機動戦艦ナデシコ <黒>
 過去編03.木星編→到来せし「変革」



 血が騒ぐ、とはこの事か。
 半ば北斗が押し切るように始めたアキトとの試合。
 本人達だけでなく、誰もがそれに魅入られていた。
「せやああああ!!!」
「おおおおおおおおお!!」
 ドン!!
 何度目だろうか。拳と拳の、いや人体の発する物とは思えないほど重い音が響き渡る。二人の足下で地面が陥没し、乾いたそれはひび割れを起こす。僅かに砂煙が舞い、観客が数人せき込むことになる。
 僅かに半歩引き、アキトは確実に急所を狙える拳で顎を狙う。対し北斗は破壊力を求め足で腹を薙ぎ払う。拳と足。互いに中途半端な距離で必殺の力は無い。拳を掌で、蹴りを肘でブロック。
 ギシッ!
 骨が筋肉ごと軋むような音を立てる。
 一瞬睨み合った後同時に一歩引き、相手も引いたことを知ると、更にもう一歩引く。
 互いに速度、思い切り、威力も同様。
 重要なのはどちらを選ぶかと言うこと。何よりも速さを優先し当てる「実」、フェイントを多用して惑わす「虚」。

 アキトは思う「こんな面白い戦いは初めてだと」と。
 北斗は思う「もっと戦っていたい」と。
 そして、決断した。

「後がつかえてるからな……次で決めるか」
「それも、面白いな」
 意図したことではないだろう。しかし二人は互いに似た構えを取る。僅かに上体を屈め、手を胸の高さに、足を平行に。どのような攻撃でも取れる、どのような攻撃でも防御できる。その為の、もっとも応用の利く不自然な体勢。
 意識せずにすり足でにじり寄る。僅かでも足が浮き上がれば、その瞬間分だけ踏み込みが遅れるのだ。構えに変化無く、にじり寄る様は現実感に乏しく、しかし緊張感を孕んだ空気はこれが現実だと知らせる。

 聞こえるはずのない音。
 誰かの汗が流れ落ち地面に当たった音か、それとも呼吸音、風の起こした、砂の音か。
 しかし、誰もがそれを聞いた。

 互いに間合いに入りながらも攻撃しない。蹴り技は威力が大きい代わりに体勢が崩れ易く、それ以前にモーションが大きい。互いに手業を選んだのだ。
 お互いに似たような体格の二人。大人ならともかく、子供同士の体格差は非常に小さい。自分の間合いは相手の間合いでもある。
 シッ!
 一瞬早く北斗が動いた。
 ほんのわずかな差。右手が真っ直ぐに鳩尾に向かっていく。
 ギシィ……ッ!
 一拍遅れてアキト、左腕の外側でブロック。痺れるそれを無視し、外側に弾くように流す。その勢いは強く北斗は体ごと流れ、体勢を崩した隙に右手で必殺の一撃を当てる。「透し」と呼ばれるそれは全ての防御を無視し、本体に衝撃を浸透させる。狙い通りアキトの右手は心臓の真上に触れ……
「え?」
「もらった!」
 一瞬硬直したアキトに、崩した体勢から足の力だけで肩口からの体当たりを決める。接近した状態から零距離の体当たり、その純然な衝撃はアキトの身体を貫く。
 そして5メートルほど宙を飛び、二度バウンドし、土煙を上げながら仰向けに倒れた。

