機動戦艦ナデシコ <黒>
 07.いつかお前が「歌う詩」→今一時の「別れ」

 

 ナデシコは、火星の大地を漂流していた。
 損害そのものは軽微。しかし、木星蜥蜴に自分達では抗し得ないと気づいた彼らには恐怖があった。
 しかし、消耗戦を仕掛けられていることは否めない。いずれ落とされるだろう。

 

 アキトは医務室のベッドの上から床へとダイブした。普段布団で寝ているから、ベッドに寝ているという意識がなかったのかもしれない。
「ゆ、ユリカにルリちゃん……正気か……?」
 突っ伏したアキトの意識は、そこで途切れた。

 ナデシコ中に軽い、それでいてちょっと楽しげな音楽が流れていた。
『みんなはナデシコがどうやって動いているか知ってるかい?』
 明後日の方角を見ながら、全くの棒読み口調。やる気が無いのがまるわかりなルリ。普段見慣れている制服ではなく、年に見合った、ポップな服装をしている。ルリの私物か疑わしいが、他の誰が持っていても問題はあるだろう。
『え〜おねえさん、ぼくしらないや』
 こちらは何故か違和感のない、子供番組口調のユリカ。どこから調達したのか、ウサギの着ぐるみを身につけている。

「ユリカ、可愛い……いや、違う、そうじゃなくて……」
 途中まで言って、自分が何を口走っているか気づいたジュンは顔を横に振る。
「ルリルリかわい〜」
「この着ぐるみ、アタシのなのに〜」
 妹分に見ているルリの楽しげな様子を見て表情を緩めるミナト、何で自分じゃないのかと残念そうな顔のメグミ。
 ただ、ゴートだけが慌てて走り去っていった。

「ちょっとホシノ・ルリ! ナデシコのよい子達が見ているのよ! 台本通りやりなさい。はい、にっこりこっち向いて」
 良い子が乗っているかどうかは別として、妙に熱の入った様子のイネス。
 しかしルリはちょっと険の入った表情で、
「ばか」
 と呟く。表情には僅かに赤みが差してもいた。

「さあ、続きから行くわよ!」
「行く必要はない。このバカ騒ぎの意味は何だ、フレサンジュ」
 ゴートが入ってきた途端に制止を命令する。
「現在木星蜥蜴の攻撃によりこの大気の底から出ることも叶わない」
 上空……大気圏の僅かに向こう、チューリップが数機集まっていた。
 例えナデシコが完調であったとしても突破は困難。昇る前にたたき落とされるのは確実だった。

「ああ、気にしないで。奥の手があるからこうして遊んでるわけだし」
「…何?」
「私ね、8歳の頃砂漠で発見されてから、それ以前の記憶がないの。だから今が本当っていう気がしないって事もあるけど……」
 そう言って、軽く胸に手を当てる。
 その仕草にルリの視線が下がって、そのまま落胆の表情を作ったのは何故だろうか。
「まだ、生き残る方法はあるわ」

 

 医務室の床からうめき声が聞こえる。
 放送を見て、ベッドからずり落ちたアキトと、アキトを助けようとして「反射的に攻撃」された医者の二人。
 放送は続いたままで、放送用に作った幼いユリカの……子供の頃を思い出させるユリカの声が、「実際にあった過去」を悪夢としてアキトの頭の中に再生させ続けていた。
 夏の避暑地。
 海。飛び込み台のつもりで崖に登ったユリカを止めようとして自分が落ちる。
 山。小熊を拾ってきたユリカと、怒った母熊に追いかけられたアキト。致命傷寸前の爪痕は今も背中に残っている。
 湖。「ナントカ」言う未確認生物を見に行って、湖の真ん中から、素潜りをやらされた。2Mを超えて成長したブラックバスと競泳する羽目になった。
 よくよく考えると、全部の場面にもう一人の幼なじみの姿もある。
「う……うう…ぐ……うわあっ……」
 目が覚めたと同時に、反射的に逃げ出すアキト。
 ドンッ!!
 ドアが開くと同時に出て、フクベにぶつかってしまう。この辺は錯乱していたことに感謝すべきだろう。もし正気のアキトがその気になれば、今頃フクベはこの世にいないのだから。

 こぽこぽこぽ……。
 ポットから直接お茶が出てくる。提督自ら、一介のパイロットに手ずからお茶をついでいるのだ。
「どうかね」
 受け取り、軽く揺らして香りをみ、一口飲む。清涼感漂う中、舌先に掠めるものを感じる。
「アイスティーですか。『香り付け』も入ってるみたいですが」
「色々と規則がうるさくてな……」
 と、指で杯を作って、くいっと飲む真似をする。
「軍に限りませんから……」
 時間が過ぎていく。
 壁には大写しになった「なぜなにナデシコ」……。
「何か、あるんですか?」
「知っているんだったな、儂がチューリップを火星に落としたことを」
 沈黙が、落ちた。
 しかしアキトは、僅かに間を置き、その沈黙を破る。
「知っています」
「君は私をどうするつもりかね」
「贖罪を。真実を知ってもらいます」
 その言葉を発するアキトの顔には、ありありと苦悩が張り付いていた。

 

