機動戦艦ナデシコ
時の流れに
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〜CROSSROAD BLUES〜
第十一話
「TOMMY GUN」
「ナデシコは、軍からの要望によりテニシアン島に向かうことになった。」
艦橋の指揮卓の横から、マリアベル提督はそう切り出した。ブリッジには、ユリカの隣に影の如く控えるジュン以外に、男性の姿は存在しない。
マリアベルは、コンソールを操作して、正面モニタに地図を投影した。
「知っての通り、この島はクリムゾングループの研究所となっている。上層部の意見からすると、クリムゾングループに謀反の気配があるらしい。そして、これは機密事項だが、この島に現在、クリムゾングループ会長、ロバート・クリムゾンの一人息子が滞在していることがわかった。彼を“人道的”に“保護”すること、それが今回の我々の任務だ。……何か質問は?」
ジュンが手を挙げた。が、マリアベルは彼を無視する。
溜息を一つ吐いて、ジュンは発言した。
「我々の勤務規約に、“民間人の誘拐”という項目は無かったはずですが?」
「君の発言は許可していないぞ、中佐。」
ジュンは、彼女の発言を、先程の彼女と同様に無視して続けた。
「百歩譲って、そのような作戦への参加を認めたとしても、誰が潜入を行うのですか? 天下のクリムゾングループともあろう企業が、生半可な警備体制を敷いているとはとても思えませんが。」
「……」
マリアベルの頬に赤みが差した。無論、怒りのためであるのは明白だ。ジュンは続ける。
「それなりの従軍経験のあるものでないと不可能ですね。その条件を満たす人物は、この艦で見繕うとしたら、ヤマダ・ジロウ少尉、ゴート・ホーリ大尉、アカツキ・ナガレ少尉の三人だけ。及第点の人材として、アマガワ・アキヒト少尉、アリサ・ファー・ハーテッド中尉、そしてマキビ・ハリ少尉が該当します。この六名のうち、アカツキ少尉は空軍出身故、おのずと除外。アリサ中尉も白兵戦の経験は薄いでしょうから、これも除外。残りの四名で、この作戦が成功するとでも?」
マリアベルの顔に、嘲笑が浮かんだ。
「一人、忘れているぞ。テンカワ・アキト中尉は射撃の天才だ。彼無しでは、この作戦自体が成り立つまい。」
ジュンは、無表情に答える。
「成り立ちます。むしろ、ヤマダ少尉たちの足手まといとなるでしょう。」
ジュンの言葉に、マリアベルではなくユリカとメグミ、そしてルリが反論した。
「アキトが足手まとい? ジュン君、その言葉、撤回して。」
「アキトさんを侮辱しないで下さい。」
「ジュンさん、言葉の表現には気をつけて下さい。特に日本語の場合、いらない誤解を招くことになります。」
ジュンは、大きく溜息を吐いた。そして、そのままマリアベルに退室の意を表し、退室していった。
彼が居なくなった後、マリアベルは優しい笑顔を浮かべて言った。
「さあ、邪魔者は居なくなったわ。この作戦について、存分に話し合いましょう。」
結局、その作戦はプロスの承認を得て、行われることになった。予想外の事態が発生したのは、テニシアン島近海に到着したその日である。
「……新型の機動兵器、ですね。軍のトライアル記録によれば、核融合エンジンで動いているらしいです。艦砲で一網打尽、というわけにはいきませんね。そこら一帯が放射線被爆してしまいます。」
ジュンがそう報告する。
ナデシコの前方には、五機の機動兵器がいた。
エステの二倍はある体格、それぞれに個性のある装備、そして、背中に背負った核融合エンジン。
クリムゾングループ製人型機動兵器「スピットファイヤー」である。
ジュンは続ける。
「操縦者及び、被撃墜時の環境への放射線対策が十分でなく、軍には非人道的と判断された機体です。なにより、地上での運用が不可能な点、被撃墜時のリスク、民衆の核に対するタブー観念などの問題もありましたが。」
マリアベルは、いらついた表情で指を噛んだ。ジュンは、そんな彼女を横目で見ながら報告を続ける。
「機体の性能自体は、エステと比べて段違いです。なにより、エンジンに傷をつけずに落とすとなると、高度な操縦技術を必要としますね。
布陣から見て、明らかに研究所の防衛をしています。まあ、投降せよ、と言っても聞くはずがありませんね。彼らはこの海域の周囲数十キロを人質にとっているようなものですから。」
マリアベルは指を噛み切った。血が、口紅のように彼女の唇を彩る。
ユリカは、ジュンの代わりに言う。
「提督、作戦の変更は?」
マリアベルは、苦虫を噛み潰したような表情で答えた。
「……二方面作戦を展開する。降下班のうち、マキビ少尉をエステに回し、ゴート大尉は司令官として艦に残ってもらう。
夜間になるまで待ち、エステ部隊で敵をひきつけ、その隙にアカツキ少尉の操縦するホバープレーンから三人を降下。以後、本来の作戦道理に行動。……以上だ。」
その後、ユリカが手を挙げて提案した。
「この位置から超圧重力弾砲で一網打尽、という手段は?」
ジュンは少し困ったような表情で答えた。
「ユリカ、大気圏内で超圧重力弾砲なんて撃ったら、それこそ周囲一帯が被爆してしまうよ。」
ユリカはジュンの科白に、矛盾点を見つけた。
「ジュン君、火星では思いっきり撃ったよ?」
ジュンは、顔色一つ変えずに答えた。
「火星の人が被爆したところで、世論は動かないからね。でも、地球で規定量以上の放射線が観測された場合、世論は僕達軍人を叩き潰す方向で動くだろう。そうなったら、ミスマル提督や君が、まともな一生を送れるとは思えないな。だから地球では撃てないのさ。」
それからジュンは、マリアベルに向かって言う。
「それにしても、本当にテンカワ中尉を降下させるのですか? 彼の本領は、エステバリスに乗ってこそ発揮されるものだと思うのですが…」
マリアベルは、苛立たしげに答える。
「エステの操縦技術とは、実際の経験によって磨かれるものだと聞く。ならば、この艦のエースであり、『漆黒の戦神』とまで呼ばれる男であるのならば、どのような戦闘であってもこなせるものだと判断した。それに、彼の射撃の成績は、ゴート大尉に匹敵する。それならば、降下任務も耐えうるだろう。」
ジュンは、あまりと言えばあんまりな彼女の言い分にも、冷静に対応した。
「『燕雀、いづくんぞ鴻鵠の志を知らんや』…… いや、その深慮遠謀、いたく感服いたしました、提督。」
マリアベルの平手が、彼を襲った。
この作戦の概要を聞かされてから、ヤマダとアキヒトは寡黙になった。アキヒトはウリバタケに頼んで、何か秘密の工作を行っているらしい。
そしてヤマダは、射撃場に入り浸っていた。
