薄暗く静まりかえったナデシコ。
その中で唯一明るいと思われる場所、展望室。
そこより望める宇宙では光が行き交い、戦を知らせる。
それを見ながらアキトは煙草に火をつけた。
『アキトさん……』
紫煙を立ち上らせるアキトの前に現れるウィンドウ。
映し出されているのはルリだ。
以前のままに幼い顔立ち。
ツインテールの髪型、それは銀の川が流れているように。
大きな瞳、常人とは異なるが、それ故に美しい黄金の瞳が妖しい輝きをアキトに向け。
白い肌の中で異彩を放つ、紅い唇がまるであの時の様に血で塗られた様に妖しく濡れている。
紅を指しているのだろう。
『アキトさん……』
知らぬものが見ればこの少女が十一歳とはとても信じられなかっただろう。
男を蠱惑するような眼差し。
少女でありながら、まるで娼婦の様。
妖しい感覚に囚われそうになる、淫靡な響きの声。
そんな少女を前にしてもアキトはただ静かに紫煙を立ち上らせ、
「なんだ」
と錆び付いた声を出した。
『外では戦闘の真っ最中です、艦長を起こしてくれますか?』
そんな平凡な用件でも彼女が口にするとそれはなんと妖しい響きか。
どれをとっても惑わすものなど無いのに、どれをとっても誘惑をしているような響きがある。
(女というのは天性の娼婦だな)
どこか淫らな空気に惑わされることなく、アキトはそんな事を考えた。
視線はルリより外さずに。
「分かった」
『お願いします……』
答えを返したアキトに一礼をし、ウィンドウは消えた。
それでもまだその妖しい空気が残っている気がする。
それを振り払うことを望むのか、アキトは並んで寝転がっているユリカとイネスを起こすことにした。
●
変わらず戦闘は圧倒的なものであった。
多大に人格に問題はあれど、アキトの腕は間違いなく超一流の域だ。
それ以外のパイロットも同様。
ただ一人叫びながら出撃しようとした際に騒ぎすぎたためか、アキトに無理矢理黙らされたという事はあったが…。
「そろそろか……」
草を薙ぎ払うかのように簡単に刈られていく無人兵器。
それで有頂天になることなくアキトは縦横無尽に宇宙を翔ている。
アキトの呟いた、そろそろか、の意味はというと…、
『君たち、ここは危険だ!』
と僅かに形状の異なるエステが現れた時点で判明した。
アカツキだ。
おそらくはどこかに潜んで好機を窺っていたのだろうが、ナデシコのパイロットが思いの外に強く慌てて出てきたのだろう。
そしてアカツキの言葉を肯定するように宇宙に光が走った。
「多連装のグラビティブラストだと!?」
ブリッジでゴートが叫ぶが誰も聞いていない。
今この時に現れた者が敵なのか味方なのか、それだけを知りたがっていた。
その答えは意外と早く出た。
通信が送られてきたのだ。
ドック艦、コスモスより。
それと同時にブリッジのドアが開きユリカの姿。
どこか気鬱なその表情はもう一波乱ありそうだと静かに皆に告げていたのだった。
●
確かに一波乱あった。
ナデシコの軍への帰属、そんな一波乱が。
それなりに騒ぎがあったが結局は皆、ユリカの指示に従い、それを認めた。
そして今はコスモスの中。
火星で傷ついたナデシコを修理しているところだ。
そのため未だ戦闘態勢は解除されていないがナデシコの中は暇そうにしている人間で溢れていた。
パイロットなどその筆頭だ。
特に他の人間と協調する気など全くないアキトなどは。
いつものように薄暗い部屋でベッドに腰掛け、煙草を吸っているアキト。
灰が落ちるのも気にせずに暗闇の中で仄かな火を燃え上がらせる。
まるで時の流れから隔絶されたようなこの部屋。
変化が無く、静寂のみがある。
それは、この場にユリカが来ても変わることは無かった。
