Spiral/again 〜auld lang syne〜  第15話






ハンガーデッキ内で鈍い音と共にテンカワ・アキトが倒れる。

「出撃する前に、冷静にやれと言っただろう」

「……ッツ!」

殴られた頬を片手でおさえながら、アキトはカノープスを見上げた。
怒りをたたえるその瞳を、ゴーグルの無機質なカメラアイが映している。

「やめないか、カノープス君!」

「そうだよ、アキトの奴もちゃんとナナフシを止めたじゃねぇか」

「……」

2人の間に割ってはいるアカツキ。何も言わないアキトに代わり抗議するリョーコ。
その言葉にカノープスの口元が強く引き結ばれる。

しばらく無言でアキトを見つめたあと、カノープスが小さくはっきりと呟く。

「運が良かっただけだ。このままだとお前はいつか失敗をする」

「なんでそんなことを言えるんだよ!?」

「お前の大事なモノをなくすだけで済まなくなるぞ」

噛みついてくるリョーコを無視してカノープスはアキトにそう告げると、無言でデッキを出て行った。

「ケッ!」「アキト君だいじょぶ〜?」

不機嫌さを隠さないリョーコと、アキトに声をかけるヒカル。
赤く腫れあがった頬をおさえながら、アキトが無言で立ち上がる。

「ま、正論だけどね」「そうね」

「おいおい!」

アカツキが肩をすくめ、それにイズミが同調する。
もちろんリョーコは面白くない。

「いちいちいいじゃねえかよ、殴ってまで言うことじゃ──」

「終わりよければすべてよしじゃだめかな?」

「それじゃいつかテンカワ君は死ぬわね」

首をかしげるヒカルの言葉に、イズミがピシャリと言い放つ。
普段見ないイズミのシリアスモードに2人が黙り込んだ。
その3人に背を向け、アキトも格納庫の出口へ歩き出す。

「おい、アキト!」

「……」

リョーコの呼び止めに一度足を止めるが、結局アキトは無言で歩き去る。

4人のパイロットの様子をながめながら、アカツキは1人皮肉気な笑みを浮かべた。

「テンカワ君としては、正しいと分かっちゃいるけど面白くないって所か」













チューリップを守る木星蜥蜴の無人兵器軍。

対するはナデシコを先頭に布陣した地球連合軍。

ナナフシ攻略を挟んで毎日のように続くチューリップ退治に、ナデシコクルーも少々飽きが来つつあった。







「エステバリス全機出撃しました」

「全機攻撃開始!」

艦長の号令一下、エステバリス隊がミサイルを放つ。

「よっしゃいただき!」

ロックオンを確認したアカツキが放った対艦ミサイルは、真っ直ぐに木星蜥蜴へと向かわず迷走を始める。
1人のコクピットでも顔を崩すことのないアカツキの顔が引きつった。

「な゛に゛?」

『なんだ!?』

『おいおい!』

アカツキ機だけでなく、アキトとリョーコ、地上の2機の砲戦フレームも後方の地球連合軍へ向けて発砲を始めた。






「くそぅ蜥蜴野郎め!総員退艦しろ!!」

「全弾ナデシコ側からの攻撃です」

「うぇ? なにぃ!?」

カトンボのディストーションフィールドを突破するべく造られた対艦ミサイルは、地球側の艦に対してもきっちり仕事をしてくれた。
オペレーターの報告に、連合軍の艦長がうろたえている。その間にも被弾した船体は地上へ向け降下していく。

「ぶぁかやろぅ〜!」

艦長の罵声と共にブリッジパートが切り離され、乗員が脱出する。
さしたる時間もなしに、墜落する艦は閃光と共に爆発四散してしまった。






「えぇ? なに? なにがおきたの?」

「エステバリス機、味方も攻撃してますぅ」

「味方を攻撃ぃ〜!?」

ミナトの報告にユリカがうろたえる。

「敵だけ! 敵だけ攻撃ーーー!!」

駄々っ子のように叫ぶユリカの目の前で、エステバリから放たれたミサイルが連合軍の攻撃機を打ち落とす。






『我々は敵を攻撃しているつもりだ』

『それが何でこうなんだよ』

『う…』

アカツキが己に非がないことをアピールするが、アキトのぼやきにも明確な反論ができないでいた。
そのアキトと並んだリョーコの砲戦フレームはミサイルだけでなく120mm砲を撃ちまくっている。

『おい、こいつ何とかしてくれよ』

『ま、なるようになるわね』

本来2機の砲戦フレームを援護するはずのイズミ機も、ラピッドライフルで木星蜥蜴、地球軍関係なしに積極的に撃墜していく。
火器管制コンピューターの指令が機体の制御部分やIFSによる指示を上回る命令権でエステをあやつり、乗っているパイロットの意志を無視しているのだ。


そんな騒動をコミュニケ越しに聞きながら、カノープスはレールガンをカトンボに向けた。
照準はレールガンに付けられたサイトカメラからの映像を、カノープスのゴーグルに直接映している。オモイカネの火器管制からはずされたこの武装が唯一自由にできるものだった。

黒い機体が構えた長大な砲身から弾芯が放たれ、標的のエンジンを貫く。
炎と黒煙を吐き出しながら船尾から落ちていくカトンボ。その隣に並んだ2隻目に照準したところで機体がローラーダッシュで180度ターンをし、連合軍の戦艦が照準レクチルに飛び込んでくる。