彼が持っているのは、AKS‐74改。小口径弾の5.56mm弾を打ち出す、AK‐74の折りたたみ式ストックモデルだ。使用銃弾の規格が違うのは、NATO規格に代わっているためである。この時代、共産国側の銃もNATO規格に変更されている。
ストックを伸ばして肩付けし、セレクターレバーを操作する。AKシリーズのセレクターレバーは、安全位置の次がフルオート射撃という攻撃的な構造になっている。
それを二段階下げ、セミオート射撃、つまり単発発射を選択した。
ボルトを引き、チェンバーに初弾を込める。金属が噛みあう音がして、発射体勢が整った。
構えを再確認し、銃爪に人差し指を添える。
そのまま、絞るように銃爪を引いた。
ハンマーが落ち、チェンバーに装填された銃弾に命が吹き込まれる。
マズルから、荒々しい獣が、炎と轟音をともなって飛び出した。
それは紙製のターゲットに命中すると、そのほぼ中心を貫いて消えた。
銃を左横の机に置き、右側にある簡単な計器を操作する。そうすると、先程まで狙っていたターゲットが、軽い機械音を立ててこちらに向かってきた。それを手に取り、少し満足そうな微笑を浮かべる。
ヤマダはマガジンを外し、ボルトを操作した。チェンバーに装填されていた次弾が、バネの圧力で排出される。
床に落ちたそれを拾うと、ヤマダは唐突に言った。
「アリサ、何か用か?」
唐突に名前を呼ばれ、アリサは少し戸惑った。ヤマダは粘着テープを取り出すと、それでリア・サイトを固定した。
アリサはヤマダの横の箱(射撃場は構造上、跳弾を回避するために箱型の壁がついている。ナデシコの射撃場の場合、上段が強化ガラスになっているという特徴がある。)に入ると、遮光ゴーグルをつけて言った。
「私も射撃訓練よ。」
そう言って、強化ガラスの向こう側でベレッタM92FSを構える。ヤマダの愛用している拳銃と同型だが、彼女の銃はヤマダのそれと比べると、明らかに綺麗だった。
安全装置を外し、チェンバーに初弾を装填。そして撃つ。
お手本のような射撃だ。そして、銃弾は確かにターゲットの中心を捕らえている。
アリサは、「どう?」とでも言いたげな表情で、ヤマダを見た。
ヤマダは自分もM92FSを取り出すと、スライドを操作してチェンバーに初弾を送り込んだ。
右の計器を操作し、ターゲットの位置を変更する。
「?」
アリサは、流石にそれは無理だろう、とでも言いたげな表情でこちらを見ている。その距離は、目測で大体50mほどだ。元々、それほど大きくも無いターゲットは、すでに点にしか見えない。
ヤマダは代えのマガジンを机に置くと、ハンマーを起こした。そのままの体勢で、連射を開始する。スライドが前後に激しく稼動するたびに、必殺の威力の篭った銃弾が、虚空を飛翔してゆく。
たちまちのうちに、十一発の銃弾が撃ち尽くされる。スライドストップにスライドが引っかかり、ホールド状態になる。(マガジンには、最大で十三発装填できるが、全部装填すると作動不良を起こす可能性があるため、ヤマダは十一発しか装填していない。)
ヤマダは瞬時に、左手を机の上に伸ばし、代えのマガジンを掴む。グリップ横のマガジンキャッチを押し、自重で落下するマガジンの代わりに、代えのマガジンを装填。
スライドストップを下げる。金属同士が噛みあう音がして、チェンバーに初弾が送り込まれた。その体勢は、そのまま射撃が可能な、理想的体勢であった。
そのまま撃つ。銃声とほぼ同時に、マガジンが床に接触した音が響く。
計二十二発を撃ちつくした。銃声の余韻が消えるのを待ち、ヤマダは右の計器を操作する。
近づいてきたターゲットを見て、アリサの表情が驚愕に染まった。
そのターゲットを手に取り、ヤマダは軽く肩をすくめてみせた。
そこには、二十二発の弾痕でピースマークが描かれていた。
ヤマダは射撃場の後ろにある作業台に座り、M92FSの分解整備を行っていた。アリサは何が楽しいのか、ヤマダの前に座って、それを眺めている。
バレルのクリーニング、余分なグリースの拭き取りなど、単純な行為だが、疎かにすることが許されない行為である。
お互い、黙ったままだったのだが、先程のヤマダと同じように、アリサが唐突に口を開いた。
「ねぇ、ヤマダ君。人を殺すって、どんな気分?」
ヤマダは、作業の手を止めずに答える。
「元軍人のくせに、そんな質問をするのか?」
アリサは、肩をすくめながら答えた。
「私は入隊時からずっとエステライダー専門でさ。ほら、エステって高価でしょう? 殆ど虎の子扱いされて、パナマ戦争の時も出撃しなかったのよ。」
ヤマダは、少し考えてから答える。確かに彼の記憶には、エステが戦場を走り回って、歩兵を虐殺していた場面など思い浮かばない。
「……気分は最悪だな。初体験の時なんか、自分は生き残ったのに、なぜかちびってな。ついでにゲロまで吐いてしまった。宿舎に戻っても、恐怖と悪寒がついてまわって……… 初めて“女”に逃げたよ。後にも先にも、それを思い出すときほど、自分が惨めで矮小に感じられるときはないな。」
アリサは少し気圧されながら、もう一度質問をした。
「じゃあ、どうして人殺しができるの?」
ヤマダは、無感動な声で、淡々と語り始めた。
「それから何度か人殺しを経験して、ようやく分かった。『人間は正気じゃ人間を殺せない』ってな。コイツは奇麗事じゃない。遺伝子に刷り込まれた、種を存続させるための、一種の“呪い”だ。それに思い至ってから先は、少し楽になった。自分の狂気を自覚する時以外は。」
そう言って、ヤマダはAKS‐74改を手に取った。
「俺は、コイツのチェンバーに初弾を送り込む時、機械になる。人殺しの方法は、コイツの方が良く知っている。だから、俺はコイツに従うだけだ。でもな……」
ヤマダは、AKS‐74改を机に立てかける。そして、作業台の上で手を組んだ。
「帰ってきて、ベッドの上で、戦場で悪鬼の如く無感情に人を殺す自分を振り返ると、決まって“初体験”のときの心境に戻るんだ。ガタガタ震えて、小便をちびる新兵の頃にな。」
ヤマダはそう言いおえると、組み上げたM92FSを持って、立ち上がった。ホルスターにM92FSを突っ込み、AKS‐74改を手に取る。
そのまま、ヤマダは振り返らずに退室した。
その夕方、アキト、アキヒト、ヤマダ、アカツキの四人は、大会議室に呼ばれていた。そこで作戦の詳しい内容を聞くためである。解説をしたのは、マリアベルとジュンの二人だ。
無意味な部分を割愛して解説するならば、その作戦自体は「言うは安し、行うは難し。」の類いの作戦であった。
