機動戦艦ナデシコ
『影(シャドウ)』
それはナデシコの次の任務についての説明などが終わった後のことである。
コンコン
ドアをノックする音が聞こえる。
そこは医務室、ナデシコにおけるマッドの巣窟と化している場所であった。
ノックに対する返事はない。
返事をしようにも医務室には、ベッドの上で大人しく寝ているアキトぐらいしかいないのだ。
だから、来客を応対しようにも体を起こせないので、相手をすることもできない。
と。
返事がないことに我慢できなかったのか、ノックの主がドアを開く。
そこにいたのは、エリナであった。
どうやらユリカに話があったように、予告通りナデシコにあがってきたらしい。
外から船体を眺めるだけで満足はしなかったようである。
「貴方がテンカワ アキト君ね」
ざっと部屋の中を見渡した後、アキトを見つけるとそう声を掛ける。
どうやら、元々部屋の主に用事があった訳ではなく、アキトに用事があったようだ。
そのエリナへと横になったままアキトが顔を向ける。
「俺に何か用ですか?」
やはり見知らぬ人間に見舞いされると戸惑う。
アキトがベッドの脇に立ったエリナへと物問いたげな視線を送る。
だが、そんなアキトの視線は予測していたのだろう。
そのような視線など気にせず、エリナはベッドの隣に置かれていた椅子へと腰を下ろす。
「貴方に協力してもらいたいことがあるのよ」
「きょうりょく?」
「別にそんなに難しいことじゃないわ。
あることが実現可能だということを会社に納得させて欲しいのよ」
そう話ながら書類をアキトへと見せる。
その長い時間見続けたら目が痛くなりそうな書類は、有人ボソンジャンプに関することであった。
「これって……木星トカゲの」
アキトのボソンジャンプの認識とはそういうものである。
敵が使う瞬間移動、そういうものであったので人がそれに関する情報を持っているのは不可思議なのだろう。
書類とエリナとを交互に何度も見ている。
「そう、ボソンジャンプ。
本当はネルガル……もう潰れたけど、その時に進めていたプロジェクトの一環で研究されていたわ。
それを今、もう一度実現させようと奔走している最中というわけ」
どこか熱っぽい口調でエリナが説明する。
まるで夢を語るように、エリナは真剣な様子であった。
「でも、俺なんかが協力なんてできませんよ」
「いいえ、貴方しかできないことなのよ。
それに協力と言っても専門的なことはこちらがするから、貴方には被験者として実験に参加してもらうだけ」
「でも、これって人体実験」
「そうね」
「―――――だったら、断ります」
キッと目付きを鋭くしてエリナを睨みつける。
「そう。
じゃあ、とりあえず他を当たってみるわ」
「え、良いんですか?」
先程の仕事の話をしている時の口調からは、とても簡単に諦めるとは思えない。
それに対し、エリナは渋面を作りながらも断る理由をアキトに教えてくれた。
「……そんなに事を急に進められるような状況じゃないのよ。
少しぐらい時間を置いてからじゃないと……色々とゴタついているから」
「……そうなんですか」
勢い込んで断った手前、少し気が抜けてしまう。
そんなアキトの様子にエリナは面白そうに笑いかけてくる。
「でも! 別に諦めたわけじゃないのよ?」
「はあ」
「今のところ余裕がないから一旦ストップしているだけであって、
また後から貴方にもう一度協力をお願いしに来ると思うわ」
「……それでも、返事は変わらないと思います」
「そうだと良いわね。
なんだかやる、やらないの結論を急いでしまったみたいだから言っとくけど。
別に酔狂で貴方を被験者に選んだわけじゃないのよ?」
「ど、どういう意味ですか」
「そのままの意味と取ってもらっても構わない。
要するに1年前、戦場と化した火星から貴方はどうやって地球へとやってきたのか」
「それは……」
「答えられないでしょ?
そういうことを前々から調べていたから、もし実験する場合は是非貴方に協力を要請したいと思っているの」
「……」
「―――――あれ」
「どうしたの?」
「でも、確か。
えっと……そのボソンジャンプを使って地球に帰ってきたとか」
その時、アキトは気絶していたのだが、ユリカがベラベラと教えてくれたのだ。
親切なことに頼んでもいないのにである。
「それはナデシコのことね。
確かに、ナデシコがボソンジャンプを使って地球に帰還していることはデータが証明している」
「だったら、その方法を調べれば良いんじゃ」
「……それがわからないのよ」
「え!」
「どういう方法を使ったのかわからないけど、ボソンジャンプは使用されている。
だけど、いつもと様子が違うみたいだから……確証が持てないのよね」
「はあ」
「何かボソンジャンプを使った方法なりなんなりが分かれば話は別なんだけどね」
(―――――?