「駄目か」

オモイカネの火器管制下に置かれていないから発射されないものの、普通なら今頃 照準内の艦は火を噴いている。

「ここまできつかったのか。オモイカネの制御は」

再度、レールガンをカトンボに向けようとするが、やはり地球側の戦艦からロックがはずれそうにない。
カノープスはエステの管制メニューを呼び出し、完全手動に切り替えた。

「全員、手動に切り替えろ。砲戦の2機は陸戦または空戦に換装して出直せ」

『え〜〜、そんなの無理だよ〜』

『ミサイル使えなくなるんだぜ?』

『今、リョーコとテンカワ君が引っ込んだら大変なことになるわよ』

3人娘の返答にカノープスはため息をついた。

「そうだな……わかった。無茶を言った」

『今の操縦系で完全手動はちょーっと無理があるねぇ』

『そうだよ』

コミュニケで会話を交わしつつ、ナデシコの各エステバリスは次々と周囲の機体を落としていく。 もちろん敵味方関係なくであった。


結局、この日の戦闘は木星蜥蜴・地球連合双方に多大な被害を出して夕暮れ前に終了した。
元凶は言うまでもなくナデシコである。








そのナデシコブリッジでは本日の戦果──もとい被害の確認が始まっていた。

「この戦艦1隻でいくらするとお思いです!?」

見るからに新造艦とわかる戦艦が地上で黒煙を上げている映像を背に、プロスペクターは声を荒げる。

「あ、あれ私が落とした」

「あのね。あのジキタリスはこのナデシコより高いそうで」

悪びれもせず答えるイズミにプロスはいつもと違い噛んで含めるように言う。

「あたしも50機落とした」

「ヒカルにしちゃあいい出来ね」

「ただね……」

「ただ?」

ヒカルが眉根をよせ、リョーコが問い直す。

「よーく見たらみんな地球連合軍のマーク付けてたの」

「ただ──では済みません」

その場にいる皆にもプロスが感情を抑えようとしているのがわかる。

「僕は落とした数だけ言おう。78機だ。敵味方合わせてな」

「62機が味方です」

「あ、そう?」

なにやら胸を張って堂々と宣言するアカツキ。が、プロスに指摘され途端に冷や汗を垂らす。

「アキト、あなたはさっきから黙ってるけど?」

「え?あー、あのー。みんな程酷くはない。落とした味方はその…4つだけだし」

「4機?なーんだそれだったら──」

意外に少ない被害にユリカが胸をなで下ろしたところ、プロスが地獄の底から響く声もかくやと言わんばかりのバスを発する。

「すべて“最新鋭”の“戦艦”のみです」

「あ、はは、はははははははは……」

ユリカの乾いた笑いがブリッジにむなしく響く。
数はともかく、パイロットのあたえた損害額としてはほぼ確実に一番高い。

「みんな損害保険に入っているんでしょ?」

「当然です。しかし、お見舞い金ぐらいは払わなければならないでしょう」

胃が痛むのかみぞおちのあたりを抑えつつ、プロスはイネスの疑問に答える。

「ねぇ、カノープスさんは?」

その姿を自分のシートで頬杖しつつ見ていたミナトが、コミュニケ越しに最後のパイロットへ声をかける。
本人はなぜかエステに乗ったまま、ナデシコのブリッジブロック上に陣取って降りてこようとしない。

『12隻だ』

「「「「ええ〜!?」」」」

“隻”と言うからには落としたのは艦艇。しかも余裕の二桁にブリッジ要員だけでなくリョーコ等も非難混じりの驚きの声を上げる。
これでは今すぐにでもプロスの胃には大穴が空くに違いない。

『落としたのはカトンボだけだ』

「「「「おお〜〜!」」」」

さらりと続けたカノープスの言葉に、非難の声が感嘆の声へ変わる。

「一体どんなマジックを?」

『全部手動でやっただけだ』

「……」

至極 当然のごとく言い放つカノープスに、全員目を丸くする。
いかにIFSで意のままに操れるというのが売りのエステといえども、細かな制御はコンピューターがおこなっている。それすら戦闘中自分で行うのは並みのパイロットではできるはずがない。

『作戦中に故障だの何だの起きることは戦場で多々あることだ。被弾すれば何処かしら動かなくなる』

「うむ、まったくだ」

それまで一言も口をはさまなかったゴートが力強く頷く。

「奴の言うことは戦場に立つ兵士として常に想定するべきだ。生き残るのために最終的に信頼できるのは己の肉体のみ」

握り拳をつくりなにやら力説するゴート。ググッとその胸が盛り上がり、ワイシャツのボタンが引きちぎれそうに悲鳴を上げる。
この場にカノープスがいたら、ゴートは彼に暑苦しい握手を求めそうな勢いだ。

