機動戦艦ナデシコ

The Triple Impact


第十二話 不機嫌の理由



石動 透真は不機嫌だった。

理由は分からないが、とにかく不機嫌なのだ。

「ナデシコは私が設計した船よ、だから私には分かる。ナデシコでは木星トカゲには勝てない」

『だったら、なんでダイアンサスに乗ってるんですか!?』

「この船の方が生存確率が高いからよ。私が言うのもなんだけど、ダイアンサスは少なくともナデシコよりは性能が高い。さっきの…えーと、マシンナリーチルドレンだったかしら、あの連中をナデシコ一隻で追い払うことができた?ダイアンサス一隻なら問題無かったでしょうね。いえ、それ以前に木星トカゲにグラビティブラストが通用していなかったんじゃなかったっけ?」

『そ、それは…』

「それに私はノアにヘッドハンティングされちゃったしね。ネルガルには後で正式に辞表を提出させてもらうわ」

だから何やら小難しいことをウインドウ越しに言い争っているイネスとユリカの言葉も耳に入らないし、これからどうしようか真剣に考える気も起きない。

取りあえず修理のために北極冠にあるネルガルの研究所に向かうナデシコに同行することにしたが、それでこの不機嫌が直るはずも無い。

思いっきり『昂気』を使って体を動かし、この気分を少しでも解消しようとも思うが、そんなことをしたら彼が乗っているこの戦艦が航行不能になる可能性がある。

そのくらいのことを判断する理性は、まだ透真の中に残っていた。

が、しかし。

ストレス解消の手段が目の前にぶら下がっているのにそれを実行することができない、と言うのはある種の拷問である。

故に、透真の機嫌は加速度的に悪くなっていくのだった。



「透真、聞いてますか?」

海人が透真に確認するように聞く。大したリアクションも返さないので、聞いていないと思ったからだ。

「…聞いてるよ。あのマシンナリーチルドレンとかいう奴らの機体の残骸を調査したいけど、設備が足りなくてできないんだろ」

「まあ、そうなんですけど」

あの戦闘の後、海人が『念のため』と言って彼らが乗っていたシルフィウムと言う機体の腕の部分の残骸を回収し、細かく調査しようとしたのだが、そんなことをするための設備はダイアンサスには無い。

「…で?」

「はい?」

「で、どうするんだって聞いてるんだよ。地球に持って帰って調査すんのか?」

「ええ、そのつもりです」

「だったらそういう風に最初っから言え。大体そんなことに俺の許可が必要なのか?」

調査するために会社の設備を使うのだから、一応会長の許可は必要だと思うが。

「何イラついてるんですか、あなた」

「知るか。イラつくのにいちいち理由を求めるんじゃない。人間、不機嫌なときは不機嫌なんだよ」

「そうやってむやみに感情を表に出すのって、空迅流の理念に反してるんじゃないですか?」

「わかってるよ、そんなことは」


『迅』で在る前に『空』で在るべし


透真の使う流派、空迅流の根底にある言葉である。

いつもだったらこの言葉を唱えるだけでたかぶった気持ちも落ち着くのだが、何故だか今回はそうならない。

「…座禅でも組んで頭を冷やしたらどうです?気分転換も兼ねて」

海人が少しはマシになれば、と精神統一を勧めてみる。艦長がこんな調子ではクルーまで不安がってしまう危険性もあるので、なるべく早い段階で元に戻ってもらう必要があるからだ。

もっとも、イザとなれば副長である自分が艦長代理を務めればよいのだが…。

(僕って人を使うより、人に使われる方が性に合ってるんですよね)

てな理由で、海人は透真に正常な状態に戻ってもらいたいのである。

「フム、いいかもしれんな」

しばし黙考した後、そう呟く透真。このままの状態ではいけない、と彼自身自覚しているらしい。

「でしょ?そうと決まれば善は急げ。とっとと瞑想ルームへ行きなさい」

「ああ」

艦長席から離れ、瞑想ルームへと向かう。そんな透真の様子を眺めながら、海人は親友が『ああなった』原因を考えていた。

「透真がイラつくこと…?空腹――は無いですね、身体に関する事なら自覚できますし。ご飯が不味かった――ホウメイさんが作っている以上それはあり得ませんね。病気――空腹と同じ理由で却下。恋愛関係――透真から『恋愛』と言うキーワードを引き出すにはちょっと想像を膨らませる必要があるのでダメですか。うーん、あなたたちはどう思います?」

いくら悩めど答えは出ないので、ブリッジ下段にいるオペレータ三人組と操舵士に聞いてみる。

「さあ?」

「わかりません」

「知らない」

「透真のことに関しちゃ、あんたの方が理解度が高いでしょ?そのあんたに分からないことが、私たちに分かるわけ無いじゃない」

たたみ掛けるように四連続で答えが帰ってくる。特に最後のセリフは正鵠を射た意見であった。

「それもそうですね」

そう言って考え込む海人。今度は透真がイラついた原因よりも、かつて透真がイラついたシチュエーションについて考えることにした。

(………沙耶香さんが死んだとき?)

すぐに思い当たるが、あれは例外だ。あのときの透真はどちらかと言うと情緒不安定に近かった。

(他には…いや、『あれ』はイラついてるとは違いますし)

闘争本能に火がついて、みさかいが無くなったことをイラついているとは言わないだろう。

(うーーーーん?)

さっぱり、全然、全く、これっぽっちも分からない。

(ま、放っとけばその内に機嫌も直りますかね)

楽観的で無責任であるが、考えても分からないんだから仕方が無いとも言える。

海人はその疑問をひとまず頭の中の棚に置き、自分の部屋に戻って研究に没頭するのであった。








同じ頃、ルリはナデシコのオペレータ席に座り、全身にナノマシンのパターンを浮かび上がらせていた。

両隣にいる男女が何やら喋っている気がするが、そんなことを気に留める余裕は彼女には無い。

彼女は今まさに、ルチル相手にハッキングの実戦訓練の真っ最中なのであった。

「ぐっ…」

しかしやっぱり押され気味で、しかも相手は海人の問いに答えられるほどの余裕がある(ハッキング中に海人と話していることをルリは知らないが)。

攻防が続くこと約三分。予想通りと言うか何と言うか、結局はルチルに軍配が上がった。

『ふむふむ、いい感じでコンビネーションが練成されてきてるわね。このペースなら私たちのレベルに到達するのも、そう遠くないんじゃないかしら』

ウインドウでルリにメッセージを送るルチル。嫌味の類でメッセージを送ったのではなく、単純に成長スピードの速さに感心してのものであった。

「…お褒めにあずかり光栄ですね」

何となく疲れ気味の表情でルリがそう呟く。

『オモイカネも順調に育ってるみたいだし、どんな性格になるのか楽しみね』

「そう言えば、あなたの相棒ってどんな性格なんですか?」

相棒と言うのはこの場合、専用のコンピュータのことである。

『うーん…お姉さんって感じかしらね』

「お姉さん?」

『そう、お姉さん』

「なんか、分かりづらいんですけど」

『なら、オモイカネにでも聞いてみなさいな。今はこっちのコンピュータ達とお喋りしてるでしょうから、帰ってきてから存分と』

「じゃ、そうします」

『それじゃ、まったねー』

ピッ

「フゥ…」

ウインドウが消えるのを見届け、小さめの溜息をつくルリ。

なんだか自分が稽古をつけてもらっている弟子のような気がしてきた。精神はもちろん、肉体的にも自分が年上のはずなのだが…。

(いや、師匠の方が弟子より年下だったって話はよくありますし…って、これじゃ私が彼女の弟子だって認めてるみたいじゃないですか)

