紅の戦神外伝
「Rouge et Noir」
プロローグ
その日・・・
私の前に一人の悪魔が現われました。
「アリサ=ファー=ハーテッド中尉。
突然で申し訳ないが・・・
君に、とある部隊へ転属してもらうこととなった」
その日の戦闘を終え、基地へと帰還した直後のことでした。
汗を流すためのシャワーを浴びる間もなく呼び出され、
こうしてあまりに唐突な転属命令を突きつけられたのです。
そのこと自体はそう珍しいことではありません。
ですが・・・
続けて手渡された命令書を含めた数枚の資料は、私の誇りを傷つけるのには十分なものでした。
「ふざけないで下さい!!
なんなのですか!! この命令はっ!!」
ダンッ、と司令の座るテーブルを叩く。
もちろん、持っていた資料を叩き返す意味もこめて。
資料に書かれていたのは一人の人物のプロフィールでした。
私たち、エステバリスを駆る者たちの憧れであり、
エステバリス単独でチューリップすら墜とすと言われ、
数々の戦功を成し遂げた生きた伝説・・・最強のエステバリスライダー。
ナデシコ部隊所属 テンカワアキト。
意外だったのはその外見。
確か噂では・・・
そう。
身の丈2メートル強、体重100キロに及ぶ大男。
丸太のような二の腕は一撃で岩をも砕き。
子供の腰程はあろうかと言われた足を一蹴すれば木星蜥蜴の無人兵器すら爆発四散させ。
金剛石の如き二本の牙は人肉を好み。
獣を思わせる瞳に睨まれれば、
あらゆる女性たちが夫に三行半を叩きつけてでもそのもとに馳せ参じるという・・・。
・・・いえ、ちょっとばかり脚色が過ぎていたのかもしれませんが。
それにしたって資料の人物は噂の英雄とは180度まったく異なった赤の他人です。
身長は175センチ前後で、引き締まった細めの体つき。
黒髪黒瞳は確かに噂通りですが、想像していたよりも遥かに深い趣があります。
特に瞳は・・・私と同じくらいの年齢のはずなのに信じられないくらいに大人びています。
顔のつくりが童顔なだけに、その瞳だけがいやに印象的です。
そしてそこまではよかったのですが・・・
問題はさらにその下。
最下部の欄に記された『特A級監視対象者』の印。
軍は・・・連合軍はこの私に彼の監視を命じようというのです!
「特A級監視対象者 テンカワアキト。
君の任務は彼の監視であり、その為に彼の配属先である最前線の部隊へと転属してもらう」
「私はパイロットです!! スパイの真似事など出来ません!!」
私とて・・・いえ、私はおそらく人一倍高いプライドを持っています。
西欧方面軍総司令であるお爺様のその生き方に憧れを抱き、
お父さんやお母さん、姉さんと本気の喧嘩をしてまでなった軍のエステバリスパイロット。
そして今では、自惚れるわけではありませんが『白銀の戦乙女』と呼ばれるほどに上り詰めました。
これが私の生き方です。
これこそが私の誇りです。
なのにそれが監視ですって?
パイロットとしてではなく、たった一人の人間への布石として使われることがどれほど屈辱でしょう。
ふざけるのもいい加減にしてください!
確かに連合軍が彼を気にするのは分かります。
噂がどれほど信憑性を持っているのか判断しかねますが、それでも彼らナデシコがあげた戦果は本物。
その中でもエースパイロットと呼ばれるテンカワアキト。
もし手に入るのなら喉から手が出るほど欲しいでしょうし、
同じパイロットである私だって、その正体に興味が尽きることはありません。
ですが・・・!!
「君が適任だと、上層部が判断したことだ。
・・・これは決定事項なのだよ中尉」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
話になりません!
こうなったらもう手段は一つです!
至急お爺様に直談判! はい決定!!
「・・・少々お時間を頂けませんか?
なにぶん急なことですので。それにこちらの基地での引継ぎなどもありますし・・・」
「フム・・・まあいいだろう。
ただし待つのは三日だ。
その間に関係各所の引継ぎを済ませて置くように」
「了解しました!!」
そして私は怒涛の勢いで司令室を後にしました。
さっそくお爺様に連絡を取りましょう!
