚い氷。幾重にも張られたディストーションフィールド。
発見されてもそこに侵入するのは至難の業だったろう。
だが、チューリップクリスタルと同じ組成を持つ物質で構成されたこの遺跡は、ボソンジャンプの出口としても非常に安定していた。
過去にここに来たことがあるのなら、ジャンプ先として簡単に指定できる場所でもあったのだ。
「あれが核となる…」
「そうだ、コアユニットだ」
眼鏡をかけなおしまじまじと見つめながらのサトミの言葉にカノープスが続けた。
見上げれば、遙か彼方に丸く切り取られた氷の白い天井が覆っている。
目の前には幾何学模様の四角い大きな箱。
「これを持ち出すんですか?」
「いや」
「何でだよう?今持ち出せば面倒にならないじゃないか」
背後で上がった声に、カノープスが振り返る。
「もしここが見つかった時にコアが無かったら、奴らも地球連合も周囲の遺跡だけがジャンプにとって重要なモノだと思いこむ。そうしたら、ここを手に入れるために戦争は際限なく続く。俺たちはその間オリンポスで隠れてなきゃならない」
「じゃあどうするんだ?」
「目の前で奪い取るんだ。戦争継続の意味を双方が失う」
カノープスの背後でコアが光を放つ。それに目をやり、カノープスがつぶやく。
「どこかでジャンプしたな」
コアにつながった場所から光が周囲の床へ壁へと伝わっていく。初めて見る光景にサトミたちがざわめく。
「よくこの場所を覚えていてくれ。ここにジャンプする必要が必ず出てくる」
「どうして、必ずなんて言えるんです?」
サトミが尋ね返すと、カノープスは空を仰ぎ見ながらつぶやいた。
「蜥蜴戦争の時も、火星の後継者の乱の時も決着はこの遺跡でついたからな」
「よぅ、此処にいたのか」
サバサバとした感じでシスがアリスに声をかける。
窓ガラスの割れた展望室。散乱したガラスを避けて、アリスは隅に置かれた椅子に座って外をながめていた。
「あんま、皆と離れるのは危ねえぞ」
「……」
隣に腰掛けるシスを一瞥し、アリスは再び外の風景へ視線を戻した。
「カノープスが心配か?」
「別に…」
アリスが投げやりに答える。
「心配してない風には見えねえな」
「そんなことありません」
「そうか?」
「……」
念押しするシスにアリスは黙り込む。
「別に心配すること無いだろ?あいつなら1人で何でもできるしな」
「そんなはずないです」
「いーや、あいつならどこに放り出されても自分で何でもやっていくし、誰かがいなくても独りで生きていけるさ」
突然、アリスが振り返り、どこかうんざりしたような態度のシスを涙目でにらむ。
「そんなはずないです。アキトさんはそんなに強いはずがないんです」
「そうかな?何だって自分が背負い込もうとしてるんだ、強いはずだろ」
「違います。あの人はいつだって一生懸命なだけです。それも、自分のことだけでなく、自分の周りの人のために。いつも自分のことは二の次にして──」
そこまで一気に叫んだところで、シスの目がそれまでの言葉と同じく斜めに構えた態度ではなく、まっすぐ自分を見つめているのに気づく。
「そうだよ。あいつは自分の事より他人のために一所懸命さ。下手したら自分は死んでもいいなんて考えている。解ってるじゃないか」
「あ…」
「なんだって一所懸命。だから手伝ってやりたくなる。けどな此処にいる人間みたいに弱い立場の奴らは、逆にあいつに頼りっぱなしだ。自分たちのことを優先して考えてくれているってわかれば尚更な。それはあんたも一緒だ。あいつに頼り切り」
「……」
シスの言っていることが解りすぎるほど解り、アリスは口元を押さえた。
「あいつを当てにしているあたしが言える義理じゃないけど、あいつにも楽させてやれよ」
「そんなの…どうすればいいのかわかりません」
「とりあえずは笑えよ。いつもそんな泣きそうな顔でいたらあいつを心配させるだけだろ」
シスがアリスの頭をガシガシとなでる。
されるがままでいたアリスが力無く首を振る。
「それこそ、どうしたらいいのかわかりません」
「手始めに、ここにいる連中と話せるようになったらどうだ?」
「え?でも…」
とまどうアリスの手をとり、シスがいきなり立ち上がる。
