機動戦艦ナデシコ<黒>
西欧編第四話 銃声の告げる、日々の終わり。
三日目。
一昼夜を超える戦闘。
戦闘に継ぐ戦闘。
それは、人々の精神を著しく消耗させ、正常な判断力を失う者など、数えるのも馬鹿らしいほどになった。
消耗を避けるために薬物に手を出す者とて居た。
そして、それに狂い、味方を攻撃し、そして取り押さえられ、それどころか殺されるものも。
戦うことの狂気が、しかし戦いを忌避する心がこの地に生まれつつあった。
人はどちらを選択するのか?
生き延びるための戦いを、敵を倒すために、それとも仲間を守るために。
もっとも、最初からそれを選択して戦い続けていた者も居た。いや正確に言えば明るさを失わず、ということだ。
とりあえず、飛行に回していたエネルギーをフィールドに回しつつ、修理を始めたナデシコ。地上に降り立ちながら、内部ではまた、いくつもの人間模様が描かれていた。
そう、修羅の宴が行われている格納庫を強制閉鎖し、例の薬が切れるまで隔離する事を決め込んだ一行。……「生存者」は第二格納庫を使うことにした。……いやいやながらだったが。
ダッシュの一言に、副操舵士の彼女は本気で激怒した。そう、彼女がのし上がるために必要な……力の顕現とでも呼ぶべき存在のことを、引き渡せという言葉に。
「EXを寄越せ、ですってぇ?! ふざけないで!!」
<ふざけてなんていません、これはネルガル会長との正確な契約によるものです。契約内容は話せませんが……>
「な、……あんのバ会長が……」
思い当たる事がありすぎるのか、額に一個、バッテンが浮き上がった。
そんなときにメグミがふと。
「アカツキ機、被弾。……帰還します。ウリバタケさん、お願いします」
『おう任せとけ! キッツイお仕置き付で再出撃させてやるぜ!!』
さて、これは偶然であったろうか?
「ち、あの馬鹿……」
<……ばれますよ>
「! 知ってるの?」
<さあ。僕、AIですから>
『それ、パクリです』
「……」
<……>
「今、何か……聞えなかった?」
<実行:診断プログラム:内部エラーと判定。通常モードに復帰します……は、何か言われましたか?>
バレバレのごまかしだった。
それ以上は何も言うまい。
「まあ、いい……詮索は後でしよう……仕返しもな……だがしかし!! 今はこれを見よ!!」
そんな声が、底光りするメガネの奥から聞こえたような気がした。
ダッシュの表面を水滴が一滴落ちた。いや、後から後からまるで滝のように。
やはりどこか循環冷却系に故障がある、そう思いながらも……ハングアップしそうになるプログラムに新しい情報を加えるべく言葉を発することにした。
<すみません。僕のライブラリが正しければ……これは漁船ではありませんか?>
「ふっ…そうよ! これは食料調達用の漁船!! だが!! 市民から嫌われまくった、軍から村八分にされたナデシコの切迫した食糧事情を一変させた決戦兵器だ!! 食糧確保も戦争の基本だからな!!」
対し、ウリバタケは何故か全くの無傷で背に「金剛羅刹丸」と書かれた巨大スパナをさしている。第一格納庫がどうなっているかは、誰も聞かない、口を開かない。
<あの〜〜オモイカネ兄さん、他の整備員の人たちは……?>
<モニターカメラが故障。ケーブル破損による物理的遮断と推測、乱闘開始42秒よりの情報は無し>
<……そ、そう>
なぜか回線ではなく、わざわざ言葉にして会話するAIにウリバタケは大いに好奇心を刺激されたが、なけなしの理性でそれを押さえ込む事に成功した。
<あの、エリナさん?>
と、ここまで言って言葉をとぎらせた。まあ、有体に言えば修羅がそこに居たからだ。
「ごめんなさいね、今ナデシコは修理中なの。整備員がちゃんとしていれば飛ぶくらいは簡単だったの。送ってあげられたのに残念ね♪」
にっこり微笑むエリナの目に炎が、背後に氷山が、その上にオットセイを咥えたホッキョクグマが……居たような気がした。あくまでAIであるダッシュの主観であるが。……ダッシュの?
