「この世に正義がある限り、戦争が絶えるはずがない」 ――楊文理(二十一世紀初頭、日本の冷笑家)
三人目の復讐者
〜機動戦艦ナデシコ プリンス・オブ・ダークネス外伝〜
by 李章正
――この物語は
曰く、蜥蜴戦争の揺り戻し
曰く、政治的な打ち上げ花火
曰く、連合軍派の、統合軍派に対するカウンター・クーデター
等々、各方面でさまざまに論じられ、多数の著作が世に問われながら、いまだその評価が定まっていない「火星の後継者事件」の後日談のひとつである。
なお、事件後数年を経たとはいえ、一部関係者の了承が得られなかったことから、出てくる人物を一人を除きすべて略称とし、年齢についてもぼかすこととした。そのことを予め、読者諸君にはお断りしておきたい。
主たる登場人物は、以下のとおりである。
T・K。フリージャーナリスト。年齢二十代後半(事件当時)。月人。
M・Y。大学生。年齢十代後半(同上)。月系地球人。
O・Z。検察官。年齢三十代後半(同上)。地球人。
A・J。弁護人。年齢二十代前半(同上)。地球人。
草壁春樹。被告人。年齢不詳。木連人。
1 草壁春樹裁判、公判開始一週間前
T・Kの備忘録
「『火星の後継者事件』が終息してから、早いものでもう半年が経つ。
事件の責任者たちに対する追求は、休むことなく続けられていたみたいだが、世間一般では茶の間の話題にも上らなくなって久しい。
ま、世間というのは大体そんなもんだ。もっともそう言う俺だって、
「今回の仕事は、『火星の後継者』事件の首謀者、草壁春樹の裁判傍聴記だ。取っつき易くて簡単に読めて、なにより面白い奴を頼むぞ」
なんて、仕事をもらってる出版社の担当に言われなかったら、同じことだったに違いないのだが」
同日、M・Yの電子メール
「(前略)それはそうと、もうすぐ『火星の後継者事件』の首謀者とされる草壁春樹の裁判が始まるそうですね。
とはいえ、一般市民を誘拐し、人体実験を繰り返し、コロニーにテロ攻撃を仕掛けた挙げ句、クーデターを起こそうと企んだ人たちの首魁なのですから、結果は分かり切っているようにも思われるのですが。
これが世の中の仕組みというものなら、是非もないということでしょうか。
あなたはどう思います?」
2 同、公判開始前日
T・Kの備忘録
「『火星の後継者事件』は、通常の裁判ではなく軍事法廷で扱われることになっていた。騒乱参加者の殆どが、現役或いはかつて軍籍にあった者で占められていたから、これはまあ当然だろう。
ちなみに指揮官の多くが戦いの最中に倒れ、或いは逃走後他殺体で発見されたりしていたが、最高責任者の草壁元木連軍中将を始め、生きたまま捕まった幹部たちも、実は結構多かったらしい。
これは正直予想外だった。仕事で、資料を読む羽目にならなければわからなかったところだ。
最下級の兵や下士官クラスの連中に対しては、上級者の煽動に従っただけということで概ね不問に付されている ――まあ実際のところは、人数が多すぎて全員を収監することができないためなのと、なにより、木連に対する政治的配慮であるのは分かり切っているが。
けれど、将校どもはそうはいかない。むしろ現在の木星連合を支配している連中にとって、草壁やその取り巻きどもは元来目障りな存在だったんだから。
これを抹殺する絶好の機会を、逃すはずはないだろうな」
同日、M・Yの電子メール
「(前略)勝てば官軍、というのは世の習いです。
現に、熱血クーデターで木星連合の指導権を握った人々は、今度の叛乱鎮圧で脆弱だったその立場を強固なものとしたわけですし、統合軍の下風に立たされて小さくなっていた連合軍もまた、完全にその位置を入れ替えてしまいましたしね。