ちょっとした自己嫌悪に陥ってしまう。でもそれも事実かな…と、ある意味では悟りの境地に達しつつあるルリだった。








電子の世界――簡単に言うとコンピュータの世界。

もの凄い勢いで情報が錯綜するこの世界の中に『意思』を持つことを許された存在は非常に限られている。

その数少ない存在の内のいくつか――オモイカネシリーズのコンピュータと呼ばれる四つのそれが、彼らの世界で和やかに会話していた。

『まあ、そんなに堅苦しくなるなよ。俺たちは数少ない同類なんだからさ』

『は、はあ…』

『アルファ、いきなりそんなフレンドリーに話すことはないだろ。オモイカネ君が萎縮してるじゃないか』

『あ、あの、別に『君』付けしてくれなくてもいいですよ』

『そうか?にしても、オモイカネシリーズでオモイカネって名前もどうかと思うがねぇ』

『ウル○ラシリーズも一番最初は単なる『マン』だったんだから、いいんじゃない?』

『こらこら。アルファもダッシュも、オモイカネを放って勝手に自分たちの話をしてないで自己紹介くらいしなさい。…それとダッシュ、一番最初は『マン』じゃなくて『Q』ですよ』

『………』

ダイアンサス所属の三つのコンピュータたちのやりとりに圧倒されるオモイカネ。

彼はルチル オニキスに「いい機会だからあなたに近い存在と接してみなさい。きっといい経験になるから」と誘われ、興味半分でダイアンサスのコンピュータたちとコンタクトをとることにしたのだった。

『俺はアルファ、主人はマキビ ハリだ。ま、仲良くやろうぜ』

『僕はダッシュ、主人はラピス ラズリ。よろしく』

『私はイクス、主人はルチル オニキス。この中では唯一の女性型になりますか…って、あなたとは一度会ってましたっけね』

『お、そうなのか?』

『ええ。ルチルがナデシコに行ったときにちょっと』

少しバツが悪そうにアルファの問いに答えるイクス。彼女はまだ経験不足だったオモイカネを巧みに騙して――いや、あざむいて――いや、誤魔化して――とにかく、そういう経緯が二人の間にはあるのだ。

『…その節はどうも』

『あはは。アレはルチルに頼まれて仕方なく…』

何となくぎこちない空気が二人の間に流れる。それを見た他の二人は興味津々、と言った感じで、

『何があったんだ、一体?』

『中途半端に話を切られるのもなんだから、聞かせてよ』

と屈託なく尋ねる。

『う、うーーん、そうですね…』

何と説明するべきか悩むイクスだったが、さっきも言ったように自分は主人に言われて仕方なくやったのだから別に何も後ろ暗いことはないではないか、とありのままを話そうとしたその時、オモイカネが口を開いた。

『彼女は、まだ子供で何も知らなかった僕をもてあそんで…』

『『ええっ!!?』』


『ちょ、ちょっとオモイカネ!人聞きの悪いこと言わないで下さい!!』

いきなりオモイカネがとんでもないことを口走るので激しく狼狽するイクス。なんとかアルファとダッシュに弁解しようとするが、二人はお構い無しに想像の翼を広げていく。

『イクスって、実は悪女だったんだな』

『始めて会った時は、あんなに純真な子だったのに…』

『ああ、どこで人生の選択を間違えたのやら…』

『この責任は、一体誰にあるんだろうね?育ての親であるルチルかな?それともこの社会?』

『いや、これはもっとも身近にいながらあいつの心をわかってやれなかった…俺たちの責任だ!』

『…それもそうか。なら、僕たちの手で誠心誠意イクスを更生させる必要が…!!』

議論がなんだか妙な結論に行き付きそうになったその時、忍耐のリミッターを大きくオーバーしたイクスが二人を止めるべく絶叫する。

『勝手に人を犯罪者あつかいしないでください!!!何ですか、更生って!!?…それとオモイカネ!!悪ふざけにしては少々度が過ぎますよ!!!』

『事実じゃないですか』

悪びれもせずにサラッと返すオモイカネ。自分が悪いとは露ほども思っていないようだ。

『それは認めますけど、もっと他に言い様があるでしょう!?惑わされてたとか、混乱させられてたとか!!』

『あんまり変わらない気が…』

『シャラップ!!…まったく、人格が妙な方向に成長したようですね。ひねくれてると言うか、歪んでると言うか…とにかくアルファ、ダッシュ、この子の言ったことは七割方デタラメですから、決して本気にしないように』

叫ぶだけ叫んで幾分か冷静になったイクスが、アルファとダッシュにオモイカネの言葉の正統性の無さを説明する。

『つーことは、三割方は本当なんだな』

『うっ…ま、まあ、そうですね。ちょっと細工したのは確かです。でも、それはルチルに頼まれてやったんですから』

別にやりたくはなかったんだけれども主人に言われたんだから仕方ないでしょ私だって辛かったんですよでも私たちコンピュータは基本的に主人には絶対服従だからやらざるを得なかったんです、と言う響きを込めてアルファに語りかけるイクス。

『だったら説得するとか、他にもやりようはあったんじゃないの?』

『だ、だって、あの時のオモイカネは普通に会話ができるほど人格が成長してなかったわけですし、だったらそんな回りくどいことをせずに一気に実力行使をした方が』

そうですよ会話と言うのはお互いに意思の疎通ができるからこそ成り立つものであって人間らしい思考がまだできていなかったオモイカネにはアレが最良の手段だったんです、と言うニュアンスを織り交ぜてイクスはダッシュに話す。