「・・・・・・何を考えているのだ、上の連中は」
残った司令の沈痛な呟きは、当然私の耳に届くことはありませんでした。
ムカムカムカムカ・・・
苛立ちを隠そうともせずにのしのしと歩く私に声を掛けるような愚か者は
残念なことに誰一人としていませんでした。
いつものようにナンパでも来てくれればストレス解消になったのですが・・・
駄目ですね。
今日はどのサンドバックも私に声を掛けるどころか目を合わせることすらしようとしません。
いっそこちらから声を掛けてみましょうか?
うーん、それでは正当防衛が成り立ちませんし・・・。
結局私は何することなく宿舎に到着してしまいました。
そして鍵を取り出し・・・
・・・異変に気付きます!
ガチャ・・・!
「えっ! 開いてる!?」
まさか・・・空き巣ですか? でも軍施設の宿舎に?
そんな馬鹿なドロボーさんがいるのでしょうか・・・。
とにかく用心するに越したことはありません。
まだ犯人が部屋の中にいる可能性も捨てきれませんし。
私は懐から銃を抜き、中の気配を窺います。
・・・・・・・・・とりあえず何の気配もないようですね。
部屋を漁るような物音も聞こえなければ、おかしな雰囲気もありません。
もう逃げ出してしまったのでしょうか・・・?
私は意を決して呼吸を整え、
両手でしっかりと銃を構えて部屋の中に飛び込みます!
扉を蹴り開け、けして油断せずに瞬時に全方位に対して警戒を敷きましたが・・・
「・・・・・・・・・・・・異常ナシ、ですか」
部屋の中には誰もいませんでした。
それどころか荒らされた形跡もありません。
そうですね、もしかしたら鍵をかけ忘れていたのかも・・・。
しかし私が安堵の溜め息をつき、銃を降ろしかけたその時!
「お帰りなさいませ、ミス・ハーテッド?」
「―――――っ!!」
後ろっ!!?
突然声を掛けられたことに驚くより早く体が反応し、
降ろしかけていた銃を瞬時に背後に立っていた人影に向ける!!
しかし!!
「なかなかよい反応です」
「え?
―――――あっ!」
「しかし怖いですねー・・・。
いきなりこんなものを向けられるものだから思わず私も引鉄を引いてしまうところでしたよ」
背後に向けたはずの銃口は・・・
何故だか私の心臓を真っ直ぐポイントしており
そして不可思議なことに目の前の怪しげな男の手の中に、まるで当然のように納まっていた。
「く・・・っ!!」
ダメ・・・違いすぎるっ!
「おっと。
あまり大きな声を出さないで下さい。ミス・ハーテッド。
私は怪しいものではありません。
・・・って、自分で言ってて胡散臭いな〜とは思いますがね」
くくく、と厭らしく笑う男に、なんとか私も冷静さを取り戻します。
男は笑いながらも銃の安全装置を掛け、
カートリッジを外してさらに装填済みだった弾丸まで抜き取った上で私に銃身を手渡しました。
一見して特徴のない・・・しかしよく見れば特徴だらけの不気味な男。
それが第一印象でした。
撫でつけた銀色の髪。
埃一つついていない真っ黒なスーツ。
口元に咥えられた禁煙パイポ。
そして爬虫類を思わす瞳を隠す、薄い黄色のサングラス。
とりあえず言えることは・・・
私は絶対にこの人だけは好きになれないということですね!
「ミス・ハーテッド、とりあえずお座りください。
たったいま紅茶が入ったところですので・・・」
「紅茶って・・・なにふつーにくつろいでるんですか!!
勝手に人の部屋に入って・・・!!!」
「ん〜〜、なかなかいい葉を揃えてらっしゃる。
さすがはグラシス中将のお孫さんですね」
私の言うことを見事なまでに無視して、勝手知ったる我が家のように振舞う男。
信じられません!
何なのですか! いったい!
「いい加減にしなさい!!
今すぐに出て行かなければ人を呼びますよっ!?」
「おや、それは少し困りますね・・・」
「ふざけ・・・・っ!!」
パシュッ!!
声を荒げて身を乗り出した私の・・・・・・白い頬に一筋の赤い線が引かれます。
「・・・・・・あ―――」
まず熱が。痛みが来たのはそれからでした。
つーっ、と何かが頬を流れるのを感じ、指で触れるとそこには鮮やかな赤。
そして呆然と視線を上げてみれば・・・
男の手の中にまるで手品のように出現していた消音機付きの拳銃が煙を噴いていました・・・。
―――― カチャ!