政界や軍部の外に目を転じてみても、例えば、全面的に連合軍と組んで勝ち組になったネルガルは、負け馬に乗ってしまったライバル企業クリムゾンを、思うさま締め上げていると聞きますし。
何の証拠もないことですが『火星の後継者』が起こしたとされるコロニー・テロ事件の一部が、実はネルガルの手によるものだったとしても、わたしは全く驚きませんね。
所詮、負ければ賊軍なんですから」
3 同、第一回公判期日
T・Kの備忘録
「火星の後継者の最高責任者たる草壁元中将の運命なんて、軍事法廷を開くまでもなく決まり切っている。はじめ、俺はそう思っていた。
『結末の知れている、裁判と言うよりは芝居』を延々と傍聴し、適当に脚色を加えて雑誌に載せられるような記事を書く、それだけの仕事と思っていた俺が。
最初、あまり身を入れずに審理を聞いていたとしても、そう責められる筋合いではないだろう。
どうせ結果は分かっているんだ、検察官も弁護人も、なあなあで形式だけ整えるんだろうと思っていた俺の予想は、しかし、痛烈に裏切られることになった。
理由は単純。
弁護人が、凄まじいばかりの活躍を見せたからだ.」
草壁春樹の裁判記録から(人定質問及び起訴状朗読終了後)
検察官 「つまり、被告は自らの独善的な思想を広く他人に押しつけんがために今回の挙に出たものであり、動機からして、全く不純極まりないものだったのであります」
弁護人 「異議あり。検察官は、動機と結果とを混同しています。動機とは内面の思想であり、これを罰することは何人たりともなし得ない筈です」
裁判長 「異議を認めます。検事は、被告の動機以外のことについて話してください」
同じく、草壁春樹の裁判記録から(弁護側証拠調べ)
弁護人 「まず、これを御覧ください」
(「火星の後継者」事件の直前に起こった、地球連合最高評議会議場における、乱闘事件の映像を流す)
弁護人 「当時、政界はこの通り混乱の極みに達していました。戦禍からの復興はいまだ途上であり、宇宙の各地に難民が溢れているというのに、政府や軍部の上層部は内輪もめするばかりで、なんら効果的な対策を打ち出せない。
このような閉塞的な状況を打破するにはどうしたらいいかとは、心ある人々なら当然考えることでしょう。そして、それがある種の行動に結びつくことも、当然あり得ることだとは思われませんか」
検察官 「それは極論です。そんなことを言い出したら、全ての叛乱は罰し得なくなってしまうではないですか」
弁護人 「まさに、検察官のおっしゃるとおり。
古来新王朝の樹立とは、全て成功せる叛乱に他なりません。そもそもそれは、正義・不正義の区別ができるような事柄ではないのです。
検察官殿。あなたは、仏国の革命を御存知のはず。もし、かの革命が早い時点で失敗に終わっていたなら、あれは単に『ブルジョワの乱』か何かで片付けられ、殆ど後世に知られることもなかったと思われませんか?
勝者による敗者の処罰など、果たして正義と言えるでしょうか?」
検察官 「そ、それは詭弁です。フランス革命は、この際何の関係もありません」
同日、M・Yの電子メール
「先刻頂いた草壁裁判の速記記録、早速読んでみました。……わたしは、どうやら大きな思い違いをしていたようですね。
てっきり、地球連合は法に従って処理したという体裁を整えたいだけで、まともに審理をするつもりなんて無いと決めつけていたのですけど。これほどがんばる弁護人を付けるとは思ってもみませんでした。
被告である草壁本人は一切弁明をしようとせず、完全黙秘の構えだということですが。この弁護人に任せておけば大丈夫という考えなのでしょうか。
……(中略)……
『新政権の樹立とは、成功した反乱のこと』。確かにそのとおりです。ビアスの言葉だったかしら?
