緊急ボソン通信を送ってきた南雲君に、思わず私は聞き返していました。
負傷中のイツキを休ませ、草壁中将閣下以外無駄に興奮した上層部の老人の賛辞を聞いて、ようやく一段落といった所でこれです。
南雲君が率いる軍警察の能力をもってしても、あの男の悪巧みを防ぐ事ができなかったとは。
腕を上げましたね、山崎。
流石の南雲君も、私が送った映像には言葉を失ったようです。
月から脱出を試みたであろう連合艦隊が、一隻残らずスペースデブリと化しているその光景に。
連合軍所属の艦艇のみならず、民間の船舶も何隻か犠牲になっているようです。
……情報が錯綜しているので真偽の程は不明ですが、この戦闘において明日香インダストリーのヤハタ総帥が死亡したとも伝えられています。
たった一匹の野獣を野に放っただけでこの惨状……これでは、いつこちらにその牙が向けられても不思議ではありません。
保護者であるあの人は少々回りくどい方法で止めようとしていますが、それまで待つ訳にもいきません。
矢張りここは動くしか無いでしょう……。
本当は無いんですけどねそんなもの。
島流しの口実ですよ、口実。
アレには少し黙ってもらわないと、こちらの都合がつきませんからね……。
とぼける私にポカンとなる南雲君でしたが、直に私の真意に気付いたようで。
通信が終わった際の私の顔を見れば、誰もが“悪人ツラ”だと言うでしょうねぇ。
もしくは“お主も悪よの”って感じでしょうか。
今私を悩ませている野獣、と言いましたが……何も狂暴なだけではないのです。
北辰の様に義の為に血を流すのではなく、只己の渇望を満たす為に殺戮を繰り返すならば、とっくの昔に始末しています。
ですがそうじゃない。
彼には他に何も無いのです。
人を殺すしか……何かを壊すしか己の存在を誇示できない、悲しい破壊神。
それが真紅の羅刹と恐れられた美しき暗殺者……北斗です。
舞歌さんを豪州に派遣した以上、今の状況で抑えが利くのは保護者であり父親の……北辰。
ですが、今度あの二人がぶつかれば刺し違いになってしまうでしょう。
北斗君の技量は最早北辰を追い越していますが、北辰には心刀がある。
あの人に“正々堂々”などという言葉は無いですからね。“問答無用”“完全燃焼”がどちらかと言えば似合う。
全力で戦う必要があるならば、相手が素手でも躊躇い無く抜くでしょうから。
ここは、私が片をつけるしかありません。
北辰は外道とは言え、木連の為に修羅の道を歩む男。無碍にはできません。
そして北斗君も今はあのザマですが、その溢れんばかりの行動力は、きっと次の時代を作っていく力となります。
前途ある若者をこんな所で散らす訳にはいきません。
ブラックサレナ相手に大暴れを続ける北斗君に、私は呼びかけました。
彼が乗るダリアは、私が関わっていない数少ない機動兵器。
地球側から奪取したブラックサレナのデータと、月から盗み出した小型相転移エンジンを組み合わせて誕生した、木連版ブラックサレナとも言えます。
……まあ今のブラックサレナもダリアも、“原型機”とは最早似ても似つかない様になってますがね。
おやおや覚えていたとは。
初めて会ったときはまだ幽閉されてましたが、その状況でも常に気配を読んでいたに違いない。
パイロット特有の思い上がりを指弾してみましたが、彼がそう思うのも無理は無い。
今まで彼はずっと、己の身一つで戦い続けてきましたからね……肉体の延長ともいえる機動兵器の扱いが解らなくて当然。
ですが何時までもそれじゃ困ります。解らないならとっとと降りてもらわないと。
冗談が通じませんでしたが、私の言葉は通じたようです。
機動兵器が肉体の延長と言う事は、機動兵器を労わったり限界を見極める事が大事になりますから。
限界を超過して稼動させたりすると悲惨ですからね……幾ら生身で強かろうが外の真空はそれに遥かに勝る。
“生身である限り”これは避けられない事なのです。
お……ナデシコ側も慌てて後退を始めてますね。
一戦覚悟してましたがやけにあっさり……って、あ。
石蒜の周囲には月に展開している快速反応艦隊の約3分の1が集結していたのです。
うかつじゃ済まないですよこれは!
