機動戦艦ナデシコ <黒>
西欧編第二話 戦いの中。されど平穏な日々。
プツン!
別に、このような音が立ったわけでは無い。
しかし、そう思えるほどそれは唐突だった。
「何事だ!」
グラシスの叫びが飛ぶ!!
それに驚いたのか、サラとアリサはついしゃがみこんでしまう。
「停電です。すぐに予備電源が復旧……しない?! ナオ!」
しかし、いつまでたっても復旧しない。
グラシスと言う要人の存在を考慮し警備のしやすい場所を選んだはずだったが、セキュリティの働かないこの状況下では……危険なだけだ!
「敵襲の可能性がある。テツヤ、お前はグラシス中将とお嬢さんたちのガードを!! 俺は電源室に!」
そう叫び、ナオはサングラスを取る。
もしものときに目を守るためのサングラスだが、これを普段からしている分、目が暗闇に早く慣れるのだ。
「待ちたまえ。君達は昨日が初対面ではなかったのか?」
疑惑の声。
何かがあるのなら、この二人は危険というのなら、彼は「何か」を決断しなければならないからだ。
「昔の同僚です」
「……アイツが辞表をいきなり郵送してきてからは初めてです」
その返答には、何処となくナオを羨むものが混ざっていた。
「そのわりには、仲が良くないようだが?」
「気のせいです」
「お気になさらずに」
仲、については言及されたくないものがあるらしい。二人同時にその話を無理矢理切る。そしてその雰囲気の持つものに、グラシスは心当たりがあった。
「……そうか。しかし君達は此処にいてくれ。君達には二人のガードを頼む。……敵が来るとすれば、ここにいる儂を狙うだろうからな
」
グラシスはその顔に、ある種の悲壮さを貼り付けていた。
しかし双子は。
「ねえアリサ……どう思う?」
声を潜めながらアリサが尋ねる。
「多分姉さんと同じ事を考えてるわ……」
何となく、諦めの入った呟き。
「「……きっとそうなるわね……」」
はもる声は、苦笑いと共にあった。
「……良かったのかなあ?」
トウヤは何かを諦めるような顔で呟く。
「何が?」
「いやさ、今ごろハーリー君、大変だろうなと思ってさ」
「あ、それなら大丈夫。ちゃんとダッシュに記録頼んできたから」
「「……フミ姉……」」
アキトとトウヤ。さすがに『何が大丈夫なの?』と聞く気力など無い。ただただハーリーに……同情していた。
「ま、取り敢えずは……変質者の親玉を見に行きましょうか」
「いやだから、変質者の親玉と言う言い方は……拙くない?」
「いいの! あんなザコ軍団の親玉程度なんだから!」
宥めようとして、失敗した。
ストレス発散どころか、弱くて欲求不満になっているようだ。
「もしもの時はトウヤ……頼むぞ」
「そ、そんな……」
哀愁漂う風景だった。
「……なんだ、こりゃ?」
そうナオが呟いたのも無理からぬ事。眼前に広がる光景は、なかなかお目にかかれないであろう物だったから。
所謂トリモチに大勢の人間が張り付いている。バラエティー番組でも此処までしないと言うくらいに。芸が細かいところで、張り付いている人間の中の一人に至ってはカツラをわざわざ取り外されている。
「何遊んでるんだ、これは?」
「遊んでんじゃない! トラップだ!!」
「ナオ、とっとと俺達を助けろ!!」
年功序列というわけでは無いが、それ以前に実力順であるこの世界。彼らは自分の実力を見誤っている上にこの状況の意味を理解していない。
ムカついたのか、わざわざ考えを声に出す。
「……こんな所にトラップを仕掛けてるって事は、敵は既に潜入済み。ターゲットは一人だけ。すまん、俺戻るから後は自分で何とかしてくれ」
「ナオ、テメエ、後で覚えてろよ!!」
「ごめんな、俺、女性の携帯番号以外はさっさと忘れる事にしてるんだ! ……健闘を祈る♪」
「ナオォォォ!!! ヘイル・トゥ・ユーーーッ!!!」
「……って、何だよ、これは?」
後ろを振り向いた瞬間、その目に映ったのは、……なんで今まで引っかからなかったのか不思議になるほどの罠の群れ。ところどころ「此処に注意!」「危険、引き返せ」「立ち入り禁止」「天地無用」「火気厳禁」エトセトラ、エトセトラ……。
「ま、引っかからなかったんだ。どうせ悪戯程度だろ」
そう言いつつ、胸のポケットからペンを取り出し投げる。
ぽんっ……こん、こん、バシュッ!!!