そうしてみると、草壁被告の行為も、結局失敗の罪と言うことに尽きるのでしょうか。確かに、あの頃の政治の混乱ぶりには目に余るものがあったし……」
4 同、第二回公判期日
草壁春樹の裁判記録から(検察側証拠調べ)
検察官 「被告人の部下、具体的には北辰容疑者とその一党が、A級ジャンパーの誘拐、コロニーの爆破や職員の殺害など、数々の凶悪な行為に手を染めていたことはこれらの証拠により明白です。
当然被告人も、最高統括者としてこれらのことを知っていたのみならず、ある程度指示を与えていたことは間違いありません」
弁護人 「異議あり。それらの証拠では、被告人が具体的な指導を行っていたということが証明されていません。むしろ、実行部隊の暴走であったと考えるべきです。
それとも実行部隊が、被告人から指示を受けていたという証言でもあるのですか」
検察官 「残念ながら、実行部隊の構成員は全て死亡していますのでそれはできません。
しかし、被告人とその部下との間に指揮命令関係があったことが明らかな以上、被告人の責任は免れません。人を刺したのは刃物だから、刃物を罰すればいいということにはならないはずです」
弁護人 「実行部隊の面々は、いずれも通常以上の知能を有する成人でした。特に、彼らを率いていた北辰なる人物は、木連において隠然たる実力者であったとの証言もあります。
これでは、彼らが被告人の振るう単なる凶器に過ぎなかったなどとは、到底言えないではないですか」
同日、M・Yの電子メール
「『秘書が。妻が』は、汚職がばれた政治家の常套句ですが、かといって、トップが部下の所行を何から何まで掌握し切れるものではないことも確かですよね。
……草壁被告は、果たしてどちらだったのかしら? あ〜ん、気になるなあ」
同日、<火星ジャーナル>
【ネオユートピア・コロニー5日共同=ハリー・マッケンジー】地球標準時間本日午後3時ごろ、太陽系辺境宙域を哨戒航行中だった、地球連合軍所属の機動戦艦ナデシコCが「我、正体不明ノ宇宙船ヲ発見セリ」との報告を最後に、連絡を絶ったとの未確認情報が入った。
ナデシコCは、テロリスト「闇の皇子」の追跡任務を帯びていたとの情報もあり、「闇の皇子」の乗艦と接触、交戦した可能性もある。
連合軍本部は直ちに救難艦隊の派遣を決定したが、艦隊が現場宙域に到着するのは、早くて3日後になる模様。
5 同、第三回公判期日
草壁春樹の裁判記録から(弁護側証拠調べ)
弁護人 「検察官が言われる、各種人体実験の責任については、尚更これの責任を被告人に問うことはできないと考えられます。
被告人は言うまでもなく科学関係には素人であり、部下の科学者が何を行っていたとしても、その意味するところを本質的には理解できなかったのは言うまでもありません。
この件についての実質的な責任は、当時科学者グループを率いていた、山崎博士にあることは明白なのです」
検察官 「弁護人の意図は明らかです。弁護人は敢えて被告人を無能力者の地位に貶め、その責任能力を否定することで実質上の無罪を勝ち取ろうとしているのです。
言い換えれば、特殊部隊の指揮官で事件の際に死亡した北辰容疑者や、先日指名手配中に惨殺死体となって発見された山崎容疑者など、死者に責任を押しつけようとしているのです!
こんな卑怯なやり方がありますかっ」
(検察官が過度に興奮したため、一時審理中断)
同じく、草壁春樹の裁判記録から(同じく、弁護側証拠調べ)
弁護人 「事件が鎮圧された際のことですが、被告人は周囲が徹底抗戦を叫ぶのを抑え、『部下たちの安全は保証してもらいたい』と申し出ています。
その時点で戦艦ナデシコCは火星の電子網を既に制圧しており、各地に散った決起部隊は指揮系統を断ち切られ事実上無力化されていたわけですが、彼らがなおも絶望的な抵抗を試みれば、彼我の損害は遙かに大きなものになっていたことは間違いありません。
つまり、被告人が潔く敗北を認め、責めを一身に負う姿勢を示したおかげで、それ以上の無用の流血が避けられたのです。
裁判長におかれては是非、その辺の事情を酌量していただきたい」
検察官 「弁護人の言われることはおかしい! そもそも、被告人がこのような暴挙を企てなければ、誰ひとり命を失うことはなかった筈だ!」
裁判長 「静粛に。検察官は、今少し冷静になってください」
同じく、草壁春樹の裁判記録から(弁護側意見陳述)
弁護人 「この法廷にお集まりの皆さん、しばし、本職の話に耳をお貸しください。
……その昔、月を逐われ火星を焼かれ、核の顎を辛くもかわして身一つで深宇宙へ逃れ出た人々。
彼らが、当時の地球に強い復仇の念を抱いたとしても、まことに無理からぬところであります。
となれば、数年前の木連軍による火星系や地球系への侵攻、そして今回の事件とは、かつて地球が封印した歴史を発端とする、百年がかりの壮大な復讐劇と言えるのではありませんか。であるからには、現代の大石内蔵助を、我々は如何に扱うのが妥当ということになりましょうや?
