Spiral/again Anecdote-2 〜Dreams〜







Said A / Dream from A Relic





あなたに夢を

何も知らないあなたに

あの想いを知って欲しい










カザマ・イツキは腹を立てていた。
原因は目の前にいる義理の兄であるヒデトである。


はっきり言って、彼女は義兄に恋をしている。
多分にきっかけは父と彼の性格が似ていたことに起因するが、今やそれは些細なことであった。
初めて会ってからすでに2年あまり。イツキにとって好きの理由など口で言い表せることはできないぐらいになっていた。



自分の気持ちに自覚を持つようになってから、いや実はそれ以前から、それはそれは様々な方法で彼女はそれをアピールしてきている。
しかるに、その相手からはイツキのかけるモーションの意味をわかっているのかいないのか、ただ曖昧な笑みが返ってくるばかり。



最近はあまりに露骨であるが故、イツキは周囲から冷やかされることもしばしばだった。
もっとも彼女の行動が功を成していないと判ったとたん、冷やかしの視線は同情のそれへと変わる。



だからさっき学内で声をかけられた時 素直について行かなかったのは、あまりに唐変木で朴念仁で、女の気持ちに無神経で無頓着のこの大馬鹿者に腹を立てていたためであった。






「好きだ」

「……は…い?」

で、首から上を耳の先まで思いっきり真っ赤にして いきなり言われた言葉がこれである。

「その、イツキのことが──」



義兄さんが好き? 私を? ホントに?



半信半疑というか、自分の耳を疑うというか。しばらくの間そんな風にイツキの頭はまともに思考が働いていなかった。

「いきなりだってわかっている。ただ、今言っておかないと俺はきっと後悔する。──」



これはあれですか? 私の今までの行動が報われたって事ですか?



先ほどの腹立たしさも忘れ、イツキの頭の中は最初の衝撃から立ち直るや、うれしさで天にも昇らんばかりになっている。

「君は俺のことを嫌っているみたいだけど──」



ハイ?



「顔を合わせるたびに変な顔をして睨まれるし、話しかけても素っ気なかったりまともに答えてくれなかったりするから、よっぽど俺のことが嫌いなんだろうって──」



ナンデスト?



「けど、ちゃんと断られた方が気持ちに整理がつくって俺は思って──」



コノヒトハ ナニヲイッテマスカ? モシカシテ ワタシノカケテイタもーしょんヲ リカイシテマセンデシタカ?



ヒデトの言葉で冷や水をかけられた思考がストップする。
ゆっくりと言葉の意味を理解していくと同時に、イツキの怒りのボルテージが上がっていく。

それが彼女の沸点を超えるのに十秒とかからなかった。


「義兄さんのバカーーーーー!!!」


静かな秋の午後を揺るがし、イツキの叫びは全校に響き──いや、轟きわたった。










「で、それなの?」

「ウン」

あきれ顔の同期の友人達を前に、満面の笑みで答えるイツキ。
両腕はがっしりと義兄の腕を抱え込んでいる。

「父さんと母さんも認めてくれたし、兄さんの気持ちもわかったし」

イツキの言葉にヒデトが困ったように、どこか照れくさそうに頬をかく。
普段や教練時の超然とした雰囲気が感じられず、3人の同期生達はあっけにとられたように口を開けっ放しだ。

