機動戦艦ナデシコ
時の流れに
…if
〜CROSSROADS BLUES〜
第二話
「INVISIBLE KID」
その事件の幕開けは、実に唐突だった。
「それでは、機動戦艦ナデシコ、火星に向かって…」
この一ヶ月の研修中に、有能な点をしっかりアピールし、クルーに艦長として認められたユリカが、ナデシコの航路を設定しようとしたその時…
「そうはさせないわよ!」
副提督が突然、艦長に向かい、銃を向けたのであった。
「………ムネタケ、どういうことだ?」
ブリッジクルーには民間人が多い。オペレーターのメグミやルリは、銃を見るのも初めてだろう。とっさに血の気が引くのも、無理の無いことではある。
比較的に冷静だったのは、従軍経験のあるゴート・ホーリ(先回いなかったのは、アキヒトの尾行をしていたため)氏と、荒事慣れしているフクベ提督だけであった。
「提督も耄碌されたようですわね! 主砲の威力が未知数だとしても、これほどの新技術を満載した戦艦を、みすみす民間に引き渡せるとお思いなのですか?」
副提督は、提督を蔑んだ瞳で見た。提督の枯れた瞳が、突然光を帯びた。
「君は私と同じで、有能とはいえないまでも、無能ではない軍人だと思っていたが、私の見込み違いだったようだな。」
副提督は、虚を突かれたような表情を見せたが、すぐに先程までの表情に戻り、告げた。
「ええ、見込み違いですとも。これから私は、“有能”な軍人になるのですからね! ほほほほほほ………」
その頃、食堂では、これまた深刻な“事件”が起きていた。
喧嘩、である。
発端は、食堂に食事に来ていた健啖家約二名と、某コック兼パイロットの会話であった。
「よぉ、テンカワ。お前、パイロットとコック、どっちが本職だ?」
これを問うたのは、ヤマダである。この二人(といっても、話を振るのはヤマダだけだが)は、この一ヶ月の間で、アキトとは(表面上は)仲良くなっていた。
「うーん… どっちだろ?」
アキトは、腕を組み、考え込んだ。
「どっちでもいいがな、俺たちの職分には、手ぇ出すなよ。」
これはアキヒトの台詞である。アキトは彼の台詞を聞きとがめた。
「どういうことだ?」
アキヒトは、アキトの台詞を皮肉げな表情で返した。瞳は、えらく冷めている。
「言ったとおりの意味だよ。貴様に手ェ出されると、身入りが減るんでね。」
アキヒトは言い切ると、番茶の入った湯のみを手に取った。
アキトは、彼の胸倉をつかんだ。その瞳は、怒りに満ちていた。
湯のみから零れた番茶が、アキトのエプロンに茶色の染みを作った。
「お前は、“そんなこと”のために戦ってるのか!!」
アキヒトの冷めた瞳にも、炎が走った。
「“そんなこと”? 一番重要なことだろうが! 金のために戦って何が悪い!」
アキトは、平手でアキヒトの頬をはった。
「金のために、人殺しをするのかよ!!」
アキヒトの瞳が、再び冷める。
「貴様がどんなにご大層な“大義名分”を抱えているか知らねぇがな。俺は、見ず知らずの他人のために命ハれるほど、人間できちゃいないんでね。」
アキヒトの拳が、アキトの顎に直撃した。
アキトは、思わず手を放してうずくまる。
「“他人”の命なんか、知ったことかよ。俺は基本的に自分本位なんだ。………ちっ、本気で殴りやがったな。」
唇が切れて、流れ出した血を拭った。
アキトは起き上がりざま、アキヒトの鳩尾に向かい、底突きを繰り出した。
アキヒトは、スウェーバックでよけると、アキトに向かった。
アキトは口の中に溜まった血を吐き、言った。
「俺は、お前の考えを認めない。認めるわけには、いかない。」
アキヒトは、それに対し、嘲笑で答えた。
「俺は、やりたいことを一つに決められねぇ奴に、負ける気はねぇよ。」
「…どういう意味だ?」
アキトは、本気で構えた。なんとなく、背中に蒼銀の光が見える。
「言ったとおりの意味だよ。それにさ…」
アキヒトはアキトの殺気に対し、笑顔で答え、続けた。
「お前、何人殺した?」
返答の代わりに、アキトの拳が、アキヒトの顔面に炸裂した。
