ぶっつけ本番だったにも関わらず、アルストロメリアのジャンプシステムは正常に作動してくれたようだ。
ジンシリーズでも少々難儀な月面から軌道上までの直接ジャンプを、ジンの半分もないサイズのこの機体がやってのけるとは。
矢張り技術面で確実に木連は追いつかれているのだ、地球に。
しかし……人材面ではまだ遅れは取っていない。
目の前で展開されている光景を見て、俺はそう感じた。
先のテンカワさんの宣言に勝るとも劣らない衝撃に、ブリッジは沈黙していた。
救援を求めていたはずの連合艦隊の残骸の合間を縫う二つの光。
爆発によって一瞬照らされるそれは、漆黒と真紅の姿をしていた。
漆黒の機体は言うまでも無くブラックサレナだろうが、もう一機はなんだ?
シルエットはブラックサレナに酷似しているものの、そこから発せられるオーラはまったくの別物。
純然たる破壊の化身……全てを喰らい尽くす暴竜の如き凶暴さであった。
振り向くと同時に接触し合う錫杖と、にらみ合う視線。
その先には、同じく赤き衣に身を包んだ外道がいた!
だが……確かに殺意や戦意は先に比べ格段に落ちている。
北辰、いったい何しに俺の前に?
血の如く深く、それでいて濁りのない赤い髪を持った暗殺者の話を。
しなやかな体躯が踊る時、そこには形を成さぬ肉塊と血だまりしか生まれないという。
その姿を見たものは誰もいないという。何故ならそれと対峙した者は、殆ど生きては帰れないからだ。
運がよかった者も心身共に朽ち果て、貝のように口を噤むそうだ。
「御伽噺か何かの類かと思っていたが……事実だったとは」
真紅の羅刹の事は山崎や秋山艦長から聞き及んでいた。
余りに荒唐無稽な話だったので話半分に聞いていたが……。
夜天光の錫杖を振り払うと、俺はテンカワさんを援護すべく突入しかけたが……。
全チャンネルで響いた博士の声が、俺をとどめた……石蒜を中心とした大艦隊が、月面から迫っていたのだ。
その数は少なく見積もって三桁後半……これほどの大戦力を、いつの間に地球圏に移動させていたのだ?!
あのルリちゃんが声を上げるのも無理は無い。
石蒜の全長は一キロを超えている。Yユニットを装備して全長が増えたナデシコでも4、5隻は並べられる大きさなのだ。
もっとも、大きければ強い訳ではなく、単独での性能はナデシコに大きく劣る。特に相転移炉の効率とか。
その最大の強さは無人艦隊への命令伝達能力である。
従来は臨機応変な対応など無人艦には望めなかったが、石蒜の高速演算機T−260Gによる情報処理能力により、即座に全艦に艦隊行動を取らせることが可能となったのだ。
人が乗っていないので、展開速度のみならば木連のあらゆる艦隊よりも迅速である。
……しかしこの船が地球圏にまで出張ってくるとは。
何か大きな作戦が実行されたに違いない。少なくとも月艦隊は今度こそ全滅したようだが、博士のことだ。こんな事が本命ではあるまい。
石蒜を知らないのかテンカワさん?
木連創設期に最も活躍した艦艇だと言うのに……北辰の様な裏の事情を知る割には、表の常識的な知識が欠如している。
テンカワさん……貴方は本当何者なのか?
俺の言葉を聞き入れてくれたテンカワさんは後退を開始した。
また北斗も、名残惜しそうに石蒜へと帰還していく……博士が上手く誘導してくれたのだろう、助かった。
連戦続きの今の状況では、皆まともには戦えなかっただろうから……。
砂煙を上げて疾走する整備班の皆さん、アーンド女性陣。
アルストロメリアから降りた俺の足元には白煙が立ちこもり、その白煙の下に見え隠れする蓑虫が一つ。
……ってテンカワさんじゃないか!!
この白いのは二酸化炭素が気化している証拠……演出に拘り過ぎてテンカワさんを窒息させる気か?!
いかなる生物であろうと呼吸器系のダメージは深いんだぞ?
少しぐらい労わってやれよ……。
高めに詰まれていたコンテナ目掛け、テンカワさんを放り投げる俺。
これならば二酸化炭素を吸う事も、これ以上騒ぎに巻き込まれる事も無いだろう……俺が原因のこれから起こる騒ぎに。
撃鉄が下がる音と冷たい声に、あれだけドタバタしていたその場の空気が本気で冷え始めた。
ドライアイスのせいなどではない。
俺の前から退いて下さい、リョーコさん……その銃口は、貴女ではなく俺に向いているんだから。
エリナさんに睨まれてもなお食い下がらないアカツキさん。
ネルガルの出向社員という立場をものともせず、会長秘書に意見するなんて……そんな危ない橋渡る必要は……。
班長……ガイまで?!
