Spiral/again 〜auld lang syne〜  第16話







「テンカワ・アキトは?」

「例の食堂だ。しかし……」

月のトモナガの執務室にカノープスの姿があった。


先日、テンカワ・アキトはカワサキ・シティから月へとボソンジャンプで現れ、ネルガルに(担当者の弁によれば)保護されていたのだった。
それ以来彼はここネルガル施設内で尋問と検査のため拘束され、つい数時間前に用は済んだとばかりにここで食堂を営む一家のもとへと放逐されている。

「何か問題でもあったのか?」

「いや、君との違いにちょっとな」

口元に浮かぶ笑みをこらえながら、トモナガが訝しげなカノープスに答える。
頭では解っていても、同一人物と言うには目の前の男とあの青年は違いすぎる。そのギャップにトモナガは苦笑を禁じ得ない。

「エリナへは連絡が?」

「派遣されてきた調査員が本社へ連絡していたよ。かの女史の耳にはいるのは間違いないだろう」

「となるとクリスマスにはナデシコを降ろされてモルモット勧誘か」

右手を顎に添え、思案顔になるカノープスにトモナガは首を振る。

「そいつはわからん。ミサキともう1人が既に実験に参加することなく生き残っている。人体実験そのものが君の記憶と違っているのが現状だ。コック見習いのテンカワ・アキトがスカウトされるかどうか──」

「いや、あいつはナデシコが火星から還ってきた時の記録を調べていた。上昇志向の塊だったエリナがこの機を逃すはずがない」

疑問を投げかけるトモナガの言葉を遮り、カノープスは断定的口調で告げる。
個人的つきあいが皆無の自分より、色々な意味で深い関係だったカノープスの判断にトモナガは素直に首肯する。

「確かにそうだ。それで、どうするんだ?」

「どうもしない。既にクリスマスのカワサキ・シティから2週間の時間を遡行した人間がいる以上、ジンタイプが襲ってくるのは確定している。俺は約束通りあの娘を助けるだけだ」

「そう……だったな」

事前に警告できないかとあれこれ策動したトモナガらの行動は徒労に終わり、この時点でカザマ・イツキは何も知らないままナデシコに配属されるのが決定していた。
ただ助けるだけではその直後に死亡することがほぼ確定的であることはトモナガも知っている。そのための根回しが何も出来なかったことを彼は悔いていた。

「俺のことより、自分の方はいいのか?」

「やるだけのことはやった。考え得る状況に対応できるよう準備も済ませた。後は本番で死なないように神にでも祈るか」

「神? どんな神様だ?」

カノープスの問いには皮肉なニュアンスが含まれていた。
“火星の後継者”のモルモットにされたあの時、同じくモルモットにされた人々がいくら神に祈っても救われることはなかった。結局救いの手をさしのべてきたのはナデシコのかつての仲間達だった。
そんな経験を経て、カノープスに神様というものへの不信心が生まれてくるのに時間はかからなかった。もっとも元々さしたる信仰があったわけではないので“神”に対してあてこすった態度をとる程度だが。

「さあな。だが、それも必要ないかもしれん」

「?」

「うまくいく確信があるんでな。君が心配する様なことはないと私は断言してもいい」

「何を根拠にそう言えるんだ?」

トモナガの自信の理由がわからずカノープスは少し不安を覚えたようだ。問いかける声がわずかばかり震えている。

「君がいるから──では駄目か?」

「それは…俺のことを買いかぶりすぎだな」

「フン」

カノープスの返事が気に入らなかったのだろう、トモナガが鼻を鳴らす。

「自分を卑下するのはかまわんが、運命に逆らおうとする我々の立場からすれば弱気な態度は見たくない。望む望まないにかかわらず、君は我々の導き手だからな」

「俺は人の上に立つような器じゃない」

「ああ、十分わかっている。君が真っ直ぐ突っ走る後を私たちはついていくだけさ」

力無く首を振るカノープスの背中をトモナガは大きな音と共に手の平で叩く。

「言っただろう、君のフォローをやるのが私たちの役目だと。それで上手くいくと私は信じている」

壮年の男性に自信たっぷりに言われ、カノープスは不安を払拭されたかのように大きく頷いた。




「ところであのボックスはなんだ?」

カノープスが持ち込んだトランク3個分程の大きさのコンテナケースをトモナガは指さす。

「ここで発生していたドブネズミだ」

「ドブネズミ?」

「そう、ドブネズミだ」













海風が彼女の黒髪をなびかせ、ほんの少し機械油の混じった潮の匂いを運んでくる。
ヨコスカ・ベイにある連合宇宙軍の基地にあるドッグ目指して、白い船が波をかきわけながら進んでくるのを埠頭の端に立ちながら見つめる。
基地の外では何人もの市民団体がその船の入港に対して抗議行動をしているのが目に入った。

軍艦らしからぬ白地に赤いアクセントで彩られた奇妙な形の船。

これから自分が乗ることになる船を見ながら、彼女は以前戦場で見たエステバリスに思いを馳せる。
遠目に一度だけしか見たことのないあの戦いは脳裏に焼き付いて、一月以上たった今も鮮やかに記憶されている。
今日ついにそのパイロット本人と会うことが出来る。
そう思うと期待と不安に彼女の心音が高くなった。


その思索は背後から近づいた車に中断させられた。

「准尉、集合の時間です」

「ありがとうございます」

自分より年かさの整備兵の声に律儀にお礼を述べ、彼が乗ってきたジープの助手席に乗り込む。
ハンドルを握りながら運転席の上等兵は柵の近くまで来たプラカードを掲げた人々へ視線を送る。

「今日はやけに多いんですよ」

「そうなんですか」

「ええ、いつもはこれの4分の1以下なんですけど」

「そうですか」

「やっぱり今日入ってきた船が──」

ストッキングにつつまれた自分の足をじろじろと眺めながらやたらと話しかけてくる整備兵。素っ気ない返事を返しながら胸の内でため息を漏らす。
どこに行ってもこういう輩がつきまといウンザリしてしまう。

