オーデル川
ドイツ東部とポーランド西部を分ける川。第二次世界大戦後、旧東ドイツとポーランドを分ける国境線になった。チェコ北部に源を発し、ナイセ川、ワルタ川などの支流と合わせてバルト海に注ぐ。ポーランドのシロンシク工業地帯とバルト海を結ぶ重要な物資輸送路。流域都市にフランクフルト・アン・デア・オーダー、シュチェチン等がある。国際河川。全長910キロ。
ポーランド語ではオドラ川。
オーデル川を越えると約60キロでベルリンである。
第二次世界大戦におけるベルリン最終防衛ライン。
3月15日 地球連合陸軍オーデル川ポーランド領橋頭堡
「ちくしょう」
俺は生暖かい液体が股間をぬらすのに気が付いて悪態をもらした。
そして、俺の悪態に答えるかのように木星蜥蜴の砲弾が俺の潜んでいる塹壕の直ぐ傍に着弾した。
20キロ離れた木星蜥蜴の砲兵陣地から放たれた200ミリ榴弾は人間の可聴域を遥かに越える高周波と低周波の複合周波音、つまり着弾音と大量のスプリンターをばら撒いて、この世から消滅した。運の悪い兵士を道連れにして。
大気を歪曲させるような衝撃波が地面を揺らし、着弾地点の大地を深く削っていく。
徹底的な破壊。
あらゆる生物の存在を完膚なきまでに消滅させようとする重砲群の十字砲火。竦みあがった心臓が一拍打つ間に、数十発の砲弾が大地を連打していた。
それに対して俺が出来ることと言えば、こうして塹壕のなかで小さく縮こまって、失禁することぐらいだった。
「帰りたい」
心の底からの後悔、悔恨。
我ながら、俺は自分が嫌になってしまうくらいの臆病者だった。どう考えたって、こんなところにいるような人間じゃない。
どこかの田舎町で畑でも耕している方が似合う、そういうドン臭い奴だった。
故郷の、リトアニアの民間防衛組織カイツェリートに入ったときでさえ、嫌で嫌でしょうがなかった。ただ他に就職がなかったから、浮浪者になるよりはマシだろうと思って入ったぐらいだった。
どのみち故郷のリトアニアにはまともな敵国なんて無かったし、内戦や紛争とも縁遠い国だった。戦争と縁の無い国だったから、大丈夫だと思っていた。
それが変化したのが去年。木星蜥蜴なんていうわけの分からないエイリアンがやってきて、リトアニアは戦場になった。
まともな装備がないリトアニア軍は即座に壊滅した。さらに貧弱な装備しかないカイツェリートは秒殺された。俺はずっと逃げ回っていたおかげで生き残ること出来たようなものだった。
部隊が全滅して、一人で途方に暮れて道を歩いているところで、リトアニアに転戦してきていた今の大隊に偶然拾われて、ここに到っていた。
そういう境遇の兵士は多かった。この壕を守る小隊はリトアニア人ばかりだったし、隣の壕を守っているのはハンガリー人だった。ロシア人もいるし、モンゴル人なんていう変り種もいる。
大隊の兵士はほとんど寄せ集めで、言葉が通じないので連携はあまりよくない。
だが、ありがたい事に1個小隊に1つずつ配られたコミュニケーターのおかげでなんとか最低限レベルで意思の疎通は取れていた。
他事を考えていた俺を現実に引き戻すように、再び小隊の潜む塹壕の近くに砲弾が着弾、衝撃波とスプリンターをばら撒く。
もう全部出し切ってしまったはずなのに、再現なく野戦服が黄色くそまっていく
こんなに臆病な俺がどうして今まで生き残ってこられたのか、自分でもさっぱりわからない。人間が生きていることはそれだけで奇跡であると言っていた学者がいたが、ほんとうに俺が生きているのは奇跡としか言いようが無かった。
ところが、こんな情けない俺を、何故かみんなはベテランの兵士として見ていた。いつの間にか軍曹にされていたし、みんなが俺を頼ってくる。
冗談じゃなかった。俺は小便を漏らさないように歯を食いしばるだけで精一杯っていうのに、他人の命までどうこうできる余裕は無かった。
だが、俺がどんな風に言っても誰も取り合ってくれなかった。それどころかベテランなのに謙虚だと勝手な解釈をして、ますます俺に頼るようになった。
「うううううぅぅぅ」
もう、どうしようもないのに戦わなくてはいけない。
この防衛線を守る戦力は、大隊とは名ばかりの寄せ集めの中隊程度の戦力でしかない。どう考えても勝てるわけがない、敵は最低でも戦車2個師団、400両以上の戦車を投入しているのだ。
戦うのが嫌で嫌でしょうがなかった。いっそのこと今いる塹壕が砲撃の直撃を受けて吹き飛んでくれないかと心底思う。
どうせ死ぬのなら、なるべくあっけなく、あっさりした死に方がしたい。痛いのは嫌いだった。
本当に情けなくなる。
こんな最低野郎が自分だと思うと、情けなくて涙が出そうだった。
今まで一度も彼女など出来たことはないが、それもしょうがないと思った。こんな臆病な奴を好きになってくれる女なんて地の果てにでもいないだろう。
いろいろ考えているうちに腹の調子も悪くなってきていた。このままだと失禁に加えてさらに大きい方まで出てしまう。
今までもそんなことは何度かあったが、何とか耐えてきていた。でも今度のは今までとは桁が違った。
直感的に本物の危機だとわかった。早くトイレに行かなくては、本当に拙いことになる。
それでも、持ち場を離れることは出来ない。どのみちこの砲撃の中では足が竦んでしまって動くことさえ出来ない。
俺はせめて気を紛らわそうと塹壕の中を見回した。
他のみんなも俺と同じように塹壕のなかで蹲っている。でもその顔には余裕があったし、漏らしている奴は俺くらいものだった。
板と杭で補強された塹壕のあちこちには砲弾のするどい破片が突き刺さっていたが、今のところ負傷者は一人もいない。
ただ、みんなは黙々とこの地を割るような砲撃に耐えていた。
そしてさらに、俺はこの糞だめのような塹壕でとんでもない奇跡を見つけてしまった。
「ユキカゼ曹長…」
町で拾ってきたらしいリンゴの木箱に座ったユキカゼ曹長がそこにいた。
その姿は、まるで日陰に咲いた色の薄い、儚げな花のようだった。なんて事の無い冬季迷彩の野戦服でさえ、ユキカゼ曹長にかかれば遠い異国の民族衣装のように見えた。
ほとんど微動だにしない。まるで石像のような眠りだった。
「うそだろ」
この砲弾の雨の下で、一体どういう根性があれば寝ていられるのか、俺にはさっぱり分からなかった。