……確かに、この一連の戦いで、我々地球連合の側も多大の損害を被ったのは事実。
とはいえ、勝者の権利を唱え、理も非もなく復讐の刃を敗敵に加えるのが、果たして我らのすべきことなのでしょうか。
そんな短絡的なことを、賢明なる検察官殿におかれては無論お考えではありますまい」
検察官 「当然です。本法廷で本職が追求しているのはあくまで正義の実現。
単に私憤を晴らさんがための復讐など、考える余地もありません」
弁護人 「大変結構。その点において、我々は完全なる意見の一致を見ました。
すなわち、目指すは復讐などではなく、あくまでも正義の追求。
被告が問われるべきは、彼自身が具体的に何を為し、それがそもそも罪にあたるのか否か、ただそれだけだということを」
同日、M・Yの電子メール
「いつも、お便りありがとうございます。
……(中略)……
勝敗があるのはどんな戦いにも共通ですが、勝ち方負け方は千差万別なわけで。もう少し皆がそちらに目を向けてもいいのではと近頃思うようになりました。
世間では、電子の妖精の鮮やかな勝ちっぷりばかりをもてはやしているけれど、その成果の半分は、敗れた側の潔い態度によるものではないでしょうか。
少なくとも草壁提督の態度は、見苦しさからは程遠いものだったのですしね」
6 同、第四回公判期日
草壁春樹の裁判記録から(弁護人による最終弁論)
「検察官は言われる。被告には『火星の後継者事件』の全責任がある、と。しかし被告はヨシフ・スターリンにあらず、一介の軍官僚である。検察官は言われる。被告は無辜の市民を数多く拉致した、と。しかし被告はシン・グァンスにあらず、一介の軍官僚である。検察官は言われる。被告はターミナル・コロニーを破壊して全太陽系の物資流通を害した、と。しかし被告はジェイムズ・ボンドにあらず、一介の軍官僚である。検察官は言われる。被告は拉致した人々に人体実験を繰り返し、そのほとんど全てを死に至らしめた、と。しかし被告は、ヨーゼフ・メンゲレにあらず、一介の軍官僚である。一介の軍官僚! たかだか一介の軍官僚が、組織の総指揮、作戦立案、特殊工作、科学実験の各分野にわたって全てを遂行してのけるなどということがありえようか。ありえるとすれば、それは一個人に全任務を集中させた組織それ自体の罪である。組織の罪でないとすれば、一個人の無法な跋扈を放任した各分野の責任者の罪である。被告の罪を責めるなら、彼らの罪も問われなければならぬ。被告の弁護人たる本職は、軍と法廷の真の威信を守るためにも、被告の無罪を要求する。明らかに、被告は、彼自身のものにあらざる罪のために不当な裁きを受けていると確信する故にである……」
同日、<コペルニクス・タイムズ>
御統 百合香さん
(みすまる・ゆりか=元地球連合軍少佐、機動戦艦ナデシコA初代艦長)11日午前1時15分、ナノマシン障害による多臓器不全のため、トーキョー・シティの病院で死去、24歳。火星・旧ユートピアコロニー生まれ。13日午前10時半から、サセボ・シティのネルガル葬祭センターで葬儀・告別式。喪主は父、コウイチロウ地球連合軍大将
7 同、判決日
<雨の海新聞>
【プトレマイオス・コロニー2日共同=ミシマ・ハルカ】地球連合軍事法廷は1日、『火星の後継者事件』の首謀者草壁春樹被告に対し、絞首刑による死刑を言い渡した。(2、3面に詳細記事、及び判決文全文を掲載)
同日、<火星ジャーナル>