「アキト……」
唯一の光源と呼ぶにはあまりに儚い光源であった煙草の火。
それをもう一つ増やしたのが開かれたドアより闇を浸食しようとするかのような光。
それを背に受けながらユリカが立っていた。
ユリカの言葉にアキトは何も言葉を返さない。
ただ静かに立ち上がりユリカの元へと歩いていく。
向ってくる男より目を逸らしながら彼女は待っていた。
影が覆った。
この部屋の闇よりなおも暗い影が。
「アキト……」
目を逸らしながら呟いた。
それに対する返答は……、
「んっ!?」
唇を塞ぐ温もり。
ドン、と壁に背を打ち付けられるユリカ。
口腔で二人の舌が淫らな蛇のように絡み合う。
「はっ…」
僅かにある隙間より吐息のような声を漏らすユリカ。
が、アキトはそれを許さずにより密着し舌を激しく絡め合う。
一分ほどだろうか。
その淫らな行いがあったのは。
アキトに両手を頭上へと押さえつけられ抵抗することなど叶わないユリカ。
制帽は落ち、薄暗い部屋の中でその夜の青の様な色彩の髪が露わになる。
その目は潤みながらもアキトを注視しなにか意志を告げようとする。
それを読みとったのか、
「どうした?」
とアキトは意地の悪い笑みを浮かべて聞いた。
「違う…私は……こんなことを…」
泣き出しそうな表情で絶え絶えの言葉ながらに彼女は言葉を零した。
だがそんな表情のユリカに、アキトは酷薄な笑みを浮かべ、
「釈明でもすると思っていたのか?オメデタイ女だ…」
もう一度その唇を塞いだ。
それに対し弱いながらも抵抗をしようとするユリカ。
だがアキトの力は片手であってもユリカの動きを押えるには十分であった。
絡み合う舌。アキトの頭が下がり、ユリカの首筋へと流れるように動く。
「っつ!?」
苦鳴を漏らすユリカ。
その白く細い首筋に刻印されたかのように紅い痕。
紅い痕と白い首筋を蛇のように這い上がらせていくアキトの舌。
ユリカの吐息に甘いものが混ざる。
そしてその身体がビクンと震える。
スカートの中へと差し込まれるアキトの手。
抵抗をしようにもできない。
アキトに押えられていて。
自分の中で何かが自分を裏切っていて。
「いやあ……」
小さく拒絶の言葉を吐くが、アキトには届かない。
甘く吐息を漏らす。
身体が甘美な感覚に酔いしれる。
いつしかユリカは抵抗を忘れ、溺れていった。
●
「おやおや、お盛んなことだねえ」
アキトが声の聞こえた方へと向き直った。
そこには先ほどのユリカ同様、光を背に立っている者がいる。
肩口までの髪の毛。
鋭く細い目。
パイロットのスーツを纏い、軽薄そうな表情をしているがどこか掴み所の無い男。
アカツキだ。
ドアの縁へと腕を付き、体重を預けている。
「なんの用だ」
ユリカとの情事の手を止め、訊くアキト。
昏い目がアカツキを射抜く。
「大したことじゃないさ。連合軍でも有名なパイロットに一度会ってみたくてね……」
と言ったアカツキはアキトより視線をずらしユリカを見た。
アキトに押さえつけられた姿のままユリカが居る。
その目はアカツキの事など入っていないようだ。
とろけそうで虚ろな目。
零れる甘く荒い息が扇情的だ。
夜の青の髪が汗で濡れた肌にまとわり、制服の合間より覗く紅潮した肌。
それらは色気と言うにはあまりに艶やかすぎた。
もはや罪とすら呼べそうなほどに艶やかなユリカの姿。
それを見たアカツキは目眩を起こしそうな感覚に囚われた。
その感覚を振り払うために首を振るアカツキ。
冷笑を以てアキトがそれを見ている。
「欲しい、のか?」
ユリカを抱いたままアキトが訊いた。
言葉の意味が掴めず、いや掴めたからこそ呆然とするアカツキ。