「……嘘だろ?! げほっごほごほげほっ」
吹き出す液体!!
しかし何故かペンの落ちた場所には行かず、狙い済ましたかのようにナオの顔に!!
死んだかとさえ思った瞬間。そして次の瞬間ナオは悟った。
「……墨汁?」
そして目を何とか開けられるようになって、発射源を見ると『捻り鉢巻をしてたこ焼きを焼いている蛸』の絵が書かれていた。
目をガードするためにサングラスをもう一度かける。
すると歩き出した途端に、足元にある黒いバッテンに気づかず、金ダライが上から落ちてくる。何とか安全域である後ろに飛びのくと、今度はそこにトリモチが仕掛けられている。
どうしても取れない靴を諦め裸足で歩くと、今度は氷交じりの水がザバーッっと床を舐めていく。
仕方なしに靴下を脱ぐと、今度は床一面に画鋲が。
シャツを脱いで、ほうき代わりにして掃く。
なんとか画鋲原(地雷原?)をぬけると、送風機(エアコン)がいきなり動き出し、画鋲の海を埋めていく。
「……なんで俺がこんな事……」
ジャンプで越えるには、少々遠いらしい。
呟きに、複雑なものが混ざった。
その呟きを遮るような声。
「全く。フミ姉のトラップは手を焼くからな。悪戯そのものってところが頭に来るし」
ジャキン!
瞬間、まさに刹那に引き抜かれるグロッグ17。扱いやすさと威力を追求し、おそらくは趣味を加味して選んだ優れた銃。
「何者だ?!」
「何者、じゃない。お前達だろ、先に襲ってきたのは」
黒い影。
スラックスとワイシャツ。ベスト。全てが黒で統一されている。ただ緩く巻かれたネクタイだけが一転、紅かった。
「趣味悪いな」
「こんな場所なら、こういう色の方が便利だからな」
「まあ、な。……テニシアン島での借り、返させてもらうぜ」
「雇い主の意向は?」
「お前を連れて行くこと。どうせ会いに行くつもりは無いんだろう? なら力ずくででも連れて行くしかないからな」
半身に体の向きを変え、立ち会う。
「靴も無しにやる気か?」
その言葉への答えは、電光石火の蹴りだった。
足の甲を逆に砕くつもりで肘で迎撃……その寸前に停止。膝で軌道を逸らし、鼻先を掠める。
「裸足での蹴りくらい、訓練してるさ」
「そのようだな」
「……これが軍の推薦したガードかね?」
半ばあきれ果てながらグラシス。
しかし、それを客観的に見ていたテツヤは言う。
「いや。弁護するわけでは無いが……罠の組み方が上手い。挑発の具合もだが、それ以前に回避方向に対して二重三重に敷かれている。多少独断先行の嫌いがあるが、それを差し引いても有能だ。……わざわざこんな所にこのコントを届に来たわけじゃないんだろう」
そして視線の先には一人の女性。
停電の中、この映像……空中投影式のコミュニケを持ちうるのは。
「そうですね。でもアタシがここに一人で来ている事の意味だって分からないんでしょう?」
不敵な笑みを浮かべるのはフミカ。こんな場所にいると言うのに、白のサマーセーターに赤いロングスカート。手にはブロンドのウイッグ(ブロンド)。出所は不明だが嫌がらせの意味を持っているのだろう。この姿は。
ニコニコとまるで太陽のような笑顔の彼女を見て、サラがおずおずと手をあげながら質問する。
「フミカさん、もしかして……怒ってます?」
「えー? なんでー?」
さらに強張った顔でアリサがもう一つ質問する。
「……アキトは?」
「さぁ? きっと何かしてると思うけど?」
そして張り付いた笑顔を変える事無く向き直る。その視線の先にはテツヤ。
「手ぇあげといて。じゃないと、それなりに対処するよ?」
何時の間にだろう。フミカの手にあるのはライアットガン。弾頭は無論暴徒鎮圧用のゴムスタン弾。