「「「「……」」」」

『……そこまでは言わないが』

「む、そうか……」

いかつい顔で頬を染めるゴート。
正直、不気味だというのがその場の皆が一様に抱いた感想だった。

『そんなことより、なにやら近づいてくるんだが?』

「え?」

カノープスの指摘で、モニターに地球連合軍の連絡艇が映し出される。

『ナデシコの武装はロックしているか?まさかとは思うが、攻撃したりしない──』

カノープスがセリフを言い終わらないうちに、オペレーターシートのルリが呟く。

「オモイカネやめて」

小さな手の甲に浮かんだIFSが光る。珍しく焦りの表情を浮かべる少女の願いもむなしく、ハッチが開きミサイル発射管から対艦ミサイルが放たれた。

「あーーー!?」

発射直後、まだミサイルがスピードに乗らないうちにカノープスのエステがレールガンを発射する。
ディストーションフィールド発生ブレードの真上でレールガンの弾芯に貫かれたミサイルは、ネズミ花火のようにクルクルと回りながら落ちていき地上で爆発した。

その間にナデシコに近づいた連絡艇に対して、今度は近接防御用のバルカンファランクスが起動して砲身を向ける。

『まったく!』

ブリッジブロックの上をローラーダッシュで走ったカノープスのエステが、イミディエットナイフを投げつけた。
見事にナイフは砲身を斬りとばし、バルカン砲が動きを止める。

「やれやれ、何とか──」

胸をなで下ろしたプロスの目に、勢い余って飛んでいったナイフが連絡艇の翼に突き刺さるのが見えた。








「プロスさんは?」

「請求書を見て泡食ってましたよ」

自室でオモイカネにアクセスしながらアリスが答える。

「なんとか上手くいったと思ったんだけどな」

「小さな事でも歴史は変えにくいって事の証明じゃないですか?」

「……そうかもな」

テンカワ・アキトの乗機から放たれたミサイルが、連合の燃料集積基地を破壊するのは防いだ。 しかし、戦艦4隻を撃沈したことで、最終的に彼が与えた損害はそれと見劣りしない額になっている。
さらに、カノープスの行動で連合の連絡艇は撃墜を免れたものの、乗っていた監査官のナデシコに対する心証はやはり芳しいものではなくなってしまった。
結局、彼らはオモイカネの書き換えを強固に主張し、まもなくそのための技官が到着することになっている。

「保険は利くから、あのときの貧乏暮らしは無いと思うけどな」

「……」

ホッとしたようなカノープスに対して、アリスは複雑な顔をする。

あのボロアパートの暮らしは、大事な思い出の一つでもあった。
出来ることなら、この時代のホシノ・ルリにも経験して欲しい。
そう思っているのだが、ユリカとの復縁を完全に否定したカノープスの手前、口に出せないでいた。

「……思うんだが、地球に帰ってから保険の手続きをしてない気がするな」

「え?」

聞き返すアリスの声にかすかに喜色が混じっていたが、カノープスは気付かなかったようだ。

「とにかく、予定通りいこう」

「はい」













連合軍の技官を引き連れ、ムネタケが部屋の入り口を開ける。

「それで?ここで書き換えをするの?」

「はい、あのヘルメットをかぶって直接オモイカネの記録領域にアクセスします」

「だそうよ。早いとこ始めちゃってちょうだい」

20人あまりの技官が部屋に入り、ヘルメットを次々にかぶる。
持ち込んだ端末を接続すると、彼らはオモイカネの初期化にいそしみ始めた。

「これで、この船は完璧に戦う船になるわけね。オホーホホホホ」

扇子片手に耳障りな高笑いをするムネタケを残し、技官を案内してきたアリスがそっと部屋を抜け出した。

「単純」

ボソッと呟き、アリスは部屋の入り口にあるバーチャルルームの表示が隠れていることを再確認する。
出迎えたアリスの美貌に鼻の下を伸ばしきった技官は、彼女の言葉を完全に鵜呑みにしていた。今日一日、彼らはバーチャル領域で無駄な作業に徹することになる。










オモイカネの記憶領域に赤紫のエステバリスもどきが出現する。

「うわぁ、すげぇ」

巨大な図書館がごとき情景に感嘆の声を上げたのは、ルリの懇願でオモイカネにアクセスしたアキトだった。

「私が案内します。まずはまっすぐ」

「おっし!」

現れた小さなルリを肩に乗せ、アキトバリスが移動する。
ひときわ大きな書棚を飛び越え上のフロアに出たところで、2人は奇怪なものを目にした。

フードを被った黒い影のようなものが書棚の中身を床に次々と引きずり出している。

「あれは!?」

「おそらく連合軍の書き換えプログラムです」

「じゃあ、やっつけよう」

ライフルを取り出すアキトをルリが止める。

「今はダメ。先にオモイカネを止めないと」

「よし!」

ルリの指し示す先にアキトバリスが移動し始める。
その後ろ姿を影が動きを止め見送っていた。










「なかなか順調です。他の船にもこういうシステムがあるのなら、我々の仕事もはかどるのですが」

「ウフフ、どう? なんたって地球で最新鋭の戦艦だからよ」

「さすがムネタケ提督」

「オーホッホッホッホ」

作業の進行が予定より大幅に進んでいき、技官の責任者は上機嫌である。
そして、彼のおべんちゃらにムネタケが高笑いをする。

彼らの目の前で、書き換え状況を示すグラフのバーが伸びていっていた。
実際は、オモイカネプログラム内の仮想フィールドで書き換え作業が行われているように見せかけているだけなのだが。

そのことに誰1人気づかず、居並ぶ技官達はバーチャルシミュレーターで書き換え作業を疑似体験し続けていた。










オモイカネの深層領域で、アキトはオモイカネの自己防衛意識が繰り出してきたゲキガンガー3をやっつけていた。
アキト秘蔵のドラゴンガンガーがゲキガンガー3を焼き尽くす。