「いや、まあ、いいんだけどさ」

普通、真っ先に両親に報告するかぁ? と3人の中の1人マキエは思ったが、イツキの顔を見て黙っておくことにした。

「じゃあ、これから映画に行くから」

そう言う楽しそうなイツキと少しぎくしゃくした動きのヒデトを見送って、3人は三者三様にため息を漏らした。

「しばらくは見せつけられそうだな」

「ああ、やだやだ」

「……ぐす。カザマ教官、とられちゃったぁ」

1人がベソをかく。

「泣くなミキ。君が早く告白していれば違った結果だったかもしれないんだぞ」

「あんたも一緒だろ、リーザ」

「私のはあくまで好意に値する男性と言うレベルの話だ。マキエ、君こそ悔しいのだろう?」

「あたしもあんたと似たようなモンだ」

2人のやりとりを聞いていたミキが本格的に泣き始める。

「あーん、3人ともふられちゃったよ〜」

「「ふられてない!!」」













『本日のヨコハマ・シティにおける木星蜥蜴による被害は、交戦により撃墜された連合空軍の機体による──』

モニターに映るバッタやジョロ。
それを見つめる兄の横顔はなぜかひどく私を不安にさせる。

『現在の所、他の地区では木星蜥蜴の目立った動きは見受けられず、このことに関して連合軍の広報課は以下のコメントを──』

「兄さん?」

「? どうした」

「──ううん、何でもない」

ひどく遠い場所に兄がいる感覚。
すぐ隣に座っているはずなのに、どんなに叫んでも声の届かないところに行ってしまうのではないかという不安。

『続いて株価と為替の値動きです。今日のトーキョー市場の──』

木星蜥蜴のニュースが終わると、いつもの兄の雰囲気が戻ってくる。
黙ったまま兄の指に自分の指を絡める。

「?」

「……」

怪訝そうな顔をする兄へ振り向かず、テレビを見ながらポツリと呟いた。

「記憶が戻っても、どこにも行かないで」

「ああ、わかってる」

躊躇無く答えが帰ってくる。
それでも私は、消えない不安から絡めた指に力をこめた。









これは何だ?
あの機械を知っている。
あれを操る奴らを知っている。
この戦争の結末を知っている。

その後の苦痛を知っている。


それは何だ?
無人兵器なんて知らない。
敵の顔なんて見たこともない。
戦争は終わることなく続いている。

戦争が終わったらイツキと──。


「兄さん?」

「? どうした」

「──ううん、何でもない」




そうだ、この戦争が終わったらこの義妹と一緒になって“     ”をする。

? 俺は何をするつもりなんだ?

つややかな銀糸を揺らしながら     を吹き、ひまわりの笑顔で注文を聞く。

誰が?

エステバリスで猛り、好奇心にメガネを光らせ、悲しみをダジャレで紛らわせ。

いつ?

その美声を。その豊満な体に。その話術で。その厚い胸と太い腕と。

何処で?

技術屋の技とプライド。料理人の心と信念。陰に日向に助ける奉仕の精神。

医師として、秘書として、戦友として。

俺は誰なんだ?

『私は   の目、   の耳、   の手、   の足、──』

『    !!』

『   さん、帰ってきてください……』

君たちは誰なんだ?




『────替の値動きです。今日のトーキョー市場の株価は、先日のネルガルの発表により造船関連に買い注文が殺到し……』

いつもの幻視が霧散する。
いつもと同じ様に、霧散すると同時に今見ていたものは思い出せなかった。

気が付くと、左手にはイツキが指を絡ませている。

「?」

「……」

どうしてそんなに不安そうな顔をする?

「記憶が戻っても、どこにも行かないで」

「ああ、わかってる」

イツキと一緒にいたい。
それは偽りのない自分の心で。



思い出さなくてはいけないと何度も囁く声を押さえつけ、思い出したくないと何度も叫ぶ。



痛いくらい力を込め絡めてくるイツキの指を、離したくないと握りしめた。














「ハァ……ハァ……。もう一度、お願いします!」

『Ready……Go!』

つい先日導入されたばかりのエステバリスのシミュレーター。
授業開始から1時間が過ぎ、既に大半の生徒は激しい訓練に青色吐息で休憩をとっている。
そんな中、イツキは教官のヒデト相手に本日8回目の模擬戦を挑んでいた。

1分……2分……3分……

『Instructor──Win!!』

教官用の筐体からヒデトが悠然と出てくる。練習生用の筐体は開いたものの、イツキはぐったりとしたままシートにもたれかかっている。

「大丈夫かよ」

今までで一番長い対戦で消耗しきったイツキは、同期に差し出された手に掴まらないで筐体からゆっくりと出てきた。

「おいおい、少しは俺を……」

「トウヤ、私にアプローチしても無駄だって言ったじゃないですか」

「お前、こんな非道ぇしごきを受けてんのに何だってあのクソ教官に──」

「私が望んだことです」

イツキはヒデトのもとへ歩み寄り、手にした2本のドリンクの片方を手渡す。

「ハイ」

「ああ、ありがとう」

堅苦しい態度のイツキがヒデト相手だと途端に柔らかい物腰に変わり、後ろを付いてきていたトウヤが目をむく。

「……!」

「今のはどうでした?」

「戦い方は悪くはない。だが、ライフルのマガジン交換に隙が多すぎる。多数相手なら特に致命的だ。残弾を覚えておいて、時には少しぐらい残っていても交換するぐらいやるといい」