夜間、敵機動兵器をナデシコ側に引きつけつつ、アカツキの操縦するホバープレーン(ホバリングによって飛行する輸送用の航空機。規定搭乗員は六名。ヘリよりも小回りがきき、いざと言う時はジェット推進に変換することが可能。)で島の反対側に落下傘降下。その後、ヤマダとアキトは合流して研究所に侵入。ロバート・クリムゾンの一人息子、マイケル・クリムゾンを“保護”する。その後、アキヒトが“何らかの手段”で彼らを迎えにゆき、そのままホバープレーンで帰還という、単純かつアバウトで、なにより難しい作戦である。
「以上、説明は終了。後は降下する各自で細かい時間を設定するように。」
ジュンを含めてアキトを除いた四人が、呆れたような表情でマリアベルを見た。この作戦で重要なのは、なによりタイミングだ。
確かに、当事者任せにするのは最良の手段かもしれないが、すこしアバウトすぎはしないだろうか。
だが、アキヒトたちは何も言わずに、彼女の命令を忠実に実行した。地図の縮尺から距離を算出し、移動時間を計測。それにかなりの余裕を持たせて、作戦時間ギリギリで間に合わせる。
そして、だんだんと夜も更けていった。
ヘリと違い、ホバープレーンのローター音は小さい。アキトとヤマダ、そしてアキヒトの三人は、銃を抱えて座っていた。
操縦桿を握るアカツキの操縦は丁寧で、危なげ無かった。
ヤマダは、ふとアキトが持っている銃に気付き、声をかけた。
「おい、テンカワ。何でフルスケールのG36なんて持ってきたんだ?」
ヤマダは無論、アキトを上官だと思っていない。傭兵時代も階級とは無縁の行動をしていたためもあるが、この作戦は完全にアキトの専門外の作戦だからでもある。
つまり、ヤマダのほうが的確な指示を出すことが出来るのだ。アキトは潜入工作活動の経験はあるが、野戦の経験は皆無に等しい。迷彩服を着るのも初めてなので、意外と重いんだな、という感想が頭にちらついている。ヘルメットの蒸れが気になるのか、しきりに頭を傾けている。
ヤマダの言葉を聞いてアキトは、意外そうな表情で、腕の中のH&K G36を見た。100連マガジンを装備している上、狙撃用スコープ、果てはグレネードランチャーまでマウントされている。
「? いらないのか?」
ヤマダは冗談かと思ったが、アキトは本気らしい。
本気で大きな溜息をつき、ヤマダはアキトに粘着テープを投げた。
「それでストックを固定しておけ。簡単に剥がれないようにな。お前にはまだ、肩付けが必要だ。それと、100連マガジンを外して、30連マガジンをソイツで二つまとめてつけておけ。パンパンに込めるなよ、ジャムるからな。グレネードランチャーとスコープはいらん。置いていけ。」
そう言って、ヤマダは自分のAKS‐74改を見せた。そこら中に粘着テープが貼られて、余り見栄えはよくない。
「迷彩服はしっかり着る。防弾ベストは着たか? 予備のマガジンは? サイドアームの拳銃の準備はOK?」
アキトは黙って頷いた。アキヒトとアカツキが苦笑を漏らしたが、無視。
ヤマダは続ける。
「落下傘降下を行うわけだが、手順は分かっているな? 腕の高度計が1000フィートを指したらパラシュートを開く。正直、俺は訓練を受けていないお前が、無事に着地できるとは思っていない。まあ、足の骨が折れていたら置いていくから、そのつもりで。動けたら、パラシュートは纏めて地中に隠せ。他の場所と見分けがつかないほど丁寧にな。」
ヤマダは一旦、呼吸をおいた。
「一晩明かして、朝になったら、地図上の印のある地点に集合だ。物音や足跡を残すな。トラップに引っかかったら、慌てず騒がずそこで死ね。俺と合流後は、極力死なないように気をつけてやるが、一人の時は自分の身は自分で守るんだな。
それと、降下後は一切の会話はブロックサインで行う。詳しい連絡は、耳元で小声で、な。とはいっても、素人のお前にそれは酷だろうから、三度までは声を出すことを許してやる。それ以上声を出したら、俺はお前を撃ち殺す。」
ヤマダはそう言うと、瞑想でもするかのように瞳を閉じた。
「降下地点に着いたよ。そう長くも留まっていられないから、早めに降下してくれ。」
アカツキのその言葉を合図に、ヤマダとアキトは降下の準備を開始した。アキヒトはその後に降下するため、結構気楽に構えていた。
結論から言ってしまえば、アキトの落下傘降下は失敗だった。常人だったら、大腿骨が粉砕骨折していてもおかしくは無い。
しかし、アキトは常人ではない。「遺跡」を体内に取り込み、高次元存在になった彼の身体は、異常なほどの丈夫さを誇っていた。
重ねて昂気の使用により、衝突による運動エネルギーを分散し、着地。ヤマダが見たら、目立ちすぎだ、と説教するであろう着地であった。
パラシュートを纏め、草むらに放り込む。赤点の隠し方だが、まあ、発見されたところで、アキトなら問題は無い。この世の誰よりも強いのだから。
ヘルメットが蒸れるので、脱いだ。防弾ベストも脱ぎたかったが、それは流石に怪しまれるだろうと思い、そのままにしておいた。
夜が明けるまでは後、数時間。アキトは取り敢えず、食事をとることにした。
ヤマダの着地は完璧である。落下傘降下の経験は、アンドロス島奇襲作戦時に数回だ。最初の降下こそ死に掛かったものの、二度目は及第点、三度目は名人芸で着地を成功させていた。
降下後、すぐにパラシュートを纏めて、茂みの中に隠す。この島は熱帯に属しているため、幸いにも隠すための樹木は大量に存在した。いずれは発見されるだろうが、このパラシュートの裏地は迷彩柄である。そちらを表にしているため、そう簡単には見つからないだろう。
その後、同時に降下した荷物を纏める。周りへの警戒は忘れない。どうやら、敵の注意は、完全に反対側に向いているらしい。無論、それも夜明けまでの話だろう。
AKS‐74改に初弾を装填。そしてセレクターレバーを安全位置に。ふとした拍子に撃鉄が下がってしまうことがあり、危険だが、そんなことを言っていられる状況ではない。
ここは戦場である。生きることに貪欲でない人間ほど、先に死んでゆく。
鼻腔に、硝煙の臭いが届く。肌で感じる戦場の空気。
ヤマダは、久々の高揚感を感じていた。
周囲のトラップのチェック、地図を見てのフィールドの確認。全てを済ませた後に、ヤマダは自分の気配を消した。
食事はあえてとらない。腹に直撃弾を食らった場合、中身が漏れて炎症を起こす恐れがあるからだ。
集合地点には、ヤマダが先に到着した。それは熱帯雨林慣れしている点が多分に影響しているためである。
遅れて到着したアキトを見て、ヤマダは呆れ果てた。近づき、耳元で囁く。
「テンカワ、ヘルメットはどうした?」
アキトは平然とした表情で答えた。
「? 邪魔だから脱いだ。……悪いのか?」