出来れば今日これから乗る艦には同じようなのがいないことを祈るしかない。

〈あのパイロットがそうじゃないといいんだけど……〉

もう一度黒いエステバリスを思い浮かべ、カザマ・イツキはドッグに入りつつあるナデシコを見上げた。









「ようこそナデシコへ」

連合宇宙軍の兵士一個中隊とイツキを引き連れナデシコに乗り込んできたハギワラ少将の前に、ちょびひげを生やしたにこやかな笑顔のメガネ男と仏頂面の大男が立ち歓迎の言葉を述べる。

「今回の通達に関して全権を任されたハギワラ・タカシという。連合宇宙軍少将だ。君が艦長か?」

「いえいえ、わたくし会計監査役のプロスペクターというものでして」

ハギワラは差し出された名刺を受け取り、かすかに眉根を寄せる。

「本名なのか?」

「まぁ、ペンネームと思って頂ければ」

プロスの言葉を胡散臭いと思っているのだろうが、ハギワラはそのような素振りをそれ以上毛程も見せなかった。

「ムネタケ・サダアキ大佐はどこだ?」

「ここですわ」

おかっぱ頭の男がハギワラの背後にいたイツキの目に入る。
軍人らしからぬ雰囲気の男は、ハギワラに崩れた敬礼をするとイツキに視線を移した。

「あんたが補充のパイロット?」

「は、カザマ・イツキ、准尉です」

「そ、優秀だって聞いてるわ。その言葉通り働いてちょうだい」

「イエス・サー」

イツキの敬礼に答礼も返さず言いたいことを言ったムネタケがハギワラに向き直る。

「この艦の連中はブリッジに集めてありますわ。口頭で通達するだけですむでしょうね」

「それならそれでかまわん。事を荒立てる必要がなければそれに越したことはない」

2人が背後の兵士達を見やる。
サブマシンガンに手榴弾をこれ見よがしにぶら下げた陸戦隊は、場合によっては実力行使を持ってクルーを排除する命令を受けていた。

「ブリッジに案内してもらおう」

「では、こちらのエレベーターからどうぞ」

軍人らの視線の意味に気づいているのかいないのか、相変わらず笑顔のプロスがハギワラの先に立って道案内を始める。

その後に続こうとしたイツキは、背後のハッチから自分のエステバリスが搬入されてくるのに気づき足を止めた。
トレーラーが止まると、とたんにナデシコの整備班と思われる連中が荷台から降ろそうと群がる。

「見ろ見ろ、正規の軍用バージョンだぜ」

「何だと?!」

「うお!? OSがバージョンアップされてるぞ」

「おぉーー」

どこか嬉しそうな声を上げながら作業を開始する整備班。
その1人がイツキに気づいたのか声をかけてくる。

「おーい、あんたこれのパイロットか?」

「はい、よろしくお願いします」

「後でこれの設定するからよ、時間が空いたら班長の所に来てくれ」

イツキが返事をするのを待たず、作業を再開する男達。その彼らの表情はどこか嬉しそうだ。

〈なんか子供みたい〉

新しいオモチャを手に入れた子供のように眼を輝かせながら作業する整備班を見て、イツキは吹き出していた。

「ちょっとあんた、何ボサーッとしてんの! さっさとしなさい!!」

「あ、ハイ!」

ムネタケにイライラした声をかけられ、イツキは慌ててハギワラ達の後を追う。
さっきの整備班の様子を思い出し、イツキは走り出しながら知らず思い出し笑いをする。その顔を見て、ムネタケは不機嫌そうに扇子を取り出し口元を覆ってぶつぶつと呟いていた。








資材搬入や点検整備に走り回る一部の人間を除いて、ナデシコブリッジのロワーデッキにクルーが集められている。
彼らの反対側、アッパーデッキ側に連合宇宙軍兵士を背後に従えたハギワラ少将とムネタケ、プロスペクターとゴートがいた。

「いつまでも軍艦のクルーが……民間人というわけにもいくまい」

「本来なら全員お払い箱だけど、今回は特別にあたしが──あたしのナデシコのために皆さんを軍人に取り立ててもらうようお願いしたわけ」

ハギワラの言葉に続けて恩着せがましくムネタケがのたまっている。

「誰が頼んだわけ?」

遠慮会釈もない少女の発言にムネタケの顔色が変わる。
おかっぱ頭がわめき散らす前にプロスが口を挟んだ。

「誠に心苦しいのですが……先日のオモイカネ暴走で地球連合軍にあたえた損害を計算いたしますと、このままですと皆様にお給料どころか逆に損害賠償を請求しなければいけないことに」

わざとらしく愛用の宇宙そろばんを取り出すプロスに続けて、すかさずハギワラが口を挟む。
どうやら彼もムネタケに口を開かせたくないようである。

「2週間前、月の軍勢力下で謎の大爆発が起こった。月面方面軍としてナデシコを再編することも考えられる。時間がないのだ」

「この艦を降りても不愉快な監視がつくだけですし──どうですここは曲げてご承知を」

背後に威嚇のため武装した兵士を引き連れながら、自軍の窮状をこぼすハギワラ。交渉ごとにまったく向かないタイプのようだ。
とは言え、ムネタケの方はさらに交渉に向かないことを承知しているプロスは、それに便乗して穏便に事を済まそうと言葉を尽くす。

「アキトさんはどうします?」

「俺? 戦争を仕事にしちゃうのはなんか違う気がすっけど──」

皆がどうしようかとざわめく場で、メグミとアキトの会話は大して目立つものではなかった。しかしムネタケはその場に響く大きな声でアキトのセリフをさえぎった。

「あー、あんたはいいの」

「いい?」

言葉の意味がわからずオウム返しするアキトに、ムネタケは勝ち誇ったように続けた。

「いつまでも素人にエステ任せるわけにはいかないの。で、このたび優秀なパイロットを補充することにしたわ」

兵士らの背後からイツキが進み出る。
背筋をピンと伸ばしたその姿は、その容姿とあわせて凛とした印象をクルーにあたえる。

「よろしくお願いします」

「じゃあ、アキトはコックに専念?」

ユリカも初耳であったのだろう、ムネタケに確認しようとした。

「こちらで調べたところ、テニシアン島やナナフシの際の単独行動など君は軍人としての資質に欠けるきらいがある。今後は民間人として銃後の守りに徹してもらいたい。もちろん監視はつくがね…」