<あ、でもその、そう、そうですよ! モノは何しろEX! 誰か護衛を!>
しかしエリナは指差すだけ。
その背後にいるパイロット軍団を。
「すまねえナナコさん……海は見に行けそうにない……」
などと言いつつ、しかし往年のボクシング漫画のラストのような姿のヤマダ。
「ガイ……ガイ――――ッ!!!」
しかし付き合いはいいもので、ヒカルはアイパッチと出っ歯のおもちゃを付け、叫んでいた。
「すまね…俺、パスさせてもらうわ」
こちらは至極普通に、ミーティングルームのソファにごろりと寝転がったリョーコ。
いくらフィールドランサーと言う新型兵器があろうとも、身一つで戦艦に特攻をかける胆力を発揮するのは酷く、心身を消耗させるものだ。
「そーいや、これ以上のことをテンカワは火星突入の時にやったっけ……」
事実は、特攻をかけた際に次々と誘爆が起こっただけで、そう大したものではないのだが、それでも戦果と言うことでは比べるべくも無い。
<……アカツキさんは?>
「さあ? なんかよ、エリナの顔を見たらとっとと逃げちまったよ。(……あの事がばれたか?)」
後半は、小声で口の中だけで呟くウリバタケ。
だがなぜかエリナの「ぎらりん」と輝く目がウリバタケを見つめていた。
そしてその雰囲気はこう黙して語っていた。
『ばらして楽になりなさい』
と。
<で、シュウエイさんは? 新型機のテストをすると聞いたのですが>
「……はて? そう言えば……おいジュン! ダンナが何処行ったか知らねぇか?」
『シュウエイさんですか? ……途中に難民キャンプがあって……そちらの警護に回ったと思いますけど?』
「……」
「……」
<……>
教科書とにらめっこしているジュンの姿を見て、三人は同時に一つの結論に達した。
「駄目ね」
「ああ、アイツは横からサポートする方が似合ってる」
<所詮、主役にはなれないと言うことでしょうか?>
幸いな事に、ジュンの耳には届かなかった。
もっとも、後日それを聞いたプロスペクターによって、ジュンの給与が目に見えて目減りしていたと言うのは余録である。
そして、その反対側、地上へと開放されたゲート付近では二人の男がいた。
かがみ込み、何かを考え込んでいたその男が立ち上がった。何の表情も浮かべず、何も持たずに。
「……行くのか?」
「ええ」
「今行けば死ぬぞ、それもバッタに殺される」
「今の俺に信念というものはありませんよ。くだらなくても、惨めでも、喜劇でも。俺はそれしか見えないんですから」
「……次は、敵だ」
「わかってますよ……」
そして、サイトウと呼ばれたその男は、戦場と戦場の間隙の中に消えていった。
「不器用な男だ……もっとも、器用な男など俺は知らんがな…くくっ」
自嘲の笑み、いや笑いであるなどとは到底見えない空気がテツヤの口から漏れた……。
そして「さて」と声を出すと、テツヤは車を借りるために誰かを捕まえようと歩き出した。
真実を知るであろうアキトと会うために、自分の向かう先を決めるために。
「まったく……貴方がここに来るなんてね。てっきりテツヤが来ると思ったのに」
そう言うライザは、やけに小さく見えた。
まるで、居場所を無くした子供のように、迷い猫のように。猫ならば、小さい体と、それから派生する素早い動き、そして牙と爪を兼ね備えている。しかし、今のライザのそれは…母を失った子猫を思わせた。
そう、と手を伸ばし、コミュニケのスイッチを入れる。
「……貴方は、何を望んでいたんですか?」
「望み? そんなものは」
「あるんでしょう? だから……こんな事をした。自分でも分かっているんでしょう?」
それは、諭すような言葉だった。
胸の奥、心の奥底に隠している言葉。それをさらけ出せと。
「……俺は、今初めて貴方に会った。だから…分かったんです。火星じゃ、いつ人が死ぬか分からない。だから、思いを隠すか、打ち明けるか……貴方の目は、何かを隠している。それも、とても大切な何かを」
それは独白にも近い言葉。
自らの胸のうちをアキトもまた、言葉にしている。
「だから、テツヤさんを呼ぼうとしたんじゃないですか? 彼がどんな結論を出しても受け入れる。その覚悟で」
その言葉に、ライザの目から涙が漏れた。
立ち尽くしているのに、まるで膝を抱えて泣いているように見える。小さな小さな子供のように。
「わた、…しは、テツヤに……」
『もう、いい』
「……テツヤ、なの?」
その問いかけに反応してか、コミュニケ特有のウインドウが空中に現れる。
『ああ。今はナデシコの中……サイトウの奴はどこかに行っちまったがな』
「私、貴方に、貴方に言いたいことがある…私に」
「!!」
瞬間、アキトはライザの手を取り引き寄せ、そのまま抱えるようにして横へ。ライザは肩を引かれる痛みに一瞬息が詰まり、つむってしまった目を開けたとき、そこは、床建材も含めて『焼失』いや、『消失』していた。
「……走れますか?」
「え? でも…」
またもCCを取り出し、空間を『転移』させる。そして壁に穿たれた大穴にライザを押しやる。
「まだ、言うべきことがあるんでしょう? そして俺は、戦うことしかできない人間……伝えたいことは自分で言って下さい。……それだけ出来れば、……それさえ、それさえ出来れば……!!」
そして押しやるように。
「……分かったわ」
そう言って、ライザは離れた。