「――― クッ!」
遅れてきた恐怖が、私の全身を縛ります。
私も軍人として、相応以上の訓練を受けていますし機動兵器戦とは言え実戦経験もあります。
それでも・・・それ故に目の前の男には絶対に勝てないという確信があるのです。
逆らうな。
逆らえば死ぬことになる。
おそらくは軍人としての私の本能がそう告げているのでしょう。
「どうぞ、お座りください」
男はたったいま私を掠めて発砲したことなど既に忘れてしまったかのように依然として笑顔のまま、
しかし目だけはけして笑わずに三度私に席に着くように促します。
「やれやれ・・・。
ミス・ハーテッド、私がこの世で最も嫌いなのは無能な者と役に立たない者ですが・・・
その次に嫌いなのは時間を無駄にすることだったりするのですよ。
いまのあなたの行動で私の持つ貴重な時間がどれほど潰されるか、懇切丁寧にご説明いたしましょうか?」
ただ座っているだけ。しかも微笑みすら浮かべながら。
だというのに私は・・・
この男への恐怖をまったく拭うことが出来ないのです!
私は男の誘導に従い、恐る恐る向かい合ったソファに腰を降ろしました。
「そう、やはり女性は素直でなければ。
それでは取引を始めましょうか」
「と・・・取引・・・?」
「はい。
ですが・・・もうお察しかとは思いますがあなたに拒否する権利はありません。
拒否してもあまりよろしくない事態になるだけですので・・・ねぇ?」
下唇を噛み締め、恐怖を誇りで覆い隠した私はなんとか男を睨み返します。
男はそれすらも見透かしたようににやにやと笑いながら両手を顎の下で組み合わせました。
銃はまたも何時の間にやら姿を消し、硝煙の匂いだけがかすかに鼻に掛かっています。
「さて、まずは自己紹介しておきましょう。
私の名はエマージィ=マクガーレン。
本来なら名刺を差し上げたいところですが・・・
ま、証拠を残すわけにはいかないのでね。どうかご勘弁を」
「別に・・・いりません、そんなもの」
「これは手厳しい。
まあ確かにあまり貰って嬉しいものではありませんね。とくに私の名刺は」
「それでお話とは?」
とにかく、こちらが大人しくしている限りは危害を与える意思はないようです。
取引を持ちかけると言うことがそれを証明している。
内容はおそらく歓迎できるものではないでしょうが・・・
お爺様と敵対している一部の軍関係者でしょうか?
私を人質にとってお爺様を脅迫する気とか・・・
「単刀直入。好きですよ、そういうの。
本題に入る前に確認させていただきますが・・・
あなたは本日、基地司令より転属命令を出されましたね?
そしてかの英雄 テンカワアキトの監視任務を与えられた・・・」
「!! どうしてそれをっ!!」
今回の命令はその性質上、かなりの機密レベルが適用されていたはず!
「それほど驚くことではありませんよ。
上層部に働きかけてその命令を出させたのは他でもないこの私なのですから」
何を・・・言っているのでしょうか・・・?
「改めてお願いします、アリサ=ファー=ハーテッド中尉。
・・・私たちに協力して頂きたい」
「・・・どういうことでしょうか」
「ですからテンカワさんの監視ですよ。
彼に個人的に接近し、定期的にこちらにその情報を提示して頂きたいのです。
思想・人柄・目的・出自。人間関係や戦闘力以外の所持技能。背後関係なども。
そして出来れば・・・・・・書き換えられたものではない、本当の経歴」
つらつらと言葉を続けるマクガーレン氏。
「経歴を・・・書き換え?」
「はい・・・こちらをご覧下さい」
手渡された資料は、先ほどの軍事資料などよりもよっぽど詳細なものでした。
とは言えそれでも極僅か。
さっと目を通しましたが・・・
とくに奇妙な点は見当たりません。
ですが逆にそのなにもないところが・・・
「・・・・・・平凡すぎる・・・!」
「その通りです。
これはウチが全力をもって調べ上げたものですが・・・
明らかに異常です。これではそこいらの町のコックだ。
少なくともいまやエースとまで言われているパイロットの経歴ではありません」
確かに・・・そうです。
私も、いわゆる腕利きと呼ばれる人たちを数人知っていますが、
どなたも実力と経歴が共に備わっていることに間違いはありません。
ですがこの資料を信じるならば、
実戦経験も何もない一般人がいきなりあれだけの戦果を上げたことになってしまいます。
そしてそれは・・・私のような現場の軍人には到底信じられるものではありませんでした。
「・・・こちらもどうぞ。
テンカワアキトの地球圏での戦闘記録です」
私の前にもう一通の書類・・・今度はやたらと分厚い紙の束が置かれます。
経歴書を脇にやってその書類に手を掛けますが・・・
今度は別の意味で驚愕させられました。
以前、私はナデシコの戦闘記録を閲覧したことがあります。
それは私に限らずすべてのエステバリスライダーの興味の的でしたから。
お爺様というコネのあった私は、幸運にもその機会が巡ってきたのです。
テンカワアキト個人のものではありませんでしたが、一隻の戦艦があげたにしては大きすぎる戦功。
それだけでも驚くべきものです。
ですが目の前の資料は・・・
まったくの別物でした。
「これが・・・個人によるものだと言うのですか!!」
噂は所詮、噂でしかないのだと思っていました。
機動兵器でチューリップを墜とす?