だがユキカゼ曹長はこの砲声の下でも、ここまで寝息が聞こえてきそうなくらいに完璧に寝ている。後方の野戦病院のベットの上でさえ、戦場の悪夢を見て飛び起きる俺とは大違いだった。
よく見ると、他のみんなも同じようにユキカゼ曹長の寝顔を見ていた。
みんな、例外なく笑っている。この地獄みたいな砲撃の嵐のなかで寝ている人間を見たら、笑うしかないだろうが。
俺もつられて笑った。腹の痛みはとうの昔に消えていた。
「軍曹」
不意に曹長が目を開けた。
ユキカゼ曹長の寝顔を見ていた全員が視線を明後日の方向に向ける。向けられないのは名前を呼ばれた俺だけだった。
「戦闘準備をしろ。来るぞ」
そう言って、曹長は研ぎ澄まされたナイフのような鋭利な視線を塹壕の外に向けた。何時の間にか砲撃は止んでいる。
砲声に慣れた耳に突然の静寂が痛い。
それでも塹壕でAK47アサルトライフルを構えると、痛みは身が軋むほど酷くなった。
地平線の向こうまで続く雪景色のなかで、何台もの木星蜥蜴の無人戦車が黒い排ガスをまるで魔界から立ち上る瘴気のように吐き出しながら突進してきていた。
砲撃にまぎれてここまで接近したらしい。
ユキカゼ曹長が凄みの効いた声で言った。
「さあ、諸君。戦争の時間だ」
瞬間、塹壕に据え付けられたあらゆる火器がいっせいに火を噴いた。
第6装甲大隊の長い1週間が始まった。
「始まったみたいだけど、オレ達は出なくていいのか?」
「まだ必要ない。敵軍が戦線を突破するまでは戦闘待機だ。我々は予備戦力である。自重せよ、スバル中尉」
通信機の向こうからは無感情な声しか聞こえない。
嵐のような事前砲撃が終わり、無人戦車の襲撃を受けている大隊の防衛線からおよそ500メートル程離れた雑木林の中にオレは隠れていた。
正確に言えば、オレ達である。オレの搭乗しているエステバリスと少佐のファウケ、さらに戦車が3両。
無骨なスタイルのファウケや角張った車体の戦車が林の中で待機している情景はまるで狼の巣に迷い込んだような錯覚を与える。
反対に未来的なデザインのエステバリスは、まるで見知らぬ異国の町に迷い込んだ異邦人を思わせた。
「ほんとに大丈夫なのかよ」
ついつい不満が口に出てしまう。
命を助けられておいてなんだが、未だにオレはグロスマイスター少佐がいまいち信用できなかった。そもそも全身を機械化したサイボーグ兵士なんて、どう考えても胡散臭い。
だが、どういうわけかオレ以外の大隊の兵士達は少佐に絶大な信頼を寄せていた。助け出された後、世話になったユキカゼ曹長なんかはその筆頭前頭だった。
まぁ、あれだけ強ければ、信頼もするだろうけれど。
陸軍の作法など全く知らないオレは大隊に来てから調子が狂いっぱなしである。
そしてもう一つ、オレがどうしても不満なことがある。
「オレはエステバリスの操縦なんてしたこと無いんだぞ」
エステバリスのコックピットシートの座り心地はまあまあだったが、オレはどうしようもなく居心地の悪さを感じていた。
特にうまくいかないエステの電子戦機器の操作は、まるでエステがオレに乗って欲しくないと言っているようにさえ思えた。
だが、大隊でエステバリスに乗れる人間はオレしかいない。火星ならともかく地球ではナノマシン処理が必要なIFSは嫌われた。4日前まで乗っていたシエルはIFS制御だったので、同じIFS制御のエステを操縦できなくはない。
だからといって、陸戦の知識を何一つ知らない空軍の戦闘機パイロットをいきなりエステに乗せて実戦投入するのはどうかしている。
はぁ、とリョーコは深いため息をついた。
だが、この後リョーコは現役のコックがエステバリスに乗って戦うという前代未聞の暴挙があったことを知って、自分がまだ恵まれていたと思うことになる。
「どうなっても知らないからな」
そう言っても、既に戦闘は始まっている。
操縦をミスって死ぬのは他ならぬオレだった。本当に割に合わない話である。
「中尉。防衛線を突破した戦車3両が鉄橋に向かっている。排除しろ」
「了解。ってオレ一人でか!?」
「そうだ。何事も経験だ。よかったな中尉、これで空軍の機械化空挺部隊に配属されても困らなくても済むぞ」
「了解した――――――――畜生め」
罵詈雑言が溢れ出す前にオレは通信を切った。
少佐は感情がないとか言っていたが、それは嘘に決まっている。こんな嫌味は悪意なくして言うことは出来ない。
ちなみに、機械化空挺部隊とはエステバリスで空挺作戦を行う空軍の特殊部隊である。もちろんオレとは一生縁のなさそうな部隊だ。
既にエステバリスは完全な整備を受け、各種チェックも終わっている。いつでも戦える態勢にあった。
オレは待機態勢を崩さないままで、右手だけ操作して武装を装備した。
エリコン・コントラヴァス社製、35ミリKDA機関砲。なんと20世紀後半に開発された機関砲である。
対空兵器としては既に旧式極まりない。
しかし、対地攻撃にまだまだ十分通用することや、ジェネレーターに負担をかけない火薬式なので、歩兵戦闘車やエネルギー供給に難がある野戦でのエステバリス用武装として採用されていた。
90口径という長大な砲身から放たれるタグステン・カーバイド鋼の弾芯を持つ35ミリ機関砲弾の一撃は3000メートルの間合いと最新鋭戦車の上面装甲を軽々と打ち抜く破壊力を併せ持っている。
もちろん、防衛線を突破して橋頭堡に突入しようとしているロシア製最新鋭戦車T−150の上面装甲や背面装甲を楽々貫通できる。
とりあえず、普通の戦車相手ならば、大したことはないだろう。
いわばこれはオレの能力を推し量る少佐のテストだと思えばいい。これで失敗するようなら、少佐はオレを迷うことなく切るだろう、それだけの事だ。
そう考えて俺は頭の中を整理した。
「やったろうじゃんか」
エステバリスを直立させる。一気に視界が開けた。
全長6メートルのエステバリスの視界はかなり広い。
IFSの反応も、人型だけあって戦闘機シエルよりも無理がない。自然なイメージで動いてくれる。これなら何とかなるだろう。
レーダーが進撃中の無人戦車のブリップに機体を向けたところで、再び少佐から通信が入った。一体これ以上何を言うことがあるのだろうか。
苦虫を噛み潰したオレに再び少佐の無感情な声で言った。