「えーっと、405……? コイツを貼って……」
 スクリーントーンを探しながら四苦八苦するガイ。ようやく見つけたそれを貼ろうとして……。
 スコン!
「うどわあっ!?」
 グラ……ガタン!!
「そこ、まだ鉛筆の線残ってるよ!!」
 画材が散乱した、俗に「スタジオ」と呼ばれる部屋……ここは同人作家、いやパイロット、アマノ・ヒカルの部屋だ。アシスタントはもっとも濃い男、ヤマダ・ジロウ。
 ガイは目の前に刺さったトーンナイフから逃げようとして、椅子ごと床に倒れ込んだ。
「と、とんでもないコトするな……」
「インスピレーションが湧いているのよ!? 今書かないでどうするの!! 作業を遅らせる真似しないで!!」
 ここにも「なぜなにナデシコ」を見ている者がいた。
 どうやら、何かを感じて創作活動に勤しんでいたようだ。
 画面の中から「ポン!」という音がする。
「うあああ!! 俺のゲキガンガー!!」
 状況を一瞬忘れ、ガイは駆けだしていった。

 ガイはただ一人ゲキガンガーの腕を探していた。
 その這いつくばって頭をきょろきょろさせる様は黒い家庭内害虫に酷似していたという。

「真空を相転移させるなんて凄い発明、誰がしたの?」
 問うのはルリ。目の前をはい回る「モドキ」は無視する。
「誰も。見つけたのよ」
「見つけた? エンジンを?」
「そうよ、プロスペクターさんの連れていったパイロットの人達は、砦でそれ、『ナデシコの始まり』を見たはずなのよ」
 ナデシコの始まり。木星蜥蜴の戦艦に酷似した、遙か昔に作られた戦艦。オリュンポス山の地下、大空洞の中に見つかった遺産の一つ。
「私達はそれを『理解できる範囲』で解析、模倣したに過ぎないわ」
 想像を遙かに超えたオーバーテクノロジーの固まり。
 相転移エンジン……物質のエネルギー化という、有を無に変える力。
 ディストーションフィールド……過大な力を加えることにより、空間そのものを変質させ生み出される盾。
 グラビティ・ブラスト……重力素子の集中放射機能。
「使えるから使う。その弊害が何かも考えもせずにね」
 そう言って、自嘲気味に笑う。

 

「相手から識別信号来ました。記録と一致します」
「では、アレはまぎれもなく」
「でも、おかしいです。アレが吸い込まれたのは地球じゃないですか。それなのに」
 メインモニターに映されていつのは、地球でチューリップに吸い込まれた戦艦の一隻、クロッカス。機体は全身を氷に閉ざされ、長い年月をここで過ごしたことを感じさせる。
「護衛艦クロッカスはチューリップに吸い込まれたのに。何で、火星に」

「先刻も見たとおり、チューリップは母船ではなく、一種のワームホールと考えられるわ」
 思い出される、全く厚みのない真円。
「では、地球のチューリップから現れる木星蜥蜴は火星から送り込まれている?」
「出口と入口が一緒……対になっているとは限らないんじゃない? もう一隻は見あたらないんだし……」

「救助隊を編成します」
「その必要はないでしょう。我々には目的があります」
「でも生存者がいる可能性もあります」
「ネルガルの方針には従おう」
 救助隊を送ろうとするユリカだが、プロスペクターは即座に否定する。確かにあの状況では生き残りのいる可能性は低い。なお言い募ろうとするユリカを、今度はフクベがネルガル側に優先権があることを告げる。そしてアキトも。
「その必要はないよ」
「アキト、どうして!?」
「クロッカスの乗員名簿は……見せてもらった。俺が見た限り、ジャンプに耐えられる人間はいない。全員死んでるよ」
 その顔には、何もない。ただ、強い憤りを感じていることは、何故か分かった。
「ジャンプ?」
「木星蜥蜴の……先刻言ったワープモドキの事よ。私達はボース粒子が検出されることからボソンジャンプと呼んでいるわ」
「耐えられないと…どうなるんですか?」
「死ぬわ」
 簡潔極まりない答え。その答えには、他にはどのような意味も含まれていない。

「あの〜ちょっと宜しいですか?」
 おそるおそると手を挙げる。
「確かメグミさんだったわね? 何かしら」
「私達、サセボでチューリップの中に突っ込んだんですけど……」
「そう、運が良かったわね」
 運が良かった。たった一言で、自分達が死ぬ寸前だったことに今更ながら気づく。その視線は艦長であり、その命令を下したユリカに向けられる。
 流石に可哀想に思ったのか、アキトが助け船を出す。
「ま、この艦はディストーションフィールドがあるから……とりあえずは大丈夫なんだけどね」
「あ、アキト…ユリカを助けてくれるのね……うれしいっ!」
 飛びかかるユリカ!
 アキトは取り敢えず近くにあった物をバリアにする!!
「アキト、ありが……」
 ぽいっ。
 お礼のキスをしようと顔を近づけたとき、「それ」がジュンであることを知り、無惨にも投げ捨てる。
 この時ほどジュンが可哀想に思えたときは、「出戻り」事件以来だった。

 連絡通路の途上でアキトは、涙を流して心から謝罪した。
「ジュン、すまない……」

 

「我々が向かうのは北極。そこにあるネルガルの研究所に向かいます」
「エステバリス隊を先行させる」
 宣誓するプロスペクターに、フクベが指示を加える。
 本陣であるナデシコを動かす愚を避けたいのだ。
「では、誰が?」
「偵察部隊はスバル君達に頼む。テンカワ君には私の手伝いをしてもらおう」
「手伝い、とは?」
 興味を持ったかユリカの問いに、フクベは全てを明らかにはしなかった。
「火星の守備隊と合流し、……ある作戦を実行する」

 