「怖がるのもわからなくもないけどな、やってみりゃ意外と簡単だって」
「あ、あの」
戸惑いつつ、引っ張られるがままに廊下を歩く。
そんなアリスの顔を見ないようにしてシスは小さな声でつぶやいた。
「悪いな。あいつを独り占めさせてやれなくて」
ミサキの目の前の扉の向こうから、少しヒステリー気味の女の声が届いてくる。
答えるのは軍人らしからぬボソボソとした喋りをする初老の男の声。
「ほんの数人でいいって言ってるでしょ!」
「そう言われてもですな。何度も言っているように──」
やがてヒールの音と共に女の声は聞こえなくなり、貧相な男が応接室にミサキを招き入れた。
「仰るとおりでした。パイロット候補生を雇いたいという話」
「断って頂けましたか?」
「それはもちろん」
ミサキの目の前で、このパイロット養成校の校長が首肯した。痩せすぎの体には制服が似合っていない。
「どのみち、軍本部からは実戦に使えそうなパイロットは、カリキュラムを短縮してでも卒業させるようにさんざん催促されておるので、民間企業に回すパイロットは1人もいないのが実情です」
「そうでしたか」
IFSを持ったSSをジャンプ実験に参加させられないとわかったエリナがここへ来ることを見越して先回りしたのだが、どうやら急いでくることもなかったらしい。
「そんなわけですので、そちらのご要望にも応えられそうにないです」
「ああ、いや、私はエステパイロットを雇いに来たのではなくて、人を捜しに来たのです」
「人捜し?」
聞き返す校長の声のトーンが下がる。
「カザマ・イツキというパイロット候補生がここにいるはずですが?父親が教導隊所属とか」
「ああ、彼女ですか」
「ご存じで?」
「父親がそのような地位ですから、ここではそれなりに有名ですので」
校長の返事にミサキが体を乗り出す。
「彼女に会わせて頂きたい」
「すでに卒業しましたよ」
「…卒業?しかし彼女は後1年間教育期間があると聞いている」
「正規のカリキュラムならそうでしょうが、先ほどお話ししたように軍からせっつかれまして──」
校長の話にミサキは黙り込む。あのとき自分にも流れ込んできたカノープスの記憶ではこんな事はなかったはずだ。
〈すでに歴史が変わっている……いや、本来の歴史と言うことか?無意識に“ヒデト”が──〉
「その様なわけですので、お手伝いはできそうもありません」
考えにふけっていたミサキに向かい、校長は丁寧に、しかしどことなく横柄な雰囲気で頭を下げる。
「では、彼女が配属された先をお教えいただけませんか?」
「一応、軍規ですので、そう言うことは親族の方でもない限り、私の口からお伝えはできません」
すでに目の前の初老の男性は胡散臭げな顔を隠しもしない。
同じ会社の社員の足を引っ張りに来たあげく、女生徒の所在を問いただされては当然だろう。
戦争中だというのに、会社内の権力闘争を持ち込んだ上に変質者の可能性も出てきては、警戒しない方がどうかしている。おまけにミサキはSSの黒服、黒めがねのままだった。
カザマ・イツキに接触するつてを得られず、ミサキは早々にパイロット訓練校から退出した。
ナデシコのビッグバリア突破の件で、軍内部においてネルガルの名前は歓迎されない手合いとして認識されている。そのため、イツキの情報を得ようとするミサキとトモナガの努力はこの後も徒労に終わることになる。
改装作業を中断してのお茶会にアリスはくわえられていた。
「男ってのはとにかく冷たいんでね〜」
目の前でかしましく喋るのは胴回りがアリスの3倍はあろうかという中年女性だった。
「旦那なんてあたしが池に落ちたときだって、手も差し出してくれやしなかったんだよ」
「そりゃ、あんたを助けようとしたら旦那が引っ張り込まれるじゃないか」
別の女性の声にワッと笑声があがる。
「何いってんだい、それはあたしがこの子みたいに細かった頃なんだよ」
件の女性はアリスを指さしながら抗議する。
もっとも顔が笑っているから冗談なのだろう。
それを聞いてまた笑いが広がる。
「聞けば、自分がぬれるのが嫌だったってんだから、ホントひどい男さ」
「そのまま抱きついてやれば良かったんじゃないかい?」
「もちろん、それを聞いて池に突き飛ばしてやったよ」