どうにも人の神経を逆なでするムネタケの喋りが気にくわないのか、上官のハギワラがわざわざ答えてくる。最後の言葉にはアキトへの同情の響きすら含まれていた。

「ナデシコを……降りろってことっすか」

「ここはあなたの居場所じゃないってことよ」

突然の宣告に呆然と呟くアキト。さらに追い打ちをかけるムネタケの言葉にハギワラは顔をしかめる。
ショックを隠せないアキトの顔を見て、イツキの足は自然とその正面に向かい右手を差し出していた。

「お疲れ様でしたテンカワさん。こんなことになって残念ですけど、私たちが木星蜥蜴を打ち破った時にはきっと笑顔でお会いできると思います」

しばし面食らった顔をした後、アキトは笑みを浮かべてイツキの手を握りかえしてきた。
その邪気のない笑顔にイツキはわずかばかりの心苦しさと羨望を感じていた。

〈ああ、この人本当に“いい人”なんだ〉

「料理食べてみたかったです」

お世辞でもなんでもなく、きっとこの人の料理は気持ちよく食べられただろうとイツキは思い、我知らずそう付け加えていた。













プロスペクターという怪しげな会計監査役(そういうものが戦艦の役職にあることじたい奇っ怪だが)にナデシコ乗艦に際して諸々の説明を受け、イツキは私物を部屋に放り込んだ。
真っ先に艦長に着任の挨拶をすべきだったのだが、“将来に関わる大事な説得”とやらで艦長は不在。副長は今日のイベント設営で走り回っているらしく、こちらも捕まらない。
クリスマスパーティー準備と軍編入によるドタバタ。連合宇宙軍ドッグ入港と今後の整備、資材搬入でナデシコ内部は誰も彼もが走り回っている。
とにかくできることから済ませ、かつ個人的用事を優先するためイツキはエステの格納庫に向かうことにした。





エステバリスの格納庫に降りてきたイツキだったが、肝心の班長とやらがいない。聞けばこちらも今日のクリスマスパーティー会場設営にかかりきりらしい。エステの設定を先延ばしにするわけには行かないので、その場にいた整備班と共に班長抜きですませてしまった。

話をしていて、イツキは整備の人間というものを見直していた。
今までいた部隊では整備担当の兵はマニュアル通りの整備しかしてくれず、それが当たり前と彼女も考えていたのだが、ここナデシコの整備班は違っていたのだ。

「その設定はまずいだろ」「それだと反応が──」「こっちをこうすればどうだ?」「おお! いい!!」

「あの…この設定では駄目ですか? 前はこれで──」

「駄目だよな、それ」「ああ、スタビライザーをそうするならこっちを根本的にいじらないと」「どこのやつだ? そんなのを許したのは」「班長に見つかったら大目玉だなぁ」

搭乗するパイロット抜きで論議を繰り広げる整備班。
イツキが迂闊なことを口に出せば即却下。
それでいて『こうしたい』という要望に対してはトコトン応えようと皆で知恵を絞る。
とにかくパイロットが使いやすいように、機体性能を最大限引き出せるように妥協のない万全の整備を目指すのがここの連中のポリシーらしい。

良くも悪くも職人気質の人間が揃っているようで、最初に見た子供っぽい様子といい、面白い人間の集まりであるというのがイツキの感想だった。
イツキが格納庫に来た時も“牡”の視線で見る人間が皆無だったことも、彼女からの第一印象アップに役立っていたりする。

そうこうするうちに内容が煮詰まったらしく、整備班は一斉にイツキの乗機をいじり始めた。
その手際は一介のパイロットでしかないイツキにも明らかな程見事である。





「よう、新入り」

めまぐるしい整備班の働きをながめていたイツキは背後から声をかけられ振り返った。

目の覚めるようなエメラルドグリーンのショートカット。
メガネをかけた好奇心むき出しのクリクリとした目。
気怠げな雰囲気を纏った長い髪。

自分と同じ色の制服を纏っていることからエステパイロットであると窺い知れる3人の同性が立っている。

「俺はスバル・リョーコ。こいつはアマノ・ヒカル。こっちがマキ・イズミ。エステのパイロットだ」

「初めまして、カザマ・イツキです」

ショート娘が名乗ると共に他の2人を紹介する。
敬礼で名乗るイツキだったが、返礼はもらえなかった。軍隊にいた経験のある人間がいないため当然ではあるが。

「ねえねえ、ナデシコにくる前は何処にいたの〜?」

「極東方面軍でいろいろな場所を転戦していました。配属されたのがエステ部隊が出来てまだ間もない頃で、いいように使われてましたから」

「ふ〜ん」

見た目通りヒカルが好奇心で目を輝かせながら質問してくる。イツキはやはり律儀にきちんと答えた。

「一度、ナデシコと同じ戦場で戦ったこともあるんですよ」

「シベリアの方じゃねぇよな?」

「いえ、上海奥地でのチューリップ破壊作戦でです。シベリアってのは?」

「あっちで味方に攻撃しちゃってさぁ」

アハハとヒカルが乾いた笑いをこぼす。噂に聞く“無差別アタック”のことのようだ。
ナデシコクルーが軍属になるきっかけでもあるので、これに触れるのはもう少し親密になってからの方が良い。そう判断したイツキは話題を変えようとナデシコ配属前から気になっていたことを聞くことにした。