 エステバリスで先行偵察をする。これは戦略面では正しい。
 だが、「獅子身中の虫」という言葉がある。かみ砕いて言えば「敵は身内の中にいる」となる。そして、ナデシコには「虫」がいた。
 エステバリスは艦載機である。搭載すべき戦艦の護衛を目的としている以上、自らにジェネレーターを積み込むことはない。そのため、一定距離以上離れて行動するためには内蔵電池に頼るしかない。
 搭載量にも限界がある。その為、エネルギー効率の悪い飛行は極力控えなければならない。
 以上より、使える機体は砲戦+陸戦or零G戦(地上走行のみ)となる。

「……砲戦が必要なのは分かった。で、砲戦はどこだ?」
「無い」
 リョーコの問いに、ウリバタケが簡潔極まりない答えを返す。
「わんすあげいん」
 今度は答えずに、奥にあるスクラップと、いつの間にか修理のすんだ砲戦改を指さす。
「アレ直すのに使っちまった。ま、電池つみゃ同じだから使ってくれ」
「……マジかよ」

「リョーコかわいそ〜」
「可哀想と思うのならヒカルが代わったら?」
「え〜? ちょっと試したんだけど……乗れなかったよ」
「あ、やっぱヒカルも試したか。何つーか、ちょっと考えただけでグルンって動いて、やりづらいんだよな……」
 サツキミドリ二号で本格起動してから、この機体は整備班総出で改造し続けた傑作とも言える。ほんの僅かな思考も正確に再現する精度を持つ……銃で言うフェザータッチのような状態。パイロットが「頬が痒い」と考えると、本人より先に機体が頬を掻いている有様。
「……で、リョーコは乗れるの?」
 最後のその声は、妙に寒かった。

 出撃してから、リョーコは激しく、自分で思っていた以上に後悔していた。
「う、う……ったった……こら、ちゃんとっ……動けっ!! ……!?」
 左右にぶれる機体。
 右足に過重がかかり、立て直そうと左側の出力を僅かに上げただけで今度は体が浮く。肩上のスラスターを効かせて浮いた足を戻そうとすれば今度は足下の氷を割り砕く。
 前方に進んでいるのがせめてもの慰めか。
「……アキトの奴、よくあんな物に乗ってたな……」
 何かを感じたのか、少しばかり青い顔でガイが呻く。
「でもさ、EXって言ったけど、アレに比べればまだ砲戦改の方が扱い易いって。テンカワ君はそう言ってたよ」
「……EX、ね……」
 イズミが、あの時見た光景を思い出し、言葉を濁す。

 

 足音も立てずに歩き出すEX。
 ナデシコの「右前足」の上に立ち、左腕「アニヒレイターユニット」にエステバリスよりも長い剣を二本ザク、と突き刺す。
 それはゆっくりと、ユニットと水平に移動し、その間から砲身が現れる。
『……イネスさん、装填数が2に減っているんですけど……』
 左腕を真っ直ぐチューリップに向けた状態で、アキトが疑問を言葉にする。
「問題ないわ。一発が通常弾、もう一発が特殊散弾。この状況をひっくり返すには十分よ」
「イネスさん、流石にそれは無理じゃないですか?」
「いいえ。EXは、ネルガルの科学者達が<龍皇>を再現するためだけに作ったもの。オリジナルには及ばなくとも、この程度の数は相手にならないわ」
 ユリカの不安を取るに足りないものとして一蹴する。
「ディストーションフィールド、かい…」
「必要ないわ。……アキト君、こっちはいいわよ」

 その言葉と共に、EXの全身が「開く」。激しく吸気と排気が行われる。吸われた空気はフィルターを通され、緒元素が排除され「真空に近い空気」が相転移エンジンチェンバー内に送り込まれる。排気口が増加したことにより、真空のレベルはさらに低下、相転移反応はますます高くなっていく。
『稼働率、表示』
<62%、現状ではこれ以上は望めません>
 砲身の中に弾丸が固定される。ナデシコに限らず、客船にも使われる人工重力機構。それによって生み出された弾丸。100kg近い鉄塊を、直径10cmの弾頭に凝縮したそれは、1G下では、爆発的な速度で元に戻ろうとする。
 二本の剣の間に、強大な磁場が生まれる。
 周囲の空気は、ただ其処にあるだけでイオン化……プラズマ化し、激しく放電を始める。
 この二本の剣、古代火星人の遺産である「完全剛体」の剣を持ってのみ可能とする、人類史上最大の出力を誇る相転移エンジン、それから生まれたエネルギーのほぼ全てを持って作られた磁場は、亜光速とも呼ぶべき初速を与える。
 このあおりを食ってか、周囲の物質が「蒸発」を始める。

『……逝け』
 何ら感情を含まない声。それは相手に命がないことがそうさせるのか、それともこの戦いを生みだしたチューリップ、それへの怒りがそうさせるのか。

 砲身が、押し込めていた弾頭を解放した。
 ただそれだけで、磁場にはじき飛ばされたそれは真っ直ぐ、ただ真っ直ぐにチューリップへと飛び、命中。そのショックで速度が低下。瞬間、弾頭は本来の姿へ戻ろうと弾け飛び、内側からチューリップを打ち砕く。
 間を置かずに放たれた二発目の弾丸は、放たれた後、間を置かずに砕け散り、加速の巨大さゆえか、前方にのみ、その欠片を振りまいた。

「何、これ…」
「ディストーションフィールド、制御に変更無し。……どうやら、フィールドも感知できないほどの僅かな時間で通過したようです」

<チューリップ1、敵戦艦23、殲滅を確認>
<相転移エンジン急速冷却、及び停止。>
<ノーマルモードにて再起動>
 メッセージウインドウが、警告を発し、自動修復を開始する。
「……オートコントロール。ナデシコ格納庫へ戻れ……俺は、寝る……」
 体にかかった負荷に耐えきれず、アキトは眠りについた。

 

