機動戦艦ナデシコ <黒>
12.あの「忘れえぬ日々」→「忘れる事」で人は進める
数枚の、ごく僅かなレポート。コーヒーの香りの漂うこの場所、医務室でウリバタケは文面を読んでいた。イネスに尋ねようとしたところ、「これを読め」と渡されたのだった。
「つまりはあれか、エステバリスってのはあの龍皇からの派生品か」
「そう言うこと」
そう言いながらもイネスはコーヒーに口をつけ、顔をしかめる。
「……豆の挽き方が荒いわね……」
「いや、俺はこれで美味いと思うが……ま、道理で中身に類似点が多いと思ったよ」
異常とも思える姿に対し、しかし龍皇自体は慣れ親しんだ構造をしていた。素材が示した剛性と展性の異常なまでの数値を除けばだが。
そして、今彼の見ている図を含めても十枚に満たないレポート。それがネルガルの研究者達の残せた龍皇の詳細だった。
「しかし……このブラックボックスの中身って何なんだ?」
「私も調べた事は無いわ。でも、ブラックボックスだけあって中身を知った人間は一様に『パンドラ』と呼んでいるわ」
「パンドラねぇ。中身を開けた途端にいろんな物が飛び出して最後に希望が残るってんだろ? 希望があってもこれ以上の厄介事はごめんだな」
「同感ね。でもウリバタケさんここにいていいの? ナデシコが何とか動くようになったと言ってもまだ不安定なのよ」
「気にすんない。ウチの若い連中だって結構やるぜ」
「……若い……ね」
そこでウリバタケは、自分が墓穴を掘ったことに気付いた。
「『任せた』って言われてもなぁ……」
言いつつ、点検用のハッチを開け、壁の中を覗き込む男達。彼らは一様に整備士の制服を着ていた。
その中の一人が縦に並んだ、ナデシコ中を駆け巡るケーブルを確認していた。
「水道パイプ、異常なし。空調ライン、異常なし。電力ライン、異常……あり」
いくつもある設備の中、一つだけ異彩を放つものがあった。それは送電用ケーブル。
相転移エンジンはあくまで真空をより低位の真空と入れ替え、その格差をエネルギーとして取り出すもの。これを利用するためにはもう一度発電用のジェネレーターを通さなければならない。
そして作り出された電力は送電線を伝わりナデシコ中を駆け巡っている。
しかし現状は違う。
資材置き場だった第二格納庫を中心に、壁に突き刺さった龍皇の鬣がそのまま送電線に絡みつき、直接エネルギーを吸い上げているのだ。一時期ほどの消費はないものの、それでも戦闘時には不安が残る。
「先輩、これ切っても大丈夫なんですか?」
「わからん。だから取り敢えず切ってみろ」
「とりあえずって……」
「いいから切れ!」
「……はい」
しぶしぶ切る男。だが、それは想像していたよりも遥かに容易に切断でき、何のリアクションもなかった。
「……何にもないですね」
「……だ、そうだ。各員そのまま排除してくれ」
「ああっ、先輩! 自分を実験台にしましたね!」
「だから俺がここに救助要員として来たろうが。男がいつまでもそんな事を気にするもんじゃない」
「……ああ、言い返しても、駄目なんだろうな……」
年功序列の悲しさか、男は深くうなだれた。
「向こうは上手くいったみたいですね」
「みたい……だな」
そう言いつつ、彼らの目は目の前の物体に釘付けになっていた。
完成間際の新型フレーム・デュアルではない。再調整が済み、パイロット待ちのEX01でもない。なんに使うのか分からない、火星から出土したというパーツ群でもない。
龍皇だ。
一時期ほどの異様さは失せたとはいえ、未だその存在感は圧倒的。未だに各部が僅かながら発熱し、再構成を続けている。
「しかしこれ、本当に触っても平気なんですか?」
「らしい、けどな。とりあえずは観測機器を繋がなきゃ何にも出来んしな……」
ナデシコブリッジ、その空気の中に一抹の不安が見え隠れしている。
だからこそか、ミナトがいつものように最年少の同僚を気遣おうと横を見ると、彼女はその美麗な顔をしかめた。
「ねえルリルリ、寝てないんじゃないの? 目の下クマになってるわよ」
「そうですか? でも今はそうもいってられませんから」
「あ、私良い栄養剤持ってますよ。あげましょうか?」
そう言いつつ「謎な色の液体」の入ったアンプルを持ち出す。ラベルが無く、ナデシコ内で流通する(幾多の人体実験を経て完成された)「イネス印」も無い。
参考までにそれは「同人誌の墓場」と呼ばれるある一室で臨床試験を行ったものと言われている。
だがこれは、絶対に違う。本能がそう叫んでいる。
「……遠慮しておきます」
「え? 絶対効きますよ? ミナトさんどうです?」
だが、手で遠慮の意を示すと別の事を口にした。
「ちなみに……材料は?」
「私の部屋にある漢方薬を全部粉にして溶かしました」
流れ出る汗。
そしてルリとミナトは一瞬のアイコンタクトの末、口を揃えて言った。
「アオイさんにどうぞ」
「副長にね、疲れてるみたいだし」
「そうですね、この間は悪い事しちゃいましたからお詫びにあげて来ます」