本音を言えば真っ先に知りたかったことである。


「皆さん機体のカラーは何色ですか?」

「俺は赤」「私きいろ〜」「水色よ」

ということはすばらしい連携で空中戦をしていたのは目の前の3人らしい。

「黒色の方は?」

「黒?」「アカツキさんは青色だしぃ」「いたかしら?」

ここへ来る前に会った、白い歯を輝かせつつロン毛をかき上げるナンパ男をイツキは思い出した。
自己紹介もそこそこに自分主催のクリスマスパーティーへ誘う姿は、取り巻きの女の子も含め苦手なタイプだ。
とりあえず命の恩人が別人だと判り、イツキはホッとしたものだ。

「もしかしてテンカワさんだったんですか?」

素人だと聞いていたのでそんなはずはないと思っていたのだが、もしそうならお礼を言い損ねてしまった。

「ああ、あいつはあれだ」

リョーコが顎で示した先にピンクとも赤紫とも言い難い色のエステが佇んでいる。

「あ、そうかカノープスさんだ」

ポンと手を叩き、ヒカルが声を上げる。

「ほらほら、アリスちゃんがさぁ──」「そういやあいつ先月まで真っ黒だったっけ」「ずいぶん前の話の様に思えるわ」

「あの?」

「ああ、悪ぃ。カノープスって男が最初黒いのに乗っててよ」

「一月かもう少しぐらい後だったかしら、派手に被弾してね。それから緑に乗ってるのよ」

そう言ってイズミが指さしたエステは、北欧のスコッチパインの森のように黒に近い緑で塗りたくられている。

「腕は一番いいんだけどよ。無茶なことばかりしやがる」

「リョーコにいわれたらおしまいだよね」

「うるせぇ」

ヒカルにからかわれリョーコがむくれた。

「それで、そのカノープスさんは?」

「さあ?」「提督の話の後、誰も見てないんじゃない?」「ここ最近たまに消えるわよね」

「そうですか……」

捜し人が判明したのですぐに顔を見られると思っていたイツキは肩を落とした。

「黒いエステがどうかしたのか?」

「え? ええ、その以前一緒だった戦場で助けてもらったことがあるんです。そのお礼を言おうと思って」

「ふ〜ん」

「まあ、目立つ格好してるし、いつもアリスちゃんが一緒だから会えばすぐわかるよ〜」

「さっきも言ってましたけどアリスさんって…?」

「彼女ですか」と口にしかけ、慌てて飲み込む。

「一応、義理の妹だって聞いてる」

リョーコの口調にはそれ以上踏み込むなというニュアンスがあった。
あの2人の関係を探ることはナデシコ内でもタブー視されつつあった。
それもこれも──

「でもねーすごかったんだよー、1回だけだったんだけどカノープスさんがやられた一月前のその時なんか」

「?」

「アリスちゃんってばもうすっごい取り乱しちゃって、泣きそうなのを必死に我慢してて〜」

「あれは見ているあたし達が可哀想だったわ」

「そう……ですか」

何となく、ただの兄妹でないことは察しがつく。落としていたイツキの肩がもう一段落ちる。
それと対照的にヒカルは楽しそうに続けた。

「本当に可哀想なのはその後なんだよ〜」

「大怪我でもしたんですか!?」

「うん、そう」

イツキが怪訝に思う程ヒカルの口調は明るい。

「ナデシコに還ってきたらアリスちゃんがそんなんでしょ〜? カノープスさんかすり傷で済んでたのにみんなに袋叩きにあっちゃって」

「み、みんな?」

「え〜と」

キョロキョロと周囲を見回すと、ヒカルは口に両手をそえて大声を出した。

「アリスちゃ〜ん、今日は1人でどうしたの〜?!」

ヒカルの声が響くやいなや、整備班が手にしていた工具を手放す。
工具が床に落ちる音にイツキが何事かと思うまもなく、一斉にカメラを取り出す整備班の面々。
手の平サイズの超小型カメラから、どこに持っていたのか30cm以上の超望遠レンズを備えた大仰なものまで様々だ。

「ほら、みんな」

「みんなですか……」

「うん、アリスちゃんを泣かせたってカノープスさんボッコボコ」

楽しそうに頷くヒカル。ガセだとわかり、ぶつぶつ文句をこぼしながら作業に戻る整備班。
その様子を見て、イツキは目を丸くするしかなかった。

「その後よ。その子が新しいエステに黒と赤は絶対駄目だって」

「それで緑に?」

「ええ」

それまで乗っていて被弾した黒の縁起が悪いと反対するのはわかるが、赤は何か意味があるのだろうか?

「まぁ、いつもそいつと一緒だから遠くからでもわかるぜ」

「うん、とにかくすっごく綺麗なんだよその娘」

「ヒカル、次のネタに?」

「ん〜〜、もうちょっと観察してからかな〜」

とりあえず捜し人はわかったし、無事にナデシコに乗っている。目立つらしいので探すのに苦労はしないだろうとわかりイツキはホッと胸をなで下ろす。
ただならぬ関係の義妹がいることと、“ネタ”なるものは気になるが──。

「あ、そうそう。イツキちゃんもクリスマス・パーティーでるよね?」

「へ? もしかしてアカツキさんの?」

相変わらず明るいヒカルの声に、思考に没頭していたイツキが現実に引き戻される。

「違う違う。艦長が主催の」

「あー、じゃあ出ようかな……」

アカツキ主催でないのなら問題ない。だいたい常識的に考えて男のカノープスがナンパ男主催のそちらに出るとも思えない。

「今日のはすごいんだよ〜。ホウメイさんが腕によりをかけて準備してくれるって」

「プロスのおっさんが三大珍味で予算がどうとか言ってたなぁ」

「世界三大珍味。その正体はセイヨウショウロの子実体、チョウザメの卵の塩漬け、ガチョウの肝臓」

「「ウッ」」

ボソリと呟いたイズミの言葉にリョーコとヒカルの顔色が青くなる。

「正体を知ったその衝撃は──ガチョウだけにガチョ〜ゥン」







イズミのダジャレのあまりの内容にこめかみに痛みをおぼえながら、イツキは格納庫を辞した。

「いいところに来たと思ったんだけど……」

通路を歩きながら口に出してイツキはぼやく。
先ほどの整備班のカメラといい、イズミのダジャレといい、今まで出会ったことのない衝撃だった。
ブリッジへ向かう途中、大きく開いた扉が目に入る。中からは楽しげなクリスマスの音楽が流れ出ていた。