たった一機が一個師団をすら凌駕する?
そんなのはまるで喜劇です。いえ喜劇にすらならない絵空事です。
ナデシコは地球圏の最新鋭戦艦です。
グラビティブラストにディストーションフィールドを持ち、単独で木星蜥蜴と渡り合う伝説の戦艦。
それだけのスペックがあるのなら、その戦果も可能なのかもしれません。
ですがその戦功のほとんどが、たった一人の人間によるものだなんて・・・!!
「私は知りたい・・・彼の本当の姿を。
そしてそれ以上に・・・
彼が我々が求めるに相応しい人材であるかどうかを見極めなくてはならないのです」
マクガーレン氏の望みは、私にだってよく分かります。
知りたい。確かめたい。
その正体を。その本当の姿を。
・・・ですがなぜ私なのでしょう。
私はパイロット一筋で融通の効かない堅物軍人です。
はっきり言って諜報や監視などと言ったことには全く向いていません。
「あなたを選んだのはそのネームバリュー故です。
『白銀の戦乙女』と呼ばれるほどのあなたなら、
最前線に派遣されたとしてもなんら違和感はない。
それに同じパイロットとして彼と接触する機会も多いでしょう。
もちろん、あなた以外にも数種類のパイプを確保してはいますが」
「・・・・・・あなたはいったい何者です?
いくらなんでもやり方が婉曲すぎませんか?」
テンカワアキトの情報に驚いて忘れかけてましたが、
目の前の男は不法侵入者であって私の知己ではありません。
これは当然の疑問でしょう。
彼の身柄を求めてるようですが・・・軍関係者には見えませんし。
「まずはじめに私とあなたが接触したという情報が万が一にも彼の耳に入っていてはいけないこと。
そしてあなたに確実にこの依頼を受けていただくため。
中将に進言して命令の撤回などされたら困りますから。
で、私は何者かという質問ですが・・・」
ぴっと襟をただし・・・
「スカウトですよ。
クリムゾングループのね・・・」
クリムゾン!?
私はあまり経済界には詳しくありません。
しかし軍にも深く入り込んでいるネルガルやクリムゾンの名前くらいは知っています。
機動兵器や機動戦艦の技術で進んだネルガル。
バリア関係において他の追随を許さないクリムゾン。
そのクリムゾンがネルガルのテンカワアキトをスカウトするということは・・・
「・・・引き抜き、ですか?」
「はい」
しれっと答えるマクガーレン氏に私は怒りを抱きます。
私がこれまで培ってきた経験も技術も、テンカワアキトに近づくためなどではないのです。
彼に比べたら私の価値などその程度でしかないと・・・
私のこれまでを真正面から否定すると・・・
人を馬鹿にするのにも程があります!!
「企業の利益争いのために・・・
そんなことのためだけに私を利用しようと言うのですか! あなたは!!」
「そうですよ?」
「ふざけないでっ!!」
私は身の安全も忘れて声を荒げました。
いいえ、このような屈辱を飲まされるくらいなら危険を踏んででも一矢報いてやります!
「・・・では拒否すると?」
「当たり前です!!
私にだってプライドがあります!!
何より見ず知らずとは言え・・・いいえだからこそ!!
民間人である彼を企業に売るような真似は承服しかねます!!」
そう、どんなに強力なパイロットでもテンカワアキトは民間人なのです。
私たち軍人が・・・本来なら護らなければいけない存在なのです。
それを一企業の利益のために売り渡すなど! その為に近づくなど!
グラシス=ファー=ハーテッドの孫娘としておおいに恥ずべき行為です!!
