物事が滞ったり、面倒に頭を抱える羽目になった時……漢なら、熱い湯に浸かって一旦全てを忘れ去るのが一番だ。
鼻歌でも歌いつつ、ぼんやりと湯気を眺め、先のことよりも風呂上りのコーヒー牛乳に思いをはせ……って。
二人っきりで浸かっているこの湯船、実はVRルームの技術を応用した仮想現実だ。
立派な富士が壁に描かれ、獅子の口からだばだばと湯が出ているが……幻だ。
現実の風呂、ナデシコ健康ランドは今の時間帯女性陣でごった返している。
元々混浴な訳では無いのだが……どうも班長を始めとした無謀なる人間が、度々アタックを仕掛けるので遂に時間総入れ替え制になってしまった。
班長、事風呂に関しては全く信用が置かれていないようだ……大体厳重なオモイカネのガードを掻い潜って、未だ桃源郷(本人談)を諦め切れていないようでは……。
曰くこれは“男の子として生まれた運命(SADAME)だそうだが……俺はそんな運命やだ。
まあ……イザとなればシャワーだけで終わらせるし、何より同席している彼は此処でしか洗えない。
しっかりと石鹸を泡立てて、優しく小さな背中を擦ってやる。
華奢で白っぽい身体に似合わず、汚れが酷い。髪だってほつれてる。
たっぷりの湯を使い、爪を立てずに髪を揉み……エトセトラエトセトラ。
他人の身体を洗う事がこれほど大変だとは。ふざけてガイやアカツキさんの頭をゲキガンガー風にするのとは訳が違う。
……暫く苦闘する事数分、ようやく目に見える汚れを全て取り除く事が出来た。
莫大な資金と労力を費やしていると言う点では、この表現がぴったりだ。
気難しくて我儘で……という部分も。
ただ……親に一時的に放置扱いにされてしまった為、今では全部自分でやらねばならない。
早すぎるからといって悪い事は無い……だが良くも無いだろう。
此処にアクセスできる人間は限られている。
侵入する事はそりゃ可能だろうが、生憎そんな乱暴者に幟をくぐらせる訳にも行かない。
それが出来る相手も、それどころでは無いだろうし。
大きな銅鐸上に『フリーズ』の文字。
……一体どんな無理難題ふっかけた、あの二人。
まるでチャットから抜ける程度の気軽さだが、やっている事は大規模だったりする。
かつてのオモイカネ暴走の際使用したシステムの流用とはいえ、オモイカネクラスのAIであるブロスの、調整作業なんて……。
何故こんな事になってしまったのだろう。
……和平への道はまたしても遠ざかっている。
アクア=クリムゾンの暗殺未遂、シャロン=ウィードリンへの襲撃……それに加え真紅の羅刹の来訪によりアクア派、シャロン派両陣営共、極めて甚大な被害を受けている。
それに反してナデシコ側の被害が少な過ぎる。俺や副長の負傷等数えるうちには入らなかった。
募る疑惑。疑われる資質……それらはアフリカ方面軍司令官代行が殺害された事で最高潮に達し、意見統合等夢のまた夢の話となった。
数的にはこちらが相変わらず有利だ。むしろ、抗戦派に寄っていたアフリカ方面軍を、和平派に引き戻すきっかけにもなったが……それが余計に疑いをもたれる結果を生んでいる。
これはブロスが命令逸脱をした制裁では無いかとも、俺は見ている。
大人気無い事この上ない。
今度こそリアルで汗を流し、俺はハーリーと共に一服している。
俺は牛乳、彼は林檎ジュース。
背が伸びたいと常日頃から言っていたのだから、と牛乳を薦めたのだが……ハーリーはこれに拘りがあるらしい。
照れるハーリー……彼がやっている事は褒められてもいいのだが……周囲は、ミナトさん以外“褒められようと”躍起だ。
大の大人が情けない。プロスさんも副長も提督も……ついでにゴートさんも大変だろうに。
ただ彼らはしっかりしている。自ら鬱憤の晴らし方を心得ているので放置していても問題無い(プロスさんと副長は仕事に逃げ、提督はカズシさんをしごいて。ゴートさんは……最早語るまい)。
が、ハーリーはどうする?
