機動戦艦ナデシコ<灰>

 エピソード6−1/何で舞歌「」かというと


 暗い闇の中、女が走っていた。
 腕に抱きしめるように大きな鞄を抱き。
 男達が追っていた。
 手には銃を。慣れた者なら嗅ぎ取っただろう、その銃から、硝煙の匂いが立ち込めるのを。
「くそっ! あのアマどこ行きやがった!」
「どうする、あれが誰かに渡ったら…」
「殺される。今は逃げ延びてもボスに捕まって、ヤマサキのラボ行きだ……」
 その言葉に潜むのは未知なる物への純然たる恐怖。
「仕方ない、ここからは分かれて行動する、定時連絡を怠るよ!」
「は!」
「はっ!」
「散開!!」

 女はただ走っていた。二の腕から血を滲ませて。
「なん、で、なんで、銃まで…たかが、置き引きなんかで……」
 やがて、切れた息が、体を動かすことを禁止する。路地裏に倒れこむ女。酸素が足りず、今にも闇の中に落ちそうな暗い視界と意識、そしてやけによく聞こえた、男の声。
「ゲームオーバーだ。荷物は返してもらう」
 女にすれば、それでいいくらいだ。
 何しろこの男たちとの縁が切れるのだから。
「そして次は背後関係を喋ってもらう」
「背後関係なんか無いわ!」
「ほう、隠すか。ならば拷問でもするしかないな。……女に生まれたことを後悔するくらいにな」
 そう言って、本心からか、それとも演技か。男は舌なめずりをしながらわざとゆっくり、女に近づく。

「やめておけ。獲物を前に舌なめずり。三流の証拠だ」
 声が、響いた。
 凛とした、冷たさと熱さの同居した、不可思議な声。
 繁華街の光が逆光となり、姿は見えない。

 女は気を失った。物理的な力を持つほどの恐怖を感じ。
 男は抵抗した。絶対的な恐怖を感じ、それでも銃を、この狭い路地裏で、避ける場所など無いと信じて。
 ド!!
 大砲の音もかくやという重い衝撃が路地に響き、男は倒れた。銃を放つよりも早く、崩れ落ちた。
 右胸が陥没し、肋骨が砕かれたことが素人目にも分かるほどだ。
「全く。なんで俺がこんなことを……」
 そう言いながら鞄と、盗んだ女を担ぎ、歩き始めた。
 誰も知らないこの事件、この町に住む一匹の猫がその一部始終を見ていた。
 木星で栽培された麻薬と、それを運んでいた男たち、知らずに盗んだ女、そして最後に現れた、長い赤い髪の女の姿を。



「北斗さん、お疲れ様でした」
 そう言いながらルリはお茶を入れた椀をテーブルの上に置く。
 ここはアキトの事務所、その応接間。
 だが座っているのはアキトではなく北斗。しかも男物のスーツをいわゆる美少女顔の北斗が着ている所為で「不可思議な雰囲気(即死:零夜限定)」を醸しているあたりがなんとも。
「報酬は振り込まれていました。仕事も一段落つきましたし、これでまたしばらくはゆっくり出来ますね」
「あいつは……まだ戻っていないのか?」
「……残念ながら……」
 そして思い出すのはやはり、一月前の事だった。