吹き飛ばされたアキヒトが、テーブルを二、三個倒して静止した。
「アキヒト!!」
ヤマダがとっさにアキヒトに近づいた。脳震盪を起こしている。
救急班を呼ぼうとしたところに、完全防備の軍人が突入してきた。
さしたる抵抗も無く、食堂は確保された。
『地球連合宇宙軍提督、ミスマルである。』
ブリッジに突然、通信が入った。
「お父様!」
銃を向けられていることも忘れて、ユリカは叫んだ。
『おおっ、ユリカ!』
突然の大声に、大半のブリッジクルーが耳を押さえた。(この時点で、誰しもムネタケを忘れていた。)
『しばらく会わないうちに、大きくなったなぁ。ユリカ。』
「やだ、お父様ったら。一昨日、お会いしたばかりですわ。」
『そ、そうか、そうだったかな。』
いきなりの家族の会話に、クルー全員の目が点になる。てか、研修中に家族とあってたのかよ。
「それで、何の用件ですの?」
ようやく、話が実務的な方向に向かってきた。
『うむ、そうだったな。機動戦艦ナデシコ、地球連合宇宙軍提督として命令する。直ちに停船せよ。』
「提督」の顔になったミスマル提督が言った。
「どうしてです? お父様?」
ユリカが、「艦長」の表情で言った。それでも、父の呼び名を変えないところが、ユリカらしいというところだろう。
『残念だが、連合宇宙軍には、強力な戦艦をみすみす手放すほど余裕がない。』
既に、ミスマル提督の瞳は、娘を見る瞳ではない。職業軍人の瞳である。
「お父様。」
ユリカの瞳に、父を見る色が加わった。
『なんだ?』
ミスマル提督の瞳には、娘の言動をいぶかしむ色が、多分に含有していた。
「今からそちらに赴きます。詳しい話は、そちらで。」
大半のブリッジクルーは、その後、食堂に押し込められた。
現在ここにいないのは、クルーの制止を振り切ってマスターキーを抜き、敵艦に乗り込んでいったユリカと、そのお供を仰せつかった、プロスとジュンだけである。
脳震盪を起こしていたはずのアキヒトは、何故か復活していた。
アキヒトとヤマダは、研修中も(土木工事中で)ブリッジクルーと顔をあわせたことは無かったので、初顔合わせとなる。
「ヤマダ・ジロウだ。宜しくな。」
といった感じで、ヤマダは普通に挨拶をしたのだが、アキヒトは、
「………(汗)」
何故か、メグミとルリに対して、腰が引けていた。
「あのー、どうかしましたか?」
見かねたメグミが、アキヒトに尋ねた。
「!?(滝汗)」
身体が、ピクンと反応した。
「あー、メグミさんっての。こいつさ、女性恐怖症なんだわ。」
ヤマダが代わりに答えた。
「「じょ、女性恐怖症?」」
メグミとハルカが、ハモった。
「……別に男好きってワケじゃないかんな。」
アキヒトが、ぼそっと言った。
アキトは、反対側でルリとなにやら話している。メグミは、落ち着かない様子で、そちらをちらちらと見ている。
「ついでに、ハルカさんは大丈夫っすよ。」
アキヒトは答えた。ハルカは、虚を突かれた表情をしている。
「なんつーか、俺の“お袋”に似てるんすよ。雰囲気とか。」
ハルカは、苦笑いをして言った。
「あ、あんまり素直に喜べないわね。お母さんに似てるって言われるのって。」
アキヒトも、それに対し、苦笑いで返した。
「ああ、俺のホントの“お袋”じゃないっす。育ての親って所かな?」
ハルカは、なんとなく納得した様子だった。
彼らの後ろで、誰かが立ち上がった気配がした。アキトだ。
「ブリッジを奪還する。ゴートさん、付き合ってくれ。」
何も言わず、のっそりと立ち上がるゴツい男性。どこからどう見てもゴートだ。
「アマガワ、ヤマダ、来るか?」
アキトは、ヤマダとアキヒトに問うた。ヤマダは苦笑で返答した。
「悪リィ、俺たちはお前を信頼できねぇ。」
アキトは眉を顰めた。何故か、ルリも同じ表情をしている。
「お前さ、俺たちが上でドカチンしてる間、何してた?」
アキトは即答した。
「厨房で料理、だが?」
ヤマダは、また笑う。
「俺とコイツはさ、パイロットの職務ってやつを遂行していたわけよ。コイツの言い方を借りれば、たいした給料にもならないのに、だぜ。」