うーん、北斗君の実力を高く買っているのか、それとも私を信用していないのか……。
ぐは……容赦無いですね、タチアナ。
帰還してきた北斗君を出迎えに……とは言いますけど、イツキが寝込んでいるので私一人だけ。
ちょっと面食らった顔してましたね北斗君。まあ、このクラスの船を動かすには常識的に考えても三桁の人数はいるでしょうから。
……またしても戦艦の装甲を、しかも一際頑丈な格納庫の内壁に穴を空けるとは。
ここにも漆黒の戦神に魅せられた人間が一人……か。
その求心力、もっと他に生かせないのか奴は?
北辰がこの様な下手な嘘をつくとは考え難い。
つまりは本心から、テンカワ=アキトを倒したいと言う事でしょうね……。
しかし北斗君は知りません。
北辰も、条件さえ揃えばテンカワ=アキトを翻弄出来る事を。
先に倒されちゃったら、どうするんでしょうね?
今の彼には生きる活力がみなぎってますねぇ。
見ているこちらも自然と意気が上がって来るようです。
上機嫌で居住ブロックへと向かう北斗君には、今の呟きは聞こえなかったでしょう。
それにね……憎んでるのは確かですが私は奴を殺したくはありません。
死すら生ぬるい“罰”を与えてやりたいので。
流石に自分の上司を面と向かって批判されれば立腹もするでしょう。
しかしこれが私の本心……舞歌さんは今の木連には余りにそぐわない人物なのです。
……彼女の真の活躍の場は“戦後”にこそ訪れる。
それまでは、彼女を死なせる訳にはいきません。
返事が遅い。
まあ、私の事は恨んでもいいのでちゃんと仕事はしてもらいたいですね……。
それに……“彼”とぶつかってしまうと勝負がどうなるかは全くの未知数です。
身体能力だけなら北斗君を凌駕し、苦戦しつつも北辰とのタイマン勝負を三度も勝ち残り、漆黒の戦神に強烈な一撃をお見舞いする事ができた“彼”と。
優華部隊……それは、優人部隊総司令官東舞歌直属の精鋭部隊。
各分野のエキスパートである7人の乙女で構成され、その実力は優人部隊をも凌駕すると謳われていました。
確かに彼女達は標準以上の実力を持ち、己の力を最大限引き出す方法もわきまえている。
しかし……。
彼女らが持ち込んできた機体、神皇シリーズのコクピットをシミュレーター代わりとし、最新のデータに基づいたナデシコとの仮想戦をやらせてみたのですが……結果は散々たるものですね。
木連全体からみれば動きは決して悪くは無い。いやむしろ素晴らしいものです。
彼女達に勝る技量を持つ者は、最早三羽烏ぐらいしかいないでしょう……勿論、北斗君や北辰といった規格外を除いてですが。
ですが……一度の実戦は百の訓練に勝ると言う様に、木連は対機動兵器戦において明らかに劣勢に立たされています。
何かと言えばゲキガンガーを模倣したがり、ミサイルが残っているのに腕を飛ばしたり、態々大きな隙を見せてまで重力波砲を撃つ事に拘ったりする傾向にありますから……。
しかし彼女らはそんな事はしない。
あくまで冷静に、確実な攻撃を心掛けている、いいですねぇ。
ですがそんなもの、地球では出来て当たり前です。ナデシコの機動部隊は更に“個性”を生かす事に成功しているのですから。
七人の中では最も戦闘意欲が高そうだった御剣さんも、完全に戦意を失ってしまいましたね。
それだけならまだマシです。このままでは命さえ失いかねません。
空さんは全員の中で最も神皇の扱いは上手かったんですが……機体を下手に知っているだけに無茶をしようとしない。
その為に動きが平坦になってしまう……。
百さんも神楽さんも格闘戦をメインとし、戦闘機動は非常にきびきびしている。
ところが、その動きはナデシコ機動部隊と比べてしまうと見劣りしてしまう。
慣熟度が違うんでしょうね……地球側はバッタの様な高速で飛来する目標を一度に大多数を相手にする事が常でしたから。
しかも訓練と違い、戦場のバッタはコクピットの生体反応を消し去ろうと襲い掛かるのですから……嫌でも腕は上がります。
各務さんも天津さんも、臨機応変に戦術を変えていたのですが……どうも教本通りと言った印象が。
舞歌さんに比べると奇抜さが足りないんですよ……故に、即座に見切られてしまう。
彼らと対等に戦うには、その場のひらめきにも頼るしかありません。
流動的に、かつ有機的に連動しているナデシコ機動部隊を相手にするのは、こちらもそれに合わせないと……。
連携はできています。ですが全体的な統制がまだ未熟……実戦で培えればいいのですがそんな時間はもう無いのです。
