機動戦艦ナデシコ<黒>
西欧編第五話 世界を揺るがす戦闘、その終わり。
三日が過ぎた。
人々は、最早石くれと化したチューリップ、オブジェと化した戦艦の横を平気で歩き、以前と遜色ない生活を始めようとしている。
人の生命力、いや逞しさとは素晴らしい。
だが、人は、自らが平穏を手に入れると、限りなく欲を生み出す。
眼前に繰り広げられるもの……それは「妖怪達の饗宴」とでも呼ぶべき来る光景だった。古狸を思わせる奇怪な老人たちが円卓を囲み、しかしただ一人の男を敵とみなしている。
「グラシス・ハーテッド中将。あなたは何を考えておられるのですか!」
一人の老人がそう叫んだのを切欠に、この会議は一斉に彼を糾弾する場に変わった。
「テンカワ・アキトをナデシコに乗艦……ネルガルの手に渡すとは!!」
「連合軍はナデシコ級を自らの手で運営することを考えている。すなわち、その乗務員を徴兵する…これは既に決定事項! 覆ることなど無い!」
「あなたのその判断は極東方面軍へ軍事バランスを大きく崩し、地球上の軍事バランスを…!」
そして、空中に開いたウインドウが、たった一枚のフォトグラフを彼らの目の前に晒す。
それは紛れも無く”クレーター”である。
ただそれが奇妙なのは、巨大な森に包まれていると言うこと。
この数日の出来事で、誰も分からない不可思議な出来事の一つ。
だが、彼らに分かるのはこの巨大なクレーターを生み出したのが何者であるかと言うことだけだ。
老人の一人は問い掛ける。
「この力を……知っていてもか」
老人たちの戯言に、同じく老人であるはずのグラシスは自分は彼らの目にどう写るのか、などと愚にもつかない事を考えかけて、それを頭の中から振り払った。
「あなた方は、なぜそれほど彼を極東方面軍に向かわせたくないのですかね」
それは問いかけと言うよりも、恫喝に近かった。
「そのようなもの、決まっている!!」
「そうだ! テンカワ・アキト! あの男の戦闘能力は既に一方面軍と同等以上! 一個人で千の軍勢を……東洋の言葉にあるだろう『一騎当千』という言葉が。あの男を抑えれば西欧はもうトカゲに怯える日々と離れられる!」
「うむ。民間人も軍を頼る。これこそが美しき秩序と言うものではないか」
くく、とグラシスは口の中で笑った。
幸いそれを聞き咎めた者はおらず、だがグラシスを見て不快さを隠そうとはしない。
しかしグラシスの目には、自分の憶測が正しいことの証明にしか見えなかった。
「それはあなた達だろう」
疑問詞が、彼らの目に浮かんだ。
「民間人? 自分たちと市民を何故切り離して考える? ただ彼に守ってもらいたい、彼を支配下に置きたい。ただそれだけの事だろう?」
ギリ、と誰かの歯軋りの音が、不快なまでに静かな空間に響き渡った。
「第一、今回の件が察知されたのが西欧方面軍の一基地、そして警鐘を鳴らしたのも同基地。……敵の迫り来るほぼ中心……最も察知し難い場所だ。何故かね?」
また歯軋りの音が。しかし今度は複数だ。
「そう。君たちは見捨てようとしたのだよ。木星蜥蜴に襲われようとする、守るべき者たちを。そしてもう一つ私が疑問に思っているのは……なぜ西欧の窮状を見かねて救援に駆けつけた部隊の多くが命令違反と言う形で営倉入りしているのかね?」
「軍の規律を破ったからだ。それ以上の理由があるかね?」
「そう。軍は規律を持って組織となる。上官の命令を破った以上、当然の報いだ」
「しかし市民を守ったことは正当に評価している。だから謹慎と言う形で基地内に拘留している。…彼らの多くが今回の一件で帰る家を失ったのだからな」
「何故、彼らが命令違反を起こしたのか。それは考えるまでも無い。保身を考え、西欧を見捨てた貴方たちを、貴方達こそを見捨てるべき対象と考えたのですよ。そして、西欧へと走った。彼らの正義のために」
今度は歯軋りの音だけではない。
ギシギシと机が軋んでいく。
既にグラシスの言葉に反論するだけの場と化している。
しかし、次の瞬間全ての言葉が無意味なものと化した。
「そして、これは既に決定事項だ……今回の一件で、欧州方面全軍が再編成されることになる。そしてそこにあなたたちの名前は無い!!」
ブゥン!!