『『…つまり、確信犯か』』

『…そういうことになりますか。…って、なにクスクス笑ってるんですか、オモイカネ?』

『い、いや、なかなか面白い漫才だな、と…クククッ』

『…あなたねえ、誰のせいで私がこんなに苦労したと思ってるんですか!?』

『半分はお前のせいだろ?』

『自業自得ってヤツだね』

『あ〜〜〜もう!!寄ってたかって私をイジめて〜〜〜〜〜!!』

イクスはヒステリックな叫び声を上げて男性型コンピュータ三人を非難し、アルファとダッシュは彼女の様子を見て苦笑している。

こいつら本当にコンピュータか、と疑いたくなるような会話である。

そんな彼らの様子を眺めながら、この三人となら何とかうまくやっていけるような気がしたオモイカネだった。








グツグツグツ…

ダイアンサス食堂。テンカワ アキトは手伝いをしていた。

「ハァ……」

溜息をつくアキト。この男がここまで落ち込むのには、それなりに理由があった。



一時間ほど前、格納庫。

「うっひゃー、ボロボロだな。…こりゃ、完全に直るまでしばらくかかるぞ」

グラッジとの戦闘によってかなりのダメージを負った(バーストモードと虎牙連弾によるダメージもあるが)ブラックサレナを見ながら、ウリバタケが言う。

「修理にどのくらいかかる?」

アキトが何となく不安そうにウリバタケに尋ねる。やはり自分の愛機が一時的にとはいえ使えなくなるというのは、心もとないものなのだろう。

「海人と相談してみないと何とも言えんが…。内側のディモルフォセカは、まあ大丈夫だな。問題はサレナユニットだ。バーストモードとお前の使ったムチャな技のおかげで、小型相転移エンジンがガタガタになってやがる。サレナ用の予備のパーツはいくらかあるが、さすがに小型相転移エンジンの予備は無ぇからな」

「…つまり、地球に戻るまでブラックサレナは使えないと言うことか」

「ああ。艦長たちの機体のエンジンはブラックサレナにはうまく馴染まんからな。ゴールドの出力は高すぎるし、ブルーの出力は若干低い」

「…わかった」

落胆の色を隠せないアキト。そんな彼を見たウリバタケが、気休めにでもなればと声をかける。

「まあ、お前ならディモルフォセカだけでも大抵の敵には負けねぇよ。俺が保障してやる」

「…大抵の敵には、な」

背中に暗い影を漂わせつつ、アキトは格納庫を後にする。ウリバタケは『しまった、逆効果か』と、自分の発言を後悔した。

「なかなか、うまくいかねぇもんだな。…どうでもいいが、いくら時間が無かったからって格納庫のハッチを殴って開くなよなぁ…」

透真が出撃するときに『ええい、まだるっこしい!』とか言って無理矢理ぶち破ったハッチを見つつ、ウリバタケが呟く。応急処置はしておいたが、これも本格的に直さないとダメだろう。

「結果的には、そのおかげでリョーコちゃん達のピンチに間に合ったからいいんだけどよ…。今日は徹夜だな…」

これからのハードスケジュールを思うと、頭が痛くなるウリバタケだった。



「ハァ……」

グツグツグツグツ…

アキトは沈んだ気持ちのまま、湯の中で踊る豚と鶏の骨を見つめている。

(ああ、心細い…。いつまたあの連中が襲ってくるかと思うと…)

正直、あのグラッジとかいう相手に勝てたのは機体の性能による所が大きい。ブラックサレナのバーストモードだからこそ勝てたと言えるだろう。

バーストモードはディモルフォセカでも使えるが、あの相手にはサレナでないと歯が立つまい。

「ハァ……」

「こら、テンカワ!!」

不安に駆られているアキトの頭に、いきなり女性の怒鳴り声が響いた。

「いつまでも湿気たツラしてダシとってる鍋を眺めてんじゃない!もっとシャキッとしな!!」

「…ああ、ホウメイさんか。ビックリした」

「『ああ、ホウメイさんか』じゃないよ!何があったのか知らないが、アタシの食堂で働く以上そんな暗い顔するんじゃない!」

「いや、自分でもこの精神状態はダメかな、とは思ってるんだが」

「だったらせめて顔だけでも明るくしてな!…ほら、注文だよ。塩野菜と味噌コーンと醤油チャーシューを一つずつ」

「ん、わかった」

ホウメイの言葉によって少しだがテンションを上げたアキトは、ラーメンの調理に取り掛かる。

沸騰した鍋の中に四人分の麺を入れ、頃合いを見計らって網ですくってお湯を切り丼に移す。それから各々のスープを注いでチャーシューやネギなど各種の具材をトッピングして出来上がり。

簡単と言えば簡単な作業だが、麺の茹で時間の見極めやスープの分量の調節などは、かなり神経を使う微妙な作業なのだ。

「よし、我ながら上出来」

料理を運ぶためのトレイに丼を三つ乗せて、自分で持っていく。自分で作った物がどれだけの評価を受けるのか、少し気になるようだ。

『料理は趣味だ』とか言っても、彼はやはりコック志望なのである。

そのコック志望の青年が自作のラーメンを持っていった先には、彼の『本業』の方の同僚三人がテーブルを囲んでいた。

「ありゃ?テンカワ、お前食堂で働いてたのか?」

「アキト君がコックさんなんて、何か意外って感じだね〜」

「心身を苦しめて励むこと…それは刻苦…」

「…悪いか?」

三つ目の言葉は無視して、少し機嫌悪そうにラーメンをそれぞれの目の前に置くアキト。

「別に悪かねぇけどよ、なんつーか…意外なんだよ、うん。…お、けっこう美味いな」

ズルズルズル〜〜

リョーコは醤油ラーメンをすすりながらアキトと話しこむ。ちなみに味噌コーンがヒカルで、塩野菜がイズミだ。

「意外…まあ、そうかもしれんな。自分でもたまにそう思うことがあるが…。やはり、子供の頃からの夢を捨てるのは難しいか」

「へえ、何でコックになんてなろうと思ったんだ?」

興味深げにリョーコが聞く。その問いにアキトは昔を懐かしむかのように答えた。

「火星は土が悪いせいで野菜が不味くてな……でも、コックの手にかかれば美味くなる。それを見て子供心に感激して…」

「それで、『僕もコックさんになるんだ』か?」

「まあな。今ではもう実現不可能な夢だが、どうやら俺は未練がましい人間らしい」

「なんで実現不可能なんだよ?」

「両親が『事故』で死んだ後に少しばかり特殊な育てられ方をされたおかげで、料理を作ることより先に戦うことが体に染み付いてしまったからな。まあ、その育ててもらった相手には料理の基礎も教えてもらったんだが」

「特殊な育てられ方って…軍人として、みたいなもんか?」

「ああ、そんな感じだな」

(実際はそんな生易しいもんじゃないんだが…)

何となく寂しげな瞳で過去を思う。両親との平和な日々、炎の宇宙港、親友たちとの出会い…。

両親を殺した相手――今は隣の艦に乗っている――は今は別に恨んでいない。そういう『仕事』を自分もした事があるし、何より上からの命令だったんだろうから仕方がないだろう。それに仇をとったからと言っても、その仇に殺された人間が生き返るわけでもない。