一息つき、続ける。
「でもよ、お前はその間、厨房で料理をしていた。別に悪いとは言わんよ。でもな、義務も行わずに、美味しいところだけを盗っていくのは、正しい行為とは言えないんじゃないかい?」
アキトには返す言葉は無かった。ヤマダは、アキヒトを指差して続けた。
「俺たちは格納庫を制圧してくる。ブリッジは任せるよ。」
アキトは、アキヒトたちに背中を向け、走り出そうとした。
その背中を、アキヒトが呼び止めた。
「一つ、忠告しといてやる。」
アキトが、その場で静止した。
「“世界にクセは数あれど、優柔不断ほどの悪癖はない。不幸にはなっても、決して幸福にはなれないからだ。” ………俺の“親父さん”の口癖さ。」
その頃、ユリカは、
「ゆ、ユリカ、いい加減に話を聞いてくれないか……」
食べていた。
ここは、艦内のミスマル提督の私室である。
「お父様、この海老のような味のお肉、何のお肉なんですか?」
「ああ、それは太平洋あたりに生息するツインテー……… いや、そんなことはどうだっていい!」
ミスマル提督、親の威厳形無しである。
ユリカは、料理に落としていた視線を上げた。その目には、艦長としての色が濃かった。
「お父様、テンカワ・アキトくん、って覚えていますか?」
突然の問いかけに少々面食らったが、ミスマル提督は記憶の棚の中から、それに関する情報を引き出すのに成功した。
「おお、覚えているとも。あのテンカワ君か。懐かしいなぁ。“生きていれば”、十八歳か。」
絶句するのは、ユリカの方だった。
「え、お父様、“生きていれば”って………」
ミスマル提督は、娘の言動をいぶかしみ、続けた。
「テンカワ一家は、私たちが火星を離れた直後、両親は死亡。アキト君は行方不明になっている。生存は、まず絶望的。 ………以前にも話しただろう?」
「え、あ、あの、失礼します! お父様!!」
辞去の言葉も無く、ユリカは走り去った。
「え、ま、待って下さい! 艦長さん!!」
プロスも後からついていく。
「全く、何をそんなに慌てているのやら………」
ミスマル提督は、ゆっくりとコーヒーを喫した。
ブリッジでは、ムネタケ副提督が、後ろ手に縛られて、転がされていた。
「形勢逆転ですな、副提督。」
ゴートが呟いた。右手に握られた、不思議な形状のリボルバーは、ムネタケの頭部に向けられている。
ブリッジの制圧自体は、実に短期間で終了した。アキトの格闘能力と、ゴートの援護射撃のお陰である。
ブリッジの扉が開き、ブリッジクルーたちが入場してくる。
皆が所定の位置に着いたところで、フクベ提督が入場してきた。
フクベは、ムネタケを見下ろしながら言った。
「ムネタケ、欲は持つものではないな。」
ムネタケは、フクベに対し、嘲笑にも似た笑みを浮かべて言った。
「欲? 私が欲しかったのは、名誉などではありませんわ。」
フクベの顔に、何故か笑みが浮かんだ。
「それでは、お前は何を欲したのだ?」
ムネタケの顔にも、笑みが浮かんだ。
「安全、ですわ、提督。この航海の。」
このやり取りで、集まったブリッジクルーにも、この反乱が狂言であったことが伝わった。
「え、じゃ、じゃあ、これって………」
メグミが、しどろもどろに言葉を吐き出す。
「ぜぇーんぶ、副提督のお遊戯ってコトでしょ?」
ハルカが、達観した口調で言う。
「結局、何が目的だったんですか? 副提督?」
ルリが、アキトとゴートが、副提督の拘束を解くのを見ながら言った。
「それは、俺も聴きたいです。」
アキトが、手を休めることなく言った。
ムネタケは、ゆっくりと話し出した。
「地球から月の間にはね、老朽化して廃棄された戦艦を使って、商船を強奪していく“宇宙海賊”がいるのよ。主砲の撃ち合いでは、この艦の方が何倍も勝るけど、十隻単位で来られたら、そのうちの一隻には強制接岸(強制的に艦に進入される事)されると考えた方がいいわ。
そして、接岸後は白兵戦よ。こればかりは、優秀な人材が限られてくるわ。只でも新型の戦艦なのだから、彼らにとっても目がつけられやすい。それに、妙齢の女性も数多いとくれば、危険性はかなり上昇するの。