ヤマダは冷たい目でアキトを見て、言った。
「悪くは無いさ、自殺志願者。せめて迷彩柄のバンダナでも巻け。黒い頭は目立つんだよ。」
そう言って、ヤマダはバンダナとマーカーを渡す。
「これは?」
「顔にペイントするものだ。肌色も目立つんだぜ。このままじゃ鴨撃ちだ。」
そう言って、ヤマダはマーキングを施した自分の顔を見せた。アキトは、ヤマダのするがままに任せる。
「……よし、これでお前もナイスガイの仲間入りだ。」
アキトの顔には、見事なタイガーパターンが描かれていた。
「で、これからどうするんだ?」
「お前の理解力はスッポン以下か? 移動するに決まっているだろ。」
くだんの研究所に向けて、道なき道を歩く二人。先行するヤマダが、アキトに向かってブロックサインを行った。
『一旦停止』
アキトはそれを見て、足を止める。
ヤマダはアキトの元に駆け寄ると、耳元で囁いた。
「足元を良く見てみろ。」
そう言われて、足元を見る。60mほど先の地面に、土を掘り返したような跡があった。
「クレイモア地雷の地雷原だ。モーションセンサー内蔵で、下手に近寄ると爆発する。ヘタクソな野郎で助かったぜ。」
そう言い、ヤマダはルートの変更を耳打ちした。
「いいな。」
ヤマダはアキトの耳元でそう囁くと、やはり先行して歩き出した。
そして、また数メートルも行かないうちに、ヤマダは『一旦停止』の合図を出した。
その後、『こちらに来い』の合図を出す。
アキトはそれにしたがって、ヤマダの近くに身を寄せた。
「何だ?」
「トラップだよ。今度は強烈な奴だ。」
そう言って、ヤマダはその場に屈み込んだ。アキトがヤマダの視線の先を見ると、そこには茂みにまぎれるように張られた、一本の黒い糸があった。
「あの糸は、手榴弾かプラスティック爆弾の信管に繋がっている。で、それを迂闊に解除すると、そこの木の上から、竹やりの付いた吊り天井が落ちてくる…… この手のブービートラップは、『陰気な妖精』の十八番だったな。アイツが敵か、やりづらいな。」
ヤマダはそう独り言を言いながら、そのトラップを解除する。
その次の瞬間、アキトが伏せた。ヤマダは少し、驚嘆の混じった瞳でアキトを見た。
「敵か?」
「そうだ。」
ヤマダは短く、そう囁くと、油断の無い瞳で周囲を見渡した。
アキトも気がついていたが故に、伏せたのだ。周囲を取り巻く、三人の人間の気配に。
ただ、それに関して言えば、腑に落ちない点があった。確かにそこに存在するはずなのに、そこには何もいないのである。
ヤマダは、ぼそりと言った。
「敵は、“プレデター”だな。」
勿論、これは場を和ますための冗談ではない。
クリムゾングループは、複合企業である。扱っている商品の中には、軍事関係の製品も数多い。
その中に、光学迷彩装備がある。その名の通り、周囲の風景に同化し、あたかもそこに存在しないかのようにみせる装備である。
その装備自体が、まるで大昔の映画に登場する宇宙人が着ているものに酷似しているため、その装備をしているもののことを、その映画にちなんで「プレデター」と呼ぶようになったのである。
この通称には他にも、「臆病者」という意味もある。その由縁は様々だが、確かに光学迷彩は、命を惜しむ金持ちの私兵ぐらいしか使用しないため、この異名がついたとも考えられる。
「どうするんだ、ヤマダ?」
アキトが囁く。それに対し、ヤマダは不敵な笑みを浮かべた。
「“プレデター”が相手なら、むしろやりやすい。敵はどうやら素人らしいな。」
そう言うと、ヤマダはアキトに、なにやら耳打ちした。
そうしてから、ヤマダとアキトは突然走り出した。
二人の意味不明の行動に、光学迷彩装備に身を包んだ人物“達”は、揃って嘲笑を浮かべた。
『隊長殿、どうやら敵は馬鹿らしいですぜ。』
全身を覆う光学迷彩装備内部の通信装置から、下卑げた男の声がした。その声の主は、筋金入りの殺人鬼で、警察の捜査から逃れるために傭兵となって、クリムゾン社に雇われた男である。
「敵を侮るな。あのトラップを解除したほどの腕の持ち主だ。恐らく、何か作戦があるのだろう。」
隊長と呼ばれた男は、そう返した。キューバ戦線で戦った経験もある一級の傭兵だったが、最近は食うに困ってこういう仕事をしている。「陰気な妖精」のふたつ名で恐れられた彼も、金欠にはかなわなかったのである。
『へっ、あんな軟弱そうな野郎の、何所に気をつければいいんですかい? 隊長どのぉ?』
今度は別の、いかにも軽そうな男の声がした。彼は、元はニューヨークのチンピラで、格好いいから、という理由だけで傭兵をしている男だ。
そのチンピラの科白を聞いて、殺人鬼が言った。
『確かに、あの二人なら、ラクショーでバラせそうですぜ。俺は先に行きますぜ、隊長。』
『ああ、待てよぉ!!』
二人は、隊長が止めるまもなく先行していった。
(しかし、あの一方の人物…… 何処かで見たことが……)
仕方なく二人を追走する隊長の脳裏には、なにか腑に落ちない感覚が明滅していた。
重い装備を引きずりながら、隊長はこの先の地形図を思い出した。
「たしかこの先には…… まずい!!」
隊長は二人に警告しようとしたが、通信を切っているのか、スピーカーからは雑音以外の音は聞こえてこなかった。
「この機転の利かせ方は、なるほど、奴だな。まさかお前と勝負することになるとはな、人生とは分からないものだ、『最強の素人』。」
先行した二人の視界は、ようやくアキトとヤマダの姿を認めた。
「へへへ…… 間抜けがぁ。そんなところで何をしようってんだよぉ…」
『ジェーノサイドォ、ジェーノサイドォ……!!』
見えないのをいいことに、二人はヤマダの傍に近づこうとした。
途端、二人とヤマダの目があった。ついでに銃口も。
突然のフルオート射撃のマズルフラッシュに、チンピラの網膜が焼かれる。
チンピラは、自分の横で倒れてゆく殺人鬼の姿を見た。光学迷彩装備には、防弾性など皆無に等しい。恐らく、ヤマダの銃に装填されていたのは炸裂弾だろう。もう、殺人鬼は助からない。
チンピラの腹部にも、一発の銃弾が炸裂した。幸運というべきか、不運というべきか。
ストッピングパワーに耐え切れずに膝をついた時、彼の耳に水音が響いた。
そう、ここは浅い水源だったのである。
光学迷彩機能の、主要部分に銃弾が命中したのだろう。虚空から二人の人間が突然、転移でもするかのように現れた。
一方は、既に肉片と化している。生存を確認するまでも無い。即死だ。もう一方は、腹部に銃弾を喰らったらしい。
しかし、彼に抵抗することは出来ない。
光学迷彩装備が余り普及しなかった理由に、弱点が数多い、という点が挙げられる。