自分を見知らぬ地へ連れて行った『育ての親』には感謝すらしているくらいだ。彼のおかげで無二の親友と呼べる相手と会えたわけだし、色々と世話にもなった。唯一の問題点は『仕事』を強いられたことだが、もともと彼はそのつもりで自分を連れて行ったのだ。罪悪感に酷く苦しまれもしたが…それは直接的には『育ての親』に関係ない、と思う。

(北辰…、相変わらず草壁の命令を黙々と聞いて『仕事』をしてるんだろうか。そう言えば、北斗と枝織は何やってんだろうな)

育ての親のことを考えているうちに、その実の子供のことが脳裏をよぎる。

(座敷牢の中で零夜と漫才やってて、たまに北辰に『笛』を使われて仕事して…って感じか。このまま順調にいけば、いずれは北斗も戦場に出てくる可能性は大いにあるな。マジン同士での戦闘は引き分けに終わったが…木連にはサレナに匹敵する機動兵器なんて存在せんからな。案外、俺の圧勝で終わるかもしれん)

まだ戦うと決まったわけでもないのに、そう遠くない将来の戦いを思い浮かべるアキト。気の早い男だ。

「どうしたんだよ、暗い顔したと思ったらニヤニヤ笑い始めて」

「…?笑っていたのか、俺は?」

リョーコに言われて右手で顔を触ってみる。確かに、知らず知らずのうちに顔面の筋肉が動いていたようだ。

「気付いてなかったのかよ。思い出し笑いか何かか?」

「フム…思い浮かべ笑いと言ったところだな」

「なんだ、そりゃ?」

話し込むアキトとリョーコ。その場にいる他の二名のことは殆んど視界に入っていないようだったが、その二名はこのような状況を放っておける程にお人好しではなかった。

「お〜お〜、リョーコちゃんとアキト君。何だか和やかなムードになりつつあるねぇ?」

「そう言えば、あの緑色の機体にやられそうになった時に、赤い機体に乗った誰かさんは黒い機体に乗った誰かさんの名前を叫んだような?」

ズルルルル〜〜

ラーメンをすする音を二人で奏でながら、リョーコをからかうヒカルとイズミ。実に楽しそうだ。

「ブッ!ウッ、ゲホッ、ゲホッ。…いきなり何ぬかしやがる!!?むせちまったじゃねーーか!!?」

「照れない、照れない」

「私はただ本当のことを喋っただけなんだけど?」

「ぐぬぅぅぅ〜〜〜〜…。な、なにも本人のいる前で言わなくてもいいじゃねぇかよ。その…変に誤解されると、困るし」

リョーコは顔を紅潮させながら二人に反論する。アキトのことは意識的に見ないようにしているのだが、彼も照れたりしているのだろうか。

「だってリョーコ、こういう方面かなり奥手でしょ?これをきっかけにして一気にGOだよ!」

「な、なななな、何がGOなんだよ!?」

「GOって言ったら…ねえ?」

「バ、バカ…!!」

恐るべきコンビネーションで、リンゴも見劣りするほど赤くなっていくリョーコをオモチャにするヒカルとイズミ。一方、話題に入れないが話題の中心にいる男は、

「話がよく分からんが……死ぬ寸前に人の名前を呼ぶことがそんなに恥ずかしいことなのか?」

「「「え?」」」

と、何だかピントのずれたセリフを口走り始めた。

「あ、あのねアキト君?やられる寸前にアキト君の名前を呼んだってことは…」

「すなわち…」

「だああああ!いらねーこと言うんじゃねえ!!」

ずれたピントを修正しようとヒカルとイズミが活動を開始しようとするが(この際リョーコのことは無視)、

「ただ単に、絶体絶命の状況でフッと俺の顔がよぎっただけの話だろう?火星に入る前の戦闘で少々派手なことをやったからな、俺のことが強く印象に残ったんだろう。アレがお前たちだった可能性も十分にあっただろうな」

ずれたピントは、やっぱりずれたままだった。

「…こりゃ苦労するね、リョーコ」

「ご愁傷様…」

「ううぅ〜〜……」

ホッとしたような残念なような、複雑な表情のリョーコ。そんな彼女の様子にも気付かずに、アキトは別の話題を提供し始める。

「そう言えば、ヤマダの奴はどうした?姿が見えないようだが」

「ヤマダ君なら、さっきの戦闘でケガしちゃったんで医務室にいるって」

「ほう、なら後で見舞いにでも行くか」



医務室。

ヤマダ ジロウがベッドの上で眠っていた。

「うう…、注射器に使う薬は…、赤と青のどっちがいいか…?どっちもイヤだぁ……。ああ、混ぜるな…。…なんで混ざったら黄色になるんだ……。やめてくれ…、この鎖を外してくれぇ……」

どうやら彼は、謎の悪夢にうなされているようだ。

…謎ということにしておこう。





「さっきの戦闘って言えば、あの技!すごかったよねー!なんて名前だったっけ?」

「虎牙連弾のことか?別にすごくもないぞ、コツさえ掴めばお前たちにも使えるようになる。それにあの技の原型は俺が考えたワケでもないからな」

軽い口調でヒカルに答えるアキト。どうやら本当に『すごいこと』ではないと思っているらしい。

「原型…って、どういう技なんだ?」

リョーコが先程までの騒ぎはどこ吹く風、という感じで興味深げに尋ねる。『自分でも使える』と聞いて、より一層興味が出てきたらしい。

「一定のレベル以上に出力を高めたディストーションフィールドを片手に集中させ、敵にぶつける。虎牙弾と言う技だ。それを左右連続して撃つから連弾、というわけだな。

ちなみにこれを考えたのは透真で、命名がルチル。透真は技に名前をつけるのを嫌がっていたがな。ゴールドサレナはバーストしなくても虎牙弾は使えるが連弾はできないし、威力はバーストのブラックに劣る。まあ、ブラックはバーストしなければ連弾どころか単発もできないんだが」

「…機体にかかる負担がかなり大きいようだけど?それに、いくら出力を高めたフィールドと言っても片手に集中させたんじゃ他の部分の防御がゼロになっちゃうんじゃない?」

イズミが冷静な口調で尋ねる。もし実際に使えるようになったとしても、リスクが高すぎるような技ならば使用は控えなくてはならない。それでは宝の持ち腐れと言うものだからだ。

「それらの点はどうしようもないな。文句を言うなら機体を設計した海人か、技を考えた透真に言ってくれ。…ヤマダみたいな奴だったら、そんな欠点はお構い無しに好んで使うとは思うがな」