「スバル中尉。君はこれをテストか何かだと思っているかもしれない。しかし、それは全くの見当違いだ。これは実戦である。結果を出せ、中尉。ディス・イズ・ア・ノット・リドルだ。復唱しろ、スバル中尉」
「ディス・イズ・ア・ノット・リドル」
「合格だ、中尉。敵を殲滅しろ。オーバー」
少佐の怜悧な視線を背に浴びて、オレは無言でエステを前進させた。
ウィンドウがディストーションフィールドの耐久値と35ミリKDA機関砲の残弾を教えてくれた。両方ともマックスまでチャージされている。
戦車など、エステバリスから見ればまさに旧世代の兵器。結果をだせばいいんだろ、叩き潰してやる。
そこでオレはふと思い直した。
要するに、殺られる前に殺ればいいのだ。いつもと変わりない。戦闘機といっしょだ。とにかく勝てばいい。それなら、簡単だ。
IFSタトゥーが一際強く光り輝いた。リョーコの命令を受けて、足の裏に装備されたキャタピラが高速回転を開始する。
降り積もった雪を蹴散らしながらエステバリスは突進を開始した。
「覚悟しろ、畜生どもめ!」
こちらに気付かず暢気に突進を続ける無人戦車は3台。雑木林から飛び出したオレに無人戦車は反応も出来ない。
そもそも、木星蜥蜴の無人戦車はもともと有人戦車である。
バッタと違って人間による目視監視を考えて設計されている戦車をただ無人化しても、索敵手段が不足するのは目に見えている。それに戦車は単独で戦うものじゃない。
ローラーダッシュであっという間に無人戦車の側面を衝いた。
35ミリKDA機関砲レディ、ファイア。
ぶれるターゲットクロスが未だ接近に気付かない無人戦車に重なると同時にトリガーが絞られた。
雷鳴のような連続発射音と共に灼けた35ミリ機関砲弾が一条の閃光となって無人戦車の側面装甲に吸い込まれていく。
しかし、その鉄弾の全てはリズミカルに装甲を叩くだけ、全くダメージを与えられないドアをノックするように側面装甲板を叩くだけだった。
「ちっ!」
舌打ちをする間もなく、高速機動。
地面を離れたエステバリスの足が積もった雪原を微かに掠り、雪の飛沫を上げる。エステバリス、慣性飛行。地面すれすれを直立したまま飛翔、着地。盛大な雪飛沫が上がる。
側面から背面へ、エステバリスの高速機動に無人戦車は追跡不能。
背面にエステが回り込んだとき、主砲はまだ側面を向いていた。
デッド・シックス。
「終わりだ」
射撃。毎秒500発の鉄の嵐が無防備すぎる背面装甲に襲い掛かる。
35ミリ砲弾は薄い背面装甲を易々と貫通。音速の2倍の速度で狭いT−150の車内を駆け回り、ヤドカリに寄生されたヴィトロニクスを細切れにし、150ミリ砲弾の信管を痛打した。砲弾、誘爆。
ほぼ同時に3台の無人戦車が爆発。敵戦力全滅。
「どんなもんだ」
戦闘開始から2分25秒。機関砲の残弾は600発中、246発。ディストーションフィールドの耐久値は100パーセント。
一歩的な戦い、虐殺とさえ言える。
どうしようもなく唇が凶がる。
とめどもなく歓喜が湧き上がる。どうしようないほどの興奮が脳髄を突き抜ける。知らぬものには永遠に理解できない勝利の美酒。握り締めた拳は無機質で、それでいて例えようも無く心強い。
すばらしい、強いということがこんなにもすばらしい。
例えようのない、溢れる力のままにオレは跳んだ。
コンマ1秒で誰もいなくなった空間を凶弾が凪いでいく。
目標を見失った150ミリ徹甲弾が秒速1500メートルの凶速で雑木林の木々をなぎ倒して、炸薬を爆発させた。赤い火柱が銀世界に新たな彩りを加える。
吹き飛ばされ、舞い散る雪の向こうにオレは狙撃手を見つけた。
T−150戦車が4両、150ミリ滑空砲をこちらに向けている。
さっき潰した3両よりも1両多い、だがそれがどうした言うのだろうか?ただ進み、叩いて潰すだけだ。
「スバル中尉、新手だ。殲滅しろ」
言われるまでも無い。黙って見ていろ。
バー二アを吹かし、加速。ローラーダッシュを併用、突進。
みるみるうちに無人戦車が大きくなっていく。無人戦車、射撃。
音速の5倍のスピードで突進する徹甲弾をスキーの要領で機体を左右に滑らせて、回避。砲撃はリョーコの突進を止められない。
それでも無人戦車は射撃を続ける。不毛、掠りもしない。
徹甲弾の音速衝撃波の唸りを肩で切りながら、さらにリョーコは疾走。
黒々とした闇の詰まった砲口が間近に迫る。
闇は怨嗟の声と死の呪詛を撒き散らしているようだった。
『死ね、死んでしまえ。何故生きている?早く死ね』と、オレはそれを軽く受け流す。
確かに殺されるだろう。
どうしようもなく、完膚なきまでに殺されるだろう。
言い訳の余地もない、完璧な死。
泣いても喚いてもどうにもならない、どうしようもなく完全な死。
間違いなく、殺される。
絶対に殺される。
殺される。
殺される。
殺される。
――――――――――――奴等は間違いなく、このオレに鏖される。
飛翔。
バー二アとカエルの足の構造を取り入れたエステの脚力は楽々と機体を地上20メートルの高みへと持ち上げた。
広大な、広大な視界が広がる。まるで世界を一望にした気分。このまま突き抜けていきたい衝動に駆られる。
だが、機体は物理法則にしたがって、落下へのプロセスを踏み始める。
やむなく、機体が天頂に達すると同時にトンボを切らせた。
懐かしい、子供のころによくやったバクテンとバクチュウ。体に覚えさせたことは決して忘れないし、決して裏切らない。
瞬時に天地が反転し、リョーコの望んだ視界が大地に広がっていた。
エステの真下には戦車4両、無防備な上面装甲を晒している。
まるで蟹みたいだ、と妙な感慨が浮かんだ。
同時に再び天地が反転しはじめる。慌てて射撃。
35ミリ機関砲弾が戦車の上面装甲に吸い込まれて、消える。まるでスポンジに染み込む水滴のようだった。
そして着地。バー二アで勢いを殺して、ソフト・タッチダウン。振り向いて再度射撃。
貧弱な背面装甲をブルーチーズのように穴だらけにする戦車。次々に砲弾を誘爆させ、火柱を上げて沈黙していく。
雪原と枯野のさびしい風景に派手な原色の火柱が4つ。
まるで話にならない。
「どうだ!見たか!」
高らかな宣言、それに答えるように電子音が鳴った。
なんだ?と思う間もなくオレは吹き飛ばされる。
何故?と思う間もなくオレの前に赤と黒の機動兵器が現れた。
無骨な中世の騎士を思わせるデザインの機動兵器。ファウケ、少佐の愛機。武器を構えている。