「はい」

無視された形になったトウヤだが、そんなことはお構いなしに指導をするヒデトと教授されるイツキ。

「むうううぅぅぅ………」

2人の様子を眺めていたトウヤが、拳を握りしめ唸り声をあげる。そして、彼は一気に爆発した。

「勝負だ、教官! あんたが負けたらイツキと別れりろやれ!!」

「トウヤ!?」

「……」

あっけにとられるイツキとヒデト。
一度言い出した手前引っ込みのつかなくなったトウヤはさらに続けた。

「俺が勝ったらイツキは、お、俺のモンだからな!!」






「いいのかイツキ?」

『だって卑怯じゃないですか。第一、──』

シミュレーターで対峙するのはパイロット候補生25名。
こちらはヒデトとイツキの2人。

『第一、兄さんは私が他の誰かのモノになっていいんですか』

拗ねたように唇をとがらすイツキ。
それを見てヒデトが苦笑を漏らす。

「それはものすごく嫌だな」

『そうでしょう!!』

ヒデトの返事に息巻くイツキ。

「なら、遠慮無くいくか」

『ハイ!!』




『なあ、リーザ、なんであたし等も参加してるんだ?』

『さぁな。トウヤが勝ったら君は本望じゃないのかマキエ?』

『とうに諦めたよ。ミキもそうだろ?』

『イツキちゃんすっごく嬉しそうだったもんね〜。私が勝ったら2人にまた付き合ってもらうよぉ』

やる気の感じられない会話が通信機から流れてきて、トウヤは憤慨した。

「おまえらちったぁ本気出せよ!!」

『なんでおめぇのわがままに俺たちが付き合わせられてんだよ!?』『やるならタイマンでやれ!』『いい加減ふられたんだから諦めればいいじゃないの!!』

すかさず、幾人もの同期生から反論され鼻白むトウヤ。

「だ、だってよぉ──。一回くらいあのクソ教官に勝ちたくねえかぁ?」

『それとこれとは別でしょう?』

「けど、イツキを撃墜できた奴はデートできるんだから、頼むよ」

『あたし等は女だよ!』

「く、訓練になるだろ」

『じゃあさ、じゃあさ、女の子は教官とデートできる権利にしようよぉ』

苦し紛れに答えるトウヤに、ミキの無邪気な提案が指し示される。
だが、皆の反応は鈍い。

『……』『興味ないんだけど……』『……あたしはパス』『あたしも』『私はそれでいいかな』

悩む者、早々に断る者など様々だったが、結局リーザの「実技の単位をもらえるというのは?」という提案で全員のモチベーションが何とかあがる。

「くくく、見さらせクソ教官め! イツキをたぶらかしやがって、正義の鉄槌を喰らいやがれ!!」

トウヤの叫びと共に2対25の模擬戦がスタートした。






「…何なんだよ2人とも……」

「教官だけじゃなかったぁ」

シミュレーターの筐体から上半身をグッタリと乗り出したトウヤが呆けた声を漏らす。
その下ではペタリと床に座り込んだミキがベソをかいている。

死屍累々としか言いようのない光景がシミュレータールームに広がっていた。

開始12分でパイロット候補生25名は撃墜されている。
全員緊急脱出できず戦死と判断されたため、シミュレーターで十数秒シェイクされたうえで解放されたのだ。

さらに終了後、ヒデトの「おまえ達全員、休日補習!」という一言でとどめを刺されていた。

「トウヤ、これで諦めてくれますか?」

「……ちきしょう、何なんだよあれはイツキ」

ゆっくりと近づいてきたイツキに、トウヤが恨めしそうに呟く。

「そんなに腕を上げてるなんて冗談きついぜ」

「だてにあの人に何度もしごかれていないんです」

「そこまでしてあいつといつも一緒にいたいのか……」

ブツブツと言った言葉にイツキは眉をひそめた。

「わかりませんか? 兄さんと私が教官と生徒の関係である以上、私が普通の成績のままだったらどうなるか。きっと他の教官達も候補生達も、依怙贔屓されてその成績だと考えるんです。ただのトップとかなら尚更。だから誰にも有無を言わせぬ技術を身につければ後ろ指を指される心配もないし、何よりも兄さんを心配させることもないんです」