「そうですか・・・
それは残念だ。
これでは非常手段を取らなくてはいけなくなります」
「・・・安い脅迫ですね。
ここは軍の宿舎です。
大声を出せばすぐに人が集まりますよ?」
悔しいですが私の力では目の前の男には勝てません。
しかし人が集まれば・・・この男は目的を果たすことが出来なくなるでしょう。
「ほぉ・・・?
くっくっく・・・まあご安心下さい。
別にあなた本人に危害を加えるつもりはないんですよ。あなたには。
言ったでしょう?
あなたには確実にこの依頼を受けていただく、と」
そう言って今度は一通の茶封筒を取り出します。
そして私は、差し出された封筒を乱暴に受け取ります。
・・・何か不吉な気がしたんです。
受け取らなくては・・・後悔することになるような。
「・・・・・・これはっ―――!!」
「すみませんねぇ。
私としてもこのような手段に訴えるのは大変心苦しいのですが・・・」
封筒から出てきたのは数枚の写真でした。
そしてそこに映っている人物は全て見覚えのある・・・
私の・・・家族です・・・。
無防備な、普段の生活風景。
自分達が悪意ある者たちに見張られているなどとは思ってもいない
そこには、三年前に別れたときと何ら変わっていない家族の姿が写っていました。
「いいご家族のようですね。
あなたを心配して、わざわざ基地近郊の街に住んでるのは知っていましたか?
本当にいいご家族です。少なくとも私には到底真似できない。
ですが・・・大丈夫でしょうか?」
「な・・・何がでしょう・・・」
震える声で・・・尋ねます・・・。
困ったようなマクガーレン氏の表情は非常に芝居がかっていて・・・
「基地の周辺ということはそれだけ戦渦に巻き込まれる確率が高い。
木連・・・木星蜥蜴と連合軍の戦場となる可能性が無い訳ではないでしょう。
ご自分で守りたいとは思いませんか?」
「それは・・・・・・ですが・・・」
「それでなくともこの御時世・・・何が起こるかわかりません。
不慮の事故で大怪我を負ったり、あるいは帰らぬ人となってしまう場合も考えられます。
しかし、です。
もしあなたが素直に従って下さるのならば・・・
不慮の事故というのだけは防げるような気がするのですよ、はい。
まあ、あくまで私個人の意見ですが」
そう言って微笑む男の顔は、とても・・・とても楽しそうでした。
はじめから・・・私に逃げ場なんて無かったみたいです。
はじめから・・・こうやって私を脅迫するつもりだったのでしょう。
カタカタと震えだす指先を、私は必死の思いで押さえつけます。
私の家族は、私が軍に入隊することに否定的でした。
父方の祖母が亡くなった事で、父も母も軍にはいい感情を抱いていません。
それでも私は・・・お爺様への憧れを抑えることが出来ませんでした。
みんなの説得にわざと耳を塞ぎ、さっさと入隊してしまいました。
でも・・・その報いにしてはあまりに酷すぎませんか?
「では・・・もう一度だけお聞きします。
アリサ=ファー=ハーテッド中尉。
あなたにテンカワアキトと我々の橋渡し役を依頼します。
承服していただけますか?」
私に・・・否定の言葉を吐くことなど出来るはずがありませんでした。
大切な人たちの安否に比べたら
私のプライドなどなんの価値も持ち得ないのですから・・・。
「連絡は常にこちらからします。
あなたはいつも通り、自然に振舞っていてくれれば結構ですから・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「だんまりですか・・・。
そんなに思いつめなくてもいいですよ?
あなたがこちらの希望を満たしている間は『事故』など起こらないでしょうからね」
その捨て台詞を残して・・・
マクガーレン氏は音も気配もなく姿を消しました。
私は残された一部の資料の中の、テンカワアキトの写真を見詰めています。
それはどこかの浜辺でのワンシーン。
優しそうな顔・・・
他の仲間と語り合う時の年相応の無邪気な瞳・・・
軍資料でみた年齢を感じさせない深い瞳・・・
あなたは知らないでしょう。ええ知るはずがありません。
会った事もないあなたのために、いま私の家族は危機に立たされています。
私のプライドはズタズタにされ、望まぬ任務を与えられました。
あなたを引き抜くためだけに・・・巨大企業が私を脅迫します。無関係の私を。
『白銀の戦乙女』
・・・あなたとの交渉に利用されるためだけに私はそう呼ばれるようになったのでしょうか?