「「「確かに…」」」

絶対にそうするだろう。それほど多くあの男と接したわけではないが、それは簡単に想像できた。

アキトは話を続ける。

「だが、やはり技は伝授されるよりも自分で考えた方がいいと思うぞ。自分が考えた技だからこそ、自分に最も適している技だと言えるからな」

「でもよ、技を考えるなんて難しそうじゃねえか。一朝一夕で考えつくもんでもねえだろ?」

「それはそうだ。実戦で役に立つ技なんぞそんなに簡単に考えつくわけがないだろう。虎牙弾だって一対一のシチューションでしか使えん技だからな。そういう意味では実戦向きではない。…まあ、技を考える近道は…」

「近道は?」

リョーコがさらに追求する。彼女は自分が勿体ぶるのは嫌いだが、人に勿体ぶられるのはもっと嫌いだからだ。

「自分の特技を発展させることだな。格闘でも射撃でも何でもいい、自分の体でできることを機動兵器を利用してグレードアップさせるんだ。そうやって基本技を完成させたら、あとはそれのバリエーションを作る。スピードを重視させたり攻撃力のみに特化させたりな」

「…私、生身でできる実戦向きの特技なんてないよ」

「同じく。せいぜい射撃くらいだけど、そんなに突出した実力ってわけでもないしね」

少し落胆の色を見せる二人。リョーコの方はと言うと、『生身でできる実戦向きの特技』に思い当たる節があるらしく、腕を組んで考え込んでいる。

「別に技を無理にでも考えろって言ってるんじゃない。…そうだな、機体に装備されてる特殊能力でもいいんだ。防御だったり撹乱だったり、個人個人に合った物だったら追加武装でもいい。戦場で感じたこと、不便だと思ったこと。それを解消するための手段として技があるんだからな。海人やウリバタケだったら、そのへんの相談には乗ってくれると思うぞ」

「なるほど…」

「戦場で感じた不満、か…」

取りあえず二人は納得したようだ。

この後で三人がどのような技を考えるのか、それはアキトの知ったことではない。冷たいようだが、自分一人の力で何も考えられないような人間は戦場では生き残れないからだ。考えて、試行錯誤して、工夫して、失敗してもそれを次に生かして、それでも技が完成しないのなら相談くらいには乗ってやるが。

(おや……)

気付くと、先程までの暗い気分が払拭されていた。三人と話したことで気分転換になったのだろうか。

「どうでもいいが、ラーメンを食わなくていいのか?のびるぞ」

「あ、そういやそうだった」

「取りあえず、今は技のことを考えるよりも目の前のラーメンだね」

「…いただきます」

ズルズルズル〜〜

自分の考えに没頭しつつあった三人にそう言うと、アキトは厨房へと戻って行った。

少なくとも、今日の内はもうホウメイに怒鳴られることは無いだろう。








「う〜〜〜ん、ジュン君、ヒマだよぉぉ〜〜〜〜」

「仕方ないよ、艦長っていうのは戦闘以外はあんまりやることが無いから、移動中はどうしても手持ち無沙汰になるものさ。後はクルーの不満をうまく解消することくらいだけど、これはどっちかって言うと無い方がいいだろ?」

「それはそうだけど、やっぱりヒマだよぉぉ〜〜〜〜」

「やれやれ…」

イネスとの論争に敗れた後、ユリカはプロスの勧めもあってネルガルの研究施設へナデシコを向かわせることにした。ダイアンサスが同行しているのはプロスが交渉した結果だが、あちらの艦長が投げやりな態度だったのは何故だろうか。

「アキトに通信しようとしても着信拒否になってるし〜〜〜」

「そりゃまあ、ねえ…」

どういう展開になるのかが手にとるようにわかる。どうせ、



「ねえアキト、アキト!!お話しよう!!」

「…何で俺がお前と話をせねばならんのだ?」

「だって、二人は恋人同士なんだし!」

「…勝手に俺をお前の恋人にするな」

「もーう、アキトったら照れちゃって!素直じゃないんだから〜!!」

「…付き合ってられん」

「あっ、ちょっとアキト!通信切らないでよ!!…もう、ホントに照れ屋さんなんだから」


こうなるに決まっている。

(ちょっとだけ同情するけど、羨ましい…)

一方は近くにいるのに全く相手にされず、もう一方は遠くにいて全く相手にしない。笑ってしまうほど好対照である。

「…取りあえず暇つぶしにゲームでもしてたら?」

心の中で激しく涙を流しながらも、ジュンは十年来の友人に退屈のはけ口を提案する。

「そうだね、何もしてないよりはマシかな」

そう言ってゲームを起動させるユリカ。キーを操作する指がせわしなく動いている。

「必中、熱血、援護もバッチリ。あっ、祝福と応援かけるの忘れてた。よーし、電池入れてファイナルアタック!」

そんなユリカの様子を見ながらジュンは、

「ユリカ、暇つぶしはいいけど熱中しすぎて仕事をおろそかにしないでよ」

と、釘を刺す。

「そのくらいわかってるよ、ジュン君。…あーもう、サテライトキャノンのチャージがあと一ターン足りない〜!」

本当にわかっているのか非常に疑問を感じさせる返答をしつつ、ゲーム画面を凝視するユリカ。ジュンの言葉も右の耳から入って左の耳から出て行っている感じである。

十年も一緒にいるだけあって、ユリカについて大抵のことはわかっているつもりである。それ故にユリカがどういう風に自分の言葉を聞いているのかぐらいはわかる。

(ううう、僕って不幸の星の下に生まれてきたのかも…)

軽快に流れるゲーム音楽を耳にしつつ、今度は心の中だけでなく実際に瞳から涙が流れそうになってしまったが、辛うじてこらえる。

しかし涙の全てを封じることができるほどジュンの精神力は強くなかったので、左の瞳から一粒だけしずくが頬をつたって行った。

ジュンは慌ててサッと涙をぬぐったため、この事実は本人と神のみが知る所となったのであった。








ダイアンサスの瞑想ルームの中で、透真は一人座禅を組んでいた。

(お釈迦様は菩提樹の木の下で座禅を組んで悟りを開いたと言う……って、俺は別に悟りを開くために座禅をしてるんじゃないぞ。精神統一のためだ、精神統一)

何だか余計なことを考えてしまったが、そんな思考はひとまず銀河の彼方へ飛ばしておくことにする。

飛ばした所で、透真はなぜ自分がイラだっているのかを真剣に考え始めた。

(イラつくにしろ喜ぶにしろ、その感情が発生するからには何かしらの原因があるはずだ。つまりその原因さえつかんでしまえば解決策もおのずと見えてくる)

たとえ原因がわかっても、その感情を静める解決策が都合よく存在するとは限らないのだが……まあ、何もしないよりはマシであろう。

透真は目を閉じて、ここ最近の自分の身に起こったことを回想する。

(ダイアンサス出航――いや、いくらなんでもそこまで昔に原因は無いだろう。

サツキミドリの戦闘――イラつくどころか、むしろスカッとしたぞ。

ナデシコでのお茶会――そんなにイラつかせるようなことは無かった気がする。

火星宙域での戦闘――俺は戦闘に参加しなかったが、いくらなんでもそんなことでイラついたりはしないと思うぞ。

マシンナリーチルドレンとの戦闘――ん?何かひっかかる気がするな、これが原因か?しかし一体何が……)

透真はリグレットと名乗った三人のマシンナリーチルドレンの内の一人との戦闘を思い出し始めた。



ガガン! ガガガァン! ガァン!!