どうやら前回のドリンクで半死人を出した事は彼女の記憶の中に既に無いようだ。彼女は「今度アキトさんが来たら、何を作ろうかな」などと口にしながらそのドリンクをブリッジに備え付けられている冷蔵庫、その中のジュンの栄養剤の中に紛れ込ませた。
そしてこれから四日後まで、ジュンが何時これを飲むかという「ロシアンルーレット」が盛り上がったと言う。何故四日後「まで」なのかは言うまでも無い事だ。
「オモイカネ、大丈夫ですか」
ルリの思いやるような声がした。だがオモイカネの返す声は幾分沈んだものだった。
<少し……ルリの言うところの二日酔い、それに似た感じがする>
「そうですか。気をつけなければなりませんね」
なぜか「二日酔い」のところで頷くルリ。彼女は未成年のはずである。
<うん>
「ルリちゃん、やっぱりオモイカネの調子、よくないの?」
「はい、二日酔いだそうです」
「ふ〜ん、そうなんだ……あれって結構つらいのよねぇ」
しかし、何かが足りない。ムネタケがおらず、ジュンが、そしてゴートが居ない。
「そういえば提督はどうしましたか?」
「何か、本部に連絡するって自室に戻ったようです」
「他の二人は? プロスさん、何か知りませんか?」
「ジュン君はイネスさんのお手伝いに行ってますし、ゴートさんは……分かりません」
「ジュン君……イネスさんに気があるのかな?」
「「「「艦長、それは違いますって」」」」
いつもの如く、未だにジュンが哀れな勘違いをするユリカ。そんなユリカに全員揃ってツッコミ返す。
また、ジュンは先日の戦闘以来、医務室に入りびたりと言うが、ゴートの行方についてはプロスでさえ知らないという。
「何だか上の命令でどこかに行ってるらしいわよ」
「……何でミナトさんがそれを知っているんです?」
そんなメグミのツッコミにもミナトは微笑んで返すだけだった。もっとも、汗が薄く流れても居たが。
「さて、そろそろ行くとしようか」
勤めて軽くアカツキがそう言う。
しかし他の面子にも意見はあるらしい。
「あたしらは便利屋じゃないんだけどね…」
諦めた、すねたような面持ちのイズミ。休む間もなく戦場に駆り出され続けるこの状況を揶揄するところもあるようだ。
「ヒカルもオッサンも医務室だしな」
「そうね、この状態のナデシコに命令する上層部も、その命令を受ける提督にも……」
多分に問題があるわね、としめる。
「博士、この新型クロー…大丈夫なのか?」
ギシギシと異様な音を立てて動くクローを見て呟く。今までのものと違いナイフクローが更に大型化されている分、攻守共に機能充実したシールドクロウ。
「だから俺は博士じゃねーっての。それからそいつは前のよりも確実に頑丈で切れ味が上がってる。間違ってもツッコミには使うんじゃねぇぞ! 分かったなヤマダ!」
「ああ、分かったよ」
「……どうした? いつもなら「俺の名はダイゴウジ・ガイだ!!」とか叫ぶだろ?」
「俺にも思うところがあるってことだよ」
そう言いつつ、違和感の付きまとうコクピットの中で、ガイはいつもなら持たない大型火器―多連装ミサイルポッド―を手にしていた。
ナデシコ内エステバリス専用格納庫。
ここでは出撃に向けた最終調整が行われていたのだが、やはり活気に陰りが見える。
その中で、担当機を失った数人の整備士達は新しい機体の用意に奔走していた。だが。
「……先輩、ウリバタケ班長は何処に行かれたんですか?」
「班長なら第二のほうかドクターのところだろ? 何かあったのか?」
「重砲戦の解体中に気になる点がありまして……」
「……どれ、見せてみろ。班長が来る前に俺が見ておいてやるよ」
そう言って、数人の整備士が重砲戦の解体現場に集まった。
出てきたのはレコーダー。戦場を記録した、いわゆるブラックボックス。
そこで彼らが見たのは「デビルエステバリス」とは違う、全く別の「エステバリスに似た何か」との戦いだった。
戦場に立つナデシコ。
連合との共同戦線であるはずのそれは、たった一隻だけナデシコを突出させた陣形を取っての戦いだった。
そして先陣を切る位置にいるナデシコを目の敵にするかのように、活発化する無人兵器達。
「そっちがその気ならこっちも徹底的にやっちゃいましょう!!」
その声と共にカタパルトから撃ちだされ、エステバリス達が戦場へと現れる。
「エステバリス全機、出撃しました」
「攻撃開始ぃ!」
メグミの声に呼応するかのように、ユリカの声が戦場へ響いた。
そして、戦場で異変が起きた。
敵が攻撃圏内に入った瞬間アカツキがミサイルを撃ち放つ。
「よっしゃいただきぃ!」
pipipipi!
だが次の瞬間、Lockマークが味方の戦艦に移る。
「なにぃ!?」
ドォンッ!
激しい衝撃と共に艦のあちこちから炎が吹き上がり、急速に高度を下げ始めた!
「くっそぉ蜥蜴野郎めぇ……総員退艦しろ!」
戦艦の艦橋で男が叫んだ。しかしその次の瞬間レーダーを見ていた男が否定の声をあげ、更なる驚愕を誘う!