これならば神皇は機体スペックをフルに活用し、常人の限界を超えた機動力を得る事が出来るので、ダリアを追い越す事すらできます。
しかしその反面汎用性や臨機対応能力などが全て失われてしまいます。つまり北斗君の援護は無理。
何より彼女らの存在意義が、無くなっちゃいます。
真っ先に拒否を表明したのは、紫苑さんでした。
他の皆は本気で悩んでると言うのに……即決ですか。
彼女は気付いたのでしょうかね? このテストプログラム……多く見積もってもデータの八割程度の実力しかない事に。
完全なデータならばもっと酷い結果が出ていたでしょうし、現実では更にナデシコ機動部隊は手強くなるでしょう。
悩んだ末、各務さんは決心したようですね。
彼女に続く様に他の皆さんも頷いています。
舞歌さんが手元に置いておくだけあって、中々有望な人達です。
同じ人間である以上、可能性は幾らでもあるのですから……。
では私は北斗君を何とかするとしますか。
教えたい事も、ありますからね……。
甘かった。
六人衆か誰かに道案内を頼まないと、仕事の後に帰れないと言う話、本当だったんですね……。
居住区とは反対方向の封印ブロック。そこに位置するセントラルパークに辿り着いているとは……筋金入りですね。
いや今でこそ適温に保たれ、心地よい湿度も維持できてますが……ほんの数時間前まで生命維持装置は停止してたんですよ?!
閉まっている隔壁をも拳でこじ開けて進むのだからたまったものではない。
北斗君の余りの行動半径の広さに戦慄し、万が一に備え大急ぎで全機能復旧させたのが功を制しましたね……
これで、本当に機動兵器のパイロットが勤まるのだろうか……。
……北斗君の対応は早かったですね。
華麗に地を蹴って距離を稼ぐと、芝の水分に靴を濡らしつつ大地を踏みしめていました。
太陽の如き色と熱を持つ心刀を、私は手首だけで左右に振ります。
北斗君の視線が心刀に注がれているのを、私は感じました。
人は誰しも、強い力に憧れるものなのです……使えるかどうかは別として。
背を向けようとする北斗君を、私はそのまま行かせませんでした。
とは言っても、殺気を消して無心のまま近付くなど……“彼女”ぐらいしかできませんからね。
対応できなくてもしょうがない。人が一番理解し難いのは、他人以上に“自分自身”なのですから。
私は北斗君に一本の小刀を投げ渡しました。
只の小刀ではありません。北辰六人衆が通常任務でも使う、高出力粒子短刀……通常の粒子兵器よりも若干出力が高く、かといって心刀には遠く及ばないと言う代物。これでもドア一枚程度は裂く事が可能です。
こちらを試す気だったのか、明らかな殺意をぶつけてくる北斗君。
それに私が動じないのを見ると、フンと笑って意識を集中し始めました。
感情がストレート過ぎますから、彼。何を考えているのか非常に解りやすい。さっきだって殆どからかい半分でしたし……半分は本気だったのでしょうが。
それよりも私は、連日行われた四方天の皆さんと中将閣下との会議の方が緊張しましたねぇ。
彼らはそう簡単には己の本心を明かしませんから。歳喰ってるだけ……舞歌さん以外、ね……に経験が豊富、嘘の付き方も見抜き方も心得ているので。
矢張り素質はあった様ですね。
ほんの蝋燭の光程度の長さしかありませんが、確かに心刀が発現していました。
これでも鉄板程度は引き裂けます。
余り表には出ませんが、嬉しそうな顔をしてますね……。
一歩父親に近付いた事がそれほどまでに嬉しいのでしょう。
何、それも今のうちだけ。父親という目標は直に追い越してしまうでしょう。
これから先幾らでも、越えるべきものは現われるでしょうし……。
人生には幾度と無く障害が立ち塞がる。
それを全て越える事が出来れば素晴らしい事ですが、誰もが万全の状態で、実力が伴った時期にぶつかるとは限らない。
時には試練の前に、手痛い挫折を強いられる事だってあるでしょう。
絶望と無念にかられることだって考えられます。ですが、それすらも長い長い一生においては大事な糧となります。
負け方を知っていれば勝つ方法を導けるだけでなく、二度と同じ過ちを繰り返さない事で強くなる事だって。
それが出来ぬ者は……。
秩父山中浅間神社。
人の気も一切無く、酷寒により凍りついた空気と降り積もった雪のみが私を取り巻いています。
その均衡を破ったのは、真っ赤な人型……北辰が駆る夜天光です。