リグレットの機体シルフィウムはゴールドサレナから一定の距離をとり、速射性ライフルを撃ち続ける。透真はそのほとんどを回避していたが、内心で舌打ちしていた。

(チッ、この機体に中遠距離戦用の武器は無いと判断しやがったな?…確かに俺は遠距離戦は苦手だが、それでも一応は飛び道具くらい装備してるんだよ!)

ウイィィィン…

『む?』

ゴールドサレナはリグレットの攻撃を回避しつつ、両腕を肩アーマーに収納し、

ジャキィン!

ハンドカノンを装着させて再び両腕を出現させる。そして即座に、発砲。

『何っ!?』

ズガガガガガガガガガアァン!!!

『くうぅっ!!味な真似を!!』

ギュオォン!! チュィン!チュィン!チュィン!

虚を突かれる形となったリグレットは驚異的な反応速度で回避しようとするが、それでも何発かは被弾してしまう。

しかしゴールドサレナは接近戦用に特化された機体だけに、大したダメージは望めそうもなかった。これがブラックサレナかブルーサレナだったら、グラつかせることくらいはできたかもしれないが。

(…しかし、くらい続けるわけにもいかんか!)

チャッ! グォン!!

リグレットは意を決したかのようにしてライフルを左手に持ち変え、ゴールドサレナへと機体を突撃させる。

「フッ、そうこなくっちゃな!!」

ウィン! ジャキッ!!

透真も右の銃を元に戻しリグレットと同じく左に銃、右に拳という戦闘スタイルをとる。

『…一つ忠告しておこう、マシンナリーチルドレンに勝てるなどとは決して思わない方がいい。絶望というものは半端に希望などがあるから存在するのだからな』

「わざわざ忠告どうも。だが、俺は生まれてこのかた肉親以外には絶望するほど圧倒的な実力差で負けたことが無くてな!」

『ほう、君に絶望を与えられるほどの実力を持っているのか、君の肉親とやらは。ぜひ会ってみたいものだな』

「…忘れたいってわけじゃないが、自分から進んで思い出したくもないんでね…」

『……?』

(チッ、『肉親』なんて言うんじゃなかったな)

八年前に失った唯一の『肉親』の顔が脳裏を軽くよぎり、自分の発言を小さく後悔する。だが後悔している余裕など、今は無い。

『まあいい、この場にいないものについて話しても意味はあるまい。では僕が君に、その肉親以外では初の『絶望するほどの圧倒的な実力差』を味あわせてやろう』

「…そりゃ楽しみだな、行くぜ!!!」

そしてゴールドサレナと純白のシルフィウムが肉迫し、互いのディストーションフィールドの拳が交錯――しようとするが、

『!…グラッジ!!?』

「何っ!?」

その寸前でシルフィウムが動きを止め、つられてゴールドサレナも動きを止める。

「お、おい、どうしたんだよ?いきなり止まりやがって、興醒めもいいとこだぞ」

『この損傷レベルは……不味いな、ここで僕たち三人の内の一人でも欠けてしまっては……』

透真の問いかけに何も答えず、リグレットはブツブツと何かを呟く。

ドシュウゥン!!

「お、おい!!」

リグレットは透真のことなど最初からそこにいなかったかのように、虚空へ自らの機体を飛ばした。

「あの野郎〜〜〜!!せっかく燃えてきたってのに!!そういや、あの方向は確かアキトの……ん?この反応、アキトの奴バーストモードを使ってるのか!」

バーストモードはあくまで試験的に取り付けられたものである。安定性に欠け、実際の戦闘でも使ったことが無いため試作以下の段階と言ってもいいだろう。

そんな物を使っているということは、つまり…。

「それだけ追い詰められてるってことか?クソッ!」

バシュウウゥゥゥン!!!

リグレットの後を追い、透真はアキトの元へと高速で向かう。中途半端に昂ぶった気持ちのままで…。



(…そういうことか。シミュレーターじゃない実際の戦闘であそこまで俺を手こずらせる相手なんていなかったからな。つまりは欲求不満と言った所か)

回想を終え、静かに目を開ける。

憑き物が落ちたというわけではないが、それでも瞑想ルームに入る直前よりは落ち着いた顔をしている。不機嫌の原因がわかったおかげだろう。

(だが、原因がわかってもそれだけではイラつきは治まらない…。アキトあたりでも誘ってシミュレーターでもやるか?いや、シミュレーターじゃ実戦の緊張感には及ばんしな、下手すると余計にイラつく可能性があるし…)

うーむ、と頭を悩ませる透真。三分くらいそうしていると、海人から通信が入ってきた。

『透真、ブリッジに来てください。面白い物が見つかったようですよ』

「面白いもの?何だそりゃ、勿体ぶらずに今すぐ言えよ」

『いやー、それが僕も聞いてないんですよ。イネスさんから通信が入りまして、あなたがウインドウ通信を着信拒否にしてるから僕が副長権限であなたにこのことを伝えてくれ、と頼まれて』

「…そう言えば、集中するために着信拒否にしてたな」

ダイアンサスの艦長と副長――透真と海人は、ノア支給のコミュニケであれば着信拒否を無視できる権限を持っている。とは言え、緊急時以外にこの権限を使うことは無いが。

「んじゃ、すぐ行く」

『ええ、僕も行きますから』

ピッ

海人との通信を終え、瞑想ルームから出て行く透真。誰もいなくなったその部屋の中には『脳波ガ乱レテイマス』とか言いながら透真の頭を叩いたために破壊された、かつて脳波測定マシーンと呼ばれていたものの残骸だけが残された。