テツヤはゆっくりと手をあげると、その手に握りかけていた銃を落とした。
カタン。
セーフティが働いていたのだろう。暴発する事無く、硬く澄んだ音を立てて銃は床に落ちた。
一転。
爪先がその銃を蹴り上げ、フミカの顔へ。
避ける。
崩れた体勢を戻すよりも先に踏み込まれ、指を伸ばせば届く距離に。
テツヤの抜き手が繰り出される。
ライアットガンの銃身で防ぐが、テツヤは痛痒を感じた風でもなく手を捻り、力任せにそのまま掴み、床にたたきつける。
床に向いた手を戻すよりも先に曲がった肘を突きつけるように鳩尾へ。
十字受け。
そのまま肘を支点に腕を伸ばし、裏拳。
頭部への損傷を避けるため、しかし避けきれず肩への一撃。
手が伸ばされた事は肘の圧迫が終わった事を意味し、反撃にとフミカの手がそのまま伸ばされ、筋肉の薄い肋骨の一番下をしたたかに打ち付ける。
ぼきり。
形容し難い音。
それの発生源はどちらだったか。
「……やるな」
「そっちもね♪」
互いに、額から流れる汗を感じている。
空気が、燃えている。
しかし慌てたのは双子達!
「ちょ、ちょっとカタオカさん!! それにフミカさんもやめて下さい!! サラも何とか言って!」
「え、ええそうね! お爺様も何か言ってください!!」
だが。
「もう儂には止められん」
「そんな!」
「もし止められるとすれば……「彼」くらいの物では無いかね?」
そう言いつつ、姿勢を変える事無く視線のみを後ろに向ける。
そこに立っていたのは、……失礼ながら、余りに似合った女装姿のトウヤ。しかし彼の手は、いつも覆われている筈の左腕が、義手が露呈している。
「すみませんサラさん、アリサさん。一度ああなったらフミ姉は止まりません。止められるのは『本気』になった隊長だけですから」
その「本気」という言葉の裏に見えたのは恐怖か。
「それじゃ、アキトさんは?!」
「来てるんでしょ、あの二人を止めたいんです、呼んでください!」
しかし。
「もう帰りましたよ。敵、が出たそうです」
「……敵? 木星蜥蜴!?」
「いえ、もっと厄介なものです」
何時の間にかウインドウの向こうではナオが床に伏せていた。
「あたたたたた……」
そう言いつつ、腕をさすりながら。また具合を確かめるように腕を肩からぐるぐると回す。すっと息を吸い、腕をあげてポーズを取る。
「フミカさん・WIN! Excelent!!」
「ダメージ負ってるじゃない」
「聞こえたわよ」
引きつる顔。
トウヤは下がるに下がれず、視線を僅かに下に向ける。そこには肺に受けた衝撃で呼吸困難に陥っているテツヤを余所にフミカは全員を視界に収められる位置まで下がる。
「で、あたし達を拉致しようとした変質者軍団の親玉があなたね」
「え?」
「あの、フミカさんそれって?」
驚いたのか、声の出ないグラシスと、間の抜けた顔で質問してくる双子達。
「それって、じゃないわよ。いきなり武装した黒服が囲んで連行するなんて言ったら誰だって反撃するわよ」
「馬鹿な! わしはそんな事は言っておらん!!」
「言ってなくとも、そう取れる命令を出したんじゃない? 軍人ってのはどうでも取れるあいまいな命令を出して、上手くいけば自分が。失敗すれば部下の首を切るものでしょ?」
嘲る。
とても暗い、彼女を知る人間ならば、何故これほどと驚愕するほどに。
嘲る。
「儂は……」
「で、人を呼びつけて何をしようとしたんですか? まさか、興味本位で会いたかったんですか?」
後ろからかかってきた声も余り好意的とは言えない物だった。
「無いとは言えん」
「それならあなたの側から出向くべきだったんですよ」