つまり、クルーの白兵戦技能と、危機管理能力を試したかったのよ。ミスマル提督と共謀してね。」
つまり、ミスマル提督もグルだったのである。
「なぜ、ミスマル提督が?」
これは、アキトの台詞だ。
「それについては、私が答えよう。」
フクベが、提督席に腰を下ろして言った。何故か、普段の好々爺めいた雰囲気が薄れ、歴戦の将の風が漂ってくるように見える。
「彼もまた、火星のことは気にかけていた。彼の第二の故郷でもあるのだからね。
それに、娘を危険な目に合わせたくないというのも本音らしいが。
………尤も、この計画にはまだ続きがある。」
「続き?」
ルリが、首をかしげた。
「そう、続きだ。マスターキーを抜かれるのは計算外だったが、艦長がミスマル提督の艦に乗り込むことは、計画の内だ。……艦長に計画を話してなかったのが最大の失敗とも言えるが、ともかく、ほとんどは手筈通りだ。」
フクベは、ほとんど表情を変えずに言った。
「して、提督。その“続き”とは?」
ゴートが問う。フクベは、笑って言った。
「知らんのか? ゴート君。楽しみは最後まで取っておくものだよ。」
ミスマル提督は、コーヒーを飲み終えると、廊下の外の人影を呼び入れた。
「入りたまえ、アオイ君。君に閉ざす門は無い。」
しばらくして、私室のドアが開けられ、外から中性的な顔立ちをした男性が入ってきた。
「アオイ・ジュン、ただいま参りました。」
ジュンは、ミスマル提督に対し、敬礼を施した。
「ははは、そうシャチホコばらんでもいい。これからは、私事の会話だ。」
ジュンは軽く頷くと、敬礼を解いた。
「ビック・バリアの解除キー、用意できましたか?」
ミスマル提督は頷くと、懐から茶封筒を取り出した。
「この中に入っているMDVD(極小DVD)に、三億五千四百万、飛んで二百三十五通りの解除コードが入っている。
………これが軍上層部にバレたら、私の首も飛ぶな。」
ビック・バリア―――木星蜥蜴の侵入を警戒するために、高度35786kmの地点に展開される、防衛ラインの第一陣である。
高出力の空間歪曲バリアであり、ナデシコ自身の展開するディストーション・フィールド(以下、DF)と同質のものである。
旧式の衛星なので、ナデシコのDFをフルパワーで張れるなら、楽勝で突破することが出来る。
しかし、ナデシコの動力源である相転移エンジンの特性が、その楽観を許してくれないのである。
相転移エンジンの動力は真空である。即ち、成層圏では全力を出すことが出来ない。
そのため、ミスマル提督に、ビック・バリアの解除キーを用意してもらっていたのだ。
「すみません、提督。無理を言ってしまったようで。」
ジュンは茶封筒を受け取ると、表情に翳りを見せた。
ミスマル提督は、反対に快活に笑った。
「フハハ、たまには無理もするものだ。そうでなければ、一軍の将など務まらん。部下にばかり無理を強いているようなら、それは既に良将ではなく愚将だよ。」
ジュンも、釣られて笑った。
ミスマル提督は、諭すような口調で言った。
「それにな、ジュン君。君はもう少し、大人を食い物にすることを学ぶべきだ。今回のことも、君がわざわざ来ることは無かった。提督殿に任せても、不自然ではなかったろうに。」
ジュンはその問いに対し、苦笑で答えた。
「提督にこの任務は不可能です。こちらに来て、帰っていくのは、失礼ですが、ご老体には無理があります。」
その言葉を聞き、ミスマル提督は、また快活に笑った。
「そうか、そうか、そうだったな。来ればいいのでは無かった。では、君の友人ではどうかね?」
ジュンは、その問いかけにも、苦笑で答えた。
「あいつらなら間違いなく遂行するでしょうが、艦の防衛が手薄になります。それに、残るパイロットと反りが合わないらしく、どちらか一方を残しても、防衛に不安が残ります。
大体、あいつらに恩を売るのは勘弁したいですし、ね。」
最後は、冗談めかして言い切った。
ミスマル提督は、感心した表情で、ジュンを見た。