違います。絶対に違います。
この名前は私にとっての何よりも誇るべき勲章です。
私は・・・お爺様の誇りになりたかった。
お父様に認めて欲しかった。
お母様の優しさに、姉さんの心配に、
笑顔で「大丈夫だよ」と言えるだけの自信が欲しかった。
災難だ。運が悪かった。仕方ない。諦めるしかない。
そんな言葉は聞きたくありません。
聞く気もありません。
私があの男の目に止まったのが偶然だと思えるほど私は馬鹿じゃない。
私のこれまでの経歴が
西欧方面軍総司令の孫娘と言う立場が
最強の英雄たるテンカワアキトに近づくに有効だと判断されたのでしょう。
「・・・テンカワ・・アキト・・・・・」
そう・・・
あなたさえいなければ・・・
「・・・これまた随分と不機嫌そうですね、ミス・シュンリン?」
私が運転席についた瞬間、背後から感じた冷たい気配。
そして今にも腰の凶器に手を掛けてしまいそうな迫力。
ちらりとバックミラー越しにお互いの視線を交錯させる。
いま私の命をその手のひらに掌握している少女・・・
アサミ=シュンリン=カザマ。
感情を押し殺すのに慣れた人形のような瞳は、実に私を愉快な気持ちにさせてくれる。
そう、この手の人間こそ、逆に手玉に取りやすいのだから。
「・・・私にも譲れないものがあります。
護るべき聖域があります。
あなたはその地へ土足で踏み込み、踏み荒らした・・・
分かります? いえ、分からなくても構いません。
もはや語る言葉を持ち合わせてはいませんから」
「おやおや・・・
これは相当ご立腹のようだ。
はて、何かお気に障るようなことを私がしましたかね?」
顔に表面上だけの疑問符を浮かべて、鏡越しに問い掛ける。
まあ・・・つまりぶっちゃけて言えば馬鹿にしているわけだ。
そのあまりに幼稚で愚かしい台詞を。
「私にとっての聖域。ウォルフ所長ですら踏み入ることの出来ない絶対の確信。
あなたは恥ずかしいとは思わないのですか?
家族を・・・母親を盾に取り、娘を脅迫するなどっ!」
何かと思えば・・・
いまだに親離れも出来ていないのですか、このお嬢様は。
コレが
ふん、この世界も質が落ちたものだ。
「別に・・・普通のこと、というよりも常套手段ではありませんか?
一部を除いて多くの人間は家族を大切にします。
つまりそれが弱点となる。
その弱点を突くのは私たちのような稼業のものにとっては当然の・・・っ!?」
「ええ、そうですね。あなたの言う通りです。
それくらいは誰でも・・・私だって知っています。
でもそれを私の前ですべきではありませんでした」
おーい、頼みますよウォルフ所長。
ご自分の道具くらいしっかりメンテしておいてくれないとこちらが困る。
私は一瞬で喉もとに突きつけられた冷たい感触に、冷や汗を流しながらもそんなことを考える。
しかし・・・・・・いやいや、なかなかに面白い。
表面上は感情を殺しながら、その行動は実に感情的。
・・・・・・馬鹿ですかね、この人形は?
「まあまあ、少し落ち着きましょうよ。
・・・それに正気ですか?
あなたの行動は本社での所長の評価に直に繋がるんですよ?」
その一言に・・・刃先が一瞬だけぶれる。
ああ、餓鬼臭い。
ド素人ですかあなたは・・・いい加減にしてくださいよ、ったく。
「・・・・・・・・・。
いいえ、所長からは私自身の意思による行動の自由が許可されています。
所長がこの場にいない以上、私に命令を下せるものは存在しません」
だからですか・・・。
なるほどね。操り人形が突如与えられた自由に戸惑い、枷が外れてしまったと。
「私は会長直々に今回の件についての全権を委任されております。
あなたの裏切りが会長に知れたら所長にはどのような罰が与えられるでしょうねぇ?」
「・・・私が証拠を残すようなミスをするとでも?」
「いえいえ、滅相も無い。
ですがそろそろその物騒なモノを収めてください。
でないと本当にお爺様の身が保証できなくなってしまいます」
「でしたら計画を取りやめてください。
まだ他にだっていくらでも方法があるでしょう。
人質をとるだなんて危険なことをしてまであんな素人を使う理由は・・・。
なんなら私が直接入り込んでもいいのに」
「いえ・・・あの男を監視するなら、おそらく素人の方がいい。
我々プロでは・・・どんなに上手に気配を隠したとしても騙し切れる相手ではありません。
それにね、彼女――アリサ=ファー=ハーテッドを使うのにはまだまだ理由があるのですよ」
「・・・・・・理由?」
「はい。この業界、一石を投じて二鳥を落としているようでは成り上がれませんからね。
ですがそれはまた今度。
とにかくそのナイフをしまって下さい。
今回のことは私の胸のうちだけに留めておきますから。
・・・というよりこの状況で私に何かあれば即座にその情報がカタオカさんに伝わってしまうんですね」
言いながらちょいちょいと上を指差す。
「上・・・?
