嗚咽が響く。
静かに哀しくナデシコのブリッジに響く。
IFSのコンソールに涙の水滴を幾つも落としながら泣いているルリ。
その心を支配するのは悲しみと後悔…そして恐怖。
変わり果てたアキトに対する感情。
悲しみは自分の声がアキトに届かないから。
後悔は事故・偶然とはいえ時を遡りアキトの変わり果てた姿を知ってしまったから。
恐怖は人があそこまで壊れられるということを知らされてしまったから。
ルリ以外誰もいないブリッジに響く嗚咽。
誰もいないということにこの時だけは感謝するルリ。
みんな休憩に入っている。
非常時は知らせるがそれ以外ではまだ帰ってこない。
だからルリは遠慮なく涙を流す。
そのルリの姿を見ているのはオモイカネだけ。
だがオモイカネは何も言わない。
その代わりか?誰も居てほしくなかった時に誰かが現われるのは。

「どうしたの!?ルリルリ!」

恐らく一人でいるルリの様子を見にきたのだろう。
だがそれはルリが一番有ってほしくなかったこと。
そしてそれは裏切られた。

「ルリルリ、どうして泣いてるの?」

ミナトが心底心配という声を出しルリをあやしながら聞く。
だがルリは答えない。
ただ涙を流しながらかぶりを振るのみだ。

「まさか…あのアキトって人?」

ミナトがズバリ核心を突く。
それでもルリは答えない。 だが流れ出る涙の量がそれが答えだとミナトに告げる。
告げられる涙の答え。
それを見て取ったミナトは走り急いで食堂へと向っていった。
アキトは今食堂に居るから。
そのことに気づかないルリは静かに涙を流す。
か細い嗚咽がただただブリッジを悲しみに染めていくのであった……。

 

 

 

 

ルリが涙を流している頃アキトは食堂にいた。
もう少ししたらミナトが来るのだがもちろんアキトは知らない。
もし知っていたのなら自室に居ただろう。
がアキトは知らないのでここに居る。

「酒をくれ…一番強い奴をな」

厨房とフロアを分けるパントリー越しに言うアキト。
程なくして酒が渡される。
それを受け取り空いてる席に座り手酌で飲み始めるアキト。
喉を灼くような感覚に心地よさを感じながらアキトはナデシコの事を考えていた。

(乗るべきじゃなかったかもな…)

プロスに誘われた時、一種郷愁に焦がれたがいざ乗ってみると面倒な事が多すぎる…そう思うアキト。
ユリカにしろルリにしろ思い出を以って接してくるから。

(うざいんだよな。そんなに『昔』の俺がいいなら遺伝子でも何でもくれてやるからコピーでも作ってそれ相手に騒いでほしいもんだ)

知らず知らずの内にグラスを握る手に力が篭る。

(…遺伝子か…。なんだったら直接注ぎ込んでやろうか?)

邪に唇を歪めるアキト。がふとそれが止まる。

(ユリカならともかくルリちゃん相手じゃ入らんというか勃たんか)

と更に唇を歪めるアキト。
自分の考えがなにやらツボにはまったらしく静かに笑う。
だがそれは突然の乱入者によって止められた。
バン!!と大きな音を立てるテーブル。
騒がしかった食堂が一瞬にして静まる。
アキトが音を立てた人物を確認するとミナトの姿が有った。

「なんのようだ」

つまらなそうに言うアキト。
ミナトがこんなに怒るとしたらルリの事だろうとあたりをつけたからだ。

(くだらん話は止めてほしいもんだ)

この後の展開にどう自分なりにおもしろくしてやろうかと思案しながらアキトは呟くのであった。

 

 

 

 

ブリッジを出て食堂に向ったミナト。
先程はすれ違うようにアキトが食堂に入ったからまだ居るはずとミナトは考えた。
そしてその考えは間違っておらず食堂内でだらしなく制服を着崩した青年を見つける。
少しの間見てみると酒を飲んでいるとミナトは気づく。
それ自体はどうでもいいことと考えているミナトだが暫く見ていると鳥肌が立った。
ミナトが見たのは醜悪な笑みを浮かべるアキトの顔だった。
その笑みに対して絶大な嫌悪感を抱きながらも別に抱く憤怒に従いアキトがいるテーブルに近づくミナト。
何を考えているかは解らないが浮かべている笑みからして碌でもないことに違いないと思いながらミナトはテーブルに力いっぱい手を当てる。
そして響く大音響。
静まり返った食堂に響くアキトの声。
ミナトはつまらなそうにいうアキトに更に怒りを募らせる。