「うちはレストランだからね。それなりにかかるけど貸切だって受け付けてるから」
そう言いながら二人は連れ立ってドアへと歩いていく。
そしてその背後にかかる声。
「……君達は、何故戦うのかね」
そして返答は単純極まりないものだった。
「あの光景をもう見たくないからよ」
「戦う事の向こうに自分にとっての意味があるからです」
そして、と付け加える。
「おそらく、全てを見届けなければこの戦いは終わらないわ」
「それが出来るのは、隊長だけです。あの人の後ろを守る事。それが今の僕の意味です」
「見てると楽しいってのもあるよ♪」
「……フミ姉、それ聞いたらまた潰れますよ」
「大丈夫大丈夫。どうせ五分もすれば復活するわよ」
たった一瞬で、何事も無かったかのように二人は消えていった。
残された彼らが言葉を発したのは、ほんの数分後、復旧した電灯の光の下でのことだった。
「……フミカさん、トウヤ君……あんな顔するんだ」
半ば呆けたように、呆然としたアリサ。
しかしグラシスはもう一つの事に思いをはせた。
「彼らの言うのはテンカワ・アキト君の事だな」
「はい、おそらくは」
「……二人とも、彼のことが好きなんだな」
「「…はい」」
「なら、やってみるといい。何かを知る事も出来るだろう。……ガードが戻ってきたら一度儂から会いに行ってみるよ」
その頃の「ゆ〜とぴあ」倉庫内。
レイナとラピス、ハーリーは談笑していた。
「へえ、二人とも、いつもお手伝いしてるんだ。偉いねぇ」
そう言いながら二人の頭をなでるレイナ。ハーリーは気恥ずかしそうにしているが、ラピスは目を細めて嬉しそうにしている。何となく猫っぽい。
「いえ。ここの決まりで『働かざるもの食うべからず』っていうのがあるんです」
「でもまだ、二人とも小学校まだなんでしょ?」
「年はそうなんですけどね」
ははは、と笑う。
何でここにいるかという理由は到底話せるものでは無いので、ごまかすしかないのだが。
「そう言えば」
と、ラピス。
「アキトたちは? お姉ちゃんもいないし」
「? そう言えばアキトたち、何処行ったのかしら?」
「(は、はは……)さ、さあ? 何か買い出しにでも行ったんじゃない?」
何とか誤魔化そうとしているようだが、それ以前に言葉にした時点で……やはりハーリーと言わずにはいられない。
「はーりぃ?」
「ハーリー君?」
「な、なんですか? レイナさんもラピスも……」
にじり寄る。
じりじり下がる。
しかし椅子に座ったままでは逃げようが無いし、それ以前に…今逃げれば、後からどうなるか分かったものでは無い。
会話に参加していないダッシュはと言うと「我関せず」とばかりに黙々とストローで冷却水を口から飲んでいる。ある意味悪趣味な構造をしていると言わざるをえない。
「いや、あの、その……」
言い淀むハーリー。
脳裏に浮かぶのは、フミカの言葉。
『ラピスちゃんには内緒にしておいてね♪ もしバレたら……きっと楽しいわよ♪』
絶対に、言えない。
ハーリーはまさに「前門の虎、後門の狼」を体感していた。
そして選んだのは。
「ダッシュならきっと知ってると思うよ」
さっさとダッシュを売る事だった。
<は、ハーリー?! な、なな0101110100101>
データエラーが起きたのか……後半の言葉は、全く人間の耳には聞き取れるものではなかった。人間に近い、感情(喜怒哀楽、そして恐怖)を持つというのも考えようである。
「へえ、ダッシュ、知ってるんだ」
「ダッシュ君、改造、好き?」
そんな二人を前にダッシュは……動けなかった。人間風に言えば、腰を抜かしたというところか?