ただ最後に悔やむような言葉を紡いだアキトの言葉が、余りにも重く、自分に似ていると思いながら。
そして、対峙した。
異様な人影と。
トン、と軽い音を立ててバックステップ。
実際には一秒にも満たなかっただろうが、やけに遅く感じた。その、銀の光が眼前を過ぎるまでの時間は。そう、この感覚は”獣”の感覚。恐怖さえ…もよおした。
だが、今はそれを気にしている場合ではない。
「ヒ、ヒヘ、ヒヘヘヘヘヘヘエヘヘヘ」
「俺はさ、ライザ…さんと話すために来たんだけどね。……『上』はやっぱりそうは思ってくれてないか!!」
そう言い、やけのゆっくりとホルダーからナイフを取り出す。
しかしその余裕のある姿とは違い、戦闘服には幾つもの傷が入り、露出している顔などには軽度ながら火傷も見て取れる。
だが答えは。
「キヒャアアアアアアア!!!!!」
髪を振り乱し、控えめにも正気とはいえない目をして刃物を振り回す男。しかしその腕は人のものではなく、まるでサルのように長く、赤熱しながらも鈍い銀の光を発している。いや、それ以上にその体だ。胸は大きく膨れ上がり、逆に腹部はひどく細い。ならば当然の疑問がわきあがる。『内臓はどこに行った』、と。
そして、顔の下半分に付けられたマスクには怪しげなアンプルから発生する気泡が呼吸器へと運ばれていくのが見て取れる。
「ブクブクブク、ぶはぁ」
完全に精神に異常をきたしているのだろう。
使い捨てとしか見えない……その苦しみからか狂っているとしか……。
「サイボーグタイプのブーステッドマン……その試作ってトコか……」
「イィィィィィィィ、ヤッッッッッ…ハァッ!!!」
ビュ・ビュウッ!!
常識の通用しない踏み込みから全身を回転させるように鋭く右手のナイフを一閃!!
掠めた衝撃か、ヘッドギアが砕かれ、額から血がしぶいた。
そして右手が消えた瞬間、隙が生まれ――無かった。
ギギイッ!!
逆の左手があまりにすばやく第二撃を繰り出し、ガードに入った右腕から間違いなく骨の――アキトの右腕から――砕ける音がした。
「グゥゥゥゥッ!! ……クッ、この反応速度……フル・サイボーグの上にドーピングか?! いくら俺でもこれは……」
だがアキトが、逡巡しているときの事だ。
男の口から、ひどく、たどたどしい言葉が漏れたのは。
苦渋に満ち、今にも死にそうなほどの苦しみをにじませて。
「おれ、おれおれおれれれれれ……おあ、おま、おあえころす。にんげん、もどれる。しね、しね、しんでくれ」
もし、脳を機械に移すと言う方式が可能で、男に施された術式がそれならば、それもまた可能だろう。
しかし、この男の様子からすればそれは……違う。
これを為した者は、もしこの件を成功させたとしても嬉々として語るだろう。
『そんなものは冗談だ』
と。
だから、アキトはこう言った。
そしてもう一本のナイフを抜いた。
あの男が居るのではないか、そう考えて持ち込んだ、本来は師の物であった筈のナイフを。
そして、再び解き放った、自分の中に眠る、いや封じ続けてきた”黒いもの”を。
瞳が、冷酷なまでに平坦な光を発した。
「もう、眠るといい……」
ビクン。
体が、はねた。
機械の人形に成り下がった男は、その壊れた心で、事の危険性を完全に理解して、逃げだそうとし、それさえ出来ない自分に、全てを悟った。
「ヤメ、ヤメテ!! オレ、シニタク、ナイ」
恐怖で腰がストンと床に落ち、手の力だけでズリズリと後ろに下がっていく。
顔の半分はマスクに隠れているため、目しか見えないが、それは恐怖しか浮かんでいない。その動きはあくまで人間で、今ここにいる自分もどうしようもなく人間で、右手にあるナイフが、その冷たさが現実で、全てが、現在が。
心を、凍結させた。
「お前は……生き延びるために俺を殺そうとした。それは、とても正しいことだ」
殊更ゆっくりと、ナイフを鋼鉄製の鞘から引き抜き、感情の消えた目で男を見据えた。
「だから、お前を殺そうとする俺もまた、正しい。……戦場には善悪がない。すべては結果だけ。だから、戦場なんてものがあっては……俺たちみたいなものがいてはいけないんだ……」
そして、刃が、落ちた。
「恨むなら怨め……呪うなら呪え……しかし、願わくば安らかに……」
その言葉が、全てを物語っていた。
もはや荒野となったその地をただ一人歩くアキト。黒い巨体は右手に砕けたバッタの”死骸”を掲げ、揚々と歩を進めているのだ。
彼は熟知している。
バッタ、いや無人兵器の弱点を。その回避方法を。
無人兵器は高度なプログラミングが為されているとは言え、所詮は融通の効かないただの戦闘機械――効き過ぎるダッシュもアレではあるが――”信号”が発せられただけでそれが有害か無害かを判断してしまう。
幾つかの信号を組み合わせただけで、発信源を上位機と見なして近寄ろうとさえしなくなってしまう。
このあたり、非戦闘時に民間人の近くにいる機体と経験の交換をしている――経験値を得るため――事が原因かもしれない。そこに居るのが、たとえそれを人間と見たとしても。
音が聞こえた。
遠くから。
そして、火柱が見えた。
「……急ぐか……」
目にようやく映るほどの距離。しかしアキトは走り出した。
不器用なまでに、戦士であり、人間であるがゆえに。
「させるかっ!!」
ゴオオオオオオオオオオオ!!!!!!
