機動戦艦ナデシコ
時の流れに
…if
〜CROSSROAD BLUES〜
幕間劇之二
「ねぇ、エリナ君。今夜、空いてる?」
黒い髪を長く伸ばした、スーツ姿の男性が、軽い口調で言った。尤も、ネクタイを緩めて、ワイシャツをはだけ、へらへら笑いを浮かべた姿は、お世辞にも善良な社会人には見えない。
ここはネルガル重工本社ビルの会長室。そこの会長席に座っているのが、彼である。
ネルガル重工会長、アカツキ・ナガレ。それが彼の名であり、肩書きだ。正直、会長にしては若すぎるし、いかにも女性関係は軽そうである。つまり、何を言いたいのかというと、全く肩書きと似合った人物ではないということだ。
「完璧に埋まっています。それより会長、早くその書類に目を通してください。」
彼の台詞を完膚なきまでに黙殺した人物。彼女の名は、エリナ・キンジョウ・ウォン。アカツキの私設秘書だ。
尤も、秘書と聞いて思い起こすような、オフィス・ラブな関係にこの二人は程遠い。どちらも、完全に実務の対象としてしかお互いを見ていない。先程のアカツキの台詞にしたところで、彼女をからかって遊んでいただけに過ぎない。
「もう通したよ〜。僕は女の子に好かれることと、書類に目を通すことには慣れていてね。」
エリナは額を押さえた。秘書室での彼のあだ名、「極楽トンボ」は伊達ではない。常にお気楽思考でポジティブシンキング、仕事中だろうと女は口説くし、セクハラもする(訴える人物がいないのは、両者合意の上ゆえ)。
しかも、悪いことに彼は、会長として優秀だった。信じられないが、デスクワークの処理能力は、「切れ者」と呼ばれた前代を上回っている。
上層部の大幅なリストラや、不要な部門の切捨てなどでは、その容赦の無さまで見せつけている。
つまり、普段の悪癖さえなければ、彼は優秀な会長なのだ。前述の通り、そんな風には全く見えないが。
「なら結構です。後は私が処理しますので、会長はそこら辺で昼寝でもしていてください。」
さりげなく酷いことを言っているが、アカツキからしてみればいつものことなので、彼はあいも変わらずにへらへらと笑っている。
部屋を出て行こうとするエリナに、アカツキは声をかけた。
「はいはーい。それじゃ、エリナ君、お別れのキスを…」
「しません。」
エリナは、この「極楽トンボ」のことをあまり好んではいなかった。公と私を明確に区別するクセのある彼女にとって、公私混同を平気で行う彼は、理解が出来ない存在だったからだ。
彼女が部屋を出て行くのを見計らい、アカツキは笑みを消し、天井を見上げた。
「平和だね…… 平和すぎて、反吐が出そうなほど。」
アカツキは呟いた。その声には虚無が滲み、いつもは絶え間なく笑みを浮かべている瞳も、普段の彼を知る者からすれば、暗く濁ったように感じられる。
「イラつくなぁ…… 何で、もっと必死にならないんだろうか。利権だけ考えて、戦況を理解していない俗物の、なんと多いことだろうか。どいつもこいつも、今の戦況が切迫していることなど、気にも留めちゃいない。自分の命よりも、金の方が大事なのか? それとも、自分の地位が脅かされる方が、よっぽど怖いのか? 僕は、いや、あいつらは、そんな連中のために命を賭けたのか…」
アカツキは無論、部屋に仕掛けてある盗聴器の位置はすべて知っていた。それを踏まえて、このような暴言を吐いているのである。
アカツキは、会長卓の上で腕を組んだ。
「危機感が足りない…… 俗物どもは、自分が死ぬ可能性など、全く考慮していない。そして、いざ死ぬとなると、他人を犠牲にしても生にしがみつきやがる。戦況の打開のためには、ナデシコは軍に編入させたほうが、遥かに効率的だ。民間クルーと自分達だけで戦争を終わらせるつもりなのだろうか。くだらない。少数で多数を打破できるのは、ライトノベルか、ハリウッド映画の中だけだ。ナデシコ級の戦艦の量産は急務… なのにあの低脳どもは―――」
組んだ手に力が篭る。皮膚が破けて、卓上に二、三滴と血が落ちるが、気にも留めない。
「それは“非”効率的とかほざきやがった… ああ、そうさ、確かに究極の戦艦を三隻、建造するほうが、安い値段で建造できて、その上値段も跳ね上がって儲かるだろうよ。売れるかも分からないマイナーチェンジ版を売るよりは、世界の軍艦コレクターから軍隊までとシェアは広い。希少価値もつくだろうさ。だがね……」