しかしこの時、一人の来訪者が現れた。
犠牲者とも言うが。
「ごめんくださーい。どなたかいらっしゃいませんかー?」
硬い声。
緊張ではない。どちらかと言うと、性格から来ているものであろう。
<?! お客さん……見てくるね>
「あ、こら逃げるなダッシュ!! 裏切り者おぉ〜〜」
急に立ち上がり、名前の通りキャタピラダッシュで入り口へと逃げ出すダッシュ!
そして残されるハーリー!
「「じゃ、ハーリー(君)…教えてくれるよね?」」
カウントダウン……ゼロ。
「うわああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
「……なんだ、今の『潰れたカエルに爆竹を食らわせて飛び散ったのを見て、それが自分の顔についてるのを知った子供のような悲鳴』は?」
倉庫の奥から聞こえてきた、この世の果てからの叫び声のようなそれを耳にして冷や汗を流す青年。何となく、生物が持つ危険回避の能力が何かを叫んでいたような気もしているようだ。
<どちら様ですか?>
「え? って、今の声……これか?」
<これ、ではありません。ダッシュと言います>
これ呼ばわりに反発するダッシュ。
それを見て驚く青年。
<返答が無い場合、不法侵入者として通報、または撃退しますが?>
そう言いつつも、指先で放電現象が既に起こっている。殺(や)る気満々と言うところか? いや、それ以前に今バタンと言う音を立てて閉まった、青年の背後の扉の意味は?!
それ以前にセキュリティの全てをダッシュが握っているこの現状は……余りにも恐ろしい!
「い、いや、今度隣の基地で世話になるんだけど、ここが一番近い飯屋だって聞いたから!」
<確かにそうですが、今日は定休日ですよ。それに此処は倉庫だったり厨房だったり宿泊施設だったり……あなた、不審人物ですね>
「それは知ってる! けどココ、有名なパイロットがいるって聞いて! 話を聞けないかと思って!! 正直に言ったんだからそのバチバチを止めてくれ!!」
<で、あなたは結局誰なんですか?>
「タカスギ・サブロウタ! クリムゾンの派遣社員!! 今度隣にパイロットとしてテストに来たんだ!!」
<分かりました>
そう言ってマニピュレータを閉じるダッシュ。扉もいつのまにか開いている。
それを確認してサブロウタは全身に冷や汗をかいているのを自覚した。
(地球のロボットテクノロジーって、ここまで進んでいるのか……?!)
<今日はパイロットの人たちは皆さんでかけています。ご用件があれば承りますが?>
「いや、今日のところはただの挨拶に……おや?」
ダダダダダダダダダ!!!
サブロウタ目掛けて。否、出口目掛けて走ってくるハーリー!
その動きは到底子供とは思えないほどの速さだ!
しかし!!
「ダッシュ、ドア!!」
<キー、ロック>
ごおおおおおおおおおおおおおおおんんんんんんんん!!!
トゥーンアニメを思わせるスラップスティックな光景が……生で見れるなど、サブロウタは運が良いと思わざるをえない。
「痛そうだな。……おい君、大丈夫か?」
「……た、助けてください! あなたが何処の何方かは知りませんが!! 此処に来たのが運の尽きだと思って!!」
到底聞き流せる事では無いハーリーの叫び。
いつのまにやら閉まったドア。
「もしかして……四面楚歌?」
「うわあああああ!! 来たあああああ!!!」
ハーリーの叫びと共に、サブロウタは『こんな事のために地球に来たんじゃないのに……』と、薄れ行く意識で思ったとか、思わなかったとか。
極秘事項。
当日、サブロウタとハーリーは義兄弟の契りを交わし、翌日、子供に酒を飲ませたとしてフミカに折檻される事になる。
折檻の内容は、誰もが聞こうとしないほどに…二人が憔悴していた事により聞きだすことは断念された。
軍基地内・格納庫。