「いえ全弾、ナデシコ側からの攻撃です」
「なんだとぉ?!」
またナデシコでも困惑が広がっていた。
「えっ、何? 何が起きたの?!」
「エステバリス隊、味方も攻撃してます」
「味方も攻撃ぃ!?」
「攻撃誘導装置に異常はありません。ナデシコのエステバリスは全て敵を攻撃しています」
慌てるユリカに冷静に答えるルリ、しかしそれは困惑の度合いをそれ以上に深めるものだった。
「敵と味方両方を攻撃しています」
「攻撃やめ、やめぇ」
「敵至近距離、今攻撃を止めたら全滅します」
メグミもそれに同意し、ユリカはこれ以上被害が大きくなるのをとめようとするが、それは不可能だと言う。
やめる事も引く事も出来ないまま……敵と味方が数多く撃墜されていった。
そしてその元凶となったエステバリス隊の中でもこの状況を前に迷っていた。
「さて、どうしようか……」
「んな事言ってもな、俺たちの武器じゃ……おいヤマダ!?」
「やめなさい、死にたいの!?」
高速で飛行するヤマダ! その腕にある二対のクローは激しく振動し、熱を発生させ黒いその刀身を赤く輝かせていた。
「アキトに出来て、この俺に出来ねえワケがねえ!!!」
「あのバカ、回避行動もしないで…ロンゲ、イズミ!!」
「分かった!! ……って、僕にはアカツキ・ナガレって名前が……もしかして覚えてない?」
「これだから男ってのは……アンタ、そんな名前だったんだ」
なお激しく加速させ、クローを振りかぶって戦艦のエンジンブロックに一撃を叩き込む。高密度の空気の中ろくに力を出せない相転移エンジンはフィールドを張る力も弱く、致命的な一撃を受け、エステバリスが離れた瞬間に誘爆を起こしその船体を内側から吹き飛ばしながら地上へと落ちていった……。
「くそ……くそっ! こんなんじゃ全然スカッとこねえ!!」
ガイの叫びが、虚しくスピーカーから漏れ出していた。
「とにかく各自、自分の身を守って撤退してください。援護のエステバリスを」
「パイロットが居ません」
初戦闘を思い出させる声。
そして「え」とギャグ顔になるユリカ。しかし「何時の間にか戻ってきていたのに影が薄く気付いてもらえなかった」ジュンは立ち上がり叫んだ。
「僕が行こう、僕の出番だ!」
IFSターミナルにその手を置く。次の瞬間タトゥーが輝き、エステバリスの目に光が宿り、それは歩き出す。
「艦長を補佐するのが副官の役目、けどそれだけじゃない、ユリカ、君を守りたいんだ! この間のような光景はもう見たくない!!」
だが、ジュンは「戦場のロマンチシズム」ではなく、「戦場のリアリズム」をその身をもって体験することになる。
カタパルトデッキから撃ちだされ、次の瞬間現れたバッタ!
しかしパニックになったジュンにはそれを避ける事が出来ず、体当たりされる格好でナデシコの甲板上に叩き落される。
そして、彼は見た。
オモイカネの映す敵戦艦を中心とした映像ではなく後方の、戦闘機から脱出したパイロットや分離したブリッジ。そして、思考制御であるがゆえにジュンが意識したその瞬間、エステバリスのカメラはそれを拡大した。
苦痛に顔を歪ませながらパラシュートで降下する兵士。彼は無事に地上へ降りられるのか。そして無事に着地できるのか。痛む体で着地の衝撃に耐えられるのか。
武装などない、ただ逃げ出す事に特化したブリッジ。それを無人兵器が狙わないなど考えられるか。
普段居た場所の外、ただそこから離れただけでどれほど多くのものが見えるのか。
「う……わ……ああああああああああああーーーーーーーーーっっっっっ」
圧倒的な攻撃力、それ以上に防御力を持つナデシコ。だがその外のなんと脆いことか。
ジュンはそれを思い知った。
もっとも最悪な形で。
ナデシコの敵味方を攻撃すると言うこの状態は想定外だったのか無人兵器は撤退を始める。プログラムゆえに思考に可塑性を持たないのだ。連合軍もまた、ナデシコの攻撃を受けるのを避け、撤退。
ナデシコに一体何発のミサイルを打ち込んだのかなど、綺麗さっぱり忘却の彼方とばかりに非難を入れる事も忘れない。
この異常な戦場は多大な被害を出しながらも早々に終結した。
もっとも、エステバリスの搭載火器に大破される程度の戦艦、そしてのクルー達がどれほど長生きできただろうか。それを考えれば、空気のある地上であっただけ生存確率が上がったと考えられるが。
しかし、それでは通用などしない。
ウインドウに映る、小山のように大きな戦艦。それは各所から煙を出して大地に横たわっていた。それを背に大声で叫ぶのはプロスペクター!
「死傷者が出なかったからいいようなものの、この戦艦一体幾らするとお思いです!?」
だが、思ったよりも傷の深かった所為で医務室から出られないジュン、彼があの目で見た光景をここで話せば誰もがおかしく思った事だろう。何故あれほどの状況の中で戦死者がいないのか、と。
「あ、あれあたしが落とした」
「あのジキタリスはこのナデシコより高いそうで」
あっさりとした、それ以上にごく自然に話すイズミ。そしてそれ以上に大声でアカツキが。
「僕は落とした数だけ言おう。78機だ。敵味方合わせてな」
「そのうち62機が味方です」
などと「暴露」という言葉が似合いすぎる報告が聞こえていた。
額に青筋を浮き上がらせたプロスペクターがそれでも笑顔を保たせようと堪えている時に新しい声が割って入った。
「で、なんでこんな事になったワケ?」
「俺たちがわざわざ連合に攻撃するわけねぇよ」
「じゃ、整備不良?」
「聞き捨てならねえな。俺たちの安全整備にけちつけようってのか? いいか! 俺は女に失敗してもメカの整備にコケたことは無い!!」
理由を聞こうとしたムネタケ。それに反発するパイロットと整備士たち。だがその緊張を崩したのはルリだった。
「待ってください。パイロットにも整備にも欠陥は認められません」
「じゃあ、何が原因なの?」
「はい、それを調べに連合軍から査察団が来るそうです」
「ナデシコの防衛攻撃コンピュータに問題があるんじゃないかっていってます」
口を大きく開けて、大きな声で叫んでいた。
「査察ぅ〜?」
「ま、妥当な線ね」
その声には「あれだけのことをやったのだから」と言う響きがある。
既に彼らの目の前にはウインドウが開き、連合の調査団を乗せた船が写っている。
しかし。
ピーッピーッピーッピーッピーッ
「どうしました!? オモイカネ!」
突如現れるウインドウ!!