―――まさかっ!! 監視衛星までっ!!」
「ご名答。
ま、それだけ本社も力をいれて交渉に及びたいと言うわけですよ。
その為にはあなたの力も必要です。
こんなつまらないことで・・・っと、言葉が悪かったですね。
ですがこのようなところで仲違いをするのはこちらとしても甚だ不本意。
ここは一つ、穏便に行こうじゃありませんか。お互いのためにも・・・ね?」
あなたは社にとっても大切な大切な商品ですからね。
下手に処分するわけにも行かないし、私にその権限はない。
どうせウォルフ所長はもって後数年というとこでしょうか。
それまでは・・・大事に取り扱わせていただきますよ、精々ね。
「・・・条件があります」
「ハァ、我が侭ですねー・・・。
まあ一応聞くだけ聞いておきますが」
「人質の扱いは私に一任してください。
アリサ中尉に、我々がいつでも介入できるのだということを示せばいいのでしょう?
あなたやカタオカさんでは・・・不必要に傷つける気がします」
む・・・失礼ですね。
あのような野卑な男とこの私を一緒にするとは。
「構いませんよ、その程度でしたら。
ただ・・・ヘマをしたら、分かってますね?」
「するはずがありません。
ウォルフ所長が生み出したエンハンスソードの性能は証明済みのはずです」
「しかし彼らを支配しているのはあなただ」
まあ、私が目を光らせていればいいことなんですがね。
何か余程のことがない限り脅迫を拉致・監禁に変更することはしたくないですし。
中尉に精神的圧迫を与えられればそれで構わないのですから。
実際に人質を監禁してしまうのは・・・様々な危険が伴います。
私の発言にアサミ嬢はしばし沈黙し、
そのまま何も言わずに刃を腰の後ろの鞘に収めた。
「ご理解いただけて何よりです。
・・・それでは、細かい打ち合わせをしておきましょうか」
テンカワアキトをこちらに取り込むために。
会長の命令を完璧に遂行するために。
それに・・・
テンカワアキトを失ったときの奴の顔が今から楽しみでしょうがない。
どのような力を持っていたとしても所詮は一個人。
出来ることなど限られている。
こちらの出す条件で素直に承諾するならよし。
さもなければ・・・
とりあえず最初の任務の説明をして、私は車を発進させた。
真紅の牙の面々が根城にしている出張本部へと行かなくてはならない。
「さて・・・明後日あたりには英雄殿とのご対面ですね。
実に楽しみです。
ねぇ、アサミさん?」
出来るだけドラマティックに。
忘れられなくなるような出会いをしなくては。
「別に・・・私は与えられた仕事をするだけですから」
アサミ嬢は私の問いかけに、ついと目をそらして流れる景色に視線を向けた。
そしてふと思い立ったようにバックミラー越しに私を一瞥すると・・・
「すみません。私、少し寄り道していきます。
作戦ポイントの下見もしておかなければいけませんし・・・」
「おや、そうですか?
・・・ま、いいでしょう。
ただし時間には遅れないで下さいよ?
これは真紅の牙との共同作戦なのですか・・・らっ!!?」
バコォッ!!
・・・ガラン! ガラン!
「遅れる・・・?
ふふ、エマージィさん。あなた誰に言ってるんです?」
「ちょ・・・! アサミさん何をっ!?」
アサミ嬢は何を思ったか、突然後部座席のドアをその強靭な脚力で壊してしまった。
そのまま天井部外縁に右手を掛け、不敵に微笑む。
「じゃあ・・・予定の時間に、また」
くるっ!
天井外縁部に掛けた右腕を支点とし、逆上がりの要領でドアの外に姿を消す。
ダァンッ!!
同時に車内に大音量が響いた。
車の天井に着地したと同時に踏み切り、跳び上がったのだ。
・・・私が耳を抑えながらバックミラーで確認すると。
そこにはちょうど・・・一人の小柄な人影が軽やかに着地をするところだった。
「まったく・・・・・勝手な人だ」
わざわざ壊して行くなんて・・・無言の意思表示ですか?