ここにあるのはエステバリスと、そのパーツ。IFS自体が普及していない地球では一般人には馴染みが無い上、つい最近までの軍の悪評を払拭するために見学コースを設置したりもしていた。
エステバリスの中にたった一体ある不可思議な機体。侍を思わせる装束。それの名は蓮華。
「……やっぱりか」
エネルギージェネレーター。今までのエステバリスとは全く別の、一線を画す筐体。見覚えのあるそれに対し、声が漏れた。
「? 何しとる若者」
「……爺さんか。何時の間に来た?」
「おぬしがブツブツ言っとる間にな」
そう言って飄々と、「ひょっひょっひょ」と笑う。気配を感じさせない事と言い、その笑いが風体とあいまって余計に仙人じみている。
「爺さんは驚かないのか? 新型の中身見てるようなのが居るってのに」
「おぬしが『敵』ならな」
「……何を持って敵なんだい?」
沈黙が落ちる。
「自分に敵対するから敵? 命の危機だから、襲ってくるから敵? 異なる思想を持つから敵?」
答えは無い。
「俺にとっての敵は『戦争を望む者』と『平和を疎む者』だ。犠牲の事を考えずにただ戦争をしたいだけの連中が……憎いんだ」
三度、沈黙。
ただ音があるとすれば、遠くから聞こえてくる車のエンジン音と、床に落ちる、アキトの手から流れる血の滴。
「爺さん、アンタ『ラウ家』の人間なんだろ?」
「……」
言葉は無い。しかしその表情が雄弁に語っていた。
「……俺はただ、戦争で泣く人間をもう見たくないだけなんだ」
「若者よ。名は?」
「テンカワ・アキト。もう一つの名は、柳秋人」
「そうか。……儂はもう名乗るべき自分の名さえ忘れてしまったよ。もし呼ぶなら柳(ラウ)と呼べ」
強く硬い沈黙。
果てなく続くかと思われた沈黙の中、やがて声が聞こえた。
「テンカワ・アキト君だね」
「ああ。しかし人に名を尋ねる時は自分から名乗るのが礼儀じゃないのか? 例え相手が自分の事を知っていても」
だからこそか?
敬語を忘れた人間に対し、あまりに強く硬い声で答えたのは。
「失礼。儂の名は、グラシス・ファー・ハーテッドと言う……」
この時に語られた言葉は世界を大きく、言葉では言い表せないほどに激しく変化させた。
後日談。
「ハーリー? サブロウタさん?」
なにやら精も根も尽き果てた二人を、棒でつつくラピスとダッシュ。
「駄目かな?」
<疲労が蓄積してる。今日一日くらいは忘れていてあげた方が良いのかもしれないよ?>
「いや〜、多芸多才、羨ましいなぁ。アキト、お前一体何やってる人なんだ?」
「……」
等と朗らかに喋るのはナオ。口からチャーハンが飛んだような気もする。
隣ではレアステーキ、それも「血が滴り落ちるようなのを」と注文し、黙々と美味そうに食っているテツヤ。
「あ、それ私も興味あります!」
「うんうん! 私もね!」
便乗するのはサラとアリサ。ちなみにカウンターになっているテーブルでテツヤ、ナオ、一つ空けてアリサ、サラの順で並んでいる。
少し離れたところからはレイナが、何処で手に入れてきたのか、ウェイトレスそのものという格好でテーブルを回りながらも聞き耳を立てている。
「ま、色々と。元々料理人になりたかったんですけどね。俺を育ててくれた人が物凄い人で……何時の間にかこうなっていたというのが実情なんですよ」
と返す。
別にこれ以上この事に話を長引かせて欲しいとは思わず、切るように纏める。そう、アキトの脳裏には『地獄の特訓』がエンドレスで再生されているのだから。ちなみに音楽は「地獄の黙示録」をイメージして欲しい。
「で、ナオさんにテツヤさん。あなた達こそこんなところにいて良いんですか?」
その言葉に、してやったりという表情を浮かべ箸を止めるナオとナイフを置くテツヤ。
「俺はこの二人の身辺警護に任務が変更してな」
と、「グラシスは爺馬鹿だ」と言いたげに漏らすナオ。