硝煙が煙を撒き散らし、空気が燃やし尽くされる。
排夾がじゃらららら、と甲高い音を滝のように周囲に撒き散らしながら地面の上を踊るようにはね続けていく……。視界の片隅に移る残弾数が凄まじい速度で減少していく。
しかし退く事は出来ない。
背後には難民キャンプ、傷ついた兵士が居るのだから。ここでシュウエイは地球の人間の危機感の無さ、戦うことを知らないゆえのIFS所有率の低さに頭を構えた。
「04! <バベル>起動準備!!」
<ネガティブ。必要条件:相転移エンジン稼動>
あまりに無機質な声がそれに答える。
ぐ、と詰まったのも一瞬、ならばと声を張り上げた。
「相転移エンジン稼動条件は!!」
<現状:不可。データ不足>
「……パイロット演算での稼動可能性は!」
<ネガ…>
「もういい! こっちにまわせ!!」
<アファーマティブ>
肯定の意が帰ってきた瞬間、異様な感覚が襲った。それをどう表現すべきか、彼には方法はなかった。しかし、あえて言えば「世界が薄くなった」とでも言うべきか。
本来IFSは人間の意思をコンピュータが読み取り実行する、そのためのインターフェースとして介在するのみである。しかし、そのための処理はコンピュータに行わせているだけであり、しかしそのデータをコンピュータ側が持ち合わせていないとするならば、実行できない。
ならば、と行われるのが双方向性リンク、つまりはパイロット自身が自身の感覚を持って制御するのだ。
ゆえに、脳の容量が一時的に割愛され、感覚が薄れる。
そう、エステバリスと自分が半ば一体化し、しかしあくまで別個の存在として同時にそこにある事になる。これが、リアクトを使えない最大の要因。あくまで錯覚であるこの感覚に対し、リアクトでは現実に神経系にダメージを遺すのだ。だから、自分と外界を遮断して起動させるしかない。
だがシュウエイは世界への認識が「薄れて」しまったことに驚き、自分の体の中に突如あらわれた「荒れ狂う第二の心臓」を意識で無理やり固定する。
一瞬、まったく別のことが見えた。
カメラが姿を、マイクが声を捕らえた。
04の後方に傷ついた子供と、また傷ついた兵士達。彼らはキャンプの外周に掘られた塹壕の中にいた。
「兵隊さん、僕たち死んじゃうの?」
包帯塗れになった腕で、まだ小さな女の子の手を引いている。きっと妹なのだろう。そして兵士は自分が銃を構えていることを知り、それを片手で持ち直し、空けた手で子供の頭をクシャリとなでた。
「死なないって。そのために俺たちがいるんだからな」
「そうそ。だからボウズはその子の面倒きちっと見てろよ」
「……うん。……おじさん達もがんばって!!」
そう言ってキャンプの中に逃げ込んでいく子供……兵隊のほうは、これまた苦笑いを浮かべている。
「俺たちゃまだ若いってーの。……なあ、みんな」
「……一番の年上が何言ってんだか」
「……てっめ、俺と二ヶ月しか変わらねぇ癖に何言ってやがる!」
「文句は後で聞くってーの。……後でな」
「……ああ」
そう言って彼らは塹壕の中から構えた。
自分達が今、すべきことをするために。
「……中々に、……こたえる。だが、若輩どもの見ている前で、引くわけにはいかんのだ」
<起動:成功。パイロット制御下:継続>
「04! バベル起動! ターゲット・ロックオン!!」
瞬間、背後に背負っていた「塔」がそれを固定していたウイング上のレールを真上にスライドし、光を放った。
激しく、熱く、烈しく、冷酷に、直線の、まったく拡散しない、よりにもよって可視領域の光がまるでレーザーライトのように、すべてを貫いた。
それを見てアキトはつぶやく。
「EX計画第二次整備案・広域殲滅戦用・EX04……天へと至らんとするほどの力を持った、それ故に神の怒りを買った神話にその名を遺す塔<バベル>……完成していたのか……」
その呟きは敵を討ち果たした事よりも、その力ゆえに異端となること、そして、この不毛な戦いの果てをその目に見据えて……暗く翳っていた。
「……この距離なら届くな……」
そう言いつつ、懐から無線を取り出し、繋ぐのだった……。
ようやく麻酔が切れてきたのか、医者の言葉を無視して体を動かし始めるナオ。と言っても傷が広がらないようにと指先の訓練――ついでに実益を兼ねて銃の分解掃除――などしている。
「……ミリア、メティたちは無事なのか?」
「はい。……皆さんのおかげです……」
少しだけ、父の事を思い出して悲しげに。
「そっか……嫌だけど、テツヤに礼を言っとかなきゃならんな…」
「そう言えば、ナオさんとカタオカさんの付き合いってどういう?」
「仕事でな……産業スパイを追い込んだときの事だ……」
ナオはそう……いつに無く饒舌に語り始めた。
がっ!