「やはり、君をユリカについて行かせて正解だったな。………あれは確かに優秀だが、軍人としては、正直、使えん。公務より私事を優先するようではな。」
ミスマル提督は、深い溜息をついた。
「君と初めて会ったとき、確か君は、地球連合大学の、戦史研究科にいたな。」
ジュンは、これにもまた、苦笑で答える。
「元々、歴史に志があって大学に行ったんですよ。それなのに、一年もしないうちに廃科になりました。」
ミスマル提督は、人の悪い笑みを浮かべた。
「白状しよう、アレは私がやった。」
ジュンは、それに対し、笑顔で答える。
「定員割れって聞きましたが?」
ミスマル提督は、人の悪い笑みはそのままで返した。
「君を娘にプレゼントしたかった。正直、初めて会ったときに、第一次火星大戦の問題点を五十箇所も指摘されたときには驚いたよ。こんな尻の青いガキがよくも、とね。」
「あれは……… 歴史上の数多くの戦争の問題点と組み合わせて、羅列しただけですよ。自分でもやり過ぎだったかなと………」
ジュンは、弱りきった表情で、頭を掻きながら言った。
「それで、私は君を娘の副官候補に決めたワケだ。実際、期待以上だよ。娘にくれてやるのが惜しいくらいだ。」
ジュンは、返答に窮したが、救いの手は意外な方向から差し出された。
ミスマル提督のコミュニケから、緊急回線での呼び出しがあった。
「私だ。………うむ。解った。」
ミスマル提督は、通信を切ると、ジュンの方に向き直った。
「深海に沈んでいたチューリップが、活動を再開したらしい。クロッカスとパンジーが呑み込まれた。」
クロッカスとパンジー、ともに戦艦の名である。
しかし、ジュンはそれを聞いても平然としていた。
「そうですか。」
ミスマル提督はいぶかしんだ。
「君らの艦の近くだ。もう少し焦ってもいいのではないかね?」
ジュンはその問いに対し、微笑で答えた。
「ユリカは一大事の時は有能ですし、僕は不安材料を残して艦を離れた覚えはありません。」
チューリップ活動再開の報告を受け、ブリッジは混乱していた。
だが格納庫は、ブリッジの混乱に比べれば、遥かに静かだった。
なぜなら、格納庫の人員は、全て事情を知っていたからである。勿論、格納庫に向かった、アキヒトとヤマダも同様だ。
「やれやれ、目標は一つか。ナイフじゃアレは落とせんな………」
アキヒトがぼやいた。既にアサルトピット内に収まっている。
このエステバリス03(以下、アキヒト機)は、言うなれば予備を組み上げただけの、急ごしらえの機体である。
一応、空戦フレームに収まっているが、この空戦フレーム自体も曲者で、エステバリス最大の特徴、ワイヤード・フィスト(有線式ロケットパンチ)が使用不可能である。
急ごしらえだけあり、スラスターの出力も不安定で、結構危なっかしい。
正直、欠陥機である。塗装すら済ませていないので、クロムシルバーの素肌が露出している。
『ぼやくなよ、アマガワ。アレを落とせるのは妙齢の美女だけだ。』
ヤマダが、エステバリス02(以下、ヤマダ機)から通信を入れた。アキヒトの目の前にウインドウが開く。
「ほぉ、そのココロは?」
アキヒトの唇に、上品とはいえない笑みが浮かんだ。
ヤマダも似たような表情をしている。
『触手は美女と1セットが基本だぜ。』
アキヒトが馬鹿笑いする。
「わははははは! 確かにその通りだ!!」
ヤマダは、ウインドウの向こうで、薄ら笑いを浮かべている。
『………行くか?』
アキヒトも馬鹿笑いを収め、ヤマダに向き直った。
「愚問だな。早くコイツにドカチン以外の仕事をさせたいんでね。」
アキヒトは、口の端を吊り上げた。
「おやっさん、聞いてるんだろ? ハッチ、開けてくんない?」
『わあったよ、一分待て。』
ウリバタケは、ハッチ操作盤に走り寄った。
アキヒトは、コミュニケを操作すると、ブリッジを呼び出した。
「ブリッジ! こちらパイロットのアマガワだ!! ちょっと散歩がてら、あのデカブツをからかって来るわ。…許可が欲しいんだけど?」
『許可できませ………』
『私が許可する。』