アカツキは、言葉が熱を帯びてきたことを感じて、卓上に置かれたミネラル・ウォーターを飲んだ。
「戦争は質ではなく、量だ。それは、世界史を見ればすぐに気づくこと。なぜアメリカが大国たりえたか、日本が第二次世界大戦で敗北したのは、作戦が不味かった以上になにが原因だったのか。山本五十六が短期決戦を主張したのはなぜか… 何よりもまず、勝たなければ利権のありようもない。そして、軍の正式採用の戦艦となれば、長期の安定したマーケティングを得ることが出来る… 目先の欲に捕らわれすぎだよ。」
好きなだけ独り言を言って少しは冷静になったのか、アカツキは椅子に座りなおすと、机の上の、倒れた写真立てを起こした。
「全く、僕は管理職には向いていないらしいよ。みんな。」
その、今時は珍しい写真には、六人の耐Gスーツを着込んだ男達とフライトジャケットを着込んだ一人の男、それに、油汚れの目立つツナギを着た二十八人の男が写っていた。右手にヘルメットやスパナを持って、男臭く笑っている。その端には、隣の男と肩を組んで笑っている、アカツキの姿もあった。
写真には他にも、呆れた表情の、同じように耐Gスーツ姿の女性が三人写っていた。彼らの背後には、一機の戦闘機が見える。
「リュウスケ、コウヤ、リョウジ、隊長、軍曹、親分、兄貴、ヤッさん………」
アカツキは、写真に写る全ての人物の名前を呼んだ。
「………みんな、地獄はどんなところだ?」
椅子を回転させ、背後の大きなガラス窓から空を見上げた。本日は快晴。あの世まで届きそうな青空に、一条の飛行機雲が延びていた。
南米、キューバ共和国。目下、アメリカ合衆国と戦争状態のこの国に一つ、日本軍の部隊が駐留していた。
その名は、日本空軍キューバ方面部隊第03大隊。通称、「自殺志願区域」。一週間平均、八回の空戦を行うゆえ、この名前がつけられた。
キューバ戦線最大の激戦区である、バハマのアンドロス島に駐留するこの部隊は、キューバ駐留軍中で一番のエース部隊として名が知られていた。その原因となったのが、コールネーム“F‐1(フォックス・リーダー)、アカツキ・ナガレ中尉とその部下達の分隊、F(フォックス)分隊の活躍である。
赤道直下に位置するアンドロス島は、日本育ちの彼らにはいささか暑すぎた。だが、一年間も駐留すれば、慣れるものである。
「おい、“隊長”。日から新入りが来るんだって?」
日に焼けた浅黒い肌と広い肩幅、それに鼻筋に斜めに走った一条の傷が特徴の、頑強そうな中年の男性が、指揮官用デスクに座る、銀縁眼鏡が特徴の初老の男性に声をかけた。
ここは日本空軍アンドロス島連隊駐留基地の司令官室。一般人や下級士官は、入ることすら出来ない場所だ。
隊長と呼ばれた初老の男性は、中年の男に話しかける。
「その通りだ、“軍曹”。おそらく、君の指揮下に入ることになるだろう。存分にシゴいてやれ。」
“軍曹”とはその中年の男の通り名である。中隊長であるため、本来の階級は大尉なのだが、平常時の部下のシゴキと、一切の甘さを見せない指揮ぶりから、“鬼軍曹”のあだ名がついたのである。
それを本人が気に入り、コールネームまでも“軍曹(サージェント)”にしたので、結局そのまま通り名として通用することになったのだ。ただし、現在は他との区別をつけるために、コールネームは“A‐1(アルファ・リーダー)”になっているが。
この基地の6人の古株のうちの一人で、一応は少佐の“隊長”ともタメ口がきけるほどだ。
「やれやれ、何が悲しくて、こんな場所まで死にに来るかねぇ…… 確か、ここへの配属は志願制だろ?」
“軍曹”は男臭い笑顔を浮かべて言った。“隊長”と呼ばれた初老の男性は、デスクに肘をついた。
彼の本来の役職名は、司令官である。しかし、その昔は彼がここの隊長だったため、未だに“隊長”と呼ばれるのである。“軍曹”は、その頃から彼の部下であった。
「ああ、そのかわり、給料はいい。お前もそのクチだろう? “軍曹”。」
“軍曹”はデスクに手をついた。
「俺はアンタと同じで、この厄介な基地を上層部のバカ共から押し付けられたんだ。他の守銭奴どもと一緒にするな。」
初老の男性が、“軍曹”に向かって笑みを浮かべたとき、滑走路の方向から、ジェットエンジンの爆音が聞こえた。