「アレは流石に……乗りたくないわね」
「でもテンカワ君、もう平気そうに歩いてたけど?」
「医者に聞いたんだけどよ、アキトのヤツ、どこを調べても普通の人間だってよ。俺達にも使えんじゃねえのか?」
 青い顔をする二人と、脳天気そうなガイ。
 ナデシコ内の医師達はほぼ全員がノイローゼとなり、イネスが代役を務めていた。
 気がゆるみ始めていたとき、異変が訪れる。
「……黙って、なにかいる!」
 そう言い放ち、イズミは機体を急に止める。
「……はあ……は……やっと追いついた……」
 シンとした中、あたりを見渡すが…周りには全く、何もいない。息を整えるような仕草をする砲戦改の姿ぐらいのものだ。
「イズミちゃん、気のせいじゃないの?」
「違うわ」
「……ああ、なんかいる」
 本人ならばヒーローの勘と呼ぶだろう。だが正確には「家庭環境」がなせる生活の知恵だ。
「ヤマダ君まで……」
 また何か、ヒカルが言おうとしたとき、それは起こった。
「きゃああぁぁ!」
 ヒカルの零G戦フレームが倒れ込む。
「敵か!?」
「俺様の出番か!」
「……見える範囲にはいないわ!」
 ゴシャア!!
 氷原を突き破り、現れる無人兵器……あえて言うならムカデ……それは現れたときと同様に、エステバリスに一撃加えると、難なく地下へと潜っていった。
 その所為で今度はイズミの機体が砕かれた氷に足を取られ、動きを封じられてしまう。
「うりゃああああああ!!!」
 ガイは迷うことなく腕を振り上げ、イズミの足下……敵の通った跡の空間にシールドクロウ……ビット兵器を飛ばす! それは何も障害のない、敵の真後ろから追撃する!
 ゴウン!! ……パラパラ……
 激しい爆発音、そして、氷の欠片が吹き上がり、音を立てて落ちてくる。
「……やった……か?」
 バキャア!!
「な、しまったっ!」
 一瞬の隙、まさにそれを突かれ、砲戦改、リョーコはムカデモドキに押し倒される。ムカデは体の後ろ半分を失いながらも、リョーコのいるアサルトピットへ直接攻撃しようとドリルを口から生みだした!
 アサルトピットへの直接攻撃、それは死以外の何物でもない。
「い……いやだ……やだ、やだ、テンカワァーっ」 
「クロウ・スラーッシュ!!」
 ゴギャアッ!!
 銃ではない、あたり損なえばリョーコ自身も危ない体勢だったのだから。
「ふっ! 流石俺様……見たか、ヒーローの力を!!」
 零G戦フレームの力を無視して放たれたシールドクロウが、アッパー気味にムカデにヒット、そのまま中に飛ばされる。
 リョーコは、恐怖を味あわせたそれを、左腕の<竜牙>で貫く。その体勢のまま牙が閉じ、ムカデは爆発の煙の中、真っ二つになって地面に落ちていった。
「はあ……は……はあ……あ……」
 恐怖と、一瞬の攻防の後、混乱する精神を落ち着けようと大きく呼吸をくり返す。
 そんな中、ガイがふとした疑問を持つ。
「……なあ、なんで今、ココにいないアキトのことを呼んだんだ?」
 彼らしいというか、気づいていない。
「なっ!?」
「そうよね、今テンカワ君はいないんだもんねえ、イズミちゃん」
「そうよね。咄嗟の出来事だったから……『つい無意識に』テンカワ君の名前を呼んじゃったのね……ね、ヤマダ君」
「無意識にって……相当アキトのこと信頼してんだな……」
「信頼? 親愛じゃないの?」
 天然が+1されたせいか、言葉に容赦がない。
 リョーコの受難は終わりそうになかった。

 


 偵察部隊からもたらされた情報。
 絶望的なそれは、チューリップが五体、戦艦が数十隻、そして、大地を埋め尽くすかのような無人兵器達。

「……私は、撤退を推奨します」
 今度ばかりは、ユリカも青い顔でこの作戦の無謀さを告げる。
「しかし、あなた方はネルガルの社員なのですよ?」
「……無謀な作戦に従う義務はありません! 死ねと言われて、死ねるんですか? あなたは部下を死地に追いやろうというのですか!?」
 ……ふぅ……、と誰かの息をする音。
「良いですか? 貴方達の言葉は、ネルガルの公式見解として記録しています。言葉には気を付けて下さいね」
 そう言いながら、ルリはその手に持った物を、プロスペクターと、ゴートに渡す。
「ホシノさん、なんで私にこれを?」
「私にも必要のない物だが」
 そう言って、返そうとするが取り合わず、ルリは言葉を続ける。

「行動という物は上位者が覚悟を示すことによって、下位者がする物です。貴方達は、それを示していません。貴方達自身がそれを示して下さい」
 そう、ルリの渡した物は、単純な、無針注射器。カートリッジには、不思議な色の光沢を持つ液体が入っている。
 IFSの、投与器。
「私達は、あなた方の道具ではありません。あくまで対等な立場の者として、ここにいます」
「……ルリちゃんの言うとおりです。私達は、この要求が呑まれなければ、命令を拒否するだけです」

 ゴートとプロスペクター。二人の顔には逡巡の色があった。
 安定しているとはいえ、人口の世界である火星。緊急時の対策としてIFSを持つ者は多い。子供でも希望すれば受けられる。
 対して地球ではIFSを人体改造として忌避する傾向が強い。一部の人間に「成り上がる」為の手段として投与を受ける者が、また一部の趣味人が受けることがある程度のもの。