「後退しろ、中尉」
返答をする間もなく、通信は一方的に切られた。いや、繋がらなくなった。
轟音が酷い。さらに警告の電子音も五月蝿い。
「何なんだよ!」
オレの問いに答えるように、ファウケが咆哮した。
現在、ジェネレーター出力を10倍に設定。
定格の10倍の出力にジェネレーターの温度が急速上昇中。なれど安全限界温度まで45秒の余裕あり、戦闘に支障なし。
戦線20キロ後方より飛来せり150ミリ榴弾は3発を"視認"する。
速度は音速の2倍強、酷く遅い。目標はスバル中尉機。
着弾まで5秒、要迎撃。
右手に装備されたアイクホーン社製RTCG−1高周波ブレードは既に羽虫の羽ばたくような振動音を発している。それを超える不可聴域すら聴覚デバイスは拾い上げるが、回線異常の元となる故に遮断。
ただ意思の趣くままにブレードを振り上げ、振り下ろす。
剣先は音速を超過し、衝撃波が空間を打つ。
飛来する砲弾と衝撃波がぶつかり、砲弾は一瞬空中で静止。
だが、次の1コマの内に無数の亀裂を走らせ、爆散。
炎と爆圧が弾片を伴って音速にて接近、しかし何れも脅威には遠い。迎撃した砲弾の破片が機体に降り注ぐのを全て視認する。
完全義体化、それによる機体との完全な合一。ファウケの識る世界は私の識る世界であり、ファウケの意思は私の意思である。そこに一片の雑感は無い。
ファウケに備えられたセンサーは音速の20倍を超えて飛来する砲弾すら捉え。
さらに情報伝達を司る光電子回路は、神が作り上げた最も精緻で高速である人間の神経反射回路の150倍の反射速度を誇る。
2基備えられた大出力のジェネレーターは重力制御による重量軽減と相まって、ファウケに音速を超える機動を許している。
ファウケは音すら置き去りにし、常人の150倍の反射速度で機動する。それはさながら水を掻き分けて進む潜水夫に似ている。とかく世界の全てが酷く遅い、感情喪失機構がなければ、とても正気を維持できないだろう。
鋭利な砲弾破片が爆炎の赤を反射しつつ、超アミラド繊維で編まれた装甲服にて弾かれ、火花を残して散っていく。
迎撃完了。ジェネレーター出力を落し、音速超過の衝撃から電子回路を守るために閉鎖していた通信回線を開く。
途端、スバル中尉からの通信が入る。
「少佐!いきなり突っ込んでくるなよ!」
スバル中尉の言い分を察するに、事態を把握しきれていないように思われた。しかし、それもやむをえないものと思われる。
榴弾3発を叩き落したと言っても俄かには信じがたいだろう。
だが、詳しい解説をしている暇は無い。
「中尉。敵を撃破した後は速やかに移動しろ。データーリンクで通報を受けた敵の自走砲に狙撃される危険が大きい」
「そういうことは先に言ってくれよな!」
その言葉は至当。しかし、時間がない。
この瞬間も敵の攻勢は続いている。
また新たに雪煙をあげて無人戦車が戦線を突破し、鉄橋に向かって突進を開始する。後方の鉄橋が破壊されたなら、オーデル川以下東の部隊はポーランドで孤立する。
無人戦車3両を撃破すべき敵を認識する。
敵戦車とファウケはほぼ正対しており、戦車砲の射撃可能範囲に捉えられている。既に敵戦車のレーザー照準器とレーダー照準器に捕捉されていた。
ファウケの各種センサー類は私の五感に等しく、照準用レーザーはさながら敵意のこもった人間の視線に似た感覚を覚える。レーダー波は肉食獣の唸りであろうか?
特に感慨は浮かぶことなく、私は戦車に向かって前進する。
ファウケが土を踏む感覚は私の感覚であり、全長8メートルの巨体が感じるモノは私のそれに完璧に等しくなっている。
IFSとは比べ物にならない一体感。
いや、一体感ではない。まさに自分自身の体。己の分身である。
呼吸と同じ感覚で冷却機構に空気を吸い込み、同じ感覚ではきだす。それと同じ感覚で地を駆け、剣を振るう。
そう、無人戦車が放つ150ミリAPSFDS徹甲弾を見ることすら、空を飛ぶ鳥を眺める感覚と同じである。
無人戦車は3両、放たれた砲弾は3発。
砲弾の速度は秒速1600メートル。しかし、遅すぎる。
回転する砲弾に刻まれた無数の傷痕、装薬爆発による焦げ付き、衝撃に歪められた大気の唸り、砲口から上る発射炎、散らばる微小な燃焼薬莢の屑。
私は世界の全てを遅く見て、世界のあらゆる干渉を排除する。
迎撃。
突進する砲弾を音速超過の衝撃波で叩き落し、そのまま無人戦車に突進する。
忽ち私の意志がファウケに音の壁を破らせた。
無人戦車は未だにレーザー照準、レーダー照準を続いている。だが、既に音速で飛翔する鷹を、地を這うものが捉えられる道理は無し。
再度、無人戦車は砲弾を放つ。その意気や良し、だが遅すぎる。
砲弾は墜す必要すら感じられない。全ては装甲服のたるみをなびかせるのみ。
斬撃。
砲塔基部に刃が吸い込まれ、装甲の施せない旋回部を裂いて抜ける。音速超過の衝撃で砲塔は永遠に車体から切り離される。
一両目の撃破と同時に2両目の装甲に刃を突き立てる。
狙いはT−150のエンジンルーム。車体後部に設けられたディーゼルエンジン。
装甲の施されていないエンジングリルは薄紙のように裂け、臓腑に似たディーゼルエンジンが軽油を飛散させて切り裂かれる。
動力を断たれた無人戦車は完黙。
3両目。
再度、無人戦車は砲撃。
距離はおよそ3メートル、通常ならば零距離射撃ともいうべき距離。
だが、高速回転する砲弾も、吹き上がる発射炎も、突き出る砲弾安定翼も、何もかもファウケは識っている。
識っているのならば、かわせぬ道理は無し。
砲弾が胸先を通り過ぎるのを横目にしつつ、無人戦車を攻撃。
空いた左手が腰の武装ラックに収納された投擲用ナイフ、ドイツが誇る軍用ナイフメーカー、アイクホーン社製RTCG−2投擲用単分子ナイフを引き抜き、投げ放つ。
音速超過機動で投げられたナイフは自身も音速を超え、着弾と同時に火花を散らしつつ無人戦車の装甲を貫いた。
戦車の装甲のなかでも最も分厚いとされる砲塔装甲を破ったナイフはそのまま速度を保ちつつ、砲塔後部の弾薬庫に飛び込み、150ミリ砲弾を切り刻んだ。砲弾、誘爆。
その爆発は無人戦車の最後の一撃となった150ミリ徹甲弾が雪原に突き刺さるのとほぼ同時。
前後からの衝撃波がファウケを打つが、超アミラド繊維で編まれた装甲服とチタン系合金の装甲が全てを弾き返す。