「あんたルリルリに何したの?」

声だけはそれほど大きくないが込められた怒りが実際以上に声を大きく聞こえさせる。
がそれもアキトにとっては自分の楽しみを増させるスパイス程度でしかない。

「何をした?…なんの話だ?」

と問うような口調ではあるがその口元は歪んでおり分かっていながらミナトに問いてると分かる。
それに歯を噛み締めるミナト。

「あの子…泣いてたわ」

ミナトが思い出すのはルリの泣いた顔。
それは今まで見てきた様々な人達の誰よりもその泣き顔は悲痛に見えた。

「そうなのか?まぁ子供だしそんな時もあるだろう」

自分が泣かしておきながらとは決して思わないアキト。
ルリが泣いたところで、それがどうした?、でしかない。

「あんたわかってて言ってるんでしょ!どういうつもり!女の子を泣かすのそんなにおもしろい?!」
「女の子をねぇ…鳴かせるのは好きだがね」

と好色な笑みを浮かべミナトの豊満な肢体を撫で回すように見るアキト。
それに対してミナトは言葉を返さなかった。
一切の手加減無しで手を振るう。
自分の手が痛もうが関係ない!とミナトは激情のままに手を振るう。
だがそれはアキトに届かない。
呆気なくその手を掴まれる。

「いきなり酷いな」

小馬鹿にした笑みを浮かべミナトに言うアキト。
ミナトが射殺さんばかりにアキトを睨む。
その表情に鼻を鳴らしながらアキトは掴んでいる手を引きミナトを引き寄せる。
口付けしそうなほどに近づく二人の顔。
ミナトの顔に僅かにアルコール臭い息がかかる。

「そんなに『ルリルリ』が可愛いなら伝えとけ。てめぇの願望、人に押し付けるなってな」

ミナトにしか聞こえない程度の声量で言うアキト。
ミナトは言葉を返さない。
ただアキトを睨みつける。
食堂内が険悪な雰囲気に包まれる。

「あんた達!なにやってんだい!」

一触触発の二人に掛けられる声。

「ここは食堂!みんなが気持ちよくご飯食べる為にある場所なんだよ!喧嘩は別の場所でしな!」

手にお玉を持ったまま言うホウメイ。

「だそうだ」

と掴んでいたミナトの手を離すアキト。
さすがのミナトもホウメイに言われてまで争う気は無いのかアキトを睨みつけながらだがそれだけで食堂を出て行った。
その後ろ姿を見ながらアキトは一人言う。

「女性のヒステリーには困ったもんだ。手におえない」

冗談めかして言う言葉に男性クルーの何人かが失笑をもらすが女性クルーはその言葉に嫌悪の目をする。

「あんたもだよ!」

とアキトに今度は言うホウメイ。

「俺も?」
「そうさ。喧嘩両成敗。あの娘が出て行ってあんただけが出て行かないって言うのは不公平だろう」
「なるほどね」

と出口に向って歩いていくアキト。
その背にホウメイが言葉を投げ掛ける。

「あんた…その性格直すべきだね。今のままだと最低な奴だよ」

皮肉ではなく心配の情が入るホウメイの言葉。
がアキトはそれに気づきながらも言う。

「生憎そんな最低の性格を気に入ってるんでね」

最低?結構じゃないか。このいかれた頭にはぴったりだ。
おかしそうに言うアキト。
それ以上ホウメイは言葉を掛けない。
そしてアキトはその場を辞した。

 

 

 

 

「しまった。酒もってくりゃ良かった」

食堂をでて暫く歩いてからアキトは呟いた。

「まいったな今回は連合に喧嘩売ってないから防衛ライン無理矢理突破する必要ないからな」

ユリカが寝込んでいる代わりにフクベが交渉した結果、無条件でビッグバリアその他を抜けられる事になったナデシコ。
無論そこには軍がナデシコの力を知らない為という部分も大きい。

「どうやって暇を潰すか…」

とアキトが立ち止まり思案しているとその横を抜けていく女性クルー。
腰ほどまである長い黒髪。美人と普通の間にあるようなまぁまぁと言われそうな容姿。
街ですれ違えばそのときだけ美人かな?と思われるだけの大して目立たない顔。

(あの女は…)

すれ違う際に見えた顔に記憶の紙片をかき集めるアキト。
それが一つの形になり思い出す。

(そうだ…確かあの女はクリムゾンの裏担当の奴だ)

いくらナデシコに一流の人間を集めるといっても現役の裏担当、それもネルガル最大のライバル会社であるクリムゾンの人間を入れたりはしないだろう。

(ということはスパイか)

その答えに辿り着いたときアキトの頭に閃くものが一つ。
その閃きに唇を歪ませるアキト。

(上手くいけば暇つぶしにはなるな)