耳朶を打つ鈍い音。発したのは男の顎。数本の歯が血の混じった唾と共に口の中から落ちてくる。
「何をしているカタオカ!」
「……」
ヒュ…みしぃっ…
今度は鼻骨がきしむ、いや折れた音。
口と鼻が同時に血を流し、男は呼吸できずにあえいでいる。
「カタオカ!」
肩に手を置こうとした。
止めようとした。
だが出来なかった。
暴行の手は止らなかった。
いや、そのときのナオには何故テツヤがそれをするほど怒ったのか、悲しんだのかが理解できなかっただけの話だ。
「何故、それほど怒るんだ!」
「……逃げようとするのはかまわん……それがスパイの鉄則でもある……だがコイツは!!」
一瞬だけ、何か遠い目をしたテツヤを不審に思いながらも、ただの一瞬だけその目がとまった先には一人の女性と、その手の中に少女が居た。
女性はこの男の……この地での仮の妻だった。そしてその手の中に居る少女は間違いなくその男の…子供。
「子供を盾にして、自分が生き延びようとする。……俺には、それだけは許せない!!」
その怒りが何を元にしているのかを知って、そこでようやくナオは手を、振り上げられたテツヤの手を止める事が出来た。
「カタオカ…俺は孤児だ。親が何をしたのか、何故俺に親が居ないのかなんて知らない……けどな、だからこそ子供には親が居なくちゃ駄目だと思うんだ。せめてその親が何を考えていたのか理解できるまでは……!!」
そして、テツヤの手に一瞬の迷いが生まれた。
子供のためにこの男をどうするのか。
叩きのめすだけが手段ではない事を知って。
そして、子供が発した言葉を聞いて。
「パパ…ごめんなさい……だから…そんな、悲しそうな顔しないで…」
赤くなった頬をしながらも、父親の事を案じている子供の姿。懐かしさと悲しさの同居した横顔。
「ま、そんなヤツと部所が違うってのによく組まされるようになった……言いたか無いが腐れ縁、てコトなんだろうな」
と、なんとなく気恥ずかしくなったのか、ごろりと。そこで腕に刺さった点滴のチューブが鬱陶しくなったが、しかしそれを抜けば死ぬんじゃないかと言う恐怖があり、さすがにそれは止めた。散歩中の犬のような気分になって。
「……それでナオさんとテツヤさんはよく喧嘩されるんですね……」
「? 今の話が何でそうなるんだ?」
「お互いよく理解して、それで本音で話して……親友ってことですね」
「……よしてくれ。ただの”元”同僚だよ」
そうして照れた笑いを、ミリアはなんとなく「かわいい」などと思うのだった……。
<戻ってないんですかっ?!>
「そ。どうせアキ君のことだから、戦場を見ていると思うけど?」
それが事実なら、とても正気の沙汰とは思えない。しかし、彼らが知るテンカワ・アキトという人間は間違いなくそれをする。そう、思わせるものがある人間なのだ。
<……じゃ、これ……どうしよう?>
そう言いつつダッシュは、ふっと背後を見る。
……外見は漁船、しかし動力はホバークラフト……いやそれ以前に、戦場を何の痛痒も感じさせずに疾走する小型艇……シュール……とても、単純明快なまでにシュールだ。
しかもそこに乗せられたのはトウヤの拠点型……そしてアキト本来の機体、戦略AI<EXA/エグザ>を載せた<EX01>の姿。その威圧感たるや、瞳に映るそれだけで、魂を握られるほどの感覚を覚える。
「……いいわ、私とトウヤで出るから……そうね、ダッシュは悪ガキトリオの相手お願いね」
直訳すれば、子供のお守りを任せたということ。
しかしフミカの言葉……つまりは「ミリアとナオの監視」を続けるラピス・メティ・下僕のハーリーその三人の世話をしろと……正直言って、かなりきつい……まさに罰ゲーム!!
