機動戦艦ナデシコ

『影(シャドウ)』

 

 

 

 

 

白いシーツの、肌に優しい感触が心地良い。

それに加えて、もっと寝ていたいという欲求が、体を動かすのを億劫にする。

このまま眠っている方が、ミユキには幸せであった。

もう軍隊まがいの訓練もさせられないし、ヘンテコな社会の裏側も見なくても済む。

そう、眠ることだけが救いなのだ。

心地良い気だるさの中、ミユキはさらに惰眠を貪るべく掛け布団を被る。

だが、そんな幸せなひと時が破られる時がやってきた、ミユキの鼻がどこかから漂う医薬品の匂いを嗅いでしまう。

それも強烈にどこかから匂っていた。

 

 

ミユキの思考。

(医薬品 → 薬 → 医療 → 医者 → 医務室 → MAD → イネス → 改造 → ○△□$%#☆!!)

 

 

          ガバッ!!

 

「いやぁぁぁぁぁ!! 改造しないでぇぇぇぇ!!」

 

勢い良く起き上がり、布団がミユキの上から吹っ飛んだ。

ばふっという情けない音を立てながら、かけ布団が医務室のベッドから床へと落ちる。

ミユキは、それを見もせずに、一目散に医務室の出入り口へと走った。

周りを確認もせず、ドアだけを見据えて足を動かす。

2m、1m、もう少しというところで、ミユキは足が動かなくなったことに気付いた。

それと共に、足が感じる何者かが掴んでいる感触に、目から涙が零れていく。

 

「どこへ、行くの?」

 

「…………イズミさんでしたか(ふぅ)」

 

思わず安堵のため息を、深々と漏らす。

その様子をイズミは、ミユキの足を掴んだ状態のまま、上目遣いで見詰めている。

かなり異様な光景であったが、ミユキは、改造人間にされないことに対する安心感だけで嬉しそうであった。

だが、興奮していた状態から戻ると、頭がズキッと痛む。

どうやら、意識を失う前に頭を打ち付けていたところが痛むようだ。

慌てて手で確認すると、包帯が巻かれており、治療は終わっているらしい。

 

(……イネスさんが治療したんじゃないでしょうね)

 

たらりと汗を流しながら、怪しむように頭の具合を確かめる。

綺麗に巻かれた包帯の様子を見る限り、きちんとした仕事っぷりに感じられた。

別に、ミユキから見てもおかしい部分は見当たらない。

元々医学の心得がないので、見てもわからなかったりする。

ふと、気配を感じて下を見ると、まだイズミが足を掴んでいた。

 

「あの、何か御用でしょうか?」

 

「ヒカルが忙しいからって、私に監視を任せたの」

 

「はぁ?」

 

「お上の目の届く範囲……官、視野。くくくっ」

 

「……あの、歩きにくいんですが。

 それに、イズミさんも立って歩いた方が、まだ人間らしいと思いますよ」

 

「酷いのね……人の道を外れたつもりはないんだけど」

 

すくっとイズミがミユキの目の前に立ち上がる。

ミユキがイズミの掴んでいた部位を見ると、随分と強く握られていたらしく赤い跡が残っていた。

 

「うわ、跡が残ってますけど」

 

「体のあちこちに赤い模様ができるんだってさ……跡ピー」

 

「そろそろ人間の言葉を話してもらわないと、グーで殴りますよ?」

 

「……なんで、そうなるのかしらね。

 少しでも気を楽にしてもらう為に、漫談をするつもりだったんだけど。

 嫌なの?」

 

「ええ、結構です(キッパリ)」

 

「ふーん、警戒を厳しくした方が良いんだぁ。

 へぇ……それじゃあ、楽しくいきましょうか」

 

何故か、嬉しそうに、にたりと口元を歪めるイズミの姿を見て、ミユキは背筋が凍る思いをした。

今まで、何かしらの嫌な思い出が増えた為に、こういうことに対する予感みたいなものが強くなっている。

むしろ頭を強打したことにより危険を探知する能力が向上したのかもしれない。

そんなことをミユキが考えているとは、知らないイズミは口を開く。

 

「とりあえず、ブリッジにでも行きましょうか」

 

 

 

とぼとぼと二人連れ添って歩いている。

ミユキの隣を歩くイズミは、何時の間にかウクレレ片手に歩いていた。

さらに、陽気にウクレレをかき鳴らしている様子は、どう贔屓目に見てもである。

だから逃げようとして歩くスピードを上げても、相手も合わせてくるのだ。

それを何回か、繰り返した後にミユキも諦めがついたのか、またとぼとぼと一緒に歩く。

 

(あぁー…早くブリッジに着かないかなあ。

 ……それと会長にヤマダ君のことは報告した方が良いのかな)

 

いやぁ〜に長く感じる通路を歩きながら、例の件を報告するのかを考える。

そもそも置いてけぼりをくったというのに、まだまだくじけないところはミユキらしいのかもしれない。

ダッシュの選考基準は、こういうところだったのだろうか。

 

「おっ?」

 

イズミの挙げた声に反応して、思考を中断して顔を上げる。

声を上げた張本人を見ると、何やらブリッジに向かう先を見ている。

 

「えっ?」

 

思わずミユキは驚く。

 

        ガラガラガラ!!