入り口から中を覗くと、白い制服を着た人物が床に正座しながら折り紙をいじっている。
うつむいた横顔の頬からうなじにかけてほんのりと朱色に染まり、同性のイツキから見ても色っぽい。
白い制服と言うことは艦長もしくは副艦長に違いないと思い、着任の挨拶をしようと部屋へ足を入れる。

「失礼します。この度、ナデシコにパイロットとして配属されましたカザマ・イツキです」

相手は顔をゆっくりとあげ、トロンとした目でイツキを見上げる。が、それきり反応がない。

「……あの?」

「アオイさん、お酒弱いみたいです」

振り返ると銀髪をツーテールにしたお人形のようにも見える綺麗な少女が話しかけてきていた。
少女はぺこりとお辞儀をすると自己紹介を始める。

「どうも。ホシノ・ルリ。オペレーター。少女です」

「あ、初めまして」

つられてイツキもお辞儀したものの、少女の雰囲気はどこか奇妙だ。
ルリが右手に持ったグラスをクイとあおり、中に入っている炭酸ジュースを飲み干す。
整った顔を紅潮したほっぺたがかわいらしく彩った。

「こちらは?」

「アオイ・ジュンさん。副長です。艦長を思う人です」

「はぁ…」

やっぱりおかしい。普通、『〜を思う人』などと言わない。

「ついでに言うと、艦長にまったく気づいてもらえない影の薄い人です。しょうがないですよね、いつも影にばっかりいて艦長を支えていますから」

これもダジャレなのだろうか? とすると笑わないのは失礼かもしれない。かといってしゃれでも何でもなかったら笑う方が失礼だ。
真剣に悩もうとしたイツキの耳に派手な電子音が飛び込んでくる。

「フハハハハハ、見たか! 女の子は皆 俺様と相思相愛になるのだ!!」

高笑いのする方を見ると、お見合いマシーンに1人座ったメガネの男性がいる。
女性陣が座るとおぼしき全ての椅子の前から、男性の方へ向かって電球が点滅していた。

「あれはウリバタケさん。整備班の班長です。機械いじりと浮気が大好きです」

「う、浮気!?」

「このセイヤスペシャルねるとんマシーンにかかれば、たとえ何処に座っても女の子は全て俺様を指名するのだー!!」

そう叫び、隣の席へ移動するウリバタケ。同時に点滅する電極が流れを変え、ウリバタケのもとへ集中する。さらに隣へ移動するがやはり点滅する光はウリバタケの方へと繋がる。

「わーはっははははははっはははぁ……チクショー!! 女の子が1人もこねぇ!!」

高笑いが悲痛な叫びへ変わり、ウリバタケは傍にあったワインをラッパ飲みする。

「え? 1人もって」

イツキは横にいるジュンを振り返る。

「もしかして男性なんですか……?」

上気した綺麗な横顔にボーイッシュな女性かと思っていたのだ。
イツキの言葉が耳に入ったのか、座り込んでいたジュンがビンを片手に立ち上がる。

「どうせ僕は…僕は…ユリカのお友達なんだ〜〜!」

ポンと言う音と共にシャンパンの封を切ると、吹き出る炭酸をものともせず一気に飲み干す。

その様子を見ていたルリがグラスにジュースを注ぎながら淡々と呟く。

「ま、所詮無理があるんですよね。あの艦長にこのアオイさんじゃ」

「そうなんですか……って、駄目じゃないですか!」

イツキが慌てて少女の手からビンを取り上げる。
ラベルを見るとしっかり『アルコール度数 12%』の印字があるシャンパンだった。

しばらくイツキの手の中にあるボトルを見ていたルリだが、グラスをあおって注いだ分を飲み干す。

「子供がお酒なんて──」

「大丈夫です。子供じゃありませんから。私、少女です」

そう言うと、手近にあったお菓子をポリポリとつまみ出す。

「お酒を飲む時に空腹だとまずいですけど、こうやって食べればもっと大丈夫です」

「ワーハハハハハハハハ、……チクショー!」

「プハーッ! 主は来ませりーっ! 主は来ませリーっ!」

問題点のずれたことを言い、お菓子を食べ続けるオペレーターの少女。
高笑いと悔しさの雄叫びを交互に繰り返しながら、1人ツイスターゲームをする整備班々長。
シャンパンを一気飲みしてやけっぱちな歌声をあげる副長。

こめかみの痛みが収まるどころか、さらに偏頭痛をも感じてしまいイツキは頭を抱えた。






ルリに水を渡してベンチに休ませた後、ウリバタケの用意したパーティー会場を抜け出す。
オモイカネと名乗るAIが少女の面倒を見ると言い張り、イツキはすごすごと引き下がったのだ。


残りの男性2人は意識的に無視することにした。



ブリッジに向かう途中プロスとゴートに会い艦長の居場所を聞き出すと、食堂で開かれるクリスマスパーティーの会場にいるらしい。
久々に普通の会話ができ、イツキは胸をなで下ろした。ただしゴートの頭に生えた角と体を覆おう大きな鈴のついた着ぐるみは見なかったことにする。