それは百を超えて現れ、目まぐるしく変わり、やがて連合の憲章が現れる。そして次の瞬間、砲撃口をナデシコに向ける連合の戦艦、占拠しようと武器を振りかざすムネタケとその部下、軌道上のステーションに配備されているはずのデルフィニウム、幾つもの連合の姿が現れ、消えた。
そして調査団の乗る船の映るウインドウに文字が重ねられた。
<不法占拠を目論む可能性:高>
<敵と認識>
そしてナデシコが急速回頭する!!
<グラビティブラスト・スタンバイ!>
「オモイカネ、やめてください、あれは敵ではありません!!」
振り回されるブリッジの中、コンソールに張り付き必死の思いで止めようとするルリ!
その思いが通じたのかオモイカネは砲口を開放したままの状態で沈黙した。
潮の香り漂う港町、港のすぐ脇にある倉庫外の一角、幹線道路に隣接するその目の前でオープンテラスを思わせる店が今作られていた。厨房は倉庫内に設け、奥にはエステバリス三機を始めとし、研究所から入手(非合法)したオモイカネのコピー「ダッシュ」の端末がある。本体は既に隠蔽済みで。
「ふ〜ん…そんな事があったんだ」
「あったんだ」
そう言いつつ、フミカは皿を確かめる。紙袋から一枚一枚出し、傷を確かめながら洗いをするトウヤに渡していく。
「ロボットの反乱、じゃなくてAIの反抗期かぁ。まるで映画のノリね」
「2001年?」
などとラピスが続けてしまう。
「またマニアックな」
「アキトの持ってたディスクにあったよ?」
ラピスはラピスで能力は高いのだが、如何せん人に触れていた時間が少ないのか……子供のようにフミカの真似をしている。
「ええ。さっきハーリー君が教えてくれたんです」
そう言いつつ袖を捲くり直しながら、妙に少女趣味なエプロン(フミカの物)の紐を縛りなおす。そしてもう一度、水の中に沈めた皿を取り出していく。指紋や渇き跡がつかないようにと皿は乾燥機へと運ばれる。
「それでハーリー君は? アキ君もいないみたいだし」
「ハーリー君なら隊長に食材の見分け方を教わるって一緒に出かけましたよ」
「じゃ、開店準備は私たちだけでするの?」
「するの?」
「します。…って、逃げないで下さいよフミ姉!」
「はいはい、逃げませんよ。どうせ逃げてもあとでする羽目になるんだろうし。……そんなことより」
「そんな事より?」
「何でハーリー君がそんな事知ってるの?」
知ってますよ、そう言いかけてトウヤは口が動くのを止める事に成功した。
だがラピスが。
「ハーリーね、ルリっていう女の人と「メル友になれた」って踊ってたよ」
「…踊ってたの?」
「ハーリー君らしい……」
「クシュン!!」
「お、ハーリー君風邪かい?」
「いえ、そうじゃないんです。でも皆さんと会ってから何だかくしゃみする事が多くなって……」
偶然の一致か、それは大抵噂話が行われている時であり、更に言えばその後、よく言えばちょっと行き過ぎたスキンシップ、悪く言えば「いぢめ」が行われる。しかもこの時ばかりは誰も助けない。このあたり、男三人の間で「被害が小さくなるように」と取り決めた事でもある。
「でも良いんですか? この看板」
「ん? ま、ちょっと皮肉入ってるかもしれないけどな、これが俺達の始まりだからな」
そう言いつつ、アキトの後ろの座席には大きな木の看板があり「多国籍料理ゆ〜とぴあ」が日本語を始めとして英語・ドイツ語・イタリア語・フランス語…幾つもの言語で書かれていた。
「けど、わざわざこんな事しなくっても僕やラピスでお金なんてどうとでもなりますよ? 僕らから隠せるデータなんか無いし、相場の予測だって。それに「あれ」も進んでますから」
「……ダッシュもようやく自意識が生まれてきたみたいだしな……」
何時の間にか…ハーリーは「染まって」いたようだ。
そんなハーリーをみてアキトは顔を引きつらせ「なんでこんな性格になったんだ?」と、自分の行動を省みない事を考えていた。ご両親に引き合わせたとき、相手方の反応が怖いとも。
「いや、流石にこれ以上はまずいし、それに……普通に生きる事のほうが難しくて……幸せだからね」
そう、たしなめる様に、何かを悲しむように締めくくった。それを聞いてハーリーは俯いて声を出す。そしてその雰囲気を崩そうとアキトは声を続けた。
「そう……ですか」
「けどな、ハーリー君」
「……」
「少なくとも、明日から君は大変だぞ」
「え?」
「俺とフミ姉で料理を作る。トウヤがウェイターをする。ディッシュ(皿洗い)とキャッシャー(レジ)…君とラピスにも働いてもらうからな」
「……テンカワさん、児童福祉法……だったかな、それ知ってます?」
誰か雇えば良いのに、とは言わないあたり、これもハーリーらしいのか。
「働からざる者食うべからずとも言うな」
そう言って二人は食材をのせたまま、トラックを走らせて行った。
もっとも、エステバリスを乗せたキャリアを外しているとはいえ、ミリタリーカラーではないとは言え……大型のトレーラーは街中にはかなり奇異に映った物だった。
ちなみに到着後の彼についてはこの一言で事足りる。
ハーリー、いと哀れ。
「で、俺たちの力が借りたいと」
リョーコはヒカルの見舞いに来ていた医務室で聞かされたウリバタケの話にそう答えた。