「……着いたらしいな。例の新人が。」
隊長のその言葉に、“軍曹”は笑みを浮かべた。
「じゃあ、行ってくるぜ。青瓢箪だったら、お家に送り返してやるからな。」
滑走路には、一台の戦闘機が着陸していた。F/A‐64VG“スーパークーガー”、日本軍、及び各国空軍で使用されている、ボーイング社製の傑作戦闘機だ。
全体的なシルエットは、Su‐37“ターミネーター”に酷似している。実は、これには理由がある。
米軍がF/A‐18“スーパーホーネット”の後に、正式採用した戦闘機は、F/A‐22“ラプター”であった。ステルス性能と超音速機動を両立させた、空域全体の絶対支配を可能とする、究極の戦闘機である。
しかし、結論から言えば、この目論見は失敗した。それは正式採用の十年後に、F/A‐22を制作したロッキード・マーティン社が、対ステルス戦闘機用レーダーを開発したからである。
具体的な機能などの言及は避けるが、これにより、最大の武器であったステルス性能が剥離したF/A‐22は、それより安価のF/A‐18や、MiG‐29に撃墜されることが重なった。旋回性能や、航行速度が劣るF/A‐22は、長距離から敵に発見される前に撃墜する、いわゆる「闇討ち」を得意とする機体だ。ドッグファイトに持ち込まれれば、たとえ最新のコンピューターや自動追尾ミサイルを積んでいても、歩が悪いのは当然である。
これにより、戦闘機同士の戦闘は、長距離からの「闇討ち」から、旧来どおりのドッグファイト中心の戦闘に逆戻りした。
そのため、当時、ドッグファイトに関しては世界最強の二機、F‐15A/C“イーグル”と、Su‐35“スーパーフランカー”が槍玉にあがった。対地攻撃よりも、制空能力の方を重要視した軍部の考えは、あながち的外れではなかった。
そして、F‐15A/C、F/A‐18の次に、米軍主力戦闘機として選ばれたのが、F/A‐49“スケアクロウ”。前進翼が特徴の、双発エンジン機である。
それから十年後に採用されたのが、それの強化型である後退翼の戦闘機、F/A‐52ACTIVE“ファルコン”。長い間、現役で活動していたが、その二十年後に最強の獅子、F/A‐64“クーガー”が完成する。
それにTVC(推力変更制御機構)と三次元スラスターを同時に装着し、他をはるかに凌駕する超音速での旋回性能を獲得した機体が、F/A‐64VG“スーパークーガー”である。
現在、米軍が採用しているのは、前進翼が特徴のF/A‐52ACTIVEの改良機である、F/A‐73F“ワイルドターキー”。扱いやすさが特徴の機体だ。
「どんな坊主が来るかと思ったが、なかなか見所のある奴らしいな。スーパークーガーか…… あのじゃじゃ馬を、よくもまぁ………」
“軍曹”の表情には、笑みが浮かんでいた。彼の扱う機体もまた、F/A‐64VG“スーパークーガー”である。
この機体の最大の特徴は、その基本性能の高さと反比例した、操縦性と居住性の劣悪さだ。
超音速での旋回性能は、他の機体は比較対照にならないほど高い。だが、そんなスピードを出している時に旋回をすれば、操縦席にかかるGは相当なものとなる。無論、基礎体力の無い者は、乗りこなすどころか操縦すらも不可能だ。
操縦桿の“遊び”も少なく、少し力を入れただけでも腹を見せてしまう。
つまり、この機体を使っているということは、その時点でかなりの空戦能力を所持していると見てかまわないのである。
キャノビーが開き、コックピットから、JHMCSのヘルメットを被った男性が立ち上がった。
JHMCSとは、統合ヘルメット装着キューイング・システムの略である。単刀直入に言ってしまえば、ヘルメットに直接、ミサイル発射の合図を投影することが出来るというシステムのことだ。
フラップを降りると、そいつは“軍曹”の前に来て、ヘルメットを脱ぎ、型どおりの敬礼をした。
黒い長髪に、皮肉そうな瞳と、薄い唇。長身ではあったが、屈強な“軍曹”と並ぶと、それほど高くは見えない。だが、“軍曹”の瞳には驚きが浮き上がっていた。
彼は、若すぎた。
「アカツキ・ナガレ少尉です。先日、軍学校の特設中等部を卒業したばかりなので、少々至らぬ点もあるかもしれませんが、よろしくお願いします。」
日本空軍学校、特設中等部。いうなれば、義務教育の時点から、戦闘機操縦のノウハウを叩き込む学科である。