ファウケは小揺るぎもしない。空の王はいかなる脅威にも動じない。
敵戦力を殲滅。砲撃を避ける為に速やかなる陣地転換が必要と推察。
「スバル中尉、陣地転換だ。急げ」
それほど離れたところに無い雑木林の中にファウケとエステバリス用の遮蔽壕が掘られている。そこに身を隠し、次の攻撃に備えるのである。
「なあ、少佐。あんた本当に人間か?」
「私はサイボーグだ。何か疑問でも?」
「いや、なんでもねぇ。やってらんないぜ、まったく」
通信は一方的に繋がり、そして切られた。
一体何だったのだろうか…スバル中尉もユキカゼと似ている、酷く不可解だった。だが考えている暇は無い。
素早くファウケを森に潜ませた。
一拍置いて敵の重砲から放たれた榴弾がファウケの立っていた場所を味方の戦車ごと吹き飛ばす。
これで一幕は終わり。だが、これがプロローグに過ぎないことは大隊の全員が知っていた。数日後には本格的な攻勢が始まる。
だが今は、無線の向こうから流れる勝利の歓喜に身を委ねるのも悪くないだろう。
夕暮れ。
朱に染まる雪原を彼は嫌っていた。
まるで血の海のようで、好きになれない。
血の海は塹壕の中でしっかりと味わっている。これ以上見たく無かった。
3月、雪のポーランドの日は随分と長くなっていたが、それでも寒さの所為で酷く夜が長く感じられた。
寒さは厳しく、夜は隣で寝ていた奴が夜の間に凍死していたという怪談が後を断たない。
なんでこんなところで戦争をしているのか理解に苦しむほどの寒さだった。
しかし、家庭の事情で軍に入るまでは歴史学者になるという夢を抱いていたマリュー・ガント大尉は本能とは別の部分でこの環境を肯定していた。
彼が知る限り、この地球という惑星において戦場跡でない土地などほとんど存在していなかった。
人は必要ならば何処でも戦争ができる生物である。
「最近は火星でも戦争しているしな…全く、救いが無い」
吐く息は瞬時に凍結され、白く霞んで虚空へ消えた。
深い沈黙がコンクリートで構築された大隊司令部を包んだ。
彼は人類に絶望も希望も抱いていなかった。なぜならば、自分も人類の一人だったからである。彼は自分で自分を傷つけるような真似を好まなかった。
彼はマゾヒストでなく、リアリストだった。
そしてリアリストである彼はこの戦場の現実を酷く冷たい目で見ていた。
マリュー大尉は双眼鏡で自分の仕事場を見渡した。
ニコン製の軍用双眼鏡(彼の愛用のカール・ツァイッア製は前の戦いで壊れてしまっている)の狭いがクリアーな視界の中には、敵戦車隊を撃退して勝利に湧く経験の浅い兵達と撃退した戦車隊が斥候程度の戦力でしかないということを経験的に知っている古参の兵達の苦笑があった。
そして、陣地を突破しようとして撃破された大量の無人戦車、およそ20両。
この情景は全て彼が作り出したものだった。
実質、第6装甲大隊はマリュー大尉によって指揮されていた。本当の大隊指揮官であるハインツ・フォン・グロスマイスター少佐の存在は形式的なものだった。
なぜならば、マリュー大尉が考える限り、ハインツ少佐は戦闘者としては一流以上の天才であったが、大隊の指揮者としては平凡な才能しかもっていなかった。そして、幸いなことに自分の限界を知っている人物だった。
自分に指揮官としての才覚が欠けていることを知っていたハインツ少佐はモスクワ、ボルゴグラード、クルスク、地球連合軍がその運命を賭けて臨んで、そして大敗した戦場の全てに参加して生き残ってきたマリュー大尉に大隊の指揮を任せていた。
そして、それは正解だった。
防衛戦闘においてマリュー大尉は何度となく軍事的な奇跡を成し遂げ、これまで何度となく木星蜥蜴の攻勢を頓挫させてきた。
胸に輝くグロス・ドッチェイラント軍団贈呈の騎士鉄十字章がその証だった。
マリュー大尉は騎士十字章を外し、手のひらに載せた。
重い、騎士鉄十字章は純銀製だった。
マリュー大尉はこの戦争における義務と名誉の在り方に懐疑的な目を向けていたが、この騎士十字章の重みだけは例外だった。
この重みこそ、彼の信じる義務と名誉の在り処だった。
数瞬の瞑目の後に、マリュー大尉は勲章を在るべき位置に戻した。
復活儀式はこれ位で十分だった。自分はまだまだ戦える。
「さてと、どうしたものかな?」
彼が見る限り、戦場は酷く不愉快なものになっていた。
第6装甲大隊に課せられた任務はオーデル川に架る鉄橋の防衛。その為にマリュー大尉は橋から数キロ離れた二つの丘に陣地を構築した。
二つの丘の間には鉄橋に続く道があり、この丘を突破しなければ橋には行けない。
前線に面する丘の斜面には塹壕と地下壕、有刺鉄線とピアノ線のバリケード、それに地雷原が配置され、オーデル川に臨む斜面には迫撃砲と簡易式のロケットランチャーを布陣させた。
これに対空パルスレーザーガンや高射砲が加わる。そして、ハインツ少佐のファウケやスバル中尉のエステバリスと戦車3両が機動防御の為の予備隊として待機していた。
マリュー大尉は地形を巧みに利用し、乏しい戦力と資材で考え付く最高の防衛線を構築させていた。旅団規模の戦力ならば、軽々とあしらえるほどの重防御の筈だった。
しかし、既に防衛陣地は破綻の兆候を見せ始めている。
まず、敵戦車を防ぎ止める地雷原は激しい事前砲撃でかなりの数が自爆してしまった。さらに有刺鉄線やピアノ線の防壁も同様である。
もっとも、これらのおかげで20両以上の戦車が足切られ、立ち往生したところで破甲爆雷と吸着地雷によって撃破することが出来た。
だが、本格的な攻勢の前にそのほとんどが機能を喪失してしまったのは拙すぎた。
ちなみに、地雷やピアノ線の補充はない。
さらに塹壕や地下壕が砲撃の直撃を受けて破壊され、少なくない数の兵員が失われてしまった。大隊の兵員は既に400人を切ってしまっている。
もちろん、それは戦闘可能な軽傷者を含めての数字である。
威力偵察レベルの戦闘でこの損害である。本格的な攻勢になったら、100両以上の戦車とバッタ、ジョロ、さらに航空支援が加わるだろう。
マリュー大尉をしても、処置なしだった。
それでも――――――
「あと6日間粘らないとな…」
何とかして時間を稼ぎ、何とかして陣地を建て直し、そして兵員をどこからでもいいからかき集めなければ。
だが、どうやって?