これだからガキは嫌いなんだ。
アサミ=カザマの優秀性は私も認めている。
仕事の精巧さ、迅速さ。
そして未だ完全には解明されていない
しかし、その人格形成においては未成熟であることもまた事実だ。
彼女には基本的な善悪の観念が無い。損得の概念も薄い。
気に入るものと気に入らないもの。ウォルフ所長が認めるものと認めないもの。
結局はその二つに大別される。
そして・・・母親に対しての
その未発達の心は組織に対して害を与えることすらあるだろう。
ならば誰かが制御しなくてはならない。
そう・・・ウォルフ所長の手から彼女を奪う必要がある。この私が。
「カタオカさーん、備品壊したのはアサミさんですからねー。
請求書はそっちにお願いしますよー」
溜め息をつきながら、ここにはいない作戦責任者に弁解する。
どうしてこう・・・
カタオカさんといい、アサミさんといい。
我が侭な人たちが揃ってるんでしょうか。
本当、先が思いやられる・・・
と、深く溜め息をついたその時―――
ブロロロロロロロ・・・・・・ぷしゅー!
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ガチャ、ガチャ!
ブオン! ブオォォォオオオ・・・ぷすん!
「・・・・・・・・・・・・・・・エンスト、ですか?」
まさかさっきので・・・?
・・・あの人、どーゆー脚力してるんでしょうかねー(怒)。
まったく。今日は本当に碌なことがない。
私は悪態をつきながら車を降りた。
そして後部の給油口の蓋を開けると、数歩下がって懐から一丁の拳銃を取り出す。
「どいつもこいつも・・・っ!」
苛立ち紛れに二発、給油口に向けて発砲。
そして・・・
ズドォォォォオオオオンンン!!!!
爆発。
ピッ!!
「ああ、私です。
・・・・・いえ、ちょっとトラブりましてね。
車がおしゃかになってしまったので迎えに来ていただけませんか?
ええ・・・・・・あ、いえいえ、壊したのはアサミさんですよ。
ですから請求書はウォルフ所長あてで・・・はい、お願いします」
ふ・・・これで少しは気が晴れましたね。
「
「ええ、と・・・・・こちらですね。
はい、どうぞ」
「どうも。
・・・うふふ、これで準備は完璧ですね♪」
「・・・・・・・・・隊長。
何故・・・ファッション雑誌なんか?」
「何を言っているんです。
女性にとって身だしなみはなによりも大切なんですよ?
あ・・・あなたも戦闘服だけじゃダメですよね。
死体とは言え女性体なんですし・・・・・・よし、買ってしまいましょう」
「いえ、私は・・・」
「はいはい、街はすぐそこです。
あなたの分も私が選んであげますから」
「・・・あなたのセンスが怖いのです、アサミ」
「はい? 何か言いましたか?」
「いいえ何も・・・」
「そうですか?
・・・それにしてもそのサングラスは何ですか。
エマージィさんほどではないにしても・・・・・・趣味悪すぎです」
「これは所長がデザインしたものです。
ちなみに、七星全員に同じものが配られています」
「え゛・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・私にもくれます?」
「・・・いいご趣味ですね」
あとがき
西欧編 プロローグを御贈り致します。
今回は基本的な舞台設定のようなものでしょうか。
ここだけは時ナデ本編と異なっていますよ、という確認です。
アリサの立場変更とアサミ&エマージィの参入。
後者の二人と真紅の牙がそれぞれ独自に動きます。最低限の協力体制を敷いて。
なんとなくお分かりになるでしょうが、おそらく西欧編は非常に真面目なものになると思います。
それからアサミは母親と言うものに対して一種異様な感情を持っています。
自分の目の前で死んでいった母親。
その後すぐに気を失い、時間の経過に伴い彼女の中で母親という存在がどんどん理想化されていったんです。
母親とはこうあるべきだ、母と娘はこういう関係であるべきだ。
という一種の信仰とも言うべき考え方が、それを乱す者に対しては途端に牙を剥きます。
彼女はこの作品の中でもっとも精神的に未熟であるので。
が、とりあえずいまはウォルフのが大事なので、そこらへんは妥協すると。
では、次回は漸く最近脇役になりつつある主役が出てきます。
だからと言って活躍できるとは限りませんが(笑)
代理人の感想
うわシリアス(爆)。
裏切ったな!
僕達の気持ちを裏切ったな!
父さんと同じに裏切ったんだ!
とゆー読者の声が今から聞こえてくるようです(爆笑)。