「記憶修正完了。あとは書き換えプログラムだけです」

「わかった」

深層領域から最初の図書館に戻ってきたアキトが首を巡らすと、最初に見た影が別の書棚から本を床にぶちまけている。

アキトがイメージすると両手にミサイルランチャーが現れた。

「この野郎!」

叫びと共に放たれたミサイル群が影に向かい、爆発の閃光でその場を染め上げる。

「よし!」

爆風で影のまとっていたフード付きのローブが宙に舞い、地に落ちて──。

「立ってる?」

「え!?」

確かに爆発でボロボロになってはいるものの、フードをまとった影がちゃんと立っている。
その体を覆うローブの裾から腕が伸び、懐から2本の棒を取り出す。

ジャギン──

耳障りな金属音を立てつながった棒が、影の身の丈を優に超えた巨大な鎌へと変貌する。

フード付きのローブを纏い巨大な鎌を両手で持った姿は、あまりにもステレオタイプな死神のイメージを再現していた。

「なんかいかにも死神って感じですね」

ルリの言葉にアキトが自分の感想を言おうとした直後、音もなく影が襲いかかってきた。






「うわぁーー! のわーーー!?」

「アキトどうしちゃったの!?」

バーチャルシミュレーターのヘルメットをかぶったままのアキトが、奇声を上げ身をよじる。
その様子を見ながら、ユリカがウリバタケとルリに問いただす。

「連合の修正プログラムが襲いかかってきやがった!」

「プログラムって、そんな能力あるんですか!?」

「あるわけ無いんだが……」

不可解な事態にウリバタケが首をひねる。
その隣で、ルリがIFS端末に両手を置いたままかすかに眉根を寄せていた。




両手に持ったミサイルランチャーは、最初の大鎌の一閃で開きにされてしまっていた。

「くそっ!」

役に立たなくなったランチャーを投げ捨て、アキトはイメージでライフルを創り出す。
それも構えた瞬間、またも鎌の一撃で真っ二つにされる。
その直後、振るわれた鎌の勢いのまま一回転した影から回し蹴りが繰り出された。

「のわーーーー!?」

後ろへと蹴り飛ばされ、本棚の間を飛ばされていくアキトバリス。
通路上で2・3度バウンドしてようやく止まる。

「こうなったら──」

ゆっくりと自分に近づく影をにらみつけ、アキトが立ち上がる。

「──これでどうだ!」

飛び上がったアキトバリスの姿が大きく膨れ、ゲキガンガーVへと変わる。
さらにゲキガビッグが現れ、合体をしようとした。

合体までの数瞬の間に、風のように駆け寄った影にゲキガビッグがなますに切り裂かれる。
その光景に立ちすくんだアキト=ゲキガンガーVに刃が走り、四肢を切り飛ばした。

「テンカワさん!」

「!!?」

通路に落ちたダルマ状態のゲキガンガーVにルリが駆け寄り、衝撃に茫然自失となったアキトの意識を呼び覚ます。

「大丈夫ですか!?」

「……ありがと、ルリちゃん」

もとのアキトバリスへと戻り、通路の向こうでダラリと鎌をぶら下げた影をにらみつける。

「ルリちゃんは危ないから先に帰っていて」

「1人じゃ無理です!」

「だからって……来た!」

「テンカワさん!!」

ゆっくりと近づく影に、アキトが立ち向かっていく。
ルリはそれを見送るしかできなかった。




アキトが影との戦いを開始してから、すでに1時間半が経過しようとしていた。
最初は手にする武器をことごとく破壊され、大鎌の柄で殴られたり蹴り飛ばされるなど一方的だった戦いも、今は何とか半分は避けることができるようになっている。
それでも、アキトの攻撃が有効になったことは一度も無かった。

またも手にしたライフルの銃身を斬られ、アキトは顎をすくうように繰り出された鎌の柄を残ったストック部分で受け止める。
しかし、影は止められた柄をそのまま真っ直ぐ突き出し、アキトのみぞおちのあたりを石突で衝いた。

「ガッ!?」

攻撃を受け止め油断していたアキトが衝撃をまともに受け、床をのたうち回る。
ヴァーチャルとはいえ、かなりの痛みがアキトに襲いかかる。

「テンカワさんこれを!」

駆け寄ったルリが薙刀を差し出す。

「ありがと、ルリちゃん」

荒い息をつきながらアキトがそれを受け取る。

「うおおぉぉ!!」

薙刀を大上段に構えたアキトの突進を、影がユラリと迎え撃つ。
その無防備な胴体を一閃することなど容易いはずなのに、最初の大降りの一撃を影は大鎌で受け止めた。続くアキトの剣戟もやはり受け止める。
息を切らしつつも2合、3合と繰り出されるアキトの攻撃を、影は防戦一方でしのぎ続けていた。






「負けるなー!やっちゃえアキトー!」

「よーし、そこだ!行け!行けー!!」

「……」

現実世界でユリカとウリバタケが声援を送る中、ルリだけが静かに戦いを見守っている。

〈やっぱりおかしいです……〉

こちらからモニターを通して見る映像。IFSを通してその場から送られてくる情報。
この戦いが始まってから最初に感じた違和感は、アキトに薙刀を手渡してから半ば確信になっていた。