入学金、及び授業料はすべて無料。特設初等部からはエスカレーター式で進学できる。
全寮制で食事は共同。集まる人間の年齢以外は、完全に普通の軍学校とおなじ環境だ。
アカツキは初等部からエスカレーターで進学したため、その雰囲気には慣れていた。それは、他人を蹴落としてでも這い上がろうとする、雄ばかりの野獣の群れのような雰囲気。
ここにいる人間は誰一人、信用することなど出来ない。
ここにいる人間は、全てが後戻りできない人間。いや、後が無い人間と言った方が正しい。
親がリストラされたもの、親に捨てられたもの、親が夜逃げしたもの、その他にも色々。
初等部と違い、自分の意思で進学してきたものも多い。それはそうだろう。戦術理論や航空力学などのような、ワケの分からない学問を勉強する初等部と違い、中等部は完全な実技中心の教育課程だ。なにせ、三年間で航空機ライセンスを貰わなければいけないのだから。
そして三年が過ぎ、アカツキはこの学校を首席とは程遠い成績ながら卒業した。もっとも、実技は教官も舌を巻くほどの腕を見せたが。
成績が低かった理由は、何と言っても上官に対する態度であった。生来、人に媚びることを知らない性格であった彼は、何か間違ったことがあれば、教官に真正面から対立した。
挫折は幾らでも知っていたが、尻尾を振ることだけは知らない。これは彼の誇りではなく、単なる性分であった。
「全く、度し難いな、僕も。」
卒業証書とは名ばかりの紙切れを手に、アカツキは呟いた。この紙一枚を貰うだけで、少尉の地位と一機の戦闘機が手に入る。
どこに配属されるかは全く運次第だが、少なくとも彼は自分で選択できる、唯一の道を選択した。
即ち、激戦区、キューバ戦線への配属。
「正直、何所でもいいんだよねぇ… 日本から離れられれば。」
彼は私生児だった。母親は美人で、それなりに常連の客も多い売春婦であった。数年前に死亡し、アカツキ自身の戸籍は父方になっている。問題は、父親だ。
世界に名だたるネルガル重工、その元会長アカツキ・カズマ。それが彼の父親の名前であった。
現在の会長は、彼の異母兄に当たる人物が会長職についているが、それでも何かと後継者争いにより、命を狙われることが多々ある。
そのために小学生の時、わざわざ親父に下げたくも無い頭を下げて、この学校に入学したのだ。
まさかネルガル次期会長候補が、生きるか死ぬかの苛境に自分の身を置くまいという、重役連中の盲点をついた方法だった。彼らは常に自分を定規に物事を図っているため、こういう庶民的な作戦に、まんまと引っかかったわけである。
この紙切れ一枚を貰えずに、何人もの同級生が事故死したり、退学したりした。彼は少数派に位置していた。
「じゃあ、さっさと格納庫に行きますか。」
配属届はすでに提出済みであった。問題は、自分が騎乗することになる機体の選別である。
実は、前々から目星をつけていた機体があるにはあるのだが、彼のような新米にそれが譲渡されるかどうかまでは、全く分からなかった。
念のため、駄目で元々の心境で、それの陳情をしたのだが、まともに執りあってもらえたかどうか。
格納庫に着き、彼は驚愕に目を見開いた。
F/A‐52ACTIVE“ファルコン”(日本軍では、未だに“ファルコン”が使用されている。)がズラリと並んだ中に、たった一機だけ、その凶暴性を優雅なフォルムに隠して鎮座する、最強の獅子の姿があった。
塗装も施されていない、基本色の灰色のままだったが、アカツキは目を奪われた。
「綺麗だ…」
“ファルコン”のボディは、寸胴である。F‐4E“ファントム”を想像してもらえばいい。悪い機体ではないし、操縦性の多少の悪さを除けば、十分に現役をはれる機体である。F/A‐73F“ワイルドターキー”とも十分に張り合える機体だ。
だが、その獅子―――F/A‐64VG“スーパークーガー”は、一味違った。
その優雅なフォルムから、隠し切れずに溢れ出る凶暴性。地上にあっても、その荒ぶる魂は、いささかも隠せない。
大空の覇者。被撃墜数は、この戦時下でたったの三機。それも全て、新人が乗っていた機体だけである。
アカツキは思わず胴震いした。実物を目にした感動と、これを駆る自分を想像しての武者震いだ。
「アカツキ・ナガレ訓練生かね?」