あれ、もしかして……この人、わかっていないのか?)
目の前で深々と溜息をついている人物を見ながらアキトはそう思った。
(確か、ユリカが言うには、誰かがボソンジャンプを実行させたって。
……思い出せないな。ユリカの奴、直ぐ変な方向に話を持っていこうとするから)
そう、アキトは遺跡に会っていないのである。
しかもその時の状況などを話したのがユリカだったりするからアキトは混乱していた。
大抵ユリカはアキトと話をすると、途中でトリップし始めるからである。
(えっと、誰だっけ?
イネスさん―――は違うな。確かサイボーグがどうとか。
じゃあ、ウリバタケさん―――も違うな。艦の修理で忙しかったって言ってた。
ホウメイさん? なんでだよ。
えっと、プロスさん、ゴートさん、ミナトさん、メグミちゃん、ルリちゃんは……ないだろ!
あぁぁぁ、誰だったかなあ?)
当然のことながら答えはでない。
アキトの頭の中に遺跡がいないのだから出るわけが無い。
と。
シャッ!!!!!
突然、隣のベッドのカーテンが空けられる。
その光景にアキトは驚いてしまう、隣のベッドには誰も寝ていないと思っていたのだ。
しかし、一応アキトの思っていたことは当たっていた。
隣のベッドには誰も寝ていなかった、後からカーテンを開けた人物は入ってきたのである。
「ふう、なんとかなったわい」
それを見て、アキトは戸惑った。
何しろそのカーテンを開けた人物はヌイグルミの体を持っているだけに、初対面では面食らってしまう。
なので、アキトの反応は間違いではない。
「ふっ、幾らなんでもこれに付いて来れはしまい。
ワシらだけの必殺技とでも言うべき特殊能力なのだからのう」
どうやら逃亡してきたらしい。
「テンカワ君。このヌイグルミに関して説明してもらえる?
もしかして……人でも入っているっていうのかしらね」
「いや、これは……その」
「ワシは遺跡じゃよ」
(―――――思ったけど、コイツって木星トカゲってことないよな)
「遺跡……なるほど、これは驚いたわね。
まさかヌイグルミからその言葉が引き出されるなんて……」
「む?」
薄い反応に遺跡は不満そうである。
「でもね、貴方が遺跡だという保証はあるのかしら?
今の段階では遺跡=貴方というわけにはいかないわね」
「ほう、だったらワシは?」
「そうね―――ほら吹きってところかしら」
「ヌイグルミのかのう」
「まあ喋るヌイグルミなんてオモチャでもあるわよ。
それをちょっと高価なものに置き換えたら……可能なんじゃないかしらね」
「ふん、言っておれ。
別にお前が信じんでも、ワシは別にどうでも良いんじゃからのう」
「証明できないって言うの?」
「別にぃ、無理に信じてもらわんでものう」
「やれやれ。
貴方、結局ほら吹きじゃない」
「ふん……まあ良い」
少し思案したような素振りをしてから、遺跡はこう切り出した。
「証明は簡単じゃよ。
ワシがボソンジャンプを使用したという証拠をナデシコのデータに置いといてやろう。
そのデータを調べれば、ワシがどういう存在なのかは立証される」
「なるほど」
「…………あの」
そんな二人の会話にアキトが割り込んだ。
どうやら会話の内容についていけなかったらしく、どこか不安げに二人を見比べている。
「なに?」
「それで、さっきのボソンジャンプがどうとかは」
「とりあえず保留にしておいてもらえるかしら。
……まずはこのヌイグルミが本物かどうかを調べないといけないから」
「ふぉっふぉっふぉ」
ヒゲもないのに、ヒゲをさする仕草をしている。
「じゃあ―――」
アキトは口を開こうとしたが手で制される。
「ナデシコはこれから地球上に点在している木星トカゲの無人兵器を殲滅しに向かうはず。
だから、それが終わる頃にはこっちの準備も終わってるはずよ」
「ふぉっふぉっふぉ」
「このヌイグルミの調査も進んでいるでしょうし、
他にも話をしておかないといけない人もいることだし」
「はあ」
エリナが立ち上がる。
「それじゃあ、また来るわ」
電動音を立てて扉が開く。
その後ろ姿を見送った後、アキトはベッドに腰掛けようとしていた遺跡をふん掴まえた。
「な、なにをする!?」
「お前、この医務室にいなかったはずだろ。
どっから出入りしてきたんだ?」
「ふん、愚問じゃの。
ワシはいかなる場所であろうとも出入りが―――あの、首を絞める力を緩めて欲しいなあなんて」
「話すか?」
「話すわい。
別にワシにとって、不都合が生まれるわけでもないからのう」
(不都合。
……そういえば、ユリカが何か言っていたような)
「ほれ、あれじゃ。
通気ダクト、あそこから」
「へぇ、そうだったんだ」
「おいおい、嘘じゃよ?」
「……」
「まったく、簡単に信じるのう。
ワシが移動する場合は、大抵ボソンジャンプじゃよ」
「へっ、口に出して確認しただけだ」
「ふむふむ」
「くそ!……」
「ま、それはともかく。 おい、ハナタレ小僧」
「な、なんだよ」
「お前な……言っておくが、ワシが演算作業できなくなるような選択をするなよ。
幾らお前等がお客だとは言え、演算そのものをできなくなるようだと本末転倒もいいところじゃからのう」
「それって……俺と関係あることなのか?」
「ん? 理解できんかったか。
まあ今のお前さんが知っている情報量だとそんなもんかの」
「い、意味がわかんないな」
「今は良い。
だがのう、小僧。お前はワシらをどうにかする選択肢を握っている人間の一人だということを忘れるな。
もしワシが困るような選択肢を選んだら歴史の変革に挑んでやるわい」
「???