と邪悪な発想をするアキト。
迷う事無くその女に近づき小声で話し掛けた。

「成果は有ったかい?クリムゾンのお姉さん?」

その言葉に微塵の動揺も見せず、なんですかそれ?、と返事を返す彼女。
普通の人間であれば間違えたかな?と首を捻るところだが知っているアキトはそんなことも無く続ける。

「隠すのは無意味だ。タナカ・ヨウコさん…いやカミシロ・サキさん」

偽名ではなく本名を呼ばれた事にさすがに動揺する彼女。
彼女はアキトを睨みながら硬い声で言う。

「なんの…用です?」

微かに震えている声。
その声を聞きアキトは僅かに嗜虐感を覚える。

「ここではあれだろう?……俺の部屋で話そうか」

心底おもしろそうに言うアキト。

「それとも…そちらの訓練は受けてない?」

それはそれでおもしろいな。などと思いながらアキトは笑みを浮かべる。

「…分かりました」

アキトのような人間は御しやすいと感じたのか再び動揺を沈ませ諾すサキ。
彼女はアキトに気づかれないように袖口を触る。
先ず気づかれない硬質の感触が彼女に心の中で笑みを浮かばせる。
そしてアキトは後ろに彼女を引きつれ自室へと向うのであった。

 

 

 

 

暗い部屋の中に響くベッドのスプリングの音。
部屋の中に独特の臭気が漂う。

「どうした?スパイともあろう奴がこの程度でダウンか?」

嘲るアキトの言葉がサキを現実に引き戻す。
今このときと同じに暗い部屋に入った途端に腕を押さえられ袖口に隠してあった暗器を奪われた。
奪ったアキトは笑いながらそれをゴミ箱に放りサキをベッドに投げるように扱った。
そして一気にのしかかられ今に至る。

「っく」

小さく悔しみの声を出すがそれはアキトにとってスパイスでしかない。
だからアキトは笑みを浮かべ彼女をより蹂躙する。

「っくあ!」

とアキトの動きに快楽の声を、喘ぐ声を上げるサキ。
流れるような汗がアキトの筋肉質の身体に落ちる。
それと同時に微かに震えるサキの身体。
アキトも動きを止める。

「…随分と感じやすいんだな」

アキトは言葉と共に腰のラインをなぞるように指を動かす。
その動きにビクッ!と反応するサキ。
反応を見て取ったアキトは子供が玩具を扱うように手を這わせる。

「やめ…て」

息を荒げ言うサキ。
が上気した声がそれがくすぐったいだけではない事を知らせる。

「いやだね」

アキトもそれを知っているから尚も手を様々な場所に動かす。
そのたびにサキは身体を振るわせる。
暗闇の中まるで発光体のようにボゥと白い裸体がある。
手が動くたびにそれは微かに震える。
淫靡さながらの光景だ。
どれくらいそれを繰り返していただろうか?アキトも飽きたのか手を休める。
だが動きが無くなってもどちらも声を発さない。
そして小さく響くこすれる音。
暗闇の中に小さな明かりが点る。
点った明かりをアキトは口元に、咥えている煙草に近づけ新たに明かりを点す。
生まれる度に闇に溶け込む紫煙が揺らめく。

「私を…ネルガルに引き渡すの?」

そこで初めてサキが口を開いた。
アキトの胸に頬を寄せ震える声で聞く。

「もし…そうだと言ったら?」
「この場で死ぬわ」

僅かな逡巡も無く言うサキ。
これにはアキト自身が僅かに驚いた。

「随分と過激だな?そんなにネルガルが怖いのか?」

と聞くアキトの言葉にかぶりを振りサキは言う。

「怖いのはネルガルじゃない、ネルガルのプロスペクターよ」

とアキトの脳裏にちょび髭の冴えない風体のプロスの姿が過ぎる。
そんなアキトに気づかずサキは続ける。

「クリムゾングループのブラックリストの最上位にいる奴よ。そんな奴に尋問されて吐かない自信は無いもの」

プロスをそう見れる人物はナデシコの中ではアキトだけだろう。
いずれはゴートも見れるだろうが今は単なるサラリーマンとしか見ていない。

「ネルガルの道化師か」

未来の過去、過去の未来。そこで初めて知ったプロスの裏面。
それを知っているからこそアキトは呟いた。

「ええ。彼はもう裏から離れているけど道化師の名は未だ存在するわよ…恐怖と畏怖をもって」
「その点は安心しろ。ネルガルにも何処にも引き渡す気は無い」
「?なぜ?貴方はネルガルの人間でしょう」

サキの言葉に笑いながら答えるアキト。

「引き渡したらつまらないだろう?せっかく暇を潰せる奴ができたというのに」
「……」

アキトは気づかなかった。
サキがアキトの笑いを聞きその笑みを見たとき恐怖の表情をした事に。

(この人は…本当に私を玩具としか見ていない…)