全身に身に纏う、宇宙服のようなデザインなので、非常に重い。そして、長時間着用することが出来ない。迷彩性を考慮するなら、携帯武器が使用不可能。
そして、気配までも消すことが出来ないという点。
そこに居ると分かっているのならば、幾らでも対応可能だ。たとえば、消火器や小麦粉などをぶち撒ける。光学迷彩は、付着した粉塵までも消すことはできない。
同じように、塗料をぶち撒けるのも有効な手段だ。
今回、ヤマダが取った手段は、そういった類いのものが存在しない状況での対処法である。
水中に入った足は消えても、波紋や水音まで消すことは不可能だ。その中心点をたどって連射すれば、命中させるのはそう難しいことではない。
近くに水源が無ければ使用不可能な手段だったが、今回は上手く言った。
ヤマダは、まだ生きている方にAKS‐74改を向けた。すると、そいつはヘルメットを脱ぎ、懇願した。
「お、おい… 行動不能な敵を撃つのか! 俺はまだ、死にたくないんだ!! 見逃してくれよ!!」
ヤマダの反応は、何所までも冷たかった。
「……醜い野郎だぜ。」
AKS‐74改のセレクターレバーを単発にあわせ、銃爪を絞った。
情けない銃声が響く。それがチンピラの葬送曲となった。
チャプンと、空莢が水中に落ちる音がした。
「……テンカワ、右の潔い野郎は任せる。どうやら、もう一人は俺をご指名らしいからな。」
アキトは、押し付けられた相手を見ながら、「応。」と答えた。光学迷彩装備を纏わず、生身の肉体で、それは不敵な笑みを浮かべてそこにいた。
ヤマダは、振り返らずにその場を動いた。
途端に、水源は戦場からリングと化した。
「まさか、アンタがクリムゾンなんかに雇われているとはなぁ、『陰気な妖精』。どんな腕のいい殺し屋も、仕事が無きゃ、商売あがったりだよなぁ!」
ヤマダは、姿の見えない敵に向かって、そう呼びかけた。マガジンは空になっていたので、纏めてあるもう一方に差し替える。
ボルトを操作し、チェンバーに初弾を装填。
「人の事を言えたものではないだろう、『最強の素人』。相棒の『深紅の女帝』はどうした? ついにあのアマもくたばったか?」
茂みの向こう側から、気配はしないのに声だけが響いてくる。しかも四方八方からだ。
「エリスは最高の女だったさ、最期の時までな。あんたには駆け出しの頃の恩があるが、エリスを嘲笑するなら容赦はしないぜ!」
声に、嘲笑の色が混じった。
「はあ、お前は俺に勝つ気でいるのか? 無理だな。俺には日本の伊賀で鍛えた、世界最高水準の“隠形の術”と、この光学迷彩装備がある。お前では俺を捕らえることは不可能だ。」
ヤマダは好戦的な笑みを、無意識に唇に乗せた。
「じゃあ、そのご自慢の“隠形の術”とやらを、一発で破ってやるよ。」
そう言い終える前に、ヤマダは隠れていた木陰から、その身を躍らせた。そして、そこら中をフルオートで撃ちまくる。
すぐに、ボルトがホールドオープンし、マガジンが空になったことを示した。
とっさに代えのマガジンを取り出そうと、懐に手を入れる。
後ろに僅かな殺気を感じた。
ヤマダの遮光コンタクトレンズで覆われた瞳に、明らかな愉悦が滲んだ。
懐から手を取り出し、それのピンを抜いて後ろに投げつける。
閃光と爆音がはじけた。
ヤマダは、耳栓を外しながら振り向く。
そこには、酷く異質な空間があった。例えて言うなら、空間が人型の“焼きつき”を起こしている、とでもいうのだろうか。
「至近距離で閃光手榴弾を喰らった場合、光学迷彩は“焼きつき”を起こす…… 光学迷彩装備、最大の弱点だったよな、『陰気な妖精』。」
そう言いながら、遮光コンタクトレンズを外す。そして、腰からベレッタM92FSを抜き、ポイントする。
至近距離でスタングレネードとまともに相対した場合、その圧倒的な音量と閃光により、脳が揺さぶられて気絶する。そして、「陰気な妖精」と呼ばれた傭兵も、ご多分に漏れず気絶していた。
辛い勝利であった。彼がもし、重い光学迷彩装備を身に纏ってなかったら、確実に死んでいたのはヤマダだっただろう。
ヤマダの指に、今更ながら震えが蘇る。それが大きくならないうちに、ヤマダは言った。
「久しぶりの緊迫感だったぜ。あばよ。」
銃声は、乾いて響いた。
対して、アキトと敵との攻防も終わりを告げた。
「悪く思うなよ…… 俺も死にたくないんでな。」
アキトが、相手の肩の骨を外して、そう言う。
「なら手加減しろよ…… 完全に肩の関節を外しやがって。」
この状況でも憎まれ口が叩けるこの男に、アキトは好感を覚えた。
「心配するな、殺しはしない。」
男は、何か胡乱そうな瞳でアキトを見た。
「相棒は容赦なく撃っていたが?」
アキトは、苦笑と共に答える。
「俺が言ってきかせるよ。これでも上官でね。」
「そうか……」
アキトは、男を助け起こす。
「名前は?」
男は、怪訝そうな瞳でアキトを眺めながら答える。
「俺の名前はヤガミ・ナ―――」
しかし、彼の言葉は銃声でかき消された。
アキトの顔が、脳漿と血の混合液で濡れる。
銃声のしたほうを振り向けば、未だ硝煙の立ち昇るM92FSを構えたヤマダがいた。
「ヤマダ! 何故、撃った!!」
ヤマダは銃をおろすと、アキトに近づき、耳元で囁いた。
「感謝をされる覚えこそあれ、罵倒されるようなことをした覚えは無いぜ。」
「殺す必要の無い相手だっただろうが!」
激昂するアキトに対し、ヤマダも静かな怒りを込めた声で答えた。
「戦場の鉄則を教えてやる。『仲間は無条件で信頼せよ。敵はどんなことが会っても信頼するな。』。あの男は敵だった。」
「敵だからという理由だけで、分かりあえるかもしれない人を殺して、殺して、それで本当に平和になるのかよ!!」
ヤマダは、あくまでも冷静な怒りの篭った瞳で、アキトを見た。
「殺さなきゃ、俺が殺されるんだ。ここは戦場、狂気の空間だ。ご大層な理想を掲げるのは勝手だが、それで死ぬのは貴様一人だけにしろ!」
「質問に答えていないぞ! ヤマダ!!」
ヤマダは、今度こそ絶対零度の声で答えた。
「お前、ゲキガンガーの最終話、見たことがあるか?」
アキトは気圧されながらも答える。
「あ、ああ、あのろくでもない最終回だろ? 悪とはいえ、キョアック星人を皆殺しにするっていう…」
「俺はあの最終話も、一つの真理だと思うぜ。」
もう、ヤマダは返答しなかった。無言のまま歩き出す。
アキトは釈然としない感覚を味わいながら、ヤマダについていった。
研究所内部の警備は、意外と手薄であった。ジョン・ウーの映画並みの銃撃戦を覚悟していたアキトからしてみれば、肩透かしを食らったような気分だった。