 ザバァ! …めぎ。
 冷たい水と、何故か大きな氷が気を失っていたアキトの顔にかけられた。後者はどちらかと言うと命中した、と言うべきだが。
「……って、誰だ!!」
「ぐが……?!」
 そう叫びつつ、目の前すぐの所にあった自分の顔を見て笑っていた、氷を入れた犯人(推定)の顔に一発入れておく。手加減を忘れたような気もするが、寝ころんでいた体勢からなら大した威力は出ていないだろうと気にしないことにした。
「つつつ……」
 痛む肩口を押さえながら、起きあがる。
 何となく見渡してみると、離れたところに気持ちよさそうに寝る北斗の姿がある。零夜の膝枕で寝ているあたり、邪推する人間が周りに多くいるが、当人達は気にしていないように見受けられる。
 そんな零夜は、アキトが起きたことを知ると、手をひらひらと振ってくる。実は微妙に頬が赤い。
 顔面から地面に突っ伏した月臣は、何故そのままになっているのかが疑問に残るが、誰も特に何もしていない所からすると、問題はないのだろう。
「大丈夫か秋人?」
 そう言いつつアキトに声をかけるのは九十九。あれだけの戦いを見せたアキトに平気で声をかけるあたり器が大きいのかも知れない。
「ま、なんとか。…月臣はどうした?」
「呼吸と脈拍は確認した。そのうち起きるだろ?」
 実に空恐ろしい物言い。しかし今朝のケンカが実は九十九の敗北であったことを考えると、案外根に持っているのかも知れない。
「気にするな。……ナイスファイトだ!」
 月臣を一瞬見た後、年の割にがっしりとした少年が声をかけてくる。
「……誰さん?」
「秋山源八郎だ。そこの二人の『保護者』だ」
「誰がだよ。この前の恋文騒ぎの主犯が……」
 その九十九の呟きへの返答は、まさに鉄拳だった。拳を握りしめ、手首を固定、肘から拳までが一直線になった理想的な鉄拳。踏み込みから腰の回転、一連のそれはある意味写真にして飾りたいほどに綺麗に見えた。

「……秋人」
 寝そべったまま声をかけてくる。
「……なんだ?」
「何処まで覚えている」
 改めて試合のことを思い出す。
 幾度かの攻防。互いに決め手に欠け、長丁場を嫌って、示し合わせて最後の一撃を……そこで記憶が途切れた。
「……記憶にない。次で最後だ、とか何とか言ったところまでは覚えているんだが……」
「なら、いい」
 そう言ったきり、口を閉ざす。
 その言葉に首を捻るが、誰も何を言うべきか分からずに口を開くことはない。
 数分が過ぎただろうか、北斗がもう一度口を開く。
「明日、もう一度だ」
「分かった」
 勝敗を決めた、勝者の傲慢、敗者の卑屈さなど全くない。あるのはただ全力を出しきったという爽快感のみ。
 戦うことが気持ちよいと、楽しいと、嬉しいと感じたのだ。
「「また明日、な」」
 同時に言ったことで、笑い声が周囲に流れていった。

 

 パン!!!
 全身から冷や汗と脂汗が止めどなく流れる。目の前にあるのは自分の手、柏手を打ったようにピタリと閉じている。
 しかし別段何かに拝んでいるわけではない。
「おはよう、秋人」
「おはようございます、師匠」
 にこやかに笑った、欺瞞に満ちた笑顔でかわす朝の挨拶。
 いつもの如くの「早朝稽古」。今日も目覚まし代わりの「殺気」と、フライパン+オタマ代わりのナイフ攻撃。つまりは「真剣白刃取り」なのだ。
「所で師匠。日曜日の朝ぐらいゆっくり寝させて欲しいのですが」
「何を言う。なまってはイカンと、日曜の朝から稽古をつけてやる師匠の優しさを何と心得る」
 ごく普通に話しながら、ジリジリと詰め寄っていく。
「ところで秋人」
「なんです師匠」
「実は時計の電池が切れていてな」
「交換すればいいじゃないですか」
「まあそれはそうなんだが」
「で、どうかしたんですか?」
「もう10時半だ」
 ビキ!
 その一言で空気が凍る。汗が一気に冷たい物に変わる。今までの記憶が高速で再生される。
 右目を、目だけ動かしカーテンを見る。いつの間にか、遮光カーテンに変えられている事に気づかなかった自分の迂闊さを呪った。
 手はそのままにワザと倒れ込み、自由になる足を使い龍馬の腰に蹴りを入れ、投げ飛ばす。つまりは巴投げだ。
「ク……ッ!」
 投げ飛ばしたはずが、アキトが体勢を整える頃には龍馬はもう万全の体勢で構えている。
 投げっぱなしはやはり拙かったかとアキトが次の一手を絶望的な気分で考えていると、龍馬はいきなりナイフをしまい一言。
「11時までもう30分。遅れると、怖いぞ〜」

