安民宿の一室で昏々と眠り続ける少女を見守ってて、ついそんな言葉が出てきた。
状況が状況なので私自身は一睡も出来なかったが、この子の安らかな顔を見ているとそんな疲れも感じなくなる。
我が子に愛を注ぐ母とはこんな気持ちなのだろうか?
私の母もまた、こんな風に私を見ていてくれたのだろうか。
改めて彼女の状態を調べるが、擦り傷と縄の跡ぐらいで酷い怪我は負っていない。髪の色は栗色、目の色はちょっと暗い藍色だった。
今でも十二分に愛らしく、時がたてば誰もがハッと振り向くぐらいの美人になるだろう。
それを……。
昨晩の事を思い出すと虫唾が走る。
ああいう連中を叩き切っても良心が痛まなかった。
それほどまでに奴らの行為は常軌を逸していた……。
私は、クリムゾンSSを抜けたヤガミの臨時の穴埋めという立場でアクアの護衛をしていた。
護衛、と言うには親密すぎるだろうか?
何せ住んでいる住居も同じで、朝起きるのも、食事を取るのも一緒。
こうしていると寮での共同生活を思い出す。ドナヒューさんらには別の状態に見えるらしいが……何だ?
今の所アクアの立場は微妙である。
アクアは現実から逃避する事を止め、真っ向から世間に立ち向かうようになった。
クリムゾン家の次期後継者として相応しいよう勉学に励み出し、“病気”の面影は全く無くなっていた。
突然のアクアの変貌に両親はもとより、現クリムゾングループ会長であり彼女の祖父のロバート=クリムゾン氏も驚きを隠せないでいた。
今は期待と疑惑が半々と言った所だろう。
どんな形であれ、彼女の存在が認められる事は、私にとっても嬉しかった。
そんな彼女を試すかのように、ロバート氏はある事業をアクアに任せた。
それは、クリムゾンが連合軍採用を狙う次期人型機動兵器の試験運用であった。
“ステルンクーゲル”と“積尸気”と呼ばれる二機種がアリス・スプリングに輸送され、そこで運用を開始した。
だが、こちらには“荒野の迅雷”事ドナヒューさんがいるとはいえ、そうそう簡単に人型兵器を扱える者はいなかった。
今まで戦艦や戦闘機が主力だった地球圏の人間にとって、二本足で歩く機動兵器など前代未聞なのだ。
勝手が余りにも違いすぎる。前進、後退などの基本動作はもとよりしゃがみやジャンプ、そして何より射撃などの動作をスロットルやフットペダルを使って再現し、学習型CPに叩き込まねばならない。
ドナヒューさんもこれには苦戦し、試験はちっともはかどらなかった。
これはまずいと私はついテストパイロットに志願してしまった。
友人が困っているのを見過せないのだ、私は。
流石にテツジンのパイロットをしていたので私は直に感覚を掴む事が出来た。
こういうのはマシンと見ては駄目なのだ。自分と同じ人型をしている以上、自らの肉体の延長と考える方が頭が早く納得してくれる。
私の操縦データが役に立ったのか、以後はスムーズに試験を行う事が出来た。
今の所は、ターレットノズルによる高機動力、ハードポイントシステムによる作戦行動の幅広い選択性。その性能を考えれば破格といって良いほどの生産性を持つ積尸気がリードしている。こちらの方は主にドナヒューさんが試験を担当した。
対するステルンクーゲル――こちらは私が担当している――は、その一風変わった装備が問題となった。
学習機能を発達させたコンピューターが、パイロットの望むがままに非常にきめ細かな動きを再現する“extra
operation system”を搭載しているのだが、逆に言えばこれ、玄人でなければマトモに動けない。反応が過敏すぎるのだ。
小型相転移炉の出力を利用したクーゲルの主力武器“DFS”も扱いに手間がかかりすぎる。
正式名称はディストーション・フィールド・ソードと呼ぶらしく、“あちら”風に言えば空間歪曲剣といった所だろうか。
空間歪曲場を剣状に圧縮させ、それをもって敵を歪曲場ごと叩き斬る事ができる。
破壊力は申し分ない事は認める。だがその形状を維持する為にはかなりの根気と集中力がいる。
更に、クーゲルは積尸気と比べコストが高い……安く、早く実戦投入できるという兵器の理想からは完璧に外れた、一騎当千の力を秘めたカスタム機体と化していたのだ。
多分少数が配備される事はあってもこれが主力には“なりえない”。
それに今はネルガルの“エステバリス”が連合の採用機体である。
恐らく向こう数年間は積尸気とクーゲルが軍に採用・購入される事は無い。
だから私は“あちら”に気を使う事も無く、開発計画に参加していた。
これらが採用されるであろう次期には戦争は終わっている。無論“あちら”の、木連の勝利で。
その時には戦後の秩序を維持するために、草壁閣下の元で生かされる筈だ。
そうやって暫く気ままにテストパイロットを続けていたが、クーゲルの姿勢制御プログラム更新に関連して欧州へと飛ぶ事となった。
OSを開発していたダブリン支社が私の戦闘機動データに興味を示し、ぜひ話を聞きたいというのだ。
ただこの事はアクアは承知していなかったようで、泣いてすがって私を止めようとした。
……アクアには悪いが豪州のみならず欧州の状況を知る事は大きな収穫となる。
知る限りでは、クリムゾンの影響が強い北米及び豪州や、クリムゾンのライバル企業ネルガル重工と明日香インダストリィが本社を構える極東以外は、押並べて壊滅状態に陥っているらしい。
だが無人兵器の観測データのみでは納得がいかない部分もあるのも事実。
それを確かめにいきたいのだ……火星で聞いた博士の言葉の真偽を確かめる為にも。
何とかドナヒューさんにアクアを説得してもらい、お土産も約束させられて私は豪州を後にした。
確かヤガミが欧州のとある軍人のガードをしているらしいから、気が向いたら会うのもいいかもしれない、とその時は構えていた。
旅客機で数時間かけて欧州に到着した私は、超博士が主張したような悪夢のような瓦礫の町並みを覚悟していたのだが……。
意外と街は元気に見えた。
確かに生々しい戦禍の傷跡はあちらこちらに見受けられる。
石造りの建物や道路は粉々に砕け、綺麗に並んでいたであろう街路樹は黒く炭化してしまっている。
私が降りた空港からは、撃破されたレーザー駆逐艦トンボが山に突き刺さっているのが良く見えた。
それはそうなのだが、街の人々の表情はそろって笑顔だ。
これほどまでに痛めつけられたのだから、絶望と恐怖、そして怒りを覚えて当然では無いのだろうか?