「ああ、そうだ。オモイカネは俺たちの仲間だ。あいつらの都合で今までの記憶を消されてたまるか」
「私からもお願いします。オモイカネを助けてください」
ちょこん、といった感じで頭を下げるルリ。
そこには何時もの様な空気は無く、ただ友達を心配する不安さがあった。
「そっか。オモイカネはルリの友達だったよな」
しかし合いの手を入れるかのごとくヒカルが口をはさんできた。またベッドの横にはトーン屑を体中にまぶしたガイが気絶から熟睡に移行している。
「でもさ、リョーコに手助けできるの? だってリョーコ、コンピュータはエステとゲームしか出来ないって言ってたじゃない」
ヒカルのその言葉と「ヤマダさんが潰れているのに何でこの人は起きているの?」と疑惑の目を向けてルリは答えた。
「オモイカネの操作は私とウリバタケさんでやります。今欲しいのはパイロットの手なんです」
シミュレーションルーム。
基本的にはエステバリスのパイロット達のトレーニングルームである。パイロットの増員と共に筐体も増設され、最大10人同時にゲームを行えるようになっている。
しかし現状はナデシコクルー達のための娯楽として開放され、マニュアルモードを追加し、多種多様な機体データ(エステバリス・デルフィニウム・戦闘機・戦車・潜水艦)など、趣味人の極地としてウリバタケが作り上げたゲームセンターだった。
更に付け加えるならハイスコアを出すと「裏」でウリバタケが景品を進呈すると言う噂まである。
「……で、なんで僕まで?」
そんな事を言うアカツキにルリは。
「手が足りないんです。それに今更素人のオモイカネと一緒に、無茶苦茶な命令を出す連合の下で働きたいんですか?」
それは、シミュレーションでは到底起きない異常な事態の中を渡り歩いてきた戦闘データの消滅を意味する。そして成長するAIであるオモイカネの「閃き」にさえ近い判断能力の消滅をも意味する。そしてパイロットを始めとするクルーの生存確率の低下も。
それは彼の意に沿う事ではない。
「いや、それはご免こうむるよ。でも連合にばれたらどうするんだい?」
「それは俺も気になるな」
「俺もだ」
アカツキの当然の疑問にリョーコとガイが自分も、とばかりに主張する。
「その辺は心配すんな! 今ごろは俺たちの作った「不法占拠者対策プログラム」のトラップに引っかかって無関係な事をしている。それにここのシールドは完璧、コミュニケの通信も、オモイカネの目も届かない」
そこでウリバタケはメガネを指でクイ、と上げる。
「それじゃオモイカネは無事なんだろ?」
「……何時再発するか分からないのに?」
「なるほど」
「ま、あとの質問は作業を始めてからだ! とっととボックスの中に入れ! あとこのゴーグルも着けてな」
「僕は今何をやってるんだろうねぇ…。別にオモイカネを消去されても僕の腹は痛まない。それどころか軍との仲も幾分マシになる。……意地、かな?」
存外に「僕の中にそんなものがまだあったのか」と笑う。
だがその一方で、自らを冷静に見つめる目は「真実を知ろうという意思」が冷徹なまでに研ぎ澄まされていくのを感じ取っていた。そして「いいアリバイ作りにもなる」と。
「さて、やるとしますか」
そう言って、ターミナルに手をおいた。
「コンピュータの中で戦うなんて、燃えるじゃねえか」
ストレスが溜まっているのか、ガイのテンションはいつも以上に高い。
<機体を選択してください>
そして現れたメニューを開くと、迷わずに愛機を選択した。
「俺がナデシコで戦う意味って何なんだろうな……」
ある意味哲学的な言葉を吐き出すリョーコ。その顔には迷いと言うよりも、オモイカネを心配するルリ、その顔を見ていたときの表情に近い。
「戦っていれば、何か見えるのかな……」
そして三人はシミュレーターを通し、電脳世界を見る事になった。ウリバタケの作ったゴーグルによって視覚のリアクト<電子変換>を経験して。
「……図書館?」
「図書館だな」
「ぐおおおおおお、本を見ると頭がいてええええ」
ちなみに上からアカツキ、リョーコ、ガイである。
「……って、何だコリャ?」
「うお、俺も!」
そして気付いた。今自分達の頭がエステバリスの頭と置き換わっている上に二頭身、いわゆるSDだと言うことに。
「……懐かしいぞ! これでBB弾が撃てれば!!」
ただガイだけが、子供の頃集めていた玩具を思い返していたが。
「これがあくまで俺がビジュアル化したコンピュータの記憶中枢のイメージだ。思い出すなあ……七回受験に失敗したMITの図書館を……」
「で、どっちに行けばいいんだい?」
「私が案内します」
その言葉と共にリョーコの肩の上に現れるルリ。なんとなく物語上の「妖精」を思わせる。
ルリに案内されながら彼らは見る。
偽物とはいえ迷路の中、連合に書き換えられようとするオモイカネの記憶。
そして、世界樹を想起させる、巨大な木を。
「あれがオモイカネの自意識部分です」
「で、目的はあれかい? あの一本だけ伸びた枝」
「はい。あれさえ切れば…思いが消えるのは悲しいです。でも枝はまた伸びますから……」
だが、切り落とそうと近づいたその瞬間、衝撃が襲った!