言い方は軽いが何気に重いな……こんな小さな少女に、引き金を引かせることを良しとしてはいけない。
どうしても、というのならば自分で始末をつけるまでだ。
あ、あら?!
先の自立宣言はどうなったんだ?
コンテナの上で寝転がっているテンカワさんがこちらを覗き込んでいた。
一部の女性陣からかなりのブーイングが上がった……ほっと胸を撫で下ろしている人が過半数を占めているのは、少々意外だったが。
有無を言わさぬ口調と温和な表情に、みな押し黙った。
矢張りカリスマ性があるなぁテンカワさん。例え姿が蓑虫でも。
だが、俺らが笑いながら縄を解いている途中も、ルリちゃんの視線は突き刺すような冷たさだった。
早速俺はテンカワさんから罰をもらった。
イネス先生に休養を強制されてしまった為、食堂での仕込ができないから代わりにやってくれとの事だった。
……しかしつい頭を下げてしまうところが何ともテンカワさんらしかったなあ。
必要とあらば味方も撃つやもしれぬ人とは思えない。
……まあ、どれだけ多くの一面を持っていようがテンカワさんはテンカワさんだ。
ホウメイさんはそう言うが、俺とルリちゃんの溝は相当深まってしまったぞ……。俺はいいけど、向こうは絶対に許してくれそうにない。
十箱ぐらいはあるジャガイモの皮むきを続けながら、俺は話を変えようとした。
だが本当の所はどうだろう?
超博士や姉さん自ら戦地に立つ事を、最初は切羽詰っているのだと感じたが……あの艦隊の威容を見てどうもおかしいと感じた。
あれだけの戦力をこちらにやる余裕が出来たとも考えられる。大体、跳躍門があるとは言っても補給ラインの確保は必要だ。
無人艦とはいえ、片道切符の特攻攻撃を許すような人ではない、あの人は。
必勝策を引っ提げて地球に来たに違いない。
だとすると……この戦争、もっと激しくなる。
などとアンニュイな考えが頭を支配していたが、それを一発で声の主が取り払ってしまった。
……お互いの姿を確認した途端、両者共に固まってしまった。
俺にいたっては包丁を取り落とし危うく足に刺さる所だった……手も震えてしまっていた。
俺は無理やりカウンターを飛び越え、すぐさま副長の前に駆け寄った。
そう言われて俺はハッとなった。
そうだ。俺は誰としゃべっているつもりだ?
この人は俺の尊敬する上官ではないのだ、もう……。
俺は高杉副長に今までの出来事を説明していった。
……口をつぐむ事だって出来たが、この人はかつての俺を知る数少ない人だ。
一人の木連軍人の生き様を……覚えていてもらいたい。
……確かにあの状況では後退しか方法は無かっただろうな。
虎の子のジンを破壊された状態で、あのテンカワさんに立ち向かうのは無謀だ。
どこをどうやったらユリカ艦長とルリちゃんを間違えるかなあ……。
まあ、ナデシコの中核を担っているのがルリちゃんである事は間違いないのだが。
格納庫での緊張した表情が嘘の様に、今のリョーコさんは明るく振舞っていた。
……とにかく、あの一件は俺と彼女達だけの問題にしてしまわないと。
これ以上リョーコさんやガイ、アカツキさんや班長らを巻き込めない。
“は”というのに微妙に力が入ってるな。
戦場でチームワークにヒビが入るのは避けたいんだけどな……。
確かに捕虜らしくない楽観した表情だからな高杉副長……。
何と言う余裕だろうか……矢張り秋山艦長が側に置くだけあって豪胆だ。
呆気に取られる事でもないでしょう……本当の事なのだし。
高杉副長を置いてけぼりにして、俺達はその場から離れていく。
……あーまたいじけてるよもう。ホウメイさん、美味しいものでも作ってあげてくださいね。
さて、その後一日潰して延々と戦闘シミュレーターに篭っていたのだが、何故かアカツキさんとアリサさんがいなかった。
日も落ちた頃に二人共帰って来たのだけども、アカツキさんは全身包帯まみれ。
その反面アリサさんは気力十分と言うか何と言うか……かなりテンションが上がっていた。同時にテンカワさんも……。
昨日何があったか俺は知る由も無いが、テンカワさんの緊張はかなり解れているようで、幾分余裕が戻っていた。
……本当に何やってたんだこの人は。
疑惑の視線がエリナさん、そしてルリちゃんから俺に向けられた。
視殺するような勢いってこんな風なのかも……。
他にもユリカ艦長やサラさん、そしてシュン提督にプロスさんがいる。
しかしこの面子の中で、俺と高杉副長は明らかに浮きまくっているのですが?!