「……」

イツキの話にトウヤは返事を返さなかった。かわりに小さく舌打ちをする。

「トウヤ?」

「そんな苦労してまであいつの女になりたいのかよ。同じパイロット候補生と付き合えば気楽に恋愛を楽しめるってのによ」

俯いたトウヤの顔を覗きこもうとしていたイツキが顔を強ばらせる。

「わからないですか」

「ああ、わかんね」

「それなら尚更です。私とあなたの関係でこれ以上を望むのは無意味です、ハシモト・トウヤさん・・

きびすを返したイツキが冷たく告げて、狼狽えるトウヤに一瞥もあたえず歩き去った。
自分とイツキの関係に致命的なくさびが打ち込まれたことをトウヤが自覚したのは、その後ろ姿が消えてからしばらくしてからのことだった。













太陽の日差しは真上から容赦なく降り注ぎ、陽炎と逃げ水が道路にかぶさる。
その通い慣れた道の先、自宅の方角に黒煙が立ち上っていた。

「3号車、右手の墜落現場へ。パイロットの保護を優先。住民の避難もだ」

『了解』

「2号車、4号車、左の崖上とその下へ。やることは同じだ」

『イエス・サー』『ラジャー』

パイロット候補生が乗った車は同じ連合軍機の墜落現場へと向かわせ、ヒデト自身の乗った車は木星蜥蜴の落ちたと思われる方角へと向かわせた。
現場の少し手前で止めると、ライフル片手に飛び降りる。

「イツキとタニグチはバックアップ。気を抜くな、実戦だ」

「「ハイ!」」

ひどく慣れ親しんだ銃の重みとグリップの感触。
──そんなはずはない。ここで暮らし始めて、銃を握る機会などそうそう無かったはずだ。

瓦礫の落ちる音。軋む機械のうなり声。
塀に背中を押し当て、突入のタイミングをはかる。

「1,2の3!!」

目に飛び込んでくるのは倒れた義母の姿と、黄色に塗られた丸っこいボディ。
燃えさかる炎を背にした赤く光る4つの目。

倒れた人の体と赤い目が──。

──炎の中で折り重なる人々の死体と足音を立てて近づく赤い目が。

『あたしねアイって言うの』

『アキト、アキト、アキトォ!』

『ありがとう、テンカワさんの思いこみって素敵です』

思い出したくない。俺は──。

『アキトは帰らないんですか?』

『1人でいくのねアキト君……』

『またお別れね、“お兄ちゃん”』

なんのためにここに来た! 俺は──。



「記憶が戻っても、どこにも行かないで」

イツ…キ…………お……れ…は…………。






「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

初めて聞く叫び声を上げて、兄さんは手にした銃をバッタに撃ちまくる。

ガチンという音でライフルの咆吼が止まった。

「ふーぅ、ふーぅ、ふーぅ」

兄さんの荒い吐息と。

“ガチン!” “ガチン!” “ガチン!”

引き金を何度も引く音だけが響き渡る。
バッタは頭部を粉々にされて、とうに動かなくなっていた。
それでも、兄は引き金を引き続ける。

「兄さん……?」

かけることのできた声は小さく。振り向いた顔は表情が無く。
ライフルを取り落とし、私の方へ2・3歩よろめいた兄が膝をついた。

「イツキ……ちゃん」

私のおなかに顔を埋めて泣きながら漏らした言葉に、私は大事なものがなくなったことを悟っていた。










長い長い話だった。

焚き火にくべた木からはぜた火の粉が暗い空へ舞い上がる。

目の前の炎は冷えた心を温めてもくれなければ、冥い未来を照らしてもくれない。

舞い踊る明かりが影を作る義兄の横顔は知らない人のようだった。



そう、知らない人だった。



テンカワ・アキトというその人は。
コロニーを墜とし。人を殺し。自分さえ殺して。

そして私の知らない女性ひとを愛していた人。



いつの頃か焚き火へ木ぎれをくべることをやめ、憑かれたように話していたその人が口を噤む。
空が白々と染まっていく。
新しい朝。けれど私にはなんの希望ももたらしてくれない夜明け。

「俺はナデシコに乗る」

立ち上がり、そう宣言する背中にかける言葉が見つからない。
かける必要もないのかもしれない。「カザマ・ヒデト」ではない、「テンカワ・アキト」には。
私の大事な人はもういないのだから。