「な、何だ今のは!?」
「コンピュータの異物排除意識!オモイカネの自衛反応だ!」
ゴン! ゴゴン!!
だがウリバタケの叫びとどちらが早かっただろう。巨大な壁が空間を切り分け三人は分断された。
そして、それは現れた。
衝撃が彼等を遅い、筐体はミキサー状態に!! そして何とか立ち直りつつ彼らは、新たな衝撃を受けた。
「これが自衛反応かい?」
「ああ」
対峙するアカツキと、砲戦改。
「で、なんでこんな姿なんだ?」
「多分、オモイカネがお前らを分析した結果だろうな」
リョーコと、重砲戦。
「ふっ……じゃ何か? 俺はアカラ王子だってのか!?」
「おめーにゃ悪役がお似合いだよ」
そして何故かガイと……ゲキガンガー!!
「それを倒してください、誰か一人でもあの枝を切る事が出来れば、オモイカネは守れるんです!!」
その悲痛なものが混じった叫びに答え、何時の間にか本来の姿に戻ったエステに乗りながら三人は武器を取った。
完成した「カグヤ」のブリッジでホウショウは手にした書類を読み上げ、こう締めくくった。
「クルスク工業地帯においてナデシコはナナフシをエステバリス隊によって破壊する事に成功。しかし相当のダメージを負ったらしく修理のために物資を使い果たしつつあります。またオモイカネをフォーマットすることにより要・再調整となりドックへと入る模様です」
「それは良い事を聞きました」
とはカグヤ・オニキリマル。
優雅にティーカップなど傾け、報告を聞き入っている。
その優雅な空間をガラス一枚隔てた向こうに、最終調整中の新型戦艦が鎮座していた。純白のナデシコとの対比を狙ったものか、ブラックないしダークブルーを基調としているようだ。またアクセントをつけるようにゴールドのラインが踊っている。
「連合本部としてはナデシコが身動き取れない現在に「ナデシコタイプに熟練したスタッフを新型艦に乗せデータを採取」と考えているようです」
「それはつまり、私の艦にあのミスマル・ユリカを乗せると言う事?」
「……遺憾ながら」
「面白いわね」
「は?」
「面白いと言ったのよ、ホウショウ。あのユリカさんを横に私が指揮を取って新型艦「カグヤ」の初披露をするのよ」
そして、カグヤはここまでで一言も口を開かなかった男に声をかけた。
「では伝えてくれるかしら、ミスター・ゴート。連合の命令として。ナデシコスタッフを「新型戦艦カグヤ」の臨時クルーとして徴収すると」
そしていかつい顔を、いつも以上に硬くし、ゴートは答えた。
「分かった。もとよりそれがネルガルとアスカの総意でもある」
とだけ。
そして心の中だけで「戦艦に自分の名前をつけるな」と叫びながら。
「色よい返事を待っているよ」
そう言いながら、通信は途切れた。
後に残ったのは疲れた顔のユリカ。隣にいるプロスペクターは済まなさそうに、エリナは何処と無く罰が悪そうにしている。
「艦長、そういう訳で済みませんが……ネルガルとしても長期ドック入りが確定したナデシコで、クルーを遊ばせて置くわけにも行かないんです」
「そうよ。それに連合軍に対する心象を良くするのも……今までナデシコがしてきた事を考えると……良い機会といえるわね」
地球脱出の件と言い、月での帰還と言い、つい先ほどの誤射事件と言い……ナデシコには問題が事欠かない。
第一、取り除く事に成功したとはいえ龍皇の接触が何を招いたのかを知らなければならないのだから。
「それに艦長。もし貴方がナデシコを降りたとき、どうするおつもりですかな?」
「それはもちろんアキトのお嫁さん!」
満面の笑顔で、僅かな曇りも無く。
プロスペクターはやれやれと言う表情だが、なぜかエリナは顔を「微妙に」引きつらせた。
「そう言う意味ではなく……ナデシコを降りるということはごく普通の生活をするのですか? それとも軍に入るのですか? いつまでもナデシコが空を飛んでいるとは限らないんですよ」
「そうよ。それに艦長、貴方は精神的にムラがありすぎます。リストラの対象にされないように気をつけて欲しいわ」
「…リストラ…ですか?」
「エリナさん、それは幾らなんでも言いすぎでしょう。取り敢えず艦長。これからの身の振り方を考えれば先ほどの提案も悪くは無いと思います」
そしてユリカは僅かな逡巡を見せると、それでも一瞬で答えを出した。
「ナデシコは、本社の提案を受け入れます」
それは、どのような思いで発した言葉だったのか。
まずは、ただ一言を放った。
それは何のことは無い、ごくごく単純で、拒否権の無い純粋な命令。
「これは決定事項である」
密談のために自室に引きこもったムネタケ。その目の前に映し出されているのはミスマル・コウイチロウ。
コウイチロウの目には普段の砕けた雰囲気など欠片も無い。ただ、一軍の頂点まで上り詰めた歴戦の勇士としての威厳と、一人の親としての苦悩がその目にあるのみだった。
「はい」
対しムネタケ。その目には狡猾な狐の光があった。ナデシコの作戦遂行能力に眩まされた、偽りの光かもしれないが。
「これよりナデシコは調整のためドックに入る。その間、クルー達を遊ばせておく訳にもいかぬのでな。アスカの新造戦艦のテストクルーとして組み込む」
「お言葉ですが…それには無理があるかと」
普段の言葉使いを何とか隠す。
「何故かね」
「まずクルーですが我が強すぎます。そして今回の騒動を見ても、営利組織としての側面も強い」
「龍皇……とやらか」
「徴発しますか?」
「いや、それは無理だ。今回戦時下という事で臨時徴発のための法案が議会に上ったのだが、否決されたよ。ネルガルからの要求でな」
その言葉は、サセボでの脅迫行為や不法占拠に端を発する。
「今はまず、彼らの能力を借り、われわれの戦力を増強する事だけで満足すればいいだろう」
ダン! ダン! ダン!!