アカツキは振り向いた。本日午後0時をもって、彼の階級は少尉となるが、現在の時刻は11時。彼の階級は、未だに訓練生である。
アカツキは少し崩れた敬礼をした。相手の名前は彼も知っていた。ここの格納庫の整備班の中で、一番の古参兵だ。階級は無論、現時点では彼より高い。
「いや、そんな形式ばる必要は無い。しかし、本当にこれに乗る気かね?」
アカツキはあえて言葉で答えずに頷いた。老整備士は、難しい表情で、白髪頭を掻いた。
「若いというのはいいことだな、どんな無茶も出来る。だが、コイツに乗るのは無茶を通り越して無謀だよ。熟練のエースですら、二の足を踏む機体だ。
旋回時のGは訓練用の機体、“ファルコン”のはるか上をゆく。整備の難しさは、その二倍だ。気分屋で、気難しい。こんな女性を、君は扱えるかね?」
老整備士の瞳が光った。アカツキは、不敵な笑みと共に、自信を持って答えた。
「僕は、気難しい女性の扱いと、戦闘機の扱いに関しては慣れていましてね。」
老整備士は、溜息をついた。
「それが、“若さゆえの無謀”というのだよ。少年。何で新米程度の陳情が聞き入れられたか、考えてみたかね?」
アカツキの瞳に、少しばかりの怒気が混じった。親のことを言うようなら、階級など関係無しに殴ってやる。そういう瞳だ。
「空軍長官殿曰く、“面白そうだから、くれてやれ。倉庫で埃を被らせておくには、惜しい機体だ。”だそうだよ。」
実際、アカツキは“スーパークーガー”を乗りこなせた。老整備士も舌を巻くほどの腕だった。
中等部のカリキュラムには、“実戦”もあった。つまり、すぐにでも前線に出られる逸材だったのである。
アカツキはすぐにアンドロス島に向かった。そして、現在、彼はアンドロス島にいた。
強烈なGが、アカツキを襲う。しかし、操縦桿を放すなどというヘマはしない。
1/100秒の攻防が、生死を左右するこの空間では、たった一回のミスが命取りである。
追いかけてくる敵機は、二機。普通なら間違いなく撃墜される。だが、ヘルメットの奥で、アカツキは唇を歪めた。
両足でしっかりとはさんだ操縦桿を、軽く摘まむように動かす。
その一瞬後、ヘルメットに、被ロックオン表示が投影された。耳を切り裂くほどの音量で、警報音が鳴る。
フットペダルを踏み込む。計器表示が目まぐるしく変わり、只でさえも強烈なGが、著しく跳ね上がる。
超音速の世界。耳の無線レシーバーからは、管制塔からの、一瞬遅れたロックオン警告が聞こえる。既に、この“スーパークーガー”が出せる速度の限界、M3.6に到達している。
ロックオン警告が消えた。アカツキは、操縦桿をしっかり握り、四つのフットペダルのうちの一つを、思いっきり踏み込んだ。
Gのベクトル方向が変化する。前方から、後方に。
シートベルトを着用していなかったら、明らかにコックピットから投げ出されていただろう。一瞬での減速だ。その両脇を、とっさに機体を横にして抜けていく、二機の“ワイルドターキー”。
これがTVCと三次元スラスターを併用した、“スーパークーガー”のお家芸、スラスター逆噴射による“超急減速(スーパーブレーキ)”だ。速度はM0.6まで落ちている。
その後、一瞬で加速し、M2.4まで搾り出す。敵機は尻を見せている。ヘッドアップ・ディスプレイに表示されたロックオン・カーソルは、すでに片方をロックしていた。ヘルメット内に投影された表示も、GOサインを出している。
「“A‐5(アルファ・ファイブ)”、ミサイル発射(フォックス・ツー)!」
言いなれた台詞と共に、ミサイルの発射ボタンを押す。着弾を確認せずに、ロックオン・カーソルを移動させ、もう一機をロックし、発射。
アレでは、飛んでくるミサイルを回避することは不可能だ。爆散する二機の、爆炎の間をすり抜けて、アカツキは言った。
「“A‐5”より、“A‐4(アルファ・フォー)”へ。二機撃墜。これで並びましたよ、“ヤッさん”。オーヴァー。」
ヘルメットに内蔵されたレシーバーから、濁声が聞こえた。クリアな音声ではなく、砂嵐の音が混ざっている。
どうやら前方の“ファルコン”に通信しているらしい。普通の空軍パイロットが使用する機体は、“ファルコン”が相場である。
『“A‐4”より“A‐5”へ。喧しい。ヒヨコが調子に乗るな。オーヴァー。』