お、俺はそんなご大層な人間じゃねぇよ。
……何も出来なかった人間だし」
「ん? あ!」
ポンと手を叩く。
「どうしたんだ?」
「そっか、そっか。
小僧は知らんかったか。まあ時間移動する物体が元の質量を得るまでは光じゃからの。
さすがに人間がそれを読み取ることはできんか」
「なんだ、なんだ?」
「んー、まあ。
なんだ。お前さんのトラウマが消えてくれるかもしれんわけじゃな」
「……俺のトラウマ」
「まだ確定した訳じゃないし、勿論宇宙の意思が選択した訳でもない。
だからぬか喜びになってしまうかもしれんが、まあそこは期待せずに待つんじゃな」
「でも、トラウマって木星トカゲの連中のことだろう?
そんなの、もうとっくに治ってるよ。
何しろナデシコに乗ってから色々とあったんだしさ」
「―――――ふむ。
無人兵器の大軍団を退けたり、ダジャレの力で敵部隊を壊滅させたりかのう?」
「そう、それ!
幾らなんでもアリか?って思うようなのの連続だったからなあ」
「―――――なるほど。
テロリストの襲撃から巨大なバッタを使っての相転移エンジンの奪還。
ま、経験値は積んでいってるみたいじゃのう」
「ん?
ていうか、お前なんでそれを知ってるんだ?」
「ああ、ワシが知らぬことなどない」
「は? なんで」
「この体は仮の身。
ワシ自身、元の本体から分かれて存在している意思だ」
「う、うーん」
今までも分からなかったので、余計にアキトは頭を捻ってしまう。
と、そんなアキトは放っておいて遺跡の方はどんどん話を次へと進めていっている。
「所謂、影じゃな。
本体とある時を境に別行動を取っているが、基本的に同じ存在。
また、元に戻るつもりじゃし」
「……」
「お、どうした?」
「どこにお前が知っていたという説明があるのかなあと思って」
「うん? 今から話すつもりじゃったのだが」
「おい!」
「まあ落ち着け。
一応、前フリじゃから別に無関係というわけではない。
要はその本体の方と連絡を取って、情報を集めて送ってもらっているというわけじゃな。
なーに、分かったら簡単なトリックじゃよ!
カッカッカッカッ!!」
「つまりカンニングか」
「まあ似たようなもんじゃな」
「そっか?」
「……自分で言っておいて、こいつは……」
「な、なんだよ」
「ハッ! まったくなんだってこんな奴にワシが困らないといかんのじゃ。
ワシはお前等なんかとは比べ物にならない最高級品の代物なんじゃぞ!?」
「―――――あのさ」
「なんじゃ」
「お前ってさ、もしかして。
その本体からコピーした時にデータか何かが壊れたんじゃないのか?」
「な、なに?」
「いや、これは俺の考えだし、根拠はないけどさ。
どうもなあ……遺跡って言うからには、結構年月経ってるだろうし」
「な、な、な、な、何を言い出すんじゃ!!
この大馬鹿者が!! 言うにことかいてワシを不良品扱いじゃとおぉぉ!!」
「でもなあ……遺跡って喋るのか?」
「―――――!」
「もしかしてだけど……喋ってることも本当はなかったりして」
「……………」
「どうなんだよ」
「……ふぉっふぉっふぉ、まさかのう。
小僧がワシのことを不良品扱いし始めるとは」
「じゃあ、壊れてないのか」
「いやいや、確かに言語機能などワシらには不要じゃ。
じゃが、今回ワシが追っかけているモノを追うには、それが必要な時があるかもしれない。
要は可能性の問題じゃな。だから付けたんじゃよ」
「ふーん、なんかそれって人間?