「「クロッカスぅ?」」

ブリッジに到着した透真と海人が正面ウインドウを見て、二人同時に間抜けな声を上げた。

「そう、護衛艦クロッカス。ナデシコから提供されたデータともほぼ一致してるわ。…ま、ナデシコの方でも似たような会話してると思うけどね」

ルチルが二人の顔を見ながら、まるで暇つぶしの話題を提供しているような軽い口調で話す。

「で、どうするんです?調査隊とか出しますか?」

「いや、ほっとく。調査した所で大したメリットも望めないだろうしな」

「ですね。ハーリー、そういうことですからナデシコに『無視して進む』と伝えてください」

「はーい」

海人に言われて、ハーリーがナデシコにその旨を伝えようとしたその時、

「ちょっと待って艦長!」

イネスから待ったがかかった。

「どうしたんだ先生、何か気になることでもあるのか?」

透真はイネスのことを、親しみと尊敬と多少の皮肉を込めて『先生』と呼んでいる。これに影響されたのかどうか分からないが、クルーの内の何人かはイネスのことを『先生』と呼び始めた。ちなみに、このことについてイネスがどう思っているのかは不明である。

「後学のために、クロッカスの調査を提案するわ!」

「それは科学者としての学術的探究心と言うヤツかな?」

「そう取ってくれても構わないわよ」

「……フム」

アゴに右手を当てて考え込む透真だったが、やはりこういう事は同じ科学者に聞いた方がいいだろう、と海人に尋ねてみる。

「どう思う?」

「そうですねぇ、気持ちはわからないでもないんですけど…」

うーん、と考える仕草をする海人。おそらくイネスはクロッカスを調査することによってチューリップの性質をより正確に把握しようとしているのだろうが、海人はチューリップ――次元跳躍門のことならば、性質どころか構造まで把握している。はっきり言って調査など時間と人員の無駄なのだが、自分が木星の人間であると明かすわけにはいかない以上、理由を説明するわけにもいかない。

「どうしましょう?」

「いや、俺に聞かれても困るんだが」

「生半可な説得じゃ逆効果でしょうしね…」

「どうしようか…」

「…仕方ありませんね、多少危険な賭けかもしれませんが僕が何とかしてみましょう。あなたの精神状態では説得は少し困難でしょうし」

「じゃ、お手並み拝見と行こうか」


「相談は終わったかしら?」

イネスがまっすぐに透真と海人を見つめる。『どんな口実を作って調査を取り止めようとしても、絶対に論破して調査しに行ってやる』と、彼女の瞳が語っていた。

「ええ。結論から言うと調査はしないことにします」

「…納得のいく説明をしてくれるんでしょうね?」

「納得できるかどうかはわかりませんがね」

説明のエキスパートに説明で挑みかかるという、ある意味ではこの上ない愚行を海人は行おうとしていた。

「で、調査をしない理由ですが…調査をする必要がないからです」

「…どういう意味?」

イネスの顔が怪訝なものに変わる。

「クロッカスはほぼ間違いなくチューリップを通ってこの火星に出現したものと思われます。しかも地球で消滅したのが約二ヶ月前ですが、外見を見るかぎりでは二ヶ月以上――いや、もっと長く氷の中に埋まっていたと推察されます。これは何故か?」

「それを調べるために調査しようって言うんじゃない」

食って掛かるイネス。海人はそんなイネスにも大して動じた様子は見せず、話を続ける。

「話は最後まで聞いてください。以上のことからチューリップを使った移動――ボソンジャンプは単なる瞬間移動ではなく、時間移動でもあるという結論にいきつきます。しかしこの程度のことは我々の仮説を裏付ける程度の働きにしかならない」

「我々の仮説?つまり、あなたたちノアは…」

「そう、すでにボソンジャンプの特性については大まかの見当がついています。ちなみにクロッカス内に生存者がいる可能性ですが、これは木星トカゲからチューリップを通して送られてくる機動兵機および戦艦が全て無人であることから、『通常の』生命体がボソンジャンプに耐えられる可能性は極めて低いと思われるでしょう。つまり、これも調査をするだけ無駄だというワケですね。…これで納得してくれましたか、イネスさん?」

「……」

イネスは透真の話を聞き終わると、海人が出したキーワードを元にして思考を巡らせ始めた。

(『通常の』?つまり『通常の生命体には無い何か』を有している生命体ならば、ボソンジャンプにも耐えられるということ?そう言えばあのマシンナリーチルドレン達が撤退する時、チューリップから木星トカゲの艦隊が現れるときに発せられる光に酷似した光が出て…。

まさか、あれが単体でのボソンジャンプ?しかし何故彼らが…。いえ、それ以前に何故、海人君がこれほどまでにボソンジャンプに詳しいの?)

「…地球に戻ったら、ボソンジャンプについての資料を拝見させてもらってもいいかしら?それで調査については引き下がってもいいわよ」

「僕は構いませんが…どうします、透真?」

「…まあ、いいんじゃねぇのか?先生にはもともと見せる予定だったんだし」

「なら決まりですね。クロッカスは無視、ナデシコにもそう伝えておいてください」

「了解」

ハーリーのコンソールが光り、ナデシコに伝えるべきことを伝える。

こうして『記録』の世界においてはかなり重要な役割を果たしていた護衛艦クロッカスは、役割を与えられること無く氷の台地に眠ることになるのだった。








「で、ようやく研究所に辿り着いたわけだけれども…」

『その周囲にはチューリップが五機…』

「厳しいですね…」

ダイアンサスとナデシコの首脳陣がそろって頭を悩ませる。

「だが、ナデシコの修理――ひいてはノアの利益のためにも、あの研究所は抑えておきたい」

『透真さん、一応あの研究所はネルガルの物なんですが…』

「細かいことは気にするな。とにかく、俺たちはあの研究所を奪還するために作戦を展開しなくてはならない。これに異存は無いだろう?」

透真はプロスの言葉をサラッと流して、ナデシコに意思の確認をする。

『ええ、まあ…』

ユリカは曖昧な返事を返したが、透真はそれを取りあえず肯定と受け取った。

「では作戦を練るとしようか。ナデシコの現在の状態はどうなってる?」

『はい。ダイアンサスからの部品供給によって、ディストーションフィールド発生ブレード及びグラビティブラストは戦闘可能な状態にまで回復していますが、相転移エンジンの回復率は四割にも満たない状態です。つまり出力も四割未満ってことですね』

ルリが感情を込めずに淡々とナデシコの現状を話す。

『まあ、だからこそ研究所で修理しようということになったんですが…』

「それは分かってる。このままじゃナデシコは無事に火星の大気圏を突破できるかどうかも怪しいからな」

『…サレナは使えますか?』

「前の戦闘の無茶がたたってブラックは使えませんが、ブルーとゴールドは問題ありません。ディモルフォセカも大破したのは陸戦フレームですしね、空戦や砲戦は使用可能です」

ユリカの問いに海人が答える。

『その辺はこっちのエステバリス隊も同じです』

ディモルフォセカとエステバリスの間には基本性能以外それほどの違いは無い。フレームのバリエーションはほとんど同じだし、IFS制御式で重力波ビームが主なエネルギー源だ(製品発表の時に『酷似しすぎている』とちょっとした問題になりかけたが、お互いの会長が譲歩しあって何とか裁判沙汰にはならずに済んだ)。