コクピットハッチが開け放たれ、北辰からアタッシュケースを一つ投げ渡されます。
それをしっかりとキャッチすると、すぐさま中身の確認を行います。
これが時代劇ならば山吹色の菓子や外来品の武器が入っているのでしょうが、生憎入っているのは只の紙。
ですがこれは、今現在繁栄を享受している多くの愚者を破滅させるに十分なものなのです。
私が北辰に確保を依頼したのは、百年前の月独立運動に関わる連合側の対応、及び火星への核使用に関する命令書。
教科書からは完全に省かれた、もう一つの歴史。
歴史を築く権利を得たものにとって、必要ではない“真実”です。
確かに豪州は地理的条件やクリムゾンの本拠地という特殊性を見込んで攻略目標に設定しましたが、一番の目的は我々木連の存在を全世界に知らしめる事。
我々が機械の侵略者等ではなく、血肉を持った人間である事を知れば、多くの人が動揺するでしょう。
そしてその際、こちらの正義を示す為に必要な手段としてこの資料が必要だった……。
確かに表舞台から抹消された記憶であり、データベースにも登録されていない。
ですが、一度書類に書き起こされた物は簡単には処分できないもので、極秘裏に地下に保管されていた物を奪取したという訳です。
こちらでも確認を終え、アタッシュケースを閉じます。
と、簡単な性格を述べてからその人物の詳細な情報を伝えます。
アタッシュケースに加え、更に四つ五つの紙袋を持とうとする私に北辰が突っ込んできました。
紙袋には大○などの大手百貨店のマークがでかでかと。
が、そう言う北辰の目は何処か寂しげです。
闇に消えようとする北辰を、私は今一度呼び止めました。
聞こえていたのでしょうが、聞き入れたかどうかは疑問です。そのまま闇に紛れてしまいました。
本当、親子揃って頑固です……。
懐かしい感覚が私の脳裏を過ぎていく……ああ本当どれぐらい、こんな気持ちを忘れていたのだろうか。
それじゃ私自身を許せません。
……かといってイツキにまで面倒を抱えさせる訳にはいきません。
愛とは、与え貰うもの。彼女から受けた想いは、数倍にして返さないと。
テンカワ=アキトに負わされた傷はそう深く無かったみたいですね。顔色は悪くない。
……だが例え本気で無かったにしても、私の想い人に手を上げたこと、断じて許しませんよ。
“それ”に関しては敗北という屈辱で払って貰うとして……今はイツキです。
私はイツキの部屋にある大型ディスプレイを起動させ、地球圏の電波を受信し表示しました。
イツキは自力で蜜柑をつまみながら、釈然としない様子で画面を見守っていました。
豪州のアリススプリングに存在する大規模通信施設を利用し、世界各国の情報機関に例のデータを送る目論見は、見事成功しました。
あらかじめクリムゾン系列の放送局を幾つか買収し、率先して情報の開示をさせたのが功を制したようです。
ネタがネタなだけに躊躇いもあったでしょうが、あそこがやるなら自分らだって、と全世界が一斉に報じましたね……。
OREジャーナルの時と違い、今度は世界が相手ですよ……今度ばかりは隠し切れまい。
私は林檎を剥く手をピタリと止め、ナイフを置いてイツキの目を見ました。
……しまった。
いつの間にか彼女を置いてけぼりにしていたのか。これでは奴の事を笑えない……。
彼女は私を慰安するだけの存在などでは断じて無い。居るだけでいいなどとは、戦乱の世の今では寝言なのです。
人差し指で祓った雫が、シーツに後を残しました。
たらふく果実を食べて眠くなったのか、イツキの頭は前後に揺れていました。
一応瞳は画面に映る地球の混乱の様子を映しているのですが、それが果たして脳まで届いているかは疑問です。
ですので彼女を寝かしつけ、誰も見て居ないモニターをそのまま通信回線と繋げました。
その時私の顔は、南雲君と会話していた時と同じく、何かを企んでいました。
これでこの回線は私と氷室君の直通回線となり、会話ログも自動消滅します。
それでも元老どもよりかは遥かに融通が利きますけどね。五十歩百歩かもしれませんが、五十の差は矢張り大きい。
かく言う私もまた、支配されているのでしょうねぇ。
今まで“二人”の女性に、そして今は彼女に……。
管理人の感想
ノバさんからの投稿です。
いやぁ、大活躍ですなぁ超さん(笑)
裏から木連を操り、北斗を操り、ナデシコ側も掌の上ですか?
でも、この調子で最後まで行くとなると・・・ちょっと話の起伏が弱い気もしますね。