 

「はい、怪我人が通りますので、通路を空けてください!!」

 

血だらけの状態のアキトが運ばれていく。

その異様な光景を目撃してしまい、ミユキは思わず青ざめてしまう。

自分もガイを血塗れにしているとは言え、さすがに自分が関与していない場所で流血騒ぎが起こると不安らしい。

と、ここでミユキの頭に一つの考えが思い浮かぶ。

 

(もしかして、まだ会長がいるのかも!!)

 

まだ脱出してない可能性を考えて、嬉しげに顔を歪める。

その様子を見て、イズミが訝しげにしているが、ミユキには関係がなかった。

騒ぎを確認する為に、ブリッジへと走り出す。

その後をイズミが付いて行く。

ブリッジに近づいていくに連れて、たくさんの人間が集まっていた。

それを掻き分けながらブリッジへと入ると、ブリッジクルーが輪になって話し合っている。

突然、乱入してきたミユキの姿を見て、全員少なからず驚いている様子であった。

 

「なんで奴をブリッジに入れた」

 

ゴートがコバンザメの如く、背後にぴったりくっついてきていたイズミに聞く。

そのやり取りを無視してミユキは、目の前にあるモニターで状況を確認した。

モニターには、火星から追撃の為に出撃してきた木星トカゲの勢力を図式化したものが表示されている。

他に別の情報が映っていないか確かめるが、他のことに関する情報はなかった。

 

「やっぱり、先に脱出されたんですか」

 

           がっくり

 

肩を落としながら精一杯、体全体で落胆していることを表す。

がっくりしているとゴートが、イズミとの会話を終えたのか近づいてくる。

 

「おい、何しにきた」

 

「え?

 ああ、テンカワ君が血塗れで運ばれていったから、

 もしかしたら、私と一緒に暴れた人がまだ艦内にいるのかと思って」

 

「奴なら既に脱出している。

 そのことは確認済みだ」

 

「そう……会長めぇ。

 と、ところで、私の監禁について相談は終わったの?」

 

「お前がいとも容易く隔離室から脱出したことは聞いている。

 そんな奴を監禁しておいても意味がないからな。

 それよりも、お前には敵の迎撃の為にエステバリスで出撃してもらう。

 だからと言って、安心しないことだな」

 

「え、なんで?」

 

「……お前を野放しにする代わりに、イズミを監視につかせることにしたからだ」

 

「それは本人から聞きましたが……イズミさんですか」

 

げんなりとした表情で、嫌だということをアピールする。

先程のやり取りを思い出すと、先が思いやられたからだ。

 

「そうだが、何か文句でもあるのか」

 

 

「もっと人間らしい人に代えてくれません?」

 

 

「駄目だ、嫌がる人間ほど監視には適任だ」

 

       ちらり

 

そのゴートの言葉を受けて、ミユキがイズミの方を見やると何やら嬉しげにウクレレをかき鳴らしている。

ガチャガチャと、周りの人間が迷惑そうな顔をしていても、ちっとも構わずにウクレレをかき鳴らしていく。

と、満足したのか、手を休める。

そして、優しく喉元を撫でながら、発声練習を開始し始めた。

「あー、あー」と、ちらちらと横目でミユキの様子を伺いながら声を出す。

完全に嫌がらせであった。

 

「あわわわわわっ」

 

このイズミの様子を見て口に手を挟みながら慌てる。

 

「おい、何を慌てている」

 

「そ、そんなの――」

 

 

             ドカーン!!

 

 

「いたっ」

 

突然のナデシコを揺らす程の衝撃が起こる。

この時の揺れによって、バランスを崩したミユキはお尻を酷く打ち付けてしまった。

痛みを和らげる為に、さすりながらミユキが上体を起こしていると、ルリの声が聞こえる。

 

「本艦を追跡中の敵艦より砲撃を確認。

 艦長、どうします?