〈……修正プログラムじゃない!?〉

「テンカワさん、あれは──」

ルリが声を上げるのと、フワリと浮き上がった影が背後の風景にとけ込み消えるのと、そしてコミュニケウィンドウがユリカの目の前に開くのは同時だった。

『艦長、どちらにいらっしゃるのです? プログラム書き換えが済んだので、技官の方々がお帰りになられるそうで』

現れたプロスペクターが疲れた表情で告げる。

「え? あ、あれ? す、すぐ行きます」

『後部デッキでお待ちしておりますよ』

コミュニケが切られると、ユリカがウリバタケに確認する。

「連合の修正プログラムはどうなっちゃいました!?」

「あ? ありゃ、いつの間にか消えちまいやがった」

「じゃあ、オモイカネは?」

「ちょっと待て……」

端末をいじり、確認する。モニターを見ながら、ウリバタケは煙に包まれたような風に返事をした。

「なんか、データはほぼもとのまんまだな。テンカワの奴がオモイカネ相手に戦っている間に書き換えられているはずの所も書き換えられてないしな」

「そっか、それなら問題なしってことですね」

「まあ、そういうことになるな。データを検証してただけなのか? 使えそうなデータを残しておくつもりだったんなら解るが……」

ぶつぶつと呟くウリバタケを無視して、ユリカはルリへふり返る。

「よかったねルリちゃん」

「あ、ハイ」

その満面の笑みにルリもつられたように返事する。

「ま、何にせよこれで一安心ってこった」

「そうですね! あ、アキトお疲れ様」

「ん? あ、ああ」

元気いっぱいのユリカに比べ、バーチャルシステムのヘルメットをはずしたアキトの返事は歯切れが悪い。

「じゃあ、あたしはプロスさんのとこ行くからね」

「…わかった」

「あ、艦長」

急ぎ部屋を出て行こうとしたユリカをルリが呼び止める。

「なに? ルリちゃん」

「ありがとうございます」

入り口でふり返ったユリカに、ルリがぺこりとお辞儀をした。

「やだなールリちゃん、そんな堅苦しいことしなくても良いのに」

「いえ──」

『艦長』

「はーい、今行きマース」

プロスが催促の呼び出しをかけ、ユリカはバタバタと部屋を飛び出していった。
シートから立ち上がったアキトにルリがお辞儀をする。

「テンカワさん、ありがとうございました」

「あ、いや、そんな頭下げなくても」

ナデシコに乗ってから初めて見るルリの嬉しそうな顔に、アキトが慌てたように手を振る。

「……ちょっと、かっこよかったです」

「え? そ、そうかな。なんか一生懸命でさ、ゲキガンガーの格好とかしてみっともなかったかなって」

「一生懸命だから、テンカワさんに頼んで良かったって思ってます」

色白の頬を朱に染めたルリが微笑み、アキトは思わず視線をそらしていた。
素直に年相応の顔を見せられやましい意味ではなくそれをかわいいと思ったのだが、そう思ったところをルリに見られるのが何となくはばかれたのだ。

「俺も、オモイカネが元通りになって良かったよ」

ルリに視線をあわせられないまま、鼻の頭を掻きながらアキトは呟いた。










ウリバタケの部屋の様子を覗き見しながら、アリスはバーチャルシステムをシステムダウンさせているカノープスに声をかける。

「なかなかしぶとかったですね」

「それしかなかったんだ。このときの俺には」

真っ直ぐに。引くことを知らず。ただ目の前の壁に挑む。
それがテンカワ・アキトという人間だった。



プログラムを修正に来た連合の技官はバーチャル空間に導き、自分たちは疑似プログラムでもってオモイカネのプログラム空間内でアキトを待ち伏せする。
エステのシミュレーターでまったく鍛錬しようとしないアキトを鍛えるためにとった手段だった。



いつものゴーグルを付けずにヘルメットをかぶっていたカノープスは、背もたれに寄りかかり目を瞑る。

曲がったことが大嫌いだったとは言えない。ただ愚直なまでに何度も真正面からぶつかっていく方法しか知らなかった。
それが数年前の自分。

その果てに大切に思えたことを殆ど無くしてしまうとしても、それは痛いくらいまぶしく輝いていた。



フッと目を開け、自分の手の平を見る。

望む望まずにかかわらず、あの時から色々な技を手にした。
ここに跳んできてから、助けるべき人たちを得た。

コックのテンカワ・アキトがいくら自分の未来を望もうと、今 手にしているものを手放すわけにはいかない。

「もう、自分1人だけじゃない。みんなの未来もかかっているんだ」

拳を握り、自分に言い聞かせる。

強く──、剛く──、もっともっと。俺も──。テンカワ・アキトも──。







照れるアキトと、お辞儀をする過去の自分を見て思い出す。


うれしかった。


この時、初めてこのことを実感できたのだ。
きっとこれが初めての笑顔。ほんの少しだけど自分の最初の笑い顔だった。

色々な意味と思いを込めてウィンドウの向こうの人に呟く。

「ありがとう、アキトさん」


だから、この人は私にとって大切な人。
何年たっても、何があっても、それはこの時から変わらない。

だから──。


〈どうか幸せになってください〉

どれほど貧乏でも。どんなに苦労をしても。どのくらいつらくても。あなたの一番大切な人と。



──そばにいられなくても、私はそれを見せてもらえればいいのだから。













ミナトが食堂にやってきてカノープスとアリスを見つけた時、最初に感じたのは違和感だった。

「んんん〜〜〜?」

彼女にしては珍しく腕組みをして首をひねる。

「どうしたんですか、ミナトさん?」

「な〜んか違うのよねぇ」

ミナトの視線の先で、件の2人が6人がけのテーブルで向かい合って食事をしている。
どんなに食堂が混んでいようが、この2人と同じテーブルで食事に同伴しようとするクルーはいない。
それは今も同じで、ミナトが首をかしげている理由が一緒に食堂に来たメグミにはわからない。