おさまりかけた笑いが爆笑に変わる。
「そうそう、あたしんとこもひどい男でね」
「え?」
意外なシスの言葉にアリスは振り向く。
「あ、話してなかったかい?こう見えても結婚してたんだけど」
「そうなんですか?」
「信じられねえって顔だな」
「すみません」
かるく凄んでくるシスに、アリスが頭を下げる。
「いいっていいって。いつものことだから」
からからと笑い、シスは手を振る。
「んで、うちのはまたどうしようもなく頼りないうえに普段もだらしない奴でさ。挙げ句の果てにつまらないことで刃傷沙汰を起こして」
「また、あんたもろくでもない男をえらんだねぇ。それが原因で別れたのかい?」
興味津々で聞いてくる中年女性にシスはそうじゃないという風に手を振る。
「あたしが旦那を見限ったのはその後でさ。あんまり腹立ったから…」
「立ったから?」
ググッと身を乗り出す女性たち。
「思いっきり蹴飛ばしたらあそこに当たっちまってさぁ、使い物にならなくなって」
「あら〜」
きまり悪そうに頭をかくシス。身を乗り出していた女たちは同情のため息を漏らす。
一方、近くにいた何人かの男たちは青い顔をして股間を押さえていた。
「それは確かにあたしが悪かったんだけど、その後で『おまえみたいな大女、わざわざ結婚してやったんだぞ』みたいなこと言われちゃ…ねぇ?」
「じゃ、しょうがないね」「そうだねぇ」
あっさりと男への同情を撤回する女性陣。
「今となってはどうでもいい奴だけどね。そうそう、もしここにいる男どもで襲ってくる奴がいたら、あたしがまた蹴り上げてやるから」
またもからからと笑いながらそこまで言うとシスは腰を上げ、仕事を再開するかと全員に声をかける。
その呼びかけにお茶をしていた面々が立ち上がり、作業に戻っていった。
アリスがそれに倣って立ち上がろうとすると、シスが肩を叩いてきた。
「あんたが一番危ないんだからな。カノープスがいないときに何かあったらあたしに言いな」
「…はい」
そのまま横を通り、作業に向かおうとするシスをアリスが呼び止める。
「…あの、聞いてもいいですか?」
「ん〜〜?」
「好きあって結婚したんですよね?」
首だけをこちらに向けていたシスが、向き直る。
「そりゃあもちろん」
「そんなに簡単に嫌いになれるんですか?」
その言葉を聞いて、シスはアリスの手を引いて物陰へ行く。周囲に視線を配り、聞かれる距離に人がいないことを確認すると、重い口調で口を開いた。
「ここの連中で家族が全員無事ってのは誰もいないからな…。さっきの話、半分は嘘だよ」
「半分…ですか」
シスが頷く。
「死んだの何だのって言うのは、あの小母様方にはつらいから聞かせたくなかったのさ。刃傷沙汰を起こした時、そのままポックリ逝っちまった。その前から喧嘩の度に『結婚してやった』ってのは言われたけどな」
悲しんでいる風でもない、懐かしむでもない奇妙な眼差しでシスは話す。
「じゃあ、まだその人のこと好きなんですか?」
「どうかな?」
ニィとシスが歯をむき出しにして笑う。
「もういない奴のことをいつまでも引きずれる質でもないからね」
「でも、それじゃ……」
悲しすぎないかとアリスは小さな声で呟く。
好きあった者同士が結婚して家庭を作る。その結末が別れであっても、相手を思う気持ちは残っているはずだと思っていた。
否、カノープス=アキトには残っていてほしかった。
そうだったら──。
“そうだったら、あのアパートに居た時の様な暖かい時間を、もう一度過ごせるかもしれない”
そのアリス=ルリの淡い期待をかき消すように、目の前の彼女は違うと言う。
「カノープスのことだろ?」
いつも伝法な彼女らしからぬ優しい声をかけられる。
その声に涙腺がゆるみそうになりながら首を縦に振る。
「そんなに期待ばかりかけるなよ。あたし達のことだけで重荷になってるんだ。さっきも言ったろ、何でも自分で背負い込もうとする真面目な奴だからな」
またもアリスは肯く。
「このままなら自分で作り出した責任感に潰れちまう…。だから、あんたがあいつを支えてやりな」
「私にはできません。ユリカさんのようには」
今度は力無く首を振るアリス。
それをながめながらシスは頭を掻く。
「別に、その別れた奥さん?