 その顔に一瞬の苦悩を見せた後、プロスペクターは言い切った。
「それは、契約に違反します。その場合起こされる裁判における費用がどれほどになるか考えているのですかな?」
「汚い!」
「卑怯者!」
 襲いかかろうとする者もいるが、ゴートの手によって押さえつけられてしまう。
 トン……。
 そのゴートの肩を叩くものがいた。
「……アレを使えばいい」
 そして、フクベがその言葉と共に指し示したのは、凍り付いたクロッカスだった。

「考え直してくれませんか、提督! 私が行きます」
「手動での操艦は君では出来まい。それに取り敢えず調べに行くだけだ」
 止めようとするゴートだが、フクベの意志は固く、はねのけられてしまう。そして、それを見ているのはアキトとイネス。
「…で、何でイネスさんまで?」
「色々と、やることがあるのよ、私」

 ういいぃぃぃぃぃんんん……
 氷に覆われていた割には何の異常も見せずに、ごく普通に扉が開く。
 クロッカス侵入を果たしたのは隻腕のEX。パイロットへの危険性、並びに一撃で相転移エンジンをダウンさせる欠陥兵器だと、アニヒレイターはウリバタケ達が持ち去ってしまったのだ。マッドな笑いだけが、気にかかるのは確かだったが。
「……狭いな」
「随分増設しているわ。改良の余地があるわね」
 アキト用のアサルトピット。
 増設に継ぐ増設でもう、余剰な人間を乗せる場所などないのだが、それでも手に持つような危険な真似は出来ないので、半ばコクピットを解放する形でフクベとイネスを乗せていた。
 思考制御だけに、うっかりくしゃみをしただけで握りつぶす危険性もあるのだ。
 そんなことを考えているが、それ以上にアキトは膝の上に乗ったイネスと、それを楽しげに見物するフクベ。そして何より、その光景をコミュニケ越しに睨み付けるブリッジクルーの目が怖かった。

 

 クロッカスの艦内。
 三人がライトを照らしながら進み、目にした光景。
 そこはほぼ完全に凍り付いていた。天井からは氷柱。床には氷筍。艦内の何処かが生きているのか空調が、凍りかけた空気を風とし、吹き荒れていた。
 イネスとフクベが先行し、アキトは僅かに後方から警戒をしている。
「クロッカスはおおよそ二ヶ月前に消えた。我々が火星に来るまでおよそ一ヶ月半。しかし、この凍り方は異常だ」
「私達がボソンジャンプと呼ぶ現象は、瞬時に物質を移動させる能力があるようです」
 それだけではない、とアキトは心の中で続ける。

 たった一度だけ見た、あの光景。
 ボソンジャンプの最中、他の誰にも見えなかった、。しかし、自分だけが見た光景。
 黒い龍と、紅い鳳の戦い。
 後にそれを、アキトは自分の目で見たのだから。

「ワープかね? あのゲキガンなんとか言うアニメの」
「ワープという呼び方は止めていただきたいですね。我々はその現象の直前に光子・重力子などボース粒子を確認することから、この現象をボソンジャンプと呼んでいます」
 イネスが更に説明を付け加えようとしたときだった。

 後方にいたアキトが両腕を広げ、二人を抱き、走る。
 ガチャッ!
 まさに一瞬後、そこには一体の無人兵器の姿があった。
 ガオンッ!
 抜き放たれたナイフは無人兵器の額を割り、フクベの銃は敵のセンサーを撃ち抜いた。

 沈黙したそれを目に、推測をする。
「……これ一機でしょうか」
「どうかしら。この艦の捜索用ならこれ一機で十分だろうし、もし他にもいるのなら異常を感じてここに来る可能性は高いわ」
「まずは、ここでフォーメーションを組む。テンカワ君、君はフレサンジュ博士の護衛を」
 長い、時間が過ぎようとしていた。

 密閉した空間でのミサイルの使用。その愚を悟っているのか、バッタは接近しての攻撃を好んだ。
 ガゴン!!
 火星の人間が、生身でバッタに対抗するために作り上げた、低反動で、強大な破壊力を示すそれは、バッタの装甲を無理なく貫通し、弾頭が炸裂。内部機械を無理なく引き裂き、だが、装甲を破るほどの力は持たず、バッタの内部で跳弾を続ける。
 シャコッ!
 ボルトアクションによって、排夾がなされる。
 吐き出された空の薬莢は、一瞬で熱を奪われ、地に落ちた途端に乾いた音を立てて割れていった。

 シュカッ!!
 アキトの投げた、投擲用ナイフ。細身で短いそれは携帯性に優れ、何よりバランスが優れていて当て易い。そして何より高周波振動ナイフ、それは触れただけでそれを切り裂く以上に、その振動ゆえの攻撃力がある。
 敵が生身ならば、血管に与えた振動によって血液の逆流を招き、血栓、或いは心臓発作を引き起こす。機械相手ならば、摩擦による高熱、そして振動による接触異常、動作不能を招く。
「……まだ7体。……この遠くから聞こえる足音は、いつまで続くんでしょうね……」
 ゴウッ!!
 また、遠くの敵を撃ち貫きフクベは決意を述べる。
「……クロッカスより撤退、別案に移行する」

 