ようやく会えた艦長はビキニスタイルのコスプレをしていたが、ここに至るまでいろいろ見てきたのでこれぐらいではため息も出ない。

「カザマ・イツキです。よろしくお願いします」

「……」

「あの?」

「あ、ごめんなさい。艦長のミスマル・ユリカです。これからよろしくお願いしますね」

丁重に頭を下げる艦長につられ、イツキも頭を下げてしまった。
顔をあげると、まじまじと自分を見つめる艦長の目と視線があう。

「何か?」

「えっと、その、以前どこかでお会いしたことありませんでしたっけ?」

「さぁ? 私は記憶にないですけど」

「う〜ん、何だろう? 確かにどこかで顔を見た憶えがあるんだけどなぁ?」

なおもブツブツ呟きながらユリカは考え込み始めた。
ほんの少しの間だったが、結局答えは出なかったらしい。ま、いいかという言葉で顔をあげ、艦長らしい顔になった。

「一応エステバリス隊のことはリョーコちゃんかカノープスさんに聞いてもらえるかな? あと、作戦立案と指示はゴートさんがすることも多いからゴートさんにも」

「わかりました。そのカノープスさんですけど、どちらにいらっしゃるかご存じないですか? まだその方には挨拶もしてないので」

「えーと、リョーコちゃーん!?」

周りを見回し、ユリカはリョーコを呼んだ。

「なんだよ艦長?」

「カノープスさん知らない?」

「あいつならさっきエステの所になんか持ち込んでたぜ。“ねずみ取り”とか言ってたっけ」

「ねずみ取り?」

おとがいに人差し指を添え、首をかしげるユリカ。

「あ、じゃあ、格納庫に行ってみます」

「今から? それなら話すんだら戻ってパーティー楽しんでね」

いそいそと歩き出すイツキにユリカが笑いかける。
それに頷くと、イツキは足早に会場のナデシコ食堂から飛び出していった。






エレベーターを降りた時、イツキの目の前に1人の男性が立ちはだかった。

自分の乗ってきたエレベーターに乗るのかと会釈をして道を譲ろうとした時、男が口を開く。

「カザマ・イツキだな」

「? はい」

真っ黒のスーツ。オールバックになでつけた髪。そして目と耳を覆うゴーグル状の物体。
おもちゃ箱をひっくり返したようなナデシコにあって、一目で異質なものとわかる外観。
それ以上に異様な雰囲気がイツキの肌に触れる。

「今日の戦闘、注意しろ。君は死ぬ」

「!?」

今日ナデシコに乗ってから──否、ナデシコの姿を見上げた時から浮ついていたイツキの心は現実に引きずり戻され、崖から突き落とされたような衝撃を受ける。

「な─にを──」

「木星蜥蜴は侵略してくる宇宙人じゃない。俺たちと同じ人類だ。これから戦う相手は血の通った人間だ」

エステバリスに乗ってから、死はいつも傍らにあるものだった。
今朝まで隣のベッドで寝ていた仲間が──。昼間一緒に歌った友人が──。数時間前に夕食を共にした上官が──。
自分の目の前で──。気づかぬうちに背後で──。地上で──。空中で──。
苦しみながら──。あっという間に──。血まみれになり──。跡形もなく──。怨嗟の声を上げながら──。恋人の名前を叫びながら──。

──一様に死にたくないという願いを抱いて。

私も死ぬ?

「──絶対に相手の懐に潜り込むようなまねをするな」

目の前の男の言葉など耳に入らない。
胸元に忍ばせたあの大隊長からの手紙を、服の上から握りしめていた。

あの部隊の仲間も小隊長も尊敬に値しない連中ばかりだったが、それでもイツキにとっては一緒に戦った仲間だった。
炎の中に消えた老隊長以下皆のためにも、イツキは死ねわけにはいかなかった。

「聞いているのか!?」

肩をつかむ腕を振り払い、右腕を力の限り振るう。


通路に派手な音と悲鳴のようなイツキの声が響いた。


「何なんですかあなたは!!」

瞳に怒りを込め、“死”を振り払うように、ありったけの力を込めて叫ぶ。

「初対面の人間に向かっていきなり! 私が死ぬ!? ふざけないでください!!」

男を突き飛ばし、前も見ずに走り出す。
呼び止める声は無視した。




「何やってんだよ?」

「いきなりはたかれるなんて、何言ったの〜?」

リョーコとヒカルの声にカノープスが振り返ると、パイロット4人がエレベーターから降りてくるところだった。

「どこから見ていた?」

「おめえが平手を食らうところからだよ」

呆れたように答えるリョーコに緊張していたカノープスが肩の力を抜く。
聞かれるにはまずい内容だったが、どうやらギリギリ聞かれなかったようだ。木星蜥蜴の正体などリョーコが聞いていたら、今頃詰め寄ってきている。

「ほら、出撃だぜ。カワサキ・シティに蜥蜴だとよ」

女性陣3人が走り出す。その後ろ姿をのんびりながめながら、アカツキが肩を叩く。

「君、ああいう子が好みなのかい? 駄目だよ、ああいう真面目なタイプに死ぬなんて言葉で気を引こうなんて。あの手のは──」

なにやら女性攻略法をしたり顔で述べ始めるロン毛。

「言ってろ」

お気楽パイロットを置き去りにして、カノープスも格納庫へ向け走り出した。













陸戦フレームから空戦フレームへ換装したため、カノープスは他の5機より後れて発進した。
カワサキ・シティ中心部の路上でようやくリョーコらに追いつく。
『以前助けてくれたことは感謝しています。ですが今はあなたの言葉は聞きたくありません』の言を最後にイツキへのコミュニケは無視されている。

「間に合うか?」

とにかく力ずくでイツキを助けるしか今は方法がない。その後のことはそのとき考えようと腹をくくる。





『何あれ? ゲキガンガー!?』

倒壊したビルの間をのし歩く二つの巨大な影。
ヒカルの疑問も当然である。木連の聖典たる『ゲキガンガー3』をモチーフに造られたジンタイプは、パイロットを含めゲキガンガーの現出を目標にしてもいたのだから。