笑いの調子を含んだ声だ。それになにか、気の効いた台詞を返そうとおもったところに、別の声が入った。
『“A‐1”より各機へ、“A‐5”の落とした奴で、領空侵犯した連中は、全部始末した。これからお家に帰るぞ。オーヴァー。』
濁ってはいるが、“軍曹”の声だった。
『“A‐3(アルファ・スリー)”、了解。』
『“A‐2(アルファ・ツー)”、了解。』
『“A‐4”、了解。』
アカツキもすぐに切り返す。
「“A‐5”、了解。」
アカツキは、隣に影を感じて、そちらを見た。
機体側面に、大きなサーベルタイガーのマーキングを施した、“スーパークーガー”。“A‐1”こと、“軍曹”の乗機であった。
『アカツキ、帰ったら司令官室に来い。これは命令だ。以上。』
“スーパークーガー”は、アカツキのそれを追い越して、先に進んだ。
コックピット内で、アカツキは溜息をついた。
(これは、何かと忙しくなりそうだね……)
アカツキがここに着任して、すでに二年が経過していた。
「えぇえぇえええええ!! 僕が、分隊長ですかぁ!?」
アカツキは、普段の皮肉そうな色男ぶりをかなぐり捨てて、絶叫した。
“隊長”は呆れた表情をしながら、答えた。
「それ以外の何に聞こえた? 私はナアカル語を使って話しているわけではないぞ。」
その横で、“軍曹”がゆっくりと頷いた。
アカツキは恥も外聞もかなぐり捨てて、身振り手振りを使って自分の意志を伝えようと努力した。
「ぼ、僕よりも従軍暦の長い人は、一杯いるじゃないですかぁ! 何でよりによって、一番、従軍経験の少ない僕が抜擢されなきゃ…」
「アカツキ。」
“隊長”は溜息をついた後、諭すように話し出した。
「お前、自分の撃墜数を確認してみろ。」
アカツキは少し上を向いて、数秒後に答えた。
「累積、二十機ですが。」
“隊長”は苦笑した。
「あのな、普通、三機落とせばエースなんだ。一回の戦闘で、二機も三機も落として帰ってくるような奴には、昇進の一つぐらい、くれてやらんといかんだろう?」
アカツキはしどろもどろになりながら、どうにか辞退しようと、本来は回転のいいはずの頭を回転させた。しかし、このような状況には、その自慢の頭も空回りすることが多いのは、周知の事実である。
“隊長”は、聞き分けのない息子に躾を施すかのような表情で、無意識に彼の痛い腹を刺した。
「それじゃあ、日本に帰るか? お前の戦績なら十分……」
「不肖、アカツキ・ナガレ少尉。全力をもって分隊長の任を果たしたいと思います!」
背筋までビシッと伸ばして、アカツキは今までしたことも無いほど美しい敬礼を行った。
眉間に指を当てて、思いっきり溜息をつく“隊長”。
「何があったのかは知らんが、そんなに帰りたくないのか? …まあいい。本日付で、中尉に昇進な。お前に預ける部隊は、先日に“全滅”したF(フォックス)分隊だ。人選は俺のほうで行うから、お前は寝ていろ。」
アカツキは、走っていた。別に追われているとか、何かから逃げているというわけではない。彼は、ただ単純に走っていた。
もう、10kmは走っていた。だが、彼の息はそれほど切れていない。
「おお、やってるなぁ、アカツキ。」
「感心、感心。」
「努力を忘れないのは、いい傾向だぞ。」
自販機の前で、ジュースを飲んでいたフライトジャケット姿の中年男性三人が、アカツキに声をかけた。彼は、笑みを浮かべて足を止めた。
「“兄貴”、“親分”、“ヤッさん”。みんなそろって、どうしたんですか?」
三者三様の表情を浮かべる。
理知的そうな容貌に銀縁の眼鏡をかけた男は、どうやら眼鏡の座りが悪いらしく、眼鏡の位置を直しながら言った。
「見て分からないか? A(アルファ)分隊全員で、お前さんの昇進を祝ってやりにきたんだ。」
アカツキは、彼の言動の言外に含まれている意味に気づき、苦笑した。
「どうせ、僕の昇進にかこつけて、宴会する気だったんでしょう? “兄貴”の行動パターンは読めてますよ。」
“兄貴”と呼ばれた男は苦笑した。彼はA分隊の副隊長であり、他の、空戦技術が未熟な新米パイロットの教官めいたこともしている。彼の世話になった連中が、彼のことを“兄貴”と呼んで慕うようになり、そのうち通り名として定着したのである。
「当然だろう。俺たちがお前の昇進にかこつけて、宴会以外に何をすると思う? 何も想像できんだろうが。」