尤も、ヤマダは安心したような表情をしていた。彼からしてみれば、仕事は危険が少ない方がいいのである。命を賭けるほどの仕事でもないし。
それでも、警戒だけは忘れずに、ヤマダは先行する。
時折、目と鼻の先を横切る研究員達に警戒しつつ、研究所の内奥へ、内奥へと進む。
そして、研究所の白い壁とは不釣合いな、マボガニー製の重厚感のある扉を発見した。
ヤマダの脳内の地図からすると、ここはマイケル・クリムゾンの私室であったはずである。
いかにも、「金持ちがいます」的な扉を見せつけられ、ヤマダは半ば呆れた。
マリアベルから渡された資料によると、マイケル・クリムゾンは、この研究所をほとんど別荘のように扱っているらしい。
ヤマダはカードを取り出す。ルリの入手したデータから偽造した、この部屋の合鍵だ。マボガニー製の扉にカードキーという、余りにも不釣合いな組み合わせだが、それはどうやらマイケル・クリムゾンの趣味らしい。
奇特な趣味もあるものだな、と、ヤマダはスリットに偽造カードキーを通す。軽い金属音がして、ロックが解除された。
アキトにブロックサインで、「中に入る。」と知らせる。
「!」
部屋の中に吐いた途端、ヤマダの顔色が変わった。
というか、これは“部屋”ではない。広いコンクリートの床に、青い空。床には白いラインがひかれ、そのラインが構成する図形の中心には、一機、垂直尾翼に「NO SMOKING」のマークが描かれた垂直離着陸機が鎮座していた。
アキトが、絶句した様子で漏らした。
「ヘリ…… ポート?」
ハリアーは垂直離着陸機である。そのため、着陸できるスペースさえあれば、滑走路が無くても離着陸が可能なのである。
マシンチャイルドですら騙されるセキュリティシステムに驚愕しながらも、ヤマダはハリアーの横の人影に目を凝らした。
そこには、一人のパイロットスーツを着込んだ青年が居た。
クルーカットに切り揃えられた金髪。目の覚めるような蒼い瞳。色素の薄い肌。パイロットスーツの上からでも分かる、均整の取れた肉体。一昔前のハードボイルド探偵物の主役のように、彫りの深い、バタ臭い顔。
それは、マイケル・クリムゾンの特徴と酷似していた。
「マイケル・クリムゾンだな。」
ヤマダは、ありったけの恫喝を込めて言った。対して、マイケル・クリムゾンは、懐からラッキーストライクを取り出し、火をつける。
ヤマダは続ける。
「俺たちはお前を“人道的”に“救助”するために来た。無駄な抵抗はよせ。」
マイケルは紫煙を吐き出しながら答える。
「くくく…… “人道的”に“救助”しに来ておいて、“無駄な抵抗をするな”とは…… なかなかのジョークのセンスをお持ちのようだ。」
「気に入ったか? コレが某超大国のやり方だ。」
ヤマダはそう言うと、AKS‐74改をマイケルに向けた。
「どっちにせよ、俺の任務はお前の拿捕だ。どんな手段に訴えてでも拘束する。」
ヤマダの科白に、マイケルは爆笑した。
「はははははははは!! こいつはお笑いだ!! 今世紀最大のジョークだよ!! 一体全体、この状況でどうやって俺を確保しようというんだね!?」
マイケルの言葉が、終わるか終わらないかのうちに、上空から一機の機動兵器が急降下してきた。
「!! あれは!!」
その機体は、危なげなくハリアーの横に着地した。その機体のシルエットは、間違いなくクリムゾン社製機動兵器、「スピットファイヤー」のものであった。
しかし、その機体にはヤマダのエステと同種の改造が施されていた。つまり、格闘戦に特化した機体ということだ。
緑地迷彩を基調とし、右肩だけが赤くペイントされて、そこに「回天」の二文字が筆字で大きく描かれている。
その「スピットファイヤー」に装備された拡声器から、声が響いた。
『ダイゴウジィィィィィィィィィィィィ!! 待ちかねたぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』
ヤマダの耳に、忘れたくても忘れられない好敵手の声が響いた。ただ、それは以前に聞いた声と違い、王者の誇りすら失った野獣の声だったが。
「……ジョージ、なのか。」
ヤマダの声に、少しの絶望感が滲んだ。彼は世界チャンピオンとなって、王座に君臨しているのではなかったのか。
そのヤマダの思いを察したのか、マイケルはいきなり語り始めた。
「ジョージ・アローシューターは、未だに世界チャンピオンだ。挑戦者がいなくてね。」
マイケルの言葉に、ヤマダは一つの仮説に思い至った。
「……パンチドランカーか。」
頭部に何度も、限りなくパンチを受けると、脳の神経が破損する。それが続くと、常に酒に酔ったような状態になり、最終的には廃人となる。これがパンチドランカーだ。
つまり、危なっかしくて挑戦者が出てこないのだ。たとえリングの上の事でも、相手を廃人に追い込んだとしたならば、世間的に悪評が立つのは当然だ。
それで、ジョージ・アローシューターは不動のチャンピオンなのである。
『お前がパイロットをしてるって聞いたからよぉぉぉぉぉぉ、俺もこの「回天」で相手をしてやるぜぇぇぇぇぇぇぇ!! ボクサーらしく、一対一で勝負だぁぁぁぁぁぁ!!』
「ジョージ、少し我慢しなさい。」
ジョージに対し、マイケルは言った。
「彼は機動兵器を持ってきていない。これでは正々堂々とは言えないよ。」
マイケルの言葉に、ジョージは頷いたかのように見えた。
ヤマダは、AKS‐74改の照準を、いささかも揺らさずに言う。
「……クリムゾン社ってのは、『ルーシー』の売買にも加担していたのか?」
『ルーシー』。非常に依存性の強い合成麻薬である。強い麻酔効果と、強烈な躁効果。それらに加えて、暗示効果まである。製造が発覚した場合、その容疑者にかけられる刑罰は、無期懲役と相場が決まっている。
それでも密造業者が後を絶たない理由は、その生産性の高さからだ。効果を得るためには、小指の垢ほどの量で十分なのである。量産体制さえ整えば、1kgあたり1000円で製造することが可能だ。
軍製造の「モルヒネ」は、これを薄めただけの代物である。つまり、地球は国家的に麻薬の製造を行っているのだ。
無論、「モルヒネ」は合法である。ならば、どうして「ルーシー」は違法なのか。
理由なんてものは一つだ。国がシェアを独占したかっただけの話である。
そして、その「国家事業」の片棒を担いでいる業者が、クリムゾンであったわけだ。
ジョージの言動は、パンチドランカーだけが原因とは思えないほどに支離滅裂だ。そのような症状を、ヤマダは戦場で数多く見てきた。
それで分かったのだ。彼が薬物依存症だということを。そして、彼がその「ルーシー」による催眠状態にいるということを。