その代わりをしろってんじゃなくてだな。今はあいつの愚痴を聞くだけでもいいからよ」
「それだけ……ですか?
そんなの誰だってできるじゃないですか」
「ここにいる連中の誰もできないんだ。あいつの家族はあんただけなんだから」
うつむいていたアリスがハッとしたように顔を上げる。
「家族……」
「? そうだったんだろ?」
初めて気づいたとでも言うような顔をするアリスに、シスが不思議そうに尋ねる。
しかし、彼女はそれを聞いていなかった。
〈私は……本当にアキトさんの家族だったんでしょうか?〉
家族なら──どうして帰ってこなかったのか?
どうして生きていると教えてくれなかったのか?
不意に浮かんだ疑問に、アリスが黙り込む。
黙ってしまったアリスを見て、シスは多少申し訳なさそうな声音で再度頼みこみ、ヤンマの改修作業へと戻っていった。
それを見るとはなしに見ながらアリスは自分の抱いた疑問にとらわれていた。
ナデシコが火星を去って7ヶ月以上が経とうとしていた。歴史通りならまもなく始まる第4次月攻略戦の戦場に出現するはずである。
そのころ、オリンポス研究所におけるヤンマ級戦艦の改修も大詰めを迎えていた。
中央船体に相転移エンジンユニット1基とコントロールユニット、左右の船体に無人兵器格納庫と連装グラビティブラストを配置したヤンマ級の構成は、エンジン出力比でナデシコ級に大きく劣る。
改修により、左右の兵装ユニットにカトンボの相転移エンジンをそれぞれ2基、中央船体にブリッジと居住ブロックを載せて、かつてのヤンマ:イ-443號はコスモスに劣らぬ出力を誇る船に仕上がりつつあった。
推力、ディストーションフィールド発生器、グラビティブラスト、艦内重力制御、etc。それぞれにエンジンを振り分けたためのこの数の相転移エンジンユニットなのだが、そのパワーに船体が耐えられるかカノープスは一抹の不安を感じずにはいられない。(なにせ、改修手引き書の責任者欄にウリバタケ・セイヤのサインを見てしまったからだ)
カノープスの不安をよそに、細かな修正部分を残して改修作業は終わりに近づいている。
その作業中にカノープスが倒れたのは月攻略戦が開始される2週間前のことだった。
「気がつきました?」
目を覚ますと、息がかかるくらい目の前にアリスの顔があった。
「……何があったんだ?」
「仕事中に倒れたんですよ。ホッタ先生は過労だって言ってました」
ベッド脇に置いたスツールに座り直すアリスの返事で、作業中に立ち眩みをおこしたところから後の記憶が無いことを確認する。
「働き過ぎに寝不足です」
「そうか……」
体を起こそうとしたが、アリスの細腕に押されただけでまたベッドに戻されてしてしまう。
「だめです。1週間…せめて2・3日は安静にしてください」
「そうは言っても──」
「だめです」
こんなに強い口調でアリスが話すのは再会してから初めてだろう。
その言葉に気圧されカノープスはおとなしく言うことを聞くことにした。
「わかったよ」
「姐さん、俺もあの子に看病されたいっす」
カノープスの部屋の入り口を少し開け、隙間から覗きこみつつベソをかく男がいる。
「うるさい、“姐さん”言うな!」
その頭を両拳でグリグリと挟みながら、シスが怒声を殺して言う。
「倒れるまで無理をするなら、カノープスさんはナデシコに行った方が良いんじゃないですか?」
その上から部屋を覗きこみつつサトミが呟くと、それを下から見上げながらシスはため息を漏らした。
「……やっぱりあんたもそう思うか」
「ええ」
「そうだよなぁ」
「リンゴいります?ホッタ先生が持ってきてくれたのがあるんです」
「ああ」
どこか危なっかしい手つきでアリスがリンゴの皮をむくのを見かねて、カノープスがかわる。
以前と比べれば少しぎこちなくは感じられるが、それでも手早く皮をむいていく。
それを見ていたアリスがため息を漏らす。
「どうした?」