「これでお別れだ。君に会う事はもう無い、イツキちゃん・・・

「そう…ですね……テンカワ・・・・アキトさん・・・・・

ザリッと地面を踏みしだく足音と共に、私の背後へとその姿が遠ざかる。

「ナデシコには絶対に乗るな。おまえは戦争が終わるまで生き残ってくれ」

「……兄…さん?」

振り返れば、拳を握りしめた“義兄”の後ろ姿があった。

「俺のことは夢だと思って忘れてくれ。……今までありがとうイツキ」

「──!」

遠ざかる背中。一歩も動けず、呼び止めるための言葉も、すがりつくための指も私はもてなかった。









「イツキ、大丈夫か?」

「トウヤ……」

走り寄る姿にその名を呟くイツキ。

「やっぱりあいつ、おまえになんか言って行きやがったのか!」

「……あの人は行ってしまったの…」

右の拳を反対の手の平に打ちつけてトウヤが犬歯を剥き出しにする。

「いきなり辞表を出して、ネルガルに行くんだと。様子がおかしい上にイツキのことを聞いてもまともに答えやしねぇ」

「そう……ネルガルに」

「? なんだよおまえに一言も無しなのかあいつ!?」

肩を掴むトウヤの腕を振り払おうとしないイツキ。噛みつかんばかりに接近したトウヤの顔を避けるように俯き、顔を背ける。

「戦争、生き残れって。それと自分のことを忘れろって。……ありがとうって言ってた」

「はぁ? なんだよそれ!?」

「兄さんは兄さんじゃなくなったの。私のあの人はもういないの」

「わっけわかんね!!」

肩を掴んでいた腕が、涙をにじませているイツキの襟元をつかみあげる。

「あいつの事なんて全然わかんねぇし、おまえの言ってる事もわかんねぇよ! 俺がわかってたのはおまえが半端な気持ちであいつと付き合っていたんじゃねぇって事だけだ!」

そのままイツキを引きずり上げて立たせると、トウヤはさらに喚いた。

「生半可な覚悟でいたんじゃねぇだろ!? でなきゃあそこまで腕を上げられっこねぇんだ!! そんなに好きだってのにその態度はなんなんだよ!?」

「……トウヤにはわからない、私が何を知ったか──」

「当たり前だ! さっきから言ってるだろ、俺が知ってるのはおまえがあいつのことを誰よりも好きだって事だけだ!!」

「トウヤ……」

「だから、さっさと追いかけて行っちまえ!」

襟首を掴んだままイツキを自分の乗ってきたジープへと引きずる。
助手席に強引に押し込むとハンドルを握るマキエを見る。

「こいつの行きたい場所まで頼むぜ」

「ヒデト教官のいる所の間違いだろ?」

不敵に笑うと、マキエがジープを急発進させる。

「トウヤ!?」

「あいつを捕まえるまで帰ってこなくていいぞ!!」

狼狽えるイツキにそう叫び、トウヤは気が抜けたようにその場にへたり込んだ。

「あー腹立つ」

あぐらをかき、空を見上げる。
その視界にミキの笑い顔が入った。

「エヘ♪」

「……なんだよ?」

「君にしてはなかなかいい男っぷりだったな」

横合いから声をかけられ慌ててそちらを見ると、リーザが小さくなったジープを見送っている。

「お、俺だっていつまでもガキじゃねぇんだよ」

「せっかくのチャンスだったものを」

リーザの言葉にトウヤがムッとする。

「それじゃ駄目なんだよイツキには」

「入学から1年以上かけてようやくそれがわかったのか」

「うるせえ……」

皮肉にトウヤの語気が弱々しくなる。

「……俺はガキでクソ教官は出来る大人で、イツキは俺よりあいつの方が良くってどうしようもねえ。今更俺が少しぐらい大人になったって敵わないモンは敵わないんだ」

悔し涙を滲ませるトウヤ。

「ちくしょう、俺が出来るのはこんな事ぐらいだ」

「そうだな」

ちらりとその顔を一瞥すると、気づかなかった風に歩き出すリーザ。

「私は先に帰る。君は気が済むまでそこに居ればいい。教官達には適当に言っておく」

「……わりぃ」

片手を挙げて歩き去る後ろ姿に、涙を我慢しながらトウヤは謝る。

「おまえも先に帰っててくれないか? かっこわりいからよ」

未だそばに佇むミキにトウヤはそう声をかけたが、彼女は動こうとしなかった。