その叫びとともに突如浮かんだウインドウ!
そして彼らは愕然とする……そこに写ったのはナデシコを擁する極東方面軍のミスマル・コウイチロウだったからだ!
そこで彼らは突如話し始めた。
これからの歴史を決める一歩目になると知ってか知らずか。
「今回の件はナデシコおよびカグヤの尽力のおかげで死傷者は最小限に抑えられたと言ってよいでしょう……礼を言わせてもらいます」
『気にすることではありません、グラシス提督。我々はその為に在るのだから……軍とは本来そしたものなのですから』
何かを抱えつつも、本心から礼を尽くしている。その互いの目は真剣で、柔らかなものに包まれた刃を持ってこの場にいる他者を貫いていく。
彼らは自らの保身のため、この会議の内容を知ろうとしたが、しかし、やがて現れたSP達に両脇を抑えられ部屋から連れ去られてしまった。
「今回の件において民間人の協力者があった」
『テンカワ・アキト……彼、ですな』
「ええ。もっとも彼は今回の件を機に、ナデシコへと乗艦する……でしょう」
『これでナデシコに乗るユリカ……いや、彼らも喜ぶことでしょう』
「しかし問題がある」
『彼らの…軍人嫌いですな』
「ええ。しかも現在のムネタケ提督はサセボ沖のシージャックの一件で彼らを含めたナデシコクルーの中に不信を生んでいます。その上、今回の一件で西欧のみならず欧州・極東方面軍への不信感も……」
「ならば……」
『それしかないでしょう……』
2Hours ago...
ガチャン!!
ノックなどせずに、豪快にドアを開ける!
それが彼女の持ち味だ!
「おっはよーっ、ナオさん生きてるー?」
果たして、中の状況は。
「はい、あーん」
「あー……れ?」
フォークに刺したリンゴを、ミリアがナオに食べさせると言う、初々しいものだった。
にこやかな笑顔のミリアと、ものすごく恥ずかしそうに顔を引きつらせたナオ。これは自分が”バカップル”だと気づいた人間に特有の光景と言えよう。
しかしミリアは母性が強い女性なので、それを他人に見られても平然として「ナオさん、食べてくださいね」と言っている。その笑顔は余りに優しくて、ナオは反論することが出来ず、額に汗の玉を浮かび上がらせながらも笑顔でシャクリとリンゴをかじる。30間近の男が頬を赤らめているのは滑稽だ。
「ごちそうさま」
「? ……あの、フミカさんがどうして「ごちそうさま」なんて……?」
「いえ、こういう時に言う常套句と思ってください」
さすがにいけしゃあしゃあと言うものだ。気づかないミリアはともかく、ナオはかなり引きつっている。
「……な、何でフミカ……さんがここに?」
ナオのほうが遥かに年上であるのに、なぜかフミカに対して「さん」付けであるが、それ以上に気になるのが声のかすれ具合であろう。
「ん? アキ君がさ、今日の正午、この隣の病室で重大発表するって言うからそれを教えにきたのよ。何しろナオさんは当事者なのに怪我人だからね……でも」
「隣、ですか?」
「そ、サンちゃん。熱血一人相撲した挙句に機体はボロボロ、本人は精神的に疲労を起こして失神……しまらないわね。ちなみに、そのもう一個隣にはアリサちゃんが居るんだけど」
そこで、ナオは見た。
ホテルで見た、楽しそうにテツヤをあしらった時の、不可思議な笑みを。
とても、やわらかいのに、背筋を何かが這い上がるような。
それはほんの紙一重で、ミリアには母親が子供をしかる顔のように見えた。
そして、ひとたび切った言葉を再びその口から続けた。
「でも、命が惜しかったら来ては駄目。来れば引き返せなくなる。そして、ナオさんには守るべき人がいるんだから……ね」
目はミリアを向いて。
その二人が寄り添う姿に、ありし日の両親の姿を重ねて。
病室の中に沈黙が満ちる。
ナオは、自分が背負ったものの大きさを、もう一度かみ締めて。
ミリアは、ナオとともに未来へ歩くために、今何をすべきかを考え。
そして、二人は口を開いた。