航空攻撃?論外である。スバル中尉はそれを身を以って証明してくれた。
砲撃?砲兵部隊は物資の欠乏で戦闘能力を喪失して久しい。
手持ちの手札はスカばかり、唯一のワイルドカードは少佐のファウケが1機。
だが、それでは戦闘になっても戦争にはならない。
マリュー大尉は唐突に子供の頃に見たテレビアニメを思い出した。
20世紀後半に作られた日本製のロボットアニメーションではたった一機の白いロボット兵器が戦争の行方を左右するほどの大活躍をしていた。
だが、現実はそんなに甘くない。
確かに少佐の操るファウケは次元の違う戦闘能力を誇っている。初めての実戦であるクルスク攻防戦では戦車一個連隊を一人で殲滅してのけた。
だが、地球連合軍はクルスク戦において完全に敗北している。
なぜならば、少佐が戦車一個連隊を殲滅している間に、木星蜥蜴は3個戦車師団を全滅させたからである。
そして少佐さえも最終的には木星蜥蜴の圧倒的な物量にもみ潰され、ファウケ初号機は撃破されている。今のファウケは弐号機だった。
つまるところ、戦争における絶対的な勝利の法則は敵を圧倒的に上回る物量に他ならなかった。
深いため息。
ため息をつくたびに生命力が何処かへ漏れ出していくような気がした。
母親はため息をつくたびに幸せが逃げていくと言って昔教えてくれたが、そのとおりかもしれなかった。
木星蜥蜴の総攻撃はハインツ少佐の予測どおりに3日後に始まった。
夜明けと同時に砲声が鳴り響き、前日から不眠で警戒にあたっていた兵士達のうたかたの眠りを木っ端微塵に吹き飛ばした。
200ミリから75ミリまでのあらゆる野砲が投入され、徹底的な砲撃が大隊の守備する丘に加えられた
さらに数十機の無人攻撃機が対地ミサイルと誘導爆弾を叩き込む。誘導爆弾の半分が5メートルのコンクリートさえ貫く徹甲爆弾だった。
砲撃が30分。航空攻撃は僅かに5分程度で終わった。
それでも叩きつけられた火力は守備陣地の限界を超えるものだった。
そして、100機を超えるバッタと100両を超える戦車が泥と雪を跳ね上げながら進撃を開始した。
これは丘を陥落させるためと言うよりも、丘の後ろの鉄橋を奪取するための戦力といえた。オーデル川に架った橋で生き残っているのはここ一個所しかない。
飛行可能なバッタならともかく、地を這う無人戦闘車両や補給品運搬車両にはどうしても橋が必要だった。
既に木星無人兵器群にとって地球製の装甲戦闘車両は戦力、戦術、戦略において大きなウェイトを占めるものになっていた。
このとき木星無人兵器群にとって丘に布陣していた第6装甲大隊は存在していないものだった。あれだけの火力を叩きつければ、急造の野戦陣地など木っ端微塵であると単純に考えていた。
故に、先頭を飛行していたバッタが突然爆発した時、無人兵器群は軽い混乱に陥った。
「タリホォォォォォー」
勝ち鬨が上がる。
火を噴いてバッタが墜落すると同時に、隠れていた歩兵達が次々に攻撃を開始した。
火力において圧倒的に水をあけられている地球連合軍は相手に肉薄し接近戦に持ち込むしか対抗手段がない。
最初の攻撃から3日、マリュー大尉は驚異的な努力で陣地を建て直し、武器弾薬兵員をかき集めた。
陣地は建て直すだけではなく、可能な限り地下陣地化され、兵員も完全な寄せ集めだったが、まともな装備を持った部隊をかき集めた。
砲爆撃で既にかなりの兵員と陣地が失われていたが、それでも未だに第6装甲大隊は組織的な戦闘能力を維持していた。
ユキカゼ曹長も地下陣地のおかげで命拾いをした一人だった。
「RPGだ。後ろに気をつけろ!」
返事を聞く暇もなくトリガーを引き絞る。
ロシア製の歩兵携帯用対戦車ロケット弾、RPG−7。東欧のさる貧乏国の倉庫で油漬けにして保管されていたものを引っ張り出してきたのだが、火薬は腐っていなかった。
軽い反動と共に光の矢と化した対戦車ロケット弾は、悲しいほど薄い装甲しか持っていないバッタを直撃して完膚なきまでに破壊した。
バッタはその小さい機体にジェネレーターと武装、さらに飛行のために重力制御機関を積んでいるために、装甲防御がほとんど施されていなかった。
装甲を施すと飛べなくなってしまうし、武装が減るからである。防御はディストーションフィールドがあるのでそれで十分だと考えていたとしか思えない。
そしてディストーションフィールドは実弾系兵器にはよほど大出力でもない限り効果がない、故にバッタはアサルト・ライフルの5.56ミリ弾にさえ貫通されるという悲惨なほどに悲しい防御しかない。
RPG−7でバッタを撃破したユキカゼは冷静に戦場を見回した。
対空機関砲が雷鳴のような射撃音が連続し、同時に殺虫剤を浴びた羽虫のようにをバッタが落ちていく。
気の抜けた発射音と共に放たれるRPG−7やカール・グスタフ対戦車無反動砲、パンツァー・シュレッケ(バズーカ砲)が次々に戦車を撃破していく。
古いものはソ連製AK47、新しいものはドイツ製最新型G55ケースレス・ライフル、新旧東西問わず、ありとあらゆるアサルト・ライフルが一斉に火を噴いてバッタを撃ち落していく。
米国製のM2重機関銃の発射音は重々しく、ソ連製PK機関銃は軽やかに、人間と機械の合奏戦争交響曲に上下からアクセントを加えていく。
バッタの多連装ミサイルの直撃で吹き飛ばされる兵士の悲鳴は高音のソプラノで、機銃で腕を飛ばされた兵士の嗚咽は低音のテナーだった。
聞きなれた歌。
敵が悲鳴を上げない無人兵器であることを除けば、酷く聞きなれた歌だった。
轟音。
対空機関砲に打ち落とされたバッタが墜落し、搭載していた小型ミサイルを爆発させた。
咄嗟に塹壕に体を沈めたものの雪と泥が盛大に降りかかる。
それを払いのける間もなく、生き残ったバッタが着陸し、12.7ミリチェーンガンを向ける。秒間数千発の鉄弾の嵐を吹き荒れた。
たまたま射線の上にいた運の悪い兵士が首を飛ばされ、胴を引きちぎられる。
その兵士は名前と顔の一致する珍しい兵士だった。大抵の兵士は顔と名前が一致するようになる前に死んでいく。
「軍曹!」
飛んでいった軍曹の首は何処を見ているかわからない顔をしていた。