〜回想〜
 ナデシコブリッジ。
 今だ宇宙にあるそれの中、ブリッジには幾人もの人間が集まっていた。チューリップに強制介入したオモイカネが操作し、食糧供給船が中へ消え、最重要の懸念事項・食料が木星へと運ばれていく。
 そんな中で処置に一区切りついたのか…イネスが説明を始めた。
「……結論から言うわ。草壁派を名乗るテロリスト。彼らは全員死亡が確認されたわ」
 そこで一つ区切り、続ける。
「彼らの体からは遅効性の毒が検出されたわ。おそらくは逃亡防止でしょう。おそらく食事に不完全な中和剤でも入れてたんでしょう……趣味が悪いわね。そしてコスモスはまたも行方不明。地下ライフラインはついでに破壊されて不通状態。復旧にかかる時間と労力……税金の事を考えると頭が痛いわ」
 そう言って、この戦いが、敵を追い払っただけだと締めくくる。
 そこで、連合の代表としてきていたリョーコと、統合の代表としてきていた三郎太が声を挟む。
「……正直、あのテロリストは元木連の軍人だ。俺自身含むところが無い訳でもない……上には掛け合ってみるが、今の木連じゃそれほどは出せないだろう……」
「連合も似たり寄ったりだ。戦争の時に地球に落ちたチューリップは2000を超えてんだ。解体やら運搬やらで財政はかなりなことになってる」
 そう言って、気まずい雰囲気が。
 これで大変なのは、月の人々だ。
「ま、ネルガルにとってはかきいれ時になりそうだね……」
「……はあ、アカツキさん、そう言うことは今言わない方が良いんじゃないですか?」
 などと、言ってみたり。
 これからの復旧は大変なことは誰の目にもあきらか。だからこそ出てしまうようなぼやきだった。

 そこで、ルリが言葉を漏らした。
「エステバリス、追加装甲、ザリガニ。計三体の回収が完了しました。両機ともパイロットは確認されず……しかし残留ボース粒子の量から、共に何処かへと移動したと推測されます」
「……どういう事だ?」
 いまだに居たリョーコが口にする。ヤマダ達も険しい顔をしている。
 一部の人間しか知らない「ボソンジャンプの真実」、彼女はそれを知らない。
 僅かに迷いの色を見せた後、アカツキは言葉を紡ぎだした。
「ボソンジャンプ、知ってるよね。昔の木連の十八番の」
「そりゃ、まあ」
「昔ね、地球側でもそれを利用しようとした軍人が居たんだ。上層部にね」
 おかしくは無いだろう。
 ボソンジャンプを統括する遺跡、現在は行方不明とは言え、かつては火星ひいては地球が管理していたのだから。
「で、それの第一人者って言われる研究者が居たんだ。軍はこう言ったよ『協力しろ』って。でも彼らは『戦争に使う気はない』って。結果、空港一つ、丸ごと自作自演のテロ行為。隠蔽としては最低の下策だね。何十人もの死傷者を出したんだから」
 ここで一つ、深く深呼吸をする。
「彼は真実を知っている。ボソンジャンプの真実もね。チューリップも必要とせずに彼は自由に消える『居ない』のなら、何処かに『居る』って事。僕らはそれを探すだけさ」
「……アイツ、生きてるのか」
 そう言って、北斗はその繊細な顔に似つかわしい猫科の、いや虎の様な笑みを見せた。



「そういえば北斗さん、白鳥さん達の事聞きましたか?」
「いや、俺は知らないが」
 そう言うとルリは、意味ありげに笑った。
「実はですね……」

 

 連合軍の施設の一つ、極東方面軍の拠点、その一室に彼らはいた。
 そこでは舞歌が「悪の華」と呼ばれても否定できないほどの、一見しただけなら見とれてしまうほどの笑みを浮かべていた。
「では皆さん、異論はありませんね?
「あの舞歌様……では皆さん、と言われましても、話していただけない事には……
「言い忘れていましたが、拒否権はありません
 勇気を振り絞った九十九の声も、彼女に届く事無く一蹴されてしまう。それよりも、拒否権が無いのならば断る事も無いだろう。いや、何故東「中将」ではなく舞歌「様」なのか……余りに自然すぎて誰も疑問を持たないあたり、彼女の恐ろしさを感じずに入られない。
「ではせめて、内容を教えて下さいませんか?」
 ぎろり。
 今度は月臣の声を遮って睨みつけた。まるで「略奪」の特殊能力を持つ某妹の様な鋭さだ。
「今説明しようと思ったところです」
 しかしここまで来てもジュンは「精神的に死亡」したままだった。