「かっこわるいかな?」

「ばっ、──かっこわりぃだろ」

トウヤの答えにホニャっとした笑顔をミキが見せる。

「あたしもねしょっちゅう泣くんだぁ。泣くとね、嫌なこととか悲しいこととか涙と一緒に流れていっちゃうの。だから泣くのって格好悪いなんて思ってないよ?」

「男が人前で泣けるかよ」

「でもさぁ1人で泣いてるともっともっと悲しくなっちゃうんだよ?」

そこまで言うとトウヤと背中合わせに座わり、「エイ」っと言う声と共にコツンと後ろ頭を背中に押し当てる。

「だから、一緒にいてあげるね」

トウヤが小さな声で再び「わりぃ」と呟く。それにミキは明るい声で答えた。

「ウン、泣いちゃえ」









「ありがとう、トウヤ……」

疾走するジープの上で涙を拭うイツキ。
その顔を見ることなく正面をにらんでいたマキエが尋ねる。

「ネルガルにか?」

「ううん、兄さんは一度病院に行くはず。母さんが昨日怪我したばかりだし、あの人が父さんと母さんに黙っていなくなるはず無いもの」

「ほんとか? 律儀だな、ヒデト教官」

あきれたような感心したような顔をするマキエ。
その横顔を見ながら、イツキは誇らしげな表情をした。

「それが私の兄さんなの」













ヨコスカ・ベイのドックで白い船を感慨深げに見上げるイツキ。
ナデシコが地球を発って一年あまり。ようやく乗り込む日が来たのだ。



あの日義兄と別れてから、様々なつてを頼ってその後を追おうとした。
だが、ヒデトの根回しによってイツキはパイロット養成校に縛り付けられ、配属となった時にはナデシコが火星で行方不明となって数ヶ月過ぎた頃だったのだ。



エステパイロットとして多大な戦果を挙げたイツキは、その功績がためにナデシコへの配属願いを聞き入れてもらえるかたちとなった。
それは皮肉なことに、ナデシコに来ないことを願っていたヒデトに鍛えられた操縦技術があってのことだった



濁った目をしたおかっぱ男の口上でナデシコクルーの前に進み出たイツキは、真っ直ぐにカザマ・ヒデトの前へと歩を進める。

「……」

ゴーグルをしていてもなぜナデシコに乗ったのかと怒っていることがありありと伺える。
そう。わかるのだ。他の人はわからなくても。かつての妻がわからなくても。自分は目の前の人のことがよくわかるのだ。

「どう──」

パキッ!!

どうしてと疑問を投げかけようとした義兄を、右のフック一振りで黙らせる。

「あなたが約束を破ったからに決まってます」

「約…束?」

ニブチン。鈍感。唐変木。朴念仁。
過去を思い出しても何処にも行かないという約束をすっかり忘れ去った相手に、思いつく限りの罵詈雑言を浴びせたくなった。

「わからないなら思い出すまで文句は言わせません」

そう言って踵を返すと、艦長:ミスマル・ユリカに型どおりの挨拶。
握手するために伸ばされた右手を握りかえした時、はっきりと宣言した。

「あの人は私の大事な半身で、お譲りすることはありませんので」

「ふえ?」

言っていることがわかるはずがない。けどこれはイツキの宣戦布告だった。
テンカワ・アキトの過去と、自身の運命への。










あなたに夢を

何も知らないあなたに

あの想いを知って欲しい



何度でも何度でも

あなたに夢を













「ねえ、ジュン君」

「なんだいユリカ?」

ヨコスカ・ベイのドック目指してナデシコが進む。
連合軍の勢力下に入り警戒態勢がとかれた艦内では、カノープスらパイロットと索敵班のアリスの姿は現在ブリッジにはない。
そのアッパーデッキでユリカはボーっと前を見ながらジュンを呼ぶ。

「ジュン君は夢って覚えてる?」

「ゆ、夢?」

「ウン」

ユリカは未だ覇気のない様子で前方を眺めている。
一方、ジュンはその顔を赤くしていた。

〈僕の夢は……ユ、ユリカと──〉

小さい頃初めてユリカに出会って抱いた慕情は、ジュンの中で独り大きく育ち、「結婚」「幸せな家庭」など様々な実を結実している。
現実に実を結ぶかはなはだ疑問であるが。