「……私は行きます。父さんが何で殺されなければいけなかったのか。そして、ナオさんが何で撃たれたのか。……私は笑って明日へ、ナオさんとメティと一緒に歩いていきたい。だから……真実を教えてください」
目には強い光が。それは愛する者を得た女の目であり、妹を守ろうとする姉の目であり、父を愛した娘の目でもあった。
そんなミリアを見てナオは短く嘆息し、頭を軽くかきむしる。
「んーー、俺の言いたい事はみんなミリアが言っちまったよ。……俺も惚れた女、そしてその家族は自分の腕で守りたい。だから教えてくれ……真実ってやつをな」
本当に、羨ましい。フミカはそう思った。いつかは自分もこうありたいと思う、本当に対等な男女の姿。
ちょっとだけ涙が出そうになって、それをごまかすために手帳を出した。コミュニケの機能を使えば良いのにわざわざ持ち出すのは気分を変えるためでもある。ちなみに手帳にはデフォルメされたペンギンが描かれており、ペンの軸には白熊がぺたんと座っている。
「うん、わかった。ナオさん、ミリアさん。二人とも参加ね」
書き込みながら言葉にするそのページには、他にも幾人もの名前が書かれ、しかし欠席を示す文字は無かった。
ちなみにダッシュは「病院お断り」なので、門扉の外で子供軍団と悪巧みしているらしい。電波を出す機械を病院に入れてはいけないのだ。
点滴……栄養剤がポタリポタリと落ちてゆく。それはチューブを伝い、ベッドの主へと。
そしてそのベッドの主は天井をただ見つめていた。
脳裏には、あの時戦場で聞いた言葉が幾重にもリフレインを繰り返している。
『見ての通り。西欧を我々の植民地とする……そう、最早食糧事情は切迫し、冷凍冬眠政策さえ採択された。90日後に7つのコロニーが閉鎖され、そこに住む人間が眠りにつく……時間はもう無い』
「……何故だ……」
本人はその意志無く。しかし確実に思いは口をついていた。
「木連は……連盟と手を組んだのでは無かったのか? 何故…食糧事情が困窮する……協力体制が整えば……連盟の保有するプラントが手に入れば木星圏は、少なくとも食糧事情は改善されるはず……何故だ……」
答えが出ようはずが無い。
そのようなもの、いくらでも考えうるのだから。
コンコン。
ノック音。
「……どうぞ」
「や、サンちゃん生きてる?」
楽しげに入ってくるのはやはりフミカ。しかしサブロウタは顔をしかめ、
「……一人にしておいてくれませんか?」
今の彼は、他人と話す余裕を持たない。
ただ、自分が居ない間になにが起こったのか、それをただ考えるために。
それも予定の内か、フミカは気を悪くするでもなく、踵を返し部屋の外へ。
ただ、ドアを閉じる前に告げていく。
「……たぶん、その悩みの一部……解けると思うよ」
とだけ。
後に残ったサブロウタは、意味を図りかね、複雑な表情を見せていた。
「ウリバタケさん、ナデシコはどうなっていますか?」
「ん? 艦長か……もうこっちに戻ってきていいのか?」
「はい。あの、それで……」
答える事無くウリバタケは視線を格納庫の一角に向ける。そこにはあの一件以来沈黙しつづける龍皇の姿。
「あれって、なんだったんでしょうか……」
それはただ単純に咆哮と呼ばれるものだった。単純でなかったのは、それに込められた物と、それがもたらした奇跡にも等しい光景だった。
「きゃああああぁぁぁぁ!?!」
「おっ、オモイカネ、艦体制御を」
<艦体制御はコントロールを外れました>
振り回される、まるでロデオのようなこの状況など何処吹く風で、オモイカネからは芽生え始めていたはずの感情の色が欠落していた。だからこそ、ルリにはこの件が他の者よりも厄介であることを感じ取ることが出来た。
『こ、こちらウリバタケ!! グラビティブラストの砲身が変形を始めやがった!!』
「何が、どうなっているのよ?」
<重力子生成炉臨界まで19秒>
それの意味するところに気づいたジュンが叫んだ!