それは子供のように。
飽きたら忘れるだけ、捨てるだけ。
人を人と認識していながらそれでも尚も本当に玩具としか認識していない人間。
サキにとってそれは初めて会ったニンゲン。
世界の裏を生きてる以上人を玩具としてしか扱わない人間にあったこともある。
それでもその人間達は人を玩具のように扱っているだけだ。
だが彼は違う。人間と玩具を同列に並べている。
人間と玩具、どちらも違いは無いと、玩具が喋って自動で動く程度にしか思っていないと笑みが、笑い声が何よりも雄弁に語っている。 知らないうちに震え出すサキ。
知らないうちに言葉を紡ぐサキ。

「貴方は…本当に人間なの…」

質問の意図が理解できないアキトは訝しげにサキを見る。

「どういうことだ?」
「なんでもない…なんでもない…」

聞かされる答えが怖くてサキは逃げる。
アキトもそれを追わない。

「変な奴だ」

身体を振るわせるサキに手を伸ばし流れるようにラインを滑る黒髪をいじる。
アキトの存在そのものに恐怖を覚えながらもサキは髪をいじられる感触になぜか不思議と心地よさを感じるのであった…。

 

 

 

 

アキトとサキが情事を重ねている頃、休憩も終わりそれぞれが担当する部署に戻ったクルー達。

「ユリカ、本当に大丈夫なのかい?顔色凄く悪いよ」
「大丈夫だってジュン君」

内心の一種の恐怖を抑え気丈に振舞うユリカ。
ユリカの顔色が悪いと同時にルリの顔色もまた悪い。
ただでさえ白い肌が今は死人もかくやと言わんばかりに白い。
そのルリに心配そうな目を向けるミナト。
今現在ナデシコの士気は最低ラインにある。
敵が出なくて幸いといったところか。

「第1防衛ライン抜けます」

ルリが酷く沈んだ声で言う。

「では進路を火星に向けてください」

ユリカが言う。
なんらトラブル無く火星に向えると言うのに陰鬱な雰囲気がブリッジを支配している。
だがそんな陰鬱な世界とは別の世界にいる者もいる。
一人はプロス。
一人はムネタケ。
この人もそうだろうと言えそうなゴートであるが彼もまた慣れない雰囲気に、むぅ、と唸っている。

(困りましたねぇ。折角ここまで来て火星に向うだけだと言うのにこの雰囲気は)

と眼鏡を押し上げながら考えるプロス。

(いやはやあの方にも困ったものです)

あの方…もちろんアキトの事だ。

(しかし腕は確かに最強…難しいところです)

腕がよければ性格を問わずの弊害が早くも現われた、というより現された。
頭痛を起こすようなジレンマに一つ溜息をついてプロスは再び悩み始めるのであった。

(早くも連合最『狂』の影響が現われたわね)

陰鬱なブリッジを見回しながらムネタケは心中で呟く。

(あの男はいつもそうよ。他人の神経を逆なでしてそれを見て笑う…最高に嫌な奴)

かつて部下だった時のアキトを思い出す。

(だけどその結果今まで以上に他の連中が私の為に働いていたのよね)

アキトに嘲られた部下達間で妙な連帯感がうまれたのだ。
アキトに嘲られたから同情しあい互いが互いを助け合うそんな循環ができた。

(で、あたしもあいつに散々言われて…)

それまで以上に部下達が動いた。
それまではムネタケの為にだけだったがそれ以降はアキトに苛められた者どうしとして。

(行動がどうあれ結局あいつって何気に皆を纏めさせるのよね)

それは未来の事。
それは過去の事。
今は知る者が一人しかいない事。
かつてはその一途さが人を纏めた。
今は腐り、錆付いた言葉と意思。
それもいつか他者を纏める事になるのだろうか?

(まっ、あたしには関係ないわ。どうせ何時までもいる気はないし…)

火星から戻ったら適当に手柄を上げたことにして軍に戻ろうと考えるムネタケ。
だが神ならぬ彼は知らない。忌むべきか喜ぶべきかは解らないが意外と長い付き合いになる事に。
様々な想いと波乱を乗せナデシコは一路火星へと向う。
歪み続ける時の流れの中を進みながら。
ナデシコは火星へと向うのであった……。

 

 

 

 

 

代理人の「本日のズンドコアキトくん」のコーナー(爆)

 

いやはや、自虐的ですねぇ。

ここまでズンドコだと茶化す事もできやしない。

かなり痛めになってきましたし。

一体何処までいくのやら、ただ見守るばかりですね。