「やっぱりかなわないなって思って…」
「?」
首をかしげるカノープスから視線をはずしながらアリスが小さな声で話し出す。
「ユリカさんが帰ってきてから少し料理の練習していたことがあるんです。私が料理しなくちゃいけなくなるだろうなって思って」
「……」
「アキトさんが料理できなくなったら私しかいないなって」
「…そうだよな。ユリカにさせたら──」
無理に軽い口調で話すカノープスの言葉にかぶせるようにアリスが呟く。
「でも、アキトさんは帰ってこなかった」
「ッ──!」
うつむきながらこぼれした言葉が鋭い針のように突き刺さり、カノープスの口元がゆがむ。
「私、ずっと待ってたんです。アキトさんは絶対帰ってくるって。そしたらまたユリカさんと3人で暮らせるんだって思ってた」
「……」
「家族だから、それが当たり前だって思っていた」
アリスが顔をあげる。
「私はアキトさんのことをそう思っていました。アキトさんは違ったんですか?」
その視線が痛かった。誤魔化しやはぐらかしを許さない意志が込められている。
その視線から目をそらし、絞り出すように答えるまで時間がかかった。
「俺は……俺も2人のことは家族だって思っていたよ」
「…本当にそうですか?」
「本当だよ」
「生きてることも教えてくれなかったのに?」
“ルリ”の言葉に“アキト”が息をのむ。
「それは──」
「“教える必要がなかったから”ですか?」
アキトを見つめるルリの目に涙がにじんでいる。
「本当は私を巻き込みたくなかったからですか?
確かにユリカさんはアキトさんのお嫁さんでした。でも私の大事な家族でもあったんです。その人を助けるのにどうして私は手伝っちゃいけないんですか!?」
「……ごめん」
「謝らないでください。頭を下げるくらいなら、本当のことを言ってください!私のことを家族だって言うんなら!!」
こんなに声を荒げる姿を見るのはイネスの墓前であった時以来だった。その姿に観念したようにアキトは重々しく口を開く。
「……ゴートさんに助けられた後、ユリカは見つからなかったっていわれた。そのときは自分のしたことが怖くて、それどころじゃなかった」
「アキトさんのしたこと?」
言葉に詰まる。が、わずかな逡巡の後、アキトははっきりと答えた。
「人を殺した」
いつしか外では雨が降り始めたのだろう。アキトの言葉に重なり、雨音が陰気に響いてきていた。
自分の告白にルリが息をのむのが解ったが、アキトはかまわず話を続ける。
「しばらくしてから、ルリちゃんのところに帰って落ち着いて治療するようにいわれたけど、1人じゃ帰れないって断った」
「──どうして」
「……」
黙り込んだアキトに意を決したようにルリが口を開く。
「人を殺したから、自分の手が汚れたから帰ってこなかったんですか」
「……それをはっきり自覚したのは北辰を殺して、イワトでユリカを目の前にした時だよ」
「だって、そうとしか……」
黙り込みうつむくルリ。その雰囲気の重さが部屋を支配する。
外の雨音がそれに拍車をかけていた。
アキトが声をかけようとした時、ポソポソとルリがしゃべり出す。
「私に比べたら、アキトさんが気にすること無いじゃないですか。戦争の間、優人部隊を相手にした時、ナデシコの攻撃で誰も死ななかったなんて言えないんです。実際、相転移砲の時なんか数え切れないくらいの人たちを確実に殺したんです。それもこれも私がオモイカネに──」
「やめてくれ!」
アキトがルリのささやきを大きな声でさえぎる。
「あれは戦争だったんだ。ルリちゃんは命令に従っただけだし、戦わなきゃみんなが死んでいた。君が気に病む事じゃないだろう?」
「私とアキトさんが人を殺したって言うのはどこが違うんですか!?」
スツールから立ち上がりルリが叫ぶ。対するアキトは淡々と告げた。
「俺が殺したいと思って殺したんだ。今更殺してもどうにもならないってわかっていても止められなかった。どうしようもなくあいつが憎かったんだ」