「ホシノ君、オモイカネを止めて!!」
「やってます! でも止まらないんです!!」
<カウントダウンスタート。T−10sec>
「お願いですオモイカネ、止まってください!!」
しかしその願いは届く事無く。
力は、行使された。
誰も、何も分からなかった。
ただ、後になって分かったのはナデシコが全く新しく生まれ変わったこと。純白の機体に黄金のラインが優美に描かれ、グラビティブラスト発射口が精度を上げるために砲身が長くなったこと。
そして、「ナナフシ級」のマイクロブラックホール生成が可能になった事。
そして最大の謎。
発生したはずの放射能は着弾後二時間が経過した時点で……ガイガーカウンターはもちろん霧箱にさえ反応をしない量になっていた事だった。
「イネス先生は何か言ってたか?」
「いや。僕は何も聞いてないけど」
「私も、何も聞いてません」
ウリバタケが頭をかしげ、ジュンは青ざめている。付け加えるならばルリは奇妙な汗をたらしながらゲームに興じ、メグミはミナトとファッション誌を見比べあっている。
そう、そうなのだ!
この不可解な状況において、いまだに……いまだに「イネス説明モード」が発動していないのだ!!
例えどんなに困難であろうとも。
例えどれほど不条理に思えても必ず「説明」の一言で物理法則を無視しているのでは、と言う疑惑さえもたらすあのイネスがである!!
……彼らは、これを白日夢だと思うことにした。
ドクター・イネス。
彼女を見るナデシコクルーの目や、如何に。
そんな奇妙な沈黙の中、意を決したようにゴートが口を開いた。
「……ミスター?」
「本社の決定は、重要性を考慮し、ナデシコは非戦闘地域を経由……およそ二週間かけてサセボドッグへ。補給後、月面工場で再検査、ということです」
「……二週間、か」
プロスペクターとゴート。彼らが悩んでいたころ、だがそれを無視して直球勝負に出た女がいた。
「教えなさいイネス・フレサンジュ!!」
激昂しているとしか思えないエリナ。
しかしイネスはそんなこと意にも介さず、無心にみかんの皮を向いている。
皮をむく。白い筋を取る。口の中に放り込む。
「ん〜〜〜〜〜すっぱぁ〜〜」
どうやらまだ若かったらしく、酸味がきついらしい。目の端には涙が浮かんでおり、いつもと雰囲気が違ってさえ見える。「涙は女の武器」とはまさに至言であろう。
「イネス!!」
「龍皇については管轄外よ。アキト君に聞くのが一番早いわ」
「私はあなたに聞いているのよ!」
「アキト君に聞けばはぐらかされるから? それとも彼に嫌われたくないから?」
「! …イネス!」
「横、見て見なさい」
ハイになっているエリナは、はぐらされるかとも思ったが、それでも一応横を見ちらりと見た。
するとそこには。
「ぬ〜む〜ぬ〜ふ〜」
「め〜び〜だ〜ぐ〜む〜」
「……いねす?」
「気にしないで。薬物に耐性がついているから後30分もすれば放しても大丈夫よ」
……どうやら戦闘の影響を抜くために鎮静剤を打ったらしいが、それが変にキまった男性パイロットを隔離している最中らしい。
「エリナ。これ以上何か言うのなら……」
言いつつ手にしたのは注射器。それを右手にもち、左手にはイイ具合にカッコイイ髑髏の書かれたアンプル。通常ならば冗談というかもしれないが、何せ持っているのはイネスである。油断は出来ない。
イネスは「鏡を見せられた蝦蟇」はこんな気持ちなのだろうか、などと益体も無い事を考えていた。
大地に投げ出されるように横たわるEX01。その上には同じく体を投げ出すように横になるアキトの姿があった。コクピットシェルの上、自分の腕を枕にして。
「……隊長、もう大丈夫なんですか?」
ほんの少し視線を下げれば、頭部カメラの傷を見ているトウヤがいた。右腕と左足は手の施し様が無いので放っている。視線はレンズを見ていたが、意識は幾分をアキトに向けている。いつもと違うのは左腕の義手、その”外皮”が無いことか。無機質ながら温かみを持った光が弾かれている。
「まあ、な。ヴィンツはスクラップになっちまったけど左腕の竜牙はサイズを直せば取り付けられるし…そんなに悪くも無いぞ? 左足は探さないと駄目だけどな」