 その一言で、言葉通り命がけの朝稽古が終わったことを知り洗面所へと駆け込む。
 空港テロ以来一度もハサミを入れていない……何度かナイフで削られたが……髪を輪ゴムでひとまとめに括り、洗面、歯磨きを済ませる。ちなみに長髪というのは手入れが面倒だが、一度まとめてしまえば寝癖が見つかりにくいと言う利点もある。
 鏡で自分を見て前髪が邪魔にならない長さなのは「龍馬が手加減して、適度な長さで切っている」、その証拠だ。
「まだ先は遠いな……」
 高笑いしながら、自分を家政夫扱いする化け物じみた強さを誇る男のことを思い出し、苦笑いする。
「…って、笑ってる場合じゃない!!」
 そう言いつつ色気のない、代わりに着ていると各種割引が利用できる優人部隊候補生のジャケットをひっ掴むと財布を確認し、走り出した。ちなみにこれ、フリーサイズでフィット機能付き。子供のアキト用だが、龍馬や悠も普通に着ることが出来る。細工済みで防刃・防弾仕様、非常に軽い。優人部隊が白を基調としているからか真っ黒だ。

 アキトが小屋を出ていくのを眺めながら、どことなく楽しそうに無線機を手に取る。
「こちら龍馬。目標は今自宅を出た」
『99(九十九)、配置に付きました』
『01(元一朗)、同じく』
『08(源八郎)、視界良好』
 三人、声をかえしてくる。好奇心が漏れだしそうなほど緊張した声の中に子供らしさが溢れている。
「今回のミッションは、ASRの動向を探ることだ」
『……必ずや、「二股」は阻止して見せます』
『Aばかりに、いい目は見させん……』
『別に面白ければいいけどな』

 軍学校というのなら寄宿舎の中で徹底した管理教育を行うのが通例だろう。
 しかし候補生と言う事と、一部に「家庭事情」を抱えている者もいる。定期船もあることから、ある程度までなら通学も許可されている。一期生が我が儘を親の権力で押し通したと言う事もあるが。
 アキトもいわば通学組だ。とはいえ、許可が下りて帰れば、先程のような起き抜けの時間から奇襲をくらうことになる。一部の教官達からは、こちらの方が強くなるのでは、などと言われている。軍を辞めて1年が経つとはいえ、龍馬の影響力は大きい。

 アキトの休日の過ごし方はごく普通だ。
 本屋に行ったり、映画館に行ったり、屋台で買い食いしたり。
 ただ問題は、その横に零夜と枝織(たまに北斗)が一緒にいることだろう。
 世間の者はこれを「二股デート」と呼んだ。本人達がどう考えているかは別だ。

 その頃龍馬は繁華街の地図を広げ、かなり上手くデフォルメした二頭身の人形が自動で動いていた。アキトの上着に仕込んだ発振器に同調して動いているのだ。
「なあ、龍馬」
 背後で呆れた顔をした悠が、答えのないことが分かると声を続ける。
「秋人のプライバシーはどうした?」
「無い」
 あまりと言えばあまりの物言いに、絶句する。
「楽しいし、ちょっと声をかけたら協力者もできてな」
 その声を聞いたからではないだろうが、ほぼ同時に声が飛び込んでくる。
『こちら01、目標は西通の映画館に』
『08,同じく確認。現在の上映項目は全て恋愛物です!』
「了解。領収書を持ち帰れば払う、尾行を続行してくれ」
『え、俺がですか?』
「いや、99だ。彼は今、ダミーとして妹も連れている…申し分はない」
『……ハァ。99了解。では「ちょっとお兄ちゃん、一体何やってるのよ! 見に行くんなら、早く行こうよ!!」……行って参ります』
 どうやら「妹も協力者」らしい。