「さて、それでは俺は行かせて貰うよ。父さんが待っているんでね。」
「行かせると、思っているのか?」
ヤマダは、あえて没個性的な科白を吐いた。それに対し、マイケルは嘲笑をもって答えた。
「君に、俺は撃てない。なぜなら、君に与えられた任務の内容は、俺の拿捕。つまり、『生かして連れて行かなければならない』ということだ。この任務は、既に失敗している。俺と君が、こうやって話をしているこの時点でね。」
ヤマダは答えない。答えられる状況ではない。
周囲から、無個性な大量の殺気が彼に注がれていた。どうやら、警備が手薄だったのには、ここで伏兵を配置しておく意味もあったらしい。ヤマダらしからぬミスであった。
そして、マイケルは続けた。
「俺の脱出後、この島は自爆する。まあ、せいぜい、頑張って生き延びて欲しいところだね。」
そう言うと、マイケルはハリアーのコックピットに滑り込んだ。
「待て!! 部下を置いていく気か!!」
アキトが叫んだ。マイケルは、それに対して明らかな侮蔑の表情を浮かべて言った。
「アレが部下? 冗談は止せ。“人形”を部下に持った覚えは無い。ちなみに、制限時間は三十分だ。せいぜい足掻くことだね。」
そう捨て台詞を残して、マイケルの乗るハリアーのキャノピーが閉まった。
垂直離着陸機の名に恥じず、耳を劈く轟音と共に、ハリアーは上昇していく。それに追従するかのように、ジョージの乗る「スピットファイヤー」も空を飛んだ。
それを見送りながら、アキトはヤマダに話しかけた。
「で、どうするんだ。」
「さて、どうしようか。」
何にも考えていないようなヤマダの返答に、アキトは怒鳴ろうとするが、ヤマダは一瞬早く、時計を見ながら続けた。
「……そろそろだな。」
周囲の殺気が、一段と増した。こちらに銃口を向けているのだろう。それなのに、ヤマダの態度はかわらない。
かすかにディーゼルエンジンの排気音が聞こえた。
「……時間ピッタリ。運送業にでも転職するか? アイツ。」
その音は、だんだんと近づいてくる様子だった。周囲の殺気に、戸惑いと銃声が混じり始める。
そして唐突に、それは現れた。
正面の密林から、その無骨な身体を銃声のBGMと共に露出させた。
ハマー H1。元々軍用車両であるハマーHMWを民間向けにした代物だ。マットブラックで塗装されたその巨体は、見事な四輪ドリフトでヤマダ達の前に停車した。
クローム製のフロントバンパーには、人を轢いてきたのか、血と肉片がこびりついている。
「ヤマダ、テンカワ、さっさと乗れ!!」
右のパワーウインドウを開いて、中でステアリングを握っていたアキヒトが叫んだ。勿論、ハマーはアメ車なので左ハンドルである。
ヤマダとアキトは、黙って後部座席に滑り込んだ。
乗ってから気がついたが、このハマーはMT車両らしい。本来の民間向けハマーはATなので、これはアキヒトの改造であろう。
ヤマダは、アキヒトに言った。
「おい、アマガワ。本気で運転できるのか?」
アキヒトは不敵な表情で答える。
「俺は二輪から四輪までなら、どんな代物でも人並み以上に運転できるぜ!」
そう言って、車を動かし始めた。地面の凹凸を無視して、ハマーが走る。
前方に、M16A2を構えた兵士が見えたが、無視して轢き殺す。骨の砕ける音と、肉が潰れる音が車内に反響した。
大言壮語のとおり、アキヒトの運転は流石であった。クラッチの切り替えも、一切の揺れを感じさせない名人芸である。
ふと、ヤマダは疑問に思った。
「……不躾な質問なんだがな、アマガワ。お前、もしかして車の要領でエステを動かしていないか?」
「? 良く分かったな。」
ヤマダは天を仰いだ。
後ろから、似たようなエンジン音が聞こえてきた。ついでに銃声も。
サイドミラーに写った影は、アメリカ陸軍御用達のハマーHMWの車体であった。
「撃ってきやがったな…… 少し荒っぽくなるぜ! 舌噛むなよ!!」
そう言い捨て、蛇行運転を開始した。とは言っても、元々道なき道を走破していたようなものだから、対して運転の荒っぽさは変わらない。
何所からともなく飛んできた5.56mm弾が、右のサイドミラーに着弾した。
「アマガワ! ルーフは開くのか?」
ヤマダの問いに、アキヒトは「ああ。」とだけ返答した。
「じゃあ、開け!」
アキヒトは手元のスイッチを押し、サンルーフを開いた。
「テンカワ! 少しどいてろ!!」
そう言って、ヤマダはサンルーフから顔を出し、AKS‐74改を構えた。装填されていたマガジンを外し、別のマガジンをセットする。
ボルトを操作。バネの圧力により、チェンバーに装填されていた通常弾が抜け、代わりの銃弾が装填される。
「完全鉄鋼弾だ…… ハマーのタイヤでもひとたまりも無いぜ。」
至近弾がハードトップの屋根に着弾する。しかし、ヤマダの表情は変わらない。
照準の先には、ハマーHMWのタイヤ。セレクターレバーは単発発射を選択。
銃爪に指をかけ、絞るように引く。
情けない銃声が響いた。アサルトライフルの単発の銃声は、フルオート時のインパクトとそのバレルの長さ故に情けなく響く。
それに反比例して、その暴力的な威力は健在だ。
恐るべき正確さで、銃弾はハマーのタイヤに食い込んだ。揺れる車の上からの射撃にもかかわらず、だ。
タイヤはパンクしても、ハマーはその動きを止めようとはしない。軍用車両の面目躍如といったところであろうか。ハマーはタイヤがパンクしたところで、48km/hで32kmの道のりを踏破できるタフさを持っているのである。
セレクターレバーをフルオートに設定。ロクに狙いも定めずに撃つ。
フルオートの場合、どうせ必然的に照準がぶれてしまう。ならば、狙いなど正確に定める必要は無い。どの道、弾幕を張れば一発は当たるのだ。
運転席周りに三発が着弾し、一発が運転者の頭部に命中した。貫通力に特化した完全鉄鋼弾の前には、ヘルメットなど紙くず同然だ。対人効果は薄いが、対物効果は非常に高い。
脳漿をぶちまけながら、ステアリングにもたれかかる運転者。助手席の兵士が必死に代わろうとするが、間に合わずに大木に激突した。
爆発。薄暗い熱帯雨林を、焔が茜色に染めた。
その爆発音の後ろから、今度は排気量250ccの、軽いエンジン音が聞こえる。ヤマダは舌打ちして車内に戻った。
「やばいぞ、アマガワ。連中、オフロードバイクなんぞ持ち出してきやがった。」
「そいつは…… ヤバイなぁ!」
思いっきりハンドルを切るアキヒト。一瞬遅れて、その右横を何かが通り過ぎる。
さらにその一瞬後、それは何の脈絡も無く爆発した。
右の窓ガラスが真っ白に染まった。
「防弾ガラス、入れといて助かったぜ……」