「お、おい? アイツ……クロッカスを出て何処に行くつもりだ?」
 モニターを見ていたガイ。目がいいのか、最初に異変に気づいた。
「メグちゃん、通信!」
「はいっ! テンカワさん、連絡を……って、メールが来てますが……」
「オモイカネ、表示して」
<わかったよ>
 珍しいことに、オモイカネがルリ以外の人間に言葉で返した。
『クロッカスは無人兵器に占拠され、奪還は不可能。別案でチューリップを攻撃する、傍受の危険性を考慮し、暫く待っていてほしい』
「……それだけ?」
<はい>
「アキト、出て行くんなら、私にちゃんと言いなさーいっ」
 アキトがナデシコからいなくなる。こうなるとユリカは大抵アキトに「何か」しようとする。アキトはギリギリで逃げ、なんとかエステバリスに逃げ出すのだが、今回はそのやりとり(ユリカ主観:アキトのテレ)が無かったため、ユリカの機嫌が悪い。
 料理ができ、強い。童顔とも呼べるが強い意志を感じさせる目。いわゆる掘り出し物。
 アキトを裏から巡る人間関係も、着々と出来つつあった。もっともユリカの行動から「対テンカワ・アキト法」「直接はダメ」「搦め手を使う」という情報がまことしやかに囁かれていた。

「……バカばっか」
 古来より、このような言葉がある。「ミイラ取りがミイラ」と。
「……バカ」
「ルリルリ? どうかした?」
「何でもありません」
「ええ、ミナトさん。何でもありませんよ」
 何故か口を揃えるルリとメグミ。好奇心を刺激する物があるが、「生物としての危機」を感じ、ミナトは踏み込むことを止めた。賢明な判断と言えよう。

 

 待つ時間があると言う事は、考える時間があると言う事でもある。
「……なあイズミ、お前さ、どう思う?」
 思い詰めたような響きがある。
「アキト君なら、リョーコにお似合いだと思うけど?」
「うんうん、あのリョーコを手玉に取るんだから……逃がすのは不味いんじゃない?」
「なっなっ……何言ってんだ!」
「二人の相性」
「未来予想図」
「「子供は二人、男の子と女の子が一人ずつ、青い屋根の真っ白なお家……」」
「何ッ!? もうそんなところまで進んでいるのか! ヌウ、アキト、何で親友の俺にこんな事を隠して……ごばあっ!?」
 からかうイズミとヒカル。流石に「女に拳は」と思うリョーコ。そんなところに男が口を挟めばどうなるか……分かり切った物ではないか。
 踏み込みから腰の回転。その延長線上からくり出された拳は綺麗にガイの顔にめり込み、ガイの体は綺麗に弧を描いてくずおれた。パイロットスーツは耐圧構造になっているので、殴ったときの衝撃は緩和してくれるから拳は無事だが、運動エネルギーまでは流石に出来なかった。
「……はあ、はあ……そうじゃなくて、研究所で聞いた話だよ」
「アキト君の身の上のこと?」
「それとも、古代の火星人が、木星蜥蜴と戦争してたって事か」
 幾つもの、戦艦の残骸。作りかけの戦艦と、相打ちするような状態で互いに激突した木星蜥蜴の物と同型の戦艦。
「……何がどうなっているのか、分からなくなって行くな……」
「アタシ達、大昔の戦争をしてるのかな……?」
「木星蜥蜴が、私達を古代の火星人と誤解して攻め込んできた、と考えられなくもないわね……」
 真実を知らない彼女達には、肯定する材料も、否定する材料も見つからなかった。

 そんなシリアスな雰囲気を打ち壊すのは、やはりイズミだった。
 顔をリョーコの顔、いや耳に近づけ、囁いた。
「所で……フミカさんって、美人だったわね……」
「そーよねぇ。ちょっとキツイ感じの所が『そそる』男の人だって居るでしょうしねぇ」
 ヒカルも、追い打ちをかける。
 ただガイは、違ったようだ。
「けどあんな乱暴なヤツの何処が良いんだ? ただのキツネ……目ごぉっ?」
 めり込んでいる。何が、何処にかは聞かないでもらいたい。
「ヤマダ君? 女の子の気にしていること……言ったらどうなるか、分かってるわね?」
「い、いまわか……ぐは……」
 ガイは、そこで意識を放棄した。彼が気を失うほどの攻撃が、どれほどの威力かは、想像にお任せする。
「でもさ、トウヤってヤツといい雰囲気作ってたじゃねーか」
「アレはどっちかというと、姉弟って感じだったし……」
「アキト君も、年上の魅力に耐えられるのかしら……」

 