よろり、と傾いたと思った瞬間、ダッシュは妙に直線的な動きで歩き始めた。
<ドナドナドーナード〜ナ〜子牛を乗せて〜〜>
さて、ダッシュは本当にAIなのか、正直怪しむべきであるが、間違ってもジェイムスン教授の親類ではないことをここに明記しておく。
そんなダッシュの様子を見て、自分の妹分/弟分の能力をうれしく思いながら、妙に楽しそうな笑顔で微笑むフミカ……ちょっとだけ、悔しさも垣間見えたようであるが、そんなものは一瞬で捨て去り――無いものねだりはしない――自分のすべきことが新しくできたことで、また、歩き始めた。
「トウヤーーっ、あたし達も行くわよーーーっ!!」
果たして、それを聞いたトウヤの反応は如何に。
人々の温もりの残る無人の町という、空恐ろしい場所、空間。
そこを彼ら四体のエステバリスが行軍していった。
銀のエステバリス、白銀の戦乙女、アリサ・ファー・ハーテッド。戦機高揚を狙ったものか、銀に染められた機体は、返り血ならぬ爆発の煽りでそこかしこを黒く染めていた。
緑の日本鎧に身を包んだ蓮華と、その堅実な人柄と戦場での戦い振りから名を知られるようになった――大いに間違っているとしかいえないが「サムライニンジャ」とまで呼ばれる―――タカスギ・サブロウタである。
「タカスギさん大丈夫……?」
少し、動きに陰りの見えてきたサブロウタを労って声をかけるアリサ。しかし実際にはアリサのほうが被弾個所が少ない割に破損率が高い。機体の基本性能が全くと言って良いほど違うのだ。
むしろサブロウタのほうが気を使って答えてしまった。
そう、周りを見渡しての。
「大丈夫っすよ。そっちこそ大丈夫なんですか? 電源車はここまでサポートしていない……もしこれ以上敵が来れば・・・」
「そん時は守るって言う気? そんなことしたらタカスギさんが危ないわよ? 第一さ、故郷にそういう女の子の一人くらいいるんじゃない? 『俺が守ってやるんだ』とかって口説いた女の子」
なんとなく言ったアリサの一言。
しかし、通信室に響いたその一言は、一瞬通信士達の動きを止めることに成功した。まるでファンタジー映画の主役をはった象のように耳をそばだてる彼女たち。
そんな彼女たちの期待を裏切ったのだ、サブロウタは。
「自分の性格なら言いかねないですが……記憶にないっすね……」
『根性のない……』
「……姉さん?」
『……』
本当に気のせいなのか?
しかし、サブロウタは韜晦したのではなく本気で答えたのだ。この答えが後に何をもたらすのか知ることなく、とても重要な約束を忘れていたのだ・・・。
「ま、それはいいんですけど。……救難信号があったのって、ここで……良いんすか?」
「……姉さん」
『そうよ。……銀狼のヴォルフ・ヘンダーソン率いる西欧方面軍、ドイツ所属第17中隊。彼らが消息を絶った場所・・・・・・』
それは、最強の代名詞として名を売った者達の名。
「欧州最強の精鋭部隊が消息を絶った場所……その割に綺麗過ぎやしないかな?」
大地に焼け焦げた跡がある……だけ。
しかし、何も無い。
戦場の跡というのなら、銃弾の跡、ミサイルの爆発痕、エステバリスや無人兵器の足跡、そして破片。しかしここにはそれらの何もが、まったく無い。
焼けた跡があるといっても長細い……そう、まるで怪獣映画に出てくる怪獣の足跡のようなものなのだ。
そして。
『!! アリサ、タカスギさん気をつけて!! 動体反応が……自分を隠す気も無しに近づいているわ!! 17500…17000…早すぎる……地上を音速の2倍の速度で何かがやってくるわ!!』
「敵ならちょうどいいわ! 倒せばそれですむもの!」
「音速の二倍……地上……」
呆然とするサブロウタの口から、言葉が漏れた。
「タカスギさん、何か知ってるの!?」
「まさか、それは……ありえない! それだけはありえない筈なんだ!!」
しかし。
眼前の光景に、思考がついていかない、いや、理解していても心に染み込むための時間がかかっているのだ。そして、理性は理解していても、心が拒絶しているのだ。
この、理不尽極まりない、眼前の光景を。
「何してるのタカス…きっ、やぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ゴッ…バキャアアアアアア!!!