「貴方達はこれから統合軍・連合軍の枠を超えて合同組織として動いてもらいます。とは言え民間人に不信を与える事は不利益そのものです。よって新しい役職を作りました。実際には貴方達の籍はそれぞれの軍部にあります。しかしこれから貴方達の勤める場所は……あそこです」
 そう言って指し示したのは、市役所の庁舎。
「平たく言うと、「超特殊技術職」という奴ね」
 笑いながら、徹夜明けの飛厘はアブナイ目で語った。
 どうやら作業は終わったらしい。

 その頃ミスマル・コウイチロウは何時の間にか地下で繋がった自分の執務室と市役所庁舎の通路の中で変装をしていた。「魔法使いのお姫様のパパ」などと言われる頭の上にパーマがかった、裾の広がった鬘をかぶって。
「ふむ……東殿の説明によれば、この姿のときは自分の事を「博士」と呼ばせるのか……」
 などと、より一層危険な事を言っていた。
 しかし彼は知らない。このヅラは揚力を発生させ空を飛ぶ事を。


「それにしても九十九君。それ、どうしたの?」
 魂の抜けたと言う言葉がこれ以上に合う男がいるだろうか、いや無い!
「アオイ少尉はその……昨日のダメージがいまだに抜けてなくて……」
「ウチの妹と、その友達に止めを刺されたらしくって……」

〜回想〜
 酒気の立ちこめる白鳥邸、客間。
 酒の匂いを流すためにシャワーを浴びたチハヤと、未成年の筈のユキナ。ソファの向こうに倒れたままのジュンは、今度は涙の代わりに鼻血の跡がくっきりと。
「でもチハヤさん、これからどうするの?」
「取り敢えず馬鹿兄貴のところに行くわ。ほっとくと何するか分からないし」
 そう言いながらアイソトニック飲料を、首を逸らすようにして飲む。唇から漏れたそれが、首筋から胸元へと垂れていった。
 そしてジュンは噴水になった。
 なぜならこの二人、風呂上がりと言うことでバスタオル一枚きりだったから。 
「……にしても、私の腕時計知らない?」
「知らないけど……その辺にあるんじゃない?」
「探したんだけどね。でもま、アレが何か知らなきゃ安全だけどね」
「……安全?」
 そこまで言って、何時の間にか虫の息になりつつあるジュンの顔を覗き込む。
覗き込むには屈まなくてはならない。ジュンは静かな断末魔の叫びを上げた。
「ところでジュン君……もしかしてロリコン?」
「あ、そうか。ユキナちゃんの肌を見て……大丈夫、私はそう言うのに理解あるほうだから……これからも友達でいてあげるわ」
 まことに持ってありがたいお言葉。
 昨夜「友達だから」と綺麗さっぱり後腐れ無くユリカに
振られた彼にはかなり堪えたようだった……。


「くッ…見たかったわ、その光景!! 九十九君、なんでそれを撮っておかなかったの!?」
 心底残念と言う顔で怒り出す舞歌「様」!!
 こうなったらもう止められない。部屋の隅っこで縮こまって震えている氷室君が郷愁を誘う! 何となくハムスターっぽいぞ氷室君!
 そこで今まで口を開かなかった源八郎が一本のディスクを懐から取り出した。
「白鳥の妹からダビングしてもらったディスクです。未編集ですがどうぞ」
「あら? わるいわね」
 そう言いつつも悪びれた顔など全くしていない、むしろ今すぐにでも仕事をほっぽっといてビデオ鑑賞に行きそうな雰囲気だ!!
 そしてそのディスクに何が収められていたのかを悟った瞬間、ジュンが暴走する!!
「う……わ、わああああああああああああああ!!!!」
「さ、再起動した!?」
 いきなりスタンディングから身を屈め、飛び上がり、空中で前転するような格好で全体重をかけてディスク…蹴りが源八郎の右手を狙う!!
 そして一瞬「紅い壁の幻」が見えた次の瞬間「ぱりぃん」という音が聞こえ、ディスクが砕け散り、源八郎のパンチがジュンの顔を狙うが、しかしジュンは蹴りつけるように後方に飛びのき、獣じみた仕草で地を這うように物陰へ!!
「ジュン君が……戦っているのか!?」
「そんなはずは無い!! 彼にはこんな高度な戦い方は無理だ!!」