突発的に湧き上がる衝動のままに射撃を続けるバッタに照準を合わせてトリガーを引いた。
ドイツが誇る銃器メーカーH&K社製G55燃焼薬莢式のアサルト・ライフル。凝りに懲りまくった設計で科学技術大国ドイツの精神が形をとったようなライフルだった。
トリガーを引き絞れば弾丸はでる。だが、薬莢は出ない。
薬莢自体を火薬にすることで薬莢の存在をなくすという画期的なシステムだった。重い金属製の薬莢を持ち歩かなくていいので軽くて済む。
もちろん威力は折り紙つきで、バッタのセンサーアイを一瞬にして打ち抜いて、コンピュータユニットをズタズタに引き裂いた。
ジェネレーター音が消えて、バッタが機能を停止したことが分かった。
敵は討ったが、悲鳴をあげない機械では中途半端な感じだった。
「意外と素早いな、もう混乱から回復している」
隊列を乱していたバッタは既に落ち着きを取り戻し、散会して反撃を始めていた。
「むこうも進歩しているということか」
だが、それほど状況は悲観的では無かった。もちろんユキカゼ自身、自分が生還することについては全く疑問に思っていなかった。
素早くマガジンを入れ替え、薬室に初弾を送り込む。
地下壕から覗く視界に一両の戦車。
ゆっくりと、それこそ欠伸が出るくらいにゆっくりと戦車の砲塔が旋回している。これまで何度も見てきた、そして永久に慣れない死神の蠕動。
G33を脇に置いてRPG−7を構える。
アサルト・ライフルでは鉄板にポップコーンを投げつけるようなものだった。
だが、最新型のT−150戦車に20世紀の遺物がどれほど通用するかはかなり疑問だった。だが、手持ちのまともな対戦車兵器はこれしかない。
そして、RPG−7は別名スーサイド・ウェポンと呼ばれる。派手な発射炎とバック・ブラスは1キロ先からでもしっかりと見えてしまう。
一発撃てばその10倍のお返しは確実で、ちなみにそれは"おつり"と呼ばれる。
だが、幸いにもRPGが火を噴くことは無かった。
突如として戦車が火を噴き、砲塔が爆圧で空高く舞い上がる。
そして、その爆発に負けないほどの空気の唸りが鼓膜を打った。弓を引き絞るような、独特の射撃音。
「アハト・アハトだ!」
兵士達が歓声を上げる。
敗退に敗退を続ける地上軍の守護神、88ミリ高射砲41型が猛然と射撃を開始していた。
もっとも、その咆哮は実に控えめなもので、弓を引くような独特の射撃音は勇ましさに欠けるものだった。
それもそのはずで88ミリ高射砲41型は2141年採用された対空レール・ガンだった。火薬を使用しないので射撃音は極々控えめなものにならざる得ない。
だが、威力は凄まじかった。
秒速3500メートルという凶速の劣化ウラン弾の一撃はあらゆる装甲戦闘車両を無条件で撃破できた。
音速の10倍以上の砲弾が毎分50発という速度で吹き荒れるのである。対空砲としても対戦車砲としても超一流の性能を誇っていた。
事実、アフリカ戦線では僅か3門の88ミリ高射砲で無人戦車100両以上を撃破したという逸話まで残ったぐらいである。
瞬く間に無人戦車隊が蹴散らされ、バッタが粉々になって落ちていく。
音速の10倍の速度という速度は直撃でなくとも衝撃波だけでバッタや戦車に致命傷を与えることが出来た。
空を覆い尽くしていたバッタが瞬く間に数を減らしていく。マリュー大尉が血を吐くような努力の果てに手にいれた88ミリ高射砲は全く期待を裏切らなかった。
木星蜥蜴は初撃で中核戦力を失って、じりじりと後退しつつある。バッタも既に半分以上が落とされていた。
また一機、バッタが落ちていく。続けて連続してバッタが炎上する。
炎上するバッタの傍を駆けて行くのは黒い影、音速超過で姿は見えないが、あんな芸当をやってのけるのは少佐のファウケしかありえない。
無人戦車隊もスバル中尉のエステバリスに翻弄されたところをATM(対戦車ミサイル)や対戦車ロケット弾で次々に撃破されている。
とりあえず、押している。
それが勝利に結びつくかはまだわからない。所詮優勢は過程に過ぎない、勝利ではない。
だが、間断ない射撃がバッタを駆逐しつつあるのは事実だった。既に手持ちの得物の射程距離圏に敵の姿はない。
「とりあえず、なんとかなったみたいですね。少佐」
後退するバッタを追って突進するファウケの背中にそっと呟いた。
普段は使わない女言葉だったが、今はいいだろう。自分以外の誰も聞く人間はいない。人間の言葉を理解できる存在は、自分の塹壕には一人もいなかった。
いや、いなくなっていた。
空は紅色に染まる頃、ようやく戦闘は終わった。
奇襲を受けて戦力の中核に大穴を明けられた木星蜥蜴だったが、一旦後退して戦力を補充すると再び進撃してきた。
流石に2度目は油断なく入念な砲撃と索敵の後の強襲だったために正面からの激突になった。
そうなると物量に勝る木星蜥蜴が有利だったけれども、かろうじて増援が間に合ったおかげでなんとか凌ぎきれた。
木星蜥蜴は撃退され、後は戦場の後始末が残っていた。
私はP228拳銃を片手に戦場跡をさまよった。
「お疲れ、クルツ」
ありえない方向に首を捻じ曲げた気の良い戦友の見開かれた目を私は静かに閉じた。こいつはひそかに私の生写真を売っているとんでもない奴だった。
「お疲れ、クニッケ」
元コックで盗んできた食料でおいしい料理を振舞ってくれたクニッケには恋人がいたはずだった。せめて腕時計でも送ってやろうと思ったけれど、腕が無かった。
「お疲れ、ヴァルター」
優秀なスナイパーだったヴァルターは無愛想だったが、酒を飲むと笑いが止まらなくなるというおかしな奴だった。首に下げていた認識票は首ごと何処かへ行ってしまったので、見つからなかった。
「お疲れ、ブリジット」
まだ19歳のブリジットは爆撃で死んだ恋人の敵を討つために軍に志願した。最近になって元気が出てきて、良い感じだった。そばかすの目立つのを気にしていた。だが、もうそばかすを気にする必要は無かった。そばかすごと顔は燃えてしまったから。
「お疲れ、ユウヘイ」
「勝手に殺さないでくれよ。曹長」
ユウヘイ伍長は私と同じ日系ドイツ人だった。
「俺達、勝ったんだよな」