「軍と民間の摩擦の原因取り除くための監査だ」
事実を淡々と話すテツヤ。しかし、話し終わって口にしたのはコーヒー。それも見た目に甘そうな缶コーヒー。似合ってない事この上ない。
慣れているナオは何も言わないが、他三人の視線を受けてテツヤは言葉を漏らす。
「似合わないか?」
「ああ」
「ええ」
「ぜんっぜん」
容赦無く、似合わないと返す三人。ナオにいたっては失笑をかみ殺しきれずに漏らしている。
「……。昔親父が仕事から帰ってくると、美味そうにこれを飲んでいたんだよ。甘党でもない親父が何でそんなに美味そうに飲んでいるのか知りたくてな、それで飲んでいるんだよ」
感慨深そうに、何かを吐き出すかのようなテツヤの声に、何かが重なった。
だからこそ、嫌がらせにこう言ったのだ。
「へえ……テツヤって……ファザコンだったのか?」
ジャキン。
黒光りする鉄の固まり。
「ナオ。長いようで短い付き合いだったな」
本気の目。
しかしナオは冷静に言い返した。
「テツヤ、お前……確かその上シスコンだったよな」
ジャキ。
撃鉄が上がった音が、寒々しく響く。
「……確かその上、アブナイ兄妹だって噂もあるしな」
「ナオ……次に会うのは地獄だな」
ずいっ。
「はい、ストップ」
そう言いつつ二人の目の前に出されるククリナイフ。新品なのか曇りは無く、透明な光を反射している。だからこそ、冷徹なまでの切れ味を想像させる。
「で、あなた達はもともとグラシスさんのガードでしょ? そんな人が此処にわざわざくるのに、それだけの理由なんですか?」
軍の、それも一方面軍とは言えそのトップに対して配属されるほどの男だ。
軍の外に放出するなど余りにもったいない話だ。先ほどの話が全てとは思えない。
だからこそ、アキトはこの瞬間、地雷を盛大に踏んでしまった。
「「これが俺達の最重要任務だ」」
そう言って、それを双子達に見せた後、テーブルに置いた……未成年であるサラ・アリサ用に、保護者であるグラシスのサインが入った、いわゆる「婚姻届」。
……そして。
「な、なんですかこれはっ!?」
「国籍変更のための申請書だ。……何しろ、ここにある婚姻届は二つだからな」
「グラシスの爺さんの推薦書尽きだ。お前のサインが入れば即日で通るぞ」
楽しそうに話すナオと、淡々と逃げようの無い事実を語るテツヤ。二人の話す内容に隙は無い!!
そしてサラとアリサ。
「アキト!」
「アキトさん!!」
「な、何?!」
一瞬デジャブ(既視感)を覚えるアキト。
(こ、この気配……まさかこの二人、ユリカとカグヤちゃんと……)
「「ココにサインしてください!!」」
(……同じだぁぁぁぁ!!)
心と言うものは、脂汗を流せるものなんだ。それが今日この日、アキトが感じた最たるものだった。
そんな時にかかる声。
(天の助けか!?)
普段の行いを鑑みれば、そんな考えはどぶに捨てろと言いたくなる。実際に……。
「ね、アキト」
「レイナちゃん! 助け…」
「私も立候補して良い?」
空気って、凍るんだな……そう思った瞬間だった。
「やるなあ」
そう言いながら、太陽の高いうちから酒を飲んでいるシュン。基地が半壊して前線基地を仮運営している身にしては余裕が見て取れる。言うまでも無いが、オプションとかマルチプルとまで呼ばれているカズシは書類整理に追われていた。何故シュンがここに居るかは気になさらずに。
別にシュンが押し付けたわけでは無いが。
「もてるってのは羨ましいですよ」
逆に実感のこもった声が横から聞こえてくる。
「トウヤ君だってもてるんじゃないか?」
「この顔の所為で、そこまで話が進んだ事って無いんですよ」
そう言いつつ溜息を深々と吐く。
確かに、彼の容姿は遠目には(相当近くでも)女の子にしか見えない。生半な容姿では逆に退いてしまうのか?