ルリが、先回と同じようにアキトを出撃させようとしたが、フクベがそれを阻んだ。
『ホシノ君、テンカワ君は臨時パイロットだ。正規のパイロットが健在なのに、無理に出撃させる道理はない。』
『しかし………』
『優秀か、そうでないかは問題ではない。問題は、任された仕事をこなせる実力があるかどうかだ。』
ルリは、未だ納得が出来ない様子だったが、この場は引き下がるらしい。
「ジイさん、ありがとうな。」
アキヒトは、名も知らない老人に、心底礼を言った。
『何の、後で茶飲みにでも付き合ってくれれば十分だ。』
別のウインドウが開き、ウリバタケの顔が大写しになる。
『アマガワぁ、電力が回んねぇからマニュアル発進になるぜ。エステ、壊してくんなよ。』
アキヒトの表情が、苦笑に変わった。
「了解……… っと。」
起動レバーを引き上げ、スリープ状態からアクティヴ状態に移行させる。
緑色のカメラ・アイに、光が灯った。
降着状態から、流れるように歩行状態に移行し、ハッチ射出位置に移動。
クラウチング・スタートの体勢をとる。
「エステバリス03、アマガワ機、発進するぜ! 死にたくない奴は、滑走路からどいてな!!」
足元のペダルを、思い切り踏み込む。勿論、これ自体は無意味な動作だ。これによる“思い込み”が重要なのだから。
背中のスラスターが一気に噴きあがった。
その体勢で三秒ほど静止すると、いきなり走り出し、滑走路の端で踏み切ると、一気に上昇した。
後方を振り返ると、ヤマダ機も離陸に成功したらしい。
前方に視線を戻すと、敵母艦「チューリップ」とは、目測約三キロの距離だ。
「ヤマダ、賭けないか?」
アキヒトは、ヤマダに通信を入れた。
『何にだよ?』
ヤマダも乗り気である。
「あの、逝け逝けギャルの艦長が、あと何分で帰ってくるか。」
アキヒトは楽しそうに笑って言った。
『それじゃ、賭けにならないな。』
ヤマダは、苦笑いを浮かべて言った。
「何でよ?」
アキヒトは、不貞腐れたような声で返した。
『さっき、ナデシコにヘリが着艦してたぜ。』
ヤマダの声色には、揶揄の色が濃い。
「糞、何だよ。いらん恥かいちまった。」
アキヒトは、完全に不貞腐れたようだ。
そうこうしている間に、既に二機はチューリップの攻撃圏内に入っていた。
とはいっても、ミサイル等の弾幕にさらされるわけではない。チューリップの基本的な攻撃は触手である。
「ヤマダ、行くぜ。」
『おお、アマガワ。』
アキヒトの手が、制服の胸ポケットに伸びる。そこから取り出したのは、一枚のMDだ。
『「Let‘s rock’n roll!」』
MDが、備え付けのMDドライブにセットされる。これはアキヒトのアサルトピットの、唯一の固有装備だ。
バックのスピーカーから、ギターソロが流れてくる。
その音は、次第に激しさを増していき、ドラムスもそれにかぶさる。
最後にベースと、もう一本のギターが加わる。この化学反応がたまらない。
「ひゃっほう! 今日はノレるぜ!」
OFFSPRING、アルバム「SMASH」。メロコアの名盤だ。
ギターのストロークにあわせ、アキヒトは触手を回避する。
狂乱するビート、二十一世紀に世界中のキッズを夢中にさせたサウンドだ。
『調子に乗るなよ、アマガワ。』
ヤマダがラピットライフルで触手を撃ち落とす。
アキヒトは触手を回避しながら、エステの右手を腰に回した。
「ヤマダ、俺が触手を掻き乱す。お前は一本ずつ仕留めろ!」
アキヒトはヤマダにそう言うと、腰の得物を引き抜いた。
それは、エステバリスの通常装備である、イミディエット・ナイフより、刀身が厚かった。そして、長かった。まるで鉈のようだ。
何よりの特徴は、そのハンドガードである。やたらとゴツゴツしていて、殴られたらかなり痛そうだ。
これぞ、ワイヤード・フィストの使えないアキヒト機の専用装備、イミディエット・ダガーである。
曲は、前半の山場を迎えた。
アキヒトは、機体を急上昇させる。かと思うと、次の瞬間には反転している。
先回のアキトほどではないが、なかなかに熟練した動きである。