 悠がそこまで聞いて、情けなさそうな顔をしていると、龍馬から、今までのふざけた雰囲気が消えていることに気づいた。
「さて……お前がここに来たと言う事は……動いたんだな」
「ああ。おそらく北辰殿の配下の者だと思うが……開戦反対派が数人、「病死」した。何しろ検死医があのヤマサキだからな……書類改竄などいくらでもできる」
 苦悩に眉間がしわ寄せられる。
「これ以上は流石にな……。今度は俺が和平派として動く。後を頼めるか?」
「良いのか悠。確かにお前なら出来るだろうが……」
「ま、戦争は性に合わないしな。止める方で動くとするさ」

『あああああっ!?』
「どうした99! 状況を!」
『秋人……両手に花状態です!!』
「証拠写真、頼むぞ」
『それはもう(怒)』

「な、面白いだろ?」
「……まあ、な」

 

 その日から2年が過ぎた。
 変化が起きるには十分な時間が。

 暗い、暗い闇の中。節電のためコロニーの照明が落とされたからではない。目の前にいる人間の内から零れだした闇の色だ。
 藤原という男がいる。いや、「いた」と言うべきだろう。
 かつて、醜悪な行為に走ることを喜びとした、そしてそれ故に「男」であることを終わらせられた者。
 今その顔にあるのは憎悪のみ。
 あまりに醜い。
 その藤原の前に、かつての知己がいる。しかし知己とは言ったところで、彼らの向ける目はあまりにも傲慢だった。
「我々を呼び出すとはな……貴様程度が」
「しかしよく、おめおめと顔を出せたモノだ、この面汚しが」
「全くだ。コイツ程度にわざわざ会いに来たことが知れたらどのような処罰を受けるか」
 また、言葉もその彼らに会わせ、辛辣で薄汚い言葉だった。
「優人部隊は木連の最精鋭だったはず。……しかしそこから転落した者を世間がどう見るか知っているか?」
 絶望と嘲りの入った言葉。さしもの彼らも聞き入ってしまう。
「いや、説明の必要はないな。……お前達も、味わうのだから」
 喜悦さえ、滲ませていた。
「優人部隊第一期生は、第二期生編入と共に解体される。理由は単純だ。お前達のような役立たずを飼っておく必要はないんだとよ、客寄せパンダ君達」
 その声は、彼らの歪んだプライドに、暗い火を灯した。
「貴様、言わせておけばっ!!」
 ぐし。
 全身の力を込めたパンチ。しかしそれは藤原の顔に突き刺さりながらも、揺るがすことさえ出来なかった。
「どうした、岩井、森下……佐野もな。殴りたいなら殴れよ。もっとも俺を倒せないぐらいじゃ、お前らがここにいる理由なんて無いだろうがな」
「……何が言いたい」
「要するに、エリートの座から落とされたくなけりゃ、潰せばいいんだよ……アイツラをな」

 彼らは気づいていなかった。
 この闇を生みだしたのは藤原などではない、血臭振りまく、木星の闇であることに。
 そして藤原という者の体温があまりにも高かったことに。