そこまで考えて、すぐ背後で楽しそうに笑っているフミカに目が行った。
(……なるほど)
「ま、トウヤは今しばらく独り身って事で置いといて。お客さんよ」
その向こうには、テア食材店(むろん現地語)と書かれたトラックと、其処から出てくる人たちの姿を捉えていた。
「え? あ、ミリアさん! メティちゃんにおじさんも!! フミ姉、ちょっと隊長呼んでくるから後お願い!」
そう言って、聞こえない距離になったのを確認してシュンは口にした。
「フミカ君、君もやるねえ」
「何の事かしら? ヲホホホホホホホホホ」
狐と狸の化かし合いと言う言葉が、これほど似合う二人もおるまい。
もっとも外からこの二人を見た人間ならば「まさに魔女の大釜!」とでも言うだろう。
「……おいアキト」
「なんですか、ナオさん」
「あの美人のお嬢さん、誰だ?」
「ミリアさんですか? いつも材料を買ってる業者さんの娘さんですけど。……ナオさん?」
ナオは機械じみた動きでナプキンを取りだし、口元を拭き、ネクタイを軽く締めなおすと歩き始めた。
「……またか」
そう言うテツヤの声には、自由に動いているナオに対する羨望が見て取れた。憧れる……ほんの僅かに似たものを持つ、アキトにだけ分かる程度に。
「お嬢さん、少々お話よろしいでしょうか?」
「はぁ」
ちょっと離れた場所で、話題探しするナオの姿は、きっと格好のカモにされることだろう。
「くっくっく……楽しそうだな」
意地の悪い笑いをするシュン。
もっとも、その隣で休憩中の彼女に比べれば随分と真人間に近い笑みだと……言わざるをえないが。
「そうそう。見てる分には楽しいよ♪ シュンさんはどっちが勝つと思う?」
「テンカワ、押しが弱そうだからな。押し切れずにズルズル行くんじゃないか? ……基地に戻って賭けでも始めるか。タイトルは……そうだな『牝馬限定・テンカワアキト争奪障害レース』だな」
いつの時代も、傍観者と言うものは気楽で『人の不幸は蜜の味』などと考えているものなのだろう。
その頃のグラシス中将。
彼は自宅で安楽椅子に腰掛け、禁煙用にと作ったハーブを入れたパイプを吸っていた。そのパイプを口から離し、誰にとも無く呟いた。
「ふふふ……。テンカワ君。君の宿題は、必ず解いてみせよう……。しかし、これくらいの意趣返しはしても良いだろう……?」
彼は、とても楽しそうに笑った。
「はは、ははは……。わはははははははははははは!!!!!!!」
まるで、笑うことを忘れていた人間が、何十年か振りに笑う事を思い出したような、海賊もかくやというほどの豪快な、大音声の笑い声だった。
あとがき
フミカさんが暴走しています。
もともとのイメージ「佐倉 椿(彼氏彼女の事情)」だったのですが。何時の間にかケンカ売りの名人である「エフェメラ(ルナルサーガ)」「リナ・インバース(スレイヤーズ)」が混ざってしまいました。
トウヤは無論、「リジィオ(道士リジィオ)」「ハレ(ジャングルはいつもハレのちグゥ)」だったりします。
それともう一つ。
何故かテツヤが此処にいます。彼には、もう少し動いてもらうつもりです。
しかし……表面上のうのうとしている割に腹の中に色々と抱え込んでいるアキト。テツヤとは話があいそうだな。
ちなみにテツヤとナオのイメージは「陰険漫才」とでも申しましょうか。リアルバウトハイスクールの泉谷万騎と九条鳴海をイメージしております。
ところでグラシスとアキト、一体何を話したんでしょうねぇ?
書いていて、自分でも怪しいと思いましたし。
代理人の感想
鐵甲無敵フミカ姉ですな(笑)。
アキトもナオもテツヤもグラシスも、シュンですら暴走する彼女を止められない!
(もちろん、トウヤは論外)
唯一フミカにダメージを与えられるのはラピスの「純真な笑顔アタック」のみ!
んん?
待てよ?
「唯一」ってことは・・・ハーリーは既に汚れてるってこと(核爆)?
追伸
ああ言うテツヤは実に新鮮でしたねぇ(爆笑)。
ジュンとの対決(爆)が非常に楽しみでなりません(おおわらい)。