一瞬だけ、以前見た修羅の表情がアキトの顔を横切り、高ぶったルリの感情に冷水を浴びせた。
「それに、それが理由じゃないんだよ」
ノロノロと椅子に座り直し、またうつむいたルリが小さな声で尋ね直す。
「だったらどうして?」
「……」
「どうして帰ってこれなかったんですか?」
雨音が遠く重く部屋に響く。それと同じほど重い声でアキトが答えた。
「ルリちゃんに怒られるって思ったんだ」
「?」
「ルリちゃんのところに帰るんだったらユリカと一緒じゃないと駄目だって、そうじゃないとルリちゃんが怒るって」
アキトの言葉に顔をあげたルリの前で、アキトは早口にまくし立てる。
「3人でなきゃ駄目だって。そう思ったんだ。親父もお袋も俺が子供の時に死んで、生きてる時も研究研究ばっかりで家にあまりいなくて。だから、あのアパートで一緒に暮らしていた事は大事なことで、3人揃わなきゃ意味がないって思った」
「……」
「ごめん、勝手に思いこんでた」
黙ったまま、自分を見つめるルリに気づき、アキトが頭を下げる。
「ルリちゃんは迷惑だよね、こんな風に俺が考えていたってこと」
「そんなこと無いです。怒るかどうかわかりませんけど、でもちゃんと私を家族だって思ってくれていたことは嬉しいです」
「そうか」
ほっとしたような顔をするアキトに、だがルリは追い打ちをかけるように質問をする。
「じゃあ、草壁を捕まえた後──いえ、恩赦が発表された後どうして帰ってきてくれなかったんですか?」
「ルリちゃん……」
「私、いやだったんです。“妖精”だとか“天才艦長”だとか……“魔女”だとか言われて。アキトさんのことが世間に知られてから、どこに行ってもそんな風に言われ続けてばかりで。ユリカさんはユリカさんでずっと我慢していて、私のことで困らせられないって思って」
ルリはそこまで言うと一度大きく息を吐く。
「アキトさんに助けてほしかった。前みたいに笑いながら“そんなことないよ”って言ってほしかった。それだけでよかったんです」
「俺にそんな資格は無いよ。俺は……あいつらを倒すために君を──君のその力だけを利用したんだ」
「それでもよかった!!」
おそらくあの墓地で発した以上のルリの絶叫。
「それでもよかった……。アキトさんはナデシコの誰よりも私と普通の人のように接してくれたから」
「……」
「だから……だから私は!アキトさんに助けてほしかった!!」
部屋に沈黙が満ちる。その沈黙の中で雨音が小さく消えていった。
「私を利用したからって言いましたよね。だから、帰ってこなかったんでしょう?私に合わせる顔がないって思って。そう思うこと自体、私のことをちゃんと1人の人間だって見てくれたって事じゃないですか」
「……」
「……」
「……ああ」
再び訪れた沈黙の後、アキトの漏らした声は肯定ではなく、ため息に近かった。
「きっとルリちゃんの言うとおりだよ。俺が知っているルリちゃんは信じられないくらい綺麗で、でも怒ると普通の女の子みたいにすごく手がつけられなくて。何でも知っているくせに、自分でやったことが無いことばかりで、何かする時は本当はほんの少しおっかなびっくりで」
〈ああ、やっぱり──〉
「ピースランドのお姫様なのに、そうとは思えないくらい遠慮無くものを言うし。妖精だとか魔女だなんて考えたことなかった。たぶん、俺はナデシコに乗っていた頃からそう思ってたんだ」
〈──やっぱりアキトさんはアキトさんだ〉
「俺にとってルリちゃんはただ“ルリちゃん”なんだよ」
〈私をちゃんと見てくれる〉
懐かしむように言うアキトの言葉にルリは涙をこぼしていた。
涙がこぼれるたびに、胸の中に澱んでいたものが一緒に流れ出ている感じだった。
悲しいわけじゃない。それでも涙がボロボロと出てきてしまう。
シャトル事故以来、いやおそらく生まれて初めてのうれし涙だったろう。