 ぐい。
「ほら、逃げない逃げない」
 逃げだそうとするが頭を掴まされ、戻される。
「くっくっく……」
 近くのベンチに座りながら、正面にいるアキトと零夜の姿を笑いながら見る北斗。普段の苦労が自分以外の人間に降りかかるのが楽しいらしい。
「笑うなよ……ったく」
「そう言わないの。秋人君、せっかく綺麗な黒髪なのに」
 そう言いつつ、零夜の手…指は動くことを止めない。その指先は、アキトの髪を取って結わえている。三年の間、ロクに切っていない髪が零夜の手で整えられ、玩具にされている。
 結構粗雑に扱っている割には子供特有の何かがあるのか、髪に痛みは少ない。
 アキトは憮然としたまま、笑っている友達甲斐のない北斗に愚痴る。
「お前も笑ってないでなんとかしろよ」
「俺も良くやられてるからな。つぅか、向こうを見て見ろよ」
「いい、見なくても……」
 彼らの指す向こう側には、何かのバツゲームか、普段はそのまま流している、幕末の医者を連想させるような髪が、綺麗な日本髪に整えられている。端正と言って構わない顔と、優人部隊の制服がミスマッチだ。
 ガギィ!!
 何かベタなことでも言ったのか、源八郎の顔に月臣の拳が突き刺さっている。九十九は源八郎を盾にでもしたのか彼の背に隠れている。
 それを横目で見つつ嘆息する。あれよりはマシにしてくれ、と。
 僅かな時が過ぎ、零夜の手が止まる。
「ハイ、お終い」
 軽く頭を振って確かめる。首のすぐ上のところに荷重がかかっているくらいで、不審な感触はない。軽く目をやると、三つ編みにされているのが目に入る。
「ふぅ、このくらいで済んだか……」
 そう言いつつ、立ち上がろうとして肩を掴まれた。
「まだだよ♪」
 そして、肩を掴んだのと反対の手を見ると、可愛らしいプリントがされた小さな箱が乗っている。イタズラするときの枝織のような笑顔を浮かべる零夜と、北斗がごそごそと取り出した布の固まりに背筋が凍る。
 思い出すのは、やはり火星時代、5歳の時。
 幼なじみ二人の玩具にされて女装させられ、街に連れ出され、そのまま誘拐されかかり、保護してくれた警官に大笑いされたこと。
 恥そのものの記憶。
 一瞬にして呼吸を整え生み出した力、その全てを足に伝える。そして爆発的な力を発生させようとした瞬間、目の前にいつの間にか月臣の顔がある事に気づく。過去の記憶に気を取られ過ぎたようだ。
 そして一言。
「死なば諸共だ、秋人」
 正面から愉快そのものの月臣の顔をアップで見せられ、思わず力が抜ける。
 がし。
 そしてもう片方の肩に、北斗の手が掛かる。
「大丈夫だ。家中探して、一番似合うのを探してきてやったぞ」
「そんなん、北斗の方が似合うだろうが!」
 ヒク……。
 引きつったその頬を見、零夜が露骨に「しまった」という顔をする。
「だいたい北斗は女顔って言うか、美人つーか、……」
 ゴッ!
 引きつったままの顔で北斗が軽くパンチを放ち、ピンポイントで顎を掠めたそれはアキトの自由を綺麗に奪った。
 アキトは、目の前の北斗の顔が赤かったのを見、「その程度で怒る事はないだろ、男同士の洒落じゃないか」と思った。
 受難には事欠かない男だった。

 

 一日、一日が終わっただけで北斗は疲れ果てていた。
 内から聞こえる声。代わるわけにはいかないと。もし代われば、失ってしまう。だからこそ、その声と戦っていた。
 やはり労りの声をかけるのは、零夜だった。父の声など最初から考えていない。あの時、以来……。
「やっぱり今日は枝織ちゃんの方が良かったんじゃ……」
「そのことは言うな!」
 怒気をはらんだ声。その声には、怒り以上に哀しみが色濃い。
「ご、ごめん北ちゃ……」
 涙をにじませる零夜を見、一度深く嘆息する。こんな自分と長年一緒にいてくれた幼なじみを見て。深く、深く息を吐き出した後、呟く。
「済まなかった。……後は頼む」
 そう言いつつ、北斗は意識を手放した。床の冷たさが、疲れた体に気持ちよかった。