何の気負いも無く、事も無げに言っているが、戦闘中に悪化した右腕は完全にギブスで覆われ、痛々しさを見せ付けている。
「いえ、そうではなく……」
その言葉の意味は。
「……あれは、今は眠っている……」
そう呟いて、無事な左手を胸に当てる。
あの日、空港テロのときに目覚めた「衝動」の塊である「獣」……かつて人が人となった時に無くした筈の「闇」の部分……それに意識を奪われかかったのだ。
人は理性によって思考する。
だが、強き獣性は弱き本能をたやすく駆逐する。
「今は…こうしているのが一番だ。なあ、トウヤ……そうだろうエグザ」
<負荷は認められず。現状維持を有効と認めます>
「ははは……エグザ、相変わらずだな」
「ダッシュと一緒にしたら可哀想ですよ? 愛想のいいエグザは逆に怖いかもしれませんけど」
互いに苦笑する。
そして互いに見上げるのは空。
青く、蒼く、空高く。それこそ宇宙まで見渡せるのではないかと思いたくなるような真っ青な空。
吐いた息がそのまま雲になるのではないかと思いたくなるくらい白い。
「寒いが……いい空だ」
「昔を思い出しますね。隊長が龍馬さんと一緒にいなくなった時を……そう、人工降雪実験のせいで一面真っ白になった時で。でも一日たったら空は真っ青。みんなで雪遊びして……家に帰ろうとしたら何処を見てもいなかった……」
「ああ。俺もあのころは何にも知らなくて、本気で強くなりたくて……」
「それで私たちをほっぽいといて龍馬さんと一緒に行っちゃったの?」
急に割り込む声。
それが誰かなんて、聞くまでも無く分かっている。
「ガキだったからな…ほら、子供って強いものとか、カッコイイ物とかに憧れるだろ?」
「でもその時トウヤったら『アキトお兄ちゃんがいなくなったーー』って大騒ぎだったのよ?」
「フミ姉、そういうことは……」
「ん? 私だって似たようなものだったもの。良いじゃない」
それきり誰も口を開かない。
思い思いに……空を見る。
時はゆっくりと流れ、時計は律儀に時を刻んでいた。
やがて、ゆっくりとフミカが口を開いた。
「いつか…何時になるかは分からないけど……」
続くようにトウヤが。
「……もう一度火星の上で……」
そして最後にアキトが。
「またみんなで……馬鹿騒ぎしたいな」
しんみりとした空気の中、意地悪く放たれたその言葉は大きく笑い声を上げさせた。
くだらないくらいに、楽しかった。
戦って、たくさんの人間が死んでしまって、それでも自分たちは生きたい。
つらくとも、悲しくても、苦しくても。
その向こうに在るものに会いたくて。
ずっと、笑っていた。
「ね、アキ君」
「フミ姉?」
違和感。
いつもとは違う言葉。
「何処まで話すつもりなの?」
「そうですね。それを先に教えておいてください。僕たちも……考えるところはありますから」
二人にも、感じるところがあるのだろう。言葉を求めている。
「”始まり”……100年前の悲劇を」
「?」
「それだけ? ……火星極冠遺跡のことは話さないの?」
「誰だって欲望には抗えない……俺だって……でも、してはならない事はあると思う。だから……かな。なあエグザ」
呼びかけ。
しかし答えない。
「もし、遺跡の真実を人が知ったらどうなると思う?」
<戦争。内乱。暴動。地球全土で発生し、死傷者は数十億に達します>
余りにも無機質な声が周囲を支配した。
<ただし。人の欲に限りがある場合、これの限りではありません>
「それじゃフォローにならないよな……」
それは誰の言葉だったか。
ヴ〜ゥゥゥゥウ〜〜
少々間の抜けて聞こえるサイレンが基地内、および周辺に鳴らされた。気の早い人間はもう街中に戻ってきていて、護衛についている兵士達が苦労している。
とはいえ、流石に昼時だと分かれば手を休め、思い思いに昼食を取るものだ。
しかし、大勢の人間が集まっても昼食を和やかに取るようには思えない空間だった。
病院内の一室。
静寂。
その場に居る誰もが疑念に思うことだった。
西欧方面軍の指導者、中将たるグラシスが居たからである。
「おい、アキト……なんでグラシス中将がここに…?」
耳打ちするシュンに答える。
「それは、彼にここに来る義務があるからです」