「まず俺が出る。合図をしたら陸戦2機は背の高い方の足止めを。砲戦2機は後ろのやつを左右から挟撃しろ」

『おい待てよ!』

『僕はどうすればいいかな?』

「あんたは陸戦フレームの援護だ」

『だから待てって! グラビティブラストを使う以外相手がどんなのかわからないのに、おめぇは迂闊に突っ込むんじゃねぇよ!!』

リョーコの言い分はもっともだが、それはカノープスには当てはまらない。
が、それは説明できないし、説明なしで納得させるのは無理だろう。

「無理はしない。あの娘エルシーが泣くからな」

『チッ、わーったよ』

こういう時、リョーコの理詰めより直感で判断する性格は楽だ。感情論で納得してくれる。

リョーコとイツキ、砲戦2機が展開を終えた頃を見計らって、カノープスは先に立って歩くマジンの前を横切るように飛び出した。



空戦フレームのスピードに頭部口吻ビームで対応するマジン。
相転移エンジンの出力にものを言わせ、巨体から比すと細いビームはそれでも砲戦フレームの120mmカノン砲弾より太い。

「たちが悪い!」

真っ正面から貫くのではなく、自由自在に振り回しカノープスのエステを切断しようとするようにビームが迫ってくる。
“点”で襲い来る真っ正面からならエステのディストーションフィールドで受け流せるかもしれないが、“線”で攻撃されてはフィールドが持たない。

「やれ!」

ビーム砲の死角となるマジンの頭上を飛び越えながら合図する。
後ろのテツジンからのビームがエステの軌道を追いかけてくるが、さらにその頭上を飛び真上から頭頂部へラピッドライフルをばらまく。

同時に、カノープスの動きを追って振り返ったマジンの背中へ、ヒカルとイズミからライフル弾が集中した。
マジンのディストーションフィールドがふくれあがり、全弾を弾き返す。

「撃て!」

カノープスの声と共に砲戦フレームが左右から120mmカノンをテツジンへ送り込む。
しかしこれもディストーションフィールドで無効化された。

『散開しろ!!』

両ジンの胸部シャッターが開くのを見て、アカツキが叫ぶ。
マジンがヒカルとイズミのいる方へ、テツジンがリョーコのいる方へグラビティブラストを放つ。

『こいつら無茶苦茶だ!』

『堅固なディストーションフィールドにグラビティブラストか! まさか相転移エンジンを積んでるんじゃなかろうね!?』

所かまわずグラビティブラストを撃ちまくる2機のジンにリョーコが喚いている。
アカツキの声にも焦りが浮かんでいた。

「アカツキ、真上からだ!」

『オーケー! ヒカル君援護よろしく』

カノープスのかけ声にアカツキ機がテツジンの直上からライフルを撃つ。
マジンの方にはカノープスが攻撃した。

〈フィールドランサーが無いときついな……〉

フィールドを貫通できないラピッドライフルでは足止めにもならない。まさに立て板に水という感じで、ライフル弾がディストーションフィールドの表面を流れていく。

『新入り、突っ込むぞ!』

『ハイ!』

「止めろ!!」

『たあああぁぁぁぁー!!』

カノープスが制止の声を上げるが、お構いなしに突撃してきたリョーコ機がテツジンのフィールドに120mmカノンの砲口を押し当てる。

『フィールドが──何だー!!くらえーー!!!』

砲口から放たれた直後の砲弾の初速なら堅固なこのディストーションフィールドを突き破れる。
そのリョーコの直感は正解だが、ジンにはもう一つの能力があった。

リョーコの砲撃と同時に消え去るテツジン。

『なに!?』

リョーコの驚愕の声と同時に、たった今正面にいたはずのテツジンが背後へ現れる。
直後、ディストーションフィールドがリョーコの砲戦フレームをはじき飛ばした。

『リョーコー!!』

瓦礫に突っ込んだリョーコ機を援護してヒカルが放ったライフル弾が、直前にテツジンの消え去った空間をむなしく横切る。
ヒカルが惚ける間もなく彼女の機体の背後にテツジンが突然現れ、口吻からビームを放った。

ローラーダッシュで逃げ出すヒカル機をビームが追いかける。

『何あれ!? わけわかんないよ!!』

「落ち着いて! 私が前に出ます!!」

ジャンプを繰り返すジンにヒカルがパニックを起こしかける。
その彼女に声をかけながら紫の頭部を持ったイツキの砲戦フレームがテツジンへと走った。


初対面から失礼な男との会話はイツキを怒らせはしたが、仮にも恩人であると自らに言い聞かせ、戦闘が始まると彼女は努めて感情を抑え込んでいた。
先ほどからカノープスの声がコミュニケから届くたび、先のことを思いださせられてイツキの苛立ちがつのる。しかし今はパニックを起こしたヒカルの声がかえって冷静にしてくれた。
以前の不出来な部隊では戦闘中に仲間がパニックになることは日常茶飯事であり、それを収めるためにエースとして自分が冷静に対処せざるを得なかったのだ。


右腕のワイヤーを飛ばしテツジンの首に巻き付けると、それを巻き取る力と重力波スラスターとを併用して重い砲戦フレームをジャンプさせる。
胸元にとりついたイツキは120mm砲を立て続けにテツジンに浴びせた。

「繋がっていれば、いくら瞬間移動されても同じことです!」

操縦テクニックはもちろん、状況を見て即座に対応策をとれる機転は並みのパイロットではないと言える。しかし、ボソンジャンプの前ではこの行動は仇となる。


アカツキ、イズミと共にマジンの足止めしていたカノープスはライフルを投げ捨て、イツキのもとへとエステを飛ばした。

「早く離れろ!」

その声を無視してイツキの砲戦フレームはカノン砲を1発、2発と発射し続ける。

〈クソッ!!〉

自分の予想より早いタイミングに舌打ちをするが、今はそれどころではなかった。
イツキ機の背後に飛びつくと、アサルトピットの強制排出レバーを右手で掴みピットを引きずり出す。
反対の左腕で背部にぶら下げていたコンテナをピットの抜けたフレームへ放り込んだ。

カノープス機はアサルトピットを抱えて離脱しようとしたが、テツジンがジャンプ体勢にはいるのがわずかに早かった。

テツジンのディストーションフィールドが閉じて、カノープスの空戦フレームの両足とスラスターの下端を取り込む。そしてイツキの砲戦フレームと共にテツジンは消え去った。

スロットル全開で飛ぼうとしていたカノープス機は膝から下を失ってバランスを崩し、重力波スラスターの可変ノズルとエアブレーキ部を失ったことで崩れたバランスをとり戻すことも方向転換することもできず、ビルに激突した。