「ぼ、ぼぼぼ僕の夢は──」

「あたしねこの頃毎晩同じ夢を見るんだ」

「毎晩? 夢?」

激しく詰まりながら口を開きかけたジュンの決意は、ユリカの茫々としたセリフでくじかれてしまった。

「いっつもね同じ夢なの。でもね朝になると全然思い出せないんだ。同じ夢だって事は覚えているのに」

「えっと、それは……」

「すっごく胸が苦しくて、何度も泣きそうになって、でもとっても幸せな人の夢」

「あら〜、それって恋煩いみたぁい」

ミドルデッキからミナトが声をかける。娯楽の限られる戦艦暮らしで、他人の恋愛話は最高のエンターテインメントと化す。

「え、そ、そうかな? そう言えばアキトも出てきたような」

「また、テンカワ……」

一気に頬を赤くして両手をそえるユリカ。
嬉しそうなその様子にジュンがひとり不幸に転落する。
もうひとり、メグミがフグのようにふくれあがった。

「同じ夢を見るって事は艦長の心の奥の願望が全然、まったく、少しも叶えられていないって事ですよね」

「え、そ…そうなるのかな?」

「そうですよ。アキトさんが出てくる恋の夢が願望なら、現実にはアキトさんと艦長は恋人でもなんでもないって事じゃないですか」

「ア、アハハハハハ……」

あからさまに自分の都合の良いように解釈するメグミ。
メグミのふくれっ面を見て、ミナトが乾いた笑いと共に冷や汗を流す。

「えーー! そんなことないモン! アキトは私のことが好きなの!!」

「その割には五月蠅いとか邪魔するなとか、ユリカさんしょっちゅう言われてますよね」

「嫌よ嫌よも好きの内って言うし──」

天然と嫌みをやりとりし、口げんかとは言えない調子で応酬をしあう艦長と通信士。
その会話をBGMに鼻歌交じりでナデシコを操縦する操舵士と、忘れられひとりさめざめと泣く副長。

「実に平和ですな」

「全くだ」

緑茶をすすりながらのプロスとゴートの言葉が全てを表している。
そしてオペレーターの少女はため息混じりに呟く。

「ホント、バカばっか」















Said B / Mother's Dream






これは夢。

昔の夢。

私が今より弱くなかった頃の夢。






「初めまして、あなたがルリちゃん?」

新しいパイロットが挨拶をしてくる。

「ハイ、オペレーターのホシノ・ルリです」

「カザマ・イツキです。義兄さんがお世話になりました。これから私もお世話になります」

「はぁ、よろしく」

ご丁寧にお辞儀をしたイツキさんが、しげしげと私をながめてくる。

「うん、思った通りだった。良かったら艦内の案内をしてもらえますか?」

「少しの間ならかまいませんけど」

「じゃあよろしくお願いします」

なぜオペレーターの自分に頼んだのか、この時はよくわからなかった。
ただ単に自分が子供だから頼みやすかっただけなのだと思ったのだ。








「今日はこれもね」

イツキさんの一言でナデシコ食堂での食事に1品付け加えられる。
小鉢にはレバーの炒め物。
チキンライスにこの組み合わせはおかしいのじゃないかと思ったが、抗議しても

「ルリちゃんは育ち盛りだから」

の一言で却下されるのが目に見えているので諦める。

「確かにルリルリはちょーっと偏食気味だけど……」

私の向かいに座ったミナトさんが視線で取り合わせが変だというサインを送りますが、イツキさんは平然としたもので

「これぐらいやらないとこの子は食事が偏りすぎですよ」

とのたまってくれた。

「そ、そうなんだけどね。量多くない?」

「いえ、大丈夫です」

「もう少し食べて、ジムで体動かしたらもっといいんですけど」

イツキさん私をパイロットにでもするつもりですか?

「まぁ、ルリルリの運動不足は今に始まった事じゃないしぃ」

「オモイカネのオペレーションってけっこうエネルギーを消耗するんです。食べた分は消費してますから運動はいらないと思いますけど?」

「今のうちにこの辺に筋肉を付けるとスタイルが良くなるんです」

くすぐったいから食べてる最中に背中や腰に触るのはやめてください。

「そうねぇ、そしたらルリルリ将来モデルさんとか出来そうよね」

「この年ぐらいからドンドン牛乳を飲めば胸も大きくなるでしょうか?」

「ん〜どうかしら? あたしの周り牛乳好きで胸のおっきい娘って居なかったから」

「じゃあ、ミナトさんはどうしてです?」

「さぁ?」

困ったように笑いながら首をかしげるミナトさんをイツキさんはながめていました。

「とりあえず〜、正しい牛乳の飲み方を教えるってのはどうかな?」

「足は肩幅に?」

「そうそう」

「左手は腰で?」

「うん、ビンは上に45度まで一気にね」

「じゃあ、今日の風呂上がりに」

「もちろん」

嬉しそうに笑う2人。
ひたすら無駄な知識を楽しげに確認しあう光景に、いつものセリフを言う気にはなりませんでした。







「おしまい」

プロスさんが困っていたようだったので、ちょっとオモイカネのプライバシー制限をいじらせてもらいました。
プロスさんではありませんが艦内に秘密が有ってはいけませんよね。