 アキトは良く笑ったという爽快感と、我が身を襲った不幸でごちゃ混ぜになった気分で家路についていた。
 なんとか着替えたし、化粧も落とした。
 いつも馬鹿やっている仲間が優人部隊へと昇格したのだ。年齢制限から候補生のままの自分と違ってだ。何となく悔しい思いをしながら、それでも焦ることなくのんびりとしながら歩き続けた。
 撮られた写真が気にかかるが、忘れることにする。
 そう、この空気の中、そのようなことを考えている暇など無い。
 人とは思えない異様な殺気。だが獣にはこのような禍々しい気配は無い。
「……奇襲なら失敗だよ。それでもやる?」
 返答は、人とは思えない、怨嗟の異様な唸り声。
 手を指ごと伸ばし、軽く腕を振る。袖の内から飛び出たナイフを右を順手、左を逆手に構える。
 ザザザザザザザザザ…ザッ!!
 草を茂みをかき分ける音と、大地を駆ける激しい音。現れたそれは人型、体長1m80p、刃物による武装。そこまで見て躊躇無くナイフを振るう。
 狙いは武器破壊。しかし互いのナイフが触れ合った瞬間、予想だにしない事が起こった。
 キイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ
 甲高く澄んだ、金属の砂をすりあわせたような体に浸みるような音。
 ザガッ!!
 そして人型の物体は、遙か後方へと飛びすさる。手に持ったナイフには傷一つ無い。
「向こうも、高周波振動ナイフ……しかも」
 周りに目をやり、こう呟く。
「五対一。……あっちもこっちも一撃必殺。死人相手にはきついな」
 独り言のように呟く。その声を聞いていたはずの存在は、理性など無いであろう濁った目と、身体機能を上げた所為で高温に晒された体から煙を上げていた。異常体温による激しい発汗……彼らは間違いなく、死ぬ。
「こっちも死にたくはないから……死んでもらうよ」
 そこでアキトは、感情を消した。
 キィィ… 
 耳を掠めるようなナイフの音にも頓着せず、それだけ近づいた敵の脳天を自らのナイフで貫く。貫いた瞬間刃をかえし、傷口を開いてからまた別の方向へと切り捨てる。
「……気の流れがおかしい……」
 その動きを隙と見たか、もう一体が背後から接近する。攻め寄ってきたそれを逆手に構えた左のナイフで止める。
 ギシイィィィィィィィィィィ!!!
「防御は無い。ただ攻撃するだけか」
 激しい振動音と衝撃が体を貫き、しかし取り落とすことなく近づいてきたもう一体を見、僅かに体を後ろに下げ、体勢を崩させる。
 スイッチを入れずに右のナイフを左の敵のナイフを持つ腕、その手首の隙間に突き刺し、右の新手へと投げつける。
 新手はその味方の体を邪魔だとばかりに一閃、両断する。
 その力を逃がさず突進するそれを、僅かに後ろに下がることで回避。突進力が強い分左右への方向変化が難しかったのか、通り過ぎ、急に方向転換をしようとし、その動きの鈍った瞬間に、ナイフを投擲、頸骨が二つに割れる。
 声もなく血塊だけを吐き出しそのまま倒れ込む。
「残りあと……二体か……」
 ナイフのバッテリーは、もう途切れる寸前だった。