激しい炸裂音と共にライフルが鉛弾を吐き出す!!
だが!!
「うわあああああ!!!???」
だが敵は、砲戦改はアキトが乗るときそのままに慣性を無視し、現実では既に破壊されたブレードを一閃する。
ガギン!!
フィールドが一瞬だけ防御したからか、僅かなタイムラグによって直撃を避けたアカツキは、それでも片腕を失ったまま後退した。
「なるほど……初対面で殴り飛ばされただけあって、僕はあれに苦手意識を持っているって事か」
そう言いながら残された左腕で腿の部分から目的の物を取り出す。
「さて、次に接近戦を仕掛けてきたときに……叩かせてもらう!!」
どうせ電脳空間、ならやるだけだとばかりに左手に吸着地雷を構えた。
そして近接戦闘しかない砲戦改は、ゆっくりと構えを取った。
一拍の後、背後に炎だけを残し瞬間で間合いを積める砲戦改! 対しアカツキは手に持った地雷を手に持ちそのままブレードを受け止めた!!
ヴゥゥゥぅゥゥゥォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!
ヴゥゥゥゥゥゥゥォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!
もはや一音にしか聞こえないほどの高速連射。硝煙が立ち込め重砲戦の姿が煙の向こうに霞みつつある。
「くそっ?! 何だあの高速連射は!」
今まで手を抜いていたのかと叫びたくなるのを抑え、一瞬の接触その過負荷でダウンしたフィールドジェネレータの復旧を待ちながらリョーコは全力で逃げていた。両腕の二連装ガトリング砲・計四門。その威力は凄まじく、射線上は大地がめくれ、無機質な金属模様が浮き上がっている。
ヴゥゥゥぅゥゥゥォォォォォォォ……カラ……カララララ……
ヴゥゥゥゥゥゥゥォォォォォォォ……カラ……カララララ……
「……弾切れかっ!! もらった!!」
フィールドに阻まれるライフルなど捨て、イミディエットナイフを構え、一瞬にして上空へ!! そして勢いそのままに急下降、頭部を狙う!!
そしてそのリョーコの動きとは裏腹に、ゆっくりとしてさえ見える速度で方の四連装ミサイルポッドからミサイルが飛び、同時にガトリング砲が大地に落ち、初めてその両腕が現れる。腕は迷う事の開く腰の後ろにマウントされていたバズーカを握り締め、ミサイル回避のためにスピードを失ったリョーコに狙いを定めた。
間違いなく、あのバズーカはこちらの弱ったフィールドを破る。
ならばそれは負けだと。
「甘いってんだよ!!」
そしてリョーコはフレーム側に最大速度で突進を命令すると、そのままアサルトピットを分離した。
機動力に劣る重砲戦には避ける術は無かった。
『ゲキガンビィーームッ!!』
その叫びが聞こえるか否や、ガイは全力でそれを避けた。後にはぞっとするような熱い空気が残り、僅かに掠めた足には装甲が溶けかけた跡がある。
「ちょっと待てオモイカネ、なんでテメエがゲキガンガーを!!」
そんなガイの叫びに取り合う事無くゲキガンガーは(何処からとも無く)剣を取り出し、ガイに迫る!!
『ゲキガンソード!!』
「うおおおおおおお!!?」
ギイィィィィィィィィィィィィ!!!!!
激しい熱が伴いながら、空気を削るような音を立てながら重ね合わせたクローでガイは真剣白羽取りを成功させ、そのままの状態で汗を一筋流した。
「おいおい、それ反則だぜ……」
この状況でそのような事を言うガイの目には輝き始めたゲキガンガーの目が映っている。
「受けて立ってやろうじゃねえか!」
『ゲキガ…』
「バァルカン!!」
その瞬間、激しい轟音と共にエステバリスのカメラアイの横、増設された頭部バルカン砲が激しく火を吹いた。ゲキガンガーの目を撃ち抜き、そのまま後方に飛び退る。
「悪いけどな、オモイカネ。……テメェがゲキガンガーを語るにゃ……1000年早いん…だよっ!!!」
その叫びと共に、周囲全てを炎が襲った。
とことことこ。
それは歩いていた。
とてとてとてとて。
垂直に木の幹を歩いて登り、てっぺんの枝へ。
そんな彼らが相打ちのようにオモイカネの自意識と戦っている間に、何時の間にか小人ルリが自分の手で「高枝切りバサミ」を使って剪定していた。
これを専門用語で「おとり」とか「陽動」または「だみぃ」と言う。
「皆さん、ありがとうございました!!」
滅多にない、しかしここに、満面に笑みを浮かべた、嬉しさを隠そうとしないルリの笑顔があった。
そしてオモイカネは、僅かに成長した。
人に近くなったと言って良い。
しかしAIである彼にとって、それは本当に幸せなものだろうか?