【ネオユートピア・コロニー2日共同=ハリー・マッケンジー】2か月前太陽系辺境宙域で発生した、機動戦艦ナデシコCの遭難に関して、地球連合軍総司令部は、捜索活動の基本的な打ち切りを発表した。
総司令部スポークスマンは、この件に関して「ナデシコC全乗員の消息は、依然として不明のまま」としたが、「同艦が交信を絶ったと思われる宙域において、艦体の一部と見られる破片を幾つか回収した。その中には、明らかにナデシコCのものと異なる物も含まれていた」とし、さまざまな状況証拠から推測して、同艦は、敵性艦との予期せぬ遭遇戦の末、相討ちになった可能性が極めて高く、これ以上継続しても成果が望めないことを、捜索打ち切りの理由としている。
同日、T・Kの備忘録
「『――主文。被告人草壁春樹を死刑に処す』
静まりかえった法廷に、裁判長の低く太い声が響き渡った。単なる傍聴人に過ぎない俺を含め、全ての人が一瞬息を詰め、ややあって大きく肺から空気を吐き出す。
結局は予想通りの結果であったとはいえ、やはり『予定』が『確定』に変わった瞬間というのは、特別なものであるようだ。
被告席に立つ初老の男は、裁判長の死の宣告を聞いても、僅かに身じろぎしただけだった。
そのまま両目を閉じると、顔を上げたまままっすぐ正面を向く。続けて読み上げられている判決理由を聞いているのかいないのか、その内面を傍から窺い知ることはできない。
傍聴席では、廷吏に目を付けられない程度に、人々が私語を囁き交わしている。
検事席では検察官を務めた四十歳がらみの将校が、一仕事を終えてほっとした表情を浮かべていたが、一方その対面、弁護人席に座る男はじっと動かず、全くの無表情だった。
……(中略)……
死刑の判決が下されたとき、それを意外だと感じた者は、実は結構いたのではあるまいか(俺以外にも)。被告や弁護人がどう思ったかはわからないが。
ただ、弁護人は判決が著しく正義と真実に反すると抗議し、せめて減刑を、と要求したが、当然容れられることはなかった。
全てが終わって退廷する際、草壁被告は、弁護人を見やって深く頭を垂れた。それが彼の、裁判開始以後、唯一の意思表示だった」
同日、M・Yの電子メール
「草壁提督の判決文を読ませてもらいました。……内容は、結局予想どおりでしたね。
何とかならないのかなと思いますが、世間は通り一遍の報道の後、何事もなかったかのように日常に立ち戻ってしまっています。これではどうにもなりません。
正直、残念です。
──でも、草壁提督なら大丈夫ですよね。きっと。
たとえ肉体は滅びるとしても、その精神は朽ちることなく輝き続けるでしょうから」
8 判決から数年後
――今でもよくわからないんだがね。何で、君はあの時、奴の弁護なんか引き受けたんだい?
――彼女のこともあるし、むしろ、自分の手で刑を執行したいくらいじゃなかったかと思うんだけど。
――もういいだろう。約束どおり、今日こそ、君の本音というやつを話してくれないか。
グラスをことりと卓上に置き、黒いロングヘアの男はそう言った。
隣に座って、やはり酒を飲んでいた男 ――短く切りそろえた黒髪に、地球連合軍中佐の軍服を身にまとっている―― は、そう言われてもなお、しばらくの間沈黙の砦に立て籠もっていた。
だが、やがて口をぬぐうと両手でグラスを抱え、目をじっと手元に据える。
その後、まるで独り言でも言うかのように、ぼつぼつと語り始めた。
――既に覚悟を決めた人間を、ただ処刑したところで、一体どうなる?