喋らないといけないってことはさ」
「あ―――――しもた!」
「それとさ、壊れていると思ったのはさ。
ただ端にお前が機械なのに、変なミスを繰り返しているからなんだよ」
「なに?」
「あの、木星トカゲが使っている瞬間移動。
あれを計算するのがお前なんだろ? だったら何度も失敗するのはおかしいだろ」
「………………」
「なんだっけ?
ホウメイさんに何度もやれって促されたからやったらしいけど。
なんか……おかしいよな。 体がボロボロになるまで元の場所に戻ろうとするなんて」
「それがなんじゃい」
「今さっき言っていたけど用事があるんだろ?
ほら、追っかけているモノがあるって今さっきいっただろ」
「!」
「だから、戻るのに必死だったんだろうけど。
でも、だったら尚のこと失敗するってのはおかしいよな。
計算する機械が必死になってるのに失敗する、これって壊れるだろう」
「―――――くぅぅぅぅ!!!!!」
「へ」
「こんなバカに……」
「おい」
「ふん、まあだいたい正解というところか。
その間違いのところも些細な問題だしのう」
「ふーん」
「まあない頭を振り絞ってよく考えたというところかの。
褒めて遣わそう」
「あー、それなんだけど」
「なんじゃい。
まだ何かあるというのか?」
「実は俺が考えたわけじゃないんだよ」
「は?」
「なんかユリカが見舞いついでにペラペラと色々と喋るからさ。
だから―――――確かめようと思って」
「なんだと?!!!!」
「いやあ、ユリカが見舞いにきた時のことを思い出してさ。
なんか確かめたくなったんだよなあ」
「お前、バカじゃろ?! バカじゃないのか!?」
「お、おい。
いい加減、俺もバカ、バカ言われると怒りたくなってくるぞ」
「でも、事実じゃろ」
「くっ!
言わせておけば……」
「何しろワシがミスマル ユリカを襲わないとも限らんではないか。
それなのに、簡単にワシへあっさりと情報を流すんじゃからのう」
「それは」
「不注意じゃな。
……ま、ワシが奴を襲うようなマネはせんから安心しろ。
ワシらにも縁のある奴じゃし……」
「縁?」
その時、扉が機械的な音を立てて開く。
開いた扉の向こう側には、仁王立ちしている整備班の面々が大量にいた。
「いたぞ! ここだ!」
そのうちの何人かが他の場所へと声を発している。
どうやら整備班の目的は愛くるしい表情で場をやり過ごそうとしている物体のようであった。
「―――てへ♪」
「やってしまえぇぇ!!」
まったく効果が見られない。
「ふん!」
「あ!」
だが、脱出経路は確保していたのだろう。
遺跡は身を素早く翻すと、その翻した勢いのままむぎゅっと通気ダクトへと入り込む。
「ワシをバラすなど、言語道断じゃい!
さらばだ、小僧―――――ふははははっ!!」
狭い通気ダクトから遺跡の言葉が聞こえてくる。
一連の動作は一瞬の事で、遺跡の姿はそれこそ目で追うことができなかった。
まるで台所の悪魔のような機敏な動きを見せながら遺跡は颯爽と去っていったのだ。
「……変な奴」
その素早い逃げっぷりを見届けながらアキトが呟く。
だが、周りでは取り逃がしたことを悔いている面々の怒声が飛び交っていたので呟きは誰の耳にも入ることはなかった。
「なんかうるせえなあ」
ナデシコのある一室、そこにいるガイは部屋の外の騒々しさにそう呟いた。
かなりの防音効果があるにも関わらず聞こえるということは、相当外の騒ぎはうるさいのだろう。
「ほら、ポーズ取って!!」
そんな外のことを気にしていたガイであったが、ヒカルにそう注意されてしまう。
何やらむー、と紙の前で唸っている。
「仕方ねぇなあ、これでどーだ!!」
ジャキィン!!
「完璧っ!」
「おら、もういっちょぉ!!」
ドーン!!
「それそれ! よぉし、イメージが湧いてきた!!」
「ヨッシャア!
俺も次のキョアック星人戦では、このポーズで戦ってやるぜ!!」
ヒカルに頼まれて漫画のイメージ協力をしていたガイであったが、
合いの手を入れてくれる人間がいるので、何時もよりも充実していたりしていた。