 ドン!!
 バシャァァァ……
 柔らかく、かつ硬い物が空を飛び、地へと落ち、跳ねる。中身は落下のショックでこぼれだし、形容できない物が見える。
 残った物はただただ赤い水を吹きだし、大地を染める。
 一瞬で硬直したか、それが倒れることはなかった。
「ここに攻め込んでくるとはな」
 そう言いつつ、ナイフにかかった血を飛ばす。その血を付けたのは、かつて人であった物。そう「物」だ。
 薬物強化人間。ブーステッドマンとも呼ばれる、薬物により反射速度、筋力、回復力を限界まで高めた代わりに人間としての自我を失った「生ける屍」。
 誰かが施した「プログラム」通りに動くただの人形。神経が焼き付くまで、死ぬまで止まらない殺戮人形。
「ヤマサキが動いたか。……いや、北辰か?」
 考えながらも体は自然に動き、右手のナイフが確実に首をはね、左手の鋼糸が螺旋を描き結界を生み出す。それを知ることの出来ない彼らは無意味に近づき切り裂かれた……幾つにも。
 手足がもげ、指が飛び、胴を輪切りにされ、痛みを感じないのか、血の海に沈みながらも死にかけた虫のようにカサカサ、カサカサと残った体を動かし続ける。
 本能で知ったか、遠巻きに見ているだけの物もいる。
 左手で結界を保持したまま、ナイフを鞘に戻し、足を動かし地面から小石を真上に弾き、空いた手ではじき飛ばす。
 簡単なプログラムしかされていないのか、それとも生き残ることを知らないのか防御をせずに動く強化人間達。それは予想通り動こうともせず、見えていたはずの小石を、両の眼窩へと撃ち込まれるまで微動だにしなかった。
「身体能力は上々。しかし、機械に俺は倒せん」
 今だ夕方というのに闇にも近い視界の中、龍馬は気配だけで敵を確実に壊していった。




 モニターを覗き込みながら、楽しそうに笑うヤマサキの姿があった。
「凄いなあ……どうやったらあんな風に動けるんだろう?」
 コロニー中をカバーする監視カメラの網が映した物、それは近づけることさえなく強化人間達を切り裂く龍馬の姿、そしてプログラム通りに動く強化人間をその本領である接近戦で叩きつぶすアキトの姿。
「うわっ、あのナイフ。僕が作ったのよりも切れ味イイや」
 非常に楽しそうにモニターを見つめるヤマサキ。
 後ろを振り返り、そこにいる人物に声をかける。
「どうだい北辰さん、あの二人、やっつけられるかい?」
「小僧なら問題はない。しかし柳は難敵だ」
 そう言いつつ、アンプルの口をはじき飛ばす、それは床で高い音をたてて砕ける。
「失敗作の処分とは、貴様もよほどの外道よな」
 北辰には珍しい笑顔を目にして、ヤマサキは無邪気そのものの笑いを見せる。
「誉め言葉だと思っておきますよ。……北辰さん」
 アンプルの口に注射器、その針を突き刺し吸い上げる。全くの透明な液体をその目にし、打ち込む。
「これなら、奴を倒すことも可能だろうて」
 そして、ゆら……と立ち上がった。


あとがき

 オリジナルではアキトと北斗の体格差が、18歳という年齢からか多少ながら出ています。
 でもこれは<黒>の過去編。子供時代なら、それほど体格差は出ないはず。
 いずれ男女の差が出ることを見越し、アキトは力を、北斗は速さを追求して訓練しています。しかしそれ以前に現段階で人間の限界を平気で超えているあたりに問題が。

 ちなみにオリジナルとの差として、北斗は枝織に苦手意識を持っている程度、女性であることに憎しみではなく諦めのような物を持っている、としています。訓練で速さを求めているのも、そう言う理由だと思って下さい。書き切れていないのは、私の腕が悪いから。
 それに、この状態でアキトと会っているため、「気負う必要がない」から精神的に安定しています。
 ある程度「子供らしい」姿を、そう考えています。

 ……ああ、また黒い……。ダークの称号が、また一歩近づいた……。それとももう、付いている?

 

 

代理人の感想

 

弱いぞ強化人間(笑)。

まあ、元がアレだと強化してもあんなモンなんでしょうが。

 

北斗はオリジナルと違ってそれなりに青春と友情を謳歌してますね〜。

善哉善哉。

こーゆーシーンを入れておくと大幅にダーク度が下がりますね。

残念ながら称号獲得は当分先でしょう(笑)

・・・それとも次回、かな?