対しアキトは隠しもせずにごく普通の声量で答える。
「これから皆さんにお話するのは真実などという耳あたりの良いものではありません。余りに下らない、そして人間だからこそ成しえる…あまりにふざけた事実です」
すい、とベッド脇にあった一冊の本を取り出す。
「アキトさん、それは…メティの教科書?」
「ええ。ちょうどいい本が無かったんで借りてきました」
ぱらぱらと、ページをめくっていく。
そして、その手が「はた」と止まった。
「ちょっとこのページ、まわしてください」
そう言って開いたまま教科書を回す。
……昔のナントカ言う偉い人の顔に書かれた「ヒゲ」が気になったが、それはまあ良いだろう。ここにいる男たちは身に覚えがあるのだし。
「…歴史か……赤点取ってばかりだったんだよな……」
「ナオさん……」
引きつったような苦笑を浮かべるナオに、なぜかミリアのほうが赤面して俯いてしまう。
「これ…月の独立運動ですよね」
「ええ。確かに……でもこれにどういう意味があるんですか?」
「そうよ。もう百年も昔のことで、内戦に発展しかけた時に時の主導者が調停させて月面を自治区としたんでしょう?」
サラ、アリサ、レイナが言う。
しかしトウヤが口をはさんだ。
「ちょっと、…違いますね」
「え?」
「グラシス中将。……『宿題』は?」
その問いかけに、やけに薄いレポートをフミカへと渡す。
怪訝な目を向けられながらもフミカは目を通し。
「……85点」
「手厳しい」
と、言い合う結果になった。
誰もその意味がわからない。
誰もが口を開かない、その場においてアキトはごく普通の口調で、それがさも当たり前であるかの様に、さらりと、自然に。
「何処から言うのが正しいのか分かりませんが……最初に言っておくことがあります」
……言い放った。
「木星トカゲは、紛れも無く地球の人間です」
『!!!』
それを継いでフミカが言う。
「そしてこの戦争の引き金を引いたのが10年前、当時の連合軍上級士官達だったのよ」
「それ……どういうことですか、お爺様……?」
「わしは……聞いておらんぞ、そのようなこと……」
振り向き様尋ねるサラに、困惑するグラシス。
今度口を開いたのはトウヤ。
「当然です。これを知っていたのは本当にごく一部……軍なら元帥クラス、国家ならG7の様な代表国、財界なら……ネルガルやクリムゾン、そして明日香……せいぜい数十人」
「それも……国家間を動かせるような人間に限ってのことですが」
そう言い、暗に自分たちが例外であることを示す。
そしてアキト達三人は、誰もが悩み始めたのを知った上で、言葉を続けた。
「事の始まりは100年前の月の独立運動に端を発します。時の政府はこれを内乱に導き、月を弱体化させた上で地球の支配化に置くことに成功しました。これがきっかけになって地球全土に”協調の意思”が生まれたから……それを消したくなかったんでしょうね」
「で、問題は当時、月の内乱を起こした人達。政府からすれば秘密を知る危険分子、月の住人からすれば内乱を起こした極悪人、……迫害が始まったわ。真実が何処にあるのかなんて考えない人たちの暴走よ」
「彼らは危険を感じ……当時テラフォーミングが始まった火星へと移住しました」
おや、という顔をするグラシス。
「待ってくれ。当時はまだ初期の実験段階…移住者を募る余裕など……」
「ありませんでしたよ、もちろん。けれど火星の研究者達は彼らを迎え入れました。打算ではなく、純粋な好意として。地球側の偉い人は地球で安穏として暮らしていましたから、開拓の必要性を肌で感じてなんかいませんでした、助成金が雀の涙だったことが証明してます」
「で、グラシス中将のレポートに移るんですが……」
言いつつ、レポートを広げる。
全員が覗き込み、そこに書かれていた記事に不安を覚えてしまった。
『地球全土で大規模な軍縮、また非核三原則を元に核兵器の大量廃棄を決定。また解体した資材のテロリズムへの危険性を考慮し、太陽へ廃棄する』
宇宙への、廃棄。
「地球とは比較するのも馬鹿らしいほど大きな太陽……そこに廃棄するのなら問題はないでしょうね……射出ルートさえ間違わなければ」
ルートの、違い。