 この戦力差では、ディストーション・フィールドを貫かれるのも時間の問題だと思いますけど」

 

「各自、自己の判断で臨機応変にお願いします!!」

 

コミュニケでルリがユリカに向かって話をしているようであった。

ウィンドウに何やら不機嫌そうに頬を膨らませているユリカが映っている。

そんな通信をしているルリの隣に立っているヌイグルミを見てミユキは驚いた。

 

「そうじゃのう、この戦艦の能力だと沈むのも時間の問題じゃな」

 

「……くまの癖に」

 

「何か言ったかの?」

 

「別に……ヌイグルミの癖に」

 

「ヌイグルミが喋ってる!!」

 

思わず大声をあげながらヌイグルミへと近づく。

 

「な、やめんか!!

 こら、あちこち触るんじゃない!!

 ぎゃー、わしは精密機械なんじゃぞ!!」

 

黒い瞳をキラキラと輝かせながら嬉しそうに遺跡の体を弄る。

まるで童心に返ったかの如く、遺跡の体であるヌイグルミの手を無理やり動かす。

勿論、ヌイグルミの継ぎ目や力のかけ方など関係なしである。

その為、遺跡が情けない声をあげながら助けを求めているが、誰も助けようとしない。

 

「面白〜い!!

 これって、ネルガルの新製品なんですか!?」

 

「ええい、やめんかい!!

 この、この、このっ!!」

 

           ぽかぽかぽかっ

 

「うわぁ、怒ったらガラス玉が光ってる!!

 あははっ、殴られてもちっとも痛くないですね」

 

「もうあっちへ行かんか!!

 今、攻撃を受け取るんじゃろうが!!」

 

「手触りが気持ち良い、ふかふかしてますね」

 

そこで背後から仏頂面の男が、ミユキへと釘を刺す。

 

「・・・さっさとエステバリスで出撃しろ」

 

「さ、さぁて、出撃しましょうか」

 

巨体に似合わず、気配を感じさせずにミユキの背後からゴートが声を掛ける。

その怒気に満ちた底冷えする声に、慌ててミユキが格納庫へと向けて走り始めた。

通路を走り続けていると、途中からイズミが追いついてくる。

まるで忍者のように、足だけを動かして走っている姿が異様であった。

しかも今まで持っていたウクレレを手に持っておらず、どこかに置いたのか分からない。

 

「あ、あの」

 

黙々と走り続けるのが嫌だったミユキはイズミへと話しかける。

イズミが顔を動かし、ミユキの方へと顔を向ける。

 

「さっきの木星トカゲの戦力を見たんですが、圧倒的じゃないですか。

 私達が出撃したところで、どうにかなるというものではないと思いますけど」

 

「……あのヌイグルミ」

 

「え、あ、はい」

 

「あれが言うには時間稼ぎをすれば、自分が何とかするということだけど」

 

「ヌ、ヌイグルミが?」

 

「木星トカゲが使っている瞬間移動だけど、あれができるんだってね」

 

「は?」

 

イズミが躊躇もせずに、語る驚愕の事実にミユキは戦慄を覚えた。

背筋が凍る、自分の耳が機能不全を起こしたのかと疑問を抱く。

ただ、そう。

ただ、脳裏を過ぎるのは、一つの考えだけであった。

それも今までナデシコで共同生活をしてきて、幾度となく抱いた考え。

 

それを盛大に頭の中でミユキは絶叫した。

 

 

 

 

 

 

 

(そんなのできるわけないじゃないですか!

 どうして、簡単に信じられるんですか?

 ヌイグルミですよ?

 ヌ・イ・グ・ル・ミ。

 変ですよ。 この人、変ですよ!!

 この人、絶対、ぜぇ〜たいに変ですよ!!)

 

 

 

 

 

 

 

急に押し黙ったのを怪しく思ったのか、イズミが声をかけてくる。

 

「どうかしたの?

 それと無駄口を叩いている暇はないよ、さっさとエステで出撃」

 

「え、あ、は、はい」

 

そう返事をしながらパイロットスーツへと着替える為に格納庫へと急いだ。

 

 

 

 

 

エステバリスで出撃すると、敵の大軍勢が目に入る。

火星を脱出したナデシコを追う為に、火星中から発進してくる軍勢はナデシコから火星を隠すほどであった。

多数の戦艦から射出されるバッタが宇宙の色を一時的に黄色へと塗り替えていく。

その軍勢を眺めながらミユキは、逃げる算段を考えていた。

顎に手を当てながら敵の軍勢とナデシコの位置を考慮して死角を探す。

 

(どうやって、逃げたら良いのかしら?)