当然ではないことを、至極当然のように口にする、熊のように大柄な男性。長く伸ばした顎鬚が、なおのこと彼を熊に近づけていた。
アカツキは彼を見ると、不敵な笑みを浮かべて言った。
「ついに並びましたよ、“ヤッさん”。もうヒヨコは返上させていただきますよ。」
“ヤッさん”はこっちに向かって、中指を立てた。彼の通り名の由来は簡単である。名前が「ヤスオ」だからだ。
残った一人は、無言でジュースを飲んでいた。
「ところで“親分”、なんでここにいるんです?」
“親分”は、顔には出さないが、少し傷ついた。寡黙で滅多に表情を変えない彼は、その寡黙さゆえに、若いパイロットに慕われており、“親分”という通り名も、自然と定着した。その寡黙さゆえ、あまり騒ぐことをしない人物だったので、アカツキは疑問に思ったのだ。
「………可愛い後輩の昇進だ。………祝わねば、罰が当たる。」
彼らは全員、少尉で、アカツキよりも既に階級は下だ。しかし、アカツキは彼らに、命令口調を使う気にはなれなかった。階級よりも、実体験の差の方が、はるかに重要であると考えていたから。
少し、アカツキは泣きそうになった。しかし、なんとか堪えて、彼らに一礼する。
「それじゃ、これから機体の整備があるんで、行かせていただきますね。」
走り去るアカツキを見て、三人は三者三様の表情を浮かべた。どの人物にも共通していたのは、確かな笑顔と、そこに一分の哀惜が含有している点であった。
アカツキ率いるF分隊の活躍は、キューバ戦線を震撼させた。アカツキ自身の実力と、僚機の実力、それらが化学反応した分隊全体の戦果は、A分隊の累積結果(十年分)と並ぶものであった。
垂直尾翼に描かれた、“F‐1(フォックス・リーダー)”のペイント。その“F”と“1”の間に描かれた、デフォルメされたキツネの絵。
“空とぶキツネ(フライング・フォックス)”の通称で呼ばれるこの“スーパークーガー”の機体横に描かれた、キツネの姿の撃墜マークの総数は、42。ちなみに十年間に一機、落とすか落とさないかが、普通のパイロットの戦績である。
出撃すれば、確実に生還。代わりに無数の敵を黄泉路に誘う、キツネの姿の死神。それが彼らであった。
同様かそれ以上の戦果を上げていたのは、“軍曹”率いるA分隊であり、この二つの分隊があれば、キューバの守りは完璧とさえ言われていた。
そう、木星蜥蜴の侵略が始まるまでは。
深夜、アカツキの乗る“スーパークーガー”が、着陸コースに入る。滑走路には、まるで彼を地獄に誘うかのように、真っ赤な常夜灯が灯っていた。
フラップを下げ、エアブレーキを起動させる。軽く操縦桿を引き、機首を少し上に向かせる。
“足(ギア)”を出し、徐々に高度と速度を下げてゆく。
ギアのタイヤが、コンクリートの滑走路に接した。今度は少しずつ、機首を下げる。
完全に前輪と後輪が着地する。速度はだんだんと0に近づいてゆく。
完全に機体が停止すると、周囲から整備員たちが駆け寄ってくる。エンジンを切り、キャノビーを開ける。
アカツキはヘルメットを脱ぎながら、叫んだ。
「急いで給油してくれ! 妙な連中が襲ってきた!!」
素早くコックピットから飛び出すと、司令官室に向かった。後ろからは、彼の三人の部下の“ファルコン”が、次々と着陸していた。ただし、一機は火を吹いていたが。
アカツキは一瞬、振り返った。その時、丁度、火を吹いていた機体が爆発した。着陸を失敗したらしい。
顔を右腕で庇い、アカツキは呟いた。
「運がなかったね。さよなら、コウヤ。」
視線の先で、整備員が爆散した機体の破片を集めていた。その中の一人が拾った垂直尾翼の破片には、誇らしげな“F‐3(フォックス・スリー)”のペイントが施されていた。
アカツキは正面を向くと、走り出した。今回遭遇した、自動追尾ミサイル(サイドワインダー)の通用しない、謎の敵機の報告のために。
それから十日後。
「“隊長”! どういうことですか!!」
アカツキは指揮官用デスクに、思いっきり右手を叩きつけた。彼の左手には、一枚の辞令が握られている。
“隊長”は彼の、怒りで曇った瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「アカツキ、お前は軍人だろう? 上官の命令が絶対だと言うことを、知らんとは言わせん。」