「結局、火星に降ったのは恵みの雨ならぬ核ミサイルの雨。老若男女を問わず……たった百年。その影響が残っていないと考えはしませんね?」
「彼らは木星へと逃げ出した。……そこであるものを発見し、生き延びた……地球への恨みを糧にして」
「それでも地球との友好を考える人も居て……木星圏は二分して、……復讐を選んだ人たちは、最後通牒として和平会談を持ち、連合軍は一笑に伏し、制圧を考えた」
「おじい様?!」
「わ、わしは知らんぞ! 第一、そのような事があったのなら儂は和平を選んでおる……失うことの辛さは、誰より知っているつもりじゃ……」
「……そうですね」
そう、サラもアリサも、両親の死を……知っている。どのような形よりも、明確に。
だから、失うものの悲しさを良く知っている。そして祖父が、同じ物を持っていることも。
「話を戻しますけど……木星で彼が発見したのが古代先史文明が残した遺跡、通称プラント。さすがに壊れたものもありましたけど、いまだに動くものも数多く、……そして、それに付随するようにチューリップの存在もあったんです」
テツヤが動いた。
「それは、ライザ……いやクリムゾンがバッタを動かしたことと関係があるのか?」
答えるのはフミカ。
「そ。いくらプラントがあるからってそれだけで人が生き残れるわけは無いわ。地球連合の口封じを切り抜けて、それでも彼らと助け合う人間だって幾らでもいるのよ」
「まあ、結局……世界を見れば分かるとおり、復讐の炎が蹂躙している……世界を守るための軍が、名誉欲と自尊心だけで世界を滅ぼすってんだから……キツイよな……」
そう、自嘲気味に締めくくった。
だが、サブロウタの声が、水を打ったような静けさの中に投じられた。
「……テンカワ・アキト。おまえは一体何者だ?」
その問いは、この場にいる誰もが疑問に思うことであり、また聞けなかったこと。
この場では、まだ言うべきことではない。
だが、言わなければならないことでもある。
「……10年前、火星で空港テロがあった。俺の両親だけじゃなくフミ姉もトウヤもその時孤児になったんだ。……血の臭いと火薬の臭い、肉のこげる臭いと誰かのうめき声。その地獄から助けてくれたのが、和平交渉に来ていた木連の士官だったんだ」
それは陰惨な思い出を語るには余りに重い目。
何か重大なものを無くした人間がする瞳。
シュンが口を開く。
それは、その瞳を見たから。
余りに危うい光を見たからだ。
「……これからどうする気だ?」
「和平を実現させる。……そのために俺はここに居るのだから……」
それは演技などではなく本心からの言葉。悲壮なまでの決意をたたえた言葉だった。
グラシスは問う。
「ではどうする気だね? 先ほどの会話からすれば、軍は君のような人材の存在を許すまい」
アキトは答える。
「ナデシコに戻ります。ネルガルとの契約……EX01とEXAの譲渡と引き換えに……これはネルガル会長との正式な契約ですから」
テツヤは問う。
「…俺は真実を知りたい」
トウヤが答える。
「なら、来ると良いでしょうね。幸い軍はナデシコを監視するため、もしものときの備えのため――ナデシコを破壊することが出来る可能性のある連合軍唯一の戦艦――明日香インダストリーのカグヤをつけるつもりですから……そこはナデシコ同様最前線に行きますからね」
最後に、右手の指を銃に見立てて「バン!」と付け足して。
シュンは警告する。
「ナデシコは正式に軍へと編入されるぞ……?」
フミカが答える。
……どうにも慣れない、不思議な笑みを浮かべて。
「その辺は大丈夫よ。連合は、一枚岩じゃないもの」
「……そ、そうか?」
どうにも安心できない言葉に冷や汗を流すグラシス……。軍の上層部にある彼に言う言葉ではない。
アキトたち三人は背を向け病室を去ろうとする。
そして、最後に。
「連合軍は自分たちの体面の為、真実を知るものたちを抹殺して生きた……今日この場で知ったことは口外しないほうが良い……」
そう、言い残して……。
彼らは残された。
残されたがゆえに、悩んだ。
そして最初に声を出したのはテツヤ。
「グラシス中将……契約は破棄させてもらう」
「カタオカ君……何故だね?」