ビルの壁に激突し、さらに地上に叩きつけられたアサルトピットの中で、イツキは頭を振りぐらぐらする感覚を元に戻そうとした。
周囲を見れば、自分はフレームを失い、無様に損傷した濃緑のエステに抱きかかえられている。

もう少しであの敵を撃破できると確信していたイツキは、それをよりによって失礼なこの相手に邪魔されたことで瞬間的に頭に血が上ってしまった。
自分のアサルトピットを飛び出すと、相手のピットのハッチを強制開放する。

「どうして邪魔をするんですか! あなたは!!」

開口一番、叫んだイツキに対する相手の対応は、震える手で左の方を指さすことだった。

「なにを! ──!?」

不意に先ほどの敵が現れ、何かがその胸部からはがれ落ちる。
最初はそれが何かわからなかったイツキだが、すぐに自分の機体のなれの果てであることに気づいた。
エステバリスの中で一番装甲、フレームの頑丈な砲戦フレームが、薄っぺらい紙で造られていた様にねじれ、折れ曲がっている。

「そんな……」

「……適正を持たない…生物は、あのジャンプに……耐えられない」

荒い息をつきながらのカノープスの言葉にイツキが我に返る。

「……じゃあ、あのまま私が──」

「ああ……死んでいた…」

現れた敵もビルにもたれかかるようにくずおれる。

『カノープス! 新入り! 無事か!?』

『残った一体に集中攻撃!!』

アカツキの号令で残る4人が攻撃を開始する様子が伝わってくる。

『カノープスさん! イツキさん! 無事ですか!?』『義兄さんお願い、返事をして!』

ナデシコからの通信をうるさげに切るカノープス。

「気を付けろ……まだ、君が死なないと──」

「!?」

言葉途中でイツキにカノープスの体がぶつかってくる。
同時に舞い上がる土煙。したたかに背中を打ちつけ、息が詰まる。

気がつくと、カノープスが覆い被さってイツキの顔を覗きこんでいる。

「……怪我は…無いな?」

「! ハイ!」

ゴーグルで半分は覆われているとはいえ、間近で男性の顔をみてイツキの声が裏返る。

「ここを……離れよう……」

ふらりと立ち上がりかけたカノープスが、膝から崩れ落ち両手をつく。

「どうしたんです!?」

「ハァ……ハァ……」

イツキの目の前で、カノープスの右胸にじわりと赤い色がにじみ出てきていた。

「怪我を!?」

慌てて飛び起き、カノープスの背中を見たイツキが息を呑む。折れた鉄筋が一本右肩胛骨の下あたりから生えている。
その背後、先ほどまでイツキが立っていた場所に、ビルの給水タンクらしき物体がコンクリートの台座ごと落ちてきていた。

「しっかりしてください!!」

傷口を確認しようと、カノープスのパイロットスーツのナノスキンを解除する。とたん、イツキは再び息を呑んだ。

上半身くまなく覆う傷。縫合の跡。
特に首筋の傷跡は明らかに雑な処置をした痕跡をありありと残していた。

そして一際長い傷が脊椎に沿って首の下から腰まで、さらにその先は下半身のパイロットスーツの中に消えていっている。

「こんな──」

「テンカワ・アキトは……2週間前の月へジャ…ンプする……」

イツキの動揺を気にもとめず、カノープスは今まさにジャンプしようとする敵の一体とテンカワ・アキトの姿を指し示す。

「あれがボソンジャンプ……空間じゃない、時間を……移動する…術だ。俺は──ゴホッ」

「後でいくらでも聞きます! 今は喋らないでください!」

鮮血を吐き出すカノープスにイツキが声をかけるが、カノープスは止めようとしなかった。

「俺たちは…5年後から……この時間にジャンプしてきた。……テンカワ・アキトと──だ」

ゴーグルが落ちる。その下の素顔を見て、イツキは今度こそ言葉を無くした。
想像したこともない悲壮感をにじませたその顔は、あの朗らかな笑顔を見せて去っていった青年と同じ、テンカワ・アキトだったのだから。













『大丈夫!?』

「私は大丈夫です! カノープスさんを早く!」

ややもすると取り乱しそうになる気持ちを抑え、イツキはイズミの呼び声に答える。
気を失う前のカノープスの言葉通り、ゴーグルを戻し偽名を使う。

ナデシコにたどり着くまでの間、イツキにはイズミ機の手の上でカノープスの手を握りながら、祈ることしかできなかった。
着艦すると、待機していた医療班の手に委ねられ手術室へとカノープスは運ばれていく。




ほんの少しの間に受けた様々な衝撃に、イツキは放心したようにそれを見送っていた。

「大丈夫かい?」

「……」

心配したアカツキの声も、かえってこない返事に彼が肩をすくめたのも彼女は気づかない。




ふと気がつくと、緑の瞳が自分を正面から見つめている。

「義兄さんは無事なんですか!?」

小さくてけっして力強くない、それでいてはっきりとした声が耳朶を打つ。

「あ……、大怪我をして、いま手術室に──」

パシン!

乾いた音に格納庫の誰もが動きを止める。
はたかれた頬を抑えながら、イツキは彼女の声を聞いた。

「今の私にはあの人しか──。あの人に何かあったら、私はあなたを絶対に許しません」

歩き去るアリスの足音がイツキの心を何度も叩き、彼女は立ちつくしたまま頬と胸の痛みに耐えることしかできなかった。




第16話−了


コンテナの中身は月ドックのドブネズミたち。
当然ジャンパー処理をしてない彼らは……合掌(-人-)

 

 

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代理人の感想

うーん・・・・まぁ、しょうがないこととは言え不幸な出来事でしたねぇ。

分かっていてあそこまで激発するアリスもアレですけど。

さて、どうけりがつくか・・・・。