『結論から言うわ。木星蜥蜴は百年前に追放された──』

『された?』

『地球人よ』

つながった部屋にはエリナさんとアカツキさん。そしてムネタケ提督。
プロスさんも悪人ですけど、エリナさんはそれ以上のわるです。

「ルリちゃん」

「なんでしょうイツキさん?」

珍しくアッパーデッキにイツキさんが上がってきています。

「オモイカネいじったんでしょう?」

「はい」

私が頷くと耳に口を寄せてきました。
その目はかなり真剣です。

「今回は事が事だから目をつぶりますけど、あまり他人の部屋を覗いたら駄目ですよ?」

「わかってます」

ナデシコで一番モラルについてうるさいのはイツキさんではないでしょうか。
規則にうるさいのはもちろんプロスさんですが、こちらに関してはイツキさんあまり細かいことは言ってきません。

「イツキ、この子もわかっている。あまりうるさく言わなくてもいいだろう」

「それぐらいわかってます。もう、ここの人って誰もルリちゃんに世間の常識を教えようとしないじゃないですか!」

いつの間にか背後にお兄さんのヒデトさんが現れ、イツキさんをたしなめます。
途端に普段のイツキさんらしくなく頬をふくらませて文句を言い出しました。
他の人と違い、ヒデトさんにはイツキさん遠慮のない態度をとりますね。
それに対するヒデトさんの様子もいつもと違い普通の人っぽい感じです。

「ナデシコだからな」

「あはは」と笑ってこの一言。

不意にこの前見せられたホームドラマ仕立てのアニメを思い出しました。

いたずらをする子供。口うるさくしかる母親。泣き出した子供を父親がかばい、そんな父親に母親があきれかえります。

そんなチープな定番ドラマに、今自分が当てはまってしまっているなんて笑ってしまいそうです。

それでも今でも夢に見る顔を覚えていない父、母に比べれば、ひどく現実的で安心してしまいます。

「オモイカネ、ここは父親の背後に隠れるべき?」

【回答不能。あなたの発言はひどく説明不足です、ルリさん】

「それもそうですね」










「本当は父と母の3人家族だったの」

暇を見つけては話しかけてくるイツキさん。

「3年ぐらい前に兄さんが家に転がり込んできて」

きっと話をするのは得意じゃない人だと思う。

「いつの間にかその…好きになってて……」

一緒にいて楽しいとか嬉しいとかそういう感じじゃなくて。

「結局、兄さんから告白されたんだけどあんな性格だし」

色々教えてくれますけど、先生とか先輩とかそういうものとも違って。

「色々あって別れて。でも離れたくなくてあの人を追いかけてナデシコに乗ったの」

《姉》?

それも違うような気がします。

《母》

……これが正しいのかもしれません。

子供との関係に四苦八苦している母親──だって私は普通の子供らしくありませんから。



普通の子供じゃ無かったから──。













いつものようにアキトさんの横で目を覚ましました。
あのアパートと同じ川の字です。

違うのはアキトさんの向こうにユリカさんがいないこと。
アキトさんと私が、カノープスとアリスであること。

私が失うことに臆病になったこと。
とても弱くなったこと。

「人が怖くなったこと……」

だから、私を守ってくれるアキトさんに依存する。
だから、私の幸せだった頃の“家族”をもう一度創りあげようとする。

そのためにアキトさんとユリカさんを一緒に──。



窓の外は雪。
クリスマス・イブの今夜、ヨコスカ・ベイでサンタのくれるプレゼントに“幸せ”を願うのはいけないことでしょうか。






Anecdote-2 〜Dreams〜 −了


過去話その2。
ミキあたりは気に入ってるんですが、イツキの同期生たちは今回限りの登場です。

 

 

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代理人の感想

甘酸っぱいなぁ(爆)。

どうもこういう話を見てるとヒロインよりも当て馬の野郎に目が行く事が多いというか・・・

イエ、ジブンデケイケンシタコトガアルワケジャアリマセンヨ?

ミキは私も気に入ったので、再登場なし宣言はちょっと残念。

いい女の素質あり、なんですねぇ。

でも、これも何回も続いてるループのひとつにしか過ぎないんですよね・・・なんか切ない。