「もっと酷い有様を覚悟していたんだけどね……」
「ええ、少し前までこの世の終わりのような光景が毎日続いていたんですがね……今はご覧の通り。街にも活気が戻ってきました」
迎えに来たクリムゾンの研究員が嬉しそうに語る。
豪州では、激戦地である欧州はまさに最果てという認識があったのだが……。
「救世主が現れたんですよ。現在に蘇ったアーサー王みたいな英雄がね」
「英雄?」
「私も噂にしか聞いた事が無いんですが、黒いエステバリスに乗った凄腕のパイロットが、チューリップを落す程の大活躍をしているんですよ。お陰で欧州全土の戦力図が塗り替えられてしまいましたよ。一度戦闘記録を少し拝見しましたが、もうあれは鬼か神かって領域でしたね」
そう結論付けた私は、とっとと話題を変えクーゲルの将来的な拡張性などを研究員と話しながらその場を後にした。
正直な話、私が出向くほどの意味がある用事では無かった。
単に更新するOSについてどう思うか、とか使い勝手はどうかという、やろうと思えば通信で済む様な事ばかり。
かといって無意味かと言えば決してそうではない。
開発者とそれを使用する者の意思疎通を図る事は非常に重要な事だ。
優人部隊にいた頃も、技術士官と積極的に議論を繰り返し、より深く機体と互いの事を理解した物だ。
そういう面から見ても今回の訪欧は大きな収穫だった。
彼らはステルンクーゲルが自らの技術の集大成であるという自負があり、その事を語る彼らの目はとても輝いて見えた。
私もその話は興味深く聞かせてもらった。
矢張りこういった優秀な兵器は、作る者と使う者の熱意あってのものなのだと、改めて感じた。
翌朝になって私は彼らから車を借り、偵察を行う事にした。
この情報を本国に持ち帰れば、それなりの役には立ってくれるだろう。
ま、実際は気晴らしがしたかった事もあったのだが。
借りてきた車は内燃機関式の荒地走破に特化した四輪駆動車で……一言で言えば“ジープ”である。
ルーフ(天井)はビニール式で、必要に応じて広げたり閉じたり出来る。
豪州で見かけた電気自動車とは違い、無骨で力強いフォルムであった。
「……死んだ人間の怨嗟の声が聞こえてくるようね」
そして……ポンコツ同然となったジープを走らせ、小さな町に辿り着いて落ち着いていた。
結局あの少女は名前を聞く間も無く気絶してしまい、今も目を覚まさない。
「どうしよう……」
正直私は途方に暮れていた。
移動手段であったジープは良く動いてくれたがもう限界だ。
助けを呼ぼうにもここには通信施設が存在しない。電話線も断線しているようだ。
それに……。
とにかく、とことんまで孤立無援の状況だった。
そして今日は不幸の大売出し日だったようで、私は更に追い詰められた。
町に無人兵器が来襲したのだ。
踏んだり蹴ったりとは正にこの事だ。
今日ほど運命とやらを激しく呪った事は無い。
ついでに無人兵器の融通の無さを。
無人兵器の数は戦力とはとうてい言えないレベルではあった。
但しそれは軍隊での話。何の抵抗手段を持たないこの町にとっては、悪夢の襲来に他ならない。
しかも……。
私は未だ目を覚まさない少女に目配せする。
こことて安全とは思えない。シェルター施設が無意味という事は火星会戦で実証済みである。
「やるしか、ないか」
私は腰に心刀を差すと、少女を抱きかかえて下の女将に預けてきた。
どうするつもりだとうろたえる女将に、私は落ち着いた表情で答えた。
「大丈夫。助けを呼びに行くだけだから」
だが助けなど来ない事は判り切っていた。奇跡も起きそうに無い事も……。