 だが、E兵器を思い起こさせる彼の戦いっぷりもそこまでだった。
 ドゴン!!
 北斗・アキト・北辰を髣髴させるような一撃が飛び、ジュンの体が吹き飛んだ!!
「……ぜるえる?」
「誰がよっ!! ……ジュン君、私の楽しみを邪魔してくれたバツ……分かってるわね?」
 あほな事を言った九十九の顔に一発入れて舞歌は向き直る。
 そしてジュンは暴走時の正気を失いながらも的確に敵を打ち砕こうとしたあの獰猛さは微塵も感じられず、さながら劇場版の「3番目の子供」を思わせる目で見上げている!!
「……アオイ君? うーんと……『小便はすませたか? 神様にお祈りは? 部屋の隅でガタガタ震えて命乞いする心の準備はOK?』
 そして見下ろす舞歌の目は「まぢ」だった。

「……源八郎」
「何だ、元一朗?」
「お前の事だ。一枚じゃないんだろ?」
「全員分ある。後でネットに載せる分もな」
「……一枚くれ」
「ああ」


 惨劇、やまず。

 また。
『……12時37分頃地震が起きました。各地の震度は以下の通り……』
「震度6? …怖いわね」
 TVを見ながら、お昼の用意をする女性が居た。
「そう言えばナオさん、ここ一週間来ないけど……どこ行ったのかしら?」
「全くあの甲斐性なし……お姉ちゃんが好きなら好きって言えばいいのに……」
 手を頬にあて、考え込む姉を見て妹はそっと溜め息をする。
 街一番の美人と名高いミリア・テア。そしてその妹、メティス・テア。
 父親と娘二人、ごく普通の暖かい家庭だった。
 そんな娘の悩む様を見れば機嫌を悪くするのが、万国共通の父親像だろう。
「……メティ」
「……欲しいゲームが」
「……一本だけなら」
「……OK」
 たったこれだけの会話。
 ……何故、美しく気だての良い姉に恋人が居ないのか、その理由はお気になさらずに。
 大人より、子供の方がよほどクレバーだと思うのは、何故だろうか。

 ネルガル本社・応接間。
 ここにいるのは現在「まともな思考能力のある上級職」、つまりプロスペクターとイネス、ナオの三人だけがいた。
「グシュッ!」
 多少変なくしゃみが飛ぶ。したのはナオだ。そして鋭く見つめるのはM・D・イネス。何の略か、今更説明はいらないだろう。
「あらナオさん、風邪でも引いたの?」
 その手にはいつの間にか、大型動物用の注射器とアンプルが握られている。
「……いつの間に?!」
 プロスペクターが見切れなかったそのイネスの右手の動きに戦慄の声を漏らす。
「いや、ただの噂か何かだよ、ドクター、だからその紫の……いや青? とにかく色の変わる変な液体と注射器をしまってくれ!!」
「あら残念……」
 何となくだが、やり場のない重い空気が立ちこめた。

「メティ、何か言った?」
「ううん。それよりお姉ちゃん、メティ買い物に行ってくるね」
「後30分ぐらいでご飯だから、すぐ帰ってくるのよ」
「は〜い」




あとがき
 お久しぶりの<灰>ですね……。
 取り敢えず導入部分はともかく今回は「地獄の特訓(舞歌ぷろでゅーす)」です。
 一ヵ月後、いまだ帰ってこないアキトの代わりに北斗が「社会教育」と称して仕事をさせられ、ルリが「この一ヶ月間の九十九達の話」をすると言うところです。

 元ネタは「エクセル・サーガ」……知らない人は少ないと思いますが。
 つまり今回は「特訓風景+どくきのこのお届け物」だ!


代理人の感想

 

「M・D・イネス」・・・・マッド・ドクターの略なんだろうが原作通りでも全く違和感がないというか(汗)。

その場合は「暴走鬼女医 M・D・アイちゃん」になるのか(爆)?