アカツキは今一度、デスクに右手を叩きつけた。彼がこれほどまでに、感情をあらわにするのは、恐らく初めてだろう。
「それにしても、この辞令はふざけています!! 要約すれば、“兄さんが心臓発作で急死したから日本に帰って来い。”じゃないですか! 親父の都合で、何で分隊長が戦線を離れなきゃならないんですか!! あのサイドワインダーの効かない敵機だっているんです! 只でも人手が足りないんですよ! これで僕までいなくなったら………」
「アカツキ、自分を過大評価していないか?」
“隊長”のこの一言に、アカツキは姿勢を正した。背中に冷や汗が浮き出る。
“隊長”は続けた。
「お前一人いなくなったところで、戦況は変化しない。それとも、お前一人がいることにより、戦況が変化するのか? 自惚れも大概にしろ!」
「しかし!」
アカツキは反論しようとしたが、“隊長”は右手をかざして反論を封じた。
「どちらにしろ、このままでは俺たちは、ここで全滅することが確実だ。だが、辞令が来ない限り、軍人というものは持ち場を動くことはできんのだ。なら、全員の代わりに、生き残れるお前が、その分生きろ。」
アカツキは沈黙した。“隊長”は足元から、紙の束を持ち上げ、デスクの上に置いた。
「この部隊、全員分の手紙だ。シャバでポストに投函してくれ。電話線は、もう切られていてな。家族に自分の消息を伝えるには、この手段しかないんだ。」
“隊長”は、その紙束をアカツキに押し付けた。それを受け取るアカツキの手は、震えていた。
「た、い………ちょ………」
突然、司令官室の扉が開いた。
「隊長!」
「アカツキさん!」
飛び込んできた二人の人物は、アカツキに向かって叫んだ。
「リョウジ… リュウスケ…」
アカツキは、彼の部下の名前を呟いた。二人は黙って、アカツキに自身の認識証を差し出した。
「お前ら… どうして…」
二人はニヤリと笑うと、言った。
「隊長が持っていて下さい。俺たちの魂。」
「アカツキさんは、危なっかしいっすから。心配なんすよ。俺たちが死んだ後、後追い自殺なんて考えないかどうか。」
その二人の後ろから、A分隊の四人が顔をだした。
「俺たちのも、持っていきな。」
「久しぶりのシャバの空気は上手いぞぉ。」
「お前、金持ちなんだって? 俺たちの墓、立てようなんて思うなよ? 俺たちの墓は、コックピットと決まっているんだ。」
「………生きろ。」
そう言って、アカツキの手に、自分の認識証を握らせた。手に握ったそれらに、一滴の水滴が落ちた。
「みんな……… ば…馬鹿野郎どもが………」
“軍曹”が、ニヤニヤ笑いを浮かべながら言った。
「おいおい、男が人前で泣くもんじゃない。まだ死んだわけじゃないんだからな。」
アカツキが振り向くと、“隊長”も笑っていた。彼は、おどけた表情で言った。
「最後の命令だ。シャバに帰ったら、俺たちの分までビールを飲め。以上。」
荷物を積んだアカツキの“スーパークーガー”は、無事に日本へと帰還した。その後、アカツキはネルガル重工の会長の地位に就く。ただし、父親の傀儡同然の地位ではあったが。
そこで、アカツキはマシンチャイルド計画の中止と、その資金の新造戦艦開発計画への転用を決定。試験運用の始まっていた、エステバリスの改良と量産に着手した。
その数ヵ月後、アカツキの元に、キューバ方面部隊第03大隊の全滅の報告が入った。ただ、アカツキは泣かなかった。流す涙は、もう既に流していたから。
「そうだよね、みんな。」
ネルガルの会長席に座ったアカツキは、首から提げた、七人分の認識証を握り締めた。
アカツキの瞳に、一切の迷いは無かった。親父は僕を、傀儡に使うつもりらしい。だが、僕は親父の思い通りにはならない。
すでにナデシコ級二番艦「コスモス」のパイロットとして、自分を登録しておいた。少なくとも、親父の選んだ、下らないパイロット連中よりは、上手くエステを動かす自信があった。
「みんなに捧げる花束は、この戦争の終戦協定だ… 長くなるかもしれないが、それまで待っていてくれ。みんな。」
空は、どこまでも青く澄んでいた。
(幕間劇之二、終了 第八話につづく)
代理人の感想
固有名詞多すぎー(爆)。
説明多すぎ―(連爆)。
正直ちょっと辛かったです、ハイ。