「そうだね。とりあえず、ここではね」
既に砲声は聞こえない。時たまどこかの国のアサルトライフル銃声が聞こえるくらいだった。
見回すと、兵士達がまだ生きているバッタを掃討している。
弾薬が尽き、動けなくなったバッタがアサルト・ライフルの一連射で撃破された。
「曹長、変だな。なんで女言葉なんだ?似合ってるけど、変だぜ」
「似合っているのに変だなんて、変な言葉ね」
私は少し呆れた。
「どうして曹長はいつも男言葉なんだ?良かったら教えてくれよ。気になって眠れない」
ユウヘイ伍長は生きている方が苦しいぐらいの怪我をしていた。
「いろいろあったの。あまり聞かないで欲しいな」
「女の秘密ってわけか?」
「そういうことかな。ごめん」
ユウヘイはとんでもないという顔をして首を振った。そのたびに頭から血ではない液体がこぼれた。
「ミステリアスな女は魅力的って言うだろ?」
「ありがとう……止めはいるか?」
ユウヘイは笑って頷いた。
私は笑うどころではなかった。
マルター・ユキカゼの日誌
2196年3月22日
第6装甲大隊はその任務を完遂した。
残存戦力は歩兵96名。ハインツのファウケやスバル中尉のエステバリスは最後まで戦い抜いて、遂にスペアパーツが尽きて動けなくなり自爆を余儀なくされた。
2度にわたる総攻撃を受けても大隊の守備する丘は陥落しなかった。
マリュー大尉の戦闘指揮は巧みで、ハインツは修羅のように戦った。スバル中尉はまだ危なっかしいが、それでも初陣とは思えないほどの戦果をあげた。兵士達は死に物狂いで戦った。
そのおかげで私は祖国の土を踏みながら、1週間にわたって守ってきた鉄橋が爆破されるのを見ることが出来たのだと思う。
これでしばらく木星蜥蜴の侵攻は押さえられるだろう。
だが既に命令系統は壊滅状態で、大隊が何処へ向かうべきなのか分からなくなっていた。先にドイツ本土へ撤退した師団司令部との連絡はもう3日もつかない。
やむえなく、大隊はベルリンに向かうことになった。
木星蜥蜴の攻略目標はベルリン以外には考えられないからである。それにベルリンに向かえば、どこかで師団本隊とも合流できるかもしれなかった。
私は空爆で師団本隊は既に壊滅したのではないかと思っていた。が、少佐は師団本隊との合流に固執していた。
おそらく感情喪失手術で完全に消しきれなかった僅かな感情と記憶がそうさせているのだろう。
私にはそれが良いことなのか、悪いことなのか分からなかった。
義父のことを気遣うことは悪いことでは決してない。だが、それで不要な事を思い出してしまったら、ルーデル中将の心遣いを無にすることになってしまう。
そしてベルリンでは市街戦になるだろう。
まかり間違ってカルガリンの秋事件と同じ状況になるかもしれない。
それでも記憶が戻る可能性は万が一にもありえないが、用心はしておくべきかもしれない。ハインツの過去を知っているのは多分、もう自分だけだろう。
私だけがハインツを過去から守ることの出来る唯一の人間なのだ。失敗は許されないし、とても許すことができない。
最近は暗い話題ばかりだ。天気予報では明日から雨になるらしい。
ハインツは歩いて移動する気らしいが、錆びないか心配だ。
紙もペンも残り少ない。本日はこれで終わる。
オタな用語解説
カイツェリート――――リトアニアの民間防衛組織。ほんとにあります。兵員は1万5千程度だそうです。2196年にそんな組織が残っているかは…かなり疑問。すいません趣味に走りました。
AK47―――――ソ連製のアサルト・ライフル。ゲリラが良く使っている。アフガンゲリラの必須装備。
エリコン・コントラヴァス社製、35ミリKDA機関砲―――――エリコン社はスイスの有名な機関砲のメーカー。35ミリKDA機関砲は自衛隊の87式自走高射機関砲とかに積まれている。優秀な対空機関砲、でも対地攻撃もできる。
ヴィトロニクス―――――電子兵装のこと。レーダーとか電波妨害装置とか、そこいらへんを総称してこのように言う。
アイクホーン社―――――ドイツの老舗ナイフメーカー。一流の軍用ナイフを多数生産している。これも趣味に走りました。すみません。
M2重機関銃、PK機関銃――――それぞれ米国、ソ連製の有名な機関銃。20世紀でも現役、これからも多分現役。
RPG−7、カール・グスタフ、パンツァー・シュレッケ―――――それぞれソ連製、スウェーデン製、多分米国製。全部対戦車兵器です。最後のパンツァーシュレッケはWW2の武器です。他は現在でも使われています。
H&K社製G55燃焼薬莢式のアサルト・ライフル――――H&K社はドイツの銃器メーカー、燃焼薬莢というのは薬莢の変りに固めた火薬が弾を覆っているタイプの銃弾です。G55のネーミングは全くの架空です。
第2話に続く
・・・おほん。
ようこそ我が研究室へ。
今回も、活きのいいバレットM82A1SSが入っての、今検分しておるところじゃ。
・・・・・・ふむ。つまり、撤退ルートである鉄橋を死守するのが任務だったのかの?
それならそれで、逃げて行く味方の描写が一行でも欲しかったところじゃのう。
正直、一読めは鉄橋爆破用の工作隊が到着するのを待っているのか? と思ったぞい。
戦闘描写は緻密なのじゃから、それを活かすためにも『何故』『ここで』『戦っているの?』という説明は、やり過ぎと思うくらいにはっきりしておいた方がよいぞ。
・・・さて。作中でちらりと、某白い悪魔に付いて触れられておったが。
ちいと蛇足になるが、少し話をしようかの?
実はあの戦争において戦況をひっくり返したのは主人公機ではなく、その量産機なのじゃよ。
まあ、主人公たちが生き延びてデータと実機を届けたからこその量産成功ではあるがの。
何が言いたいかというとじゃ、リアル系ロボには単機で戦争をどうにか出来る力はないのじゃよ。
ついでに言うなら、蜥蜴戦争はむしろ国際紛争に近い。
元から個人や企業の手には余る話なんじゃよ。
さて。儂はそろそろ次の研究に取り掛からねばならん。この辺で失礼するよ。
儂の話が聞きたくなったら、いつでもおいで。儂はいつでも、ここにおる。
それじゃあ、ごきげんよう。