――わかり切ったこと。単に、従容と死につくだけの話さ。しかも大義に殉じ、自らの死をもって他者の命を贖うのだという、満足感さえ与えてね。
男の顔に、苦い物でも口に含んだような色が浮かんだ。
――だがもしそこで、ひょっとしたら死一等を減ぜられるかもしれないという希望が彼の胸に萌したとしたら?
――避け得ない死を目の前にして、突然現れた生への望み。それは、例えどんなに僅かなものであれ、あっという間に膨れあがって、その人間の心をそれ一色に塗り込めてしまうだろう。
――そうなれば、もはや制御は不可能だ。
――捨て去ったはずの生への執着が、彼の中で再び燃え上がり、その後は全神経をもって助命の知らせを待ち望むことになる。ただひたすらにね。
――しかし実際には、ついに減刑の知らせを聞くことなく、彼は自らの内部に湧き上がった生への執着を抱えたまま、刑場へと引きずられていくことになるわけだ。
――それこそが、僕の望んだことだったのさ。
中佐はそこでいったん言葉を区切り、右手を伸ばして酒瓶をつかんだ。そのまま、手酌でグラスの中を琥珀色の液体で満たすと、再びそれをくいとあおる。
――だからこそ、僕は奴の弁護を引き受け、力いっぱいその役を演じて見せた。
――判決が出たのちも、幾度となく拘置所へ面会に行き、ありもしない減刑嘆願や署名運動の話をしては、希望を持たせ続けてやった。
――全てをばらしたのは処刑当日の朝。特に許しを得て、2人だけで面会した時さ。
――あの時の、奴の顔を見せたかったよ。
そう言って、草壁春樹の弁護人はクックックッと嗤った。
――結局奴の肉体は、絞首台の上で息絶えたわけだが、精神の方はその直前に、僕が木っ端微塵にしてやったのさ。
――会長さんがずっと知りたがってた、これが真実ってやつだよ。
――満足かい?
「直視できないもの。太陽と自らの死」 ――ラ・ロシュフーコー(17世紀、仏国の大貴族)
END
(後書きに名を借りて本文の解毒をしておこう、のコーナー)
「『END』っと。よーし、終わり終わり♪ やー、シリアスはやっぱ疲れるわー」
「……ちょっと待ってくれませんか」
「おや、誰かと思えば。君は金目の人」
「人を鯛みたいに言わないでください。殴りますよ!」
「殴ってから言うのはどうかと思うんだけど……(涙)。いやなんでもない、こっちのこと。で、話って何さ?」
「決まっています。なんですかこのSSは!」
「は。なんか変だった?」
「変なところは多々ありますが。なにより、キャラの性格をねじ曲げ過ぎです!」
「やー、でもそれって、僕の作風だしねぇ」
「ものには限度というものがあります。第一あの人は、こんな腹芸ができるような陰険な人ではありません。もっと単純で気が弱くって底の浅い、ただのお人好しなんです!」
「……フォローになってないと思うけど(汗)。でも、その意見についてはちょっと異論があるんだよね。
人間ってなかなかそう簡単に説明できるもんじゃないよ。普段おとなしいと思われている人ほど、その分自分の中にいろんな物を溜め込んでいるもんじゃないかな。
実際、TV本編でも記憶麻雀の回で、彼の中に好戦的でエキセントリックな副人格が存在していたことが明らかになってたじゃないか。
だから、あの映画の後がこういう展開になる可能性だって、それなりにあるんじゃないかなあ、とか思ってるんだけど? いやマジで」
「で、本当のところは?」
「ラストで何人の読者がひっくり返ってくれるか、楽しみだなあ、と。ハッ!?」
「……やっぱりそれが本音ですか。オチに落とし穴を掘りたいがために、キャラの性格を変え、私たちを皆殺しにしたわけですね。
よくわかりました。残りの話は、あちらでつけましょう……、って、どこへ行くんです!?」
「お仕置き部屋なんかに連行されてたまるか! 三十六計逃げるに如かず!」
「……逃げ切れると思っているあたり、やっぱり甘いですよね。逃がすわけないじゃないですか。思兼、出番ですよ。
では、わたしも退場するとしますか。みなさん、それではまた」
「って、それ僕の台詞!?」
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