それ以外に敢えて違いを挙げるとすれば、コスト面だろうか。ディモルフォセカ二機買える金があればエステバリスが三機買えるほど値段に差があったので、軍は主にエステバリスを戦場に配備していた。

しかしエステバリスよりもディモルフォセカの方が性能が高いのは事実なので、後に軍は新兵や並のパイロットにはエステバリス、熟練パイロットやエース級のパイロットにはディモルフォセカというスタイルを採ることになる。

「では、エステとディモルは全機発進ということで。僕と透真も出ます」

「俺も?」

「何か不都合でも?」

「いや、不都合とかそういうのは別に無いんだが…」

(中途半端に戦闘するとせっかく落ち着き始めた機嫌がぶり返す危険性があるからなぁ…)

自分から不機嫌になりに行く人間はいないだろう。だが、海人は透真から不機嫌の理由を聞いていないので、構わず話を進める。

「ならいいでしょう。試してみたい新兵器もありますしね」

「…今度はいったい何だ?」

「見てのお楽しみです。あなたが驚くことは保障しますよ」

「あっそ」

海人は変に勿体ぶる――と言うよりも、物事を遠回しに表現しようとする所がある。それは透真もわかっているのだが、精神状態が悪い今にそれをやられると、かなりムカついたりするものだ。…が、そこは(一応)年上ということで我慢する。

「では三十分後に戦闘開始。それまでは飯を食うなり仮眠をとるなり、どうぞご自由に。以上、解散!」

『了解』

ピッ

通信が終了し、ダイアンサスとナデシコのクルーたちはゆっくりと戦闘体制へと移行していく。

透真は自分の愛機に乗りつつ、せめてこれ以上自分が不機嫌にならないように努めて平常心を保つのだった。







あとがき



ジュン「…なんか、すごく中途半端な所で終わったなぁ」

ラヒミス「いや、ここらで終わっとかないと当面の目標である『50k以内』を超えちゃうんで」

ジュン「それにしても、ずいぶんと更新に間が空いてるね」

ラヒミス「うーん…。実は、この第十二話を書くのはこれが二度目なんですよ」

ジュン「え、どういう意味?」

ラヒミス「一回十二話を丸々書いたんですけど、この『プロト十二話』って…」

ジュン「『プロト十二話』って?」

ラヒミス「つまんなかったんですよ、私的に」

ジュン「はあ?」

ラヒミス「自分で読んでて面白くないものが、他人が読んで面白いわけないでしょう。つまりはそういうことです。…まあ、この『改訂版』にしたってそんなに完成度が高いとは思えませんけど、少なくともこっちの『改訂版』の方が納得はできる出来ですね」

ジュン「こだわるね」

ラヒミス「下らない自己満足と思ってもらって結構ですよ。…では、今回の反省を」

ジュン「なんだかムチャクチャな理由でイラついてるなぁ…」

ラヒミス「いいじゃないですか、欲求不満。『最強ゆえの孤独』みたいな」

ジュン「…よくわかんないな」

ラヒミス「何事も張り合う相手がいないとつまんないでしょう?では次、ルリとルチルについて」

ジュン「いつの間にやらフレンドリーな関係になってる気がするけど」

ラヒミス「ライバルと師弟の中間みたいな関係ですからね」

ジュン「わかりづらい…」

ラヒミス「…私も自分で言ってて、よくわかんなくなってきました。ああ、後はコンピュータたちの会話がありましたね」

ジュン「えらく人間くさいコンピュータたちだね」

ラヒミス「やはり多少の個性は付けておかないといけないでしょう?」

ジュン「…オモイカネの成長スピードが少し早すぎるような…」

ラヒミス「いや、まだ完全には人格は形成されていませんから、いくらでも修正は可能ですよ」

ジュン「強引な…。それと、クロッカス無視しちゃったけど大丈夫なの?」

ラヒミス「戦艦がすでに二つもあるんですから、今更クロッカスを使う理由は無いでしょう」

ジュン「いや、フクベ提督の最大にして唯一の見せ場が…」

ラヒミス「いいんですよ、彼はお飾りみたいなものなんですから。テレビでも言ってたじゃないですか、『私には君に教えることなど何も無い』と」

ジュン「酷いなぁ…」

ラヒミス「って言うか、彼はこの作品では極端に出番が少ないんですよね。なのにいきなり見せ場を与えるってのも…」

ジュン「別にいいじゃないか、恵まれないキャラに愛の手を差し伸べたって」

ラヒミス「自分のこと言ってるんですか、それ?」

ジュン「…ほっといてくれ」

ラヒミス「しかしですね、今まで目立たなかったキャラにいきなりスポットライトを当てたりするとかえって危険だったりするんですよ、これが」

ジュン「そうなの?」

ラヒミス「ええ、目立たせるために尋常ならざる手段を使わなければいけませんからね」

ジュン「…でも、今回目立たなかったキャラって結構いるけど」

ラヒミス「……これから『化ける』可能性は誰にだってあるんですから、いいんです」

ジュン「矛盾してるなぁ…」

ラヒミス「それでは今回はこの辺で。次回のゲストは…」

ジュン「パイロット?それともブリッジクルー?それとも…」

ラヒミス「マシンナリーチルドレンのカルマ君です、お楽しみに」

ジュン「…何故?」

ラヒミス「私はあの三人の中では、彼が一番のお気に入りだからです」

ジュン「じゃあ、僕を選んだのは?」

ラヒミス「ユリカさんの次ってことで、一番最初に浮かんだのがあなただったんで」

ジュン「そんな適当な…」

ラヒミス「世の中いい具合に適当にやって、いい具合に真面目にやれば何とかなります。要は力の入れ加減と抜き加減の問題ですね」

ジュン「ううう、僕の春って一体いつになったら来るんだ…」

ラヒミス「夏が終わったばっかりですからね、当分先じゃないですか?」




代理人の感想

今回は中休みっぽいですね。

要するに伏線とこれまでの展開の確認、後はちょっとした種明かしと。

しかし、この世界にもスパ○ボがあると言うことは、ひょっとしてゲキガンガーも参戦してたりするんでしょうか(笑)。

 

後、話を切るなら容量よりやはり展開の節目で区切った方がいいと思います。

多少長くなったり短くなったりしても不自然なところで区切るよりはいいかと。

もっとも、今回の所で区切るのは作者さんが言ってるほど中途半端ではないと思いますが、

「ヒキ」を使えばもっといい具合で区切りになったかもしれません。

例えば大剣とドリルを装備した、見たこともない巨大な機体がチューリップと一緒に待ち構えていたとか(笑)。

 

 

>目立たせるために尋常ならざる手段を使わなければ

つーか、普段目立たないキャラに急にスポットが当たるとそれは普通死ぬと同義なんですが(爆)。