「俺は地球上の企業を調べるところからはじめようと思う。だがアンタの孫のガードの仕事が出来なくなるという事だ」
「それは…」
「俺もだ。ナデシコは今回のことで月面ドックに行くだろう……そしてその前にサセボで補給するはず。俺はそっちで合流しようと思う」
「ヤガミ君!」
「すまない、ミリア……」
「いいんです。ナオさんがやりたい様に……」
「ありがとう…」
こんなところでもピンク色のムードを……ナオとミリア。独り者にはあまりに辛い空気である。
「……ゴホン! まあいい。ナデシコはこれから極東方面軍に組み込まれるはずだ……私はそちらと交渉しようと思っている。君たちは……何かあるかね?」
「お爺様、私がナデシコに乗れる様には出来ませんか?」
「私もお願いします」
サラが、アリサが言う。
「お前たち…?」
「お爺様が私たちに戦場に出ることを良くないと思っていることは知っています。でも……」
「私には、それ以上に大切なことがあるように思えるんです!」
「そう、か……」
ふと、二人の孫の顔を見る。
グラシスは二人の顔に懐かしいものを見た。
それはかつて妻の目に見たもの。そして、息子が一人の女性を紹介に来た時のこと。そのときの女性たちの目の中にあった光。
人を愛することを知った者の目。
以前ホテルで見た憧れの目とは違う。
間近で見つづけたからこそ知った……決意の目。
その決意を知り、いまだ意思を表さない、一人の男に目を向けた。
「タカスギ君、君はどうする?」
考え込んでいたサブロウタは……いまだ迷いのある目で答えた。
「今は……時間が欲しい。真実を知るための……信じた道へ歩くための……」
あとがき
まずは最初の一言。「主役(メカ)が最強である理由は無い」ですね。
01が「空港テロ事件」で離反した者を含んだ「ネルガルの技術」の集大成であるのに対し、02以降は「火星に取り残された科学者全員」によって作られたもので、そこに込められたテクノロジーは01を超えます。その上パイロットが生物学的に人間を辞めつつありますし。
ただ、実戦によるデータ集積が不十分の上に、訳の分からない部品を検査もせずに組み込んだと言う……非常に不安な欠点はありますが。
また「破壊された遺跡の再利用」である01や屍鬼の能力は頭打ちですが、龍皇と紅鳳は「生きている遺跡」なのでまだ伸びる可能性はあります。具体的には(ナデシコクルー主観による)「龍皇の暴走」によりナデシコが後期用の新バージョンへと変貌を遂げた今回の事件です。
なんか……今までアキトがスーパー系だったのに、ボロボロにされて……北辰、何時の間にかイベントキャラ並の反則スペックを持ってるし……例えるなら「Zが破壊されてグレートが登場する場面」じゃないかと、書きながら思ってしまいましたよ。ちなみにあの動きの元ネタは「朱の鬼神こと軋間家当主のあのお方(月姫)」です。一撃で全てのものを破壊するが近距離だけしか攻撃できない。しかも動きは異常すぎるということで。
ところで皆さん「地球外生命体」の存在をどう思います?
現代科学を以ってしてもごく近い位置の恒星しか見ることの出来ない(つい最近、別の恒星系の惑星を確認することには成功した程度)状況で、存在しない、というのはおかしいと思います。
つまりは…地球「だけ」に生命、知性を持った生命が存在するという考えはおかしいと思います。
ここでは火星極冠遺跡はその幾多を滅ぼした……としています。その被害者の一部が龍皇の中の残存思念、彼らです。第一、火星先史文明は一体誰が作ったのかということになりますから。
……遅れてごめん。修羅場がやっと終わった。
代理人の感想
・・・つまり、北辰は戦闘獣なわけですな(爆笑)。
それならあの強さも納得できると言うものです(笑)。
それに、主役機だって型落ちしながらパイロットの腕でカバーするのはお約束ですよね。
ほら、一応ナデシコってリアル系だしィ(核爆)
>地球外生命体
この宇宙の中で我々と言う生命がここに存在している以上、
確率論的に言えばいない方がおかしいものと思います。
まぁ、既に滅んでいたりするのかもしれませんけれども、どこかにはいるでしょう。
案外オウストラル島かどっかにもう来てるのかもしれませんが(笑)。