アキヒトには珍しく、弱気な一言であった。それを気にも留めず、ヤマダは叫ぶ。
「二ケツかよ…… 後ろの奴が持っているのはM203付きのM16A2…… グレネードランチャー付きか、厄介だな。どうする、アマガワ? このままじゃジリ貧だぜ。」
アキヒトは、前から目を離さずに答える。
「MINIMIがあるだろうが。あと、手榴弾も段ボール一杯に持ってきたぞ。」
「………そういうことは先に言え。で、どこにある?」
アキヒトは、またハンドルを切った。今度は左方向。
今一度、左から爆発音。
「くっ!」
防弾ガラスの破片が、アキヒトの左の瞼を切った。だが、一切アキヒトは動じない。そのくらいで動じるような神経など持ち合わせていなかった。
「シートの下だ! 座り心地の悪さで気が付くモンだろ、普通。」
そう言い捨てるアキヒトを尻目に、ヤマダはもう一度、アキトに言った。
「テンカワ、どけ。」
テンカワ・アキト、上官である立場無しである。仕方なく退く。
ヤマダはシートを剥ぐと、そこにあったMINIMIと手榴弾の詰まった箱を取り出す。
「アマガワ、MINIMIに装填された弾薬は?」
「勿論、完全鉄鋼弾だ。」
ヤマダは、いやに好戦的な笑みを浮かべた。
「なあ、ヤマダ。」
すっかり忘れられていたアキトが、ポツリと言った。
「俺は何をすればいいんだ?」
「そこの手榴弾でも投げながら、そこの窓から射撃しろ。」
ヤマダはそう言うと、MINIMIを担いでサンルーフから顔を出した。
「分かった。」
そう言ってアキトは安全ピンを抜き、窓から手榴弾を投げた。
そして窓から顔を出すと、G36を構えて銃爪を引いた。
「? 撃てないな。何でだ?」
そういうアキトに対し、アキヒトは言った。
「待て、テンカワ。お前、ボルトを引いたか?」
「? ライフルって、銃爪を引けば弾が出るんじゃないのか?」
「……お前、そこから手榴弾を投げてるだけでいい。」
ルーフの上からはMINIMIの断続的な、雷鳴のような銃声が響いている。それも、唐突に止まった。
ヤマダが車内に戻ってくる。
「一つ聞きたいことがある。アマガワ、どうやってこの島から脱出する気だ?」
ヤマダは、突入の手段は考えていたが、脱出の手段は考えていない。これはアキヒトとアカツキの仕事だったからだ。
そして、当のアキヒトは、ステアリングから手を放さずに答えた。
「……ここを真っ直ぐ行くと、アカツキとの合流地点がある。そこで、このハマーを吊り上げる。」
「「はあ?」」
アキヒトの科白、ヤマダとアキトは意味が取れなかった。とにかく、それがアキヒトとアカツキが考え出した脱出手段なら、それ以外に方法は無い。
仲間なら、無条件にそれを信頼する。それは、先程のヤマダの科白であった。
そして、森が開けて、海岸線が顔を覗かせた。砂浜といえども、ハマーの歩みを止めることは適わない。
アキヒトはスイッチを操作し、タイヤの空気圧を変えた。
ハマーの特徴の一つ、CTIS(Central Tire Infiation System)である。タイヤの空気圧を変え、砂地や泥土でもタイヤがはまらないようにすることができる。
そして、後ろから次々と、オフロードバイクに跨った兵士達が追いかけてくる。ハマーのリアは、強化装甲を張ってはいても、すでに蜂の巣状態だ。
「あー、アマガワ。」
「なんだ、ヤマダ。」
アキヒトは、ヤマダの歯切れの悪い言葉に、少々違和感を覚えながら答えた。ヤマダは手榴弾の安全ピンを抜き、後方に投げつけながら言う。
「この島、あと五分で自爆する。」
「……お前の科白をそのまま返そう。『そういうことは先に言え。』」
ヤマダが「五分」と言ったのには訳がある。どう考えてみても、「三十分」というタイムリミットは長すぎるのだ。タイムリミットなど、十分あれば御の字である。敵に塩を送るという時点でも、マイケルの言動は警戒しておくべきであった。
そして、唐突に、周囲が暗くなった。
「まさか……」
ヤマダは、上に何が居るのか、気が付いた様子だった。アキヒトは、唇の端に好戦的な笑みを浮かべた。
ヤマダが呆れたような表情で言う。
「本当に、吊り上げるのか……」
上に居たのは、アカツキが操縦するホバープレーン。その下部には、大袈裟なフックが付いている。
そして、ヤマダが確認したところ、このハマーの天井には、一本の、野太いワイヤーが張られていた。
これらが意味することは、ただ一つである。
「お前ら、莫迦だろ?」
「それはお互い様。」
上空のホバープレーンが急降下する。後ろのバイク兵たちが狂ったように銃撃を加えるが、ホバープレーンのプロペラを破壊するには至らない。
アキヒトとアカツキは、図らずとも同時に笑った。
一組のバイク兵が、携帯用地対空ミサイルを構えた。
と同時に、ホバープレーンのフックがハマーのワイヤーに掛かる。
射手の人差し指が、銃爪にかかる。
アカツキは機首を起こし、ジェット推進に切り替える。
今までヘリのプロペラとして機能していた主翼と、ローターとして機能していた垂直尾翼が、ピンと真っ直ぐに張った。
ハマーが浮いた。
スティンガーの銃爪が、絞られる。
ジェット推進の轟音が、アカツキの乗るホバープレーンと、アキヒト達の乗るハマーを上空へと運ぶ。
スティンガーが発射された。
ヤマダがサンルーフから、アキトから強奪したH&K G36を携えて顔を出した。
狙いを定めるのは一瞬。それから銃爪を絞るのも一瞬。
銃口から、盛大なマズルフラッシュが漏れた。
そこから放たれた銃弾は、狙いたがわず、スティンガーミサイルの弾頭部に直撃した。
上空に咲く、大輪の爆炎の花。ヤマダはそれを確認しようともせずに、車内に戻った。
そのさらに数瞬後、島の中心部が爆発した。それは連鎖反応も伴って、島全体に拡大する。
圧倒的な爆風に、ホバープレーンもつんのめるように機首を下に向けた。
アカツキは必死に機首を立て直し、何とか水平状態に戻した。
災難なのはハマーに乗っている三人のほうで、運転席でシートベルトを締めていたアキヒトを除き、ロクに固定されていない車内を転がりまわり、戦闘時以上の怪我を負ってしまった。
上下が反転した視界の中で、アキトはポツリと漏らした。
「三十分どころか、脱出してから十分もたっていないぞ……」
ヤマダが律儀に答える。
「信じる奴が馬鹿なんだよ。」
揚げ足を取るように、アキヒトは言った。
「ま、『次回を請うご期待』ってところだな。」
(第十一話、終了 第十二話に続く)
代理人の感想
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いろんな意味で、すげぇ(爆)