「う〜ん……あ、そうか」

ポンと手を打ち、ミナトが分かったという風に声を上げる。

「普通に座っているのよねぇ」

「普通に…って最初っからあの2人いつでも一緒だったじゃないですか」

「まぁ、そうなんだけどね」

メグミの反論にミナトが苦笑を漏らす。
どうやら以前との違いにメグミは気づいていない様なので、ミナトは解説をする。

「ほらぁ、あの2人いつも隣に座ってたでしょ」

正確にはアリスがカノープスの傍にくっつくようにである。

「それが今日は向かい合ってるじゃない」

「そう言えばそうですけど……でも、それってなんか意味があるんですか?」

「え? あ、それは……あ、ははははは」

義兄妹の危ない関係を楽しみにしていたとはさすがに言い辛く、ミナトは笑ってごまかした。



「な〜んか、普通の兄妹になっちゃったわねぇ……ざ〜んねん」

メグミに続いて食券販売機へと歩きながらミナトは小さくぼやいていた。








アリスがやけにのんびりとした風情で食後のコーヒーを傾ける。

「今日はどうしたんだ?」

「たまにはいいじゃないですか。兄さんも疲れたでしょう?」

「……」

以前なら食事が終わるとすぐに自室へ引っ込んでいたのに、今日のアリスはやけに余裕だ。
彼女が何か考えているらしいとわかっていてもその内容までは分からず、カノープスはおとなしくそれに付き合うことにした。

昼時を過ぎた食堂はピークを終えて、人の姿もまばらになりつつあった。
ノホホンとお茶をしていたミナトも、先ほど去り際にカノープスに一声かけて出て行ったところだ。
落ち着かない気持ちでため息をつくと、カノープスも緑茶をすする。

スッとアリスの顔があがり入り口へ振り向く。
その視線を追うとアキトがルリと共に食堂に入ってきたところだった。








アキトが食堂の入り口をくぐって最初に目に入ったテーブルにアリスとカノープスがいた。
一瞬 傍にいたルリが立ち止まるが、いきなりアキトの腕をつかみそちらへと歩き出す。

「え? ちょっとルリちゃん!」

抗議を聞く素振りも見せず、ルリはカノープスの前までアキトを引っ張っていった。

「……」「……」「……」「……」

場にいる4人が奇妙な沈黙をつくり出す。
最初にそれを破ったのはルリだった。

「あの死神、カノープスさんですか」

「!」

「……」

確信の響きを含んだルリの言葉に、アキトの目が見開かれる。
対するカノープスは表面上何も変化を見せない。

「何の話だ?」

「とぼけないでください。あれはテンカワさんを痛めつけてはいましたが、武器は壊しても本体を斬ろうとはしなかった」

「そいつを痛めつけることと、俺がその役をやることがどうして繋がる?」

「何度もテンカワさんに言ってましたよね、パイロットの訓練をしろって。今日のあれも私たちの邪魔をすると言うより、戦い方を教えているみたいでした」

「……よく見ているんだな」

観念したようにも聞こえるカノープスのため息と言葉に、アキトが腕を伸ばしその襟をつかみあげる。

「あんた、なんであんなことを!」

「なぜ、お前はパイロットとして鍛錬しない?」

アキトの叫びに疑問を返しながら、襟をつかむアキトの手首にカノープスが片手を添える。

「俺はパイロットじゃなくてコックに──」

みなまで言い終わらないうちにアキトの体が宙を舞う。
綺麗に回転したアキトは、受け身をとることもなく背中からテーブルに叩きつけられた。

テーブルの天板を割る派手な音に、食堂にいたクルーの視線が集まる。

「今をよく見ろ。生き残らなければその夢もない」

「ガハッ、ゲホッゲホッ」

したたかに背中を打ちむせるアキトの惨状を無視して、カノープスが淡々と告げる。

「お前が今やるべきことは料理じゃ──」

そのカノープスの前にアリスが割り込み、立ち上がろうとするアキトの肩に手を貸す。

「兄さん、ちょっとやりすぎです。テンカワさん医務室行きましょう」

有無を言わせぬアリスの態度に、2人が食堂を出て行くのをカノープスが黙って見送る。
一緒に見送っていたルリがカノープスに向き直る。

「やっぱりそうだったんですね」

「……」

カノープスは何も答えない。もっとも今更答えることでもないだろうが。
このままここにいてルリによけいな詮索の機会を与えるのもどうかと思った時、背後から声をかけられた。