そのことをルリは理解していない。ただ、これが自分の言って欲しいかったことだったのだと感じていただけだ。
「ああごめん!ホントにごめん!」
「あ、違いますアキトさんは謝らなくても──」
もちろん、女性の感情に関して筋金入りの朴念仁に、その涙の意味がわかるはずもない。
ティッシュを箱ごとルリに差しだしていた。
その慌てぶりが最初に会った頃のアキトを連想させ、ルリは泣きながら笑い出していた。
ひとしきり笑った後、ルリはアキトにきりだした。
「ねえ、アキトさん、もう一度ナデシコに戻りませんか?」
「あー、まあしょうがないか」
「何がですか?」
ボリボリと頭を掻きながらシスが扉の前から立ち上がる。
「あの娘にカノープスのことをお願いしてたんだけどな。ああいった事情ならなぁ」
「何をお願いしてたんですか?」
「あいつが普段もう少し肩の力を抜けるようにって言ったんだけどな。かえって困らせてるし……。ほら、行くぞ」
扉前から離れたがらない男達を引きずり、集会所となっている食堂へと歩き出す。
ぼやくシスの横に並びながらサトミは首を振る。
「そんなことないでしょう」
「そうか〜?」
「あんな慌てたカノープスさんも、嬉しそうに笑うアリスさんも初めて見ましたし」
サトミの言葉に先ほど覗いていた部屋の光景を思いおこし、シスは頷いた。
「……ああ、そうかもな」
その口元はほんの少し笑みを浮かべていた。
ナデシコが月攻略戦の戦場ど真ん中へジャンプアウトする予定前日、オリンポス研究所の地下ドックではカノープスとアリスが避難民達を前にエステバリスのジャンプ準備をしていた。
「途中で放り出すようで本当に悪いと思っている」
「だから気にすんなって。あんたがいなくてももう大丈夫さ」
「そうですよ、後はこのヤンマをテストしながら木連に見つからないように隠れることだけですから」
その場の全員に向かって頭を下げるカノープスへ、シスとサトミが答える。
いささか乗り気でないカノープスだったが、アリスのお願いに根負けしてナデシコへの合流を承諾していた。
それをサトミ等に打ち明けたとき、また彼らになじられるとカノープスは考えていたのだが、意外にもあっさりと賛成してくれた。シスとサトミが難民達を説得してくれていたのだが、そのことをカノープスは知らない。
「あたし達の他にも助ける奴がいるんだろ?」
「しかし……」
カノープスが難民達のほうをうかがうとそこには彼を責める顔はなく、むしろ励ましの言葉をかけてくる者達がいた。
「わかった、俺のわがままにつきあってくれ」
「いいから、行ってこい」
なおも頭を下げようとするカノープスを、シスがエステバリスとそのそばに立つアリスの方へと押しやる。
「ごめんなさいアキトさん」
アサルトピットの中、カノープスの膝の上でアリスが申し訳なさそうに謝っている。
それにカノープスはゆっくりと首を振った。
「いいさ。こっちへ跳んでくる時にイツキちゃんに『必ず助ける』って約束したんだ。ルリちゃんに言われる以前に、ナデシコには戻らないといけなかったんだから」
持ち上げていたゴーグルをかけ直し、右手をIFSコンソールに置く。
「ここの人たちのことは、俺がいなくてもサトミさんとシスさんがうまくやってくれる」
〈たぶん…ね〉
自分の不安を見せないように胸の中で呟く。
それに気づいているのか、カノープスの右手にアリスは手を重ねると、小さく、しかしはっきりと言った。
「行きましょう、“兄さん”」
「ああ、行こう、“エルシー”」
「「ジャンプ」」
2人の言葉と共に、エステバリスはボソンの輝きを残し月へとジャンプした。
第13話−了
まったく解決していないです。>ユリカとカノープス+アリスの関係
アリスが前向きになっただけ。
次回はナデシコに戻ります。アカツキいぢめ……。
代理人の感想
まぁ、カノープスもほんのちょっとだけ前向きになった・・・のかな?
取りあえず「話し合うことは大事だね」って回でしたね、今回は(笑)。