「コレが…欲しいか?と訊いた」
壁に押しつけていたユリカの身体を引き、アカツキに見せるアキト。
ユリカの目にアカツキは入っていない。
未だ虚ろの眼差しでいる。
そのユリカの肢体をアキトの手が動く。
「はぁ……」
零れる吐息がまるで媚薬のように空気を汚す。
ゴクリ、とアカツキの唾を飲み込む音が響いた。
それはあまりに危険な光景だったから。
「ククク…」
面白がるアキトのくぐもった笑い声。
ユリカの方へと顔を寄せ、その手でユリカの細いおとがいを掴み自らの方へと顔を向けさせる。
交わされる口づけ。
まるでアカツキに見せつけるかのように舌が淫らに絡まっている。
絡み合う舌はアキトが絡ませているのではなく、ユリカが絡ませている。
嬉しそうに目を潤ませ、アキトの背に手を回す。
その光景を見て、アカツキは自分がいつの間にか荒い息をしていることに気づいた。
間違いなく自分は興奮していると気づいた。
この危険な光景に。
ユリカの吐息に惑わされたかのように。
目が離せない。
この場より離れろと告げる自分が居る。
この場に居続けろと告げる自分が居る。
背反する思考を嘲笑うかのようにアキトがもう一度くぐもった笑い声を響かせた。
それでようやく呪縛が解ける。
「君は……」
興奮を抑え、口を開くアカツキ。
その目は恐怖に揺れる。
アキトに向けた恐怖。
誘惑するかのように見せつけたアキト。
それはまるで……羊皮紙にサインを求める彼の存在のように。
惑わし、堕落へと導く彼の存在のように。
「君はっ……!!」
溢れそうな恐怖を溢れさせぬ為に切り裂くような鋭い声で叫ぶアカツキ。
だがそれはアキトを切り裂くには足りない。
向けられるのは嘲笑。
アカツキのつまらない自制心を嘲笑うかのように、アカツキの本心を知っているかのように。
その笑みにアカツキはもう恐怖を押える事など出来なかった。
辞去の言葉も無しにその部屋を出て行く。
その背をユリカを抱きながら見送るアキト。
闇の中で濡れる音と微かな笑い声が木霊していた……。
●
「まさか、貴方までが乗り込んでいたなんてね」
凛々しい表情をした女性が顔色の悪いアカツキにそう口を開いた。
だが、アカツキはそれに言葉を返すことなく疲れ切った姿で壁に身を預ける。
前の前にあるモニターにはとある光景が映し出されている。
彼女はそれをみて、怪しい笑みを浮かべているがアカツキはただ無言。
「どうかしたの?」
一切の言葉を返すことのないアカツキをさすがに妙に思ったのか彼女は――エリナは振り向き訊いた。
振り向いた際に揺れたボブカットの黒髪。
それは確かに魅力的ではあったが先ほどのユリカに比べれば、ただ魅力的なだけでしかない。
恐怖と危険な情欲がそれ故か収まっていく。
一つ息を零し完全に本来の自分を取り戻したアカツキは改めてモニターに目を向けた。
そこに映し出されているのは火星より逃れる際の映像。
画面に映るアキトの姿が光に包まれ消える映像。
「ボソンジャンプ……」
その映像を見てエリナは呟いた。
目的のモノを見つけたことに対し喜びを滲ませて。
おそらくこれから彼女はアキトを狙うことになるだろう。
自らの野心とも言うべき目標を達成するために。
悪魔との契約で願いを叶えるために差し出させるのは魂。
彼女がその願いを叶えるために彼に差し出すのはなんなのか、アカツキはそう思った。
喜びを露わにするエリナに感情の見えない、冷たい眼差しを向けながら……。
代理人の「本日のズンドコアキトくん」のコーナー(爆)
アカツキ陥落(爆)。
やはり大関スケコマシは「元」なのか?
エリナさんも次回あたり原さんのカッターナイフの如く「とすっ」とヤられそうな予感(謎爆)。