いやー木連の捕虜である高杉副長に保証されても、ねえ……?
どうやら俺に対する不信は深いようだな、ルリちゃん。
テンカワさんの事をよっぽど信頼……いや最早これは信仰か?
テンカワさんがそう言うぐらいなら……よっぽど俺の重要性は高いようだ。
……何ですってシュン提督?
いや俺には何の事だかまだ解らない……高杉副長笑ってないで無学な俺にも解るように説明を!
その一言だけで俺には十分だった。
遂に、テンカワさんが戦場以外の局面で動き出そうとしているのだ……。
……テンカワさんが述べていった和平への道。
それはとても綿密に練られた計画だった。
軍の意見の統一、経済団体への圧力、更には捕囚である高杉副長をも利用した木連への呼びかけ。
俺は改めて、テンカワさんの深い思慮に感服してしまった。命を晒す戦場で、ここまで高度な政治行動を同時に行う事ができるなんて……。
だが俺は、それに諸手を挙げて賛同する事ができなかった。何故なら……相手が相手だからだ。
……大半は普通に聞こうとしてくれるのだけど、俺が発言する度に必ずルリちゃんは睨んでくるな。
まあ、いい……。
あの時俺を撃墜したステルンクーゲルは、豪州のアリススプリングから打ち上げられたものだった。
アリススプリングはアクア派の本拠地、更にプロスさんが探りを入れた結果……テストパイロットとしてあの人が登録されていたのだ。
やけに感慨深い言い方だ……テンカワさん月臣少佐とも知り合いなのか?
いやまさかな。でもあの顔はどうも旧知の仲って感じだが?
何やらショックを受けているエリナさんとユリカ艦長だったが、俺の方はと言えばひたすら感心していた。
何癇癪起こしてるんだルリちゃん?
こういう計画は、自分の思い通りに進む事など絶対にありえないと言うのに……。
苛つくルリちゃんを宥めながら高杉副長が頼んでくる。
にしても馴れ馴れしいな……ルリちゃん結構人見知りするタイプだと思ったんだが。
どうやら俺は高杉副長の評価を更に上げないといけないらしい……人心を掴む事にも長けているとは。
軟派そうに見えたのはその為か……。
貴方がそれを言うか、とは流石に口にはしない。
サラさんの興味ありげな視線に答えるように、俺は言葉を繋ぐ。
他人の惚気話程聞くに耐えない話題は無いわな、うん。
でも俺は……家族だ。
聞くだけならあの人、誰であろうと耳を傾けてくれると思うけどなぁ。
すぐ近くにいると言うのに……もどかしい所だ。
ルリちゃんがウインドゥを表示すると、そこには世界地図が浮かび上がっていた。
その後図も併用したルリちゃんの説明によると、軍の派閥は大きく分けて五つあるらしい。
亜細亜周辺を含めた東南亜細亜方面軍。
米国を中心とした、亜米利加方面軍。
欧州諸国を中心にした、西欧方面軍。
中央阿弗利加を中心にした、阿弗利加方面軍。
そして、最後に豪州を中心にした、オセアニア方面軍……よくもまあこんなに指揮系統を分散させたものだ。
これでは、突発時の連携対応が非常に困難ではないか。
俺達木連が緒戦で押しまくれたのは、こうした複雑な軍内部の派閥のせいだったのだな?
そういえばユリカ艦長のお父上は、結構高い地位に居る将軍だったんだな。
ユリカ艦長のお父上と言う事は……相当優秀な人物に違いない。
これならば東南亜細亜方面軍は心配無さそうだ。
?
会議が始まってからずっと思っていたが、何でサラさんが軍の説得に関係が?
これはまた随分直接的なパイプだな……もう欧州方面軍は完璧だろう。
それ、それですって!
その片手で持ち上げている“赤いの”が一番の原因!!
自然体で……何です? 高杉副長。
未だにエリナさんは不満を押し殺しているし、ルリちゃんに至ってはそれを隠そうともしていないのに……。
耳から言霊が心に直接痛みを持ってきたよ……高杉副長も苦い顔をしている。
俺らが……当事者なんだからな……。