 

だが、ミユキの皺が少ない脳みそで考えても思いつかない。

仕方がないので、考えるのをやめ状況が変化するのを待つ。

そこでコミュニケを使って、周りを飛んでいる味方へと通信を入れる。

 

「あの、あれだけの数をどうやって撃墜するんですか?」

 

「ああん?  おめぇまだ作戦の内容を聞いてなかったのかよ」

 

リョーコが呆れたように声をあげる。

その声にミユキは情けない顔をしながら聞き返す。

 

「す、すいません、寝ていたものですから」

 

「仕方がねぇなあ、俺が「だったら俺が解説してやろう!!」

 

リョーコのコミュニケを押しのけて、ウリバタケの顔がアップに映ったウィンドウが展開する。

その興奮気味なウリバタケの顔を見ながら、ミユキがぽつりと返事を返す。

 

「はあ」

 

「まずテンカワが欠席しているからゲキガンカッターをヒカルちゃんのエステに装備しといた!!

 敵の数を減らす為にもヒカルちゃんのエステを護衛しながら時間を稼ぐ!!

 そして、こっからはどうなるかは俺にもわからねぇ。

 あのブリッジにいる、ちんちくりんのヌイグルミが敵の瞬間移動をするらしい。

 しかもナデシコごとだぜ」

 

「ああ、だから時間稼ぎですか」

 

先程イズミが説明したのだが、やはり物覚えが悪いので忘れてしまったらしい。

それともどこか頭の打ち所が悪かったのだろう。

ミユキは頭をぽりぽり掻きながらぼんやりと必死に説明しているウリバタケの話を聞いている。

 

「―――という訳だ!!

 いいな、時間稼ぎをすれば良いんだ。

 死ぬんじゃねェぞ!!」

 

「ああ、もううるせえぇなあ!!

 俺達の腕を信じろっての、そう簡単にくたばってたまるかよ」

 

やや紅く染まった頬を掻きながら、リョーコがそう言う。

そして、何やら乱暴にコミュニケを操作してウィンドウを閉じた。

ウリバタケもそんなリョーコの態度を見て、可笑しそうにしながらコミュニケを閉じる。

 

「ふう、敵の大軍勢か」

 

         ピッ!!

 

「それとキタウラ、貴様はわかっていると思うが」

 

「な、何でしょうか?」

 

「監視につけているのは、お前が不審な行動を取らせないようにとの処置だ。

 そこのところを良く考えておくのだな」

 

「不審な行動をしたら……どうするって言うんですか?」

 

 

「俺が許さない」

 

 

             ずるっ!

 

大真面目に言うゴートの台詞に、パイロットシートからずり落ちる。

コクピットの下部から這い上がりながら、ウィンドウに向かってミユキが問う。

 

「そ、それだけなんですか?」

 

「……ナデシコを守るには、戦力を少しでも投入しなくてはならない。

 だから、少々素行不良でも使えるパイロットは使っておかないとな」

 

「へぇ」

 

「……何だ」

 

「なるほど、なるほど」

 

「……だから、どうした」

 

「そうですよね。

 私も頑張りますよ。

 確かに別社員という立場だけどナデシコを守る為には頑張らないと駄目ですよね」

 

        ピッ!!

 

相変わらずの仏頂面だったが、ミユキの言葉の意味は分かってくれたのかもしれない。

ウィンドウに映っていたゴートの表情を見ても、何もわからなかったがそうだろう。

そんなことを考えながら、遂に迫ってきた敵を眺めながらエステバリスを戦闘態勢へと持っていく。

 

「そうですね、生き残ったら御飯でも奢ってもらいましょうか」

 

その呟きを通信機器が拾ったのだろう、直ぐ傍でゲキガンカッターの準備をしていたヒカルが大声をあげる。

 

「あー、奢るって言えば思い出した!!

 この前、模擬戦したじゃない!!

 模擬戦では、7対3で私が勝ってたよ!!」

 

「え!?

 何を言い出すんですか!!

 私の方が勝ってましたよ!!

 だいたい7対3って、そんなに負けてたら幾ら何でも覚えてますよ!!」

 

「そんなこと言って、うやむやにする気なんだ!!」

 

「何言ってるんですか!!

 私の方が勝ってたじゃないですか!!」

 

 

「あぁぁぁぁ!! うるせぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 

 

 

 

 

「どうでも良いけど、もう来てるわよ」

 

 

 

 

 

「「「えっ?」」」

 

 

イズミの指摘を聞き、三人が振り向くと、そこにはバッタの団体さんがいた。

そして、挨拶代わりに、ぷしゅっという音を立てながら、大量のミサイルを撃ち放つ。

 

 

          ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!!

 

 

「「「のわぁぁぁぁぁ!!!!!」」」

 

 

 

 

 

 

その4にジャンプ!