ただの一撃で吹き飛ばされたアリサのシルバーエステバリス。
その一撃のみ、というのが良かったのか、ちょうどエステの右腕の接合部から途切れたのが良かった。
だが、後方を警戒していたはずの友軍機が、その瞬間に吹き飛んだ。
どこからとも無く現れた腕。否、人によく似た姿、餓鬼。
手には銀色の右腕。
しかし徐々に歪み、折れ、砕け、しかし地上に落ちることは無い。
それを人が目にしたとき、何を思っただろうか。
赤く、濁った黒。
黒く、澱んだ赤。
バキバキと、ベキベキと音を立てながらそのぬめったような腕の中に取り込まれていくシルバーエステバリスの右腕。何らかの電気的処置がとられているのか、それは火花を上げながら次第に小さくなっていく。
人の体に似せられた故に、時たまビクンビクンと動く指が、腕が、余りにおぞましい。
グシャ、グシャと残骸を踏みしめながら歩くだけ。その周囲をバッタとジョロがわさわさとひしめいている事が、それ以上に生理的嫌悪を呼び起こす。
だが、それだけではなかった。
歩いていただけのそれは、ただの一瞬で間合いを詰め、その黒い手で、後方のエステバリスのコクピットだけを貫いた。貫いたまま、「つまらない」とでも言いたげに振り払う。
とても尋常ではない膂力を発揮し、そのエステバリスは宙を飛び、バッタの群れの中に落ちる。
次の瞬間、まるで餓鬼の如く、貪るが如く、そのエステバリス”だったもの”に群がる。
そして、ビクビクと跳ねたと思えたその瞬間、手足がばらばらに動き出し、周りのバッタを次々と破壊、そして、その動きが止んだと思った瞬間に、ずるり、と動き始めた。
誰かが言った。
『デビルエステバリスーー』
と。
ゴウッ!!
爆風が、名のとおり熱をはらみ、巨大な風を伴ってロータスのその体を大地へと押し止めようとする。
「サブロウタさんっ!?」
アリサの悲鳴が聞こえたと思ったその瞬間、ロータスは大地を踏み砕きつつ、瞬間、アリサの機体へと向き直る。
「動くなっ!!」
その激しい声に一瞬、恐怖さえ抱き、動きが止まった。
至近距離からミサイルの連打を喰らい、フィールドジェネレータから煙を上げつつ、しかしその損傷は激しく、過負荷に耐え切れなかったのか、腕から、動くことのなくなったライフル――正確には腕側の回路――を投げ捨て、肩鎧の裏から”クナイ”を抜き出し、その膂力を持って投げつける。
「……え?」
狙いこそ甘かったものの、その一撃はアリサのシルバーエステバリスの顔を大きく抉り取り、爆発を起こした。
その背後で。
途端、強制的に通信が途絶され、モニターには代わりに見覚えのあるチャンネルのナンバーが表示された。指は震え、声が乾いた。そして、サブロウタは対峙する。
ロータス、いや蓮華の中で、屍鬼の中に存在する男に。
『……これは、どういう事なんですか?』
それだけが、精一杯だった。
たったそれだけを言うのに、どれほどの精神力を費やした事か。
『見ての通り。西欧を我々の植民地とする……そう、最早食糧事情は切迫し、冷凍冬眠政策さえ採択された。90日後に7つのコロニーが閉鎖され、そこに住む人間が眠りにつく……時間はもう無い』
気負うことなく、淡々とその言葉が紡がれる。
『だからといって、このやり方は……!!』
『地球人に毒されたか、高杉三郎太……貴様を”浄化”する』
途端、蓮華のマーカーが勝手にロータスのものへと変更され、間を置かずしてデビルエステバリスの群れが襲い掛かった!!
呆気にとられたアリサだったが、次の瞬間、シュンの叫びで我を取り戻すことができた。
『何をやっているタカスギ! アリサ君! 一時撤退だ! 戦線が移動した!!』
「り、了解! ハーテッド、撤退します!」
そして、アリサに続こうとし、復唱しようとしたとき、サブロウタの目に、信じがたい光景が、映ってきた。そう、蓮華が勝手に映したその光景に、心を激しく揺さぶられて。
戦場で出会った、名前も知らない誰か。その誰かの乗っていたエステバリスの、かけらも残っていない。そして屍鬼の膨れ上がった体に。
「・・・・・・すいません、シュン隊長・・・・・・タカスギ、命令を拒否します・・・・・・行きますっ!」
『タカスギさんっ?!』
『タカスギ戻れ!! アリサ君、あいつを止め……』
「来るなっ!!」
血を吐くような、サブロウタの絶叫!!