「やれやれ、今度の騒動はあんたか」

ホウメイの登場で口を開きかけていたルリが黙り込む。

「で、テンカワが何かしたのかい?」

「いや、何もしていなかったから」

「ふーん」

先ほどまでカノープス等が座っていた席にホウメイは座るとテーブルに頬杖をついた。

「そういやあんた、ナナフシ退治が終わった時もテンカワをぶっ飛ばしたって? 一人前にほど遠いとしても、ナデシコ食堂としては貴重な男手に怪我させちゃ困るんだけどね」

「今の心構えのままでは一人前になる前に戦場で死ぬ」

今はいい。リョーコ等にアカツキ、自分もいる。
だがナデシコを降りたあと襲い来ることがわかっている北辰に対して、あのテンカワ・アキトではいいように嬲られるだけだ。
そしてその先は考えるまでもない。

「あんた意外と若いんだねぇ」

「どういう意味です?」

カノープスの言葉使いにほんの少しルリが目を丸くする。
今までプロスペクター相手でも聞いたことのない丁寧な言葉遣いだったからだ。

「別に深い意味なんて無いんだけどね。いつ見ても落ち着いているから、もうちょっと年いってるのかとあたしが思ってただけさ」

「落ち着いている……か」

カノープスが口元に自嘲気味と思える笑みを浮かべる。
先のことを知っているから慌てふためくことがなかっただけなのだが、周りからはそう見られてたらしい。
自分としてはひたすら料理にのめり込んでいるアキトに内心かなりいらついて、落ち着いていられなかった。

「テンカワぐらいのやつにああいう風にいっても反発するだけだね。自分の意見ってのがしっかりする年頃だから」

「なら、アイツに何を言っても無駄ですか?」

「そんなことはない。ただ自分の意見・考えってのが出来たから、周りに意見されると自分のことを全部否定された様に感じてしまうのさ。反発してても頭ん中じゃちゃ〜んと解ってるよ」

ゆっくりと首を振りながらホウメイはカノープスに告げる。

「まだまだ子供なのさ。大人になってから、ようやく他人の意見を受け容れる度量ができるんだよ」

「それまで──」

待てるのかとカノープスは自問する。
自分の経験したとおりなら1年半後には北辰らが現れる。その前にアキトを鍛え上げなくてはならない。
懊悩するカノープスにホウメイは苦笑いしながら小さくため息をついた。

「それに気づいていないから、さっきあんたを意外と若いって言ったのさ。とりあえず、テンカワを壊さないでやっとくれよ」

「……」

「何に焦ってるか知らないけどさ……あんた、知らないんだね。人に教えるってことを」

ハッとしてホウメイを見返すと、彼女は失言したとばかりに顔をしかめていた。

「すまないね。あんたの昔を詮索するつもりは無いから、今のは忘れておくれ」

「いや、ホウメイさんの言ったとおりです。俺はこれまで教わるばかりだった」

本当にこの人には頭が上がらないとつくづく思い知らされる。
なら、テンカワ・アキトを鍛えるのは自分ではなくこの人であるべきだ。
体でなく心を鍛える師匠として。

そう心に決めて、ゆっくりと息を吸い吐く。

「俺にはあいつを強くできない。だから、お願いします」

「ちょっとまっとくれよ。あたしにゃ戦い方を教えるなんて──」

いきなり頭を下げるカノープスにホウメイが面食らう。
しがないコックに戦闘のプロたる傭兵がお願いすることではない。

「人生の戦い方なら俺なんかよりよっぽど経験がある」

「ん、まあ、そういう意味なら」

わかるけどねぇと困惑顔でホウメイは呟く。
それにしたって目の前の男の態度は大仰である。何だってこんなにテンカワに肩入れするのか。
その疑問もカノープスの言葉で消えた。

「あいつは昔の俺なんです」

「!?」

唐突なカノープスの告白にルリが首をかしげる。が、ホウメイは得心したように大きく頷いた。

「がむしゃらで周りを見ないでただ真っ直ぐ突っ走って。挙げ句の果てに全部を無くした」

「昔の自分に似ているから、その二の舞はさせたくないってんだろ。わかったよあたしでいいんなら」

「頼みます」

再度頭を下げるカノープスに困ったように手を振り、ホウメイは厨房に帰っていった。



肩の荷が下りたとばかりにホウと息を漏らすカノープスをルリが見上げる。
直情的なアキトとどこか斜に構えたような食えない性格のカノープスが昔似ていたということに、どうにもピンと来ないのだ。
とはいえ、オモイカネのライブラリによれば、何かひどく衝撃的なことがあれば人の性格も変わるらしい。それを思い出し、自分に納得させる。
何より、カノープスの告白で一瞬タイムマシンを連想した自分の考えよりも、その方がしっくりくる。

「悪かった、食事をしに来たんだろ?」

視線に気づいたのか、カノープスが話しかけてくる。

「今日は驚かせたお詫びだ。好きなのを食べてくれ」

「はぁ、おごり…ですか」

「ああ」

不意に手を握り、食券販売機へと引っ張られていく。
その手の大きさと痛くないように優しく握られた感触に、なぜかアキトの照れた笑顔を思い出す。

〈私、バカ?〉

「過去にやってきたカノープス」=「テンカワ・アキトの未来」を想像した自分の考えが恥ずかしいくらい馬鹿らしくなり、いつものセリフを自分へ言う。

そして繋がりかけた真実を、少女は頭の片隅から消し去ったのだった。






「……もういいよ」

「……」

食堂を出て最初の角を曲がったところで、アキトはアリスの肩から手を離す。
まだ背中は痛いし、後頭部を打ちつけたおかげで歩くのにも少しフラフラする。
それでもアリスに肩を貸してもらいたくはなかった。