「へっ、ドカチン業務、一か月分の鬱憤をなめるなよ!」
ふと、ヤマダの方を見ると、追いつけない触手を一本ずつ狩っている。ヤマダも腕は確かなようだ。
一本が、アキヒトに追いついた。
しかし、アキヒトは動じない。
「甘いぜ。」
エステを振り向かせ、スラスターを噴かす。一瞬で加速したエステは、触手と交錯すると、別方向に脱出していた。
一瞬後、触手が真っ二つに裂ける。交錯する瞬間に、イミディエット・ダガーで切っていたのだ。
アキヒト機に通信が入った。
『アキヒトさぁーん、ヤマダさぁーん。グラビティ・ブラスト、発射しちゃいますんで、避けてくださぁーい!』
一瞬、何かの冗談かと思ったが、そうではないらしい。
「おとりがいるのに、撃つか、普通?」
ナデシコの艦首に、なにやら大きな穴が開いた。
多分、主砲だろう。
『アキヒト………』
ヤマダは既に安全圏に避難している様子だ。
「皆まで言うな。俺も逃げる。」
数秒後、チューリップは重力波に押しつぶされて撃沈した。
ナデシコは、火星に向けての第一歩を、不安ながらに踏み出した。
ウリバタケ・キョウカの朝は早い。朝起きて、まず顔を洗い、弁当を作る。何故か三人分だが、気にしてはいけない。
そして、母のオリエが起き、朝食の支度を始める。
支度が完了すると、兄を起こす。ドロップキックだ。
そして、念入りな洗顔を行い、ランドセル代わりのトートバックを持って家を出る。
現在、午前七時。小学生の登校時間にしては早い。
そして、隣のアパートの二階の扉を叩く。
「ハーリー、起きてるぅ?」
これも彼女の日課である。遅刻癖のある同級生であり、友人の、マキビ・ハリ起こし。結構骨の折れる作業である。
特に、ここ二、三日、なにやら塞ぎこんだ様子で、昨日は学校をサボっていた。見た目よりも彼がナイーブであることを知っている彼女としては、正直、寝かせておきたいのが心情ではある。
だが、そうもいかないのが世の中である。
キョウカは心を鬼にして、友人宅の扉を叩いた。
反応なし。
ハーリーは一人暮らしだから、寝る時に鍵をかけるのは当然である。勿論、彼女は合鍵を所持していた。
それが手に入った経緯は、実に単純である。このアパートは、彼女の母の持ち物なのだから。
鍵を開けて、ハーリー宅に侵入するキョウカ。ハーリーの部屋は何も無いため、暗くても躓く心配はない。
ハーリーの寝室の扉を開け、電気をつける。そして、息を吸い込んで、一言。
「こらぁ! ハーリー!! おきなさぁぁぁぁぁぁい!!」
ついで、布団を剥ぐ。
「へ?」
しかし、そこにいたのは、予想外の生物だった。
「………うるさいな、キョウカ。近所迷惑を考えろよ。」
廊下側から、あくびをしながらハーリーが現れた。
「………ハーリー。」
何故か、絶対零度の声。ハーリーも居住まいを正す。
「な、なんでしょうか、キョウカ様。」
えらく腰が引けてるハーリー。
「あんたが誰を好きになろうと関係ないわ。誰を家に連れ込もうとも関係ない。でもね! 幼稚園児は犯罪よ!!」
「解ってるさ! そんなこと!!」
一応、青ざめてはいるが、正論で返したハーリー。
「じゃあ、このあんたのベッドで寝てる女の子は、何?」
「妹だ!!」
即答したハーリー。どうやら、キョウカの勘違いを解消するには、一晩かかりそうである。
(第二話 終了 第三話に続く)
お詫びと訂正
代理人さんのご指摘の通り、ウリバタケの年齢は二十八歳でした。皆様に多大な迷惑をかけたことを、ここでお詫びいたします。
平成16年2月6日 にせ流○兄弟 兄
代理人の感想
うーむ。
プロローグ2で期待はしてましたけど、本当に結構面白くなりそうかも。
それはそれとして、なんで小学生が一人暮らしとかウリバタケの奥さんがアパートなんか持ってるのかとか、
そこらへんの説明は欲しいかなーと。
原作と違うところはちゃんと読者にその理由なり事実なりを説明しないとダメですよ。
>ツインテー・・・・
肉はエビに似た味がして美味い、と。
>歴史に志があって
・・・・・おいおい(爆)。