「……すいません、シュン隊長!! けど、けど今は行かせてもらいます!!」
そして、襲い掛かる無人兵器の群れ、いや無人兵器の海に足を踏み入れた!!
「……レイナちゃん、大丈夫?」
そう聞きたくなるくらいに彼女は憔悴していた。
そして彼女はうわごとのように何かを言う。気になったフミカが耳を近づけると。
「うう……アリサ、もうエステ壊さないで……あっサラ、コンソールにお茶こぼしちゃだめ……」
……おや?
「……トウヤ、オモシイわよー。ほら、レイナったら寝言言っちゃってて」
「フミ姉…それはちょっと趣味悪いよ」
「むにゃ。…ラピスちゃん、その服汚れてないのに洗うの……?」
「え?」
「あ、 あ、かわいーチャイナ服。トウヤ君に着せるの?」
「ね♪ オモシロイでしょ」
「…この前のは、そういう事か……」
がくりと膝をつくトウヤを楽しげに見た後、フミカは仕方ないとばかりにセクハラ老人のいる病室にレイナを押し込むことにした。レイナが起きた後どうなるのか非常に楽しみではあるが、こればかりはライブで見るわけにもいかない。
非常に残念そうだった。
「ま、取りあえず出るわよ……このマーカーが正しいのなら、絶対に西欧は滅びるから……」
「僕らじゃ…勝てませんよ」
「アタシだって死にたくないもの。……アキ君が戻ってくるまでの時間稼ぎ……ね」
あとがき
言い訳。
パソコンが”またもや”にクラッシュ、Meを捨て、堅牢な設計のWin2000へ移行。……ちょっとだけ、使いにくいけどね。今度はそれほど間を置かずに投稿できるようになりそう。
けど……せっかくもらった感想メール……全部消えた……うう……。皆さんは、どうですか? そんな事ありませんか?
言い訳その二。
バックアップディスクをなくした。
最初から書く羽目に陥った。きっと、年末の大掃除のときに……HTML化している真っ最中……だったのにぃ!!
では内容に。
木連に奪取されたEX02。敵として出現!
通常の形状は昔話に出てくる餓鬼をイメージしているのですが……流体装甲が再構成を行っているときは巨神兵(風の谷のナウシカ・劇場版)のような姿になります。
掌が黒いのは<常時発動型DFS>です。もっとも、これが組み上げられた当時は謎のデヴァイスだったので、アキトたちが使う物とは発動の形態が違う上に、最低限のフィールドと、それ以上に特異な装甲をもっているわけです。
02・03の件で04は封印されていたのですが、クルスク工業地帯での戦闘が原因で大破、戦力(機動力)不足から重砲戦を本来の姿へと再改修したのがEX04です。メインフレームに、あれだけの武装を詰め込めたのはそれが理由でした。
ちなみにEXシリーズには遺跡として出土したパーツを再改修して使っているため、それなりの副作用といったものが存在します。ここではまだ不明としておきますが。
木連、というよりも草壁を取り巻く環境に変化が現れつつあります。
この無茶な西欧制圧作戦は、いずれ訪れるであろう終戦を僅かでも有利な条件で迎えるためのカードになるはずでした。それはクリムゾンにとっても同じ事。
彼らはどうやってこの間隙を埋める気なのか!!
と、言うことになります。
また、これが木連とクリムゾンの共同体制に僅かな、微妙な軋轢を生む事になります。
……テツヤが主体になると……どうしてもシリアスなパートになってしまう……かといって、今から「コワレ」には出来ない……。しかし、彼の今のパラメータは……シスコン・アリコンに傾いていると言う説がある。
普段シリアスに決めているくせに崩れる(崩される)と言う位置付けかな?
ちなみに最近、ある種の王道を踏襲しているといわれてしまった。……そうかな?
それにしてもこのCCの使い方……まるで「バシルーラ」だな……。
生死は別として、ムネタケ復権運動に参加はしません。……というか、彼は生き延びるのは得意そうなので、今回はこういう役回りです。
代理人の感想
と、いいつつそれなりに有能なムネタケかと思います(笑)。
まぁ、<灰>の方では別の意味で有能ですが(核爆)。
>CC
バシルーラというか、某小説の「リープ・レールガン」っぽいですね。
ある意味最強無敵の兵器だよな、これ(汗)。
ちなみにジェイムスン教授と言うのは「カンテラ人間」とも言われる古典SFネタです。
まぁ、サイモン=ライト(キャプテンフューチャー)の親戚と思っていただければ(ってこれも古いな)。
外見は縦横1mほどの真鍮の箱にマジックハンドが二本と細い足が四本(八本だったかも)。
で、その中には人間の脳味噌が入っているという、言わばサイボーグの一種ですね。
さすがに98のボディの中に脳味噌は入らないと思いますが(笑)。