 格納庫内資材置き場。
 整備のために必要な物を数多く搬入したそこは、相次ぐ激戦により、大きく空間を開けていた。
 たった一カ所、スポットライトが照らす光の中、ボードを背に立つウリバタケ。周りには無明の闇、そして、幾つもの声が響いていた。
「ターゲット1,テンカワ・アキト」
 ボードにはアキトの写真が、いかにもなナイフによって刺されていた。
「ミスマル艦長との因縁は子供時代までさかのぼり、すり込み現象と言うべきかこの絆を崩すのは困難と思われます」
 その絆は、アキトを遠ざける最大の要因を生んでもいるが。
「現在、戦闘が激化すると共に、普段共にいる厨房の女性達との中が親密化しているとの報もあります」
 女性にとって、家事の出来る男性というのは点数が高いものなのだろう。更に誰かを守れるほど強いとなれば。
「ユートピアコロニー跡から戻ってきて以来、メグミ・レイナード通信士の様子が変わっているようにも見えます」
 気を引く立場にあるのは間違いなさそうだ。
「パイロット仲間の絆とも言うべきか、スバル・リョーコ嬢との関係も良く、他二名によって外堀は埋まりつつあります!」
 その二人の存在こそが、踏みとどまらせている要因と、呼べなくもない。
「また、イネス・フレサンジュ博士との因縁も浅からぬ様子! 幾度と無く密会を重ねているとの情報が!」
 本人にとっては、単なる相談事の為なのだが。
 暗闇の中から、何かを引き裂くような音、硬い物を叩きつけるような音、罵声、歯軋り。幾つもの、憎しみの気配が漂ってくる。
 ウリバタケは、それを流し、もう一度、口を開く。
「ターゲット2,ヤマダ・ジロウ」
 こちらはアキトとは違い、虫ピンで刺されている。
「被害者はアマノ・ヒカル嬢」
「パイロット仲間、それ以上にヲタクの絆によって結ばれていると思われます」
「一説によれば、徹夜で何らかの行為を行っているとも。翌日、医務室に『あのヤマダ』が栄養カプセルを取りに来たとの情報も入っております!」
 こちらはアキトの時とは違い一人だけについての報告だった。
 だがしかし、何らかの「逃げ」を打っているアキトとは違い、明らかに親密な様子の二人に対し、恐るべき濃度の憎しみが伝わってくる。
「我ら、この時をもって、艦内風紀をただす者として名乗りを上げる」
 明らかに、演出の入ったウリバタケ。しかし、計算されたその身振りは、彼らの心を掴んでいった。
 バッ!
 手を振った先、闇の中から一人の男が歩み寄ってくる! その男の名はアオイ・ジュン!
「僕達は、戦わなければならない! 男女の、正しき道を取り戻すために!!」
 そしてウリバタケは宣言する!
「今、この時をもって、我らは『同盟』と名乗り、活動を開始する!!」
 激しい熱気と共に、宣言はなされた。
 後にこの場所は、聖地とも、汚れた世界とも呼ばれることになる。

 ……同盟の誕生した瞬間だった。
 言うまでもなく、この憎しみとは「嫉妬」に分類されるモノである。

 

 レーダーに光点が現れる。友軍機と、他三機、そしてコンテナキャリア。もっともエネルギー反応はキャリアからの物が一番大きい。
 マーカーの種類は間違いなくEX。
「テンカワ機、確認。他の三体は、登録機ではないものの、明らかに地球側のものです」
「アキト、やっと帰ってきたんだ。……早速お迎え……ダメ?」
 格納庫に行こうとしたユリカの手は、いつの間にかプロスペクターが掴んでいる、そして、その顔はどう見ても友好的には見えない。既にユリカはブリッジ第一の問題児としてみられていた。
「おや、テンカワさん……提督はどちらに……?」
『提督なら、砦の方に行きました。向こう側で指揮を執ります』
「そうですか……では、どのような作戦を……」
『取り敢えず、いったん帰投します。収容して欲しいんですけど』

 ナデシコはその時、激しく揺れた。
 倒壊防止のために固定しているエステバリスはともかく、格納庫内にあるキャリアなど、真横に1メートル以上も跳ね飛んだ。
 無論人などひとたまりもなく床に、壁に叩きつけられる。

 状況をもっとも早く把握しなければならないのがブリッジにいる者の努め。
「ルリちゃん状況!」
「右舷後方より高エネルギー着弾。グラビティ・ブラストです」
 その声は、次の命令へと繋がる。
「ミナトさん、ナデシコ回頭! 右舷後方へ艦首を向けて!」
「はいは〜い」
「メグミちゃん、パイロットを出撃準備!」
「分かりました、パイロットのみなさ…」
『その必要はない』
 フクベだ。
 彼は言葉を紡ぐ。
『ナデシコから南に12km。東に4kmの地点に研究用に制圧したチューリップがある。こちらから口を開かせる。……飛び込め』
「提督! あなたはネルガルを裏切るつもりか!」
『こちら側のグラビティ・カノンは多連装型だ。相互干渉させて弾道を曲げれば、ナデシコを撃墜させることもできる』
 重力素子。それは互いに引き合う物。
 スイングバイと同様の理論による、湾曲した惑星の大地の上を自在に攻撃する方法。
 それによる可能性の示唆。
『要求はただ一つ。遺跡を諦め、帰還せよ。アレは人間が扱って良い物ではない。誰にとってもな」
 その言葉のもたらす沈黙の中、誰かが一つ大きく息を吐く音が響いた。

「分かりました。撤退します」
「艦長、どういうつもりだ! 宇宙には敵艦隊、ならば逃げ道は…」
「そうです、チューリップです」
「しかしアレは……」
「アキトが言っていました。ナデシコなら、ディストーションフィールドがあれば通り抜けられるって」

 そして、ナデシコは消えていった。
 何も出来ず、何をするでもなく。
 一人の老人は去り、戦うための意志を持つ三人を加えて。

 誰もがその異様な空間に、自らの意識を断ち切られ、眠りについている中、時間は過ぎていった。
 法則を無視した、異様な時間が。

 


 その時間を僅かに遡る。
 ユートピアコロニー、そしてオリュンポスの砦。そしてナデシコ。
 火星の、地球側戦力はたったこれだけであった。もっとも、ユートピアコロニーに武力は存在しない。無人兵器が、非武装の人間には攻撃を仕掛け無いという確証があり、またより効率的に砦に引きつけるためでもあった。
 もはや決断はなされた。
 全ての人員をコロニーへ。砦の人員を限界まで減らし、いや全員避難させた。
「……良いんですか? フレサンジュ博士」
「ええ……私は、ナデシコでしなければならない事がありますから。両親のことはお願いします」
 撤収のための作業が行われる中、幾つもの言葉が飛び交っていた。

「……ここは活気があるな」
 フクベは、自らの目で、この場にいた彼らを見ていた。
「生きるためです。誰もが、自分で生き残る最良の手段として選んだ、その内の一つがこの砦の建造でした。しかし今、ネルガルの横暴でこの砦は……放棄されます」
「この戦争は、どうなるんでしょうか……」
「儂にはわからん。確かなのは、この戦争を止めようとする意志が必要と言うことだけだ。そしてそれは、儂には足りなかった」