汗を流してストレス発散はある意味健康的で実に有意義だが、泣いて喚いているようじゃ失敗だ。
俺に何が出来ると言う訳ではないが、せめて励ましと風呂に付き合うぐらいはしてやりたい。
ピースランドへ俺達が来訪中、残されたナデシコは鬱憤晴らしか憂いを払う為か、周囲一帯の新型跳躍門、通称モノリスを粉砕している。
で、注意がそちらに向いている間にクリムゾンの特殊艦と大型戦闘機が強襲をかけ、連合の包囲網を突破。高杉副長らの連絡艇を回収してまんまと脱出してしまった。
こちら側で回収できるようにしておけば、どれほど楽だったか……しかも、これが原因でピースランド城での火災への対応が遅れた事も批判されている。
ナデシコは現在日本に戻っている。
建前としては連合軍の会議に提督が出席する予定があるからなのだが……実は、違う。
その一番の目的はコンテストの資材確保だったりする。
プロスさんが提案した一番星コンテスト……単純に言えば艦内の女性の中で一番輝いている人を選出するものらしい。
人によって他者に対する評価が千差万別な以上、多数決でそんなものを決めた所で全く意味をなさない筈なのだが……現在、艦内はかつて無い程盛り上がっている。
艦長に問うた所、プロスさんが“凄い景品”を用意しているので張り切っているそうだ。
嗜好判断がかなり高度な艦長すら動くのだ。相当素晴らしいものなのだろう……。男である俺には参加資格は無いので蚊帳の外だ。景品の内容が気になる所だが……まあいい。
ところがである。
出発直前、こうリョーコさんに告げられてしまった。
俺が一人で行けと言うのならば話は解る。
彼女はヒカルさんらに引きずられる様な形で、コンテストへの参加が決まっていたのだから。
……それすらも蹴ると言うのだ! コンテストが終わるまでの全てのシフトをやるという……設定はされていたが、すっぽかす事は黙認されていたと言うのに!
だが、次のリョーコさんの言葉は予想だにしなかったものだった。
何も言い返せないまま、俺は立ち呆けた。
あの笑顔の意味は何だ? 心の奥底から来る、爽快ではないモヤモヤとした気持ちを、俺に生んだ……。
気持ちの悪い状態のまま、俺はヒカルさんに呼ばれてしまった。
ああ、振り返りたくない。表情の維持が出来ないでいるのに……。
何やら必死だ。
それにイズミさんも、捕らえ所の無い表情の中にも微かに……焦りが見える。
コミュニケを通じて映された映像は……はい?
目を皿にするように必死で画面を追うが……駄目だちっとも解らん。
これといって危険な行動は無いし、彼女の気に障る単語も一句たりとも……そもそも、話題には出していなかった筈だが彼女の事は?
……何処からともなく現われたハリセンが俺の後頭部を凪いだ。
……さっきの1.5倍近いスピードだぞ、今のは。
同じ獲物でも、スピードが増せば単純な物理的破壊力は向上するのだ。竹光で殴られたかと思った……。
一気に空気が引き締まった。
イズミさん、普段力を抜いている分、イザって時はとてつもない集中力を誇る。
基本的に勝負時を見極めている人なのだが……それを、今俺なんぞの為に?!
何を言われるのだ、俺は……。
コンテストに向けたアリサさんやホウメイガールズのみんなの、涙ぐましい努力が思い浮かぶ。
何せ今回の“攻略目標”は能力・容姿・年齢……そんなものはお構い無し。
最も重要視されるのはその意気込み……執念。
そしてそれらは拮抗している。戦闘時と違い、得手不得意等無い。
力の渦の中で俺は、心底身を縮めた事もあったぐらいだ。
誰かを蔑ろにしてまでも、リョーコさんに……駄目だ、そんな事をして、リョーコさんが良い顔をする筈が無い!
それにこの船は……軍規で縛られてはいない!
人の想いで柔らかに……それでいて網状に、がっしりと編み上がった絆で包まれている!
それを俺如きが乱して良い筈が無い!
そうは言うが、何処かイズミさんの表情は嬉しげに見えた。
期待しているのだ。俺が……リョーコさんに全てを賭ける事に。
そして同時にこうも感じた。
何だかテンカワさんに似ているのだ、この表情。自らが手に出来なかったものを、他人が得るのを微笑ましく見つめる、暖かな目が。
可能な限り……そうは言うものの、取れる手段は限られている。
取り合えずアルストロメリアで出撃し、後を追う……まずはそれぐらいしか出来ない。
大体、それすら問題の根本的解決への糸口にもならない。
どうやって知ってもらえばいい……この、気持ちを。
こればかりは誰かに教えられる訳には行かない、俺の気持ちなのだ。誰かの答えは使えない。
アルストロメリアと同時にブロスも飛び出してきた。
これはいい。アルストロメリアの行動半径はそれ程広くないのだから。
彼のお陰でグッと彼女を探しやすくなった……探すという生易しいものではなく、捜索になってしまったが。
使い手も使い手だが何て体たらく!