「あ〜あ、退屈だなぁ…」
そう言いながらも差し入れられた漫画から目を離そうとはしない。
リョーコとガイは「悪巧み」に連れて行かれてしまい、残ったのはウクレレの練習をしながら急に思い出したかのように凍え死にそうな寒い駄洒落を飛ばすイズミ、下心が見え見えな整備士達(メガネ属性)の見舞い。
医務室の反対側のベッドにいるのはムチウチと打撲で担ぎこまれてきたジュン。喉を痛めたのか声が出ないと言う。
そしてその横にはフクベのいない現在、最高齢のシュウエイがベッドの上で刀の手入れをし、到底近寄れそうにない。
「ホント、退屈……」
「それなら私が相手になりましょうか?」
ズイ、と現れたのはもちろんイネス。彼女としてもこの空気はいまいち堪え難いものがあるのかも知れない。
「じゃ、聞きますけどDFSってイネスさんとウリPが作ったんですよね」
「そうよ、今更聞かれるとは思わなかったけど」
「じゃ、なんであたし達に出来なかったのにテンカワ君だけあんなことが出来たんですか?」
あんな事、とは機動戦と平行してのDFSの使用のこと。
「貴方達にも出来るわよ、ウリバタケさんだってそのために働いているもの」
「出来るんですかホントに!?」
「訓練次第、調整次第よ。データは可能性はある、と言ってるわ」
「……出来るんだぁ……」
イネスのその言葉に目を輝かせるヒカル。
きっと頭の中にはDFSを華麗に振るう、ヒーローのような自分の姿が映っている事だろう。
だが、一方で全く別の事を考える者もいる。
例えばジュン。
つい焦るユリカを見て勢いだけでエステバリスに乗り込んで事故。
生き残った事に安堵しながらも、今更になってあの場面で自分がする事は別だったのではないかと、冷静になったからか見えていた。
そして、シュウエイとイネス。
脳裏に浮かぶのは、龍皇の前で起こった出来事。
「何故、貴方がここにいる!」
その叫びと共に額に巻かれた包帯の下から血が僅かに流れ出し、シュウエイは倒れた。慌てたアカツキが横から抱き起こす中で尚も睨むように見上げる。
そして子供のような陽気な声で、痛ましいほどに明るい声で語った。
「私はただのバグだよ。例え記憶と意識、感情を持っていてもね……。柳龍馬と言う男が死んだとき、龍皇が取り込んだバックアップデータ。その欠片」
そして誰もが口を開けずにいる中、言葉を続ける。
「龍皇は貴方達を敵と認識した。修復の為の眠りを無理矢理覚ました事によって。私はそれを押しとどめた。そして龍皇は私をウイルスとして消去する」
それは二度に及ぶ死を意味する。
そして最後に。
「だから頼む。私が消える前に龍皇を拘束するための<心>と<鎧>を作って欲しい」
そして鬣から光が消え、それと同時に幻のようにその姿は消えた。
あとには誰も無く、龍皇の左目、縦に長い爬虫類を思わせる虹彩を持つ眼が彼らを見下ろすだけだった。
「でもアオキさん、重砲戦…何であんな事になっちゃったんですか?」
思考の海に沈もうとしたシュウエイを引き戻したのは何気ない事を聞くかの様なヒカルの声。
だが、それこそが更に事体を悪化させる一言だったかもしれない。彼はヒカルからイネスへと向き直り、しかし誰に聞かせるでもなく、誰にでも聞こえる声を発した。
「蓮華を見た」
そして意味を理解できないヒカル、声を出せないジュンはそのままに、イネスは深い苦悩の色を見せた。
「本当に、蓮華なの?」
「ああ」
それきり二人とも黙ってしまう。
今度こそヒカルも、声をかけることが出来なかった。
海を望む場所、その脇にある防砂林の中に隠れ、それはいた。横たわるロボットの腕に背を預け、一人の青年が大地に腰を下ろして。
「さてこれで……大体のところは分かった」
そう言いながら端末をいじる。その手にはIFSに似てはいるが、異なるパターンが描かれている。また端末には奇妙な事に、今ではあまり使われる事のない漢字が多数映っている。
「取り敢えずクリムゾンに接触してみるか。こいつも修理しなければな」
そう言いながら青年、高杉三郎太は立ち上がった。たった一人で地球という戦場の中に降り、最新鋭機とは言えたった一機の「蓮華」を与えられて。
「しかしまあ……俺達に地球潜伏作戦をさせるなんて上も…上層部もそんなに<連盟>が怖いのかね……いや、そんなお人じゃないか」
くくく、と笑いつつも、三郎太は蓮華に乗りこんだ。
そして逡巡を見せる事無く海に飛び込んだ蓮華は全く水の抵抗を受けず、深く深く沈んでいった。
あとがき
まあ取り敢えず、これからしばらくは西欧編になります。
ここでジュン、戦場をその目で見ます。デルフィニウム登場時より遥かに明確に。
動かなくなったエステバリスから出る事も出来ずに、目をそむける事も出来ない状態で。
これでチハヤ登場前までの下準備は整った……か?
さて、ドック入りをするナデシコ。
かわってクルー達はデータ取りのために一時カグヤに乗船することに。そして、ユリカとカグヤによって過大なストレスの中に……?
ジュンの胃は、何時まで持つか?!
というかカグヤ、次からレギュラー入り…か?
でも次は西欧なんだよな……。またしばらく出番なし?
とかいう以前に新兵器と共に三郎太、地球に潜伏中。「上の命令」…一体誰の命令でしょうね?
草壁説と舞歌説、どちらにするか。
しかし三の字、木星とは違う地球の中で何を見るんでしょうか。取り敢えずカルチャーショックでも受けてもらいましょう。再登場したとき「ひたすら軽く」なるくらいに。
それより先に<灰>の更新すべきか? ……だよなあ。
代理人の感想
ううむ、ひょっとしてジュンって影の主役?
何気に重要なポジション任されてるような気がしないでもありません。
・・・・単に不幸への階段を音速で転げ落ちてるだけなのかもしれませんが(爆)。