「タニさん、……良いんですね?」
「ナデシコの方をどうにかしないとね。……こっちは木星に投降するよ。これがあれば向こうも無下にはしないだろうし」
 タニと呼ばれた男の手には、古めかしい字で書かれた一通の手紙。表には『草薙へ 龍馬』とだけ書かれている。
「無人兵器は非武装の人間には攻撃しない。それは分かっている。……投降しようにも君らは邪魔になるだけだ」
 この戦争の真実を知る人間だからこその選択。
「……ジャンパー処置が出来れば良いんですが……」
「人体実験を重ねてか? それに、通常の人間をおいて行くわけにも行かないだろう……」
 その弊害は、この目で見たのだ、と続ける。
「身を守る必要はある。……相手に多少の技術は渡すかもしれない……許してくれ」
「生き残ること、それを第一に考えて下さい。悠さんなら、きっと大丈夫ですよ」
 その言葉を発するアキトの声には、アキトの心の声は、全く含まれていなかった。
「で、武器はここに全て捨て去るつもりなんだが……」
「守備隊、ですか」
「ああ。……彼らはまだ、戦うことを望んでいる。ナデシコに連れていっては貰えないか?」
「……俺には彼らに会わせる顔がありません」
「そうか……」

 

 そして、最後の戦いの前に交わされる言葉。
 感情を殺しているアキトに、フクベが問いを発する。
「テンカワ君、君はどうするつもりかね?」
 その言葉に、強い光をたたえた眼差しを見せる。
「…隠します。今みんなに『敵が人間だ』なんて言ったら、パニックを起こします。…だから、その下地作りから俺は始めます」
「そうか。こちらは、儂に任せておけ。それにな、儂は『悪党』になりたかったのだよ」
 そう言って彼が見せたのは「漢」の笑み。
「……みんなを、よろしくお願いします」
 ここで、締めるはずだった。

 ごすっ!
 ……グイ。
「でっ?! ……ってトウヤにフミ姉! ちょ、フミ姉あたってる!」
「なぁ〜に他人行儀な事言ってんの! 一緒にお風呂まで入った仲じゃない! ね、アキ君!」
 フミ姉と呼ばれたのはフミカのこと。まず、アキトの頭を力一杯殴り、そのままヘッドロックをかける。仲間しかいない砦でありアキトの気が緩んだこと、一時期とはいえフミカが龍馬に弟子入りしたことがあって初めて出来る技でもあるが。
 この際気を付けることは、被害者が力技で逃げ出さないように、「胸」を強調して締めることである。
「子供の頃の話じゃないか! もう10年も前なんだから時効、時効……トウヤも助け……ぐえ」
「ごめん、隊長……僕がフミカ姉さんに逆らえるわけ、無いですよ……」
 何処か達観した表情で、明後日を向きながら虚ろな声で助けることを拒絶する。どのような目に遭えば、このような疲れ切った声が出せるのだろうか……。
「他人行儀な事言うんじゃない! アタシ達もついて行くからね!」
「そうですよ…僕達だって戦えます。それに、「仲間」に置いて行かれたくはないですから」

「全く。あの三人が揃うといつもこれね……」
「このようなときだからこそ、それも良いのだろう、イネス君」
 三人の騒いでいる姿に呆れたイネス。そんな彼女に声をかける一人の男。
「アオキさん……良いの? フミカちゃん、あんなコトしてるけど」
「いつまでも親の出る幕ではないでしょう。……それに、事に及べば如何にアキトとて……」
 その言葉と同時に、手は腰に下げた1メートル強の細長い鉄の固まりの元へ伸びていく。
「でも良いの? あなた方三人ともナデシコに乗るなんて」
「我々が木星に行っても何もできない。しかし、ナデシコに乗れば、何かはできるだろうからな……」
 その声にあったのは、苦痛に耐える者だけが持つ響き。それに答えるべき言葉は、誰にもない。そして、誰もが欲するもの。

「しかし良いのですか? あなたに反感を持つものは決して少なくない、ここにいる者は、一応ながら納得していますが、コロニーの避難民の中には、あなたを殺そうとする者もいかねません」
「……儂を裁く者がいるのなら、それは彼らだけだ。かまわんよ」

 これが、火星でのアキトの、最後の楽しい一時だった。

 


あとがき。
 ども、さとやしです。
 やっと、ここまで来た……次で大きな変化を迎えます。
 本当なら、最後の場面は06話で組み込むはずだったんですが……。

 デザインについて色々言われたので、少々。
 <龍皇>の基本デザインは左右非対称:右半身はブラックウォーグレイモン(デジモンアドベンチャー02)。左半身はまだ秘密ですが、互いに浸食するような形で融合しています。
 口から必殺技は決定事項ですね。どこぞのネコ娘に被るので、ビームにはしません。

 07話、後に繋げるために、色々と細工をしなければなりませんでした。
 その結果、この後半部だけに1週間以上も……なんて下手な私……。

 

代理人の感想

 

う〜む、密度が濃い。

短編集と同じでこう言う話の作り方は好きです。

いや、間延びする長編よりも一話一話ごとに話を切り詰めなければならない短編の方が

「お話のエキス」がぎゅっ、と濃縮されているでしょう?

「作家というのは短編が書けてナンボだ」とどこぞのエッセイストが言ってましたが、全くその通り。

 

龍皇・・・・左右非対称なのかぁ・・・・・わくわく(爆)。←何か期待してるらしい