よりにもよってこんな時に……。
嫌々文句を言いながらも、まんざらそうでない様子でコンテスト様の衣装を吟味する、あの人の顔が浮かぶ。
厨房で楽しげに聞こえる鼻歌……煌びやかな衣装をもって右往左往するイネスさん……。
ヤケクソ気味に叫んでいる副長……皆、今日この日を心待ちにしていたのだ。
明るく振舞ったつもりだが、ブロスには見抜かれた。
相手はリョーコさんを一撃で行動不能に持ち込む事が出来た。
それが物理的、電子的であれ極めて脅威である事に変わりは無い……これほどまでに接近された後では全てが遅すぎるのだ。
ならば……先手を打ってこちらから仕掛ける他無いだろう。
大規模な戦力を動かすのではなく、少数精鋭で……。
それに答える代わりに、ブロスは機体を急加速させた。
最後に信号が途切れたのは海上……だが、近辺に存在する群島に塗膜と強化プラスティック片が散乱している事から、水没と言う最悪の事態だけは免れた様だ。
ただ……。
その周囲の砂が不自然に盛り上がっている……最悪ではないにせよ、最低の状況である。
……どうやら敵は、相当な戦力をこちらに持ってきていた事は確かだ。
ブロスがそう思うには根拠がある。
まず、破損した装甲には弾痕が見当たらない。代わりにあるのは、何か棒状の物で貫通されたような凹み。
今更ナデシコ側に虫型を投入しても無意味だと、木連側も知っている筈……何せ最新鋭のダイ級でも歯が立たないのだ。
順調に回復しつつある戦力を、たかが自己満足で潰させるほど、東舞歌や草壁春樹は無能ではない。
だがそれなりの根拠がありさえすれば、どんな戦力でもつぎ込んでくる筈だ。
ナナフシや北辰、そして北斗。
それに類する存在が、ここに……あるいは本人か?
誰も死なせなかった事が、ナデシコの奇跡的なまでの士気を支えている。
そこに訃報が、しかもこうまで浮かれている時に入ったら逆効果……一気にどん底へと突き落とされる。
今まで通り等土台無理。彼女はナデシコの、いや……俺達の要。
そして俺の……。
態々足跡を立てるぐらいなのだから、余程の馬鹿かそれとも玄人か。
数的に余裕があるのか、技量的に引き離しているのか……さて。
銀色の夜天光部隊は、その全てに当てはまる。
こんな癖のある機体のみで部隊編成を行うなど、どうかしている……それを扱いこなせるだけの技能を、持ち合わせて居る事も!
その数……五機か。
二体一組で二つのチームを作り、それを統轄する一機という編成なのだろう。
……先頭に立つ機体も、“いかにも隊長機”と言った風に頭部が特別仕様だ。
虫型やジンシリーズとも違う、単眼の大型レンズには、こちらの黒い機体が良く映える。
夜天光はダリアといった特機を別にすれば、現行の機体では最高の能力を持つ。
同時に最大のコストもかかる筈だ……パーツが量産化を前提としていない上に、生産数が極端に少ない為に一向にコストダウンが図れない。
殆ど小型戦艦であるダイ系とどっこいどっこいの手間をかけて、それを遥かに上回る性能を持っているのだから恐ろしい。
……何が目的なのだろうか?
偵察にしては余りに過ぎた戦力であり、目的が見えな……。
何事も無かったかの様に踵を返していく夜天光部隊に俺は思わず怒鳴っていた。
雉も鳴かずば……とは言うが、これだけの部隊、放置は出来ない。
モニターに映った男は若い。
青みのかかった美しい黒髪を、無骨な銀色のヘルメットに収めている。
……多分、“俺が髪を染めたらこうなる”。
俺がアルストロメリアに乗っている事には、頓着していないな。
この様子だと、幾らかエステバリス系の機動兵器はコピーされているのかもしれないな。
人造人間同士の奇妙な会話……。
俺は、生まれてこの方人間として扱われてきたが、奴らは違う。
人造人間は互いを兄弟と呼ぶ。そして互いが蓄積する戦闘データをやり取りし、その問題点や注目点を議論し、更に機能を向上させる事に喜びを感じる。
只それは純粋な戦略戦術を問わず、同部隊内の通常人員に関する詳細な観察にも及び、開示データだけでは解らない隊員の評価を試みる。
要するに、世話話を良くするのだ俺達は。只それが好きでやっているか、ABCに組み込まれたプログラムかの、大きな違いが有るが……。
と、班長とアカツキさんがいつぞや提示してくれたデータを言う俺。
服ぐらいなら彼女の好みで選べばいいと思い、無意味かと思ったが……いやはや、どんな所で役に立つかわからない物だ。
あっさりと答えが返って来た。
夜天光の列が割れ、その先には……。
その名を叫びそうになったが、止した。
ここで動いたら全てが水の泡である。
両足を吹き飛ばされている状態で、両腕をそれぞれ捕まれている。
何か捕まった灰色の生物の様な状態だが、無事なことは無事なのでほっとした。
一応、ピットは無傷のようだが……この機体はもう駄目だな。
動力部やモーターのみを的確に破壊している。人間で言えば体中の間接を全て折られているような状態だ……。
人間、みたい……?
この一言を聞いて、俺は目の前の同族が、ひょっとしたら全く違う存在では無いかと疑う様になった。
人造人間は、能力の向上を図るために一番に手本とするのが、人間そのもの。
彼らに対し、ともすれば行き過ぎともいえる敬意を払って、接するのが普通だ。
しかし何だこの冷ややかな態度は?!
俺がクローを展開したのと、相手側が錫杖を構えたのはほぼ同時。
……最初から判っていて探っていたのか?!
何の為に!!