「ごめんなさい」

「君が謝ることないじゃないか」

「……」

まただ、とアキトは思う。
お互いのことをそれほどよく知らないはずなのに、この子はこんな目で自分を見つめてくる。
それはどこか泣いているユリカを連想させる。

「兄のこと許してください。テンカワさんに戦場で死んで欲しくない一心なんです」

「だからって──」

「私もあなたには死んで欲しくないです」

これだけの美少女にこんなセリフを言われたなら、普通の男なら舞い上がっていておかしくない。
だが、アキトはいままで胸の内に収めていた不信感を露骨に顔に出していた。

「この戦争が終わった後、テンカワさんは一番大事なミスマル艦長と一緒に幸せになってもらいたいんです」

「なんでそんなことを言うんだよ?」

こんな子は知らない。会ったこともない。少なくとも自分はナデシコに乗るまで顔を見た憶えはない。そんな子にこんなことを言われる憶えはない。

「俺の何を知っているんだよ!?」

「ッ!」

アキトの叫びを目の前にして、アリスが下唇を噛む。

「みんなそうだ、戦え戦えって! そんなに俺はコックになっちゃいけないのかよ!!」

「そんなこと──」

「なんでユリカなんだよ! あいつはただの幼なじみで、あいつが勝手に俺が自分のことを好きだって言ってるだけじゃないか!! 俺はパイロットをしてあいつと結婚しなきゃいけないのかよ!?」

ひどく狼狽えた表情のアリスを前に、アキトは鬱積したモノを吐き出すように続けた。

「なんで自分の人生を他人に決められないといけないんだ!!」











気まずい雰囲気のままアキトと別れ、アリスが通路にポツリと1人佇む。

自分の一番古い記憶。
施設での学習。
どこか自分に似た子供達。
一度として触れてくれたことのない、ただ褒めるだけの実在しない両親。

その施設からオペレーターとするために自分を引き取った養父母。
自分の目の前で、スーツケースに詰められた金塊と引き替えにネルガルへ引き渡したあの養父母。

ナデシコに乗る前はわからなかったその意味。

最初から他人の手で用意された道を歩いていた。

『自分で手に入れた場所じゃないから』
だからそんなモノに価値がないのだとメグミが言っていた。

アキトがユリカと一緒になることを望み自分のとった行動は、あの施設の研究員や養父母と同じなのではないか。
自分が仕向けてユリカとアキトを一緒にしても、アキトが望んで手に入れたことにならないのではないか。


「もう一度だけ……」

あの3人での暮らしを望むのはエゴなのだろうか。

「エルシー?」

背中からカノープスに声をかけられる。
すぐに振り向けなかった。
グイと袖で目元を拭う。涙が出ていたわけではないが、そうしないと顔を合わせられなかった。

「……」

「君はあいつに何も言わなくていい。俺も言わないから」

「? どういう意味です?」

来るべき北辰との対決を有利にするため、アキトを鍛えるのだとカノープスは言っていたはずだ。 なぜ今になってこんなことを言うのだろう?

「あいつの鍛えなくちゃいけないところは体より心だからだよ。だからホウメイさんに頼んできた」

カノープスが腰をかがめアリスと同じ目線になり、ゴーグルを持ち上げる。
だが、アリスはうつむき目をそらした。

「たぶんそう簡単に歴史は変わらない。本人が変えようとしない限り変わらないはずだ。きっとテンカワ・アキトとミスマル・ユリカ、ホシノ・ルリはオンボロアパートで一緒に暮らす。君が望むように」

「私は──」



目の前のあなたがユリカさんともう一度一緒になるのを見たいから。そのためにこの時代のあなたとミスマル・ユリカの繋がりを強くしたかった。そうすれば未来のテンカワ・アキトであるあなたもユリカさんに気持ちが再び芽生えるかもしれないから。



「俺がこの先どうなるか、ユリカとどうするかわからない。それを見つけるためにもこのナデシコで自分が何をしたのか、何を考えていたのかよく見ておきたい」

顔をあげるとカノープスが柔らかい表情で自分を見つめていた。
何かを見つけたというより、背負っていた重荷を下ろしたかのような自然な感じ。

「……アキトさんがそう考えているなら、今のアキトさんとユリカさんには干渉して欲しくないってことですよね」

「そう──なるよ」

「わかりました……でも、私は…ユリカさんと3人でもう一度一緒にいたいってことは──」

躊躇いつつアリスが口に出しかける希望にカノープスが頷く。

「ああ……覚えておく」

「じゃあ、約束してください」

小さな声でそう言い、アリスが小指を差し出す。

「どんな答えを選んでも、ユリカさんにはちゃんと話してください。私の時みたいに黙って消えたりしないでください」

「約束する」

カノープスの指がからみつく。
その暖かい感触と冷たい自分の指に、アリスはうら悲しさを覚えたのだった。




第15話−了


次回、イツキが主役となります。あ、ジュンの出番が無かった……。

 

 

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代理人の感想

カノープス、成長するの巻。

やっぱり黒くなってもホウメイさんにだけは勝てないかー。

ま、らしいですな。